未来・第47号


            未来第47号目次(2009年12月15日発行)

 1面  普天間基地即時撤去 辺野古新基地建設阻止
     辺野古に決まったら心のマグマが爆発する

 2面  すべては05年米軍再編から始まった 11・28岩国

     沖縄戦は沖縄差別の極致
     大田昌秀さんが講演 11・27大阪

 3面  日本政府は謝罪と賠償すべき
     同時証言集会 ハルモニの訴え 11・28大阪

     南京大虐殺から72年
     大阪で証言集会 12・5

     「在特会」が朝鮮学校を襲撃
     在日人民のたたかいに支援・連帯を

     「貨物検査法」「国会改革法」
     来年の通常国会で阻止へ

 4面  世界恐慌の現段階とグローバリズム下の展望
     ――ドル危機と中国市場経済のゆくえをどう見るか―― 時任実秋

 5面  安田派の部落差別の本性あばく
     秋川論文(『展望』3号)・高尾論文(同5号)を読んで

 6面  高速増殖炉もんじゅ 3月運転再開ゆるすな 12・5敦賀

     葛飾ビラ弾圧 上告棄却
     警察による政治活動の圧殺

     闘いの軌跡よみがえる
     神戸市民救援会議『救援ニュース』復刻・縮刷版

     ごまめのエッセー
     「民衆の政権ならどうするか」を課題として

       

普天間基地即時撤去 辺野古新基地建設阻止
辺野古に決まったら心のマグマが爆発する

「あきらめてたけど、民主党に代わって、夢が膨らんだ。でも大臣たちの言うことが揺れるから苦しい。結局はここに持ってくるんじゃないか。・・・心の中に小さなマグマがある。いまさら辺野古に決まったら、爆発するかもしれない」(辺野古のおじい)
期待させられて裏切られたときの失望は大きい。失望は激しい怒りとなって爆発する。
沖縄県民は、鳩山政権を揺さぶりながら、日米同盟政策と正面からぶつかるたたかいに踏み出している。これは日本の歴史を左右する決戦だ。

日米危機あおるマスコミ
それにしても安次富さんが指摘するように、「何で日本の政治家はアメリカに弱いのか」。ここが大きなポイントだ。
ゲーツ国防長官の10月来日時の発言をマスコミがくり返し引用している。「辺野古へ普天間基地を移設しなければ、海兵隊のグアム移転はなく、グアム移転なしに兵員縮小や他の返還もない」。まさに盗人猛々しいとはこのことだ。
これにたいして日本の識者やマスコミは、こぞって「米国の苛立ち」「日米関係が危機」と騒ぎ立てている。しかし何がどう危機なのか、そもそも何で辺野古と普天間とグアムが関連しているのか。それらが全くあいまいなまま議論されている。この背後には重大なウソとペテンがある。

「移設」というウソとペテン
沖縄県宜野湾市の伊波洋一市長が、重要な指摘をおこなっている。米当局が11月20日に発表した「沖縄海兵隊グアム移転にかんする環境影響評価の報告書草案」の中に、実は、沖縄海兵隊のほとんどがグアムに移転すると書いてあるという点だ。
伊波洋一市長の指摘に踏まえて問題を整理すれば――
①アメリカは、世界政策の観点から、グアムを世界有数の軍事拠点にする計画を進めている。その計画にそって沖縄海兵隊もほとんどグアムに移転する。
②沖縄海兵隊のグアム移転は、基地負担に苦しむ沖縄県民の声とは無関係に決められ進められている。もちろん日本政府の要請でもない。
③つまり「普天間の代替施設」とか「普天間の移設先を探さねば」という議論はウソだったのだ。辺野古への新基地建設は、「普天間の移設」ではない。沖縄にまったく新たな軍事基地を造ろうとしている。それを、基地負担に苦しむ沖縄県民をペテンにかけて飲ませようとしているのだ。
――ゲーツ発言は、こういうウソとペテンにもとづく恫喝なのだ。
いま再び三度、日米が結託して、沖縄を国策の犠牲にしようとしているのだ。

日米同盟を柱とした戦後政治
では、なぜアメリカが辺野古にこだわり、沖縄に居座るのか。それは、直接的には、駐留経費がかからず、治外法権状態で、格好の演習場である沖縄を手放したくないからだ。
さらに、アメリカは、沖縄を、対日戦争で血を流して獲得した既得権だと思っている。既得権を後退させたら、ドミノ的に全部を失うことになると恐れている。
しかも、日本に基地を置くことで軍事的な影響だけでなく政治的な発言力も得て、日本の国内政治に介入できる。
では、日本の支配層はどうか。日本の支配層は、アメリカの要求を拒むことなく、むしろ積極的に受けいれてきた。
その理由は、戦後の国内外の政治にとって、米軍駐留と日米同盟が必須だったからだ。天皇の処刑を免れ、支配秩序の基本を守るために、沖縄をアメリカに売り渡した。「思いやり予算」をはじめ、基地と沖縄にかかわる要求はことごとく飲んできた。日米軍事一体化を進めてきた。
日本の支配層にとって、それは押しつけられたものではない。自民党政治が典型であったように、日米同盟を国内外の政治の柱にすることで支配を維持してきたのだ。
そういうやり方の最大の犠牲とされてきた沖縄県民を先頭に、今、はっきりと拒否が突きつけられている。しかしこれにたいして民主党には、戦後政治をこえる反動性も、もちろん革命性もない。沖縄県民の決起に連帯するとき、戦後政治を革命的に突きやぶって進むことができるのだ。

1・30 日比谷1万人集会へ
テレビの討論番組で自民党の石破が、安次富さんら沖縄の人びとに向かって、「日本の平和と安全のために沖縄は犠牲なってほしい」と言い放った。これこそ一貫した沖縄差別政策だ。
問題はこれが本土の労働者人民の無知・無自覚に支えられて成り立っていることだ。本土の運動の歴史的な反省と決起が問われている。
沖縄県民と連帯して、1・30「普天間基地はいらない、新基地建設を許さない全国集会」に集まろう。

8日から12日までの5日間、「普天間即時返還、新基地反対」を訴え、神戸市三宮で街頭宣伝。連日20人、のべ100人が座り込んだ。呼びかけは、戦争を起こさせない市民の会、とめよう戦争―百万人署名運動兵庫県連絡会、9プラス25改憲阻止市民の会、社民党兵庫県連合など。

沖縄集会が12日京都、13日名古屋、14日兵庫、15日東京など全国で開催。写真は京都集会で発言する安次富さん


12日、京都市内で、「沖縄・辺野古新基地建設反対!普天間基地撤去!京都集会」〔呼びかけ 反戦・反貧困・反差別共同行動(きょうと)他〕)が開催された。沖縄から駆けつけたヘリ基地反対協議会の安次富浩さんが講演。反戦・反貧困・反差別共同行動(きょうと)世話人の新開純也さんの発言と合わせて要旨を紹介する。

何で日本の政治家はアメリカに弱いのか
安次富浩さん

岡田外相は、幹事長だった7月の時点では、「県外移設」と言っていた。しかしアメリカに脅されてコロッと変わった。何で日本の政治家はアメリカに弱いのか。
私は、テレビの討論番組で自民党の石破とやり合った。石破は「日本の平和と安全のために沖縄は犠牲になってほしい」と言い放った。こういう考え方で自民党はずっとやってきた。だけど岡田外相も変わらない。
嘉陽のおじいは、「うそつきは泥棒の始まり。これだけ期待させて裏切ったら、民主党は1年もたない」と言っている。
2万1千人の声は沖縄の民意。しかし鳩山はアメリカしか見ていない。
8月の衆院選はある意味、革命だった。60年のときも70年のときも、自民党を倒せなかった。主権者は国民だということがはっきりした。
民主党に預けてはいけない。来年の参院選は民主党に一人勝ちさせてはダメだ。社・共以外の別の政党をつくることも考えるべきだ。われわれが主権者である。この立場でたたかっていくことだ。沖縄に絶対に基地はつくらせない。世界中の米軍基地をなくそう。

沖縄問題すえて国民的大運動を
新開純也さん

11・8県民大会に参加した。50年代の講和のときも、60年のときも、運動の側に大きな弱点があった。沖縄のことがわれわれの運動の中になかった。このことを沖縄に行って強く感じた。
日本はいま大きな転換点に差しかかかっている。われわれの運動の反省をかけて、沖縄問題をすえて、あえて言えば《労働者人民》ではなく、《国民》的な大運動をめざそう。

         この間の動き

  11月8日 沖縄県民大会
13日 オバマ来日・日米首脳会談 鳩山、「私を信頼してほしい」
17日 日米作業部会(WG)・第1回
20日 各紙、一斉に「辺野古案で決着へ」と報道
27日 鳩山首相と仲井真沖縄県知事、極秘会談
30日 鳩山と仲井真、公式会談
12月3日 福島社民党首、「重大な決意」と表明
4日 各紙、「社民の揺さぶりで政局に」と報道
4日 WG・第2回 ルース駐日米大使、「普天間がこのままなら日米合意は壊れる」
4・5日 岡田外相が2回目の沖縄訪問
7日 鳩山、「COP15の首脳会議の場でそれまでの政府の考え方を伝え、理解を得たい」  
8日 岡田外相、WG停止を発表
9日 北沢防衛相、グアム視察、「普天間のグアム移転はダメだ」
9日 米報道官が会見で、COP15での日米首脳会談を拒否
10日 鳩山、「COP15での日米首脳会談をこちらから提示する段階でない」
11日 キャンベル国務次官補、「日本政府は今月18日までに結論を」
  17・18日 COP15首脳会議
1月24日 名護市長選

2面

すべては05年米軍再編から始まった
11・28岩国

山口県岩国市で11月28~29日、米軍住宅建設と米軍再編に反対する現地行動がもたれた。私は、28日の「現地フィールドワーク」、「岩国市民との交流会」、「09岩国労働者反戦交流集会」に参加した。

愛宕山に米軍住宅はいらない
午後2時過ぎから、岩国市の南側に位置する愛宕山の現地フィールドワークをおこなった。
愛宕山は、米軍岩国基地の沖合拡張工事に使う土砂採取のために切り崩されている。下の写真の白い斜線部分が元の愛宕山の姿であったと思われるところ。120メートルあった山が、半分ほどに削られた。山頂付近にあった神社も中腹に移設。
地元の百合丘自治会副会長の福田さんから説明を受けた。
行政の当初の説明では、愛宕山を削った跡地は米軍基地の騒音被害に苦しむ住民の移転先にするということだった。ところが、跡地に米軍住宅を建てる話が持ちあがった。福田さんは、もはや黙っていられないと行政裁判の原告になったという。〔福田さんの話の要旨は別掲〕

白い斜線の書き込みが愛宕山の削られた部分(11月28日)

基地と闘う4訴訟
4時からの交流会は、岩国市民会館で「岩国4訴訟原告団交流会」と題しておこなわれた。主催者あいさつと原告団連絡会事務局の大月純子さんから説明。
岩国では、①埋立差止を求める「海の裁判」、②爆音訴訟の「空の裁判」、③愛宕山の開発を巡る「陸の裁判」、④情報公開を求める「テーブルの裁判」と呼ばれ、その4原告団が一丸となって岩国基地問題を争っている。その4原告団の各代表が発言した。

◎「海の裁判」
原告団長で岩国市議の田村順玄さん。岩国基地の沖合移転拡張は厚木からの米軍艦載機受入れのためだけの事業。騒音被害に苦しむ岩国市民の悲願と期待を裏切るものだと強く断罪。

◎「空の裁判」
原告団長の津田利明さん。「騒音は国の基準値を上回るが、国からは何の説明もない。国は法律を守ると信じていたが裏切られた。裁判で市民の切実な思いを明らかにしたい」と国を追及する決意を表明。

◎「陸の裁判」
地元自治会長でもある岡村寛原告団長。「すべては米軍再編が元凶。金のためにたたかうのではない。カービン銃を市民に向けて警備するような米軍住宅はいらない」と熱弁。

◎「テーブルの裁判」
「岩国を守る会 風」代表の南部博彦さん。「知る権利を奪い、水面下で米軍基地拡張を計画していることは許せない」と岩国市の不正を糾弾。

岩国4訴訟の原告団代表がそろって登壇
(11月28日)

岩国・沖縄・韓国を結んで
6時から、09岩国・労働者反戦交流集会。主催者代表として全港湾大阪支部長の大野進さん。「4つの裁判が行われていることを大阪に持ち帰って訴えたい」「沖縄・辺野古を含め3党合意を絶対に実現させる運動をつくりだそう」とあいさつ。岩国住民を代表して「愛宕山を守る市民連絡協議会」の岡村寛さんが発言。
続いて韓国・民主労総主席副委員長のチョン・ウィホンさんが連帯の発言(チョンさんは昨年6月、反G8京都行動へ参加のため日本に入国する際、弾圧を受け強制退去させられている)。チョンさんは、「民主労総は平澤(ピョンテク)をはじめとして、基地闘争をたたかっている。反基地闘争は地元住民の力と労働組合の団結した力によって勝利する」と訴えるとともに、「全世界で資本が搾取収奪を強めている。韓国でも年間数千人の自殺者が出ている。労働運動はこうした状況を突破しなければならない。反基地闘争と結合して力強い労働運動を再生しよう」と訴えた。
さらに基調の提起、全国からの報告で集会は熱気にあふれた。
岩国現地では反基地闘争がねばり強くたたかわれている。これと沖縄をはじめとする全国の反基地闘争がつながり、また韓国の運動との国際連帯が強められていくならば、米軍再編と日米軍事一体化攻撃はうち破れる。このことを確信する行動になった。(高岡 久)
市内各所に掲げられている幟。反対運動の強さを示している(11月28日)

正しいことを言うのは恥ずかしいことではない
百合丘自治会の副会長・福田さんの話

愛宕山を削った跡地の前で説明する福田さん
(11月28日)

15年前に岩国に引っ越してきた。最初は岩国駅の近くにいたが、米軍機の爆音がすごく、少しでも静かなところをと、愛宕山の中腹に移った。岩国基地の沖合移転にも、騒音のひどさを知っているから、基地が移転して騒音被害が軽減されるならと、早く進めてとさえ思っていた。
ところが、愛宕山の土砂搬出が進む中で、頻繁に発破がおこなわれ、その振動のために付近の住宅の地盤が沈下する被害が発生した。行政は、法の範囲内だから問題ないの一点張り。憤りを感じ、住民同士で団結して市役所に申し入れをおこなった。これで振動被害はいくらか軽減され、団結して行動することの力を実感した。
愛宕山を削った跡地は、行政の当初の説明では、騒音被害に苦しむ住民の移転先だった。ところが、米軍住宅用地として売却する計画が持ちあがった。もはや黙っていられないと行政裁判の原告になった。そして岩国基地問題を考えてきた様々な団体が集まって、08年8月に「市民連絡協議会」を立ちあげ、「愛宕山に米軍住宅はいらない」を統一スローガンに運動している。
正しいことを言うのは恥ずかしいことではない。そういう姿を子どもらにも見せたい。〔要旨 文責・編集委員会〕

沖縄戦は沖縄差別の極致
大田昌秀さんが講演 11・27大阪

11月27日夜、大阪市内の「エルおおさか」で、大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判・支援連絡会の主催による、「沖縄戦と集団自決裁判について」というテーマの学習会がもたれた。いす席を埋める盛況で118人の参加と発表された。
西浜楢和さんの司会ではじまり、主催者を代表して、高岩澄さんが開会のあいさつ。高岩さんは、11月11日付の沖縄タイムスの記事や、15日付の「沖縄戦記録フイルム1フィート運動の会」の渡久地さんの投稿を示しながら発言。11・8県民大会での2万1千人参加にこめられた沖縄県民の普天間基地即時撤去、辺野古への新基地建設反対の声の高まり、沖縄戦での日本軍による住民への強制集団死の事実の教科書書きかえにたいする県民の怒りの深さを紹介した。

戦後沖縄差別の最大の現実が米軍基地

大田昌秀さん(元沖縄県知事、現参議院議員)が大きな拍手で迎えられて登壇。
大田さんは、「新しい歴史教科書をつくる会」にたいして、「沖縄戦についてまったくわかっていない」と怒りをたたきつけた。
そして、「沖縄戦とは何だったのか」と設問し、それが天皇を頂点とする国体(国家体制)護持の本土防衛の盾として、玉砕を前提にした捨て石作戦であったことを具体的事例を示して明らかにした。沖縄戦の実態をあばくなかで、本土による沖縄差別が核心的問題であると断罪した。
さらに、大田さんは、沖縄戦の過程における軍隊「慰安婦」の問題や沖縄全体が軍の統制下に置かれたことなどについても触れ、裁判原告の梅澤証言の虚偽性を鋭く突いて弾劾した。そして、原告が「新しい歴史教科書をつくる会」と組んで、日本軍による沖縄住民の集団強制死を「殉国の美談死」に仕立てあげ、武士道精神を謳歌するような社会的風潮をつくり出そうとしていることに警鐘をならした。
最後に、戦後の沖縄差別の最大の現実が沖縄の米軍基地問題であると述べ、普天間基地撤去=辺野古新基地建設反対という沖縄県民のたたかいの意義と勝利の展望について、二日前にアメリカから持ち帰ったばかりの米政府の内部資料などを手にしながら提起した。
勇気と希望を与える大田さんの講演にたいして、万雷の拍手がおくられた。
大江・岩波沖縄戦裁判の一審・二審勝利を引きついで、最高裁でも勝利判決を勝ちとるために、運動をさらに拡大・強化しなければならない。辺野古の新基地建設阻止のたたかいと結合して、沖縄闘争の発展を切りひらこう。このことを学習会に参加して痛感した。(Y・K)

3面

日本政府は謝罪と賠償すべき
同時証言集会 ハルモニの訴え 11・28大阪

11日28日大阪・北区民センターで、「日本軍『慰安婦』被害者の声に応え 今こそ立法解決を!」(主催 同時証言集会inおおさか2009実行委員会)が行われた。在特会による集会妨害をはねのけて、450人の人びとで会場は埋めつくされた。

被害の話をすると心が破裂しそう

最初にビデオ上映があり、司会のあいさつの後、亡くなった被害者の方々に黙祷を捧げた。在日コリアンのデュオシンガー志遠(チウォン)の心を込めた鎮魂歌に続き、姜日出(カン・イルチュル)ハルモニが華やかなチマチョゴリ姿で登壇した。ともに登壇した村山一兵さんは、06年からナヌムの家の日本軍「慰安婦」歴史館の研究員で、ナヌムの家のスタッフ。村山さんの通訳でハルモニの話を聞いた――
歴史のことを学びにきて下さったことに感謝する。私は81歳。17歳のとき、家に一人でいて、警察に無理矢理連れていかれた。当時、日本に侵略されていたが、同じ人間なのに人間として扱わず、犬のように連れていったことを、日本は謝罪すべきではないか。
中国の慰安所に連れていかれた。そこで殴られ傷を負ったが、今でもズキズキすることがある。腸チフスにかかり髪の毛が抜け高熱がでたとき、日本軍は伝染病なので穴を掘って病人を焼こうとした。私も入れられたが、朝鮮人兵士たちが日本軍を殴って助けてくれて逃げた。
戦後も帰れなくて、2000年にやっと韓国に帰ったが、父、母、兄にも会えず、恨(ハン)となっている。幼い朝鮮の女性を連れていき、どんなに苦しめたか。
日本政府は責任をとらず、国民基金(注)をつくり、被害者を分断していることを恥だと思って欲しい。被害者が亡くなる前に謝罪と賠償をして欲しい。二度とこんなことはしてほしくない。
――と怒りを込めて訴えた。
最後にハルモニは「被害の話をすると心が破裂しそう。心の中は涙が流れている」とうち明けた。
加害国の人間として、この苦しみを心に刻みつけなければならない。

「慰安婦」とは真実をぬり隠す言葉

続いて、村山さんがナヌムの家で、日本人男性として学んだことを話した――
慰安所で何をしたのか考えて下さい。過去のことではなく、ハルモニたちの体の中に楔のように打ちつけられているのです。それを抜いてくれと言われる。
軍人たちが性的な暴力を行ってきた。強姦してきた。それがなぜ被害として認められないのか。「慰安婦」という言葉は真実をぬり隠すもの。その言葉から抜け出さねばならないと思う。国際社会ではすでに「性奴隷制度」と表現されている。
――と問題提起された。
また、会場からの質問を受け、「男性の性衝動は押さえられない」というのは「社会的につくられたもの。ビデオや本で暴力的なものが流布されていることに起因する。それが相手(女性)を傷つけていることに無感覚にさせられている」と批判した。

さらなる意見書採択を

その後、宝塚、生駒、泉南、豊中、吹田、枚方から6人の市議が「慰安婦」問題についてのとり組みなどを発言。最後に実行委員会から「今や私たちは立法解決させる手段を持っています。地方議会での意見書採択を、在特会が慌てるほどあちこちでやろう。120万人署名や水曜デモをやろう」と行動提起があった。(花)

注 「女性のためのアジア平和国民基金」

日本軍「慰安婦」とされた方々の糾弾と追及にたいして、日本政府が、あくまでも国の責任を回避し謝罪を拒否しながら、償いの体裁をとる目的で95年に設置された基金。

南京大虐殺から72年
大阪で証言集会 12・5

5日、「戦場の街・南京――安全でなかった国際安全区」と題した集会が、大阪市内の「エル・おおさか」で開かれ、南館ホールに一杯の参加者だった。

被害と加害の証言

被害証言として、当時12歳だった楊翠英(ヤン・テュイイン)さん、加害証言として当時の海軍兵士・三谷翔さんが発言した。
楊さんは、日本軍の暴行から逃れるため避難した難民区のなかで、「ただの農民だから殺さないでくれ」と訴えた父と1歳の弟など、家族8人のうち4人が殺さたことを証言した。
今年90歳になる三谷さんからは、1937年10月半ばから、戦艦「海風」で揚子江の作戦に従事、12月17日の日本軍南京入城式に参加、メインストリートの中山北路で死体の山を見た。その後船内で見張りをしていると、捕虜とも平民とも区別できない人を中山埠頭から川の中へ追いおとし、機関銃で射殺する残虐行為を目撃したと証言。人間を殺人鬼にする戦争は絶対にしてはならないと訴えた。

侵略を総括する作業を

集会主催者の松岡環さんが、「安全でなかった国際安全区」について、『程瑞芳日記』にもとづいて講演。
南京大虐殺を否定する人びとは、「20万人の街で30万人の虐殺はありえない」というが、当時の南京行政区は108万人で、国際安全区に20万人。安全区内・南京市・南京郊外で約30万人が虐殺された。1997年から現在まで南京戦に参加した約250人の加害兵士の証言を聞き取りしてきたが、罪を意識している人は本当に少ない。たった2人だ。――と松岡さん。
松岡さんは、これまで24回にわって「銘心会南京友好訪中団」を組織、現地での追悼・証言の聞き取り・侵略戦争跡地のフィールドワークを行うとともに、毎年12月に南京大虐殺の被害者を招いて証言集会を開催、被害者たちの心のケアも行ってきた。また著作や写真図録・映画なども作成、妨害をはねのけて事実を広めてきた。今回は、加害証言がついたてなしで行われたが、侵略戦争を総括する作業はまったく終わっていない。
他方で、南京大虐殺を否定する排外主義の動きも強まっている。加害の歴史を抹殺する動きを許さず、侵略戦争の事実を語り継ごう。
南京大虐殺にかかわる書籍・映画・パネルなどの問い合わせは、「南京大虐殺60カ年大阪実行委員会」(090-3826-1347)まで。(M・K)

参考

『戦場の街 南京 松村伍長の手紙と程瑞芳日記』
松岡環編著 社会評論社

「在特会」が朝鮮学校を襲撃
在日人民のたたかいに支援・連帯を

12月4日、京都市南区にある京都朝鮮第一初級学校に在特会がおしかけた。
午後1時、11人が門前に現れ、拡声器を使い大音量で差別言辞をがなり立て、授業の妨害と子どもたちへの脅迫を1時間ものあいだやり続けた。また、学校敷地の隣にある公園(初級学校の生徒たちも使用している)に設置してあるサッカーゴールを引き倒し、朝礼台を撤去、スピーカーの線を切って取り外すなど破壊をおこなった。
この日、学校では、京都にある3つの初級学校(第一、第二、第三)と滋賀県の初級学校(大津市)の高学年の交流会がもたれていた。低学年の生徒は授業を受けていた。
11月に在特会が、「初級学校に押しかける」と公言していたため、学校側は事前に警察に警備の要請をしていたという。ところが、現場にいた警察官は在特会にやりたい放題をやらせ、彼らの蛮行を一切止めなかった。
この事態に子どもたちはおびえて、中には涙を流す子もいたという。
ある在日の保護者は、「いままで本当に悔しい思いをいっぱいしてきましたが、もうたくさんです。今後このような事態が起こったとき、また私たち朝鮮人は門扉の前で歯を食いしばり、血の涙をのみながら我慢に我慢を続けないといけないのでしょうか?」と訴えている。
日本政府・文部科学省が朝鮮学校を学校として認めないという民族差別のなかで、在日の人びとは、自ら資金を供出して学校を運営し、守ってきた。在特会は、政府の差別政策をいっそう助長し、その尖兵として動き出している。
在日朝鮮人にたいする迫害、民族教育・朝鮮学校への襲撃、このような暴挙が、白昼堂々、警察公認のもとでおこなわれたのだ。こういう事態をついに発生させてしまった日本社会、日本人民の責任は大きい。
民族排外主義、在日人民への排斥と対決し、支援・連帯のたたかいにたちあがろう。

「貨物検査法」「国会改革法」
来年の通常国会で阻止へ

朝鮮民主主義人民共和国に出入りする船舶を対象に、公海上で臨検をおこなう戦争挑発の貨物検査法案は、臨時国会で審議されていたが、審議未了のまま会期末を迎えた。政府は、4日の衆院本会議でこれを継続審議とした。来年、通常国会での成立をねらっている。
また、憲法解釈を内閣が独断でおこなうために、国会での内閣法制局長官の答弁禁止をねらう国会改革法案が通常国会に提出される。与党3党が7日、国会改革法案について、次の通常国会で成立を図ることで合意したためだ。官僚答弁禁止の例外対象である「政府特別補佐人」から内閣法制局長官を外すことでも一致したという。
ISAF(国際治安支援部隊)への参加という形式をもちいた、アフガニスタン本土への自衛隊派兵。この道筋をつける「国会改革法案」を許すな。

4面

世界恐慌の現段階とグローバリズム下の展望
――ドル危機と中国市
場経済のゆくえをどう見るか――  時任 実秋

昨秋の世界恐慌への突入以来1年が経過した。本稿では、恐慌の現段階を概観した上で、グローバリゼーションのもとでの国際政治経済情勢について、何に着目し、どのように分析していくべきかを提起したい。株価や為替市場に一喜一憂し、「世界経済の分裂化・ブロック化から世界戦争へ、基軸通貨ドル崩壊から世界革命へ」と無内容にくり返すのではなく、主体的に――主観的にではない――国際情勢をとらえていく観点を獲得していこう。

帝国主義国の大恐慌長期化は不可避

IMF等の09年世界経済見通しでは、アジア経済が全体に堅調ななか、帝国主義諸国として唯一日本経済が深刻なデフレに突入し、消費者物価指数(図1)は前年同月比でマイナス2・5%、企業物価(卸売物価に近似)は同じくマイナス6・7%である。欧州でもドイツ、ロシア、イギリス経済が危機的だ。
アメリカの失業率はついに大台を超えて10・2%となり、世界経済は景気の底に張りついた状態にある。
鉱工業生産(図2)は中国、インド、韓国で回復が顕著だが、欧州が深刻である。アジアの生産回復は、政策効果を含む国内市場の拡大による部分が大きい。中国の輸入回復の顕著さが典型的だ。他方、米国市場は、自動車販売が環境対策の政策誘導で回復しているが、外国車が伸びたためでビッグ3の復調を示すものではない。住宅も中古販売が回復しはじめたが、新築販売数は下げ止まっただけで、本格的な個人消費の回復は遠い。
先進諸国の失業率は、ジョブレス・リカバリー(雇用なき景気回復)の再現となっている。企業業績が回復しても雇用は戻らず、ますます国外に生産と雇用が移転して、資本はそこから利益を回収する構造だ。
日本の完全失業率は、最悪だった7月の5・7%から10月には5・1%へと下がったが、実態を反映していない。短期雇用の部分的回復だけで、派遣労働者は最低賃金レベルでとぎれとぎれに働けるだけで、正社員の早期退職強要もつづいている。

新興国市場と資源めぐる争闘戦激化へ

昨秋以降、大恐慌への転落を恐れて各国が可能なかぎり財政出動をして、超インフレ政策でようやくデフレを押さえてきたが、ついに日本で吹き出した。これが米欧に波及していくのか、日本だけが陥没しつづけることになるのか、それともアジア経済の回復を背景に、日本のデフレも早晩収まっていくのかが第一の問題(経済動向)であり、今後の注目点だ。
第二の問題(国内政策)は、日米帝国主義の政権交代で新自由主義政策から一定の軌道修正が始まったが、グローバル化した世界を前提にどんな修正が可能なのかが問題となる。オバマ政権が医療保険制度でつまずきかねないのもそういう問題だ。欧州諸国の低迷も同じであり、グローバル化といわゆる内需拡大策は両立しないのだ。
したがって第三(外交政策)に、各国帝国主義は中国など新興諸国の市場拡大分と新植民地諸国をめぐる争闘戦にかけることになる。鳩山の「東アジア共同体」構想もそうした発想であり、帝国主義間対立が外交的・軍事的に激化していく一方、帝国主義本国では、一部資本家だけが海外から吸い上げた利益を独占する格差拡大が深刻化していくだろう。21世紀の現代もまた、戦争か革命かの時代なのだ。

基軸通貨ドルの崩壊はあるか

11月末から一時、1ドル84円という円高ドル安となったが、ドバイ・ショックと米帝が景気低迷の深刻さから超低金利政策を継続せざるをえないことから起こったとされている。そのまま基軸通貨ドルの暴落から世界経済の崩壊へ進むのか?
ドバイ・ショックは元から予測できたもので、群がっていた架空資本がしぼんだだけのことだ。
そもそも、基軸通貨ドルの崩壊というシナリオは、30年代型デフレ恐慌とは別次元の問題だ。30年代型デフレ恐慌と基軸通貨崩壊による超インフレが単純に共起するはずがない。ドル崩壊の危険性は80年代から言われてきたが、本来長期のスパンで論じるべきものだ。
これは資本主義世界経済の崩壊に直結するものであり、帝国主義と命運をともにする道を選択した中国が米国債を叩き売るシナリオに現実性はない。それがスターリン主義というものだ。
また、貿易額の回復などをみれば、ドル需要は増大しており、すぐ〈崩壊〉とはならない。日本のバブル崩壊時、ゼロ金利と極限的財政赤字でも円の信用は崩壊しなかった。米国の財政赤字も、単年度でGDP比13%、累積で10兆ドル(公的債務全体では65兆ドル)と危機的だが、金融システムの破綻から基軸通貨体制の破綻へは、逆の場合と違って、単純に連動するものではない。30年代恐慌でもポンド体制は崩壊せず、スターリング・ブロックで持ちこたえた。
問題は、第一に、米帝の高金利政策によって赤字財政を上回る規模でドルが本国に環流してきたこれまでの流れが、どうなるかである。
昨秋の金融恐慌勃発以降、だれもが相対的に安全な米国の短期国債を買いに走ったのであり、その後も政治的思惑含みの中国と中東のオイルマネーが米国債を買い支えつづけている。これが永続するものでないのは明らかであるが、日欧経済の危機的現実を見れば円やユーロに為替投機が集中する条件はなく、有効な投資先が見えない世界恐慌の時だからこそ、こうなっているのだ。
第二に、いずれにせよ基軸国米帝の政治的経済的信用は低落しており、アフガニスタン侵略戦争が敗北必至であることが重大な意味をもってくるだろう。
結論として、現時点で確実に言えることは、ただちにドル崩壊とはならないにしても、長期にドル安傾向をつづける可能性が大きく、ドル一元体制は趨勢的に崩れていくであろう。ドル―ユーロ二元化や多元化も起こりうるが、米帝はドル・ブロックに閉じこもれないということだ。

東アジア共同体の意味と戦争の危機

グローバル化は、決して後戻りできないものである。そのもとでも、恐慌下に「分裂化・ブロック化」の圧力は強まってくるが、自足的経済圏を目ざすブロックではなく、対米対抗的な世界大的展開への足場の強化という性格をもってくる。EUもロシアの動きも鳩山の東アジア共同体提唱も、この文脈上で見るべきだ。
内容がなにも示されていない東アジア共同体構想であるが、日帝にとっても、賛意を示した中国にとっても、対米対抗的な意味を持つものであり、オバマが「米国は太平洋国家である」と即座に反応したのもそのためだ。中国スターリン主義と連携して共同体を構想する目算が鳩山にあるはずもないが、東アジアの勢力圏構想は日帝のDNAであり、生産移転を進めてきた資本も支持して、中国の政治危機をにらみつつ、米中二又外交を模索していくだろう。
問題は、この流れが世界戦争危機に行きつくのかどうかだ。世界経済が収縮して「持てる国」によるブロック化と「持たざる国」による再分割戦から世界戦争へ、という30年代の経過をグローバリズム下ではたどらず、相互の本国市場や世界市場での全面的争闘戦をとおして、負けた側が保護主義を志向し、勝った側が新自由主義の展開を主張する対立構図となろう。そして、市場と資源の争奪戦が民族紛争等を契機に侵略戦争へ発展していくのであり、それはすでに9・11から始まっている。
これが世界戦争の危機に発展する可能性はなくならない。米欧中ロと日帝の合従連衡の動きがどう推移していくかが問題だが、安保と対中関係をめぐる日米間の矛盾は、戦後体制の留め金の一つが外れかかっていることを意味する。ソ連崩壊後の軍事バランスが揺らいだとき、世界戦争情勢が一気に引き寄せられるだろう。

恐慌下の成長で影響力を拡大する中国の経済構造

中国の市場経済ははじめて本格的な恐慌を経験した。ただ、世界市場を背景に、消費制限の壁に突きあたったとは見えず、金融恐慌で地価・株価の下落、相当数の倒産を被っても8%前後の成長率予測を維持している。帝国主義国の人民は、賃金破壊により、安い中国製品しか買えない。そのため中国製品は世界的な経済収縮のなかでも競争力を発揮している。外資系による部分が大きいとはいえ、対中貿易が世界最大の国が、日本、韓国、台湾、インド、マレーシア、ブラジル・・・とここ一、二年で急拡大し、世界経済への影響力も増大している。
その経済構造は、自動車製造企業が1千社、鉄鋼メーカーが1万社など、自由競争段階的である。外国資本の流入で「もはや大陸的どころではなく、中国的賃金、今ではこれこそイギリス資本のあこがれの的なのである」(『資本論』)が現実化しているが、超低賃金も、労働運動の荒々しい創成・台頭で上昇している。
現代中国は、この土台にスターリン主義国家がのっかった構造にある。換言すれば、共産党権力が、労働者人民の闘いを圧殺し、新興資本家の利害を実質代表して、国家独占資本主義的手法で経済政策(内容は国独資的政策にかぎらない)を展開して、国際帝国主義とわたりあおうとしているのだ。

中国問題の焦点――スタ体制の危機が世界激動に直結

中国スターリン主義の今後にとって最も重大なのは、成長率や株価の数値でも、米国債をいつまで買い続けるのかでもない。核心問題は、①プロレタリアートの本格的な形成が進むなかで、スターリン主義体制との関係がどうなっていくのか、②独占資本の形成が今後どのように進んでいくのか、である。
まず②について、国営企業が相当の比率(約40%)を占めるが、それが独占体を形成しておらず、民間金融も脆弱だ。独占的産業資本も金融資本も未形成なのだ。これがなければ、国際競争に勝ちぬけない段階が賃金水準の上昇をとおして必ずくる。本格的な恐慌を何度か経験するなかで独占の形成が進むのか、国家政策によって独占体をつくるのかということと、金融資本的蓄積をとおして、ブルジョアジーの階級利害を体現する政治勢力が形成されてくるのか、共産党政権がどこまで資本の利害を体現しつづけられるかが問題となる。
①で問題なのは、ソ連・東欧スターリン主義圏の崩壊が真の社会主義への道ではなく、資本主義の復活となった90年前後の過程との関係だ。革命的共産主義生成の芽がどの程度あるのか。日帝のアジア人労働力移入政策が、工作の決定的契機をつくりだす可能性はどうか。反日決起を闘った世代の動向が重要となる。
以上に加えて、中国問題で欠かせないのが少数民族問題だが、ここでは扱わない。
スターリン主義の改革開放は、もともとアクロバチックな路線だったが、それが階級的実体をつくりだしてきた。スターリン主義体制がいつまでもつか安易な予測はできないが、中国の激動は不可避であり、世界の政治経済を揺るがすものとなるだろう。

5面

安田派の部落差別の本性あばく
秋川論文(『展望』3号)・高尾論文(同5号)を読んで

革共同再建協議会機関誌『展望』掲載の秋川論文(3号)と高尾論文(5号)は、革共同の部落解放闘争にかかわる歴史の反省にたち、思想的理論的な自己批判に踏まえて執筆されている。それゆえ安田派による歴史の偽造と言い逃れをゆるさず、虚偽を暴き出している。

差別居直るための24CC

秋川論文は、07年秋に安田派が開催した24CC(第24回臨時拡大全国委員会総会)なるものの意図を鋭く暴き出している。それは、清水議長と安田政治局員ら革共同中央が、自らの保身のために党を分裂させ、広島差別事件を居直り、差別糾弾闘争を撲滅するという意図だった。
また、秋川論文は、07年「七月テーゼ」こそ、広島差別事件を準備したことを明らかにした。
さらに秋川論文は、部落解放闘争の指導的路線論文としてこの10年の間に書かれ、大会と全国委員会総会の決定とされた三つの論文を、24CCがなんらの自己批判もなく破棄したことの無責任さにたいして批判している。
とりわけ三つの論文の一つである仁村論文(95年)は、清水議長とK政治局員による「差別糾弾にたいする恐怖と敵対、部落解放闘争にたいする伝統的政治的利用主義」の意図から、「〈全国連の労働運動路線〉を破棄させ」るために、仁村にかかせたものであった。

仁村論文の問題性

仁村論文の問題性の核心は、高尾論文が鋭く喝破したように、「革共同中央による部落差別」という点にある。すなわち、仁村論文の狙いは、部落解放闘争をプロレタリア革命から排除し、部落民を党の基本組織から排除するという差別政策にあったのだ。
革共同中央は、95年の段階において、70年7・7自己批判の立場を投げすて、07年「7月テーゼ」への思想的移行を開始していたのだ。
その後、革共同中央は、部落解放闘争の指導を、仁村=与田へ丸投げしていくが、その真相はこのような革共同中央の部落差別にあった。
さらに安田派は、広島差別事件にたいして居直りを決め込むに至る。それは、自らへの糾弾を逃れるためには、もはや部落解放闘争そのものを根絶・解体する以外にないという立場に転落したことを意味する。
今年の5月23日と10月24日に、安田派が広島市福島町に押しかけてデモをおこなったが、これは、1925年の世良田村襲撃事件(注)と本質的に同じであり、絶対に許してはならない蛮行である。柏木俊秋はマルクス主義者としての科学的精神を最後的に捨て去り宗派内の官僚的地位保全のために、この全国連と部落解放闘争にたいする襲撃を賛美し扇動している。

部落差別の起源

高尾論文のもう一つ重要な点は、故本多書記長の天皇制論を深化し、現代の部落差別の起源が、再編封建制の遺物ではなく、天皇制ボナパルティズム確立と不可分の関係にあることを明らかにしたことだ。
日本帝国主義の社会政策は、一方では、新たな労働者階級の運動の勃興と反戦闘争の広がりを、大逆事件を頂点とした社会主義政党の結成にたいする弾圧として、他方では、日清・日露の侵略戦争と台湾・朝鮮の植民地化がもたらす民族解放闘争の高揚にたいする武力弾圧として、さらには、被抑圧民族と被差別人民にたいする「皇民化政策」として展開されたのである。
この「皇民化政策」こそが新たな部落差別政策の始まりである。それは、明治政府の初期の部落政策の単純延長線上にはない。そこに歴史を画する転換があることを、高尾論文は明らかにしている。その柱が「特殊部落改善運動」という国家的差別政策である。さらに「特殊部落」という新たな差別呼称であり、「細民警察」による監視体制確立であり、「敬神」(天皇を敬う)の強要であった。
その新たな差別と迫害の強化にたいする部落民の怒りの決起の中で全国水平社(部落解放闘争)が創立されたのだ。

「存在とたたかいに学ぶ」とは

「被差別、被抑圧人民の存在とたたかいから学ぶ」とは、われわれ自身の差別者・抑圧者としての現実を反省的にとらえ返し、共同闘争を通して差別・分断とたたかい、人間的再結合の努力を積み重ねることである。
同時に、差別や抑圧の発生根拠を歴史的に明らかにし、その物質的条件を廃絶するために、プロレタリア革命の果たすべき課題を実践的理論的に明らかにすることである。
このことを二つの論文は示している。

注 世良田村襲撃事件
1925年1月、群馬県新田郡世良田村の農民が、農村部落である下原部落を襲撃した事件。
2千から3千人の農民が、竹槍、日本刀、棍棒などで武装し、下原部落23戸を襲撃。村民35人を負傷させ、家屋と家財道具などを破壊、鶏や豚、金品を奪うなどした。襲撃は、周辺の農民によるもので、「命だけはとるな」と確認するなど組織的だった。
事件の直接の発端は、世良田村のある農民が“汚い着物を着ていても「チョウリンボー」ではない”という差別言辞を連発したことだった。これにたいして、地元の水平社が糾弾し、いったんは、差別撤廃講演会を開く約束で話がついた。
ところが、地元の地主などの反動勢力が居直り、差別撤廃講演会開催の約束を反故にして、差別襲撃を組織した。差別糾弾に恐怖し、追い詰められた襲撃であった。
このとき駆けつけた警察は、たき火をし、奪った餅などを食いながら、武装襲撃を野放しにしていた。

6面

高速増殖炉もんじゅ 3月運転再開ゆるすな
12・5 敦賀

5日、福井県敦賀市で「もんじゅを廃炉へ! 全国集会」が開かれた。
「もんじゅ」の目の前、白木海岸で11時から抗議集会。主催者は「鳩山政権は生活が一番というが、生活とは命と平和と人権の問題。もんじゅの運転再開は絶対に阻止せねば」と訴えた。
集会参加者は千人。集会後、「もんじゅ」門前まで行進し、抗議声明を手渡した。
白木海岸での抗議集会。写真奥の白い建物が「もんじゅ」
(5日)

午後から敦賀市民文化センターで全国集会。元毎日新聞の記者で淑徳大学教授の横山祐道さんが講演。最後に、事務局から「①福井県や敦賀市に運転再開の同意を求めるときに緊急抗議行動、②福井県知事、敦賀市長への要請葉書運動、③来年6月に福井市で開催されるAPECで、『原発は温暖化防止には役に立たない』ことを訴える」と方針提起。その後、敦賀市内デモに移った。

鳩山政権の核政策

「もんじゅ」は85年10月に着工、94年4月に臨界に到達。しかしその1年半後の95年12月に火災事故を起こし、14年間停止している。日本原子力開発機構は運転再開をくり返し発表してきたが、その度に破産してきた。
今年11月9日、原子力安全・保安院に最終報告書を提出、来年3月までに運転を再開しようとしている。
また、鳩山政権は事業仕分けで「もんじゅ」運転再開のための予算を全額認めた。核兵器用の高純度(98%)プルトニウムを大量に生産する道を進んでいる。
日本の核武装を阻止し、ヒロシマ・ナガサキをくり返さないために、鳩山政権の原発推進政策と「もんじゅ」運転再開を阻止しよう。(竹内二郎)

葛飾ビラ弾圧 上告棄却
警察による政治活動の圧殺

11月30日、最高裁判所は、葛飾ビラ配布弾圧事件で、上告を棄却した。
事件は、04年12月、東京・葛飾区で、荒川さんが、オートロックでないマンションで、集合ポストではなく各戸のドアポストに、「議会報告」やアンケートなどを届けたところ、ある住民が「共産党のビラを配っている」と110番通報。亀有警察の刑事課長や公安刑事が急行し逮捕、家宅捜索。23日間勾留のうえ、「住居侵入罪」で起訴された。
一審の東京地裁では、「ビラをドアポストへ投函することを刑事処罰の対象と見るような社会通念は確立しておらず、立ち入り行為は正当な理由があり、住居侵入罪は成立しない」として無罪。
ところが、東京高裁は、一審無罪判決をくつがえして罰金5万円の逆転有罪判決。最高裁は二審の判断を支持した。
最高裁は、マンション管理組合の管理権にもとづくビラ配布の禁止措置は認められるとした。ところが、荒川さんが配布したマンションの管理組合は、住民の総意で政治活動用のビラ配布の禁止を決めた事実はない。また荒川さんの件で被害届も出ていない。そもそも、憲法で認められている表現の自由にもとづくビラ配布を、マンションの管理組合が禁止できるなどという考え方がおかしい。
ビラ配布は、労働者人民にとって、もっとも基礎的な政治活動のひとつだ。それは、ビラを配布する側にとってはもちろんだが、ビラを受け取る側にとってもだ。
今回の弾圧と判決は、労働者人民の政治活動にたいする重大な攻撃だ。警察が、反戦や反貧困を訴える言論を封殺するために、この判決を利用し、支配と介入が強めることは間違いない。警鐘を乱打する。

闘いの軌跡よみがえる
神戸市民救援会議『救援ニュース』復刻・縮刷版

『救援ニュース』復刻・縮刷版第1巻が、神戸市民救援会議(加瀬都貴子代表)から上梓された。救援運動が始まった1969年11月の創刊号から、78年2月の100号までが収録されている。
70年安保改定をねらって、当時の佐藤首相が69年11月に訪米しようとしていた。この佐藤訪米を阻止すべく、「たたかう個人、組織が全力を尽くして準備をしている」(「発足にあたって」)ときに、神戸市民救援会議はつくられた。
『救援ニュース』創刊号の発刊は11月の上旬。日付はない。もちろんガリ版刷り。日付が入るのはNo.8、翌年6月から。以降、今日まで毎月欠かさず発行されてきた。2009年12月で481号を数えた。
創刊号には、「政府は、人民の広汎な反戦・反安保の意志を…政治力によって解決できず、ひたすら弾圧を強化している。…どうかかわるのか。大切なことは、自分を鍛え、成長していく努力ではないか」と、「発足にあたって」の言葉は記している。「救援」ということが、どのような姿勢から始まったか、真剣、率直に表わされている。
紙面には、69年11月決戦、沖縄「返還」協定、入管解体、不当逮捕の日常化、長期投獄、三里塚鉄塔破壊と東山薫さんの虐殺、平和台病院、関西新空港、狭山闘争と、今日に連なるたたかいの軌跡がよみがえる。第2巻の発刊を期待したい。
A4版、278ページ、非売品。希望者には頒布。(み)

※前進社関西支社でも扱います。申し込みは郵送またはメールで。

ごまめのエッセー
「民衆の政権ならどうするか」を課題として

世界の国々は、《戦争をしない、させない。自由で公正な恒久平和をめざす》という理念をもって、そのための賢い方策を練り、執っていくべきです。
いまの日本は、どうでしょうか。明治以来アジア・太平洋に侵略に出かけ、2千万人以上ものアジアの人びとを殺りくし、自らも沖縄戦、原爆や空襲で本土も焼かれ、殺されました。海外、国内とも、いまだに謝罪も戦後補償も、まったくといっていいほどしていない無責任国家です。
戦後ようやく、戦争を放棄する「平和憲法」を得ました。戦争で犠牲となり虐げられた庶民や民衆が、平和憲法を「私たちのもの」として喜び誇りに思いました。それが「押しつけ」であるはずがありません。押しつけられたと思っているのは、依然として戦争をしたい支配者たち、一部の者たちだけでしょう。
自民党政権は長年、平和憲法に違反したままアメリカへの基地提供や戦争の資金援助を続け、ずっと戦争を支援、加担してきました。8月の総選挙ではじめて、軍事国家アメリカの傀儡であった自民党政権が敗退しましたが、新政権を担う民主党も体質的には同様、親米で軍事同盟優先からの脱却は無理だと思われます。

「真の政権交代」を目標に

けれど、戦後はじめて私たち国民の選挙による政権交代ができたのですから、私たちは新しい政権に、主権者としてしっかりと注文をつけ、平和と外交はとくに厳しい目で見守っていかねばなりません。「ほんとうに私たちの、民衆の政権ならば、どうするか」をいつも課題として、要求と解決を考えながら政権に臨み、挑む気持ちでいかねばと思っています。
私たちは、次に来たるべき民衆自身による「真の政権交代」を目標に、平和の連帯をしっかりとつないでいきたい。主権在民、私たち庶民、民衆が望む「本当の民主主義社会」の未来像を描きながら、私たち一人ひとりが政治への意識と、参加を高め、日本の政治をさらに一歩すすめたいものです。(冨田幸乃・アーティスト)