市東さん宅と畑を誘導路で包囲
これは国家による暴力だ
市東さん宅の周辺図。フェンスを表す白い線は、描き込み。(写真が古く「第2誘導路」は写っていない) |
上の図を見てほしい。 市東孝雄さんの家と畑を取り囲むように空港建設が強行され、暫定滑走路と誘導路ができている。市東さんは、この地で、親子3代90年ににわたって生活し営農している。空港がずっと後にやってきて、金と力で農地を奪っている。こういう理不尽なやり方に反対して、市東さんは敷地内で、農地を死守している。
生活と営農の破壊
市東さんの家と畑は、フェンス(上図の白線)で囲まれている。これだけでも大変な圧迫だ。市東さん宅の東側にある誘導路からは、航空機の激しい騒音と排気ガスがまき散らされている。
政府と空港会社は、さらに、市東さん宅の西側100メートルのところに、新たに誘導路(上図の破線)をつくる計画を打ち出した(7月4日)。2本の誘導路が、市東さん宅や畑をはさむ形になる。市東さん宅と畑が空港の中に閉じ込められ、周囲の集落から分断・孤立させられる。しかもジャンボ機の騒音とジェットブラストが四方から浴びせられる。
空港エプロンと暫定滑走路をつなぐ第1誘導路に隣接してあえて新たなに誘導路を作る合理的な理由はない。その狙いは、市東さんの生活と営農を困難にすることだ。
市東さんに大義
これは国家による暴力だ。市東さんは、怒りをこめて訴えている。親子3代精魂こめたこの土地で農業を続ける。そして、農家を虫けらのようにあつかう国のやり方は絶対に受け入られないと。(市東孝雄さんの意見陳述)
市東さんの訴えには大義がある。そして国のやり方には一片の正義もない。
国策に楯を突く農民にたいして、国家が暴力を発動してきている。このことを見過ごしていいのか。人間を虫けらのように扱う国にたいして、いま全人民が怒りを解き放ち始めた。先の総選挙を見よ。そういう時だからこそ、三里塚の闘いは社会を変える大きな力を持っている。
10・11は全国から三里塚現地へ。9・27の三里塚関西集会へ。
〔5面6面に関連記事/下段に10・11集会招請状/6面に集会要項〕
農家を虫けらのようにあつかう
空港建設は受け入れられない
市東孝雄さん
私は、代々守ってきたこの畑で野菜を作り続けることに生きがいを感じます。農地は単なる土地ではないのです。長い年月をかけて、有機の土、完全無農薬の畑につくりあげてきたのです。
祖父が切り開いた時から親子3代にわたって精魂込めた、この土地こそ私の畑です。そして農地と農業を大切にする考え方が、いま、大事だと思います。
私が畑を守る理由は、こればかりではありません。国と空港会社が、力ずくで取り上げようとしていることが問題です。政府は「強制的手段を放棄する」と約束し、空港会社の社長は「謝罪」文を書いて頭をさげました。
だが、40年間、農家を虫けらのように扱った空港建設は、今もまったく変わりません。法律も民主主義もない。あるのは強権とカネの力です。このやり方は、絶対に受け入れることができません。
だからここに住むし、この畑を耕すのです。私の畑は「この農地」でなくてはならないのです。
〔市東孝雄さんの意見陳述(2月3日の農地死守裁判)より抜粋〕
農作業中の市東さん。後方は空港のフェンス。(写真は三里塚関西実行委提供) |
10・11 三里塚全国総決起集会 招請状
三里塚芝山連合空港反対同盟
全国の労働者、農民、闘う仲間のみなさん。
戦後長く続いた自民党による政治支配が、人民の激しい怒りによってついに倒壊しました。恐慌がもたらす底知れぬ危機の中、どんな既成政党もこれにとって代わることはできません。労働者、農民、人民の力のみが新たな時代を切り開く激動情勢―、これはまた三里塚闘争の勝利を開く決定的情勢の到来です。「空港絶対反対」「農地死守」の43年間不屈の闘いが、いよいよその真価を発揮する時がきました。わが反対同盟は敢然と決戦を挑む決意です。10・11全国総決起集会への大結集を訴えます。
労働者を襲う首切り、賃下げ、雇い止めといった資本の攻撃と同じ攻撃が、全国の農民に対してもはげしく向けられています。
6月17日、改悪農地法が成立しました。これは戦後闘いとった農地改革の成果を根底から覆す攻撃です。農民から農地を奪い企業(資本)に引き渡す制度の開始であり、資本による農業からの徹底収奪です。300万農家を40万戸に激減させるこの攻撃は、道州制による360万自治体労働者解雇攻撃と同根です。
恐慌は保護主義をもたらし、保護主義はアジア勢力圏化と戦争に向かいます。WTO(世界貿易機関)の決裂とFTA/EPA(自由貿易協定/経済連携協定)の推進は、破綻にあえぐ成田空港の立て直しと一体不可分です。北延伸10月供用前倒し、「へ」の字誘導路の緩和計画と飛行回数1・5倍化、24時間空港化。そして北朝鮮排外主義のなかでの成田空港の軍事化攻撃。民営化・労組破壊と一体のもと、国策と闘い続ける三里塚闘争を解体する攻撃の激化は不可避です。
7月29日、政府権力は「4者協議」(国交省、成田空港会社、千葉県、地元自治体)で、市東さんの家屋・出荷場など建物と畑を空港内に取り込む、断じて許せぬ誘導路計画(「第3の誘導路」)を打ち出しました。天神峰現闘本部裁判(千葉地裁民事5部・仲戸川裁判長)では、年内にも仮執行宣言付き判決で、最高裁判決確定の前に本部建物を証拠もろとも破壊する策動を強めています。これらせっぱ詰まった攻撃は不屈に闘う三里塚への恐怖の現れです。
三里塚闘争は戦前戦後の農民運動を引きつぎ、絶対不屈、農地死守・実力闘争で闘ってきました。親子3代90年の農地を、農地法で事実上「収用」する攻撃は、全国の農民・労働者の怒りを根底からかき立てずにおきません。三里塚闘争は必ず勝利します。わが反対同盟は圧倒的な自信と確信を深めています。
勝利への道は、「空港絶対反対・一切の話し合い拒否」「農地死守・実力闘争」「二期阻止・空港廃港」の闘争原則と動労千葉とともに闘いとった労農連帯です。沖縄や関西住民をはじめとする反戦・反核・反権力、反差別の広範な市民運動・住民運動との連帯です。反対同盟はいかなる闘争破壊も許さない。改憲と戦争への道を阻止するために、韓国やアメリカをはじめとする全世界の労働者と連帯して闘おう。
いまこそ、権力と資本による分断をうち破り、労働者と農民は連帯して闘わなければなりません。10・11全国集会に総結集されることを心から訴えます。
2009年9月1日
2面
ジョージ・ワシントン配備1周年弾劾
原子力空母は出ていけ
9・26横須賀へ
昨年9月25日、米原子力空母ジョージ・ワシントンが横須賀に配備された。その1周年にあたる、今月26日(土)に横須賀現地で、配備1周年を弾劾し、原子力空母撤退を求める全国集会がおこなわれる。〔要項3面〕
ジョージ・ワシントン入港に抗議の声(昨年9月25日 横須賀) |
炉心溶融なら深刻な放射能被害
ジョージ・ワシントンは、熱出力60万キロワットの原子炉を2つ積んでいる。これは、中規模の原子力発電所に匹敵する。地上に設置したとしても危険きわまりない原発が、海に浮かぶ空母に搭載されているのである。
原子力空母の危険性は、多くの運動家・科学者が指摘しているように、@狭い船体内に設置するため、炉心設計に余裕がない、A放射能防護のための空間を犠牲にした構造、B動く船体に設置されているため、絶えず炉心が振動や衝撃にさらされている、C海難事故による原子炉や付属設備の破壊がありうる、D寄港など作戦目的によって炉の出力調整を絶えず強いられる、E核ミサイルや高性能火薬などの危険物が同居している、F交戦によって炉が破壊される危険性(物理学者・梅林宏道)、などがある。
また、日本国内で原発を設置する際の安全基準(それ自身、いんちきな代物であるが)からみても、米軍の原子力空母は治外法権の闇のなか、ブラックボックスである。さらに、羽田空港を離発着する航空機の航路下にあたる横須賀は、通常では原発建設の許可はおりない。こういう場所に原子力空母の母港がおかれているのである。
ジョージ・ワシントンが横須賀に停泊中、あるいは湾内を航行中に炉心溶融(メルトダウン)を起こした場合、半径8キロ以内の全員が放射線による急性障害で命を落とす。放射能の影響は165キロメートル先(宇都宮市、前橋市、静岡市)まで及び、放射能によるガンで事後に亡くなる人を含めると、120万から160万人に死をもたらすと予測されている(NGO原子力資料情報室)。
佐世保と横須賀
昨年、ジョージ・ワシントンが配備されるのにともない、横須賀はバースの延伸や、原子炉修理施設の設置など、原子力空母の母港としての機能が大幅に強化された。別の原子力空母ニミッツが8月24日、多くの反対の声があがるなか横須賀に寄港したが、いままで、原子力空母が日本に寄港する際は、ほとんど佐世保だけが使用されてきた。今後、佐世保と横須賀の両方を使用する可能性が高まる。
第7艦隊の出撃基地
1973年に横須賀が、米空母(当時は通常動力空母)の母港とされていらい、すでに36年たつが、いまでは空母1隻(ジョージ・ワシントン)、揚陸指揮艦1隻(ブルーリッジ)、イージス巡洋艦2隻、イージス駆逐艦7隻の合計11隻が、配備されている。
米第7艦隊は、司令部をブルーリッジ上におき、核空母ジョージ・ワシントンを主力艦とする。横須賀のほかに、佐世保、沖縄、韓国、シンガポールに基地をおき、全体では、50から60隻の艦船、350機の航空機を擁し、戦時には6万の水兵と海兵を動員するという。この空母部隊は、沖縄から出撃する海兵隊と連携して、空母艦載機による反復攻撃をおこなう部隊だ。アジアから中東にかけての侵略出撃の中軸を担う。
空母が、通常動力型から原子力空母に代わったことにより、その侵略作戦機能は大幅に向上した。
ジョージ・ワシントンは、6月から出航していたが、9月3日に帰港した。10月中には再度出航するといい、現在、横須賀に停泊中である。怒りの声をぶつけよう。
原子力空母ジョージ・ワシントンのみならず、米第7艦隊そのものを横須賀からたたき出そう。
「防災訓練」弾劾
実態は日米合同実働演習
8・30 東京
監視行動とデモ・集会を終日やりぬいた(8月30日 東京・世田谷) |
東京都・調布市・世田谷区合同総合防災訓練が、米軍・自衛隊参加のもと、世田谷区(区立世田谷公園周辺)と調布市(調布基地跡地)などで行なわれました。これに反対する監視行動とデモ・集会(主催・実行委員会)を終日闘いぬきました。
戦時想定し自衛隊・米軍が負傷者を搬送
今回の訓練の大きな特徴は、大型ヘリも離着陸できるヘリポートを屋上に備えた自衛隊三宿(みしゅく)駐屯地(東京都世田谷区。自衛隊中央病院をはじめ衛生関係機関が集中)を初めて使った日米合同実働演習ということです。
埼玉県所沢市の防衛医大から参加した医師が自衛隊機から降り立ち、米軍横田基地からも物資の輸送、そしてトリアージを終えた負傷者をヘリで横須賀に待機する米艦船に搬送する訓練が行われ、うなりを立てて引っ切り無しに上空を自衛隊・米軍・消防庁のヘリが飛び交うといった事態でした。
支配中枢の防衛
戦時に、「武力攻撃」対処や「大規模テロ」対策に転用される訓練であり、最近では、核・化学・生物兵器の訓練も組み込まれています。
そもそも戦闘部隊である自衛隊・米軍が「住民を守る」口実で防災訓練に参加すること自体ペテン以外のなにものでもありません。
今回、米艦船への負傷者の搬送では、ヘリが空中で3分もホバリングしながら、一人ずつしか搬送できませんでした。このような体制の中に、自衛隊にとっての「防災」とは、政治・経済・支配の中枢の防衛にあり、住民の防衛ではないことを示していると思います。
排外主義の動員
都知事・石原は、「災害時に在日外国人が騒擾を起こす」ことへの対処の必要性をいっています。さらには「新撰組を作る」と言って、ビッグレスキューを始めましたが、「自主防災組織」には高校生や子どもも動員され、他の会場では、小学生を任務に付けるということまで行われました。
会場の公園では、野宿者にたいする「不審者」狩りも行われました。
大雨の中の反対行動
侵略戦争が「防衛」と称して行われてきた事は、幾多の史実が示しています。実行委員会は、午後、自衛隊正門前を終着点とするデモを行い、強く抗議の声を上げて、集会に移りました。
台風による大雨の中、60人を超える人たちがかけつけました。
長野県での昨年の訓練では、自衛隊が小銃をかまえて市街地での隊列行進が 行われ、それに至近距離で激しく抗議した報告。また、目黒区に創られようとしている「国際平和協力センター・防衛研究所」内では、防護服研究塔、砲弾弾道風洞実験棟などがすでに完成しつつあるといった緊迫した報告がなされました。 全力で反撃をたたきつけた一日でした。(東京・S)
「防災訓練」弾劾
自衛隊が続々 遺体安置訓練も
9・1 川崎
人工海浜に海自の強襲揚陸艇が上陸(9月1日 川崎) |
東京都、埼玉県、千葉県、神奈川県、さいたま市、千葉市、横浜市、川崎市による八都県市合同防災訓練が、神奈川県川崎市にある<川崎港東扇島東公園>を主会場として開催された。
緊急支援物資の中継基地
08年4月に開園した「東扇島東公園」は、東京ドーム3個分の広さをもち、平時には市民の集う公園として、また東京都23区に震度6強以上の地震が発生したときには「基幹的広域防災拠点」として、東京の「有明の丘」をヘッドとしての、主に緊急支援物資の中継基地として位置付けられている。
港湾の管理権は地方自治体にあるが、この公園を発災時に政府直轄にするため港湾法の改定があった。緊急事態に備えて、公園内には内閣府と国交省の建築物が建てられ、年数回、市民を排除して防災訓練を行っている。
今回の八都県市合同防災訓練は、9月1日(火)午前10時〜12時までの間、そうした特徴のある会場で開かれた。
住民の動員 自衛隊が前面に
訓練は、川崎市の性格にあわせ、市民参加訓練・臨海地区・工業地区・住宅地区及び商業地区の各エリアに分れ、それぞれ起震車両の体験、緊急物資受援、コンビナート火災、自主防災組織初期消火、座屈ビル救出などの訓練が、市・消防・県警・国交省関東地方整備局・第3管区海上保安本部・気象台・自衛隊(陸上自衛隊第1師団 陸自第31普通科連隊 海上自衛隊横須賀地方総監部 神奈川地方協力本部川崎出張所)・指定地方公共機関・公共団体・住民組織・ボランティア団体・その他事業者等によって行われた。
公園の周囲にある耐震岸壁に海上保安庁の船舶や海上自衛隊の艦船を停泊させ、そこから応援部隊や救援物資を搬入する訓練。海上自衛隊の強襲揚陸艦から揚陸艇を、公園の人工海浜(50年ぶりに復活した川崎の砂浜)に上陸させ、軍用車を陸揚げ。自衛隊等の大型ヘリコプターを公園内に着陸させ、ここからも応援部隊を投入させる訓練などをおこなった。
また小・中学生を多数動員し、自衛隊の医療車両などを見学させた。さらに公園付近の会場では、葬祭具協同組合などを動員して遺体安置所開設訓練もあわせておこなった。
「防災訓練」に名をかりた、大規模な治安訓練に強く抗議する。(川崎市AG)
3面
「つくる会」教科書
滋賀県で採択はばむ
滋賀県教委は8月31日、県立河瀬中(中高一貫校)で今年まで使用していた「新しい歴史教科書をつくる会(以下、つくる会)」〔注1〕歴史教科書をとりやめ、来年度から東京書籍の教科書に変更すると発表した。
滋賀県教委は、4年前の採択時、県下に3校ある中高一貫校のうち1校で「つくる会」歴史教科書を採択した。反対運動の大きな声を無視した採択だった。以来、4年間粘り強く撤回を求めるたたかいが取り組まれ、ついに今回の採択では、「つくる会」教科書を採択させなかった。
各地で不正・違法な採択あいつぐ
◇愛媛県(8月27日)
愛媛県教育委員会は、県立中等教育学校(中高一貫校)3校の前期過程と県立特別支援学校3校の中学部の歴史教科書として「つくる会」の扶桑社版を採択した。
井関県教委委員長は、採択のための教育委員会が開かれてもいない段階から、扶桑社か、自由社かどちらかの「つくる会」系教科書を採択することになると発言していた。採択過程を無視した違法行為だ。
上記校では、すでに同教科書を使用しており、継続となる。
また、同日、今治市教委(市立中学18校)と上島町教委(町立中学3校)も、歴史教科書として扶桑社版を採択。「つくる会」教科書が同県内の市町で採択されたのは初。
◇東京都(8月14日)
都教委は、来春開校の4校を含む都立中高一貫校10校と都立特別支援学校21校(分教室含む)で、来春から使う中学校の歴史と公民の教科書として「つくる会」の扶桑社版を採択した。ただし、来春開校の中高一貫校4校には、開校時、中学3年生がいないため、公民の教科書は採択していない。
都立中高一貫校と特別支援学校では、現在すでに扶桑社版の教科書が使われている。
◇杉並区(8月12日)
区教委は、前回(4年前)に続き、扶桑社版の「つくる会」歴史教科書を採択した。「地方教育行政の組織と運営に関する法律」や「独占禁止法」では、特定の教科書会社に関係する者が、教科書採択にかかわること、他社教科書批判をすることを禁じているが、日本教育再生機構〔注2〕の発起人に名を連ねている大蔵・杉並区教育委員長は、教科書採択にかかわり、自身が関与する扶桑社版教科書を推薦した。完全な違法行為である。
◇横浜市(8月4日)
横浜市教育委員会は、「つくる会」の自由社版歴史教科書を、18地区中8地区で採択した。自由社版教科書の採択は全国初。横浜市内に中学校は145校あるが、採択した8地区には71校がある。
任命された現場教師などの調査に基づいて採択区ごとに答申され、「望ましい」とされた教科書リストには、どの地区にも自由社版は入っていなかった。にもかかわらず、教育委員6人の無記名投票で自由社版の採択が強行された。しかも、自由社版教科書の当該である藤岡信勝・つくる会会長と今田忠彦・横浜市教育委員長が、事前に会って「採択する」ことで合意していたと言われている。違法行為にまみれた採択だ。
◇大田原市(7月4日)
栃木県大田原市教育委員会は、「つくる会」の扶桑社版歴史教科書、公民教科書を前回(4年前)につづき再び採択した。同教育委員会は、歴史教科書の採択に際し、扶桑社版と自由社版しか検討していない。そもそも教科書採択では、すべての教科書を対象に検討をおこなうよう義務付けられている。文部科学省の今年の採用にあたっての「通知」でもそのことは明記されている。大田原市教育委員会の採択は違法であり、文部科学省「通知」にも違反したものだ。
朝鮮人民が怒りの声
大田原市教育委員会での採択に際し、韓国『アジアの平和と歴史教育連帯』〔注3〕は、「この決定は、日本の侵略行為と植民地支配によって苦痛を受けたアジアの民衆を再び深く傷つける仕打ちであり、平和と人権、民主主義を指向する普遍的な時代潮流に逆行する反歴史的行為である。『つくる会』教科書は、日本の侵略戦争と植民地支配によって韓国の人びとに与えた苦痛を隠蔽・縮小し、軍国主義の精神を植えつける侵略の歴史を歪曲し、戦争を美化している」と抗議を発している。
朝鮮民主主義人民共和国にたいする排外主義攻撃が激しさを増すなか、街頭には在特会など外国人排斥団体が公然と登場し、自衛隊の海外派兵が恒常化・激化している。来年5月には憲法改悪のための国民投票法が施行される。かつてのアジア侵略戦争を開き直り、将来の侵略兵士を生み出すための、ゆがんだ歴史教育をねらう「つくる会」教科書(扶桑社版も自由社版も)採択に抗議し、撤回させよう。
焦点になっている当該地域で粘り強くたたかいぬく人びとと連帯し、全国津々浦々から抗議にたちあがろう。
〔注1〕「つくる会」の分裂
前回2005年の採択時、扶桑社から出版された「つくる会」歴史教科書は、全国各地で激しい反対にあい、採択率はわずか0・39パーセントにとどまった。この敗北をめぐり、「つくる会」で、責任のなすりつけあい・内紛が発生し、会はふたつに分裂した。
ひとつは、八木秀次らのグループだ。扶桑社がバックについている。
扶桑社版の現行教科書は、上記内紛により、2011年までしか使用できなくなったため、扶桑社は、百パーセント出資の子会社として育鵬社(教科書専門出版社)を設立。この設立に安倍元首相がかんでいるという。
八木らのグループは「教科書改善の会」(正式名称:改定教育基本法を基盤とする教科書改善を推進する有識者の会)をたちあげ、育鵬社から教科書を出す準備を始めている。
2012年に新学習指導要領が実施されるのにあわせて、次回2011年に教科書の採択がおこなわれるため、そこに狙いを絞り、教科書発行を策動している。
もうひとつが、藤岡信勝らのグループで、いまも「つくる会」を名乗る。彼らは、新たに自由社という小出版社から「つくる会」教科書を出版した。内容が反動的だけでなく、短期間での雑仕事ゆえ、誤記、誤植、事実のまちがいが多く、出版物としても失格という代物である。
〔注2〕日本教育再生機構
つくる会が二分解した後、藤岡信勝らと対立した八木秀次らがたちあげた反動的歴史教科書編纂をめざす団体。同じく、八木がたちあげた「教科書改善の会」(育鵬社から出す反動的歴史教科書の発行主体)の支持母体。
八木秀次グループ=日本教育再生機構=教科書改善の会=育鵬社=扶桑社。
藤岡信勝グループ=新しい歴史教科書をつくる会=自由社。
〔注3〕アジアの平和と歴史教育連帯
日本の歪曲歴史教科書を正す運動本部として2001年に発足した。構成団体は64団体。日本の植民地支配により直接被害を受けた被害者・遺族からなる団体、教職員組合をはじめとした多くの労働組合、宗教者・歴史学者などの団体によって構成されている。
田母神暴言を弾劾する
核武装をあおる田母神 |
前航空幕僚長・田母神は8月6日、広島に乗り込み、講演会を開催強行し、日本の核武装をぶちあげたが、続いて総選挙過程では、極右候補者の応援で大阪と九州に出向き、許しがたいデマを吹聴した。
8月24日、衆院大阪17区に立候補している西村真悟(落選)を応援する堺市での演説と、25日、宮崎1区で立候補している中山成彬(落選)を応援する宮崎市での演説だ。
選挙応援演説で田母神は、8・6ヒロシマでの平和記念式典に触れ、「参列者は被爆者も被爆者の2世もほとんどいない。全国からバスで集まってきた左翼ばかりだ」「式典は、日本を弱体化する左翼運動だ」とデマ、暴言をはいた。
田母神が応援にかけつけた、大阪17区・西村真悟は「維新政党・新風」(構成員が在特会と重なる右翼)と深い関係があり、97年には石原慎太郎と一緒に中国領・釣魚島(尖閣列島)に行き上陸し(石原は上陸せず、近くで待機)、日の丸をかかげたという札付きの極右だ。
中山成彬は、「南京虐殺はなかった」「強制連行の事実はなかった」「自虐史観に立った教育はしてはいけない」という発言や、三里塚闘争にたいして「ごね得」と暴言をはいたことで有名な極右である。
田母神の跳梁跋扈を粉砕しよう。
4面
革命的共産主義運動の再生・創造へ前進
9・6革共同政治集会
9月6日、兵庫県下で、革共同再建協議会と革共同関西地方委員会が主催した革共同政治集会が行なわれた。
今回の革共同政治集会は、「21世紀現代革命の綱領のために ―革命的共産主義運動の再生をめざして―」(報告T)と「改憲阻止・日米軍事同盟粉砕、戦闘的大衆運動の復権を」(報告U)と題するふたつの報告が中心である。
集会は、闘う労働者同志の司会で始まった。
まず、主催者から問題提起があった。報告T、報告Uはあくまでも試論であり、大事なことは、一人ひとりが情勢と対決し、自ら考え、路線・方針を提起する立場で、議論に参加することだという呼びかけがおこなわれた。そういう立場を確認して、二人の同志から報告を受けた。
インターナショナルを斉唱する240人の参加者(6日 尼崎市労働福祉会館 大ホール) |
21世紀革命の綱領を提起 報告T
報告Tは、21世紀現代革命の綱領を、試論的に提起するものだ。現代革命が突きつける新たな課題にたいして、革命的共産主義運動が、実践的にも理論的にも対応しえてこなかった現実がある。これを、いまこそ突きやぶっていこうという挑戦である。
とりわけ以下の点で、重要な提起を行なっている。
現代の戦争と新自由主義の把握
現代帝国主義の戦争と新自由主義の把握について、重要な提起を行なった。
レーニン帝国主義論、革共同の戦後世界体制論に踏まえつつ、「米帝国主義は、『対テロ戦争』という名で国内治安と対外戦争を一体化し、戦争を階級支配の基軸とするに至っている。軍事の革命と米軍再編・同盟再編を通して、あらたな戦争と強権的支配のグローバルな世界体制をなしている」と、現代の戦争と支配の特徴をとらえた。
さらに、「新自由主義攻撃を、市場原理主義のイデオロギーによる規制緩和・労組破壊だけで見る観点も、帝国主義間争闘戦→世界戦争に絞り上げていく分析も一面的で不十分と考える」と、安田派による帝国主義論解体と、清水式現代帝国主義論の墨守の両者を排しつつ、「根本的には、金融資本による階級支配の転換(蓄積の回復、その条件整備のための転覆的再建・強化)を軸としてとらえるべきである」と、新自由主義の帝国主義論的な把握を鮮明にした。
そして、新自由主義攻撃の破綻の焦点を、金融投機の破綻、労働者支配の破綻、「対テロ戦争」の破綻、日米関係の破綻と指摘した上で、「アメリカン・グローバリズムがついに大きく崩壊過程に突入した。その歴史的意義は、たんにアメリカ帝国主義の覇権の喪失ないし後退を意味するだけではなく、資本主義・帝国主義の階級支配がついに崩壊の時代に突入し、世界革命の新たな波がはじまりつつあるところにある」と、21世紀革命の現実的な展望を示した。
スターリン主義論の限界のり越え
共産主義論と現代革命の主体について踏み込んだ提起が行なわれた。
われわれは、反スターリン主義を掲げながらも、鮮明なスターリン主義批判と共産主義論を提起しえていなかった。この問題を反省的にとらえかす必要がある。また、レーニン主義をとことんまで貫いたからこそ、いろいろな問題も見えてきた。ロシア革命を世界プロレタリアートの貴重な歴史的教訓としてとらえかえすとともに、スターリンの言っていることではなく、現にやったことを徹底的に批判し尽くすことだ。
スターリン主義批判について、「一国社会主義論さえ批判しておけばスターリン主義の歴史的現実や実態はどうでもいいという態度はとらない。スターリン主義を本質的次元で一国社会主義ととらえることは正しいが、現実のスターリン主義の成立の次元についていえば、一国社会主義も後からする理由付けに過ぎない」と、革共同の従来のスターリン主義論の限界性を批判的に乗り越える方向を示した。
さらに、現代革命の主体について、「均質で単一のプロレタリアートの利害をつらぬきさえすれば、戦争と抑圧、搾取・貧困、差別と排除の全困難は打ち破れるとする安田派の見解にたいして、現代の帝国主義、とくに新自由主義による階級支配の転換に踏まえた、革命の主体を明らかにする必要がある」として、「他人の労働を搾取しないすべての働く人民と家族・地域・共同体を通じてそれと一体であるすべての人々が現代革命の主体」と提起した。これこそ労働者人民の現実と、現実の闘い・運動から出発する共産主義者の立場である。
その立場から、労働運動と労働組合運動の役割、7・7自己批判の立場の今日的重要性を提起した。
代行主義の克服を
革共同の歴史的総括について、「われわれは、69年以来ほぼ40年間にわたり総括しない党になっていた。いま革命的共産主義運動の再建にあたってもっとも求められているのは革共同の歴史的総括である」と、その重要性が提起された。
さらに、「なぜ今日の安田派的惨状を生みだしたのか、いっさいを清算せず、自己合理化せず、革共同として自己切開的な総括をやりぬかなければならない」とした。
そして「革命軍戦略」がはらんでいた問題、新自由主義攻撃とソ連崩壊への無対応の問題、革共同自身がかかえていたスターリン主義的組織のあり方などの総括の視点を提起するとともに、ミニ・スターリン主義党派に変質した安田派の現状と主張を明快に批判した。
そして、それらに踏まえて、「統一戦線や大衆運動、労働組合について―革命に向けて(革命後も)、その利害を守る先頭に立つことが革共同再建協議会の立場である。一言で言えば、『代行主義』の克服である」と、めざすべき方向性を提示した。
総選挙結果から日米危機と革命的展望しめす 報告U
報告Uは、8・30総選挙結果がつくり出している日米同盟危機の大きさと、たたかいの革命的展望を示すものだ。
戦後政治の転換点
8・30総選挙の結果のもつ意味の大きさを提起した。
今回の総選挙の結果は、小泉構造改革=新自由主義改革に対する労働者人民の怒りの爆発であり、「今回の総選挙が、日本の戦後政治の重大な転換点となることは間違いない」とした。すなわち、「アメリカ帝国主義が主導してきた新自由主義グローバリズムとそのもとで展開されている対テロ戦争=『テロとの戦い』の深刻な破綻を突きだす歴史的な事件」であり、さらに、「戦後の自民党支配を終焉させただけにとどまらず、日米同盟関係という日帝の存立基盤そのものを揺るがしている」と、提起した。
日米同盟ゆさぶる
さらに、「日米同盟関係という日帝の存立基盤そのものを揺るがしている」という点を、踏み込んで提起した。
まず、ソ連崩壊以降、米帝が、単極世界支配の確立のために全力を注ぎ、日米同盟関係の質的転換に死活をかけてきた過程を暴露し、とりわけ、05年「日米同盟〜未来のための変革と再編」で、日米安保の適用範囲を地球規模に拡大するとともに、日米軍事一体化を明確に打ち出したことを暴露した。
そして、最後のハードルを超えるべく、「提言・新防衛計画の大綱について」(09年6月9日)で、自民党国防部会が、9条改憲を防衛政策の筆頭に掲げたことの重大性を指摘した。
そのうえで、「しかし01年9・11とそれに続くアフガニスタン・イラク侵略戦争への突入は米単極支配の決定的な破綻をつくり出した。そして、世界恐慌は、08年11月米大統領選において、共和党政権を葬り去り、今度は、米帝のもっとも忠実な“パートナー”であった日本の自民党政権が民衆の怒りによって打倒された」と、総選挙の結果が、日米同盟関係を揺るがしている大きさを示した。
旧来のプロ独論を見直す
このように、歴史の転換点を迎えているいまこそ、「民衆の側から、積極的に、新たな社会のビジョンを提示していく」必要があり、そのために、「われわれの従来のプロレタリア独裁や労働者国家にかんするイメージを根本的に見直していく必要がある」という新たな提起が行なわれた。
すなわち、「中央集権的なブルジョア独裁国家を打倒した後に、より中央集権的で強力なプロレタリア独裁国家を建設するというスターリン主義的なプロレタリア革命観の根本的なのりこえである」とし、そして、「(1871年パリコミューンで)パリの労働者たちが歴史上はじめてなしとげた民衆による自主的自律的な運動の形成こそが、共産主義者のめざすべきもの」だとつきだした。
人民の要求を実行させる運動を
民主党政権に対する労働者人民の取るべき態度を鮮明に打ち出した。
「民主党を中心とする連立政権に対して、『所詮はブルジョア政権にすぎない』などというような冷笑的あるいは悲観的態度をとって、政治的な不作為を決め込むことは大きな誤りである」とし、「また、今日の労働者人民の生活苦や経済全体の危機的状況についても、『資本主義を打倒しない限り、改善の余地はない』などとする立場も同様に誤りである」「『障害者自立支援法』や『後期高齢者医療制度』、『介護保険制度』、さらには『製造業への労働者派遣の解禁』などは、《資本主義である限り不可避な政策》であると言い訳し放置することでよいのか。これらの撤廃を民主党政権に実行するように強力に要求する大衆運動を推進しなければならない」とし、さらに、「このようにして労働者人民がその闘争をとおして政府に政策の転換を強制するというプロセスをぬきにして、先進資本主義国における社会革命を実現することはできない」と、その革命の戦略・路線の観点からも問題を鮮明にした。
三里塚決戦へ
行動方針を鮮明に打ち出した。
なによりも、三里塚闘争である。10月暫定滑走路北延伸の供用開始のうえに、第三の新誘導路建設計画を発表したことを、「市東孝雄さんの農地と家屋を空港の中に封じ込めるという前代未聞の暴挙」と断罪した。そして、「日帝・支配階級がここまで三里塚農民と三里塚闘争の抹殺に全力を挙げるのはなぜか。その階級意志は何か。新自由主義の破綻、農業政策の破綻であり、帝国主義の支配の綻びが露わになっていることへの危機感に他ならない」と帝国主義の側の危機を鋭く暴き、勝利の展望を示した。
さらに、沖縄闘争、国鉄闘争、教育労働運動、郵政労働運動、反貧困の闘いなどについて提起した。
関西実行委が連帯あいさつ
報告Tと報告Uの間に、三里塚決戦勝利関西実行委員会の山本善偉さんから、連帯のあいさつをいただいた。山本さんは、「泉州住民の会」が7月に関西新空港反対集会を単独で開催したことを取りあげた。それは、三里塚決戦勝利関西実行委員会の内部問題にとどまらず、三里塚闘争にたいする大きな問題だと厳しく批判した。そして、9・27三里塚関西集会と10・11三里塚全国集会の成功のために奮闘しようと訴えた。
報告Uの後に、君が代処分をはねのけて職場闘争と裁判闘争を闘う教育労働者、共産主義の党再生の闘いを先頭で担う医療・福祉労働者、改憲阻止と三里塚闘争の二本柱で闘う首都圏の仲間、8・6に向かって青年の組織化で奮闘した青年労働者から、それぞれ報告と決意が表明された。
最後に、労働者組織委員会の同志から、革命的共産主義運動の直面する壁とそれをのりこえる挑戦として、今回の政治集会がかちとられたことの意義が鮮明に提起された。
【報告T、Uの全文を、近日発刊の『展望』第5号に掲載】
5面
『前進』2406号
安田派がデマを自認
三里塚・反対同盟への敵対ゆるすな
われわれは、安田派が、『前進』2402号で「三里塚闘争の原則を破壊し、条件闘争への変質を策動しているのが塩川一派である。」という悪質な「条件闘争」デマキャンペーンを開始したことを、本紙第39号で徹底弾劾した。
《条件闘争》デマを謝罪せよ
安田派にとっては、われわれの徹底弾劾によってこうむった組織的ダメージはかなり深刻であったらしく、『前進』2406号で懸命に「反論」を試みている。ところが驚くべきことに、『脱落派の道つき進む塩川派』と題するこの小論では、「条件闘争」デマキャンペーンについて一言の言及もないのである。安田派は「条件闘争への変質を策動している」ということを裏付ける事実が存在しないことを自認したのである。
再度確認するが、安田派が行なった「条件闘争」デマキャンペーンは三里塚闘争への悪質な破壊行為であり、三里塚反対同盟を背後から襲撃する裏切り行為である。なによりも、市東孝雄さんにたいする農地強奪攻撃が切迫し、これに対して反対同盟が農地を死守して闘う決意を明らかにし、全国の労働者・農民・学生・市民に10・11三里塚全国集会への結集を呼びかけているまさにそのときに、三里塚闘争の内部で《条件闘争が進められている》というデマキャンペーンを行なったことは断じて許されるものではない。
安田派政治局の諸君。諸君らが、かりそめにも政治党派として自認しているのであれば、党派としてのけじめをつけたまえ。自らが流した「条件闘争」デマキャンペーンについて反対同盟とすべての闘う人民に対して謝罪せよ。
《農地を守ることは条件闘争の一歩》と暴論
さて安田派はこの小論(「脱落派の道つき進む塩川派」)の中で、本紙第39号の批判に何とか反論しようと努力しているのだが、気の毒なことにやればやるほど彼らの反動的な正体と思想的空洞化を自己暴露する結果となっている。
まず第一に、市東さんに対する農地強奪攻撃とのたたかいについてである。
安田派の闘争方針の正体が《たとえ農地を奪われても、「空港絶対反対」や「労農連帯」のスローガンをかかげ続けていれば勝利である》という、国家権力に対する度し難い敗北主義と転向を合理化するものであり、「市東さんの農地を守る」ための実践方針が欠落したものであることを、われわれは批判した。
ところが彼らは、この批判の趣旨を理解できなかったらしく、相変わらず原則論の強調に終始するだけで、実践的な方針を何一つ示していない。挙げ句の果てには、「『原則』に対置して『農地を守る』を強調することは・・・すでに条件闘争の一歩なのだ」(『前進』2406号)という、とんでもない暴論を開陳している。
いま求められていることは、日帝・国家権力による市東さんの農地強奪攻撃を、実力で阻止するための戦闘的大衆闘争を組織することである。そのためには、「市東さんの農地を守れ」ということを唯一の一致点として、三里塚闘争への支援・連帯運動を拡大しなければならない。北総台地を揺るがし、全国の労働者人民を鼓舞した71年強制代執行阻止闘争に匹敵する戦闘的大衆闘争の創造をめざして、反対同盟とともに真剣な取り組みが各地で開始されている。すべての闘う人民と共同してこの壮大な事業を担うのか、それとも《農地を守ることは条件闘争の一歩》などという転倒した原則論を振り回すことしかできない安田派政治局に付き従って決戦から逃亡するのか。安田派の諸君、諸君らはどちらを選択するのだ。
農民が革命の主体であることを否定
第二に、安田派の《プロレタリア独裁論》の空疎化とそのスターリン主義的変質である。
その典型が「農民=援軍」論である。ここでは農民はプロレタリア革命の主体として措定されていない。彼らは「農村や漁村の苦境」に、プロレタリアートが主体的・自己批判的に接近すること自体を、「資本の差別分断攻撃の手先」といって否定する。
しかし、プロレタリア革命が勝利するためには、プロレタリアートが、自らの力で帝国主義による分断を乗りこえて、その自己犠牲的援助をもとおして、農民その他の勤労諸階層や被抑圧民族人民を、プロレタリア革命の主体として組織しなければならないのである。そしてこの過程がプロレタリアートを階級として、したがって革命の主体として形成していく過程そのものなのである。
ところが安田派は「07年7月テーゼ」によって、この過程全体を否定してしまった。そのことによって彼らは、プロレタリアートをも革命の主体の地位から引きずりおろしてしまったのである。
いまや安田派にとって《革命の主体》は《党》そのものなのだ。3年前、彼らは「党は階級そのものである」(22全総第三報告『共産主義者』151号所収)と公言したが、まさに《党による独裁政治》こそがかれらのプロ独論なのである。それは組織においては必然的に、個人による党内の独裁的な支配を完成させる。
このかんの安田派のスターリン主義ばりの所業には、それなりのイデオロギー的裏付けがあったのである。
6面
三里塚は日本を変える原点
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永井満さんの紹介1932年兵庫県西宮市生。64年に、兵庫県淡路島の岩屋教会に牧師として着任。68年から関西新空港反対運動を開始。69年に故戸村一作・三里塚反対同盟委員長と出会い、三里塚闘争に参加。77年には三里塚鉄塔決戦勝利百万人動員全関西実行委員会(関実)を結成し、世話人として今日まで奮闘。 |
44年になる三里塚闘争は、大きな節目をむかえている。国家権力の土地取り上げに抗して、反対同盟農民が闘い続けた結果、成田空港は、A滑走路(現在使用中のメイン滑走路)を除き、横風用滑走路(C滑走路)は未完成、B滑走路は未完成暫定使用、「への字」に曲がった誘導路など、完成への展望は全くない。世界への展開を狙った戦略も、韓国・仁川(インチョン)にハブ空港としての位置を奪われ、さらに羽田の拡張もあり、成田空港は、当初予定の座を失いつつある。
にもかかわらずB滑走路の第2誘導路を7月に供用開始、さらに第3誘導路の計画まで明らかに。虫食いの状態のまま、工事を強行しようとする意図はどこにあるのか。
27日に大阪市内でひらかれる「市東さんの農地を守ろう! 成田・関西両空港の軍事使用を許すな」三里塚関西集会と、10・11三里塚現地闘争への結集を呼びかける永井満さんに、お話を聞いた。〔聞き手=本紙編集委員。インタビューは9月2日、淡路市の岩屋教会。写真も〕
――永井さんは常々、三里塚を「支援」しているのではない、「自分たちのたたかいだ」と言われています。
三里塚をたたかっている人びとの多くは、私たちもそうですが、「支援している。応援している」というつもりはない。淡路のたたかいも、三里塚のたたかいそのものですよ。
淡路島北部をほとんど削って、4本の滑走路を持つ巨大国際空港をつくろうという「淡路島国際空港計画」に、私たちは68年から反対に立ち上がった。三里塚のことは、同じ空港反対ということで新聞などで知ってはいた。たまたま紹介する人があって「三里塚反対同盟の戸村委員長が関西に来ているから、淡路に来てもらったらどうか」ということになりました。
国家権力が相手
公民館で映画『三里塚の夏』を上映し、お話を聞こうと。ところが、都合で戸村さんは1日遅れることになった。翌日も主だった人たちに集まってもらったが、夕方あまり早くは集まらないし、ちょっと遅くなると漁師の人たちは朝早いから寝るのも早く、帰ってしまう。ということで、当初みんなに話してもらうはずが、私だけとの膝詰めになった。
戸村さんは、「これは、県知事に署名を持っていって終わるようなものではない。国家権力が相手。住民運動ではなく、階級闘争だ。そのためには強固な組織がいる」という。過激なことを言うなあ、と思ったが、そうかと思った。青年たちも元気で、淡路町は反対する会ではなく反対期成同盟を結成した。
戸村さんは「きみは、どうするのか。キリストは十字架にかけられた。いま、キリストは三里塚で十字架にかけられている」と。そういう三里塚闘争の精神、息吹から始まり、一坪共有地(闘争戦術)など具体的なやり方も教わった。
第二の三里塚に
だから、71年のはじめての決起集会で私は、「淡路を第二の三里塚に」というスローガンをかかげた。「それは違う、『第二の三里塚にならないように』だろう」というのが大勢だったが、そういう覚悟を決めた。北原さん(三里塚反対同盟事務局長)も何度も来てくれた。青年たちをはじめ、私たちも三里塚現地のたたかいに駆けつけ、強制代執行阻止など実力闘争には、いつも参加してきた。
はじめから、三里塚のたたかいと一体なんですよ。空港計画を淡路から叩きだし、計画は、明石、神戸、西宮沖、泉州沖と転々とし、最終的に泉州沖となったが、関西新空港反対は三里塚のたたかいそのものでしたよ。
――軍事空港反対という内容は、どのようなきっかけからでしょうか。
それは、最初から「軍事空港反対」でしたね。三里塚に学び、つくっていったということもあるけど、抽象論からではなく、当時、大阪空港(伊丹)は、ベトナム戦争で米軍機がひっきりなしに使っていた。空港はそのように使われるし、できた空港が何になるかの見本だった。
黙っていれば、空港は軍事空港になってしまう。淡路が候補地から降ろされても、いまも淡路町反対同盟は、空港反対新聞も出しつづけている。淡路から追い出したからそれでいいとはいかないし、いったん引き下がり、運動が下火になって再びつくられた例も多い。絶対に油断はしないと。
――市東さんにたいする農地強奪が焦点化しています。市東孝雄さんは、真っ向からたたかうと宣言しています。
三里塚は、紛れもなく農民のたたかい。しかし、私にとって彼らが農民であると、何を業としている人であるとの違いはない。市東さんが無農薬・有機農業が上手だから、応援しよう、たたかおうというのではない。彼らが人間としての真実を貫き、国家の暴力、無法に節を曲げない生き様を示していることに限りなく共感し、尊敬している。
同じように、砂川の宮岡政雄さん、北富士の天野美恵さん、いずれも忘れられない方々です。
正義のため命かけるすばらしさ
そうありたいと思っている人間の姿、理想像、十字架にかかったキリストの生き様を農民に見る。そういう人びととお付き合いさせてもらえるのは望外のことです。
三里塚にいったら、根性のすわった人間に変われる。真実・正義のために、損得を乗り越えて、命さえ賭ける。
そこに三里塚闘争の不滅を見る。いまの社会の欺瞞を正す力を見る。
それを体現しているのが市東さんたち。その市東さんだからこそ、「1億8千万の補償金なんかいらない。1本100円の無農薬大根を消費者に届けたい」という気概があるんじゃないか。
孝雄さんを、そういう人に育てたお父さん東市(とういち)さんは偉かったと思いますね。孝雄さんは、いったん家を出て飲食店で働いていたが、「自分は、いずれ戻ってきて、親父のあとを継ぐ」と早くから言っていた。親父さんは、寸分ゆがんだことは言わなかったし、戸村さんの精神を固くうけ継いでいた。孝雄さんも、そのとおりの人だ。
――第2誘導路を供用開始する間もなく、第3誘導路の計画が浮上しています。
三里塚は、再び三たび決戦情勢ですね。農業を営み、当たり前の生活をしたいという農民・反対同盟にたいして、農業を守るべき農地法で農地を強奪しようとし、裁判では不当きわまる判決を出そうとする。東峰の森を破壊し、東峰部落を孤立させようと第2誘導路の供用を開始したばかりのところへ、さらに市東さんの家と農地をとり囲む「第3誘導路」計画をうち出した。いまでもジェット機が市東さん宅のすぐ東で、轟音と排気ガスを吹きつけている。西側直近に第3誘導路をつくれば、市東さんの家と畑は中州のように孤立してしまう。
東峰部落は早朝から深夜まで航空機が、頭上40メートルを強烈な轟音を響かせている。国家権力の暴力で「出ていけ」というのもとんでもないが、出ていかないなら閉じ込めるとは由々しき問題です。
しかし、市東さんを追い出し、同盟を破壊するしか手がないということ。展望を失っているのは彼らでしょう。
――ずっと軍事空港に反対してこられました。いま再び米軍再編にともない、空港の軍事使用が言われています。
今年3月の「関西実行委員会シンポジウム」で、軍事空港・米軍再編に絶対反対という三里塚・沖縄・岩国の交流と今後の展望が語られた。その成功をうけ継続発展させようと、27日、「市東さんの農地をまもろう、成田・関西両空港の軍事使用を許すな」三里塚関西集会を呼びかけている。成田・関西とも、仁川にハブ空港の位置を、羽田に国内基幹空港の位置を奪われ、需要を大きく減らしながら、なお成田が「暫定滑走路」4千メートル化をはかる意図は何か。
朝鮮・アジア、いや世界の有事・戦争へいちはやく出撃する、米軍再編・日米軍事一体化の一環を沖縄、岩国、関西空港などとともに担わせる狙い以外にないでしょう。
集会では日米安保50年と米軍再編の問題を学び、三里塚からは萩原さん、市東さん、鈴木さんにきていただき、決戦を訴えてもらう。デモもおこなう。ぜひ、一人でも多くのみなさんが賛同、参加されるようお願いしたい。
いまの日本はどうか。金銭追求ばかり、そのために働く場を奪い、毎年3万人を自殺に追い込む。そういう国になっている。三里塚は、その日本を変える原点です。
10月11日、決戦の三里塚へ、みなさん、ともに駆けつけましょう。