未来・第29号


                           未来第29号目次(2009年3月17日発行)
 1面  3・29 決戦の三里塚へ
      裁判長が証拠調べ打ち切りの暴挙(天神峰現闘本部裁判)
      ソマリア沖派兵反対―3・14呉現地で抗議行動

 2面  「希望が見えてきた」―2/28〜3/1派遣切り相談村
     イラク開戦6周年弾劾!全世界と連帯してオバマの戦争を止めよう

 3面  「君が代」不起立で大量不当処分―門真市(大阪)
     加古川郵便局 不当労働行為事件
     大阪府立学校非常勤補助員 346人全員を解雇
     七生養護学校事件で画期的な判決

 4面  革共同再生の展望と安田派の転落―3・14決起3周年にあたって
      当面の闘いのスローガン

 5面  世界の経済成長が戦後初のマイナス
     全国で争議支援と生活再建の闘い

 6面  部落解放同盟全国連合会のよびかけにこたえ3・30狭山要請行動へ
     竹内實同志を追悼する
     『語り継ぐ労働運動史 国鉄闘争ー過去・現在・未来ー』を読んで
     郵政ユニオンが19日にスト予定

 

3・29 決戦の三里塚へ

三里塚闘争が決戦をむかえている。暫定滑走路・北延伸の来春開業が狙われ、空港敷地内でたたかう市東孝雄さんからの農地強奪が切迫している。
3・29三里塚闘争へ全国から集まろう。

農地強奪裁判

2月3日、市東さんの農地を強奪するための「明け渡し」裁判が始まった。
この裁判は、土地収用法における「収用裁決審理」に等しいものだ。本来、農民と農地を守るはずの農地法によって、農地を強奪しようとするという無法・違法だ。

生活・環境の破壊

暫定滑走路によって、すでに天神峰・東峰地区住民の生活と環境はズタズタに引き裂かれている。さらに北延伸工事・新誘導路建設によって破壊が進められる。
このうえに、政府・空港会社NAAは成田空港の年間発着回数を30万回(現在の1・5倍)に増やし、空港を24時間運用にしようとしている。これをもって、空港用地・周辺地域から住民を追い出し、農村地域を壊滅しようと狙っている。

農地法の大改悪

2月24日、農地法の大改悪案が閣議決定され、国会に提出された。これは、市東さんの農地の強奪と軌を一にした攻撃だ。
農地法は「耕すものに権利あり」(第一条)を基本とする法律だ。これを、「農地はこれを有効利用する者に権利の取得を促す」という内容に書き換えるという。
その狙いは、農民から農地を取り上げ、大企業の農業参入と集約農業化を進めて、輸入作物とわたり合える特定農作物だけに農業を特化することだ。それは、食糧自給率をさらに低下させ、現在の300万農家を40万に激減させる農業切り捨て策と一体で、日本の農業と農村を崩壊させるものだ。
市東さんの農地を守る闘いは、日本農業総体を、その破壊と崩壊から守り抜く闘いだ。農民、労働者、消費者、地域住民が一体となって闘おう。

米軍再編と成田

米軍再編のもとで、岩国、沖縄をはじめとする全国の基地の強化・拡大、米軍と自衛隊の一体化が進んでいる。また、「対テロ」訓練を繰り返し、国民保護法に基づく法整備やPAC3の配備などが推進されている。
これと軌を一にして、成田空港・関西空港など空港・港湾の拡張や機能強化が進められている。成田空港は、朝鮮侵略戦争計画「5055」の最重要前線・兵站拠点だ。成田空港・平行滑走路や関西空港・二期工事が、経済的に不必要と言われながらも進められる理由はここにある。
全国の反戦・反基地・反差別の闘いとの広範な結合を実現しよう。

裁判長が証拠調べ打ち切りの暴挙

3月12日、千葉地裁で行われた天神峰現闘本部裁判で、仲戸川裁判長は、@反対同盟側が出している裁判官忌避の即時抗告と、反対同盟側の出廷拒否を無視して開廷したうえ、A決まっていた証拠・証人調べを打ち切り、裁判を結審させるという訴訟指揮を行った。
農地強奪を狙う権力とNAAの意を呈した裁判長の暴挙だ。

戦争と暴虐を迎え撃つ三里塚

三里塚・沖縄・岩国・関西を結ぶ3・15講演とパネル(大阪)

3・15集会での萩原進さんの訴え

【速報】「米軍再編と闘う―三里塚・沖縄・岩国・関西を結ぶ講演とパネルの集い」が3月15日、三里塚決戦勝利関西実行委員会・三里塚芝山連合反対同盟の主催により大阪市内で開かれ185人が参加した。市東孝雄さんの農地強奪が画策され、12日には天神峰裁判をめぐる前代未聞の暴虐な訴訟指揮がおこなわれた。この暴挙に対し、ただちに反撃にたちむかう集まりとなった。萩原進・反対同盟事務局次長の発言(一部)を以下に掲載する。(文責・編集委員会。集会詳報は次号)

昨秋から今日にいたる、支配階級のぶざまな崩壊。農民はもとより、労働者・民衆への搾取、収奪、暴力的な攻撃がはびこり、戦争をおこなう国に向かおうとしている。それを、われわれは迎え撃つ。
このためにこそ三里塚は闘いぬいてきた。3・29現地闘争はそういう闘いとなる。
平行滑走路の北延伸攻撃は、そういう状況下で始まっている。しかし、北に延伸したのは、われわれが、南側の土地、民家、一坪共有地、開拓道路を守り抜いたからだ。40年かかっても政府は奪えなかった。
いま農地法の改悪が狙われ、資本が農地を取り上げようとしている。農業、食、暮らしの存亡を決する攻撃でもあり、改憲そのものだ。われわれ三里塚農民だけではない、みんなが闘わなければ生きていけない。そういう時代が来た。食をつくる農民と、食べる側の労働者・住民が、その力を合わせて敵に叩きつけよう。
三里塚、沖縄、岩国の火(たたかいの炎)をつなげ、広げよう。空港絶対反対、一切の話し合い拒否、実力闘争も辞さない。3・29現地闘争はその新たなスタートとなる。みなさん、結集して下さい。

ソマリア沖派兵反対―3・14呉現地で抗議行動

闘う仲間約100人が自衛隊のソマリア沖派兵に抗議行動(14日呉)
反戦自衛官の小多さんらが防衛省に申し入れ(7日東京)

14日早朝、海自呉基地の潜水艦桟橋前にわれわれは布陣した。麻生首相・浜田防衛相が参加した式典が正午頃から行なわれた。報道でも隊員・家族の不安と動揺がわかる。ここに向かって、アピールとシュプレコールを繰り返した。強風の中、5隻のボートで海上デモも行なわれた。前日には、被爆者の方たち約60人が、広島の平和記念資料館前で抗議の座り込みを行った。

「死体安置所」を設置

出航した護衛艦「さざなみ」「さみだれ」には、死体安置所が設置されている。「海賊」を殺害し、自衛隊員も犠牲になると想定しいるのだ。これは侵略戦争だ。

「海賊対処法案」ゆるすな

集団的自衛権の行使と海外での武力行使に踏み切り、しかも海外派兵を恒久化する「海賊対処法案」の成立をゆるしてはならない。

2面

「希望が見えてきた」―2/28〜3/1派遣切り相談村

2月28日、3月1日の2日間、派遣法改正連絡会(派遣法ネットワーク・ガテン系連帯・全日建・全国ユニオン)が、札幌から福岡の13カ所で、派遣切りホットラインを開設した。計444件の相談が寄せられた。〔5面に関連記事〕

大阪でも派遣切り相談村

2月26日昼のニュース放送後、相談の電話が殺到(派遣切り相談村・大阪)

5回線の電話が鳴りっぱなしだ。「クボタ」堺工場の派遣労働者から電話が入る。「(2年前に偽装請負から派遣工にされた)90人が、3月末で派遣契約を解除すると通告された。家族もいるのに、これから先どうしたらいいのか」と、思いつめた様子で語る。

相談と炊き出し

2月28日と3月1日の両日、全日建連帯労組関西生コン支部が中心になって「派遣切り相談村・関西」が取り組まれ、労働生活相談と炊き出しをおこなった。私たち関西合同労組も相談員として加わった。電話と直接来訪合わせて相談が151件あった。
相談は、その大半が3月末で契約解除を通告された派遣や期間工の労働者からだった。09年問題をひかえ、首切りは昨年末の比ではないと感じた。生活保護の相談も多かった。

寮から追いだされ

直接来訪したAさんは、滋賀県の自動車部品工場で派遣工として働いていたが、寮から追い出され、大阪市内のネットカフェで寝泊まりしているという。
話しているうちにAさんが、阪神大震災まで神戸市長田区のケミカルシューズ工場で働いていたことがわかり、共通の話でうちとけていく。Aさんは話をしたことで、ちょっと気が楽になったと言った。私は震災のときの相談を思い出した。あのときと一緒だ。
Aさんには、住居の確保と雇用保険の手続きをアドバイスし、困ったことがあったら組合に電話をして下さいと伝えた。Aさんは「希望が見えてきた」と言って帰っていった。
「派遣切り」をされた人には、「他の人と相談して会社に雇い止めをやめろと交渉しませんか。ユニオンが力になりますよ」と呼びかけた。

組織の壁を越えて

今回の「派遣切り相談村・関西」は、関西生コン支部、管理職ユニオン関西、港合同、関西合同労組などが、力を合わせて取り組んだ。具体的な問題に、組織の壁をこえて関西の労働組合が、共闘した意義は大きいと思う。これから、さらに深刻化する大量首切り・大失業に全力で対応していこう。(投稿・関西合同労組K)

イラク開戦6周年弾劾
オバマの戦争を止めよう
イラク・アフガン・パレスチナ−全世界と連帯して

「イラク新戦略」を発表

オバマは、2月27日の演説で、「イラク新戦略」を発表した。その骨子は以下のようなものだ。
―イラクの治安情勢は改善した。治安の改善によって、イラクの指導者は政治的調整に歩を進めてきた。しかし、イラクはまだ安全ではない。
よって「イラクでの戦争を終わらせる新戦略」は、@戦闘部隊の撤収。「戦闘部隊」は、2010年8月31日までに撤収する。イラク政府とその治安部隊の支援に重点を移す。そのために3万5千人から5万人の米兵力を維持する。イラク政府との地位協定により、2011年末までにすべての米軍を撤収する。
A平和と繁栄のための外交。B地域における包括的な関与―。
侵略と占領の継続

「イラク新戦略」は、侵略戦争と軍事占領の継続にほかならない。
「反戦イラク帰還兵の会(IVAW)」と「イラク・レジスタンス」が、「イラク新戦略」を批判する声明を直ちに発した。その要旨は左(別掲)のようなものだ。

対アフガン戦略の見直し

オバマは、対アフガニスタンの戦略見直しも進めている。3月31日にオランダで、対アフガニスタン戦略を協議する閣僚級会合を開催し、新戦略を明らかにするとしている。
「見直し」の詳細は未公表だが―
・これまではカルザイ政権を守るために、首都カブールの防衛で手一杯だったが、・これからはインフラ整備でカブールの安定化を図るとともに、
・タリバンのせん滅に戦略目標を切り替える―という内容のようである。
10万人規模へ増派

戦略見直しの一環として、オバマは、2月17日、アフガニスタンへの約1万7千人の増派を命令した。
さらに今年後半までに3万人を増派し、現在駐留する米軍3万4千人、国際治安支援部隊(ISAF)3万人と合わせて10万人規模にしようとしている。
しかし、イギリス、ドイツ、フランスなどは、増派を渋っている。

カイバル峠:パキスタンとアフガニスタンは、4〜5千m級の峻峰で隔たれ、標高約千mのカイバル峠がほとんど唯一の通路。チンギス・ハンもアレキサンダーも通過した交通の要衝。

「オバマもベトナム」

「紛争の上っ面さえなぞれていない。これはベトナム戦争の始まりに相当する」(モーリー英陸軍特殊部隊・元司令官〔英紙『デーリー・テレグラフ』3月7日付〕)
タリバン、全土の72%を支配

「ICOS」(国際シンクタンク)が、昨年12月、アフガニスタンの戦局分析を発表している。
―タリバンは、アフガニスタン南部を本拠地とし、西部や北西部の地域に勢力網を拡大し、アフガニスタン全土の72%を支配している。
タリバンは、首都カブール北部にまで迫っており、首都にも脅威が増しつつある。カブールにつながる幹線道路の多くが、タリバンによる攻撃にさらされている。米・NATO軍の掃討作戦にもかかわらず、タリバンが勢力を増しているのは、米欧の戦略よりも、タリバンの政治・軍事・経済戦略の方が成功しているからだ。―

補給寸断の危機
2月3日、タリバンとアフガニスタン人民が、要衝・カイバル峠(左上写真)の陸橋を爆破、4日にはアフガニスタンからパキスタンに向かうトラック10台を炎上させた。
08年に、燃やされたトラックは100台以上にのぼるという。
米・NATO軍への補給の約75%が、パキスタンのカラチ港から、陸路でカイバル峠を経由している。タリバンとアフガニスタン人民は、ここを効果的に攻撃した。
他方、2月3日、アフガニスタンの近隣国であるキルギス共和国のバキエフ大統領が、米・NATO軍への補給に使用されている同国内のマナス米空軍基地を閉鎖すると発表した。(その決定の前にロシアがキルギスへの大型援助計画を発表している。)
米・NATO軍は、補給が寸断される深刻な危機に陥っている。

カルザイが大統領選の4月実施を発表
オバマは、戦略見直しの一環として、傀儡として利用してきたカルザイを切ろうとしている(米紙『ニューヨーク・タイムズ』2月8日付)。カルザイにたいする怒りが高まっており、カルザイと心中することになりかねないという危機感からだ。
しかし、これにカルザイが反発し、いったんは、アメリカの指図で8月に実施すると発表した大統領選を、憲法の規定通り5月21日以前に行うとの大統領令を出した。危機はさらに激化した。
かつて、大英帝国を敗退させ、ソ連を崩壊に追い込んだアフガニスタン人民。オバマとアメリカ帝国主義によるアフガニスタン侵略はますます泥沼化している。アフガニスタンは「オバマのベトナム」になっていくだろう。
イラク人民・アフガニスタン人民・パレスチナ人民と連帯して、6周年弾劾闘争へ立ちあがろう。

3面

「君が代」不起立で大量不当処分―門真市(大阪)

大阪府下で卒業式が始まる直前の2月20日、大阪府門真市教委は、08年3月の同市第三中学校卒業式での不起立を理由に、教員1人に文書訓告、他の担任団7人(不起立者の全員)に口頭厳重注意の不当処分を出した。校長にも訓告処分が出されている。
「日の丸・君が代」問題では、2000年の東京・国立第二小処分に次ぐ大量処分であり、東京・広島型の強制攻撃への大きな踏み込みだ。

門真市教委に抗議の申し入れ(3月3日)

デタラメな処分

門真三中をめぐっては、昨春、一人を除く全卒業生が「君が代」斉唱時に着席したことが産経新聞と週刊新潮でとりあげられて以来、三中への偏向教育キャンペーンが続いてきた。
教職員に対して、卒業式直後から事情聴取の攻撃がかけられ、担任団全体に4回、これに抗議して拒否を表明した教員には、府教委からの呼び出しを含め、昨秋まで実に8回もかけられてきた。
門真市教委の訓告書によれば、教員への処分の理由は、「校長が所属教職員に対し、学習指導要領に則り起立して国歌を斉唱するという指導を受けていたにも関わらず、これに反して国歌斉唱時に着席した」(文法上の誤りは原文のまま)ことが「不適切である」というものだ。
さらに、訓告とされた教員の場合は、事情聴取の職務命令を拒否したことが理由に追加されている。
この処分は、「君が代」不起立だけで処分するという、大阪府下では初めての攻撃であり、絶対に許すことができない。 さらに、処分理由の核心部分は、校長が主語となっていて意味不明というしろものだ。3日の交渉の場で、市教委は府教委からの「通知」にもとづいて一言一句そのまま処分を下ろしたと答えた。主体性と責任のなさはあきれるほかない。「こんなデタラメな処分は直ちに撤回しろ」と徹底的に追及した。
闘う教育労働者と支援者たちは、処分までの約一年間に市教委抗議行動と交渉を3回、府教委への交渉と2種類の署名の提出行動を6回取り組み、合計2343筆もの署名を提出した。
さる2月1日には、480人を集めて改憲阻止・「日の丸・君が代」反対集会を、天皇制右翼の街宣車デモと対決して勝ちとった。
今回の処分は、こうした攻防を経てのものだ。

処分理由では指導内容に触れられず

その最大の攻防点は、偏向教育キャンペーンによる平和教育、解放教育つぶしの攻撃との闘いであり、卒業生たち一人ひとりの意思と人格の尊厳を踏みにじらせないことにあった。実際に、市教委は卒業生たちへの呼び出し調査まで検討していたのだ。中学生がそれぞれの意思で大量に不起立などするはずがないと決め込み、執拗な事情聴取がくり返されてきた。市教委が「すべて府教委の言うとおりにしただけ」と言ってきたとおり、府教委が指示していたのだ。
大阪では、まだまだ多数の教職員が不起立をつらぬいているなかで、門真三中だけに不当な処分を加えたのは、大量不起立へのみせしめをねらった処分以外のなにものでもない。しかし、同校の教職員の団結した闘いと支援の取り組みにより、処分理由では、正面切って指導内容に触れることができなかった。絶対に許せぬ不当処分であるが、これは重大な勝利でもあるといえる。

今春卒・入学式闘争を守りぬこう

大阪では、すでに昨年4月の入学式から門真の2校に職務命令が出され、他市でも門真三中を問題にした教育長通知(3・31付)による締め付けが行われてきた。
先月下旬から始まった府立学校卒業式や、今月の義務制での卒業式に向けて、一進一退の現場での攻防が闘われている。3月5日からこの処分が一斉に報じられ、小中学校の卒業式をめぐる決戦局面に入った。
すべての教育労働者は、不起立闘争を軸にした広範な抵抗闘争を組織していこう。

<抗議先>

門真市教育委員会
 〒571-0055 大阪府門真市中町1-30
 電話:06-6900-1818(代) FAX:06-6900-2323
 教育長 下浦 克明 宛
大阪府教育委員会
 〒540-8571 大阪市中央区大手前2 府庁別館
 電話:06-6941-0351(代)

加古川郵便局 不当労働行為事件
不当労働行為浮かび上がる

第一回審問

2月12日午後、兵庫県労働委員会で、加古川郵便局事案の第一回審問が開かれた。
今回は、申立人側証人として、分会書記長、前安全衛生委員のA分会員、副分会長の主尋問が行われた。代理人、補佐人、傍聴者約30人が集まった。
分会書記長は、分会正窓口交渉員という、会社側と組合側の意思疎通を図る最前線にいる。分会書記長の証言は以下のようだった。
「組合がワンフロアー化反対を打ち出すと、会社から分会ニュース『躍動』への干渉が始まった。内容の変更、掲示の不許可、ニュースの撤去、職場配布分の回収、郵送した分の回収まで要求された。支店長批判を続けるなら組合掲示板も組合事務所も取り上げると通告を受けた。『民間だから意識を変えろ』と言われて屈すれば、組合はものを言えなくなり、あのJR尼崎事故のようになる。」
次に、A分会員の証言だ。「職場が著しく狭くなったと梅澤支店長に訴えたところ、支店長の挑発のもとで戒告処分を受けた。身に覚えのない不当処分だ」と、述べた。
最後に副分会長の証言だ。同じ班の支部役員が07年の大晦日に追加1時間の超勤を受けなかったところ、超勤拒否をでっち上げられて処分が出たことについて証言した。

第二回審問

2月24日午後、第二回審問が行われた。35人が集まった。
東京から全逓4・28連絡会の神矢さんが駆けつけてくれた。神矢さんは1978年越年闘争で免職処分を受け闘争と裁判で職場復帰を勝ち取った方だ。
この日は、江渡申立人と、梅澤支店長の主尋問。江渡証言が具体的事実に即して、不当労働行為の実態を暴露するものであったのとは対照的に、梅澤は「労組との対立はない」と嘘や言い訳に終始していた。
江渡さんの証言。「当たり前の労働運動を加古川分会で行っていく上で基礎となる『躍動』は、分会要求案を掲載、職場に配布、昼休み職場集会を行って、意見を集約していく分会活動の要。公序良俗に反しない限り掲示板や組合事務所の便宜供与の中止を通告される理由はない。
ワンフロアー化について、加古川局で働く全ての郵便労働者にアンケートを行い、92%の反対の声が寄せられた。支店から『躍動』に対して『支店長を誹謗中傷している。個人攻撃、社員を扇動するもの』とクレームがついたが、アンケートに寄せられた意見を掲載しただけだ。会社施策に反対する組合員の意見を集約して組合が反対するのは労組として当然のあり方だ。脅迫や処分に屈しては労働組合としての役割が果たせない。」
次回は、23日(月)午後1時半から。江渡さんへの反対尋問だ。傍聴しよう。

府立学校非常勤補助員 346人全員を解雇 大阪

一方的な解雇通告

昨年11月14日「教務事務補助員制度等非常勤補助員制度廃止についてのお知らせ」が大阪府教育委員会事務局・教職員人事課長名で発出され、当該職員に文書配布された。3月で制度そのものがなくなるという、有無を言わせない一方的な「解雇通告」だ。

学校運営に支障

非常勤の補助員制度は、もともとすべて正規雇用であった一般実習助手職員を、経費削減のため非正規雇用の補助員にかえたものだ。賃金の基準は不明瞭、夏休みなどに解雇され、年間105万円ほどにしかならない。予算項目は「物件費」で消耗品扱いだ。
補助員という名前だが教務事務は印刷全般から入試の準備、職員会議の資料作り、自習の課題の用意、その他図書担当、理科担当、家庭科担当などがある。非常勤補助員なしでは運営できない。「生徒を支えたい」「教育の一端を担いたい」という思いで、 長い人は20年30年続けている。 夏休みなどは無給でも生物のエサやり、水やりに学校へ行く理科担当補助員もいる。

図書館をあけられない

346人の非常勤補助員の解雇によって、教育現場はまわらなくなる。そこで府教委は、人員穴埋めをすると称して、図書館専任司書の廃止を通知してきた。(2月5日)
図書館専任司書を非常勤補助員解雇で穴があいた職場にまわすというのだ。その結果、専任司書が不在となり、図書館を休み時間に開けることができない学校もでてくる。

当該労働者の闘い

当該労働者は、街頭宣伝・署名活動、教育長や知事宛要請書提出、府庁前座り込みなど様々な闘いを続けている。昨年7月15日には大阪教育合同労働組合のストライキも打ち抜かれた。こうした闘いに押されて1月13日には、大阪労働局が府教委の指導に入った。
しかし府教委は「雇用ではなく任用であり、雇い止めや解雇にあたらない」「知事の決定行為だから変更しない」としている。
一人の首切りも許してはならない。

七生養護学校事件で画期的な判決

東京都立七生養護学校の元教職員と保護者ら31人が、都教委と都議に対して慰謝料を請求した裁判で、東京地裁は3月12日、都と土屋(民主)・田代(自民)・古賀(同)の3都議に、計210万円の支払いを命じる判決を言い渡した。
この事件は、03年7月に、同校の性教育に対し3都議が「不適切」として介入し、また都教委が教員を厳重注意するなどした事件だ。
判決は、「(3都議の行為は)政治家である3都議がその政治的な主義・信条に基づき、学校教育に介入・干渉するものであり、・・・『不当な支配』に当たる」とした。石原都政の下で進んだ教育反動を、運動の力で押し返した勝利だ。

4面

−3・14決起 3周年にあたって−
革共同再生の展望と安田派の転落 塩川三十二

 

革共同の再生をめざして

06年3・14決起は、党組織を私物化し、財政的腐敗を深めていた政治局員・関西地方委員会議長(当時)与田を打倒するために、150人をこえる労働者党員が、自らの革命家としての人生をかけて決起した、国際共産主義運動の歴史の中でも画期的な「蜂起」であった。
これは革共同をプロレタリア革命の党として再生するために必要、不可欠なたたかいであった。与田の腐敗と歪みは、党とその事業を私的な収奪機構と化す財政的腐敗にあらわれていた。3・14決起は、与田の私党的な党内支配に対する労働者党員の根底的な怒りの爆発であった。与田は自分の息のかかったものだけを集めて「指導機関」をでっち上げ、与田に反対する同志に「分派」のレッテルを貼って、暴力的に排除・追放し、息の詰まるような党内抑圧体制をつくりあげていた。その一方で、「与田の側近」を自称する人物が10年間にわたって公安調査庁のスパイとして、詳細な組織情報を権力に売りわたし続けていたことが摘発されるや、与田は、その事実を党員に対して隠蔽しながら、密かにそのスパイ分子を逃亡させていたのである。
このような与田の腐敗と権力への屈服を容認し、与田の力に依拠して党内を支配してきたのが現在「革共同中央」を自称する安田・清水らであった。革共同を私党グループの連合体のようなものに変質させてきた責任者こそ安田・清水である。

3年間の闘いの前進
06年3月14日以来、とくに07年11月の関西地方委員会党員総会をかちとって以降、われわれ革共同再建協議会は、安田派中央にたいする新たな党内闘争を断固として推進してきた。
この3年間の闘いはまさに、革命的共産主義運動の歴史と組織的運動的到達点を解体し、その清算をはかる安田派との激突であった。われわれはこの激闘の過程で、機関紙『革共同通信』(現『未来』)と理論機関誌『展望』を発刊して、さし迫る改憲阻止決戦にむけて革共同の真紅の旗を守りぬいた。そして、洞爺湖G8サミット粉砕闘争に決起し、教育労働者の「日の丸・君が代」強制反対闘争の前進を切り開き、三里塚「北延伸」攻撃粉砕の闘いや、「派遣切り」=大リストラ攻撃との闘いをとおして、すべての労働者階級・人民とともに、新たな革命的共産主義の党を建設することを宣言したのである。

安田派の3年間の惨状
こうしたわれわれの前進の対極で、安田派はその路線的思想的空洞化と反動化をとめどなく進行させてきた。ついに彼らは「革共同の2009年3・14アピール」(『前進』2381号天田三紀夫署名)において「06年3・14決起」について一言半句も言及することができなくなってしまった。そもそも安田・清水らは、「3・14決起」によって彼らが与田の腐敗を容認し擁護していたことを暴露されたことに大打撃を受けていた。そして「3・14決起」が自らののど元に突きつけられた刃であることを直感して、震え上がっていたのである。いまの安田派にとっては、「3・14決起」という歴史的事実そのものが抹殺すべき対象となっている。
さらにこの「3・14アピール」では、カクマルに虐殺された故本多書記長が遺した業績をどのように継承していくのか、そしてわれわれの眼前で今も存在しているカクマル反革命をどう批判し、いかにして打倒していくのかという肝心要の問題について、展開しようという意欲すらなくしてしまっている。そして、革共同第二次分裂(1959年)いらいの革共同全国委員会の50年史を総括して、いかなる党をめざしていくのかについて触れることすらしていないのである。これが、「動労千葉特化路線」に明け暮れた安田派の3年間の惨状である。

再建協議会はいかなる党をめざすのか

再建されるべき革共同はどのような党組織であるべきだろうか。
その問題に入るときに、われわれ自身を含めた革命的左翼の多くの部分が、「はじめに党ありき」というスターリン主義的な組織観から根底的に脱却することができずに、階級との生きた交通を失い、党員の自発性、積極性をすりつぶす党へと変質していたことを率直に認めなければならない。このような党に未来はない。
もちろんプロレタリア革命をめざす党である以上、それは単なるネットワークやサークルの集合体とは本質的に異なる厳格な組織規律と戦闘集団としての強力な貫徹力をもたなければならない。しかし、カクマルのように党を「未来社会の萌芽形態」としたり、かつてのブントのように「党とは戦略・戦術である」としたような、「党の自己目的化」を生み出す思考と断固として決別し、「党の手段性」と「党の自己止揚」の論理に徹底的にふまえて建設されなければならない。プロレタリア独裁の国家が「初めから死滅しつつある国家」として建設される以上、党は場所的に止揚されていくものでなければならないのである。党が自己目的化されるときにその腐敗がはじまるのだ。

われわれがめざす党は
その意味で、わが再建協議会がめざす革命党は、つぎのような性格をもたなければならないであろう。
(1)党の路線・方針と個々の活動が、たえず階級によって検証され、労働者人民とともに学ぶことができること
(2)党員どうしの、および中央と細胞の同格性をしっかりと確認し、党内においてこそ厳格にプロレタリア民主主義を実践すること
(3)つまるところ革命的労働者党とは、自立した共産主義者の団結体としての党ということである。党は階級の前衛をそのもとに組織して、階級闘争における指導性を発揮していかなければならないが、同時に党は労働者階級によって統制されなければならないということを積極的に承認することが重要なのである。そのためには個々の党員(共産主義者)は「党とは手段であり、それは止揚されるべきものである」という強固な意識性を貫かなければならない。
以上の3点を組織的に実現することをとおして、党は自らを「規律ある戦闘集団」として組織することができるのである。

階級闘争の反動的阻害物に転落した安田派

「党は階級そのものである」、これが安田派の組織論の基調である。これこそは解党主義の極みであるとともに、党の自己絶対化を生み出す最悪の組織論である。彼らは『前進』2340号(08年4月21日付)に掲載された「経営局アピール」で、「労働組合・党・ソヴィエトの一体的推進」が「プロレタリア独裁の場所的実現」であると書いている。安田派にとっては「党=労働組合=ソヴィエト」であることからすると、ここで言っていることは「党がプロレタリア独裁の場所的実現(=プロ独の機関)である」ということに他ならない。 かのスターリンでさえここまで露骨に言ったことがないような「党独裁」の論理を自らの機関紙上で開陳して平然としているのである。安田派の変質はここに極まったと言わなければならない。

安田派とカクマルの同質化

安田派が革共同の名を騙(かた)って、階級闘争の妨害物へと転落の度を早めていることは衆目の一致するところであるが、いまひとつ注目すべき事態は、安田派はカクマルを批判しないし、カクマルも安田派を批判しないという構図が生じていることである。これは安田派とカクマルの同質化がすすんでいるということだろうか? それを解く鍵が『前進』2379号に掲載された大原武史論文(「動労千葉結成30周年にあたって」)である。
全体を通して浮ついた調子で論理的整合性がなく、説得力にも乏しいこの論文は、改憲阻止闘争や反戦・反基地闘争への言及がまるでない。何より「派遣切り」と真剣に闘う人々に対して「救済主義」と罵倒する腐敗した感性に満ちている一方で、いっさいを体制内派批判に絞り込むという安田派独特の「社会ファシズム」論的純化が典型的に表れているところに特徴がある。個々の論点に即して見てみよう。
第一に、「(最末期の帝国主義が)体制的延命をかけて戦争への道を突き進んでいる」と言っておきながら、帝国主義が現にイラクやアフガニスタンにたいする侵略戦争を継続し、植民地化を進行させていることを完全に無視している。
大原にとっては帝国主義の侵略戦争や民族解放闘争にたいする絶滅戦は戦争ではないのであろうか? この論文の中では、実践的な反戦闘争の方針をいっさい提起していないところを見ると、大原にとっては米帝がイラクやアフガニスタンで日常的におこなっている住民に対する虐殺行為は、とりたてて「反対する必要のないもの」ということなのだ。
第二に、「党と労働組合の不可分一体性」を強調することで、革命的共産主義運動を「動労千葉の闘い」に解消していることである。
それは「動労千葉30年」を美化するあまり、70年安保・沖縄闘争の地平を継承するのは唯一、動労千葉だけであるかのように描きあげ、70年代の二重対峙・対カクマル戦争や80年代の三里塚二期決戦・革命的武装闘争を完全に蒸発させてしまっているのである。85年11月29日、動労千葉ストライキに呼応して革命的労働者・学生部隊は浅草橋駅を炎上させる戦闘に決起し、同時に革命軍は国電を寸断するゲリラ戦闘に決起したのである。
大原は、わが同志たちによる命がけの決起のことを忘れてしまったのだろうか。それとも、まるで「臭いものにフタ」でもするようにこうした闘いに沈黙を決め込む不真面目な態度が階級闘争の中で通用するとでも思っているのであろうか。 第三に、戦後憲法にたいして憎悪を剥き出しにするファシスト的感性である。
「平和憲法」「民主的憲法」こそ、「労働者階級を体制内化する」元凶と主張する大原は、反米右翼といったいどこが違うのだろうか。さらに極めつけが「国家・議会・法を、越えられない『壁』として労働者階級に強制する『護憲派』をはじめとする体制内勢力」というくだりである。ブルジョア国家の本質が階級の抑圧機関であり、その権力実体が「警察・軍隊・監獄」であるというマルクス主義の国家論を大原はいとも簡単に投げ捨ててしまった。大原にあっては、いまや国家権力の実体は「護憲派」=「体制内派」なのであり、「護憲派」=「体制内派」を打倒すれば「革命成功」というわけである。
こうした「体制内派との党派闘争」を階級闘争上の最大の課題としておしだす「社会ファシズム」論の純化、これが第四の問題である。
「派遣村」を「救済主義」と罵倒し、「4者4団体」や「護憲勢力」こそ「資本主義の最後の救済者」と規定して、主要打撃を振り向けよとわめく。いったい、こんな安田派と「体制内派」のどちらが「ファシズムと戦争への道を準備している」のかは、一目瞭然ではないだろうか。30年代ドイツの教訓をまつまでもなく、安田派こそ「ファシズムと戦争への道」をせっせと掃き清めているのである。 第五に、以上のように見てみると、大原の主張がカクマルのそれと近似していることが明らかであろう。
彼のカクマル批判はせいぜいのところ「動労本部カクマルとの激烈な路線闘争と党派闘争」というレベルにとどまっている。彼が「護憲派」=「体制内派」に向ける憎悪に比べるとそれはあまりにもトーンが低い。安田派にとっては「護憲派」=「体制内派」は打倒対象であるが、カクマル反革命とは党派的な競合関係でしかない。

革共同の歴史的総括

こうした安田派のミニ・スターリン主義化とカクマルとの同質化はどこから始まったのか。それは決して、06年3・14決起以降ににわかに始まったことではない。
われわれは昨年7月27日に行った革共同政治集会において、革命軍戦略から戦闘的大衆運動路線への路線転換(91年5月テーゼ)が80年代階級闘争の主体的総括を欠落させたまま行われたことが革共同を決定的に変質させる転回点であったことを明らかにした。
革共同は80年代階級闘争を、革命軍戦略の下で三里塚二期決戦と国鉄分割・民営化阻止決戦を主戦場として闘いぬいた。しかしながらそれは85年の三里塚蜂起戦と浅草橋戦闘以降は、革命軍の闘いにすべてを委ねる代行主義的傾向を強めていき、国鉄分割・民営化(87年)、総評解体・連合結成(89年)、ベルリンの壁崩壊(89年)からソ連の崩壊(91年)にいたる流れと、帝国主義の新自由主義攻撃の全面的な展開という決定的な時点で、階級闘争全体に対して責任をもってかかわる立場から革共同を遠ざけるものとなった。
また、日帝国家権力の弾圧体制(86年5・7宣言体制)の重圧の下で、政治局が事実上崩壊し、清水指導体制の全面的な破産が唯物論的に突き出されていたのである。
ところが清水議長は政治局の崩壊の事実を党員に対して隠蔽し、同じく内戦の重圧に悲鳴を上げていた安田と野合することによって政治的な延命を図ったのである。
これがその後の革共同を「指導部の私党連合」のようなものへと変質させる契機となったのである。それはその裏返しとして、党内の一切の批判を封じ込め、党員に対して無条件に「党中央への一致」を強制するきわめて抑圧的かつ排他的な官僚主義体制をつくりあげることになったのだ。

安田・清水体制の形成
さらに90年代後半から6回大会(01年)にかけて安田・清水体制として政治局が再建される過程で、革共同の政治指導は今日の「動労千葉特化路線」につながる偏狭な動労千葉中心主義(当時は「動労千葉原理」とまで言われた)にのめり込んでいくことになった。
それは97年の日米新ガイドライン合意を画期とする日米軍事一体化の進行と改憲攻撃の前面化との対決からの召還と、現実の労働運動や学生運動および諸戦線の闘いからの乖離をひきおこし、資本主義の自動崩壊論的情勢認識にもとづく客観主義と待機主義の党へと変質が進行していったのである。
革共同は06年3・14決起の時点で、安田・清水体制を打倒することなしには、その再生が不可能な状態に陥っていたのである。

代行主義と粛正の論理の総括
今回わが再建協議会が行った、84年の第四インターへの「反革命」規定と、それにもとづくせん滅戦闘にたいする自己批判は、革共同の歴史的総括、とくに革命軍戦略における代行主義とスターリン主義の粛清の論理に転落していたわれわれの過去のあり方を自己批判して日本革命の責任党派として革共同を再生するためには不可欠のものであった。 われわれは、82年末から83年初頭にかけて、一坪再共有化グループが行った三里塚反対同盟の分裂の強行を、
断じて認めるものではない。
しかしわれわれの第四インターへの「反革命」規定とせん滅戦闘が、3・8分裂後の三里塚闘争の全人民的発展の道を閉ざした責任を明らかにすることを抜きにしては、成田暫定滑走路「北延伸」攻撃と市東孝雄さんの農地強奪をめぐって78年開港決戦いらい最大の決戦局面に突入した三里塚闘争の勝利を切り開くことはできないことを確認してきた。こうした1年間にわたる内部討論を通して、自己批判を公表したのである。
われわれの自己批判の公表によって、革命軍戦略のもっとも右翼的な反対者であった安田その人が、自分の「正当性」を押し出すために、25年遅れで「第四インターせん滅万歳」と声を張り上げて叫ばざるを得ないという悲喜劇的な事態に陥っている。
もちろん安田が何を叫ぼうが、それは彼の自由である。しかし、一つだけ忠告しておこう。テロリズムでつぶれた政治党派はない。逆にテロリズムを行使する党派が、それに相当する階級的政治性と倫理性をもたないとき、その党派は自壊する。いまの安田派がその典型ではないか。

2010年改憲阻止の決戦へ

サブプライムローン危機に端を発した世界金融危機は本格化し、すでに米自動車ビッグ3が事実上破綻し、シティをはじめとする巨大銀行が実質的に国有化されるところまで進行している。アメリカではすでに、昨年1年間で357万人が失業している。日本でも、09年末までの予測で新たに270万人が失業する。それは自動車・電機から始まって全産業に及び、非正規雇用労働者から正規職の解雇にまで進む。われわれの眼前には10年単位でつづく全世界をまきこむ労働者の困苦、失業と戦争の時代がまさに入口を開けている。
70年代後半から台頭してきた新自由主義攻撃は、すでに資本主義から社会主義への世界史的移行期に突入しているなかで、帝国主義支配階級が、階級支配の世界史的転覆をねらう攻撃であった。その基軸は、ほとんどの労働者を非正規化する攻撃と新植民地主義諸国への再植民地化と略奪的収奪である。それは今日、新植民地主義体制諸国における自給的農業の破壊や、帝国主義とイスラエルをはじめとするその前線国家による民族的抑圧と新たな植民地化をもたらしている。 このような帝国主義の破局に対するムスリム人民の抵抗と、世界の労働者人民による貧困と戦争にたいする闘いが歴史的に大合流する時代を迎えたのである。日本階級闘争における2010年改憲阻止決戦の戦闘的大衆的発展のただなかで革共同を再建し、反帝国主義・反スターリン主義の世界革命にむけた水路を力強く押し開こう。

当面の闘いのスローガン

◆全世界の労働者人民と連帯して、日本帝国主義の改憲攻撃と全面的に対決し、日帝打倒・プロレタリア世界革命の勝利に向けて前進しよう!
◆革共同の歴史的総括をやりぬき、反帝国主義・反スターリン主義世界革命党を建設しよう!
◆差別主義・排外主義に転落し、あらゆる大衆闘争と統一戦線を破壊する安田・清水体制を打倒しよう!
◆戦争と貧困、差別と抑圧の世界帝国主義を打倒し、反帝国主義・反スターリン主義の世界革命を!
◆闘うアジア人民と連帯し、日米帝のアジア侵略を内乱へ!
◆9条改憲阻止・自衛隊解体―日帝打倒!全世界の労働者人民と連帯し、沖縄・三里塚・岩国を結び、米軍再編と対決しよう!

5面

世界の経済成長が戦後初のマイナス
全国で争議支援と生活再建の闘い

本格化した世界経済恐慌

世界銀行は、全世界の経済成長率が戦後初めてマイナスになると予測している。世界の工業生産も、今年半ばには、08年と比べて最大で15%落ち込む可能性があるという。 帝国主義諸国がインフレ政策をくり出し、大資本が非正規雇用労働者と下請けを犠牲にして在庫調整をはかってきているため、これまで何とか物価水準が維持されてきたが、実体経済の収縮傾向は収まりそうにない。すでに中小企業を中心に在庫の山が積み上がり、部分的に投げ売りも始まった。 非正規雇用労働者の切り捨ては、日本から全世界へと広がっている。米ビッグ3(三大自動車メーカー)の大量解雇につづき、独フォルクスワーゲン社が、全非正規雇用労働者1万6千5百人を削減すると発表した。また日本では、正社員労働者についても、電機産業を先頭に早期退職が一気に拡大し、過去最高だった02年を越える勢いだ。倒産も急増している。 アメリカの2月の失業率は8・1%、政府が貧困層に発行する食料配給券(フードスタンプ)を受給する人は先月、過去最高の3180万人に達した。ユーロ圏16カ国の1月の失業率8・2%。日本では4・1%(1月)だが、実態はかなりこれを上回っているにちがいない。今、世界は恐慌のただ中にある。

非正規雇用切り捨てに全国で反撃

この情勢に抗して、東京の日比谷公園「派遣村」の取り組みを引きつぎ、名古屋、福岡、関西など各地で取り組みが広がっている。 名古屋では、中村区社会福祉事務所で、福岡でも博多区役所で生活を破壊された労働者に生活保護の支給と当座の住居あっせん等が勝ちとられている。福岡の一日派遣村に300人が集まり、約70人が生活保護の集団申請を行った。路上生活者でも即日受け付けられ、短期日のうちに住居を確保できる地平が勝ちとられている。 関西合同労組は、2月28日から3月1日までの「派遣切り相談村・関西」の取り組みに参加し、5労組の協力で来訪者に炊き出し、労働相談の支援活動を行った。〔2面関連記事〕 関西合同労組は、大阪市港区の労働相談センターと京都新事務所を拠点に支援活動の拡大を進めている。派遣切りは、3月末にむかってさらに拡大、全地域化していくだろう。 労働運動が一致協力して争議支援と生活再建の取り組みを強化・継続していかなければならない。対象となる工場・地域でのビラまきや物資提供など、だれでもできる活動に取り組もう。

6面

部落解放同盟全国連合会のよびかけにこたえ
3・30 狭山要請行動へ

部落解放同盟全国連合会より、3月30日(月曜日)東京高裁と東京高検にたいして、事実調べと全ての証拠の開示をせまる、要請・糾弾行動をたたかおうという呼びかけが発せられた。私たちはこの呼びかけに、全力でこたえていこう。

石川さんの決意

全国連は、『狭山闘争ニュース』の2月号で、「2009年こそ、狭山再審をかちとろう!決戦がはじまった」とその新たな決意をあきらかにした。
また石川一雄さんも、「私は今年こそ冤罪を晴らせる年にしようという思いを強く強く心に秘めて2009年の第一歩を元気に踏み出しました」と今年にかける思いを私たちにあきらかにしている。また「今年こそ」の思いが「本当の意味で実現する」ようにたたかうとの決意も、1月14日、古希(70才)の誕生日にあたってのアピールで述べている。
私たちはこの思いに何としてもこたえて、新たなたたかいのうねりを起こしていかなくてはいけない。

思いにこたえる闘いを

1963年5月23日、石川さんの不当逮捕の日から今年で46年になる。権力の部落差別にもとづくでっち上げ逮捕、そして再逮捕、取り調べ、起訴、一審、二審、そして最高裁での棄却決定、このすべての過程に一貫して貫かれている部落差別を私たちは、決して許すことはできない。
同時にこのような差別の現実、そして差別社会をいまだに覆し得ない、私たちのたたかいの弱さを本当に悔しく思う。
しかしそれ以上に、石川さんの悔しさは、そして部落大衆の悔しさは、想像するだけでも胸が痛くなる。私たちはこの思いに絶対にこたえ、連帯し、部落差別をなくすため、差別のない来るべき社会をつくるため、そして自分自身の差別からの解放のために、全力でたたかわなくてはいけない。
3月30日はまさにそういうたたかいの、新たなはじまりである。狭山の完全勝利を、「今年こそ」を本当に実現する第一波のたたかいである。そしてなによりも自らの解放の重要なたたかいである。同志諸君、読者のみなさん、全国連と共に断固としてたたかおう。

竹内實同志を追悼する

マイクを握る竹内同志(08年12月31日逝去・享年69才)

2008年12月31日午後8時40分、竹内實(まこと)同志が逝去されました。享年69才でした。
昨年10月9日の入院後、腸閉塞とガンとのたたかい、とくに11月末に重篤と診断されて以降の不屈の闘病はほんとうに誰をも驚かせるものでした。「障害者自立支援法」や「介護保険法」、「後期高齢者医療制度」などにたいして怒りを燃やし、最後の最後まで生き抜き闘い抜いた革命家の生涯でした。
竹内同志は1958年に三重大学農学部に入学し、勤評・警職法闘争、60年安保闘争、三井・三池闘争などをたたかいました。その後、三重・東海でのたたかいを経て80年代はじめから長らく前進社関西支社印刷局長の重責を担いました。その中で視覚障害が急速に悪化したことを契機に茨木市に居住を移し、北摂地域において「健康を守る会」の運動や視覚「障害者」の運動の先頭に立ってきました。竹内同志は、それらを重度の視覚障害、アルコール依存症、胃ガンなど幾重もの苦難を克服し、乗りこえて実践していったのでした。そればかりではなく、60才近くで盲学校の高等部に行き、あん摩マッサージ指圧師の資格をとりつつたたかうという大変な努力家でもありました。
竹内同志は、革命家としてどこまでも人間的な同志でした。どんな闘争の場においてもそうでした。そして数知れない議論、『刷機入魂』や『白杖記』などの漢詩や文章、仲間と愛唱した民謡や詩吟・・・。そこにはいつもあらゆる権力にたいする批判精神と不屈さ、あっけらかんとした明るさと抜群の行動力、仲間をなごませる巧まざるユーモアとおおらかさがありました。竹内同志が仕事にとりくむとき発した“よいしょ、よいしょ”の気合いが今も聞こえてくるようです。
私たちは、あなたとともに始めた新たな共産主義運動をどこまでも前に進めてゆくことを固く誓います。竹内同志、その最後の勝利まで見守ってください。

革命的共産主義者同盟再建協議会

書評 『語り継ぐ労働運動史
国鉄闘争ー過去・現在・未来ー』を読んで

3・25に鉄建公団訴訟の高裁判決

国鉄1047名解雇撤回を争っている「JR不採用事件・鉄建公団訴訟」の東京高裁判決の期日が3月25日に決まった。
この国鉄闘争の大きな節目を前にして、その歴史を振り返る格好の冊子が昨年刊行された。

国労一筋42年の思い

関西における国鉄闘争のリーダーの1人で、闘う国労闘争団を支援する京都の会・会長の野坂昭生さんの冊子である。1961年の国鉄入社から2003年の退職まで、国労一筋42年の筆者の思いが全編にあふれる、まさに「語り継ぐ労働運動史」に他ならない。
私が野坂さんを初めて見たのは1975年で、当時野坂さんは60年代末の反戦闘争・ マル生粉砕闘争を闘い、国労大阪地本の専従役員をしていました。国労は反マル生闘争に勝利し、私の働く現場でもマル生組合・全施労を追いつめていました。現場のヘゲモニーを国労が握りつつあり、現場協議を通して闘いが前進していました。75年はスト権奪還の8日間ストで、翌年には202億円の損害賠償請求が行われる、国労の曲がり角の時だったと思います。
私は、国労が機関として67年10・8羽田闘争や、68年1月佐世保・エンプラ闘争に参加し闘ったことは知っていましたが、その前史の60年代中期の闘いはあまり知りませんでした。この本を読んで「日韓条約反対・ベトナム反戦」をかかげ、国労4000人と支援5000人が「線路に座り込み、ピケをはる」行動に決起した65年11・12宮原操車場(大阪)での闘いを知りました。権力のこの闘争への憎しみは強く、地本の委員長・書記長が起訴されます。現在も国労手帳には「弾圧との闘い」がありますが、それはこの闘いの教訓からだと思います。

分割・民営化との闘い

この冊子の後半は、やはり国鉄分割・民営化とその後の国労闘争団の闘いが中心です。
野坂さんはJR退職後も引き続き国労闘争団の支援に奔走しています。また昨今の尼崎事故をはじめとするJRの利潤優先・安全無視の事故多発に、怒りを燃やしています。国鉄の現場において「ケガと弁当は自分持ち」という中から、「労働力は売っても命までは売らない」「人らしく生きたい」という気持ちで闘ってきた気概は、今でも国労の仲間に引き継がれています。中曽根政権以来の国労解体、「民営化と規制緩和」=新自由主義攻撃が、信楽事故、尼崎事故、伯備線事故を起こしたのであり、現在も絶えない事故の責任はJR当局にあります。
国鉄闘争・1047名の解雇撤回・JR復帰を求める闘いは23年目を迎え、08年10・24国鉄集会はいくたの問題を含みながらも、11200人が結集し高揚しました。私も野坂さんもその場にいました。国鉄闘争は国労本部を含めた4者4団体のもとで闘われています。勝利の道は、現場組合員・闘争団員・支援者にあるわだかまり=4党合意を総括していくことです。闘う方針の確立を避け環境作りに逃げる国労本部を乗り越え、JR現場でも多数働く非正規の労働者とも連帯し、解雇撤回・JR復帰をかかげ、動労千葉も含む1047名の団結が求められています。
3月25日にせまった鉄建公団訴訟東京高裁判決にむけて闘う方針を確立していくには、戦後労働運動における国鉄闘争の位置を改めてとらえ返し、「もう一度」国労の闘いの原点を振り返る事が重要です。その最良の武器がこの野坂さんの冊子だと思います。購読をすすめます。(国労組合員・T)
編集発行:洛南労組連 A4版・172頁 カンパ500円
※前進社関西支社でも扱っています。

郵政ユニオンが19日にスト予定

郵政ユニオンは、郵政グループ本社にストを通告するとともに、スト支援要請を発出した。期間雇用社員(非正規雇用労働者)の賃上げと正社員との均等待遇を求めて交渉しており、交渉が決裂した場合、19日に10支店(郵便局)で1時間(おおむね午前8時から9時)の時限ストライキに突入する。以下の支店でストが予定されている。福島県・郡山南支店、新潟県・新潟中支店、神奈川県・横浜支店、東京都・深川支店、静岡県・浜松支店、大阪府・枚方北支店、大阪府・大阪城東支店、兵庫県・灘支店、福岡県・粕屋南支店、長崎県・長崎支店。支援にかけつけよう。