崩壊寸前の自公・維新
石破、万博・斎藤へ人民の怒り
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カジノ・万博に反対して御堂筋へパレード(3月23日 大阪市) |
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斎藤県政を激しく追及し大丸までデモ(8月22日 神戸市) |
3月22日・23日、神戸・大阪で斎藤県政・大阪万博に怒りの声が上がった。国会では物価・米価高騰のさ中、石破が10万円商品券を1回生議員にバラまいていたことが発覚。怒りは拡大し支持率が急落した。少数与党が維新と組み延命を図ろうとするが、石破内閣は末期的だ。13日に迫った大阪・関西万博開幕と、居直る兵庫県斎藤知事に怒りをぶつけ、石破ともども打倒しよう。
万博反対で千人が行動
3月23日大阪市内で「夢洲あぶない、やめてんかカジノ・万博 パレード」がおこなわれ、御堂筋を1000人が「万博中止、カジノもいらん」「メタンガスが爆発するで」「赤字の穴埋め税金使うな」と行進し、沿道からは熱い声援が。主催の集会では4人がリレートークした。
豊中市・万博校外学習を心配する親子の会
昨年は、子どもたちが駐車場から降りて歩くであろうルートを夢洲の会場近くまで歩いて、熱中症のリスクや空気の悪さなどを身をもって体験してきた。署名活動して、豊中市長・教育長宛の署名を届けに行った。学校や市の職員と面談する機会をもうけ、教育委員会に、危険な場所であるということを伝えている。紙の署名が2300筆以上、オンライン署名2万5千筆以上集まっている。学校単位での校外学習を止めていきます。豊中市では、現在11校が学校単位としては中止を表明している。
三宅肇さん(大阪港湾労働組合協議会・事務局長)
大阪港の港湾で働く労働者、港湾で営む事業者のことがあまり取り上げられていない。万博で経済成長と言うけれども、港湾の一番の問題点は、ルートが夢洲まで2本しかない。そこに会場貨物、物流のトラックが渋滞するということ。搬入の現場で船を相手に倉庫で仕事をしている人たちの仕事が止まる。インフラ、アクセスの整備が十分でないために、瞬間的には我々の業界は大混乱する。港湾労働者は、このことを2年前からやってきた。IRカジノは絶対反対阻止、止めに行くぞという決議を大会で2回している。IR工事車両は止めろと要求し何とか万博期間中は止まったが、たくさんの物流車両、一般車両、仕事に行く人の車が迷惑を被る。万博・IRは絶対阻止するという決意でがんばる。
藤永のぶよさん(大阪市民ネットワーク)
3つのグループが6つのIR裁判を提訴している。どれか1つでも私らが勝ったら国交省はIRの認可を取り消すと言ってます。19日の裁判で弁護士さんが証明した。安すぎるIRの土地、1u当たり12万ではない。隣接する関電の変電所予定地は1u当たり33万。大阪市の審議会が値段をつり上げた。やってること無茶苦茶。こんなウソとヤミと泥まみれの万博・IRカジノ。無茶苦茶やった人間はどっかに逃げてしもうてるし。こんなん許したらアカン。私たちの良識で無駄な開発を止めていきましょう。
大阪クレサラ・貧困被害をなくす会
大型のIRカジノは時代遅れ。スマホの中にオンライン賭博がある。政府は一昨日「オンライン賭博に関する基本計画」を決定したが、広告表示する企業に啓発するとかで根本対策はない。決済代行業者の取締を強化するとあるが、アクセスを禁止するとかブロックするという言葉がない。カジノ業界の狙いは、夢洲にカジノをつくらせておいて、客が来なくても爆儲けのできるオンラインギャンブルをIRカジノを拠点にやることだと思う。こんな事を許したら日本の若者たちの健康とか未来は大変なことになる。
最後に西谷文和さん(路上のラジオ)が、「3月30日旭区民センターで『万博・カジノ反対府民大集会』をおこなう。TBSの報道特集が取材に来るという嬉しい連絡が来た。600人の会場なので皆さん来てください。いろんな集会を成功させて維新を追い込んでいく。吉村の目は最近泳いでいる。吉村退陣まで持っていきましょう」とアピールした。
3・11ふくしま集会に参加
原発は本当に終わりにしよう
四宮功
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14年目の福島、郡山集会に参加(3月11日) |
「3・11フクシマ原発事故」14周年に当たり、福島の集会に参加しました。郡山市労働福祉会館で開催された「原発事故は終わってない 3・11ふくしま集会」です。被災現地の集会が核廃絶(反原発・反核兵器)の闘いにとって重要と考えました。昨年を倍する参加によるJR郡山駅までの元気なデモにも参加させてもらいました。
第1章 被災者・被ばく者・避難者を主体として
被災14年の画期としてのこの集会は、被災地・被ばく者・避難者を直接に担い手として開かれました。主催者を代表して「あいさつ」をした人、司会をおこなった人のいずれも現地に住み、現地で闘い、現地で行動する仲間をつくっている人で、2人とも女性でした。「ふくしまの取り組みからの報告」と題する中心プログラムにも、「小児甲状腺がん支援」「子ども脱被ばく裁判」「ふるさと返せ 津島原発訴訟」などの報告が盛られていました。3・11地震と津波、原発事故の終息が見られず、復興の途にもつかないなか、石破政権は2月18日第7次エネルギー基本計画を閣議決定しました。基本方針を、従来の「原発依存の低減」から「原発の最大限活用」に抜本転換しています。そのうえ、最近の反原発裁判では、2月21日川内原発差止訴訟判決、3月5日伊方原発差止訴訟判決、3月6日東電元副社長の刑事裁判無罪決定と、司法判断も原発推進に大転換した国に追随する姿勢を、露骨に示しています。被災地を無視し、被ばく者・被災地を切り捨てる動きだけが突出しています。被災地の運動に学び、被災地を守り、全国から被災地と連帯する運動を起こそうと改めて決意をしました。
第2章 後藤政志さんのメイン講演
後藤さんは、元東芝の原発設計技術者であり、現在は原子力市民委員会で活動しています。彼は「原発に頼ることの愚かさ」と題してプロジェクターを使った分かりやすい講演をおこなってくれました。柏崎刈羽をはじめ、原子炉格納容器などの原発の設計・製造をおこなった技術者として、慙愧の念を込めた反省と謝罪を前提にして話されました。聞いていてはっとしたのは、原子炉格納容器の耐震性の基準を基準地震動において設計していたという点です。現実には基準地震動の2倍、3倍の加速度(ガル数)の巨大地震が頻発しているから格納容器が壊れるのはあたりまえで、設計の根本から間違っていたという話でした。
その他、彼の講演は、デブリ取り出し方針の不可能性と誤り(フクイチ原発3機で計880トンあり、そのうち今までに取り出せたのは、コンマ以下グラム)、汚染水の海洋投棄方針の危険性と誤り(130万立方メートルあり今のペースで30年かかる)、能登半島地震の教訓などを説明し、結局「多重防護」のシステムも「一カ所壊れたら終わり」が現実であり、そもそも原発は人間がコントロールできるシステムではありえない。廃炉・廃絶こそ唯一の在り方であることを学びました。
第3章 漁民の慟哭のメッセージ
力ある訴えのメッセージが宮城県の漁民から発せられました。十三浜漁協代表理事組合長で女川原発差し止め訴訟の原告である佐藤清吾さんは、地震・津波・原発事故で18人の家族・親族を失った悲しみをこらえて、あくまで漁業で生きる決意をもって女川原発の再稼働を阻止するため闘っています。原発を拒絶しぬく人々の根源的な思いをこのメッセージに見ました。
集会は、被災地の地元で闘う人々の主体に寄り添い、全原発廃炉の展望を切り開こうとする思いに包まれて、成功を勝ち取ったと思います。私も改めて決意を固めました。
最後に、デモコールの最初の数節だけを以下に紹介しておきます。
*原発事故は 終わっていない!
*福島の惨事を 忘れるな!
*新エネルギー基本計画 反対!
*放射能汚染水を 海に流すな!
*被災した女川原発 直ちに停止!
2面
さよなら原発関西アクション
原発は自国民を殺す核兵器
3月9日大阪
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2011年3・11東日本大震災と東電福島第一原発事故から14年目を迎え、3月9日大阪市の中之島公園で「さよなら原発関西アクション」がおこなわれ、好天気のもと500人が集まった(写真上)。主催は、さよなら原発関西アクション実行委員会。
主催者あいさつの後、蝦名宇摩・蓮津・夜迦さん3人によるすばらしい津軽三味線の演奏と歌があった。蝦名さんは3・11福島第一原発事故で岡山へ母子避難移住した人。
三上元さん(元静岡県湖西市長、現湖西市議、「浜岡原発廃炉訴訟」原告)のお話があった。
「原子力発電所は、相手から攻撃されたら、自国民を殺す核兵器に変わる。2001年9・11ハイジャック事件が米国であり、4つ目の飛行機は空中爆発したが、容疑者は候補の1つに原発があったと証言している。私は原発を狙ったと思った。自民党は、防衛費を2倍にし、台湾有事があれば日本が戦争に参加すると言っているが、その人たちは原発は狙われないと思っている。日本に原発が50基以上あり、中国には5千発のミサイルがある。中国に原発を狙うぞと脅されたら、自衛隊が台湾に行けるはずがない。原発は国防問題でもある。」
「私が市長の時に原発事故があり、発言しなければ私の信念、人生に関わると思って、原発はやめなければいけないと言い始めた。原発反対の市町村長は百数十人いることが分かり、その人たちに手紙を書いて脱原発をめざす市長村長の会を立ち上げた。河合弁護士らが中心になって原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟をつくり、それに私は同会の代表として参加している。」
「六ヶ所村の再処理工場は、原発が10基も100基も集まっているようなひどい代物。日本だけやろうとしている。小出裕章先生も、日本は再処理工場を稼働させることができるはずがないと言っている。すでに22兆円も使っている。六ヶ所村の再処理工場は何の役にも立たない。原発以上に反対して下さいね」と締めた。
原発問題は人権問題
2人の方からアピールがあった。森松明希子さん(原発避難者・原発賠償関西訴訟原告団代表)は「私は2011年3・11、福島県郡山市に住んでいた。当時0才と3才の子どもがいた。大阪に母子避難している。原発はエネルギー問題、環境問題、国防問題であるかもしれないが、私はそれ以前に原発問題は人権問題だと強く訴えてきた。子どもを連れて多くの人が全47都道府県に今現在も原発避難を続けている。私たちの裁判は、普通の暮らし、避難の権利、安心の未来というキャッチフレーズを掲げて国を相手に闘っている。放射能がばらまかれても、強制避難区域の外側の多数の人は逃げたくても逃げさせてもらえない。大変な人権侵害がある。私は被ばくしたくない。誰の子どもも被ばくさせない。全ての人に放射線被ばくからまぬがれ、自分の命や健康を守る権利がある。今年、原発賠償関西訴訟は結審し(来年)判決を迎える重要な年になる。一緒に声を上げて下さい」と訴えた。
石川ひなさん(原発に反対するパートタイム労働者)は「福島原発事故当時私は大阪で小学生でした。原発というとんでもない負の遺産があることを知った。大学時代から社会運動に参加し始めて、入管・外国人差別、性的マイノリティ差別、特にトランスジェンダー差別に反対し、行動したり学習してきた。公的空間から排除され不安定な状況、差別や暴力を受けるリスクを負わされている人たちがいる。あらゆる差別に反対し、原発のない社会をめざしたい」。
メッセージ代読、集会宣言の後、大阪駅近くまで「こどもたちのコール」で「げんぱつ いらない!」「ほうしゃのうは いらない!」とデモ行進した。
原発事故はいのち、生活、生業奪う
脱原発兵庫ネットで樋口英明さんが講演
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福島第一原発事故から約14年が経つ3月9日、神戸市内で脱原発兵庫ネットワーク主催による反原発集会が開催され、百人余りが参加した。
まず1部は元裁判官の樋口英明さんが「地震と原発、私が原発をとめた理由」と題して講演(写真上)。冒頭、樋口さんは、原発を簡単に止めることはできないが、運転差し止め仮処分をすれば動いている原発でも停止することができると断言した。次に能登の4m隆起した海岸の写真を見せ、「これが大自然の力です、これにより石川県は福井県より面積が広くなった」と語った。そして隆起した海岸の近くがかつての珠洲原発予定地で、もし珠洲原発が稼働していたら大災害になったと想像できる。
また、電力会社の嘘にごまかされるなと、次のように語った、「原発敷地内には大きな地震は来ない」や「原発は岩盤の上に建っているから、大丈夫」という言い分にも、半数の原発は岩盤に建っていないし、岩盤の方が揺れが小さいなどとも決まっていない。地震は地震の勝手で揺れて来る、電力会社に分かる訳がないと述べた。そして最近の原発に関する動きと原発の本質について、「ウクライナ侵攻でロシアの天然ガスが値上がり、原発の再稼働や新設の促進、原則40年運転期間の撤廃がされようとしている。また防衛論議の高まりで、敵基地攻撃能力というが、原発は自国に向けられた核爆弾であり、超危険である。司法界では、様々な損害賠償が棄却されている」と述べた。まとめで、樋口さんは、「原発問題は難しくない、要は巨大地震に耐えられる耐震性がないなら、原発はアウト。日本に大地震が来ない所もないし、耐えられる原発もない」と締めくくった。
2部は福島原発事故避難者の菅野みずえさんのお話。菅野さんは自身の体験から、11日の午後避難のバスが都心から向かったが原発周辺の町には何も知らされなかった。何兆円もかけたスピーディーも住民避難には使われず、準備されたヨウ素剤を服用したのは県立医大の職員とその家族。なのに県立医大は自分たちを防御しながら原発事故での放射線被害はない立場だ。また、事故避難の途中では、まるでばい菌のような扱いをされたと淡々と語った。菅野さんが言う「今はわたしのこと、いつかあなたのこと」が胸に刺さった。
集会後、皆で元町商店街を元気にデモ行進。通行人の反応もまずまずで、反応の良い行動だった。
3面
通信KOSUGI(5)
強制動員した犯罪企業は韓国大法院判決に従い謝罪・賠償せよ!
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(1)3・14東京丸の内「金曜行動」
3月14日、東京丸の内にある三菱商事前〜三菱重工前〜日本製鉄前での「金曜行動」に参加した(写真)。
毎月第2金曜日、名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会や日本製鉄元徴用工裁判を支援する会などが集まってのこの行動。名古屋などからも早朝の新幹線でかけつけてくる。
2018年韓国の大法院(最高裁)は、「徴用工」「朝鮮女子勤労挺身隊」として日本の企業に強制連行・強制労働した事実をしっかりと認めて、これを違法と判断、日本の企業に対して賠償金の支払いを命じた。
しかし日本政府と犯罪企業はこれを拒否。すると韓国のユン・ソンギョル政権は「第三者弁済」として韓国内の財団に支払わせて「解決させる」と、日本企業を免罪しようとしてきた。事情があってやむなくこの「第三者弁済」を受け入れた被害者もいるが、日本製鉄に強制動員され唯一の生存原告であった李春植さんは今年亡くなるまでこれを拒否し、あくまで日本企業からの謝罪と賠償を求めていた。
敗戦から80年、日韓条約締結から60年、侵略戦争と植民地支配の歴史を今こそ直視を
日帝・植民地支配下、だまされたりして自らの意に反して日本の企業に連行され、厳しい監視のなか、奴隷のように長時間働かされた朝鮮の人々。北海道から沖縄まで全国でおこなわれた、わかっているだけでも60万とも70万人とも言われる強制動員。しかし、敗戦後、日本政府はこうした植民地支配という加害の歴史を認めず、1965年の日韓基本条約と請求権協定によって「すべて解決済み」として反省も謝罪もせず、それどころか新植民地主義とも言える政策を強行したのだった。今年2025年、敗戦から80年、日韓条約から60年を迎える。私たち日本人民が直視すべきものとしてこの問題にあたっていかなくてはならない。
この日、三菱・日鉄金曜行動には30人近くが集まり、怒りのアピールを両企業に浴びせ、チラシ80枚を配布、通行する人々にも情宣をおこなった。
(2)2・26富山・不二越株主総会、右翼のヘイトスピーチをはねのけ正門前で抗議
三菱・日鉄と同じく、富山の軍事企業であった不二越にも韓国大法院から強制動員に対して賠償を支払えとの判決が出ている。
2月26日の不二越株主総会には今年も韓国から強制動員の被害者である故林永淑さんの夫の金明賠さんが出席。総会で社長に対して「植民地朝鮮から私の妻を連れてきて強制労働をさせたではないか。不二越は韓国大法院の賠償判決を履行すべきだ」と直接訴えた。イムさんも日本人の担任教師にだまされ、1945年3月、富山の軍需工場・不二越に連行された。そこは幼い子どもが耐えられる環境ではなかった。航空機の部品製作を1日14時間させられ、食事はおにぎり2個。ヨンスクさんは日本の敗戦から2カ月後に故郷に戻ったが、会社が約束した賃金は支給されなかった。こうして80年の歳月が流れたのだ。妻を継いで原告となったミョンベさんは韓国政府の「第三者弁済」を拒否してたたかっている。
この日の株主総会と連動しての正門敷地内での不二越訴訟を支援する北陸連絡会のアピール行動、「戦犯企業不二越は謝罪・賠償せよ!」などの5枚もの横断幕と「不二越は歴史の事実を認めよ」とのマイクの声が響いた。総会に行くにはこの行動の前を通らなければならない(写真左)。
そしてそれは北陸3県を始め遠く岡山県などからの右翼の10数台もの街宣車からの「日本から出て行け」などとのヘイトスピーチと対峙しての行動であった。
日韓条約の不当性を徹底暴露し、今年こそ強制連行・強制労働問題の解決を勝ち取ろう。
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とめよう!戦争への道 めざそう!アジアの平和
関西のつどいに500人
3月22日、「とめよう!戦争への道 めざそう!アジアの平和2025関西のつどい」が大阪市内で開かれ500人が参加した。
集会では同志社大学准教授・国際政治学者の三牧聖子さんと、新外交イニシアチブ代表・弁護士・立教大学講師の猿田佐世さんの講演・対談がおこなわれた。
〈新外交イニシアチブ〉は2013年、猿田さんによって設立されたシンクタンクで名護市長訪米の企画・同行や、米議会へのロビー活動などをおこなっている。
二人は講演・対談を通して、「民主主義対権威主義」として米国が自らを「正義」と謳ってきた「国際秩序が終焉を迎えた」。トランプのやり方は中ロとの対決ではなく、大国同士の利益の分け合いではないのか。対中緊張をあおる日本ははしごを外される可能性もある、などと提起した。そして「グローバルサウスが急激に力をつけ、公然と米国批判をするようになった。グローバルサウスとつながる国際連帯が必要だ。『竹外交』といわれるベトナムのようなしなやかさを学ぶべきだ」と強調した。
集会の最後は、核廃絶をめざす高校生平和大使が発言。ジュネーブの国連欧州本部訪問を淡々と報告しながら、核兵器禁止条約の会議にオブザーバーとしてでも参加しない日本政府をしっかり批判した。
石川一雄さん追悼 3月11日逝去
大阪駅前で100人超す緊急行動
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石川一雄さんの急逝を悼んで急きょ大阪駅前に100人が集まった(3月15日) |
1963年5月23日に女子高生誘拐殺人事件の犯人にデッチ上げ、不当逮捕された石川さんは、地元狭山署はじめ東京拘置所、千葉刑務所と32年もの長きに渡って獄中生活を強要され、仮出獄した後も東京高裁に再審を求め続けました。62年に及ぶ彼の闘魂は司法をして、やっと再審に向けて今春一つの判断が出される所まで登り詰めてきました。
山のような証拠があり、10人を超える鑑定人がいるにもかかわらず、この再審請求19年の長きに渡って、10人もの裁判長が代わりながらも誰一人も事実調べの英断を下さなかった。国家権力によって尊い命を奪われたと断ぜざるを得ません。彼の青春を奪い、人生を奪った悪法にたいして敵をとらなければならない。
普段涙もろい私が、3月11日から、「解放歌の涙は憂いのためならず、決然立って武装せよ」という気概で、今までとは違う闘いに入りました。
15日には東京高裁前の抗議の追悼に連帯して、JR大阪駅前人民広場で関西の100人を超える人々が代わる代わる決意を表明しました。尼崎市民の会も5人で参加して熱き思いを訴えました。道行く人たちも関心を寄せてくれました。再審法の改正を実現させる国会闘争のみならず、部落差別の実態が一雄さんの死を早めたと思う私たちは、命がけの世論喚起をやりぬかなければなりません。狭山デー、映画見えない手錠をはずすまでの再上映運動、4・29黒川みどりさん講演・追悼集会、尼崎の市民の会の立ち上げを石川さんの闘いに深く学び実現させていきます。
尼崎でも追悼行動
3月23日
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3月23日は阪神尼崎駅にて、追悼狭山デーをやり抜きました(写真上)。兵庫県政を糺す闘いは、狭山デーとつながっています。
石川さんが出獄後、最初にお礼行脚に来てくれたのは、30年前震災で避難していた兵庫の解放子供会の所でした。石川さんは水平社の同人の思いを常に体現されていたと思います。私たちは差別をなくす、世の中を変えるその信念が石川さんの再審につながる確信をもって、共に一雄さんの無邪気な声を寄る辺にして、どんなに苦しくても進んでいきましょう。
早智子さんの熱き思いを全力で支え、石川さんの遺志を一緒になって実現していきましょう。
巨星墜つ されど弥生の 空高く
日輪となって 悪法を撃つ巨星墜つ されど弥生の 空高く
小山一彦
4面
投稿 沖縄レポート
沖縄を日米軍事植民地支配から解放せよ!
占領軍による婦女、少女誘拐暴行事件を弾劾し米兵を断罪せよ!
2025年3月
「新しい女性主体」=安保・基地・辺野古ぬきの県民大会を検証する(上)
沖縄戦と朝鮮人強制連行を記録する会 金治明
昨年、12月22日県民大会の翌日、地元紙沖縄タイムス、琉球新報では「米軍性暴力にNO、県民大会2500人抗議。市民主体『尊厳』訴え、関心ない人へ浸透を、政党代表登壇せず、大会は女性達が主導など今までの大会とは違った県民大会だ」と高く評価しました。
「女団協」の伊良波純子会長は11月18日、県議会の実行委員会の不参加決定を受け「市民主体の県民大会を開催することで今までとは違った大会にできる」と意気込みました。
県民大会参加者感想
2025年1月14日、琉球新報は少女誘拐暴行裁判を傍聴し、県民大会に参加した沖縄大学名誉教授の宮城公子さんの寄稿文を掲載しましたのでその要旨を紹介します。
2023年12月16才未満の沖縄の少女を自宅に連れ込み、性暴力に及んだ被告米兵は5年(求刑7年)の実刑判決を不服として控訴している。被告の身柄の拘束は求められておらず、日米地位協定に沿っての対処としている。被告にいかなる行動範囲が許容されているかも不明だ。背景にある政府や検察庁の米軍へのあざとい「配慮」が警察関係者の証言からもうかがえる。痛ましい事件が隠蔽されている間に、複数件の米兵の性加害も起き、少女の心身のケアがあったかも不明だ。
◆被害者の声圧殺 裁判で少女は事件後、精神不安や不眠や自傷行為があったと語らせられた。また自分の抵抗の有無を、被告の弁護人だけではなく、検察や裁判長からも執拗に問われ、傍聴席で憤りの声と悔し涙を抑えがたかった。その長い隠ぺいの時期には、県による辺野古の代執行やサンゴの移植(ほぼ失敗)、日米首脳会談、在日米大使の与那国訪問、県議会選挙、慰霊の日が挟まっていて、日米政府は事件を知りつつ言及せず、同盟関係を高らかにほがらかに強調し、多分に県政与党議員の敗北に寄与したと疑義もある。(中略)
◆無力感蹴飛ばし 状況に抗議の声を上げ、再発防止を強く求める県民大会は、いったい何度開催すればいいのか、という無力感を参加者一人一人が力を振り絞って蹴飛ばし、被害を「なかったことにしないで!」と訴える場になった。県議会が政党や党派により満場一致の参加決議ができず、女性団体を中心とした県民個々を主体とするものとなった。愚昧な分裂には怒りを覚えたが、結果的には内容の濃い、そして、共感に満ちた大会になったと思う。
大きな特徴としては、再発防止するための今後の指針になるだろう10月の国連女性差別撤廃委員会(CEDAW)への沖縄からの参加者による報告、沖縄の大学生男女の2人の率直で切実なアピール、そして「沖縄高校生平和ゼミナール」の生徒たちのまっすぐで大人を突き刺す言葉が心に残った。
これまでの県民大会などで会う「何々党代表○○さん」(たいていは男性)の(失礼ながら)紋切り型でかなり重複する表現の多いスピーチのリレーでは、会場からあれほどの鼻をすする音は聞こえなかっただろう。(中略)
現在外交と防衛は国の専権事項と言うお題目のもとに、日米同盟構造の中に決して米軍による沖縄の人々への、特に女性への、軍隊原理、男性原理による性暴力批判を含めようとしない地位協定の改定をする姿勢は日米には無い。それならば市民外交で訴えようとこれまで国連へのNGO参加を粘り強く続けて来た経緯が1990年代後半から沖縄にはある。〜沖縄の女性への軍事性暴力の訴えも続け、今回CEDAWでの国連委員とも質疑を重ね、これまで繰り返されてきた不誠実な日本政府側の回答は退けられ、在沖米軍人の性暴力解決を促す勧告をもぎとるに至った。その参加報告の声も会場に響いた。これをもとに今後、東京でおこなわれる予定の「女性・平和安全保障」「安保理決議25周年」の国際会議でも継続的プッシュが必要と、林洋子弁護士も述べている。軍事組織に於ける性暴力とその隠ぺい傾向はもともと米国でも強固で、男性議員の反対も根強かった。〜被害者の声を「なかったことにしない」に寄り添うフラワーデモへの参加、少女へのセカンドレイプともなるSNS上の誹謗中傷を許さないことへの共感の醸成などを、諦めずに続けたいと素直に思える集会だった。以上。
「政治的」なものを排除した12・22県民大会とは
大会報告では登壇者の発言から1995年以来のメインテーマである米兵による性犯罪をなくすには基地撤去か最低でも米軍基地の整理縮小、基地の負担軽減を訴えてきました。しかし、今大会では誰一人として一言も触れられていません。また、少女暴行事件以外の一連の婦女暴行事件も問わず、ワシントンが「少女が嘘をついている」との証言に怒る姿もなかった。
大会前の新聞記事に小さく書かれたが、伊良波純子女団協会長は「米軍基地撤去問題は触れず今回は女性の人権問題が中心だ」と実行委員会で決定したとありました。
反基地、反安保、米軍基地の整理縮小と基地の負担軽減は20年も30年の前から重要な闘いのメインスローガンになっていました。しかし今回の県民大会は闘いの目標にないことがなぜ「新しい大会」なのか、「実行委員会」は残念ながらその説明を明確にしていません。
私は前述された「県民大会、県民集会、市民集会」等に1995年10月21日県民大会以外はすべて参加して来ました。特に、女性の「魂の殺人」と言われるレイプ事件は心の底から怒りが湧いてきます。その怒りの結集として県民大会は8万5千人(全島で10万)、里奈さん追悼に6万5千人のウチナンチュウ―が悲しみと怒りをもって参加しました。
特に印象に残る集会は、2008年女子中学生への嘉手納基地所属の米兵によるレイプ事件がありました。しかし、何者かによりマスコミや新聞のチラシ等で少女は誹謗中傷され居たたまれず、途中で被害届けを取り下げ米兵が無罪放免されたことです。
2008年3月23日、嘉手納基地周辺の住民が北谷町野球場前広場に集まり「米兵によるありとあらゆる事件事故に抗議する県民大会」に6千人が大雨の中、傘もささず、全身ズブヌレになりながらもまんじりと動かず、参加者の怒りと悲しみが横殴りの雨をものともせずに集会に集中していた事です。私たちは下着までびっしょりになってしまった事を今も忘れません。
話を16年前に戻します。実に面白いことに「中学生暴行事件を糾弾する県民大会」の開催が県議会で議論になりました。この時も「超党派」の県民大会の実現を求めました。しかし自民、公明党は「政治色がある、政治に利用するな」と意見がまとまらず実現しませんでした。また、今回と同様に「県議会決議は全会一致で可決されました」。しかし、自民公明は抗議決議にはさすがに反対できずにいましたが、その意見書、及び抗議決議を実現することには今回と同様に消極的で実行しませんでした。超党派の県民大会の開催の有無は毎回、必ず自民、公明等から「政治的に利用される」から県民大会には参加しない。このことが共通語です。
12・22県民大会を主催した「女団協」に参加している22団体の人達はこのような自公の政治的に立ち回りで大会が妨害されて来た数十年の歴史的事実を全く知らないとは思いません。1995年から〈基地軍隊を許さない行動する女たちの会〉や市民団体の闘いの遺産と実績を無視することはできません。本来ならば、その長い闘いを検証し、そして教訓化して12・22県民大会に生かすべきではなかったのかと思います。
更に、今回の「大会」の場所の選定から疑問を感じました。沖縄では婦女暴行などの抗議糾弾する集会には必ず、万余の県民が結集しますので宜野湾海浜公園などの広い場所が会場に設定されます。しかし、今回の開催場所は沖縄市民会館で1500席です。確かに狭い所で2500人集まれば雰囲気として満員に見えますが、前回の県民大会6万5千の約26分の1しか集まりませんでした。なぜ最初から多くの県民が集まれる場所を決めなかったのでしょうか。
因みに、「県民大会」開催前の8月10日「オスプレイ配備停止、普天間飛行場の閉鎖・返還を求め、米兵による少女暴行と政府の事件隠ぺいを糾弾する県民集会」の参加者は2500名で12・22県民大会と同数です。そして、過去最低の参加者数です。しかし、大会主催者及びマスコミ等これを大成功だと高く評価して現在に至っています。それでは幅広く一人でも多く参加者をと言う目的は達成されたのでしょうか。
◆「新しい大会の」内実は
集会での発言者は宮城公子教授が言う「何々党代表○○さん」等の発言など無く地元の普天間、嘉手納爆音、オール沖縄の3団体が主催し、司会者は仲村未央県議、発言者は米兵による性的被害を受けたキャサリン・ジェーン・フィッシャーさん、#コドソラ代表与那嶺千恵美さん、県議を代表して儀保唯さん、そして、男性では普天間爆音訴訟新垣清涼さん、嘉手納爆音訴訟新川秀清さんで男女半々の程度の発言者でした。もちろん何々党代表の○○さんの発言などありませんでした。
宮城公子教授の言う今までの「県民大会」は沖縄県議会が率いる超党派の大会をさしているのではないか。超党派の大会は県議会を構成する自民、公明党を含め各政党の集まりですから、政党の代表が一人ずつ発言することは否定しません。しかし超党派の県民大会は13年来開催されてはいませんので誤解ではないか。ただ気になるのは新聞紙上であたかも少女、婦女暴行死体遺棄に抗議糾弾する県民大会が常に政党主導でおこなわれているような事実と違う書き方に疑問があります。自民、公明党を除いた革新政党を指しているようです。そして、団結ガンバローや「米兵による少女暴行糾弾」というシュプレヒコールを上げ意思表示することが何故古くていけないのか。「政府の事件隠ぺい糾弾」というプラカードを上げることがどうして政治的な行為になるのかを問いたい。ウチナンチューの素直な表現活動は尊重すべきです。
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(1)12・22県民大会の参加者は性犯罪を防ぐために米軍基地撤去、整理縮小、負担軽減を心から願っています。しかし何故かすっきりしませんでした。それは、米軍犯罪の元凶を撃つ「米軍基地、日米安保、辺野古」等の問題を語らない県民大会に逆に違和感が残りました。このような県民大会は初めての経験ですが決して「新しい大会」とはゆめゆめ思いません。また疑問を持った参加者は多くいました。それは「辺野古、基地撤去、基地の整理縮小、負担軽減」など登壇者の発言は口裏を合わせたように一言も言及されませんでした。
@県民大会は少女暴行事件を中心にするために「人権問題」に特化して話す。
A日米安保、自衛隊、米軍基地問題を取り上げない。
B基地の整理縮小、負担軽減の要求は政治的発言になるのでしない。
C少女暴行事件を中心に他の暴行被害者への言及はしない
D普天間飛行場の移設問題や基地被害を訴えない。
E辺野古基地問題は政治的発言なのでしない。
F有機フッ素化合物(PFAS)による水などの環境被害を取り上げない。
G南西諸島への自衛隊ミサイル配備戦争準備を問題にしない。
H「台湾有事」を口実とした日米韓の軍事訓練を取り上げない。
I団結ガンバロー、シュプレヒコール、少女暴行糾弾のボードを上げない、などの「政治色」を排除する集会にする狙いがあったのではないか。
また不思議な事に少女暴行事件に対して裁判内容(ワシントンが無罪と主張し、被害者を嘘つきと証言している事)に誰も言及しない。そして、8月23日の懲役5年判決に対してワシントン被告が刑務所に収監されず自由の身である事を知ってか知らずか、誰も抗議の声を上げていません。もしこれ等が「新しい大会」と評価されるのならば永遠に沖縄の基地問題やそれに伴う米兵による性犯罪及び事故、事件は無くならないでしょう。そして、沖縄の基地は強化固定されウチナンチューの人権と生命、財産が脅かされ続けられます。(つづく)
5面
沖縄日誌2月 全国とつながろう
うち続く基地強化に反対
2月1日 名護市辺野古のキャンプ・シュワブゲート前で、オール沖縄会議は「第47回県民大行動」を開催、市民580人が参加。1月29日に始まった大浦湾側の砂ぐいの打ち込み作業に対する抗議の声だ。稲嶺進共同代表は「辺野古を止めるまで、みんなで力を合わせて頑張ろう」と連帯を呼び掛けた。
3日 辺野古の新基地建設で工事に携わる作業員の事故があり、工事が中止になった。1月20日にも作業員の事故が発生しており、2週間に2度だ。工事を急ぐあまり安全対策を確認しているかが問われている。
6日 昨年12月に開催された「米兵による少女暴行事件に抗議と再発防止を求める県民大会」実行委員会は、県民大会で決議した要請文を携え、外務・防衛省に要請行動した。国会内で大会の報告集会を開き百人が参加。
9日 任期満了に伴う浦添市長選が投開票され、現職の松本哲治氏(自民・公明推薦)が当選。〈浦添西海岸の未来を考える会〉世話人の里道昭美氏は、西海岸の埋め立て反対を掲げ軍港移設を選挙の争点としてたたかったが及ばなかった。
14日 沖縄平和市民連絡会は県庁で、名護市・安部区沖からの海砂採取の中止を求めた。安部区沖は辺野古の新基地建設の大浦湾埋め立て用の海砂の採取予定地になっている。安部周辺の海域は生物多様性の高い大浦湾の「ホットスポット」の一角にある。安部区は昨年11月の臨時総会で全会一致で海砂採取中止を求める決議をし、1月30日、県議会議長に宛てて陳情書を提出した。
15日 陸上自衛隊配備受け入れへの賛成が多数となった与那国島の住民投票から22日で10年になる。2015年2月の住民投票は賛成632票、反対455票だった。その後16年3月陸自駐屯地が開設。22年4月航空自衛隊のレーダー部隊が常態化。23年5月地対空ミサイル部隊配備の住民説明会を開催。24年3月陸自電子戦部隊配備。政府が自衛隊の「南西シフト」を強める中、日本列島の最南端の島は、基地の島になりつつある。
21日 日米の艦艇が石垣港に入港することが明らかになった。米海軍の揚陸艦「サンディエゴ」と海自の訓練支援艦「くろべ」が26〜28日に入港予定。全港湾沖縄地方本部は自宅待機を検討。全港湾は24年3月にも米軍駆逐艦入港に石垣港でストライキを実施し抗議した。
22日 鹿児島で開催された〈戦争止めよう! 沖縄・西日本ネットワーク〉結成に、沖縄から〈ノーモア沖縄戦 命どぅ宝の会〉〈ミサイル配備から命を守る うるま市民の会〉〈石垣島の平和と自然を守る市民連絡会〉が呼びかけ団体に名を連ねた。具志堅隆松さんら4人が共同代表に。
23日 宮古島の陸自宮古島駐屯地は創立6周年記念行事を開催。市民団体は「子どもたちに空砲を用いた訓練を見せるべきではない」と抗議した。
26日 宮古島と石垣島に日米の艦艇や軍事車両が搬入された。宮古島では、陸自の電子戦部隊関係車両15台が平良港から宮古島駐屯地に移動。電子戦部隊約40人が3月24日に同駐屯地に編成される。平良港では市民20人が座り込み抗議した。
石垣島では、石垣港に米海軍の揚陸艦「サンディエゴ」と海自の訓練支援艦「くろべ」が入港。石垣空港には米軍の輸送機が飛来。全港湾は組合員の自宅待機を取りやめた。石垣港では市民30人が抗議の声を上げた。
基地のそばで暮らすということ
今、本土のわたしたちに問われていること
3月15日、東京・神田駿河台の東京YWCAカフマンホールで「『基地のそばで暮らすということ』〜今、本土のわたしたちに問われていること〜」と題する講演・討論企画がおこなわれ、数十人の市民が集まった。主催は、東京YWCA平和と正義委員会、チーム「月桃の会」。
語り部は明有希子さん。明さんは、2017年12月に長女が通う保育園に米軍機から部品が落下してから、再発防止や学校上空での飛行禁止を県や防衛省に求める活動を始めた。以下は、明さんのお話し。
「生まれ育った時から夜が明るかった(基地の照明のためでそれが当たり前だと思っていた)。(長女が通っていた)緑ヶ丘保育園に部品が落下した。『自作自演だろう』とか『嫌なら引っ越せ』とか誹謗中傷を受けた。(声を上げ攻撃されたのは)普通のお母さんたち。生まれて初めて(基地があることの)理不尽に気付いた。学校等があるエリアの上空を米軍機が飛ばないという取り決めがあることすら知らなかった。2004年8月、沖縄国際大にCH−53D(米軍ヘリ)が墜落した。米軍が規制線を張り、警察も県も入れなかった。現場の軍人にピザを届けるデリバリーのバイクだけは入れた。(飛行を監視するなどしているうちに音だけで)これは攻撃機だからあと何機来る、とわかるようになった。2017年12月に米軍ヘリの窓が落ちた普天間第二小学校に防衛施設庁職員が配置されて、米軍機が来るたびにグラウンドの小学生に『逃げてください』と呼び掛けた。2018年2月からの7カ月間に700回以上体育の授業が中断された。普天間基地の脇の狭い土地が何年もの交渉で返還されてやっと道路が通って渋滞が解消された。ガードレールが基地のフェンス側にはあって民有地・歩道の側にはない。『日米間で調整して作った』と防衛施設庁は言っている。基地の中に先祖代々の墓が取り残され、墓参りに行くのに2週間前までに市を通じて米軍に申請しなければいけない。間に合わなくて基地のフェンスのところでお参りをした例もある。
ここから聞く方も話す方も不愉快な話をする。反基地運動に対するわかりやすい誹謗中傷だけでなく、一見良心的な『マイクロアグレッション』がある。基地を押しつけた側が『連帯する』『沖縄に要らないものはどこにも要らない』というフレーズをついつい使ってしまう。『卑屈にならないで』とも言われるが、平和だから言えること。『辺野古に行ってきました』と誇らしげに言う人もいるが、自己満足になっていないか、免罪符になっていないか。『私は安保反対で辺野古基地反対だから基地を押しつけていない』と言う人もいる。昨年9月、伊波洋一さん・高里鈴代さんと一緒に米兵の性犯罪問題で政府交渉をやった。相手は外務省、防衛省、法務省、警察庁の下っ端の役人。私は怒りを抑えて冷静に喋っていたが、後ろから『ちゃんとやれよ』などと怒鳴り声が飛んでくる。司会の方が『その怒りの声はあなた達に跳ね返っていますよ』と言ってくれた。沖縄の人からも『(反基地運動の内部に対して)あまり辛辣に言ってはいけない』と最近も言われた。本土だと(反基地運動の中心が)『市民運動』。熱量が違う(と感じている)。勘違いしないでほしいが、辺野古に来るなと言っているわけではない。時間と費用と労力を使ってやっている人には頭が下がる」
その後、グループに分かれて、明有希子さんの話を聞いてどうだったのかを語り合った。(東雄二)
6面
治安維持法100年を問う@
東映の『実録・共産党』にクレームをつけた日本共産党
1970年代、東映の「実録」シリーズが大ヒットを重ねた。私も『仁義なき戦い』などの迫力に満ちた映像に魅せられたひとりである。
東映は従来、「坊主と政治はあかん」と、宗教と政治をテーマにした作品を製作しないことをモットーにしてきた。その東映が『実録・共産党』を企画したのは、72年12月の総選挙で日本共産党が38議席を獲得して自民・社会に次ぐ第3党に躍進したからである。
脚本の草稿が出来て、監督には深作欣二が決まった。その脚本には当然、1928年2月の総選挙で、共産党が〈天皇制廃止〉のビラを撒くシーンがあった。ところが、共産党が執行部を握っていた東映京都撮影所の労働組合から、「今、こういうことを撮られたら困る。脚本から外してほしい」というクレームがつけられた。
その結果、共産党の綱領に天皇制廃止を加えるかどうかを議論するシーンを書くに留めた。それでも、共産党中央委員会や東映京都撮影所労組の了解が得られなくて、製作にいたらなかった。
シナリオは『笠原和夫傑作選・第二巻 仁義なき戦い―実録映画篇』(2018年、国書刊行会)に収録されている。
決してバクロ物ではなく、労働者党員第1号で後に委員長になる渡辺政之輔の連れ合い丹野セツを主人公にして、九津見房子や田口ツギなど女性も沢山登場させ、戦前期の共産党を鮮やかに描いた群像劇であった。同書の解題を書いた伊藤彰彦も、「本作は疑いもなく傑作である」と称揚している。
1928年2月におこなわれた男子普通選挙法による初の総選挙のとき、共産党は初めて大衆の前に公然と姿を現した。徳田球一など11人の党員を労働農民党の公認候補者として立候補させ、山本宣治ら非党員の公認候補者も積極的に支援した。そして演説会場などで、天皇制廃止を掲げたビラを大衆に向かって撒いた。
官憲はこれを機に共産党に対する警戒を一気に強めた。そして3月15日未明、全国1道3府20県にわたり党関係者千数百名の大検挙を敢行した(起訴488名)。これによって左翼陣営は壊滅的な大打撃を被った。有名な3・15事件である。
治安維持法は「国体の変革(=天皇制廃止)と私有財産制度の否認を目的とする結社・運動」の禁止を目的に、1925年4月に制定された。同法が初めて本格的に適用された弾圧事件として、3・15事件は日本階級闘争の画期をなすものであった。
以後、共産党にとって天皇制を公然と批判することがトラウマになった。治安維持法は1945年10月4日、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の覚書に従って、同月15日撤廃された。8月15日の敗戦から何と2カ月もの間、日本の支配階級は治安維持法を存続させていたのだ。
映画『実録・共産党』がお蔵入りしてから、既に半世紀が過ぎた。これはただ単に、議会主義に変質・転落した「前衛政党」と映画会社をめぐるトラブルではない。いわば日本の政治・社会状況の象徴的事件である。さらに日本人の意識を反映した文化状況でもあるといえるのではないだろうか。
そして新たな戦前♂コの現在、状況は悪化の一途をたどっている。まさに治安維持法は今なお生き続けていると言っても過言ではない。
しかし同時に、2月26日の京都地裁における関生不当弾圧事件の勝利判決は、戦前の治安維持法下ですらありえなかった凶悪な弾圧を、見事打ち破った労働運動の金字塔である。(大庭伸介)
生活保護基準引き下げ違憲訴訟
高裁で逆転勝訴つづく
大阪高裁で逆転勝訴
1審の京都地裁で原告が敗訴していた生活保護基準引き下げ違憲訴訟について、控訴審の大阪高裁(佐藤哲治裁判長)は3月13日、原告逆転勝訴判決を言い渡した。佐藤裁判長は「基準額を引き下げると保護受給世帯は実質的な購買力を維持できない」と指摘し、「厚生労働大臣の最低限度の生活の具体化に係る判断の過程に過誤があり違法だ」として国の引き下げ処分の取り消しを命じた。引き下げ額は1万円近い
原告の一人は「減額は1万円近い」(3/18毎日新聞)と国の保護基準引き下げの異常さを指摘した。
元々生活保護基準は「最低限度」とされているのだ。そこからさらに1万円近く引き下げたら生活できなくなるのは明らかである。国はこのような引き下げが原告や日本社会に何をもたらすのかをわかっていて引き下げを強行してきた。
原告たちは自分たちだけのために闘っているのではない。生活保護基準は最低賃金だけでなく、それ以外のさまざまな基準に連動している。保護基準引き下げ違憲訴訟は、日本社会全体の底なしの劣化に反対し、逆にその引き上げを求めていく闘いである。
札幌高裁でも原告逆転勝訴
1審で敗訴した95人の原告が控訴していた控訴審で札幌高裁(齋藤清文裁判長)は3月18日、1審の札幌地裁判決を取り消し、国の減額処分を違法と断じた。
齋藤裁判長は「(国は)物価の下落率が大きくなる方向で(意識的に)算定し、それが必要以上に大きくなる可能性も検討しなかった」「受給者が最低限度の生活すらできない事態に陥ることがないような検討が求められるが、改定の過程や手続きは整合性を欠き、厚生労働大臣の判断に裁量権の範囲の逸脱や濫用があり、違法と認められる」として国の引き下げ処分を取り消した。
原告団の吉田弦一団長は「今日の判決までおよそ10年という長い年月がかかり、亡くなった原告もいたが、弱者を切りすてる国の姿勢と対峙し続けて勝ち取った判決です」(3/18NHK)と勝利の喜びを語った。
原告10人が死亡
北海道の原告数は全国で1番多かった。控訴時点で105人の原告がいたが、死亡により95人に減少していた。保護基準違憲訴訟は原告たちの人生をかけた闘いで勝利をもぎとってきたのだ。 大阪の原告団でも「人間の命を踏みにじることに対する闘いだ」として闘い続けてきた堰立夫さんをはじめ数人が死亡している。
高裁レベルで引き下げの違法性が明確に
高裁での判決はこれまで8件出されているが、今回の連続逆転勝訴で4勝4敗になった。地裁レベルでは19勝11敗であり、今、2013年の安倍政権による違法な引き下げの実態が暴かれつつあるといえる。
10年を超える地道な闘いの勝利高裁レベルで引き下げの違法性が明確に
保護基準の最大10%の引き下げは第二次安倍政権の目玉公約の一つとして2013年に強行された。しかし、このような引き下げに対し、「人らしく生きる権利」を掲げ全国で1000人の原告がたちあがり、「人らしく生きる権利」のために闘い続けてきた。
原告・弁護団・支援の陣形をさらに大きく広げ強くして最高裁での勝利をなんとしてもかちとろう。
最高裁での勝訴を
最高裁での判決は今夏にも出るといわれている。最高裁への署名運動をさらに広げ、安倍政治とそれを引き継ぐ歴代内閣による「人間の命を踏みにじる」(堰立夫)新自由主義政策を打ち破ろう。
高額療養費制度の負担上限額引き上げ全面撤回を(下)
「命奪うな!」の声が石破追いつめる
高額療養費上限引き下げと防衛費増
そして「高額療養費上限引き上げ凍結」法案を立憲民主党は国会にだした。「800億円の防衛装備移転円滑化基金は2年たっても15億円しか使い道が決まっていない。こうした無駄な基金等を削って財源にできる」との予算の修正案だ。社会保障の削減は5年で43兆円という膨大な防衛費とメダルの運動の裏表だ。
高額療養費の上限引き上げ案は、公然と命を絶ち切ってよしとする攻撃だ。「少子化対策の財源」になんと命のかかった社会保障削減をあてるというのだ。小泉構造改革の社会保障削減は「乾いたぞうきんを絞るようだ」と言われたが、新自由主義政治は今や社会保障の存在そのものを標的にしている段階に入った。で43兆円という膨大な防衛費とメダルの運動の裏表だ。
戦争の時代「命は地球より重たい」ものではなくなり、「鴻毛(鳥の毛)より軽い」ものになろうとしている。
優生思想を許さず生きる権利を守ろう
さらに今、警戒すべきは、「尊厳死」への誘導だ。病気になったり、障がいを負ったり、老いたりすると、その人たちをいたわり大切にするのではなく、「穀つぶし」とみなして抹殺をはかるという「尊厳死」「安楽死」は恐ろしい。
国民民主党は昨年の衆議院選挙で「現役世代の保険料を減らすため」として「尊厳死の法制化」を公約にかかげた。障がい者への強制不妊手術をめぐる裁判に国が敗訴して間もない時期にだ。多くの障がい者が当事者として抗議の声をあげた。
日本維新の会も「保険料引き下げのために、社会保障を4兆円削減せよ」と言っている。具体的には薬を医療保険適用からどんどんはずしていけと言う。彼らにとって社会保障という人民の公的財産は、全面解体し簒奪すべき対象なのだ。健康でない者は「価値なき者」なのだ。
弱者を抹殺する優生思想を1ミリたりとも許さない共同の闘いを作り上げていこう。医療崩壊・介護崩壊を阻み、高額療養費の上限引き上げを白紙撤回させよう。(雪雲茜)
7面
3・15本多さん追悼集会への提起
新しい共産主義、安保・沖縄闘争を
橋本利昭
はじめに
今日の集いの実現のために尽力された向井さん、岩本さん、遺族の方々に感謝を申しあげます。
恐らく最後の機会となる本日、限られた時間で、私が本多さんとの関係でつかんだことを提起させてもらいます。私は、本多さんが言葉や行動で提起したことを120パーセント実現する立場で闘ってきました。獄中での10年間を含む20数年間の非合法・非公然の活動を軸として、報復戦貫徹―3頭目処刑についてはぎりぎりのところまで肉薄しました。
そのように闘ったがゆえにつかんだ教訓や反省は次の点です。
反帝国主義・反スターリン主義は2元論か?
この集会に向けて、高原浩之さんが反帝国主義・反スターリン主義という本多・革共同の綱領的路線を「2元論」と評価しています。これは帝国主義や権力に対し一元的に闘うべきところを、分散してしまう危惧からの批判と思います。確かにわれわれの運動・組織の在り方にそのような問題があったことは事実だと思います。現にいま、前進派の諸君は、ウクライナ戦争について米ロの代理戦争で、ゼレンスキーは米帝の「カイライ」だという見解を振りまいています。プーチン・ロシアによる侵略を否定し、ウクライナ人民を主体とした抗戦を否定するこの見解は、トランプとロシアに対する後押しにしかなりません。これは、帝国主義やスターリン主義をたんなる体制規定ととらえ、その対抗関係で世界をとらえる貧困な世界認識に基づいています。
他方で、現在の革マル派の諸君は機関紙のトップ見出しに今でも「帝国主義打倒! スターリン主義打倒!」というスローガンを掲げています。客観主義的体制間矛盾論そのものです。
これらの客観主義に堕したあり方に反して、本多さんは「反スターリン主義は反省規定だ」と言っていました。「反スターリン主義」とは体制や運動に対する批判であると同時に、帝国主義と闘う陣営のなかにもある腐敗・堕落と帝国主義権力に対する迎合・屈服に対する自己省察とその乗り越えをつねに問題にしてきたのです。われわれのこの立場を綱領的スローガンに整理すると、「帝国主義」「スターリン主義」という2つの打倒対象に加えて、「革命主体」としてのプロレタリアートを置いていることになります。いわば3元論です。
本多・革共同の総括のために
『未来』400号記念論文と『展望』32号第1論文(無署名)と第2論文(塩川三十二署名)で提起したように、本多さんが敷いた立場と路線で闘いぬいたわれわれの総括の視点は次の三点です。
第一に、70年安保・沖縄闘争を主導した戦後世界体制の根底的動揺の開始という革命の現実性認識に踏まえて、「沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒」「闘うアジア人民と連帯し、日帝のアジア侵略を内乱に転化せよ」の戦略的総路線を掲げ闘いぬいた意義です。しかもこの闘いから逃亡し、逆に闘う勢力への襲撃に転じたカクマル反革命と死活をかけて闘いぬいたことです。この闘いを今日的にどう継承するかが死活的に問われます。
第2点は、70年代80年代をかけて闘った、とくに戦争と軍事の総括です。何よりもいったん掲げた対権力の闘いを基軸とすることの回避です。3・14という巨大な反革命があったが、それに対する反撃が理由ではありません。一時的に対カクマル基軸になることはあるとはいえ、対権力の準備と武装を回避する、党と闘う勢力の武装解除が5・7宣言体制に対する敗北をもたらしました。しかも対カクマル戦争と対権力の闘いを2段階化し、どちらも持久戦論を採用したことも誤りです。より決定的には、革命戦争・内戦における政治の優位という原則、労働者人民の自衛武装から革命的武装を実現する路線を放棄し、「人民の海」を利用主義的に位置づけてしまったことです。これらは、先制的内戦戦略や革命軍戦略が正しいかどうか、有効かどうか以前の問題です。
同時に真剣な総括が要求される問題は、1967年の社青同・解放派に対する攻撃と1984年第4インターナショナルの諸君に対する攻撃です。戦闘的大衆闘争と階級闘争全体を革命に向け押し上げるために必須の革命的統一戦線を自ら破壊する行為であり、労働者人民の期待を裏切ることはなはだしい。それを党の資質に係る問題として自らえぐることが必要です。
新たな共産主義、安保・沖縄闘争のために
アメリカでトランプ政権が成立し、パレスチナ・ウクライナ・シリア・ミャンマーで世界危機が爆発的に進行しています。その中で日本帝国主義(日帝)の大軍拡と対中国包囲・戦争挑発が危機的です。南西地域戦略の名の下に、琉球諸島を「敵基地(だけではない)先制攻撃」の発射台として使おうとする意図と準備が進行しています。この時に当たり、自国帝国主義の戦争準備と真っ向から闘わない「米中戦争に巻き込まれ」論が横行しています。インド太平洋戦略(FOIP)や「台湾危機」を先導しているのはもっぱら安倍―石破とつづいた 日本の政権であり、トランプをも巻き込もうとしています。
同時にこの問題は、台湾問題を「領土」問題と見る中国スターリン主義との闘いでもあります。台湾人民の自決権によらず、領土問題として、中国と取引することなど許されるものではありません。ましてこの問題を利用して中国を軍事的にも叩き、追い詰めようとすることは許されません。
台湾人民は、原発廃止、同性婚の合法化、原住民族への差別・抑圧からの解放の点で先進的な地平を勝ち取っています。彼らは社会運動の力で、日帝の50年に及ぶ植民地支配をはねのけ、同じく50年に及ぶ国民党の白色テロ支配を打倒して、今日の実質的独立状態を勝ち取っています。
日帝の「台湾危機」を利用した対中国包囲・戦争挑発を許すな。中国人民・台湾人民、韓国人民・朝鮮人民と連帯し、「新しき沖縄戦」を阻止しよう。
本多延嘉追悼50年の集い開催
追悼と決意 126人の大結集
3月15日東京
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1975年3月14日未明、反革命カクマルによって虐殺された本多延嘉革共同書記長(享年41。破防法被告)の死から50年目。3月15日、東京都内で「本多延嘉追悼50年の集い」が開催された(写真)。集会を企画したのは、革共同から離党・除名され、あるいは分裂独立した人々。清水丈夫氏を議長とする前進社は何の追悼の企画もしなかった(後日文章を発表)。
参加者は主催者の予想をはるかに超え、会場いっぱいの126人。配布された資料類にはパンフレット「本多延嘉年譜」(8ページ)があり、資料類には、事前にメッセージを寄せた一瀬敬一郎さんら9人の文章が掲載された。
午後1時から受付開始。参加者一人ひとりが献花、DVD『怒りをうたえ ダイジェスト版』(50分)上映の後、午後2時から「追悼の集い」が開始された。
冒頭事務局の東條守さん(日大全共闘)の説明でDVD『思い出の本多延嘉―勝利に向かっての試練』(約3分)が上映さた。
司会は結柴誠一さん(元東京都杉並区議会議員、横浜国大全共闘議長)。本日、本多さんのご遺族からのメッセージと参加があることが紹介された。全員で本多延嘉革共同書記長の遺影に黙祷。本多さんの遺影の隣には去る3月11日に急逝された狭山事件の石川一雄さんの遺影が置かれた。
開会のあいさつは、医師で元革共同東京西部地区委員長の向井拓治さん。続いて、呼びかけ人の岩本慎三郎さんから追悼の集い開催にあたっての経過と、報告「〈党と世界観〉―本多さんは何をめざしていたのか」が20分近くなされた。岩本さんは「前進」編集長、破防法研究会などを担ってきた方。
つづいて呼びかけ人から最初に長崎県壱岐の島から参加した斎藤政明さん。横浜市大出身で多数の同窓と共に参加。ついで日大の今章さん(日大全共闘組織部長)。この日、日大全共闘は10人近くが参加。元全国部落青年戦闘同志会の楠木吉秀さんは石川一雄さんの逝去に慟哭の弔辞。
革共同再建協議会・元広大全共闘議長の川嶋澄夫さん。反戦共同行動・福岡の北原大樹さん。「未来への協働」の茂木康さん。横浜国大出身、女性解放戦線を担ってきた槇(水谷)けい子さんが発言。山梨でワイナリーを営む元マル学同副委員長の赤松英一さん。三重県から参加の元革共同関西地方委員会幹部の山本清次さん。元『破防法研究』編集・発行人の江村信晴さんが次々と発言した。
20分間の休憩中に、20年ぶり、30年ぶり、40年ぶりという仲間たちの再会、交流があちこちで営まれた。
つづいて1970年代をともにたたかった革共同以外の他党派の方やジャーナリスト、弁護士が発言。元ブント赤軍派の高原浩之さん。元全逓労働者の方。ジャーナリストの小林哲夫さん。破防法弁護団だった辻恵さん。
革共同系の発言として、元東大闘争被告団の土田正昭さんは本多さんが虐殺された当時、本多さんの車のドライバーだった。
日大全共闘副議長の酒井杏郎さんは車椅子で参加。革共同再建協議会、元全学連副委員長の橋本利昭さん。川崎市民の会の喜多村憲一さん。元在日朝鮮人・中国人細胞の李徹さんと在日の仲間も参加した。1980年10・30対カクマル戦でっち上げ弾圧裁判被告の御崎直人さんの姿もあった。
つづいて本多さんの遺族・連れ合いの恵子さんのメッセージを小林智子さん(元横浜国大)が代読。毅然とした聴く者の胸を打つ感動的なあいさつだった。また埼玉から杖をついて参加の本多さんの妹・善子さん(88歳)が挨拶。
最後に、事務局から本多さん墓参(4月14日の月命日)の提案と閉会のあいさつを元革共同政治局員の水谷保孝さんがおこない、4時間の集会を終了。
集会後、妹の善子さんから「集いの熱気に圧倒された。皆様の青春時代が映画のように映りました」との感想が寄せらた。
その後場所を変えて交流会。こちらも会場いっぱいの80人が参加し、激しい政治論議がかわされた。この集いと交流会の中から、2025年代以降の運動と新しい思潮が生まれるのではないかと感じた。実行委員会・事務局を担った方々に感謝したい。(大久保一彦)
8面
百条委、第三者委報告で完全アウト
斎藤知事打倒の闘い新次元へ
第三者委員会、告発者探し「違法」断定
兵庫県政斎藤知事問題は3月5日の県議会百条委員会報告・本会議採決に続いて、3月19日の第三者委員会報告・「違法」認定により新たな局面にはいった。
百条委報告を「一つの見解」に過ぎないと無碍にした斎藤だったが、19日は自ら設定した元裁判官3人と弁護士3人から構成される「第三者委員会」の報告でパワハラ10項目が認定され、公益通報者探しは「違法」であると断定された。そして藤本委員長は子どもを諭すように、この報告に真摯に向き合い今後の態度を決めることを求めた。3月5日のイエローカードに続いて、19日には即退場のレッドカードが突きつけられたのだ。昨年3月の記者会見の「嘘八百、公務員失格」が、それ自体がパワハラにあたり、公益通報者探しは違法で、裁判になったら有罪以外ない「証拠」が全面的に報告されたのだ。
斎藤はさすがにこの200頁を超える報告に対し、「一つの見解」とは言えず、「精査する」と言って、3月県議会を終了後に「反論」=「控訴理由」を探し出そうとしている。しかしもはやここまで証拠が固まったなかで、新たな「無実の証拠」などどこにもない。そして「パワハラは最終的には司法が判断する」と判決まで逃げまくろうとしている。しかし企業内においても行政機関においても、パワハラや公益通報は、告発があれば「第3者」が判断し、各種処分・裁定が下っていく。一人兵庫県知事だけがこの法規範から例外であり続けることは、兵庫県には法規範がなく、知事の独裁権力下にあることを540万県民に強制していくことになる。こんなことが許されるはずはない。
立花と一体となった脅迫・フェイク拡散
N国党の立花孝志が千葉県知事選を東京でおこなっている際に襲われた。立花はこの事件を安倍・岸田襲撃になぞらえて同情を引こうとしたが、これまでさんざん脅迫行為を繰り返してきた人物に同情など集まるわけがない。兵庫・大阪でおこなった千葉県知事選には日を追うごとにカウンターが増大し、立花は最後は統一教会にすがる(3月9日、千葉)始末だ。その統一教会は長年の犯罪行為を指弾され3月25日、東京地裁が解散命令を決定した。昨年11月斎藤選挙を担った、2馬力の立花も統一教会も、広報会社メルチュも、3人の「躍動」を除く維新も身動きできない。斎藤は四面楚歌なのだ。この立花に対し斎藤は記者会見で「お見舞い」を言った。これまで西播磨県民局長や竹内県議、奥谷百条委委員長に対する攻撃には、一般論として「誹謗中傷は良くない」として「犬笛」を止めなかったが、立花事件だけは共鳴したのだ。最終局面にきて斎藤=立花=維新増山・岸口連合(現「躍動の会」)を自認した。百条委・第三者委員会報告と立花2馬力選挙の確定で、さすがの斎藤「信者」の間にも動揺が始まった。
窮地に立った斎藤を追い詰める道は再度の不信任決議しかない。各地の選挙(4月13日投開票の宝塚・伊丹市長選)で斎藤派に勝利し、6月尼崎市議選では丸尾県議攻撃のため立候補するN国党候補を撃退し、斎藤退陣の大衆的流れを確定していこう。
斎藤弾劾する大会・デモ
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広いメリケンパークステージ前に600人が参加(3月22日 神戸市) |
斎藤元彦兵庫県知事にイエロー・レッドカードが突きつけられ、3・22民主主義と人権を取り戻す県民大会が神戸・メリケンパークで開かれた。主催者挨拶は市民デモHYOGOの西信夫さん。西さんは、市民デモは普通の市民団体で政治・政党とは関与してこなかったが、この事件が発覚し、故井上力さんから「これは大変な問題」と提起を受け、県議会百条委を傍聴し取り組んできた。公益通報者潰し・2馬力選挙など、昨年後半からはこの課題一色。民主主義と人権を取り戻すため闘うと訴えた。つづいて球団優勝パレードに関する刑事告発を受理させた市民オンブズ尼崎の田中じゅんじさん(尼崎市議)から、第三者委の報告ではシロとなっているが強制捜査してないだけ。これから本格的追及が必要と訴え。県会議員・会派からメッセ―ジなどで、これからも共に闘うメッセージが。
ついで県下各地の団体からアピール。宝塚宗教者・市民平和会議は会長声明を事務局長が読み上げ、I女性会議からも鋭い発言。3月1日地域集会をした西宮、さらに丹波・芦屋などから発言。大会宣言を採択し、3グループに分かれ元町大丸前まで400人がデモ行進。昨年9月不信任以来のデモに道行く市民も注目。県議会と連携し、再度の不信任決議で退陣に追い込もう。
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メリケンパークから元町へデモ行進(3月22日 神戸市) |