世界的激動の中 石破自民党倒せ
断末魔資本主義「悪の帝王」=トランプ
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斎藤県知事の退陣を求め1000人が県庁へデモ(5月25日 神戸市 8面参照) |
5月中旬、トランプはサウジアラビアを訪問して、「史上最大」とうたう1420億ドル相当の武器などの売却を含む計6千億ドルの対米投資を約束させた。カタール訪問では、カタール航空が米ボーイング社から最大210機を購入することを含めて、最大1兆2千億ドル相当の武器などの購入を含む経済取引の約束を取り付けた。次男のエリックは4月中旬に中東を歴訪し、カタールでは高級ゴルフリゾートを建設する計画を発表、アラブ首長国連邦(UAE)では、ドバイに80階建ての「トランプタワー」を建設することを発表した。そのうえ、トランプはカタール王室から4億ドル相当の大型旅客機の贈呈を受け、大統領専用機として使用し、退任後も使い続ける計画という。一連の中東訪問で、トルコでのウクライナ・ロシアの「停戦交渉」には、自らが呼びかけたにもかかわらず参加せず、ガザで全住民に餓死を強制しようとしているイスラエルには見向きもせず、ただ軍需産業とトランプ個人の利益だけを追求する姿が目立つ。
第1章 トランプ政権最初の100日
トランプの軍事外交
最初からロシア・プーチン、イスラエルのネタニヤフを支持し、それに親和的な姿勢を取り続けている。ウクライナには埋蔵レアメタルの採掘利権を米国に譲ることを強要しようとし、ガザについては住民を追い立て、更地にして、米国の所有にし、リビエラのようなリゾート地にする計画を公表している。ウクライナとパレスチナ人民は即時拒否した。プーチン・ロシアの侵略、イスラエルのパレスチナ住民に対するジェノサイド攻撃をまったく非難せず、逆にそれに乗っかって米国の、いなトランプ自身の利権を得ようとする。トランプの米国、プーチンのロシア、ネタニヤフのイスラエルは現代の「悪の枢軸」を形成している。
経済的利権にとどまらず、領土や住民の権利や生命さえ強奪する姿勢は一貫している。デンマークの自治領であるグリーンランドを米領にしようとし、パナマ運河の所有権や管理権を再強奪しようとする。カナダにはアメリカの1州になれと強要し、メキシコ湾を「アメリカ湾」と名称変更することを一方的に「決定」し、報道で従わない新聞社を記者会見から排除する。
関税戦争での破綻
トランプはあらゆる名目の関税をほとんどの国にかけている。その目的は、高関税によって製造業の国内回帰を促し、貿易赤字を解消すると同時に、関税収入を財源にした減税でインフレを相殺するとしている。しかしこれは無理筋である。その理由は、@アメリカの消費生活を賄うだけの工業製品や生活用品を国内製造で調達するのは非現実的である、A海外に流出して久しい製造業の復活には時間がかかるうえに、展望32号の塩川論文で述べたように、崩壊して久しい製造業の労働者支配の復活は絶望的である、B米貿易赤字は自らが生産する以上に消費する国民生活の結果であり、世界各国が買ってくれる米国債が原資となっているからである。
現に4月から本格化した関税戦争の最初の結果だけで米経済は、米国債、株式、ドル相場の3指標が揃って下落し、肝心の米貿易赤字は拡大している。他方、145%もの関税をかけられた中国では、5月9日に発表された4月の貿易統計で(ドル建て)、米国向け輸出は前年同月比21・0%減に対し、ASEAN向けは20・8%増、EU向け8・2%増、日本向け7・7%増、結果的に4月の輸出総額は8・1%増となった。先に音を上げるのは中国ではなく、米国である。中国側では、習近平が「奉陪到底」(中国で公開された映画のタイトルで「最後まで付き合ってやろうではないか」という意味)というスローガンを提起し、対決を呼びかけている(近藤大介「米中貿易戦争で習近平が温める『秘策』」週刊現代2025年5月26日号)。経済基盤も、人民動員も、構想力もトランプは習近平に及ばない。
第2章 断末魔資本主義の相貌
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パレスチナ連帯行動(5月15日 大阪) |
差別・排外主義と学問・文化の抑圧
トランプは、移民の排斥にもっとも力を入れ巨大な壁を築き、軍隊まで動員し、憲法も法も無視する。「不法移民」と日本のメディアは言うが、米国は「不法移民」がつくった国である。そのような概念自体存在しない。麻薬取締、刑法犯などの名目で追放しているが、中南米の国で受け入れる国は少ない。ついには移民労働者を保護した裁判官や移民拘束に抗議に来た市長を逮捕させたりしている。
第2に、メディア・科学研究の抑圧、気候変動や環境防衛のための規制の撤廃ないし無視、DEI(多様性・公平・包括性)の実践および研究の抑圧などである。化石燃料、とくに石炭・石油の使用拡大("drill baby drill"掘って掘って掘りまくれと、呼び掛けている)、気候変動や環境保護の役所・研究機関の廃止、ないし縮小、生物多様性の確保のための規制の撤廃ないし縮小、政府の公開情報の縮小、ついにはDEIを推進したという理由で、アフリカ系の女性である米議会図書館長を解任した。
第3に、トランプ自身が差別暴言とデマと嫌悪感を煽る発言を繰り返している。「移民は隣人のペット(イヌやネコ)を食うのだ」と言い放つ。「ディープステート(闇の国家)」論や陰謀論を振りまいて国家機関や官僚機構に対する不信とデマを振りまく。
第4に、以上に対応した「トランプ2・0」の予算案から見ると(5月2日発表)、増額する項目――国境対策や入国管理の予算、国防費(次世代ミサイル防衛システム「ゴールデンドーム」の開発、核抑止力の近代化等)。逆に減額する項目――国務省の国際開発局(USAID)の気候変動や多様性などを巡る国連の平和維持活動、世界保健機構WHOへの支出は全額カット、保健福祉省の就学前子どもの人権やジェンダー教育の助成の廃止、国立衛生研究所(NIH)の多様性や気候変動の研究は廃止、エネルギー省の再生可能エネルギーへの投資や電気自動車メーカーへの補助金はカット、等々である。
リベラルな米文明の優位性の信奉者であるフランシス・フクヤマに言わせれば、「90以上の罪状で起訴され、嘘ばかりつく人間がなぜアメリカの投票者の半数から支持されるのか」ということになる(対談、中央公論2025年2月号)。
米帝1極支配の最終的崩壊
トランプの登場は米帝1極支配の崩壊によるし、逆にそれを最終的崩壊に導くものである。ソ連崩壊後の米帝1極支配は次のような構造を持っていた。
エネルギー源の石油を米系中心のセブンスターが握っていた独占が、1970年代に崩れた後も、世界の石油市場にドル取引を強制することによって世界の貿易金融取引をドルで制圧し続けた。中東を中心に米軍が軍事的に単独支配していたからである。これによって米国は金との兌換性を失った(71年のニクソン・ショック)ドルをただ印刷するだけで金融・貿易面での覇権を維持することができた。産油国は石油を売って得た資金で米国債を買うか、米銀に預金するため、すべて米国に還流するシステムになっていた。
この構造が現在崩壊に直面している。現在、経済発展が著しい新興国の会議であるBRICSは、当初加盟のブラジル・ロシア・インド・中国・南アフリカに加えて2024年にエジプト・エチオピア・アラブ首長国連邦(UAE)・イランの4カ国が加わり、2025年にはインドネシアが加盟した。いまこれにサウジアラビアが加盟を検討しており、実現すれば、OPECの三大加盟国(サウジアラビア、イラン、UAE)+ロシアと、産油大国が勢ぞろいする。
一方で世界中にドルをばらまき、それをもって世界中からモノとサービスを買いまくった結果、金(ゴールド)に対するドルの交換比率は減価し続け、ニクソンショック時の「金1トロイオンス=35ドル」に比べて、現在「金1トロイオンス=3500ドル」と100分の1になっている(日経2025年4月27日付のニューヨーク先物報道)。産油国にはもはや石油取引をドルで続けるメリットがない。そこでBRICS諸国は現在、共通のデジタル通貨を創出し、それを金(ゴールド)で裏打ちすることを検討している。トランプ体制の下でドルは減価の勢いをましており、2021年にアフガニスタンから敗退した米帝・米軍にはドル取引を産油国に強制する力はない。
中東の政治軍事的支配、世界の石油取引の支配、ドルによる世界支配の3つの支柱をすべて失った米帝1極支配は風前の灯であり、昨年以来リセッションの予兆におびえる中で、トランプの関税戦争は最後のダメージを与えるものとなる。
第3章 トランプ2・0=「右からの革命」
疑似「革命」と言えるか?
民主党は、(人種やジェンダーの平等を求める)アイデンティティ政治に終始し、富裕層のための新自由主義政策を採り続けて、敗北した。それに対してトランプは、大統領選挙のあいだ、「労働者の党でありたい」と言いつづけ、「米国の労働者を守るために実施する10項目」なるものを打ち出した。そして、労働者は「外国勢力による被害者」「トランプは外国を退治する」という物語を発しつづけた(竹信三恵子「《働く》からいまをみつめる《36》」週刊金曜日2025年4月25日付)。民主党の富裕層のための政治、アイデンティティ政治に「階級闘争」を対置したのがトランプであった。
かくしてトランプは、前回の大統領になった時以上に、白人労働者層はもちろん、黒人・ヒスパニックの間でも支持を拡大している。そのバネとなったのが、特権エリート、エスタブリッシュメントに対する憎悪と復讐のルサンチマン(弱い立場にあるものが、強者に対して抱く嫉妬、怨恨、憎悪、劣等感などのおり混ざった感情)である。トランプやバンス(副大統領)は、それをもっぱら移民や外国に対する排外主義にすりかえている。その意味で、トランプ2・0は劣位にある弱者、非エリート、非エスタブリッシュメントによる「革命」と言える。
米国には歴代の大統領および大統領候補でトランプ的主張を掲げた者は何人かいる。第31代米大統領のハーバート・フーバーは、世界恐慌に突入しているまっただ中の1930年に、世界各国に20%の一律関税をかけて、世界経済を分断し、米経済を破綻に追い込んだ。1992年と1996年の米大統領選挙に共和党から立候補し(いずれもクリントンに敗れた)、2000年には第3党の「改革党」から立候補したパット・ブキャナンは、その選挙公約に「アメリカ・ファースト」を掲げ、NATO脱退、日米安保破棄、日・独の核武装の容認という立場を打ち出した。共和党右派にはこのような危険な芽がある。トランプの立場は何ら新しいものではない。だから「ペイレオコン」(paleocon、石器時代的に古い保守)と呼ぶ。しかしトランプはそれを独特の「ディール」と呼ぶ交渉術でカバーする。トランプ自身によれば、それは次のような標語に要約される。
「勝ち馬に乗れ」
「押しの一手」
「一番大事なのはカンだ」
「最後ははったりである」
(ドナルド・トランプ、トニー・シュウォーツ『トランプ自伝〜不動産王にビジネスを学ぶ〜』)
ここにあるのは、悪徳不動産業者としてのわずかな経験智以外は、政治・軍事・経済に関する無知と無恥極まる傲慢さだけである。
米国社会が直面する内戦
米社会を世界と比較して内戦の可能性を考察している政治社会学者がいる(バーバラ・F・ウォルター著『アメリカは内戦に向かうのか』)。彼女は現在、内戦に突入する可能性が大きい国として、アメリカ・インド・ブラジルを挙げる。理由は、差別や抑圧がひどく、人民が困窮にあえいでいるだけではなく、今までの社会的地位を喪失したか、失おうとしている身分や階級が社会への不満・憎悪をたぎらせて決起することによって起こるという。たとえばインドはモディ首相のヒンドゥー至上主義が、イスラム教徒、キリスト教徒、シーク教徒、仏教徒などの抑圧とときに虐殺と結びつくことによって危機的な状態にある。カシミール「紛争」を見れば、それはもう始まっている。
アメリカではすでに南北戦争以来の内戦に突入している。ミシガン州知事ウィットマーを誘拐・処刑しようとした14人の民間武装組織がその例である。2021年1月の米議会突入事件は、このようなミリシアと呼ばれる民兵を多数の中核として実行された。米国憲法修正第二条では「よく規律されたミリシアは、自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を保有し携帯する権利は、これを侵してはならない」と述べている。これは単に人民の武装権を容認し、保護しているだけではなく、武装した人民が武装組織に結集し行動することも容認していると言える。アメリカには、先住民に対する虐殺・迫害の歴史、黒人奴隷に対する差別・抑圧の歴史が、KKKのような武装集団によっておこなわれてきた歴史がある。トランプは、覇権国としての米国の没落の中で、まさに反革命的な「階級決起」として始めているのである。
第4章 日本人民は問われている
インド太平洋地域への世界政策
石破政権がもっとも力を入れているのは、米帝・トランプが放棄しているインド太平洋地域に対する世界政策である。石破首相自身が4月末にベトナムとフィリピンを訪問し、軍事的援助や共同訓練を決めるとともに、前者とは外務・防衛の次官級会談(2+2)の創設を決め、後者とは物品役務相互提供協定(ACSA)の交渉開始で合意した。対米・対英・対仏に続くものである。ベトナムについて準同盟国扱いの軍事援助に踏み込んだ点も注意すべきである。その他、4月から5月にかけ、中谷元防衛相がインドを訪問し日印防衛相会談をおこない、共同訓練の拡大・深化や、日印間の防衛協力連携を調整する会議体(JIDJP)の新設で合意している。インドネシアに関しては、自衛隊の吉田圭秀統合幕僚長と同国軍のアグス司令官が会談し、米・インドネシア共同演習「スーパー・ガルーダ」への自衛隊の参加、防衛装備品の供与についての意見交換をおこなっている。
軍事協力だけではない。英・加・日・チリ・ペルー・メキシコ・豪・NZ・シンガポール・ブルネイ・越・マレーシアを加盟国とするCPTPP(包括的・先進的環太平洋経済連携協定)は、米・中が加盟していないうえに、日本にとってもっとも貿易自由度が高い(関税等が低い)経済連携協定であり、日本が主導権をとりえる可能性を秘めている。石破政権が大阪・関西万博に来日する各国首脳と会談を重ねているのはその点を重視したものである。日本の新たな侵略のための勢力圏構築を許すな。
トランプに対する日本帝国主義・石破の対応
トランプが関税以外では中国に対応しないなかで、日帝・石破政権は世界戦略である「インド太平洋戦略」(FOIP)のためにも、単独で、ないし対米対抗しても、中国と対峙することを迫られている。4月21日の6チャンネル「ワイドスクランブル」ではMCの大下容子が、「日本がアメリカ(の戦争に)巻き込まれるということではダメなんですね」「日本の方からアメリカを巻き込むくらいの立場が必要なんですね」という趣旨の発言をしている。
このような路線の1つが、日・英・伊による次世代戦闘機の共同開発である。これは技術流出を恐れ、日本との共同開発を拒否したアメリカに対し、日本が主導して次期第6世代の戦闘機を開発・製造・量産・販売を行おうとするものである。すでにサウジアラビアが共同開発機構への参加を表明しており、インドが購入を希望している。展望がありそうに見えるが、戦闘機どころか、航空産業を戦後放棄して、実戦経験がない日本が主導権をとるのは困難である。早くも完成・配備の年限、開発・製造工程の分担などで対立と矛盾が山ほど出てきている。
第2に、「核抑止力」である。石破はかねて「日本は核抑止力を検討しなければならない」と言ってきた。これは「核シェアリング」(いわゆる核共有)の意味か、日本の独自の核武装の意味かあいまいである。しかし最近では、独自の核武装を巡る論議がかまびすしい。たとえば、フランスの歴史人類学者エマニュエル・トッドは「米欧の分裂と日本の選択」という論考(文藝春秋2025年5月号)で、米国が、自国への報復核攻撃を覚悟して自国の核兵器で日本を防衛することはありえないから、「日本は核武装せよ」とわめいている。自著『西洋の敗北』が英米圏では出版されないことへの当てつけとも考えられる。しかしドゴール主義者の寝言とは言っておられない毒がある。また核武装に賛成しているわけではないが、軍事評論家の小泉悠は「そろそろ『日本の核』の話をしよう」と題する対談(週刊現代2025年5月12日付号)で、日本が核武装する条件を検討している(運搬手段や基地の設置場所を考えると簡単にはできないという結論であるが…)。これも日本の核武装問題の緊迫性を考えさせる材料である。
第3は経済・貿易問題である。トランプの「相互関税」という攻撃に、日帝・石破政権は、コメを犠牲にして高率関税を逃れる画策をしている。これによって石破は何を防衛しようとしているのであろうか。いうまでもなく輸出大企業の利益である。そのカラクリは次のような構造になっている。
トランプは4月20日、自身のSNSに「非関税障壁のイカサマ」(NON―TARIFF CHEATING)と題して8項目を列挙した。その中で「関税及び輸出補助金として作用する消費税」を挙げている。この事実を日本のメディアは無視・抹殺している。しかしこれは日本の「輸出戻し税」のカラクリを鋭く暴露している。
消費税法では輸出品は免税と定められている。ここまではEUなどと変わらない。しかし日本では輸出する製品の消費税がゼロになるだけでなく、その製品をつくるために仕入れた段階で課税された消費税・地方消費税の全額が国と自治体から最後に輸出した企業に還付される(輸出還付金)。輸出比率が高い企業は、国内で販売した製品にかかる消費税より、輸出還付金が多くなる。消費税を納める以上に戻ってくるので、これが「輸出戻し税」と言われる仕組みである。米国には連邦の消費税がないため、輸出企業は還付金の分だけ製品を安く輸出できる。
23年度の決算資料から算出した輸出大企業の消費税還付の大きさを見ると。1位がトヨタ自動車で6102億円、2位が本田技研工業で2418億円、以下7位までが自動車関係の大企業で、そのあとは、8位豊田通商891億円、9位村田製作所762億円、10位キヤノンで719億円などである。この仕組みは輸出大企業だけが利益を得る仕組みで、下請け企業や現場労働者、一般消費者である労働者人民は不当に収奪される。トランプが指摘しているように米製造業や労働者も一種の収奪を受けていることになる。
ちなみに少し古い資料であるが、2011年度に消費税収入が赤字になっている税務署として、トヨタ自動車の本社のある豊田税務署が1365億円の赤字、日産自動車の本社がある神奈川税務署が561億円の赤字となっている。赤字が少ないのは消費税がまだ5%の時代であったからである(左記(2))。
この点で参考にすべき出版物:
(1)「消費税減税を阻む『輸出大企業』利権」週刊ポスト2025・5・16付号
(2)岩本沙弓『あなたの知らない日本経済のカラクリ』2014・2・28
日本の労働者人民はもちろん、米労働者、日米と世界のあらゆる階級・階層を犠牲にする消費税は直ちに廃止せよ。全廃以外に道はない。
3面
投稿
今生起する部落差別と立ち向かうことこそ 石川さんに応える道
4・29黒川みどりさん講演会に参加して
小山一彦
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PLP会館5階いっぱいの参加者(4月29日) |
狭山事件の再審を実現しよう市民のつどいin関西実行委員会の主催で、「狭山事件と今日の部落差別」と題して、歴史学者で元静岡大学教授=黒川みどりさんの講演会が大阪PLP会館大会議室で開催され、私は委員会の一人として参加しました。
はじめに、昨年9月24日の狭山現地調査のビデオ「石川一雄さんが私たちに語ってくれたこと」を鑑賞し、在りし日の石川さんを偲び、黙祷し、主催者挨拶、追悼の言葉がありました。
黒川みどりさんは、はじめに石川一雄さんの一昨年6月の歌、 「吾が黄泉は 遠方にあらず 悟れども 冤罪晴れず 天に逝けずや」を紹介し、今年5月号の『世界』「「見えない手錠」を今からでも外す」追悼文を示して話されました。中でも、同172ページを引用され、ご自分の気持ちを話されました。
「石川さんが立教大学での昨秋のお話の中で袴田さんの無罪確定のことにふれ『冤罪者の立場をわきまえずに検察官は上訴する、それによって10年も無駄な時間が過ぎた』と、再審法改正の必要を強調した。法廷で勝利を得なければ、『見えない手錠』を外すことは出来ないのだ。私たちは、心情的な共感や、運動に参加することでの満足にとどまっていてはならないと思わされた」と。
まさに私自身のこれまでのあり方を問われる訴えでした。石川さんの闘いに深く学び、石川さんのこと、狭山差別裁判のことを分かってもらえるように闘い方をやりなおしていかなければならないと思いました。
久留米市教育委員会問題
黒川さんはまた、久留米市教育委員会問題に触れ「一方、狭山事件は裁判所が有罪と判断しているから冤罪事件として取り上げられない、沈黙することこそが中立だという行政・教育関係者は数多存在する。それは中立の理解が誤っているのであり、中立とは権力を追認することではない。権力はしばしば過ちを犯す。だからこそ現に多くの冤罪事件を生んできたのである。それらの無実を明らかにする大きな力となったのは、権力の判断に追従することなく、それを覆すべく闘ってきた市民の力であった。たえず権力をうたがい権力をチェックする姿勢がなければ民主主義は存在しえない。そして差別の存在も、高いアンテナを張っていなければみえてこない。一雄さんが受けた、学校にも行けなかったような厳しい部落差別の実態は、今はほとんど存在しないが、現在なお形を変えてまぎれもなく社会に存在している。罪を着せられたのは、被差別部落に生まれた一雄さん然りであり、往々にして社会的弱者であったことを忘れてはなるまい。・・・晩年の数年間ではあったが、一雄さんのお話を長時間にわたり聞かせていただく機会に恵まれた者の一人として、一雄さんの無念を胸に刻み、早智子さんの闘いに連なっていきたい。はめられたままの『見えない手錠』は、いまからでも外されねばならない」と。
次に久留米市教育委員会で起こったことを具体的に話された。
昨年7月31日、久留米市教育委員会主催「第45回久留米市人権・同和教育夏期講座」演題「近代社会における部落問題と今日の課題」において、講演者の黒川みどりさんに隠して、事前に渡していた受講者の資料持参を禁じる差別対応をした。午前中の講演の終わりにそのことに気づいた黒川さんは、毅然と抗議し委員会の対応が不誠実だったため昼からの講演を取りやめた。
問題にされたことは、
@狭山事件についての言及=冤罪と言ってもらっては困る
A兵庫県高木村、世良田村、現山鹿市の3カ所、市町村名の地名を言ってもらっては困る
B「賤称語」島崎藤村『破戒』にある「穢多らしい特色」「新平民」は困る。
8月9日、課長・教育部長と面談して上記3点が原因であったことが明らかになる。
9月9日、「地名については、過去に同和対策事業が実施されたことがわかる地名だから、市のホームページにおいても公開しておりません。『賤称語』については、資料を手にした者がそれを用いて差別を引き起こす可能性があるから」と。
さらに今年1月28日には教育委員会の代理人弁護士の回答で
@黒川氏が、市の対応が検閲であり、学問思想の自由の侵害だとして事実と反することをマスコミや外部機関に情報提供していることをやめるようにとの『申し入れ』があり、さらに
A狭山事件は現時点においては、有罪判決が確定している条項であり、地方公共団体として中立性が求められる中、当市が現時点の公式見解として狭山事件は冤罪であると述べることができないことはご理解ください」と。
何が問題か
部落問題を消し去る=「無化」が進んでいる現実。「穢多」は徳川時代の身分の名称。
近代の差別を表すものとしての呼称は重要。久留米市の対応はほとんど現実に想定しえないことのリスクを過大に見て、部落問題を伝えるのに必要な言葉を消し去ることであり、あってはならない。
3月には久留米市の小学校で若手教員が部落問題についての授業をした。廊下を通りかかった教頭が発見し、その後校長、教頭、加配、担任が子どもたちのノートを集め、消しゴムで「ゴシゴシ消した」事件が起こっている。
こと久留米市だけの問題ではない、あちこちに蔓延る問題として、事なかれ主義や保身ではなくて、水平社の精神に立ち返り差別を告発する勇気で、そこに立ちはだかる困難を共に解決していくことが、石川さんの無念を晴らすことにつながる。差別問題へのアンテナを高くして、一人でも多くの人に部落問題に気付いてもらう努力をしていこうと話されました。
多くの質疑応答の中で、黒川さんに対して「あなたは部落出身者ですか?」との質問があった。黒川さんは冷静に、「どうお答えしたらわかってもらえるかしら」と一息入れて、『被差別部落に生まれて』に書かれているご自身の立場を話された。「私は、三重県の被差別部落に隣接する一般地区で育ち、どうして差別が続いているのかと考え、それをなくすために研究者になって闘っております」と毅然と答えた。司会者から「今の質問は、公の場で講演者の出自を聞く差別発言です。主催者として正していきたい」と毅然と意思を示されました。
志をつぎ再審勝利へ
最後に、大阪府下の市民の会の代表から、「石川さんの闘いに深く学び、彼の遺志を継いで、狭山差別裁判の権力犯罪を明らかにして、東京高裁に再審を開かせるために力を振り絞ろう」と高らかに決意が述べられた。
4面
復帰53年を問う デモと講演(上)
具志堅さんが講演
5月17日 新宿
5月17日、東京・新宿で「『復帰』53年を問う―琉球弧を戦場にさせない 海も空も土も水もワッタームン!」とのタイトルでデモと講演会がおこなわれた。主催は、沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック。
まず、新宿駅前(旧アルタビル前)に市民が集まり、具志堅隆松さんを中心にアピールしてから新宿一周デモ。120人以上が参加した。
デモ解散後、近くの貸会議室に移動して具志堅隆松さんの講演会。狭い会場だが、100人前後が集まった。以下、具志堅さんの発言。
諦めないことが大事
海も空も土も水もワッタームン(私たちのもの)ということについて、米軍と自衛隊に奪われている。沖縄の土は戦没者の血を吸いこんでいる。それを海に捨てようとするのが辺野古新基地建設。6月17日、参議院の講堂で防衛省に抗議する。土を使うのを決めたのは防衛省だから。国が(こちらの要求に)ハイと言わなければ負けかというとそんなことはない。(戦没者をないがしろにするのかという追及に対して防衛省は)返事ができないから黙ってる。今まで答えたことはない。私たちが諦めないことが大事。
(今回)防衛省と厚労省にDNA鑑定のことで聞くことがある。戦没者の遺骨のDNA鑑定をやって(確定したら)遺族に返す、ということを勝ち取った。『安定同位体分析』というのをやればどこの人かが都道府県レベルでわかるから、遺族がいなくても都道府県には戻して弔うことができる。
米にはDPAA(国防総省捕虜・行方不明者調査局)というのがあって、世界中で米兵(死者・行方不明者)の捜索をやっている。硫黄島での捜索を厚労省と一緒にやるという。キリバスのタラワという島で四千人の日本兵が亡くなっている。そのうち千人は朝鮮半島出身。厚労省は2003年から遺骨のDNA検査をやっていて、07年から沖縄県内でもやっているが、まだ7体しか(身元が)わかっていない。持ち物などの補助情報があってやっと親族にたどりついている。シベリアでは埋葬者名簿があって、検査をやって遺族に返した。韓国でも1体、その後すぐに日本でも2体判明した。
『(沖縄戦の遺骨で)今までも親族と合致したのがあったのではないか』と聞くと厚労省は『後でもっと合致しているのが出たら困る』と言っていた。07年にはDNA鑑定をやると決まっていたが、遺族に知らせなかった。ホームページに出しただけ。
DNA鑑定は1体3万円くらいかかる。安定同位体分析は安くできる。6月17日に遺骨の一つ一つを調べるのかどうかを聞く。
山口県宇部市の海底炭鉱(長生炭鉱)の落盤事故で約二百人が亡くなっていて7割が朝鮮半島出身だと言われている。遺骨が残っているのは確実。
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アピールする具志堅隆松さん(5月17日 東京) |
慰霊祭に石破を呼ぶな
遺骨土砂問題で、(参議院の講堂に)内閣官房を呼んで、6月23日の慰霊祭に石破総理が来るなら『南部の土砂は使わない』と表明してほしい、と言う。『戦没者の哀悼の誠を捧げる』と言うが、言ってることとやってることが違う。表明できないなら来ないでくれと言ってある。
『平和の礎』はお墓と同じ。遺族がお参りに来て花と線香を残してよかったのだが、総理大臣が来ると警察が来て花を棒でひっくり返す。やめろと言っている。去年も言った。今年も言う。
(平和式典が)沖縄県主催で遺族と沖縄人のためにやっているのに総理のためにやるようになっている。(参加する一般の)年寄りは遠くに車を停めて歩かなければいけない。県には(総理を)呼ぶなと言っている。
(沖縄の人々が)5・15の復帰を望んでいたのは事実。米軍の圧政から逃れたかったから。(復帰で)基地も戦争もなくなると思っていた。
(復帰前の沖縄の学校の)先生たちは沖縄戦の生き残り。西田昌司の言う『むちゃくちゃな教育』は当然。二度と戦争に巻き込まれないために必要。(西田は)皇民化教育を望んでいるのか。はっきり言ってくれた方がいい。
(復帰運動では)日の丸の旗を推奨していた。米軍支配から逃れるためのアイテム。それが復帰してから変わった。米軍と一緒に基地を押しつける日本政府の旗を誰も有り難がらなくなった。
米軍も復帰後に態度がガラッと変わった。沖縄県警がピストルを所持するようになってから。彼らは警察が怖いのではなく、ピストルは使われるものだとわかっているから。(米軍兵士は)今は復帰前の態度に戻っている気がする。
北海道のアイヌの方たちに呼ばれて北海道に行った時に、『アイヌ語で話すことはあるのですか』と聞いたら、会話することはない、喋れないということだった。話せる人はいる。アイヌ語を引き継いだ若い人。(沖縄人として)自分達の言葉を意識するきっかけになった。(自らの言葉は)学習してでも引き継ぐべきもの。
国連の先住民族会議に行って、英語で喋ってウチナーグチで感謝を述べた。(一口にウチナーグチと言っても)沖縄各地で全く違う。
台湾有事に関して、遺骨問題を全国の自治体に働きかけている。戦没者追悼式(武道館)でチラシをまかせてくれと言ったらだめだった。武道館の入り口は(道路使用許可が)だめで、(靖国通りを挟んだ)反対側はできた。周りは日の丸の旗が並んでいる。(遺骨問題は)右翼と敵対する内容ではないので(宣伝を)やったら(右翼関係者が)『本当にこんなことがあるの?』と言って首をひねりながら帰っていく。(つづく)
沖縄日誌
米兵暴行やまず
自衛隊 スポーツ利用し住民懐柔
4月5日 名護市辺野古のキャンプ・シュワブゲート前で、オール沖縄会議は「第49回県民大行動」を開催、市民600人が参加。「島ぐるみ会議いとまん」のメンバーは大浦湾に7万1千本のくいを打ち込む軟弱地盤改良工事の無謀さを、7万1千本のつまようじを刺したボードを掲げ訴えた。
7日 うるま市の宮城島の鉱山で、「うるま市島ぐるみ会議」は、抗議市民と土砂を積んだダンプカーが接触寸前となる危険な事案があったとして、鉱山事業者や沖縄防衛局などに安全対策をおこなうよう要請した。「島ぐるみ会議」によると「今月3日に牛歩による抗議行動の市民とダンプカーが事故寸前になった」と抗議した。市民は連日抗議行動を展開している。
10日 東京の衆議院議員会館で、〈辺野古土砂搬出反対全国連絡協議会〉は奄美大島から石材や土砂の調達に反対する署名6万621筆を防衛省へ提出した。防衛省は「奄美大島での土砂の調達に向けた調査はおこなっていない」と回答した。
13日 昨年4月の第38回全日本トライアスロン宮古島大会に関して、陸自宮古島駐屯地の内部資料で「駐屯地の存在を市民に大々的にアピールできる格好の機会」などと記され、約100人の隊員が迷彩服を着用しての支援を重視していたことも判明した。資料はチョウ類研究者の宮城秋乃さんが防衛省に対して陸自の関連文書を情報開示請求し入手した。
ミサイル基地いらない宮古島住民連絡会の清水早子共同代表は「住民を懐柔することを組織的にやっていた」と指摘。15日には大会事務局を訪ね、陸自は迷彩服ではなく大会ボランティアらに支給されるシャツを着用することなどを要請した。
20日 宮古島市で第39回全日本トライアスロン宮古島大会が開催された。陸自宮古島駐屯地の隊員150人は迷彩服を着用し、運営を支援した。市民からは「大会に政治を持ち込むな」「自衛隊の宣伝のために利用することはおかしい」などの声も上がった。
23日 米兵による女性暴行事件が再び発生した。県警は23日までに、今年3月に沖縄島の米軍基地内で、基地従業員の成人女性に性的暴行を加えたなどとして、不同意性交と傷害の疑いで在沖米海兵隊員の20代の男性を那覇地裁に書類送検した。海兵隊員は待ち伏せしトイレで女性を襲った。助けに入った成人女性を蹴るなどしてけがを負わせた。(30日那覇地検は起訴した)
また、今年1月、沖縄島内での成人女性に対する性的暴行事件で、別の在沖米軍海兵隊員の20代の男性を不同意性交容疑で書類送検した。今月18日から県警や米軍、地域自治会などによる「合同パトロール」が実施されたばかりだ。昨年12月の県民大会関係者は、「許しがたい。再発防止が機能せず、先日のパトロールも茶番だったことが浮き彫りになった」と憤った。
25日 名護市辺野古の新基地建設で沖縄防衛局が護岸工事に着手して8年目を迎えた。ヘリ基地反対協は大浦湾側の海上で「4・25海上大行動」を開き、カヌー31艇と船6隻に市民50人が乗り込み「砂ぐいの打ち込みやめろ」など抗議した。
27日 うるま市長選が投開票された。現職の中村正人氏(自民・公明推薦)が再選。照屋大河氏(立民・共産・社民・社大推薦)と照屋守之氏(元県議)は届かず。
(杉山)
5面
ミサイル弾薬庫つくらせるな
6・15祝園現地闘争へ
2025年度の軍事費(防衛費)は、8兆7005億円で、昨年度より約7500億円も増加(9%増)している。23年度以降の増加は尋常ではない。いっぽうで、市井の人びとはコメの値段が従来の2倍に高騰するなかで、生活に苦しんでいる。政府は人民の生活を考えることなく、支配階級の利益を優先している。こういう政府は、われわれ人民の力で打倒するしかない。
自衛隊の「南西シフト」
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昨年8月25日の集会・デモ(精華町役場にて) |
軍事費について、政府は2023年度から2027年度までの5年間で総額43兆円を投じる方針だ。その詳細は11区分(15分野)に分類されているが、「持続性・強靭性」の区分(弾薬・誘導弾、装備品等の維持整備費・稼働確保、施設の強靭化)に15兆円(34%)を使うというのだ。
2014年、安倍晋三政権は集団的自衛権の行使を容認した。さらに2022年12月に、岸田文雄政権は「安保3文書」を閣議決定し、敵基地攻撃能力を保有する方針を決めた。この2つがセットになって、専守防衛は名実ともに消滅した。
安保3文書のひとつ「国家防衛戦略」は、軍事戦略の目標に@抑止力、A敵基地攻撃能力、B持続性・強靭性の継戦能力を高める、この3点をあげている。自衛隊基地は全国に約3百カ所あり、その2万3千棟について「持続性・強靭性」を高める計画だ。
現在、「南西諸島の軍事化」にむけて西日本とくに九州と沖縄・南西諸島で基地強化が進んでいる。大分市の敷戸分屯地で新たに弾薬庫が造られており、湯布院駐屯地に12式地対艦ミサイル能力向上型が今年から配備される。佐賀空港ではオスプレイが今年度中に配備されようとしている。沖縄に駐屯する第15旅団は、2026年度に師団になる予定だ。奄美大島、宮古島、石垣島、与那国島では、ミサイル部隊や電子戦部隊が強化されている(本紙412号を参照)。
祝園と舞鶴にミサイル弾薬庫
関西では、陸自・祝園分屯地(京都府精華町、京田辺市)と海自・舞鶴基地(京都府舞鶴市)に新たにミサイル弾薬庫がつくられる。祝園分屯地には、「関西補給支処祝園弾薬支処」と「中部方面後方支援隊」が所属している。舞鶴基地にはイージス艦2隻、ミサイル艇2隻が配備されている。
現在、祝園弾薬庫では、新たに14棟のミサイル弾薬庫などが造られようとしている。防衛省は、はじめ「火薬庫8棟および倉庫の整備」と説明しており、23年度に「調査費」4億円、24年度に「設計・工事費」102億円を計上した。
24年12月になって、防衛省は「新たに6棟の火薬庫を整備する」と言い出し、この6棟のうち3棟分の調査・設計にかかわる経費として2025年度の予算に5億円を計上した。当初の8棟については本体工事を含めて約192億円を計上しており、2025年度予算は合計で197億円になっている。
すでに、用地造成工事などの基本検討は終えている。防衛省は「2025年度に造成工事に着手する」「弾薬庫の完成は2027年度を予定」と言っている。
基地交付金と周辺整備交付金が、1年あたり1億5千万円程度(精華町予算の1%程度)精華町に交付されている。町長は基本的に弾薬庫の建設に賛成の立場だ。
舞鶴基地では「舞鶴弾薬整備補給所」(舞鶴市長浜地区)内に3棟を整備するために、24年度予算で調査費約2億円が計上された。25年度予算案は、同補給所北側地域に新たに調査費を追加しており、3棟の設計費と合わせて約4億円を計上している。
祝園弾薬庫の歴史
1939年3月、大阪府枚方市の禁野弾薬庫が大爆発をおこし、1941年4月に祝園に弾薬庫が移転した。敗戦とともに、弾薬庫は米軍に接収され、朝鮮戦争で使われている。1960年には自衛隊に移管された。
自衛隊に移管される時、周辺住民が土地の返還運動をおこした。このとき、この反対運動をおさえるために、町長と防衛庁(当時)の間で「確認書」(1960年2月)が結ばれた。この「確認書」は失効していない。しかし、政府は「あの文書は当時の確認であって、契約ではない」と言っている。防衛省に都合がわるい内容だから、なかったことにする。こんなことは許されない。また、防衛省は「火薬取締法にもとづき、万全を期し保管している」と述べているが、ミサイルの弾薬と民生用の火薬を同じように扱うことはできない。
祝園ミサイル弾薬庫
祝園ミサイル弾薬庫の建設工事が始まろうとしている。防衛省は、文書(2024年12月)の中で次のように述べている。
「新設弾薬庫8棟については、地上覆土式になる。隊庁舎の立替もおこなう。用地造成で発生する土砂は盛土などに利用して、できるだけ外部に搬出しないようにする」。
また、活断層について、文献調査を実施している。防衛省は東畑撓曲と秋篠撓曲が南北に伸びていることを認めている。しかし、「分屯地の南縁及び東縁以北においては分布していないことを確認した」と述べている。活断層が分屯地で突然に消えている。これはあまりにも不自然ではないか。
6・15祝園現地集会へ
防衛省は「工事内容について、近隣地区住民に説明する」と言っている。戦争になれば、基地や弾薬庫がまっさきに狙われる。これは軍事的な常識だ。ミサイル弾薬庫をつくらせないことだ。説明会の開催を待つのではなく、計画を断念させるためにどういう闘いができるのか、思考と行動をおこしていこう。
祝園のミサイル弾薬庫は、陸・海自衛隊の共同使用になり、舞鶴海上自衛隊基地と連携する。12式地対艦誘導弾・能力向上型やトマホークの弾薬が貯蔵されることになる。
6月15日、精華町役場(精華町交流ホール)で14時から布施祐仁さん(ジャーナリスト)の講演集会、集会後16時15分から町内を一周するピース・パレードをおこなう。主催は、〈京都・祝園ミサイル弾薬庫問題を考える住民ネットワーク〉。
6・15現地行動へ。
映画評
『新世紀ロマンティクス』監督;ジャ・ジャンクー 2024年
監督はジャ・ジャンクー。映画の中国語の原題は「風流一代」。映画の内容としては、原題のほうがしっくりくる。21世紀以降、中国は経済成長を突っ走り、「世界の工場」から「世界の市場」になった。しかし、底辺労働者は、けっして豊かになっていない。
映画は、2001年山西省大同→2006年三峡ダムに沈む前の奉節→2022年経済特区で栄える珠海→そして、大同へと移動する。主要な登場人物は2人、チャオ(チャオ・タオ)とビン(リー・チュウビン)。
ジャンクーは、同じ俳優を使って2003年に「青の稲妻」を大同で撮影し、2006年に奉節で「長江哀歌」を撮っている。「新世紀ロマンティクス」では、この時に撮った映画映像(フィクション)と記録映像(ノンフィクション)が使われている。だから、登場人物の2人は22年の歳月を重ねている。2人のセリフは消えている。映画の製作期間は22年となっている。
2001年大同の街。大同は黄土高原の東北部に位置する。石炭をはじめ、地下資源に恵まれている。大同は炭鉱労働者の街だ。石炭産業が不況になり、街は失業者が増えている。労働者は古い唱歌を聞き入り、若者はダンス音楽で体を動かす。この二つが混在している。>
この年、中国はWTOに加盟した。北京オリンピック開催決定で、街は活気づいている。旧市街は雑然としておりエネルギーがあった。ビンはチャオを残して、「一旗あげて帰ってくる」とSNSに伝言を残して消えてしまう。
2006年三峡ダムに沈むまえの長江・奉節の街。チャオはビンの消息をもとめてやってきた。この街はやがてダムの湖底に沈むため、ビルが取り壊されている。ある住民は「国家の方針に反対することはできない」と述べている。
三峡ダムは中国近代化の象徴的存在だ。水力発電をおこない、総消費電力の10%がここで作りだされている。しかし、三峡ダムの建設によって、歴史のある町が水没し、110万人を超える住民が強制移転させられた。現在、自然環境汚染が深刻になっている。
2022年、珠江デルタ西岸に位置する珠海。人びとはコロナ禍におびえている。ビンは仕事をもとめて珠海にやってきた。携帯電話はスマートホンに変わっている。若者はユーチューバーで金を稼ぐ。
ビンは居場所もなく、大同に戻る。大同は高層ビルが立ち並び、近代都市に変わっている。チャオはスーパー店のレジで働いている。スーパーには食料品があふれている。AIロボットが客の対応をおこなう。
ここで、2人は再会する。しかし、2人はもとに戻ることはない。チャオはビンを残してジョギングにでる。映画は、チャオが気合をいれて走りだすところで終わる。
新しきものと古きもの。移ろいゆくものと変わらぬもの。21世紀になって四半世紀がたつ。あまりにも変化のスピードが早すぎる。資本主義市場経済は、競争に打ち勝つために走り続けるしかないのだ。
今後、中国社会はどうなるのだろうか。映画では、チャオは走り続ける。しかし、人間は時代に流されていく存在ではない。団結の力でこの時代を断ち切り、新しい時代を創り出すことができる。ここに夢をいだきたい。
(鹿田研三)
6面
朝鮮戦争下の清水港・山猫スト(下)
『レッド』出版記念会の講演要旨
全国の港湾で無期限ストへ
一挙に生じた失業者の大群
2人の青年に失業者組織の白羽の矢
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女性史研究家・鈴木裕子さんから花束受ける(24年12月14日) |
朝鮮戦争が始まる前年1949年は、日本経済にとって歴史的大変革の年であった。敗戦直後から続いていた超インフレに終止符を打つべく、GHQ(連合国軍総司令官総司令部)が強権的に大ナタを振ったのだ。
さまざまな財政政策、税金の仕組み、その他超緊縮プランが打ち出されたが、絶大な力を持っていたGHQの勧告は絶対命令に等しく、実施に移された。
行政機関職員定員法が制定され、26万数千人の官公労働者が、ウンもスンもなく解雇された。民間企業も百万人を超える人員整理を断行し、膨大な数の失業者が生まれた。官民合わせて少なく見積もっても百数十万人を下らない新たな失業者が生まれたのである。
これは、いわば第1次レッド・パージでもあった。この人員整理のなかに共産党員あるいはそのシンパとみなされた人たちを含んでいたのである。
朝鮮戦争が始まった年の7月以降に、マスコミはじめ、全産業にわたって1万数千人が職場を追放されたレッド・パージがおこなわれたが、これはいわば第2次のレッド・パージである。
この失業者の大量出現は、大社会問題であり、政府としても何らかの対策を講じないわけにはいかなかった。そこで緊急失業対策法が制定された。政府が各都道府県に資金を交付し、河川の改修や道路の建設などの公共土木事業に、失業者を臨時に働かせるという仕組みである。
日当は東京の場合240円、静岡は190円であった。
当時の労働者の賃金が全産業平均9224円であったから、東京の場合、仕事にアブレがなくて1月25日働いたとして全国全産業平均の約65%、静岡の場合51%強の賃金でしかなかった。実際にアブレる日が少なくなかったから、実際にはこれよりもっと低かった。1950年の消費者米価が10キログラム当たり445円だったから、どのような生活を強いられていたか想像がつくと思う。
「食うや食わず」という言葉があるが、実際にはそれ以下で本当に明日どうやって食っていくか見当がつかないという状態であった。
このような情況のなかで、日本共産党静岡県委員会が2人の党員に失業者の組織を命じた。1人は堀勇という1924年生まれの失業者で、日本軽金属蒲原工場を49年に5人レッド・パージされたうちの1人であった。身長180センチ、体重80キロ、スポーツ万能で、ものすごい力持ちであった。もう1人は1929年生まれの浅野健次郎(当時は青木姓)。彼は旧制清水中学在学中の1946年11月7日ロシア革命の記念日に、自ら決意し日本共産党に入党し、卒業と同時に党の専従になり共産青年同盟の組織に当たっていた。
このとき共産党は2人の青年に失業者の組織を命じたものの、具体的にどういうかたちで組織するのか、どこを相手に、どういう闘いを組むのか、どういう要求を掲げるのか、何の指示も与えなかった。
普通だったら途方に暮れるところだが、堀さんや浅野さんは違っていた。むしろ逆にこうした無指導を大歓迎したのである。なぜなら、具体的指示がないということは、百%自分たちの自主的な判断と責任で組織をつくり、新しい運動を展開できるからであり、2人は喜び勇んで失業者の組織に取組んだ。
失業者の組織を作れという命令があったのは1949年の残暑の厳しいころであった。2人はとりあえず5人ずつ仲間を獲得しようとオルグを始めた。そして一生懸命オルグした結果、1949年11月7日ロシア革命の記念日に清水一般自由労働組合を120人で旗上げした。
旗上げしたと同時に、清水市役所に全員で押しかけ、アポなしで市長と集団交渉に及んだ。日当をもっと増やしてくれ、仕事にアブレる日をなくして1カ月25日働けるようにしてくれ、その他さまざまな要求を突きつけた。次の日もまた市役所に押しかけた。ところが市長はトンズラして姿をくらましていた。当然そうなることを予想して、清水一般労組のなかに青年行動隊を組織してあって、市長が逃げ込みそうな場所を手当たり次第に当たった結果、静岡の警察署長のところに逃げたという情報をつかんだ。
獲得した成果を
下積み労働者全員に平等に分配
早速静岡の警察署に押しかけ市長をつかまえ、昨日の要求にたいする回答を迫った。清水市長は問い詰められて困ってしまったが、結局、日当5日分を払うと回答を引き出した。
そのとき、清水一般自由労組の仲間のなかから、「山分けしよう」という声が上がった。しかし書記長の浅野さんが「いや、ちょっと待てよ。清水一般自由労組に入ってない失業者が沢山いる。プー太郎と呼ばれる連中(ルンペンプロレタリア)もいる、鈴与と雇用契約を結んでいるけど臨時雇用の労働者もいる。こういう下積みの労働者はわれわれと同じような生活をしていて、明日の米がない、どうして家族を食わしていくのか、みんな同じように困っている。そういう下積みの労働者全員に平等に分けていこう」と提案した。
平等に分ければ当然、1人当たりの取り分は減るわけだが、浅野さんの説得が功を奏して、下積みの労働者全員に清水一般自由労組の名において平等に分配した。これが清水港に働く下積み労働者の絶大な支持を獲得する第一歩になった。
この年の12月31日、大晦日の日に、「モチ代をよこせ」という一貫して掲げてきた要求にこたえて、清水市が総額10万円のモチ代を支払うと回答してきた。このときも、清水一般自由労組の組合員だけではなく、組合に入っていない失業者、プー太郎と呼ばれていたルンペンプロレタリア、鈴与の臨時雇用労働者全員に平等に分配した。
これは、そう簡単にできることではない。誰しも、行動に参加した自分たちだけで山分けしたい気持ちを抱くのが普通である。その方が取り分が増えるから当然である。しかし話し合いの結果、同じ港で働き同じように生活が苦しい仲間で平等に分け合っていこうという結論になった。こうして清水一般自由労組は、下積み労働者の間に絶大な支持を獲得していったのである。
もうひとつ、鈴与による所得税の徴収のゴマカシを暴露し糾弾する闘いも展開した。
港は大きな船が入ってきたときと、そうでない日とでは収入が大きく異なる。鈴与はこれを巧妙に悪用していたのである。労働者は何となくゴマカシがおこなわれていることを感じていたが、具体的に尻尾をつかむことができずに過ごしていた。清水一般自由労組はこの聖域とされていた部分を徹底的に追及して、そのカラクリを暴露した。そしてゴマカされていた部分を取り戻した。これによって、清水一般自由労働組合は、鈴与の正社員を含むすべての労働者のなかに絶大な支持を広げていったのである。
共産党の除名攻撃のりこえ
朝鮮戦争反対の大衆行動へ
こうしたなかで、堀さんと浅野さんは50年10月、共産党から除名された。たまたま手にした反主流派の機関紙を読んだことをもって、反主流派と断定されたのである。そして「スパイだ」「売国奴だ」とレッテルを張られて、職場や地域に誹謗中傷のチラシが大量にばらまかれた。
2人とも、革命に一生を捧げるつもりで命をかけて共産党に入った。その共産党からそのような仕打ちにあって、当然、精神的に参ってしまった。
しかし、そうしている間にも、現実に隣の朝鮮半島では毎日、何千人何万人という人が殺し合っている。しかも朝鮮半島は過去36年間、日本が植民地として、ほしいままに搾取し収奪し、強権をふるって暴政を押しつけてきた。その結果、38度線を境に南北に分断されている。日本人にとっても、決して他人事ではない深刻な問題である。何とかしてこの戦争に反対する闘いを組織しようという気持ちが、2人の胸のなかに高まってきた。
すべて人力に頼る港湾荷役の
特殊姓を生かした闘いを
当時の港湾の荷役労働は、コンテナをオペレーターが操作する現在と異なって、全部人力による人海戦術でおこなわれていた。
大きな船から小さな艀に荷を積み替えて、艀で沿岸まで運び、陸揚げするというシステムである。大きな船と艀で働いている労働者の約70%が鈴与の正規雇用労働者であった。そして、艀から沿岸に荷物を積み上げる、その労働の約半分を清水一般自由労組の組合員が担っていた。堀さんと浅野さんは、ここに眼を付けた。
1951年の4月、1カ月の間に5回、職場ごとの集会を開いた。港の溜り場では、鈴与の正社員からプー太郎、失業者まで休憩時には一緒にタバコを吸ったり世話話をしていた。
ここで堀さんや浅野さんは、「今、全国の港で朝鮮戦争反対の無期限ストライキがおこなわれている。清水港だけ何もしないのは恥ずかしい。何とかできないものか」と話しかけた。「こういう方針で闘うから、ついてこい」という指導は一切しなかった。
全港湾の支部が御用組合でありどうしようもないなかで、どんな闘い方があるのか。平場で、みんなで闘い方をめぐって話し合った。
それと合わせて、チラシを5回配った。反戦を第1に掲げ、経済要求を第2に掲げたチラシである。注目すべきは、このチラシを配るときに、全員が家に持って帰らないように繰り返して念を押した。労働組合が会社の手に渡ったらマズイ機密資料を配るときは、組合の役員の手で回収するのが普通である。しかし清水一般自由労組はそうしなくて、仲間ひとりひとりの責任で、それぞれが処分するようにした。これを完全にやり切ったので、チラシは鈴与や警察の手に1枚も渡らなかった。
15人の力持ちを先頭に
下積み労働者が仕事を放棄
堀さんと浅野さんは組合を作ったとき、何かコトを起こす場合に備えて、かねてから15人ほどの力持ちに眼を付けていた。朝鮮に向けてアメリカ軍がチャーターした船が出港する日の朝、15人の力持ちと堀さんが「親戚に法事ができた」とか「今朝起きたときから頭が痛くて仕方がない」など様々な口実を設けて、一斉に休んでしまった。
そしたら下積みの労働者たちが「あんな力持ちがみんな休んでいなくなったら、今日は仕事ができない」と、サボタージュに入った。そのため鈴与の正社員たちが一生懸命に働こうとしても、港の機能が停止してしまったのである。
「コロンブスの卵」ではないが、清水港の山猫ストというのは、このように極めて単純な構図で闘われたわけである。
堀さんともう1人の労働者が逮捕されたが、チラシが1枚も会社側や権力の手にわたっていなくて、証拠がないため、数日後に無罪放免になった。本来なら占領政策違反で5年間、沖縄で強制労働に処されるのが相場だったが、そうするわけにいかなかったわけである。
山猫ストを成功に導いた
力の源泉はどこにあったか
当時、アメリカ占領下のプレスコード(報道統制)で、この闘いは地方新聞のベタ記事にもならなかった。私の話は書記長の浅野さんから聞いた話がすべてである。
この山猫ストを成功させた原因は、清水一般自由労組が労働者が人間として生きていくために必要な問題は何でもとりあげて闘う≠ニいう精神を貫徹したことである。
もう一つは、闘い方を職場の労働者たちが話し合って決めたことである。これが、山猫ストを勝利に導いた2つの大きな源泉である。(おわり)
7面
通信kosugi(7)
日本学術会議の特殊法人化に反対
だがこの機会に日本学術会議は根本的な出直しを
脱原発の署名行動に参加
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国会前行動(5月9日) |
5月11日、川崎市内駅頭での脱原発署名行動に参加した。この日は「原発『処理』汚染水の海洋投棄すぐ停止を求める署名」を中心にしていた。
チラシには、「海に流れた放射能核種が食物連鎖で海洋生物に濃縮、そして人へ」として、「世界最大の事故を起こした福島原発からの放射能汚染水、これをALPSという処理機で『処理』して海洋放出を始めたが、ALPSで完全処理はできないことは政府も東電も認めている。
トリチウムなどはまったく処理できず、それ以外の核種も完全な処理はできないまま核種が海に流れ出ているのだ。
海洋投棄された放射性核種は食物連鎖を通して濃縮され、その頂点にあるヒトが食することによって体内に濃縮された放射性物質を取り込むことになる。DNAが損傷され遺伝子異常を引き起こし、ガンの発生という危険性を除去できず、また母体から胎児に生じる健康被害などが指摘されている」と訴えていた。
「原発処理水は問題ない」と学術会議前会長が衆院内閣委員会で(5月7日)
ところで、国会では、日本学術会議の特殊法人化法案が審議され、国会前での連日の市民の反対が続けられ、衆議院内でも立憲など野党が反対したが、成立して参院に移っている。
法案に反対する市民が国会前で叫んでいた5月7日の衆院内閣委員会法人化法案審議で、参考人質疑におよんだ日本学術会議の梶田隆章前会長は、自民党議員による「福島原発からの『処理水』の海洋放出問題に対して学術会議の提言が不充分だ」との質問に対し、「国際原子力機関であるIAEAも(処理水放出の)安全性には問題はないと言っており、学術会議の会員も科学的な争点はない。争点は政治的なもので、福島事故があってやむなく放出したことの理解を近隣諸国に求めていくべき」と答えたのだった。IAEAが国際的な原発推進組織であることは科学者なら当然知っているはずであり、こうした発言をこの国会で述べるというのが日本学術会議の現実だ。
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法人化反対行動(5月9日) |
日本学術会議と日本列島原発54基
そもそも、「1949年に発足した日本学術会議の初期の大きな仕事が原子力の平和利用推進に関わる研究体制の構築だった。その後、原子力平和利用三原則を提唱し、原発の安全性にも強い関心を示してきたが、1980年代以降、原発関連事故に際して、安全性の観点から提言等を行うことはなかった」と日本学術会議・原子力発電の将来検討分科会自身が振り返っている。
「原子力の平和利用」をキャッチフレーズに原発54基が日本列島に建てられたのだ。
2011年福島原発事故のあとでも学術会議は、それを自己批判することもなく、「安全な原発」を主張している。
子ども甲状腺がん多発問題でも
日本学術会議臨床医学委員会放射線防護・リスクマネジメント分科会副委員長山下俊一(長崎大学理事・当時)は、「子どもの健康影響に関する不安は根強い。事故後の数年間で、徐々に影響の有無に関する実証データや個人ベースの線量データが蓄積され、不安解消に向けて進んでいる。他方、甲状腺がんの発見については、いわゆるスクリーニング効果の問題や、被験者や家族の心理的影響など医療倫理的な問題が顕在化している」として大きな問題ではないように見せようとしている。
福島原発事故による汚染水の海洋投棄問題、そして「311子ども甲状腺がん裁判」など重大な課題を取り組んでいる被害者・避難者のみなさん、そして脱原発でたたかう市民の運動。学術会議は、科学者として、良心を持って取り組まなければならないであろう。
過去の科学者コミュニティの戦争協力への反省から、「科学が文化国家ないし平和国家の基礎である」という確信の下に、思想良心の自由、学問の自由及び言論の自由を確保するために1949年創立された学術会議。
それを政府の統制のもとに従わせようという学術会議の特殊法人化に反対するのはもちろんだが、学術会議も根本的な出直しが必要ではないだろうか。(神奈川・深津利樹)
治安維持法100年を問うC
「治安維持法による死刑はなかった」は民族差別・歴史修正主義である!
大庭伸介
1977年、治安維持法研究の第一人者とされた東大教授奥平康弘が、筑摩書房から『治安維持法小史』を出版した。するとただちに朝鮮総連(在日本朝鮮人総連合会)が抗議の声を挙げた。「この本では治安維持法で死刑になった人はひとりもいないと記しているが、朝鮮独立運動などにたいして治安維持法が適用され、日本国内よりも遥かに凶暴な弾圧で多数の人が死刑になっているではないか」と、訂正および謝罪を求めたのでる。
この本は今、岩波現代文庫に収められている。奥平は、その「あとがき」で「私はあくまでも『日本』という特殊な国家の法制研究者であるにとどまりたいという、個人の側の事情である」と開き直っている。
朝鮮だけでなく、日本の植民地であった台湾、さらに日本が領有していた樺太(現サハリン)や南太平洋のパラオなど日本の信託統治下の島々でも、同法による弾圧がおこなわれた。
日本が中国侵略の第一歩としてデッチアゲた「満州国」では、1941年12月に満州国治安維持法が制定された。そして土地を強奪された中国人民の武装反乱などにたいし、朝鮮などに比しても遥かにそれをしのぐムチャクチャな弾圧が加えられた。死刑に処せられた人の数は、少なく見積もっても2000人を下らないだろうと言われている(敗戦時、関係資料を焼却したため正確な人数は不明)。
このような事実を研究の対象から外すのは、民族蔑視にもとづく差別であり、不都合な史実を「なかったことにする」歴史修正主義以外の何物でもない。
日本国内においても、治安維持法違反で逮捕され官憲に虐殺された人が80人もいる。長期にわたる拘禁生活で持病が悪化して死んだり、衰弱死した人は1600人を超す。これらのケースは、本質的に死刑と変らない。
1933年2月10日、日本共産党九州地方委員長の西田信春が逮捕され、翌未明に福岡警察署で虐殺された。初めから殺害を意図したものであった。石堂清倫はこれが佐野学や鍋山貞親が転向を決意する直接的契機になったと推定している。
尾崎秀実はリヒアルト・ゾルゲに協力して、日本軍がソ連侵略の「北進」策ではなく、後に太平洋戦争に発展する「南進」策を選択したという情報をソ連に提供した。そして44年11月7日のロシア革命記念日に、治安維持法・国防保安法・軍機保護法の併合罪で、ゾルゲと共に絞首台の露と消えた。
1996年、オウム真理教にたいする破壊活動防止法の団体適用に失敗した政府はその翌年以降、組織的犯罪対策法をはじめ共謀罪法、特定秘密保護法などの治安弾圧立法をを相次いで制定している。
〈新たな戦前〉下の今、以上のような治安弾圧立法とその適用をめぐる歴史を、改めて厳しくとらえかえす必要があろう。(つづく)
訂正 前号の松尾尊充は松尾尊~(たかよし)です。
8面
総務部長の情報漏えい確定
6月議会前に危機深める斎藤
昨年3月からあまたの不正・違反行為を繰り返す斎藤元彦兵庫県知事に、断末魔の危機が訪れている。それは斎藤県政問題の1丁目1番地である、西播磨県民局長の個人情報漏洩が、斎藤県知事・片山副知事・井ノ本総務部長(当時)らでなさされたことが、5月27日の第三者委員会によって確定したことだ。県当局も事実と認め井ノ本前総務部長を休職3か月処分にし、斎藤自身も自らの処分に言及した。刑事告発すれば有罪は必定で、県庁トップが刑事犯という前代未聞の事態が出現する。
この1年の兵庫県政事件は斎藤元彦の告発者潰しが原因である。その先兵の井ノ本総務部長は24年3月に押収したパソコンから私的部分をプリントアウトし、3人の県会議員に見せ、「告発は信用できない」と議会工作をし、片山副知事ともども百条委員会設置阻止に奔走した。斎藤知事は4月に記者会見で「うそ八百、公務員失格」という公開パワハラをおこない、西播磨県民局長を休職3か月にした。マスコミはこの問題を当初知事の意向に沿い隠蔽せんとしたが、丸尾まき県議らの活動で、告発が真実であることが広まり、県議会は百条委員会設置に動き出す。これを阻止するためPC押収文書の「プライバシー部分」を使い信用性を破壊せんとしたのが井ノ本だ。そのため県民局長は「一死をもって抗議する」と自死を選んだ。この工作は知事にも報告され、斎藤のスマホには「既読」がつき、百条委設置阻止に失敗した片山副知事のウソ涙の記者会見とともに「牛タン4人組」の犯罪性が刻印された。ついで設置された百条委の論議で、斎藤知事のウソの答弁と事件の全貌・本質が明らかとなり、「道義的責任を感じない」斎藤に全会一致の不信任決議が上がったのだ。
増山・立花が合流
第2ラウンドは10〜11月知事選である。ここに立花孝志と維新内斎藤派=増山・岸口が登場する。増山らは当初から井ノ本情報を使おうと百条委内部で蠢いた。立花は県知事選候補として井ノ本発の情報を脚色し(10年間に10人と不倫)、百条委を攻撃し(斎藤さんは悪くない、奥谷委員長宅への襲撃)、2馬力選挙の効果と、西村元経産相・宗教勢力の大合流で斎藤は勝利した。
しかし直後の折田楓note公表により、県知事選が情報操作=公選法違反でなされたことが暴露される。4件の刑事告発も受理され、県民は12・22真相究明集会(教育会館溢れる1800人が結集)を皮切りに各地で集会・行動を開始する。今年3月5日には百条委員会の最終報告が出され、3月19日の第三者委員会報告では10個のパワハラが認定され、公益通報者潰しが違法であることも、消費者庁メール・国会答弁でも確定する。そして情報漏洩第三者委員会が井ノ本の情報漏洩を認定したわけだ。
カウンター行動 抗議集会・デモが拡大
斎藤・立花の違法行為には11月知事選のさなかからカウンター行動が始まるが、これに対し斎藤対抗馬であった稲村陣営は対抗的行動を戒める声明を出した。さらに敗北後は総括もせず無責任な態度に終始し、これが「斎藤信任」を助長させた。県民はこの「民意」に屈することなく、2〜3月を闘った。また立花の千葉県知事選を兵庫でする暴挙への抗議行動も拡大した。さらに立花の参議院選を兵庫でという、斎藤と一体で兵庫の民主主義破壊に、世代を超えた怒りが4・23県庁包囲行動や、5・25ひょうごデモ1000人決起となった。6月3日の県議会開会日には第3波県庁包囲行動が高揚し、いよいよ大衆行動と県議会での斎藤打倒行動に繋がる。6・15尼崎市議選での立花派落選から7月参議院選立花落選とも一体で、斎藤退陣を闘いとろう。(岸本耕志)
立花の弱点は「ほら吹き」
選挙ウオッチャーちだい講演会に220人
尼崎
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会場いっぱい、レジメ不足となった(5月11日 尼崎) |
5月11日尼崎市で6月尼崎市議選にN国党が立候補するのを前に、選挙ウオッチャーちだい(石渡智大)さんの講演会が連続市民講座実行委員会主催で開かれ、会場満杯の220人が参加した。司会は田中じゅんじ市議。流石ユーチューバーとして活躍しているちだいさんなので、普段は尼崎・阪神間で余り見かけない多くの人が参加し、斎藤県政との対決がずーっと続いていることを実感させる集会となった。
主催者から「立花孝志の天敵=ちだいさん」との講師紹介後、ちだいさんの話に。初めにちだいさんは「NHKから国民を守る党とは、政党の仮面を被った反社会的カルト集団」と断言し、次のように語った。なぜN国党信者は立花孝志のいう事を信じるのかについて、立花はスーツを着てユーチューブでよくホワイトボードを使う、これを見た人はまるで大学教授の授業を受けたと感じ、自分はすごく賢くなったと思ってしまう。またN国党信者によるネットでの誹謗中傷は知られているが、私の家には頼んでいないカタログが送られてくる、酷いのはメロンなどなま物で送り返すうちに古くなるし、手間と往復送料が掛かる、業者にとっても大迷惑ですと、その手口の卑劣さを激しく批判した。それと立花のお金については、選挙の費用名目でかなりの額を支持者から借りているが、その時の利子は何と15%だとか。まるで悪徳商法で、もちろん返す当てもない。立花の借金は数億円と言われており、税金の滞納も多い。こんな人が政治家・政党の党首とは酷い話だ。
1時間余りの講演後の質疑も10人以上が手を上げ、縦横無尽に応えた。中でも来たる尼崎市議会選挙にはN国党関係者3人が立候補予定で、うち2人は正体を隠していると教えてくれた。7月の参議院選挙では、立花孝志が兵庫県選挙区に立候補する。立花を見たら皆で「ウソつき!」と言うのが最もダメージを与えることになるとも教えてくれた。
ちだいさんの話は分かり易くユーモアもあり、激しい攻撃を受けているのにその事を表に出さない強さがある。さすが多くのフォロワーがいるはずだ。この集会にも全国で4万人の視聴者がいた。尼崎市議選(6月15日、投開票)・参議院選の前に、ちだい講演会を兵庫県で開催した意義は今後に繋がっていくだろう。