8・6ヒロシマ
戦争と核武装にどこまでも反対を
被爆から64年目のヒロシマ。被爆の実相、被爆者の苦しみと怒り、被爆2世・3世の現状や課題、原発被曝・原発反対、核廃絶運動の課題などについて、多くの学習会・分科会・集い・フィールドワークがおこなわれた。
反核の思いを語る河野美代子さんに、全体が聞き入る。映像は、キューバ革命直後の1959年7月に、広島を訪れ献花するチェ・ゲバラ(6日 広島市内) |
ヒロシマの継承
「戦争に反対する人びとの原点に、いつもヒロシマ・ナガサキがある。その一方被爆者は年々高齢化し、被爆を伝え、運動にかかわる人たちが亡くなっていく。2世・3世への継承も、まだ途上・・・」。
「8・6ヒロシマ―平和の夕べ―」は青木忠、河野美代子、三浦翠の三氏を発起人に約300人が賛同し、「ヒロシマの継承と連帯を考える」をメインテーマに開かれた。
「アリラン変奏曲、夾竹桃の子守歌」ほかを、平和のピアニスト池邊幸惠さんが演奏。爆心近くの本川小学校で被爆した夾竹桃が舞台脇におかれた。前国立市長の上原公子さんが司会を担当した。
静かで力強い平和講演
被爆2世で産婦人科医の河野美代子さんが、「平和講演」を行なった。
「戦後の子どものころは、被爆した街で遊び、高校、学生時代、被爆2世としてどう生きるか、考えながら育った。戦争はいけん、原爆は三たび許してはいけん。憲法を守れといつも父が話してくれたことを、いまも忘れない。被爆者の命をつなごう、2世は子どもを生もうと、産婦人科医を選んだ。命の教育である性教育に全力をあげてきた。いま私たちの想いを踏みにじり改憲、核武装が言われる時代。田母神が8・6ヒロシマで、この集会の時間に核武装を言うという。とっても悔しい。私たちのこれからが問われる」と静かに、力いっぱい語りかけた。〔講演要旨を2面に掲載〕
反戦・反核・反原発の連携
造船所の島への空襲を冊子『因島空襲』にまとめた青木忠さんから発言があり、その後リレートークに移った。
爆心からわずか750メートルの地点である八丁堀の電車内で被爆した体験を、昨年の8・6集会で講演された米澤鐵志さんは、「いまの状況をとめるために、被爆、戦争を語り続ける」と。
山口で反原発をたたかう三浦翠さんは「長島(上関原発予定地)の自然に中国電力の手はかけさせない」。
元京大原子炉実験所の小林圭二さんは「原爆開発から原発ができ、原発から原爆がつくられる。『もんじゅ』は核兵器製造工場そのもの」と話した。
リレートーク。左から小林圭二さん、三浦翠さん、米澤鐵志さん(6日 広島市内) |
碑巡りと被爆電車
関連企画の平和公園碑・資料館巡り(6日)は、約30人が参加。「原爆・核兵器のもたらす残虐と悲惨、侵略戦争と被害、加害」を考える視点での案内だった。
翌日7日の被爆電車運行には、新聞で知ってきた市民や大阪からきた中高校生など、60人余が乗車。被爆当時と同じように満員電車で同じ路線を走りながら、電車内被爆者の米澤さんの体験を、広島電鉄本社構内では、河野弘さん(広電OB)の話を聞いた。
田母神と対峙
オバマ大統領による「核軍縮」という名の核独占プラハ演説と、被爆者の核廃絶への願いとたたかいが交錯する中で、被爆64周年のこの日、田母神講演会と対峙して、この集会は開かれた。広島YMCA会館国際ホールは、285席がほぼ満席。
「改憲、戦争、核武装にどこまでも反対をつらぬく」という意志が結集し、今後のたたかいをつくろうという集会となった。〔2〜3面に関連記事〕
2面
「原爆の威力と悲惨 もう一度見直してみるべき」
〜 河野美代子さん「平和講演」
(「8・6ヒロシマ―平和の夕べ―」での講演の一部要旨・文責編集委員会)
戦後の子どものころは、被爆した街で遊び、高校、学生時代、被爆2世としてどう生きるか、考えながら育った。戦争はいけん、原爆は三たび許してはいけん。憲法を守れといつも父が話してくれたことを、いまも忘れない。大学では全共闘運動に参加し、被爆者青年同盟の結成に加わった。被爆者の命をつなごう、2世は子どもを生もうと、産婦人科医を選んだ。命の教育である性教育に全力をあげてきた。
田母神が、「隣では慰霊祭をやっているが、私は核武装ですよ」といっている。私は怒りに震える。言論の自由などという話ではない。広島では当時35万人のうち、その年末12月までに14万の人が亡くなった。この核、原爆の威力と悲惨をもう一度見直してみるべきだ。日本会議が人権教育・平和教育を蹂躙している。私は、性教育をめぐっても裁判に訴え日本会議と闘ってきた。
たくさんの被爆者の闘いがあってこそ核の使用を阻止している。核廃絶は可能だ。子育てをしている人たちへ、子どもたちへ、伝えていこう。
8・6ヒロシマに参加して
8・6ヒロシマに参加された方から、報告や感想をよせていただきました。今号に掲載しきれない分は次号に掲載します。〔編集委員会〕
被爆電車に乗って
命は尊い 武力では何も解決しない
―この想いを伝え行動せねば
8月7日、64年前に被爆した広電の路面電車に乗り、この電車内で被爆した現在ただ一人の生存者である米澤鐵志さんの話を聞かせてもらった。
被爆の衝撃で飛び出した眼球を手で押さえる女性の姿を見たときのショックを語る(7日 被爆電車内で、米澤さん) |
被爆した広島電鉄の651号車と652号車は、現在も営業運転している。平和学習のため貸し切り運行(7日 広島駅) |
広電の原爆犠牲者慰霊碑前で被爆体験を語る河野弘さん(広電OB・中央左)とその右に米澤さん(7日 広電本社構内) |
身ぶるいする恐怖
当日の電車内の様子、被爆の瞬間のこと、お母さんと電車から逃れる道すがら見た生き地獄・・・。淡々と話されるが、身ぶるいするような恐怖。怖がりの私は、できればそれ以上聞きたくないという気持ちと、聞いて伝えなければ、という葛藤のなかで聞いていた。
なんとか市外の疎開先の家まで帰ってからも続く放射能の怖さ。お母さんは9月1日に亡くなられ、そのお乳を飲んでいた赤ちゃんだった妹さんも亡くなった。被爆したお母さんの母乳を飲んだだけでも死ぬ。胎内被爆ということは聞いていたが、そこまで影響するとは・・・。米澤さんも髪の毛は全部ぬけ、死ぬ一歩前だったとのこと。
電車は30分ほどで終点の車庫に着いてしまい、その後を聞くことができなかった。米澤さんももっと話したかっただろうし、残念だったけど、その短い時間でも原爆の恐ろしさ、放射能の危険を再認識した。放射能の怖さは、その後どんどん体に出るかも知れない不安、被爆者への差別、偏見にもあらわれただろうと思うと、なんとも言えない悲しみと怒り、憤りを感じる。
戦争は最大の差別
8月6日に広島に行くようになって10年、慰霊というよりは戦争というものへの怒り、原爆を知るにつれ三たび使わせてはいけないという思いを感じつつ、私に何ができるのかと問いかけてきた。「戦争は最大の差別だ」と学び、自分自身もだが、目の前の子どもたち、大切な家族、仲間、どんな人たちの命も虫けらのように扱われることは、決して許されない。いまも戦争をしたがり、戦争によって儲け、人の命を顧みない人びとがたくさんいる。
私は3人の子どもがおり、子どもを育てる仕事をしている。毎年この時期を中心に、子どもたちに命の大切さ、戦争がいかに愚かしいことか、平和とは、などを絵本やビデオ、戦争体験をされた方からお話を聞いたり、子どもたちと考えあい、子どもや保護者とできることとして折り鶴をおり、原爆の子の像へ届けている。そしてヒロシマで自分が得てきたことを子どもたちや、職場の仲間に伝えること。ささやかだけど私にできることとして。
「日本も原爆持てば」という子どもに愕然
でも、今年はびっくりすることがあった。子どもたちが年々アニメやゲームにはまり、考えることが少なくなってきていると感じる。「先生、他の国は、げんばくみんな持ってるねん、だから日本も持てばいいねん」。「持ってどうするん?」と聞くと、「アメリカが日本に落としたんやから、アメリカにも落とす」という。「ものすごくたくさんの人、子どもも赤ちゃんも、おじいちゃんも死ぬねんで。アメリカ人やったらええの?」。「そら、あかん」・・・。相手は5歳、6歳の子ども。その後ろに大人たちの考えが見える。ひたひたと戦争への道を歩いているな、と感じてはいたが、この日はとても恐ろしい気がした。
それでも、私たちは「命は尊い、人の命に格差はない、武力で何も解決しない」ということを、これからも子どもたち、仲間と伝えあい考えあって行動していかなければと、再び思いを強くしました。米澤さんの話の続きを、かならず聞くぞ、と思いながら。(ブンブン)
資料館・碑めぐり
加害と被害の現実ふまえた反戦反核運動を
「太き骨は・・・」の歌が刻まれている「教師と子どもの碑」の前で(6日 広島市・平和公園内) |
昨年は8・6集会に参加し、また京大の小林圭二先生を講師に原子力発電と核の問題などの勉強会をおこなってきた。
今年の8・6には集会への参加だけではなく、広島の地を歩き、被爆の実態をしっかりと見てみたい思いに駆られ、9人の有志の参加で、当日朝5時に車二台に分乗して広島へ向かった。途中小雨の降る天気であったが、やはり広島は「暑い暑いヒロシマ」であった。
太き骨は先生そばに小さき骨の集まれり
午前中にまず比治山(ひじやま)の放射線影響研究所(旧ABCC)に行き、午後からは平和公園と資料館案内に参加。30人近くが参加し、64年前の8月6日、広島二中1年生だったお兄さんを亡くした弟さんの案内で、慰霊碑を巡った。教師と子どもの碑、広島二中の慰霊碑、川内村義勇隊の碑、中島本町の復元図と観音像、韓国人犠牲者慰霊碑、峠三吉の詩碑などをまわる。資料館に保管されている、二中1年生が持っていた弁当箱を資料館の計らいで見ることができた。遺骨もなく、ご飯は焼けてほとんど残らず、見つけたお父さんが焦げた砂を入れてもち帰ったという。
教師と子どもの碑の裏に、「太き骨は先生ならむ、そのそばに小さき骨の集まれり」と刻まれていることは、『未来』第37号に記されており、また他の慰霊碑の紹介も書かれてはいた。しかし改めて慰霊碑の前にたち、碑の裏に刻まれた歌や名前を見る時、「鮮やかに刻まれた名前を直視できず、胸が熱くなりました」(参加者の言葉)という思いを皆同様に胸に抱いたことであろう。
侵略の基地
このきれいに整備された平和公園の地(旧中島町)は、「あの日」までつつましくもにぎやかに庶民の生活が営まれていたという。同時に広島は日露戦争(世界で初めての帝国主義国間の戦争)以来の軍都としての歴史を持ち、朝鮮・中国・アジアへの侵略戦争の基地であった。そして帝国主義国同士の世界戦争の中での「被爆」。
この加害と被害≠フ現実をしっかり踏まえた反戦・反核運動を力強くつくりだすこと、このことを心に強く刻みこんだ日でした。(塚田孝治)
上関原発反対・現地調査
あきらめない・妥協しない しかし自分たちだけでは勝てない
原子力発電所建設に反対して28年闘い続けている上関町祝島の現地調査が、8月5日、原水爆禁止山口県民会議の主催で行われました。参加者は埼玉・新潟・長野を始め全国から集まった労働者・市民50人余。早朝、広島駅に集合して大型バスで一路、柳井市室津港へ。ここから定期船に乗り換え約40分で祝島に到着。
自然豊かな場所に原発建設を強行
祝島の港からほど近い魚場で、地元の漁師さんと同じ一本釣り漁法で、タイ釣りを体験させてもらいました。
魚場への到着は昼前。釣りには厳しい時間帯で、実際に釣りをする時間はたった1時間ほど。にもかかわらず、小学生が4枚のマダイを釣り上げたほどの魚影の濃さ。数十メートル下まで見える透明度に加え、小型鯨のスナメリ(地元ではネコンドと呼ばれる)や絶滅危惧種のカンムリウミスズメやハヤブサが生息する。しかも原発建設予定地は「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選」にも選ばれている。実に自然豊かなこの場所に、原発建設を強行しようとする中国電力や政府にますます怒りがわいてきます。
島あげての反対運動
昼は、地元のみなさんが腕によりをかけてくださった、絶品のタコ飯とタイやクロアナゴの刺身に舌鼓を打ちながらの交流会となりました。
その後、地元「上関原発を建てさせない祝島島民の会」より、闘いの経過説明を受けました。
祝島では島民あげての反対運動に取り組んできたこと。平均年齢75歳と高齢者世帯が多いながら、特別行動隊には80歳を超える女性もいて、今でも100人を超える動員ができる団結が守られていること。さらに毎月曜日には原発建設反対のデモが闘われており、すでにそれは1041回を数えるそうです。
中電や政府による、札束と国家暴力を使っての反対運動つぶしの中で、島民は分断されてきているが、「私たちはあきらめてはいない。島民たちは妥協しない。しかし、自分たちの力だけでは勝てない」として、全国に現状を訴えるべく活動を継続していることなどが紹介されました。
9月本格着工阻止へ
中国電力らは9月本格着工を発表しています。事態は風雲急を告げています。
祝島漁民の闘いに応え、上関原発建設計画の中止を求める百万人署名に、全力で取り組みましょう。(安持哲生)
祝島で漁民のみなさんと交流会(5日 山口県上関町) |
沖合から見た原発建設予定地の長島・田の浦。正面の山の色の薄い部分は、すでに建設の準備で木が伐採され山が削られている。白い線は中国電力が新たに作った工事用道路。浜の中央には工事用資材を搬入するための仮桟橋。この建設に反対して実力闘争が島ぐるみで行われ、その移設工事に対しても、今年6月10日、漁船団で実力阻止。現地調査参加者は5隻の漁船に分乗し、この浜に留まった。すると中国電力の車2台が慌ててとんできた。(5日 山口県上関町) |
3面
反貧困全国キャンペーン 2009
「人間らしく暮らせる社会 それを可能にする政府を」
7・31東京
主催者あいさつをする反貧困ネットワーク代表で弁護士の宇都宮健児さん(7月31日 東京都内) |
反貧困全国キャンペーン2009のスタートの企画として「選挙目前!!集会 私たちが望むこと」が7月31日、総評会館で行われた。350人が参加、会場からあふれるほどだった。
今回の企画は、衆議院選挙を前にして議員や候補者が唯一頭を下げるこの時期に、自分たちの要求をぶつけようというものである。
集会では、困窮する学生、シングルマザー(母子家庭)、「障害者」、高齢者、派遣労働者、官製ワーキングプア、外国人労働者、中小企業経営者の9つの多様な分野から当事者が発言した。
学費が払えない
奨学金連絡会の元大学自治会委員長からは、そもそも学費が高く払えないことが学生の貧困の根本原因であるという指摘があった。沖縄の元奨学生からは、沖縄が全国一失業率が高く、卒業しても職がなく、賃金も低く、格差と貧困が若者を襲っている現状が語られた。奨学金返済の猶予制度を知って集団申請を行いながらユニオンを立ち上げ、格差と貧困とたたかっている報告があった。
母子加算廃止で生活保護きり下げ
母親と高校生1人の母子世帯からは、母子加算(2万円/月)が今年4月から廃止されたため、生活保護として11万円を受け取っても、家賃7万円を引いて、必要経費を引いたら、1万円残るか残らないかであり、母子加算の復活を強く求めるという訴えがあった。
支援者からは、母子世帯の貧困は作られてきた貧困であることが指摘された。国は「生活保護を受けていない母子家庭の生活水準を上回る」として、母子加算を廃止した。多くの母子家庭が最低生活を下回る生活を余儀なくされていることこそが問題なのに、最低生活以下に生活保護の基準を合わせていこうというのだ。母子加算廃止という形をとった生活保護全体の切り下げを食い止め、逆にそこから保護基準を上げていく闘いの必要性が提起された。
「障害者」も介助者も生きていけない
「障害者」と支援者からは、「障害者自立支援法」が〈社会保障費2200億円削減〉の中で作られた法案であり、このもとでは「障害者」は生きていくことはできないとの訴えがなされた。
また、同法によってヘルパーの利用時間は極端に減らされ、介助者の年収が200万円前後。家族がある場合は到底やっていけず、労働条件の改善が不可欠であることも指摘された。
「障害者自立支援法」は一度廃案にし、根っこから変えるべきと訴えられた。
労働者を使い捨て
派遣労働者からは、昨年末の派遣切りにたいする闘いの報告がされた。
昨年末、日野自動車は、減産によるライン停止日の休業補償を派遣労働者には行わず、退職届を書かせて自己都合退職扱いにし、解雇翌日の1月1日から寮を出て行けと通告してきた。
これにたいして、労働者を使い捨てるやり方に怒りを持ち、日野自動車ユニオンを結成したことが報告された。そして、雇用が復活する情勢にあるからといって同じような働き方でいいのかと問い、労働者派遣法を、労働者の権利を守る法律に作り変えることを訴えた。
野宿労働者が倍増
企業組合を作って仕事起こしをしている山谷の労働者からは、都内の野宿者が倍増し、行路病死者として多くの仲間が死に至っている実態が明らかにされた。そして、労働者を使い捨てにして路上に押し出すような非正規労働を変えていくために、労働運動と社会運動が力を合わせていくことを訴えた。
細切れ任用、交通費・有休・社会保障なし
官製ワーキングプア問題では、東京都の女性臨時職員から怒りの報告があった。
任用期間2カ月を3回くり返し6カ月働くと1カ月休み、また2カ月契約で6カ月働くという細切れ採用という現実。交通費も有休休暇も社会保障もなく、就労は一月に20日間までという制限がある。有給休暇がないため、子どもが40度の熱を出しても出勤するしかない。
さらに、正規職の妊婦には認められている「妊婦通勤時間(出勤時の交通混雑を避けるため60分の時間休暇が取れる)」、「妊娠に起因する症状のための休暇」が臨時職員にはない。そのため、同じ職場の労働者が流産に追い込まれたという。「労働者にとって、均等待遇はあたりまえのこと」「労働者に人権を認めない社会には未来はない」と訴えた。
貧困と失業の現実に深く入って
今、私たちの住んでいるこの社会は、一番奥深いところから壊されていっている。集会宣言が「私たちが求めているのは、誰もが人間らしく暮らせる社会、そしてそれを可能にする政府です」「貧困問題を解決する『意思』を欠く政府に、私たちは私たちの生活を任せることができません」と発せられた。
多くの人たちとつながりながら、この社会を変えていくことが労働組合に求められている。貧困と失業の現実にもっと深く入り、その根本解決のために行動していくことが必要である。
2009全国キャンペーンを展開し、10月17日の「貧困撲滅デーイベント(仮題)」を成功させよう。(逆瀬隆一)
4面
『前進』2402号論文を批判する
事実無根の「条件闘争」デマゆるすな
安田派の妨害はねのけ 10・11三里塚へ
デマねつ造を謝罪せよ
安田派は、『前進』2402号掲載の「大恐慌と自民党崩壊を革命へ」と題する論文(以下、「2402号論文」と略す)の中で、われわれ革共同再建協議会に対して、「三里塚闘争の原則を破壊し、条件闘争への変質を策動している」というキャンペーンをし始めた。
もちろん「条件闘争云々」は事実無根のデマゴギーだ。彼らが何一つ具体的な事実を示しえないことからも一目瞭然だ。
決戦破壊の裏切り
問題は、三里塚闘争が決戦局面に突入している中で、安田派が「条件闘争」デマキャンペーンを開始したことである。
これは三里塚闘争に対する妨害行為であり、三里塚芝山連合空港反対同盟とすべてのたたかう人民への敵対である。
成田空港会社は、暫定滑走路の北延伸部分の10月前倒し供用開始に加えて、反対同盟・市東孝雄さんの自宅と農地を空港の中に封じ込める三本目の新誘導路建設計画を7月4日に発表した。なりふり構わぬやり方で反対農家の農地を強奪する暴挙に出てきている。71年強制代執行以来の決戦の到来である。
これに対して、市東孝雄さん、萩原進さんをはじめとする空港敷地内反対農家と反対同盟は、農地を死守してたたかう決意をあきらかにし、全国の労働者・農民・学生・市民に三里塚決戦への結集を呼びかけている。
まさにこのとき、安田派は、《三里塚闘争の内部で条件闘争が進められている》というデマキャンペーンを始めたのである。
カクマルより悪質
かつてカクマルは、1977年5月6日の岩山大鉄塔の強制撤去に対して、「反対同盟と公団との間で密約があった」というデマを流し、開港阻止決戦に敵対した。いま安田派が始めたデマキャンペーンもこれと同じだ。いやカクマルよりも悪質である。カクマルは、77年当時、すでに三里塚闘争から放逐されており、所詮外部からのデマ宣伝に過ぎなかった。しかし安田派は三里塚闘争の内部にいて、そこから事実無根の「条件闘争」デマを発信しているのだ。
これほどの三里塚闘争への破壊行為、たたかう反対同盟を背後から襲撃する裏切り行為があるか。われわれは、反対同盟との血盟と三里塚闘争の歴史的な勝利をかけて、安田派のデマキャンペーンを徹底的に粉砕することを宣言する。
安田派「政治局」の諸君は、「条件闘争」のデマをねつ造して、そのデマで組織内を必死に意志統一しようとしているのであろう。しらを切っても無駄である。諸君らが使う汚い手口はよくわかっている。自分たちが垂れ流してきたデマを正直に白状したまえ! 反対同盟とたたかう人民に謝罪したまえ!
デモに出発する反対同盟(7月5日 成田空港直近) |
市東さんの農地死守の闘いないがしろに
このようなデマキャンペーンを始めた安田派は、一体いかなる方針をもって、三里塚闘争の決戦に臨もうとしているのか。
2402号論文では三里塚闘争について次のように言及している。
「日帝は、・・・三里塚闘争の解体に自らの死活をかけている。その核心は、反対同盟が43年間にわたって貫いてきた『空港絶対反対、農地死守・実力闘争、一切の話し合い拒否』の原則と、労農連帯の地平をあらゆる手段で破壊しようとする点にある。
市東孝雄さんの農地(耕作権)を農地法で奪おうとする攻撃のもつ、すさまじい暴力性と悪辣さは、まさにこの日帝の焦りと絶望的凶暴化を示すものである」
こんにち三里塚闘争に言及する時、敵の攻撃の核心が、市東さんの農地の強奪にあるという点について、疑問の余地はない。
ところが安田派にとっては違うのだ。
安田派においては、三里塚闘争の核心が、「『空港絶対反対、農地死守・実力闘争、一切の話し合い拒否』の原則と、労農連帯の地平の破壊」、つまり「原則」や「地平」の破壊なるものにすり替わってしまっている。驚くべきことに、安田派の場合、「原則」や「地平」こそ核心問題で、現に市東さんの農地が強奪されるかどうかという現実の死活問題は、「原則」や「地平」をめぐる問題の現象形態に過ぎないというのだ。
三里塚闘争の目的は、国家権力の農地強奪に対して、農民が自らの農地を守ることである。ここに絶対にゆるがせにできない正義がある。「空港絶対反対」などの原則や労農連帯も、国家権力による農地強奪を許さないという大義の上に成り立つ原則であり地平なのだ。
しかし、安田派にあっては、《「原則」や「地平」を守ることが第一で、現に市東さんの営農している農地を守ることは二の次》と考えているのだ。もっといえば、《農民が農地を守るなどというのは小ブル思想。本来、農民は階級移行すべき》というのが本音なのだ。
ここから出てくる結論は、《たとえ農地を奪われても、「空港絶対反対」や「労農連帯」のスローガンをかかげ続けていれば勝利である》という国家権力に対する度し難い敗北主義と、転向を合理化する論理に行きつく。このような安田派の姿勢を、反対同盟農民も全国の労働者人民も、絶対に認めないし、許さないだろう。
安田派の三里塚闘争方針は根本思想において破産している。
転向合理化のための階級的団結論・絶対反対論
上述した安田派の敗北主義と転向合理化の集大成ともいうべきものが、「階級的団結論」と「絶対反対論」である。
観念の中にしかない団結
「階級的団結論」を2402号論文では次のように論じている。
「自らの存在がいまだ小さな『点』でしかないとしても、この『点』こそが実際には決定的な存在であり巨大な可能性をもっていることを、マルクス主義者として確信することである。」
なんのことはない。まだ団結していないのである。「点」が「線」にすらなっていない。
安田派のいう階級的団結とは、「マルクス主義者として確信すること」でしかない。それは彼らの観念の中にしか存在しない。
現実の労働者は眼中になし
つぎに同論文から「絶対反対論」を見てみよう。
「大恐慌時代において資本家階級と労働者階級との絶対的非和解性を明確にして階級闘争を闘うことであり、そこに妥協など一切存在しない。そして路線が明確になれば実践方針は自在に展開できる。」
安田派にとって資本との闘いとは、「絶対反対」のスローガンをかかげておりさえすれば勝利なのだ。解雇されようが、合理化されようが、賃下げされようが、それにたいして何ひとつ責任を感じない。安田派の眼中には、職場や地域の大多数の労働者の姿はない。労働者の多数を組織する意思など端からない。
だから、得手勝手な「実践方針」を「自在に展開できる」のである。
まじめな労組活動家からすれば、これほど迷惑千万な存在はいない。
召還のための革命戦略
こうして安田派は日々階級的実践から召還を続けている。このことは安田派の「革命戦略」において顕著である。
安田派の唯一の「革命戦略」は「11月1万人決起」である。2402号論文ではなんといっているか。
「11月労働者集会において青年労働者を先頭に1万人規模で結集をかちとるならば、その力はすべて階級的力関係と階級情勢を決定的に激変させる。1万の階級的団結は無限に発展し、巨万の労働者階級が革命へ進軍を開始するのだ」
大言壮語するのは勝手だが、問題は、なぜ「11月1万人決起」が「すべての階級的力関係と階級情勢」を激変させるのかという理由だ。この肝心要について論証はいっさいない。もちろん、できるわけもない。
要するに《マルクス主義者として確信せよ》というわけだ。資本主義が人間社会にもたらすあらゆる厄災は、「11月1万人決起」が達成されれば浄化されるというのだ。
ここから現実の階級攻防のすべてが、毎年11月某日、日比谷野外音楽堂に結集することにすり替えられる。安田派のいうマルクス主義とは、もはや科学ではなく、信仰である。
中野本はジェット闘争にふれず
2402号論文では、われわれに対して「反マルクス主義をこえた小ブル反革命」「農本主義反革命への転落まであと一歩」などと、“呪いの言葉”を投げつけている。こうした言辞に安田派の本性が浮き彫りになっている。
安田派が批判を試みている出石要論文(『未来』30号掲載)の該当箇所を引用してみよう。
「『労働者が社会の主人公であることに誇りを持つことだ。つまり労働者はこの世の中をすべて動かしている。』(『中野本』84ページ)
これは、中野氏のお得意のフレーズである。一見するともっともらしいことをいっているようだが、これは初歩的な間違いを犯している。
労働者が毎日食べている米、小麦、野菜、肉、魚はいったい誰が作ったり獲ったりしているのだろうか。いうまでもなく農民であり漁民である。彼らの存在なくして労働者は、一日たりとも生きていくことはできない。だから、『労働者はこの世の中をすべて動かしている』などというのは、思い上がりもいいところだ。農民も漁民も、労働者とならんで社会の主人公であり、労働者とならんで社会を動かしている。
ところが、中野氏には農民や漁民の姿はその眼中にはない。彼らが労働者に食物を提供するのは『当たり前』のことだと思っているようだ。
ここに浮かび上がるのは、農村や漁村の苦境の上にあぐらをかく尊大な都市住民の姿ではなかろうか。とんだ『マルクス主義者』もいたものである。」(傍線引用者)
ここで出石論文は、「労働者はこの世の中をすべて動かしている」という中野氏の持論をとりあげて、「農民も漁民も、労働者とならんで社会の主人公であり、労働者とならんで社会を動かしているではないか」と批判しているのある。
ところが2402号論文は、この批判には答えず、傍線部だけを引用して、「・・・中野顧問こそが労農連帯の旗を掲げ、一貫して三里塚闘争を闘ってきたのだ。・・・解雇と処分をかけてジェット燃料輸送阻止闘争を貫徹したのは誰なのか。塩川一派はその事実を知りながら、中野顧問と動労千葉への敵意を露骨に表明しているのだ」と金切り声をあげている。なんとも稚拙な論点のすり替えである。
もちろんわれわれも、ジェット燃料輸送阻止闘争の意義を確認してきたし、今日も変わりはない。
ところが肝心の中野本(『新版・甦る労働組合』)では、ジェット燃料輸送阻止闘争について一言も触れていないのだ。2402号論文の筆者がいかに力んで見せても、当の中野氏は三里塚闘争への連帯感をもちあわせていないのだ。
反対同盟の主体性ふみにじる安田派
いまや安田派にとっては、農民・漁民の利害について語ることは、《農民・漁民と労働者階級を分断して、動労千葉と対立させる》ことであり、「反革命への転落まであと一歩」ということになる。このような偏狭な“階級的立場”からは、三里塚闘争を闘う内的必然性は生み出されようもない。それは2402号論文で次のように述べていることからも明らかである。
「革共同は、7・19関西新空港反対全国集会で発せられた、三里塚闘争の原則のもとに一致して闘い抜こうという動労千葉の提起を断固として受けとめ、10・11三里塚現地への大結集のために総決起する」
「7・19関西新空港反対全国集会」とは、三里塚反対同盟が6月19日付声明で、「泉州単独開催を押し切ろうとする姿勢は、闘いに亀裂を生み出すもの」であり、「関西実行委員会の内部に亀裂を生む今回の事態は反対同盟の問題でもある」として、その開催に強い抗議の意志を表明していたものだ。安田派は反対同盟の抗議を無視して、7・19集会を強行したばかりか、7・19集会で「動労千葉の提起」があったから、三里塚現地に結集するというのだ。
安田派はいったいどこまで反対同盟農民の主体性を踏みにじれば気がすむのか。
10・11から三里塚闘争の大発展へ
全国のたたかう仲間のみなさん、これまで一度でも三里塚闘争にかかわった経験のあるすべてのみなさんに訴えたい。
三里塚農民は、農民として人間としての当然の権利を求めて、今日もなお成田空港の滑走路予定地内で国家権力の重圧に耐え、不屈に闘いぬいている。冒頭に述べた反対同盟・市東孝雄さんの自宅と農地を空港の中に封じ込める三本目の新誘導路建設計画は、日帝・国家権力による文字通りの農民殺しだ。こうした非人道的な暴挙を見過ごして、日本の労働者階級・人民の未来を語ることはできない。
来る10・11三里塚全国集会は、安田派の「条件闘争」デマキャンペーンによる妨害をはねのけて、三里塚闘争の新たな出発点を形成するであろう。すべてのみなさん。敷地内反対農家を国家権力の暴虐から守り抜くために、いまこそ打って一丸となってたたかおう。
9・27三里塚関西集会に結集しよう。10・11三里塚全国集会の歴史的成功をかちとろう。
5面
戦前の歴史くり返すな
「外国人追放」さけぶ「在特会」に反撃を
今、全国各地で、「外国人追放」を掲げて、排外主義集団・ファシスト「在特会」(在日特権を許さない市民の会)が集会・デモをくり広げている。
埼玉県蕨市において、長女は在留特別許可がおりたが両親が認められずに国外退去を命じられたフィリピン人の家族の問題をめぐって、4月11日に、「長女も国外追放せよ」と叫んで、長女が通っている中学校や、通っていた小学校にまでデモをくり広げた彼らは、その後も全国各地で同様の攻撃を加えている。
しかしこれに対して、激しい抗議の闘いが始まっている。6月13日、京都での彼らの集会・デモに対して300人の抗議行動が闘われた。7月18日には全国でもっとも在日朝鮮人が多住している大阪市生野区鶴橋での彼らの集会・デモに対して、100人近くの抗議行動が闘われた。7月20日の福岡での彼らの集会・デモに対しても抗議行動が取り組まれた。
「外国人排斥」のスローガンを叫ぶも、大衆的反撃にあい打撃感をみせる「在特会」(6月13日 京都市内) |
「在特会」にたいして、たたかう仲間が一丸となって反撃(6月13日 京都市内) |
「慰安婦」決議に妨害行動
とりわけこの間、日本軍「慰安婦」問題をめぐって、地方議会で立て続けに意見書が採択されたことに危機感を募らせ、「在特会」は意見書を採択した自治体への攻撃と、「慰安婦」関連の集会や企画に対する攻撃をくり広げている。
08年3月25日に宝塚市議会での、日本軍「慰安婦」問題に対して政府に誠実な対応を求める意見書の採択は全国に伝わり、清瀬市、札幌市、福岡市でも意見書が採択され、この6月には箕面市、三鷹市、小金井市、京田辺市の各市議会で立て続けに意見書が採択された。
この動きが全国に波及する中で、「在特会」は、 京田辺市に対して7月16日に「申し入れ」と称して自治体に圧力を加え、7月25日に同市で開催された報告集会に対しては、最寄り駅前での妨害行動と集会場を街宣車で連呼する妨害をくり広げた。
三鷹市において7月29日から8月3日まで開催が予定されていた「中学生のための慰安婦展」と8月1日の講演会に対して、三鷹市と会場に圧力を加え、会場側の手続きミスで口頭で使用を承諾しながら正式な申請書が提出されていなかったことを逆手に取って、同時期・同場所の使用申請を行って「慰安婦展」と講演会の会場を使えなくしようとした。最終的には期間を短縮して8月1日から3日までの開催となったが、「在特会」は3日間にわたって会場に押しかけて開催を妨害し、それを口実に「警備」と称して警察が大量に会場前を封鎖し、多くの人々が参加できない事態が生み出された。
富山市においては、8月8日に「戦争と女性の人権を考える集い」が開催され、「慰安婦」とされた在日朝鮮人の宋神道さんのたたかいを描いた『オレの心は負けていない』の上映も行われたが、「在特会」はこれに対しても攻撃を加え、映画館に圧力を加え、会場に街宣車を横付けして妨害行動をくり広げた。しかしこれをはね返して約250人の人びとの参加の下、映画会と集会は開催された。
8月12日の阪急西宮北口駅(兵庫県西宮市)前における日本軍「慰安婦」問題の解決を求める世界同時水曜デモに対しても妨害行動をくり広げたが、これをはね返して約60人で水曜デモが行われた。
排外主義あおり憂さ晴らし
こうした「在特会」の妨害と敵対を打ち破ること抜きに、「慰安婦」問題をめぐる自治体での意見書採択の取り組みも、集会や企画を開催することもできない。「在特会」の妨害・破壊に対して、今、政治的立場の違いをこえていずれの集会においても防衛体制がとられ、抗議行動が闘われている。それと全く無関係でいるのはカクマルと安田派のみである。
8月8日の富山集会では、20人を超える人びとが防衛隊を組織して会場入口で「在特会」と対峙していた。その時、安田派は防衛隊に加わろうともせず、そしらぬ顔をして隣で「裁判員制度反対」のビラをまき、ひんしゅくを買った。
底無し不況の到来と爆発的な失業の増加、未来への希望が見えない時代の中で、差別主義と排外主義を煽りたて、外国人をはじめとする「弱い立場の人びと」を標的にして攻撃し、憂さを晴らさせて組織しようとするのが「在特会」である。
この排外主義・ファシストの台頭、街頭への進出を許してはならない。この排外主義暴力に敗北するならば、1923年関東大震災の時の朝鮮人・中国人大虐殺に、日本の労働者民衆が動員・加担させられた痛苦の歴史を再現させてしまうことになりかねない。
闘う左翼の反撃が決定的
逆に、この排外主義暴力に敢然と立ち向かい打ち破る力が、「格差と貧困」「差別と戦争」を打ち砕く労働者民衆の力強い決起を生み出す原動力ともなる。
6月13日の京都での300人の大衆的反撃は、彼らに大打撃を与えている。以後、「在特会」は、「外国人追放」と並んで「左翼の追放」を叫びはじめた。たたかう左翼勢力は一丸となって、「在特会」の集会破壊攻撃を許さず防衛体制を作り出そう。いま、彼らの街頭進出を大衆的反撃で打ち砕いていくことが求められている。(入管闘争委員会)
6面
命の切り捨て拡大する流れを阻もう
「臓器移植法」の成立弾劾
たった23時間の審議で採決
7月13日、参議院本会議で「脳死」を一律に人の死とし、家族の承諾で「脳死判定」も臓器移植もできるA案が可決・成立した。参院厚生労働委員会における審議は、参考人を招いての質疑を含めて、6月30日から始まり、7月9日には終了させてしまうというものであった。5日(約23時間)の質疑と1回の病院見学が行われただけだ。参考人も大半が「脳死」を人の死と言い切る人びとであった。
本会議では10日に3案の提案者が1度だけ説明を行い、13日に採決された。A案が賛成138、反対82で可決された。この採決の前に、A案を臓器摘出の場合に限って「脳死」を死とすると修正した法案が賛成72で否決されたが、この賛成者のうち55人がA案の賛成に回った。そのためにA案が可決されたのだ。この採決を待って、民主党は内閣に問責決議と不信任案を提出した。人の生死にかかわる法案は、こんなにもいい加減なやり方で国会を通過したのだった。
懸命の反対運動
この短期間の中で、懸命に改悪反対の闘いは行われた。
青い芝(全日本脳性まひ者協会・全国青い芝の会)、DPI(障害者インターナショナル日本会議=「障害者」の国際組織)、怒りネット(怒っているぞ!障害者切りすて全国ネットワーク=「脳性まひ者」「障害者」「精神障害者」等で構成される)など「障害者」5団体が共同行動を行い、全参院議員に対する説得行動、国会前行動などを行った。全国交通事故遺族の会、人工呼吸器をつけた子供の親の会、医療労働者、宗教者などが、さまざまな反対行動を展開した。
7月8日の院内集会には、仏教、神道、キリスト教の8団体が集まり、改悪反対のアピールを行った。議員へのA案反対の追及も、衆議院の時以上のものがあった。
こうして闘ってきた人びとは、改めて結集し、新たな運動を開始しようとしている。
「税金で無駄な延命」と反動発言
参院での参考人には、「長期脳死」(脳死判定後1年や2年生きる例は少なくなく、8年間生き続けている子どももいる)のお子さんと生活されてきた人は全く呼ばれなかった。「脳死」の方を看取った人も2人だけで、臓器移植を推進してきた人びとは少なくとも9人はいた。
臓器移植を推進する立場からは、こぞって「脳死」を一律に人の死とすべきことが主張された。「長期脳死」の状態で生活している人にたいしては、税金をたくさんかけて無駄に延命している、などという発言までとび出した。臓器は「社会の資産」、生とは「脳が正常に働いている状態」、などと発言する者もあり、「脳の働きが不正常」とされる「障害者」への適用拡大など、死の基準は「脳死」だけにとどまりそうもない。腎透析には金がかかりすぎている、との発言もあった。
医療うちきり「安楽死」の動きも
他方、臓器移植を受ければ、一生にわたって免疫抑制剤を飲まなければならず、そのことが感染症の危険、癌を引き起こす危険があるのだが、そうしたことは語られていなかった。
臓器移植に頼った場合、例外なくどの国でも「臓器不足」の状態となっている。アメリカでは、年間6千人を超える「死体」(その多くが「脳死者」)からの臓器提供があり、さらにそれを上回る生体間移植がある。心停止後の臓器摘出の場合でも、心停止前に臓器保存のためとして、4℃の灌流液を流し込むのが日本でも普通である。これが心停止を直接起こさせる可能性がある。アメリカではさらに、人工呼吸器を必要とするALS(筋萎縮性側索硬化症〔きんいしゅくせいそくさくこうかしょう〕=重篤な筋肉の萎縮と筋力低下をきたす神経変性疾患)などの患者の呼吸器を止めて、心停止を起こさせて臓器を摘出するピッツバーグ方式も広がっている。バージニア州など「遷延性意識障害(植物状態)」を死としている州もある。それでもなお「臓器不足」だというのだ。
この動きと呼応して、欧米では、医療を打ち切ることによって死に導く「消極的安楽死」だけでなく、薬物注射等で死なせてしまう「積極的安楽死」も広がりを見せている。
人の死を期待する医療はやめるべき
かつて、20世紀初頭から30年代にかけて、優生思想(優秀な子孫を残すためとして、生きる価値無き人がいるという考え方にいたる)によって断種法が広がり、「安楽死」運動も進められ、ナチスによる「障害者」虐殺に行き着いた歴史がある。第2次大戦後は、こうした方向に結びつく発想を「滑りやすい坂道」として警戒する考え方が広がったが、1960年代後半から「臓器移植」や「尊厳死・安楽死」運動が進められ、時代は激しく危険な坂道を転がり始めている。
衆議院でA案提案者の筆頭に名を連ねた中山太郎議員が、「尊厳死」(人としての「尊厳」を保てないものは死に至らしめる、という考え方)に活用できることを本会議で語ったが、いま日本帝国主義はそうした道に大きく踏み出したと言える。臓器摘出を増やすために、「脳死」とされた人などの医療費打ち切りも、今後ねらわれるだろう。
今、自己負担が大きいインターフェロン治療を受けられず亡くなる肝炎患者が大勢いる。臓器に病気を持つ人たちへの福祉など、生活保障も厳しい状態にある。そんな中で、臓器移植だけが声高に叫ばれ推進されている。しかもA案提案者の中には、高齢者の医療を切り捨てる後期高齢者医療制度に賛成してきた人も多い。その狙いは何か。
臓器移植を名目に、「脳死」とされた人を切り捨てる。腎透析よりも移植のほうが安上がりとの計算もある。命の切り捨ての対象は拡大されていく。
わたしたちは、上述した日本と世界の流れを絶対に阻止しなければならない。人の死を期待する医療などはやめるべきだ。「脳死者」、臓器に病気のある人、すべての人の医療や生活の保障のために闘おう。(関東「障害者」解放委員会ST)
医療観察法なくせの一点で共闘が実現
東京で全国集会
7・26
全国から120人が集まった医療観察法集会(7月26日 東京都内) |
「なくせ! 差別と拘禁の医療観察法 7・26全国集会」が、東京・池袋の東京芸術劇場で開かれた。
心神喪失等医療観察法をなくすという一点での共闘を実現した集会だ。幅広く120人も集結し、会場を満杯にした。主催は「心神喪失等医療観察法をなくす会」など観察法を廃止するために活動してきた団体だ。
事件の根っこに社会の矛盾
医療観察法は、05年7月に施行された「精神障害者」取締法だ。殺人・放火・強盗・傷害・傷害致死・強姦・強制猥褻という刑事事件を起こしたか、未遂(傷害以外)とされた「精神障害者」で、「心神喪失(錯乱状態など認識力を失った状態)」か「心神耗弱(認識レベルの低い精神的な混乱状態)」であったという精神鑑定を受けて、刑務所に行かなかった人のうち、検事が申し立てた人が対象だ。審判で、精神病院に併設された重隔離の専門病棟への強制入院か、指定通院機関である精神病院への強制通院となるか、不処遇かに分かれる。最近は施設不足から一般精神病院への強制入院も行なわれている。
法の推進派は、頻繁に事件を起こして刑務所に入っているときに「精神病」を発病した複数のアルコール依存の人を例に挙げて、頻回再犯の「精神障害者」がいるという主張をしている。知らぬ人をだます論理だ。
「精神障害者」の発病には社会的原因がある。また、事件そのものにも説明のつく根拠があるものだ。肥前自殺問題〔注〕のように事件の根っこを追えば社会の矛盾に行き当たることが多い。
自殺者12人の無念と怒り
集会の前半は「精神障害者」が司会をつとめた。
最初に、観察法によって収容された当該が発言し、収容施設での体験を語った。外出がなかなか許可されず、許可されても二人の監視がつくという不自由さが苦しかった。自分の病気の症状が出るシグナルを分かるようにし、自覚・他覚症状が出たら入院するという訓練をさせられたそうだ。あくまで再犯予防に重点があり、病気の根治は目的とされていない。
二番目に僕が発言した。収容施設の自殺者についての報告を行なった。「重厚な医療を施す」といううたい文句とは裏腹の絶望を作り出すところとなっている観察法病棟で、入院と通院を含めて12人の自殺者が出ている。対象者の1%ときわめて高率だ。システムの矛盾を厚生労働省は隠蔽している。自殺した人の無念の思いを我が物として、医療観察法をなくして行こうと訴えた。
続いて精神科医の富田さんは、収容主義、低医療費主義、大量収容主義、治安主義の日本の精神医療の改革が必要。その最たる観察法は廃止しかない。30万床以上ある精神病床を、15万床は削減できる。病床削減が精神医療の底上げにつながると訴えた。法律家の立場から足立弁護士が、裁判官の関与をなくし医療的判断が重視されるべきだと述べた。人権市民会議の山崎さんは、観察法は拷問だと訴えた。
大衆運動の威力ある登場を
後半のフリートークでは、各地から参加した「精神障害者」、精神科医などの発言や、観察法の対象となった方からのビデオレターによるピアノ演奏があった。発言には、これから民主党政権ができていっても民主党への評価で割れることなく、「観察法をなくすという一点で」結集し続けることの重要性を訴えるものがあった。
民主党は観察法の成立時には反対したものの、すでに施行されている法律をなくす立場に立っているわけではない。議員が法を廃止してくれると思うのは幻想だ。「精神障害者」や労働者・市民の大衆運動の威力ある登場がなければ法の撤廃はない。10月に予定されている国会院内集会、11月の全国集会が重要だ。
法が約束した「重厚な医療」も「車の両輪としての精神医療の底上げ」も、嘘だったことがはっきりした。地道に「精神障害者」、労働者を獲得していって、法の廃止を勝ち取る大衆運動を築いていこう。(高見元博)
〔注〕07年12月、医療観察法の手続きで肥前精神医療センター(佐賀県)に入院させられていた患者が自殺した事件。