未来・第37号


            未来第37号目次(2009年7月21日発行)

 1面  三里塚・市東さん宅と畑を空港で囲い込む
     新たな誘導路建設計画を粉砕する
     革共同再建協議会の決意

 2面  「第3の誘導路」粉砕
     反対同盟が闘争宣言 
     7・5三里塚

 3面  「憲法第9条改定を許さない 
     6・14全国集会」発言からA

     田母神を「8・6ヒロシマ」に入れるな

 4面  都議選の結果と衆院解散
     新自由主義粉砕の人民反乱

 5面  本の紹介
     『路面電車を守った労働組合
     私鉄広電支部・小原保行と労働者群像』

 6面  「8・6ヒロシマ 平和の夕べ―」によせて
     被爆地案内

 

三里塚・市東さん宅と畑を空港で囲い込む
新たな誘導路建設計画を粉砕する
革共同再建協議会の決意

7・5三里塚現地闘争において、三里塚芝山連合空港反対同盟(以下「反対同盟」)は、二つの重大な決意を明らかにした。ひとつは、3本目の新たな誘導路建設計画を粉砕する闘争宣言である。いまひとつは、6・19反対同盟声明〔注〕で表明された「三里塚闘争に亀裂をもたらす行為は断じて認めない」という強い決意である。
われわれは、反対同盟との43年間にわたる血盟にかけて、そして革命的左翼の矜持にかけて、反対同盟の重大な決意にこたえ、市東孝雄さんの農地を死守するために総決起することを誓う。

「農地強奪を許さない」と、反対同盟を先頭に行進(5日 成田空港直近)

反対農家を封じ込める暴挙

7月4日付東京新聞夕刊で、国土交通省と成田空港会社が、3本目の新たな誘導路建設計画を発表した。これは、市東孝雄さんの宅地と農地を、滑走路と誘導路で完全に包囲するというものである。
国交省と空港会社は、農地取り上げのための裁判や暫定滑走路北延伸の供用開始だけでは反対同盟と市東さんを屈服させることができないと見て取り、なりふりかまわぬ凶暴な手段に訴えてきたのである。
成田空港では、今年3月23日に、フェデックスの貨物機が着陸に失敗して炎上・大破し、乗員2人が死亡するという大事故が起きたばかりである。空港会社はこうした危険きわまりない空港の中に、反対農家を封じ込めようとしているのである。断じて許すことはできない。

三里塚勢力の総決起を
新たな誘導路建設を阻止する闘いは、三里塚闘争の勝利をかけた重大な決戦である。
市東さんにたいする政府と空港会社の暴挙は、71年9月、一期工事敷地内で闘う大木よねさんにたいして行われた強制代執行以来の暴挙だ。市東さんをはじめとした反対農家に対する、日帝・国家権力と空港会社による非人間的な攻撃の実態を大々的に暴露し、これに対する労働者人民の憤激を全国各地で巻き起こしていかなければならない。
われわれはすべての三里塚闘争勢力に、いまこそ打って一丸となって、新たな誘導路建設計画を敵の墓穴へと転化するために総決起することを訴える。

新自由主義粉砕の一環
その勝利の道は、第一に、日本帝国主義の農民・農業切り捨てとたたかうすべての人民、農村・地方の切り捨てとたたかうすべての人民と結びつき、新自由主義攻撃を粉砕する広汎な労働者人民の闘いの一環として闘い抜くことである。
第二に、米軍トランスフォーメーション(米軍再編)の下で進行する基地と演習の強化とたたかう沖縄・岩国・横須賀・小松など全国各地の反基地闘争と結合し、日米安保体制と対決する広汎な労働者人民の闘いの一環として三里塚闘争をたたかうことである。
第三に、各地の原発建設反対闘争や空港建設反対闘争と結合して、全国住民運動の砦として三里塚闘争の復権を勝ち取ることである。
そして第四に、以上の実践の全成果を三里塚現地結集の画次元的な飛躍へと結実させることである。集会時や闘争時はもちろんのこと、日常的な援農活動、現地調査活動も重視し、一人でも多くの人が“三里塚”を実体験することが決定的な力に転化するのである。
このようにして、建設計画を実力で粉砕することのできる広汎で強固な闘争陣形を構築しよう。

改憲決戦の一翼
こうして形成された三里塚闘争陣形が、日本帝国主義の改憲攻撃と対決する階級決戦の重要な一翼を担うものであることは明らかである。
日帝・国家権力が来年5月の国民投票法施行を前にして、反対同盟と三里塚闘争の抹殺に手を染めようとしていることを断じて軽視するものではない。この決戦を回避して、日本における革命的共産主義運動の復権はあり得ない。革共同再建協議会はいかなる犠牲を被ろうとも、市東孝雄さんをはじめとする反対同盟、反対農家の宅地と農地を死守するために闘うことを決意する。

反対同盟の決起にこたえ

反対同盟の6・19声明は、直接には、安田派の三里塚決戦からの逃亡願望を動機とした、三里塚闘争陣形の破壊・分裂に対する弾劾であった。だからこそ、安田派は、安田派通信『前進』で、7・5闘争における反対同盟の発言にひたすら沈黙を決め込むという卑劣な態度に終始している。
しかし、6・19声明は、それにとどまるものではない。三里塚闘争は、その初期において日共スターリン主義と決別することを通してその戦闘的大衆的発展の道を切り開いた。これと同じように、反対同盟は、いま、三里塚決戦の勝利の道を主体的に切り開くために、退路を断って決起した。
このことを、われわれは革命的共産主義者として全身で受け止め、あらためて反対同盟との結盟を誓い、一心同体となって闘うことを決意するものである。 〔2面に反対同盟の発言〕

注:反対同盟は、6月19日、「泉州住民の会が関西実行委員会(湾岸住民共闘)から離脱する動き」にたいして、「反対同盟は6月5日付けの関西実行委員会の声明を支持する」とするとともに、「泉州住民のみなさんが関西実行委員会(湾岸共闘)に復帰することを反対同盟は心から要請する」という声明を発した。

2面

「第3の誘導路」粉砕
反対同盟が闘争宣言
7・5 三里塚

集会は、「滑走路に出刃をつきつける」ような開拓組合道路で行なわれた。手前はまとめの発言をする萩原さん。(5日)

7月5日、三里塚現地において「仲戸川裁判長弾劾、新誘導路供用阻止、市東さんの農地を守れ!」をかかげ、集会・デモがおこなわれた。会場となった開拓道路は、暫定滑走路までわずか70メートルに肉迫する地点だ。全国各地から350人がかけつけ、反対同盟とともに 意気高く闘い抜いた。(速報は本紙前号1面)
集会冒頭、司会の鈴木謙太郎さんが、「西側誘導路新設(3本目)の策動に対して、反対同盟は、ここに闘争宣言を発します」と『闘争宣言』を読み上げた。
以下、反対同盟事務局長・北原さん、空港敷地内農民・市東孝雄さん、反対同盟事務局次長・萩原進さん、司会・鈴木謙太郎さんの発言を紹介する。

三里塚は君たちのものだ
北原鉱治さん(反対同盟事務局長)あいさつ 要旨

昨日、ブル新の報道(東京新聞)によると、(3本目の)誘導路を作ると、こう言ってるんですよ。こんなものを通すわけにはいきません。同盟ある限り阻止し続けるでしょう。
現闘本部の裁判は、一方的な判決を出そうとしております。最終弁論は、11月、そして判決は3月ごろだろう。こういうような裁判というのは、一方的な判決しか出ない。
反対同盟は、43年間にわたって諸君とともに闘ってきた。今こそ 学生が、若い労働者が、立ち上がって闘わなかったなら、自分たちの未来はない。闘わなければ生きられないという時代に入ってきている。三里塚闘争は、全国の人たちが共有する、日本の将来を決定する闘いとしてあるわけです。
今日はいつもの集会と違って、現地集会としては多くの人々が集まってくれた。これでいいんだよ。われわれは、この空港について、最初っから、現在も「絶対反対」を掲げて闘っている。そういう意味で三里塚は健在です。君たちのものだ。共に闘おう。

本当に勝利するまで闘う
市東孝雄さん(敷地内)発言 全文

本日は忙しい中、結集されましてご苦労様です。現闘本部、一坪、私の裁判 と、傍聴闘争ほんとうにありがとうございます。
さきほど謙太郎さんの方から報告がありましたが、私の家を空港の中に囲い込む形で新しい誘導路計画が出されました。私は絶対に許さないし、断固として闘う決意です。
反対同盟は、43年間、原則を貫き闘ってきました。東の動労千葉、西の関実(三里塚決戦勝利関西実行委)と同じ一つの闘いとしてやってきました。今回、残念なことが起こりました。今、分断を同盟に持ち込むことは絶対に許されません。私の会もあらゆる人たちとの絆で守られています。市民運動を否定するような行動が断じてあってはなりません。原点に戻り、今までのような闘いを望みます。
反対同盟は一つです。そして皆様とともに、本当に勝利するまで闘わなければいけない時です。法律も正義も、今の権力にはありません。空港会社は前倒し供用攻撃をかけ、追い出しをかけてきています。権力、空港会社を絶対に許しません。さらに気持ちを引き締め、共に闘いましょう。

みんなが力を合わせれば勝てる
萩原進さん(反対同盟事務局次長)まとめ 要旨

戦争阻止の砦として
朝鮮半島における一触即発の状況の中で、ミサイル配備、北朝鮮船舶の追尾など、戦争挑発の色合いすらある。また一方では海賊対処法だとか、田母神が全国的に講演をやるとか、国鉄民営化などをやりながら、いろいろな法律が改悪され、労基法、教育基本法が改悪され、そして 農地法が今国会で改悪され、憲法改悪が企まれ、地方制度が改悪されて道州制が導入される、こういう大きな問題がある。
三里塚勢力、三里塚闘争をなくさなければ(政府は)戦争できないんですよ。我々が掲げている軍事空港粉砕の闘いはまさに正義であり、戦争反対の闘いに重要な位置を占めてるんだということをまず第1点として訴えたい。

3本目の誘導路の暴挙
第2点目には、やはり三里塚の情勢です。先ほど出ました3本目の誘導路の問題があります。市東さんは、生活の糧である土地を奪われようとしている。(3本目の誘導路ができると)飛行場の中に囲い込まれて、生活そのもの、寝起きそのものまで24時間その中に叩き込まれるんですね。
そして、市東さんを先頭にする裁判闘争、農地強奪阻止の裁判と現闘本部裁判、一坪裁判があります。今の司法反動の頂点に立つ攻撃です。われわれは階級裁判として受けて立つ。正義性をうちだし、勝利性をうったえ、公判にも訴え、あらゆる人士がそこに大同団結して闘い抜く、そういう枠を作っていく。それを三里塚の裁判で作り上げつつあるわけです。
そして、裁判所の中だけでは決着がつかないんですよ。これを三里塚の現地に引きづり込んで、そこでまた闘いをやる、そういう裁判なんです。
ツギハギだらけの、どっから見てもおかしな空港だ。今いるところ見て下さい。まさしく滑走路に出刃包丁つきつけて、これでも飛ぶのか、これでもやるのかと反対集会ひらいてるんですよ。この状況を我々は、必死で歯をくいしばって勝ち取ってきたんですよ。みんなが一緒に力を合わせて闘えば勝てる、そういう大道の上に立ってるんですよ。

反対同盟と関実は東西の両輪
だけど残念だけど、先ほど市東さんが触れられましたが、(6・19)同盟声明のことについて若干述べなければならない。
反対同盟にとっては、動労千葉と関実はね、別格だといってもいい位置だととらえております。闘いの車の両輪としての動労千葉、そして闘いの東西の両輪として関実をとらえております。
動労千葉は、首を覚悟で労働者がジェット燃料貨車輸送阻止に決起し労農連帯ができた。一方では革マルという反革命と闘いながら、中曽根の行革攻撃の中で、厳しい労働運動の中を動労千葉が闘い抜いて、しかし三里塚がその闘いの奥座敷として大きく、労働運動も含め、動労千葉も含め抱え込んで、三里塚勢力がそこで大きくは守り抜いたんじゃないのか。そういう絆は絶対に切れないんですよ。
同じようにね、関実とも反対同盟は40年にわたる歴史があります。永井さんや山本先生、こういう世話人といくつもの反対運動の闘いの歴史の中で、山越え、野を越えありました。そもそも関実というのは、(77年)鉄塔決戦の時に二期(工事阻止)決戦を闘う団体ということで同盟と一緒に作った組織であります。そういう結んだ絆だからこそね、関西の震災(95年阪神淡路大地震)の時にも自分は3日目にリュックサックに野菜を詰めてね現場にかけつけました。そういう形で今の同盟と関実とは深い信頼関係にあるわけです。
だから今回のような事態は、深刻な事態として同盟は受けとめました。同盟の問題だと受けとめたわけです。この問題がもっと進んでいくと、分裂が反対同盟のなか、三里塚の中に持ち込まれてくると。こういうことは絶対的に許せないと。今まではいろんな意味であらゆる戦線の中でも、そういう問題も見ました。しかし、われわれは、今日までは一言も言いませんでした。

あえてこの場で
しかし、今度ばかりはそうはいかない。反対同盟声明の中で4番目に、「これが守られなければ、共闘関係云々」というのがありますが、そのことの真意は、今まで通りの関実の中で、湾岸共闘4団体の団結をもって関西の闘い、三里塚の闘いを本当にやろうじゃないか、このことを訴えたいからこそ、反対同盟は出したんです。その反対同盟の心意気と今までの歴史的な背景、こういうことを汲んでいただきたい。
戦争的な状況の中、あるいは三里塚の現状のなか、市東さんが置かれた現状の中で、本当にこんなことやっていていいのかどうかということを訴えたい。本来ならこういう話しをしたくないんだけれども、あえてこの場で言わせていただいて、皆さんとともに三里塚勝利のために邁進したいとおもいます。

全国の支援のみなさんとともに
鈴木謙太郎さん 閉会あいさつ 全文

今、北原さん、市東さん、萩原さん。力強い決意表明をいたしました。
反対同盟は、6月19日声明を出しました。関西実行委員会を支持し、泉州住民の会が関西実行委員会に戻ることを強く希望します。今、反対同盟は、空港会社、千葉県、千葉地裁の様々な攻撃を受けています。一丸となって闘っていかなければならない時ですので、この時期、このような問題が出てきたことを反対同盟は強い憤りを感じています。
ここにきている皆さん、また全国の三里塚を支援するみなさんと、この先、この三里塚闘争を力強く進めていこうではありませんか。

3面

「憲法第9条改定を許さない
6・14全国集会」発言から A

前号に続き、6・14集会の発言を紹介します。〔見出しおよび文責は編集委員会〕

総務省パンフを回収せよ
伊藤成彦さん(中央大学名誉教授)の講演 要旨

憲法違反の総務省パンフ
総務省が、『憲法改正国民投票法』というパンフを各自治体(窓口)に置いています。「来年5月18日から憲法改正国民投票法が施行されます」と書いてある。憲法改正国民投票と書いているが、そもそも改正か改悪かを総務省という役所が決めること自体が間違っている。
そもそもこの法律(国民投票法)自身は、これは議員立法なんです。なぜかというと、憲法では、政府が改憲を提案することを禁じているから。つまり、政府にはこういう法律を提案する権利はないんです。だから自民党、公明党の議員有志が法案を(国会に)出して、通したんですね。
そういふうにして作った法律を、しかも来年の5月18日に施行されるというものをですね、今から政府の一部分である総務省が、税金を使って500万枚も発行・配布するということ自体が、あきらかに憲法違反です。国会でも、「ただちに全部回収せよ、そして、責任者(総務相)は罷免だ」と言うべきなんです。

硬性憲法とは
日本国憲法は、硬性憲法です。硬性憲法とは、これこれこういう問題は変えてはいけない、という限界をもうけた憲法のことです。なんでもかんでも変えてよい、という憲法ではない。変える場合、その限界が厳しい憲法だということなんです。
〔ここで、伊藤さんは、同じく硬性憲法を持つ諸外国の例をあげ、フランスの現憲法=「第5共和制憲法(1958年制定)」、ドイツ憲法=「ドイツ連邦共和国基本法」、スイス連邦憲法での改正限界の具体例を紹介〕

日本国憲法前文はなぜあるのか
では、日本国憲法は、どこで限界を書いているのかというと、憲法前文です。私はイラク自衛隊派遣違憲訴訟にかかわったのですが、東京地裁の判事が、その裁判でどんなことを言ったのかというと、「日本国憲法前文は、あれは法律ではない」。びっくりしましたね。憲法が法律であるのは、第1章からで、前文は関係ないと。そんな憲法解釈があるのか。
そもそも憲法というのは、前文から含めてすべて法律ですよ。それをはっきり言ったのが、去年4月の名古屋高裁(自衛隊イラク派遣違憲)判決ですよ。「憲法前文は、抽象的だといわれているけれども、こういう大原則をいうときには、文章が抽象的になるのはあたりまえだ」と。前文は、日本国憲法の改正の限界を 具体的に言ってるんです。時間がないので、具体的展開はできませんが、4つにわけて説明します。
@まずひとつめは、主権在民。主権は民(たみ)にある。主権在民は変えてはいけない、限界だと。
それから福祉です。世界平和と福祉は「人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令および詔勅を排除する。」つまり、これに反する改定はだめだということですね。その後に、平和的生存権がきます。「平和の内に生存する権利を有することを確認する。」と言っている。つまり、憲法9条を変えてはいけないということをここで言っているんです。日本国憲法の改正限界は、ここにあると。

憲法前文の原則は変えられない
A96条、憲法の改正。改正するときは、憲法前文の、この限界についての規定のうえにたっての改正なんです。だから本来ならば、こういう法律(国民投票法)を作るときは、「日本国憲法は硬性の憲法であって、(改正には)多くの限界がある。そして憲法前文に述べられている諸原則を変えることはできない」ということを、まず書くべきなんです。
B98条、最高法規。憲法は最高法規であって、これを侵してはならない。
C99条、憲法尊重擁護の義務。「天皇または摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」
裁判官はじめとして、国会議員。この人たちは、憲法を守っているでしょうか。日本の裁判官はほとんど守っていない。ところが、日本国憲法は、裁判官などが違憲行為をしたときの罰則がないんです。ドイツ憲法(基本法)では、「侵略戦争に協力参加したことは処罰される」とはっきり書いてあります。刑法のなかにきちんと規定があります。

今度の選挙で、護憲派が議席の三分の一をとれば、こういう(改憲)議論はできなくなる。そして、次の参議院選挙でも護憲派が三分の一をとる、そうすれば、こういう物(総務省の違憲パンフ)は、いらなくなる。
こういうパンフ自体が違憲なものですから、皆で声をあげて自治体から回収させようではありませんか。がんばりましょう。

安保が9条を組み伏せている現実
知花昌一さん(反戦地主・読谷村議)の沖縄報告 要旨

沖縄は今、75パーセント安保を担うような状態になっています〔注1〕。私たち反戦地主は、この安保によってもたらされている米軍基地にたいして、これまで必死になって闘ってきました。
裁判闘争もひとつの方法として駆使してきましたが、すべて、判決としては負けています。憲法98条で「憲法は国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、・・・は、その効力を有しない」、憲法99条では「国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」と書かれていますが、裁判ではことごとく安保が憲法に優先した判決になっています。
安保条約が、日本国憲法を組み敷いている。これが日本の実態だと思います。その安保がさらに変質し、憲法9条を組み伏せている。沖縄ではそれが見えます。

自衛隊と米軍の一体化
世界的な米軍再編、日本では、06年の5月、米軍再編の日米合意が閣議決定されました。それ以降、日米共同軍事訓練が頻繁におこなわれています。米第7艦隊が大規模な訓練をし、戦略原潜が何隻も沖縄に寄港しています。自衛隊と米軍の一体化、融合が進んでいます。核ミサイルを撃ち込める米戦略原潜に、自衛隊員が乗り込んで訓練をやっている。
なぜ、自衛隊と米軍が、急速に一体化しているのか。いわゆる「集団的自衛権」、これが行使できるように、これを前提にした一体化、これがものすごいかたちで進んでいる。『日米同盟 未来への変革』(05年10月発表)で書かれているとおりです。

実態は基地強化
辺野古(沖縄県名護市)に大きな基地をつくろうとしています。岩国(山口県)と一体化した米海兵隊の出撃基地、船と飛行機と戦車が一緒になって、瞬時に態勢を取れる、そういう基地を岩国と辺野古に作ろうとしている。不必要な(古い)施設は日本に返していく、私の「像のオリ」も、一昨年返してきました。〔注2〕
日本政府が45億円もかけて、キャンプハンセンのなかに「像のオリ」よりももっと高性能な軍事施設をアメリカのために作ってあげています。アメリカ政府は、「沖縄の負担軽減」とかいっていますが、実態は基地の強化、再編です。
憲法9条は絶対に、改定させてはいけない。もし、敵が踏み込んでくるなら、今の憲法9条が形骸化した状態を元に戻し、自衛隊も解体する、それくらいの勢いで憲法改悪を阻止していく、そういう運動を作り出せたらいいなと思っています。がんばりましょう。

〔注1〕在日米軍基地の75パーセントが沖縄に集中している現状のこと。
〔注2〕像のオリ:沖縄県読谷村にあった在日米軍施設。直径約200m、高さ28mの巨大なオリのようなかたちのアンテナを持つ軍事通信傍受施設。そのかたちから、通称「像のオリ」と呼ばれていた。知花さんは、500人ちかくいる地主のひとり。

田母神を「8・6ヒロシマ」に入れるな

田母神・前航空幕僚長が、全国を行脚し、その反動的主張をふりまきつづけている。さる5月4日には長崎と佐世保で講演をおこなった。長崎では「日本が侵略国家だったというのも、アメリカによってゆがめられた戦後教育の中でつくられた。日本も強力な軍事力を持ち独立国として自分の国を守っていかなければならない」と言い、佐世保では、長崎ではふれなかった核武装論を展開した。「核廃絶は宗教の世界の話。現実の世界ではありえない。日本に発言力がないのは核兵器がないからだ」とぶちあげた。

事実上の政府後援

その田母神が広島で8月6日に講演会を行うという。主催は「日本会議・広島」だ。
日本会議とは、日本最大の右翼組織であり、「新しい歴史教科書をつくる会」、「北朝鮮拉致家族を救う会」「北朝鮮拉致家族を救うブルーリボンキャンペーン」などの本体である。「憲法改正、教育基本法改正、靖国公式参拝の定着、夫婦別姓法案反対、より良い教科書を子供たちに」などを掲げて活動している。
日本会議国会議員懇談会の役員には、麻生、中川昭一、小池百合子、安倍、石破などが名を連ねている。この広島講演は、実質的に政府後援だ。
田母神と日本会議が一体となって、8月6日に広島を蹂躙するのを許してはならない。

アメリカに核のボタンを要求

政府は、「核の傘」を巡る日米協議の場を正式に設け、月内にも初会合を開くことを決めた(7日)。日本にも、NATOと同様に「有事の際の核兵器の運用や手順についての情報を共有させよ」というのが日本側の要求だ。核発射ボタン権限の一部を日本にもよこせという要求に等しい。
民主党代表の鳩山は、日米両政府が「核兵器を搭載した米艦船の日本寄港を黙認する密約」を交わした問題にふれ、「必要性があったからこそ現実的な対応がなされてきた。(今後も)その方向で考えるべきだ」と言い放った。(14日、記者会見)
田母神は、その尖兵として、「核ミサイルの発射権を日本に与えてくれという(米軍との)交渉は、私はできると思う」と主張する。
田母神を広島に入れるな。講演を許さず徹底的に弾劾してたたかおう。

4面

都議選の結果と衆院解散
新自由主義粉砕の人民反乱

T.労働者人民の政治行動

「国民は自分の1票で政治が大きく変わることを知った。(衆院選では)もっと強い逆風が吹き、自民は壊滅的な敗北を喫するだろう」(落選した自民都議)
自民党は、地方首長選挙で6連敗したうえに、都議選で大敗を喫した。都議選では、投票率が10ポイント以上(前回43・9% 今回54・49%)上昇。前回は投票に行かなかった無党派層の多数が今回、民主党に投票している。
現行の選挙は、ブルジョア支配制度に他ならない。しかし、人民の投票行動は、階級闘争の一形態である。労働者人民は、政治を変えたいと思い、投票行動に起ち上がった。しかも全国各地で連続的なうねりとなっている。これは政治闘争だ。冒頭の自民都議の敗北の弁は、そのことを敵の側から語っている。
一方、「民主党は自民党と同じかそれ以上に悪い。政権交代などというのは反動的だ」という声もある。その通りだ。にもかかわらず、労働者人民が、自らの行動で政治を動かしたことは重要だ。労働者人民は、民主党を積極的に選択しているわけではない。横須賀市長選では、小泉が応援した自民・民主の相乗り候補が落選した。
そこには、格差・貧困をもたらす政治をひっくり返そうという思いがある。それがさしあたって政権交代に向かう投票行動として現われている。
もちろん選挙と議会だけでは根本的変革はできない。しかし、労働者人民はこうやって一歩一歩政治化し行動化しながら、歴史の主人公として成長していく。

U.新自由主義にたいする反撃

05年、小泉による郵政解散で自民党は圧勝した。しかし、その2年後の07年参院選で大敗し、安倍が辞任。さらに福田もねじれ国会を打開できずに辞任。「総選挙の顔」と銘打って登場した麻生は、アメリカのバブル経済崩壊・恐慌突入の直撃を受けて解散のタイミングを逸し、ついにここまで追い込まれた。根底には、労働者人民の新自由主義にたいする怒りがある。

格差と貧困
派遣労働などによる雇用の不安定化・低賃金化、社会保障費の削減、医療制度の破壊、地方や農民・農業、商工業者、高齢者、「障害者」の切り捨てが、改革の名のもとに進められてきた。
他方で、自動車や電機などの多国籍企業化した大資本は空前の高収益をあげた。新自由主義改革とは、大資本の収益を上げるために、労働者人民の生活や福祉を「無駄なコスト」として切り捨てることだった。これにたいする反乱が始まった。

派遣切りと派遣村
08年秋、アメリカ経済のバブルは崩壊し、世界恐慌に突入した。資本家のもうけは、詐欺と略奪であったという姿が暴かれ、そういうやり方の破綻が突き出された。
日本では、アメリカのバブル経済に依存した収益構造が崩壊。自動車・電機などの大資本が一気に危機に陥った。資本は、派遣労働者・期間労働者を契約の途中であっても大量に解雇。その数は、15万人とも100万人とも言われている。年末から年始、解雇と同時に住居から追いだされた労働者は行き場を失った。
昨年末から年始に日比谷公園で派遣村が開かれた。派遣切りにあった労働者の命をつなぎ、派遣切りの現実を年末年始の茶の間に持ち込んだ。これは全国に衝撃を与えた。
このことが都議選の結果に及ぼしている影響は計り知れない。

V.経団連 生き残りかけた国家改造

都議選の結果は、新自由主義改革が頓挫していることを示した。
それにたいして、資本家階級は、@なお一層、新自由主義の徹底を求めるとともに、Aアジア勢力圏化のための国家改造という方向性を強く押しだし、Bそれを選挙の争点にして、自民党も含め、政党再編を追求している。
新自由主義との攻防が新たな次元に入った。
アメリカのバブルを当て込んだ対米輸出や現地生産による収益構造が破綻した今、日本の巨大資本は、いよいよ「東アジア経済統合の推進」(5月28日 日本経団連総会)=アジア勢力圏化に突き進む以外ないと表明している。
さらに日本経団連は、「各党の政権公約に望むこと」として、総選挙に向かってコメントを出した(7月6日)。そこでは、社会保障費の一層の削減など、新自由主義改革と改憲の推進を強く求める10項目を挙げ、「特に、道州制の導入については、『道州制推進基本法』の制定を盛り込むことが重要である」とした。

改憲と道州制
「道州制」「地方分権」「官僚制の打破」「官主導から政治主導へ」とは、(日帝巨大資本を主体とした)多国籍企業を中心に置いて、そのグローバルな展開=アジア勢力圏化に対応した国家改造のことだ。それは、「資本家階級の階級的権力の回復」(ハーヴェイ)だ。
この国家改造は、第一に、軍事・外交・治安・司法・通貨管理に特化した強力な中央政府をつくることが狙いだ。多国籍企業(多国籍企業化した日帝巨大資本)によるグローバルな展開=アジア勢力圏化を保障することを「国家戦略」とする。憲法9条を破棄し、侵略派兵を恒常化し、強力な侵略国家になるのだ。
他方、社会保障など、資本にとってコストとなるものは、国の施策から切り捨てる。それと一体で、公務員を大量にリストラする。
中央政府の意志は、行政官僚の関与を排除して、首相と巨大資本のトップの会議で決定され、トップダウンによる中央集権となる。この手法は、経済財政諮問会議で小泉が先鞭をつけた。
第二に、道州は、多国籍企業を城主とし、それを支援する機構になる。
中部州はトヨタ、関西州はパナソニックやシャープ、九州州は、トヨタとキャノンというように、多国籍企業のグローバルな展開=アジア勢力圏化の拠点を道州に置き、道州内の社会資本を多国籍企業の支援のために総動員する。道州の行政は、その地域に住む労働者人民ではなく、城主である多国籍企業に奉仕し、そのために道路・港湾・空港・通信・大学等を整備する。
第三に、労働者人民は、基礎自治体に棄民される。
基礎自治体には、国が持っているような徴税権はない。なのに「権限委譲」と称して、これまで国の責任としてきた社会保障は、基礎自治体に押しつけられる。基礎自治体は、財源がないので受益者負担・自己責任の原則でやる。分権と称して、社会保障を解体するのだ。

まやかしの分権論
日本経団連や橋下が主唱する「地方分権」「官僚制の打破」とは、真の人民自治とは別もので、地方の首長権限を抜本的に強化し、首長が独裁的に経営手腕をふるう体制にするということだ。労働運動・住民運動によって勝ち取られてきた地方自治や社会福祉、資本にたいする規制を取り払うことを狙っている。もって国(霞ヶ関)にかわって、独裁知事と多国籍企業が地方を支配するということにほかならない。

W.自民党政治の終わりと政党再編

8月30日総選挙が予告されている。7月解散は史上初、8月衆院選は「明治」以来という極めて異例の政治日程だ。ここからも、麻生が、労働者人民の反乱と党内権力闘争激化にいかに追い込まれているかがわかる。
紆余曲折はあろうが、自民党政治が終わったことは確かだ。

自民党政治とは
自民党政治とは、戦後発展期と、その行き詰まり後の公共事業の大展開の時代に照応した政治支配だった。
それは、総資本の立場を基調として、政・官・財が一体となって国内産業の保護・育成に力を入れるとともに、その成長の分け前を、ある程度、再分配することで、地方・農民・商工業者などを支持基盤として取り込み、また、野党・労組との対決と談合を通して労資対立を調整するものだった。

新自由主義とは
しかし、戦後発展の終焉と帝国主義間対立の激化、資本の収益率の低下の中で、日本の資本家階級は、自動車・電機などを中心に多国籍企業化した。戦後の政治と経済の基調をなした総資本の立場を投げ捨て、同じ資本の立場ではあるが、「多国籍企業化した大資本」の個別利害に特化していった。
その観点から、これまでさんざん恩恵にあずかってきた業界保護のための規制や需要喚起のための公共事業、それにかかわる行政組織をムダとしてふるいにかける。とりわけ人件費や社会保障費、地方自治などをコスト要因として切り捨てる。そして、そのために国家権力の力で労働運動・住民運動を叩きつぶす。
これが日本における新自由主義改革だった。

自民党の基盤の破壊
新自由主義改革は、多国籍企業化した大資本以外の利害を切り捨てていく。だから自民党の従来の支持基盤、地方・農民・商工業者の抵抗と反乱が起きた。さらに、正規雇用労働者のリストラと非正規雇用労働者の増大は、労働者支配の要としてきた連合の基盤を掘り崩し、派遣や請負をめぐるユニオンや反貧困運動の反撃を生みだしてきた。
自民党は、自ら推進してきた新自由主義によって、その基盤を破壊した。言いかえれば、自民党では新自由主義改革を徹底することはできないのだ。だから小泉も「自民党をぶっ壊す」と吠えた。しかもいまや、経済危機の中で、新自由主義改革の続行が困難になっている。
こうした中で、新自由主義の徹底を求める資本家階級が、古い自民党を再編しようとしている。

民主党も再編へ
民主党は、古い自民党と新自由主義派と帝国主義社民の野合だ。もともと自民党に対立するものではなく、競合する存在だ。
しかし、労働者人民によって押しあげられ、自民党と対決せざるをえなくなり、その流れにのって政権交代まで行こうとしている。
この間、政権交代が現実味を帯びる中で、民主党は、そのマニフェストで、一方で、労働者人民の方を向いては「生活・雇用対策」を言うが、他方で、大企業優遇税制は維持し、派遣法も維持し、「脱官僚」論を中心にすえるなど、新自由主義政策の推進を明確にしている。そもそもアフガニスタン派兵などでは自民党より強硬だ。
民主党は、一方で、資本家階級からの要求の突きつけや米帝からの争闘戦圧力があり、他方で、労働者人民から押し上げがある中で、早晩分解し、より反動的に再編されることは必至だ。

首長連合と橋下
上記の情勢のもとで、大阪府知事・橋下がうごめいている。自民党を破壊し、民主党を押し上げる労働者人民のうねりの強さに、橋下のパフォーマンスも失速しているものの、橋下が騒ぐことで、選挙の争点がどんどん右に引き寄せられている事実を見落としてはならない。
橋下の手法は、新自由主義の徹底とアジア勢力圏化のための国家改造を推進することを狙った、ポピュリズムである。
橋下は言う。「(劇場型では? という批判に対し)ワンイッシュー(単一の争点)でも何でもいい。小泉改革を次世代の政治家が転がしていかないと」「どれだけふわーとした民意に乗っかるかどうか」。
橋下のブレーンである上山信一(元通産官僚で「官僚国家日本を変える元官僚の会」発起人)も「政権交代の争点として『地方分権』を浮上させる意義が大きい」、「全国からの支持をテコに政権交代そのものや選挙後の与党の基本政策を左右する」、「メディアを使って府民に直接アピールしながら変えていく独特のスタイルができつつある」と発言している。
自民も民主も橋下に取り入ろうとしている。橋下の主張が、資本家階級の要求にもっともストレートに反応しているからだ。
自民党・民主党内の新自由主義派や、官僚組織から新自由主義推進の立場で飛び出した輩などが、橋下と連動しながら、ある種の運動として台頭してくる可能性は見ておく必要がある。

X.改憲派・新自由主義派を落とせ

都議選で示された新自由主義政策への反乱のうねりをさらに拡大し、大規模な政治行動をまきおこし、労働者人民が歴史の主人公として登場していくことが求められている。
そのために何が必要か。

派遣村の教訓を発展
年末年始の日比谷派遣村には、ボランティアスタッフが予想を超える1700人も集まり、日比谷公園を失業者のために開放した。この意味は大きい。
新自由主義政策は、あらゆる生産的労働の担い手を放り出しながら、その中に分断を組織し、仮想の敵を仕立て上げて、差別と襲撃を扇動し、そうすることで分断に加担した者に新自由主義への同意を強制していく。
しかし、日比谷派遣村は、こうした分断攻撃をうち破って労働者人民が新たな団結形態・闘争形態を生み出す可能性を示した。
日比谷派遣村のボランティアは、単に、新自由主義によって犠牲にされた者を救済することにとどまるものではない。それは、分断攻撃をうち破り、自分自身の置かれている現実を認識し、本当の敵が誰なのかをつかみとり、階級的意識を回復していく重要な端緒だったのだ。
傷ついている仲間を助けるのか、見ぬふりをして見殺しにするのかに、階級的な分岐がある。それを憎悪し見殺しにする心情は、橋下や在特会(外国人排斥を主張する極右団体)などに収斂(しゅうれん)されていく。
非正規雇用・正規雇用の分断をうち破る労働運動を推進し、労働運動系と生活相談系の協同を発展させよう。

侵略派兵と対決し改憲阻止へ
アジア侵略と改憲との闘いが死活的だ。
麻生政権はボロボロになりながらも、ソマリア沖に自衛隊を恒常的に侵略派兵し、朝鮮民主主義人民共和国にたいする「敵基地攻撃」「臨検」を主張するなど、戦後史を画する踏み切りを行なった。民主党政権は、これをやめるどころか、さらにアフガニスタンへの陸自派兵が浮上してくるのはまちがいない。改憲が一気に政治日程にのぼる危険性も高い。
インド洋、ソマリア沖から3軍自衛隊をすべて撤退させよう。憲法改悪を阻止しよう。
EPA(経済連携協定)・FTA(自由貿易協定)を、日本とアジアの労働者・農民の決起で粉砕しよう。韓国・中国・インドなどで、日本など多国籍企業による搾取と収奪に抵抗する労働者・農民との連帯を強めよう。

大規模な政治行動を
全選挙区で改憲派・新自由主義派の候補者をたたき落とそう。全人民の投票行動への決起を呼びかける。
始まった労働者人民のうねりは、政権交代にとどまらない。自民党を突き崩すだけでなく、民主党をも吹き飛ばして進むだろう。
議会で革命ができるかどうかではなく、現に労働者人民が、選挙という制度を通してであるが、政治化し行動化している事実が重要なのだ。
反戦・反侵略・反貧困の運動が、選挙という階級闘争の戦場に登場していく必要がある。来年の参院選では、新たな政治勢力の登場をめざそう。
労働者人民の流動をさらに推し進め、大規模な政治行動をまきおこそう。(坂神寅男)

5面

(本の紹介)
契約社員全員の正社員化と賃金
格差解消をかちとった労働組合
『路面電車を守った労働組合
私鉄広電支部・小原保行と労働者群像』
河西宏祐著 平原社 09年5月刊 2100円

今年3月26日、「広島電鉄が全契約社員を正規雇用とする」というニュースが全国にとどろいた。以下、その報道から少し引用してみる。
―広島電鉄は01年以降、バス・電車の運転士や車掌を1年ごとに更新する契約社員としてきた。月額賃金は運転士が23・1万円、車掌19・65万円で昇給はない。こうした契約社員は、おおよそ1200人の労働者のうち、150人にも及んだ。さらに正社員1040人のうち150人は、契約社員から正社員に登用された「正社員(U)」と呼ばれ、契約社員と同様の労働条件のもと、昇給のある正社員と比べると月額賃金において5万円程度の差があったという。実に職場内の25%が、契約社員もしくは“名ばかり正社員”だったことになる。―

契約社員全員を正社員に

これに対して今回の報道は、契約社員全員を正社員にし、賃金格差を解消するとともに、定年を65歳まで5年延長する新制度の導入で、労資が合意に至ったというものであった。
これに伴い、300人弱のベテラン社員は、月額5〜6万円下がるが、調整給を支給するなどして減額幅を緩やかにするとともに、定年延長により収入を得られる期間を延ばすことにより、労働条件の大幅な切り下げをさけた。

ゼニカネでなく団結

派遣切りが大きな社会問題となっているこの時期に、どうしてこんなことができたのだろうという率直な疑問があった。
私鉄中国地方労働組合広島電鉄支部(以下「広電支部」)は、01年の契約社員導入に際し、ユニオンショップ協定の締結を強く要求するとともに、契約社員を積極的に組織していた。「組合内に異なる労働条件の層が混在すれば、・・・利害の衝突が生じることは避けがたい。そもそも平等主義を原則とする労働組合にとって、これは厄介な問題となる。だが、(組合は)・・・あえてその苦衷を引き受けたのである。」(本書より抜粋)
これまで真剣に “非正規”にかぎらず職場労働者の団結を考えたことがあるなら、実際の現場においてこの壁が実に厚いことを実感したことがあるはずだ。ましてや、一部とはいえ本工労働者が賃下げとなることを受諾するには、並大抵ではない職場の団結が求められる。いわば、ゼニカネではなく「労働者の団結強化と拡大」が全労働者の要求となる地平に、千人規模のこの広電労組が到達していたという点に感動すら覚えた。

オバラさんの職場まわり

どうしてこのような闘いが実現できたのか・・・その一端が本書から学ぶことができる。
本書は、1974年から90年まで広島電鉄労働組合の委員長を務めた小原保行氏の生涯に焦点をあてつつ、広島電鉄で働く労働者の闘いと歴史を、実に分かりやすく紹介したものである。
その中で、「オバラさんの職場まわり」とまで評された小原氏の徹底した現場主義。
さらに、資本によって第2組合が結成されたのち、少数派から多数派へと反撃してゆく過程での「敵は最小に、味方は最大に」という実に明快な運動組織論。
本書の題にもなっている労働者の団結を守るために職場を守り続けた闘いの中に、今日の地平を獲得したその原点が見て取れるものとなっている。(仙波寛六)

6面

「8・6ヒロシマ ー平和の夕べー」によせて
被爆地案内

ヒロシマ・ナガサキは、被爆64周年をむかえる。8月6日、広島では被爆者追悼と、原爆に至った侵略戦 争を再び三たび繰り返さないという、反戦・反核の集いがおこなわれる。核をつくった人類は、その手で核廃 絶をやり遂げなければならない。
8月5日、6日を前後して広島を訪れる人びとに、ぜひ、見てほしい平和公園や原爆資料館(広島平和記念資料館)などを紹介したい。(三木谷俊二)

碑(いしぶみ)の街

広島は「碑(いしぶみ)の街」と呼ばれる。平和公園とその周辺だけでも約60の慰霊碑や供養塔、記念碑がある。市内全域では学校、町内会、職場・産業、在日、詩碑など160以上になる。
全部を紹介するのは難しい。原爆と戦争をまざまざと伝え、これだけは見てほしいというところを、1〜2時間のコースで選んでみた。(取材は7月13日、梅雨の合間の暑い平日の月曜日だったが修学旅行生など、おおくの人が訪れていた)。

教師と子どもの碑

平和公園南西側に「教師と子どもの碑」(下図の番号A。以下同)、子どもを抱えた女性教師の像がある。犠牲になった国民学校(現在の小学校)の子どもは774人、教師は131人と建立時の過去帳に記されている。実際には、それぞれ推定約2千人、2百人。
台座の後ろに「太き骨は先生ならむ、そのそばに小さき骨の集まれり」という、正田篠枝の歌が刻まれている。歌集は占領軍の統制下、監視の目をのがれて印刷されたという。

A教師と子どもの碑

市立高等女学校の碑

中学生・女学生たちは、家屋疎開(防火のための取り壊し作業)や工場に動員されており、犠牲はもっと大きかった。
平和大橋西詰めには市立高等女学校の碑(@)、西側の本川河畔には、広島市立商業・造船工業学校の碑(B)など、学校の碑がとくに多い。

広島2中の慰霊碑

1年生322人が全滅した広島2中の慰霊碑(C)は、市立高女の一つ北に建つ。生徒たち一人ひとりの死を追った『いしぶみ(碑)』(ポプラ社)が出版されている。慰霊碑には、引率していた教員・事務員8人、2年生から5年生31人を加え353人の名前が刻まれる。
彼らが8月6日8時すぎに集合したのは爆心から数百メートル、いま慰霊碑がある付近だった。碑は、1学年「一人残らず全滅」した原爆とは何か、いまも無言のうちに語る。

C広島二中原爆慰霊碑

川内村義勇隊の碑

その北隣にある川内村義勇隊の碑(D)。広島市近郊10キロほどの川内村温井から8月6日早朝、191人の「義勇隊」が勤労作業のため広島に向かった。
8時15分、見送った妻や母親たちは大爆音、爆風と立ち上る真っ黒な雲に驚き、言いようのない不安にかられた。夕方になっても誰も戻ってこない。焼けただれ7人がかろうじて帰村したが、全員が次々に苦悶のうちに死ぬ。帰ってこなかった人たちは、いまも影も遺骨もなく「帰ってこない」。
その日を境に、75人の妻たちが一度に「寡婦」となった。『原爆に夫を奪われて』(岩波新書・1982年第1刷、絶版)は、その妻や母親たちが、無惨な死をとげた夫や息子たちの最後を語り、残された子ども、孫たちと生き抜いた戦後を語る優れた女性史、証言集である。古書店にはまだあるので、一読してほしい。

D川内村義勇隊の碑

中島本町の復元図と観音像

いまは平和公園になっている全滅した街、中島本町の復元図と観音像(E)が公園中央付近にある。平和公園一帯は、原爆投下の前は商店と住宅が並ぶ繁華街だった。
爆心直下の中島本町は一瞬で全滅した。何もなくなった街のあとが、平和公園として整備された。復元図を見ると住宅、医院、商店が軒をつらね、シネマ館、寺院、学校、靴屋、化粧品屋、食堂、理髪店などが並び、人びとが暮らしていた街だったことが分かる。
この街に生まれ、暮らし中学2年だった福島和男さんは、3キロ先の動員先で生き残った。街の記憶を一昨年、冊子(非売品)にまとめた。

E中島本町の復元図

韓国人犠牲者慰霊碑

その北側に韓国人犠牲者慰霊碑(F)。この碑は1970年、在日韓国居留民団県本部により、初めは本川西岸の公園外に建立された。「慰霊碑さえ差別するのか」という抗議や批判の声が起こり、在日の団体をこえた運動もあり、99年ようやく公園内に移設された。
慰霊碑は亀の背中に建っている。在日の知人に調べてもらったところ、朝鮮では、死者は亀の背中に乗って霊界に旅立つという信仰があるとのこと。
過去帳には2千6百人余が納められているが、実際には約3万人が亡くなったと推定される。当時の広島には、日本の植民地支配によって、強制連行された約5万人の朝鮮人が住んでいた。3万人もの在日朝鮮人が被爆死、その後も在外被爆者が認定から除外されたり、その歴史と問題はいまも続く。

F韓国人原爆犠牲者慰霊碑

峠三吉の詩碑

資料館北側に、峠三吉の詩碑(M)がひっそりとある。「ちちをかえせ、ははをかえせ・・・わたしにつながる、にんげんをかえせ、くずれぬへいわをかえせ」という、あの詩が刻まれている。
「おおくの人が、この詩を被爆者の心情としてしかみてこなかった」「この詩こそ、被爆者の血の叫び、私たちの目的、要求であると宣言する」。70年に結成された被爆者青年同盟は、そう宣言した。「はたして無理な要求か。死んだ者はかえらない、といってこの要求を避けようとするのが帝国主義者の態度である」「戦争によって死んだ者をかえせ、と追求しつづけなかったことが、新たな戦争を生んでいったのだ」と。
あらためていま、峠三吉は死者と生者に問いかけてくるのではないか。

M峠三吉の詩碑

済美国民学校の慰霊碑

爆心地から670メートル。160人以上の子ども、教員が全滅した済美国民学校の慰霊碑は、2人の子ども像と峠三吉の詩、『墓標』とともに、今年「8・6ヒロシマ平和の夕べ」が開かれる広島YMCA会館内にある。

原爆資料館

原爆資料館は1955年に開館、94年に東館を新設し拡充した。4千点以上の資料が集められている。旧館時代は、被爆資料が中心だったように記憶している。熱線、爆風、高熱火災、放射線による被害の生々しい遺品、展示物、被爆直後の写真など見る人の魂を揺り動かさずにはおかない。
戦争と市民の生活、なぜ日本に、広島に原爆は投下されたのか、核兵器・核時代を私たちは生きつづけるのか、あなたに問いかける空間である。被害の惨状を知ることは、侵略と戦争、加害の意識と現実を呼び戻す契機でもある。

2中生の足取りたどる

焼けただれた弁当箱と広島二中生の遺影

全滅した広島2中1年生たちのなかには、川に吹き飛ばされ、這い上がって、逃げた生徒たちもいた。
舟入町の唯信寺には、その住職の子どもが1年生にいたこともあり、8人の生徒がたどりついた。しかし彼らは探し歩く親たちに出会う間もなく、次々と息を引きとった。
取材した日の最後、本川河畔の慰霊碑から、8人の生徒たちがたどっただろう道を歩いてみた。寺は南へ約7百メートル。数人は、途中で倒れたという。いまはきれいに整備された歩道を歩いて30分余り。瀕死の火傷、重症を負った12歳の少年たちは焼け焦げた瓦礫のなかを、助け合いながらどのように歩いたのか。中学生たちの話は伝わっていたが、当時の記録も残っていない。(慰霊碑等については、広島県教職員組合発行の『ヒロシマの碑』がくわしい)。