玉城デニー知事の三選勝利へ
高市首相 核廃絶に言及せず
神戸港・伊丹空港の軍事使用許すな
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| 核と被ばくの廃絶を 8・6平和の夕べ(8月6日 広島市) |
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| 新宿駅南口で連続辺野古ブルーアクション(8月1日 東京) |
通常国会で数々の悪法を成立させ、いよいよ憲法改悪と核武装に踏み込もうとする高市首相が、8・6ヒロシマ、8・9ナガサキに乗り込んだ。戦争の危機が広がる中でも核兵器廃絶への熱気はなく、非核三原則堅持の決意を語ることもなかった。小泉防衛相は「核へのタブーを破る」と発言。しかし高市は広島・長崎で「非核三原則撤廃」を公言できなかった。それは被爆者・2世・3世の闘いの声が高市を直撃したからだ。ヒロシマ・ナガサキ、そしてオキナワは決して高市の軍事大国化・戦時独裁への道に負けることはない。
8月27日告示、9月13日投票の沖縄県知事選が迫った。全反動勢力は、辺野古海難事故と玉城デニー沖縄県知事を結びつけ、玉城三選阻止に躍起だ。しかしながら沖縄戦でどれだけの沖縄人民の命が奪われたのか。81年たてば忘れろと言うのか。この決戦を前に沖縄の闘う仲間から闘いのアピールが寄せられた。全国の決起で玉城デニー知事の勝利をもぎ取ろう。
悲しみの転覆事故死を乗り越えて
〈平和丸〉、〈不屈〉の船は辺野古漁港から大浦湾を目指し出港しました。ところが、10時頃、外洋に出る手前の岩礁付近を通過する際にいきなり3〜5メートルの高波が〈不屈〉に襲い掛かり金井船長の〈不屈〉は横波を受けて転覆してしまいました。〈平和丸〉には武石知華さんが乗船していました。そして、不屈救援に向かった平和丸も高波を受けて転覆してしまいました。残念なことに武石知華さんは転覆後、実に70分後、消防隊員(=海保ではない)に救出されましたが、金井創船長(71才)武石知華さん(17才)は病院で死亡が確認されました。
海上保安庁は辺野古転覆事故の重要容疑者としてヘリ基地反対協の共同代表である仲村善幸・浦島悦子さんを取り調べ、平和丸・不屈を証拠物件として押収しました。辺野古第二テント、反対協事務所等も家宅捜索しました。
被害者遺族は7月28日、同志社国際高校の校長を含め4人とヘリ基地反対協の共同代表や船長ら7人、合計11人を海上保安庁に「業務上過失致死傷」などで告訴しました。
既に、ご存知のように辺野古転覆事故による武石知華さんの死亡事故をめぐり1997年から名護市民投票から今日まで約30年間「辺野古新基地反対」を闘い続けて来たヘリ基地反対協及び個人に対して、あらゆるデマと誹謗中傷・でっち上げの動画までネット上に配信し、高市政権は総力で辺野古の闘いの圧殺に回っています。そして、文科省は同志社国際高校の辺野古平和学習を教育基本法14条2項、教育の「政治的活動」として、中立性違反と断定しました。これは1947年の教育基本法制定以来初めての違反認定です。国家権力が「中立性違反」をどのような基準で認定したか不明ですが、これは明らかに国家による教育の不当介入と言わざるを得ません。
9月沖縄県知事選勝利へ全力結集を!
8月27日告示、9月13日投票の県知事選には現職で3期をねらう玉城デニー(66才)、日本維新の会を除名された元衆議院議員の下地幹郎(64才)、そして、元那覇市副市長の古謝玄太(42才)が立候補する予定です。
知事選は2014年以降オール沖縄の翁長雄志、玉城デニー氏が自公系候補に3連勝していますが2026年4月の衆議院選では沖縄4区全てが自民、維新等が当選し、オール沖縄は0になり議席を失いました。
過去の知事選の主な争点は「基地」と「経済」です。しかし、辺野古新基地は国と県の訴訟が終結し、政府の代執行で埋め立て工事が進む中で知事選を迎えることになりました。
辺野古新基地問題をめぐって古謝氏は「普天間基地の危険性除去が原点。辺野古移設が解決策」とし、下地氏は「軟弱地盤は埋め立てずに、すでに工事を終えている区域を民軍共用空港にする」と公約を発表しました。
玉城デニー氏の3つの約束では「私はこれまで、どんな困難な局面でも、県民の声を信じ、対話を信じ、沖縄の誇りを守り続けて来ました。これからも初心は変わりません。�@命を守る、�A暮らしを支える、�B未来をひらく、と訴えています。
沖縄県議会自民党、参政党、公明党は今回の辺野古転覆事故の犯人の「黒幕」は玉城デニー知事だと陰に陽にデマと嘘を垂れ流し宣伝しています。そして、何者かが玉城デニー知事の支援集会場に「殺しに行く」とメールを送り脅しまで掛けて来ています。
玉城デニー知事の「辺野古新基地反対」は選挙公約です。その選挙公約を実現する為に奮闘することは政治家としての使命です。その公約を「県民投票」では73%が支持しています。
自民党、公明党、国民民主、維新、参政党はアメリカに媚を売りウチナンチューを「日米安保体制」に縛りつけ「アメとムチ」で過重な基地負担と事件事故を押し付けるアメリカに追従させようとしています。残念ながらこれらの「金のばら撒き」で自公政権が成功している現実があります。
2023年、自公政権は「沖縄振興特定事業推進費市町村補助金」制度を新設し、玉城デニー知事の頭越しに直接「補助金」を市町村に分配する制度を作りました。
2025年、うるま市長選では自公の押す中村正人氏は「国から7百億円の事業予算」を得て「国とのパイプ」を訴え当選しました。利益誘導された、うるま市民たち。
2014年、辺野古埋め立てを承認した仲井真知事に対して「沖縄振興予算」として3501億円を交付しました。その後「辺野古新基地建設反対」の玉城デニー知事が誕生すると「沖縄振興予算」は毎年減額され2025年2684億円になりました。その差額は817億円になります。
現在、沖縄41市町村長ではオール沖縄勢力は皆無です。反オール沖縄勢力は、玉城デニー知事が国=自民党政権と対立しているから「沖縄振興予算が減額されている」と玉城県政を批判しています。そして、この2〜3年間は沖縄振興予算の要求を沖縄県の頭越しに11市長会、30村町会は直接首相官邸に赴き振興予算の増額を求めています。まるで、米軍再編交付金(米軍基地を受け入れれば交付金及び補助金)を多額に出すという「アメとムチ」で沖縄を支配屈伏させる方策に沖縄41市長村町長会は「安保マフィア」の懐に飛び込んでいるのです。玉城デニー知事は「だれひとり取り残さない新時代、誇りある沖縄」をモットーに選挙戦に挑んでいます。
日本会議ファシスト高市政権は辺野古転覆事故で武石知華さん事故死を最大限利用して沖縄の反基地反戦闘争を解体し、中国脅威、「台湾有事」を騒ぎたてています。
「敵基地攻撃」をする為に、安保3文書改訂を前倒し、「スパイ防止法」「軍事費拡大」等を強行。中国侵略戦争態勢づくり。アメリカの先兵として自衛隊を「国防軍」に仕立て、憲法9条改悪、国家総動員体制を構築して、天皇を国家元首に据え戦争をする国へと邁進しています。
高市政権は朝鮮、中国への民族排外主義を煽り、九州・沖縄からの長距離ミサイル攻撃を準備しています。われわれは沖縄を2度と戦場にしない、させない為に本土沖縄、闘う朝鮮、中国、アジア人民及びアメリカ帝国主義トランプに対して真っ向勝負しているイラン、パレスチナ人民と連帯して反戦闘争の爆発を勝ち取り、玉城デニー知事の再選をもぎ取ります。
ウチナンチューは沖縄戦で天皇の軍隊によりスパイにされ虐殺されました。そして徹底した天皇制イデオロギーによる「同化皇民化政策」にかすめ取られ非業の死を強制されたことを忘れてはいません。
天皇メッセージで「25年ないし50年、あるいはそれ以上に沖縄を軍事支配することは、アメリカの利益になるのみならず日本の利益になる」と天皇ヒロヒトは沖縄をアメリカに差し出しました。その結果天皇は戦争犯罪・責任を免訴されたのです。
天皇は沖縄に何をしたかを謝罪していません。ウチナンチューは長期にわたって米軍基地を押し付けられ日米両政府によって軍事植民地にされている事を決して忘れてはいません。
われわれはこのような現実を打開するために玉城デニー知事を再選させ、一歩一歩着実に自由と平等、女性の尊厳が守られる人権を獲得し、軍隊も軍事基地もない、日米軍事植民地状態を無くし、平和なウチナンチューが主人公になれる沖縄を創造していきます。
最後に
ヘリ基地反対協の浦島悦子共同代表は「これを機に辺野古新基地建設反対運動だけではなく沖縄の平和運動・平和学習そのものを潰そうという動きに対しては、絶対屈してはならないと考えています。誹謗中傷の嵐が吹き荒れているが、心を寄せ激励してくださる皆様、公正な報道に尽力されている皆さまに支えられて乗り越えていきたいと思う」と表明しました。
不幸な辺野古転覆事故を絶対政治利用させずに誹謗中傷、嘘とデマに負けずに玉城デニー知事の再選を勝ち取りますので辺野古に心を馳せている全ての皆さんの心からの援助、協力をお願い致します。共に闘いましょう!
自由は我等に!勝利の日まで!
(寄稿 島袋利久 8月8日)
玉城デニー知事応援集会inおおさか
講演:「終わらない戦後処理と新たな戦前」具志堅隆松さん
とき:8月23日(日)午後2時
ところ:大阪市 西区民センターホール
主催:8・23応援集会実行委員会
2面
8・6ヒロシマ報告
核と核被ばくの廃絶を目指して
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| 「平和の夕べ」の開会を宣言する河野美代子さん(8月6日 広島市) |
闘いは前夜から始まった
被爆者・2世・3世と全学連(矢嶋尋委員長)の学生諸君は前夜から平和記念公園内で座り込みとデモ集会を敢行した。6日午前5時以降の公園内立ち入り禁止措置をけって、40人(商業紙報道)がドーム前で闘いぬいた。他に黒ヘルを中心とした諸君がドーム北側入場口から園内に入ろうとして機動隊部隊と対峙した。午前8時過ぎから、私たちは彼らと連帯してともに、平和公園を回る2�qあまりのデモをおこなった。
そのメッセージボードや発言では、小泉防衛相の「核議論発言を許さない」や被団協の「非核三原則」断固堅持支持、といったものがあった。ちょうど公園内の平和式典で、「わが国は『非核三原則』を堅持しており」と発言した高市首相に、被ばく団体から、歴代首相が表明してきた「未来に及ぶ決意」がないとの批判が飛んだ。当然である。年末までに予定している「安保3文書」の改定を巡る議論では、原潜の開発・保有や、「非核三原則」のうち「持ち込み」は解禁しようなどといった議論が乱れ飛んでいる。その中心にいるのが高市首相である。
平和の夕べ―梶本淑子さんの被爆証言
午後から平和の夕べが始まった。この集会は被爆者が語り、その人間的怒りと未来への決意を共有するのが趣旨で、2007年以来20回目として主催の河野美代子さんから紹介された。
現在95歳の梶本淑子さんは14歳のとき飛行機のプロペラをつくる工場で、学徒動員で働いていた時に被爆。その瞬間、木造2階建ての工場が浮き上がり、その中に埋もれてしまった。何とか這い出して、3日間、担架で学友の救出に従事し、3日目に街をさまよっているときに、探しに来た父と遭遇。翌年その父も死去し、16歳で病気の母と3人の弟を養育しなければならなかった。
世界的に核兵器が拡散している現在、日本では核兵器の恐怖が忘れ去られている。学生が、日本に原爆を落としたのが米国であることすら知らず、「北朝鮮だろう」「中国だろう」と言う現実がある。梶村さんは、「無知、無関心は戦争の共犯者」という言葉で話を結んだ。
連帯を求めて 原発賠償関西訴訟代表、森松明希子さん
放射線被害を行政区画で線引きすることに対する厳しい糾弾から講演が始まった。いわく「放射能は県境では止まらない」。つぎに「強制避難者」と「自主避難者」を分断する政府と行政の「やり口」への糾弾は自らの体験にもとづくだけにさらに厳しい。「逃げたら『非国民』と言われる」。被ばくの最低限度の国際基準が1ミリシーベルトであるのに、福島原発だけ政府や行政が20ミリシーベルトにしていることへの怒りをぶつける。3・11の数日後、「東電福島第一原発から2百�q離れている東京の金町浄水場の水から放射能が検出されたのに、自分が住んでいたところは60�qしか離れていない。
最後に森松さんは、核兵器と原発が今日ともに、「小型化」による使いやすさを目標に開発・配備されていることを挙げ、ともに被ばくの強要に対して闘わなければならないことを訴えた。それが、「避難の権利」を裁判所に認めさせる闘いである。
全世界を獲得する反戦・反核闘争
8・6広島、8・9長崎を含めて、被爆者の闘いは重大な転換点を迎えている。それは被爆者の告発と闘いが社会全体を動かし、社会全体の変革のカギを握るものとなり始めていることである。「平和の夕べ」の最後の講演者である高橋博子さんは、「核へのレジスタンス」と題して、米公文書の徹底調査を通じて、日米支配者の欺瞞を暴いている。例えばマンハッタン計画の責任者による「ヒロシマの廃墟に放射能はない」と言う発言に典型的に表れている。帝国主義とともにスターリン主義が核をもてあそんでいるときに、国際的連帯をかけて米・中両国人民とともに闘わなければならない。ウクライナ人民・パレスチナ人民と連帯し、核も放射能もない世界を勝ちとろう。(四宮勲)
8月6日午前8時前から原爆ドーム前で抗議する労働者・学生。上から関西の市民、全学連(矢嶋委員長)、全国学生行動。
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3面
粟原神戸市議が奈良で講演
神戸港軍事使用反対
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| 祝園弾薬庫直近(10�q内)の奈良市で、神戸の粟原さん招き集会(8月1日) |
8月1日、〈ほうその奈良の会〉学習会がおこなわれ、神戸市議の粟原富夫さんが「非核神戸方式と特定利用空港・港湾」と題して話をした。主催は、祝園ミサイル弾薬庫問題を考える奈良の会。
粟原富夫さんのお話
婦人会がおにぎりを握って激励し、神戸港から日本兵を送り出したことが国防婦人会の元となりその後全国に広がっていった。戦後には米軍第七艦隊の基地として朝鮮戦争、ベトナム戦争の兵器の積み出し港として利用された。軍事物資の輸送に従事させられた港湾労働者が亡くなっている。港湾労働者の話では、ベトナム戦争時に亡くなった米軍犠牲者を神戸の三井倉庫で冷凍保管し、米国に送るまでの業務が一番きつかった。年間百隻以上の艦船が入港し(核を積んだ艦船も)、そのため商船が入れなかった。このように、戦前、戦後を通して、神戸港は軍港として存在していた。
1974年に第6突堤が返還され、米軍基地は撤去された。その年に、「米艦船が日本入港の際に核兵器をおろすことはない」と証言(ラロック証言)したことで、その当時の宮崎市長が「核搭載の疑いのある米軍艦は神戸入港を拒否する」と市会で答弁をおこなった。その後の運動を通して、1975年3月18日に「核兵器積載艦船の神戸港入港に関する決議」を全会派一致で可決した。
港湾管理権が神戸市にあったことで、労働者・地域住民の自治が反映されることにより拒否できた。その礎を築いたのが小寺謙吉市長で、国に対して港湾の管理権を国から神戸市へ移譲させるため、激しい交渉をおこなった結果である。翌年、港湾法(1950年)が正式に成立した。地方自治体が「港湾管理者」となることを明確に盛り込んでいる。
2000年前後に、朝鮮有事を想定したアメリカ軍は神戸港を使用するために圧力をかけてきた。市議会にも非核方式を撤廃するよう要請があった。祭りには岩国基地から米軍の音楽隊が参加し懐柔策にのりだしてきた。
また、戦争等で破壊された都市の復興を請負、儲けるアメリカ企業ベクテル社が神戸空港建設事業に入札してきた。この会社の幹部には元アメリカ国防長官等を歴任した者が重要ポストについており、軍と一体となった会社である。イラク戦争を機に、アメリカの戦略が中東に移動したので、この動きが止まった。
2025年3月24日、50年ぶりに米艦船ウオーリア(哨戒艇、木造船)が非核証明書の提出なく入港した。�@外務省北米局が「米艦船は一般的に核を積んでいない」と保障している。�Aアメリカ領事が神戸市港湾局に「米艦船は現在核を搭載していない。ただ核の有無は個別艦船では明らかにできない」と述べている。木造船で核搭載能力がない。この2点で、神戸市は非核証明書に代わるものとして入港を認め、バースを指定した。これは非核神戸方式50年記念集会をおこなったすぐ後の出来事であった。
今後、トランプ政権は核を搭載可能な艦船を入港させるかもしれない。断固として非核神戸方式を貫いていくこと、あらゆる軍事利用をさせない取り組みが重要である。
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| 粟原富夫神戸市議(8月1日 奈良市) |
空港・港湾を軍事利用させない
粟原さんは、以上のように語った。「非核神戸方式」に関する教訓から、今日の闘いについてまとめておきたい。
アメリカ艦船入港の背景には、高市政権が進めている戦争できる国への加速がもたらしたものである。非核三原則の見直し発言、原潜の建造発言は今後の神戸港での闘いが重要な位置をしめている。台湾有事を想定し特定利用空港・港湾指定が次々となされている。そして、各地で弾薬庫建設が進められ、奈良市の隣、京都府精華町の祝園分屯地に新たな14棟の弾薬庫増設工事が昨年8月から始まった。本州の自衛隊の弾薬庫では最大のものになるといわれている。その弾薬庫のミサイル等が神戸港にある自衛隊阪神基地隊へと運ばれ、南西諸島へと送られると予想される。
国は特定利用空港・港湾の指定をおこなって、地方の権限をなくしたがっている。沖縄とつながり、空港・港湾を軍事利用させないためのネットワークが必要だと感じた。(三浦勝)
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| 輸送艦の母港・神戸港が日々強化されている |
連続辺野古ブルーアクション
8・1 新宿南口
8月1日、新宿駅南口で毎月恒例の「辺野古に新基地は作らせない!!新宿南口 連続辺野古ブルーアクション」(呼びかけ:沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック)がおこなわれ、炎天下に70人の市民が集まって、辺野古新基地建設の不当性と高市政権の下で進む戦争準備との闘いを訴えた。
宣伝を始めようとしたところで右翼を名乗る若者が「高校生が死んだのに何で反対運動をやってるんだ」と文句をつけてきたが、話をすると政府に対して様々な不満や批判を持っていることがわかったので、辺野古の闘いが必要な運動であること、米軍基地や日本の「国防」が住民を守るどころか危険と犠牲を強いるものであること等を訴えて、最後には「頑張ってください」との言葉を得た。
宣伝が終わって、参加者には辺野古現地でも大規模な集会がおこなわれていることが報告され、9月の沖縄県知事選での玉城デニー知事の勝利のためにあらゆる協力をしよう、と訴えがあった。
(闘争案内1)
『強権政治に声をあげる!主権者は私たち!8・19国会正門前大行動』
とき:8月19日(水)午後6時半
ところ:国会議事堂正門前(国会図書館前にもスピーカーを配置するので、国会図書館前もご利用下さい)
主催:戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会/9条改憲NO!全国市民アクション
STOP!!東海第二原発の再稼働 いばらき大集会
とき:8月22日(土)午後1時半
ところ:東海文化センターホール
主催:STOP!! 東海第二原発の再稼働いばらき大集会実行委員会
夏の「反弾圧講演会」
講演:中谷雄二弁護士「国家情報局・国家情報会議」って何?
とき:8月22日(土)午後1時15分
ところ:キャンパスプラザ京都(第3講義室)
主催:労働組合つぶしの大弾圧を許さない!京滋実行委員会
第11回 平和祈念のつどい・東大阪
とき:8月22日(土)午後4時〜7時
ところ:荒本人権文化センター
主催:平和祈念のつどい・東大阪 実行委員会
ミサイル弾薬庫いらん!平和を求める大分集会
とき:8月30日(日)午前10時〜10時半
ところ:敷戸西公園(敷戸新町前の公園、JR豊肥線 敷戸駅近く)
主催:大分敷戸ミサイル弾薬庫問題を考える市民の会
9・6全国から地域主権とコモンの波 市民派首長大集合!
と き:9月6日(日)午後1時〜5時
ところ:宝塚文化創造館・講堂ホール
主催:LIN-Net宝塚集会実行委
第33回 全国市民オンブズ兵庫・尼崎大会〜内部告発は、社会を変える。〜
記念講演:金平茂紀(ジャーナリスト)
1日目:9月12日(土)午後1時〜6時
2日目:9月13日(日)午前9時〜正午
ところ:兵庫県尼崎市中小企業センター(アイル)
主催:第33回全国市民オンブズ兵庫・尼崎大会実行委員会
4面
大阪国際空港の軍事利用反対
高市政権の全土基地化と対決
大阪近郊の3空港・2港湾の軍事使用
自衛隊・海上保安庁などが民間の空港・港湾を自由に使用することができる「特定利用空港・港湾」指定問題で、初めて本格的な闘争が大阪国際(伊丹)空港の玄関口である豊中市で始まった。これまで24年4月の1次指定から、2次〜5次(26年4月)までほぼ全国を網羅する58の主要空港・港湾が指定されてきた。関西の3空港・2港湾はこれに次ぐ第6次指定と言える。指定は国の専権事項で基礎自治体には決定権はないとされてきた。しかも第一次指定の高知新港・須崎港・宿毛湾港などは、大型クルーズ船入港時の浚渫工事などを国がおこなうことで地元自治体にも利益があるとされてきた。各地で署名運動・抗議行動もなされてきたが、日常的に自衛艦が寄港するわけではないことなどを理由に、計画を撤回させる本格的な闘争にはなってこなかった。また南紀白浜空港のように比較的人口が少なく、そもそも発着便が少ない空港を指定してきたため大きな闘争にはなってこなかった。
しかしここにきて、大阪・神戸という大都会、人口が1000万人を超える地域に、神戸空港・大阪国際空港・関西国際空港、姫路港・堺泉北港という5つの空港・港湾の自由使用を認める攻撃がなされたことに、とりわけ人口密集地帯の内陸空港である大阪空港への指定に対して、周辺住民は驚きと怒りをもってこの事態を迎えた。
これまで大阪・神戸周辺には陸上自衛隊の中部方面総監部(伊丹市緑が丘)、第3師団(伊丹市千僧)のほかは自衛隊基地は宇治駐屯地などしか無く(京都府北部・日本海側の舞鶴市には海上自衛隊総監部があるが)、関西地方は米軍基地や自衛隊基地の少ない地域と言われてきた。しかし2023年には京阪奈丘陵にある祝園弾薬庫(京都府精華町・東京ドーム100個分の大きさ)に、安保3文書閣議決定・5年間で43兆円の軍事予算の中で、弾薬庫14棟増設・長射程ミサイル配備計画が判明し大問題となった。しかもそのミサイル・弾薬は神戸市東灘区魚崎浜にある海上自衛隊阪神基地隊があり(神戸港に自衛隊基地があることはほとんどの人が知らなかった)、ここから沖縄・奄美地方=琉球弧に運ばれることも判明し、神戸市では25年9月から「神戸港の軍事使用を許さない会」の運動が始まっていた。そこに来て今回の5港湾・空港の指定である。
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| フルカラーの大横断幕をかかげ絶対反対の気概示す豊中市民(7月26日 大阪市) |
特定利用空港指定問題で、豊中から闘いが始まる
大阪国際(伊丹)空港は兵庫県伊丹市と大阪府豊中市の市域にまたがる、戦前の陸軍飛行場を起源とする3000m級滑走路と1800m級滑走路計2本を持つ国際空港である。現在の管理・所有権は100%国が出資の新関西国際空港株式会社が持つ。この空港は逆時計回りにターミナルビルのある豊中市から池田市・兵庫県川西市・宝塚市・伊丹市・尼崎市・大阪市北部などを飛行区域に持つ内陸空港である。そのため着陸時・離陸時の騒音の激しさに、豊中市民・川西市民を中心に夜間飛行差し止めの闘いが長年にわたって続き、ついに午前7時以前、午後9時以降の飛行の差し止めを実現した。また周辺都市住民の騒音被害対策はまだ不十分であるが、防音サッシ・クーラー設置などを勝ち取り、さらに軍事利用をしない協定を結んできた。
この長年にわたる住民の闘いの成果を全く反故にするかのごとき今回の攻撃に対し、3月15日、神戸市で神戸港の軍事使用を許さない集会、4月19日には舞鶴に連帯する集会が大阪で開催され運動が始まっていた。3月末日に特定利用空港指定問題が報道されるや、この時から特定利用空港指定に対する闘いが始まった。すなわち4・19集会を母体に、大阪兵庫の労働組合・市民団体による関空会社・関係自治体に対する抗議申し入れ行動である。6月末までに全港湾大阪支部・しないさせない戦争協力関西ネットワークなど40近くの団体が賛同した申し入れ書である。
こうした中、6月末に南西諸島の「島しょ奪還作戦」=日米合同訓練・レゾリュートドラゴン26がおこなわれ、これに海上自衛隊阪神基地隊の輸送艦「にほんばれ」が参加した。「にほんばれ」は鹿児島市谷山港から奄美大島まで12式ミサイル搭載車両を輸送した。ここにこうした軍事作戦で関西の港湾・空港がどのような役割を果たすかも鮮明になった。その上7月5日には、海上自衛隊阪神基地隊で、「にほんばれ」・強襲揚陸艦「くにさき」などを展示・公開するサマーフェスタが開催され6000人の市民が参加した。これには神戸港の軍事使用を許さない会などが基地正門前で1時間半にわたる抗議行動・参加者への説得行動がおこなわれたが、今や特定利用空港・港湾が整備されれば、この国はいつでも戦争ができる体制に入るのだ。
7月に入ると伊丹空港周辺自治体の議員たちが「空港の軍事利用反対」の議員ネットワークを作り、各地の議会で「特定利用空港問題」の質問をおこなった。終盤国会の悪法の目白押し通過・成立の事態に、7月19日の国会闘争・全国の行動と呼応して大阪駅前広場でペンライトデモがおこなわれたが、ここでは現下の緊急課題として大阪空港特定利用問題を木村真豊中市議・豊中市民らが訴えた。
翌7月20日には、豊中市内で中山徹奈良女子大名誉教授を講師に100人が参加し市民学習会が開かれた。中山さんは戦争づくりができる現段階として2015年の安保法制、2022年の安保3文書から、自衛隊南西シフト、軍事予算の倍増などを解き明かし、その中に今回の伊丹空港の軍事使用の問題があると明らかにした。伊丹空港に関して言えば、離発着400機近く、長年の闘いの中で早朝(午前7時以前)、夜間(午後9時以降)の飛行を差し止めてきたのに、今後自衛隊機が自由使用になれば、これを破っての飛行になると警鐘を乱打した。
ついで7月26日、大阪市内で布施祐仁さんを講師に110人の参加で集会開催。布施さんは日本列島全土基地化の危険を語り、今がその正念場と訴えた。また豊中市民、神戸の会などのアピールとともに、労働組合から全港湾大阪支部が、不当な労役提供要求を拒否する発言が行われた。
そして満を持して7月31日、阪急豊中駅前広場で街頭行動がおこなわれた(5面参照)。行動には地域住民・周辺住民・兵庫側の議員も参加し、高校生から元気のいいアピールがなされた。兵庫でも8月伊丹、9月川西と地域での学習会や、議員たちのキャラバンが企画されている。こうして大阪空港周辺自治体で連続的な行動が始まったのだ。
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| 布施祐仁さんの「全土基地化」の話に聞き入る(7月26日 大阪市) |
10市協で森臨太郎宝塚市長らが懸念表明
そして続いて7月31日伊丹市役所で開催された空港周辺の10自治体の首長の協議会(大阪国際空港周辺都市対策協議会=通称10市協。かつては大阪市を含む11市協だったが、維新が首長になると離脱)で、これまで政府の説明を受け入れてきた自治体首長から公然と疑問・批判の発言がなされた。
宝塚市の森臨太郎市長が、大阪空港が住宅密集地に位置し、騒音と安全性の問題があったことを指摘した。現在でも一部地域では騒音の環境基準が満たされていない。協議会総会では、特定利用空港の運用には基礎自治体には決定権がないと言われているが、住民は危惧を持っていると発言。�@たとえ訓練が年数回であれ、今までにないレベルの騒音や安全性の問題がある。�A軍用機の運用により、攻撃の対象となる可能性があるとした。そのうえで住民への説明は基礎自治体がするとなっているが、基礎自治体はほとんど情報を持たないため、説明会には防衛省を始め国の担当者の出席が必要。また騒音や安全性に対する客観的シミレーションや調査を求めた。
ほかにも他市の市長から懸念が表明され、各自治体での説明会には防衛省の責任者の出席が不可欠であるとの声が大きく高まっている。
兵庫側でも8月30日・9月13日に集会
8月30日には遅れていた伊丹市側の運動が本格的に始まる。
伊丹市では超党派の市議・元市議が中心となり豊中で好評だった中山徹さんを講師に学習集会。
9月13日には、長年騒音に苦しんできた川西市でも集会。折しも川西は10月末に市長選・市議選があり、当然にもこの問題が争点になる。
近隣都市でどこでも共通しているのは、基礎自治体には決定権も情報もないため、「まずは防衛省が出席しての説明会の開催」だ。普通の市民生活を戦争準備が破壊していくことに、今こそNO!の声を上げよう。(岸本耕志)
関西の空港・港湾特定利用指定問題の集会
8月15日(土)
神戸空港特定利用指定問題学習会 14時
神戸市中央文化センター(「神戸三宮」南12分)
講師:粟原富夫神戸市議
8月29日(土)
「死の商人国家」になる日本 14時
エルおおさか5F視聴覚室(地下鉄「天満橋」西5分)
報告:杉原浩司さん(武器取引反対ネットワーク)
主催:しないさせない戦争協力関西ネットワーク
8月30日(日)
伊丹空港の軍事利用を考える学習反対集会 15時
いたみ交流センター(阪急「伊丹」北2分)
講師:中山徹さん(奈良女子大名誉教授)
9月13日(日)
神戸の海と空を戦争に使うな!池尾靖志講演集会 14時神戸市教育会館6階ホール
講演:池尾靖志さん(立命館大学講師・『南西諸島の軍事化』(地平社刊著者)
9月13日(日)
大阪空港の軍事利用を考える集い 14時
川西アステ市民プラザマルチ1(阪急「川西能勢口」南1分)
講師:中山徹さん(奈良女子大名誉教授)
9月18日ころ 神戸市議会での質問・論戦の山場
5面
祝園弾薬庫・神戸港・伊丹=豊中空港つなぐ
基地反対の労働者・市民のネットワークを
騒音拡大・軍事空港とは共存できない
豊中・伊丹・川西で大衆的決起始まる
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| 緩急豊中駅前広場で100人が集まりリレーアピール(7月31日) |
7月31日夕方、阪急・豊中駅前人工広場で「伊丹空港の特定利用空港指定=軍事利用をストップさせよう!」という街頭宣伝がおこなわれ百人以上がペンライトを持って集まり、十数人のリレースピーチ、コール、ビラ撒きをして通行人に訴えた。呼びかけは〈戦争法廃止!豊中市民アクション〉、〈大阪国際空港(伊丹空港)の軍事利用を絶対止める会〉。
飛び入りの17才の高校生はすばらしい発言をした。「高市政権は戦前に戻そうとしている。伊丹空港を軍事利用できるようにする。高市政権は戦争になったらどうしようではなく戦争にならないためにはどうしようと考えなければいけない。戦争は人が死ぬ。人が死んで良いことなど1つもない。戦争は絶対にしてはいけない。伊丹空港が軍事利用できるようになったら、もし戦争になった時、伊丹空港が狙われる。豊中が戦場になる可能性がある。戦争しないために、お互いに日中平和友好でやっていこうじゃないですか」。
当日、空港対策協議会=10市協議会の総会が開催され、参加した和田まなみ豊中市議が報告。「市長たちは『市民の不安の声がある』というが、軍事利用するなという人はいない。自治体に受け入れると言わさないためには住民1人1人が声を上げていく必要がある」と発言。
20才位の2人も飛び入りで「戦争絶対反対。平和を守ろう」と意思表明。木村真豊中市議は「百回街宣を目標にして、すでに50回おこなった。行く先々で初めて知ったと言われる。豊中市役所に、伊丹空港の軍事利用をするなと電話をかけよう。新関西空港会社(施設管理者)にもドンドン電話をしよう。私たちの頭越しに決めるなと」。山本一徳豊中市議は「特定利用空港が3月末に出されてから、軍事利用反対の署名集めをおこなっている。市民の声で市長を押し上げていく」と訴えた。豊中市では伊丹空港の軍事利用を絶対止めようと市民や市議が立ち上がり、運動は急速に進んでいる。
7・20豊中、7・26大阪で集会
絶対反対かかげる市民
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| 近隣住民が怒りに燃えて100人集まったいか(7月20日 豊中市) |
大阪空港の特定指定問題が知られ始めた7月、着陸路直下の豊中で学習集会が開かれた。まだまだ市民に知られてなかったが、知った市民は驚き怒り、短期日の準備だったが100人が集まった。講師の中山徹さんの講演は大阪空港・豊中の現状に即してわかりやすく、絶対反対の機運は一気に盛り上がった。教員は軍事施設のある豊中が空襲されたと語り、元空港職員も軍隊支配の空港業務に警鐘を鳴らした。闘いはこれからだ。
6面
原発賠償関西訴訟
判決を前に集会
8・1大阪
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| 森松明希子さん(右から2人目)ら原告団が揃う(8月1日 大阪市) |
9月2日の判決(大阪地裁)を前に、8月1日、原発賠償関西訴訟判決前集会が大阪市内でひらかれ、原告、弁護団、支援者ら114人(ZOOM参加含む)が集まった。
訴訟の歩み
はじめに、事務局が訴訟の歩みをふりかえるプレゼンをした。
2013年9月、提訴。2014年、第1回口頭弁論、2019年、団体まわりスタート、2023年、本人尋問開始、2025年12月、結審。
論点の解説
ドキュメント上映のあと、「損害賠償」について加藤高志弁護士が解説。「責任論」について、白倉典武弁護士が解説した。
原告団が語る
原告のうち8人が登壇し、判決を前に思いを語った。「原発事故は国の責任、これを認めない限り敗訴というしかない」と強調した。
最後に各地で同様の原発賠償訴訟をたたかう原告団から連帯の発言があった。
原発事故は国の責任
原告団長の森松明希子さんは「私たち関西訴訟が求めているのは、原発事故は国の責任であるということを明確に認めていただき、被害に見合った差別のない賠償請求がきちんと被害者に認められる事で、結果として政策形成に影響を与え、全ての人が原発被害を今後未来永劫受けないようにすることです。
決して避難した人たちだけの正当性を訴えているのではなく、命と健康を最も大切な基本的人権と考え、全ての人の放射線被ばく防御の権利をきちんと確立することです。
経済優先ではなく、あらゆる基本的人権を侵害している被害事実についても、法と証拠に基づき、司法が独立して未来世代に対しても説得力と論理性のある公明正大な判決を下してほしいということです。
もうこれ以上恥ずかしい司法判断を量産することにストップをかけ、歴史的転換となる世紀の判決を9月2日に大阪地裁の法廷で聞かせてほしいと心から思います」と語っている。
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| 判決勝利へ向けシュプレヒコール(8月1日 大阪市) |
原告の声
判決にむけての原告の声を紹介する。
◇原発事故による被害が今も続いていることを認める判決を望みます。
◇自主的避難者を含む被害者が、避難を選択したことの正当性と、その結果として被った精神的・社会的・経済的被害を正面から認めてほしい。
◇このような被害を二度と繰り返さないための社会的な教訓となる判決であってほしい。
◇原発事故で生じた健康被害に対し、国が責任をもつよう制度改正をしてほしい。
◇唯一の規制権限をもつ国が、やるべきことをやらなかったという違法性を認め、国の責任を明確に認める判決を下してほしい。
◇たとえ国家を揺るがす膨大な賠償総額になったとしても、原発事故という人災で私たち被害者が受けた損害は、金銭で換算など到底できるはずもない被害です。その一部である「見えている被害」を損害額として請求しています。裁判官が勝手に国家予算をおもんぱかることなく、被害者が受けた被害を正しく認定し、賠償させるよう判決で明示してほしい。
◇被ばくからの自由は、誰にとっても守られるべき権利だと明言する判決。
公正な判決を求める署名提出行動
8・7大阪地裁
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| 2万1819筆の署名を提出(8月7日 大阪市) |
原発賠償関西訴訟原告団、弁護団、支援者らは、8月7日、『原発賠償関西訴訟の公正な判決を求める署名』の提出行動をおこなった。署名は総数2万1819筆。
午後3時から裁判所に隣接する大阪弁護士会館で判決にむけての記者会見をおこない、その後、裁判所東門にむかって入廷行進をおこない、大阪地裁第22民事部合議2係に署名を提出した。
原発のない明日を市民の力で(上)
議員・市民連盟が総会&集会 7・20 大阪
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| 元裁判官として「浜岡データねつ造事件」を弾劾する井戸健一弁護士(7月20日) |
7月20日、反原発自治体議員・市民連盟関西ブロックが年次総会と記念講演会を大阪府茨木市で開催し、会場は満杯となった。
冒頭10分間は年次総会。休憩の後、記念講演会が始まった。
井戸謙一弁護士が講演
「浜岡データねつ造事件を脱原発の突破口に」と題する講演要旨を紹介する。
この一年半の判決・決定は、すべて「棄却」。内容も悪く、ステレオタイプ化されている。立証責任を全面的に原告住民に負わせようとしているのが現状。
浜岡データ不正の深刻さ。「20組の地震動とその代表波」のセットを一つではなく多数作成し、その中から中部電力が「一つのセットの代表波」を選定していた。
浜岡不正は、(規制委への)外部通報がなければ発覚しなかった。原子力規制員会は、不正をチェックできなかった。規制委は2023年9月に中部電力が策定した基準地震動を「概ね妥当」と評価していた。
不正が明らかになった後も、原子力規制委員会は、中部電力以外の他の事業者に水平展開する意思がない。
規制委員会は、生データをチェックしていない。生データの評価は事業者に任せている。性善説に立っている。そもそもチェックする仕組みも、意思も、能力もない。
この問題が司法審査にどう影響するかというと、「原子力規制委員会の許可があるからといって、安全であると推認できない」ということ。
推認するためには、基準の合理性、適合判断の合理性だけでなく、被告事業者が一次データを適切に選択、評価していることを証明しなければならない。
そもそも、原子炉規制法は、新規制基準への適合を設置許可の要件としているのに、規則は、規制基準への適合を確認できる仕組みになっていない。新規制基準自体が違法ではないか。この主張を、今後、全国の原発差止訴訟で展開してゆきたい。
原発回帰の戦略として、新しい原発安全神話〈新規制基準は世界で最も厳しい基準〉と被ばく安全神話〈福島原発事故のような大事故でも住民の健康被害はゼロだった〉が、ふりまかれている。
もはや原発政策は破綻した。八方塞がりだ。核燃サイクルの破綻、もんじゅは廃炉、再処理工場は完成しない。耐震補強工事ができないレッドセル問題など。(つづく)
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| 会場一杯の参加者(7月20日茨木市) |
7面
〈寄稿〉99%が1%に勝利するために
〈統一戦線〉と〈地域社会〉について考える�@
大庭伸介
この世の中は全人口のわずか1%にすぎないブルジョアジーが支配し、労働者をはじめとする99%の人たちが搾取され抑圧されている。なぜ、こんなことがまかり通っているのか。この素朴で根源的な問題について、日頃思っていることを述べてみたい。
1%の連中はカネと権力を握り、人民を支配する悪知恵にたけている。多くの御用学者や評論家、メディアが支配体制の維持に協力している。しかし原因はそれだけではない。99%の人たちが力を合わせることができないでいるからだ。つまり「統一戦線」ができていないのだ。この問題を歴史的事実を踏まえながら考えてみよう。
戦前、日本の労働者人民の闘いは敗北の連続であった。しかし例外もある。その代表的ケースとして、1932年の「米よこせ運動」と35年の「大阪・港南の運動」があった。「米よこせ運動」については拙著『レッド』で述べたし、後者については『未来』の前身紙『革共同通信』に連載し『レフト』に収録してあるので、かいつまんで紹介するにとどめたいと思う。
まず「米よこせ運動」について見ていこう。1931年の「満州事変」の勃発に先立ち、政府が戦争に備えて米を大量に買い上げたため、米価が急激にはねあがり、庶民は米を買えなくなってしまった。
東京のスラム街の失業者や在日朝鮮人が三々五々区役所に出向いて、お助け米の払下げを懇願した。警察官を呼んでけんもほろろに追い払った。
関東消費組合連盟(関消連と略す。幹部は共産党員)は失業者が集まる職業紹介所(現在のハローワーク)や困窮者が身を寄せる長屋に、「みんなで要求をまとめ、署名し、代表者を選んで政府と交渉しよう」と、5万枚のビラと請願書の見本を配った。この呼びかけは干天の慈雨のように失業者や主婦のなかに浸透していった。
1932年6月6日、50人の代表者が農林省に押しかけ、次官や関係局長と会見した。当局は慈善団体や宗教団体に払下げ米を支給している手前、関消連の要求を拒否するわけにいかず、1千俵の払下げに応じた。しかし、この程度では焼け石に水にすぎなかったのである。
関消連はもっと大量の払下げ米を得ようと、社会民主主義系の消費者団体にも参加を呼びかけて彼らと分け隔てなく相談し一緒に行動して、〈東京米よこせ会〉をつくった。
共産党中央は当初、この運動は大衆に迎合する日和見主義だと否定的であった。しかし運動の盛り上がりを前に、後を追うように乗っかってきた。
〈東京米よこせ会〉は、次の請願日を8月1日に決めた。ところが8月1日は国際反戦デーに当たるので、共産党中央が反戦を第一に掲げるべきだと介入してきた。これでは「これは共産党の運動だ」と弾圧を招くことは必至である。長時間の討論の末、共産党中央も関消連幹部の主張を認めざるを得なくなり、目標を払下げ米1本に絞ってデモをおこなうことになった。
関消連の上部団体である日本無産者消費組合連盟は、南樺太から台湾・朝鮮まで日本の統治下のすべての地域で米よこせの請願運動を起こすように呼びかけた。
当時官庁街を3人以上で歩くことはデモとみなされ禁止されていた。職業紹介所や長屋、消費組合から選ばれた400人の代表者たちは8月1日、1人2人とバラバラに行動し、午前10時ジャストに農林省前に集まった。数百人の警察官が弾圧に乗り出してきて、群衆はいきりたった。しかし、ここでぶつかったら元も子もなくなってしまう。請願隊の幹部が間に入って、赤子を背負った主婦や老人を含む人たちを炎天下、玄関前のコンクリートの上に座り込ませた。
10人の代表者が米穀課長と長時間掛け合った結果、月に6千俵の米を安値で前渡しで払い下げることになった。
政府は戦時下で、1918年に日本中を大きく揺るがせた米騒動が再現することを恐れていたので、盛り上がる大衆の声に応じたのである。「米よこせ運動」は1935年の秋まで、全国各地で展開されていった。
「米よこせ運動」は指導部が長い間戦術を練り、中国侵攻下の厳しい弾圧をかいくぐり、柔軟に対応して目標を達成した。「統一戦線」の勝利であった。
狭山再審闘争へ
9・23 神戸で石川早智子さんが訴え
尼崎では3周年集会
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再審法改悪の中でも狭山再審を求める闘いは続く。7月23日尼崎では炎天下3周年集会に向け街頭宣伝がおこなわれた。毎月1回だが市内2か所で交互の街宣に市民の反応は回を追うごと良くなっている。
9月には狭山の石川早智子さんと日野町事件の阪原さんを迎え原告死後の再審を論議する。再審勝利に向け地を這う闘いを続けよう。
日野町事件と狭山事件から考える死後再審 阪原さんと石川早智子さんのトークセッション
とき:9月23日(水・休)午後2時
ところ:神戸市中央文化センター
(映画評)
『霧のごとく』
監督:陳玉勲 2025年
1953年、台湾・嘉義の村。少女・阿月(agoat)が、甘蔗畑に身を隠す兄(育雲)に食料を運んでいる。映画はこのシーンからはじまる。兄は反体制活動家として、警察から指名手配されている。「苦しいときは、この時計の針をすすめ、5年後、10年後の自分を考えろ」。こうして、阿月は兄から腕時計をもらった。
翌年、兄は処刑された。阿月は兄の遺体をひきとり弔うために、台北にむかう。台北には、幼いとき養女に出された姉(阿霞)が住んでいる。この姉が唯一の頼り。しかし、阿月は姉と一度も顔を会わしたことがない。
バラックが立ち並ぶ台北の街。人びとは日々のカネを得るためにうごめいている。阿月は、数え年で15歳。盗賊に足元を見られて、拉致される。この時、人力車の車夫をしている趙公道に助けられる。さまざまなことにでくわすが、阿月は姉とともに兄を弔う。
50年後の2004年。阿月は目標どおり教員となった。いまは退職して、娘と孫と住んでいる。ある日、阿月は病院で公道にでくわす。阿月は「どうしてきたのか」をたずねる。公道は25年間刑務所に入れられており、ひとり身だ。
実話のように描かれているが、登場人物は創作だ。戦後、台湾の人びとはさまざまな人生を歩んできた。ひとり一人に、現代史が刻印されている。
「白テロ時代」の台湾
台湾では国民党の支配のもとで1949年に戒厳令がしかれた。1987年に民主化を実現し、1987年に戒厳令が解除される。この間、台湾は「白テロ時代」と呼ばれている。
この映画では、1954年の社会情況が描かれている。「本省人」と「外省人」が対立していた。台湾人は台湾語を話す。阿月が話しているのも台湾語だ。「外省人」は広東語など中国語を話している。どこの出身なのか、それは話し言葉でわかる。広東と山東の違いでも、話し言葉が違うから、いがみあっていた。
公道は国民党軍として内戦を戦い、台湾に逃げてきた。公道は特務機関からマークされていた。「白テロ時代」には、「本省人」だけではなく、「外省人」も弾圧された。
「霧のごとく」
兄は社会主義を夢みていた。甘蔗畑の中に隠れているとき、兄は絵本の構想を阿月に語る。「水の雫が雲になった。雲は見晴らしがよく、世界をみわたすことができた。やがて、雲は雨となって、砂漠を緑にうるおした」。兄が処刑されるとき、姉にあてた手紙の中で、この物語は次にように変わっていた。「ふたつの雫があった。ひとつは雲になり、ひとつは霧になった。霧は大地を覆い尽くすが、何も残すことなく、やがて消えていった」。
「雲のごとく」生きる人もいるが、圧倒的な人びとは「霧のごとく」生きている。こうして社会がつくられる。阿月、兄、姉、公道も、戦後史のなかで「霧のごとく」生きてきた。台湾の「移行期正義」は、このような人たちによって推し進められている。映画のタイトルはここからきている。
「サヨンの鐘」について
映画の挿入歌も印象的だ。「サヨンの鐘(月光小夜曲)」(古賀政男作曲)が歌われる。日本人にとって、この曲は単純に賞賛できない。「サヨンの鐘」は、台湾の植民地支配を正当化する、愛国美談として使われた。植民地にされる側の痛みを感じ取り、侵略の歴史をみすえ、この歴史を繰り返さない。今だからこそ、このことをしっかり受け止めたい。(K)


















