革共同通信・第19号

2008年10月21日発行

格差・貧困 打破! 戦争・改憲 ゆるすな! 麻生を人民の力でたおそう

世界金融恐慌が実態経済に波及

9月のアメリカ証券資本の総で一気に顕在化した世界金融恐慌は、G7財政相・中央銀行総裁会合での「行動計画」うち出しにもかかわらず、いよいよ深刻の度をましている。
株価は全世界で暴落と乱高下をくり返し、アメリカの自動車ビッグ3再編の動きに象徴される自動車・住宅需要の減少をはじめ、実体経済の収縮もはじまっている。日本では、8月に対米輸出が21%減少して(前年同月比)26年ぶりに貿易赤字となった。中国でも、株と不動産価格が暴落して、世界同時恐慌への突入を不可避としている。

ブルジョアジー救済の資金注入反対

イギリスの公的資金8・8兆円の金融機関への資本注入決定につづき、米欧の各国政府は公的資金の投入を決定して、金融機関の破綻を回避しようとやっきになっている。ブッシュ政権は75兆円の投入を決定し、政府保証などの対策総額は265兆円にのぼる。ドイツは70兆円、フランスは49兆円、欧州全体で212兆円の政府保証を行うという。詐欺的な手法で信用をふくらませ、投機によって架空資本の膨張でボロもうけをしてきたブルジョアジーを、労働者人民からの血税で救済しようとするものであり、絶対に許してはならない。
だが、これでも新自由主義政策のもとで膨張をつづけてきた過剰資本をコントロールできるみとおしはないのだ。

貧困と格差打破へ階級的反撃を

労働者人民による「反貧困」の反撃が強まっている。18日、大阪南御堂会館に400人が結集して全国キャラバン行動がたたかわれた。19日の明治公園での世直しイッキ大集会に2000人、京都・円山公園での反貧困・反戦闘争に850人が決起し、世界同時恐慌情勢のただなかで労働者人民の反撃がはじまった。
上場企業の倒産は過去最多となる見込みだ。金融危機のなかで巨大資本が救済されたとしても、銀行の貸し渋り、貸しはがしによって、輸出関連産業などで中小零細企業の倒産・解雇が続出するのは不可避だ。
まっさきに切り捨てられるのが非正規雇用の労働者だ。ワーキング・プアが社会問題化し、対策を求める声が高まっている。いま問われているのは、労働運動だ。正規であれ非正規であれ、労働者への犠牲の転嫁を許さない闘いをまきおこしていかなければならない。

アフガニスタン戦争で自民と民主が同調

インド洋派兵延長法案が、「消化試合」のような審議で採決されようとしている。自民党と民主党が「テロとの戦い」で完全に同調しているからだ。
しかしこの腐った国会審議は、アフガニスタンの現実を前にしたとき、吹き飛ばされる。
「少年は自宅前に散らばる黒く乾いた家族の遺体の肉片を拾い集めながら、12歳とは思えない厳しいまなざしをカメラに向けた。」(10/18毎日・東京版)
これが帝国主義のいう「テロとの戦い」の現実だ。この少年は、8月22日の米軍の空爆で家族14人を奪われた。そしてこの空爆を、インド洋上の自衛艦が支えているのだ。
アフガニスタン人民の怒りと憎しみに向き合おう。インド洋派兵延長法を阻止しよう。全力で闘おう。自民も民主も打倒しよう。

10・5三里塚 強制収用「実力阻止」を宣言

三里塚闘争は、成田空港会社(NAA)による市東孝雄さんの農地強奪をめぐって、重大局面に突入している。10月5日、全国総決起集会に1420人が結集した。

デモ出発前、ガンバローを三唱する反対同盟(10月5日成田市)

農地強奪に戦闘宣言

10・5三里塚闘争の第1のポイントは、反対同盟がNAAの農地強奪攻撃に対して断固たる戦闘宣言を発したことである。
NAAは、市東さんに対して「10月12日をもって農地の明け渡し期限が切れた」として、「明け渡し請求訴訟」を行おうとしている。国家権力を使って市東さんの農地を強奪しようとしているのだ。
これに対して、市東さんはNAAの不当・不法な土地取り上げを怒りを込めて弾劾し、「私は一歩も引きません。畑を作ることが実力闘争です。私の畑に空港会社が手をかけてくるなら実力阻止の闘いをしたい」と固い決意を明らかにした。

全国に「市東さんの農地を守れ!」の運動を

基調報告で萩原進反対同盟事務局次長は実践的な方針として、農地強奪に反対し市東さんの裁判闘争を支えるための全国的な運動の取り組みを提起した。
NAAは、本来、農民と農地を保護するために作られた農地法で、市東さんから農地を強奪しようとしている。この前代未聞の暴挙は、日本帝国主義が戦後農政を180度転換し、農業切捨て・農民圧殺に転じたことを象徴するものだ。三里塚闘争は、文字どおり、日本農民と日本農業の存亡をかけた闘争となった。全国のたたかう労働者人民は、労農連帯の真価をかけて市東さんを守り抜こう。

フェンスに囲まれた団結街道を怒りのデモ(10・5)

三里塚と沖縄を結ぶ広範な闘争陣形を

10・5闘争の第2のポイントは、日米帝国主義よる米軍再編・基地強化の攻撃、それと一体で進行している改憲攻撃と対決する闘争陣形をつくりだす展望を示したことである。
萩原事務局次長は「三里塚闘争が引き継いできた、北富士闘争や砂川闘争などの戦中・戦後の農民闘争や労農連帯の闘いを、全国に波及させよう」「反戦・反核、反権力そして反差別の広範な市民運動、住民運動と連帯しよう」と訴えた。
これを受けて沖縄の農民として参加した知花盛康さんは「成田空港も、沖縄の基地とともに戦争には使わせないという立場で、みなさんが沖縄に駆けつけ、私たちも三里塚に駆けつけて、ともに闘おう」と応えた。
また関西の住民を代表して、山本善偉さんとともに登壇した永井満さんは、「労働者も市民も農民も一緒になって、体を張って闘う時代だ。沖縄と三里塚をともに闘おう」と決意を語った。
10・5全国集会で反対同盟が示した、国家の暴力による農地強奪に敢然と立ち向かう姿は、三里塚闘争がふたたび「闘う人民の砦」として登場したことを強く印象づけた。
来年3・29全国闘争にむけて、闘う陣形の発展をかちとろう。

反対同盟の声明

10月17日、反対同盟は以下の声明を発表した。

空港会社の提訴 徹底弾劾!

本日、成田空港会社が、市東孝雄さんに耕作地を明け渡せという裁判を、提訴したことが明らかになりました。断じて許せません。直ちに全国から怒りの抗議を集中して下さい。反対同盟は断固としてこの提訴を許さず、闘います。
抗議メール:naal@naa.jp
抗議電話:0476−34−5400
(いずれも成田空港会社)

2面

10・5三里塚現地全国闘争(発言は要旨。文責は編集委)

「私の畑に手をかけるなら実力阻止の闘いをしたい」市東孝雄さん

畑が私の闘争現場 市東孝雄さん(反対同盟・敷地内)

空港会社が、成田市農業委員会に契約解除の申請をしたのは、一昨年の7月だ。それから2年間、二つの裁判を闘ってきた。一つは民事訴訟。もう一つは私の方から県の許可決定の取り消しを求める行政訴訟。
また、新たに10月12日をもって農地取り上げとの闘いが始まる。空港会社が、私が借りていないところを勝手に決めつけ、明けわたせという裁判だ。
私は、これを法廷だけの闘いとは思っていない。三里塚43年の歴史は、力による農地強奪の歴史、法律も正義もない。あの畑一つとってみても嘘と騙しの土地買収だ。法を次々に破っている。そして法廷で闘っていようと、力づくで取り上げる。工事も続行する。それが国と空港会社のやり方だ。だから私は一歩も引かない。
これ以降、畑を作ることが実力闘争だ。畑が私の闘争現場だ。もし私の畑に空港会社が手をかけてくるなら、私は実力阻止の闘いをしたい。
この闘いは、全国の闘うすべての人びとにとっても、たいへん意味のある闘いだと強く思う。私が闘えるのは、私を支え、ともに闘っている「農地取り上げに反対する会」のみなさんと、全国から結集された三里塚を支援するみなさんのおかげだ。
自分の生きる権利をかちとるためにも、これからもどんどん闘っていきたい。ともに闘おう。

「労働者と農民の敵は一つだ」萩原進さん(反対同盟事務局次長・敷地内)

中山発言を許さない

自民党は、自分たちに統治能力がなくて、他人が悪いんだと開きなおっている。政権の投げ出しをくり返しながらどんどん右傾化していく。だから中山発言になっていく。麻生政権も、そういう形でしか生きていけない。このことを押さえて闘わねばならない。

農業問題と労農連帯

汚染米問題が問題になっている。それは農業問題の中でも根本をなしている。ミニマムアクセスで、いらないコメまで押しつけられている。業者も悪いけど、それ以上に悪いのは政府だ。根本は、そういう腐敗した農業政策にある。
働いても食べられない労働者と、何とか生き延びようとする農民が、一緒に闘っていこうということで、三里塚の闘いがあると思う。

北延伸の本来の狙い

北延伸の本来の狙いは、単に北に伸ばして2500メートルの滑走路を作るということではない。40メートル上空を、大型機を飛ばして、住民を騒音地獄に叩き込んで追い出す。そして、もう一度南に延ばして、限りなく4千メートルにちかい軍事空港を作ることなのだ。そして、市東さんら東峰部落の住民を叩きだし、三里塚を闘う勢力を消滅させる。そういう狙いが、北延伸の本来の狙いなんだ。われわれは、それを見抜いて、まさに空港の中で堂々と集会をしている。

広範な連帯の絆

働いても食べられない労働者、農地を追われる農民、その敵は一つだ。
戦中、戦後、農地解放という形で闘いぬき、そこには基地闘争もあった。多くの農民、住民、労働者が結合して闘い、それが今日の三里塚闘争に引き継がれてるんだ。そして三里塚では、動労千葉と反対同盟がスクラムを組んだ。こういう労働者と農民の結合を、全国化しよう。
「市東さん運動」を展開していく中で、反戦・反核・反権力と、そして反差別の広範な市民運動・住民運動との連帯を作るべきだ。
とりわけ、沖縄の人々の闘いとか、あるいは関西の人たちの闘い、あらゆる階層で闘っている人たちとの絆を作っていく。

デモの先頭を行く北原事務局長(左)と市東さん

人民の共闘の砦

三里塚闘争は、人民の共闘の砦であると自負したい。そのためには、市東さんの農地裁判を支援する運動をお願いしたい。そして韓国の労働者が農民とともに闘っているように、三里塚でもやってるように、闘いの構造を全国で作ってほしい。
また、国境を越えた連帯を作りだしていくことが急務だ。そのためにも「アジア・ゲートウェイ」「FTA」の問題を、労働者と農民の共通の叫びとする必要がある。
三里塚闘争も、現地の闘いと、裁判闘争を含めた大衆的運動、この両輪で闘いぬく。闘う側の隊列を、いまある核を土台に大きく作り上げていこう。

沖縄の農民として発言する 知花盛康さん(沖縄・読谷村)

10年ぶりに参加した。今日は、沖縄の農民として発言する。農業委員会が市東さんの土地を取り上げるのに我慢ならない。
沖縄では、昨年の県民大会が闘い取られた。歴史教科書を改ざんしようとしたが、沖縄戦の体験者は、集団自決が強要されたのを見ている。この人たちが「今の世の中は危ない」と危機意識を持った。労働者を先頭に、4世代の人びとが結集した。
基地再編に対して、私達は沖縄からの基地撤去を要求する。民衆が立ち上がるなら、必ず勝利をかち取れる。

71年の実力闘争をもう一度やる覚悟  永井満さん(三里塚決戦勝利関西実行委員会・代表世話人)

非妥協、不屈、不退転という闘い方が勝利の道だと反対同盟に教えていただいた。そう闘って淡路島の空港建設を許さなかった。
また、動労千葉の闘いに出会って、動労千葉のように闘いたいと思ってきた。
私たちは、今、71年の闘い、それに続く闘いをもう一度やる覚悟でいる。もう一度新たに決意する。
沖縄の闘いを本土に持ってくることも大事。それとともに三里塚の闘いを、沖縄に持っていきたい。沖縄の人びとと一緒に三里塚も闘いたい。
労働者も、市民も、農民も、一緒になって頑張っていく時代だ。身体を張って闘う時代だ。頑張ろう。

(投稿) 市東さんの決意に応え「市東さんの農地を守れ」の大運動を

東京の労働者です。5日、当日は、休日出勤が入る予定でしたが、何とか丸一日空けることができました。

市東さんの決意に感動

集会では、市東さんの土地を、千葉県・裁判所が農地法をねじ曲げて強奪しようとしていることに対し、裁判闘争の勝利と農地の実力死守を鮮明にした発言があい次ぎました。
何より、市東孝雄さん自身が「私は一歩も退かない。畑が私の闘争現場。敵が農地に手をかけた時点で実力阻止の闘いに立つ」と決意を明らかにしたのが圧巻でした。
感動しました。私の中でも85年の10・20戦闘がよみがえり、決意を新たにしました。

若い世代に訴える北原事務局長

主催者あいさつで北原鉱治さんが「若い諸君が未来にどう生きるのか、何をなすべきか、三里塚で学ぶことが必要」と、三里塚の闘いが若い世代のために勝利しなければならない闘争であることを強調していたのが印象的でした。

農民闘争の先頭にたつ萩原事務局次長

基調報告では萩原進さんが、中山「ごね得」発言を弾劾し、福田の無責任な辞任・麻生政権発足の過程に触れた上で、「農業政策を取っても、寝袋を持って国会内でコメの輸入に反対した松岡が、自殺してる。赤城、 遠藤、太田、4人の農水大臣が任期を全うしないで、やめちゃってる。それだけ今、農業問題は難しいんですよ」「ミニマムアクセスでいらないコメまでも押しつけられて輸入せざるを得ない。業者も悪いけど、それ以上に悪いのは政府なんですよ。根本はそういう腐敗した構造、農業政策の実態ということにあるんだ」「働いても食べられない労働者と、何とか生き延びようとする農民が、やっぱり同じじゃないか。一緒にそこで闘っていこうということで三里塚の闘いがある」と、農民闘争として、労働者階級と連帯して闘う三里塚闘争の位置づけを鮮明に提起しました。

フェンスに怒り

会場の萩原さんの畑から天神峰までのデモで、道の両側を見渡せば、何回来ても、毎回新たにフェンスやNAAの看板ができていて、現地で生活する農民を圧迫・分断しようとしているのがよくわかります。
市東さんの農地を守ろう。怒りと決意を新たに帰途に着きました。(首都圏通信員・M)

3面

新自由主義との闘いを労働運動の課題に

資本の論理むき出しで民営化と格差社会

富めるものはますます富み、貧しいものはますます貧しくなる二極構造の格差社会。こんな社会をもたらした政策が「新自由主義」と言われる先進国(現代帝国主義)の政策体系です。民営化もこの政策体系の大きな特徴です。新自由主義との闘いを労働運動の正面課題とせねばなりません。

ケインズ政策から新自由主義政策へ

世界史の教科書にもあるように1929年の世界恐慌の後、日欧米各国は生き残りを掛けた景気浮揚と関税の掛け合い、そして勢力圏の拡大競争に走り、米英仏などの「持てる国」と日独伊の「持たざる国」に分裂、ソ連をも巻き込んで第二次世界大戦へと至りました。恐慌がやがて世界戦争へと至り、各国が軒並み戦後革命の危機に陥ったことを教訓化し、大戦後は国家が財政拠出して需要を喚起し、恐慌を回避する政策がおこなわれました。イギリスの経済学者ケインズが提唱したことからケインズ政策と称され、先進各国の恐慌回避政策としてケインズ政策は一世を風靡しました。
資本主義生産の特徴は過剰資本(過剰生産力)です。ケインズ政策は過剰資本を国家財政の拠出で温存したまま、矛盾の爆発(恐慌)を先伸ばしにするもので、結局いっそうの過剰資本と国家財政の危機をもたらします。赤字国債で借金漬けの日本が典型です。こうしたやり方が行詰まり、「オイルショック」後の1974〜75年の世界同時恐慌となりました。74〜75年恐慌は米のベトナム敗戦とあいまって戦後世界の大きな転換点となりました。ケインズ政策の行詰まりで脚光を浴びたのがハイエク、フリードマンら「シカゴ学派」と言われていた経済学者のグループの唱えた新自由主義政策です。
その「理論」は「自由市場経済の下で一切の規制がなければ、全ての資本、資源、労働力は最適に配分される」という「市場経済万能主義」とでも言うべき、とんでもない代物です。市場経済に規制を加える代表として労働組合に攻撃を集中するのが新自由主義の大きな特徴です。

80年代階級決戦と国鉄闘争

新自由主義はチリのアジェンデ社会党政権を73年クーデターでひっくり返したピノチェト軍事政権と結びつき、レーガン、サッチャーに取り入れられて台頭します。80年代レーガンは、航空管制官のストライキに全員解雇の弾圧を行い、またサッチャーは炭鉱労働者のストライキを圧殺しました。そして中曽根は総評(当時の労働組合のナショナルセンター)の中心勢力だった国労を解体するために、国鉄の分割民営化を強行しました。まさに国家的不当労働行為でした。
1960年代には「むかし陸軍、いま総評」と言われるほど強かった総評も87年の国鉄分民攻撃になすすべなく敗退し、89年には解散、連合にとって代わられます。しかし総評と国労の敗退には“動労の裏切り”という問題が横たわっています。70年代には「鬼の動労」といわれ順法闘争やストライキで闘っていた動労は、その中で徐々に革マル派が勢力を伸ばし、動労を牛耳るに及びました。この動労革マル派が国家の総力を上げた国鉄分割民営化攻撃に震え上がり、中曽根の国労解体攻撃の先兵となって生き延びる道を選択したことによって、初めて分割民営化攻撃が可能となりました。九州、北海道を中心に国労組合員は大量に不採用となり清算事業団に送り込まれました。3年後の90年には1047名が清算事業団からも叩き出されました。1047名の大部分は国労組合員で、国労闘争団をつくり「解雇撤回、原職復帰」を求めて今なお闘い続けています。

労働法の「85年転換」

この87年の国鉄分民のまえの85年に男女雇用機会均等法、労働者派遣法、職業訓練法が成立しました。この3法は労働法の世界で「85年転換」といわれる程の攻撃でした。また労基法も87年、93年、97年、98年と徐々に改悪され、裁量労働制や変形労働時間制の導入や母性保護が撤廃されていきました。労働者派遣法は成立当初は16業種に限定されていたのが、96年には26業種に、そして99年には対象業務が原則自由化されました。小泉の時の03年に製造業への派遣も解除され、以後今日に見られるような事態となりました。細川内閣以来の新自由主義の流れと主だった政策をレジュメ風にまとめると・・・(右参照)

小泉改革と07年参院選

「新自由主義の申し子」ともいうべき小泉の構造改革は日本経団連・奥田の全面的後押しと、衆議院での3分の2与党の出現で順風満帆でした。小泉の後任を任された安倍は構造改革を推し進めるとともに、自民党懸案の憲法改悪へとまっしぐらに進みました。教基法の抜本改悪、教員免許更新制、防衛庁の省昇格、改憲のための国民投票法の成立などです。
しかし07年参議院選挙で大敗を喫し、安倍は政権を投げ出しました。小泉構造改革は切り捨てられた農民や非正規雇用労働者の反乱を招き「ねじれ国会」が出現しました。07年参議院選は日本の戦後政治史の中でも大きな節目の出来事でした。新自由主義は資本の論理がむきだしとなるため、労働者の怒りと闘いが不可避となります。偽装請負や「名ばかり管理職」を弾劾する闘いは派遣大手のグッドウィルを廃業にまで追い込みました。遅まきながら厚労省は登録型派遣を禁止する法案を準備しています。新自由主義は社会の矛盾を激成し政治危機を招きます。労働運動は民営化、非正規雇用と格差社会という新自由主義の固有の矛盾を突く闘いを正面課題に据えて、新自由主義を葬り去ろうではありませんか。(労働者 K)

新自由主義の流れと主な政策

◆新自由主義的改革の準備期 (1993〜95年 細川〜村山政権)
 ・小選挙区制への選挙制度改革
 ・「経済改革研究会」(平岩委員会)の報告、規制緩和5カ年計画
 ・新自由主義イデオロギーの台頭
 ・日経連「新時代の“日本的経営”」(95年)
  〜9割の労働者を終身雇用から外し、正社員は1割とする提言
◆新自由主義的改革の実行期@ (96〜2000年 橋本・森政権)
 ・橋本構造改革〜「弱者救済と雇用の確保」を放棄
 ・経済同友会提言「市場主義提言」(97年)
 ・労基法改悪〜女子保護規定の撤廃(97年)、裁量労働制の拡大(98年)
 ・派遣法改悪〜ネガティブリスト化=原則自由
 ・職安法改悪〜有料職業紹介の原則自由化、手数料の規制緩和
 ※非正規雇用の増加、所得格差の拡大、犯罪・自殺の増加
◆新自由主義的改革の実行期A (2001〜06年 小泉政権)
 ・「経済財政諮問会議」の特権化。「聖域なき構造改革」「“痛み”を伴う改革」
  「債務、施設、人員の3つの過剰論」
 ・労基法改悪〜裁量労働制の拡大、有期雇用の拡大(03年)
 ・派遣法改悪〜製造業への拡大(03年)
 ・郵政民営化〜郵政解散−総選挙で2/3与党の出現(06年)
 ※ワーキングプア、ネットカフェ難民、過労死の社会問題化。所得の2極化

門真の不起立決起への処分策動ゆるすな!

門真市(大阪府)の処分めぐる攻防

9月12日、大阪府教委にたいして3・31通知撤回を求める交渉が行われた。
3月の門真市立第三中学校の卒業式で、1人をのぞく卒業生全員が教職員とともに「君が代」に不起立したことを受けて、府教委は起立指導の徹底と処分どう喝を示唆する通知を出し、門真市教委は、入学式当日に三中など2校で職務命令を出した。府下で「日の丸・君が代」の職命はこれが最初である。
「みんなでとめよう!教育改悪・全関西の集い」実行委の教育労働者らは、産経報道と右翼の圧力を弾劾し、900筆を越える署名を集め、市教委宛署名と合わせ、2000筆を越える署名がこの日突きつけられた。
卒業式をめぐる処分策動はいまも継続中である。市教委は旧担任団全員に事情聴取をくり返し、卒業生への調査まで示唆してきた。闘う教育労働者は、この処分策動をはね返して闘いつづけている。
08年の「日の丸・君が代」闘争は、教育労働者への処分どう喝による起立の強制から、門真と北海道・芽室を焦点に、全児童・生徒への起立の強制へと踏み込んでいる。平和教育、解放教育の実践を基礎に一人ひとりが信念を持って生きていくことを求めた結果であり、教育労働者たちは職場全体の団結の力でその実践を守りぬいたのだ。
府教委・市教委と右翼の「偏向教育」攻撃こそ、新教基法の下での天皇制教育の強制という偏向ぶりを示すものだ。

10・23通達情勢に団結して反撃を

ところが安田派は、この闘いを支援するどころか、誹謗中傷してきた。8月30日に大阪市立北区民センターで開催された、根津公子さんの闘いの映画上映集会の討論のなかで、門真で入学式不起立の先頭にたった教育労働者に当局が職命をさけたことをとらえて、「彼に職命が下されなかったのは、彼が処分をすりぬけたからだ」と言いがかりをつけ、参加者のひんしゅくを買う事態となった。安田派は、不起立と処分を自己目的化して、教育労働者の闘いの統一と団結を破壊しているだけだ。どちらが正しく、どちらに展望があるかは、すでに事実で示されている。
門真では、卒業式での処分攻防につづいて入学式でも処分攻防となる。09年の卒・入学式は、10・23通達(03年都教委)情勢の下での闘いになる。職命や処分どう喝をはね返す団結を職場につくりだし、教育労働者と全児童・生徒、保護者らへの起立と服従の強制に総反撃して闘おう! (関西教育労働者委員会)

4面

「東北アジアに平和を!ピースフェスティバル2008」に参加

「東北アジアに平和を!ピースフェスティバル2008」が、神戸市内の会場で開かれた(9月14日)。
在日朝鮮・韓国人、中国人、モンゴル人、それと共同し支える日本人の団体・グループ、個人などが集まり、毎年開かれている。いま、多難な問題を抱えながら、しかし「明日の東北アジアに真の平和を」と、民族や考え方の違いを乗りこえ集まる人々がいる。百万人署名運動兵庫も、賛同し参加た。
4・24阪神教育闘争60周年の記念ビデオ『4・24の魂』が上映された。民族教育、在日の権利と存在を踏みにじる日本政府・官憲による弾圧への怒りと叫びを、貴重な映像を交えて知ることができた。

「劇団水曜日」

「劇団水曜日」のみなさんの熱演(9月14日神戸)

昨年、百万人署名運動の集会でも上演していただいた「劇団水曜日」による『海を越えてつながる私たち』の劇。市制50周年イベントで朝鮮舞踊を踊った朝鮮高校の女生徒たちが、日本人の女性からひどい差別暴言をあびた。市民や教育労働者、在日の人たちが事件を劇にし、歴史と差別を考え訴える。30回目の上演になる。出演する市民たちは、「『日本軍慰安婦』被害女性に政府の誠実な対応を求める」意見書の宝塚市議会決議にも力を尽くし、3月に全国で初めて実現させた。
その朝鮮高級学校生たちは華麗で、力強く民族の誇りを表現する舞踏を踊った。中華同文学校の子どもたちによるユニークな中国獅子舞、そして戦争で残留を強いられ、やっと故郷に帰り、なお苦難を強いられている「中国残留日本人孤児」の皆さんによる合唱。モンゴル馬頭琴の演奏、チャングドゥル・韓国伝統打楽器の演奏が参加者の心に響いた。

日本・韓国・朝鮮の子どもたちの絵

協賛団体などによる絵や写真の展示、各種の署名、本の販売などもあった。戦争の現実を暴く写真を展示しつづけている、イラク・朝鮮戦争写真展実行委員会による展示、「慰安婦」問題解決を求める署名もおこなわれた。
印象に残ったのは、在日コリアン青年たちが集めた日本・大韓民国・朝鮮民主主義人民共和国の小中学生たちが描いてくれた絵だった。日・韓・朝の子どもたちが、楽しく一緒に手をつなぐ日が来ることを願う。みんなの共同の力で実現して行こう。 (百万人署名運動・兵庫 I)

「労働相談名刺ビラ」まきに手ごたえ

関西合同労組では、無料労働相談の名刺ビラまきを各地で行ってきました。阪神間では、JR尼崎駅での名刺ビラまきが9月で3年がすぎ、回数も30回を越えました。また労働相談も約30件を越え、組合に結集した仲間もいます。
JR尼崎駅で名刺ビラまきを開始したのは、近隣にある分会が非正規雇用の労働者の問題を団体交渉で取り上げ、さらに地域の仲間に合同労組の存在を訴えようとしたことがきっかけです。またJR尼崎駅は、05年4月25日の福知山線の脱線事故の最寄り駅でもあり、民営化とJR西日本の責任を問う行動でもありました。
時間は午後7時から8時で、通常のビラまきよりかなり遅い時間帯ですが、昨今は勤務時間帯がバラバラで、この時間でも多数の労働者が駅を使います。通常のビラに比べ、名刺大の大きさは手に取りやすく財布などにすぐしまえるので、気軽にとってもらえます。
尼崎の給食民営化問題や市役所窓口の雇いどめ問題(武庫川ユニオンが1カ月のストライキを闘った)などを訴えたときは、通例以上に反応がよくなりました。
JR尼崎事故の時は、現場近くの労働者は仕事をほおって救援に立ちあがりました。犠牲者は尼崎在住者より伊丹・川西・宝塚が多かったのですが、「阪神(7市1町)は一つ」という意識も強く、事故後3年半を経てJR西日本の責任を強く問う声は多くあります。尼崎駅でのビラまきは、この事故責任を問い続ける闘いでもあるのです。
この10月から名刺ビラは、裏に労働者の権利(残業代、有給休暇の権利など)を刷り込んだ、新しいバージョンにしました。この名刺ビラがきっかけで組合に入った仲間の声をうけてのものです。
労働組合の闘いは、記念日的な日にだけ突然現地でデモを行うといったものではなく、職場・地域で1年を通じて行うものです。無料労働相談の名刺ビラまきは、必ず地域の仲間と結合すると確信しています。(関西合同労組通信員 K)

本の紹介 「私たちは『蟹工船』をいかに読んだか」 白樺文学館 多喜二ライブラリー

小林多喜二の『蟹工船』が多くの若者に読まれている。そんな中、『蟹工船』読書エッセーコンテスト(小樽商科大学と白樺文学館多喜二ライブラリー共催)の入賞作品集をあつめた本が出版された。25歳以下の部門とネットカフェ部門のそれぞれから、14歳から34歳の17人の作品が掲載されている。
そこには、「『蟹工船』は今の自分たちのことだ!」という、若者たちのなまの叫び、苦悶がつめこまれている。ぜひ多くの人に読んでほしい。

若者の叫びに向き合う

「蟹工船」の中でおこなわれた、「国益」や「会社の利益」を振りかざした非人間的な搾取が、形をかえて自分や友人を絞め殺していると、彼らは感じている。
「今まさに蟹工船に乗って働いているようなもの」「もっと複雑に、そして巧妙に目に見えないカタチをとって私たちは蟹工船で振るわれた暴力の中に沈められていると感じる」・・・。
様々に表現される若者たちの言葉に、鳥肌が立つ。彼らが今いるのは、戦後民主主義世代が経験したことのない世界だ。いつ誰がどのような形で「撃ち殺される」かもわからない「焦り、虚無感、絶望」が渦巻く、まさに「戦場」なのだ。
それは単純に「資本主義のむきだしの搾取への回帰」というだけではない。多喜二の時代とも、親の時代とも違う。帝国主義の新自由主義攻撃のもとで、労働のあり方、搾取のあり方、人間の関係性などが、激変しているのだ。
若者たちは、ストライキに立ち上がった「蟹工船」の労働者に、一縷の希望をみいだしつつも、「彼らのようにはいかない」と感じている。私は、何よりもこの点に注目したい。
「小林多喜二が生き描いた『終わった歴史』は世紀を超えて繰り返されているのに、私たちは現状への虚無感を抱えて、彼らのようには立ち上がれないと思っている。この行き場のない感覚をどうしたらよいのだろうか」「バブル時代の熱狂(ママ)を知らず競争教育に導かれた青春時代を過ごし、団結とか連帯なんていう言葉すら知らない・・・、いや、その言葉に不信さえ感じている」「私たちの生死をかけた『戦闘』は、『ガンバレ』という旗を振る団塊の世代の大人達にとって、電車で読むコミックのように映るだろうか。しかし、これが現実。紛れもなく私たちワカモノ世代におこっていることなのだ!」「『共有できる何か』がない」「私たちは支配者に闘いを挑む怒りを剥奪されている!」
彼らは、他者と共有する何かを求めつつ、絶望のままでは終わりたくないと思いつつ、なぜそれができないのか、必死に考えている。

ブームにのるだけでなく

求められているのは「ガンバレ」「団結せよ」「立ち上がろう」という安易なかけ声ではないということを、本書は教えてくれる。必要なのは、「蟹工船」ブームを「革命情勢だ」と言ってのけることではない。何が団結をしにくくし、何が「怒りを奪っている」のか、「共有できる何か」は本当にないのか―そこに本気でせまることではないか。そこにこそ、世界プロレタリアートの階級的団結をつくりだし、新自由主義にいきついた帝国主義を打倒するカギがあるのではないか。現代の「蟹工船」に乗っている若者たち自身の言葉の中に、そのカギを見つけだしたい。(投稿 DO)

※『蟹工船』

1929年に発表された小林多喜二のプロレタリア文学の代表作。貧しさゆえに蟹工船に乗り込んだ労働者たちが酷使され、暴力や虐待を受け、仲間が次々と過労と病気で倒れていく中、ついにストライキに立ち上がる。いったんは軍隊により鎮圧されるが、再び立ち上がるという物語。資本主義の搾取構造、戦争の問題などが、背景として描かれている。