海自イージス艦が漁船を「撃沈」
自衛隊の侵略軍隊化が原因だ
「小型船と家族を奈落の底に落としたうえに、現実とちがう説明をする海自に大きな憤りを感じる」(外記・新勝浦漁協組合長)
2月19日早朝、海上自衛隊イージス艦「あたご」(舞鶴基地)が、千葉県房総半島沖で漁船団につっこみ、「清徳丸」を大破・沈没させ、乗り組んでいた親子2人が行方不明となる大事故をひきおこした。事故の一切の責任は、「あたご」が衝突回避行動をとらずに直進したことにある。
軍隊は人民を守らない。このことが、沖縄だけでなく本土でも突きだされた。
「(あたごは)私の表(前方)をあけろという風に走っていた」(僚船の船長の証言)
「愛宕」一月にミサイル発射訓練
「あたご」は、朝鮮・中国侵略戦争と核先制攻撃のための最新鋭の軍艦である。ミサイル防衛のための最新鋭レーダーと、同時に多数の目標と交戦できる機能を搭載している。 しかも、「あたご」は、昨年11月から今年1月下旬まで、ハワイ沖で対空ミサイル発射訓練をおこない、そこからの帰還途中だった。「あたご」は、まさに軍事行動を継続中だった。だから、「船舶銀座」といわれる海域に近づき、漁船団を探知していたにもかかわらず、自動操舵のまま10ノット(時速18キロ)で直進をつづけた。
「清徳丸」の僚船の船長によれば、「私の表( 前方) をあけろという風に走っていた」という。規定で5回発すべき汽笛も船長たちはきいていない。7 7 0 0 dの「あたご」はまったく回避行動をとらなかった。ほとんど直角に激突された7・3dしかない「清徳丸」の船体は、真っ二つにひきさかれた。
「あたご」の行動は、海事法をまったく無視していた。それは、「たるんでいる」といった類のものではない。「あたご」は、漁船団の存在を充分前から認識していた。しかし回避行動をとろうなどとは最初から考えていなかった。軍事が一切に優先する。軍艦が航行しているときは民間の方がよけるのは当然だ。.これが「あたご」の態度なのである。まさに自衛隊は帝国主義軍隊、侵略軍隊となっているのだ。
石破防衛大臣は即刻辞任せよ
事故後の防衛省と石破の対応はさらに許しがたい。
漁船に気づいたのは「12分前」と確認しながら「2分前」とウソをつき続けた。しかも、石破は、事故直後に、行方不明者の捜索などそっちのけで、「あたご」の航海長をヘリでよびつけて、事後対策を協議していた。
これは、「隠蔽体質」などで済まされる問題ではない。自衛隊も防衛省も、国家の権益と威信を守るためならば、人民の犠牲などまったく顧みようとしない。いやむしろそれを脅かすものとして、人民を敵視している。だから、人民にたいして本当の情報など教えないし、遭難者の捜索など二の次なのだ。
”自衛隊は「ウォータイム(戦時)」にある”(05年10月 先崎統合幕僚会議議長)
海自は、事故の直後の2月21日、インド洋で給油活動を再開している。偶然ではない。
ここに一切がいいあらわされている。字義どおり、自衛隊は、すでに戦争をおこなっていることを強烈に自覚している。
とめよう戦争への道! 百万人署名運動関西連絡会などのたたかう仲間は、22日に近畿防衛局(大阪市中央区)と陸自第3師団(伊丹市)に抗議行動をおこない、23日には、沖縄での女子中学生暴行事件とあわせて、大阪駅前で抗議の街頭宣伝をおこなった。自衛隊兵士たちにも訴えて、侵略戦争阻止、改憲阻止のたたかいをまきおこしていこう。
沖縄 3月23日に県民大会
3月23日(日)に「米兵による少女・婦女子への暴行事件に抗議する県民大会」を開催することが実行委員会によって決定された(要項参照)。
昨年9月29日には、沖縄戦で日本軍による沖縄人民の「集団自決」(集団強制死)の強制はなかったとする教科書改ざんにたいして、沖縄人民の怒りが燃え上がり、12万人の県民大会が開かれた。
その上に、今回の米兵による女子中学生暴行事件である。沖縄人民の怒りは、我慢の限界をこえている。沖縄人民は、「なぜ沖縄だけが、米軍基地の犠牲にされなければならないのか」と怒っている。
本土のたたかいが問われている
問われているのは本土のたたかいである。この沖縄人民の怒りと糾弾にこたえよう。沖縄人民のたたかいに連帯して、沖縄米軍基地の全面撤去をかちとろう。沖縄への新基地の建設を阻止しよう。沖縄戦の教科書改ざんを許すな。
3月23日沖縄県民大会に本土から合流しよう。職場・組合、地域・学園に沖縄闘争をもちこんで、3月23日に、沖縄県民大会に連帯する本土の行動にたちあがろう。
2月29日、女子中学生にたいして暴行し、検察によって拘束されていた米兵が不起訴・釈放された。被害者が告訴を取りさげたという。被害者である女性が、事件後にさらに女性差別の煽動にさらされ、告発・糾弾の声を押しつぶされるという事態が起こっている。
被害女性の痛みと悔しさを受けとめ、元凶である基地の撤去をさらに強く決意しなければならない。
2月29日 空自空中給油機の小牧配備に反撃
2月29日、空中給油機KC767の1号機が、小牧基地に配備された。
空中給油機の配備によって、航空自衛隊の作戦範囲が一気に拡大し、東アジアから中東にまでおよぶ。米軍と一体化して、世界中で侵略戦争に参戦していく。
この日、「とめよう戦争への道! 愛知連絡会」、「とめよう戦争への道! 百万人署名運動関西連絡会」などの団体が、小牧基地ゲート前で抗議行動をおこなった。
2面
闘う闘争団が48時間ハンスト(国鉄2・14〜16)
JR神戸駅前 のべ330人が参加
2月14日から16日にかけて、JR神戸駅北側広場において、闘う闘争団と国労組合員が48時間ハンガーストライキをおこなった。このハンストに参加した闘争団は、佐賀闘争団の大串さん、長崎闘争団の野口さん、熊本闘争団の蓑田さんの3人である。私も国労組合員として彼らとともにハンストに参加した。
今回の48時間ハンスト(主催:国鉄闘争支援兵庫県実行委員会)は、次の4つの目的を掲げて行われた。
@解雇撤回の国鉄闘争、JR福知山線事故の責任追及、民営化問題を市民にアピールする。
A労働組合、労働者に国鉄闘争の意義を訴え、労働者自身の問題としてともにたたかう仲間としてたちあがる。
Bはたらくものの権利・人権をまもるために労働法制改悪、憲法改悪に反対する。
C原告当事者としての意思やおもいを行動をつうじてたたかう決意をかためる。
このハンストをよびかけた大串潤二さん(鉄建公団訴訟原告)は自らの決意をちからづよくかたった。(別掲)
2・14ハンスト突入
2月14日、午後1時からハンスト突入集会がおこなわれた。自治労兵庫県本部や兵庫県職員労働組合など60人をこえる仲間が見まもるなか、3人の闘争団員が固い決意を表明して48時間のハンストに突入した。JR神戸駅前の広場には、テントがはられ、スローガンを大書した横断幕がひろげられた(別掲)。
テントには退勤する労働者や応援にきた労働者がいれかわりたちかわり激励の声をかけてきた。「1時間だけでも」といって、いっしょにすわりこむ労働者がつぎつぎにおとずれてきた。ハンスト第1日目は、じつに114人の仲間がともにたたかった。
翌15日は、テントでビデオ「国鉄分割・民営化の真実」の上映をおこなった。この日は多くの現場の国労組合員がかけつけ、テントの中はすしづめとなり、すわる場所がなくなるほどだった。
午後3時すぎに、春闘行動中の関西合同労組の仲間が多数激励におとずれた。代表して石田委員長が「国鉄闘争はすべての労働者の未来がかかった課題です。ともにたたかいましょう」と決意をのべ、ともに街頭宣伝行動をおこなった。
夜8時過ぎには武庫川ユニオンの仲間がおとずれ「インターナショナル」や「がんばろう」を合唱し、エールを交換した。2日目は前日をこえる141人の仲間が闘争に参加した。
2月16日の悔しさを忘れない
21年目の2月16日、ハンスト最終日。
この日は、国鉄労働者にとって決してわすれることのできない日である。長崎闘争団の野口さんは、1987年2月16日に、駅長室によばれ当局から採用通知がきてないことを告げられた。「なぜ、採用通知がこないのか」と追及したが、駅長は沈黙するのみであった。あげくのはてに、管理者2人に両腕をつかまれて駅長室からおいだされた。そのときの怒りと悔しさをつい昨日のことのようにかたった。その場にいた国労組合員のだれもが、当時の記憶を生々しくよみがえらせ、怒りをあらたにした。
12時30分から行われた集約集会では、48時間のハンストを貫徹した闘う闘争団から決意表明がおこなわれた。
熊本闘争団の蓑田さんは「多くの仲間が支援してくれた。このたたかいを大きくしていくためにも3月26日から28日、JR新大阪駅付近でハンストをおこなうので支援を」と訴えた。
3月25〜28日JR新大阪のハンストへ
長崎闘争団の野口さんは、夜さむくてねられなかったことを冗談まじり話した後に「闘争団の要求は、雇用、年金、解決金の3本柱であり、一日もはやく、そして納得のいく解決をめざしてたたかっていく」とかたい決意をかたった。
佐賀闘争団の大串さんは「ハンストを取り組んで本当によかった」と感想をのべ「3・13に予定されている、鉄道運輸機構を相手どった第二次訴訟の判決では、05年9・15判決や08年1・23全動労判決を上まわる勝利をかちとりたい。そのためにも大衆闘争を強化しよう」とさらなる支援をうったえた。
今回のハンストには3日間で330人の労働者が参加し、大きな成功をかちとることができた。なによりも闘争団と現場の国労組合員がひとつとなってたたかったことが大きな成果であった。
われわれは必ず国鉄闘争に勝利する―これが私がハンストに参加して得た決意と確信だ。2月15日の鉄建公団控訴審公判(東京高裁)では、敵性証人としてJR東海の葛西会長を6月2日に証人喚問することが決定した。今年は国鉄闘争にとって重要な年である。政府とJRを徹底的においつめよう。(国労組合員T)
点から線へ、線から面へたたかいをひろげよう 佐賀闘争団・大串潤二さん(鉄建公団訴訟原告)
国鉄分割・民営化から21年が経過しようとしている今日、1047人の被解雇者はすでに46人が志半ばで亡くなっています。そしていまだに解決をみようとしていません。暗闇の中にはいろうとしていた国鉄闘争は鉄建公団訴訟によって、光明がみえてきました。2005年の9・15判決がそうです。
今年は1月23日に全動労・鉄道運輸機構訴訟の判決がだされ、3月13日には、国労の二次訴訟の判決が相次いでだされます。たたかいは3月でおわるわけではありませんが、 この時期を全力でたたかってこそ次への展望がひらけます。私は、たたかう決意をあきらかにするため、不採用通告の日である2月16日にむけて、48時間のハンガーストライキを実施することにしました。
ハンストをしたからといって情勢がかわるとおもいませんが、なにもしなかったら絶対にかわることはありません。点から線へ、線から面へ拡げるためのたたかいの一翼をになえればとおもい、決意しました。
48時間ハンストのスローガン
・政府は採用差別事件の全面解決をはかれ
・政府・旧国鉄は法違反を認め、謝罪せよ
・JRは安全をまもり、脱線事故の責任をとれ
わたしたちは労働者だ 関西トランスポート解雇撤回の教訓(上)
昨年9月28日、神戸地裁は、加古川郵便局(兵庫県加古川市)で小包配達を行なっていた労働者に対する解雇を無効とする判決を下した。この画期的な判決をかちとった関西合同労働組合・関西トランスポート分会の辻本靖紀分会長から話を聞いた。(編集委員会)―辻本さんが労働組合に入ったきっかけはなんですか?
私は01年10月から加古川郵便局の小包配達業者のもとで働いていました。その業者が02年12月に撤退して、翌03年1月から関西トランスポートが後継業者として入ってきました。
関西トランスポートになってもっとも大きな変化は、それまで月給制だったのが小包一個配達完了して105円という完全出来高払いになったことです。
―賃金はどうなりましたか?
月3万円から4万円くらいさげられました。しばらくはがまんしていましたが、半年ほどすると会社が私に「請負契約書」にサインしろと言ってきました。わたしはてっきり労働者として雇用されていると思っていましたから、これはおかしいと思い、関西合同労組に相談にいったのです。
―すぐ会社と交渉をはじめたのですか?
いえ、しばらくは組合に加入したことは会社に秘密にして、配達員の中で仲間をつくることにしました。
―仲間づくりはうまくいきましたか?
それがなかなか大変でした。職場でみんなの不満を代表して会社に意見を言ったりしていたのですが、すぐには組合の拡大につながりませんでした。
―その流れが変わったのはいつから?
04年10月にスタートした『ゆうパックリニューアル』からだと思います。これによって労働時間が延長され、賃金は実質的にさげられました。おまけに郵便局による配達員への締めつけがきびしくなり、配達員はみんな、がまんの限界にきていました。
―組合結成のきっかけは何でしたか?
直接のきっかけは、郵便局が『ひげを生やしている』とか『ネクタイを締めていない』ということを理由に私を職場から追い出そうとしたことです。私は会社にハッキリとモノを言ってきましたから、目をつけられていたのです。『攻撃は最大の防御なり』ですから、会社に労働組合として団体交渉を申し入れました。それが05年3月のことです。
―職場の仲間の反応はどうでした?
最初は私ひとりの旗あげでしたから、不安はありました。しかし、『人らしい生活をできる賃金を要求しよう』と呼びかけると10人いる配達員全員が賛同してくれて、すぐに8人が組合に加入しました。とくに自分の車で配達している人が全員加入したのにはびっくりしましたね。
―それはどうしてですか?
車持ち込みの人は自分で営業許可を取っていて、車には○○運送という屋号を書いています。はたから見ると「自営業者」としかうつりません。ですから「車持ち込みの人は労働組合には入らないだろうな」と勝手に思っていました。ところが車持ち込みの人たちこそが職場でいちばんの犠牲になっていて、その怒りも人一倍で、まっさきに組合に入ってきたのです。そこで組合は、「同じ職場で同じ仕事をしているのだから、『車持ち込み』でも同じ労働者だ」と確信 しました。そして会社にたいして「組合員全員が雇用関係にあることを認めろ」と要求することで全員が一致できました。この要求はいまでも団結のかなめになっています。
―その組合結成からわずか2ヶ月後に全員解雇を通告されたのですね。
小包配達員の組合ができたことに郵便局は大あわてしたようです。郵政公社近畿支社の支社長は、「郵便局に刺さったトゲがある」と言ったそうですが、そのトゲが私たち関西合同労組でした。
―解雇を主導したのは郵便局だということですか?
そうです。私たちは解雇撤回をかかげて05年6月に加古川郵便局で2波にわたる小包スト(写真)を行ないました。そのとき、違法なスト破りをやったり、組合員から仕事をとりあげたり、脱退工作をやったりと組合の切り崩しに全力をあげてきたのが郵便局でした。
―それに組合は耐え抜いたわけですね。
本当に大変だったのは解雇後でした。仮処分裁判の判決は車持ち込みの組合員を労働者と認めませんでした。しかし『全員の雇用関係を認めろ』という要求を堅持して、みんなで励まし合いながら労働委員会と裁判をたたかいました。〔次号に続く〕
強制配転とたたかう郵政労働者
2月6日、神戸地裁において日本郵政公社を相手に損害賠償を請求する裁判の公判がおこわれた。
この裁判は、05年9月郵政公社がJ PU(日本郵政公社労働組合)阪神東支部(兵庫県)の酒井浩二支部長(当時)を「人事交流」の名目で兵庫・尼崎郵便局から大阪西郵便局に強制配転したことは不法行為にあたるとして、本人が提訴したものである。この裁判闘争の意義を報告する。
ゆうメイトの雇い止めをストップさせた
酒井さんは、支部長に選出された05年7月からわずか2ヶ月で、県をこえて兵庫から大阪へ強制配転された。
これは異例のことであった。JPU阪神東支部は、ゆうメイト(非常勤職員)の労働条件向上に積極的にとり組んできた。酒井さん自身も、尼崎地区労働組合人権平和センター(尼崎地区労)議長として、また武庫川ユニオンの役員として、ゆうメイトの雇い止めを阻止するなどの先進的なとり組みをおこなっていた。当時の近畿支社はこのようなJPU阪神東支部の活動を嫌悪し、その弱体化をねらって酒井さんを強制配転した。不当労働行為そのものである。
それまで郵政公社は支部三役(支部長、副支部長、書記長)の「人事交流」にかんしてはJPU近畿地方本部の意見を配慮してきた。しかし酒井さんにかんしてはJPU近畿地本をまったく無視して強制配転を発動したのである。
ところが、辞令の発令直前に近畿地本主催でおこなわれた抗議集会で当時の書記長は「JPU部外の組織の運動とかかわった阪神東支部の運動に問題があった」と発言し、参加者の憤激をかった。
この人物はこの発言が影響してか、昨年の臨時全国大会の代議員選挙で見事に落選したのである。06年5月、酒井さんの強制配転を容認したJ PU 近畿地本にかわって尼崎地区労と武庫川ユニオンが「酒井さんの県外への強制配転によって活動実態に大きな損害をこうむった」として損害賠償裁判を提訴した。
これに先立って05年12月に「郵政職場の不当労働行為を正す会」(略称「正す会」)が発足し、毎回の公判闘争をささえている。
裁判は06年9月の第1回公判以来、ほぼ2カ月に1回のペースで行われている。毎回の公判には近畿各地の郵政労働者や組合活動家がかけつけて45席の傍聴席を埋め、廊下にも人があふれている状態である。また公判後に開催される総括集会では、各地の闘いの報告や訴えがおこなわれている。いまや「正す会」は近畿のたたかう郵政労働者の重要な結集の場となっている。
郵政公社の不当労働行為を暴きだす
2月6日の第9回公判は、武庫川ユニオン書記長の小西純一郎さん、酒井さん本人、そして尼崎郵便局の大槻副局長(当時)の3人の証人尋間がおこなわれた。裁判の最大の山場ということもあり、各地からかけつけた仲間はじつに130人。45席しかない傍聴席は3回の入れ替わりをみとめさせ、全員傍聴の態勢がとられた。
最初に証言にたった小西さんは非正規雇用問題に武庫川ユニオンとしてとり組むにいたった経緯と酒井氏のはたした役割の大きさを証言した。
昼休みをはさんでいよいよ酒井さんが証人席についた。酒井さんは、ゆうメイトの雇い止めを武庫川ユニオンと連携して食いとめた経緯や、尼崎地区労の分担金をJ PU 近畿地本が支払っていたことを証言し、郵政公社は酒井さんが尼崎地区労議長であり、武庫川ユニオンの役員であったことを当然知っていたことをあきらかにした。さらに、白井尼崎市長が尼崎局の「一日郵便局長」に就任した際、この依頼を尼崎郵便局長(当時)が、尼崎地区労議長でもあった酒井さんを通じておこなっていたと証言した。この証言は郵政公社側が不当労働行為意思をおしかくすために、その答弁書に「原告が尼崎地区労議長であり、武庫川ユニオンの役員であることはまったく知らなかった」と書いていたことが、まったくのウソであることを暴きだした。
最後にでてきた大槻証人は、公社側の答弁書の通りに「知らぬ、存ぜぬ」の一点張りに終始。「よくあんなウソを平気で言えるな」と傍聴者の怒りをかっていた。この大槻なる人物は、近畿支社人事部管理課から05年7月に尼崎郵便局副局長となり、酒井氏を強制配転した後にふたたび近畿支社にもどり、業務管理部担当部長へと「栄転」した男である。まさに「郵政労働者の敵」だ。こんな輩(やから)をいつまでものさばらせてはおくものか。
「解雇の不安」を取りのぞくために
公判終了後、「正す会」の第3回総会がひらかれた。酒井さんは「不安定雇用のゆうメイトにとっては労働組合がどのように彼らから『解雇の不安』をとり除いてくれるのかが重要だ。そのためにあらゆるチャンネルをとおして、全力をつくすのが労働組合の役員の使命だ。労働運動が働くものの希望となるようにがんばっていきたい」と労働運動の再生への決意をかたった。
次回公判は、3月26日(水)10時半から最終弁論が予定されている。判決は5月の連休明けではないかといわれている。「人事交流」= 強制配転や民営化をのりこえてたたかいつづけているのが酒井裁判闘争である。ここにあつまっている郵政の組合活動家たちと彼らの背後にいるぼう大な仲間たちは、民営化に屈しない郵政労働者の中心部隊である。かれらの先進的な取り組みに謙虚に学び、ともにたたかいの勝利をつかみとっていこう。(全逓労働者E)
郵政職場の不当労働行為を正す会( 略称「正す会」)
●個人会員 一口千円
●振込先口座名 郵政職場の不当労働行為を正す会
郵便振替00930−7−297954 近畿労働金庫尼崎支店
普通)4939285
●事務局 尼崎地区労 尼崎市東難波町4−18−23
電話 06−6481−2341 FAX 06. 6481. 4727
星野さんを取りもどそう
1月26日、兵庫・星野文昭さんを救う会の徳島刑務所・現地調査にはじめて参加した。車で2時間近くで徳島へ。地元の「救う会」の出迎えをうけ、刑務所に向かった。
現地では、「昨年11月16日に起こった徳島刑務所暴動の首謀者の逮捕」の報道に接した。イラクのアブグレイブ刑務所を想起させるような虐待をうけていた受刑者たちがやむにやまれぬ抗議にたちあがった。徳島刑務所・第2工場の半数が参加したという。この徳島刑務所で星野さんが非転向・長期の獄中闘争をたたかっている。
徳島刑務所が一望できる西竜王山の中腹にのぼった。眼下手前の舎房に星野さんがいる。前日の雪がのこり、極寒の監獄の星野さんを思った。
山をおりて刑務所の正面にむかった。しかし、土曜日のため面会も差し入れもかなわなかったため塀の外から星野さんを激励した。
星野さんとともにたたかった者として
71年11月、沖縄返還協定批准に反対する渋谷暴動闘争。デモ隊の指揮者であったというだけで、星野さんは、警官殴打の実行犯にデッチあげられた。
私は、当時、日生劇場へむかう激闘の現場で、星野さんと目線で檄をかわした。それを最後に別れわかれとなった。以来、33年にもわたって星野さんは拘留されている。それを許してきた悔しい現実を痛切に反省したい。もうこれ以上、一時も拘留を許してはならない。
C型肝炎訴訟の原告団が、裁判闘争と大衆的闘いで福田政権を追いつめたように、星野救援の運動をひろげ、再審無罪・奪還しよう。
兵庫・星野文昭さんを救う会は、多くの地域や労組へ署名をもちこみ、毎月の神戸・元町街頭署名をつみかさね、ついに昨年11月に「救う会」を結成した。今回の刑務所現地調査を契機に、賛同人の拡大にまい進している。私たち会員も全力でたたかう。(兵庫「救う会」K)
国際婦人デー100周年によせて
1908年3月8日、ニューヨークで繊維産業の女性労働者1万5千人が、非人間的なあつかいと低賃金・長時間労働の改善を要求してデモにたちあがった。3・8国際婦人デーのはじまりである。
100年後のいま、かつてとおなじ非人間的な格差社会がひろがっている。戦争と基地、貧困が多くの命を傷つけ奪っている。日本初のストライキは女工のストだった。1917年ロシア革命は、3・8の女性のデモからはじまった。いまふたたび社会をかえる女性たちの大きな行動のときがきた。
国際婦人デー100周年の今年3月、関西でも女性たちが行動をよびかけている。ぜひいっしょに行動しよう。
女性のかかえる矛盾は巨大な内乱の火種
非正規雇用の矛盾が集中
労働者階級全体がこのままでは生きていけないと感じている。なかでも女性労働者は、拡大する非正規・不安定雇用の中軸に位置づけられ、その矛盾の最大の集中点になっている。
非正規雇用労働者の実に7.8割を女性がしめる。生きるために、低賃金のかけもち仕事や長時間労働をせざるをえず、コンビニやスーパーのレジで、子どもを寝かしつけてから真夜中まで働く若い母親がふえている。派遣労働者は、契約うちきりのおどしのもとで正社員の半分以下の賃金で働かされている。
セクハラが横行し、抵抗したら即解雇、妊娠・出産で解雇も頻発している。ようやく正職になっても深夜まで昼食もとれずに働く若い女性たちも多い。疲れ果てても休めず、病院にもいけない。妊娠しても検診にもいけない。結婚や出産どころか、本当に過労死すれすれで命をつないでいる。
新自由主義政策がもたらす矛盾
これは「時代の流れ」とか各自の能力のせいではない。帝国主義の新自由主義政策として、全労働者階級にかけられている攻撃なのである。
1985年の男女雇用機会均等法、労働者派遣法の制定にともなう労働基準法改悪を手はじめに、母性保護の剥奪を柱として労働者の権利がつぎつぎとうばわれた。「機会均等」の名のもとに、女性の深夜労働が解禁され、生理休暇などは有名無実化された。派遣法の相次ぐ改悪で、多くの女性労働者が物のように売り買いされはじめ、それは全労働者に拡大した。保育所など自治体事業の民営化は、多数のパート労働者の解雇をもたらし、女性から比較的安定して働ける職場をうばい、子育ても福祉も金次第というとんでもない現実をうみだしている。
堤防決壊ともいうべき今日の労働者の権利の崩壊は、女性労働者の権利剥奪からはじまったのである。
さらに、昨年12月の日本経団連・経労委報告は、正規・非正規の差別賃金を正当化し、「女性、高齢者、外国人労働者を活用」した不安定雇用の拡大を求めるとともに、「ワーク・ライフ・バランス」といって、女性にいっそうの「仕事と家庭の両立」をせまっている。
資本主義では解決しない二重の負担
新自由主義政策は、労働者の権利や保護、福祉を資本の国際競争の邪魔として無慈悲にはぎとるとともに、階級支配の危機を補完するものとして家族制度・家族イデオロギーを強めていく。
労働者家族は、保護も福祉もないなかで「もっと働け、もっと家庭を大事にしろ」と要求される。それは、女性労働者に命を削りながら仕事と家庭を「両立」するか、片方を放棄するか―しかしどちらも放棄できない―という二重の矛盾を強いるものとなるしかない。
女性労働者が、この二重の苦しみから本当に解放されるためには、資本主義= 帝国主義をたおす以外にない。暴力革命によって、資本家階級の独裁を労働者階級の独裁にかえ、私有財産制度とこれにもとづく家族制度を廃止すること。すべての生産手段を社会の共有とし、子どもを産み育てることも含めたすべての労働が共同で行われ、共同で享受することができる社会= 共産主義社会をつくりだすことだ。
女性労働者がかかえている極限的な矛盾は、帝国主義の解決不可能な矛盾そのものだ。これを労働者階級全体の課題として真正面にすえよう。それは、帝国主義支配をうちやぶる巨大な内乱の火種となる。
女性差別とたたかう本物の団結をつくりあげよう
「幾百万の婦人がわれわれと一緒にやるのでなければ、われわれはプロレタリア独裁を実施することができず、共産主義的方向に建設をすることができません。われわれはその道をみつけなければなりません」(レーニン『婦人論』)。
怒りと不満は女性労働者、労働者家族、女性大衆の中に充満している。この怒りに学び、結びつこう。
非正規労働者の均等待遇と派遣法廃止を
非正規労働者の多くが「正社員は自分たちの不安や不満に気づいてもくれない」「本音で話せない」と感じている。みずから「生きさせろ」とたちあがっている。彼らの不当な待遇を見て見ぬようでは、職場の団結はつくれない。非正規労働者の声に耳を傾け、均等待遇、正職化をかかげてたたかおう。派遣法廃止を要求しよう。
女性の要求を全労働者人民の要求へ
家事・育児や介護などの問題を、個人的事情と片づけてはいけない。家族内労働の負担は、女性の働き方を大きく規定している。労働時間のわずかな延長も、保育所への送迎や家事、介護など生活にかかわる大問題になる。重要な労働組合のテーマでもある。
賃金・労働条件の差別、産前産後休暇や生理休暇がとれない、セクハラ、女性限定の掃除やお茶くみ……といった問題、家族のために活動しにくい女性が集まれる方法など、課題は山とある。お茶会や懇談会からでも、女性のグループ化に挑戦しよう。組合に女性部をつくろう。女性の力が引き出されたとき運動は必ず活性化し強くなる。
団結のためにこそ女性差別と闘おう
差別・分断は帝国主義支配の重要な柱であり、資本は差別をとことん利用している。
差別によって女性は、日々、人格を否定され、殺されている。容姿や年齢ばかりが問題にされ、女性のからだが「商品」として世間にさらされている。恋人や夫からの暴力はあとをたたない。家事や育児、介護をしない―できない―女性は陰に陽に非難される。
行動しようにも「子どもを放って家をでるなといわれる」「夫がいる日はでかけられない」という女性も多い。これらの差別は女性の精神や肉体を日々痛めつけ、団結から排除し、政治的決起を困難にしている。
差別と本気でたたかう方針を放棄し、”労働者階級は女性差別はしない”差別とのたたかいより労働運動が大事.と路線化した安田派中央の主張は、実際には、差別・分断攻撃をゆるし、労働者階級の団結、階級的労働運動を破壊するものだ。
女性はみずからの要求のために団結しよう
女性は、ねばり強く差別を弾劾し、男性を資本・国家とたたかう仲間として獲得しよう。政治を学び、支配・抑圧とたたかう力を身につけよう。先頭にたって帝国主義打倒にたちあがろう男性は女性差別と自覚的にたたかおう。不満や不安のはけ口を女性への抑圧や暴力に向けてはならない。家事・育児を積極的に分担し、女性が自分のために考え行動することに協力しよう。女性が対等な仲間としてたち上がったとき、自分のたたかいの力が倍増することを知ろう。
女性が反戦闘争の先頭に
女性たちは、帝国主義の戦争が階級全体の利害と対立することをするどく感じとり、反戦闘争の先頭にたっている。帝国主義戦争・侵略戦争は、女性差別を極限的につよめる。沖縄の少女暴行事件を絶対にゆるしてはならない。憲法9条改悪反対、24条「男女平等」の改悪反対、福田政権打倒にたちあがろう。日本軍「慰安婦」問題の真相究明、謝罪と補償のために、在日朝鮮・韓国人女性、アジア人女性とともにたたかおう。
女性差別によって団結や闘争から排除されている女性たちもプロレタリア革命の主体だ。労働者階級の半数をしめる女性の決起がプロレタリア革命の帰すうを決するのである。女性差別とたたかう本物の団結をつくりあげ、すべての女性は、女性解放・日本帝国主義打倒、プロレタリア革命へともにたたかおう。
数字でみる女性の実情
・雇用者総数に占める女性の割合41・6%
・労働組合員総数に占める女性の割合28・2%
・平均賃金(パート含む)男性100にたいし女性 49・5%
・非正規労働者のうち女性の割合70・2%
・女性労働者のうちの非正規雇用の割合52・9%
・年収300万円以下の女性 65・5%
・一日平均家事分担(共働き)男性3 分〜15分
・家族介護85%が女性
・介護理由の退職者10万超のうち女性90%以上
・配偶者間の殺人、傷害、暴行での女性被害92・3%
05、06 年『厚生労働省調査』などより