8・30総選挙
人民の怒りで自民支配が崩壊
大物が次々と落選
改選前、自民党だけで300議席、自公で331議席を有していたが、自民党119議席、公明は21議席に激減した。
自民党が、1955年結党以来、初めて衆院の第一党から転落した。
自民党は、元首相、派閥の領袖、閣僚経験者など大物が次々と落選。公明党も幹部が全滅した。〔枠内参照〕
自民党は常勝の選挙区でも多くの議席を失った。全国300小選挙区のうち、1996年〜2005年の4度の衆院選で自民党公認候補が4連勝した小選挙区は、3分の1近い95に上る。しかし、今回はそのうち3つの選挙区で公認候補を立てられず不戦敗。残る92選挙区でも55選挙区で議席を失った。
各都道府県の県庁所在地を含む1区では、05年衆院選では、自民党が45区中32勝だったが、今回は8議席に激減した。
05年衆院選で与党の24勝1敗だった東京では、4勝21敗となった。
郵政解散で初当選した小泉チルドレンは、小選挙区に、今回65人が出馬したが、議席を確保したのは3人だけだ。
○自民党の主な落選者
【首相経験者】海部俊樹 〔福田康夫、森喜朗は辛勝〕
【党幹部】笹川尭(総務会長)、山崎拓(前副総裁)
【閣僚経験者】尾身幸次(元財務相)、谷津義男(元農相)、深谷隆司(元通産相)、杉浦正健(元法相)、中山太郎(元外相)、島村宜伸(元農相)、堀内光雄(元通産相)、柳沢伯夫(前厚生労働相)、井上喜一(元防災相)、中川昭一(前財務・金融相)、久間章生(元防衛相)、鈴木俊一(元環境相)、赤城徳彦(元農相)、丹羽雄哉(元厚相)、船田元(元経済企画庁長官)、伊藤達也(元金融相)、伊藤公介(元国土庁長官)、小坂憲次(元文部科学相)、上川陽子(元少子化相)、斉藤斗志二(元防衛長官)、太田誠一(前農相)、保岡興治(前法相)、中馬弘毅(元行革担当相)
○選挙区で敗れ比例復活
町村信孝(前官房長官)、伊吹文明(元党幹事長)、与謝野馨(財務相)、佐藤勉(総務相)、塩谷立(文部科学相)、野田聖子(消費者行政相)、甘利明(行革担当相)、林幹雄(国家公安委員長)、小池百合子(元防衛相)、中川秀直(元党幹事長)、武部勤(元党幹事長)、額賀福志郎(元防衛庁長官)、田村憲久(元総務副大臣)、高市早苗(元経済産業副大臣)、野田毅(元建設相)、衛藤征士郎(元防衛庁長官)
○公明党の主な落選者
太田昭宏代表、北側一雄幹事長、冬柴鉄三前幹事長
人民が政治の主人公へ
「相手は民主候補ではなく、得たいの知れないもの。闘いようがなかった」(中川秀直・選挙区で落選・陣営幹部)
「われわれの手の届かないところにマグマのようなものがあった」(伊吹文明・選挙区で落選)
これはひとつの政治革命だ。労働者人民が政治行動に立ち上がり、自らの力で自民党支配をうち破った。
投票率も、現行の選挙制度(小選挙区比例代表並立制)が始まって以降、最高(69・28%)となった。
民主党が自民党に勝ったという問題ではない。人民がたち上がって自民党を倒したのであり、そのためにさしあたり人民が民主党に投票したということだ。
人民が、自分たちの力で政治を動かす行動にたち上がった。ここに事態のもっとも核心的な意義がある。
もとより議会と選挙は、人民を統治の対象として抑え込み、数年に一回の限られた選択肢の投票行動以外、人民から政治を奪うものだ。与党と野党の談合政治の下、自民党支配が続いてきた。そういうやり方で、ブルジョア階級は支配を貫徹している。
だから人民は、長らく議会と政党の現状に幻滅し、政治にたいする深い絶望の中にあった。
しかし、その幻滅が行き着くところまで行った地点から、いま、人民が、議会にたいする幻滅もまた幻想も超えて、政治を自分たちの手に取りもどす闘いを始めた。
もちろん新自由主義による徹底的な破壊の中で、人民が基礎的な団結を回復し、職場や街頭で大衆的行動を起こすまでにはまだまだ地道な闘いを重ねる必要がある。だがこのうねりが大きく発展していく政治過程において、人民が一歩一歩、政治の主人公として前進していくとき、ブルジョア支配を打倒する革命的行動の展望も見えてくるのだ。
政権交代では収拾できない日帝危機
大資本・大企業に高収益をもたらし、人民には貧困と病苦・死をもたらす政治にたいして拒否が突きつけらた。これは、世界でわき起こる反グローバリゼーションのうねりの一環に他ならない。
全世界からの略奪によって成り立ってきたアメリカとそれを支える日本。歴史的没落にあえぐ帝国主義にとって、新自由主義・グローバリゼーションは選択の余地のない政策だ。しかし、金融危機・大恐慌で破綻を突きつけられた上に、その政策を推進してきた自民党が吹き飛ばされた。
したがって、開始された激動は政権交代では収拾できない。自民党が使えなくなったから民主党で、とは行かない。
もちろん米日双方の支配階級の圧力をうけて、民主党政権はどんどん「現実路線」=帝国主義の路線に転換していくだろう。しかし、自民党との対抗性を押し出して政権についた民主党は、その姿勢を堅持しないとたちまち人民から失望と怒りを買うことになる。
そういう中で、日米関係、官僚機構、経済・財政・金融システムなどの支配秩序がガタガタに混乱することは必至だ。
これにたいして、アメリカが危機感をもって圧力をかけてくるのは間違いない。財界も全力で介入し、巻き返しをはかるだろう。保守反動の逆襲、官僚の抵抗などが、強権支配への傾向を強めるだろう。
連合も、与党になるや否や、幹部による労働者支配は下からの動きに揺さぶられて危機と大流動に陥るだろう。
こうした動きは人民の政治行動をますます促進していく。
他方、極右排外主義者や新自由主義派、秩序派などの反動が密集してくるだろう。しかし、そういう動きは、正しく反撃すれば、大衆の政治行動を促進するものになる。
自民にとどめを ただちに民主と対決へ
民主党の「現実路線」への転換にたいして、人民がそれを超えて怒りの政治行動に起ち上がるには一定の時間を要するかも知れない。
しかし重要なことは次のことだ。開始された人民の反乱が、新自由主義と日米同盟という日本帝国主義の基本政策を、階級闘争の大きな対決点に押し上げている。財界、大資本、米日の多国籍企業、帝国主義というものをとらえ始めているのだ。
新自由主義粉砕と日米同盟粉砕・改憲阻止を柱に、鳩山・民主党新政権と対決し、政治の主人公としての労働者人民の登場を促進しよう。〔3面に関連記事〕
革共同再建協議会が推した候補は3人が当選
服部良一(近畿比例) 当選
辻元清美(大阪10区) 当選
照屋寛徳(沖縄2区) 当選
2面
日米合同軍事演習反対
米軍から実戦技術の習得ねらう
9・19 あいば野集会へ
10月上旬から下旬にかけて、滋賀県の陸上自衛隊あいば野演習場と今津駐屯地において、日米合同軍事演習が強行されようとしている。
自衛隊の参加部隊は、陸自第3師団(兵庫県伊丹市)所属の第7普通科連隊(京都府福知山市)基幹部隊。米軍は、米陸軍第42歩兵師団所属の第1―69歩兵大隊(ニューヨーク州兵)基幹部隊である。担任官は、自衛隊が第3師団長であり、米軍が在日米陸軍司令官である。
あいば野での日米合同軍事演習は、1986年に初めて強行されて以来、今回で10回目となる。昨年も、11月28日から12月17日まで20日間おこなわれており、2年連続だ。
あいば野演習場がある滋賀県高島市内をデモ行進(昨年11月22日の合同軍事演習反対闘争) |
アフガニスタン想定し実戦訓練
演習内容や部隊規模は、いまだ公表されていないが、過去の演習時、米軍サイドがどう言っているかをみれば、その実態は明瞭だ。
99年の合同軍事演習においては、訓練開始式で、米軍将校が「両軍はいずれ肩を並べて戦場に立つことになる」「朝鮮半島の共通の敵と戦う準備をしておかねば・・・」と述べている。
また、イラク侵略戦争開始以降、あいば野演習場には、都市型戦闘訓練のためのビルディングが3棟建設され、自衛隊と米海兵隊が銃撃戦で制圧する訓練もおこなわれてきた。
さらに、今年3月、北海道大演習場でおこなわれた日米合同軍事演習の際には、米軍側指揮官が記者会見で「今後、アフガニスタンに派兵される可能性のある自分にとって、非常に価値ある経験だ」と発言した。狙いをあけすけに言われ、あわてた陸自・北部方面隊が「今回の共同訓練は、あくまで日米の共同連携を図るのが目的で、アフガンでの活動を想定した訓練ではない」と釈明する一幕もあった。
イラク戦投入の州兵と演習
さて、今回のあいば野演習で相棒となる米側部隊は州兵であるが、州兵といえども、イラク侵略戦争開始以降、次々と前線に投入され、死線をくぐってきた部隊だ。
「陸軍州兵は、師団8個、独立旅団15個、装甲騎兵連隊1個のほか、100個を超す独立大隊を持ち、その内訳は歩兵、砲兵、防空兵、工兵など多岐にわたっている。特に独立旅団(Separate Brigade) は、動員から編成完結、訓練、展開開始という一連のプロセスを動員命令後90日以内に完了させることが可能であり、高い即応性を維持している。・・・陸軍州兵は、主力戦車M1、装甲歩兵戦闘車両M2、対戦車ミサイルTOW、攻撃ヘリUH60A、AH64など世界有数レベルの装備を有している。」(レファレンス2003年7月号、鈴木滋)
今回の合同軍事演習における自衛隊側の狙いが、米軍の実戦経験から直接に軍事技術を習得することにあるのは明白だ。訓練とはいえ、他国との合同軍事作戦をおこなうこと自体、憲法違反そのものだ。絶対に認められない。
沖縄、岩国、神奈川での新基地建設・基地拡張とたたかう住民と連帯し、米軍再編・強化、日米軍事一体化を粉砕しよう。日米安保体制を粉砕しよう。
PAC3ミサイル 無人偵察機隊も
あいば野の侵略出撃拠点化にむけた動きもすすんでいる。
昨年3月、車両に積んだレーダーなどで敵情報を集める移動監視隊(約50人)が、陸自今津駐屯地に新設された。無人ヘリコプターを地上から遠隔操作して情報収集する無人偵察機隊(仮称)が、来年3月までに常駐するという計画もある。
今年4月には、演習場に隣接する空自あいば野分屯基地にPAC3ミサイルが、多くの反対の声を無視して配備された。あいば野の侵略出撃拠点化を阻もう。
教育支配 「君が代」処分の
石原都教委を追いつめた
都教委包囲アクション 8・28東京
都教委にむかって怒りのこぶし(8月28日 東京都庁前) |
8月28日、都教委包囲アクション(主催:都教委包囲首都圏ネットワーク)が、250人で終日たたかいぬかれた。
朝、「河原井さん・根津さんらの『君が代』解雇をさせない会」のビラまきから始まり、9時からは、河原井さんと根津さんが都庁前で座り込みに入った。
午後1時半からは、1時間ほど、都庁前でビラまき行動。
3時から包囲行動、その後、要請行動に移った。
要請行動は、二手にわかれ、石原都知事(知事室)への要請と、都教委への要請をおこなった。前者は約30人で、石原都知事に面会を求めたが、逃げまどう石原の代わりに副参事(知事秘書)が対応した。都教委へは約100人がおしかけた。
要請行動では、17団体が10・23通達の撤回、「君が代」不起立による分限処分はやめろ、主任教諭制、職員会議での挙手・採決の禁止通知の撤回、業績評価制度廃止、教員免許更新制撤廃、石原都知事の即刻退陣を要求した。
要請団は、きちんとした回答を要求し、誠意ある回答がないときは、いつでも押しかけると突きつけ、要請行動を終えた。
その後、都庁前において、要請行動の報告と包囲アクションに連帯するさまざまな団体・個人からアピールがなされた。
10・23通達(03年)により、全国にさきがけて「日の丸・君が代」に不服従の教職員を重処分してきた石原都教委は、新銀行東京の失敗にもかかわらず、300万の支持をいいことに居直ってきた。しかし、ついに都議選での与党敗北、そして、衆院選での自民党敗北が明らかになりつつある。いよいよ石原都教委と憲法違反の教育行政に断を下すときが来た。
都教委包囲アクションは回を重ねるごとに、闘いのひろがりと勝利の展望が開けていくのを実感できる。(S・S)
国労5・27臨大闘争弾圧裁判
労働運動に暴処法適用は問題あり 小野坂証言
7・13公判を傍聴して
12・14判決に向かって
7月13日、正午、日比谷公園・霞門に集合し、東京地裁を一周するデモ行進を20数人で闘った。12月14日の松崎被告の判決に向け、無罪判決をかちとるために残り5カ月を精一杯闘うことを再度確認し、法廷に向かった。
午後1時15分頃に始まった公判は、松崎さんの更新意見、佐藤弁護団長の更新意見のまとめを行い、これで更新手続きは終了。次に、弁護側証人として、新潟大学名誉教授・小野坂弘さんがたった。
検察は罪状を立証できていない
小野坂さんは、自身と国労との関わりを述べたあと、憲法、労働三法、暴処法(暴力行為等処罰に関する法律)問題などを詳しく展開された。
―本件は、暴処法によって起訴され争っているが、暴処法の適用自体に無理がある。
国労臨時大会の会場が国家権力・機動隊に封鎖され、近づけないため、関係者が宿泊するホテル前で、被告たちはビラまき、説得活動をおこなった。ホテル前でビラを片手に持って待っていると、ビラを受け取るつもりがない国労本部側は、三列縦隊で、ビラまきの前を突っ切っていった。被告たちがぼう然としている様子がビデオに写っている。そして、「7つの行為、事件」がおこったとされているが、ビデオを見れば、実際は一人ひとりがバラバラに行動しており、とても集団行動だとはいえない。
検察官の主張では、「中核派が主導し、積極的な妨害活動をつうじて大会に行かせない、大会は中止に追い込む」としているが、事態はそうなっていない。被告たちの行動は、いかなる手段をとっても阻止するとはなっていない。国労本部関係者は、予定通りバスに乗車しているし、乗車も阻止されていない。臨時大会も予定時刻に開かれた。検察官は、具体的に罪状を立証できていない。
労働組合内部の問題に権力が介入
刑法と労働法は別立てだ。労働運動におけるスト権の行使・団交等は、団体で多衆の威力を示して行うものであり、そうした労働運動に暴処法を適用することは問題がある。労働法との関係から検討すれば、労働運動への暴処法適用は憲法違反につうじる。
本裁判を契機に、暴処法があらゆる労働運動に適用されていく危険性がある。また、労働組合内部の問題に国家権力が介入する問題がある。本件は、労働組合内部問題に暴処法を適用するはじめてのケースであり、慎重な判断が求められる―と証言を締めくくった。
私は小野坂さんの証言を聞き、あらためて8被告の無罪を確信した。
2002年5月27日の臨時全国大会と、同年10月の弾圧から7年が過ぎようとしている。国労5・27臨大闘争弾圧裁判は100回を超え、いよいよ東京地裁の一審判決を迎える。5・27裁判が分離され、8被告が統一して判決を受けることができない。
全員無罪を勝ち取り、それをとうして、国労の再生、1047名の解雇撤回・JR復帰・国鉄闘争の勝利へ闘っていこう。(国労組合員 T)
3面
開始された激動を「新自由主義粉砕」
「日米同盟粉砕・改憲阻止」の奔流に
共産主義の復権めざし 9・6革共同政治集会へ
新自由主義への反乱を拡大しよう
9・6革共同政治集会は、8・30総選挙で示された労働者人民の怒りの決起、戦後の自民党支配を打倒した労働者人民の政治行動と一体である。
労働者人民の政治行動は、小泉構造改革がもたらした貧困と格差にたいする怒りである。現代帝国主義が1970年代以降の体制的危機の中で採用してきた新自由主義・グローバリゼーションに抗する国際的な闘いの一環でもある。
極限的な一極集中で全世界から略奪し、成り立ってきたアメリカ。それを軍事同盟とデフレ政策で一貫して支え続けてきた日本。しかし、そういうやり方が中枢でも周辺でも、客体の側からも主体の側からも限界に達し、崩壊が始まった。アメリカでの金融破綻と世界恐慌への突入、イラク・アフガニスタン・中東での侵略戦争の泥沼化、グローバリゼーションの工場をなしてきた中国での労働者問題・農民問題・民族問題の爆発などである。これは、単にアメリカの帝国主義的覇権の後退・喪失にとどまらない。資本主義・帝国主義の世界体制が崩壊の時代に突入し、世界革命の新たな波が始まりつつあることを告げている。戦争と差別・抑圧、貧困と格差にたいする全世界の労働者人民の反乱が、21世紀革命を展望する地平を引き寄せはじめている。
その一環で、日本においては、新自由主義・グローバリゼーションにたいする反乱が、ついに政権交代にまで行き着いた。
革共同は、8・30総選挙=投票行動に示された《労働者人民の政治行動》に、21世紀革命の展望をつかみ、これを徹底的に促進し拡大するために闘う。
いまこそ共産主義の再生・復権を
現代帝国主義の新自由主義・グローバリゼーション破綻の情勢は、共産主義の再生・復権を要請している。労働者人民の側から、新たな社会のビジョンを積極的に提示することが求められている。
しかし、われわれにとって、それは、マイナスからの出発であることを確認する必要がある。ソ連スターリン主義の崩壊(1991年)に際して突きだされたことは、反スターリン主義を掲げる革命的左翼が、鮮明なスターリン主義批判と共産主義像を提示し得ていないことだった。このことは、帝国主義者の側が、共産主義とスターリン主義を全力で対象化し、反共主義・新自由主義で武装して、階級決戦に挑んできたことにたいして、労働者人民の側の闘いを困難たらしめた問題と一体であった。
われわれは、革命的共産主義運動創成以来、レーニンの党と革命論に愚直なまでに徹して実践してきた。われわれは、スターリン主義による共産主義の疎外を、レーニンを継承しつつ、乗り越えようとしてきた。その限界までやり抜いたからこそ、レーニンの理論と実践の切りひらいた地平の大きさととともに、そこにある限界性・問題性も見てきた。われわれは、マルクスの革命論・共産主義論の地平、レーニンの地平、レーニン主義を継承した反スターリン主義・革命的共産主義運動の地平を、マルクスやレーニンの格闘に学びながら、それを引き継ぎ、乗り越えていく作業に踏み出さなければならない。
それは、安田派を内部から生み出した、わが反スターリン主義・革命的共産主義運動の問題点を乗り越えていくたたかいでもある。
民主党新政権と対決し 「日米同盟粉砕・改憲阻止」へ
政権交代で変わることと変わらないことがある。変わらないのは日米同盟だ。日米同盟を担保に、戦前から戦後へ支配体制が継続し、日本帝国主義の復活と延命があった。支配階級にとって、日米同盟は変えることのできない「国体」なのだ。鳩山や小沢らの「日米対等・平等」という思惑がどうあれ、選択余地のない問題だ。
しかし、自民党支配を打倒した労働者人民の意志はそうではない。アメリカの新自由主義・グローバリゼーションを日本が支え、日本の労働者人民に犠牲が転化されている現実を問題にしている。アメリカが強行する侵略戦争の展開を、日米軍事一体化の下で、日本が積極的に担っていることに人民は憤っている。日米同盟の最大実体である沖縄米軍基地、米軍トランスフォーメーション、辺野古新基地建設にたいして怒っている。
開始された労働者人民の政治行動は、民主党政権を追い詰め、日米軍事同盟を揺るがし、日本の支配階級のみならず、アメリカの支配階級を震撼させる。政権交代によって、日米軍事同盟は、体制的危機の火点となった。
インド洋での海自給油活動、ソマリア沖への三軍派兵、アフガニスタン本土への陸自派兵策動、核持ち込み密約と非核三原則の破棄、集団的自衛権の行使への踏み込み、在日米軍再編と沖縄米軍基地強化・辺野古新基地建設―これらを焦点にしながら、2010年日米安保共同宣言と新たな「防衛計画の大綱」策定、来年5月改憲国民投票法施行と改憲情勢突入に向かって、「日米同盟粉砕・改憲阻止」の革命戦略をうち立て、大衆行動を巻き起こそう。
市東さんの農地守れ
三里塚・市東さんの農地強奪を絶対に許さない。三里塚闘争は、〈新自由主義による労働者人民の切り捨て攻撃との闘い〉、〈日米FTAに抗する農民反乱〉、〈日米軍事一体化の下で進行する基地強化・演習激化と対決する闘い〉と一体だ。
自民党支配を打倒した労働者人民の政治行動が、国家を相手に一歩も引かない三里塚闘争と合流するとき、新たな闘争陣形が大きく形成・発展していくだろう。
新たな団結・闘争形態の発展を
雇用・生活の破壊はいよいよ激しさを増している。新自由主義攻撃によって切り捨てられた労働者・農民・被差別人民が生きるための闘いはいよいよ死活的だ。
生活を保障せよ。労働者派遣法、後期高齢者医療制度、「障害者」自立支援法を撤廃せよ。所得税を強度の累進制に、法人税を抜本的に強化せよ。日米FTA推進を中止せよ。
自民党支配を打倒した労働者人民の反乱は、まだ不定形であるが、その基底において、派遣村の闘いのように、労働者人民の新たな団結形態・闘争形態を生みだしつつある。非正規雇用・正規雇用の分断をうち破る労働運動を推進し、労働運動系と生活相談系の協同を発展させ、新たな団結形態・闘争形態を形成・発展させていくこと―ここに革命戦略の今ひとつの決定的な基軸がある。
以上のように、@新自由主義粉砕とA日米同盟粉砕・改憲阻止を柱に民主党新政権と対決し、B開始された反乱の中で新たな団結形態・闘争形態を発展させつつ、C共産主義の再生・復権のために全力をあげて闘う―という課題の実現をめざして、9・6革共同政治集会へ、闘う仲間の結集を訴える。ともに闘おう。
民主党政権と対決し
生活の保障・自衛隊の即時撤兵かちとろう
民主党が労働者人民の反乱に乗って政権の座についた。しかし、日米双方の支配階級の圧力を受け、矛盾と軋轢にさいなまれ、現実路線という名の日本帝国主義の基本路線に向かう以外ない。
新自由主義粉砕、日米同盟粉砕・改憲阻止を柱に、民主党政権と対決し、さらなる人民の政治行動をまきおこそう。
労働者派遣法を撤廃へ
派遣村などの闘いにより、民主党は前国会で社民党などと共同で、派遣法抜本見直しを言わざるを得なくなった。抜本見直しを実行させ、さらに撤廃にむけ闘いぬこう。 労働者が生活できる賃金を保障せよ。すべての労働者を均等に待遇せよ。
さらに、「後期高齢者医療制度」「障害者自立支援法」を廃止せよ。
日米FTAを中止せよ
民主党は、日米FTA(自由貿易協定)の「交渉促進」と打ち出している。FTAは、国際競争の中で、自動車や電機などの日帝・多国籍企業の利害のために、国内の農業と農民を犠牲にするものだ。
民主党の政策は、農家に対して、個別補償するから自己責任で米国産農産物に勝ちぬけというものだ。
財源は金持ち・大企業から取れ
民主党は、教育や子育ての政策を打ち出し、財源は「無駄な予算の削減で」としている。しかし、5兆円にのぼる軍事費にも、金持ちと大企業優遇の税制にも手はつけない。
結局、公務員労働者の賃金カット・大量首切り、消費税率の大幅引き上げに議論を誘導するものだ。
所得税を強度の累進制にせよ。法人税を抜本的に強化せよ。消費税増税をゆるすな。
「分権改革」「官僚政治打破」のまやかし
民主党は、首相直属の「国家戦略局」や「行政刷新会議」で、安保・外交政策や予算など、日本の国家戦略ならびに国家の総動員の基本方針の策定を一元的に行なうという。結局、大企業・大資本のための政治だ。橋下大阪府知事らが標榜する住民サービス切り捨ての地方分権・道州制と軌を一にするものだ。
海外派兵の自衛隊を即時撤兵させよ
民主党は、在日米軍再編、日米地位協定、インド洋での海自の給油活動などで、当初の表向きの方針(野党的な条件付き反対)から後退・転換し、本音を出し始めている。
アフガニスタン本土への陸自派兵も、アメリカと協議して進めるという。対北朝鮮政策では、衆院選後に貨物検査特措法(臨検法)を成立させると公言している。
辺野古新基地建設については、県外または国外移設に向けて米と協議と言ったが、これは選挙前のリップサービス以上ではない。
日米の核兵器持ち込みの密約問題をめぐって、アメリカが密約の存在を公然と認め、日本への核兵器持ち込みと「核の傘」承認を迫っている。これに対して鳩山は、それを受けいれ、「非核3原則放棄」も視野に入れている。
鳩山・民主党新政権の弱点、そのペテン性のひとつが、この軍事・外交政策だ。労働者人民の下からの闘いで、日本帝国主義の改憲・日米軍事一体化の政策を粉砕していかなければならない。
4面
暫定滑走路を閉鎖し成田空港を廃港にせよ
9・27関西三里塚集会から
10・11三里塚全国集会へ
第2誘導路が東峰地区を分断
市東さん宅を完全に包囲する第3の誘導路計画
7月30日、成田空港の空港ターミナルと暫定滑走路を結ぶ、新たな誘導路=第2誘導路の供用が強行された。第2誘導路は、成田空港の暫定滑走路の北延伸工事の一環として進められてきた。〔上図および左下図参照〕
この誘導路は、空港敷地から大きくはみ出し、くねくねとカーブが続く。そればかりか、滑走路を離着陸する飛行機の直下を二度も横断する。計画が明らかにされたとき、パイロットの組合が危険を訴える声明を出したほどだ。
地元の東峰地区で営農しながら反対闘争を続ける農家にとって、第2誘導路は、東峰地区を東西に分断し、西側地域を2つの誘導路と空港用地で完全に囲い込んでしまう。農村を引き裂き、激しい騒音と排気ガスで生活と営農を破壊し、反対闘争を潰そうという狙いだ。
形を変えた強制代執行
さらに、成田空港会社(NAA)が、3本目の誘導路〔上図・白の破線〕を計画していることが明らかになった。第1誘導路と第3誘導路でもって、天神峰地区の市東孝雄さん宅〔上図@〕を挟んで空港内に取り囲み、飛行機の爆音と排気ガスを浴びせるようとする。国に盾突く者は力で潰すという暴力だ。これは形を変えた「強制代執行」である。
71年9月、成田一期工事の敷地内で抵抗する大木よねさんにたいして、数千人の機動隊で取り囲み、よねさんを家から引きずり出し、家を破壊し、農地を奪うという強制代執行が行なわれた。それと同じことが行なわれようとしている。この非道を許してはならない。三里塚問題の核心はここにある。問題がはっきりとすえられた。
農地に阻まれ「へ」の字誘導路
暫定滑走路西側の誘導路は、市東孝雄さんの農地に阻まれて、「へ」の字に湾曲を余儀なくされている〔上図C〕。7月29日、NAAは、昨年1月に民法を悪用して強奪した反対同盟の一坪共有地部分を使って、「へ」の字誘導路のカーブを「緩やか」にする工事計画を明らかにした。
「二度としない」の大ウソ
黒野・前空港会社社長は、4年前、反対農家にたいして、「お詫び」の書簡を出している。そこでは「皆様の生活環境や人間としての尊厳を損なうことは二度とやってはいけない」と述べている。ところが、その後も、次々と農地強奪のための攻撃を繰り出している。そして、ついに、宅地を誘導路で囲み、爆音と排気ガスを浴びせるという「生活環境や人間としての尊厳を損なう」暴挙に踏み出してきたのだ。
支配階級は、暴力で脅せば人民は屈服すると思っている。それは奢りだ。暴力で脅してもなお屈服しない者が立ち現れたとき、一見、強大に見える力も破綻してしまうのだ。
攻撃のための攻撃
空港ターミナルと滑走路を結ぶ誘導路が3本もある空港は世界のどこにもない。しかも、いくら誘導路をつくっても、誘導路が「へ」の字に曲がっている問題など何一つ解決されない。
国、空港公団、NAAは空港建設決定から43年間、農民を虫けらのように扱い、金と暴力で農地を強奪しようとしてきた。しかし反対農家が不屈非妥協に闘い続けてきたがゆえに、二進も三進もいかないところに追い詰められてしまった。
3本の誘導路というデタラメさにみられるように、いま政府とNAAがやっていることに、安全性、合理性、必要性の観点は一切ない。ただただ反対農家を暴力で脅し屈服させようと、次々と思いつくままに攻撃をしているのだ。
人民反乱と三里塚の合流
全国の労働者人民の反乱のうねりは、長きにわたる自民党支配を吹き飛ばした。反乱はまだ不定形だが、その基底において、派遣村の闘いのように、労働者人民の新たな団結形態・闘争形態を生みだしつつある。このうねりと、国家を相手に一歩も引かない三里塚闘争とが合流するとき、労働者人民の闘争陣形はさらに大きく発展していく。
市東さんの宅地と農地を誘導路で囲み、爆音と排気ガスを浴びせるという暴挙に出てきたのも、人民反乱のうねりと三里塚闘争の合流という事態に、自らが打ち倒される可能性を見ているからに他ならない。
「市東東市はこの世を去りましたが、その意志は私が継ぎます。故人が生前好きだった『闘魂ますます盛んなり』の言葉を大事にし、市東東市の遺志でもあります『空港反対』、ならびに家族、農地を守っていきたいと思います」(市東孝雄さん 1999年 3・28集会)
集会で発言する市東孝雄さん(08年10月5日) |
1町3反 5カ所
三里塚で空港反対を貫きながら、日々農業を営む萩原進さんの農地は4か所2町、畑がほとんど。鈴木謙太郎さんは2町が11か所に分散し、半分の畑でスプリンクラーが使えず、タンクで散水しなければならない。雨が降らないと大変な作業になる。
市東孝雄さんは、1町3反を5か所で作る。〔@〜Dは左下図に対応〕@三里塚集会のデモが右折する市東さん宅の前の畑。作業小屋があり、誘導路の真ん前(左上図@)。A暫定誘導路を「へ」の字にさせている畑。デモの解散地点(左上図A)。B暫定滑走路の東側の畑。集会会場によく使われる。家の前と暫定滑走路の東側は、滑走路によって分断された天神峰の同じ地番である。C 暫定滑走路の西側の堀之内の畑。Dその先にある田圃。いま政府が定める「担い手農家」というのは、北海道以外では4町歩以上の農家のことだ。それ以下の農家は切り捨てるという政策だ。こういう状況下で反対同盟はたたかい抜いている。
90年代の円卓会議など、「話し合い路線」は、このような営農の困難も見すえた攻撃だった。政府は、すでに失効していた土地収用法適用を、93年に正式に取り下げた。反対運動の先は見えているという奢りだった。
営農への覚悟
10年前の1999年1月22日、市東東市さんが亡くなった。その3月の現地集会に、長男の孝雄さんが登壇した。東市さんそっくりの朴訥とした決意表明(冒頭に紹介した発言)に参加者はみな驚いた。なによりも仰天したのは政府、空港公団だった。
2002年4月、「暫定滑走路」が2180メートルという文字どおり「暫定」=未完成で強引に供用開始された。05年5月には、NAAの黒野社長(当時)が東峰部落に「今後みなさまの生活環境や人間としての尊厳をそこなうことは決していたしません」と、長い謝罪文まで出し、「話し合い」の道をさぐろうとする。人的にも営農的にも崩すことができるという目算だったのだろう。
孝雄さんが学校卒業後、農業を継がず、職を得て家を出たのも、少ない農地を継いで農業ができるのかという事情があったかも知れない。空港計画の前のことだった。
しかし孝雄さんは、20数年間、父親のたたかいをじっと見ていた。その厳しい営農を覚悟の上で戻ってきた。
「1億8千万円よりも、1本100円の大根をつくりたい」という言葉は、《人をこよなく大事にする》《農業を破壊する軍事空港に絶対反対する》孝雄さんの人物を表している。それが99年3月の現地集会での決意表明(冒頭紹介の発言)だったということを、あらためて重く受けとめたい。
「1億8千万円の補償金より、一本100円の大根をつくって消費者のみなさんによろこんでもらえる方が価値がある」(市東孝雄さん 06年9月)
市東孝雄さんは、家を出て以降、農業から離れていたが、今では周りの農家も関心するほどの腕前だ。人一倍研究熱心で、数年前の成功例、失敗例を昨日のように語ってくれる。
三里塚の野菜はすべて完全無農薬だ。少しでも農業に感心のある人なら、完全無農薬ということがいかに難しいかがわかるだろう。抜いてもぬいても生えてくる雑草、さらに害虫、病気、天候不順・・・。自然と格闘し、野菜と対話しながら、作り上げていく。そうやってできた野菜は本当においしい。大量生産で薬漬けに馴らされた者にとって、野菜とは本当はこういうものかと驚かされる。
農業は土からだ。三里塚の土はビロードのようだという。手に取るとコーヒーのパウダーのようだ。しかし三里塚の土が最初からこうだったわけではない。市東家では親子三代90余年、労苦を重ねて作ってきた土だ。
ところが、政府・支配階級は、この農民の労苦や土に対する愛着をいささかも汲むことなく、踏みにじってきた。空港建設のため、大資本の利益のため、国策だからといって、農民を虫けらのように扱ってきた。
だから今、札束をいくら積まれようが、機動隊に取り囲まれようが、一本100円の大根を作り、そうすることで労働者人民とつながっているのだという、市東さんの誇りと確信は微動だにしない。
強奪がねらわれている農地で耕作する市東孝雄さん |
行動方針
★9・27三里塚関西集会:三里塚現地から反対同盟農民が参加し現状と闘いを訴えます。
★10・11現地全国集会:三里塚反対同盟の闘いと訴えに共鳴する仲間が、全国から駆けつけます。
★援農:反対農家を訪ねて、農作業を手伝います。
★産直:反対農家が作る無農薬・有機栽培の野菜を、毎週購入します。
※集会参加・援農・産直の問合せは、三里塚決戦勝利関西実行委員会へ
Tel:0799−72−5242 E-mail:kanjitsu_mail@yahoo.co.jp
5面
日米安保と天皇制はコインの裏表
纐纈厚さん講演
8・15京都
79年の元号法制化に抗議して以来続けられ、今年30回目を迎える「『8・15』を問い続ける京都集会」が、8月15日、洛陽教会で開かれた。今年は、纐纈厚さん(山口大学教員)を招き「帝国の天皇は断ち切られたのか 〜『聖断』論と天皇の免責をめぐって〜」と題する講演があり、60人が参加した。
戦後の天皇制がどのように形成されてきたのかというお話で、核心的には、日米安保と天皇制はコインの裏と表の関係だということだった。
以下は、講演内容の紹介。
纐纈厚さん(8月15日) |
「聖断」という歴史の歪曲
「聖断」とアメリカの対日占領政策及び戦後アジア戦略によって、帝国日本の天皇制は、戦後も断ち切られることなく生き延びた。そこから天皇の戦争責任の不在状況が生まれ、帝国日本の政治構造も政治文化も生き残った。
現在、靖国問題や田母神問題等、帝国日本の再生が随所で露呈しているが、その背景には、日米安保が戦後の「国体」であり「聖断」によって編み出されたのが戦後保守体制だということがある。
しかしそれは、「聖断」という歴史の歪曲によって生み出された限り、虚構であり幻想であること、その上に戦後日本社会が鎮座しているに過ぎないこと、その虚構と幻想の基盤となっているのが戦後天皇制である。
中国人民の抗日戦争にたいする敗北
アジア太平洋戦争で日本は中国に敗北し、アメリカに降伏したのである。日本は、中国人民の抗日戦争に敗北したのだが、多くの日本人は、日本はアメリカの軍事力と物質力に敗北したと考えており、中国に敗北したとは思ってない。
纐纈さんの最新著書『日本は支那をみくびりたり』は、昭和天皇の1941年1月9日の証言「日本は支那をみくびりたり、早く戦争を止めて、10年ばかり国力の充実を図るがもっとも懸命なるべき」から取っている。昭和天皇は対英米戦争開始の前年の時点で早くも対中国戦争の敗北を予測し、中国での局面を打開するために41年12月8日対英米戦に踏み切ったのである。
8・15終戦の虚構
日本の「終戦」記念日は8月15日とされている。「敗北=敗戦」と言わず、「終戦」と表現することじたい歴史認識における虚偽のイデオロギー攻撃だ。また、ポツダム宣言受諾を決めた御前会議は8月14日であり、ミズーリ号上での降伏調印は9月2日で、アメリカの対日戦勝日は9月2日である。ミズーリ号上での降伏調印式は日本の教科書にも載っている。
日本軍が中国軍に降伏調印をしたのは、9月9日、南京でのことであり、中国の抗日戦勝日は9月9日である。このことを日本の国民はほとんど知らない。著書『日本は支那をみくびりたり』の表紙の絵は、中国人民解放軍南京軍区の政治部に所属する、陳堅という画家が戦後画いた「日落公元1945年9月9日9時」という絵で、日本軍の降伏調印式の模様を限りなく忠実に画いたものだ。この絵は今、中国の若者の間で流行っていて、パソコンの待ち受け画面に最もよく使われているらしい。
国体護持のための終戦工作
では、8月15日は何の日かといえば、天皇の「玉音放送」の日である。この日を終戦記念日と国が決めたのは、61年の池田内閣の時である。
戦争は天皇が始めて、天皇が終結させたものだが、敗戦の前年から重光葵(まもる)前外相や高松宮、近衛文麿らが、国体護持のための戦争終結を画策し、陸軍主戦派(国体護持のための戦争勝利を狙う)を抑制しようとした。しかし、天皇と木戸内大臣は踏み切れず、45年7月26日のポツダム宣言も受諾を躊躇した。
広島、長崎への原爆投下とソ連の参戦で天皇と側近は動揺し、木戸幸一が「聖断」のシナリオを書いて、国体護持のための「聖断」に踏み切った。陸軍と東条英機に戦争責任を負わせ、天皇の戦争責任は免罪し、戦争責任の所在を曖昧化し、「平和主義者天皇」という虚像を再生産することになった。
「終戦工作」とは、戦前天皇制を無傷のまま戦後にスライドさせるための高度な政治戦略であり、戦後にスライドしたのは天皇制だけではなく、戦前の天皇制を支えた政治権力もほとんどそのまま戦後にスライドした。
アメリカの戦後戦略と天皇制
その上で、天皇制が延命しえた背景にはアメリカの強い意向が働いていたという事実がある。
アメリカは日米開戦のわずか6ケ月後の1942年6月の時点で、戦後日本の象徴天皇制を構想していた。さらに、日米開戦1年後の時点では、将来、天皇制を利用して日本占領を果たし、戦後日本の政治体制の根幹として天皇制を据え、そのうえでアメリカ型民主主義を植えつけようと企図していた。つまり、天皇制の存続はアメリカにとっては既定方針であり、その流れに日本の戦前権力が便乗し救われたと言える。
こうして戦前の天皇制権力は、アメリカの戦後戦略の思惑にも助けられて「聖断」という政治戦略の打ち出しに成功した。
戦後版「国体」は護持され、これを担保とするかのように日米安保が締結された。
中国、ソ連、英国等は、天皇制の存続に反対した。アメリカはそのために、単独占領、単独講和に持ち込んだ。アメリカの軍事力によって日本を降伏に追い込み、その実績を踏まえて日本を事実上単独占領する企図だった。
広島、長崎への原爆投下は、アメリカ仕込みの戦後天皇制を起動させるための政治判断があった。
そして、アメリカは単独講和に持ち込むために平和憲法を日本に持たせ、そのことで他国の了解を取り付けた。戦後のアメリカのアジア戦略と日本の支配階級の思惑が一致して、中国をはじめとするアジア諸国に対して戦争責任を取らず、アメリカのアジア支配の先兵になり、自らもアジア諸国の勢力圏化をはかることが、天皇制を利用したアメリカと日本の一致した利害となった。
天皇制に対するアメリカと英国の対応の違いは、75年の天皇訪米時に当時のフォード大統領がアンカレジまで迎えに行ったことと、天皇訪欧時にエリザベス女王主催の歓迎式典にマウントバッテン卿が出席を拒否して英国民の拍手喝采を浴びたことの違いを見てもわかる。
天皇制のませるための戦後憲法
日本人民に対して天皇制をのませるためのものとして戦後憲法はある。天皇条項である第1章(1条から8条)は廃止すべきであり、憲法は9条を1条に置き直すべきだ。ドイツの基本法も1条が人権の章である。国家を規制する憲法はそういうものである。これが纐纈さんの講演の結論であった。(京都・高城隆司)
6面
8・6ヒロシマに参加して
前号につづき、8・6ヒロシマに参加された方からよせていただいた報告・感想を掲載します。〔編集委員会〕
8・5〜7 三日間参加して
原爆と原発の根は同じ
「8・6ヒロシマ―平和の夕べ―」に出かけてきました。5日から7日の三日間、ヒロシマでいろいろ学ばせてもらいました。
「ヒバクを許さない集い」に参加
5日は原水禁世界大会の「ヒバクを許さない集い―パート10」に参加。JCO臨界事故(99年9月30日)―起きてはならない事故―が起こってから10年がすぎました。
人はつらいことは、できるだけ忘れようとします。目の前に常に突きつけられていないと記憶から消してしまいます。マスコミもとりあげません。意識して手に入れようとしないと、重大な事実を見落としてしまいます。
私は今年で8・6ヒロシマに11回きていますが、原爆被害の深刻さは底知れず、いまだに近寄りがたい部分があります。放射線の被害は、原爆も原発による被曝も、ともに終わりのない被害がつきまといます。そして国は被害をなかなか認めようとしません。根は同じところにあると思います。何十万人もの原発労働者が同じ苦しみを味わっています。原爆被爆者と原発労働者がともに手をつなぎ、未来を考えていけば大きな力になり、政府を動かせます。
JCO事故―国の責任追及を
JCOの臨界事故で亡くなった大内久さん(99・12・21)、篠原理人さん(00・4・27)、大量被曝した横川豊さんの被曝原因(作業手順など)について、裁判所はJCOの責任のみとし、国の責任を認めていません。JCO側も、臨界事故が起こるという想定はしていなかった、というお寒い安全認識しかなかった状態にたいしいて、政府の原子力政策には問題がなかったと言っているのです。被害を受けた人が悪いとでも言いたいのでしょう。こんな政府はいりません。
臨界状態が20時間もつづき、被曝が認められた人は666人、31万人が影響を受けているにもかかわらず、です。原発労働者で労災認定された人は10人だけ、地域住民の健康被害は認めていません。
事故現場から130メートルで被曝した大泉さん夫婦の健康被害裁判は、水戸地裁、東京高裁では因果関係を認めないものでした。いま最高裁で争われています。全国で応援していきましょう。
つらい話がいっぱい
6日は、平和公園の碑巡りをしました。爆心から数百メートルで1年生322人全員が被爆死した広島二中の慰霊碑前で、当時の様子を聞きました。資料館では、その一人が持っていた黒焦げの弁当箱を見せてもらいました。
夕方の集会、河野美代子さんの講演のなかで、河野さんのお父さんは二中1年生の担任をされており彼らを引率し被爆地に並ばせ、自身は伝令のためその場を離れ、生き残られたそうです。残酷な話です。
7日には、電車内で被爆し一人生き残られている米澤鐵志さんのお話と、広電の女性運転手・車掌(広島電鉄家政女学校の生徒)の被爆の様子を、OBの河野弘さんにうかがいました。
広島には、つらい話がいっぱいです。たくさんの無名の死を大切に、戦争反対を性根をすえて頑張っていこうと思いました。(T・S)
上関・祝島現地交流ツアー
とにかく海が美しい
この海に原発は許せない
とにかく海の美しいことに驚いた。これまでにも何度か、自然が破壊されていない美しい海は見たことはあるけれど、自分が生まれ育った阪神工業地帯とさほど離れていない瀬戸内海に、こんなにきれいな海があるとは思っていなかった。
祝島にほど近い室津港から定期船に乗って祝島に渡ったのだが、その港の中ですら海の底が見え、魚がたくさん泳いでいた。この海を見ただけでも原発建設計画に対する怒りがわいてくる。
計画予定地 長島の田ノ浦を訪問(8月5日) |
鯛を見てまたびっくり
漁船に分乗して鯛を釣りに海に出た。釣竿を使わず、釣り糸を直接手で持って釣る漁法だ。祝島の漁師さんは網などは一切使わずこの漁法一本で魚を獲って暮らしてきた。とはいえ近くの武庫(むこ)川でハゼ釣りくらいしかしたことのないシロウトには難しく、糸が何度ももつれて大変だったが、一匹だけ手のひらより少し大きめの鯛を釣ることができた。
この鯛を見てまたびっくり。なんとも言えないきれいなピンク色をしていた。赤黒いもんだと思っていた鯛のイメージががらりと変わった。
反戦・反核の真価がとわれる
島の公民館でおいしいタコの炊き込みご飯をいただきながら、島民の9割が原発に反対していること、毎週月曜日の島内デモが1041回に達したこと、平均80歳の「女性特別行動隊」が実力で建設を阻止し続けている話をうかがった。
最後に、計画予定地の長島・田ノ浦を訪ねた。「私らが若い頃はね、四代(しだい)の田ノ浦ちゅうたらなんかこう恐ろしいようなね、神秘的な所でしたよ。人っ子ひとり住んじゃおらんでしょう。夜になると真っ暗になってね、そこに時々魚の燐がね、青白くふわりふわりと飛ぶのがね、祝島から見えるんですよ。」(写真集『中電さん、さようなら』より)
こんな所に原発を建てさせるわけにはいかない。反戦・反核を闘ってきた真価が問われている。(関合労SK)
読者からの手紙
「帝国主義社民=連合幹部」に疑義
読者から、本紙の小論「改憲派・新自由主義派を落とし自公政権打倒へ」(島田健一署名 第38号5面)にたいして、以下のような意見がよせられましたので、掲載します。〔編集委員会〕
貴紙第38号5面の「改憲派・新自由主義派を落とし自公政権打倒へ」の文中、2段目末尾から2〜3行目に、「帝国主義社民=連合幹部」というフレーズがありますが、この規定に疑義を抱かざるを得ません。
その理由は―
@「帝国主義社民」とは、「帝国主義」という修辞(単なる「修辞」ではないかも知れませんが、この場合も同じことです。)を冠していても「社民」が本体であると思いますが、「連合幹部」が果たして「社民」なのでしょうか。連合結成以来(準備段階も含めて)の基本文書や彼らの発言を見ても、およそ「社民」、つまり、《社会民主主義》とは無縁のものです。せいぜい、よく言って修正資本主義、または、新自由主義「左」派とでも表現すべき代物ではないでしょうか。(もっと正確な表現があるかも知れませんが)
A右寄りの労働組合幹部だから「社民」である、そして「日本帝国主義」の先兵だから「帝国主義社民」と表現した―という安易な動機も透けて見えるような気がするのは私だけでしょうか。
B基本的に、スターリン主義崩壊、新自由主義の矛盾の爆発、昨秋以来の恐慌情勢という現在、《社会民主主義》をどう位置づけるべきか、という問題があります。当然、統一戦線や大衆運動との関連の中で問われるテーマです。
C「連合幹部」と表現するとき、それは、連合中央および主要単産の《幹部》のみを対象としているのか、それとも、中間機関や末端組織の《幹部》をも含めて対象としているのか、この点が曖昧です。おそらく私の推測では前者ではないかと思いますが、厳格に規定(表現)すべきです。
一般の組合員(素朴な活動分子も含めて)は、自らの組合幹部に不満や不信を抱いていても、外部からする幹部批判にたいしては、拒否反応を示すのが普通です(少なくとも、だいたいの場合において、同調しません)。というのは、外部からの批判にたいしては、同じ組織の一員として幹部(たとえダラ幹であっても)との親和性の方が優先してしまうのが普通だからです。
D新しい用語を使用する場合は、その意味内容を正しく読者に説明すべきであると考えます。単に表記の問題としてではなく、連合をどう位置づけるか―例の「体制内労働運動」批判をもにらみつつ―再検討すべきではないでしょうか。先述の社会民主主義の今日的再検討とも関連させながら・・・。
以上、まとまりのない文章ですが、意のあるところをお汲みとりのうえ、ご検討をいただければありがたいです。(福島修一)