革共同通信・第12号

2008年7月1日発行

洞爺湖現地 サミット粉砕の直接行動を

新自由主義とグローバリズムの正体がいまほど明らかになったときはない。
なぜ世界中に飢餓や貧困がひろがっているのか。なぜマネーゲームがとどまるところを知らないのか。なぜアメリカはイラクを占領しつづけ、戦争を拡大しているのか。なぜアフリカで虐殺が繰り返されているのか。なぜ高齢者が、介護も医療も奪われていくのか。なぜ必死に働いている派遣労働者の青年が、苦悩と憤りの果てに殺人に走ったのか。
現代帝国主義、その戦争政策と新自由主義政策とグローバリズムが、一切の元凶である。

大きな転換点

日本階級闘争は、ながくこの打倒対象をとらえられないできた。いま、その頭目たちが洞爺湖にあつまろうとしている。08年の反G8サミット闘争は、日本階級闘争にとって、間違いなく大きな転換点になるだろう。
職場、地域、街頭が日々のたたかいの現場だ。しかし、そのすべてのたたかいの現場から、「戦争と新自由主義とグローバリズムに反対し、G8サミットを粉砕する」の一点で、全世界の人民が連帯し、ひとつの大きな潮流となって前進するときがきた。労働運動が、反戦闘争が、これまでの壁を突きやぶって発展するときがきた。

5日 1万人のピースウォーク

札幌市中心の大通公園で、午後1時から大規模なデモが計画されている。あらゆる立場の人々が総結集する場となる。日本だけではない。FTA・WTOと果敢にたたかってきた農民運動の部隊、100万人の大行進いらい、イ・ミョンバクを追いつめている韓国の部隊、民主労総の部隊、数十万人規模の運動をつくっているヨーロッパからも部隊がやってくる。このデモが「ピース」に終わることはないだろう。



サミット会場とキャンプ地

7日 サミット会場への直接行動

G8の頭目があつまるサミット会場は、なだらかな山の中にある。われわれの進撃をはばむものはない。もちろん警察は妨害を試みるだろう。しかし、規制を正当化する公安条例も、道路交通法も、そこには存在しない。4〜5時間の山行をいとわなければ、サミット会場に肉迫できる。ヨーロッパのたたかいに学び、直接行動にでよう。

キャンプ

3千人分の宿泊地が、たたかう仲間の尽力と現地の方々の協力で確保された。テントと寝袋があれば、誰でも泊まれる。このキャンプで世界のたたかう仲間と交歓しよう。

サミット粉砕行動に連続決起

6・12 大阪

サミット財務相会合が、大阪で、6月13日14日の両日にわたって開催された。
その財務相会合に反対する闘争が、12日、「とめよう戦争への道! 百万人署名運動」のよびかけで、大阪市内でおこなわれた。
最初に、関西労組交流センターから集会の基調が提案された。
@経済危機の深まり、イラク侵略戦争の行きづまり、原油や穀物の高騰による世界的な生活危機がおこっている。しかし財務相会合では何の解決策もうちだせない。
A福田政権は、支持率挽回とサミットでの主導権確保のために、アフガニスタンへの陸上自衛隊の派兵を打ち出し、秋の自衛隊派兵恒久派兵法の成立から改憲へと突きすすもうとしている。
B大阪府知事・橋下は、公務員労働者への賃下げ、府民への医療・福祉や文化・教育の切り捨ての攻撃をかけてきている。
Cこれらの一切の元凶である新自由主義とグローバリズムに反対し、洞爺湖サミット闘争に決起しよう。
この基調の提案を参加者全員が確認した。続いて各参加団体から発言があった。
最後に、「とめよう戦争への道! 百万人署名運動」の全国呼びかけ人である梶原さんから、「1億人の人が飢え、戦争でたくさんの人が死ぬ。海外派兵、憲法改悪が目論まれようとしているなか、今の世のあり方を変える闘いをつくり出そう。G8サミット反対闘争に参加しよう」としめくくった。
市内デモは、街をゆく人たちの注目を浴び、ビラのうけとりもよかった。(労働者通信員A)

弾圧うち破って

6月12日、釜崎パトロールの仲間がでっち上げ逮捕。未だ拘留中。
6月10日、洛南ユニオンの仲間が「詐欺罪」でっち上げで逮捕・起訴。その後、保釈され、6月25日の京都行動で元気よく発言。
6月25日の京都行動にゲスト参加予定だった韓国・民主労総のチョン・ウイオンさんは、関西空港で入国を拒否された。抗議のハンストをたたかう。26日に退去強制。

6・25〜26京都

6月26〜27日、京都でG8外相会合が開催された。これにたいし、25〜26の両日集会とデモがおこなわれた。
25日の集会は、午後6時半頃から、京都・円山野外音楽堂で500人が集まった。「アジア共同行動」の滝川順朗さんの主催者あいさつではじまり、沖縄から「ヘリ基地反対協」の安次富浩さん、岩国の住民投票でたたかっている「岩国市民の会」の大川清さん、そして神奈川の「基地撤去をめざす県央共闘」の檜鼻達実さんが連帯の発言をした。
神戸と大阪からのアピールなどがあり、デモにうってでた。
デモは、四条河原町から三条河原という京都の中心を行進した。通行人・観光客・外国人も多数、沿道から注目していた。このデモは、ただちに動画で海外にも発信された。
26日、京都教育文化センターでの交流集会には200人が集まり、活発な質疑・討議となった。洞爺湖現地闘争をたたかうことが確認された。
そして京都迎賓館にむけたデモがおこなわれた。京都大学付近を通過する際、学生や教職員が鈴なりになり、デモコールに応えてくれた。権力の阻止線とたたかいいながら、出町柳まで行進した。


サミット粉砕!京都迎賓館にむかってデモ行進(6月26日京都市内)

2〜3面

7・27 革共同政治集会へ(特集・第1弾)

新たな革共同を創ろう

全国・全戦線で 安田・清水体制打倒の組織化に着手せよ

全国の労働者人民のみなさん、同志諸君。 われわれは、「革命的共産主義者同盟全国委員会の再建をめざす全国協議会(革共同再建協議会)」の結成をここに宣言する。
戦争と貧困を拡大する帝国主義の新自由主義政策とグローバリゼーションにたいして、労働者階級と被抑圧人民の怒りが、全世界にあふれている。07年7月参院選における自民党の大敗は、日本における新自由主義攻撃にたいする労働者階級人民の広範な怒りの結果である。既存の政党や運動の枠組みをこえた大衆の自発的な運動がその姿をあらわしつつある。
われわれの任務は、大衆の中に深く分け入り、要求や怒りをつかみ取り、階級闘争の発展をきりひらくために、先頭に立つことだ。

革共同再建協議会に結集せよ

この対極で、安田派は、大衆運動への妨害と統一戦線の破壊に血道をあげている。
5・27国労臨大闘争弾圧裁判において、弁護団を解任し、弁論を分離させるという暴挙を行ない、国鉄1047名闘争への妨害と敵対を深めている。三里塚農民の「農地死守・実力闘争」のたたかいを、真っ向から踏みにじろうとしている。07年「7月テーゼ」によって差別主義と排外主義を路線化し、自ら広島差別事件を引き起こし、糾弾闘争撲滅の先兵となっている。入管体制とたたかう大衆組織を分裂させ、「障害者」解放闘争をたたかう同志たちを追放し、「沖縄主義に死を」などと叫んで、沖縄闘争の破壊者となっている。そして肝心の労働戦線では、勇ましい空文句のかげで、際限のない破産をかさねている。
革命的左翼がこの半世紀の間に築きあげてきた階級闘争の到達点を、安田派に蹂躙させてはならない。「労働運動で革命を」「団結の究極的拡大が革命」「動労千葉特化論」などに集約される超セクト主義的経済主義による、革共同の解体を許すことはできない。反スターリン主義・革命的共産主義運動の内部から発生した反動をわれわれの責任においてうち倒さなければならない。このたたかいの中で、反スターリン主義・革命的共産主義運動の再生と革共同の再建、階級闘争の転換を必ずやきりひらく。
すべての同志諸君、ただちに革共同再建協議会に結集せよ。全国・全戦線において、安田・清水体制打倒の組織化に着手せよ。

06年3・14とは何だったのか

(第1章)

06年3月14日、関西地方委員会の同志たちは、関西地方委議長(当時)の与田を打倒した。与田は、党組織を私物化し、官僚主義的変質とそれにともなう金銭的腐敗を深めていた。また政治局は、公安調査庁のスパイ・高杉が与田の「側近」として潜入していたことを隠ぺいし、革共同を国家権力とたたかえない党へと変質させていた。さらに政治局は階級的労働運動の再生のたたかいの先頭に立つ兵庫県委員会の同志たちに憎悪を集中し、「メンシェヴィキ組織」「分派組織」などと悪罵をなげかけ、党規約を無視した統制処分を決定しようとした。
革共同中央の腐敗と変質がもはや一線をこえた段階に突入したことにたいして、その革命的再生にむけた第一歩を踏み出すものとして、3・14決起はあったのである。
ところが、3・14決起がつきつけたものをうけとめえない、次のような傾向が生み出されてきた。ある者はこれを「クーデター」と呼び、ある者は「常任にたいする労働者党員の決起」と称して、都合よく解釈し、3・14決起によって突きつけられた革共同の根底的な総括と自己切開から逃げ回ってきた。
もはやこうしたデタラメな論議に終止符を打つときがきた。

なぜ3・14を実行したのか

われわれは、なぜ3・14決起を実行しなければならなかったのか。その実行がどうして可能であったのか。それには、次の3つの条件が存在していた。
第一に、91年5月テーゼによる路線転換が、根本的な問題性をはらんでいたことである。第二に、95年の阪神大震災被災地救援闘争を契機とする階級的労働運動の再生のための苦闘である。第三に、20年間にわたる対カクマル戦争と対権力武装闘争の過程で、公然部門と非公然部門で、それぞれたたかいぬいてきた同志たちが合流・結合したことである。

(第2章)総括なき路線転換

ソ連崩壊、89年総評解散・連合結成という内外する階級情勢の大激動にたいして、革命党として対応しようとしたものであった。党活動の重心を、武装闘争から、大衆運動と党建設に移すという路線転換である。しかし、5月テーゼには、路線転換を必要とした80年代階級闘争、とくに革共同のたたかいの主体的総括が欠落していた。
本来、われわれは、5月テーゼの中で次の2点を明らかにしなければならなかった。
ひとつは、権力の弾圧が非公然部門に集中していたとはいえ、80年代後半から90年代初頭の過程で、清水議長による指導部建設が破産し、革共同の政治局が事実上の崩壊に陥った問題である。清水議長はこの事実を一貫して隠蔽してきた。
ふたつは、85年の10・20三里塚蜂起戦と11・29浅草橋戦闘、動労千葉の2波にわたる「国鉄分割・民営化阻止」のストライキ闘争をたたかいぬき、90年天皇決戦にのぼりつめた結果が、どうして「党としての死しか意味しないという絶対的飢餓の現実」(「5月テーゼについての党内アピール」清水選集第10巻)でしかなかったのかということである。

問われる80年代階級闘争の総括

80年代は、中曽根「戦後政治の総決算」攻撃、新自由主義政策への踏みだしとの一大階級決戦であった。それは世界史的に見れば、サッチャー・レーガン・中曽根の登場をもって帝国主義の側からしかけられた、70年闘争・ベトナム波及情勢にたいする大反動とのたたかいであった。日本階級闘争においては、その最大の対決点が、国鉄分割・民営化決戦と三里塚二期工事着工阻止決戦であった。
国鉄分割・民営化攻撃は、戦闘的労働運動の壊滅をねらった一大反革命であった。その核心は、71年国鉄反マル生闘争の勝利、とりわけそこで確立された革命的左翼による反戦派労働運動のヘゲモニーを、国鉄労働運動の内部から一掃することにあった。
動労カクマルの裏切りが、決定的な役割を果たした理由はここにある。すなわち「革命的左翼の中から生み出された反革命」だけが、それを行うことができたのだ。
だからこそ、動労カクマルと真っ向から対決して国鉄分割・民営化阻止を階級決戦化する鍵を握っていたのは、わが革共同であった。
国鉄分割・民営化決戦は、70年代の二重対峙・対カクマル戦を全人民的な反ファッショ解放戦争として発展させていく、革共同の先制的内戦戦略の真価を発揮するチャンスであった。全産別、戦線、地域から巨万の決起を実現するため、そしてこの決戦の只中で反革命カクマルを完全打倒するために、全党・全軍が総蜂起するときだった。
ところが、革共同は、「国鉄分割・民営化阻止、日本帝国主義打倒」を戦略的なスローガンとしてうち立てることができなかった。もちろん一定の段階で「三里塚・国鉄決戦」という打ち出しはなされたが、しかし、それは、国鉄分割・民営化阻止の戦略的な大きさを見すえたものではなかった。より根本的には、サッチャー・レーガン・中曽根の世界史的な大反動との階級決戦という認識を確立できなかった。そして「革命軍戦略」に一面化し、本来求められていた大衆的階級的決起と結合できなかった。
国鉄分割・民営化と総評解散・連合結成が日本階級闘争全体に与えた打撃は計り知れない。そこにおける革共同の責任は大きい。
80年代日本階級闘争の敗北、革共同のこのような路線的敗北と、80年代後半から90年代初頭の過程で、革共同の政治局が事実上、崩壊した問題は、一体の問題である。清水議長はこのことを、いっかんして隠ぺいしてきた。
また、ここに、80年代のたたかいの結果が、「絶対的飢餓の現実」でしかなかった原因がある。

総括のネグレクト

さらに、こうした痛苦な現実を全く総括することなく、機械的に「大衆運動と党建設に重心を移す」とした「5月テーゼ」の「総括なき路線転換」こそが、90年代の党勢の衰退の根本原因である。
清水議長ら政治局は、この路線的・組織的総括をネグレクトし続け、それゆえに中央指導の空疎化が進み、さまざまな私党化が生まれ、その裏返しとして、「党中央への一致」を党員に強制することで、乗り切ろうとしてきた。それが、労働運動・政治闘争・党建設の全面的な後退を引き起こしていった。
国鉄分割・民営化と総評解散・連合結成についての深刻な総括をすりぬけて、動労千葉が生き残った―それ自体は大きな勝利であるが―ことをもって、「国鉄分割・民営化攻撃に勝利した。よって80年代に勝利した」などとする安田派の総括は、根本的に間違っている。今日の安田派の腐敗の原点である。

(第3章)95年被災地闘争の教訓

こうした政治局の破産的状況にもかかわらず、多くの党員が5月テーゼで提起された「労働者階級の中へ」のスローガンのもとに、労働運動の中に突入していった。
その最大の実践のひとつが、全党をあげてとり組まれた、95年の阪神大震災被災地救援闘争であった。この闘いの中で、わが党は、労働者階級の意識や現状から余りにもかけ離れた存在になり果てていることを否応なしに突きつけられた。

階級闘争を一から学び直す

われわれ自身は、被災地の労働者・住民から、階級闘争を一から学び直すことを始めた。行政による被災者の切り捨てと、資本による労働者への攻撃にたいする反撃を組織する中で、われわれのセクト主義的な狭量さからの脱却が迫られた。また、震災被害の集中した神戸市長田区において被差別部落民、在日朝鮮人、奄美出身者とともにたたかう中で、70年「7・7自己批判」を、改めて生きた思想としてつかみ直していったのである。震災の瓦礫のなかから、労働者階級の新たな団結と運動を産みだしていったのである。

細胞論と中央―細胞関係の再定立

また、われわれは、「上意下達」式の硬直化した官僚主義組織が、労働運動の現場ではまったく通用しないということを身をもって思い知らされた。「中央と細胞」の関係を、「全体と部分」の関係としてしかとらえることができない党組織論の根本的な誤りに気づかされたのである。すなわち、資本主義社会における諸個人の存在は、すでに世界市場を前提にして成立しているのであるから、個々の労働者家族の生活実態や個々の生産点における労働実態の中に、今日の資本主義のありようがトータルに反映されているのである。したがって、生身の労働者が資本と対峙しているまさにその現場において共産主義者(=細胞)が、実践し思考することによって、党は今日の資本主義のありようを誰よりもトータルに把握するができるであろうし、それを土台にして現実的な革命戦略を形成することができるのである。それを組織論的に表現するならば、中央と細胞の同格性を確認することにとどまらず、中央こそが現場の細胞と同質たるべく、絶えず努力を要求されるということを確認しなければならないのである。

生きた現実が空疎な指導を粉砕

生きた労働運動の実践とそこからつかみ取られた思想は、「党中央への一致」を強制する空疎な指導と不可避的に激突した。05年10月の指導部会議で、清水議長は、兵庫県委員会に対して「社民への追随主義」「メンシェビキ組織」「最悪の帝国主義的民族排外主義への転落」というレッテル貼りをおこなった。それを受けて与田は、「兵庫は分派組織である」と規定し、06年3月14日に天田書記長を引き連れて、統制処分を決定しようとした。政治局は、一連の過程で、当該である兵庫県委員会からいっさい事情聴取を行なうことなく、「秘密裁判」で粛清を強行しようとしていたのである。
このような政治局による、処分にかんする党規約の破壊と、党の変質の進行に対する危機感と怒りの爆発が、3・14決起であった。
この決起の呼びかけは、腐敗した指導部の暴力支配と不屈に闘ってきた大阪府委員会の圧倒的な労働者党員や、与田が私腹を肥やすためにその事業を利用され、抑圧的な指導の強制とたたかってきた細胞の同志たちに、圧倒的な共感をもって迎えられた。そして新たな決起が巻き起こり、ごく短期間のうちに関西地方委員会の大半を制したのである。

(第4章)公然と非公然の同志の合流

こうした3・14決起の爆発的な力は、91年5月テーゼ以降、非公然部門から浮上してきた同志たちが、労働運動などの諸実践を通して、公然部門でたたかってきた同志たちとの合流・一体化を実現し、それを土台としてはじめて可能となったということである。
3・14決起とは、70年代以来、30年余にわたる対カクマル戦・対権力武装闘争と、大衆闘争を担ってきた諸同志による、革共同の歴史的総括をかけた、命がけの決起だったのである。

革命的共産主義運動史の改ざん

今日の安田派の主張の根底には、「動労千葉オンリー主義」ともいうべき立場からの、革共同の歴史の得手勝手な改ざんがある。動労千葉が国鉄分割民営化との闘いで極めて重要な役割を果たしたことはいうまでもない。だがそれは決して孤立してあったのではない。85年の二波のスト自体、党と軍の総力をあげた二重対峙・対カクマル戦と切り離してありえたのか。またそれは三里塚農民を先頭とする二期決戦の爆発と一体の闘いではなかったのか。さらに70年ごろにまでさかのぼれば、動労千葉もまた、沖縄や大学や杉並などなどのたたかいと呼応する中でこそ前進してきたのである。たたかう戦線、部署はそれぞれ異なるとはいえ、われわれはみな革共同の一員としてこの苛烈なたたかいの日々を共有してきたのである。
しかしそのたたかいも、すでにみたとおり、80年代後半には深刻な壁にぶつかった。しかも5月テーゼがこの総括を回避したところでの路線転換にとどまったがゆえに、政治局はその後、路線的混迷とジグザグを重ねたあげく、ついには安田による「動労千葉特化論」、つまり動労千葉のたたかい以外は、あの長期にわたるカクマルとの戦争から三里塚闘争までをことごとく清算・抹殺するという暴論に行き着くのである。

革共同の奪還を

3・14決起が、革共同の根底的な自己総括とその革命的再生を目指すものであったからこそ、安田ら政治局は、自ら生み出した腐敗と変質を真摯に自己批判することを拒否し、3・14決起の地平を解体することに血道をあげてきたのだ。
だからこそ、その後の安田派による革共同の簒奪と党の変質の進行にたいして、われわれの怒りの炎は燃えさかっているのだ。
そしてわれわれは、新たな革共同を創るために、革共同再建協議会を結成したのである。
安田・清水体制の打倒と革共同の奪還のために総決起しよう。

階級的労働運動路線を批判する

われわれは、62年三全総以来の「戦闘的労働運動の防衛と創造」の伝統と、91年5月テーゼ以来のたたかいのすべてを継承し、発展させる立場から、安田派流の「階級的労働運動路線」を徹底的に批判する。

「体制内との決別」で階級と決別

「体制内労働運動と決別せよ」といいはじめたのは安田である。
連合や全労連指導部との党派闘争を貫徹せよというだけなら当然のことである。しかし、そうではなく、自ら階級と党(員)の交通関係を断ち切って、統制処分されたら「勝利」だとしてしまうのだ。
すべての労働組合は合法性を獲得し、体制内的要求を堂々とかかげてたたかっている。しかし、どんなに体制内的な運動であっても、階級対立の非和解性と労働者階級の革命的本質から、体制の枠を越えたたたかいへと発展していく契機を弁証法的に内包している。沖縄人民の決起や北教組、全駐労のストライキは、そういうたたかいだ。形式論理的に体制内と体制外に労働運動を区分することなどできない。
だからこそ、われわれは、連合の中に革命的フラクションを形成し、日々のたたかいを牽引して、体制をゆるがすたたかいをつくり出そうとしてきた。ところが、安田派は、体制内の運動であれば階級的でないという 謬論を振りまき、労働運動そのものからの「決別」の道を突き進んでいるのである。

「団結」で革命への道をとざす

安田派は、「団結の窮極の拡大が革命である」なるテーゼを考え出して、団結―正確には団結という観念―を自己目的化してしまっている。
彼らは、“闘っても何も取れない時代に、動労千葉のたたかいは団結の強化で総括してきた”という。たしかに、そういう情勢もときにはありえるし、組織を守れば勝利という場合もある。しかしそれは、たたかいの諸条件からそういうことにもなるのであって、普遍的にそうなのではない。
春闘において、06年・07年「ベアゼロ打破」、08年「非正規雇用の労働条件アップ」と、切実で具体的な要求がうち出されている。このとき安田派は、カクマルの「冬の時代」論を密輸入してガマンを説き、資本を助けている。それでいて、外向けのスローガンは「一律大幅賃上げでなければ妥結絶対拒否」と、無責任なだけだ。
そもそも、「団結の拡大が革命だ」などというのは、革命を夢物語にするスローガンであり、そこから引き出される「職場支配権の拡大で革命を」にいたっては、構造改革派以下である。

「労働運動で革命を」と組合主義に

怒れる青年労働者が革命を求めることや、ストレートに革命をスローガンで打ち出すことについて、われわれは支持するものだ。しかしここには、雇用と生活と権利を守るための現実の労働運動がどのように革命闘争に結びついていくのかという分析も戦略もない。
だから、医療福祉労働者組織委員会結成論文(「前進」第2339号)での「『社会保障拡充運動』は労働者のたたかう道でない」などという、労働者人民に死ねというに等しい言辞まで飛び出すことになる。
そもそも、革共同は、「たたかうアジア人民と連帯し、侵略を内乱へ」という戦略的総路線のもとで、階級的労働運動の復権をとおして労働者階級が政治闘争、反戦闘争に総決起する情勢をきり開き、「パンと平和」のたたかいの結合のなかで、武装蜂起・暴力革命の実現を目指してきた。
「労働運動で革命を」は、提唱者の意図がどうあれ、結果的には、党の戦略的総路線を棚上げし、労働組合主義の党に変質させるものである。

「第二次国鉄決戦」と「動労千葉特化」

革共同の労働運動は、一貫して国鉄産別に重心をおいてたたかいつがれてきた。そのなかで、動労千葉の存在とたたかいは、階級的な権威をもち、すべての党員は、動労千葉のたたかいに学び、連帯してたたかってきた。
しかし、だからといって、「動労千葉労働運動への特化」を労働運動全体の路線にするということがあるのか。 「特化」とは、他のことはしない、という意味だ。動労千葉防衛を至上課題とするだけでなく、他の産別・労組のたたかいをないがしろにする方針だ。さすがに、最近は「動労千葉労働運動の普遍化」と呼びかえているが、問題はかわらない。
安田派は、さらに自己中心主義の「動労千葉史観」で戦後労働運動史を改ざんし、「新自由主義とたたかって世界で唯一勝利した動労千葉」などというウソで、国際労働運動史まで改ざんしている。スイスの国鉄労働者がストライキで民営化を阻止したことは『前進』も報道した事実だ。フランスでも韓国でも国鉄分割民営化を阻止したのも知らないのか。
われわれは、分割民営化反対をつらぬき、JR本体でのたたかいをつくりだしてきた動労千葉の地平に確信を持つからこそ、国鉄分割民営化を許してしまった国鉄闘争と労働運動の現実、そして党の現実を見すえ、それでもなお闘いつづける1047名闘争全体の勝利に最後まで責任を取る立場でなければならない。
「第二次国鉄闘争」といって、国労闘争団を4者4団体路線のもとに置き去りにして「決別」するのは、絶対に誤りだ。

党を階級に解消

安田派「階級的労働運動路線」の最大の誤りは、党の問題にある。
「党は階級そのものである」とは、党=階級でありえない以上、間違ったテーゼだ。
それでもあえてこう言っているのは、第一に、党を階級に解消するものである。事実、「革命運動と労働運動は限りなく一体、党と労働組合の関係は限りなく一体」(07年3月全線委員会基調)などという、協会派でもいわない労働組合主義に転落してきた。

安田の無謬神話

第二に、党を階級の名で権威づけることで党と党の労働者指導部の無謬神話をつくりだすことになる。すでに、安田派の組織内では、常任同志たちや部落出身党員が「階級移行せよ」と迫られ、「刻印・強制」するぞと脅されている。そして、労働者出身の安田とその指導方針がスターリン主義的無謬神話となって、だれも批判ができなくなっているのだ。

安田派運動以外の切り捨て

第三に、労働運動以外の部落解放運動や農民運動などの課題から、政治闘争までが、労働運動より下位の課題であるとしてネグレクトされる。そればかりか、差別事件を居直り、排外主義に転落しても恥じない、おぞましい党になり果てた。

マルクス主義の換骨奪胎

安田派は、主体分析ぬきにした「革命情勢だ」という時代認識で、これらの誤りを合理化しようとしているが、その基礎にあるのは、マルクス主義の換骨奪胎だ。 われわれは、マルクス主義の常識と、レーニン的オーソドキシーの道で、革命的情勢を革命情勢そのものに転化するための主体的たたかいを推進しなければならない。革命運動に王道はない。労働者階級と生死をともにし、労働者階級の信頼をかちとり、階級の中に党を建設し、労働者階級の力で前進するのみだ。

4面

関西合同労組 第14回大会

新自由鵜主義・非正規雇用攻撃とたたかう方針を確率

関西合同労組14回大会は、6月22日、西宮市立勤労会館で、90人の執行委員・代議員・組合員、来賓・傍聴者の参加で開催された。
大会は、冒頭からN元副委員長の除名をも含む処分を検討する統制委員会設置を巡り、議事進行妨害があったが、規約上の定足数を満たす代議員の参加で、大会成立を確認し開催された。 そして5時間にわたる議案の提起・討論ののち、議案は圧倒的多数の賛成で可決・採択された。また最後に役員選挙で石田委員長・蒲牟田書記長らを選出し、成功裏に終了した。

全分会の総括を出し、本部議案を採択

冒頭から大会流会のための妨害があったにもかかわらず、大会はN元副委員長の処分のための統制委員会の設置の議案を採択し、総括・情勢・方針案の提案を受け、新たな役員の選出をおこない、たたかう方針・体制を確立した。
とりわけ石田委員長の総括提起は、関西合同労組の30近くの全分会の総括をおこない、政治党派の主張を無媒介に持ち込んで、組合の団結を破壊する一部執行委員の誤り、5・27国労臨大弾圧裁判問題、広島差別事件(部落解放同盟全国連との共闘)など、全問題について明らかにする迫力ある議案の提起であった。特に関西合同労組の非正規雇用労働者と郵政職場本隊の労働者(JPU)の連帯での勝利(関西トランスポート分会)や、武庫川ユニオン尼崎市役所分会の非正規雇用労働者と自治労本隊の労働者の合流による勝利の総括提起は、合同労組運動の戦略的・実践的意義をあきらかにした。さらに運輸労働者のたたかい、介護・福祉関係の青年労働者のたたかい、そして10数人で再合流したA分会など、関西合同労組の前進を確認する報告であった。
情勢の提起は、新自由主義攻撃を掘り下げ、非正規雇用労働者の組織化が戦略的課題であることを明らかにした。
また蒲牟田書記長の提起する方針案では、関西合同労組こそが原則的・階級的労働組合活動の上に、たたかうネットワークづくり地域共闘づくりに全力でたたかうこと、5・27国労臨大弾圧裁判の統一公判を求め、引きつづき米村執行委員を裁判事務局に派遣すること、広島差別事件を部落解放同盟全国連とともに糾弾してたたかうなどの方針を提案した。
これらの議案がすべて採択された。
この議案にたいし、一部執行委員からの意見として提出されていた「6執行委員の対案」の説明を求めた。しかし、分会の総括など何ひとつなく、別労組委員長の提起を長大に紹介する内容や、広島差別事件にたいする居直りに終始するなどの意見は、組合大会とは無縁のもので、かれらは、提起することすらできなかった。
大会は、妨害者が退去したのち、新役員を選んで、最後まで残ってくれた、被災地雇用と生活要求者組合の長谷川正夫代表、新空港反対東灘区住民の会の松原康彦さん、在日人権フォーラムの李相泰さんなど来賓から連帯と激励のあいさつを受けた。また、新規参加者・地域の仲間の紹介もおこなわれた。さらに紹介できなかった動労千葉、港合同、関西生コン支部など友好労組や部落解放同盟全国連、佐藤昭夫・5・27国労臨大弾圧裁判弁護団長などのメッセージへの謝意を表し、サミット闘争への決起を確認し、全員の団結ガンバローでとどこおりなく全議事を終えた。

執拗な議事妨害で墓穴を掘る

N元副委員長らは、執拗な妨害を行ったが、それは自らの裏切り・不正の隠ぺいのためで、代議員は的確な質問を浴びせ、かれらに墓穴を掘らせた。
Nは、関西合同労組本部が、規約上所在する自己の職場が破産しても、執行委員会に一切連絡せず(執行委員会に9回中2回しか出席せず)、また、破産にともなう解雇について争わず、雇用保険の本給付を受けてきた。その上、自己が管理する闘争資金を勝手に「凍結」し、会計監査も拒否した。これを隠ぺいするため、同調する一部執行委員とはかり、大会の流会を執拗に狙ってきたのだ。
大会議長の「執行委員・代議員は指定された席に着くように」との再三の注意を無視し、5時間にわたり演壇前で議事進行を妨害したのだ。
かれらは圧倒的に少数で、またN副委員長の闘争資金の私的凍結行為への怒りの声を前に、新役員への立候補もできなかった。そして最後は組合員から「妨害者は出て行け!」のシュプレヒコールが起こったのである。

安田派の労働運動の破産

関西合同労組14回大会は、職場で地道な労働運動をおこなうこともなく、「革命の主張をしないのは体制内労働運動で、その先頭に立つ石田委員長は打倒すべき」などと主張する勢力が、執行委員会から脱落する大会となった。
彼らは、この間の議論と実践を通じ、およそ労働運動をそれとしてたたかわない「思想」集団であることが明らかとなった。
N元副委員長は職場の倒産にたいして解雇撤回を争わなかった。
職場の仲間を組織しようと呼びかけても、一部執行委員たちは、「革命を訴えないのは体制内運動、それは階級への絶望の組織化だ」と拒否してきた。
また「今の関西合同労組の運動は四大産別と非正規雇用労働者を分断している」と批判してきた。 だが、関西トランスポート闘争の勝利や、武庫川ユニオン尼崎市役所分会のたたかいへの共闘など、どちらが正しいかは明らかである。
また、かれらの「となりの労働者との団結」「自らがオルグになり、職場を組織していく」との一見正しい方針も、10年間ほとんど組織拡大ができなかったことを、自己に照らして総括すべきではないだろうか。
たたかう関西合同労組とともに階級的・戦闘的・原則的な労働運動の発展のため、全力でたたかおう。(労働者通信員・O)

6・20 大阪1万人のシュプレヒコールで府庁を包囲

橋下改革に怒りの反撃

スト態勢うちたて7月府議会闘争へ

6月20日夜、大阪府庁は労働者1万人のシュプレヒコールで包まれた。午後5時半を過ぎるころから、総決起集会の会場・教育塔前に労働者が集まってくる。悪天候にもかかわらず、人の列は途切れない。財政赤字のツケを労働者に転化し、府民を犠牲にする、橋下の「大阪維新プログラム」にたいする怒りが渦巻いている。
橋下打倒とG8サミット粉砕・北海道現地闘争への決起を呼びかける、本紙『革共同通信』の号外が次々と受け取られていく。
教育労働者をはじめとするわが同志たちは、それぞれ分会丸ごとの結集を実現し、この日のたたかいを牽引した。

賃金交渉で初の団交決裂

13時からはじまった団交は、21日午前10時半までつづけられたが、決裂した。賃金交渉での決裂は、1950年の府労連結成以来、はじめての事態である。
橋下が、話し合いや妥協の相手ではないことが、いよいよ明らかになった。橋下打倒の実力決起が求められている。
3〜4割の波状動員と、実質的なスト態勢をうち立て、7月府議会闘争をたたかおう。「大阪社会運動資料センター」廃止反対など、個別課題をめぐるたたかいを強めるとともに、橋下府政打倒の共同戦線をうちたてよう。

読者からの手紙

紙面づくりに新鮮なおどろき

『革共同通信』第10号4面の「全国政治新聞の役割」を感銘深く読みました。多くの読者のみなさんがもっておられる感想について、私も同じようなことを感じていたので驚いています。
2008年3月、はじめて『革共同通信』第4号を入手しました。「悲しい位にしょぼいなあ」(決して内容のことではありません)。『前進』に比し、サイズ・ページ数・紙質など、体裁があまりにも異なっていたので驚いたものです。もっとも、紙面を読み進むうちに、最初の違和感と異なる不思議な気持ちになってしまいました。
なんていうのか、『前進』で近年、感じてきた、派手な見出しの躍るプロバガンダ満開の紙面、粗雑な理論など、少々、食傷(しょくしょう)気味だったのですが、それらが払拭された紙面づくりに、新鮮な驚きを感じました。それは、この間の苦闘の中で「何を守ろうとしたのか」「本当に一から労働運動をつくっていくのだ」という、関西地方委員会の人びとの、悩みと決意が紙面から溢れるように感じることができたからなのだと思います。
「共産主義者」のみとはあえて言いません。現実社会の不公正さや暴力性に怒りをもつ、多くの社会変革を志す人びとは、同じように悩みと決意を、日々の糧にして実践しています。それゆえ、どこかの人たちが言う、あらゆる領域に生きる生活者に「プロレタリア性を刻印する」という絶叫に絶望をみるのです。
15歳の春に指紋をとられ、外国人登録証を持たされた日から、日帝の同化主義政策の中で、将来に希望と夢を育むべき時代に、心をひとつ、またひとつ、と折っていかなければならなかった人びとがいます。革命的分岐をつくるなどというたわごとを言って、大衆運動を破壊することに血道をあげる人たちには、この様な人びとが「いま」を闘っている現実など、とうてい分かりようはないのでしょう。
精緻で大胆な革共同の理論体系を再構築しようとする論文や、リアルな情勢分析はもちろんのこと、労働者通信員による労働現場での悩みをこめた報告文なども、楽しみにしています。そのような謙虚な報告が、日本中いたるところで闘われる、大衆運動を担う人々の共感と指針になると信じています。
僅かですが、カンパ同封しておきます。(S・K生)

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