ミサイル<fマ煽動ゆるすな
憲法破壊と核武装がねらい
朝鮮中央通信社の報道は、5日午前11時20分、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の舞水端里(ムスダンリ)の東海衛星発射場から、運搬ロケット「銀河2号」を使って、実験用通信衛星「光明星2号」を打ち上げ、衛星は軌道に乗ったと発表した。(米当局は「軌道にのらず」と発表。)
これは、2月24日に、金正日政権の宇宙空間技術委員会によって、既に予告された通りである。
日本政府が情報操作
政府は、早い段階から、舞水端里の発射施設の写真を米議会調査局から入手しており、その先端部の形状から、弾道ミサイルではなく、人工衛星とその運搬ロケットであることを認識していた。
しかし政府はそのことを公表せず、「ミサイルだ」というデマ情報を流し続け、人工衛星の打ち上げを、今にも日本に向かってミサイルが撃ち込まれるかのように騒ぎ立てた。
マスコミは、一方で「人工衛星は失敗」と報道しながら、他方でミサイルというデマを流し続けている。
このような対北朝鮮の排外主義扇動を許してはならない。「大量破壊兵器を隠している」というブッシュの情報操作によって、イラク開戦が強行されたことを想起すべきだ。
自衛隊が臨戦態勢に
3月27日、麻生政権は、金正日政権の人工衛星打ち上げに対して、「ミサイル防衛(MD)」を発動する「破壊措置命令」を発令した。自衛隊を、戦後初めて戦闘態勢に入れ、軍事力行使に踏み出す決定だ。しかも、迎撃権限は現場指揮官に委ねられており、「文民統制」の完全な逸脱だ。歴史の大きな分岐点を超えた。
「破壊措置命令」を受けて、自衛隊は、かつてない規模の部隊を展開した。
海自は、イージス艦3隻を展開、朝鮮半島周辺に潜水艦が潜航、電子偵察機EP3を日本海に展開。空自は、PAC3を、秋田、岩手、市ケ谷、朝霞、習志野に移動・配置。鹿児島県と千葉県の「FPS5」、全国4カ所「FPS3改」のレーダーで監視。
また警察庁は、東北6県警にヘリコプターや機動隊の即応態勢をとらせ、生物・化学兵器などに対応できるNBCテロ対策班も出動。
さらに、秋田県は「危機管理対策本部」、岩手県も「情報連絡室」を設置。とくに東京都は、既に策定されている都の国民保護計画にそって、警報の発令と、行政機関による避難の指示の構えを取った。ほかに全国各地の自治体で非常事態が敷かれ、職員の増員・待機などが強制された。
安保理新決議は戦争行為
3月31日、衆参両院は、北朝鮮非難決議を、共産、社民も含む全会一致で採択した。
さらに、日本政府は、米政府などとともに、安保理決議1718(06年)の徹底を求める新決議案を提出する方針だという。また、日本政府は、今月13日に期限切れになる北朝鮮への独自の経済制裁措置を、1年延長し、輸出禁止を全品目に拡大しようとしている。米政府は、安保理新決議案の付属文書として、金融制裁の対象となる北朝鮮の企業など約10団体を指定し、制裁の徹底を狙う。
安保理新決議と制裁措置が、北朝鮮に対する戦争行為として行なわれるのだ。
日本に北朝鮮を非難する資格はない
世界各国のロケット打ち上げ実績(07年6月時点累計)は、ロシア、アメリカが断トツだが、日本も57回で第5位の多さだ。
そして、北朝鮮のロケットの搭載能力が1トン(98年の1号機)であるのに対して、日本のH2ロケットは10トンとはるかに大型で、「日本もやろうと思えばミサイルに転用できる」(的川・JAXA技術参与)。
また日本は、宇宙の軍事利用に踏み込む「宇宙基本法」を制定(08年5月)し、自前の軍事衛星を持とうとしている。
北朝鮮よりはるかに危険なのが日本だ。
きわ立つ日本の突出
アメリカが「迎撃の計画はない」(ゲーツ米国防長官、3月29日)といい、韓国が「軍事的に対応するのは反対」(李明博大統領、3月30日)という中で、際だったのは憲法9条を有する日本の突出だ。
その狙いは何か。
デマキャンペーンと自衛隊の臨戦態勢突入に抗議して、近畿中部防衛局に申し入れが行われた(4月3日大阪市内) |
アメリカはもちろん日本政府も、MDシステムが使い物にならないことを自覚している。だから、内心は本当に迎撃することにならなくて安堵している。
ただ、日本政府の思惑は迎撃するかどうかではなく、もっと別のところにあった。憲法破壊だ。ミサイルというデマ情報で恐怖を煽り、それをテコに、自衛隊を戦後初めて戦闘態勢に入れ、軍事力行使に踏み出し、マスコミや自治体に動員をかけ、戦時態勢への突入と憲法破壊を狙う。そして、世界大戦規模の侵略戦争へ参戦していこうとしているのだ。
まさに、「破壊措置命令」は、「憲法破壊命令」だったのだ。
アメリカが警戒する日本の核武装
さらに、この日本の動きをアメリカがどう見ているかだ。
「北朝鮮が核兵器を保有したまま2つの朝鮮が統一した場合・・・日本は核兵器の能力を開発しようとするだろう」(米議会調査局作成2月19日付報告書「日本の核問題の将来:Japan's Nuclear Future」)
アメリカは、北朝鮮のミサイルや核開発それ自身を、直接の脅威などとは端から思っていない。問題は、北朝鮮のミサイルや核開発を騒ぎ立て、それを口実として、日本が弾道ミサイルや核兵器の保有に走れば、アメリカの核支配体制を掘り崩してしまうことだ。それは、金融グローバリズム支配の崩壊と恐慌突入の中では、アメリカによる世界支配の崩壊と世界大戦勃発に直結する深刻な脅威だ、と考えているのだ。
日本は、日米軍事一体化を水路にしながら、海賊対策を口実に、世界中のどこにでも恒久的に自衛隊を派兵し、武力行使を行なう道を開いている。3月18日には、全通甲板を持つへリ空母「ひゅうが」(基準排水量1万3950トン)が横須賀基地に配備され、攻撃性・侵略性をいっそう強めている。安倍や、麻生、田母神などは、核武装を公然と主張している。
本当の脅威は、近隣の諸国などではなく、日本政府と軍部そのものなのだということを、われわれはこの排外主義の洪水の中で明確にする必要がある。
2面
3・29三里塚現地集会
「農民切り捨てに対して闘う」―市東孝雄さんの決意表明
3月29日、三里塚全国総決起集会が、成田市天神峰の市東孝雄さんの畑を会場にして開かれた。ここ数年では最大の1580人が参加した。
集会直前の23日には、米フェデックス貨物機が成田空港A滑走路への着陸に失敗、炎上し、機長と副操縦士が死亡する大事故が起きた。この事態にたいする怒りと危機感をもって、集会は開かれた。
決戦に突入した三里塚現地に、新しい人も加わって、全国から1580人が集まった(3月29日成田市天神峰) |
闘いの方針が鮮明に
今年92歳になる森田恒一さんが開会宣言。北原鉱治事務局長は、主催者あいさつで、青年・学生に熱く訴えた。
基調報告にたった萩原事務局次長は、冒頭に二つ訴えたいとして、@3月12日の天神峰現地闘争本部裁判における、仲戸川裁判長による常軌を逸した訴訟指揮(下記参照)を弾劾、A「へ」の字に曲がった誘導路は、先日の事故とともに成田空港の破産した姿であり、廃港以外ない、と断じた。
そのうえで、本集会で強調したい4点があると続け、・天神峰現闘本部裁判を実力闘争として闘う、・農地収奪を粉砕し、市東さんの農地を守る陣形を構築する、・農地法改悪と闘い全国農民の決起をつくりだす、・成田の軍事空港化を阻止する―これら4つの闘争方針を打ち出し、今秋10・11全国集会へのさらなる大結集を呼びかけた。
反対同盟の鈴木謙太郎さんからは、農地法改悪を弾劾する農民アピールが発せられ、空港敷地内農民の市東孝雄さんは、「私はこれまでどおり耕作し続ける」と農地死守の決意を表明した。市東さんの農地取り上げに反対する会からは、農地法を使っての土地取り上げを弾劾する闘いが呼びかけられた。
特別報告は、動労千葉の田中康宏委員長と、関西実行委員会の永井満さんが行なった。沖縄から知花昌一さんも参加し発言した。
三里塚裁判闘争報告(弁護団)、カンパアピールと続き、部落解放同盟全国連、住民団体、共闘団体などから決意表明が行なわれた。
集会宣言、スローガン採択の後、参加者は、鉄板で囲まれたぶざまな空港の敷地内外を、市東さんの耕作地まで、いつにも増して元気のいいデモ行進を行った。
新たな仲間の参加
3・29現地闘争には、昨年3月や10月を上回る参加があり、新たな仲間と、三里塚に思いを寄せてきた旧い仲間が多数参加した。三里塚への結集運動が新しい発展の段階に入ったことを実感させる。
今秋10・11現地闘争に向かって、市東さんの農地取り上げを許さない運動を組織しよう。写真展・援農・現地調査など、43年間闘い続ける三里塚闘争の意義を伝えていこう。
反戦・反基地・反差別を闘う全国の住民の闘いとのつながりをどんどん広げよう。労働運動の再生と農民の決起で、反戦・反差別の砦=三里塚闘争を拠点に、日本階級闘争の反転攻勢を作りだそう。
4・23 天神峰現闘本部裁判へ
3月12日、千葉地裁・仲戸川裁判長は、反対同盟不在の欠席裁判を強行し、突如証人調べを打ち切って、事実上の結審を宣言した。
この攻撃は、現地攻防と一体で闘われている市東孝雄さんの3つの裁判を始め、三里塚の全裁判・全領域に及ぶ攻撃だ。反対同盟への農地強奪攻撃が新たな段階に入ったということだ。
反対同盟は、天神峰現闘本部裁判を実力闘争で闘うと宣言し、仲戸川裁判長弾劾の千葉地裁ビラまきに連日立ちあがっている。4月23日の公判闘争への参加と注目をつよく訴える。
基調報告 反対同盟事務局次長 萩原進さん
千葉地裁・仲戸川裁判長の訴訟指揮を弾劾する。欠席裁判強行と証人却下は許せない。23日に起きた航空機事故は、「突風・気流」といっているが、これは成田空港の欠陥性の本質が現れたものだ。廃港以外ない。
激動の中の三里塚の位置
激動する情勢の中で、三里塚がどういう位置を占めているのか。この世界の中で数千、数万の人たちが決起している。労働者だけでなく、農民の決起も行われている。生きることそのものが、闘わなければ駄目なんだと、そういう時代に入っている。
成田空港の欠陥だらけの姿が、国と空港会社、裁判所の暴挙によって、ますます明かになっている。推し進めようとすればするほど、成田がアジアにおけるハブ空港の地位から陥落せざるをえない。
そこに追い打ちをかけたのが、今日の恐慌、経済恐慌。昨年12月の貨物便、輸出が前年比、48%、半分になっている。先日、夏のダイヤ改正があったが、減便を強いられている。
ところが、この誘導路、あるいは滑走路の延長をもって増便を図ろうとしている。北へ、北へと二度にわたって滑走路を伸ばした。本来は南へ伸ばして東峰、天神峰の部落、そして反対同盟の闘いを潰そうとしたが、それができないために北に持っていかざるを得なかった。北延伸部分の来年3月供用開始ということをもって、飛行機を飛ばし、再度われわれを追い出そうとしている。そんな暴挙は絶対に許せない。
しかし、もうそれ以上のことはできない。他力本願の空港としてしか建設はできないところまで追いつめた。成田空港の国際的位置はますます地盤沈下している。暫定滑走路の闘いを通し、市東さんの闘いを通して、空港本体に上りつめて、廃港への闘いを推し進めていく。
反対同盟、「障害者」に続いて、住民団体の隊列がデモに出発(3月29日天神峰) |
4つの闘争方針
北延伸のための現闘本部撤去と、真っ向から闘い抜こう。仲戸川裁判長の常軌を逸した訴訟指揮で、決戦はたぐり寄せられた。夏から秋に向けて、状況は一変するだろう。現地における実力闘争と農地死守の闘いを、断固としてやりぬく態勢を固めよう。
市東さんの農地を守る闘い、その陣形を文字通り、もう一度、ひと旗、ふた旗立てる必要がある。農地法によって農地を取り上げるという前代未聞の裁判が行われている。市東さんの農地を守る大衆的な陣形の拡大が求められている。
日本の農業問題は、FTA、EPAで本当に深刻な事態になっている。農の基本である農地法を改悪し、「耕す者に権利あり」を変え、企業の参入を許し、市東さんの農地を取り上げようとしている。農地法改悪とたたかい、全国農民の決起をつくりだそう。
恐慌と戦争の情勢の中で、米軍再編・基地強化が行われ、PAC3が習志野はじめ全国各地に配備されている。朝鮮半島有事で日米共同作戦ということだ。成田空港の軍事空港化とたたかい、全国各地との横の繋がりを、動労千葉や、沖縄・関西などと連携してつくり、反戦・反基地・反差別の闘いを進めよう。
今秋10・11全国集会に大結集しよう。
主催者あいさつ 反対同盟事務局長 北原鉱治さん
43年目の春を迎え、風は寒いが心は燃えている。こんな世の中で良いのかとうことで、結集がだんだん増えている。この世の中は自ら動かない限り変わらない。三里塚の闘いは3千人以上の逮捕者を出したが、行政と資本家は力ずくで完全空港にしようとしている。若い諸君に訴えたい。法政や福岡で弾圧があるが、自由を取り戻すため立ちあがって欲しい。三里塚は君たちの未来のため、農民と労働者の将来を取り戻すため闘う。
敷地内 市東孝雄さん
三点を訴えたい。一つは、農地法1条にある「耕す者に権利あり」で、これはかの革命家・ゲバラも言っている普遍的真理だ。企業優先での土地取り上げは許せない。三つの裁判をかかえるが、負けない。二つは、先日の事故で大騒ぎしたが、実は6年前、私の家の前で同様の事故が起きた。力ずくで作った欠陥空港ということだ。三つは、労働者と農民は自分で闘い、政府に任せる事なく、道州制に反対し、動労千葉などと連帯し闘わなくてはならない。「農地取り上げに反対する会」を大きくしていこう。
特別報告 沖縄から 知花昌一さん
「日の丸」焼却、「ゾウの檻」の反戦地主として闘ってきた。また読谷飛行場の70万坪を50年かかって返却させた。昨日ホテルの8階から成田空港を見た。真ん中に緑の敷地があり、誘導路は「へ」の字で、欠陥だらけ。三里塚の闘いと辺野古・沖縄の闘いは一体。
沖縄では、「日米同盟―未来への変革」といって、辺野古に新基地を建設し、グアムとの一体化を進めている。グアム協定は日本の法律が適用されず、また基地・住宅を日本の金で作るという。闘いには、譲れるものと譲れないものがある。命に関わることは譲れない。徹底した抵抗闘争で闘っていこう。三里塚に学び、三里塚とともに闘う。
特別報告 関西実行委 永井満さん
もう30年間続けているが、現地集会の前に関西では前段的な集会を開催してきた。今年は、身内の集会にとどまらない集会をした。ここ2、3年三里塚の闘いは単に三里塚農民の農地を守る闘いから、300万の日本農民全体の闘いになっている。市東さんの農地を守る闘いを体をはって闘うことを決意している。今一つは、「全人民共闘」ということだ。砂川の宮岡さんの教えで、砂川・北富士・佐世保と全国で闘う住民が総結集した。今回はそれを再びと思い、米軍再編と闘う全国のつながりで、沖縄の知花さん、岩国の大川さんに来てもらった。関西空港も軍事使用させてはならない。反戦・平和の砦=三里塚を軸とする、米軍再編・軍事基地建設を阻止する闘いを皆さんと一緒に闘っていきたい。
3面
郵政ユニオンがストライキ 3・19
郵政労働者ユニオンは、3月18日の郵政会社の春闘ゼロ回答にたいし、19日、大幅賃上げ、非正規雇用労働者の処遇改善を要求して、全国10カ所の拠点でストライキにたちあがった。
強制配転に反対する会や関西合同労組は、兵庫の灘支店でのストライキを支援した。当日、3人のストライキに、50人近い支援が集まり、門前でスト突入集会がもたれた。
郵政労働者ユニオン・神戸東播支部長あいさつを筆頭に、支援による連帯の声が支店前を制圧した。郵産労、新社会党、神戸地区労、国労兵庫保線分会、関西合同労組兵庫支部、さらにスト破壊司令を出しているJP労組の組合員からも連帯の挨拶がおこなわれた。1時間の時限ストを打ちぬく3人の労働者が決意表明し、ストライキを貫徹した。
スト突入の3人がアピール(3月19日兵庫・灘支店) |
郵産労もスト
23日には、郵産労が全国25拠点で、100人のストライキを打ちぬいた。
第2波、第3波の闘いで、職場の地熱を熱くし、JPEXの子会社化―強制出向阻止へ向けて、たたかい抜こう。
郵政09春闘討論集会を開催
3月18日、「強制配転に反対する近畿郵政労働者の会」主催の09春闘集会が大阪市内でひらかれた。
基調報告では、JP労組中央委員会での春闘方針を批判。ベア要求を取り下げ、連合の裏切りの先兵になっていること弾劾した。特にJPEX問題に関し、「本人同意なき」出向は、強制転職であり賃下げ必至、労働条件のいちじるしい低下をもたらすものであること、それをJP労組は認めてしまっていることを批判した。
職場のたたかいの報告では、不当配転に反対して裁判でたたかっている酒井さん、日本郵便非正規ユニオンと、発言が続き、加古川郵便局の江渡さんは労働委員会闘争を報告した。
最後に、翌19日ストライキに突入する郵政労働者ユニオンの仲間から決意表明がおこなわれた。
ゆうメイトといわれる非正規雇用労働者の処遇改善を求め、労働運動の反転攻勢を目指して、職場で不屈にたたかう労働者が、職場や労組の違いを越えて、地域からたたかう団結をつくりだしていく方向性を示した、よい集会だった。
加古川郵便局労働委員会 審問予定
◇4月14日(火)13時30分
申立人側証人にたいする反対尋問
◇6月2日(火)13時30分
申立人 江渡前分会長にたいする反対尋問
梅沢支店長にたいする反対尋問
根津さん・河原井さんの解雇を阻止 3・31
解雇阻止を報告する根津さん(3月31日東京都教職員研修センター前) |
3月31日、東京都教委は卒業式での不起立を理由にした不当処分を発令した。最大の焦点は、根津さん、河原井さんの不起立闘争に対して分限免職処分を出すかどうかだったが、今年もこれを阻止し、両名とも停職6月となった。他に渡辺厚子さんにも停職3月が出され、全体で休職3、減給5、戒告4、合計12人が不当処分された。他に、区教委による訓告処分が1件出ている。
最悪の不当判決
これに先立って、東京地裁中西茂裁判長は、3月26日、@「君が代」第一次訴訟(04年処分取り消し訴訟)と、A河原井・根津「君が代」訴訟(06年処分取り消し訴訟)で、10・23通達と職務命令、不当処分を適法とした。
判決理由は「最低最悪」のもので、前記@の訴訟では「本件職務命令には、その目的及び内容において合理性、必要性が認められる」といい、Aでは「一般に、自己の思想や良心に反することを理由として、およそ外部行為を拒否する自由が保障されるとした場合には、社会が成り立ちがたいことは明白」と、思想・良心・表現の自由そのものまで否定した。
都教委はこの反動判決を受けて、不当処分を3月30日に決定している。
都教委に連日の行動
3月25日の都庁前アンサンブル行動に、門真(大阪)で不当処分を受けた教育労働者がかけつけ、その後連日のように行動が取り組まれた。根津さん・河原井さんの免職を阻止した力は、全国的な不起立闘争と支援の力だ。不当判決には直ちに控訴することが確認された。最後まで支援していこう。
鉄建公団訴訟 東京高裁判決
事実上の控訴棄却%ャ争団が弾劾声明 3・25
3月25日、東京高裁は、鉄建公団訴訟控訴審の判決を下した。内容は、JR採用にあたって不当労働行為があったことを認めたものの、国鉄改革法23条による解雇を有効とする不当判決であった。
この判決を受けて、鉄建公団訴訟原告団、弁護団、国鉄闘争共闘会議の三者が、判決を「事実上の控訴棄却」と弾劾する声明を発表した。
判決弾劾報告集会(3月25日東京・飯田橋) |
そして被告・鉄建公団に対しては、「直ちに不当労働行為を謝罪した上で、解雇を撤回して『JR等の雇用、年金補償、解決金の支払い』の要求を実現する解決の方針を示せ」と要求するともに、「原告団は本日の不当判決に挫けることはない。闘いの矛は絶対に納めない。直ちに上告を行う。闘いを一層強化し、上告審では必ず勝利をもぎとり、納得のいく解決に向けて邁進する」と、その決意を明らかにした。
当日、午後1時半からこの不当判決を弾劾する判決報告集会(東京・飯田橋の仕事センター)が、300人の参加で行なわれた。闘争団、家族会、支援団体が一体となって、勝利解決まで闘いぬく決意を固めた。
「西松建設事件」をどう見るか
検察の国策捜査と国家権力の前面化
国策捜査
「国策捜査は時代のけじめをつけるために必要。象徴的事件を作り出して断罪する」。―02年の鈴木宗男事件で逮捕された外務省の佐藤優にたいし、取り調べの検事がこのような言辞を吐いた。(佐藤優『国家の罠』)
民主党代表・小沢の秘書が政治資金規正法違反で逮捕・起訴された事件は、やはり、権力中枢が、小沢民主党への政権交代を阻むために仕掛けた国策捜査と見るべきだろう。
支配階級の分裂
支配階級は、恐慌と帝国主義間矛盾の重圧の中、07年7月参院選自民大敗の上に、次の衆院選挙で政権交代が必至という支配の危機にあえいでいる。そして支配のやり方をめぐって、支配階級の内部で抗争になっている。
小沢は、戦後的な利益配分構造を引き継ぎつつ、官僚支配に対して政治主導を唱え、「民意」を取り込む形で、何とか階級闘争を制動しようとしている。これにたいして、権力中枢は、議会制民主主義の擬制をかなぐり捨て、国家権力を強大化させ、それを能動的に行使し、強権政治をもって階級闘争を制圧するやり方、そこにマスメディアを動員しポピュリズムを組織するやり方に大きく転換しようとしている。
また、日米安保の相対化に踏み出すか、日米軍事一体化で突き進むかという対立が重なっている。
国家権力が前面に
問題は、政権交代必至の情勢の中で、検察という国家の暴力装置が発動されたことだ。議会制民主主義の擬制の背後に控えていた国家権力が、階級闘争の前面に出てきたのだ。同時にメディアが総動員され、一気に小沢が劣勢にたたき込まれた。
麻生がやらせたと見るのは見当違いだ。検察は麻生など端から見下している。ただ、小沢的なやり方を権力中枢としては選択できないという判断なのだ。
事態の主導権は、検察をはじめとする官僚組織にある。国家の意思を決定し、国策を主導する権力の重心が、政治家ではなく、経済官僚でもなく、治安を統括する官僚に移りつつある。(並行して田母神事件に示された自衛隊制服組の苛立ちと台頭がある。)
官僚組織の強大化と強権政治への転換が、西松建設事件をも契機に一気に進行した。
階級闘争の主導権
このことを、労働者人民の側から言えば、国家権力が階級闘争場裏に引き出されてきたということだ。
成田空港建設をめぐって、政府と裁判所と成田空港会社が一体となって、問答無用に農地を強奪しようとしている。鉄建公団訴訟高裁判決で、国家権力は妥協も和解もできないという国家意思を示してきた。
ここが国家権力との先端の攻防だ。ここで不屈に闘いぬくものが階級闘争の主導権を握る情勢が来たのだ。
国家への屈服
ところが国家権力の動向と階級闘争の論理を見すえられない人びとがいる。安田派やカクマルは、「指揮権発動」(安田派)とか、「米帝の意思」(安田派)、「オバマ政権の圧力」(カクマル)という的外れで安直な分析で済まし、日共は、国策捜査には目もくれず、小沢の金権批判に熱中している。いずれも見事に国家権力の前面化という核心問題への論及を避けている。綱領的な次元で、国家に屈服しているからだ。
国家権力にたいする態度が階級闘争の分水嶺になる情勢だ。
4面
『新版・甦る労働組合』(中野洋著)を読む
変質を極める安田派のバイブル
昨年10月、『新版 甦る労働組合』(以下、「中野本」)という一冊の本が出版された。著者の中野洋氏は、若くして労働組合運動に身を投じ、動力車労組千葉地方本部青年部長から千葉運転区支部長、千葉地方本部書記長を経て、動労本部から「分離・独立」した動労千葉の委員長となり、国鉄分割・民営化攻撃を始めとする闘いを指導してきた。この本の中にしばしば見受けられる中野氏の自慢話や彼のマルクス主義の得手勝手な解釈には、思わず眉をひそめたくはなるが、それが彼の「闘う労働組合を甦らせたい」という思いから発せられている限りにおいては、さほどの罪もないだろう。
ところが、清水丈夫を先頭に、中野本を、「ついに出た革共同のバイブル」などと持ち上げて、党員に対して感想文提出運動を強制し始めるとなると、話はちがってくる。安田派は、「体制内労働運動は打倒しなければならない」とか、「労働組合が中心にならない市民運動など無意味だ」とか、「労働者自己解放闘争が一切だ、差別反対運動などナンセンスだ」と言って様々な大衆運動への悪質な妨害と敵対を繰り返しているが、それらは、まさにこの本の中で語られている中野洋氏の思想と瓜二つなのだ。
それがいかに荒唐無稽なものであっても、われわれは、もはや笑って済ますわけにはいかないのである。
「5・27臨大闘争弾圧」裁判闘争の破壊
批判すべき第一は、中野洋氏のホームグラウンドである国鉄労働運動における問題である。
昨年、安田派は、国労5・27臨大闘争弾圧裁判において、弁護団を全員解任し、弁論を分離するという前代未聞の暴挙を行った。
国労5・27臨大闘争弾圧裁判とは、労働組合の団結権をめぐる重大な裁判闘争である。この事件は、02年5月27日に行われた国労の臨時大会において、闘争団に対する統制処分に反対するビラまきを行ったことに対して、警察権力が暴力行為をでっち上げ、国労組合員7人、支援者3人を不当逮捕し、うち8人を起訴するという大弾圧であった。
警察権力は、組合大会における組合員のビラまき活動を、「党派(=中核派)の暴力行為」とでっち上げて、労働組合の組織問題に介入してきたのである。
この国家権力による重大な団結権の侵害は、多くの闘う労組活動家はもとより弁護士、学者、知識人に衝撃を与えた。そして「国労5・27臨大闘争弾圧を許さない会」が結成され、全国的な支援態勢のもとで裁判闘争がたたかわれてきた。
ところが安田派は07年末、裁判事務局を当初から担ってきたY氏が、革共同関西地方委員会党員総会(07年11月)に参加したことを理由に、裁判闘争から排除することを弁護団に要求してきた。
弁護団は、当然のことながらこの理不尽な要求を受け入れなかった。すると安田派は、松崎被告をのぞく7被告に弁護団全員を解任させ、ついには松崎被告との弁論までも分離した。
【この事実経過については弁護団が発行した『5・27裁判の勝利をめざして 労働運動弾圧・団結権侵害と闘う弁護団声明』(08年8月)で詳細に再現されているので、こちらを是非参照していただきたい。】
弁護団解任・弁論分離の張本人
この件について中野氏は次のように語っている。
「この裁判の現状について、ここで言及しておきたい。07年以来、闘争団員の一人である松崎被告が、後に触れる『4者・4団体』路線を支持し、他の7被告と決定的に対立する。また、裁判事務局員が動労千葉への敵対をあらわにするなかで、7被告はその解任を求めたが、弁護団がそれを受け入れず、7被告は08年2月に弁護団を解任し、5月には松崎被告との弁論分離を行い、新弁護団のもとで新たな闘いを開始した。僕はこの7被告の立場を断固支持する。旧弁護団には動労千葉弁護団も含まれている。しかし、階級的原則は守らなければならない。」(「中野本」255ページ)
1047名争議団・闘争団・原告団が一堂に会した06年2・16集会で発言する動労千葉争議団の高石さん(東京) |
ところが中野氏は、08年5月の弁論分離決定に至る過程では、「弁護団解任と弁論分離は当該の7被告が決めたことだからしかたがない」と言って、あたかも自分は第三者であるような態度を決め込んでいたのである。こういうのを世間では二枚舌という。どうやら中野氏も、“汚れ仕事は他人に押しつけて、自分だけは身綺麗でいたい”という、よくあるタイプのリーダーとそう変わりがなさそうである。
1047名解雇撤回闘争からの召還
安田派は、昨年、闘争団などの主催による「JR採用差別問題の解決要求実現をめざす10・24国鉄集会」を、「国鉄の1047名闘争において、解雇撤回の旗を降ろし、『和解』=国鉄闘争の幕引き」をするものと決めつけて、あちこちの国鉄闘争支援集会に押しかけてはひんしゅくを買い、10・24集会当日には、会場で的外れなヤジを飛ばして闘争団からたしなめられるという茶番まで演じた。
まともな組合活動家で、こうした安田派の振る舞いを支持する人は誰もいない。ところが中野氏は、「4者・4団体を推進する人びとと動労千葉の分岐・対立は非和解的なものになったといわなければならない」(同書259ページ)といって、安田派の悪行を擁護している。もはや中野氏には、1047名闘争全体に責任をとろうという気持ちはどこにもないようである。
「解雇撤回」をおろした「4者4団体」
さて、ここでしばしば登場する「4者4団体」路線について簡単に説明しておきたい。
これは、06年9月14日に、国労闘争団全国連絡会議、鉄建公団訴訟原告団、鉄道運輸機構訴訟原告団、全動労争議団・鉄道運輸機構訴訟団(以上4者)が、国労、建交労、中央共闘会議、国鉄闘争共闘会議(以上4団体)とともに、鉄道運輸機構に提出した統一要求をさしている。 その内容を要約すると― @【雇用】鉄道運輸機構、JR各社および関連会社もしくはJR各社に準ずる条件の雇用の確保、A【年金】1990年4月以降も清算事業団職員同様の年金加入条件とし、その受給権を回復すること、B【解決金】JR不採用による損害金、慰謝料の支払い―の3本柱となっている。
ところで、これに先立つ同年4月14日には、「JR採用差別事件被解雇者1047名連絡会」(以下、1047名連絡会)が鉄道運輸機構に統一要求を提出していた。この1047名連絡会とは、06年2月16日の「JR採用差別の解決を目指す1047名闘争団・争議団・原告団2・16総決起集会」において、国労、全動労、動労千葉の全被解雇者が初めて一堂に会して結成されたものだ。
その要求は―・解雇を撤回し、JR各社の採用を含めた、本人希望にもとづく全員の雇用を確保すること、・JR各社に採用されていたならば得た賃金相当額を支払うこと、・JR各社に採用されていたならば継続されていた厚生年金を回復すること、・不当労働行為に伴う不利益是正を求める争議費用および慰謝料を支払うこと―というものであった。
この1047名連絡会の統一要求と、4者4団体の統一要求を比較すると、その決定的な違いは明瞭である。4者4団体の統一要求では、国鉄闘争の核心中の核心である「解雇撤回」の要求がおろされている。
なぜそうなったのか。それは、4者4団体の主導権を、国労本部が握っているからだ。
国労本部は、闘争団の強い反対で頓挫した2000年5月の「四党合意」(国労がJRに法的責任がないこと認め、全訴訟を取り下げること)の受け入れや、第71回定期大会(03年9月)で決定した闘う闘争団への統制処分を、未だに撤回していない。なによりも5・27臨大闘争にかかわる被害届も取り下げていないのだ。
こうした国労本部が、政府やJR資本の意を受けて、「解雇撤回」の旗を降ろさせるために、1047名陣形から動労千葉を排除しようと躍起になっていたことは想像に難くない。
「4者4団体」をいかにのりこえるか
しかしながら、少なからぬ国労闘争団員が「4者4団体」の統一要求に危惧や疑問をいだいており、あくまで「解雇撤回」まで闘う決意を堅持しているのも事実である。
こうした状況において、いやしくも「マルクス主義」を標榜する組合指導者は、いかなる戦術や方針を持って臨むべきであろうか。
まず第一に、闘う闘争団の声を、国労本部らによるあくどいデマ宣伝や分断策の重包囲の中で、孤立させてはならないということは明らかであろう。
そのためには、「解雇撤回」の旗を堅持している動労千葉を、国鉄闘争陣形から排除しようとする政府・JR資本、そして国労本部の策動に、易々とのっかてしまってはならないということだ。
それは、決して安田派が行なっているように、国労本部も闘う闘争団も十把ひとからげに、“体制内”と罵倒することではない。必要とあらば、「4者4団体」の中に入り込んで、その内側から“屈服路線”をひっくり返すということも考えなければならない。
ところが、中野氏は、安田派と瓜二つの主張をすることで、動労千葉と闘う闘争団との亀裂をますます深めている。これを見て喜んでいるのは、国労本部であり、なによりも政府・JR資本であることは明らかではないか。
おりしも3月25日、東京高裁・南裁判長は鉄建公団訴訟の判決を下した。
その内容は、採用差別について国鉄の不当労働行為を認めながらも、解雇を有効とし、1人あたりわずか550万(慰謝料500万+弁護士費用50万)しか認めず、国鉄時代に処分歴のあるものは請求を却下するという反動判決であった。3・25高裁判決は、日帝・国家権力の階級意志をはっきりと示したものである。
これに対して最も有効なたたかいは、国家的不当労働行為を糾し、「解雇撤回・JR復帰」を求める大衆運動の広がりをつくりだすことである。
06年2月の1047名連絡会の登場は、被解雇者が所属組合のちがいをのりこえて団結することによって、国鉄闘争史上初めて、被解雇者による主導権を確立した歴史的な瞬間であった。それは、国鉄闘争のあらたな発展の展望を押し開くものであった。だからこそ、全参加者が感涙にむせんでそれを歓迎したのである。
いまでも1047名連絡会は解散されたわけではない。その統一要求もまだ生きている。1047名連絡会のもとに、闘争団・争議団・原告団の再団結を実現し、闘争の主導権を被解雇者の手に奪い返すために、ありとあらゆる努力を惜しまないという姿勢こそが、この3年間一貫して求められていたことであった。そしていまこそ動労千葉が「解雇撤回」の実現に向けて1047名の大同団結を訴えるべき時であろう。
しかし、残念ながら本書を読む限り、中野氏にその決断を期待できそうにはない。
鼻持ちならない職能意識とエリート意識
さて、これ以外にもこの本を読んで違和感を覚えるところをいくつか上げてみよう。
ひとつは、いま解雇=首切り攻撃にさらされている多くの派遣・下請労働者や非正規雇用の労働者が直面している現実に対して、労働組合として果たすべき役割がまったく語られていないことだ。
また中野氏が本書で語る労働組合運動は、あくまで職能組合としての動労労働運動の観点からしか語られていないことも気にかかるところである。
たとえば、乗務員を駅業務に一定期間配転する「ライフサイクルの深度化」と称するJR東日本が行なっている攻撃が、「運転士としての誇りを奪うもの」(「中野本」43ページ)と語られている。 ちょっと待ってほしい。もちろんそういうことも大事だが、そうした職能意識にとどまっていていいのだろうか。JRにおいては駅務や保線業務はその大半が下請化され、そこで働く労働者は、危険かつ劣悪な労働条件を強制されている。ところが、中野本には、同じJRで働くこうした労働者に対する言及がまったくないのである。 運転士ではない労働者は、「自分の労働に誇りが持てない」から組織化の対象ではないのであろうか。
歪んだ「労働者主人公」論
「労働者が社会の主人公であることに誇りを持つことだ。つまり労働者はこの世の中をすべて動かしている。」(「中野本」84ページ)
これは、中野氏のお得意のフレーズである。一見するともっともらしいこといっているようだが、これは初歩的な間違いを犯している。
労働者が毎日食べている米、小麦、野菜、肉、魚はいったい誰が作ったり獲ったりしているのだろうか。いうまでもなく農民であり漁民である。彼らの存在なくして労働者は、一日たりとも生きていくことはできない。だから、「労働者はこの世の中をすべて動かしている」などというのは、思い上がりもいいところだ。農民も漁民も、労働者とならんで社会の主人公であり、労働者とならんで社会を動かしている。
ところが、中野氏には農民や漁民の姿はその眼中にはない。彼らが労働者に食物を提供するのは「当たり前」のことだと思っているようだ。
ここに浮かび上がるのは、農村や漁村の苦境の上にあぐらをかく尊大な都市住民の姿ではなかろうか。とんだ「マルクス主義者」もいたものである。
他にもある。「列車を動かす能力がないと、団体交渉もできないし、要求も出せない。・・・だからJR当局がいなくても、千葉の電車は動労千葉が動かせる。」(「中野本」176ページ)
これも中野氏がいつも言っていることだが、これを駅や保線区で働いている労働者が読んだらどう思うだろうか。中野氏は、駅や保線の労働者がいなければ列車は一本たりとも動かないということすら忘れてしまったようである。御多分に漏れず中野氏も、その長い専従生活によって、“貴族”の仲間への階級移行をとげているようだ。
おわりに
昨年の『前進』(08年11月17日号)に、藤掛守氏の手になる「中野本」の書評が掲載された。
マルクス主義者を自認している藤掛氏としては、どうしても推薦すべき箇所を見つけることができなかったらしく、四苦八苦したあげくに「マルクスだけが労働者が社会の主人公だといってくれた。だから労働者はすべからくマルクス主義者にならなければならない、と僕は言っている」(84ページ)という文章を引用し、“中野洋は労働者出身だから、中野洋のマルクス主義が正しい”という転倒した論理をもって、中野洋崇拝運動のお先棒を担がされている。
藤掛氏のような革共同の最古参のメンバーが、“提灯持ち”同然の役回りをさせられているのをみると哀れというほかないが、もっとも哀れなのはこうした“提灯持ち”をまわりに侍らせて悦に入っている中野氏その人であろう。もはや彼に本当のことを言う人はいないのであろう。
そういうわけで本書を出版したことは、著者その人への弔鐘となっしまったのであるが、中野氏がそのことに気づくまでにはいましばらく時間がかかりそうである。 (出石 要)
『5・27裁判の勝利をめざして 労働運動弾圧・団結権侵害と闘う弁護団声明』
国労5・27臨大闘争弾圧裁判弁護団(弁護団長 佐藤昭夫) 08/8/15刊 定価500円
※前進社関西支社でも取り扱っています。
5面
日帝の戦争犯罪を告発
日本軍「慰安婦」めぐる闘い
侵略に立ちはだかるアジア人民の闘い
世界恐慌のもとでの保護主義台頭の中、日本帝国主義はアジアと世界での権益の確保に必死になっている。ソマリア沖への自衛隊派兵を強行し、今や恒常的に全世界に軍隊を派兵するに至っている。しかしその前に立ちはだかっているのが、アジア人民の存在と闘いである。
日帝が、朝鮮・中国・アジアの全域でくり広げた植民地支配と侵略戦争、その中でくり返された「三光作戦」や南京大虐殺、強制連行や強制労働、七三一部隊による「人体実験」などの蛮行=戦争犯罪を、アジア人民は決して忘れてはいない。それどころか、子々孫々にまで語り継いでいる。
日帝にとって、朝鮮・アジアを再支配するためには、戦争犯罪の居直りをアジア人民に力づくで強制し、アジア人民の怒りを叩きつぶすこと抜きにない。
日本軍「慰安婦」政策
日帝の戦争犯罪のすさまじさを現しているのが、日本軍「慰安婦」政策である。12〜13歳の少女を含めた朝鮮・中国などアジアの女性たちを、強制的に、あるいは甘言を弄して狩り集め、軍の管理と統制の下に「慰安所」を中国奥地にまで設置した。そして一日に数十人もの軍人が、毎日、そして何年間も強かんし続けた。抵抗すれば銃剣で切り裂かれ、脱走すれば殺された。
日本軍は、敗戦時に、「慰安婦」関連の資料をことごとく焼き払い証拠を隠し、女性たちを見知らぬ土地に捨ててきた。祖国に帰り着くことができなかった人々は多数にのぼり、帰国した人々も沈黙を強いられてきた。
サンフランシスコ講話条約や日韓条約の締結に際して、こうした事実は一切明らかにされることも論議されることもなかった。
日帝につき付けられた告発と糾弾
この闇に葬られてきた事実は、91年に金学順さんが名乗り出て証言したことによって明るみに出た。これを機に、韓国、中国、朝鮮民主主義人民共和国、台湾、フィリピン、インドネシア、オランダの被害女性が次々と名乗り出た。
韓国挺身隊問題対策協議会は、「真相究明・謝罪・賠償・責任者処罰・歴史教育」の5つの要求を日本政府にたたきつけ、「慰安婦」問題にとどまらず、強制連行・強制労働などの戦後補償を求める裁判が続々提訴された。
「軍の関与はない。民間業者が連れ歩いただけ」と居直っていた日本政府は追いつめられ、「道義的責任」を認めた93年河野官房長官談話でお茶を濁し、国家責任を拒否した「国民基金」を配って被害者の分断と取り込みを画策したが、多くの被害者から拒絶され破綻した。
一方、日本の裁判所の多くは、強制連行や強制労働の事実は認めながらも、「サンフランシスコ条約や日韓条約で解決済み」「時効」「国家無答責」などを理由に、原告敗訴の反動判決を下し続けた。
こうした中、闘いは国連人権委員会にも持ちこまれ、国家責任を認め謝罪と賠償を行えとの決議が次々とあがり、2000年12月に開催された「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」では、日本国家と天皇ヒロヒトに有罪判決が下され、「平和条約は慰安婦制度には適用されない」「時効は適用されない」と明確に規定した。
しかし政府もマスコミもその事実を隠し、むしろ安倍を先頭にNHKに圧力をかけ番組の改ざんまで強要した。
ここまで上り詰めた闘いにたいして、なおも居直り続ける日本政府に対し、07年にアメリカ下院、EU議会、オランダとカナダ国会、08年に韓国と台湾国会で、日本政府の公式謝罪等を求める決議があがった。
日本では08年3月に宝塚市、そして清瀬市(6月)、札幌市(11月)、さらに今年の3月25日には福岡市でも決議(注)が採択された。
注:真相究明・被害者の尊厳回復・政府の誠実な対応などを求める意見書
広がる決議運動
関西各地では、いくつもの「地域連絡会」が結成され、運動が進められている。
その中心軸が「水曜集会」の取り組みである。韓国では毎週水曜日、日本大使館前での抗議行動が取り組まれ、すでに900回近くを数えている。これに習い、関西でも各地で取り組まれてきた。毎回数十人の人びとが参加し、新たな担い手が生まれ、「地域連絡会」を組織して決議採択に向けて運動を進めている。
議会決議採択を実現するには自民や公明、民主の議員を獲得しなければ不可能である。保守系議員の獲得も含めた「多数派」になること抜きにありえない。それは簡単なことではないが、平和や民主主義の大切さ、戦争の実態を訴え、加害と被害を明らかにし、その責任を果たすことを訴えて獲得しようとしている。
こうした決議運動は決して議員にゆだねる運動ではなく、日本の労働者民衆総体を獲得しようという運動である。それは9条改憲阻止の闘いにつながる。
韓国の「慰安婦」とされたキル・ウォノクハルモニが来日され、4月に証言集会が各地で開催される。4月24日6時半から中之島中央公会堂、25日午後2時から尼崎市立中央公民館、26日午後2時から吹田市立男女共同参画センターで開催される。ハルモニの証言に耳を傾け一人でも多くの人が決議運動に加わることを呼びかけたい。 (投稿・小嶋朗)
6面
変革の力あふれる女性たち
「'09とめたいんや戦争!守るんや命! 3・8行動」に参加して
力あふれる発言に会場は聞き入った(3月8日大阪) |
大阪で開かれたこの「3月行動」は、04年3月、イラクへの戦争反対、自衛隊のイラク派兵を絶対とめようと、様々な立場の女性が共同でよびかける行動として始まり、今回で6回目になる。 今年も、それぞれの活動を紹介する18のブースが並び、会場は350人の人でいっぱいになり、内容もすばらしい行動となった。紙芝居、ピアノ演奏とスライド、寸劇など、多様な表現で、「戦争と貧困」「戦争と差別」の現実と、闘いの必要性が訴えられ、胸に響いた。
菊地さんの講演
講演は、名古屋市立大学准教授の菊地夏野さん。
「すりかえられる女性の貧困、女性に対する暴力」と題して、女性の貧困と差別の現実が、沖縄基地問題、日本軍「慰安婦」問題、非正規雇用労働者、男女共同参画と新自由主義など、多岐にわたってトータルに語られた。
女性が、戦争や経済など大きな課題に声を出していくことの必要を訴えた、とても意義のある講演だった。
5人の女性のアピール
「私たちが変える!」という闘いの現場からの5人の女性のアピールが圧巻だった。
日本軍「慰安婦」問題の解決ために講演活動を続ける学生、ストライキで派遣労働から直接雇用をかちとった自治体労働者、シングル・マザーの貧困と差別に対する怒りと闘い、民族差別への告発と連帯をよびかける在日朝鮮人3世、沖縄・辺野古に基地をつくらせない闘い。自立支援法撤廃の特別アピールも含め、自らの課題と真剣にたたかう女性たちのアピールは、すべての課題がつながっていること、真剣で粘り強い闘いが確実に展望を切り開いていることを実感できるものだった。
発言者のほとんどが20代〜30代という点に、参加者は大きな希望を持つことができた。
あらゆる課題を解決する力がある
イラクからの西谷文和さんや中東在住の高薮繁子さんのメッセージのほか、韓国挺身隊問題対策協議会の代表から連帯のビデオメッセージも届き、世界ともつながったまさに国際女性デーの行動となった。
この3月行動を「ジェンダーの学者を呼んで革命をたたきつぶす側に回った」などと、安田派は罵倒しているらしいが、こうした女性たちの行動は、革命のあらゆる課題に立ち向かい、それを解決する力があることを確信させるものだった。
(投稿・佐藤奈美)
私たちにパンと平和と仕事を
第11回 春闘討論集会 (3・3 山口)
女性労働者が軸に
3月3日、山口市内で、山口県春闘討論集会が開かれた。
今年の集会は、国際女性デーに際して、改めて女性労働者がたたかいの中軸をになうことを示すものとして行われた。司会も、講演も、リレートークも女性たちがひきうけ、参加者も半数近くが女性労働者というかつてない春闘集会となった。
ロシア革命と女性労働者
主催者あいさつでは、1917年ロシアでの国際女性デーのたたかいが紹介された。第一次世界大戦のただ中、首都ペトログラードで食料配給の改善を求めて女性労働者がたちあがった。デモは、男性労働者を含めて市内の労働者の大半が参加するまでに発展し、さらに兵士もたちあがって大規模な蜂起となり、ついには帝政を打倒した。
こうした歴史を思い起こしつつ、不安定雇用や低賃金など女性労働者へのしわ寄せを許さず、すべての労働者の生活と命を守ろうと訴えられた。
次に、「女性の権利を考える―さまざまな人間が『共に生きる』とは」と題して、山口大学の松原幸恵准教授の講演が行われた。とくに自民党が婚姻・家族における両性平等を規定した憲法24条改悪をたくらんでいることに警鐘を鳴らされた。
パート労働者
生協で働くパート労働者は、「もとは正規雇用だったが、その後パートとして働き始めて、あまりの待遇の悪さに驚愕した。仲間は怒っても、その最大の表現は突然やめることでしかなかった。みんなで要求し、待遇を改善させてきた。労組パート部会を結成して、現在パートの54%が組合に加盟している」と報告。いま「派遣切り」が相次ぐ中で、実際に困っている人に手をさしのべるという労働組合の役割がますます大切になっていることを、行政と交渉して「派遣切り」にあった労働者に住宅を斡旋させた山口での例をあげながら強調された。
公立病院の労働者
公立病院の労働者は、過重労働のため24歳の看護師がストレッチャー(患者搬送用ベッド)で仮眠中に亡くなったことを告発。過酷な労働条件のため看護師資格を持つ人200万人のうち60万人が働いていない。公立病院改革プラン策定義務づけは現状を一層悪くすると弾劾した。自治体病院の役割である地域住民の健康と命を守るためにも、安心して働くことのできる職場を作らなければならないと決意を述べた。
保育士
岩国市職組保育部会の労働者は、1人の保育士が乳児3人、3歳児担当は1人で20人に対応しなければならない現状を訴えた。保育士不足のため年休はほとんど未消化、正規雇用が減り非正規雇用形態がふえた。責任ある仕事は正規雇用労働者に集中し、連動して非正規雇用労働者の負担も増えている。将来を担う地域の宝、子どもたちの幸せのために、質の高い保育を目指して、組合の力でたたかおうと結んだ。
最後に男女平等社会の実現で生活と権利を守る、戦争への道をとめる、上関原発絶対反対を誓った。(堀川武)
水平社博物館(奈良県)を訪ねて
奈良県御所市柏原。この地で生まれた阪本清一郎、西光万吉、駒井喜作らの青年が中心となって、1922年、全国水平社は結成された。
水平社博物館では、この全国水平社の資料を展示し、水平運動の歴史がビジュアルに理解できるように工夫されている。
@水平社創立前史、A1922年3月3日、全国水平社創立大会の様子を再現した3次元ビューシアター、B全国水平運動の展開、C全国水平社を支えた人びと、Dこれらを解説したビデオコーナー、のセクションに分かれている。
伝わる熱気
ビユーシアターでは、当時の熱気が伝わってくる。創立宣言には、思想的高みと人間的怒り、部落解放へのエネルギーが凝縮されている。
「・・・ケモノの皮剥ぐ報酬として、生々しき人間の皮を剥ぎ取られ、ケモノの心臓を裂く代価として、暖かい人間の心臓を引裂かれ、そこへ下らない嘲笑の唾まで吐きかけられた呪われの夜の悪夢のうちにも、なほ誇り得る人間の血は、涸れずにあった。・・・」
ビデオコーナーでは、@前近代の岩崎村(柏原)、A水平社ができるまで、B水平社の創立、C全国水平社の生活権要求闘争について、わかりやすく解説している。そのうえでもう一つ、水平社の差別糾弾闘争について是非とも加えてほしいと思う。
水平社の創立メンバーは、よく学習し、よく闘っている。当時の最先端の革命思想を積極的にうけいれ、吸収した。革命運動との結びつきを求めつつ、なおかつ柔軟な思想をもっていた。むしろ、その限界は革命運動の側にあったのではないか。少なくとも、水平社活動家は部落解放運動と革命運動を常に一体的に考えていた。
糾弾の意味
今日、「糾弾」は、この漢字が使われているが、水平社創立時は「糺弾」と書いたという。闘いの中で作られた言葉だ。
阪本清一郎は、「糺(注)というのは建築のときに使うもので、正しいか正しくないか標準をひき、はかって確かめる道具ですね。弾は弾丸とか弾劾とかいう音響によって感じをだしているが、どんな字引をひいても、琴を弾くとか三味線を弾くとかいうことで、はじくという字とは違うんです。これを我々も考えたんですが、糺をひいて『間違った曲がりをただす』という意味です。糸の下におもりを付けてひっぱって、まっすぐにする。柱が曲がっているかどうか調べるときにも使いますね。」と語っている。
水平運動の歴史を学ぼう
水平社博物館までの道を案内しておこう。
JR大阪駅から関西本線に乗り、王寺駅で和歌山線(五条行き)に乗り換える。玉手駅をすぎるころ、奈良盆地の眺望をさえぎるように、左手前に独立した丘陵(本馬山)が見えてくる。この山の南麓が柏原だ。掖上駅で下車し、駅前の道を北に向かって歩いていく(1・2km)。東(飛鳥)から西にのびる青垣の山々が曽我川によって断ち切られ、前方に独立しているのが本馬山(143m)だ。本馬山のふもとに西光寺がある。ここで西光万吉はうまれた。水平社博物館は、西光寺の前に建っている。
かつての世界恐慌から、日本が侵略戦争に突き進んでいく中で、どうして全国水平社が解消されてしまったのかを含めて、水平運動の歴史を学ぶ事は重要だ。部落解放運動のために、水平社博物館を活用しよう。(高川卓)
水平社博物館
奈良県御所市柏原235―2 TEL0745(62)5588
注:糺(きゅう)とは、さげぶり(糺)のこと。重りをつるして垂直かどうか、曲がりがないかどうかを確かめる建築道具。「糺弾」には、「曲がりを糺す」「間違いを糺す」という意味が込められている。(「水平社博物館ワークシート」より)