支配の危機深める石破政権 万博・兵庫問題で維新崩壊寸前
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「やったぞ!」歓声あがる(2月26日 京都) |
関生弾圧を粉砕
司法反動に風穴
2月26日、京都地裁で連帯労組関生支部湯川裕司委員長に対する懲役10年求刑という超反動攻撃に対し、無罪という画期的判決が下された。2018年以来延べ89人の逮捕という労働運動史上空前の弾圧のなかでも、委員長に対する見せしめ的懲役10年攻撃が、関生支部と支援勢力の粘り強い反撃で粉砕されたのだ。昨年11月12日に開催された「京都事件シンポジウム」で、海渡雄一弁護士、竹信三恵子さん、金平茂紀さんらはこぞって「潮目が変わりつつある」と語ったが、それが現実のものになったのだ。
さらに昨年9月26日には無実の死刑囚・袴田巌さんの再審無罪判決がなされ、死刑制度をもつこの国で2年にわたり死刑執行がされないという権力支配の危機が続いている。
2月24日に大阪市で開かれた狭山集会でも多くの冤罪被害者と石川一雄さんが一体となって「袴田再審無罪に続こう」の声をあげ、2人の国会議員からも再審法の改正が訴えられた。
安倍政権10年の過程で、軍備拡大・新基地建設と労働運動破壊・生活破壊が極限まで進み、労働者階級は塗炭の苦しみを強いられてきた。しかしながらその後の人民の怒りは長期政権を許さず、昨年は石破政権を少数与党に転落させた。安倍時代には足蹴にしていた森友事件・赤木雅子さんに対し文書開示請求訴訟で勝利判決が下り、首相自らが面会せざるを得なくなった。袴田・森友につづき、関生支部委員長への無罪判決は、この国の階級支配の一角が崩れ始めたことを示す重大事だ。
維新と連携し予算成立
万博・兵庫で維新は解体寸前
その石破政権は国民民主党の「手取りを増やせ」攻勢に防戦一方だったが、その突破のためにこの2月、前原誠司を共同代表とする維新との連携に踏み切り、何とか今年度予算の成立にメドをつけた。しかしその維新は、大阪・関西万博では4月13日の開幕を前に青息吐息で、歴史的失敗・破産が不可避となっている。吉村洋文代表は万博危機突破のため石破にすがりつき、石破は予算成立のため維新と連携した。しかし開幕まで2カ月を切った万博はもはやこの破産を突破するすべがない。
他方で維新と自民右派の連携で3年前に成立した兵庫県・斎藤元彦知事は、昨年9月には維新も含む全会一致で不信任となった。この危機を突破するため、地方選挙においては歴史に残る選挙違反をおこない知事選を制したが、今日その裏舞台が全面暴露され、維新という政党そのものの存在意義が否定されようとしている。すなわち斎藤元彦知事と、2馬力選挙の立花孝志と、維新の岸口県議・増山県議が一体となり、百条委員会の情報を漏洩し、フェイク・デマで知事選を制した選挙違反が全面露見し、この国の選挙制度への信頼そのものを揺るがす大問題となっていることだ。このあまりにもの不正義性に、維新創設者である橋下徹ですら、「維新兵庫県議団は解散すべき」と言うほどだ。
この15年にわたり安倍・菅の別動隊で、新自由主義の執行者であった維新が解体寸前の危機にある時、少数与党の石破政権はこれと連携することでしか今年度予算の通過ができない。維新はいつ政党そのものが民衆から捨て去られかねないという事態にあるのに。
怒りの反撃が始まる
反戦・反基地・反原発闘争のうねりを
少数与党として危機に立つ石破政権は、この危機突破のため極めて強権的な軍事大国化と矛盾の人民への転化の道を歩んでいる。ネタニヤフやプーチンと組んでパレスチナ人民やウクライナ人民を無視して「和平」(占領・分割支配)を進めようとするトランプに会いに行き、日米共同宣言を出し、アジア・太平洋・インド洋への軍事的プレゼンスを拡大しようとしている。そのため国民生活がいくら困窮しようと、米価が暴騰しようと、それらを顧みず軍備拡大に多額の税金をつぎ込む。また没落激しい日本帝国主義の救済のため、軍需産業と電機・原発産業に多額の税金を注入する。第7次エネルギー基本計画は、2011年東日本大震災、3・11福島第一原発事故への反省もかなぐり捨てて、エネルギー源を20%原発に依存するとし、老朽原発は建て替えるとした。
2月22日には沖縄と西日本の反基地運動がネットワークを作り軍備拡張に全国で反対することを宣言した。14年目の3・11には改めて原発に反対する人々が総決起しようとしている。維新=万博と兵庫県政に対する怒りはこの3〜4月頂点に達する。これらの闘いが共同戦線として繋がるとき、少数与党・石破政権は末期的危機に逢着する。
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石川さんの再審を求める狭山集会(2月24日 大阪市内、詳報次号) |
3・15本多延嘉追悼
50年の集いの成功を
この時にあたり、70年安保・沖縄闘争を牽引しながら、カクマルの兇刃に倒れた本多延嘉追悼50年の集いが開かれる。70年闘争の頂点の一つ69年4・28闘争は、本多さんを先頭に共同闘争=五派共闘・30団体共同声明として破防法弾圧を打ち破って闘いぬかれた。この事業を継承せんとする人々が党派を超えて結集する。この新たな出会いをも糧に、支配の危機を深める石破政権と対決していこう。以下の69年4・28闘争に際しての訴えを今に引き継いごう。
「われわれには孤立と激突に耐える強靱な革命的精神と、高揚にひらけゆく政治的熟達への絶えることなき努力が、脈々と生きつづけている。この力があるかぎり、いかなる脅迫も、いかなる反動もわれわれから、革命を奪うことはできない」
2面
沖縄・西日本ネットワーク結成
なしくずし軍事強化許さない
2月22日
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さつま町弾薬庫フィールドワーク(2月23日 鹿児島県さつま町) |
石破政権・自衛隊は専守防衛をかなぐりすて、敵基地攻撃能力を保持するために、軍事力を強化しようとしている。これに反対して、西日本で自衛隊の軍事強化に反対している諸団体が「知り、つながり、止める」ネットワークを結成した。2月22日、〈戦争を止めよう! 沖縄・西日本ネットワーク〉の結成集会が鹿児島市よかセンター(勤労者交流センター)でおこなわれた。集会には500人(会場300人、ズーム200人)が参加した。この集会は全国11都道府県12団体が賛同している。
第1部は、鹿児島県内で自衛隊基地と米軍施設に反対している3団体から報告があった。
@馬毛島の状況について〈馬毛島への米軍施設に反対する市民団体連絡会〉、A奄美諸島の自衛隊基地について〈戦争のための自衛隊配備に反対する奄美ネット〉、B鹿児島県さつま町でミサイル弾薬庫建設に反対している〈さつま町の弾薬庫問題を考える会〉。
第2部は、結成総会がおこなわれた。高井弘之さん(ノーモア沖縄戦えひめの会)が基調提案をおこない、新田秀樹さん(ピースリンク広島・呉・岩国)が結成提案をおこなった。高井さんは「南西諸島で、なし崩し的に防衛強化が進んでいる。これまで各地で個別におこなわれてきた活動を連帯させ、戦争を止めるために共に闘おう」と結んだ。この提案にたいして、集会参加者が意見を述べた。終わりに、満場の喝采で結成宣言を採択した。こうして、〈沖縄・西日本ネットワーク〉が生まれた。6月には、東京で行動がおこなわれる。
2011年3月、『原子力緊急事態宣言』以来、閣議決定を軍事力増強の最終政策決定の場にしてきている。ことにアメリカ政府との協定などは、密約ともいわれるぐらいに、情報が政府専制的である。弾薬庫の拡充や自衛隊の増強、武器の購入などは、住民との対話の上に判断されるべきもので、会場からも、民間の生活域近傍に原発や軍事施設を敷設することは、国際条約違反となっているとの批判があった。世界のナショナリズム一辺倒の体制の暴走を食い止めねばならない。「知り、つながり、止める」を合言葉に、ともに闘っていこう。(詳細報告次号)
「戦争止めよう!沖縄・西日本ネットワーク」結成集会
結成宣言
「戦争」も「武力による威嚇」も否定し、「陸海空軍その他の戦力を保持しない」と宣言した日本国憲法のもと、私たちの 「戦後」 は80年を迎えます。
しかし、この国は、アジアの国々・人々への侵略・ 植民地支配の責任に向き合うことなく、また、自国の戦争被害者に対する責任も放棄したまま、新たな戦争体制づくりを急スピードで行っています。
沖縄・奄美の島々では、新たな自衛隊基地が造られ、攻撃用のミサイルと部隊が配備され、戦争態勢の構築が行われて来ました。その軍事拠点化は、いま、九州を中心に西日本から全国に拡大しています。
莫大な税金を使って、弾薬庫の建設や基地の大拡張が強行されています。全国各地で、自然破壊、 住民の分断、人権侵害が行われています。国際法が求める「軍民分離の原則」に反し、住宅地のすぐそばへの軍事施設建設、民間の港湾・空港の軍事利用、公道を軍事車両が走行するまでになっています。そして、沖縄島の住民には「屋内退避」が、宮古・八重山・奄美などの住民には生活を捨てて、リュック一つで、攻撃対象にもなりうる九州や山口への「避難を名目にした疎開」が強要されています。これらは実効性のない計画です。
さらに政府は、自衛隊司令部の「地下化・強靭化」を全国で進めています。
住民の命をないがしろにしたまま、戦争を遂行しようとしています。これは、住民に多大な犠牲を強いた80年前の沖縄戦をこえ、全国を破壊する戦争計画です。
また、米日・NATO諸国などによって、経済的に深い結びつきのある中国を「仮想敵」とする合同軍事演習が日本各地・周辺海空域や南シナ海などで繰り返され、「中国包囲網」の構築が行われています。そして、いよいよ中国に届く敵基地攻撃ミサイルの配備が、琉球弧一日本列島で始まろうとしています。大軍拡を超えた臨戦態勢の構築が目前で行われています。私たちは戦争の加害者にも被害者にもなりたくありません。
「知り、つながり、止める。」
平和を創り出すために、本日、私たちは新たな闘いに歩み出します。互いの情報を共有し、知恵を出し合い、つながり、連帯し、市民の共同の力で、「国家 による戦争」を止めます。
ここに、「戦争止めよう! 沖縄 西日本ネットワーク」の結成を宣言します。
2025年2月22日
「戦争止めよう! 沖縄・西日本ネットワーク」結成集会 参加者一同
建国記念の日反対 2月11日大阪
桜井智恵子関学大教授が講演
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集会を終え力強くデモ行進(2月11日 大阪市) |
2・11「建国記念の日」は、人びとに天皇制を浸透させるために、政府によって制定されたものだ。2月11日、この「建国記念の日」を粉砕する集会が大阪市内で取り組まれた。〈2・11「建国記念の日」反対! 戦争NO!「日の丸・君が代」強制反対! 〜生活破壊・人権抑圧を許さず、民主主義と人権・平和への前進を!〉集会が、浪速区民センターでおこなわれた。集会には関西圏から250人が集まった。主催は〈「日の丸・君が代」強制反対大阪ネット〉。
集会では、桜井智恵子さん(関西学院大学教授)が〈「ケアする学校」と生政治〉というテーマで講演した。桜井さんの講演は、「ケアする学校」に焦点をあてて、まっこうから新自由主義を批判する内容だった。
新自由主義のもとで、職場や学校において人びとは息苦しい状況に置かれている。その原因を探らないで、対処療法的に「心のケア」が叫ばれている。本来、福祉は国や地方公共団体がおこなうべきことなのに、民間を動員してボランティアでおこなおうとしている。「生政治」は、ミシェル・フーコーが言い出した概念で、「権力(資本)の利益のために、人を殺すのではなく、人を生かして利用する政治」という意味だ。ここでは人びとは権力から監視されているのではないかと思い込み、無自覚に自己を規制していく。現在、支配する側の管理は、このように巧妙になっている。
桜井さんは「学校も社会も、なぜケアが必要な社会になっているのかを考えないで、ケアをすることがいいこと、という風潮に流されている」と指摘した。桜井さんは「イヴァン・イリイチが『脱学校の社会』で述べているように、社会が学校のようになってしまい、業績主義で賃金などが決められている。業績をあげた人だけが評価される。また、ケアが必要な人にたいして、国はかわいそうに≠ニいう感傷主義を押し付ける。これはたいへん危険なことだ」と述べた。また、桜井さんは「国家がひとびとに道徳を強調し、ケアを押し付ける社会は、植民地主義だ」と語った。われわれは、かわいそうな人たちを助けるのではなく、その原因を探り、その支配のメカニズムを粉砕することが必要だ。
集会ではさまざまな闘いが報告された。まず、関西地区生コン支部の闘い、「日の丸・君が代」強制反対・大阪ネットの取り組みが報告された。また以下の団体が連帯の発言をおこなった。朝鮮高級学校無償化を求める連絡会・大阪、子どもたちに渡すな! 危ない教科書大阪の会、大阪市教育行政のあり方を問う人権救済申立て人、夢洲カジノを止める大阪府民の会、南西諸島への自衛隊配備に反対する大阪の会、京都・祝園弾薬庫問題を考える住民ネットワーク、市民デモHYOGOなど。
集会後、集会参加者はアメリカ村を経由して、難波までデモをおこなった。若者たちに「2・11建国記念の日反対!」を訴えた。
3面
大飯原発4号機再稼働抗議!
2月20日福井県おおい町
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定期検査で止まっていた関西電力・大飯原発4号機が2月20日、地元住民や福井・関西全域住民の反対の声を押し切って再稼働を強行した。老朽原発うごかすな! 実行委員会が抗議行動をよびかけ、当日は雪が断続的に降るなかを地元福井、関西一円から20人が集まり、原発ゲート前までのデモ、ゲート前での抗議行動を繰り広げた。(写真上)
路面凍結の恐れ
午前6時、「気温が低く、路面凍結の恐れはあるが、決行します」との知らせが入る。
正午、おおい町の「はまかぜ交流センター し〜まいる」横の広場に次々と雪のなかを抗議の参加者が集まってくる。
地元の方々、地元とはいっても福井県のあちこちから、駆け付けてくる。空は、晴れたり、曇ったり、あられだったり、みぞれだったり…こういう天候を「うらにし」というそうだ。
地元の方々は、関電社長の使用済み核燃料の行き場について、県外の予定が立たなければ、原発の稼働を停止しなければならないという言葉の時限が迫っており、27回目の六ケ所村の受け入れ不能状況の告知にもかかわらず、こうして、ぬけぬけと再稼働する態度に怒り心頭。ウソをつく関電社長は、子ども達に核燃料の不始末の危険を押しつけ、ウソや方便に謝罪もしない態度は、教育上最悪だと住民は怒る。
集会の後、町内デモで、ゲート前に向かった。
ゲート前で抗議行動
ゲート前では全員がマイクを握り、それぞれが抗議の言葉を発した。事故に直結するような原発現場からの不始末情報のあぶなさ、地震発生の恐怖を眼前に実証した能登半島地震の惨状、第7次エネルギー基本計画の全原発稼働などの無謀さに対して、それぞれの発言者が、的確な批判を強く明確にした。もはや、修正や改善を求めるのではなく、政治を変えるしかないと力説する人も。
それまで降っていた雪が止み、空は晴れ上がり、原発に向かって抗議のシュプレヒコールを繰り広げた。一日も早い全原発廃炉を実現することを誓った一日だった。(南方史郎)
[注]『うらにし』とは
晩秋から冬にかけて日本海側の北近畿や山陰、北陸地方などでみられる、季節風を伴う時雨の特徴的な天気を指す言葉。短時間で天気がコロコロ変わる。晴れていると思えば急に雨が降ったり、雨が降ってきたと思ったらすぐに止んだりする。
沖縄日誌1月 続く女性暴行
知事「激しい怒り覚える」
1月1日 名護市辺野古の浜で、「初輿し」がヘリ基地反対協主催で開催され、辺野古住民はじめ県内各地から、初日の出を見ようと集い、にぎわった。カヌーチームも船出し「世界の平和と辺野古新基地阻止」を誓った。
8日 県警は、昨年11月に発生した在沖米海兵隊所属の男が成人女性に性的暴力を加えけがを負わせた疑いがある事件として、不同意性交致傷の容疑で、那覇地検に書類送致した。
昨年12月22日の県民大会から2週間で新たな事件が発覚し、やまない性犯罪と効果のない米軍の綱紀粛正に県民は怒りの声を上げた。玉城デニー知事は「極めて遺憾であり激しい怒りを覚える」とコメントした。(23日、那覇地検は不起訴処分とした)
10日 名護市辺野古の新基地建設で大浦湾側の工事に着工して1年を迎えた。ヘリ基地反対協の海上行動チームは「1・10代執行NO 海上大行動」を開催した。市民45人が参加し、基地建設中止を訴えた。この1年で辺野古崎付近の「Bの1」の区域に土砂が投入されたが、土砂投入量は全体の16%でしかない。昨年12月28日に軟弱地盤の工事が始まり、砂ぐいを打ち込む工事が加速する。
11日 那覇市の県民広場で、性暴力の根絶を訴える「フラワーデモin沖縄」が開催され45人が参加。米兵による性暴力事件が8日、新たに発覚。市民は「怒りしかない。許してはいけない」と訴えた。
15日 昨年12月に開催した県民大会の実行委員会は、相次ぐ米兵の性暴力事件に抗議するため緊急集会を開くことを決定した。
17日 名護市辺野古の新基地建設を巡り、県が不承認処分の効力回復を求めた抗告訴訟で最高裁は16日付で県の上告受理申し立てを不受理と決定した。17日に県の弁護士事務所に決定が届いた。これにより県の敗訴が確定。これで、国と県の訴訟がすべて終結した。
同日 名護市で陸上自衛隊が災害訓練を実施。自衛隊員50人が参加。「徒歩行進訓練」としては、迷彩服姿の自衛隊員15人が市街地を移動した。ヘリが離着陸する予定の名護城公園の広場では、抗議する市民が座り込んで着陸させなかった。
19日 宮古島市長選が投開票された。現職に新人5人の計6人で争われ、前副市長の嘉数登氏が当選。現職の座喜味一幸氏(オール沖縄支援)が敗れた。これでオール沖縄系市長はゼロになった。
20日 米海兵隊のMV22オスプレイが16日に伊江島周辺の海上に重さ400〜450キロの貨物を落下させたことが20日わかった。補助飛行場への物資投下訓練中に予定地点を外れ海中に落下したと説明。伊江村ではこれまでも落下事故が相次いでおり、村民から怒りの声が上がった。
22日 那覇市の県民広場で、昨年11月に起きた性暴力事件に抗議する緊急集会が開かれ250人が参加。県民大会実行委員会の呼びかけに参加者は横断幕やプラカードを掲げスタンディングした。
28日 桑江朝千夫市長の死去に伴う沖縄市長選が投開票され、花城大輔氏(自民・公明推薦)が当選。オール沖縄の仲村未央氏は及ばなかった。
29日 名護市辺野古の新基地建設で、沖縄防衛局は大浦湾側の軟弱地盤改良工事で砂ぐいを打ち込む作業を始めた。約7万1千本のくいを打ち込む作業が本格的に始まった。抗議する市民は各地で怒りの声を上げた。(杉山)
斎藤知事の退陣求め
兵庫県庁を?150人が包囲
2月18日
斎藤元彦兵庫県知事の昨年3月以降の公益通報潰し、11月選挙違反で混乱の続く兵庫県庁・県議会で、2月18日の議会開会初日に、百条委を激励するヒューマンチェーンがおこなわれた。
既に立花2馬力選挙や、維新県議の情報漏洩などが連日話題となるなかで、百条委員会の最終報告が大きな注目に。事前のマスコミリークでは、県議会各派の主張がまとまらず「玉虫色の報告の可能性も」となっていたが、それでも「パワハラはほぼ事実」「西播磨県民局長の名誉回復」が流れ、この百条委員会を激励しようとおこなわれた。
11時半すぎ市民が県庁2号館階段下に集まる。徐々に人が増え、1号館側にも人の塊ができ、その数150人に。参加者それぞれがマイクを持ち「百条委は二元代表の議会の最高意思を表明せよ」など力強いアピールが続く。途中音楽の演奏もあり、2号館南の県公館(本会議がおこなわれる)から出てくる議員、県庁各庁舎から昼休みに出てくる県庁職員も注目。150人の仲間は真新しいメッセージボードを抱え、力強くコールを上げた。(写真左)
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4面
米価高騰に人民の怒り
帝国主義と農業破産を暴く
昨年夏、品不足からコメの価格が高騰し、政府・農水省に対策を求める声が相次いだ。しかし農水省は「備蓄米の放出は凶作や災害時に限る」、「新米が流通し始めればコメの価格は下がる」と言って、まったく動こうとしなかった。
半年もたってから、ようやく21万トンのコメを放出する方針転換に至った。コメの価格は2023年に比して1・7倍化するなかで、農協や小売り、消費者の間で批判や怒りの声が巻き起こっている。
コメが投機の対象に
この間明らかになったことは何か。
インフレ下で生鮮食料品や野菜を含め、ほぼすべての生産物が値上がりする中で、コメが投機の対象になっていることだ。
24年の生産量は前年よりも18万トン多くなる見込みであるにもかかわらず、農協など主要な集荷業者が昨年末までに確保できた量は21万トン少ない。いままで、コメを扱ってこなかった業者が参入してきている。
農政の失敗
もう一点は、政府の減反政策(米の作付け制限割り当て)が廃止となっているのに、コメの換金作物への転作が奨励され、実質的に減反政策がつづいていることで、コメの需給はきわめて窮屈になっていることだ。全国の需要量に対して生産量が少ない、実際にはぎりぎりの状態だ。昨年の米の生産量は661万トンのところ、需要は705万トンあり、40万トン不足している。流通の問題だけではない。今回、コメの価格が下がっても、夏場に再び同様の事態に直面する可能性が高い。そうなれば百年ぶりの米騒動だ。
コメの価格決定システムは需給だけで決まる他の農産物とは違い、農協(JA)などの集荷業者が農家に仮払いする「概算金」がベース。実際には集荷業者の販売価格+流通コスト+小売業者の人件費が上乗せされて最終的な店頭価格となる。
農家への前払い「概算金」だけで主要産地で最大5割引き上げられている。他の業者に買い負けしないということではないか。総務省によればコシヒカリ(1袋5キロ)の全国平均3775円(昨年12月時点)で、前年よりも6割高い。
ロシアのウクライナ侵略戦争の勃発で世界が食料危機、エネルギー危機に直面し、直後には小麦、トウモロコシから石油、天然ガスなどが一斉に急騰したなかで、世界的にはコメの価格はそれほど上がらなかった。コメ価格が前年比99・2%も上昇した2008年の経験から価格安定政策・制度を各国が強化した。アジアの主食であるコメは消費各国が自給自足できる生産体制をほぼ構築している。大量に輸入しているのはフィリピンぐらいだ。アジアではコメの生産・流通・備蓄を管理する国が多い(食管制度)。にもかかわらず今回の急騰である。
インフレに無策の政府・日銀
現在起きていることは何か。「現政権への不信任は世界中で起きている現象だ。もう一つはインフレ率の上昇だ。新型コロナウイルス禍前の先進国は低インフレに慣れていた。それが賃金上昇を上回るインフレ率に跳ね上がってしまい、1970年代のようなショックが起きた」(24・12・1日本経済新聞記事)。
日本においても3年連続で実質賃金はマイナスとなった。他方で財務省が24年9月発表した法人統計によると企業の内部留保は2023年度末に初めて600兆円を超え、12年連続で過去最大を記録(2013年度の内部留保は328兆円。この時、アベノミクスが始まる)。大企業の労働分配率は50%近い。ということは労働時間は半分でもいいということだ。格差はますます拡大している。インフレに対応できているのは一部の人だけだ。低所得者や年金生活の老人はどうするのだ。
コロナパンデミック、ウクライナ戦争、ガザ戦争で一転してデフレからインフレへ。物価上昇局面に入ったのに日銀の国債大量買いで円安インフレへ。金利上げられず、大規模金融緩和からぬけ出せなくなっている。
帝国主義と農業
第二次大戦後、農業問題をめぐる南北問題は変容してきた。〈先進国=工業国、後進国=農業国〉という図式が崩壊し、先進国(中枢)=工業化とともに農業生産力の発展を同時に達成した国のことであり、後進国(周辺)は工業のみならず農業の自立的発展にも失敗し、かって存在した自国諸資源の有機的結合を崩壊させた国のことである。(その原因は帝国主義・先進国中心の世界経済編成に大きな原因がある)。今や先進国(中枢)においては農産物過剰問題の処理(農業生産力の過剰問題の制限)が最大の問題となり、他方で後進国(周辺)のいくつかは、最低の食料すら確保できない慢性的飢餓状況を呈している。
日本はその中で、農業を徹底的に切り捨てることによって西欧先進国を凌駕する急スピードの高度成長を実現した例外国家である。上記の「先進国」でも「後進国」でもない第三の道だ。
21世紀世界農業の大局的流れは次のようだ。18世紀のヨーロッパにおいて産業革命と並行して進められた農業革命は、イギリスの輪栽式農法(注:穀物と飼料作物を輪作して、地力の維持・増進を図る農法)を生み出し飛躍的な農業生産力発展を生み出した。次に蒸気船や鉄道の開発普及によってもたらされた「交通革命」は、労賃も地価もけた外れに安く価格競争力をもつロシアや西欧新開地(南北アメリカ、オセアニア)の農産物を大量に流入させた。
この競争に負けた西欧旧開地農業は集約的園芸部門に組み替えつつ、耕種部門の大部分を畜産部門へ転換することを余儀なくされた。
20世紀最後の4半世紀に西欧旧開地は再度農業生産力を発展させ、西欧新開地に次ぐ巨大輸出地域へ変貌。この時の科学技術の発展と工業の成果が農業に持ち込まれ、新しい経営体の政策的創出=「構造政策」が現代農業革命といわれる。
「構造政策」とは、多数の零細経営を淘汰し一部の大規模経営に置き換えることで創出された少数の経営体に政策的支援を集中し、これらに産業としての農業をゆだねることを目的とした政策である。こうして「ごく一部の選ばれた大経営+公私の農業支援システム」という新しい農業構造の育成が目標とされた。
20世紀末の世界農業の変化の中心には食糧農産物輸入国から輸出国へのEUの転換があった。
アメリカは1950年代から欧州は1970年代後半から構造的な穀物供給過剰に陥り、それによって世界の穀物価格は長期低迷した。米欧は余剰農産物の解決策を国家主権の強いアジアより、政府が弱体で農民の政治力の弱いアフリカに求めた。
日本では食糧増産の時代からコメ生産過剰による減反にいたるまで戦後農業は急展開してきた。日本における構造政策は1961年に農業基本法で「自立経営農家(都市勤労者の所得と同程度の収入を得ることができる農家)」育成がめざされ、50年以上が経過。
初期は売買を通じて自立経営農家が形成されることが期待されたがそうならず。農地は先祖代々の家産で、高度成長で資産価値が上昇し、農地流動化はほとんど進まず。以後は売買ではなく賃貸(借地)による規模拡大を奨励したが、農地法の規定する強い耕作権を恐れて容易に貸し出さず。新たな借地形態(利用権)を造り出したが、貸し手は安心できても借り手の経営は不安定になるため、その不安を「ムラ」が不当な土地引き上げを許さないよう見守ることで担保としようとしたのが、1980年の農用地利用増進法だった。しかし、経営規模拡大を40年以上追求しつづけてきた結果が、実は「やっと明治後期の水準に追いついただけ」だったことが明らかにされた。
農業生産力の発展が経営規模の拡大と並行していた西欧農業と異なり、日本農業において江戸時代から明治時代にかけて長期にわたって継続してきた経営規模縮小の動きは第二次大戦直後まで続いた。
ヨーロッパでは耕地分散は農業革命に伴うエンクロージャー(土地囲い込み)などを経て克服されたが、日本では水田中心の農業ではある程度分散が必要であったのでそうならなかった。水の問題が大きい。構造政策不能の地域といえる。
「緑の革命(小農経営改革)」とは構造改革のミニチュア版といえる。1960年代におきた「緑の革命」は主に小麦と米の品種改良による高収穫品種の導入と生産技術の革新による単収増加を通じた穀物の大増産計画である。メキシコに始まった「緑の革命」は1960年代にアジアに導入され、インド、中国でも早い段階で実施。ハイブリッドの多収穫品種を軸に肥料多投と水利条件の改良を通じて自立的な小農経営を作るというコースを指す。この場合、在来農業に比して多額の資本が必要であり、このような経営体が形成される過程は零細農家の淘汰をともなう。この路線の不適合性はあきらかになり、東北アジアや東南アジアではすでに終焉し、それにかわって「農村総兼業化という時代」が到来したといわれている。
終わりに
農業はもともと資本主義的生産に適合しない分野であり、資本主義はこれを外部化し押し出す形でさしあたり解決しようとしてきたが、それはけっして根本的解決ではなかった。
他方で、画一的な農業集団化はロシア革命や中国で失敗に帰した。それを踏まえ戦後の農民運動の取り組みに学んで農業問題の方策を模索していかなければならない。農業は環境問題でもあるし、農業は農村の問題でもある。スリランカでは「緑の革命」を実施したが、化学肥料の使い過ぎによる地下水汚染や健康被害、農地の有機質の低下等々多くの問題の解決のため、2021年急進的な化学肥料使用禁止、有機農業実施を一気に推進。しかし、十分な準備もなく農業は大混乱し収穫激減などで半年で化学肥料禁止令を撤回した。化学肥料は全部輸入依存で輸入代金を払えなくなり、国家的大破産に帰した。
マルクスは生産力至上主義だと批判されているが、「資本論」1巻以降、晩期に大転換し、「物質代謝」概念をてこにリービッヒの「略奪的農業批判」やフラースを参考に生産力至上主義から決別していった。ザスーリチへの手紙では単線的な歴史観とヨーロッパ中心主義からも決別していった。こうした歴史における「共同体」を参考にコミュニズムを展望していったことも検討していく必要がある。(千葉則義)
本の紹介『レッド』
第U部 米騒動から一〇〇年…22頁の論稿あり
社会評論社刊 『未来』でも扱います
5面
2月 日米首脳会談が狙うもの
石破大軍拡主義の本領
2月7日石破首相はネタニヤフについでトランプの元を訪れ、日米首脳会談をおこなった。
はじめに
「自由で開かれたインド太平洋」(以下「FOIP」と記す)の堅持を冒頭から掲げている。それと「日米関係の新たな黄金時代を追求する」を、2大目標として打ち出している。
世界戦略など持たないトランプ、しかも同盟関係など拒否するトランプがここまで言うのは、米帝の衰退・危機と中国に対する対抗を死活的に追求せざるをえない米帝の現状がある。逆に言えば、日帝がそこまで米帝をひきずりこんだということである。トランプと石破の個性を超えた次元の話である。
平和のための日米協力
軍事・外交の大展開を打ち出した。@「自由で開かれたインド太平洋」→A日米同盟(ここでは「同盟」と明記)→Bそのもとで「日本の防衛力の抜本的強化」を決意として打ち出している。米帝・トランプはここまでは「歓迎」と言うのみ。
石破の大軍拡主義の本領が出ている。単に安倍の継承・補完ではない。「防衛力の抜本的強化」について、英文では「commitment」となっており、これは辞書によると第1の意味として「約束」「言質」「公約」「義務」「責任」となっており、「参加」とか「関与」という一般的意味ではない。外務省による意訳(誤訳)は誤魔化しである。
米帝の決意・約束としては、「核を含むあらゆる能力を用いた日本の防衛に対する米国の揺るぎないコミットメント」と、「日米安全保障条約第5条が尖閣諸島に適用されること」を挙げている。
核の使用(そのための配備・使用の準備態勢を当然含む)を全面に掲げていることが重大な点。逆に言えば、それ以外の軍事力の使用は曖昧にしている。
「尖閣列島への安保条約第5条の適用」について、第5条の条文は、「各締結国は、日本国の施政の下にある領域におけるいずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従って共通の危険に対処するように行動することを宣言する」となっている。これを正しく解釈すると次のようになる。
@ 領土や領海ではなく「施政の下にある領域」である。実効支配していればどこにでも適用できる。逆に言えば、米帝は「尖閣列島」を日本の領土と認めたわけではないということである。まだ返還していないと主張するのか、中国との「領土紛争」に態度を保留しているか、いずれかである。
A この条文を率直に読めば、米帝・米軍の日本防衛の義務を定めているというよりは、在日米軍およびその施設を防衛する日本の義務を定めたものと読める。米軍の日本防衛義務とは大違いだ。
B その防衛義務についても、「自国の平和及び安全を危うくするものであることを認める」ことを前提として、「自国の憲法上の規定及び手続に従って」初めて発動される。つまり米軍にとって防衛行動の発動に向けて何重にも発動を制約する壁を設けているのである。
「2015年の平和安全法制により(日米同盟の抑止力と対処力を)一層(強化することが)可能にな」ったとして。次のような点を挙げている。
@自衛隊及び米軍のそれぞれの指揮・統制枠組みの向上
A日本の南西諸島における2国間のプレゼンスの向上
B拡大抑止の更なる強化並びに同盟のサプライチェーン及び海洋を含む日米の防衛産業力を強化する共同生産、共同開発及び共同維持整備を含む防衛装備・技術協力の推進によるものを含む……
これを「日米両軍の統合」とか「自衛隊が米軍の指揮下に入る」と読む傾向があるが間違いである。少なくともそうは書いていない。「それぞれの指揮・統制枠組みの向上」である。
「南西諸島におけるプレゼンスの強化」であり、「南西諸島の防衛」とはどこでも言っていない。自衛隊及び米軍の配備・演習を強化するということである。
防衛産業については、「共同生産」「共同開発」を言っている点に注意。
他に重要なポイントとしては、防衛予算増加を「好ましい」としている。これにより、「27年度までに日本を防衛する主たる責任を確固たるものとする」とした。英文では「FY」(財政年度)を充てており、2026年10月1日〜2027年9月30日までを指す。日本語で言う「2027年度」を意味する2027年4月1日〜2028年3月31日と比べ、大分早くなる。相当のペテンと大まかさ。
最後に「辺野古」新基地建設を、「着実な実施が極めて重要である」と確認していることに要注意。許せん!
共同記者会見でもトランプは軍事問題に関し、日米間の関係についてしか言及していない。それに対し、石破はFOIPや台湾海峡に盛んに言及している。
成長と繁栄をもたらす日米協力
この章は経済についてである。「経済安全保障」と「相互のサプライチェーン」における極めて重要な役割に言及し、海外直接投資と雇用の創出を重点としている。貿易・金融についてはあえて触れていない。相互の思惑が対立するからであろう。
この章でも、「自由で公正な経済秩序に支えられたインド太平洋地域の成長の共同での促進」とFOIPに言及している。第3世界、グローバルサウスに関する言及がほとんどない「共同声明」の中で、インドやASEANを取り込もうとしているのであろう。トランプには出てこないこの発想も日帝が持ち込んだものであろう。
米国から日本への液化天然ガス(LNG)輸出の増加を特別に言及している。
最後は、「小型モジュール炉及びその他の革新炉」と、原発技術に関する協力である。
日鉄によるUSS買収については「共同声明」では言及がない。事後の記者会見等で、トランプは「買収ではなく投資である」と言い、石破は「単なる買収ではなく投資でもある」と言っている。およそ何も決まっていない。
インド太平洋地域における日米連携
最後の章は、対中国戦争計画ないし対中国包囲戦略である。そしてここでも冒頭からFOIPを確認し、そのための「協力」として、日米豪印「QUAD」、日米韓、日米豪、日米比を挙げている。これら「同志国」との協力の具体策として、「第3国におけるオープンRAN(無線アクセスネットワーク)展開を含む地域への質の高いインフラ投資」を挙げている。
中国封じ込めの具体的な点として、「東シナ海」、「南シナ海」を挙げる。規模から言って順序が逆である。日帝の思惑が強く出ている。
上記とは別建で、「台湾海峡の平和と安定」を挙げている。台湾自体に踏み込んだ言及として、「両首脳は国際機関への台湾の意味ある参加への支持」を挙げている。
朝鮮民主主義人民共和国(「北朝鮮」と記す、英文でも「North Korea」)については、中国以上に紙幅を採って言及している。いわく、核・ミサイル問題、「悪意あるサイバー活動」、ロシアとの軍事協力、「拉致問題」である。
共同声明や事前発言では日米関係以外の問題に発言を控えてきたトランプも、会談後の共同記者会見では、「インド太平洋地域で『力による平和』を進める」と語っている(日経2025・2・9)。節操も一貫性もない。
おわりに
最後の「章」はトランプの日本への「近い将来における公式訪問」の招待である。トランプは「受け入れた」としている。
トランプを「持ち上げる」ことに意を尽くした日帝・石破政権、トランプとの関係で波風を立てなかったことに胸をなでおろしているメディアや自公政権関係者、等々。石破自身が、MEGA(Make America Great Again)というトランプの排外主義右翼の標語を、「忘れられた人々に対する深い思いやりに基づく」とゴマをすっている。ここには政権発足以来、ガザ住民の移住の強制や、「不法移民」の強制送還、カナダ・メキシコへの25%関税など、失策・破綻・世界の人民の怒りと嫌悪を呼ぶ行動を繰り返してきたトランプ政権への「思いやり」、「ゴマすり」しか見えない。対米投資がすでに8千億ドルで、世界1多いのを、1兆ドルにすると「大風呂敷」を広げているのもそうだ。(落合薫)
6面
JR九州はホームの安全確保義務から開き直るな
命の保証に責任を持て
2020年9月23日、「JR九州が次々と進める駅の無人化によって、事前の予約が必要になり、当日の時間変更や駅の変更ができない」、「事実上移動の自由がはく奪された」と3人の車いす利用の障碍者が大分地裁に提訴した「JR駅無人化反対訴訟」。
この訴訟は、その後、原告が6人に増え、視覚障害女性も加わって、「駅ホームの安全確保義務」の問題も含めて争われて来た。これに対してJR九州側は、当初から裁判の棄却を求めている。
2025年2月13日、この日の口頭弁論は大きな山場を迎えた。それは、2022年12月15日に、無人駅の状態となっている日豊本線・津久見駅で82歳の視覚障害女性が、宮崎空港行き特急「にちりん」にはねられて死亡した事故を巡って、証人尋問がおこなわれたのである。
この事故の報告書をまとめて国(国交省九州運輸局)に提出したJR九州の社員が証人に立ち、「ホーム北側の立ち入り禁止区域の端にある階段を使って自ら線路内に入ったものと考えている。当時間帯は駅員不在であり、仮に駅員がいたとしても、電話対応などで気が付かず、助けることはできなかったと思う。事故発生時、女性は立ち上がり、手を上に伸ばしていた」と証言した。[注]立ち入り禁止区域内の階段とは、ホーム北側の端にあるもので、線路の補修か何かに使われていたもので、ホーム上からは見えず、知られていない。
これに対し原告側は、「女性は腰が曲がり、歩幅も小さく、杖を突いて歩いていた。手帳は1級である。自ら線路内に入ったなどとは考えられず、ホーム上に杖とカバンが置いてあったことから、転落としか考えられない。落ちた後、上がるために比較的ホームが低い北側に向かって移動していたところ、列車にはねられたものと考えられる」と迫った。
事故当時の運転士の証言では、「女性はホームに這い上がろうとしており、最も強いブレーキを踏んだが間に合わず、はねてしまった」と語っている。
私も線路に落ち、けがをしたが、列車が近づいていて線路がごうごううなりをあげている中で、必死でホームに這い上がった経験がある。傍聴していて、「ホームに上がろうとしていた」ということと「立ち上がり、手を上に伸ばしていた」という姿は、一連の動作なのではないかと思う。女性は「もうホームに這い上がれない。運転士さん!列車を直前で止めてください」という思いから、けがをしていたとしても必死で立ち上がり、手を上に伸ばして存在を示そうとしたのではないか、死の恐怖の中でのぎりぎりの行為だったのではないかと思った。
事故後、23日の定例記者会見で、古宮洋二社長は、「利用が減る中で鉄道事業を維持するのに必要なこと」と、駅の無人化を進める考えを示した。
裁判後の報告会で徳田弁護士は、「JR九州の考え方は、まず転落はありえないというのが第1であり、転落ではないからJRには何の責任もないし、何の対策を取る必要はないということだ。駅の無人化で最も恐れていたことが起こってしまったのに、責任はないの一点張りで、原因の追及もやめてしまっているし、安全対策を立てるという姿勢も見せない。JR九州の企業としての体質が現れた1日だった」と語った。
次回口頭弁論は、3月6日午前10時半から、原告3人が証人に立ち、裁判官に生の声を聴いてもらい、考えてもらう場となる。(鷹林茂男)
投稿
略奪されるスーダンの人々(下)
世界最大の国内避難民危機
1998年8月20日にクリントンが、ケニアとタンザニアの米大使館爆破への報復としておこなったアル・シーファ工場の爆撃はテロ行為である。チョムスキーは9月11日テロについてコメントを求められたときに次のように語ったという。
「私は、『邪悪さと恐るべき残酷さ』をもっておこなわれた9月11日の『恐ろしい犯罪』の被害は、1998年8月にクリントンがおこなったアル・シーファ工場の爆撃の結果に比肩しうるかもしれない」。
しかも工場爆撃によって直接失われた生命だけではなく、スーダンの医薬品の50%以上を供給する工場が消失したために、マラリヤの治療薬であるクロロキンや結核患者用の薬、牧場での寄生虫感染薬がなくなり(この寄生虫がスーダンの高い幼児死亡率の一因である)、間接的に多くの人々の命が失われたと言われる。ドイツの駐スーダン大使は、間接的な死亡者数は数万であろうと推測している。しかもアメリカはスーダンにある国連の援助組織のアメリカ人職員を引揚げさせ、国連の推定では240万人が飢餓の危険にさらされているスーダンに『援助の中断』という結果をもたらした。」http://www.hum.nagoya-cu.ac.jp/~bessho/bessho/ChomshyUSkritik.htm
米国の長年の同盟国であるサウジアラビアも、UAEとともにRSF(即応支援部隊)を支援しています。米国と同様に、サウジアラビアもイスラム過激派テロを推進していることは広く認識されているため、これは驚くべきことではありません。ヒラリー・クリントンは2009年に国務長官だったとき、「世界中のスンニ派テロリストグループへの最も重要な資金源提供者は、サウジアラビアの寄付者だ」と述べています。
結論
スーダンは天然資源が豊富で、大国は簡単にその資源を盗むことができるため、今回の危機で手に入るものは何でも手に入れようとしています。人々がスーダンを気にかけない理由は想像に難くない。「アフリカの現在の紛争では、ロシアのウクライナ侵攻に伴う西側諸国の同情の高まりはなく、イスラエルのガザ戦争で引き起こされた人々の怒りも起きていない。1980年代のエチオピアの飢餓に触発されたライブエイドコンサート、2000年代初頭のダルフールの大量虐殺に対する抗議デモ、さらには10年前にナイジェリアのチボクの町で276人の女子生徒が誘拐されたことに関連した#BringBackOurGirlsキャンペーンがなされたが、同様のキャンペーンも全くみられない。」
ウクライナ支援が白人キリスト教徒へのものであり、多くの西洋人にとって歴史的に重要な場所である「聖地」ともつながる、さまざまな宗教的背景を持つガザ虐殺被害者への支援など、白人の中流階級の人々がすでに関心を持っている、または取り組んでいる人道的使命とアフリカのイスラム教徒への支援を求める人々は、競合することになります。
コメントをしてくれたスティーブン・ブリバティ氏に感謝します。
7面
通信KOSUGI
クルド人への差別をやめろ
川崎駅頭でのヘイト街宣許さない
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2月16日、川崎駅頭でまた「へイト街宣」がおこなわれた。
この日は「日の丸街宣倶楽部」を名乗る渡辺賢一らが、1月の埼玉県戸田市の市議選でトップ当選した河合悠祐を呼んで強行された。河合はクルド人へのヘイトスピーチを繰り返す極悪の差別主義者だ。
多くの市民によるカウンター行動や「ヘイトスピーチを許さないかわさき市民ネットワーク」の抗議のチラシ配布やスタンデングが展開された。(写真)
「ドンドンドンドン…」大太鼓からの大音響とともに、「ヘイトはいらない! 帰れ! 帰れ!」と多くの市民がヘイト団体を取り囲んで徹底した抗議行動が続いていた。
ヘイト議員河合は、「外国人に参政権を認めて、日本が乗っ取られて良いのか」などと騒いでいたが、対抗する市民150人の怒りの声に20分も経たないうちにすごすごと去っていった。
今、川崎のほか、埼玉県川口市や蕨市でもヘイトスピーチが繰り返されている。
それもクルド人へのヘイトスピーチだ。クルド人は、中近東の先住民族で、2千万人以上の人々がトルコ・イラン・イラク・シリアなどに分割され、それぞれの政権から少数民族としてクルド語使用の禁止などを始め迫害や弾圧を受けて来た人たちだ。
そして、やむなく日本に移住してきたクルドの人々。そうした人々へのヘイトスピーチ。
渡辺や河合らは、「クルド人を即時強制送還しろ」「叩き出せ」とヘイトデモや街宣、徘徊を執拗におこなっている。
埼玉の市民も、こうしたヘイト行動に反対するスタンデングなどの抗議行動に立ちあがっている。
また「日本クルド文化協会」は、昨年11月にヘイトデモの主催者に対して、当事務所の半径600m範囲内でのデモの差し止め仮処分を請求し、さいたま地裁は、「自爆テロを支援するクルド人協会は日本にいらない」「クルド人は日本から出て行け」などの文言を違法と認める決定を出した。
さらに協会は12月末には渡辺に対してヘイトデモの差し止めと550万円の損害賠償を求める訴訟を起こしてたたかっている。それほど悪質なヘイト行動がおこなわれているのだ。
川口市内ではクルド人にアパートや事務所への入居をさせない、駐車場を貸さないなどのことが起こっており、工事をしていると依頼者から「クルド人を外してくれ」と言われる。ケバブ店で日本人客が少なくなったなどの被害が増えているのだ。違法と認める決定を出した。
…クルド人の少女がスーパーで走り回っている姿が盗撮されて、SNSに「川口では、クルド人の少女による万引きが相次いでいます」とされていた。その少女は走っていただけで万引きなどしていない。
日本語の話せない両親に代わり、その少女の中学3年生の姉が警察に被害届を出しに行ったが、警察からは「泣き寝入りしてください」というような対応。彼女の目は真っ赤だった。
日本で生まれ育った彼女が、なぜ警察に行って話をしなければならないのか。
聞いてみると、その姉の少女は、クルド人ヘイトの動画を毎日チェックしていて、そうしたら4歳の妹が映っていたという。それで警察に訴えたのだった。私は怒りよりも泣けてきた。こんなことをさせてはならない。しかし、中学生にこんな負担を強いているのが、日本人であり日本社会。私たちがこんな社会にし、こうしたクルドヘイトを容認してしまった…」と12月に開かれた「人権尊重のまちづくり条例」制定5年を記念した学習会で、クルド人のコミュニティを取材している安田浩一さんが切実な現状を報告していた。
川崎市条例制定から5年たったが
2019年12月に、「川崎市差別のない人権尊重のまちづくり条例」が全国で初めて制定された。
「あらゆる差別を禁止し、とりわけ危険な差別であるヘイトスピーチには最高50万円の罰金を科す」という市条例。確かにそのためもあって、「朝鮮人は死ね」「殺せ」というような露骨な差別扇動でのデモはなくなった。インターネット上でのヘイトスピーチも480件に削除要請がされている。
しかし、あからさまなヘイトスピーチができなくなったため、今は言葉を選びながらの差別街宣が続いている。「ここは日本だ。朝鮮半島や中国ではない。祖国があるんだから祖国に帰るべきだ」とマイクを使っての街宣。もちろんこれもヘイトスピーチにほかならない。
さらに実効性のある条例を全国に広げ、私たち市民の力でヘイトを一掃していく必要がある。
相模原市や京都市などで条例制定の動きがあるが、「差別を許さない」と明記されない条例では、ヘイトクライムを規制することはできない。これが現実だ。まだまだ続く朝鮮人・中国人やクルド人への差別、ヘイトスピーチ…こんな社会を放置しておくことは絶対に許されない。ここでも私たちが問われている。(神奈川・深津利樹)
(映画評)
『いもうとの時間』
監督:鎌田麗香
制作:東海テレビ放送 2024年
奥西勝さんは「名張ぶどう酒事件」で犯人にでっち上げられ、死刑判決を言い渡された。2015年10月、奥西さんは第9次再審請求をおこなっているなかで、無念にも89歳で亡くなった。このドキュメンタリーは、彼の妹(岡美代子)に焦点をあてている。岡さんは、今年で94歳になるが、弟の無実を確信して、亡くなった奥西さんの意思をついで再審請求の闘いをおこなっている。
2015年11月、岡さんは兄の無実を信じて、第10次再審請求を開始した。しかし、この第10次再審請求は、2024年1月に最高裁で棄却された。司法は真実に向き合おうとしない。現在、岡さんは第11次再審請求を準備している。
名張ぶどう酒事件とは
「名張ぶどう酒事件」は、1961年3月におきた。三重県名張市と奈良県山添村の県境にまたがる葛尾という小さな集落(当時、23戸)で、懇親会の宴会場で殺人事件がおきた。宴会でふるまわれたぶどう酒に農薬(ニッカリンT)が混入されていた。ぶどう酒をのんだ女性17人が中毒になり、うち5人が死亡した。
事件に関する物的証拠はなく、奥西さんは強制された「自白」によって、犯人に作りあげられた。逮捕されて以後、奥西さんは一貫して無実を叫んでいた。第1審(津地方裁判所)判決は無罪であり、奥西さんは釈放される。しかし、検察が控訴し、名古屋高裁は一審判決をくつがえして、死刑を言い渡した。奥西さんはふたたび収監される。以後、奥西さんは獄中で生涯を送ることになる。酒をのんだ女性17人が中毒になり、うち5人が死亡した。
奥西さんは無実を主張し、獄中で再審請求をおこなった。2005年、第7次再審請求において、名古屋高裁は再審開始を決定する。しかし、最高裁はこれを確定しないで、高裁に差し戻した。名古屋高裁は再審を認めず、最高裁でも再審請求が棄却されてしまう(2013年10月)。以後、第10次再審請求にいたるが、すべて棄却された。
「清水こがね味噌事件(袴田事件)」に見られるように、検察は犯人を作り上げ、証拠を捏造する。奥西さんに関しても、この可能性が極めて高いのだ。司法は真実に目を閉ざしている。
「名張ぶどう酒事件」の焦点
「名張ぶどう酒事件」において、いくつかの問題が浮き彫りになっている。@検察が奥西さんを犯人にでっち上げ、奥西さんは無実であること。A死刑にかんする再審制度の問題点。奥西さんが亡くなってしまったので、再審請求できる人は、現在の制度では奥西さんの妹と奥西さんの長女、この2人しか存在しない。妹さんが亡くなれば、再審請求はできなくなる可能性が強い。B村落共同体の問題。村落共同体は奥西さんを守るのではなく、国家権力の側についた。事件後、村落共同体は奥西さんの家族を村八分にし、村から追い出した。奥西さんの墓は、集落の共同墓地から放り出された。村落共同体は、奥西さんを「いけにえ」にした。
テレビと報道
このドキュメンタリーは東海テレビが制作した。東海テレビは、「司法と報道」をテーマにして「名張ぶどう酒事件」をずっと追及してきた。テレビドキュメンタリーで8作品を放映し、劇場映画はこの作品で4作目になる。再審の扉を開かない司法にたいして、東海テレビは市民の視点にたって、この事件の追及をしている。テレビは、どのように司法にかかわり、何を報道するべきなのか。この映画は、このことを考えさせてくれる。(鹿田研三)
8面
本多延嘉追悼50年の集いに際して(上)
破防法弾圧うち破った闘い受け継ぐ
1975年3月14日に本多延嘉革共同書記長がカクマルによる謀略的で卑劣な手段によって暗殺されてから50年がたつ。
当初革共同は毎年3月14日を復讐の日として追悼の政治集会を開催してきた。しかしそれも時間がたつにつれ忘却され、今年は50年というのに革共同全国委(『前進』派)は、今日に至るも何一つ集会開催の意向を示さない。
そんな折、昨年末から「50年追悼の集い」計画が、毎年墓参をしてきた人々の中から計画され、関西を主戦場としていたためこの種の行動に取り組めてこなかった我々は、この企画に大いに期待し実行委員会に参加させて頂いた。3月15日の集いには多くの人が参加すると聞き、心から喜んでいる。
呼びかけ文には本多さんを慕った人々が現在の場所・信条を超えて旧交をあたためることを第一としているが、集会は本多さん死後それぞれ苦難の道を歩んだ人々がその思いと現在の状況と闘うことを述べる場になると思う。トランプやプーチンの暴虐が横行し、ドイツなどで極右が台頭する世界情勢と、長く続いた安倍一強体制が崩壊し石破少数与党政権のもと、戦争と物価高に怒り現状打破を求める動きがこの日本でも、本多さんの思想を受け継いだ闘いとして各所で新たに始まると期待する。われわれのような「とがった主張」をする現役党派の参加を迎えてくれた向井拓治さんを先頭とする発起人、呼びかけ人に感謝したい。
「反帝・反スターリン主義」の創設者
さて本多さんを追悼するにあたって、我々が受け継ぐべきものは何だろうか。膨大な著作・政治的事業を受け継ぐには何万字書いても足りないだろうが、本多延嘉著作選(全7巻)を基底にいくつか確認したい。
まず何よりも本多延嘉という人物は、日本において「反帝国主義・反スターリン主義」という思想的・綱領的立場を確立した運動体の創始者であり、生ある限りその実践を貫いた革命家であった。ソ連・東欧におけるスターリン主義の崩壊をもって「反スタ」は古くなった、中国は帝国主義だという主張もあるが、1917年ロシア革命をもってする社会主義・共産主義への過渡の時代は続いている。残存スターリン主義の害悪はなお昂じ、その後継国家の解明には、反スターリン主義からの接近・解明が不可欠である。また運動組織論においても「民主集中」といいながら「中央絶対」という官僚主義組織はいまだはびこっている。その克服もかけて「反帝・反スターリン主義」は現在も我々の思想であり、運動組織論の骨格をなすと考える。
党組織論の課題を引き受ける
第二は革命家人生の全過程を思想と運動と革命党建設を一体として、極小組織から70年闘争主流派として闘い抜いた人物であるということだ。60年安保闘争過程はブントが主流をなした歴史的闘いだった。しかし「反スタ」と党建設なきブントは60年夏に3分解する。この期の代表的著作としては『安保闘争−その政治的総括』(現代思潮社)がある。
そのブント崩壊過程で全左翼を鼓舞激励し、2年後には第3回全国委員会総会(3全総、63年2月)を開催し、その後の運動組織論の原型をつくるに至る。この時、右翼日和見主義集団・黒田寛一らは脱落する。その後革命的統一戦線のもと、66年3回大会―70年安保・沖縄闘争を牽引し、今日に引き継がれる革命的共産主義運動の基本的道筋を確立したのだ。
それ以降の過程で、本多さん自身「闘いつつ学び、学びつつ闘い」破防法弾圧をうち破ってけん引した。「70年への道」(68年4月)で、日大闘争、沖縄闘争など戦闘的大衆闘争に心を寄せながら、かつ「党としての闘いと党の闘い」を提起した。71年12・4反革命以降カクマルとの内戦に入るが、それでも「政治優位」の原則を貫き、遺作となった「革命闘争と革命党の事業の堅実で全面的な発展のために」(『前進』646号論文 73年8月)を発表している。
レーニン主義と革命的暴力論
反革命カクマルとの闘い・暴力論については「レーニン主義の継承か、レーニン主義の解体か」(72年9月、『前進』600号記念論文)、「戦争と革命の基本問題」(73年6月)などの優れた著作がある。「継承か解体か」を最大主要著作とし、レーニン主義を嫌う人々もいるが、ここは今少しの検討が必要と思う。本多さん自身56年ハンガリア革命に対するソ連スターリン主義の暴虐に対し、反スターリン主義の立場を固める。91年ソ連崩壊以降発見された旧ソ連の暴虐とレーニンが果たした役割は、本多さんの生前には未発見のものも多数ある。生きた現実から学ぶ本多さんはどういう態度をとっただろうか。他方でレーニンの取った「帝国主義と民族植民地問題」的接近、「民族解放・革命戦争」概念は縦横に展開している。あらためて検討と接近の必要があると思う。
一点筆者が納得できないのは、67年10・8羽田闘争前夜の解放派指導部へのテロ攻撃である。真相は全面解明されてはいないが、右派社民の悪質先兵=解放派樋口一派なる用語はあっても、他方で戦闘的社民との統一戦線は一貫して追求していた。生きた現実の政治で一定の衝突はありうるが、戦略・組織戦術にまで高めていたかは、なお解明が必要である。
この点では、前進社版7巻著作選には限界があり、10巻全集を発行をとの声も聞く。7巻選集は75年の虐殺以降、対カクマル戦への決起を主目的とし当初2巻選集として編纂され、のちに7巻選集となるが、必ずしも発表年次毎やテーマ別におなされておらず、本多思想の全体系に迫れてないとの意見もある。
3・14五十年の集いは、ここらの歴史の空白をも埋める集いになるのではと思う。
さらに本多延嘉の事業の評価については「天皇制ボナパルティズム」などの評価も、50年後の我々がさかしらげに言うのは間違いだが、金科玉条のようにするのも間違いであろう。改めて本多さんの事業を引き継ぐ人たちが、正しく批判・継承していく必要があると考える。
『未来』400号総括
なお筆者らは70年代の激動を『未来』400号記念論文で以下のように総括した。
第1に、70年安保・沖縄闘争とそれを主導した本多革命論の総括である。「戦後世界体制の根底的動揺」と革命の現実性認識を確立した。そして「沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒」の戦略的総路線を掲げ、破防法弾圧を乗り越えて闘ったことは正しい。それに対し、小ブル自由主義の綱領路線を掲げる革マル派は、70年安保・沖縄闘争から逃亡した。そして革命的左翼を襲撃し革命的闘争を破壊する70年代反革命に転落した。カクマルとの強いられた内戦にひるまず、党の死活をかけて闘ったことは正当である。問題はその中で生み出されたひずみを見すえて21世紀を闘うことであった。
何よりも、対権力の闘いを正面に据えて闘うことの回避である。86年以前から始まった「5・7宣言体制」との闘いで重大な敗北を喫した。にもかかわらず、それを見すえず、対カクマル戦一点的に闘った。さらに、対カクマル戦争と対権力闘争を分離し、2段階化する持久戦論を採用した。対カクマル戦と対権力闘争において、つねに政治の優位、労働者人民の自衛武装を軸に、その中から革命的勢力もつくるべきであった。正置形態として貫くべきその路線を投げ捨ててしまって、革命軍戦略に依存した。そのなかで、3・14本多書記長虐殺をはじめ多くの敗北を喫した。
また1967年社青同解放派や1984年第4インターナショナル日本支部に対する暴力行使は、闘う勢力内部に分断と分裂を生んだ。反省と克服になお全力を挙げなければならない。
1991年の5月テーゼと2001年の革共同6回大会は、以上の総括と克服を不問に付した。1990年代、ソ連圏崩壊以降の革共同は、ともすれば、安保・沖縄闘争を全人民的政治闘争として闘うことから逃亡した。そしてかつては、労働組合の「権力を取る」=「革共同の労働組合をつくる」ことに注力した。いまは逆に「職場闘争」、「労働組合」の闘いを否定し、対立させて、「反戦闘争」を外から持ち込むことに注力している。右往左往の繰り返しである。
以上の確認にたって、21世紀を闘うわれわれ「未来派」の路線は鮮明である。「新しい安保・沖縄闘争」を、安倍―岸田を引き継ぐ、石破政権と対峙して闘うことである。同時に新自由主義の破綻が生み出す労働者人民の困窮と危機に対して、地域から、職場から、あらゆる戦線から闘いの芽を育て、闘うことである。政治対決の焦点をなす選挙闘争も含めて、全国的に、また地域から、階級闘争と階級形成を一個二重の闘いとして闘おう。(つづく)
大久保一彦(『未来』編集長)
以下
*歴史に対する該博な知識
*人民に対する信頼と革命的統一戦線
の予定
本多延嘉追悼50年の集い 集会要項
日時 2025年 3月15日(土)午後2時〜4時半(午後1時開場)
場所 連合会館(総評会館)402会議室
資料代 1,000円
懇親会 別会場で4,000円の予定
連合会館
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TEL:03-3253-1771
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