G8サミット粉砕7・7.9 洞爺湖現地闘争へ
G8サミット粉砕へ、東京、関西、全国の闘争とともに、洞爺湖現地闘争への決起をうったえる。
G8こそ、「戦争と貧困と破壊」の元凶だ。イラク・アフガニスタン侵略戦争を強行し、それを世界戦争に拡大しようとしている。ひとにぎりの大富豪と、大多数の貧困層との格差を極限的に拡大させている。新植民地主義諸国に、内戦、飢餓、貧困とHIVなどの感染症をひきおこしている。地球規模で人類の生存をおびやかす環境破壊を進行させている。
すべては、G8とその新自由主義政策とグローバゼーションがもたらしたものである。「戦争と貧困と破壊」を地上から廃絶するために、G8サミットの開催を阻止しよう。
新自由主義とグローバリズムを粉砕しよう
「構造改革」「規制緩和」「市場開放」「民営化」「自己責任」―これが新自由主義政策のスローガンだ。それは全世界の人民にたいする帝国主義の戦争だ。
アメリカは「平和の構築」「自由の拡大」と称して軍事介入をくりかえし、アメリカの意にそわない政権は転覆し、IMFの介入は新植民地主義諸国経済を破綻においやった。
帝国主義国でも、医療・福祉などの社会保障や公的サービス、労働基本権などを解体していった。これらによって労働者階級の雇用と生活は破壊され、被抑圧人民のギリギリの生存さえもうばわれた。
このような新自由主義政策の暴力的な推進によって、あらたな金融市場を全世界的規模で強引につくり出していった。こうして、投資先のなかった過剰資本が、実体経済から遊離した投機的資金(マネー)の形をとって世界をかけめぐり、高利潤をもとめてバブルとその崩壊をくり返し、詐欺と略奪と破壊を重ねてきた。これがグローバリゼーションの正体だ。
帝国主義の危機とサミット
1960年代以降、帝国主義は、戦後発展の行きづまりと世界的な過剰資本状態にあえいできた。そして、アメリカ帝国主義の歴史的な没落と巨額の赤字の累積、帝国主義間の矛盾と対立がはげしく進行した。まさに帝国主義の戦後体制は、崩壊の危機に瀕(ひん)している。
75年にはじまった先進国サミットは、このような危機にたいし、「世界のトップが危機に協調して対処している」という仮象をとりつくろいつつ、その危機を逆手にとって、新自由主義政策とグローバリゼーションを暴力的に推進するという役割をはたしてきた。
ドル暴落から世界戦争につきすすむ
しかし、そんなやり方がいつまでもつづくわけがない。
すでに基軸通貨ドルは裏付けをうしなっている。アメリカの実体経済も歴史的に行きづまっている。アメリカに世界のマネーが還流し、それがまた世界をかけめぐる。この危機的構造の瓦解が本格的にはじまった。それがアメリカ住宅バブル崩壊とサブプライムローン問題に端を発する世界的な金融危機とドルの暴落だ。
08年のG8サミットは、ドル基軸通貨体制の危機をめぐるG8内外の深刻な対立をさけることはできない。アメリカは、
金利引きさげ、減税による景気刺激策、さらには金融機関への公的資本注入によって、なりふりかまわずドルをささえようとする。それは、全世界の人民にたいするいっそうの犠牲の強制である。
それだけではない。アメリカは、ドル体制をおびやかす者を、容赦なくたたきつぶしていくいがいにない。EUや中国、ロシアなどだ。そのためにアメリカはイラク侵略戦争の激化とその世界的拡大にのめりこむ。
日本もまた、戦後憲法的な制約をつきやぶって、侵略戦争に参戦していく。
08年G8サミットでは、新自由主義政策とグローバリゼーションの破産があらわになり、「協調の仮象」が最後的にふきとび、帝国主義同士の対立がむきだしとなる。帝国主義の戦後体制が全面的な崩壊に突入していることが、誰の目にも明らかになるであろう。世界革命の条件の成熟である。
「戦争と貧困」の元凶帝国主義をたおそう
労働者階級は、「戦争と貧困と破壊」しかもたらさない帝国主義のもとでは生きていけない。だから、労働者階級の回答は、「戦争と貧困と破壊」を地上から廃絶するために帝国主義を打倒することである。
新自由主義政策とグローバリゼーションにたいする全世界人民のたたかいがすでにはじまっている。世界革命の主体が力強く登場している。
侵略戦争との最前線でたたかうイラク・アフガニスタン・パレスチナ・中東人民。朝鮮侵略戦争策動と対決する朝鮮人民。中国スターリン主義の強権支配と市場経済化とたたかう中国人民。多国籍企業による搾取と略奪とたたかうアジア人民。帝国主義による資源略奪とたたかうアフリカ人民。アメリカによる歴史的な支配をうち破るラテンアメリカ人民。侵略戦争への動員と、民営化と非正規化、年金・医療の破壊とたたかうアメリカ・ヨーロッパ・日本の人民。アメリカの世界戦略と米軍の再編と最前線で対決する沖縄人民。これらの全体が、ひとつの大きなうねりとなって、G8サミットを粉砕するのだ。
8年前のサミットは沖縄で開催された。それが今度はアイヌ人民の土地である北海道=アイヌモシリを蹂躙して開催されることに無自覚であってはならない。
3・23沖縄県民大会 6000人が米兵犯罪を糾弾
3月23日、沖縄で「米兵によるあらゆる事件・事故に抗議する県民大会」は、6000人が結集してたたかわれた。
米兵犯罪への沖縄の怒りが激しい雨をつきぬけた。それぞれの発言が、米軍を弾劾し、抗議するとともに、「今回、地位協定の見直しはしない」( 町村官房長官)とする日本政府へのきびしい批判がなされた。
また、米兵による暴行の被害者である東京在住のオーストラリア人女性が発言した。6年間の心の葛藤をかたり、「米軍は犯人をにがした。いまだに謝罪もない。国務長官ライスもおなじ。日本の警察もたすけてくれなかった。それ以上に言語暴力をうけた。しかし、沖縄にきてひとりじゃないと思った」とかたった。参加者はじっと聞きいった。
大会は、日米両政府にたいし、「地位協定の抜本改正、米軍による人権侵害を根絶するための実効ある行動、米軍人の綱紀粛正と実効性ある再発防止策の提示、米軍基地の整理縮小、海兵隊をふくむ米軍兵力の削減」を要求することを決議した。
集会は各市町村の首長、婦人団体や市民団体が実行委員会をたちあげ、県民大会を準備した。そのなかで、自民党が脱落、仲井真知事も不参加。県議会与党の公明党はぎりぎりの参加。沖縄のたたかいは、全県民的な高揚と政治的な分岐が混然一体としてすすんでいる。
昨年の9・29県民大会の11万人の力が、大田知事選の敗北以来の状況をうちやぶった地平は、しっかり継承されまもられている。米軍基地の問題が根本であることは沖縄人民の共通した認識だ。日本政府の沖縄差別政策を絶対にうけいれることはない。
辺野古の基地建設を阻止しつづけているたたかいが、そのことをしめしている。沖縄人民とともに米軍基地撤去をたたかおう。
辺野古・新基地建設環境アセスゆるすな
防衛省は、米海兵隊新基地建設にむけた環境影響評価(アセスメント)の本調査に着手した。3月15日に開始した調査は、キャンプシュワブ内での風向き、温度の調査、塩害測定な米兵犯罪への怒りが激しい雨をつきぬけるどだ。
17日からは、海上での調査も開始したが、沖合へむかう作業船はジュゴンの回遊で中断においこまれた。18日からは業者の船をだし、スポット調査などを強行している。以降、連日、10隻程度の作業船にたいし、ゴムボート、船4隻ほどで、阻止行動がたたかわれている。
17、18日には、金武町のキャンプ・ハンセンで、陸上自衛隊が訓練をおこなった。米軍再編にもとづくはじめての基地の共同使用だ。東村高江でもヘリパット建設工事が強行され、阻止行動がたたかわれている。
23日の県民大会にもかかわらず、日米両政府は、米軍再編、新基地建設の攻撃をつよめている。現地にかけつけともにたたかおう。
G8:主要国首脳会議 Group of Eight 仏・米・英・独・日・伊・加・露
2〜3面
広島差別事件にたいする革共同としての自己批判 革命的共産主義者同盟関西地方委員会
2月24日、大阪市内において部落解放同盟全国連合会(以下「全国連」)中央本部および同広島支部による広島差別事件真相報告集会が行われました。この真相報告集会では、当該のAさんによって、革命的共産主義者同盟(以下「革共同」)が行った部落差別にたいする徹底糾弾が行われました。この糾弾を受けて、私たちは、広島差別事件が私たちが犯した重大な部落差別事件であることをあらためて自覚しました。
革共同は、日本帝国主義による一昨年来の部落差別の大扇動に屈服して、部落民への差別襲撃を行ってしまいました。私たちは、このことを、Aさんと全国連のみなさんに心から謝罪するとともに、革共同の革命党としての再生をかけて全面的に自己批判します。この自己批判を第一歩として、被差別・被抑圧人民のたたかいに学び、連帯して、プロレタリア世界革命の勝利のためにたたかいます。
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革共同は、広島において重大な部落差別事件を引き起こしました。昨年8月、マルクス主義学生同盟(以下「マル学同」)の同志たちは、全国連広島支部青年部長であるAさんにたいして、「(Aさんは)全国連のことしか考えていない」「戦線主義だ」「(全国連の)住宅家賃値上げ反対闘争は物取りだ」などの数々の差別発言をおこなったのです。
私たちは、わが同志たちがAさんを差別したことを心から謝罪し、自己批判します。私たちは全国連との血盟と信義を裏切ったことを、全国連の同盟員のみなさんと同和住宅家賃値上げ反対全国連絡協議会(以下「同住連」)のみなさんに謝罪し、自己批判します。そして、自己批判をかけて差別を居直る革共同「政治局員」と「全国委員」を全員解任することを誓います。
糾弾されている事実
革共同が、Aさんおよび全国連中央本部と全国連広島支部によって、部落差別として糾弾されている事実は以下の通りです。
@07年夏(マル学同合宿を前後する時期)、マル学同のN同志およびK同志などがAさんにたいして「中田書記長はリーダーとしてふさわしくない。全国連は○○と○○の体制にすべきだ」とか「(福島町の全国連会館を)売ってしまえばいい」と発言した。
A07年8月29日、広島で行われたマル学同の合宿で、参加者がAさんにたいして「全国連は物とり主義だ」「住宅闘争がそうだ」と発言した。
B07年10月4日、N同志やK同志らは、この日に設定されていた事実確認の場への出席を拒否し、出席を求めるAさんらにたいして、「差別などしていない」「糾弾は人格を否定する行為だ」「(Aさんは)団結を破壊しようとしている」と発言した。
C07年10月15日、第1回事実確認会に出席したN同志やK同志らは、「差別などしていない」と開き直り、Aさんや全国連広島支部の役員に対して「おまえが悪いのだ」という態度をとった。この日の確認会の最後には、11月15日に第2回事実確認会を開催し、その場に出席することを約束した。
D07年11月15日、第2回事実確認会にN同志やK同志らは出席を拒否し、「(Aさんらが)差別事件をでっちあげている」と吹聴し始めた。同時期に「革共同政治局」は「差別事件はデッチあげだ」という規定を行った。
※「 」内はすべて全国連中央本部・同広島支部による「『広島での学生による差別事件』糾弾要綱」からの引用です。
私たちの受けとめ
私たちはAさんおよび全国連の糾弾を受けとめ、これらが部落差別であることを認めます。
(1)
「中田書記長はリーダーとしてふさわしくない」という発言は、中田書記長にたいする全く根拠のない侮辱です。そしてなによりも中田書記長を誇りとし、信頼してたたかっているすべての全国連の同盟員のみなさんの思いを踏みにじるものです。
また、「全国連は○○と○○の体制にすべきだ」という発言は、部落解放闘争を革命運動よりも一段低いものと見なして、全国連を部落民の自主解放の組織として認めない差別的態度です。
また、全国連会館は、Aさんと福島町のみなさんが、過酷な部落差別とのたたかいのなかでかちとった団結の砦です。これを「売ってしまえばいい」という発言は、Aさんと福島町のみなさんの自主解放の思いを踏みにじるものです。
(2)
同和住宅は、部落の共有財産です。それは、部落の解放のために住民が土地と家屋をただ同然で提供し、行政への日夜の座り込みをはじめとする実力闘争でかちとってきたものです。住宅家賃の値上げは、行政が「応能応益制度」をもって、部落民から住宅を奪い、ムラから追い出し、ムラの団結を破壊し、部落解放闘争を解体する攻撃です。
こんにち行政は、家賃の供託者にたいして給料や年金の差し押さえや、預貯金の全額差し押さえによって彼らの生活をおびやかしています。さらに住宅の明け渡しを強行しようとしています。住宅闘争は国家権力に対する大衆的差別糾弾闘争です。
この住宅闘争を「物とり」ということは、差別行政に与(くみ)して、Aさんと福島町のみなさんの血のにじむたたかいを踏みにじるものです。
(3)
N同志は、07年10月4日に設定されていた事実確認の場への出席を拒否しました。これ自身が糾弾を否定する差別です。
そのうえ、「糾弾は人格を否定する行為だ」という発言をしました。この発言は二重三重の部落差別そのものです。
部落差別は部落民を人間として認めず、その存在と生存を否定するものです。差別糾弾は、人間的尊厳の蹂躙(じゅうりん)にたいする部落民の存在と生存をかけた怒りであり、部落解放・人間解放の願いと叫びであると私たちは受けとめてきました。
私たちは、帝国主義の階級支配と差別分断支配のなかで、様々な人格的なゆがみを強制される中で、自己を形成してきました。糾弾はそうした人間的あり方のゆがみを正し、のりこえていくことを呼びかけるものです。
まさにAさんの糾弾は、信頼を裏切った仲間にたいしてもなお、ともに差別とたたかおうと呼びかけるものでした。ところがN同志は、このAさんの糾弾を「人格を否定する行為だ」といって拒絶したのです。そればかりか、「(Aさんは)団結を破壊しようとしている」といって敵視し、差別とたたかう部落民を「団結」の名の下に排除する最悪の部落差別を行ったのです。
たたかう仲間と信じていた同志たちによる差別発言と裏切りに等しい仕打ちに、Aさんがどれほど深く傷つけられ、悔しい思いをしたのか、はかりしれません。ほんとうに申し訳ありませんでした。
(4)
Aさんは、部落差別とたたかい、人間解放をめざしてたたかってきました。そして、学生運動、全学連運動が、部落解放運動をしっかりと位置づけてたたかうことを願い、訴えてきました。そして、ともにプロレタリア解放・人間解放の立場にたたかっている限り、必ず仲間として獲得し、ともに部落解放をたたかっていくことができると、私たちを仲間と信じて闘ってきました。
その私たちが、Aさんにたいして8・29のマル学同合宿とその後の部落差別の言動によって、「心臓に氷の刃がささる」ような苦痛をあたえてしまいました。
その言動は、全国連を侮辱し、部落解放運動と糾弾闘争を全面的に否定するものでした。
しかし、差別的言動の意味は、それにとどまるものではありませんでした。
それは、Aさんを、全国連と部落解放運動から引き離し、逆に全国連と部落解放運動に敵対させようとしたのでした。革共同は、差別など問題にすると、労働者が団結できないから.として、部落民の自主解放のたたかいを抑圧しました。
しかし、Aさんは、このような部落差別にけっして屈することなく、必死の糾弾闘争に立ちあがっていったのです。
私たち革共同は、広島部落差別事件で、差別に屈せず人間解放をたたかうすばらしさや尊さを否定し、踏みにじるような腐敗に陥っていることを、突きつけられました。このことを心から恥ずかしく思います。
私たちは差別を憎みます。どんな差別をも許しません。その気持ちをあらたにして、Aさんと全国連とともに、たたかっていくことができる革共同に再生する決意です。
「7月テーゼ」の差別性と革共同の変質
(1)
昨年8月の合宿で、N同志をはじめとしたマル学同の同志たちは、Aさんにたいして「2007年7月テーゼ(『前進』第2306号掲載論文、以下「7月テーゼ」)を認めろ」と強制しました。
Aさんは、部落民としての存在をかけて、これを拒否しました。そして、「7月テーゼ」には、労働者階級が差別とどうたたかうのかについての具体的な言及がないことを指摘し、「7月テーゼは部落民に対してあーせえこーせえと言っている」と批判し、「革命よりも差別との闘いは下」としていることを糾弾したのです。Aさんは、「7月テーゼ」の差別性と革共同の変質を告発したのです。
(2)
「7月テーゼ」の差別性は以下の文章の中にはっきりとあらわれています。
「被差別・被抑圧人民の存在と闘いを労働者階級の闘いと並列して、両者の『合流』として革命を考えることは間違いである。逆に労働者階級の闘いは、むしろすべてのものにプロレタリア性を刻印し、強制していくことを求める。」
「例えば、部落民出身の共産主義者は、自己をまず労働者階級解放闘争を闘う主体として徹底的に確立することによって、全部落民の解放を求めて闘う主体としての自己をも真の意味で確立することができるのである。この関係を逆転させて『部落民としての自覚』を一切の出発点に置くことは、部落解放闘争をプロレタリア革命の上に置くものとなり、実際にはプロレタリア革命をも、部落の真の解放をもともに否定するものとなってしまうのだ。」(以上、「7月テーゼ」Y章より引用)
「7月テーゼ」の差別性は、第一に、「労働者階級の闘い」を上におき、その下に「被差別・被抑圧人民の存在と闘い」をおくというものです。このように両者の闘いの間に優劣をつけること自身が差別そのものです。
第二に、「プロレタリア性を刻印し、強制していく」ということは、被差別・被抑圧人民が自らを解放の主体として自覚し、誇りを持って立ち上がることを認めず、被差別・被抑圧人民のたたかいを「革命」の名のもとに抑圧する差別主義です。それは、スターリン主義が恐るべき民族抑圧・抹殺政策を推進していったのとまったく同じ論理です。
「7月テーゼ」は「70年7・7自己批判を深化する」といって、実は7・7自己批判を、全否定するものです。7・7自己批判で革共同は、それまで被差別・被抑圧人民がプロレタリア革命の共同の主体であるという、革命党としての基本的な認識を欠落させていたことを、根底的に自己批判しました。そして差別・抑圧とのたたかいをプロレタリア革命の正面課題として据えるとともに、革命党の必須不可欠の任務として被差別・被抑圧人民の支援・防衛・連帯のために地域的日常的闘争を担うことを確認しました。 私たちは7・7自己批判を帝国主義段階におけるプロレタリア革命の成否のかかったものとして、実践してきました。
それを安易に投げ捨てるような者を自らの「最高指導部」としてきたことは恥ずかしい限りです。私たちは、このことを、革共同とともに闘ってきたすべての人民に心底から自己批判します。
(3)
私たちは、「革共同政治局」の腐敗と変質がこれほどまでに深刻であったということを見抜けず、これを正すことができなかったことを痛苦の念をもって自己批判しなければなりません。
関西地方委員会においては、政治局員与田が党組織を私物化し、財政的腐敗と国家権力への屈服を深めていました。与田は党内における自己の権力を維持するために、デマ政治と恫喝によって党内民主主義を破壊し、与田支配に異論を唱えるものを粛清・追放しようとしていました。
私たちはこのような腐敗にたいして、革共同の革命党としての再生をかけて06年3・14決起を実行しました。
3・14決起は与田を解任し追放しただけではなく、与田の腐敗と変質を生み出してきた政治局に対する根底的な自己批判の要求でした。私たちは政治局が革共同の再生のためにともに立ち上がることを願っていました。しかしこの時点では私たちは、「革共同政治局」がその後かくも急激に変質と転落をとげていくとは予想もしていませんでした。
政治局は、うわべでは3・14決起を「党の革命」などといって称揚しながらも、与田の腐敗と変質を生み出し、それを容認してきた自己を厳しく切開することを拒否し続けました。そして、「与田の腐敗の原因は血債主義・糾弾主義にあった」などと問題をすりかえ、差別・抑圧とのたたかいを全面的に否定する「7月テーゼ」にまで行きついたのです。そして「広島差別事件はデッチ上げ」というかつて例を見ないような部落差別の扇動を開始しました。ついには、機関紙『前進』(第2333号2008年3月3日付)で「『広島差別事件』のねつ造」と公言するにいたっています。
私たちは、「7月テーゼ」が革共同の帝国主義にたいする屈服の中で生み出されたことを真正面から見据えます。米帝のイラク侵略戦争を導火線とする新たな世界戦争への転化のすう勢と世界金融危機の進行の中で、日本帝国主義は、差別主義と排外主義の大扇動によって労働者階級を分断し、「戦争と改憲」に動員しようとしています。
06年飛鳥会事件と京都環境局事件をはじめとする戦後史上かつてない国家総がかりの部落差別の大攻撃が吹き荒れています。革共同は、この帝国主義の大攻勢に屈服し、差別主義・排外主義とのたたかいから逃亡し、いまや部落解放闘争に敵対する存在になりはてようとしています。これは革共同の革命党としての死です。
70年代から今日にいたる革共同の歴史は、戦闘的な部落解放闘争なくしてはありませんでした。
全国のたたかう部落青年・部落大衆とわれわれは、ともに「融和主義粉砕、部落解放・日帝打倒」の旗の下に、狭山差別裁判糾弾をかかげ69年浦和地裁占拠闘争に決起しました。
さらに反革命カクマルと対決して狭山闘争をたたかい、上告棄却策動にたいして77年5・23実力決起をたたかいました。そして解同本部派による三里塚処分をものともせず、81年11・4部落解放同盟大阪府連による荒本支部処分とたたかいぬいてきました。
84年「地域改善対策協議会・意見具申」を画期として、日本帝国主義・中曽根政権が、同和事業の全廃と差別糾弾闘争の圧殺に公然とのりだしてきました。これにたいして戦闘的な部落青年たちは、屈服を深める解同本部派と決別して、85年10・20三里塚蜂起戦と11・29浅草橋戦闘に決起し、90年天皇決戦の渦中で、狭山差別裁判徹底糾弾をかかげて東京高裁占拠闘争をたたかい、ついに92年全国連結成をなしとげたのです。
全国連結成に際し、革共同は、全国連との血盟にかけて、全国連5万人建設をとおした300万部落民の解放とプロレタリア革命の勝利とを一体のものとしてたたかうことを誓ったのです。
私たちの自己批判と決意
私たちは、革共同が広島差別事件を引き起こし、それを居直ることによって全国連との血盟と信義を自ら踏みにじったことを、Aさんと全国連の同盟員のみなさん、そして全国300万部落民のみなさんにたいして、心から謝罪し、自己批判します。私たちは、マル学同の同志たちと革共同広島県委員会の自己批判をかちとります。そして、革共同の「政治局員」と「7月テーゼ」を採択した「全国委員」を全員解任し、自己批判させ、「7月テーゼ」を撤回させます。
私たちは、広島差別事件の自己批判を第一歩として、地域的日常的闘争の取り組みを重視し、狭山闘争と住宅家賃値上げ反対闘争の勝利のためにたたかいぬくことを決意します。狭山再審を実現するためにたたかいます。住宅明け渡し攻撃にたいしてたたかいます。
私たちは、全国連や同住連のみなさんのたたかいを一から学びなおし、「部落民の解放なくして労働者の解放はない、労働者の解放なくして部落民の解放はない」ということを自らの思想として再確立し、部落解放・日帝打倒のためにたたかいます。私たちは、この自己批判を貫徹するなかで、スターリン主義による国際共産主義運動の変質と歪曲をのりこえ、いっさいの階級支配を廃絶し、あらゆる差別・抑圧からの人間の解放をめざして、革命的共産主義運動の再生をかちとることを決意します。(08年3月29日)
●70年7・7自己批判について
1970年に行われた、「7・7盧溝橋事件33周年、日帝のアジア再侵略粉砕人民大集会」の準備過程の実行委員会で、華僑青年闘争委員会(「華青闘」)の代表が抗議退場したことに対して、マル学同の山森同志が「いいじゃないか」と発言した。
革共同は華青闘から、「日本の革命的左翼は抑圧民族としての自己の立場にまったく無自覚であり、入管闘争へのかかわりも政治利用主義に過ぎない」と糾弾された。 革共同は、この糾弾を受けとめて全面的に自己批判した。
2月24日広島差別事件真相報告関西集会でのAさんの訴え(抜粋)(以下は、Aさんの訴えを、編集委員会の責任で、抜粋したものです)
わたしは、広島・福島町で、全国連・広島支部の青年部長をしています。
・・・たたかう仲間の輪を広げようと、全学連の運動にも加わり、全国の学生に部落解放運動との連帯を訴えるとともに、わたしじしんが部落解放運動だけでなく、労働者階級をはじめとするすべての人々のたたかいの先頭に立とうと志してきました。
ところが、去年の8月、広島で行われた「マルクス主義学生同盟」の合宿の場で、これまで、ともにたたかう仲間だと思って信頼を寄せていた人たちから、耳を疑うような差別的発言が浴びせられたのです。
・・・「革命よりも差別とのたたかいは下なんだ」「教育労働者は教育現場でたたかっているのだから、部落解放運動は、部落民が部落の現場でたたかえばいいんだ」「Aちゃんは間違っとる。あのね、労働運動したら同時に差別とのたたかいもできるんよ」「Aちゃんは間違っとんよ。あなたは戦線主義なんよ、全国連のことしか考えてないじゃないの。」(「うちのどこが間違っとん?」という質問にたいして)「いや、全国連が間違っとんよ」「住宅闘争よ。住宅闘争の村の人らは労働者集会に来てないし、労働者と連帯してないじゃないの。住宅闘争はもの取りじゃないの」
わたしは、これらの発言を聞いたときに、頭が真っ白になりました。「全国連はもの取り主義だ」とか、「部落差別とのたたかいは革命よりも下だ」とか、「労働者は差別とのたたかいをしなくてもいい」など、わたしが自分の人生と、命をかけて取り組んできた部落解放運動を根本から否定し、全国連を侮辱する発言が、・・・たたかう仲間だと思ってきた人たちから浴びせられたのです。
・・・まるで心臓に氷の刃がささったような気持ちで、「このまま言わせておいてはいけない」と思いながらも、自分が何をしゃべったのかもよくわからない状態でした。
・・・あるときに「中田書記長はリーダーとしてふさわしくない。全国連を新体制にすべきだ」と言ったり、あるときには、「(全国連会館を)売ればいいじゃん」などということが、学生のリーダーたちから言われていたのです。
・・・もうひとつ、付け加えることがあります。それは、事実確認会にたいする学生の態度です。
・・・最初は、マル学同と上部団体である革共同のなかでの事実確認会です。約束の日時に、二時間いじょうも遅れて学生の責任者であるNから電話がかかってきました。この電話で、Nから、「そちらには行けない」「Aちゃん、糾弾は人格を否定する行為なんだよ」と、信じられない言葉が返ってきたのです。
本当に、悔しくて、悔しくて、涙が止まりませんでした。・・・Nや学生たちにとって、わたしは人間ではないのか。この言葉は、合宿での発言いじょうに、絶対に忘れません。
二度目は、広島支部の主催による事実確認会です。・・・出席したNらは、「差別などしていない」と開き直り、広島支部の役員や婦人にたいして、「おまえが悪いんじゃ」とか、「あんたは黙っとれ」などと傲慢な態度をとりつづけました。それでも、・・・次回の事実確認会への出席を約束しました。
ところが、・・・この約束を破ったのです。
・・・でも、わたしは負けません。もう、泣きません。悔しさを怒りに変え、糾弾の力に変えて、こんかいの差別にたいする徹底糾弾のたたかいに立ち上がります。・・・マル学同の学生と、それを擁護する革共同を徹底糾弾し、必ず全面自己批判させます。どうか、わたしに力をかしてください。ともに、部落完全解放に向かって、吹き荒れる差別をはねとばしましょう。
4面
直接雇用をもとめ 女性派遣労働者の反乱はじまる
武庫川ユニオン尼崎市役所分会無期限ストに突入
3月3日から無期限ストライキに突入した武庫川ユニオン尼崎市役所分会のたたかいは、24日で4週目に入った。
年収150万以下ではたらく、住民票入力業務をになう労働者である。市役所横の橘公園にはテントがはられ、5人の組合員は毎日ここに出勤し、籠城し、市内街宣・ビラ配布と意気高くストライキをたたかいぬいている。
テント周辺には、各地の労働組合の旗がなびき、激励文とカンパが全国各地からよせられている。テントでは泊まりこみもおこなわれ、さながら倒産争議・職場占拠のたたかいのようだ。17日には、自治労兵庫県本部・尼崎地区労などの主催による350人の集会と市役所包囲デモがたたかわれた。21日には入札が強行され、フルキャストが落札したが、たたかいを恐れ、契約から撤退した。
31日には、雇用期限が切れるにもかかわらず、後継業者が決まらない。これは大問題である。
関西合同労組をはじめとする地域の仲間も、3日のスト突入の時点から、支援共闘行動をおこなっている。
尼崎市役所の市民課データ入力業務で偽装請負がおこなわれ、尼崎市当局が派遣労働者を低賃金でこきつかってきた。これがことの発端である。
市民派を任じる白井市長は、財政再建を名目に、保育所の民営化をはじめ、「市丸ごと民営化」をおしすすめてきた。入力業務を競争入札( 従来は隋意契約) にすれば低価格落札で、労働者の賃金はさらに下落する。
市当局がワーキングプアを率先してつくる。ここに、今日の資本攻勢の最前線がある。「尼崎市は直接雇用せよ」の要求実現までたたかいはつづく。
「これは自分たちだけのたたかいではない」―たたかう5人の労働者
武庫川ユニオンは、20年前に誕生した地域合同労組である。もともと尼崎地評-地区労を拠点に、中小・未組織の労働者を軸に組織してきたが、昨今の最大の問題は派遣労働者の問題である。
尼崎市役所分会は、無権利に放置されてきた派遣労働者の組織として誕生した。市民課という最も市民になじみのある職場で、彼女たちは、正規の労働者の3分の1以下の賃金ではたらかされてきた。
分会は、市当局との交渉をかさね、賃金・労働条件の改善をかちとってきた。その矢先に、市当局は、コスト削減を理由にして、競争入札を導入し、職場をとりあげようとした。この市長の裏切りに怒りは爆発した。
無期限ストにたちあがるなかで、彼女たちは、たたかいがひとり自分たちだけのものではないことを実感し、自覚した。ここにバラバラにされていた派遣労働者の団結の出発点がある。いまや市役所横のテントは、全国にいる派遣労働者の団結の砦になろうとしている。
無権利状態におかれてきた派遣労働者の反乱がはじまった。このたたかいのゆくえは、派遣労働者総体の未来をきめることになるだろう。たたかう仲間は、尼崎市役所横のテントに結集し、ともにたたかおう。(3月27日記)
抗議と激励とカンパを!
抗議先 尼崎市長白井文 FAX06−6489−6009 TEL06-6489-6489
カンパ振込先郵便振替 01660−1−36300 武庫川ユニオン
激励先 武庫川ユニオン TEL/FAX 06−6481−2341
投稿 映画案内『実録・連合赤軍あさま山荘への道程』(2007年・日本・190分)
★第20回東京国際映画祭日本映画ある視点作品賞受賞
★第58回ベルリン国際映画祭 NETPAC賞(アジア映画における優秀な作品)
国際芸術映画評論連盟賞W受賞
監督・企画・製作:若松孝二 ナレーション:原田芳雄
第七藝術劇場で、数年前に、若松孝二監督の問題作『十七歳の風景』を上映した際に、監督が、「俺は連合赤軍の映画を撮るまで死ねない!」とあつく語っておられた。その言葉どおりに、みずからの全財産をなげうって3時間10分の渾身の本作を完成させた。
本作は、国会議事堂前の安保反対デモの最中の東大生・樺美智子さんの死から連合赤軍があさま山荘に籠城し、警官隊に逮捕されるまでの若者たちの軌跡を、ときに俯瞰(ふかん))的に、ときに監督の熱い想い(なぜ同志たちによる凄惨なリンチ殺人がおこなわれたのかという問いにたいする)をほとばしらせながら描ききった問題作である。
いまから30年以上前の日本には、どこまでも熱く純粋な若者たちが存在したのである。そんな彼らがあゆんだ道を、ったひとことで「間違っていた」とだれがいえるのだろうか。わたしにはいえない。だからこそいま、わたしたちは、本作でその時代を目撃し、みずからに問いかけなければならない。わたしたちはあの時代を経てなにを得て、なにを失ったのかを・・・。(第七藝術劇場支配人)
【料金】当日一般 1800円 学生 1300円 中・高・シニア1000円
● 8:30の回は早朝特別料金800円
【第七藝術劇場】大阪市淀川区十三本町1−7−27サンポードシティ6F
(阪急梅田駅より電車で5分/十三駅下車西口より3分)
06−6302−2073 http://www.nanagei.com/
「在日」雑感 FS生
1905年、第二次日韓協約により大韓帝国の外交権を接収した日本が京城(現在のソウル)に設置した「韓国統監府」の初代長官(役職名は韓国統監)伊藤博文は、独立運動家・安重根(アンジュングン)にハルピン駅で射殺された。
この事件を契機に、植民地化の策動はいっきに加速する。
同時に、植民地化に反対するたたかいも起きていた。1907年7月、幸徳秋水と立場を同じくする東京社会主義者有志会が、「吾人は朝鮮人民の自由・独立・自治の権利を尊重し、これにたいする帝国主義的政策は、万国平民階級共通の利益に反するものと認む」と決議表明した。
その後、幸徳秋水ら12人は、大逆事件をでっち上げられて死刑に処されるわけだが、日韓併合が秋水らの逮捕三ヵ月後であったことをみると、支配層の意図はあまりにも明らかだ.朝鮮の植民地化の妨げになる社会主義者を、天皇の神聖性を犯すものとして抹殺したのである。
寺内と啄木
1910年、朝鮮を統治するために「朝鮮総督府」が設置された。
伊藤の跡を継ぎ、第三代韓国統監および初代・二代にわたって朝鮮総督をつとめた寺内正毅は、日韓併合なったその夜に「小早川 小西加藤が 世にあらば 今宵の月を 如何に観るらむ」と歌に詠んだという。豊臣秀吉の朝鮮侵略(俗にいう文禄・慶長の役)の「偉業」を、ついに成しとげたといわんばかりに、帝国主義者の満足感がみなぎっていて、おぞましい限りだ。
一方、石川啄木は、「地図の上 朝鮮国にくろぐろと 墨をぬりつつ秋風をきく」と詠んだ。詩人は、植民地支配の悪弊が、実は、日本人にこそおよぶことを予見していたのだ。
在日朝鮮人問題とは現代日本人問題
戦後、朝鮮史研究の第一人者であった旗田巍(たかし)さんは、「朝鮮認識は日本の民主主義のリトマス紙である」と発言されたが、その真意は、「正しい朝鮮観をもちましょう」という啓蒙主義ではなくて、「朝鮮のことだ、他人事だと高をくくっていると、災いは己にふりかかるぞ」という警鐘だったように思える。
今は、多数の「寺内」が、少数の「啄木」を侮蔑し・非難し・排除する時代になってしまった。
「在日朝鮮人問題とは現代日本人問題である」。この読み替えに賛同する日本人が多数派になるとき、この国の平和と民主主義は、その基礎を得るのだろうなぁ…と思う。
3・25前進社関西支社への捜索弾劾!
3月25日、5時間におよぶ捜索が、前進社関西支社にたいしておこなわれた。警視庁が、3月16日の東京のデモでの不当逮捕の件を口実にしたものだ。
身体捜索だけで2時間もかけておこなう異常さ、押収したものも、3月16日の件には関係のないものだ。
弾圧の狙いはサミット反対の圧殺である。警視庁は、前日の24日に「サミット警備を今年前半の最重要課題」「サミット警備地域協力会の設置」「(反対運動の)未然防止」などと意志一致している。われわれの回答は、サミットの粉砕だ。
「イラク開戦5周年弾劾! 3・19大阪集会」
3月19日、大阪扇町公園で、「イラク開戦5周年弾劾! 3・19大阪集会」がひらかれた。
雨の中、3500人の参加者で、公園がうめつくされた。われわれも、百万人署名運動の仲間とともに参加した。参加者は、2コースに分かれて市内のデモ行進を行った。
全世界のたたかいと連帯するイラク反戦と沖縄闘争の火柱があがった。
根津さんを解雇するな 3・28東京都教委・定例会
卒業式での「君が代強制」に不起立をつらぬいた都立学校の教育労働者にたいして、処分を決める都教委・定例会が、3月28日に開催された。とくに根津さん(南大沢学園養護学校)、河原井さん(八王子東養護学校)の2人にたいし解雇処分がねらわれている。
これにたいして、会場内外で100名ちかい支援者があつまり、定例会は怒りと抗議の声によって包囲された。
処分にかんする議事は非公開で、処分の発令は3月31日になった。都庁を全国の怒りで包囲しよう。