革共同通信・第3号

2008年2月19日発行

米兵による女子生徒暴行弾劾

2月10日夜、沖縄県北谷(ちゃたん)町で、米海兵隊員によって、中学3年生の女子生徒が暴行されるという許しがたい事件がひきおこされた。これにたいして、沖縄では、「またか」「基地があるからだ」と怒りと抗議がふきだしている。

根源は日米安保同盟と沖縄差別政策

なぜ繰り返されるのか。基地があるからだ。この基地からイラク侵略戦争を強行しているからだ。被害者の怒り、悲しみ、痛みはいかばかりか。このような事件を絶対に繰り返させてはならない。
米軍再編は、基地の整理縮小ではなく、再編強化でしかない。一切の根元は、日本帝国主義による日米安保同盟と沖縄差別政策にある。
なぜアメリカに売り渡されたのか。なぜ沖縄にいまも在日米軍基地が75%も集中しているのか。なぜ米軍による事件・事故が繰り返されるのか。
天皇制のために捨て石とされた沖縄戦、そして沖縄戦での日本軍による「集団自決」(集団強制死)の強制、その歴史の教科書からの改ざん。そして米軍基地のおしつけとその再編・強化のくりかえし。
沖縄人民の怒りはすでに爆発している。昨年9・29県民大会を見よ。12万人の「島ぐるみ」決起を見よ。この中にある階級的うねりを見よ。限りない階級的怒りの深さに、日米安保同盟と日帝差別政策の根幹が揺るがされている。
しかし沖縄の運動が階級的労働運動としてたたかわれていけば、それだけで差別の問題が消え去るなどということはありえない。日帝の沖縄差別政策との闘いはそんなものではない。

沖縄差別を打ち破り沖縄人民との連帯を

本土のたたかいが問われている。本土において、沖縄差別を階級的に具体的に措定した闘いが必要なのだ。それがあってはじめて、日本―沖縄関係の問題が、日帝国家権力対労働者階級人民のたたかいのなかで止揚され、差別をのりこえていくのだ。
沖縄の怒りと闘いにこたえ、「米軍基地撤去=沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒」の闘いをもって、真の沖縄闘争をつくりあげよう。

改憲阻止とサミット決戦の火ぶたきる 2・10集会&デモ(大阪)

2月10日午後1時30分から、大阪市立住まい情報センターで、集会実行委員会の主催による「福田をたおせ!改憲とめよう!2・10集会&デモ」が開催された。08年の改憲阻止決戦とサミット決戦の火蓋を切るこの集会には240人が集まり、梅田までの戦闘的なデモをおこなった。
北河内ピースアクションと百万人署名運動兵庫県連絡会のふたりの司会によって集会がはじまった。

改憲阻止とサミット反対

百万人署名運動兵庫県連絡会世話人の梶原義行さんが主催者を代表して国民投票法成立以後3年間の改憲決戦のただ中にある。今年は世界の富を収奪する帝国主義が集まるサミットが日本で行われる。世界の仲間と連帯してサミット反対の声をあげよう」と提案された。

「日本軍に」の4文字の復活のために

沖縄の読谷村村議・知花昌一さんが講演し、「今日は、山口県岩国市の市長選の日です。大阪にくる前、岩国に立ち寄り三線(さんしん)を弾きながら市長選を応援してきた」と岩国市議選の意義を報告した。そして、12万人集会について「9・29の沖縄の12万の結集にかんして少し私の意見をのべさていただきます。
12万あつまったのは、たった4文字を復活せよ、『日本軍に』という主語をいれろということだけなんです。この4文字を消すことによって沖縄戦の教訓が踏みにじられるということを、僕たちは危機意識をもって感じました。
沖縄戦の教訓というのは、軍隊は住民を守らないということ、そして教育の恐ろしさ、そして大切さ、この2つが沖縄戦の教訓です。この2つの教訓が、4文字が消されることによって、冒涜されること。こういうことはもう許してはいけないというのがみんなの意見だったと思います」。「私たちの気持ちの中にはきっとこれだけあつまったから、きっと変えることができると、変えられるんだという自信というか感覚がありました。修正は一定されました。しかし沖縄の側は誰ひとり、この修正にかんして同意してはいません」。「沖縄戦の教訓と今の基地問題がリンクしたから大きな集会となった」とたたかいの勝利と解放感を的確に話された。
北摂百万署名運動の代表からカンパアピールがおこなわた。
第2部の冒頭、40人をこえる高槻医療福祉労働組合有志と地域住民のみなさんが壇上にのぼり、参加者みんなで体操をおこなった。これは施設で日々リハビリ患者さんとともにやっている体操だという。会場はこのアトラクションで開放された雰囲気になった。
これに応じて知花さんが三線(さんしん)をもって壇上にのぼり、沖縄民謡と知花さんの自作の歌を弾き語りしてくれた。参加者みんなが笑顔になりながらも、沖縄のたたかいとかたく連帯しなければならないことをふたたび確認した。

「小異を残して大同につこう」

第2部では、百万人署名運動事務局次長の小田原紀雄さんが「安倍政権のときと何も変わっていないのに少し危機感がなくなっている雰囲気がある。
百万人署名運動はこのような困難をうち破り『小異を残して大同につく』の原点にもどってがんばらなければならない。
改憲を止めるということは、世界中でいま、困難なたたかいをつづけている人びとと連帯するたたかいであり、われわれにとって世界を変えるたたかいである。言葉でプロレタリア人民と連帯するなんていったってダメだよね。このことを肝に銘じて諸般の困難をのりこえてたたかっていきたい」と信念に満ちた決意がかたられた。
つづいて、連帯ユニオン関西地区生コン支部、関西合同労働組合、三里塚決戦勝利関西実行委員会、反戦議員ネットの守口市議・三浦健男さんのメッセージと高槻市議・小西弘泰さんの決意表明と挨拶、とめよう戦争!隊員家族と元自衛官連絡会、9条改憲を許さない5・3行動(9条改憲阻止の会関西)、みんなでとめよう教育改悪!全関西の集い実行委員会、3月行動を呼びかける女たちなどの労組・市民運動、賛同団体・個人からのアピールと決意が語られた。
最後に百万人署名運動奈良県連絡会の藤原好雄さんが「憲法改悪阻止、憲法審査会阻止でたたかいぬこう」とまとめられた。

討論かさね手づくり

今回の集会は準備過程で討論をかさね、手づくりで準備した。今年最初の集会にふさわしい意気軒昂としたものになった。

1・27関西新空港−2・11神戸空港闘争 -湾岸の軍事基地化反対たたかわれる

作戦計画5055と関西新空港

関西新空港は、米軍の朝鮮侵略戦争作戦計画「5055」の実践化・具体化― 日本の空港・港湾の指定・運用―を、極秘裏におえているといわれる。
「国民保護法」にもとづく対処整備がいちはやくおこなわれ、たびたび「非常時」を想定した訓練もくりかえされている。大阪港と神戸港を統合した「阪神港」の設置とあわせ、関西新空港は、大阪湾の巨大な兵站基地化・軍事基地化の中核施設そのものである。
神戸空港は関空軍事化を補完するものと位置づけられている。

1・27関西新空港反対闘争

対岸に関空を臨む公園で開かれた1・27闘争には、大阪湾岸住民、泉州住民の会をはじめ労組交流センター、部落解放同盟全国連、婦人民主クラブ全国協、全学連など170名が結集。
永井満代表は「関空二期や三里塚暫定滑走路3500メートル化は戦争のためだ。関西新空港絶対反対・三里塚勝利、この一点で考えのちがいなどをのりこえていっしょにたたかっていきましょう」と提起した。

神戸空港反対闘争

2月11日の神戸空港反対市民集会( 主催・神戸空港の中止を求める市民の会) には、神戸市民を中心に市内外から110名が参加。
基調報告にたった讃岐田訓代表( 京都学園大教授) は、@神戸空港が大阪湾破壊の元凶、A空港財政の破産は必至、B医療産業都市構想などとあわせて空港の軍事化が進んでいる、ということに警鐘をならした。

3・30三里塚闘争へ

3月30日には、三里塚現地で反対闘争が開催される。国策に実力で対決する三里塚闘争こそ、反戦・反基地闘争の原点である。3・30三里塚闘争への3000人結集を実現しよう。

2面

新自由主義政策と貧困の増大−08春闘論の構築のために

非正規労働者が支えるニッポン

昨年12月30日、NHKで二つの象徴的なニュースがながされた。昼のニュースでは、派遣労働者が昨年より26%増えて321万人にのぼり、過去最高となったとつたえた。夕方のニュースでは労働組合の組織率が昨年6月の調査で18・1%で1947年の調査開始いらい最低を記録したとつたえた。
これはあくまで公式発表の数字である。現状は、もっとひどいということである。200万人をこえる外国人労働者は、この統計からはずされている。ここ数年、派遣労働者の数は急増している。「人材サービス会社」と名のる派遣会社が巨大化し、トップのグッドウイル・グループ( 登録派遣社員数10万人以上)で年間売上げ5090億円。リクルートは、昨年業界2位だったスタッフサービス( 売上げ3234億円)を買収し、1兆円企業をめざすという。人材派遣業界は、いまや5兆円市場といわれている。
こうした派遣会社の社長は、東京六本木の「東京ミッドタウン」に本社ビルをたて、億単位の年収をかせいでいる。一方、派遣社員は交通費なし、食事補助なし、日給6000円足らずで毎朝5時ごろから製造ラインや配送センターの荷物整理、工場の清掃で働く。ここに「格差と貧困」といういまの日本の姿が浮きぼりになっている。
政府統計でも、労働者の3人に1人が派遣やパートのなどの非正規雇用労働者であり、その数は1700万人となっている。実態はそれ以上だろう。
現場の仲間からの報告を聞くと非正規が半数というのが実感である。それがニッポンを支えている。非正規労働者のほとんどは、労働基準法や最低賃金法などで保障された最低限の労働者の権利すら知らされず、労働組合の保護からも排除されている。

日本の労働者階級の状態

労働者の平均賃金が9年連続で下落しつづける一方で、年間1兆円から2兆円という過去最高益を更新しつづけるトヨタ、松下などの独占企業。こうした企業の役員報酬は平均2千万円をこえ、株主配当は10年まえの103倍と急増した。それらはすべて非正規労働者の増大によって可能となった。
まさに大量の非正規労働者をつくりだすことで、経営者は社会保険(雇用保険、労災保険、健康保険、年金)の企業負担をのがれ、労働基準法や労働組合法などの労働法の規制からのがれ、搾取と収奪をほしいままにしている。その結果が、億単位の年収をえる少数の富裕層の出現と、200万円以下の年収に落としこめられてきた非正規を中心とする大量の労働者群、これが、ここ10年間の労働者と資本との関係を象徴している事態である。
年収200万以下のワーキングプアが1023万人となり、相対的貧困率(平均収入の半分に満たない人の比率)で世界2位となる日本。生活保護世帯が151万。国民健康保険の滞納者は480万世帯(病院にいけない人がこれだけいる)。
ワーキングプアは一部の問題ではない。「ケーキを食べること、アパートを借りることが夢である若者」(『東京新聞』元旦社説)、これは労働者全体の問題であり課題である。

「格差と貧困」−恐慌情勢と戦争に逆襲を

08春闘のスローガンは、「格差打破」「非正規労働者の均等待遇・正規化、全労働者の一律大幅賃上げ」「ストライキ春闘」「非正規労働者の組織化」である。08年春闘は、サブプライムローン危機にあらわれているような帝国主義世界体制のただならぬ危機的情勢のなかで、労働者側からする「逆襲」が問われている。
08年経労委報告(「日本型雇用システムの新展開と課題」)は、その「逆襲」への無気味さを感じてか「市場原理は万能でもなければ完璧でもない。格差や貧困といった影もある。影の部分に光をあてる」(序文)といっている。われわれは資本家たちに、はっきりとこういわなければならない。「この『格差と貧困』こそは、お前たちがつくりだした現実ではないか。それを『影』というのであれば、それ相応の措置をとれ。誰もが安心して寝るところを確保でき、食べることができ、人間らしい生活ができるように賃金を引き上げろ」と。
こういう団体交渉や職場・地域行動を展開しよう。そして対行政もふくめた春闘行動をストライキを武器にしてたたきつけよう。

08春闘を闘う視点と方向

第一に、新自由主義政策との対決、その粉砕打倒を明確にしてたたかおう。こうした格差と貧困の原因は新自由主義政策導入にある。その特徴をまとめれば、@徹底した規制緩和。とりわけ労働法をターゲットにした「労働者保護」の撤廃をめざす。A資本家優遇税制。法人税、所得税、証券取引の減税など多岐にわたる。これは必然的に消費税増税などをもたらし労働者からの収奪を強める。Bなんでもかんでも民営化。医療・福祉・教育などを全面的にきりすてる。C「市場原理」の敵として労働組合を敵視し、その存在をみとめない。
規制改革会議は、昨年12月25日、「規制改革推進のための第二次答申」をだし、新自由主義政策をさらに激化させようとしている。許してならない。
第二に、1千7百万人.2千万人になっている非正規雇用労働者の存在とそのおかれている現実の変革を、あらたな戦略的課題としてとらえてたたかうことである。
非正規労働者といわれる半失業状態の労働者群が大量に生み出され、それなしに資本主義が成立しない状態になっている。彼らを団結させないためにさまざまな雇用形態に細分化し、いまや10段階以上に階層化するという徹底した労働者分断支配がしかれている。こうした非正規労働者の組織化とたたかいは戦略的テーマである。一昨年のフランスの〈暴動〉と学生反乱、米国の移民労働者の永続的な決起、韓国・民主労総の「非正規化」との不屈のたたかいなどに見られるように、世界的にも最重要の課題になっている。

組織化の鍵はどこにあるか

ひとつは、同じ職場や産別で何層にも分断された労働者のなかで、「もっとも弱い層」の課題を全体の課題にすることである。
いまひとつは、労働組合のもっている機能をいかしきることである。労働組合のないところでは、労働相談からはじめて、ねばりづよく労働組合をつくろう。地道な職場活動をとおしてしっかりとした要求づくりをおこない、団体交渉で執念をもって具体的な成果をもぎりとる力を身につけていこう。そのために日常的な情報収集と学習をやろう。こうした組合運動の先輩たちがつくりあげたオーソドックスな活動を現場に復活させよう。
そしてとくに強調したいのは、労働組合がもっている相互扶助(たすけあい)の機能をもっともっと強めていくことである。非正規労働者が大量に登場し、その存在が生産の基幹をになうまでになっている情勢では、地域合同労組を有効に活用し、合同労組運動を労働運動の主流にしていく構えがとわれている。その際、共済,レクリエーションなどの扶助機能は決定的である。膨大な非正規労働者の組織化へ踏みだそう。08春闘はその第一歩である。

岩国よ どこへ行く! 岩国市長選-山口県S・Sさんより寄稿

<山口県下で議員活動をおこなうS・Sさんより、岩国市長選の報告がとどいた。内在的な報告は迫力がある。実践的結論はただちに市議会を解散においこむことである。編集委員会>

国防と地方分権とのたたかい

去る2月10日、06年3月に実施された「米空母艦載機部隊の賛否を問う、住民投票」から1年半以上が経過して岩国市長選挙がおこなわれた。
今回の岩国市長選挙は「国防と地方分権」の闘いであった。06年3月の住民投票や前回の市長選挙では、「基地機能強化反対!岩国市民の安全を守れ!」の声が井原市長の圧倒的な支持となり、その「投票数値」としても現れたものであった。
そして、今回の「岩国市長選挙」は、「国防」の側から出馬した基地機能強化を推進する新人候補と、「住民の民意を尊重する基地機能強化反対」の現職市長との一騎打ちとなった。それは山口県のみならず全国的に注目された選挙となった。
結果は「無所属新人47081票」に対し「無所属前職45299票」、投票率76・26%と極めて高い関心度の強いものであった。マスコミでは市民を二分し、市議会をも二分し、かつ国政をも二分した選挙の結果として、「国防を支援する新市長の誕生」と大きく報じられた。

選挙戦の分析

今回の選挙戦をつぎの三つの視点で分析してみたい。
@自公連立VS野党連合のたたかい 自公の側には、この選挙で防衛庁の不祥事問題を払拭し、隠ぺいしたいという思惑があった。だからその影響の少ない候補を選定したのだと思う。ここを追及できなかった現職・井原市長の選挙戦術の甘さが指摘される。また、自公は前回の市長選挙で国会議員の応援が裏目にでたことを総括し、後方支援に徹した。一方、現職・井原市長の陣営では、民主・社民などの国会議員の選挙応援が、勝手連的に市長を応援した無党派層にどのような影響をおよぼしたのかという問題がある。
A市町村合併後の岩国市議会の勢力分野(基地強化容認派VS基地機能強化反対派)議会内の「基地機能強化容認派」は「市政運営の破たんから生じる財政難は現職市長の責任だ( 議会の責任ではない)」と攻撃した。これが一定功を奏して、基地機能強化反対の市民においても「(新庁舎建設に絡んで)補助金はもらったほうがいい」という方向へとひきずられたのではないかと思われる。このことが、マスコミや新人議員当選に対する市民の声のなかに現れている。
B無党派といわれる労働者市民の投票無党派の獲得という面では、「女性の票をどちらが多く取るのか」が焦点であるかのような報道がなされた。両候補とも、地区集会にくわえて「女性集会」を開催しており、じっさいに焦点を「女性票」にしぼった戦術を使った。しかし、「投票率は高くても、若年層の投票率はどうであったのか」を分析してみる必要がある。約24%の有権者が投票していないことからみても、「基地機能強化反対」の声が若年層に届いていなかったのではと思える。(中略)

市議会を解散せよ

新市長は、基地の機能強化に対して「全面的な受け入れ」ではなく、「条件付の受け入れ」だと報じられているが、それがどこまで続くのか。最後は、「補助金を貰って岩国市の借金の返済に充当した。だから、岩国市民は我慢をしてくれ」となるのではないか。
(中略)また「3割自治」といわれる全国各地の地方自治体が、国からうける「補助金」を頼りに予算を組んでいる実態と、岩国市が「基地迷惑料」として受け入れた「補助金」を算入した予算のあり方が、本当の地方分権なのか。基地に頼らない政策の実現が必要なのは、国会議員であった新市長は当然理解しているはずである。
終わりに、市長選挙で今回の「騒動」が終焉したと思っている岩国市議会議員は、ただちに市議会を解散し、本当の「民意」を肌で感じる必要があるのではないか。市長選の結果をこれからの市政運営に反映させる責任は新市長の肩にかかってくるが、市執行部と議会の関係からも、「民意」について自らも知るべきである。

3面

戦争と貧困の元凶=G8サミット 3〜7月サミット粉砕決戦へ

金融危機に打つ手なし

G8とは、世界の富を独占する8か国の帝国主義的大国である。この8か国の首脳たちが、世界の支配と富の争奪をめぐって「話し合い」、その結論を全世界に押しつける。こんなものを労働者階級は一片たりともみとめられない。
08年G8サミットは、第一に、アメリカ住宅バブルの崩壊とサブプライムローン問題に端を発する世界的な金融危機の中でひらかれる。
この金融危機の特徴は、アメリカ帝国主義の新自由主義政策とそのグローバリゼーションの展開がついにデッドロックにのりあげたという問題である。G8の連中は、労働者階級・被抑圧民族人民から略奪してきた金で人為的にバブルをつくりだしてきた。一握りの資本家階級のもとに世界の富が極限的に集中する一方で、大多数の労働者階級・被抑圧民族人民を労働地獄と絶対的貧困にたたき込んできた。
しかし、このようなやり方が完全に破綻した。つまり歴史的な過剰資本・過剰生産力の問題が全面的に露呈してきている。
この金融危機のいまひとつの特徴は、ドルの国際的地位の低下が、ドル基軸体制そのものの崩壊にまでいきつこうとしている。
アメリカ帝国主義の戦後世界の支配の基軸は、他を圧倒する核軍事力と基軸通貨としてのドル体制であった。アメリカはドル危機にたいして、ベトナムからイラクまでつねに、世界戦争規模の侵略戦争の発動をもって対応してきた。
つまり金融危機にたいして残された手だては戦争だけである。

世界戦争危機を促進

したがって、第二に、G8サミットは、帝国主義間の対立と抗争を激化させ、侵略戦争を拡大し世界戦争危機を促進する会議となる。
イラク侵略戦争はますます泥沼化し絶望的な状況になっている。しかし、アメリカにとって問題なのは、世界支配・ドル支配・石油支配のいっさいをかけて戦争を継続し拡大させることである。
ブッシュは、1月の一般教書演説で、「イラク撤退など問題にもならない」と退け、侵略戦争の拡大と、イランへの侵略戦争発動の意志をはっきりとしめした。11月大統領選の結果がどうなろうとアメリカ帝国主義の意志はかわらない。
G8サミットの議題である「大量破壊兵器の不拡散とテロ対策」とは、アフガニスタン・イラク、さらにイラン・朝鮮半島への侵略戦争の拡大のことである。さらに、アフリカ・アジアをめぐるG8間の争闘戦、石油などのエネルギー資源をめぐる抗争、金融危機の対応をめぐる対立の激化は不可避である。
「アフリカ開発問題」の議題とは、G8が、石油をはじめ資源を激しく争奪しあうことである。アメリカは、昨年あらたに「アフリカ軍」という統合軍を編成し、アフリカへの侵略戦争を構えた。アフリカ問題は、世界戦争の巨大な火点となり、民族解放闘争をはげしく燃え上がらせることになる。

新自由主義の暴力的推進

第三に、G8は、金融危機と帝国主義間対立のなかで、国家暴力をますます全面的におしたてて、新自由主義政策をおしすすめる以外にない。それは、戦災と破壊、失業と貧困、飢えと疾病という地獄を労働者階級・被抑圧民族人民にもたらす。
G8は、IMF、世界銀行、WTO、自由貿易協定(FTA)、経済連携協定(EPA)などの制度や協定をとおして、巨大多国籍企業の自在の展開を推進している。被抑圧民族人民にたいして破壊と略奪、搾取と収奪のかぎりを尽くして、絶対的貧困と巨額債務を強制するとともに、世界の富を収奪しているのである。
また、G8は、多国籍企業の搾取と収奪の自由な展開を促進するために、農畜産物の輸入自由化を強制し、世界中の小規模農家の生活基盤を破壊している。
さらに、G8は、規制緩和・民営化をもって、労働者階級の団結を破壊して、企業がフレキシブル(柔軟)に利用できる安い労働力を提供しようとしてきた。その結果、非正規労働者や失業者が大量にうみだされている。また、鉄道、郵便、医療などを、資本の利潤追求のために民間企業に開放した結果、生きるために必要なサービスさえ得られない人々が大量にうみだされている。

凶暴化する日本帝国主義

第四に、G8サミットで一段とおいつめられるのは日本帝国主義・福田政権である。日本帝国主義は、過剰資本と対日争闘戦の重圧、解決不可能な財政危機の重圧の中であえいでいる。金融危機の打撃をもっとも受けるのは日本帝国主義である。G8サミットをめぐっても福田は議長国なのになにひとつヘゲモニーをとれないでいる。
日本帝国主義は、侵略戦争参戦と改憲、米軍再編・沖縄基地強化の攻撃、「構造改革」と新自由主義政策を激しく推進しようとしている。しかし、それが労働者階級に犠牲転嫁と生活破壊を強いるものであるがゆえに、随所で抵抗と反撃にぶつかっている。日本帝国主義の危機の今日的核心は、安倍政権崩壊にしめされたように、政治体制の決定的な脆弱性にある。
であればこそ、G8サミットでさらにおいつめられる日本帝国主義の危機のなかから、戦争と新自由主義を強行するより凶暴な政治体制が登場してくることは不可避である。
この階級的激突をとおして日本の労働者階級が、革命的行動にたちあがってくるのだ。

「環境サミット」の大ペテン

第五に、「環境サミット」などいうのは大ペテンであり、G8サミットは、環境破壊サミットいがいの何ものでもない。
たしかに、地球温暖化問題は人類的な危機である。しかし、G8の連中の危機認識はまったく性格がちがう。「このまま地球温暖化が進めばその脅威はテロの比ではない」(03年米国防総省秘密報告書)―洪水や干ばつが常態化し、食料や水をうばいあって紛争や内乱が日常化、あるいは資源をめぐってアメリカと中国という核保有国同士の直接対決もおこりうる―これがG8の認識である。
地球温暖化も環境破壊もすぐれて階級闘争の問題である。そもそも地球温暖化や環境破壊をうみだしたのはG8であり資本家階級である。にもかかわらず、資本家階級は、自分たちの安全さえ確保されれば、気候変動すらビジネス・チャンスととらえ、資源・食糧の囲い込みや、排出権取引を投機市場化することでぼろ儲けをねらっている。
住宅バブルの次は環境バブルだ、などとうそぶいている。二酸化炭素がだめなら原子力発電だ、ともいっている。労働者階級が地球温暖化や環境破壊でどれだけ犠牲になろうがかまわない、と思っている。
20世紀の資本主義は、「石油、自動車、航空機」に象徴されるアメリカ型の大量生産・大量消費文明として巨大な発展を遂げてきた。
しかし、それは、人間が資本の価値増殖のためにのみ生かされるという極限的な疎外の上に成立するものでしかなかった。地球温暖化や環境破壊の問題は、資本主義が打倒されないかぎり解決されない限界にいきついたことをしめしている。それは、人間と人間、人間と自然の本源的な関係の革命的な回復、つまり共産主義ということが提起されているのである。

新自由主義粉砕を鍵として

世界の富を収奪して肥大化してきた帝国主義が、その限界と矛盾を全面的に爆発させようとしている。その焦点が08年のG8サミットなのだ。そしてそのもっとも脆弱な環が日本帝国主義なのだ。であるからこそG8サミット決戦から反帝国主義・反スターリン主義世界革命の展望をきりひらくことができる。
帝国主義の侵略と戦争にたいして激しく燃えさかる被抑圧民族人民の民族解放・革命戦争と、帝国主義足下の労働者階級の反戦・反貧困・反格差のたたかいとの連帯・結合を実現し、国際的な内乱をきりひらこう。
そのためにも、サミット粉砕の革命的反戦闘争と、反貧困・反格差をたたかう階級的労働運動との結合をかちとろう。反グローバリズム運動の飛躍と前進をかちとろう。
そして改憲阻止決戦の路線と展望も、サミット決戦の烈火をとおしてきりひらかれることをしっかりと確認しておきたい。

4面

差別者集団へ転落する安田派

「特殊的解放と普遍的解放」について
権力を糾弾してはいけない?!

安田派中央は、今年に入ってなんと「権力や行政にたいしては打倒することはあっても、糾弾はしてはならない」(「新年総会提起」) といいだした。排外主義・差別主義集団カクマルに、40年遅れで追随したと思うまもなく、あっというまに大先輩を追いこしてしまったのである。そして、この間、かれらによる差別・抑圧にたいして立ちあがった人民の糾弾への圧殺者としてくりかえし登場している。
このおぞましい変質は、改憲決戦、侵略戦争のまっただ中でおこったことである。レーニンは、社会排外主義への転落の根拠は日和見主義にあるといっている。安田派の変質の根拠も、まさにそのとおりである。戦争と改憲攻撃、大資本攻勢とのたたかいにたいする日和見主義・敗北主義が投降と転向にまでいきついた結果である。

差別主義を生み出す「7月テーゼ」

安田派の差別主義・排外主義と糾弾撲滅運動をうみだした「理論」が、いわゆる「7月テーゼ」なるものである。その核心的主張は次のようなものである。
「労働者階級の特殊的な解放が、同時に全人間の普遍的解放であること。ここにプロレタリア自己解放闘争の最も重要な核心がある。その意味において今日、ブルジョアジーの支配と闘っているすべての人民の中で労働者階級だけが真に革命的階級である。他の諸階級・諸階層の人民は、労働者階級の中にこそ自らの究極的解放があることを直視し、労働者階級の立場に自らを立たせ、労働者階級と一体となって闘うこと(階級移行すること)によって、プロレタリア革命の一翼を形成するものとなっていくのである。…労働者階級の闘いは、むしろすべてのものにプロレタリア性を刻印し、強制していくことを求める」。 安田派はこのようにいって、差別を受けたひとりの人間(存在)が発する糾弾の叫びに真正面から向きあい、受けとめ、応えることを拒否する。
「ひとりは万人のために、万人はひとりのために」という言葉がある。権力・資本とたたかう労働者は、それを合い言葉にしてたたかってきた。労働者自己解放.人間解放をともにたたかうもの同士のあり方、労働者的=人間的豊かさが端的にいい表わされている。
これと被差別・被抑圧人民にたいして階級移行せよ」「プロレタリア性を刻印し、強制していく」なる思想とがいかに相容れないものであるかは明らかであろう。

<プロレタリア自己解放⇔人間解放>のマルクスの思想

さて、今度は、「7月テーゼ」の「特殊的解放が『同時に=自動的に』普遍的解放になる」論について、マルクスのプロレタリア自己解放の理論と思想そのものにてらして検討してみよう。
マルクスは「ヘーゲル法哲学批判序説」共産主義の解放原理を次のように書いている。
「ではどこに、ドイツ解放のポジティヴな可能性はあるか? 答え。それはラディカルな鎖をつけた一階級の形成のうちにある。この市民社会の一階級は市民社会のいかなる階級でもなく、この市民社会の一身分はあらゆる身分の解消であり、この市民社会の一つの領域はその全般的苦難のゆえにある全般的性格を所有していて、いかなる特別の権利をも要求することはない。けだしそれがこうむるのはいかなる特別な不正でもなくて、ずばり不正そのものだからである。それはもはや何か歴史的な権原ではなくて、わずかになお人間的な権原のみを拠り所にしうるのであり、ドイツ国家制度の諸帰結に一面的に対立しているのではなくて、それの諸前提に全面的に対立しているのであり、とどのつまりそれは己れを社会のその他のあらゆる領域から解放することなしには、したがって社会のその他のあらゆる領域を解放することなしには、己れを解放することのできない領域であり、一言でいえば、人間のまったくの喪失であり、それゆえにただ人間の全面的な取り戻しによってのみ自らをを獲得しうる領域である。社会のこの解消が一つの特殊な身分として存在するのがプロレタリアートにほかならない」。
労働者階級は特殊的階級としての自己を解放することをとおして全人間を解放する。同時に、すべての人間を解放することなくしては、みずからを解放することができない。しかも、それは単なる政治的解放によって成就するのではなく、「人間の全き取り戻し」によってしか実現されない。共産主義の解放原理を端的にいいあらわしたものである。
周知のように、マルクスは「序説」を書いた1843年秋〜44年はじめの時点で、ヘーゲル観念論哲学の「運動し、産出する原理としての否定性の弁証法」の摂取と、その唯物論的転倒の格闘の開始、42〜43年の「ライン新聞」主筆時代におけるドイツ社会の階級分析、モーゼス・ヘスらを媒介としたフランス社会主義思想との交流、44年の「独仏年誌」時代のフランス階級闘争との接触などを経験していた。
そうした地平から、人間の一般的解放をとなえるのではなく、上述のような規定性をうけたプロレタリアートという存在にその具体的・主体的拠点を見いだしたのである。
さらに、マルクスは1847年、『哲学の貧困』で「労働者階級の解放の条件はあらゆる階級の廃止である」といっている。この年、資本主義にたいする体系的な経済学的批判の開始としてブリュッセルでおこなわれた講演「賃労働と資本」のうらうちにもとづくあらたな地平から、共産主義の解放原理を提起したのである。マルクスは「人間的なことで私に関係ないことはひとつもない」という徹底した人間主義の立場から、後進国ドイツ社会を覆う閉塞、そのもとでのプロレタリアートの悲惨な生活の現実に肉迫しつづけることをとおして、〈プロレタリア自己解放⇔人間解放〉の思想と理論を確立し、その実現のために生涯たたかったのである。

本多書記長による共産主義の解放原理の復権

本多書記長は共産主義の解放原理について、次のように述べている。
「すなわち、共産主義とは、プロレタリアートによるブルジョア的私有財産の積極的な止揚の過程である。そしてこのなかで、自然と人間、人間と人間の間の本源的関係をつくりあげていくこと、これが共産主義にほかならない。・・・プロレタリア自己解放のたたかいは同時に、人間が人間としてすべて解放されるという全世界的な、全地球的な状態をつくりだすことなしに、また同時にプロレタリアート自己解放がありえないのだ、こういう関係のなかにプロレタリア自己解放の理論というものが用意されている」(本多延嘉著作選第5巻「70年7・7自己批判の深化のために」P131)
そして、本多書記長はスターリン主義によるマルクス主義の歪曲、換骨奪胎とたたかいぬくことをとおして、マルクスのプロレタリア自己解放論を革命的に復権・継承し、その核心を「誰かを新たに抑圧することによって自己を個別的に解放することはできず、自己解放を通して普遍的な人間解放を実現し、普遍的な人間解放を条件としてのみ自己を解放しうる」と規定したのである。
以上から、「7月テーゼ」なるものが、マルクス(レーニン)、本多書記長の「プロレタリア自己解放」論とはその根本原理の次元で背反するものであることが疑問の余地なく明らかであろう。
労働者階級の革命性、根底的自己解放性は、いうまでもなく資本主義社会においておかれているその社会的地位に決定されている。資本主義は、人間の物質的生活の社会的生産が究極的疎外をとげるにいたった歴史的に最後の階級社会である。そこでは、労働者は、生産手段の資本家的所有と労働力の商品化を基礎とした階級支配のなかで、資本にたいする賃金奴隷としてのみいきることをゆるされる存在におとしこめられている。まさに、「わずかになお人間的権限のみをより所」にし、「ただ人間の全面的な取り戻しによってのみ自らを獲得しうる」存在である。
だからこそ、労働者階級は、地上のすべての被差別・被抑圧人民の怒りと苦悩をわが身にうけて、その自己解放のたたかいをみずからの正面課題として最後までたたかいぬく能力をもった真に唯一の革命的階級である。そのことによって、全人民をその究極的解放まで指導する首領たる不動の地位を占めている階級である。だから、「7月テーゼ」の「労働者がすべて。他のいっさいはその従属物」などという思想は、労働者階級をかぎりなく蔑視し、その革命性を根本から否定する社民的思想いがいの何ものでもないのである。その思想の実践が、「誰かを新たに抑圧する」ものとなるいがいにないことも明らかだ。 それはすでに、スターリンの22〜23年の「グルジア問題」をめぐる大ロシア主義にもとづく「赤熱の鉄で民族主義の残滓を焼き払う」に比すべき極悪の差別主義・排外主義となって被抑圧・被差別人民におそいかかっている。

カクマルに追随する安田派

安田派の諸君には、本多書記長の「70年7・7自己批判の深化のために」(著作選第5巻P129〜132)におけるカクマルにたいする次のような批判を、怒りをこめてそっくりそのままたたきつけてやらなくてはならない。
「反革命カクマルの諸君が、われわれのこのような7・7以降の苦闘と、その深化と持続のためのたたかいにたいして、これをプロレタリア自己解放の論理を放棄するものだと、そういう間違った批判を社民的におこなっている。かれらは、このような批判をわれわれにたいしておこなうことによって、マルクス主義のイロハ的な原理すら理解していなかったこと、そうして現に、アジア人民や多くの差別された状況のなかでたたかいぬき、それをうち破って前進している人びとの、われわれにたいする呼びかけの声を聞くことができないところまで堕落し、反革命化してしまったということを、かれらはこのようなかたちをとおして、はっきり証明してしまっているのだ、ということをわれわれは確認しておく必要があると思います」
   ・・・・・・・
安田派中央によるマルクス主義への背教を徹底的に粉砕し、「反帝国主義・反スターリン主義 万国の労働者と被抑圧民族は団結せよ!」の旗のもとに前進しよう。

■安田派とは、革共同の規約を無視し、24全総を強行した革共同中央を名のるグループ。彼らは「階級的労働運動路線」「7月テーゼ」「動労千葉特化路線」の名で、本多書記長いらいの革共同の反スタ・革命的共産主義運動、戦略的総路線=たたかうアジア人民と連帯し、日帝のアジア侵略を内乱へ!を放棄し、急速に変質・転向を深めている。63年のカクマルとの分裂のさいその頭目の名から山本派と規定したが、今回、そのリーダーの名から安田派(安田−清水体制)と規定する。編集委員会