海賊対処法ゆるすな
ただちに国会前すわりこみへ
(22日 午前10時〜)
グアム移転協定承認案は、3月27日に審議入りし、衆院外務委員会で、わずか3日間の審議で4月10日に採決、14日には衆院本会議で採決が強行された。
海賊対処法案は、15日から衆院特別委で審議が始まったばかりだが、麻生政権は審議を加速させ、連休前にも衆院を通過させようとしている。
グアム協定も海賊対処法案も、歴史を画する軍事協定・戦争法案だ。改憲攻撃そのものであり、米軍再編をめぐる現下の最大の焦点だ。しかし運動の側の働きかけが立ちおくれている。全力で宣伝・扇動に立ち上がり、国会闘争に駆けつけよう。
9条の突破ねらう海賊対処法
敵を殺す軍隊へ
ソマリア沖での米貨物船船長の人質事件で、米海軍特殊部隊「SEALS」が「海賊」を急襲、3人を射殺、1人を拘束(12日)。アデン湾でのヨット乗っ取り事件で、フランス軍は、「海賊」2人を殺害、2人を拘束(10日)。
ソマリア沖には、米、EU・NATO、ロシア、中国、韓国の艦艇・航空機が集結し、掃討作戦が展開されている。この「戦闘海域」で、自衛隊が、船団護衛という軍事作戦を開始した。自衛隊が、「海賊」と疑われる船を追い回し、船体射撃で撃沈するということが起ころうとしている。その瞬間、自衛隊は、「敵を殺傷する軍隊」に変貌する。
9条の制約を突破
海賊対処法案は、これまでの自衛隊海外派兵における限界の突破を狙っている。これまでの派兵は、事態ごとに特別措置法をつくり、任務も後方に限定して、戦闘には突入しなかった。そういうやり方で、9条をすりぬけてきた。しかし、海賊対処法案はここを踏み越えている。
・「海賊船」にたいして船体射撃を認め、正当防衛や緊急避難でなくても「海賊」を「危害射撃」でき、先制攻撃と武力行使に踏み切る、・保護する船舶も限定がなく、他国との無制限の共同作戦が可能になる、・ソマリア沖の海賊対策を理由にしながら、法案には地域も期間も限定がなく、世界中どこでもいつでも派兵できる、・防衛相の判断だけで派兵できる、・軍事力による権益の保護をうち出すとともに、「公共の安全と秩序の維持」と覇権の論理を押し出す、などである。
警察活動を口実に
しかも、「海賊罪」なるものを新設し、《警察活動》という装いで9条突破を狙う。すなわち、《敵は、犯罪行為をやっている海賊であって、国ではない。海賊掃討は警察活動であり、国にたいする武力行使や交戦には当たらない。だから憲法に違反しない》。という理屈だ。こういう理屈で9条の制約を強行突破、戦闘部隊を派兵し、武力行使に踏み切ろうとしている。
この論理で行くと、イラクやアフガニスタンで闘う「反米勢力」や「反政府勢力」にたいしても、《国ではない》から治安掃討作戦に参戦できる。まさに、そういう道を、海賊対処法案で開こうとしているのだ。
かつて「匪賊」、いま「海賊」
この論理を使って侵略を合理化するのは帝国主義の常套手段だ。
ソマリアの「海賊」は、グローバリズムによる破壊と略奪、部族間の対立への軍事介入、社会と経済の崩壊という事態を背景にしている。帝国主義こそが元凶だ。
1930年代、日本の侵略に抵抗する中国人民を「匪賊」と呼び、「匪賊」の掃討を口実に、宣戦布告すらなく中国侵略戦争を拡大していった歴史をくり返してはならない。
グアムと沖縄に新基地を建設
グアム移転協定承認案は、@グアムでの基地強化と新基地建設のために、日本が財政支出を行なう、A沖縄の名護市辺野古沿岸部への新基地建設を法的に義務づける、というものだ。
「沖縄の負担軽減」は大ウソ
日米政府は、「在沖縄海兵隊の8千人削減」などと宣伝した。しかし、実際に移転するのは、司令部要員だけで2〜3千人に過ぎない。
海兵隊の戦闘要員1万人は沖縄に残り、沖縄は、グアムと一体で、戦闘要員のための訓練基地、訓練された戦闘部隊の兵力供給基地としての性格をますます強める。
しかも、この海兵隊のために、垂直離着陸機オスプレイ配備を念頭に置いた1800mの滑走路2本と、空母も停泊可能なバースを備えた最新鋭の基地を名護につくろうとしている。この協定で、新基地建設を法的に義務化し、行きづまりを打開しようというのだ。
グアム統合軍事計画
米領グアムでは、「グアム統合軍事計画」(06年)の下、これまでの空軍・海軍中心の基地から、海兵隊や陸軍をくわえた4軍の戦略拠点化が推進されている。
グアム島の米軍関連施設 |
オバマ政権が、アフガニスタン侵略戦争を、アフガニスタン・パキスタン侵略戦争としてエスカレートさせる新戦略を発表したが【3面記事参照】、その戦略拠点として、グアムの基地強化・新基地建設は進められている。
グアム新基地建設費を日本が負担
日米両政府は、海兵隊のグアム「移転」費用を、日本が負担すると説明している。しかし、日本が負担するのは、「移転」費用にとどまらない。グアムの基地強化・新基地建設の全経費130億ドル超の内、少なく見ても半分の61億ドルだ。
日本の労働者人民から搾り取った税金が、アフガニスタン・パキスタン侵略をはじめとする世界戦争計画のために使われるのだ。
グアム協定は、日米の軍事一体化を促進するものだ。沖縄人民と連帯して、グアム協定国会承認を粉砕しよう。
ソマリア周辺に自衛隊1000人
P3Cの派遣準備命令(17日)
浜田防衛相は、17日、海上自衛隊の哨戒機P3Cに派遣準備命令を発令した。2機のP3Cと空自隊員、それに機体警護のための陸自隊員約30人を含めた約150人。
ソマリア沖で「海賊」(写真奥)を制圧する重装備の米特殊部隊(写真手前) |
派兵されるものと同型のP3C |
また、ジブチに派兵される陸自は、他国の一般地域での治安活動というこれまでなかった任務に踏み込む。
インド洋で補給活動を行なう海自部隊とあわせて、この周辺海域に3隻の護衛艦と1隻の補給艦、P3C2機、総勢約1千人もの自衛隊が展開することになる。陸海空3軍の海外派兵をゆるすな。
2面
第80回メーデーに際して訴える
貧困・失業・戦争とたたかう
新たな労働運動の登場を
恐慌の時代
今年のメーデーは、1920年の第1回(東京・上野公園に1万人)から、戦時中の中断をはさみ、80回をかぞえる。国際的には、さらに30年をさかのぼる。
いま、帝国主義は、新自由主義・グロバリゼーションの究極の運動―市場原理主義と金融バブル―の末、10年規模の恐慌に突入した。世界と日本の労働者人民に、貧困・失業と戦争が襲いかかっている。日本では、政府統計でも、昨年10月から今年3月末までに非正規雇用労働者の18万4347人が失職した。2月失業率は4・4%、有効求人倍率0・59(10人の求職に6人ぐらいしか求人がない)と急激な落ち込みをしめしている。
しかもこれは序曲である。アメリカでは、毎月60万の失業が続いている(1月74万1千人、3月は66万3千人)。これが10カ月つづくと、年末には失業率11・6%という戦後最悪の予測も出ている。それは、「社会崩壊―革命ライン」といわれる水準である。
G20に抗議して1万5千人が7カ所でデモ。警察の暴行により男性1人が殺された(2日ロンドン/ロンドン橋を通過するデモ隊) |
労働運動の新たな胎動
「労働者は金融危機の尻ぬぐいは出来ない」(1月20日のブラジルのデモ)と、生存と尊厳をかけた労働者の闘いが、G20ロンドンで、世界で湧き起こっている。
日本においても、昨年末の日比谷派遣村は全国に拡大し、ひとつの運動となって発展している。連合09春闘が、資本の賃下げ攻撃(「ベア」ゼロ、定昇カット)を呑み、非正規雇用労働者解雇攻撃に歯止めもかけられなかった中で、派遣村運動とユニオン運動は解雇撤回や生活保障などいくつかの成果を積みあげている。そこには、「失業者」「就労者」の連帯、両者の垣根をこえた労働運動の再生、統一の思いがこめられ、またボランティアという形で新たな社会運動と生き方をもとめて青年たちが結集している。
トヨタ系のジェコー労組が期間工切りに反対してスト突入。取締役に詰め寄る労組員(17日埼玉・行田工場) |
メーデー精神の復権を
メーデーの起源は、1886年5月1日、労働者の街シカゴを中心にした合衆国カナダ職能労働組合(のちのAFL)が掲げた8時間労働時間制要求のストライキである。そのときスローガンには、「第一の8時間は仕事のために、第二の8時間は休養のために、残りの8時間は、おれたちの好きなことのために」と書かれていた。
直後のヘイマーケット事件(*)などの苦闘を何度も経ながら、かかげられたスローガンは世界をとらえ、1917年ロシア革命で初めて、8時間労働時間制が実現した。
日本の第1回メーデーは、「8時間労働制」「失業防止」「最低賃金法の制定」を掲げて闘われた。戦争中、メーデーは禁止されたが、1946年の「食糧メーデー」(「働けるだけ喰わせろ」)、1952年「血のメーデー」(講和条約・安保条約反対)と、メーデーは、常に労働者に求められる社会的課題を真正面から掲げ、全労働者の統一の闘いとして、断固闘いぬかれた。
またメーデーは、インターナショナルやストライキと同義であった。
このメーデーの闘いの歴史に刻まれるものは、労働者解放の限りない追求であり、犠牲と弾圧をおそれないストライキ闘争であり、戦争絶対阻止の立場である。
かつて先達が、シカゴで、上野で掲げたスローガンを、2009年の今日、決死の覚悟で掲げなくてはいけない情勢のただ中にわれわれはいる。現在、それは、プロレタリア革命の過渡的綱領としての意味をもってきている。そして共産主義社会の建設が新たな息吹で語られなくてはいけない。
奪われた生活をとりもどせ
メーデーの歴史と精神が、日本の労働運動の中から廃れて久しい。
いま恐慌と戦争の危機の中で、新たな労働運動の創造が求められている。派遣村運動に示される反貧困運動と労働運動の合流の挑戦が開始される中、このメーデー精神の復権は、新たな運動を力強く発展させていくだろう。
2010年改憲の日程が迫る中で、ソマリア自衛隊派兵が強行され、海賊対処法案の成立がねらわれている。朝鮮民主主義人民共和国にたいしてはミサイル防衛(MD)発動の態勢がとられた。実戦を想定した出動であり、軍事防空演習そのものだった。
日本は、戦争国家へ分水嶺を越えた。戦争の危機は急をつげている。
一方、今回の15兆円の新経済政策は、2011年の大型消費税導入策動と一体の、資本救済の恐慌対策である。かつてない大増税がもくろまれている。〈貧困、失業、戦争、改憲〉と闘う労働者、在日・滞日人民、農民、漁民、すべての人びとの総結集を実現しよう。
麻生政権打倒・改憲阻止/奪われた生活と権利をとりもどせ/闘うメーデーの復権を/「貧困・失業・戦争と闘う新たな労働運動」を登場させよう。(労働通信員K)
*1886年のメーデー後の5月3日、マコーミック収穫機会社のストライキ労働者4人が、警察によって撲殺された。4日夜、ヘイマーケット広場での抗議集会が呼びかけられた。警察の解散命令に爆弾が投げられ、衝突の中で多数の死傷者(警官7人、労働者4人が死亡)が出た。8人のアナキストが裁判にかけられ、4人が公開絞首刑。デッチあげが明らかとなって3人の獄中者は釈放された。広場には犠牲者追悼の彫像がある。刑死者顕彰記念碑も建てられた。
安全無視のJRに怒り
尼崎事故弾劾 4・12集会
05年4月25日のJR尼崎事故(死者107人、負傷者562人)から4年目を迎え、《「儲けのためには何でもあり」そんな社会を変えよう! ノーモアJR尼崎事故! 生命と安全を守れ! 4・12尼崎集会》が、実行委員会の主催で開かれた。
事故現場にむかって追悼・抗議のデモ行進を行う(12日尼崎市内) |
4・25ネットワークの藤崎さんから「何故、事故が起きたのか、何故、私の娘は命を失ったのか、原因をあきらかにしないと前へすすめない。この間、JR西日本の現場で除雪作業中や保線作業中に関連会社の社員が触車死亡するという事故がおきているが、会社は一貫して事故の原因をあきらかにしない」と怒りが表明された。
鉄建公団訴訟原告団事務局長から3・25高裁判決の解説があり、「4月7日に最高裁へ上告した。20日から29日にかけて『4月統一行動』を取り組み国会内での院内集会や鉄道・運輸機構の理事長をテーブルに引き出す大衆闘争を強化するので支援を」との提起があった。
武庫川ユニオンが、尼崎市役所直接雇用をかちとった闘いの報告。松下PDP偽装請負・不当解雇撤回闘争の当事者である吉岡さんから闘いの報告。最後に、「闘う闘争団を支援する京都の会」からまとめとして、「大きな目でみれば、国鉄の分割・民営化は戦後政治の総決算=国労つぶし・総評つぶしとして強行され、『戦争できる国』をめざしたものであった。今、自衛隊のソマリア派兵や共和国の人工衛星に対するPAC3配備による臨戦態勢。資本による首切りが横行し寝るところがない労働者もいる。戦争と貧困の世の中を変えていかなければならない」と発言があった。
集会後、事故現場にむかって追悼とJR西日本に対する抗議をこめて行進した。(国労組合員T)
(おしらせ・企画案内)
働く人々の歴史展 〜第80回大阪地方メーデー記念〜
4/24(金)〜5/2(土) エル大阪9階ギャラリー
開館時間 10:00〜17:00 入場無料
第1展示 日本の労働者と労働運動の歴史
第2展示 メーデー発祥の地シカゴ―アメリ労働運動の歴史と現在
主 催:大阪地方メーデー実行委員会など
問合せ:06‐6947‐7722 エル・ライブラリーまで
3面
「艦載機も米軍住宅もいらない」
米軍再編が奪う故郷と暮らし
(4・12山口県岩国市)
4月12日に岩国で開かれた米軍施設・米軍住宅の建設に反対する集会に参加した。
会場に行く前に基地拡張用の埋立地を見た。膨大な面積の海が埋め立てられ、すでに滑走路の基盤が出来上がっている。途中、「艦載機も米軍住宅もいらない」という黄色いノボリが、街のあちこちに見られた。
参加した人の表情は強い憤りと闘う決意に満ちている(4月12日岩国集会) |
米軍再編と基地拡張
岩国基地は、戦前の海軍航空基地を米軍が接収、ベトナム戦争、最近では湾岸戦争、イラク戦争への米軍の直接出撃基地となった。約570ha、軍人軍属・家族を含め約5千人が駐留。57機の米戦闘機が配備され、海上自衛隊(1900人)も共用している。
騒音や米兵による事件、事故に苦しむ地域住民の要望もあり、滑走路を1km沖合に移設する事業が、1996年から始められた。
ところが、04年、米軍再編にともない、厚木基地から空母艦載機59機の移転が報じられ、拡張工事は騒音対策のための沖合移転どころか、米軍基地の拡張工事であることが分かった。沖縄・普天間基地から空中給油機12機も移転すると言われ、合わせて129機の戦闘機部隊、極東最大の基地が出現する。埋立地には、空母が寄港できる水深16mの岸壁も計画されている。
巨大な米軍基地―左に愛宕山、右に岩国基地と埋め立て予定地 |
命ある限り米軍住宅造らせない
《愛宕山に米軍住宅も米軍施設もいらない―4・12愛宕山大集会》は、愛宕山を守る会など集会実行委員会の主催。各地の市民や労働組合の参加もあったが、主には地元の住民が中心で、2千人が集まった。
国や県、岩国市がいかに理不尽なことを押しつけているか、それにたいする住民の憤りがどれだけ大きいか。林立する黄色いノボリと会場に響く発言がそれを示した。
「県や市長は、私たちの追及に、『造成したが売れないので国に買ってもらう』と、壊れた蓄音器のように繰り返す。緊急署名は11万集まり、国、防衛省に絶対反対を伝えた」、「自然の山、鎮守の森を切り崩し、東京ドーム20個分の用地を米軍住宅にする。誰も納得できない。国は、何に使うか決めていないと言うが、ウソは政治家の始まりだ」(主催者)。
造成地の近くに住む主婦は、「爆音被害に苦しむ基地周辺の人たちのために騒音が軽減されるならと、故郷の愛宕山を埋立て土砂にする苦渋の選択をした。10年におよぶ工事の騒音、土埃り被害もガマンした。それが米軍住宅建設のためだったとは・・・」と心底から怒る。
爆音訴訟の原告に加わった88歳になる女性が、「あれだけ軍部にだまされてきたのに、民主主義なるものを信じすぎて、民主主義の時代ならなんとかなるなんて、はかない希望をもっていたことを、今は悔いている。風光明媚の愛宕山はとり戻せないが、命ある限りここに米軍住宅は絶対に造らせない。故郷に鉄条網は張らせない」と訴えた。
米軍再編・日米軍事一体化が、その地域の暮らし、地元の教育、昔からの風習など、すべてを奪い去ろうとしていると、思い知らされた。岩国基地を撤去しよう。(投稿・三木谷)
北朝鮮ロケット問題
マスコミのデマ宣伝と改憲・核武装
「ミサイル」と騒いでいるのは日本だけ
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)による人工衛星打ち上げについて、メディアが、今にも「ミサイルが降ってくる」かのように騒ぎ立てた。しかし、それは、日本のメディアだけだ。米CNNも、ロイターも、APも、至って冷静に「rocket」と表現している。日本のメディアも、英語版では、「rocket」と表記している。
つまり、日本の国内だけ、「ミサイルが降ってくる」という異様な状態がつくられていたのだ。メディアが、率先してデマと排外主義を扇動している。
政府も本気にしていない「ミサイル」
政府は「破壊措置命令」を発令し、東北地方にPAC3を移動・配備し、臨戦態勢をとってみせた。また「ミサイルや落下物の危険がある」として自治体にも動員をかけた。
しかし、東北6県の自治体に対して政府が行なった説明会(2日、岩手県庁)について、自治体の担当者は、「説明会は文書を読み上げただけ」「国は『落ちないから大丈夫』といいながら、『落下物に備え準備する』と矛盾している」と不信を抱き、結局「(住民に)不安を煽るだけ」になっていると批判した。 政府も「ミサイルがくる」とか「迎撃する」などとは本気で考えていない。デマで排外主義を煽ることが狙いなのだ。
「核保有、国連脱退」
自民党の坂本組織本部長が、7日の党役員連絡会で、北朝鮮のロケット発射を受け、「(北朝鮮が核を保有しているのだから)日本も核を保有すると言ってもいいのではないか」「(国連決議が難航していることにたいして)国連を脱退するという圧力をかけないといけない」という趣旨の発言をした。
安倍元首相は、7日の民放テレビで、「核の危険が近くにあるわけだから、核戦術についての議論はあり得る」と発言した。さらに、中川前財務相は、5日、「発射基地への打撃の問題を議論すべき」と発言した。
制裁措置を決定
政府は10日、@貨客船「万景峰92」などの北朝鮮籍船の入港禁止、A北朝鮮からの輸入全面禁止など、制裁の1年間の延長を決定。さらに、17日の閣議で、B北朝鮮に対する日本独自の追加制裁として、北朝鮮への渡航者の持ち出しの届け出額を、100万円超から30万円超に引き下げる「改正外国為替令」を決定した。また、近く財務省が、C送金報告義務額を、3千万円超から1千万円超に引き下げる省令を決定する。
憲法破壊と核武装を促進
政府は、北朝鮮に対する排外主義を煽り、それを口実に憲法の破壊と核武装への道を推しすすめている。
この動きと連動して、『ご存じですか? 平成22年5月18日から「憲法改正国民投票法」が施行されます』というタイトルのリーフレットを総務省が300万部印刷し、役所や公共施設などで配布をはじめている。 排外主義と戦争態勢構築に反対し、憲法改悪を阻止しよう。
米大統領オバマ
対アフガニスタン・パキスタン侵略
のエスカレーションを発表
オバマは、3月27日、「アフガニスタンとパキスタンのための包括的な新戦略」を発表した。
その骨子は、@アフガニスタンのみならず、パキスタンにも戦争を拡大する、A既定の1万7千人の兵力増派に加えて、さらに4千人を追加派兵し、タリバンの拠点となっている南部での攻撃を強める、B文民を派遣し、法制度、農業、教育、文化での支配の立て直しを行なうとともに、部族の支配層にたいする取り込みを進める、CNATO諸国だけでなく、イラン、インド、ロシア、中国などを一堂に集めて、「コンタクト・グループ」を結成する、というものだ。
パキスタンに拡大
オバマは、発表の半分をパキスタン問題に費やした。戦略の見直しの最大の特徴が、アフガニスタンでの深刻な敗勢を、パキスタンへの戦争拡大で打開しようとしている点だ。
すでにパキスタンから出撃した無人機プレデターがアフガニスタンやパキスタンで空爆を行なっているが、さらに、パキスタン国内での掃討作戦を大規模に展開し、パキスタン政府を掃討作戦に動員するというものだ。
これは、パキスタン政府をさらに危機に陥れることは不可避だ。パキスタン人民の怒りが激しく高まり、タリバンが一大勢力をなし、政府を揺さぶっている。部族地域では、パキスタン政府がタリバンと協定を結び、イスラム法による統治を認めている。パキスタン支配階級の分裂とあいまって、パキスタン内戦と反米闘争の高まりは避けられない。
中央アジアの覇権
この新戦略の狙いは何か。直接には、危機に瀕している中央アジアでの覇権の建て直しだ。
アメリカ帝国主義にとって、核・ドルとともに石油は世界支配の武器だ。だから、アメリカは、石油や天然ガスが豊富な中央アジアで覇権を確立しようとしてきた。
そもそも、アメリカは、90年代から、パキスタンの諜報機関を使い、タリバンをコントロールして、中央アジアにおける覇権の確立を狙ってきた。その政策が破産する中で、01年の9・11反米ゲリラ戦を口実に、アフガニスタン侵略戦争をはじめた。
露・中・独・仏の対抗
重大なことは、いま、ロシアと中国が、アメリカに対する対抗軸を形成していることだ。
ロシア・中国は、3月27日、上海協力機構の主導で、アフガニスタン問題の国際会議を開催し、介入の意思を表明した。
さらに、4月2日にロンドンで開かれたG20(金融サミット)で、ロシアが公然と基軸通貨ドルに代わる国際準備通貨の創設を提案、中国も同趣旨の主張をした。
他方で、ドイツとフランスは、G20で、アメリカが恐慌対策として財政出動を求めるのに対して、金融規制を求めて対立した。
また、ドイツ、フランスは、アメリカからのアフガニスタン増派要求には渋る一方、イラクでのアメリカの後退につけ込んで、復興権益に飛びついている。
世界恐慌突入の中で、アメリカの世界支配が危機に陥り、それにたいして、EU、ロシア、中国などが、公然と挑戦をはじめた。
世界戦争の過程がはじまっている。オバマのアフガニスタン・パキスタン新戦略は、このような世界支配の危機を、大規模な侵略戦争の発動をもって巻き返そうとするものだ。
4面
三全総路線の抹殺にゆきついた
安田派〜『前進』2379号大原武史
論文を批判する〜安川洋一
新たな世界恐慌に抗して、力強い大衆運動の高揚がはじまりつつある。
3・29三里塚全国集会の成功は、これまでの歴史的経緯を乗り越えようとする気運の高まりを示した。そして三里塚を水路に改憲決戦の巨大な展望がきりひらかれつつある。その対極で、安田派中央は相も変わらぬセクト主義的指導によって組織的混乱と危機をさらに深めている。
本稿では、この1〜3月の安田派の動向を振り返りながら、『前進』2379号大原論文に検討を加える。
『甦る労働組合』感想文運動の破産
昨年11・2全国労働者集会直前まで安田派中央は、「一切は11・2の1万人結集だ。他の活動はいったん凍結(注:安田派中央特有の言い回しで、「放棄」と同じ意味)して動員に全力をあげる」「11・2 VS 10・24(4者4団体主催の国鉄集会)にこそ一切の決着点がある」として全力で集会動員に走り回った。
しかし、11・2は集会としてはひとまず成功したものの、安田派中央の度外れた統一戦線破壊「指導」もあいまって、彼らが願望したほどには集会動員は増えなかった。
動員戦の「破産」に追い詰められた安田とその取り巻きは、集会直後、いきなり「民主労総やILWUとの理念交流が決定的だった」「新しいインターナショナルのはじまりだ」と言い出し、これを総括の中心に押し出した。「動員は失敗だったが、それとは別に決定的な勝利が勝ち取られたからよかったじゃないか」というわけだ。
だが、このようなペテン的総括では、現場で「10・24派との対決」で走り回り、大衆から反発を受け、傷だらけになった党員たちを納得させることはできない。
そこで、組織内の不満を押さえ込むために持ち出したのが、『甦る労働組合』感想文運動だった。だが、それは無惨に破産した。
感想文運動の破産で一層危機に
感想文運動の破産の第一は、感想文運動を途中で止めてしまったことだ。
『革共同通信』第25号(1/20発行)の安川論文が公表されるまで、安田派の中央指導は感想文運動に力を入れていた。しかし、この論文が公表されるや、感想文運動は急速にフェードアウトしてしまい、いまや感想文運動は安田派内部では議題にもなっていない。完全な破産である。
第二は、やめる前にまがりなりにも集まっていた感想文を、組織内でも公表していないことである。
安田派中央は、そもそも感想文を公表するつもりなどなく、その感想文に「危険思想」がないかを監視するだけだったのだ。
第三は、感想文運動をテコに安田が描いた1〜3月構想が破産し、昨年11月時点での危機をさらに深めてしまったことだ。
安田は、感想文運動で党内を制圧しつつ、3月8日の動労千葉30周年イベントを大きな跳躍台として、3・20集会の大結集を想い描いていた。一度は、30周年イベントを、DC会館ではなく、数百人収容の一般会場で行い、党員も総結集させようとした。
しかし、動労千葉組合員、組合員OBとの関係から当然なこととして、「イベントは組合員中心に、会場はDC会館で」ということになり、3月8日当日は、動員をかけられた党員達は、DC会館前の駐車場にブルーシートを敷き、テントを張って、テレビモニターで見るというマンガ的事態となった。
足下の動労千葉においてさえこのドタバタぶりなので、3・8の30周年行事が終わるまで、安田は、3・20への組織指導に集中できない。結果として、3・20当日は、およそ「ゼネスト総決起」とはかけ離れた動員結果となり、昨年11月時点での危機をさらに深めてしまった。
では次に、このような組織的危機をもたらした安田派の「時代認識と路線」について検討していきたい。
三全総なき「動労千葉30年総括」の誤り
『前進』2379号大原論文は、「動労千葉結成30周年」の目玉として書いたものであり、今日の安田派の「時代認識と路線」を凝縮しているものと見てよい。
大原論文の問題点の第一は、なぜ安田本人ではなく、動労千葉の組合員でもなければ、動労千葉を指導したこともない大原武史の署名で、「動労千葉結成30周年の総括論文」が出されたのかということだ。
この論文は、安田が書かせたものであることは間違いないが、内容がこれまでに比べてかなり踏み込んでいるので、大事をとって別の名義で書かせたと思われる。
自分は安全なところにいて、人に指図をして、うまくいったら自分の功績、失敗したら他人の責任とは、なんと「立派な指導者」だろうか。こうした「汚れ役」を引き受ける大原政治局員ももちろん問題だが、安田の臆病かつ卑劣な傾向についてはしっかりおさえておく必要がある。
三全総なき「70年安保闘争の地平」とは何か
大原論文の問題点の第二は、革命的共産主義運動の核心である、三全総路線(1962年の革共同第3回拡大全国委員総会で確立された路線)を抹殺していることだ。
大原は以下のように書いている。
「『平和憲法』とはいえ、それはブルジョア体制を維持するためのブルジョア法である。労働者階級の革命的闘争は、ブルジョアジーの法的規範を超えるものとしてあるのだ。わが党は、70年安保・沖縄決戦において、具体的にそれを実践した(無期懲役と不屈に闘う獄中34年の星野文昭同志は、この時最先頭で決起し『殺人罪』をデッチあげられた)。すさまじいまでの革命的解放的エネルギーが発揮されたのである。」
大原論文の中から、「70年安保闘争の地平」にあたると思われる部分を引用したが、あまりに無内容である。
革共同の総括ならば、最低でも、以下の点がおさえられなければならない。
・戦後革命と60年安保闘争の敗北を62年三全総において厳格に総括し、職場生産点における「戦闘的労働運動の防衛と発展、それと結合した職場細胞建設」「地区党建設と産別委員会形成」を基礎に、主要産別の職場に大胆に進攻し、大衆との生きた交通関係を形成し、強靱な労働者党建設を開始したこと。
・66年革共同3回大会で、スターリン主義にたいする綱領的批判に踏み込み、帝国主義とスターリン主義の現代世界認識を確立し、「戦後世界体制の危機と根底的動揺の始まり」との時代基調をつかみ、来るべき70年安保闘争が、社共既成指導部の「議会主義的平和的」願望を裏切り、労働者階級と資本家階級の血みどろの死闘戦に発展すると確認したこと。
・その上で、「党としてのたたかいと党のためのたたかい」をともに推進する立場から、67年10・8羽田闘争を突破口に、「7・7自己批判」をも綱領的深化の力にして、「連帯し、侵略を内乱へ」の戦略的スローガンを確立し、2度の破防法弾圧を撃ち破って「2つの11月」をたたかったこと。
また、この全体の脈絡のなかで反マル生闘争も総括すべきであり、大原のように、「70年安保闘争と国鉄労働運動におけるマル生闘争」として並列的に論じ、あたかも国鉄闘争が70年安保闘争とは独自に存在していたかのように表現するのは当時を正しく表現していない。
逆に大原論文の展開では、革共同の70年安保・沖縄決戦総括を拒否しているようにしか受け取れない。
さらに、「動労千葉による70年安保闘争の継承」という場合には、「労働戦線における三全総路線の継承」が核心になる。対カクマル戦突入の際には、当時のカクマルが奇襲的優位性を有していたことにより、わが党は大胆な戦線整理(縮小)を行わざるをえなかった。だが、国鉄、狭山、三里塚、法政、杉並については組織の総力を集中する体制をとり、「三全総路線が切り開いた70年安保・沖縄決戦の地平」を核心部において守り継承させることに全力をあげたのである。
「三全総路線の労働運動」の継承を担った動労千葉組合員の苦闘は筆舌に尽くせぬものがあったであろう。また同時に、動労千葉防衛のために革命軍に決起した労働者、会館防衛などに全力を尽くした労働者が、事実上「自分の職場を捨てて」「三全総路線の労働運動」に自分の人生を賭けたのだった。動労千葉のたたかいは、まずもって動労千葉組合員のものであることは自明のことだが、党のレベルで言えば、動労千葉に直接関わった同志とその他の同志が全人生をかけ一体となって切り開いたものだと言える。「三全総路線の労働運動の継承としての動労千葉防衛」という本質を抜きに、安田は「オレが動労千葉をつくりあげた。他の連中はわかっていない。」と傲慢な態度をとり続けている。この安田の態度こそ、全人生をかけて70年安保・沖縄闘争を切り開き、動労千葉防衛に自己の人生を選択した全労働者党員に対する侮辱であり裏切りにほかならない。
関川 初代委員長を歴史から抹殺
大原論文の問題点の第三であり、もっとも許せない点は、安田派が、「動労千葉の歴史は体制内労働運動との対決の歴史である」として、自己のセクト的「体制内労働運動との対決」路線を合理化するために、動労千葉のたたかいの歴史を改ざんしていることだ。その結果、関川宰動労千葉初代委員長の存在とたたかいを抹殺している。
1979年、動労千葉結成大会で発言する関川委員長 |
・「全世界で帝国主義の危機が深まっており、革命に向けた好機をむかえている。」
・「しかし、ヨーロッパ各国では社会民主主義勢力が、革命運動を弾圧している。これが革命にとって最大の妨害物になっている。」
・「したがって、当面する革命党の任務は社会民主主義勢力に主要な打撃を集中することである。」
ほとんど説明不要なほど、今日の安田派の主張とウリ二つだが、さらにヨーロッパでこの「社会ファシズム論」を最先頭で推進したスターリン主義者・テールマンが「自分は労働者階級出身の指導部」であることを売りにして登場したことも銘記したい。ベルリンをはじめとしたドイツ国内の党細胞が、「ファシズムと対決するためには、全ドイツ労働者階級の力を結集することが必要。そのためには、社会民主党との統一戦線をとるべき。」と決定したことを、テールマンは、「自分が労働者出身の指導部である」ことを利用して徹底攻撃し、ナチス・ドイツの登場に手を貸した。こうした点は今日の大原との類似点として確認しておくべきだろう。
革共同の戦友=関川初代委員長
動労千葉組合員にとって、関川初代委員長はかけがえのない存在だ。1999年3月に動労千葉が刊行した『鉄路に生きる!』では、関川氏と同じ成田運転区出身の組合員が以下のように追悼文を寄せている。
「関川さんが動労千葉地本の委員長に就任したのは1973年のことです。動労本部と千葉地本の対立が激しくなっている時で、青年部に対する統制処分を受け入れてしまった、それまでの地本執行部に対する怒りが職場で高まり、旧執行部は総辞職してしまうという状況でした。何度も何度も臨時大会が開催され、それでも結論が出ないなかで、関川さんが委員長をかってでたのです。このときの関川さんの決断がなければ今の動労千葉はなかったかもしれません。 関川さんは、気取らず高ぶらず、義理人情に厚く、真正面で多芸な方でした。・・・その飾らぬ人柄が動労千葉にものり移り、私たちの伝統になって今日まで受け継がれています。」(138〜139頁)
古くから革共同の労働運動にかかわってきた同志には周知のことだが、関川氏はあえて色分けすることが許されれば、政治的には「社民」といえる人物であった。
大原によれば、「動労千葉の前身である動労千葉地本は、もともとは右派の拠点であった。この動労千葉地本の右派執行部権力を、青年部を土台に原則的職場闘争と街頭政治闘争、そしてマルクス主義の学習の貫徹によって打倒し、さらに動労本部カクマルとの激烈な路線闘争と党派闘争を貫くことによって動労千葉が形成された。」と書かれており、関川委員長の功績は隠ぺいされている。
だが実際の歴史は違う。われわれは三全総路線である「戦闘的労働運動の防衛と発展」の立場から、動労「本部」カクマルのファシスト支配に対する“反ファッショ統一戦線”の方針のもとに、動労千葉地本防衛と動労「本部」打倒・動労大改革を旗印に、関川氏とともにたたかい抜いた。彼は、73年の対カクマル戦対峙段階突入の年に地本委員長を引き受け、75年3・14反革命で革共同本多書記長が虐殺されても動労千葉地本委員長として踏み止まり、79年歴史的分離独立のときも、81・3ジェットストの時も、初代委員長として重圧を一身に受けながら、三里塚との労農連帯を守り抜いてくれた。その意味では、三里塚反対同盟とならぶ革共同の戦友のひとりといえる。
この関川氏を抹殺して平然としている安田・大原による『動労千葉30年総括』は、動労千葉のものでもなければ、革共同のものでもない。
ここに安田派中央の変質は、新たに一線をこえたと言えるだろう。
混迷する安田派中央の反動をはね返し、安田によるセクト的引き回しから動労千葉を防衛し、革共同の労働運動=三全総路線を復権させ、安田・清水体制の打倒につきすすもう。全国の労働者は、あらゆる職場で三全総路線を甦らせよう。
5面
入管法改悪 「在留カード」新設を許すな
常時携帯と刑事罰の復活ねらう
3月6日、原則3カ月以上日本に滞在する外国人への新たな在留管理制度を導入する入管法改悪案が、閣議決定され、国会に上程された。
これまでの外国人登録法を廃止し、「在留カード」を新設して、常時携帯を義務づけ、違反すれば刑事罰に処するというものだ。
30年におよぶ指紋押捺拒否闘争・反外登法闘争の成果をなきものにし、06年の入管法の下での指紋押捺の復活に続いて、常時携帯と刑事罰を入管法の中に盛り込み、地方自治体ではなく入管局が外国人を一元的に管理するという大改悪だ。
成立を阻止するために全力で闘おう。
改悪の骨子
企まれている改悪の骨子は ―
@90日以内の短期滞在者と特別永住者(戦前から引き続き日本に在住する在日朝鮮人・中国人とその子孫)を除く「合法的に在住する外国人」に対して、ICチップのついた「在留カード」を発行し、16歳以上の外国人はそれを受領し、常時携帯と提示義務が課せられ、違反すれば刑事罰に処される。
A特別永住者に対してはICチップのついた「特別永住者証明書」を発行し、16歳以上の特別永住者はそれを受領し、常時携帯と提示義務が課せられ、違反すれば刑事罰に処される。
B外国人に対して、「身分事項」「所属機関・派遣先等」を地方入管局に届けさせ、「居住地」については市町村を経由して届けさせ、外国人の「入国・出国情報」にとどまらずに「在留情報」も入管局が一元管理する。不申請・申請遅延・虚偽申請には刑事罰を課す。
C学校・企業・自治体には、外国人の就労、研修、就学等の「通報、状況報告」を義務づけ、情報提供をしなかったり虚偽報告を行った機関に対しては外国人の受け入れを認めない。
D外国人の届け出た情報と外国人の所属機関や関係行政機関の情報とを照合し、入管局が職権捜査で得た情報とも照合して在留期間更新や変更の審査を行い、あるいは「途中審査」も行って在留資格の取り消しや退去強制手続きに活用する。
E「在留カード」「特別永住者証明書」を発行する外国人には、住民基本台帳に記載し住民票を発行するが、「氏名」「住所」以外に、「国籍」「在留資格」「在留期間」も記載する、というものである。
指紋と常時携帯と刑事罰を入管法で復活
80年から開始され、85年に逮捕を覚悟した1万4千人もの指紋押捺拒否闘争は、その5年後の90年の大量切り換えにたいする拒否闘争の継続から、90年代も営々と闘われ、99年に指紋制度を全廃に追い込み、外登証常時携帯と刑事罰制度も実質的空洞化に追い込んできた(99年に特別永住者の不携帯は刑事罰の対象から除外し行政罰に変更)。
全国で粘り強く闘われた行政交渉は、自治体に、「拒否者を告発しない」「拒否者に期間指定交付書を発行する」「受け取りを拒否する外登証を預かる」などの措置を取らせてきた。法務省との交渉においても、指紋拒否者、外登証不携帯者との交渉を認めさせ、「不携帯への刑事罰の濫用は慎む」ことを公言せざるをえない所に追い込んできた。
外登法が瓦解させられ、入管体制は危機に追いやられたのだ。
日帝は、破綻した外登法を廃止し、地方自治体ではなく入管局が直接管理し、常時携帯と刑事罰制度の体制確立をねらっている。
これを許せば、朝鮮民主主義人民共和国の人口衛星発射実験を口実としたとてつもない排外主義の高まりの中で、すさまじい管理と抑圧が加えられていくことになる。50年代から60年代にかけて、「外登証を見せろ」と言って不携帯で逮捕・拘束された人は50万人にものぼる。その再来を許すのかどうかが問われているのだ。
オーバーステイなどの非正規に在住する外国人への外登証を、闘いの中で自治体に発行させてきたが、それが止められ、「在留カード」は発行されず、住民票も発行されなくなり、就労や入居、子どもの通学や医療を受ける権利が全面的に奪われていく。
自民党と経団連が「移民受け入れ提言」
昨年6月20日に自民党国家戦略本部が、「日本型移民国家への道プロジェクトチームの提言」を発表し、10月14日に日本経団連が「人口減少に対応した経済社会のあり方」の「提言」を発表した。
その骨子は、「50年間に人口は30%近く減少し、2055年には8993万人になり、生産年齢人口は、4595万人と現在のほぼ半減」と日本の経済と社会が弱体化し崩壊することへの危機感に溢れている。少子化による人口減少は、新自由主義政策によって労働者を非正規に追いやり、「子どもを産み育てることが不可能」な現実を強いてきた結果である。
しかし日帝・資本家は、あくまでも新自由主義政策を採り続けながら、不足する労働力を1千万人の移民の導入によって埋めようとする「提言」を打ち出したのだ。日本の労働者は食い尽くして再生産能力を失いつつあるので、今後は移民を導入して食い尽くす、というものだ。その本質を押し隠すために、坂中英徳などが「多民族共生」「多文化共生」を叫んでいる。
「派遣切り」が一大社会問題になっている最中に出された「提言」に対して、民族派右翼などは、「民族や国家よりもカネ儲けが大事なのか」と噛みついているが、これが新自由主義の正体だ。金融資本は、「国家」も「民族」も越えて収奪し続ける。しかし国家や民族が消滅するわけではなく、ますます国家主義が強められ、「日本民族」が強調され、民族抑圧と排外主義を強めていくのだ。
こうした「1千万人の移民受け入れ」を国家意志とする中で、すべての外国人の24時間365日の全面的な管理と支配体制の強化を、「在留カード」新設と常時携帯・刑事罰制度の強化を通した入管法改悪でつくり出そうとしているのだ。「道州制攻撃の一環としての入管法改悪」などという安田派の「珍論」は、入管法改悪の本質と、それがもたらす現実を捉えようとしないものだ。
指紋闘争・反外登法闘争を引き継いで、入管法改悪を阻止しよう。(関西入管闘争委員会)
右翼が外国人排斥デモ
4月11日、埼玉県蕨(わらび)市で、右翼が「在日特権を許さない市民の会」を名乗り、この地域に住む滞日外国人の排斥を煽る集会デモを強行した。これは、先ごろ、長女Aさんに在留特別許可が認められながらも、両親は国外追放処分となった蕨市のフィリピン人、カルデロン・アランさん一家の処遇をめぐり、右翼が一家全員の国外追放を要求するデモだ。
このデモは、長女Aさんが通っていた小学校、現在通っている中学校をコースにした、まさに「襲撃」だった。法務省、警察、右翼が一体で仕組んだ行動だ。
このおそるべき排外主義扇動に危機感をもった人びとが、同日、県内外から集まり抗議行動をおこなった。集会への抗議行動のさなかに1人が不当逮捕され、その逮捕者の救援行動、警察署への抗議行動の渦中でさらに1人が不当逮捕された。右翼による排外主義扇動・襲撃はやりたい放題で、抗議する人びとは一方的に逮捕する、許せない攻撃だ。
強まる侵略戦争体制と排外主義攻撃と対決してたたかおう。
6面
暫定滑走路・北延伸部分の前倒し
供用開始を許すな―三里塚
4月10日、金子国土交通相が、成田空港の暫定滑走路・北延伸部分の供用開始を、当初予定の来年3月より早めて、今年10月に前倒しすると発表した。3月のアメリカ貨物機の事故によって、「計171便が欠航や目的地の変更を強いられた」ことをあげ、「ジャンボが離着陸できない暫定滑走路の限界がクローズアップした」というのだ。
弾劾声明は、成田空港は、そもそも、「房総と北総の境に位置し寒気と暖気が激しく衝突する」位置にあり、安全性を無視した欠陥空港なのだと断罪する。そして、「『延伸して安全性が高まる』とは許せぬ欺瞞。ジャンボを飛ばせば安全性を高めるどころか、逆に危険性が増大する」と批判した。
反対同盟の弾劾声明にこたえ、全国から反撃に立とう。欠陥だらけの暫定滑走路を閉鎖せよ。10月供用開始を阻止しよう。反対同盟・市東さんの農地取り上げを許すな。
4・23三里塚天神峰現闘本部裁判がいよいよ重大だ。全国から結集しよう。
「つくる会」中学校歴史教科書
検定合格を撤回せよ
9日、文部科学省は新しい歴史教科書をつくる会(以下、「つくる会」)が自由社から検定申請した中学校歴史教科書の合格を発表した。この教科書は、かつての扶桑社版とほとんど同一内容だ。つくる会自身の分裂によって、版権問題などがあり、題名を若干変えているものの、写真や図版以外の本文は、ほとんど同じだ。
日本帝国主義によるかつての侵略戦争を美化・正当化し、ふたたび「戦争に命をささげる国民」をつくりだそうという狙いをこめた内容だ。
韓国の「アジアの平和と歴史教育連帯(注)」は、同日、記者会見を開き声明文を発表した。日本政府にたいして、「歴史を歪曲し平和を脅かす自由社版歴史教科書の検定合格を撤回せよ」「植民地支配を美化する全ての中学校歴史教科書の記述を直ちに修正させよ」と要求している。10日には、日本大使館前で糾弾会見をおこない、日本政府へ抗議文をつきつけたが、日本大使館側は受け取りを拒否するという許しがたい対応に終始した。
今年は、中学校教科書の採択がおこなわれる年だ。すでに扶桑社版「つくる会」教科書が使用されている東京都杉並区(歴史)、栃木県大田原市(歴史・公民)、都立中高一貫校と特別支援学校(歴史・公民)、滋賀県立中高一貫校(歴史)、愛媛県立中高一貫校と特別支援学校(歴史)、一部の私立中学校(歴史・公民)での採択をやめさせ、自由社版「つくる会」教科書の採択も阻止し、採択率ゼロに追い込もう。
(注)歴史問題研究所、民主労総、全国教職員労働組合など64団体で構成。
中国でのグローバリズムと
新自由主義下の民族政策
留学生YSさんへの返事
『中国における民族解放闘争の新たな段階』(『展望』第3号)にたいして、留学生のYSさんから感想が届けられ、本紙26号に掲載しました。これにたいする筆者の綾部直氏からの返事を掲載します。【編集委員会】
YSさん、『中国における民族解放闘争の新たな段階』(『展望』第3号掲載)への感想を送っていただき、ありがとうございます。
この論文は、北京オリンピックを前にしてチベットやウイグルで起きた事件が、どんな社会的・歴史的背景の下で起きたのかを私自身が知るために勉強した内容をまとめたもので、中国の実情を日本人に知ってもらおうと発表したものです。私は中国語ができないため、日本で出版されている文献を参考にして書いたもので、不十分さはまぬがれません。内容は、根拠のある事実にもとづいたつもりです。
当事者であり中国人民の一人であるYSさんが、読んで感想を送ってくださったことに感謝しています。
中国革命から文化大革命終結後まで
帝国主義の包囲のなかで、1949年以降の中国共産党の民族政策は紆余曲折をたどってきました。49年から57年頃までの少数民族政策は、それぞれの少数民族の伝統的社会構造を保護し、民族の伝統文化の保護、「民族識別」の推進、民族区域自治制度などの政策をとっていました。
1958年から文化大革命が終わる1978年までの少数民族政策は、毛沢東の「階級論」のもとで、少数民族内の旧「封建勢力」とみられる人びとに対する「階級闘争」を推進しました。少数民族の独自性が無視され、プロレタリア階級、社会主義民族、国家利益を優先するという論理で、多くの少数民族民衆が、旧支配層に対して闘争を行った時期でした。
文化大革命終結後の1979年から1980年代末までの少数民族政策は、「少数民族の独自性」を強調しながら、少数民族を「融和」政策の対象としました。
しかし一貫しているのは、それぞれの少数民族が自分たちの社会を建設していく主体としてではなく、中央政府の指導政策の対象者として扱われたことです。それによって中央政府の方針が変わるたびに、諸民族の運命は翻弄され続けてきたのだと思います。
たしかに中国政府は、民族自治地域に対する財政援助や少数民族出身者に対する幹部登用の配慮、大学入試に対する配慮などの優遇政策をおこなっていることは事実です。それは大切なことです。
新自由主義下の激変
しかしながら、「改革開放」後、とりわけ帝国主義のグローバリズムと新自由主義政策の波の中で、中国社会は激変し始めていると、私は考えます。中国は広大な地域ですし、56もの民族が生活しているのですから、地域によって民族によってそれぞれ事情は違っているとは思いますが。
例えば新彊ウイグル自治区などでは、役所の公用語は漢語になっています。2002年には新彊大学の授業に中国語を使うことが決められ、そのために初等教育から子供たちが親とは違う言語での学習を強いられることになり、漢語を特別に学習することのできない生徒の「落ちこぼれ」が起こっていると報道されています。その上08年8月にはウイグル自治区の首都カシュガルで、人口の80%を占めるウイグル族の居住地域を整備するために立ち退きを通告したと報道されています。
2000年の中国科学院による『西北部開発報告書』では、少数民族人口の急速な増加傾向を問題視し、少数民族に対する出産優遇政策の見直しと撤廃を強く訴えています。「少数民族の人口比率は1982年には6・6%であったものが、90年には8・01%に、2000年には8・41%にまで上昇し、それは地域と国家の経済発展にとって不利である」と論じられているそうです。(王柯『20世紀中国の国家建設と「民族」』)
人民大衆が社会の主人公であるということは、支配者と被支配者をなくし自分の生きる社会の運営にすべての人民が携わるということではないでしょうか。それを否定したところでは、どんなに良い政策であっても本当に人権が認められているとはいえません。「民族の自決」とは、支配民族と被支配民族という関係を断ち切るということです。
YSさん、これからも我々の運動に対してご意見をお寄せください。(綾部直)