1面
革共同全国委が分裂 清水・秋月体制崩壊
矢嶋尋全学連委員長声明 断固支持
政治局派の襲撃許さず学生運動守れ
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| 日米軍事演習レぞリュート・ドラゴン25繁体東京・大阪・全国で行動(写真は9月15日大阪駅前 3面記事参照) |
(1)9月初旬、革共同全国委(機関紙『前進』)が分裂した。開催された革共同第35回全国委員会総会で、石田真弓政治局員・中央学生組織委員会(SOB)議長を「石田反革命」と規定し除名。前進社に居住する学生戦線の20人を、「1人残らずたたき出した」と公表した。昨年来3労組共闘の代表的人格の1人=OZの女性差別事件を解決できず、抑圧・隠ぺいしたことへの自己批判が8月末に大衆団体の全国総会で表明され、抑圧した関西幹部2人の除名も報じられた。そして8月過程で石田政治局員の女性差別が告発されたが、この問題を組織的に解決するのではなく、「石田反革命、私党化」として35全総で除名した。
これに対し9月21日、矢嶋尋全学連委員長の「35全総を前後する革共同政治局・全国委員による女性差別襲撃への弾劾声明」が出された。同声明は石田政治局員のつれあいであり、石田女性差別の告発者である矢嶋委員長が、つれあいの女性差別を組織的に解決しようと政治局に提案したものが正しく扱われず、その一部を印象操作され「石田は差別者、反革命、私党化」と断罪され、35全総で激突したとある。革共同政治局は告発者である矢嶋委員長を政治局の言いなりになる「模範的告発者」にしようとしたができず、政治局自身の女性差別が問題となることを恐れ、石田政治局員を「石田反革命」と規定し除名し、矢嶋委員長ら20人の学生を生活拠点である前進社本社から追放したのである。
(2)この2つの声明(政治局に追随する各種声明も含む)を読了した時、我々は06年3・14決起から07年11月末に至る過程の、我々関西地方委VS政治局・中央派の激しい闘いを想起した。一度は我々の3・14決起(当時の関西議長の組織運営と金銭腐敗を断罪、関西の圧倒的多数が支持)を承認したかに見えた政治局は、自己批判した清水丈夫議長・天田書記長と、「俺は自己批判しない」と居直った中野洋副議長が、「3年で覆す」と手練手管を練り、07年11月の関西党員総会に全国委員会をぶつけ、関西の指導部を除名した。われわれはこの中央の陰謀を見抜き、事務所拠点と正当な地方委員会を継承・維持した。08年1月には『11月関西党員総会報告』と新たな機関紙を発行し、革共同中央と決別した。
それから20年弱。「労働運動路線」なるもので党を壟断した中野らは、7・7自己批判を否定し広島差別事件を惹起し、中野の手先=大原政治局員・労対部長は女性差別で除名。更に本社女性差別事件で天田書記長ら清水を除く全政治局員が解任された(中野は10年に死亡)。さらに「労働運動」を巡るジグザグで、15年7回大会の「党の労働組合」路線を19年26全総で全面否定した。正しくも真っ先に7回大会路線に異を唱えた東北地方委指導部(EL5)を除名し、東北地方は失陥した。24年には3労組共闘の人格的代表OZの女性差別事件で、3労組共闘をみずから破壊した。そして今回ここ数年、運動全体の突撃隊的役割を担ってきた全学連委員長らを排除し、革共同全国委の全面的最終的破産が暴露された。5年前に浮上した清水丈夫議長は何事もなしえず辞任し、清水―秋月体制は崩壊したのだ。
既に20年近くになるとはいえ、たび重なる路線転換、政治局員除名の乱発、女性差別事件の頻発は、同じ組織にいたことを恥じるばかりだ。この中で我々は自己の党の唯一絶対路線をとらず、安保・沖縄、反原発、労働運動、差別・排外主義との闘い、国際連帯の闘いの戦闘的共同闘争に全力を注いできた。更に今年3月には「本多延嘉追悼50年の集い」を全国の仲間とともに開催し、革共同の旗を守った。
(3)矢嶋委員長を先頭とする学生の決起に、我々は18年半前のことを昨日のことのように思いうかべ、苦難が予想される今後に心からのエールを送る。あなたたちの行動は戦争と貧困と排外主義と組織的抑圧と闘う全国・全世界の人々に限りない勇気を与えるだろう。われわれが1年半かかった政治局・中央との対決を、わずか1カ月で決断し蜂起した胆力をうらやむばかりだ。この決起は、マルクスの思想的営為とレーニンの革命的実践を継ぐ革命的共産主義者として全世界を獲得せずにはおかない。まさに「未来は青年のものである」。
ただ1点、声明の中にある「中野洋賛美」だけは認められない。しかし我々の決起の時、あなた方はまだ小学生ほどで、その責任を問おうとは思わない。いずれ戦闘的討論が始まるなら知らない事実も含め革共同の総括を深め、新しい共産主義運動・社会主義運動の実践の中で止揚していきたい。ただ石田真弓政治局員は、EL5問題は当事者であるはずで、学生指導部時代と今回の女性差別問題はしっかりとした総括が求められる。また「中核全学連」の運動が革共同を主語とした同心円的拡大運動で、政治局を助けたことの総括も必要だろう。
いずれにしろ、今秋闘争の過程であなた方は背後からの襲撃をはね返し、大きく歩みを始めると確信する。関西を中心とする「革共同再建協議会=未来派」ではあるが、首都圏でも全国でも中国侵略戦争反対、沖縄を再び戦場にするな! を闘争環とし、安保・沖縄・基地との闘い、反原発、差別・排外主義との闘いの中で相まみえることを望みたい。
未来は青年のものである。ともに闘おう。
2025年9月23日
革命的共産主義者同盟再建協議会
全学連矢嶋委員長の声明はhttps://zengakuren.jp/で検索可
2面
C滑走路建設・第2の開港許すな
10・12成田現地闘争に集まろう
招請状
三里塚芝山連合空港反対同盟
来る10月12日、私たちは成田市赤坂公園において全国総決起集会を開催します。
アメリカ・トランプ政権はイスラエルによるガザ攻撃・完全制圧を容認し、すでに6万2千人以上の人々が虐殺され、飢餓がおそいかかっています。イラン核施設への爆撃は世界戦争・核戦争への道を開くものです。石破政権はこのトランプと共に中国への戦争準備を加速させ、沖縄・南西諸島を軍事要塞化しています。
私たちは、中国・アジアでの戦争の切迫に対して、今こそ「空港絶対反対」「農地死守・実力闘争」のスローガンを高々と掲げ、反戦・反権力の砦として闘う決意です。
成田空港会社(NAA)は「第2の開港」と称して、空港機能強化(大型輸送機の発着が可能な3500b滑走路を2本建設し、空港の運用時間を午前5時から深夜1時に延長)とターミナル・交通アクセス・貨物地区の再編・強化を進めています。
成田拡張の真の目的は中国に対する戦争準備であり、そのための軍事拠点づくりです。政府は全国36の空港や港湾を「特定利用空港・港湾」に指定し、軍事利用のための拡張・整備を急ピッチで進めています。最大の民間空港である成田の軍事基地化が攻防の焦点です。
私たちは闘いの当初から戦争に反対し59年の闘いで成田空港の完成=軍事空港化を阻んできました。NAAは5月にC滑走路建設の本格着工を宣言したものの民有地の用地確保率は74%で、反対する住民の抵抗の意志は強く、買収の見込みはありません。また、航空機騒音被害に対する住民訴訟も闘われています。私たちは立ち上がる周辺住民との連帯を強め、成田を侵略のための出撃・兵站拠点にさせないために、沖縄をはじめとした全国の基地反対闘争と一体で「第2の開港」粉砕を闘います。
3月24日の耕作権裁判の不当判決は、こうした私たちの闘いをつぶすための攻撃にほかなりません。千葉地裁民事第2部・齊藤顕裁判長は、NAAによる文書ねつ造、市東孝雄さんの父・東市さんの署名と印鑑の偽造など数々の違法・脱法を不問とし、「賃貸借契約は具体的な場所、範囲を定めていない」として、祖父の代から耕し続けてきた市東さんの耕作権を否定しました。弁論や証言で明らかにした事実を無視し、NAAの意に沿って市東さんの耕作地を取り上げる判決です。満腔の怒りで控訴審に突入しましょう。農地強奪の強制執行をふたたびもくろむなら、これを実力阻止する陣形を強力に打ち立てましょう。
巨大空港建設を阻止し、農地・農業を守る闘いこそが今必要なことです。猛暑、山火事、大雨・洪水、干ばつなど全世界で異常気象が日常化する中、環境破壊・農業破壊を阻止する闘いは待ったなしです。市東さんの農地を守り、成田空港の廃港へ共に闘いましょう。
動労千葉をはじめとする闘う労働組合への解体攻撃、沖縄・南西諸島を戦場にする軍事基地建設、核武装のための福島圧殺と原発再稼働強行。戦争に向けたあらゆる反動、差別・排外主義を断じて許さず、全国・全世界の民衆と共に三里塚は立ち上がります。10・12三里塚全国集会にぜひお集まり下さい。本集会への賛同・参加とメッセージの寄稿をよろしくお願いします。
2025年8月25日
9・7 いたみホール反原発集会(下)
(承前)
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| 2時間近く語りあう(机・左から)西谷・藤原・青木さん(9月7日兵庫県伊丹市) |
新興政党の躍進と核武装問題
まず、西谷文和さんが藤原辰史さんへ2点の問い。@参政党の躍進の理由は、A「核武装は安上がり」とは本当か。
藤原さんの答え。「コロナ・パンデミックの時代、ワクチンは大丈夫か、化学肥料の農業は大丈夫なのかと不安が広がりました。ナチス・ドイツの1933年ころの政策が、オーガニック・ファーストのエコロジーの強調で、アーリア民族の身体にとって、健康は重要な課題であり、この健康は、国家のために必須。こうして、身体障碍者、異民族、国家主義批判派が弾圧され、ドイツの大地など自然にやさしく、人間に厳しいものとなる。それは、戦争に伴う大飢餓が第一次世界大戦によってもたらされたからだった。参政党が言う〈健康は国民の義務〉という政策は、ナチスドイツの軍事国家主義政策と重なっている」。
第2点に関しては、「核武装に先行する核実験は、マーシャル、ビキニ諸島などにみられるように、地元の住民、環境に多大な影響を与えます。現地の人々には、事前説明もされず、事後の行動も、調査研究という目的で、救済とか治療とかないわけです。
また、ビキニは女性の水着の名前に換骨奪胎されて核実験場の真相は消えてしまいます。これは、フランスのデザイナーがしました。(帝国は、植民地を使い捨てにする)。さらに、核兵器施設の管理・点検過程での大事故は偶然、助かっていることがレポートされている。過酷事故やらなにやら、軍事に関しては、偶然の積み重ねで、助かっているだけのように思われます」
公安警察の闇
次に、西谷さんが青木理さんに問いかけ。「イラク報道をした私は、大阪府警に家庭訪問されテロリストの動向を知らせろとさぐられながら、海外に行ってもらっては困る、捕まったらどうする? 海外には行きませんよね? え? 引っ越すんですか、そこは、兵庫県警ですね。大阪からは、はやく出て行ってもらいたい、など、嫌がらせを受けてきましたが、こうした問題どうお考えになりますか」
青木さん「政治と警察の癒着がひどくなったのは安倍体制から。公安の官邸との癒着を防止するのが、公安委員会ですが、これがすべて委員が公安出身者になってしまいました。近くでは、大川原化工機冤罪事件が際立っています。スパイ防止法への期待や公務員の反日的勢力をあげつらうようなヘイトがここまでになろうとは。確かに、少子化、地方の過疎化、エネルギー政策、社会保障、年金など貧困な国の政策に対して、人権、自由、平等、民主主義など政治の正義をなぎ倒され、ロスジェネ世代と言われる人々がため込んだものが今回の選挙で、この新しい政党に批判的に流れ込んだとは思えず、党の政策への評価ではなく、有権者と新政党がうみだした一種の現象、野合症状、症例にすぎぬものでしょう。毎日の遠藤記者は大川原化工機事件を立派に取材しきり、公安からスクープをとり、冤罪証明に貢献しました。公安関係者は、でっちあげについてこう語ったそうです。『大きすぎる企業では、公安警察などの天下りがいて思うようにならぬ。小さい会社では、手柄にはならぬ。それで、100人くらいの会社をねらったんだ…』」
普通の人々が知らない政治と権力の野合について、青木さんは、『日本の公安警察』、『増補版 国策捜査』等々、追及しています。
最後に西谷さんが、明るい展望を開くはずなのに、なんとかなりませんか? と。
藤原さんは、「いま、小さな書店を、地元の人々で、なんとか営んでゆく活動が広がっています。地方の独自の正しい情報活動の可能性にあふれているわけです。小さな書店の文化活動が、知られぬうちに、すでに始まっています」。(おわり/南方史郎)
3面
レゾリュート・ドラゴン25反対
東京・大阪で行動
東京 防衛省申し入れ
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| 防衛省に申し入れ(9月13日) |
9月13日、防衛省に対して〈トランプ来日・石破&天皇会談に反対する実行委員会〉(連絡先/破防法・組対法に反対する共同行動ほか)が、「日米共同演習『レゾリュート・ドラゴン』の中止等を求める申し入れ」をおこなった。
数十人の市民が結集して、日米のオスプレイを使った訓練や琉球弧諸島の軍事要塞化・そこを戦場として想定した演習「レゾリュート・ドラゴン」、辺野古新基地建設等々をやめるよう強く要求した。
大阪では駅前でスタンディング
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| 抗議行動は人民広場でなされた(9月15日) |
大阪では〈沖縄を再び戦場にさせない実行委員会(大阪・兵庫)〉の呼びかけで9月15日、JR大阪駅前広場(人民広場)に60人が集まり演習中止を求めるスタンディング・街頭宣伝をおこなった。今夏・今秋過程で、基地建設と軍事演習が引きも切らずおこなわれていることに、〈沖縄を再び戦場にさせない実行委員会(大阪・兵庫)〉では大きな怒りが巻き起こり行動を呼びかけた。
既に8月21日から9月1日には日米豪指揮所演習(ヤマサクラ89)が伊丹・千僧駐屯地でおこなわれた。続いて9月16日〜24日には伊丹駐屯地(陸自中部方面総監部)で初めてオーストラリア軍が加わる日米豪合同演習「オリエント・シールド25」がおこなわれた。それに続いて、9月11日から25日まで、北海道から九州・沖縄・南西諸島を舞台に「レゾリュート・ドラゴン25」が過去最大規模で、陸上自衛隊、米海兵隊、米陸海空軍も参加し、最新兵器を使いまくって実戦さながらになされた。ウクライナ戦争で使われたロケット砲システム「ハイマース」、オスプレイ、さらに地上発射型中距離ミサイルシステム「タイフォン」が使われた。対中国包囲のためアジア・太平洋・欧州の軍隊が一体となって最新兵器を使う連続的演習を許してはならない。
戦後80年。今また市民の生活困窮をよそに、5年間43兆円、1年で9兆円もの軍事予算を組む自公政権を許してはならない。10・19祝園全国集会を結節点に、全国各地の反基地闘争が連携し、基地拡張・軍事演習反対の闘いを強めていこう。
沖縄日誌8月 軍事が優先
レゾリュート・ドラゴン25実施へ
8月2日 名護市辺野古のキャンプ・シュワブゲート前で「第51回県民大行動」が開かれ、市民6百人が参加。新基地建設反対の声を上げた。7月の参議院選挙で初当選した高良沙哉氏も参加、「皆さんの思いを国会で伝える」と決意表明した。玉城デニー知事もメッセージを寄せた。
5日 宮古島の陸自宮古島駐屯地が5日夜、宮古島市伊良部の公道で徒歩防災訓練を実施した。同駐屯地が公道を使った訓練は3年連続。陸自所属の16人が参加。ミサイル基地いらない宮古島住民連絡会(以降・住民連絡会)は抗議の声を上げた。
同日 沖縄防衛局は、辺野古新基地建設の工事を、日曜、祝日にも進めると発表。台風などの影響で、大浦湾の作業船が一時撤退しており、工事の遅れが指摘されている。
6日 宮古島の陸自宮古島駐屯地はこの日も訓練を実施した。住民連絡会は抗議行動を展開。この時、抗議の市民に宮古島駐屯地司令の比嘉隼人警備隊長が「許可を取っているのか、許可をとれ」と恫喝的な態度をとった。清水早子共同代表は「脅すように『許可をとれ』と命令したが私は部下ではない」と指摘。
8日 オール沖縄会議は、名護市の安和桟橋で昨年6月に起きた死傷事故で、抗議活動中に重傷を負った女性を県警が被疑者として扱うことの撤回を求める声明を発表した。女性は6日と8日の2回、重過失致死容疑の被疑者として県警の事情聴取を受けた。北上田毅さんは「女性を被疑者とすることで、防衛局や受注業者らの責任を問わないようにするための問題のすり替えで絶対に許せない」と懸念を示した。
17日 中山義隆前市長の自動失職に伴う石垣市長選が投開票され、中山義隆前市長が当選(5期目)。政府が島内で進める軍備増強に反対した砥板芳行氏は、およばなかった。
19日 宮古島の宮古島陸自駐屯地で住民連絡会は比嘉司令と面談、抗議文と公開質問状を手渡した。比嘉司令は謝罪の言葉を述べた。面談後、清水早子共同代表は「全く謝罪になってない、うやむやにすると恫喝することが当たり前になる」と話した。
24日 任期満了に伴う与那国町長選が投開票され、長距離ミサイルの配備反対など、自衛隊の機能強化に「ある程度の歯止めが必要」と訴えた上地常夫氏が当選した。「一戦を交える覚悟が問われる」発言の糸数健一前町長は敗れた。糸数氏は「なぜ負けたのかさっぱりわからない」と町民の気持ちが全く分かっていなかった。
26日 9月に石垣市などで日米共同訓練「レゾリュート・ドラゴン25」が実施予定であることに〈石垣島の平和と自然を守る市民連絡会〉は訓練中止の声明を発表した。米軍は最新型の地対艦ミサイル「ネメシス」を来年3月より「第12海兵沿岸連隊」に6基を配備する。その前に石垣島での共同訓練で展開する見込み。
日米共同訓練「レゾリュート・ドラゴン25」で、与那国での、米軍による高機能ロケット砲やオスプレイの展開が明らかになった。上池常夫町長は「オスプレイ飛来や公道を使用した訓練は容認できない」と主張した。(杉山)
4面
投稿
沖縄スケッチ ヤンバル便り(第3回)
辺野古新基地建設問題を巡る「住民訴訟」
2025年8月15日 名護市在住 島袋利久
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| 知事の「不承認」を支持する住民の訴訟(8月7日) |
ヘリ基地反対協は2019年以来、辺野古、大浦湾沿岸の住民を原告とする「住民抗告訴訟」を@知事の撤回を支持する、A知事の不承認を支持する、B代執行の取り消しを求める、3件の「住民の訴訟」を起こしています。
抗告訴訟とは、行政庁の公権力の行使に対して不服を申し立てる訴訟です。これらの訴訟は1997年、辺野古新基地建設に反対する名護市民・ヘリポート阻止命を守る会・二見以北10区の会、一坪反戦地主会や労働団体などにより結成されたヘリ基地反対協議会の闘いの一環でもあります。自公政権による辺野古新基地建設を強行しようとする違法・不当極まる政権に対して沖縄県が提起した多くの訴訟は、国民主権、基本的人権・憲法の番人として自由と民主主義の基本である三権分立を投げ捨て国家権力の番犬になり果てた警察や司法によりことごとく沖縄県は敗訴しました。それでも「住民の訴訟」には沖縄県の自治及び県民の民意を実現する知事を支える重大な意味もあります。しかし、自公政権は「日米安保体制」を強化発展・国策遂行のために平然と沖縄の民意を踏みにじり、沖縄県知事は「訴える権利がない」=原告不適格を振りかざし「門前払い」をして来ています。この分厚い司法権力の壁を基地被害を直接受ける当該地域である、久辺三区(辺野古、豊原、久志)、二見以北10区(二見、大浦、大川、瀬嵩、汀間、三原、安部、嘉陽、天仁屋、底仁屋)の住民を中心に人間の命と尊厳をかけて訴訟を起こしています。
翁長知事「埋め立て承認」撤回を支持する住民抗告訴訟
2018年8月8日翁長雄志県知事が死去。翁長知事が命を削って仲井眞弘多前知事による「埋め立て承認」を撤回(翁長知事の死後、その意志を沖縄県が行使)、いったん工事は停止した。そして、同年9月におこなわれた県知事選挙で、翁長知事の意思を継ぐ玉城デニー知事が過去最多票を獲得し圧勝しました。しかし、安倍晋三自公政権は沖縄の辺野古新基地NOの民意を蹂躙し、新基地建設の事業者である沖縄防衛局が行政不服審査法を使い「撤回」執行停止を国土交通大臣に申し立て、国交大臣が執行停止を決定し、11月に工事を再開した。12月に辺野古埋め立て予定海域の埋めたて工事を開始しました。安倍は本来私人(国民)の権利を救済するための「行政不服審査法」を使って国の機関(防衛局)が申し立て、同じ国の機関(国交省)が決定した「私人になりすまし」この「自作自演」に対し全国の行政学者から強い批判、非難を受けましたが安倍は無視しました。
2019年1月29日、辺野古・大浦湾沿岸の住民16人が原告となり「埋め立て承認撤回の執行停止」を求めて那覇地裁に提訴しました。同年4月には国交大臣が埋め立て承認を取り消す裁判をおこなったため、その「裁決」の取り消しを求める訴訟(本訴訟)を4月19日に提起した。
2020年3月19日、当時の平山馨裁判長により執行停止に関する決定が出された。原告16名のうち辺野古、豊原に住む4人について原告適格を認めた上で「緊急の必要性」はないとして執行停止の申し立てを却下しました。4月13日、「原告適格なし」とされた11人(大浦湾沿岸住民)についての却下判決が言い渡されましたが、原告適格を認めた4人については今後も審理を続行するという異例の展開になりました。しかし、11人の却下は不当ですが、4人は原告適格を認められたこと、そして、裁判所が「今後予想される大浦湾の軟弱地盤改良工事について改めて環境影響評価を行う必要がある」と言及した事は画期的です。今まで一貫して原告適格なしと「門前払い」を主張する国に対し、本論である「国交大臣の裁決の違法性」を中心に審理するとしていた平山裁判長が2021年4月の人事異動で交替して、新任の福渡裕貴裁判長は2022年4月26日、平山裁判長が認めた4人の原告適格を認めず却下したのです。
原告及び弁護団はその判決を不服とし、5月6日福岡高裁那覇支部に控訴。2回の公開弁論と非公開の進行協議を経て「判決期日は追って指定する」としました。焦点は4人の原告適格の有無で、原告の勝訴の時は地裁へ差し戻しになり、敗訴の場合は最高裁へ上告することになります。
知事の不承認を支持する住民抗告訴訟
2021年玉城デニー知事は、沖縄防衛局による大浦湾の軟弱地盤改良工事の設計変更申請を不承認しました。それは、2019年2月24日におこなわれた、辺野古埋め立ての是非を問う県民投票で示された反対票72%の声をバックに、地球上稀な生物多様性を有する大浦湾への自然破壊が大きすぎることと、工事が技術的にも安全面からも不可能であることなど、公有水面埋立法の要件を満たしていないことが大きな理由にあります。
ところが2022年4月8日、国交大臣はまたしても「行政不服審査法」という前回と同じ手法を使い「取り消しの裁決」をしたのです。
そのような不当極まりない「取り消しの裁決」に対して、地元住民達は同年8月23日に知事の不承認を取り消した国交大臣の裁決は違法だとして、裁決の取り消しを求める訴訟を那覇地裁に提訴しました。原告は20人で辺野古、大浦湾の沿岸住民に加え那覇市でダイビングショップを営み、大浦湾を主な仕事場にしている人も原告に加わりました。
国の違法性を問う審理に入るためには「原告適格」の関門を突破し、一般住民よりも、そこで営業行為、基地建設によって目に見える損失を被る人の方が原告適格を認められる可能性が高いはず。この裁判長に就任したのがなんと「知事の撤回を支持する住民抗告訴訟」で不当判決を下した福渡裁判長でした。福渡は2023年3月23日、第3回口頭弁論で驚くべき訴訟指揮をおこないました。
それは、原告の浦島悦子さんに対して意見陳述書の事前提出を求め、意見陳述の文言を書き換えなければ陳述を不許可にするという強権を行使したのです。それは、原告の思いである、大浦湾の生物多様性を守る観点から述べようとしたもので、生物多様性条約を批准し、守るべき義務を持つ国が、国民の税金を使って基地建設を強行し、生物多様性の高い海を破壊しているのは「国家犯罪」であり、後世の人々から「断罪」されるだろうと書いた4カ所、即ち「国家犯罪」を「違法行為」、「断罪」を「責任を問われる」と書き換えなければ陳述を不許可にすると言われ浦島さんは弁護団と相談して書き換えて陳述せざるを得ませんでした。
この陳述書の書き換え強要に弁護団は福渡の訴訟指揮を法廷で厳しく抗議しました。
そして、2023年6月13日の第4回口頭弁論では、検閲まがいの陳述書の事前提出の要求を拒否することになりました。福渡はその報復として浦島原告の意見陳述を不許可にしました。原告弁護団はこの陰険な訴訟指揮に対して、準備書面全てを読み上げると通告し、第2準備書面を30分かけて読み上げました。法廷内は弁護団とこころ一つにまとまり福渡の静止の声を無視して大きな拍手が起こりました。
更に弁護団から、第3準備書面は4時間以上かかると言われた福渡は困惑し情けない顔をしましたので笑い声がわきました。そして、弁護団の奮闘によりその後の進行協議を経て10月19日の第5回口頭弁論では従前のノ―チエック=「事前提出不要」に戻すことになりました。これは、傍聴席と弁護団が一体となった傍聴闘争の画期的な勝利でした。
第5回までに原告・被告(国)の主張も出揃った原告弁護団はこの日の結審を予想していたところ裁判長はなぜか、原告側に対し「原告適格」について追加の主張を要求して来たのです。そして、2025年1月23日に第6回弁論を指定して来ました。それは、「設計変更の不承認を貫く沖縄県に対し国が起こした「代執行訴訟」の高裁判決を見届けるためと思われた。しかし、12月20日の高裁判決で沖縄県敗訴・上告後の第6回口頭弁論において結審せず、これまでの「提出書面に「釈明点がないか精査する」として、第7回期日を3月7日に指定しました。
2月29日、最高裁は県の上告を受理しましたが1回も審理がないまま沖縄県敗訴の高裁判決が確定した。3月5日は今度こそ結審するかと思いきや、裁判長は原告・被告双方に「原告適格」「最高裁判決後の訴えの利益」等について釈明を求めてきました。第8回は5月28日に指定されたが福渡裁判長はここまで審理を引き延ばしてきた事は不明だが、今年度で異動するにあたり、判決文を書かず、今後の審理・判決は新たに異動してくる裁判官に任せる魂胆なのです。
代執行の取り消しを求める住民の抗告訴訟
2023年12月20日の代執行訴訟高裁判決を盾に、国交大臣は年末のドサクサにまぎれて28日の御用納めの日に代執行(県に替わり設計変更を承認)し年明けの1月10日、沖縄防衛局は大浦湾側の工事に強行着手しました。それも僅か数時間ですが、テレビ、マスコミを通し大々的に宣伝するパフォーマンスを演じました。
この国の代執行に対して地元住民30人は2月22日県民投票5周年を期しての原告団を組んで「代執行の取り消しを求める住民の抗告訴訟」を那覇地裁に提起しました。
この訴訟の被告は県と国の双方です。それは、代執行の性格上「設計変更承認という行為は県に所属する」として国が逃げることを防ぐために不本意ながら県も被告としたのです。このことは事前に沖縄県には了承を得ています。
この訴訟を原告・弁護団内部では「県のかたき討ち」訴訟と呼んでいます。この裁判は「知事の撤回を支持する・知事の不承認を支持する抗告訴訟」の集大成と言うべき裁判になるはずです。
原告適格を認めさせた
2025年8月7日「設計変更手続きの取り消し」求めた抗告訴訟で那覇地裁は住民に訴訟を起こす資格(原告適格)があると認め、訴えの審理に入る判断をしました。
片瀬亮裁判長は「埋め立て工事の瑕疵」によって生じる環境や災害の危険が、住民らの「個別的利害」を侵害する恐れがあると指摘して原告適格を認めました。そして、国には裁決の適法性に関する住民らの訴えの反論をするように求めました。5年かけてやっと裁判開始の入口に立つことができました。これから原告団は違法性の有無について法廷で立証と反論を尽す闘いが始まります。次回弁論は11月4日になります。この日は那覇地裁の聴取席を埋めつくし、ウチナンチューに背を向ける司法権力に圧力をかけウチナンチューの命と暮しを守り、沖縄の民意、自治、尊厳を守ために中立公正な裁判を実現させましょう。
原告と弁護団は「知事の不承認を支持する」住民の抗告訴訟で原告適格を勝ち取った力を突破口にしてあと2件の「知事の撤回を支持する」「代執行の取り消しを求める」住民の抗告訴訟でも原告適格を認めさせよう。そして、辺野古新基地建設を止めるための法廷闘争を辺野古の海と陸上の闘いと安和、塩川、宮城島の闘いと連動して全国の反戦、反基地、反安保闘争と連帯して沖縄を二度と戦場にさない為に朝鮮、中国、アジア人民と共同して明日に向かって走りましょう。(連載おわり)
5面
大谷美芳さんの批判に応えて(下)
塩川三十二
3 1極支配崩壊の契機
中東の政治軍事的支配が79年のイラン革命以降次々と崩壊したこと。イラクはフセインを抹殺した後も、イランと組む多数派のシーア派が政権を握り、米軍の占領統治は成功しなかった。ついにはもっとも米帝に政治・軍事的に依存してきたサウジアラビアまでが米帝とは相対的に離反する状態になった。
多くが憲法も議会も存在しない湾岸諸国はその支配を維持する手段としてもっぱら米帝の政治的・軍事的援助を盾としてきた。入植植民地国家であるイスラエルと湾岸・中東諸国の反動王政こそ米帝の中東支配と世界支配を支えてきた最大のてこであった。ところが、2021年の米軍のアフガニスタンからの撤退と2022年イエメンのフーシ派の攻撃に対して米国が援助しなかったことで、サウジアラビアをはじめとする湾岸諸国は米帝・米軍に頼るだけでは支配を維持することが困難なことが明白になった。
そこで2023年8月にアルゼンチン・エジプト・エチオピア・イラン・サウジアラビア・アラブ首長国連邦(UAE)がBRICSに同時加盟することを発表した。サウジアラビアに至ってはこの年に、ウクライナ和平会議を主催するまでになっている。他方で、米帝が必死に斡旋・仲介している、イスラエルとサウジアラビアの「国交正常化」はペンディングしたままである。サウジアラビアはもはや米帝のコマではなくなっているのである。
他方でドルが減価し、もはや原油のドル取引独占が維持できなくなっている。
減価し続けるドルに対し金(ゴールド)は一貫して価格上昇しており、ドルが金との兌換性を喪失した71年のニクソン・ショック以来、今日までにドルの金との交換比率は77分の1にまでなっている。
ブレトンウッズ体制下では1トロイオンス=35ドルで交換できた金(ゴールド)は、今年4月22日NY先物市場で3500ドルを突破し、当初の100倍になった。対応し通貨供給量(M1)は71年8月のニクソンショックの前の2250億ドルから2025年3月には18兆5600億ドルと80倍超に膨らんでいる(日経2025・4・27)。
トランプはパウエル米連銀理事会議長(FRB)に対する「解任」恫喝を含んだ「利下げ要求」によってかえってドルの信認を下げ、金は最高値を更新したのである。
ドルの信認低下を示す指標は各国の米国債保有高である。日本は2020年以来、米国債保有のトップであり、現在1兆ドル(約140兆円)を超える米国債を保有している。なお第2の保有国は中国であるが、中国は2017年以降一貫して米国債の保有を減らしており、この3年では中国とブラジルは1〜2割減らしており、直近1年ではインドとサウジアラビアも縮小に動いている。この間一貫して米国債保有を増やしているのは英国だけであり、他は減らし気味である。
BRICSが拡大し、石油・金融通貨両面で米帝・ドル支配にとって代わる勢い。
BRICSは当初加盟の主要5カ国(ブラジル・ロシア・インド・中国・南アフリカ)で世界の総人口の約40%を占める、なかでもインドと中国だけで約35%に達する。そのうえ、2024年1月1日に新たにエジプト・エチオピア・アラブ首長国連邦(UAE)、イランの4カ国が加わり、さらに2025年1月にはインドネシアが加盟した。この新BRICSのGDPの合計は世界の約30%を占める。またサウジアラビアが加盟を検討しており、これが加われば、加盟済みのUAEとイラン+ロシアという石油大国が勢揃いすることとなる。
3大石油輸出国にロシアが加われば石油市場を独占できる。アメリカはシェールガス、シェールオイルでエネルギーを自給できるとはいえ、石油市場における米国の覇権は喪失する。そのうえBRICS諸国は現在ドルに依らない共通のデジタル通貨を創出しようとしており、しかもそれを金(ゴールド)に裏打ちされたものとすることを検討している。そうなれば、産油国はそろってドル取引を拒否するであろう。これによって迎える第3の石油危機は、戦後の金融・通貨体制を根底から覆すものとなる。
4 次はアメリの内戦化
最大のダメージを喰らう米労働者人民がたちあがるとき、南北戦争以来の内戦的事態が始まる。覇権喪失国が陥る最大の危機が始まる。
内戦の研究者は次に内戦が始まる国として、米国・インド・ブラジルを挙げている。
バーバラ・F・ウォルター『アメリカは内戦に向かうのか』
原題:HOW CIVIL WARS START AND HOW TO STOP THEM
その理由は、人種・民族・宗教などの分断を強調し、階級的一致を求めないアイデンティティ政治が党派対立と結びつくこと、経済的危機・労働者人民の困窮が強まり、ある階級・階層が政治的・経済的地位の喪失ないし極度の低下を経験すること、などである。SNSを使った憎悪・偽情報・「謀略論」がその対立を増幅する。
その中でトランプ体制が迎える断末魔性(以下の項と注※印は新規な記述)
以下トランプ論のキー概念
@極右ポピュリズム、ペイレオ・コン(ネオコンに対立する古い古い右翼の意味)
A20世紀の共和党指導者の中にはトランプ的右翼排外主義者がいる。
1930年に一律20%の関税を全世界にかけ世界経済の決定的分断を招いたフーバー大統領
1990年代にクリントンに対する共和党大統領候補パット・ブキャナンは移民排斥、NATO脱退・日米安保破棄、日本と欧州の核武装容認を主張した。
B反エリート。反エスタブリシュメント、白人至上主義
C政策手法として、デマ・フェイク・謀略論を振りまき、合法的手続を意識的に無視する
D極端な侵略行為――デンマーク領グリーンランド自治領の米領化、パナマ運河の再領有。メキシコ湾を「アメリカ湾」への名称変更、カナダはアメリカの1州になるべき論、移民排斥とウォール(巨大なカベ)建設
E勝ち馬に乗る「ディール」にのめり込む傾向。
F肝心の米製造業の復活・白人非学歴労働者の復活は展望なし、関税戦争は逆の結果に。
※たとえば、米製造業の雇用労働者は1979年に1955万人いたが、2019年には1270万人に(第1期トランプ政権の後半)、その後バイデン政権で若干回復して今年2月には1277万人になったが、その後のトランプ政権下で減少している。イーロン・マスクの推進するEV車は部品が少なく、その分製造過程に従事する労働者は減る。(週刊現代2025・4・28付号
「トランプ関税戦争で世界恐慌がはじまった」)
※ トランプを知る上での参考文献(当面即役立つもの)
(1)岩永憲治『トランプ経済グレート・クラッシュ後の世界』集英社2025・3・31
(2)バーバラ・F・ウォルター、訳:井坂康志『アメリカは内戦に向かうのか』東洋経済2024・4・6
(3)岡山裕・西山隆行編『アメリカの政治』光文堂2019・5・30
(4)ドナルド・トランプ、トニー・シュウォーツ、訳:相原真理子『トランプ自伝 不動産王にビジネスを学ぶ』筑摩書房2008・2・10
5 日本階級闘争の展望
当面の貿易関税問題に関しては、政府の対応に次の重大問題がある。
自動車のためにコメを犠牲にする対応が露骨。
トランプが非関税障壁として挙げた日本の消費税問題をスルーしている。とくに「戻し税」問題は深刻(米国は連邦として消費税はゼロ)。
日本政府がトランプに逆ねじを食わせる唯一の課題が「安保・防衛」問題である。次にはこの点が大焦点化する。トランプごとき小手先の交渉技術では中国は屈服しない。逆に世界政策ではすでに政治・経済両面で完全に米帝を圧倒している習近平の中国に対抗するには、対中国包囲・戦争挑発しかないことにトランプが目覚めるとき、本当の危機が始まる。
※ 輸出戻し税問題について(以下はすべて新規の記述)
トランプは4月20日、自身のSNSに「非関税障壁のイカサマ」(NON―TARIFF CHEATING)と題して8項目を列挙した。その中で「関税及び輸出補助金として作用する消費税」を挙げている。この事実を日本のメディアは無視・抹殺しているが、輸出大企業の利権を擁護し、隠蔽するものだ。この仕組みは次のようになっている。
消費税法では輸出品は免税と定められている。ここまではEUなどと変わらない。しかし日本では輸出する製品の消費税がゼロになるだけでなく、その製品をつくるために仕入れた段階で課税された消費税・地方消費税の全額が国の自治体から最後に輸出した企業に還付される(輸出還付金)。輸出比率が高い企業は、国内で販売した製品にかかる消費税より、輸出還付金が多くなる。消費税を納める以上に戻ってくるので、これが「輸出戻し税」と言われる仕組みである。米国には連邦の消費税がないため、輸出企業は還付金の分だけ製品を安く輸出できる。
23年度の決算資料から算出した輸出大企業の消費税還付の大きさを見ると。1位がトヨタ自動車で6102億円、2位が本田技研工業で2418億円、以下7位までが自動車関係の大企業で、そのあとは、8位豊田通商891億円、9位村田製作所762億円、10位キヤノンで719億円などである。この仕組みは輸出大企業だけが利益を得る仕組みで、下請け企業や現場労働者、一般消費者である労働者人民は不当に収奪されるだけになっている。
トランプが指摘しているように米製造業や労働者も一種の収奪を受けていることになる。トランプの関税戦争で唯一正しいのはこの点である。ちなみに少し古い資料であるが、2011年度に消費税収入が赤字になっている税務署として、トヨタ自動車の本社のある豊田税務署が1365億円の赤字、日産自動車の本社がある神奈川税務署が561億円の赤字となっている。赤字が少ないのは消費税がまだ5%の時代であったからである(下記(2))。
この点で参考にすべき出版物:(1)消費税減税を阻む『輸出大企業』離縁」週刊ポスト2025・5・16付号(おわり)
6面
小西弘泰さんの死を悼む
橋本利昭
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| 2021年頃の小西弘泰さん |
彼の死にどう向き合うか
8月18日午前11時27分、小西弘泰さんが亡くなりました。はじめ脳梗塞で倒れ、一時回復し、本人もリハビリに励んでいました。ところが誤嚥性肺炎を発症し、呼吸不全状態が進行し、ついに帰らぬ人となりました。1937年3月生まれ、88歳でした。
先達である彼の死に直面し、黙して追悼するばかりです。しかしその生涯を振り返り、学ぶことは、だれにとっても重要と思います。何よりも彼が2007年11月の総会に出席し、ともに革命的共産主義者同盟再建協議会を宣言したことです。以来彼は、医学・医療においても、社会運動・社会変革においても、この立場を貫き通しました。
医師の道か社会運動の道か
小西さんの生涯は、医学・医療と社会運動・社会変革をともに実現する道の模索でした。彼はこれを二者択一ではなく、両者をともに推進する道を貫きました。戦後、50年代までの医学部学生の中には、社会変革の闘いに参加するか、セツルメント活動をおこなう人がいました。いまで言えば、ゲバラのようなゲリラ戦士か、地域に根付いた社会活動の道かの選択です。彼はこの世代と次の世代の間に立つ存在でした。
そして1960年日米安全保障条約改定反対闘争で京都大学医学部自治会委員長としてデモや学生大会でのストライキ実現の先頭に立ちました。一方では卒業と実習を終えるとすぐに、地域医療に飛び込みました。労働者と被差別部落の町に一医師として献身することでした。乏しい医療設備と医療知識の中で「裸足の医者」としての一歩をはじめたのです。まさに「ブ・ナロード」(人民の中に)の実践です。
彼のすばらしい点は、その医療活動と並行して、70年安保・沖縄闘争の労働者・学生の決起を実現する先頭に立って闘ったことです。それは反戦派労働者の学習会の組織化であり、逮捕者に対する救援と弾圧対策の活動でした。
彼のこの闘いの背後には、11歳、1948年まで旧滿洲で過ごした経験があります。日本人として侵略戦争への痛みと反省、中国人民への差別と蔑視への許せない気持ちは中学・高校生の時から身についたものでした。
同時に京都大学医学部の学生および卒業者として、かつての中国侵略戦争における731部隊の活動や、1920年代からおこなわれていた琉球遺骨盗掘を許されないものととらえる立場がありました。われわれは彼の実践の背後にあったその反省と謝罪、告発と糾弾を受けとめ、学び、それを自らの生き方として貫く立場が必要とされます。細菌戦とその実験対象に「マルタ」と称して生きた中国人を充てたこと、及び「人類学研究」の対象として、沖縄の今帰仁村の墳墓から遺骨を持ち出したことのいずれも京都帝国大学医学部の当事者が主犯としておこなったものです。
医師・病院としての理念
小西さんは、医療活動にあたって、「闘病の主体は患者自身」という理念を掲げていました。これは、医療倫理を集大成したヒポクラテスの誓いを現代的に発展させたものといえます。患者の生命・健康保持、プライバシー保護を謳ったその語句の中には、「依頼されても人を殺す薬を与えない」とか、「自由人と奴隷の相違を問わず医術を施す」(患者の立場・出自によって差別しない)という優れた思想を含んでいます。
そして誤った「押し付け医療」の例として、ALSでの闘病を最後まで闘いぬいた松田勲同志の例を挙げています。小西さんが主治医として人工呼吸器を付けない決断をしたことが誤っていたことを、本人の生への強い意志と、糾弾的要請に向きあうことを通してつかみ取り自らを正していったのです。
小西さんは当時の医療・医学の矛盾として、インターン制度、精神科での「電気ショック療法」、「封建的」とさえ言われた医局・講座制などを挙げていました。
そして病院として地域に密着した医療活動を世代にわたる在宅医療、往診活動として住民との間につぎの約束をしています。
(1)病院には往診を認めない医師会に例外を認めさせて往診を継続する。
(2)夜間など時間外の診療もおこなう。
(3)差額ベッド代を取らない。
具体的には、誤診に対しては誠実に対応し、「患者が医療知識を奪還する」場をつくるために「健康教室」を開催したりしてきました。小西さんはまた、1990年代から本格的に始まった「命の選別」と切り捨てに反対しました。「脳死」を人の死とする「臓器移植」に反対し、「尊厳死・安楽死」に反対する講演などをおこなってきました。
社会変革、社会運動として
小西さんは、患者・地域住民とともに 診療所を病院に発展させ、さらにそれを地域の医療・福祉のネットワークつくりに発展させました。このような活動の延長上に、1995年の阪神淡路大震災時の病院挙げての被災者救援運動があり、1999年以降、3期にわたる高槻市議としての活動がありました。
ときあたかも2000年には「措置から契約へ」を掲げた介護保険制度が施行されました。国は医療・福祉の切り捨てに大きくかじを切ったのです。医療・福祉を国民の権利=国の義務(「措置」の意味)から、個人の契約による「自己責任」にするものでした。このとき小西さんは市議立候補を契機に、次のスローガンを掲げました。
「いのち第一 福祉は権利」
「医療・介護は全額公費で」
この闘いは医療・介護を巡る全国的ネットワークの運動に発展し、現在に引き継がれています。このように制度全体に対する闘いを挑むと同時に、それにとどまらず、強行された制度に応じた事業にも踏み出しました。病院のネットワークの発展と、地域住民自身による運動です。それは、中小規模の病院を潰しにかかっている政府に真っ向から対峙するものでした。病院建設のための資金集めから土地探しまで含め、住民自身が担い、防衛しました。そのときから現在に引き継がれている理念が次のものです。これは、患者・労働者・経営の共同の理念として確認されてきました。
「みんなで守ろう みんなの健康」
「みんなで創ろう みんなの病院」
小西弘泰さんが88歳の生涯をかけてつくりだした医療・福祉の実践と社会運動・社会変革の立場を学びつくし、発展させましょう。
連載 私が推す労働運動関係のほん
大庭伸介
D『運動史研究』1〜17号 運動史研究会編(三一書房)
戦前・戦後の労働運動など社会運動の経験者たちが、闘いの内面を赤裸々に語っている。石堂清倫ら研究者たちの透徹した分析も収録され、まさに教訓の宝庫。とりわけ1930年代半ばの〈大阪・港南の運動〉と〈日本共産党「多数派」分派〉の活動を発掘し甦らせた功績は大きい。このふたつの闘いは、反スターリン主義の実践的萌芽とも言うべきもの。特定の党派にこだわらず、実証的姿勢に徹していて説得力がある。多岐にわたる分野を対象としているので、興味を抱いたテーマを選択して読めばいい。
E『日本労働組合評議会の研究 1920年代 労働運動の光芒』伊藤晃著(社会評論社)
著者は社会運動史研究の第一人者。1925年に結成され3年後に解散させられた左翼労働組合の全国組織と、その友誼組合を対象にした本格的研究書。それぞれの闘いの成果と問題点を実証的に示し、中心的活動家たちの内面的成長の過程を深堀りしている。
女性労働者の独自性を保障すべき「婦人部論争」についても詳しく論じ、鋭い問題意識にもとづいて、われわれに多くのことを問いかけている。
7面
通信KOSUGI
東海第二原発を廃炉に!首都圏で一斉行動 第17波
東海村核関連施設見学、集会とデモ
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| 脱原発、川崎駅前の署名行動。2種類49筆の署名が集まった(9月14日) |
川崎で脱原発署名行動
9月14日、川崎市内駅頭での署名行動に参加した。この日は、〈とめよう! 東海第二原発首都圏連絡会〉が呼びかけた「東海第二原発いらない! 一斉行動第17波」として、首都圏で約50団体が参加しての行動の一環だった。
首都圏唯一で超老朽の東海第二原発、あの「不合格」となった敦賀原発2号機を持つ「デタラメ」日本原電が来年の再稼働をめざしている。
しかし、安全対策工事としての防潮堤工事の致命的欠陥が内部告発され、それを直すこともできていない。コンクリートの未充填や鋼管杭が下の岩盤に届いていないなどの欠陥、規制庁や規制委員会から「作り直せ」とまで言われた原電は、欠陥杭を残置したままで外側に新たな鋼管杭を入れるという「構造変更」を申請したが、それも審査官から「説得的ではない」と突き放されてしまっている。
甘い規制委に認めてもらっても、本当にその工事が完成できるのかも危ういのが原電だ。しかもこの2年間で、中央制御室内や電気ケーブルなどで計12件もの火災事故を起こしている!
熟練した職員の退職、新しい職員が現場を経験できていない、人手不足、協力会社など外部の力などとの対応でコミュニケーションも不足している。また電気系の火災では老朽化した機材、ケーブルに象徴されるような、簡単に交換できない資機材の問題での無視が目立つ。これでは、またまた火災も起き、再稼働を強行したならば、想定外の致命的な事故が起きる危険性が強い。
このことはどの原発でも同様だ。
この日も「もう再稼働などもってのほかだ」とアピールが続いた。しかし、この原発で過酷事故が起これば5時間ほどで放射能が飛んでくるというこの川崎でも、署名した人でさえ、この原発の状況については、「知らなかった」と言う人も多いのが現状。この日の署名行動、7人でのマイクリレー、チラシ配布と続き、終わってからは、集まったみんなで「あたり前の地球」をリコーダーとハーモニカの伴奏で唄っていた。
署名の成果は、「東海第二原発廃炉に署名」が33筆、「ALPS処理汚染水の海洋投棄停止を署名」が16筆で、「近ごろとしては多くの署名が集まった」とのことだった。
東海村核関連施設バスツアーと、いばらき大集会・デモ
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| 東海村で闘う仲間とともにデモ行進(8月23日) |
これに先立ち8月23日には東海第二原発がある茨城県東海村での核関連施設へのバスツアーがあった。原子力科学研究所、核燃料サイクル工学研究所(東海再処理工場)、JCO東海事業所などなど20カ所ほどの核関連施設が林立している。ほとんどは林の中にあって遠くの建物しか見えない。しかしJCO東海事業所や東海再処理工場前でバスから降り、説明を聞くなどして危険な場所だと肌で感じることができた。
1999年9月30日に起ったJCO臨界事故では従事する労働者2人が死亡、住民667人が被曝した。事故直後から周辺住民は130人で「臨界事故被害者の会」をつくって健康被害の補償を求めてJCOと交渉したが、「国の見解では健康被害は事故とは無関係だ」としてJCOは交渉を打ち切った。当時の科学技術庁や厚生省と交渉しても、「これは民間企業の問題」として一切の責任を取らなかった。
その後、JCOと親会社の住友金属鉱山を相手に損害賠償を求めて水戸地裁に提訴するときは、もう大泉夫妻だけになっていた。大泉夫妻は事故現場から80メートルにある町工場で被曝。しかし2008年の判決はまったくの不当判決。その後夫妻は病気やPTSDで苦しみながら亡くなり、息子さんが引き継いでいる。
大泉夫妻のたたかいは、今の東電福島第一原発事故での甲状腺がん裁判の先駆けとしてのものでもあった。
こうしたたたかいを私たちも引き継いで勝っていかなければならないだろう。
核施設の見学を終え、東海村での「STOP? 東海第二原発の再稼働いばらき大集会」に参加した。集会には約600人が参加、現職首長の6人が発言した。講演は差し止め訴訟弁護団の大河陽子弁護士が「住民は避難できない」と題し広域避難計画の実効性のなさについて説明した。集会後、約300人が東海村をデモ行進した。
首都圏の老朽原発=東海第二原発は、絶対に動かさせてはならない。(神奈川・深津利樹)
〈本の紹介〉
『ポピュリズムとは何か〜民主主義の敵か、改革の希望か〜』
水島治郎著 中公新書 2016年12月刊
ポピュリズム(大衆迎合主義)とは、政治改革をめざす勢力が、既成の権力構造やエリート層(及び支配的な価値観)を批判し「人民」に訴えてその主張の実現をめざす運動とされる。かつて多様な層の人々の「解放の論理」として現れたポピュリズムが、現代では排外主義と結びつき、「抑圧の論理」として席巻しているとして、2つに分けている。前者は南北アメリカであり、後者はヨーロッパ、米国・トランプ、日本の維新、参政党など。
米国の人民党
ポピュリズム政党は、米国において初めて出現した。1892年に創設された人民党(People's Party)は、別名ポピュリスト党。不況下で債務を抱え困窮する農民や生活不安・長時間労働に苦しむ労働者の不満をまとめあげ、さまざまな社会運動が加わり成立した。二大政党を批判し、必要なことは政府を人民の手に戻すことだと訴えた。1894年上下両院選では下院7人、上院6人当選。州議会選挙で数百人当選させた。しかし支持基盤は「農業州の白人男性」に限定され、都市部の労働者層や黒人の支持は広がらず、弱体化の一途をたどり1908年に消滅した。
ラテンアメリカのポピュリズム
ラテンアメリカのポピュリズム勢力は、1930年代以降、大地主や鉱山主などの寡頭支配に対抗し、中間層や労働者、農民など多様な支持層を背景に躍進する。そして各国で政権を獲得するとともに、様々な経済改革・社会改革を進めていった。輸入品の国産化を図る「輸入代替工業化」と保護主義、英国など外国資本に支配された公共部門、電話や鉄道などを国有化し、ラテンアメリカ独自の文化価値を称揚した。民衆の政治参加を進め、選挙への参加を促進した。アルゼンチンのペロン、ブラジルのヴァルガス、メキシコのカルデナス、ペルーのベラスコなどがリーダー。
西欧の右派ポピュリズム
現代ヨーロッパのデモクラシーが、1990年代以降ポピュリズム推進の舞台となったのはなぜか。3つの理由をあげている。第1にグローバル化やヨーロッパ統合の進展、冷戦の終焉という中で、左右政党の接近、既成政党の「同質化」がある。ポピュリズム政党は既成政党を「同じ穴のむじな」とみなし、既成政治批判を掲げる。第2に、政党を含む組織・団体の弱体化と無党派層の増大。その結果、政治経済エリートは「私たちの代表」ではなく「彼らの利益の代弁者」とされる。第3に、グローバル化に伴う社会経済的な変容、とりわけ格差の拡大。パート労働・派遣労働などの不安定雇用の増大、長期失業者の出現などで「新しい下層階級」を生み出している。ポピュリズム政党は、生活や雇用が脅かされている「敗者」を代表する存在として、グローバル化やヨーロッパ統合に反対し支持を集めることに成功した。
ヨーロッパのポピュリズムの特徴は、@メディアの活用、 A直接民主主義の活用:英国の2016年EU離脱の国民投票、スイスの国民党は国民投票を多用して移民の排除を進めてきた。大阪維新も「都構想」の住民投票をおこなった、B福祉排外主義:移民を福祉の濫用者として位置づけ、福祉の対象を自国民に限定するとともに、福祉国家にとって負担となる移民の排除を主張する。
反イスラムの主張
西欧のポピュリズム政党は軒並み反移民・反イスラム、自国民優先を掲げている。
フランスの国民戦線(現国民連合)は、極右起源政党であるが、反共産主義から移民・外国人問題、「自国民優先」に主張を変えて躍進する。2011年に党首となったマリーヌ・ルペンはイスラム批判に重点をおき「政教分離を認めない」「同性愛やマイノリティの存在を認めない」とイスラムを批判。
デンマーク国民党やオランダ自由党も「リベラル」の立場から「反イスラム」を唱え、その排除を訴える。イスラムは「政教一致を主張する」「男女平等を認めない」「個人の自由を認めない」と批判する。オランダ自由党のウィルデルス党首は、西洋文明の勝ち取ってきた「自由」の擁護を全面に掲げ、その「自由」を脅かす存在としてイスラムを批判する。ドイツのための選択肢(AfD)はユーロ離脱に加え、反移民・難民を掲げる。「イスラム教徒はドイツに属さない」と主張し、ブルカの着用や礼拝呼びかけの禁止などを訴える。
イギリスの独立党(リフォームUK)は、保守的な農村部に加え、労働党の支持基盤だった旧工業地帯にも浸透し、2016年6月EU離脱をめぐる国民投票で離脱派勝利をかちとる。地方の荒廃した旧工業地帯や産炭地域の白人労働者が独立党の支持の中核となった。これは、ラストベルトのトランプ支持層と共通性がある。
参政党の「日本人ファースト」は、西欧の右派ポピュリズムを真似たものといえる。
社会の変革期
フランスの2024夏下院選で国民連合は政党単位で第1党になり、オランダ自由党は23年の総選挙で第1党になった。ドイツのための選択肢(AfD)は今年2月の総選挙で第2党に躍進した。一方東独の共産主義政党の流れをくむ「左派党」は、気候変動防止や反戦・平和・所得格差是正を訴え若者を中心に急増した。但し左派党も反移民を掲げている。水島さんは、こうした情勢について「世界的な『右傾化』と捉えるより、既成政党・与党の敗北」(『世界25年9月号』)だと言っている。根底に人々の生活苦や格差貧困、政治の無策への怒りがあり、人々は社会の変革を求めている。スペインを中心に反新自由主義のミュニシパリズム(地域主権主義)の運動も広がっている。
生活苦や格差の原因は、強欲資本主義による強搾取・収奪に原因があり、大企業優遇の政治にある。それを、移民・難民・イスラムが原因というデマにすりかえ、彼らを差別・迫害・排除して当然とする右派ポピュリズムは、ナチスと同じであり許してはならないと思う。(花本香)
8面
再度、斎藤兵庫県知事を退陣へ
デモと人間の鎖で県庁包囲
9月18日
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| <ひょうごデモ>が諏訪山公園から県庁へデモ |
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| <市民デモHYOGO>のヒューマンチェーン(7月22日) |
9月18日、9月兵庫県議会開会初日、兵庫県庁はヒューマンチェーンとひょうごデモの市民に取り囲まれた。6月議会で、知事は自らへの処分=給与カットで一連の犯罪的行為を帳消しにせんとしたが、議会は否決し9月県議会に持ち込まれた。この間も斎藤元彦知事と、その同盟者立花孝志は消耗寸前だ。
まず斎藤自身とネット広報責任者・折田楓への捜査の手はだんだん狭まり、立件不可避の情勢にある。2馬力選挙で昨年知事選勝利の原動力となった立花孝志は、参議院選での落選、N党の国政政党要件喪失、比例33万獲得の浜田聡のN党離脱で青息吐息だ。借金がかさむ一方で警察の捜査網は狭まる一方。3回目の事情聴取ではそのまま逮捕・収監かと、衣類を入れたキャリーバッグを引き「出待ちはいらん」と言って県警に入った。
斎藤・立花派の得点のないまま、市民運動は毎週木曜日のマルイ前行動、県庁グルグルデモ、斎藤記者会見時の県庁歩道橋デモなどの闘いが続いている。そして9月議会開会日、諏訪山公園からの〈ひょうごデモ〉と、〈市民デモHYOGO〉などの県庁包囲ヒューマンチェーンが、昼休みの県庁を包囲した。市民デモ側は音楽・替え歌・アピール行動。ひょうごデモは「斎藤やめろ」「ガンバレ議会」をコール。数百人が県庁・議会を取り囲んだ。
昨年9月県議会で全会一致の不信任決議以降、違法選挙での知事選勝利以外斎藤の得点はない。引き続き窮地から脱出できない斎藤を追い詰め、兵庫に民主主義と人権を取り戻していこう。
菅野完、ドン・マッツの差別・暴言を許さない
この市民運動の持続的盛り上がりに、2月に県政正常化集会をしながら、その後は記者会見追及以外有効打のない菅野完とドン・マッツは、極めて悪質な市民デモHYOGOへの攻撃をおこなった。
市民デモのAさんに対し、「キチガイ」なる差別用語を乱発し、Bさんに対しては「中核派、殺人者」とののしり、「Bがいるから警察が来る」「Bの擁護者も中核派」と、市民デモ関係者に喚き散らした。さらに集会進行スタッフを「クソババア」と下品な差別語で脅し、警察を「偏差値30以下」と差別し、行動終了後も行動参加者に「市民デモ関係者か?」と執拗に毒ついた。
我々はこの日の菅野とマッツの言動を許さない。とりわけ大学時代から部落解放運動を担い、「障害」のある息子を育て続けたAさんに対し、面と向かって「キチガイ」なる差別語を乱発し「殺人者を擁護するお前も同罪」とまで言った。
斎藤知事の退陣を求めるこの1年の運動は、公益通報者の権利を守らず、パワハラとフェイクでの自死に追いつめた責任を追及してきた。竹内県議へのデマ情報・フェイク攻撃も、人権と民主主義の破壊そのものだ。ここから人権と民主主義を取り戻す運動なのだ。
現在YouTubeに流れている菅野とマッツの言動は、民主と人権とは相いれず立花孝志と瓜二つの言動になっている。差別語を乱発する菅野完とドン・マッツを弾劾しよう。
映画評
『原爆スパイ』
監督:スティーヴ・ジェームズ 2022年
セオドア・ホール(愛称テッド)は、1925年にニューヨークで生まれ、ユダヤ人家庭で育った。1999年に、イギリスで亡くなった。18歳の若さで物理学の学位を取得し、「マンハッタン計画」に参加している。テッドはプルトニウム爆弾の開発、その核心部分である爆縮の研究にかかわった。
テッドはソ連(当時)にこの情報を主体的に提供した。彼はアメリカが原子爆弾を独占することはきわめて危険だ≠ニ考えた。当時、おおくの知識人は社会主義=ソ連に希望をいだいており、テッドもその一人だった。
このドキュメンタリー映画は、テッドの連れ合いジョーン・ホール(2023年に死亡)の回想を導き糸にして展開される。彼女は言語学者であり、社会活動家であり、テッドとは同志であった。彼女がテッドにインタビューした映像(98年3月に撮影)が残されており、テッドは自らの体験を回想している。映画にテッドが登場するのは、このような理由による。また、映画では再現ドラマで当時の状況を説明している。
戦後、米国ではマッカシー旋風が吹き荒れる。ソ連の「スパイ」をおこなった件で、1951年にテッドはFBIから尋問をうけた。53年6月、ソ連のスパイとしてローゼンバーグ夫妻が死刑に処せられた。彼にとっても、この事件は他人事ではなかった。このころ、テッド夫妻は日常的にFBIから監視を受けていた。1962年、テッドとジョーンはイギリスで職をえて、ケンブリッジに移住した。2人はそこで生涯をおえている。
核兵器開発のなかで
「マンハッタン計画」では、かなりの関係者がソ連に情報提供をおこなっている。このことによって、ソ連の原爆開発が早くなったことは確かであろう。しかし、核兵器がいったん実現しさえすれば、その気になればどこの国でも核兵器の製造は可能だ。テッドは「マンハッタン計画」に参加するなかで、恐るべき核時代の到来を肌身で感じ取っていた。
この時代、良心的科学者は「核の国際管理」を提唱し、核兵器を使えないようにしようと考えていた。テッドは同じように考え、ソ連に情報提供することによって、米国による核の独占を防ぐことを考えたのだ。
映画のなかで、興味あるエピソードが語られている。アラモゴードで核実験に成功した時、テッドは祝賀会に参加しなかった。「核時代の到来に、とても喜ぶことなどできなかった」と、テッドは回想している。
当時、ソ連はスターリン体制にあり、39年に独ソ不可侵条約が結ばれた。アメリカの共産主義運動はこれによって壊滅的な打撃を受けた。
核実験が成功した後、2個の原爆が残っており、米国はその使用を急いだ。原爆投下はきわめて政治的におこなわれた。米国は核時代を有利に展開するために、2つの原爆を広島と長崎に投下した。ジェノサイドをおこなった。こうして、核時代が到来した。
核を廃絶するために
テッドの行為は、はたして間違っていたのだろうか。きわめて人間的な行為であった。監督のスティーヴ・ジェームズは、このように描いている。核時代が継続しているなかで、核兵器をいかに廃絶していくのか。現在、このことが問われている。
ヒバクシャの闘いによって、すでに核禁止条約が存在している。核兵器をなくし、核発電をなくす。この道はつくられている。あとは、ホールが抱いた危機感を共有し、この闘いを実現していくことなのだ。(鹿田研三)









