革共同通信・第5号

2008年3月18日発行

08春闘−ストで反転攻勢を  大幅賃上げ・非正規の均等待遇かちとろう

北教組24年ぶりの時限スト

08春闘に先だって、北海道では、賃金カットと格差導入の査定制度に反対して、1月30日、北教組が1時間ストにたちあがった。実に24年ぶりのことだ。
これにたいして道教委は、2月27日、参加を現認した全組合員12500人を戒告処分にした。教組は、3日間の座り込み闘争などを展開してたたかいぬいている。

非正規労働者が無期限ストに

尼崎市役所前では、住民票のデータ入力業務の派遣労働者5人が市の偽装請負を許さず、雇用安定をもとめて3月3日から無期限ストに突入している。
これは地域をゆるがしはじめている。関西合同労組も支援にかけつけ、尼崎市立学校の分会で無期限ストに連帯した春闘をたたかい、各分会で団交にとりくんでいる。
連合春闘の様相もかわりはじめている。非正規雇用労働者のワーキングプアの現実、過労死地獄の背後で、残業手当不払いなどの違法・脱法行為が横行している。これにたいして労働者の怒りが高まり、連合春闘においても非正規労働者の労働条件問題が大きな焦点となってきた。全産別が社内最低賃金やパート時給の賃上げ要求をかかげている。
しかし、連合路線のもとではたたかいの方針がない。12日の大手回答では、残業割増率アップ交渉は継続、時給アップ交渉もかけ声倒れ寸前だ。「積極的な賃上げを求めない自制的な要求」(連合高木)にもかかわらず、空前の利益をあげているトヨタや松下も、昨年並みの1000円に値切られた。「業績アップは一時金で」という資本側の術策にはまっている。
これをつきやぶるのは、やはりストライキの力だ。

動労千葉3・14第一波スト、3・24ス労自主、3・20動労西日本広島支部

動労千葉は、3月15日のダイヤ改定前日に、終日の指名ストを貫徹した。検修・構内関係、営業関係の全組合員が対象だ。さらに、「14日以降、全運転士を対象として、いついかなるときでもストライキにたちあがることのできる闘争体制を確立する」としている。最大の焦点は、運転士を最低5年間駅勤務にまわす「ライフサイクルの深度化」という提案だ。何割かの運転士を選別して駅にすえおくという。この白紙撤回と外注化阻止、配転者の原職復帰を波状ストでたたかう方針だ。
スタンダード・ヴァキューム石油自主労組や動労西日本もストを準備している。労組交流センターのストライキ春闘が始まった。

「君が代」不起立が全国で−教労

大阪では、2月2日、「みんなでとめよう!教育改悪・全関西の集い実行委」主催の直前討論集会(浪速人権文化センター)が開催された。
25日からは、府立高校の卒業式がはじまった。府教委は「教員の起立状況において、なお、課題のある学校があり」( 08年度「指示事項案」)と、教育労働者の抵抗を根絶やしにしようとしているが、各団体による門前ビラまきに激励されながら、不起立がねばり強くつづいている。
ある府立学校では、20数人の教職員が強制反対をイメージしたブルーリボンを着用し、おおくの教育労働者が不起立をつらぬいた。その他、おおくの学校で、不起立がたたかわれている。
東京では、3月10日、根津さんへのトレーナー処分と解雇攻撃をゆるさないため、都庁前で3回目のワンデーアクションがとりくまれ、60人以上が申し入れ、のべ240人によるほとんど終日の行動で、処分を阻止しつづけている。1日からの都立高校の卒業式でも不起立がたたかわれている。19日、24日が、河原井さん、根津さんの卒業式でのたたかいだ。また、2月24日、七生養護学校元校長処分事件で、懲戒処分と降格処分をとりけす勝利判決がかちとられている。
08春闘で労働者の反転攻勢をかちとろう。

3・30三里塚へ

2月26日、三里塚決戦勝利関西実行委員会が主催する第14回公開講座が、70人をこえる参加でひらかれた。
永井満代表が「三里塚闘争の勝利にむけ、いま農業問題が重要な切り口になっている。きょうは三里塚と農業問題をしっかり学びたい」と開会のあいさつをした。
現地闘争本部員は次のように報告した。―三里塚反対同盟の不屈のたたかいで、収用法による強制収用ができなくなった。そこから、こともあろうに、農業を守るはずの農地法を逆用して、市東さんの農地を強奪しようとしている。
この問題は、いまや三里塚だけではない。全国で農業が破壊され、農民が切りすてられている。新自由主義政策のもとで、99年には、改悪(新)農業基本法が成立し、農政と農地制度が大転換され、耕作者の権利よりも市場原理が優先された。政府は農業の集約化・大規模化をすすめるが、大規模化するほど赤字がふえる。農業と農地は破壊され続けている。食糧自給率は40%をわった。それでも政府と大資本は自動車を売るためには農産物は輸入すればいいとしている。
「空港による農地強奪と農業の破壊」という42年前の三里塚と同じ状況が、全国に、農民全体にひろがっている。のみならず全人民が食っていけない状況になっている。
暫定滑走路の北延伸と新しい誘導路着工で東峰部落を囲いこむ攻撃がすすめられている。これは反対運動と農家の切り崩しが狙いだ。「絶対反対」「不屈・非妥協」の原点に三里塚闘争の勝利がある―提起をうけて活発な質疑があった。まとめにたった山本善偉世話人が「反戦・反権力の砦= 三里塚を守ることと農業問題とがひとつだとわかった。3・30現地闘争に全力であつまろう」と元気に訴えた。

3・30全国総決起集会

・暫定滑走路北延伸阻止!
・市東さんの農地を守ろう!
・憲法改悪絶対反対!
・成田を軍事基地にするな!
時 間:正午より 場 所:成田市天神峰 反対同盟員所有地
主 催 三里塚芝山連合空港反対同盟
集会後にデモ行進

「サービス残業がどれだけか知っているのか!」  大阪府知事・橋下に府職労働者がカウンターパンチ!

13日、大阪府知事・橋下が、30代以下の府職労働者をあつめて朝礼をおこなった。
この中でとくに「朝礼は始業前にやるべき」と「サービス残業を公然と強要する発言におよんだとき、府職労働者の女性がその場で立ちあがり、「いまどれだけサービス残業をやっているとおもっているのですか。きれいなことをいっているが、あなたは労働者をバラバラにするようなことばかりいっている」とするどく面罵した。
その通りだ。橋下は許せない。「サービス残業」は認められない。8時間労働は労働者のギリギリの権利だ。民間で常態化している現実こそ押しもどさなければならない。
いま、大阪の橋下、東京の石原という新自由主義政策の突撃隊が、労働者の怒りの前に立ち往生しつつある。石原、橋下との攻防は、帝国主義の新自由主義政策と対決する最前線だ。勇気ある発言に立ちあがった府職労働者の女性につづいて、二の矢、三の矢を。

水嶋控訴審裁判で無罪

08年3月11日、東京高裁(12部長岡裁判長)で行われた水嶋裁判(1988年千葉県土地収用委員会会長せん滅戦闘デッチあげ裁判)の控訴審において無罪判決をかちとった。これは1審につづく無罪判決だ。検察の控訴内容をことごとく事実認証で粉砕してきた被告、弁護団、傍聴団の勝利である。三里塚の土地取り上げのための千葉県土地収用委員会が実力戦闘で粉砕されたことにたいして、権力がおこなった報復が水嶋同志へのデッチあげ指名手配・逮捕であった。その不正義性は裁判で二度も証明された。三里塚で市東さんの土地を強奪しようとする支配階級への反撃だ。すばらしい勝利をよろこびたい。

................................................................................

2面

2・27山口春闘集会  三位一体改革と対決する自治体労働運動

2月27日、山口市内でおこわれた山口県春闘討論集会に参加した。この集会は「世界大恐慌――大失業と戦争の時代にたちむかう、たたかう労働組合の団結を!」をスローガンにして毎年開催されており、今年で10回目をむかえる。
メイン企画は「自分たちのことを、自分たちで決めるために――地方分権と住民自治」をテーマにしたパネルディスカッションである。集会実行委員のAさんは、「労働者が自分たちの命と暮らしを守るために、自分たちで団結して行動するのが春闘だ。今回は地方分権を切り口にして『三位一体改革』が何をもたらしているのかを、職場や産別の枠をこえて皆で考える集会にしたい。労働者だけでなく農民などをふくめた地方住民のおかれている状態についても理解を深めることは、労働者のできることや労働運動が果たせる役割について考える上で役にたつとおもう」と話してくれた。
パネラーは、岩国市議の石原真さん、祝島(いわいしま)の若手リーダーの山戸孝さん、全農林中国・四国地方本部執行委員の立野正明さん、自治労長門市職労書記長の桝本康仁さんの4人。司会進行役は、自治労山口県本部執行委員長の岡本博之さんである。

岩国―アメとムチに抗して

発言のトップは岩国市議の石原さん。「市庁舎建設補助金ストップがひきおこすもの」と題して岩国市長選の経緯が詳細に報告された。
岩国基地は現在、1キロメートル沖合への移設事業の最終段階にはいっている。基地の沖合移設は岩国市民の悲願であった。かつての岩国基地は市街地に隣接し、地域住民の苦情や不安がたかまっていた。それが市民あげての沖合移設運動へと発展したきっかけは、1968年に板付基地の米軍機F4ファントムが九州大学のキャンパスに墜落した大事故であった。防衛施設庁は、92年に基地の沖合移設を決定、総工費2400億円をかけた大事業は、来年度末にようやく完了する見込みとなった。
ところが政府は、@ 基地撤去運動がない土地柄であり、A騒音訴訟もない、B沖合移設も08年度に完了する、という理由で岩国が厚木基地から米艦載機の夜間離着陸訓練を移転するのに「一番ふさわしい場所」としたのである。この決定には防衛省の守屋前事務次官が深くかかわっていたという。当初、米軍はこの岩国案にたいして、米艦隊の母港である横須賀から遠いことを理由に難色をしめしていたが、「かならず移転させる」と約束してねじこんだ。
これに岩国市議会は、ただちに「移転反対決議」をあげたが、岩国市の商工会議所は「移転賛成」にまわった。これをテコに政府は市議会の保守派を「賛成」に寝がえらせていく。ここにも守屋の影響があったという。
そして、最後に政府がつかった手段が、市庁舎建てなおしのための補助金のストップである。これは97年に岩国基地に空中空輸機を配備したことにたいする見返りとして国が、岩国市に49億円を出すと約束したものであった。すでに05年から06年にかけて14億円が支給され工事もすすんでいた。ところが防衛省は井原市長が「訓練受け入れ」に反対していることを理由に、「訓練受け入れ」とは関係のない残り35億円の補助金をストップした。文字通りの「兵糧攻め」で屈服をせまったのである。
その結果、市民の70%が移転に反対であるにもかかわらず、市長選では井原市長が僅差で惜敗したのである。

原発阻止1000回のデモ

離島の祝島で原発反対運動を続けている山戸さんの報告は、補助金に依存せざるえない地域経済の現状を打開していくうえで大変に興味深いものであった。祝島のある山口県上関町に中国電力の原発建設計画がもちあがったのは1981年であった。予定地は祝島の正面に位置する「田ノ浦」である。中国電力は予定地海域に漁業権を持つ7つの漁協に約15億円の漁業補償を提示し、その半額を支払ったが、祝島漁協だけが受け取りを拒否し、原発建設を阻止している。
毎週月曜に行っている島内デモは1000回をむかえる。しかし、原発問題が起きた当初は1300人いた島の人口も現在では500人強にまで減り、高齢化率も6割をこえた。そうした中で山戸さんたちは「原発のカネがなければ生きていけない」とおもっている人たちが、「自分たちの力で生活することができる」という自信をもてるように、農業や漁業の活性化や特産品の開発にとりくんでいる。また介護や医療についても行政だけにたよらずに、自分たちの力でやれることはやっていこうというとりくみをおこなっている。それが原発建設計画によって生じた地域住民の分裂をのりこえ、住民がひとつに団結する道であるという。
日本資本主義は明治維新から140年間、いっかんして農村すなわち地方からの収奪によって発展してきたといえる。とくに戦後は「高度成長期」に「集団就職」によって地方から労働力を根こそぎうばいとってきた。

地方を収奪する日本帝国主義

その結果、日本農業は就業者の平均年齢が60 歳をこえ、存亡の危機に直面している。地方の農業の破綻はそれにかわる産業を育成しない限り、農業を主要産業としてきた地方経済の破綻となる。
岩国市や上関町で行われている「基地と原発」のおしつけは、地方=農村にかぎりなく犠牲を強制しつづけることでなりたっている日本帝国主義の姿を典型的にしめしている。全農林の立野さんや長門市職労の桝本さんの発言は、そのことをするどく告発していた。
最後のまとめで自治労県本部委員長の岡本さんが「自治体労働者は地域のサポーターとなるべきである」という提起は印象にのこるものであった。それは、たんなる「地域社会の奉仕者」ということではない。国家から収奪されつづけてきた地方=農村の住民が、国家から自立し、国策と対決していくたたかいを、自治体労働者は地域社会の利害にたって組織していこうという熱いメッセージがこめられていた。(坪田義彦)

わたしたちは労働者だ 関西トランスポート解雇撤回の教訓(下)

05年3月、兵庫県・加古川郵便局の小包配達労働者たちは労働組合を結成し、「自分たちを労働者として認めろ」「人並みの賃金を保障しろ」という要求をかかげてたちあがった。
そのわずか2ヶ月後に郵便局と下請け業者の関西トランスポートは、小包配達員全員に解雇を通告した。不当解雇から2年5ヶ月にわたるたたかいで、彼らは解雇を撤回させ、職場復帰を果たした。前号につづき、関西合同労組・関西トランスポート分会の辻本靖紀分会長から話を聞いた。(編集委員会)
―本当の苦労は解雇された後だったというお話でしたが。
05年11月に「従業員としての地位確認」と「賃金仮払い」にかんする仮処分決定がでました。決定は、「解雇は無効である」とした点で評価できるのですが、4人の組合員のうち労働者として認定したのは2人だけで、のこり2人は「会社と請負契約をむすんでいた個人事業主」にされてしまったのです。
―認定のちがいがどのような差を生んだのですか?
労働者の場合は「解雇無効」となれば会社に「賃金を支払いなさい」「職場に復帰させなさい」となるわけですが、個人事業主の場合は、「請負契約」を解約しただけということになりますから、なんの保障もないのです。会社は裁判所の命令で解雇後も私には賃金を支払いつづけていましたが、個人事業主とされた2人には1円も支払いませんでした。
―裁判所の決定で分会がまっぷたつにされてしまったわけですね。
そうです。それが本当につらかったです。どうやって4人の団結を維持していくか。夜もねむれない日がつづきました。
― どういう方針をとったのですか?
ひとつはみんなで具体的な行動をすることです。会社の前ですわりこみをやったり、労働委員会の勝利命令をもとめる署名を街頭であつめたり、いろんなことをやりました。職場がないから、普段は顔をあわせることがないのです。そこを、いっしょに行動することで団結をふかめていきました。もうひとつは、労働委員会や裁判で勝つことに執念をもってのぞみました。 ―労働委員会と裁判では勝利をかちとりましたね。
そうです。いずれも4人全員を労働者として認定する画期的な命令であり判決でした。それができたのも分会が「全員を労働者としてみとめろ」という私たちの最初の要求を最後までつらぬいて、そこで一致団結してのぞんだからだとおもいます。
―判決をうけていまは職場にもどったのですね。
はい。2人が職場復帰しました。私は07年11月から神戸西郵便局に復帰しました。しかし、会社は1日6時間勤務、時給800円という、以前よりもひどい条件をおしつけてきました。これには悩みましたが、職場にかえって、中から労働条件をかえるたたかいをやろうと決断しました。
―今後の抱負をきかせてください。
控訴審を4人全員でたたかっていますが、こんどは郵便局に責任をとらせます。郵便局の下請けではたらく仲間はほとんど未組織です。ここで労働組合をひろげていきたいとおもいます。

3面

沖縄闘争の主体的条件−3・23県民大会にむけて

いま沖縄では、かつてないほど人民の怒りが渦巻き、3・23県民大会にむかって大きなうねりとなっている。
それは、日米両政府による沖縄人民への抑圧・圧殺が強まり、沖縄での米軍犯罪・事故が頻発していることにたいする沖縄人民の激しい怒りだ。
在沖米軍による女子中学生暴行事件、沖縄戦での強制集団死(集団「自決」)に日本軍の命令はなかったとする教科書改ざん、辺野古と高江でのあらたな軍事基地建設攻撃、等々。これらはどれひとつとっても、沖縄人民には胸がうちふるえ、心がはりさけ、怒髪天をつくような絶対にゆるせないことだ。
95年の10万人決起、昨年9・29県民大会12万人結集が示したものは、沖縄人民を抑圧し、踏みにじり、犠牲にし、圧殺するようなことが次々とおこっている現実にたいして、我慢の限界をこえて怒りのマグマが噴きだしているということである。
この沖縄人民の張り裂けんばかりの激しい怒りをしっかりとうけとめ、肉薄し、日米両政府にたいするみずからの怒りとして、沖縄人民と一体となって沖縄闘争を爆発させていくことが求められている。沖縄人民の怒りとたたかいをみずからへの決起の呼びかけとして主体的にとらえかえし、沖縄―「本土」をつらぬく沖縄闘争の爆発をかちとろう。3・23県民大会をともにたたかおう。
沖縄闘争は、日本の労働者階級・人民大衆(労働者人民)にとって、日本帝国主義を打倒し、世界革命の一環としての日本革命に勝利し、みずからを解放していく最短の道である。

米軍再編をはばむ沖縄闘争―イラクと沖縄が世界革命の火点

沖縄での米軍犯罪・事故の頻発は、アフガニスタン、イラク侵略戦争の泥沼化の中で、不可避にもたらされる非人間性と腐敗・堕落・ストレスによるものだ。米帝国主義はさらに、世界戦争の放火者としてイランや朝鮮・中国への侵略戦争を準備し、その軍事戦略の展開として米軍再編をおこなっている。その重要な一環が、沖縄・辺野古や高江の新たな軍事基地建設攻撃だ。
中東・アジア-世界情勢の激動化と米軍展開の激化にともない、在沖米軍の実戦出動と軍事訓練は一層激化している。しかも基地内だけではなく、民間地域にも実戦と訓練の影響が拡大し、深刻化している。沖縄に米軍と基地が存在するかぎり、沖縄人民の犠牲は、増大することはあっても、決してなくなりはしない。沖縄人民が安心して生活し、生きていくためには、米軍の撤退と基地の解体・撤去が絶対に不可欠なのだ。
はっきりさせなければならないことは、日本帝国主義が新たな基地建設を積極的に推進し、「沖縄戦での強制集団死に軍命はなかった」とする教科書改ざん攻撃をかけてきたことである。これは、日本政府が新基地建設による米軍再編によって安保体制の質的エスカレートと強化を推進し、教科書改ざんをもって沖縄人民を始めとして労働者人民を中東―アジア侵略戦争の積極的協力者・加担者として仕立てあげようとするものである。したがって、それは憲法の全面的改悪の実体的先取りでもある。
もうひとつ絶対に押さえておかなければならないことは、米軍再編と改憲攻撃が、今日の米帝国主義と日本帝国主義の体制的危機、ひいては帝国主義世界体制の破綻という本質的現実に規定されて生みだされてきているということだ。したがって、米軍再編を粉砕し、改憲攻撃を阻止するたたかいは、世界革命とその一環としての日本革命を実現していく主客の条件を圧倒的に生みだし、現実化していくのだ。
そしてイラク人民の不屈のたたかい、辺野古をはじめとした沖縄人民のたたかいが、米軍再編の狙いを根底からくつがえすたたかいとなっている。
ここでとくに、日米安保体制が戦後日本の存立の基盤であるということ。その最大の実体的要が沖縄軍事分離支配体制だということ。それゆえ、米軍基地撤去を基軸とした沖縄・安保闘争の爆発と発展は、日本帝国主義を破綻させ、打倒していく戦略的実体的要であり、日本革命に勝利していく最短水路である。
米軍再編粉砕・改憲阻止のたたかいを基軸にして、「米軍基地撤去=沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒」の戦略的たたかいを圧倒的に物質化し、爆発・発展させていこう。

沖縄問題の本質―帝国主義の差別構造の一環をなす独特の「民族」問題

沖縄闘争の歴史的勝利を実現していくために、沖縄問題の本質をとらえ返し、その解決=解放の条件を主体的につくりだしていく必要がある。沖縄問題とは、日本帝国主義の差別構造の一環をなす独特の「民族」問題である。
沖縄は、中国の冊封体制と徳川の封建的幕藩体制・鎖国政策の下で、薩摩の属領支配体制における「独立国」としてあった。日本帝国主義は、そのような琉球国の「異民族」的あり方を歴史的与件として、琉球処分.をもって暴力的・差別的に日本の支配体制に組みこんだ。それを帝国主義段階への推転の過程で差別的構造として再編した。それ以来、沖縄戦を経て、戦後の米軍支配と「復帰」後の今日に至るまで、沖縄は、さまざまな差別と抑圧の過酷な歴史と現実におかれてきた。日本帝国主義によって、このように歴史的に形成されてきた沖縄差別構造こそ沖縄問題の本質である。
したがって、沖縄問題の根底的・全面的解決は、日帝の沖縄差別政策をうちやぶっていくこと、すなわち日帝を打倒し、日本革命を実現していくこと以外にはありえない。

沖縄闘争の主体的条件 

沖縄闘争勝利のための主体的条件を明確にする。
@日帝の沖縄差別政策の矛盾と犠牲をもっとも直接的・集中的に被っているのは、沖縄人民、とりわけ基地労働者である。したがって沖縄の労働者階級のたたかいを基軸とした沖縄人民にとって、米軍基地撤去のたたかいを柱にして、日帝の沖縄差別政策とたたかうことが、沖縄の歴史的解放の唯一の道である。
このたたかいは、在「本土」沖縄人民と「本土」の労働者階級・人民大衆のたたかいとが結合していくことによって物質化していく。
A沖縄闘争のもうひとつの主体的担い手は、在「本土」沖縄人民である。それは、沖縄出身者とその「二世・三世」はもとより、広義には奄美出身者とその「二世・三世」もふくんでいる。
日帝の沖縄差別政策による恒常的貧困状況から、海外への移民と「本土」への出稼ぎ者が生みだされた。「ジン、モウキティ、クゥヨー!」(お金をかせいでかえってきてネー!)と家族とのつらい別れで見送られた彼らは、沖縄にかえることもできずに、外国や「本土」に定住せざるをえないものも数多くいた。「一世」はもちろんのこと、「二世・三世」もふくめて、彼らも、日帝の沖縄差別政策の犠牲的存在なのだ。県人会運動を基礎とした在「本土」沖縄人民の運動とたたかいは、沖縄現地のたたかいと一体の沖縄解放のための不可欠の一環である。在「本土」沖縄人民にとって、現地のたたかいと連動し、相呼応しながら日帝の沖縄差別政策とたたかい、「本土」人民のたたかいと結合していくことが、唯一の自己解放の道だ。
Bさらに、沖縄闘争の勝利のために絶対にハッキリさせなければならないことは、「本土」の労働者人民にとって、沖縄闘争を自己解放の不可欠の課題としてかかげてたたかっていくことである。日帝の沖縄差別政策は、「本土」の労働者人民が沖縄人民と分断され、意識的であれ無意識的であれ、あるいは好むと好まざるとにかかわらず、沖縄人民に対する差別者・抑圧者としての立場におかれていることによって、維持され、つらぬかれている。沖縄差別やあらゆる差別による、日帝の差別・分断支配に屈服・加担させられることによって、労働者人民はみずからその犠牲とならざるをえない。そうだからこそ、日帝の差別・分断支配とたたかい、被差別人民のたたかいと連帯・結合し、真のたたかう団結をつくりだしていくことは、労働者人民にとって自己解放を実現していくために必要なことである。
したがって、「本土」の労働者人民にとって、賃労働と資本の関係を転覆していくたたかいを基礎にしながら、同時に、在「本土」沖縄人民や沖縄現地の人民大衆のたたかいと一体となって、沖縄にたいする日帝の差別・分断支配とたたかい、沖縄闘争を発展・勝利させていくことは自己解放の必須不可欠の課題だ。

辺野古を先頭に沖縄闘争と改憲決戦の大高揚を

マルクス主義・レーニン主義の立場から、日本革命勝利の戦略的要として確立した路線が「米軍基地撤去=沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒」の戦略的総路線である。それは、「たたかうムスリム―アジア人民と連帯し、日帝の侵略を内乱へ」の戦略的総路線と一体のものである。
辺野古新基地建設阻止、教科書改ざん攻撃粉砕、米軍犯罪弾劾のたたかいを、米軍基地撤去=沖縄奪還のたたかいとして大爆発させていこう。このたたかいは、米軍再編阻止・安保粉砕のたたかいでもある。そしてまた、改憲阻止決戦の重要な環である。
真の階級的労働運動の展開を基礎にし、沖縄人民、在「本土」沖縄人民、「本土」の労働者人民が一体となって、日本革命をたぐりよせよう。(島袋 徹雄〔関西沖縄闘争組織委員会〕)

4面

「在日」雑感 −FS生

「在日の方」「在日の歴史」「在日の視点」などというとき、その「在日」はあきらかに、ある人間集団をさしている。「在日」である私ですら、ときに「われわれ在日は…」などというのだから、「在日」は当事者内外に定着した単語、または符牒(ふちょう)となった。在日朝鮮人、在日韓国人、在日韓国・朝鮮人、在日コリアン、どのように呼称しようが、われわれは「日本の植民地支配に端を発して、朝鮮半島から日本列島に移住、または強制連行された人間とその子孫」である。「在日」とは、そのような人間集団をさす。
戦前の帝国主義日本にとって、植民地朝鮮が経済的・軍事的要であったことは二言を要さない。安価な労働力と食糧(特に米)の供給基地・大陸侵略への兵站基地としての朝鮮半島は、「帝国安危ノ掛カルトコロ」(大正天皇詔書)でありつづけた。
戦争中、若い兵士が不足すると、日本人男性の徴兵年齢を45歳まであげ、くわえて朝鮮と台湾の男性も徴兵した。いうまでもなく、戦争や原爆の被害は、日本人・朝鮮人などという民族的差異をこえて万人におよんだが、戦後の補償・福祉・年金などの社会的制度には、「国籍差別」が設けられた。
敗戦後、日本女性は参政権を付与されたが、「内地在住」の旧植民地男性の選挙権は剥奪された。つまり女性の「国民化」と植民地出身男性の「非国民化」はセットだったのである。日本国憲法の「何人も」の中に「在日」は含まれない――これが支配者の言い分だ。
百年前、私たちは否応なしに「帝国臣民」に組みこまれ、敗戦と帝国の崩壊で、日本人は臣民から国民になったのだが、「在日」は外国人という身分をあたえられたに過ぎない。いいかえるなら、「在日」は、自分の民族的自立(独立)を主張すると「日本の秩序と法に従え」と弾圧され、人間としての当たり前の権利を要求すると「外国人だからだめだ」と阻まれる。このあまりにも非人間的な処遇の源泉は、どこにあるのだろうか?
「日本人」「外国人」という、日常で生起する表象や常識は虚偽である。「東洋」「西洋」という区別や類型にひとしい偏見に過ぎない。「在日」の歴史的社会的背景そのものが、「日本」という虚偽を告発しているのだ。
革命家諸君! 君はその告発を受け止めるのか、否か?

革共同を取りもどす―私の決意

私は革共同の旗のもとに結集して40年になります。革共同をプロレタリア革命をめざす人間の結集体と信じて生きてきました。
「06年3・14」から2年を迎えようとしています。革共同の革命党としての原点を根っこから問い直さなければならない事柄がつきつけられています。

現場で「中央」の変節を実感

革共同中央の変質について、「まさかそんなはずない。打倒・追放した与田らなど、一部の変節であってほしい」という願望は完全にふきとびました。
革共同の変節の問題には、3・14決起の直後から2年の間、幾度も直面してきました。
07年11・18関西党員総会をめぐる「中央」のやり方―分裂をしかけ、反対者を粛清・追放する―は、すべての労働者人民をうらぎる歴史的大罪でした。
また、昨年夏の全国連弾圧・病院弾圧をめぐる「中央」のあまりにも異常な対応、現場のたたかいを見ようともしないで「○○の発言は混迷している」とか、「弾圧されるのは自業自得だ」などと決めつけるやり方は、権力と必死にたたかう者を背後からたたくという最も卑劣な行為でした。
病院弾圧粉砕闘争を主体的に担っていたにもかかわらず、安田派に走った同志がいます。彼ら・彼女らも、弾圧粉砕闘争の階級的・大衆的高揚と勝利、そして、「中央」から「追放」された同志たちの真実のたたかう姿を多くの大衆とともに見てきました。しかし、彼ら・彼女らは、権力に屈服した輩(やから)と野合し、「中央との一致」の名のもとにみずから腐敗をふかめています。
07年の『前進』新年号、そして「7月テーゼ」をとおして、「中央」が、反スターリン主義・革命的共産主義運動を解体・放棄し、反帝国主義・反スターリン主義プロレタリア世界革命の基本戦略と戦略的総路線を投げすてたことを、私は、たたかう現場で感じとり、確信をもちました。

仲間とともに原点からやり直す

自分が革命的立場をうち捨てるのか、自分たちが生みだしてきた「中央」を、もう一度、革命運動の原点に返って取りもどすのかが、自分につきつけられました。
11月関西党員総会を前後する時期は悩みました。数十年間の革共同の歴史は自分の歴史そのものでもあります。なし得たこととなし得なかったこと―なし得なかったことの方が圧倒的に多いですが、革共同のもとに結集した原点からやり直す決意をかためるのはそう簡単ではありませんでした。
しかし、3・14決起以降、ともにたたかってきた同志たちの顔、多くのたたかう大衆の顔を思い浮かべ、この人たちといっしょにやっていけばいいのだと腹をかためました。日頃、ともに闘う友人に、「革共同の悪い癖は、自分ひとりがえらいことをやっていると錯覚していることにある」、「革命運動も大衆運動も大衆自身がたたかう運動だろう。ひとりで、何ができるのか」といわれてきましたが、背中を押してくれる言葉でした。
「70年7・7自己批判」の思想と立場は、革共同が、日本と世界の労働者人民とともに生きていく「みちしるべ」のようなものだとつくづく思います。
全国の同志のみなさん、たたかう仲間のみなさん、ともにたたかいましょう。(福西 功)

国家による虐殺だ 「心神喪失等医療観察法」

「心神喪失等医療観察法」によってとうとう犠牲者がでた。昨年12月14日、佐賀県の国立病院機構肥前精神医療センターで、「医療観察法病棟」収容患者が逃走の果てに、元自宅のあった近くにもどり鉄道「自殺」した。
私は、この「死」は、病院の医師・医療スタッフと厚生労働省をはじめとする医療観察法推進派によって殺されたものだと考える。「犯した事件への反省」を強要する「医療ならざる医療」のなかで、すさまじい絶望があったと見てとれる。「死」によってしか保安病棟から逃れるすべがなかったのではないかと疑われる。
厚生労働省は、「医療観察法は社会復帰していただくための手厚い医療をしているから本人の利益であり保安処分ではない」と言い逃れてきた。「本人のための医療」というのが全くのぎまんにすぎないことが暴露された。現実に「予防拘禁と不定期刑」である「死にまで追いつめる医療ならざる医療」がおこなわれていた。これは保安処分だ。

人質医療をやめろ

私たちは、「医療観察法」は患者を人質にとり、「解放されたければいうことを聞け」と強制するもので、医療とはいえない「人質医療」だと糾弾してきた。そこには、国家権力の暴力を背景にした医者による患者への暴力的支配のみがある。いまも保安病棟では、約350人が苦しんでいる。
私たちは、今回の事件の真相を労働者人民の前に明らかにすることを求める。(吉村隆生)

解説  心神喪失等医療観察法の正体は保安処分

03年7月成立、05年7月施行。

他害行為を行ったとされる被告は、それまでは、事件当時に「心神喪失・心神耗弱」であって刑事責任を問えないと判断されれば、「措置入院」等の強制入院となってきた。しかし01年6月の「池田小事件」を契機に、「精神障害者」にたいする差別が扇動され、この法律が成立した。
この法の定める手続きは、簡易鑑定等で刑事責任をとえないとされると、被告を23ヵ月間、鑑定入院させて、裁判官と精神保健審判員(原則的に精神科医がなる)が、強制入院か強制通院、ないしは「医療の必要なし」の判断をくだす。被告には「付添人」として弁護士がつくが、審判は非公開である。
ひとたび「入院」の審判がくだされれば、「再犯のおそれ」がないと判断されるまで、退院できない。しかし精神医学的には、再犯の予測など不可能であるとされている。
国は1960年代から、あらたな保安処分施設の建設をねらっていた。全国にこの法による入院を受けいれる施設の建設が進められている。しかし反対運動の力で遅延している。

保安処分との攻防

「保安処分」とは社会防衛のため、治安を乱す危険があるとされる者を、犯罪行為の実行の有無にかかわらず、「治療」「改善」のために拘禁することだ。「予防拘禁と不定期刑」と称される。
戦後、61年「刑法改正準備草案」が「精神障害者による犯罪の防止」を目的に出され、74年、法制審議会が「改正刑法草案」を答申し、そこに「治療処分」「禁絶処分」があげられていた。81年におきた「新宿バス放火事件」を口実に、政府は保安処分の国会上程を宣言した。90年に厚生省が「医療で対応する」という方針をうちだし、「処遇困難者病棟」新設の動きがはじまった。全国の入院患者のうち「病院があつかいにくい」とする者を対象に、特別施設をつくるというものであった。このような攻撃のたびに反対運動があって攻撃をとん挫させてきた。
政府は99年、精神保健福祉法改定時に保安処分制度の検討を付帯決議とした。このような流れの中で、01年「池田小事件」が起きた。当時の小泉首相が事件直後に「刑法改悪= 保安処分新設」をさけび、医療観察法の成立へと進んだのである。

要請

(以下の文章をコピー、またはこれをもとに文章を書いて抗議ファックスを送って下さい)
抗議先: 厚生労働省社会・援護局障害保健福祉部精神保健福祉課医療観察法医療体制整   備推進室 室長殿
ファックス番号 03-3593-2008
            記
肥前精神医療センターの心神喪失等医療観察法専門病棟の患者の自殺事件の真相究明を求める。闇から闇に葬ることは許せない。
厚生労働省は、1 月にとどいている肥前病院のだした報告書の秘匿(ひとく)をやめて公開するべきだ。
肥前精神医療センターのつくる第三者評価委員会につき、すべての情報を一般に公開することを要求する。また第三者評価委員会の報告がでたときには、できるだけくわしい資料とともに、ただちに公開することを要求する。
奈良県の松籟荘病院を始め、建設中・建設予定の医療観察法病棟の建設中止を求める。また、すでに開棟している病棟の運用中止を要求する。保安病棟にいるすべての患者を解放せよ。

編集委員会より

たたかいの現場から様々な投稿がよせられていることに感動し感謝いたします。
『革共同通信』は、読者のみなさんによってつくられる新聞です。帝国主義の支配の現 実、労働者階級の現実、そしてその現実を変革する主体が、すべての現場に存在してい ます。そこから発せられる声を、是非、『革共同通信』に反映させようではありません か。そこから新しい変革の潮流をつくり出そうではありませんか。さらに投稿をお願いします。