7月洞爺湖サミット開催許すな!国際連帯行動をとどろかせよう
日帝・福田政権は、未曾有の政治危機の突破をかけてサミットに臨もうとしている。議長国として、議題に「金融」「環境」「アフリカ」に加え、「テロ対策」「地域情勢」「不拡散」「食糧」を付け加えた。サミット警備体制は、警察、自衛隊、海上保安庁の総力動員で戦時なみの体制をとろうとしている。
「サミットでは、経済・社会問題を中心に国際社会が直面するさまざまな課題についてトップダウンで物事を決定します。適切な決断と措置を迅速に行うことが可能になります」(外務省ホームページより)―まさに、〈戦争ができる大国〉としてサミットをとりしきり、「トップダウン」で新自由主義政策を加速し改憲に突きすすもとしている。
サミットは全世界人民の怒りのターゲット
新自由主義とグローバリズムに反対する世界の人民は、日本への怒りの結集を宣言している。韓国・民主労総の戦闘的部分とたたかう農民は大挙して北海道(アイヌモシリ)現地への行動を準備している。世界の人民がおかれている戦争と貧困の現状は、ガマンならない事態となっている。サミットは怒りのターゲットになっている。昨年のドイツ・ハイリゲンダム・サミットのたたかいで示された怒りをさらに倍加して、G8洞爺湖サミットにぶつけようとしている。
問われている日本のたたかい
その点では、日本におけるたたかいの準備と体制は遅れている。この日本階級闘争の危機的現状を早急に突破し、サミット反対の一点でたたかう人びととの統一戦線をつくりあげ、北海道現地と全国のサミット反対闘争の高揚へ、断固たたかおう。このたたかいの中から、改憲阻止の大闘争の扉をこじあけよう。
5・3サミット反対・改憲阻止の共同行動、全国各地のサミット闘争を、7月本番にむかって全力で取り組もう。北海道現地で世界人民と合流しよう。
「日本にとってチャンス」(外務省元事務次官)
08年G8サミットは7月7〜9日、戒厳体制下の北海道・洞爺湖畔で準備されている。
すでに3月には、千葉での「気候変動等閣僚級対話」、4月5〜6日には、東京で「開発相会合」が開催された。今回はG8諸国に加え、「気候変動」「アフリカ開発」の二つのアウトリーチ(拡大)に15カ国を招待し、参加国は合計23カ国と最大規模となる。日本独自の招待国として、韓国、インドネシア、オーストラリアを加えている。このようにFTA・EPAをみすえた日本帝国主義の野望をこのサミットにかけているのである。まさに、「日本にとって40年に一度のチャンス」(外務省元事務次官)なのである。4月5日に、福田首相、奥田(トヨタ相談役)や三村(新日鉄会長)が、洞爺湖で現地を視察し、懇談会を開催している。
今回のサミットには、500億円以上の経費を投入しているのである。神戸の環境大臣会合だけでも1億4300万円といわれている。
サミット警備2万人体制に怒り
「未曾有の大警備。綿密な準備」(3月21日高橋北海道警察本部長)。サミット警備体制は2万人の警察官を全国から動員したものとなる。警備本部は、首脳会議会場の洞爺湖と、首脳が移動につかう新千歳空港と、招待国首脳の宿泊する札幌の3カ所におかれる。
さらに、公安本部、警護本部なども設置される。自衛隊も「『テロ対策』作戦出動態勢」で配備される。すでに、ミサイル攻撃や、毒ガス、ハイジャックを想定した訓練を警察と自衛隊で3回も実施している。会場周辺では検問、車両規制が実施され、政府・警察が、公共施設やキャンプ場などを占拠し、住民の生活を圧迫し、怒りが高まっている。
入国拒否も
小樽港や羽田空港では、3月に連続して反G8活動家の入国が拒否され、アントニオ・ネグリ氏(著名なイタリア人の哲学者。京都大と東大で講演が予定されていた)も入国が阻止されている。異常事態である。札幌市内では道庁あげた「歓迎」ムードづくりがおこなわれている。集会やイベントの自粛で公共会場が規制され、反対集会が開けない状態となっている。
アイヌ人民への抑圧と動員
またアイヌ民族楽器を使った「サミット記念ソング」を作曲し、アイヌ民族衣装を歓迎用に使用しようとしている。このようにして、略奪と侵略の強盗どものサミットに、先住民アイヌの人びとをも動員しようとしている。
3月、ドイツ人反G8活動家マーティン・クレマーさんは、小樽港への上陸を拒否された。彼は、退去強制させられたユジノサハリンスクで、「サミットの時期にまた北海道にいく」「100人以上を日本に集める」と記者会見で宣言した。
戦争と貧困をふりまくG8サミットの開催を許すな。7月洞爺湖現地へ行こう。
北海道洞爺湖サミット参加国G 8 議題
世界経済/環境・気候変動/開発・アフリカ/テロ対策/地域情勢/不拡散/食糧
2面
G8は戦争と貧困の元凶 洞爺湖サミットを粉砕し福田政権を打倒しよう!
新自由主義とグローバリゼーション―その破綻
現代は、資本主義の帝国主義段階である。同時に、1917年ロシア革命によって、帝国主義から社会主義への世界史的な過渡期が始まった時代である。にもかかわらず、スターリン主義の発生と裏切りによって、2度の世界大戦を経てもなお、帝国主義が延命している時代である。
しかし、延命をとげてきた帝国主義も、それを助けてきたスターリン主義も、1970年を前後して、根底的な危機に突入していった。戦後の帝国主義的生産力の発展が世界的歴史的な規模で行きづまったという世界経済の危機であり、帝国主義とスターリン主義による世界支配がベトナムのたたかいによって突き破られたという危5月24日から26日にかけて、神戸市・ポートピアホテルにおいてG8環境相会合が行わ機である。そして世界経済と世界支配の基軸をなすアメリカ帝国主義が没落を余儀なくされたことである。
このような体制的危機に促迫されて、帝国主義は、70年代から80〜90年代にかけて、アメリカ帝国主義を中心にして、次のような巻き返しの大攻撃をかけてきた。
@スターリン主義の裏切りと対ソ戦争と反革命
アフガン侵攻など、スターリン主義による再度の裏切りが、国際階級闘争に致命的な打撃を与えた。それを餌食にして、アメリカ帝国主義は、ソ連にたいして世界戦争にも等しい大攻撃をしかけ、ソ連を崩壊にまでたたきこんだ。さらに、中東や中南米、ユーゴなどで大中小の侵略戦争をくりかえしてきた。その下でもなお、全世界的な規模で革命と反革命の死闘が激しくくり広げられてきた。
A新自由主義政策
戦後発展の行きづまりとともに、国家独占資本主義政策が破綻し、ケインズ主義が行きづまった。@の激しい攻撃を背景に、支配階級内部で、ケインズ主義を攻撃しながら台頭してきたのが新自由主義であった。
新自由主義政策とは、戦後的な階級関係を反動的に転覆する階級戦争である。すなわち、労働組合つぶし、労働条件の切り下げ、社会保障の解体である。そして、公共サービスの民営化、大多数の労働者の不安定雇用化である。それを「市場」が至上の原理であるかのようなペテンを弄(ろう)して正当化するのである。
Bグローバリゼーション
@Aを土台に、アメリカ帝国主義を中心とするグローバリゼーションが展開された。
それは、まず、IMFや世界銀行、WTO、その他の機関・協定を使って、他の帝国主義国の市場を奪いとり、新興諸国の市場をこじ開け、新植民地主義体制諸国経済を従属化していくことであった。
その下で、多国籍企業が、中国やインドなどに大規模な直接投資をおこない、低賃金労働力をめあてにして、生産移転とアウトソーシング(国際的な外部委託)をすすめていった。それと表裏一体で、帝国主義国でも、労働者のリストラと低賃金化がさらに進められた。
この上に、金融の自由化を推しすすめ、世界中の余剰資金を集めて、アメリカの膨大な対外赤字を穴埋めする資金循環構造をつくり出すとともに、実体経済と乖離した巨大な金融市場を創出し、投機的な金融取引を繰りかえして、富の一極集中を促進してきた。
戦争か革命か
以上のように、アメリカ帝国主義を中心とする@戦争とA新自由主義政策とBグローバリゼーションという大規模で長期にわたる巻き返し策―その総体が一個の大戦争―によって、帝国主義は、大きく変貌をとげながら、21世紀に至るまで延命をはたしてきた。
しかし、このことをもって、あたかも、帝国主義が生命力を回復し、アメリカが世界の覇権を確立したかのようにいうのは全く荒唐無稽である。
アメリカ帝国主義のこの間の「繁栄」の源泉は、結局のところ、世界規模での低賃金・賃金格差(帝国主義国の10分の1、20分の1)による搾取・収奪=超過利潤の獲得という帝国主義の古典的な手法にほかならない。それは、70年代いらいの世界経済の行きづまりの危機をなにひとつ解決したものではない。
しかも、それは、アメリカ帝国主義が死力を尽くした侵略と戦争を繰りかえし、労働者階級にたいする階級戦争の嵐を土台として、辛うじて、成立してきたものにすぎない。しかも、スターリン主義の裏切りがなければ成り立たなかった。
そして、いまや、長期にわたる巻き返し策が、危機と矛盾を累乗して、その構造全体が大破綻にたたき込まれようとしている。
(1)イラク敗勢
なによりも、イラク人民と全世界の人民のたたかいによって、イラク侵略戦争が敗勢にたたき込まれていることである。それは、帝国主義の巻き返し策の柱を土台から崩壊させる事態である。
(2)ドル危機
金融危機の爆発とドルにたいする信任の危機である。それは、グローバリゼーションの破産であり、世界経済の歴史的な行きづまりという基底的問題を全面化させる。
と同時に、イラク侵略戦争の敗勢とあいまって、石油などの資源をめぐる争奪戦と重なり合い、EUやロシア、中国、あるいは日本などの諸大国とアメリカとの間の深刻な対立を歴史の焦点に押し上げることになる。
(3)反貧困のうねり
格差・貧困にたいする全世界的な規模での反乱の始まりである。労働者階級の台頭とたたかい、農民・被抑圧民族の抵抗と反乱である。戦争と新自由主義とグローバリゼーションが、世界革命の条件を成熟させているのである。
(4)世界戦争危機
これにたいする帝国主義の側の選択は、再び世界を戦争にたたき込んででも生き残りをはかることだ。全世界での米軍の再編の狙いは、中国やロシア、EUをにらんだ大規模戦争の発動準備であり、グローバリゼーションにたいする反乱の圧殺のための侵略戦争の発動である。日本もまた帝国主義として生き残るために、ここへの参戦とそのための改憲に突き進んでいる。帝国主義は打倒されない限り、世界戦争に突き進む存在なのである。
反帝・反スターレイン主義の旗の下に
世界戦争か世界革命かの二者択一を問う激動過程に突入した。1930年代―戦後革命の敗北いらいのプロレタリア世界革命のチャンスの到来である。帝国主義から社会主義への世界史的過渡期の反動的な固定化を全面的に突き破るときがきた。
反帝国主義・反スターリン主義の旗の下でこそ、展望を切りひらくことができる。労働者階級は、〈反帝国主義・反スターリン主義〉、〈戦争と貧困の元凶=帝国主義の打倒〉をかかげ、G8粉砕闘争をたたかおう。
世界金融・通貨危機の回避策はない−財務相会合
6月の財務相会合(大阪)では、アメリカのサブプライムローン問題に端を発した世界金融・通貨危機の回避策が焦点となる。
しかし、国際帝国主義がどあがこうと打開策はない。基軸国と基軸通貨の動揺のもとで、G8諸国の対立は激化する。その矛盾が、全世界の労働者人民へ犠牲転嫁され、格差と貧困がさらに深刻化する。
サブプライムローン問題とは何か
@住宅バブルの崩壊が引き金であり、本質だ。アメリカは、バブル経済を政策的につくりながら国際過剰資本を引き寄せて景気浮揚をはかるというやり方をつづけてきた。それが完全に破綻した。
A住宅バブル崩壊で、サブプライムローンの焦げ付きが急増した。サブプライムローンとは低所得者にたいする住宅ローンだ。住宅が安く買えるかのように見せかけ、バブルで資産効果もあるとだまして、ローンを組ませる。最初は低金利で始まるが、数年すると金利が跳ね上がる。そして返済が滞れば住宅が差し押さえられる。まさに低所得者を食い物にした詐欺だ。膨大な余剰資金を抱える金融資本が編み出した末期的なやり方だ。
Bサブプライムローンの焦げ付きの急増で、その債権が組み込まれた金融商品が信用破綻にたたき込まれた。
サブプライムとはそもそも「プライム(=最優良)ではない」、つまり「リスクが高い」という意味だ。だから金融機関は、リスクが高いサブプライムローン債権を、細かく分散したり、他の金融商品と抱き合わせたりして新たな金融商品にでっち上げた。それを世界中の投資家に売りさばいてきた。そのため、サブプライムローンの焦げ付きは30兆円だが、波及した損失は、世界で96兆円(IM F4月報告)にのぼる。
自業自得とはいえデタラメだ。これが活況を呈しているかのように見えていたアメリカ経済の実態だ。だから必然的に大破綻したのだ。
金融市場をコントロールできなくなった
さらに重大なのは、国際過剰資本をコントロールできなくなったことだ。
東アジア、欧州、ロシア、中南米諸国で通貨危機は、比較的短期間でV 字回復している。が、金融の自由化の徹底によって、全世界的に資本移動の障壁が取り除かれた04年以降は、何カ国が協調介入しても為替相場に影響を与えることができなくなっている。それほどに国際過剰資本が巨大化し、コントロールを失っている(グリーンスパン元FRB議長)。
これが、いよいよ基軸通貨ドルの信任を揺るがしている。それが、イラク侵略戦争の敗勢とあいまって、アメリカ帝国主義の世界支配を根底から揺らがし始めている。
国際金融危機の根底にあるのは、歴史的な過剰資本の累積と過剰生産力であり、それが全面化してくる。そして、帝国主義同士の対立がさけられなくなる。
サブプライムローン問題の先にあるものは、今後どのような曲折をたどろうとも、世界大恐慌と世界戦争である。
格差・貧困を隠蔽するための地球温暖化問題
5月24日から26日にかけて、神戸市・ポートピアホテルにおいてG8環境相会合が行われる。会議の主要テーマは「地球温暖化対策」である。これは05年2月16日に発効した「京都議定書」にもとづくものである。
「京都議定書」では、1990年を基準として、先進国の温室効果ガス(二酸化炭素など6種)の排出量を08年〜12年の5年間で5%削減(先進国全体)をめざすとしている。日本の削減目標は6%、米国は7 %、EU は8%である(米国は離脱)。しかし、この「京都議定書」には数々の重大な疑問がある。
二酸化炭素でマネーゲーム
第一に、二酸化炭素の排出量の取り引きを認めていることである。これは排出量を枠内におさえた国や事業で発生する「炭素クレジット」を、二酸化炭素1トン単位で取り引きを行うものである。つまり実際には排出量を抑えなくても、「炭素クレジット」を購入すれば、その分だけ排出量を削減したと見なされる。すでに「二酸化炭素市場」というものが生まれており、マネーゲームが繰り広げられている。およそまじめに「温暖化対策」を行っているとはいいがたい。
公害被害は野放し
第二に、「開発途上国」が参加していないことである。日・米・EUなどの帝国主義諸国の資本は、中国・インドをはじめとしたアジア諸国に工場を進出させ、これらの地域に深刻な公害被害をもたらしながら、莫大な超過利潤を得ている。京都議定書が議決された前年の1996年の統計(※注)では、世界でもっとも汚染された15の都市のうち、13がアジアである。第1位は北京である。京都議定書はこうした公害はまったく野放しにしている。
※注 WRI(世界資源研究所、米国のNPO)1996
削減目標は実現不可能
第三に、京都議定書の削減目標は実現不可能である。日本の温室効果ガス排出量は05年で基準年より6・9%増加している。したがって、12年までに12・9%削減しなければならない。これが絶対に無理であることは政府が一番よく知っているのである。結局、労働者人民の生活レベルを下げろと強要するものだ。
二酸化炭素と地球温暖化は無関係
第四に、これが核心的な問題であるが、人為的な二酸化炭素排出量の増加が地球温暖化の原因だという科学的根拠は実はない。私たちがただちに取り組まなければならない問題は「二酸化炭素排出量の削減」では断じてない。
今日の最大の課題は、帝国主義による新自由主義政策とグローバリゼーションである。それは、世界各地で戦争を常態化し、民族抑圧と人権侵害をますます強めている。そして「途上国」のみならず、先進諸国においても深刻な貧困と格差の拡大をもたらし続けている。「地球温暖化」をめぐる論議は、こうしたことから、ひたすら注意をそらそうとするものでしかない。
最後に、「二酸化炭素削減」をもっとも熱心にキャンペーンしているのが原子力産業であることを付け加えておきたい。帝国主義はこれを契機に世界的に停滞している原発建設の再開をねらっているのである。
洞爺湖サミットを粉砕し、福田政権を打倒しよう!
「対テロ・不拡散」がメインテーマに
G8洞爺湖サミットのテーマは、当初は、(1)環境・気候変動、(2)開発・アフリカ、(3)世界経済といわれてきたが、新たにとして、「不拡散をはじめとする政治問題」が加わった。外務省はその理由を「大量破壊兵器などの拡散は国際社会にとって深刻な脅威。北朝鮮の核開発や、イランの核問題が深刻な問題であることからも、不拡散体制強化に向けた強いメッセージが必要」であり、「テロに対する毅然とした姿勢を示すと共に、サミット開催時の国際社会の関心を集める地域情勢について論議を行う」と説明している。
ついにG8サミットのメイン・テーマが登場した。それは、第一に、「対テロ戦争」を名目として新植民地諸国人民の民族解放・革命戦争の世界的爆発をいかに封じ込めるかということである。第二に、先制核攻撃体制を堅持し、NATOと日米軍事同盟を基軸として対朝鮮・中国、イラン・中東をいかにして制圧し、支配するかということである。そして第三に、G8とは資源・市場・勢力圏をめぐって、その参加各国が自国の帝国主義的利害をかけてしのぎをけずる争闘戦の戦場であるということである。
サミットは争闘戦の場だ
そもそもサミットは、1974−75年恐慌( 第一次オイルショック)とアメリカ帝国主義のベトナム失陥(75年ベトナム解放)によって戦後最大の危機におちいった帝国主義諸国が、その「利害調整」を名目にした争闘戦の場として始まったのである。
79年の旧ソ連のアフガニスタン侵攻以降は、文字通り軍事を含めた世界支配をめぐる帝国主義間の争闘戦の場となった。ソ連崩壊後は、ロシアをも取りこみ、旧ソ連圏の分割戦としてのユーゴスラビア侵略戦争の展開と追認の場と化した。2000年の沖縄サミット以降は、米日帝国主義による朝鮮・中国侵略戦争の切迫情勢を加速する場であった。
イラク敗勢の挽回かける米帝
さて今回の洞爺湖サミット全体を規定する最大の要因は、イラク戦争における米帝の敗勢である。
ペトレイアス・イラク駐留軍司令官は4月8日米上院軍事委員会での公聴会で、昨年増派した約3万人の撤収が今年7月に完了したのち、現地の状況が許すまで、部隊のさらなる削減をいったん休止する方針を明らかにした。イラクの「治安」がまったく成立していないためだ。
またイラク戦争の財政的負担が米経済危機をも加速している。アメリカの08年度の軍事支出は控えめに見ても合計1兆1000億ドルを下らない。直接のイラク戦費だけで、01年から07年9月までにすでに6040億ドルにのぼる。すでにベトナム戦費(今日の通貨価値に換算して約5700億ドル)を上回る軍事支出が行われているのである。
イラクの治安権限を07年内に多国籍軍からイラク軍へ移譲を完了させる計画は破産した。イラクのマリキ政権が3月末から開始したシーア派民兵組織・マフディ軍に対する大規模な掃討作戦は、泥沼化している。米帝のイラク政策は全面的に破綻しているのだ。
米帝にとってイラク・中東情勢の危機的な進行は、その世界支配を根底から揺るがすものとなっている。
派兵恒久法で挙国一致ねらう
一方、支持率が20%台に落ち込んだ日帝・福田政権とって、この重大な政治危機を打開する道は、「ら致・核・ミサイル問題」を前面に押しだし続けるいがいにない。4月11日には、政府は朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)への日本独自の経済制裁を半年間延長し、排外主義扇動と外交圧力を強化することを決めた。4月21日の日韓首脳会談では、李明博・韓国大統領に「ら致・核・ミサイル問題を包括的に解決する」という日本の立場を支持すると表明させた。
さらに福田政権は、派兵恒久法制定攻撃に民主党を巻き込み、挙国一致体制を一気に築こうとしている。4月11日に自民党は、派兵恒久法制定に向けてのプロジェクトチームの初会合を開き、今国会での法案提出を目指して活動を開始した。
すでに自民党は06年8月にまとめた「国際平和協力法案」(全60条)で、(1)国連決議や国際機関の要請がなくても日本政府の独自の判断でいつでも海外派兵ができる、(2)「安全確保活動」という名の治安維持活動、人や施設・物品などの「警護活動」、「船舶検査活動」という名の臨検にも道を開く、(3)「事態に応じ合理的に判断される限度」というあいまいな規定で武器使用制限を取り払う、ことなどをうちだしている。
09年第2次安保共同宣言と改憲
こうした米日帝国主義の危機の進行とその打開に向けた思惑が一致して「テロとの戦い」「大量破壊兵器の不拡散」がサミットの主要テーマに急浮上したのである。
米日帝国主義は、洞爺湖サミットをとおして、よりいっそうのイラク・中東侵略戦争の泥沼化と朝鮮・中国侵略戦争の切迫にのめりこんでいこうとしている。すでに日米両政府は、早ければ09年末に第2次安保共同宣言を発表することで合意している。
96年の第1次安保共同宣言に基づいて日帝は国内有事法制を確立した。第2次共同宣言で集団的自衛権の確立を目指すことは明白だ。まさに洞爺湖サミット粉砕闘争は、派兵恒久法制定―憲法改悪攻撃とのたたかいそのものなのである。
帝国主義強盗会議である洞爺湖サミット粉砕に向けて、日本労働者階級・人民は、「たたかう中東・ムスリム人民、朝鮮・中国・アジア人民と連帯し、米日帝国主義の中東・アジア侵略を内乱に転化せよ!」「米軍基地撤去= 沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒!」「戦争国家化粉砕、改憲阻止・日帝打倒!」の戦略的スローガンを高々と掲げて決起しよう。
実体経済と関係ない膨大な投機
世界の外国為替取引高は世界の財・サービス出額の約60倍
バブルをリレーする世界経済
中南米バブル 70年代後半〜80年代はじめ
日本の不動産バブル 80年代後半〜90年代はじめ
東南アジアバブル 90年代半ば〜97年
米国ITバブル 00年前後
米国住宅バブル 00年代半ば〜06年
富の源泉= 賃金格差
深せん( 中国) 174ドル/月
ジャカルタ 131ドル/月
横 浜 2984ドル/月
世界の富者のトップ225人の資産
世界人口の47%(25億人)の年収の合計に等しい。
サハラ以南のアフリカ諸国のGDP の合計
世界の上位の15 人の富者の財産よりも小さい。
世界一の経済大国アメリカでの格差
寿命が60 歳以下の人……… 3200万人
医療保険が受けられない人…4300万人
貧困にあえぐ人………………4600万人
世界を支配するG8
G8だけで世界の富の2/3 を独占している。
G8だけで世界の軍事支出の70%を占める。
アメリカだけで世界の軍事支出の46%を占める。
08年G8の核心的テーマ
@「対テロ戦争」を名目として新植民地諸国人民の民族解放・革命戦争の爆発を封じ込めること。
A先制核攻撃体制を堅持し、NATOと日米軍事同盟を基軸として朝鮮・中国、イラン・中東を制圧・支配すること。
B資源・市場・勢力圏をG8の間で奪い合うこと。
世界の富をむさぼる多国籍企業
主要な企業200社の売り上げの総額は、世界の経済活動全体の1/4以上。しかし200社は、世界の労働者のたった0・75%以下の人数しか雇用していない。
世界の上位100社のそれぞれの売上高は世界の貧しい120の国ぐにのそれぞれの輸出額より大きい。
世界貿易の1/3は多国籍企業内の移転。世界貿易の1/3は多国籍企業間の貿易。
上位500社の多国籍企業が、世界貿易の70%を占める。
4面
大阪港南の闘い(中)―寄稿 雑賀 一喜
前号からの続きです。1930年代半ばの大阪港南において、日本共産党の裏切りとデタラメな指導を乗りこえて、労働運動の前進を切りひらこうとした格闘を描いています。今回は、35年5月メーデーにのぼりつめていく過程です。(編集委員会)
弾圧を跳ね返すだけの組織の力を
彼らは職場に拠点を築いていくうえで、職場の労働者の意識とかけはなれて拙速に政治的課題や政治スローガンを持ち込むことをしませんでした。
職場に一人でも同調者を獲得すると、「労働者農民の政府を樹立せよ!」とか「ソヴェート同盟を擁護せよ!」「すべての階級的政治犯人の即時釈放を要求せよ!」などというスローガンを押し付けて浮き上がり、たちまち官憲にマークされ、周辺の労働者も含めて根こそぎ検挙されるという全協の失敗を絶対に繰り返してはならないと考えたからです。
吉見たちは軍需工場の最深部に、いざというときに長期にわたってゼネストが打てる力を築き上げ、その一方で労働戦線の全合同(後述)を実現させれば、戦時下で決定的意味を持つと考えていました。
彼らの職場内の組織活動で注目すべきもう一つの特徴は、「全労・総同盟合同促進協議会」(後述)の結成までは、終始一貫して宣伝・扇動をすべてクチコミでおこなったことです。ビラや機関紙などはどんなに細心の注意を払っても、官憲や職制、右派幹部の手に渡る危険性があるからです。
階級的警戒心を厳しく貫いて活動した結果、港南の運動はほとんど官憲の弾圧を受けずに展開できました。戦時下で、とりわけ監視の厳しい軍需工場で、ほとんど犠牲者をださずに運動を組織したことはまさに驚嘆に価します。
吉見は、「弾圧に対しては、それを跳ね返すだけの組織の力を持たねばならん。その力ができるまでは、ひた隠しに隠して組織を温存せねばならん」と当時の活動をふりかえっています。
ちょうど三四年九月、戦前最大の風水害をもたらした室戸台風が関西地方を直撃し、港南地域が泥海と化し、工場は軒並ほぼ一ヵ月にわたって操業停止に陥りました。このとき「自主化」の闘いがすすんでいた工場では、一人の解雇者も出さないことを誓約させ、休業中の賃金の全額支給、臨時給や傷病手当の先払いなどを要求し、右派幹部の制動をはねのけて、そのほとんどを実現させました。
また、全国から市役所などに寄せられた見舞金や救援物資の公平かつ自主的な配分を求める署名運動を提起し、地域で各戸主から何万筆も集めました。「朝鮮人の暴動に備えるため」と称して軍隊が出動するなか、救援活動の先頭に立った和田は泥水をかきわけて必死になって行動し、労働者の絶大な信頼を獲得しました。
さらに、全労・総同盟の職場幹部十数人で、労働問題の研究会を非公然で開きました。ますます進行するであろうインフレーションとか職場の実態など、現実に生起する問題をテーマにした座談会は非常に大きな効果を上げ、参加した労働者はいずれも後に合同運動の中核として活躍しました。
工場街から「全合同」の狼煙しあがる
以上のような活動を積み重ねたうえに、三五年一月から全労働戦線の統一にむけての工作が始まりました。そして四月十日、「港南地方全労・総同盟合同促進協議会」( 以下、「合同促進協」と略す)を発足させたのです。結成大会は全労・総同盟両組合の幹部にはまったく知らせず、両組合から四十人ずつ計八十人の代表を選んで開かれました。この日、仕事を終えた労働者たちはナッパ服のまま夕食もとらずに七時三〇分、すでに一月から借り受けていた合同促進協の事務所につめかけました。
開会のあいさつに立った職場の代表は、「われわれは目前に迫ったインフレ破綻(はたん)から来る資本の攻勢に備えねばならぬ。今回の合同促進協は職場に働く労働者の腹の底からの要望によって生まれたものである。今日以後、われわれは幹部によって指導されるのではなく、労働者自身の力によって、分裂から受けた過去の犠牲を償うために全労働組合の全的統一のため闘わねばならぬ」と力強く訴えました。また別の職場代表は「おびただしい数の未組織労働者の問題」にとくに注意を喚起しました。
合同促進協には全労から大阪製鉄九〇〇人、戸畑鋳物八〇〇人、窯業セメント六〇〇人をはじめ計三〇八〇人、総同盟から栗本鉄工所一〇〇〇人、日本鋳鋼所四〇〇人など計一六〇〇人、合計十五工場四六八〇人が加盟しました。大会は全労・総同盟の両組合が全国的に合同するまで本部費を一切上納せず合同促進協で保管することを決定しました。
そして「われわれはいまだかってこれほどの熱意に燃えた会合のもたれたことを知らない。これこそ職場大衆が自ら立ち上がり、自ら計画した運動の迫力から生まれたのである。この熱と力を闘争の勝利の日まで持続されんことを切望してこの意義深い会合を閉じる」という議長の閉会の辞をもって、八時三〇分に散会しました。
大会当日、急を聞いてかけつけた幹部派の数十人は入場を拒否されました。
合同促進協はただちに行動を開始し、大会の翌日には「合同促進協結成に関する声明」を各方面に発送して、合同促進運動への参加を呼びかけました。十五日には数十人の陳情団が全労・総同盟の両本部を訪問し、合同実現のため即時具体的行動に移るように要請しました。
大阪市内の他支部にも説得団を派遣して、合同運動への協力を呼びかけた結果、職場の労働者と右派幹部との対立が顕在化する工場が相次いであらわれ、全労大阪金属労組東南支部連が加盟を申し込むなど、港南の運動に同調する動きがでてきました。
労働者の大軍団が感激のメーデー
五月一日、港南地区では合同促進協主催で独自のメーデーが挙行されました。労働者たちは各工場から隊列を組み労働歌を高唱しつつ進発し、周辺の工場の労働者と合流しながら近接する工場の未組織労働者にも影響を与えつつ地域の集合地点に結集し、そこからメーデー会場にむかってデモ行進しました。
全国のメーデー参加者が二万三七〇〇人のなかで、一万人に近い労働者の大軍団が、二、三十本の合同促進協の長いのぼり旗をひるがえして歩武堂堂の大デモンストレーションを敢行したのです。このメーデーに参加した労働者たちは、かつて経験したことのない感激を味わいました。
このとき一人の検束者も出ませんでしたが、多数の検束が通例になっていた戦前のメーデーではまったく珍しいことです。合同促進協の旗揚げで意気上がる労働者の密集した大軍団の前に、官憲も手を出すことができなかったのです。
青年労働者の運動の再生を マル青労同・F
1995年、阪神大震災直後の関西合同労組結成から、組合員としてたたかってきました。労働相談を受けたり、雇用保険の受給申請をしたりする力量は私にはありませんでしたが、連日、長楽公園のテントに通い、いろいろ手伝いながら「労働者の中へ」の実践とはどういうことかを学んだと思います。
過激派キャンペーンのりこえ仲間を獲得
その年の3月には職場で分会を結成し、本格的に労働運動、労働者の組織化に踏み込みました。翌年、関西合同労組の当時の副委員長であり、同じ職場でたたかってきた同志を交通事故で失い、一人分会となりました。かなり落ち込んで悩みましたが「この職場で労働組合をつくる」と決意し、02年には資本の過激派キャンペーンを乗りこえ、二人の労働者が組合に結集してくれました。もちろん今も、少数ながら職場の労働者を代表する気概で資本とたたかい続けています。
労働運動を実践し、青年労働者を革命に向かって組織していく(と当時は思っていた)03年のマル青労同の結成にも参加しました。
さっそくレーニン『国家と革命』の学習会を地区で組織し、新たな同志の獲得にも成功しました。また、各職場でのたたかいの報告、意見交換のために「マル青労同通信関西」の定期発行にも取り組みました。関西合同労組、マル青労同の拡大のために不十分ながらも、方向としてはまったく間違っていなかったと思います。
革命は実践で証明するもの
そんな中で、出てきたのが「労働運動で革命を」の中央提起です。「職場の仲間に革命をストレートに訴えよう」は大胆でよいかもしれませんが、その「革命」の中身が全くカラッポなのです。「革命とは何か?」この当然の疑問に内容と現実性、必要性をもって答え、そしてそれを本気で行う組織であることを職場や地域の運動での実践を通して証明して見せないことには、革命を訴えたことにならないのは当然です。ましてや「団結の究極の拡大が革命」など、マルクスやレーニンの著作のどこをどう読んだら出てくる言葉なのでしょうか? マル青労同中央は、このような疑問にたいして、討論もまともにしないまま、「撤回しろ」とか、「関西合同労組の委員長は体制内幹部だから打倒しろ」などという異常な組織になってしまっています。私は、党員として、関西合同労組の執行委員として、自分の職場を含め、非正規雇用の労働者の組織化に全力をつくしてたたかいぬくとともに、今のマル青労同中央に愛想をつかした仲間のみなさんと青年労働者の運動を再生したいと考えています。
直雇用で職場復帰を実現
女性派遣労働者が無期限ストで勝利!武庫川ユニオン尼崎市役所分会
4月14日、武庫川ユニオンの5人の女性労働者は、尼崎市役所への職場復帰を実現した。
彼女たちは、競争入札の導入によって職場を奪われようとしたことにたいして、3月3日から尼崎市役所への直(じか)雇用をもとめて、全国の支援の中で、無期限ストをたたかってきた。そして、2回おこなわれた競争入札を粉砕し、4月11日の団交で尼崎市役所の直雇用の確約をかちとった。
08年春闘のなかでの重大勝利である。派遣法の撤廃へさらに進もう。(詳細次号)