未来・第416号


            未来第416号目次(2025年6月19日発行)

 1面  東京電力経営陣の責任否定する
     6・6東京高裁判決弾劾

     石破政権の生活破壊・戦争と対決を
     6・8反原発闘争1200で高揚    

 2面  投稿
     関生・大津2次コンプライアンス事件
     控訴棄却の不当判決
     6月9日大阪高裁

       3面  投稿
     5・23日比谷野音狭山集会に参加して
     次の世も生まれ変わればこの村に
     小山一彦

     再審法改正求め
     国会前各地で行動     

     新しい船出のために
     未来社 改装200万円カンパのお願い

 4面  投稿
     島袋里奈さん九回忌
     米軍犯罪根絶 日米軍事植民地から解放への道
     沖縄戦と朝鮮人強制連行を記録する会 金 治明

       5面  西田発言弾劾 関西の沖縄県人会が声明

     「復帰」53年を問う デモと講演(下)
     具志堅隆松さんが講演
     5月17日 新宿

 6面  ドローンから見た沖縄
     辺野古集会の報告

     反戦・反基地・沖縄闘争を
     6・6〜7交流会     

     辺野古ブルーアクション
     東京・新宿6月7日

     治安維持法100念を問うE
     刑期満了後も一般社会から隔離
     弾圧者たちに天皇が叙勲と賜杯

 7面  寄稿
     ”伊方の運動の魂”
     村上薫

     本の紹介
     『戦争と農業』ーートラクターが戦車に
     藤原辰史著 2017年

 8面  尼崎市議選初日(6月8日)
     最大規模の立花弾劾行動

     6月議会初日
     雨中に120人      

                 

東京電力経営陣の責任を否定
6・6東京高裁判決弾劾

6月6日、東京高裁は東京電力福島第一原発事故の責任を否定する判決を出した。1審では旧経営陣に13兆円超の賠償を命じていたが、これを取り消した。(詳報次号)

全員で「老朽原発うごかすな!」と「とめよう原発依存社会への暴走」かかげる(6月8日 大阪市内)

石破政権の生活破壊・戦争と対決を
6・8反原発闘争1200で高揚

6月8日、「もうやめよう あぶない原発! 大集会」が大阪市内うつぼ公園で開催された。主催は、老朽原発うごかすな! 実行員会。
この集会はGX脱炭素電源法の完全施行(6月6日)と第7次エネルギー基本計画、使用済み核燃料の乾式貯蔵に反対する全国行動としておこなわれた。集会には、全国から1200人が集まった。

集会の内容

実行委員会を代表して中嶌哲演さん(福井県明通寺住職)が主催者あいさつ。中嶌さんは「関電と国は乾式貯蔵をおこなうことによって、原発の延命を画策している。大惨事をおこしてからでは遅い。もうやめよう! あぶない原発。関西圏内外に、この声をさらに広めていこう」と述べた。
集会実行委はこの集会のために、長さ4・3メートルの巨大な「紙芝居」(11枚のパネル)を作成しており、これが上演された。紙芝居のタイトルは「原発依存社会へ暴走する政府と電力会社にNOを!」。
各地で原発に反対している人たちから、さまざまな報告があった。@六ケ所再処理工場、A女川原発2号機再稼働後の状況、B柏崎刈羽原発の状況、C老朽原発40年廃炉訴訟(名古屋地裁)について、D能登半島地震以後の状況、E福井県の使用済み核燃料問題、F東電福島第一原発事故避難者から、G台湾の反原発運動について。(発言要旨は次号に掲載。)
また、原発に反対する6政党が連帯のあいさつをおこなった。労働組合から3団体が決意を述べた。
集会後、難波まで約1時間半のデモ行進。御堂筋では、若者が多数飛び入り参加し、道行く外国人旅行者がカメラを向け、さかんに手をふっていた。原発反対は、世界市民の要求なのだ。

小雨の中、力強く行進する第3グループ(6月8日 大阪)

紙芝居でアピール

「紙芝居」には集会の基調が凝縮されている。その内容と要旨は、以下のとおり。
@「原発依存社会へ暴走する 政府と電力会社にNO!」
GX脱炭素電源法は2023年5月に成立した。この法律が今年6月に完全施行され、原発の60年超運転も可能になった。また、石破茂政権は第7次エネルギー基本計画を今年2月に閣議決定した。自公政権は、ますます原発依存に走っている。

A「GX電源法で老朽原発を促進 60年超えも可能に」
原発システムは40年運転で設計されている。また、原子力規制委員会が運転期間の延長を認可していた。GX電源法は、経産大臣の判断で40年超運転を可能にした。政府は稼働可能な原発が少なくなってしまうから、この老朽原発をさらに動かそうとしている。安全よりも、金儲けが優先されている。

B「運転期間を経産大臣が決定 停止期間を運転期間から除外」
たとえば高浜1号機は12年間の停止期間を考慮すれば、合計72年間も運転可能になってしまう。こんな無茶苦茶なことを許してはならない。 C「第7次エネルギー基本計画 原発最大限活用を明記」
第7次エネルギー基本計画では、今までの方針を転換して「原発の最大限活用」を明記した。政府は原発の40年超、60年超運転をおこなう方針だ。さらに、政府と電力会社は、原発の建て替え、新設も画策している。

D「関電の原発7基のうち、5基が老朽原発 3基は50年超えの超老朽」
高浜1号機は昨年11月に50年に達し、高浜2号機は今年11月で50年になる。美浜3号機は昨年12月に48年をむかえた。危険きわまりない老朽原発の運転を許してはならない。

E「過酷事故を招く原発老朽化 腐食・損傷、脆化、劣化」
高温・高圧の1次冷却水の配管が破断すれば、メルトダウンにいたる大事故を引き起こす。老朽原発は、いつなにがおきても不思議ではない。老朽原発は、かならず事故をおこす。

F「原発は地震や津波に脆弱 余りにも低い耐震基準」
原発の耐震基準は、大きくても1000ガル程度。現実には4022ガル(2008年、岩手宮城内陸地震)、2933ガル(2011年、東日本大地震)、2828ガル(2024年、能登半島地震)などが観測されている。現実に起きていることにくらべて、原発の耐震基準はあまりにも低すぎる。

G「避難は困難 屋内退避も不可能」
東電福島第一原発事故では、最大時で16万5千人が避難した。今年2月末段階でも、2万8千人が避難を余儀なくされている。政府は帰還を促しているが、汚染地域にもどる人は少ない。能登半島地震でも、このことが実証されている。

H「使用済み核燃料の行き場はない/再処理工場は動かない 乾式貯蔵は永久貯蔵」
電力会社は乾式貯蔵に使用済み核燃料を移して、プールに「空き」を作ろうとしている。再処理工場の稼働については見通しがたたない。だから乾式貯蔵は永久貯蔵になる。

I「エネルギー政策の失敗 原発依存社会への暴走」
化石燃料は数億年かけて地球に蓄えてきたものだ。それをたかだか数百年で使い尽くしてしまう。だから、二酸化炭素(CO2)が増えてくるのだ。こんなむだ使いをする社会は変える必要がある。

J「原発依存の政治を変えよう! 自然エネルギーのみで成り立つ社会を!」
自然エネルギーは地球環境の保全につながる。原発を動かせば、かならず使用済み核燃料が発生する。原発を動かさなくても、自然エネルギーをもっと増やしていけば、エネルギー不足は解決する。原発の全廃をもとめて、おおきな声をあげ、行動に立とう。

原発のない新しい社会を

御堂筋をデモ行進する第1グループ(6月8日)

大規模メガソーラーや、風力発電をめぐる問題など、今の社会経済体制を前提にしたままで自然エネルギーに転換しても、自動的にすべての問題が解決するわけではない。しかし自然エネルギーは原発に比べてはるかに安全であり、解決方法はいくらでもある。
さらにエネルギーの浪費問題。資本主義社会はエネルギーの浪費で成り立っている。この資本主義を変えることが必要だ。核と人類は共存できない。核兵器と原発が存在しない、生産力主義に陥らない、新しい社会主義社会の構想を創り出していこう。新しい社会の建設をもとめて行動していこう。

2面

投稿
関西生大津2次コンプライアンス事件
控訴棄却の不当判決
6月9日大阪高裁

大阪地裁(高裁)を一周するデモ行進(6月9日)

企業の法律違反を摘発する活動が「犯罪」であって良いわけがない
大津2次事件は、昨年2月6日大津地裁1審判決で、コンプライアンスビラを配布した7人が無罪(確定)になる一方、現場活動に従事した2人は、恐喝未遂・威力業務妨害で懲役2年6月と懲役1年6月(共に執行猶予6月)の判決が出ていました。
6月9日の大阪高裁・坪井祐子裁判長は、控訴した2人について一審判決をただただ追認、関西生コン支部の産業政策運動を全否定してこれを「犯罪」と決めつけたのです。許すことができない不当判決です。

百人を超える支援者が駆けつける

大阪高裁前の公園には正午を期して関西圏と東海の支援が続々と結集、12時40分には裁判所を周回するデモを敢行、その後、公園に戻って前段集会がおこなわれました。
大阪全労協の南さんが司会、反弾圧大阪実行委員会・全港湾大阪支部の小林委員長の挨拶で始まり、京滋実行委員会の服部さん、〈東海の会〉石田さん、教育合同の高田さん、そして郵政ユニオン、なかまユニオン、関西合同労組、ケアワーカーズユニオン、きょうとユニオン、大阪全労協、全港湾大阪支部、全日建ゼネラル支部、関生支部・湯川委員長と発言が続きました。発言者は口々に、「事件になることがおかしい。今日は無罪しかありえない。」「企業のコンプライアンス違反と公益通報への報復が社会問題になる中、労組のコンプライアンス摘発活動を犯罪にしていいのか」「今日、裁かれるのは裁判体の方だ」と指摘しました。
1時40分からの85人(定員)の傍聴抽選に並ぶ列は百人を超え、2時半からの201大法廷での判決に臨みました。

関西生コン支部の産業政策運動を「犯罪」として全否定した判決

関生支部のコンプライアンス活動は、安全対策コストを節約して生コンを安売りするアウトサイダー企業の法違反を規制し、中小企業が秩序をもって協同組合に結集することを促し、ゼネコン企業に安売り競争をしなくてもすむようにし、もって労働者の賃金と労働条件の向上のための源資を確保する正当な労働組合活動です。逆に、中小企業が生産コストを価格に転嫁できずに大資本に搾取されていれば、日本の70%の労働者が勤務する中小企業では必要な賃上げもできないことは、今日、誰の目にも明らかな事実です。
ところが、この日、坪井祐子裁判長は、関生支部のコンプライアンス活動は施主・ゼネコンとの契約をアウト業者から協同組合業者に変更させることを目的としたものとして、「ゼネコン・施主は使用者ではない」「労働者の経済的地位の向上とは関係ない」等と無理解を曝け出し、労組法1条2項刑事免責の適用を否定したのでした。
裁判では、建設現場ごとに、A元組合員はフジタ事件の「恐喝未遂の共犯」、O組合員はフジタ事件・日建事件・東横イン事件の「恐喝未遂と威力業務妨害の共犯」とされていました。この日の判決は、「たとえ個別の活動が脅迫とは言えない穏当なものであっても、関生支部の活動が一連一体のものとして契約の変更を威力をもって迫るものであった」と一審判決を追認したのでした。

契約の変更を求めることは「契約の自由を侵害する脅迫」なのか?

坪井祐子裁判長は、建設現場で法違反があったことを指摘するビラを撒く行為は「常識的に考えて」、ゼネコン・施主がその影響を心配するとして契約の自由を侵害するものとなると指摘する。
読者の皆さんに是非考えてもらいたいが、例えば私たちがイスラエルのパレスチナでの暴虐を指摘し、イスラエル企業との取引やそれへの投資をしないことを迫る表現行為は「経営の自由を侵害するもの」として許されないと言えるのか。

開廷前、高裁前で決起集会(6月9日)

一審判決維持の結論ありきだった控訴審の訴訟指揮

判決終了後の報告集会で、弁護士が判決を解説。中井弁護士は「判決は一連一体がキーワード。個別の事実を全く無視している。労組法の刑事免責は使用者に当たらないと切り捨てた。コンプライアンスの指摘の中に事実でないものもあった等と言っていたが、そのようなものはどこにあったのかの指摘もない」。
太田弁護士は「控訴審になってから一切の証拠の採用を拒否し、一審護持という結論が先にあることが見えていた。我々が書いた控訴状を全く読んでいない」と発言、上告の手続きに入ったことを報告しました。
続いて湯川委員長が、「訴訟指揮から予想された不当判決だが、怒りしかない。労働法は知らないという裁判官が労働法学者の意見書を証拠採用しない。民事の大阪高裁の星山決定は多数で押しかけるのでなければコンプライアンス活動は違法ではないとした。何故、刑事で違法になるのか。裁判官がみな悪い人だとは思わないが、司法はくじのように当たり外れでいいのか」と述べました。
最後に共闘の朝鮮総連西大阪支部、若狭の原発を考える会、米軍Xバンドレーダー基地反対・京都連絡会が発言。「これは労働組合だけの問題ではない」「関生支部が以前のような規模の組織に戻るまで共に闘う」と熱いエールを頂きました。
愛知連帯ユニオン
(写真は愛知連帯ユニオン撮影)

注:Tansa報道より

坪井裁判長は、どのような法律家なのだろうか。
京都大学卒。刑事裁判を主に担当してきた。大津地裁や京都地裁、大阪地裁などで任官している。大阪地裁では部総括判事を務めた。
大津地裁で裁判長を務めていた際は、後に冤罪と判明する事件の再審請求を拒んだことがあった。
2003年に滋賀県内で起きた、「湖東記念病院事件」だ。看護助手が、患者の人工呼吸器のチューブを引き抜き殺害させた罪で、懲役12年が確定。出所後に再審が始まり、2020年に無罪が確定する。
しかし当初、再審が認められなかった。2010年9月に大津地裁に再審を申し立てたが、請求は棄却されたのだ。その再審請求審で裁判長を務めたのが、坪井氏だ。

3面

投稿
5・23日比谷野音狭山集会に参加して
次の世も生まれ変わればこの村に
小山一彦

日比谷野外音楽堂からデモに出発(5月23日)

3月11日に、石川さんが86歳の無念の死を司法権力に強制されてから、70日を超えた。
62年目の5・23日比谷野音集会は、いつにも増して権力への怒りが充満していた。
 多くの発言があったが、何よりも石川早智子さんの悲しみを超え、一雄さんへの熱い連帯と司法への強烈な怒りの言葉が私の胸を揺さぶりました。
かけがえのない相棒を失ったさみしさ、悲しさはいかばかりでしょうか。
 生きている内に再審が始まらない悔しさ、憤りはいかばかりでしょうか。
 どんなに苦しくても盟友の遺志を継いで裁判を継続していく烈々たる闘志のほとばしり。早智子さんは第4次再審請求の申立人として司法権力、東京高裁家令裁判長に闘いを挑んだのだ。1964年3月11日の内田裁判長による死刑判決、2025年3月11日、一雄さんの命日=2度目の死刑判決! これほどまでも日本の司法は残酷を極めている。
 早智子さんは涙を堪え、涙を流し、別れてからの日々一雄さんの遺品のノートを見直し、私たちに10の短歌を紹介して下さった。

・わが黄泉は 遠方にあらず悟れども 冤罪晴れずに 天に逝けずや
・天国から迎えに来る日は いつの日か まだまだ生きる勝利見るまで
・裁判官 家令に託して10人目 期待と不安で 胸騒ぐ
・今日明日かとこの極みの幾星霜 家令に正義の英断あるまで
・権力にゴマする司法聞こえるか 絶叫する我の声が
・真相は心の目では見えねども科学の進歩注視されたし
・私が小鳥 縦横無尽に飛んでいき 冤罪訴え 支援のお願い
・小鳥は四季を問わず鳴き続け 無罪明白 再審せよと
(「一雄さんは自分をうぐいすに例えて、今日も日比谷の空を舞っていると思います」)
・苦難の日々 命削り58年 今はひたすら再審めざす
・次の世も 生まれ変わればこの村に 兄弟姉妹と 差別根絶

 第3次再審請求19年の年月をかけて、10人の裁判官が誰一人も事実調べを決断せずに願いを断ち切りました。私78歳何としても生き抜いて無罪判決を勝ち取りたい、一雄に掛かっている見えない手錠を外したい。
 検察は今のままでは再審を否定する「権利」を持っている。
 検察の上訴を辞めさせるためにも再審法の改正を実現することが強く求められています。6月3日の国会請願行動は、狭山にとっても大切な闘いです。
 今日は 最初から一雄を弁護して下さった中山先生が参加して下さりありがとうございます。全国からの寄せ書き、メッセージ頂きましてありがとうございます。
 石川一雄は苦しい時代をくぐって来ましたが、決して不幸ではなかった。更なるご支援をお願いして、お礼のあいさつにさせて頂きます、と結ばれた。

再審法改正求め
国会前・各地で行動

再審法改正の緊急集会に100人が集まった(6月7日 神戸市)

狭山事件の再審を求めていた石川一雄さんが亡くなり3カ月。開かずの門=再審法の改正を求める声が、全国で澎湃と巻き起こっている。6月3日は国会前で石川早智子さんらが雨中で懸命に訴え、法制審では東住吉事件の青木惠子さんが証言した。6月7日神戸でも青木さんや刑法学者・笹倉香奈甲南大教授などが訴えた。再審法改正のうねりを巻き起こそう。(詳報、次号)

新しい船出のために
未来社 改装200万円カンパのお願い

2025年夏期カンパ時期にあたり、今回は私たちの新たな船出のために、「未来社、改装200万円カンパ」として訴えます。
既にお気づきかと思いますが、新聞『未来』の発行所を415号から『未来』新聞社と変更しました。それは私たちは革命的共産主義者同盟全国委員会の正当な関西地方委員会として旧来の前進社関西支社のビルを維持してきましたが、革共同全国委・前進社の変質と腐敗はあまりにもひどく、もはやその名前=前進社の関西支社であることは自己の運動の否定にほかならず、新たに『未来』を軸とする政治結社=未来社として出発することを5月末に決めました。
もう一つは事務所ビルの改装です。私たちの事務所は対権力・対反革命の「鉄壁防御」の事務所としてありましたが、今新たに「未来社」として出発するにあたり、世界的激動期に労働者階級人民が社会の変革を求めて行動しようとしているとき、それらの人々とともに闘う戦略的拠点として「未来社」が開かれているべきと考えます。
旧来の建物の在り方を一定改造し、私たち自身の活動も変革していかねばなりません。広く人民大衆が集い、闘いの出撃拠点となるため「開かれた未来社」を作りたいと思います。そのため一定の改装で、「新しい革袋に新しい酒」を盛るのです。
事務所改装には一定の資金が必要です。すでに声かけを頂いてる方を含め、先ずは200万円のカンパで1階を改造します。それ以降もカンパ額に応じて、事務所ビル全体を人民の闘う砦としていきます。6月〜9月期の特別カンパを未来社改装カンパとします。
なおカンパの振り込み先は「未来社」振替口座開設までは旧来の口座でお願います。

郵便振替  
口座番号 00970―9―151298
加入者名 前進社関西支社

郵 送  〒532―0002
大阪市淀川区東三国 6―23―16
未来社

4面

投稿
島袋里奈さん 九回忌(上)
米軍犯罪根絶 道米軍事植民地から解放への道
沖縄戦と朝鮮人強制連行を記録する会  金 治明

はじめに

島袋里奈さんに手向けられた花と飲物

2023年12月24日嘉手納基地所属のブレノン・ワシントン(25才)により女子中学生が誘拐されレイプされました。しかし、岸田自公政権は米兵によるこの卑劣な暴行事件を何と6カ月間も隠蔽し情報操作をして、被害者のプライバシー保護を口実に公表させませんでした。
岸田は米軍基地の安定した運用を維持するために辺野古埋め立て代執行、訪米、エマニュエル駐日大使の自衛隊与那国基地視察、4・28沖縄デー、5・15沖縄返還、6・16沖縄県議会選挙、6・23沖縄慰霊の日、等の政治日程をこなし6月25日に初めて少女誘拐暴行事件やキャンプ・シュワブ所属ジャメル・クレイトン(21才)、キャンプ・ハンセン所属マイケル・ホフマスター(20才)ら4件の婦女暴行事件を小見出しに公表しました。
12月22日沖縄女性団体連絡協議会(以下女団協)は女性の人権を守るために「米兵による少女暴行事件に抗議と再発防止を求める県民大会」を開催し、2千5百人が参加しました。しかし、2千5百人の参加人数は「米兵による婦女暴行事件での県民大会」では過去最低の人数です。ちなみに2016年の「島袋里奈さん追悼大会」では超党派にはならず、自民、公明、維新は「オール沖縄に利用される」とボイコットしましたが、6万5千人が参加しました。過去、米兵による性犯罪糾弾県民大会は今までは万余のウチナンチューが決集し日米両政府を糾弾しました。
12・22県民大会をマスコミは「市民主体の新しい画期的な大会」「政治色を排した今までにない大会」とほめ讃えました。しかし参加人数は2500名と過去最低でした。オール沖縄、島ぐるみ会議などの反戦、反安保勢力の参加は極めて限定的でした。12・22県民大会は1995年「少女暴行事件を糾弾する県民大会」以来必ず言われてきた米軍基地があるが故に起きた婦女暴行事件、事故に対して「米軍基地撤去、整理縮小、負担軽減等」のスローガンが消え、基地抜き、辺野古抜きによる「日米安保」問題に一切触れる事はありませんでした。しかしマスコミ等は県民大会は大成功だと報道しました。主催者の主旨は「政治的要素を排した今までなかった大会」にする、少女暴行事件に特化して、スローガンは「なかったことにしないで」というものでした。
登壇者も安保、基地問題には触れることはありませんでした。もちろん女性の人権を擁護する事は絶対に大切ですが、犯罪の原因と結果を究明し解決方策を導きだすことも重要です。
若者を代表して崎浜空音さん(22才)は2016年6月19日「元海兵隊員による残虐な蛮行を糾弾! 沖縄から海兵隊の撤退を求める県民大会」に13才の時、親子で参加したと発言しました。しかし、崎浜空音さんからは島袋里奈さん(20才)を偲び6万5千人の参加者が何を求めて大会に参加したのか、その思いが殆ど語られませんでした。
「米軍基地撤去」を言わなくても、せめて米軍基地の整理縮小や負担軽減の発言があってしかるべきだと思いました。想起してください。無残にも米兵により一人娘であり一人っ子を強姦されナイフで刺され死体を林の中に捨てられた島袋里奈さんのお父さんは血の出るような叫びで「なぜ娘は殺されなければならなかったのか、次の被害者を出さないためにも全基地撤去、辺野古新基地建設断念は県民が一つになれば可能だ」と大会にメッセージを届けました。
米軍基地があるが故の米兵による殺人・性犯罪です。そして、大会の最後に6万5千余の参加者が心を一つに、「怒りは限度を超えた」「海兵隊撤去」を唱和してボードを上げ米軍基地撤去を求めました。
しかし昨年12・22大会には「政府による米軍犯罪隠ぺい抗議」、「少女誘拐暴行糾弾」の唱和もなく、ボードさえ上げませんでした。なぜそれが今までにない画期的な県民大会になるのか理解不能です。崎浜空音さんはあの大会の参加者たちの悔しさと悲しみと怒りの思いを込めた気持ちを忘れてしまったのでしょうか。改めて島袋里奈さん9回忌を迎え里奈さんを失った名護市民、両親の癒すことのできない心中を察してこの文章をお届けいたします。

2016年5月、島袋里奈さん遺体で発見

4月28日に行方不明となった恩納村安富祖の島袋里奈さんが、5月16日、遺体で発見されました。遺体は一部白骨化し、キャンプ・ハンセン付近の人気のない雑木林に捨てられていました
遺棄現場では4月28日の命日には毎年、吉田勝広さん(80才)元金武町長が献花台を設置します。9回忌の今年も里奈さんのお父さんと挨拶し、里奈さんのお父さんは「今ごろ孫がいたのかなとよく口にしている」と吉田さんに話していました。(琉球新報2025・4・29)
吉田勝広さんは毎年献花台を設置することについて「忘れないため、こうした事件や事故を繰り返さないという決意と、行動することを訴えるため」と話しました。
昨年12・22県民大会の主催者の伊良波純子共同代表や皆さま達は成人式を迎えたばかりでこれからの将来の人生をケネス・フランクリンの性的欲望のために無残に命を絶たれてしまった里奈さんのことを忘れてしまったのでしょうか。

米軍犯罪の温床「日米地位協定」

1995年9月、13歳の女子児童がキャンプ・ハンセン所属の海兵隊員3人に暴行される悲惨な事件が起こりました。少女は自宅近くで買い物帰りに米兵に拉致され、口はガムテープを貼られ手足を縛られ強引に車に押し込められ米兵により集団レイプされたのです。少女の恐怖は想像を絶するものと思われます。この卑劣な非道な米兵3人に対して被害者の少女は泣き寝いりせず、米兵の性犯罪を勇気を以て告発しました。
このような悲劇は米軍基地があるがゆえに起きた少女暴行事件です。しかしこの事件に対して、米軍は「日米地位協定」を盾に犯人引き渡しを拒否し、犯人達をかばいました。日本警察も極めて消極的でした。更に日本政府は、米軍に対して、犯人の逮捕・引き渡しの要求をしませんでした。このような日米両政府の対応に対して沖縄では積年の米軍による事件、事故に対して怒りが高まりました。また、日米両政府は米兵による少女暴行事件に対して冷淡な対応に終始しました。
このようにウチナンチューは日米両政府から人権無視、生存権まで奪われる軍事植民地状態に置かれ過酷な生活を余儀なくされて来ました。ウチナンチューは日米両政府から差別、抑圧を強いられ続けてきたことに対して、ついに怒りのマグマは頂点に達しました。
ウチナンチューはこの不条理と人権無視を訴えるために、人間の尊厳を取り戻すために、政治的立場を乗り越え軍事植民地からの解放をもとめて日米両政府を糾弾する県民大会を組織しました。

1995年、少女暴行事件糾弾県民大会

1995年10月21日「米軍人による少女暴行事件を糾弾し、日米地位協定の見直しを要求する沖縄県民大会」が開かれました。大会のサブスローガンは「基地の整理縮小を促進せよ・米軍人の綱紀粛正し犯罪を根絶せよ・日米地位協定を早急に見直せ・被害者に対する謝罪と完全補償を早期に実現せよ!」との県民大会に沖縄全島で戦後最大の10万人が結集しました。
県民大会での太田知事の発言と普天間高校生、仲村清子さんの少女暴行事件に対する怒りと、悲しみをこらえた米軍基地反対の切実な発言を紹介します。
太田昌秀知事は冒頭、「行政を預かる者として、本来一番に守るべき幼い少女の尊厳を守れなかった事を心の底から詫びたい」と謝罪しました。
普天間高校3年生の仲村清子さんは「私は、戦争が嫌いです。だから人を殺す為の道具が自分の周りにあるのも嫌です。次の世代を担う、私たち高校生や大学生、若者の一人ひとりが本当に嫌だと思うことを口に出していくことが大事だと思います。私たち若い世代に新しい沖縄のスタートをさせてほしい。沖縄を本当の意味で平和な島にして欲しいと願います。そのために私も一歩一歩行動していきたい。私たちに静かな沖縄を返してください。軍隊のない、悲劇のない、平和な島を返してください」と参加者に訴えました。
復帰53年。少女暴行事件から30年経過しましたが、仲村清子さんの訴えは届いたでしょうか。そして、米軍の犯罪がなくなったでしょうか。残念な事に9年前、名護出身の島袋里奈さん(20才)が元米兵ケネフ・フランクリン(32才)に暴行致死死体遺棄されるというショッキングな事件が起こりました。里奈さんはこの少女暴行事件の年に生まれました。
里奈さんの遺体はキャンプ・ハンセンに隣接する雑木林に遺棄されました。そして、5年前には沖縄中部北谷町でストカー行為の末に女性が、子どもが見ている前で海兵隊員にレイプされ殺されました。そして、2023年12月少女誘拐暴行事件や婦女暴行事件が計5件も起こり復帰から現在まで米兵によるレイプ、事件、事故は絶えません。

多発する米軍犯罪

2025年、沖縄は「本土復帰」53年を迎えましたが、復帰前も復帰後も米軍・米兵による事件事故は頻繁に起こっています。琉球新報の報道では、復帰後50年の米軍構成員などによる刑法犯罪摘発状況では、摘発者総数米軍6163人及び軍属総数6064人で、軍人が全摘発数の8割を超えている。殺人、強盗、強制性交等の凶悪犯の摘発は584件、757人に上り、このうち、強盗が398件、553人と最も多い。次いで強制性交等134件、157人となり、約9割が米軍人による犯行です。
2024年の刑法犯は73件(前年比2件増)80人(同9人増)このうち凶悪犯は2件7人です。2023年4月、沖縄島中部で歩いていた女性に性的暴行を加えようとした米空軍軍属が逮捕。24年10月には海兵隊が面識のない女性に性的暴行を加えようとして負傷させる事件がありました。この事件は米兵が事件後基地に逃げ込みましたが、監視カメラ等で警察が米兵と特定し基地内でMPに拘束された。しかし、米兵は基地内では自由な行動をしていたことが明らかになりました。日米地位協定では、犯人が「起訴」されなければ身柄は米軍にあるため、事情聴取は任意であり警察力が及びません。更に「公務中」であれば第一裁判権は米軍にあります。米軍が「公務中」と主張すれば無罪放免になりますので、この数10年間の米軍犯罪の起訴率は18%で日本の起訴率の約41%の半分以下です。
2025年5月25日、記(つづく)

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5面

西田発言弾劾 関西沖縄県人会が声明

自民党参議院議員・西田昌司は、5月3日沖縄県那覇市で開かれたシンポジウムで、ひめゆりの塔の展示について事実と異なる発言をおこなった。「展示は、日本軍に殺され、アメリカが来て解放された」「沖縄ではむちゃくちゃな教育がなされている」などと、およそ事実に基づかない暴論で直ちに抗議の声が殺到した。
しかし西田は「TPOをわきまえるべきだった」などと謝罪にならない謝罪をしたが、引き続き『正論』7月号で自説を展開している。
この西田の暴論に対し、関西の大阪・兵庫・京都・奈良の沖縄県人会など7団体が抗議の共同声明を出したので紹介する。

西田 昌司 参議院議員殿
沖縄戦の真相を歪曲する発言について(抗議)

自民党の西田参議院議員は、5月3日に那覇市で開かれたシンポジウムの講演で、ひめゆりの塔の展示内容について「日本軍がどんどん入ってきて、ひめゆりの隊が死ぬことになった。アメリカが入ってきて沖縄は解放されたという文脈で書いている」「歴史を書き換えられると、こういうことになっちゃう」などと発言、「(沖縄では)かなりむちゃくちゃな教育をされている」とも述べた。その後、ひめゆりの塔に関する発言は「TPOをわきまえるべきだった」として謝罪、撤回したものの、沖縄戦や教育への認識については「事実を言っている」と強弁しています。
この西田議員のいう「事実」の真相はどうであったのか。
沖縄戦では、沖縄を米軍の防波堤にすべく県民を動員して飛行場や陣地を築き、戦場にも県民を駆り立て、師範学校や中等学校の生徒たちも動員されていきました。戦争末期の食糧確保が困難になった頃から、戦争目的を失い山中をさまよう部隊の軍規が崩壊し、敗残兵による横暴な振る舞いや軍刀、手りゅう弾、銃剣で住民を虐殺するという忌まわしい行為が引き起こされ、住民は各地で壕を追い出され、食糧も奪われ、保護されることもなく地上戦に巻き込まれていきました。このような日本兵による住民虐殺は離島を含め県内各地で発生し、「集団自決」(強制集団死)も日本軍に「強制・関与・誘導」され、ひめゆり学徒隊は、組織的な戦闘が終わる直前に解散命令が出され、学徒らは保護する措置もないまま戦場に放り出されて命を落としていったことが数々の証言により明らかになっています。
日本軍の沖縄守備隊は沖縄の住民を守るためではなく、本土決戦を一日でも遅らせて沖縄の陣地を守るための組織であったことが沖縄戦研究で明らかにされ、これらの事実から「軍隊は住民を守らない」が沖縄戦最大の教訓ともなっているのです。
西田議員は、「沖縄ではむちゃくちゃな教育をしている」「占領下で27年にわたって反日教育を受けた人が大人になっていく」とも述べ、「親米反日教育」が行われたと考えているようですが、占領下の沖縄では1948年から日本の教科書が輸入、使用されてきており、戦争体験者の証言と沖縄戦研究に基づいた平和教育が行われてきました。一方、占領下での様々な人権侵害や厳しい弾圧をうけながらも、反米闘争や土地の強制収容に対する島ぐるみ闘争、祖国復帰運動が闘われてきました。
このような沖縄戦や戦後の占領下での真相に鑑みれば、西田議員の一連の発言は、意図的に沖縄戦の真実から目をそらし、ゆがめるもので、戦没者や戦争体験者を冒涜し、県民の尊厳を踏みにじる暴言と断じざるを得ず、厳しく抗議せざるを得ません。
なお、自民党にはかつて、「激しい地上戦で十数万人の住民が犠牲となり、戦後も27年間米軍の統治下に置かれ、復帰後も辛苦を重ねた」沖縄に対する贖罪の思いと深い慈愛を持って沖縄振興に奔走した、京都府選出の野中広務衆議院議員をはじめとする政治家たちがいました。戦後80年の今日、東アジアの緊張が高まるなか、沖縄と意思疎通を図りながら問題解決に取り組む政治家が求められていますが、分断と対立を煽るのみでは、沖縄の将来、ひいては日本の将来にも大きな禍根を残しかねません。
西田議員においては、今一度沖縄の真実の歴史を学び直し、戦争を忌避する沖縄県民や国民の声を尊重し、軍事に偏らず、戦争回避に向けたあらゆる努力を続けるなかで、外交や経済を含む多面的な安全保障の構築に積極的な役割を果たすことを強く要望します。

令和7年5月 日

大阪沖縄県人会連合会会長 山端立昇
沖縄県人会兵庫県本部会長 具志堅和男
京都沖縄県人会会長 上原任
奈良沖縄県人会会長 名城健伸
近畿八重山郷友会会長 岡田紘二
関西宮古郷友会会長 砂川次郎
関西読谷郷友会会長 向恵子

「復帰」53年を問う デモと講演(下)
具志堅隆松さんが講演
5月17日 新宿

講演する具志堅隆松さん

南部の土砂を使うな

『(土砂採取場所として)南部は外せ』と防衛省に言ったら『業者が決める』と言っていた。南部の土砂はまだ使われていない。(今の時点では)ゼネコンにだめだと言われる。止めているのは皆さん。ゼネコンやその出資者にも呼びかける。『非人道的なことをやるのか』と。
『奄美大島の土砂ならいいのか』と問われる。自然遺産だからだめ。浦添西海岸(那覇軍港移設先)でも同じ問題がある。基地建設には埋め立てを伴う。(沖縄島)北部の土砂は足りなくなっている。きれいな海は観光資源。南部の土砂は戦争をしないために守らなくてはいけない。
そういう話をしている時に台湾有事の話になっている。(実際の戦闘で台湾を)守るのは自衛隊。米は台湾を守りたいのではなく中国の足を引っぱりたいだけ。日本は九州まで自衛隊が強化されている。本当に(戦争を)やるつもりなのか。(中国との)国力差では話にならない。

天皇の名において謝罪せよ

『有事においては米軍はグアムへ撤収する』とされている。戦争前の徴候があればそうなる。日米安保は破綻していると言わなければならない。安倍が『日本の防衛は日本が責任を持つ』と言っていたが、(こうした批判を)言われる前の言い訳ではないか。国民が戦争させないために声を上げる時。
自衛隊は地域に溶け込んでいる。祭りも手伝うし就職先になっている。他国を攻撃する軍隊になったのは変節。最低限、『専守防衛』に戻すべき。
(今の天皇は戦争と関係ないのでは、と問われることについて)戦争は天皇の名においておこなわれた。天皇の名において謝罪すべき。(それがなければ沖縄訪問が)和解が成立したかのような演出になる。

6面

「ドローンから見た沖縄、辺野古」集会の報告
6月1日 神戸

奥間さんの話と空からの映像にひきこまれた(6月1日 神戸市)

6月1日、神戸市内で「ドローンから見た沖縄、辺野古」集会が、辺野古の海に基地をつくらせない神戸行動の主催で開催され、120人が参加した。講師は沖縄ドローンプロジェクトの奥間政則さん。>
司会が講師紹介した後、奥間さんの話が始まった。まず自己紹介で、奄美大島生まれで両親がハンセン病だった事が今の自分に影響していると語った。それでも1995年の少女暴行事件の頃は土木の仕事に集中していて、基地問題には無関心だったそうだ。そんな自分が目覚めたのは、両親のハンセン病は戦後の不衛生な生活と戦争が原因と気付いたからだ。また沖縄問題の活動家でも平気で沖縄本島という人がいるが、沖縄島と言うべきだ。奄美や西南諸島から見れば、沖縄島の琉球王国に支配されていました。このことを忘れてはならないと注意を喚起した。
さて本題の辺野古基地工事については、今地盤改良工事のため海底に砂杭を71000本打つ予定。そのため海の濁りがひどくなっている。全部打つには相当の年数がかかる。完成しても必ず地盤沈下する。台風や地震が来たら軟弱地盤は崩れるだろう。辺野古よりかなり浅い関空でも、毎年地盤沈下している。
次に与那国島などの自衛隊駐屯地のドローンが撮った写真を見せながら、樽舞湿原は軍港化される恐れがあるとか、石垣島陸自駐屯地の新たな電子戦部隊の訓練場や、宮古島の各陸自駐屯地の様子を説明してくれた。空から見ると自衛隊基地と住宅街がいかに近いかよく分かった。与那国島などでは有事を想定した避難訓練がおこなわれ、まるで戦争を前提にした訓練に、「俺達はここに住むなと言うことか」と怒る島民も多いと語った。
最後に奥間さんは禁止区域以外は何処でもドローンを飛ばせるが、基地工事近くでは時々、妨害電波でうまく動かせないことがあるとか。こんなことには負けずこれからもドローンを使って良い写真を皆さんへ届けたいと、まとめた。
奥間さんはハンセン病やPFAS問題も含め1時間半の講演を終えた。別の機会にこの話も聞きたかった。(大北健三)

反戦・反基地・沖縄闘争の連携を
6・6〜7東京で交流会

沖縄・西日本反基地ネットワーク交流集会・東京が、6月6日〜7日東京で開催された。これまでの沖縄、呉、大分、鹿児島での交流会の上に、この間の新たな基地建設の問題を東京=全国の課題にするため開かれたもの。交流会にはジャーナリストの吉田敏浩さんの講演と、沖縄・熊本・大分・鹿児島・佐賀、広島・呉、京都・祝園、東京・練馬など基地を抱える運動団体から報告・発言がなされた。
6月4日〜5日には、現天皇一家が沖縄に「慰霊の旅」と称して乗り込んだ。これに対し那覇市対馬丸記念館前で抗議行動が取り組まれた。(いずれも詳報次号)

祝園の呉羽真弓さん
吉田敏浩さん






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現天皇の訪沖に抗議(6月5日 那覇市対馬丸記念館付近)






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辺野古ブルーアクション 東京・新宿6月7日

6月7日、東京・新宿駅南口で毎月恒例の辺野古ブルーアクションがおこなわれた。日差しの強い中、70人を超える市民が集まって沖縄の基地被害を訴えた。呼びかけは、沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック。







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治安維持法100年を問うE
刑期満了後も一般社会から隔離
弾圧者たちに天皇が賜杯

1931年に始まった中国侵略戦争の泥沼化と来るべき太平洋戦争に備えて、治安維持法は度々「改正」された。その最後が41年3月の予防拘禁制の導入である。
これは治安維持法違反の刑期を終えても、かろうじて命を長らえた者を釈放しないで、一般社会から隔離し「思想改善」を促すことを目的としたものである。再犯のおそれが顕著な者や非転向者・準非転向者を対象とした。
準非転向者とは、三田村四朗のように心血を注いで組織した左翼労働運動を守るため、プチブル化したコミンテルンと日本共産党と絶縁するが、天皇制については「不勉強でよくわからない」などという者を含んでいた。
45年5月末までに、国内だけでも56人が予防拘禁所に収容された。敗戦後の45年10月に、共産主義者や朝鮮独立運動の闘士・宗教家など17人が解放された。
予防拘禁に処された山辺健太郎は、「気楽な生活であった」と回想している。例えば、所長宅の移転作業を手伝わされた被拘禁者が、書棚にあった『レーニン著作集』を所長の了解を得て所内に持ち込んでいる。
三田村の備忘録には、それを読んで重要と思う箇所を書き写し、「異議なし!」などど書き込まれている。しかし徳田球一と志賀義雄の共著『獄中十八年』には、同書を読んだ形跡が見当たらない。
それに先立つ1936年11月、昭和天皇は共産党壊滅の功績を称えて、内務・司法両省のトップクラスと第一線の特高警察官たち48人に、叙勲と賜杯を授けた。これは破格の栄誉であった。
拷問をほしいままにして有為の人間を虐殺した彼らの得意満面の姿が眼に浮かぶようだ。
敗戦直後の1945年9月22日、GHQは「すべての秘密警察組織の解消」と「個人の自由および民権を保護する」ために〈人権指令〉を発した。
その結果、特高警察は解体された。しかし司法大臣や刑事局長は留任し、その他の関係者も巧妙な人事異動によって人権指令を切り抜け、弾圧法規の改廃は骨抜きにされた。 そのころ「左翼」を含む国民のほとんどが、リンゴの歌≠竍青い山脈≠口ずさみつつ自由と民主主義のムードに浸っていた。
その一方で権力者たちはしぶとく生き延び、新たな治安弾圧体制確立の機を虎視眈々と伺っていたのである。
早くも1945年11月には、警視庁と各道府県警察に警備課(後に公安課と改称)が設置された。労働者人民の闘いが爆発的に高揚する半年も以前のことである。
1948年6月に起きた福井大地震を奇貨として、同県に公安条例が制定されデモが許可制になった。
それ以降各都道府県で公安条例の制定が相次いだ。東京都公安条例阻止闘争では、東京交通労働組合の橋本金二がデモの最中に警官隊によって殺害されている。(大庭伸介)(つづく)

7面

寄稿
追悼 斉間淳子さん
”伊方の運動の魂”
村上薫

斉間さんが闘いぬいた伊方原発闘争 2015年11・1全国集会(松山市)

5月11日、愛媛県八幡浜市で、伊方原発反対運動の中心人物であった斉間淳子さんを偲ぶ追悼集会が開催された。会場には、彼女と共に闘った仲間が集まり、その功績と遺志を振り返った。
八幡浜市は、伊方原発が1977年に運転を開始して以来、原発問題と向き合ってきた小さな港町だ。この地で、斉間淳子さんは〈八幡浜・原発から子どもを守る女の会〉や〈緑の会〉の中心メンバーとして、反原発運動を牽引。彼女の優しい笑顔と、時に「鬼のよう」と称された情熱は、多くの人々の心に刻まれた。
冒頭のスピーカーである運動の中心メンバー秦左子さんは、淳子さんを「伊方の運動の魂」と表現した。1970年代、原発建設が地域に影を落とす中、子育てや家事を背負いながら声を上げた彼女たちの姿は、当時の田舎町では異例だった。講演会、学習会、街頭抗議、行政との交渉――彼女たちは粘り強く活動を続けた。しかし、2011年の福島第一原発事故は、運動に大きな転換点をもたらした。「原発を止めることが目的」と反省を深めた彼らは、現地での闘いを強化。2011年11月11日から始まった伊方原発ゲート前での座り込みは、13年以上続く象徴的な行動となった。
淳子さんの信念は、「現地の声を聞くこと」にあった。八幡浜では、反原発運動は孤立を意味した。無言電話や脅迫めいた嫌がらせも日常茶飯事だったが、彼女は決してブレなかった。地元活動家は、2011年に病床の淳子さんが「これで原発は止まる」と目を輝かせたエピソードを語った。その言葉は、どんな状況でも揺らがない彼女の希望を象徴している。
ピースサイクル四国のメンバーも、淳子さんの温かさを振り返った。1980年代から自転車で四国を巡り、反原発を訴えてきた彼らは、淳子さんの「そこに待っている人がいるから」という言葉に励まされた。彼女の厳しさも印象的だ。ピースサイクルの歌『故郷は原発を許さない』は、元々「望まない」だったタイトルを、淳子さんの「甘いこと言ってる場合じゃない!」という一喝で変更されたという。
〈伊方原発を止める会〉の泉京子さんと奥田恭子さんは、2011年に提訴した差し止め訴訟での淳子さんの貢献を語った。当初、過去の運動の厳しさを知る彼女は裁判に慎重だったが、2017年の県民署名運動では呼びかけ人として参加。法廷での力強い意見陳述は、伊方の危険性を訴える歴史的な記録となった。2025年3月の判決は残念な結果に終わったが、高松での訴訟は続き、5月25日の総会ではジャーナリスト青木美希さんを招いた講演会が予定されている。
地元議会でも、淳子さんの影響は大きかった。議会で原発問題を訴えた活動家は、2011年の選挙ポスターのスローガンを「伊方原発を止めよう」とした際、彼女に「全部の原発を止めなさい」と叱られたと笑う。彼女の厳しさと励ましが、議会での発言を後押しした。
淳子さんの娘さんからのメッセージは、集会のハイライトだった。代読された手紙で、彼女は母を「弱く、自信がない人だった」と率直に語った。運動家の「強い母」は、仲間との絆があってこそ演じられた姿だったという。子ども時代、両親の活動を友人に話せず、「原発」と呼ばれた辛さも明かした。それでも、福島事故後に友人が「母の言うことは本当だった」と認めたことで、母の正しさを確信。彼女は、親の運動に子どもを巻き込むことへの懸念を「原発抗議行動に連れ出され『子どもも反対している』という作文を読まされたことはトラウマだ」とユーモアを交えて訴えつつ、八幡浜の風景を守りたいと願った。
斉間淳子さんの追悼集会は、彼女が貫いた「現地の声」の大切さを再確認する場となった。伊方原発は今なお稼働を続けるが、彼女の遺志は引き継がれている。
(元徳島大生で今は大阪で市民運動を担う村上薫さんから、斉間淳子さん追悼文が寄せられたので掲載します/本紙編集委員会)

本の紹介
『戦争と農業』
トラクターが戦車に
藤原辰史著 2017年
集英社インターナショナル新書

現下の「コメ騒動」をめぐって、コメ=農業問題をどうするのかが、焦眉の課題として問われている。
藤原辰史著『戦争と農業』は、貴重な手がかりを提起している。
本書の構成は、「はじめに」で、競争によって経済を活性化しようとする仕組みに疑問を投げかける。農業技術史、食の思想史、環境史を専門とする歴史家の立場から「食と農業の歴史の点検」を訴える。
第1講では、農業を変えた分業として、人口増加を支えた4つの技術としてイ)農業機械、ロ)化学肥料、ハ)農薬、二)品種改良、をあげる。
第2講では、このうちトラクター、化学肥料、農薬が戦争のあり方を変えたことを指摘。民生技術が軍事転用されたこと、化学肥料が火薬製造へ、毒ガスが農薬へ、あるいは枯葉剤へとつながったことを示す。
第3講では、飢餓から20世紀の政治を問う。
第4講では、食の事件簿(牛海綿脳症、鳥インフルエンザやO−157など)、食の問題の根源、世界の食料廃棄の傾向などを指摘して、食の大量生産・大量廃棄のシステムや大量家畜生産システムの見直しを提起する。現下のフードシステムは特定の企業に奉仕し、末端の労働者は犠牲者になっている。
第5講では、「食と農業の再定義」として、「農業とは、人間が作物を育てる行為ではなく、植物を育てる自然の力を人間が助ける行為」と再定義する。
ここで、日本農業の危機と田舎の創造性を提起する。
また、食と教育の再定義を広げていって、大規模、大量生産・効率主義、即効性に満たされたマニュアル型の食と農業の生産様式も変えていく手がかりを示す。
著者は非マルクス主義であるが、この書には学ぶ点がある。「環境社会主義」が主張され、「赤」と「緑」の共闘が可能ではないかの言説もある。物質代謝概念への注目や生産力主義への疑問、略奪農業への批判などを学んだ晩年のマルクスの問題意識に接近しているともいえる。

マルクス経済学からのアプローチ

農業はがんらい資本主義化されにくい。しかもかつては工業との直結を必要とした。そこで資本主義はこの工業を自己の基盤として分離し、それによる農家人口の遊離部分を工業労働力に転嫁することで確立。その発展はこんどは農業をも資本家経営化し、土地所有も資本家的形態をとる。
この典型的過程が、わりあい純粋に実現したのが重商主義から自由主義段階のイギリスであった。後進資本主義としての日本はイギリス的重商主義段階の十分な開花を経由せず、その自由主義段階も帝国主義段階への早期移行となった。
資本家的工業化は農工分離による過剰人口を十分吸収せず、産業予備軍の一形態たる過小農経営の普及とこれに応ずる地主制の残存をもたらし、帝国主義段階への移行につれて過小農を温存する政策さえとられた。
戦後、「農地改革」などで環境は一変したが、農業問題は多々ある。かつてイギリスは自らは世界の工場として、諸外国を自らの農業地帯としていたが、帝国主義段階に入って各国は農業・農民保護政策を一般化した。2008年以降、イギリスは食料自給率100%を超えた。他方で、日本は世界一の食料輸入国で、自動車など工業優先で農業切り捨てを進めてきた。その結果が今日の事態だ。
農業はもともと資本主義的生産に適合しない分野であり、資本主義はこれを外部に押し出す形で、さしあたり解決しようとするが、それは決して根本的な解決ではない。こうして押し出された農業が世界的関連の下で農産物の構造的過剰問題をひきおこし、第一次大戦後になるとその矛盾を世界農業恐慌という形で現実化させることによって、世界資本主義の構造問題を作り出した。
一方では資本主義の内部矛盾をなす階級対立を、他方ではその外部矛盾をなす農業問題を、共に解決しうるのでなければならないから、社会主義にとって農業問題は重要である。(山口勉)

第14回さようなら原発1000人集会

原発VS食・農・平和 〜社会のしくみをかえるために〜
とき:9月7日(日)午後2時(開場1時半)
ところ:いたみホール・大ホール(兵庫県伊丹市)
対談:青木理さん・藤原辰史さん



8面

斎藤知事の見方極少 不信任の危機続く

6月議会初日
雨中に120人

6月議会開会日、雨中の県庁包囲行動に120人(6月3日 神戸市)

井ノ本の情報漏えいは犯罪
知事の処分は継続審議

若い世代中心の5・25県庁までの1000人デモにつづいて、6月議会開会日の3日には雨中にも関わらず120人が県庁2号館を取り囲んだ。
この日午前11時からは県庁公館で県議会本会議が開会。井ノ本前総務部長の情報漏洩が確定し、牛タン倶楽部の他の2人も漏洩指示を認めているが、一人斎藤だけが指示してないと言い張っている。裁判では4人の共犯者の内3人が同じ供述をすれば、その内容で有罪確定だ。6月県議会では監督責任だけを認め、減給5割・3カ月の大甘処分を自己に課すというが、そんなものは誰も認めない。情報漏洩を部下に指示すれば、その罪は当該より重いのは常識だ。
このアリ地獄から逃れるための苦しい答弁がつづく。この窮地を救わんと「斎藤マダム」と言われる女性たちが傍聴席を陣取りエールを送るが、終わるとカウンターグループから激しい非難が浴びせられ、そそくさと帰る。
小雨模様の12時、県庁2号館前で第3波のヒューマンチェーンが始まった。集会は市民デモHYOGOをはじめ兵庫県下の各地の市民団体が次から次に、情報漏洩を指示した斎藤知事の辞職を求める発言が続く。途中5・25デモで評判になった「よーいやさ」のかけ声(自死した県民局長や竹内県議の出身地=播州の祭りのかけ声)で「声が小さい。器が小さい」「斎藤ヤメロ、斎藤ヤメロ」の小気味よいコールが続く。さらに軽快なサックスの演奏に続き、告訴告発を受理させたグループや、不当逮捕された学生の救援を求めるグループ、女性グループたちの発言が続いた。最後に「この闘いは昨年4月発覚、7月19日に県庁を初めて取り囲み、その後各地で断続的な集会が続いている。斎藤・立花・増山らのウソは次々と暴かれており、各種第3者委員会の報告も斎藤を追い詰めるものばかりだ。6月議会での逃げ切り許さず、斎藤打倒まで闘いぬこう」とまとめられ、コールをおこなって行動を終えた。
斎藤知事と側近のウソと法律違反が次々と確定し、地元紙の調査でも不支持が支持を大きく上回った。県会議員の中で斎藤支持者は自民・維新・躍動で10人にも満たず、再びの不信任決議は不可避だ。市民・県民の世論を動かす決起が問われている。

毎週木曜午後、マルイ前で斎藤県政問題を軸に訴えを続ける市民デモHYOGOの仲間たち(神戸市三宮)