未来・第406号


            未来第406号目次(2025年1月16日発行)

 1面  支配の危機拡げ政権打倒へ
     関生弾圧、2・26無罪判決を

 2面〜3面  米兵による少女暴行事件
     抗議と再発防止を(上)
     島袋利久

 4面  2025年『未来』新年アピール(中)

 5面  石破政権の大軍拡路線
     ー石破の突出性、対米対抗性ー
     落合薫

     書評
     山崎弘著『底が抜けた国』

 6面  検証
     反核運動の意義と反原発闘争
核兵器も原発もない社会を
     津田保夫      

 7面  島根原発2号機再稼働反対集会(下)
     連続的な抗議行動
     12月21日 松江市

     原発賠償京都訴訟訟
     国の責任を認めない不当判決

 8面  斎藤元彦知事を退陣させ
     民主・自治・人権の兵庫県政を

     さようなら 井上力さん

                 

支配の危機拡げ政権打倒へ
関生弾圧、2・26無罪判決を

450人が結集した元旦行動(大阪府警本部前)

1月1日、大阪府警本部前で「労働組合つぶしを許さない! 元旦行動」が450人の結集で闘われた。この日、大阪は雲一つない快晴だったが、吹きつける強風で労組などの旗が大きくはためいていた。冒頭、関生支部細野書記長の音頭で、大阪府警本部に対するシュプレヒコールがおこなわれた。全港湾大阪支部・小林勝彦委員長あいさつ

主催者あいさつを小林さんがおこなった。「みなさん、おはようございます。ここではおめでとうございますは言わないと誓っていますので、ご了解のほどお願いします。この場所でおこなうのは今年で7回目になります。年々参加者が増えて我々主催者の側も心強いところです。2018年からこの不当弾圧が始まってかれこれ8年、9年になります。今、権力者は裁判所といっしょになって、闘う労働組合つぶしをおこなってきています。日本の民主主義はどこに行ってしまったんや」「この国がおかしくなっていっている今、未来にむけて声をあげて、われわれのやっていることは正しいんやということを言い続けていくしかありません」「2月26日、湯川委員長に対する10年というあり得ない求刑に対する判決がでます」「労働組合が解決金をとったら犯罪になるなら、われわれ労働組合は労働組合としてのまっとうな活動ができないということになります」「ここに集まったすべての人の力でこの弾圧をなくしていかなければなりません」「2025年、この弾圧を終わらせていくという決意で闘っていきます」。

関生支部湯川委員長あいさつ

湯川裕司委員長

「みなさん、関生支部の湯川です。本年もよろしくお願いします。今年、3つの判決が出ます。ひとつは2月26日、京都事件の私の判決です。それと加茂生コン事件も4月に判決が出ます。それと大津控訴審、実刑4年といわれている控訴審が9月に判決が出ます。したがって今年は相当、きびしい年になっていくという思いです。きびしいというのは、きびしい状況を乗り越えていくという意味です」「私たちに対して、関生支部は労働組合ではないとか、反社(反社会的団体)だというレッテルを貼って弾圧をする、こういうでたらめなことがこの国で平気でやられている。その本質は、苦しい思いをしている労働者を労働組合に結集させないという権力の意向が、そこに大きく働いているということを私たちは認識しておかなければなりません」。

産業別労働組合の意義

「6、7年前は、年収300万円などという低所得はぜったいダメだと多くの人たちが言っていましたが、今は誰も言わない。権力は、こうやってだれも声をあげない国をつくろうとしているのです」「今の日本の主たる労働組合は企業別労働組合です。企業別労働組合は今、事実上、ストライキができないようになっており、それでもストライキをしているというのは、ものすごく少数です。権力は、企業別労働組合を認めると言っていますが、なんで認めるか、闘わないから、闘えないからです」「だから企業別労働組合だけでは、全体の労働者の労働条件は上がらないのです」「しかし、産業別労働組合には闘える仕組みがあるんです。その産業に対する政策をもって、自分たちの賃金などの労働条件をあげていくことができます。だから権力は産業別労働組合に弾圧をかけてきているんです」。

国が変ぼうしている

「私の事件では2018年に逮捕されるときより1年ないし1年半前から、警察が被害届を出せといって回っていると私たちに連絡があったんです。コンプライアンス活動のなにがあかんのか。なんで正当な活動であるコンプライアンス活動に被害届を出せといってくるのか。自分から被害届なんか出していません。警察が出させているのです。これが裁判にかかって、警察と検察のやりたいように進んでいく、まったく事実と異なっている。そして労働組合として何ら法律違反をしていないのに、団結権を行使しただけで事件化する、労働組合の権利を度外視する、ここまでこの国が、変ぼうしているのです」。
「この変ぼうに対して私たちがどういうふうに立ち向かうのか、産業別組合を叩き切ったら、次は、企業別労働組合にも当然やってきます」「さまざまな枠を超えて、私たちのやっている活動の正当性を広めていくことが、このおかしな弾圧をうちやぶり、権力の暴走を防ぐことになるのです。これは国籍を問わない闘いであり、私たちみんなの課題です」「無罪になっても奪われたものは回復しない。仲間が帰ってくるわけでもないし、私たちの社会的立場、労働者としての権利というものが失われて戻ってこない」「私たちが大きな群れになったら、こわいと思う人たちがいるんです。こわいのなら私たちと対等にちゃんと話をすればいいわけです」「対等の立場で話し合うことが当たり前にできる社会を作らない限り、経済もあがらず、日本は戦争をする国になっていきます。私は戦争前夜だと思っています」「私たちのこの運動を大きく、広げていけば、弾圧ができない社会、そして私たちの主張にちゃんと耳をかたむける環境が出てくると思います」。

節目になる年

「今年は、ひとつの大きな節目になる年です。みなさんのご支援とご協力を得て、私たち関生支部があると思っています。たいへんきびしい状況になるとは思いますけれども、私たちは絶対にあきらめず、闘いぬきます。これからも皆さんとともにいっしょに運動をすすめていきましょう」。

各団体等からの発言

反弾圧京滋実行委員会の服部共同代表は、「京都3事件は解決金をめぐる裁判で脅して金をとったと検事は主張していますが、検事は裁判の中で関生が脅迫したという事実を見つけることができていません。脅迫などしていないからです。追いつめられた検事は、ストライキをする関生を企業がものすごく恐れていたからだとこじつけて主張しています。しかし、ストライキは憲法が保障しているのです。京都3事件を審理する京都地裁はストライキを保障する憲法28条、労働3権を守るのかどうかが問われていると思います。2月26日の湯川委員長に対する判決公判の前の1月8日に京都地裁を取り囲む、『ぐるぐるデモ』をおこなおう」と提起した。
続いて東海の会、兵庫の会が発言し、大石あきこ衆議院議員は、関生の映画『ここから』を国会で上映し、代表の山本太郎とともに観て、筋を通す組合員の姿に心を打たれたと話した。大椿ゆうこ参議院議員は、関生弾圧はおかしいんだという国会議員が必要であり、増やしていかなければならない、このことを国会から発信していきたいと述べた。途中、かえ歌の合唱や争議団の発言などがあり、まとめを豊中市議の木村真さんがおこない閉会。
1月8日、京都地裁を包囲するぐるぐるデモから、2月26日、京都地裁での湯川委員長に対する判決公判に結集しよう。

2面〜3面

米兵による少女暴行事件
抗議と再発防止を(上)
島袋利久

12月22日、沖縄市民会館で2500人が集まり県民大会が開かれた。

沖縄市民会館をうめつくした市民(12月22日)

県民大会の登壇・発言者要旨

(紙面の関係上全員の発言は割愛します)

伊良波純子共同代表

戦後80年、復帰から50年がたった今も、沖縄に住む私たちの周りで悲惨な、非道な事件が繰り返し起きている。中でも、女性や子どもの尊厳を踏みにじる性暴力は絶対あってはならない。過去の事件は氷山の一角で、誰にも言えず隠し、隠されてきた事件の存在を沖縄人は知っている。7月10日に県議会は全会一致で抗議の意見書を可決した。被害者の謝罪やケア、実効性ある再発防止を求めている。日米両政府からの謝罪は未だにない。常とう句となった綱紀粛正など、通り一遍の対応は女性の尊厳を踏みにじり、県民を愚弄するものだ。求めているのは当たり前の安全安心な暮らしだ。過大な要求ではない。意見書の1日も早い実現、そして二度と事件を起こさせないことを日米両政府に求めて行こう。

高良沙哉共同代表

今でも軍事性暴力が子どもたちの平和な日常を脅かしている現実。沖縄に生じる理不尽を打破しなければならない。加害者には有罪判決が出たが、少女の感じたストレスは計り知れない。少女の精神的、肉体的ケア、支援が届いてほしい。性的暴力が発生した際、被害者に対する支援がいち早く届く体制、捜査から裁判までのあらゆる段階において被害者が保護されることを強く望む。
地位協定による特権的な地位の付与は、米兵による犯罪などがおこなわれ続ける背景になっている。地位協定の不平等条項による不利益は沖縄に生じる。改正を強く求める。あなたは悪くない、私たちはあなたの味方だと伝え続けたい。これ以上沖縄に生きる人々を軍事性暴力の危険の犠牲にしてはいけない。

若者代表・中塚静樹(沖縄国際大3年)

何度目だろうか。沖縄に幾度もなく押し寄せる悲しみの波はいつになれば止まるのか。日本政府は、なぜ沖縄の声に寄り添おうとしないのか。沖縄の尊厳は一体どこにあるのか。今回の事件は被害女性の人権を大きく踏みにじり深い心の傷を負わせた。私たちはそこに目を向ける必要がある。この事件は基地に賛成、反対の枠組みで考える問題ではない。人権に重きを置き、被害者に寄り添い、被害者の視点に立って考えるべきだ。
この場で人権を訴える事は決して政治的な主張ではなく、当たり前の権利を守るための当たり前の主張だ。沖縄の痛み、苦しみを県外、国外へと共有していこう。私はこれからも平和の扉が開けるまで声を上げ続ける。もう二度と繰り返してはならない。

若者代表・崎浜空音(22才)北谷生まれ、慶応大学3年生

どうして自分の青春を、沖縄に生まれたからと言う理由で奪われなければならないのか。この大会がウチナンチューにとって最後の県民大会になるように、もう絶対繰り返してはいけない。東京にいて、米兵に襲われることを恐れることは一度もなかった。夜、外に散歩に行く事も当たり前にできる。それが当たり前の権利だ。日本国憲法が規定する国民に、私たちウチナンチューは含まれていないのか。悲惨な戦争があったこの島で「平和に暮らしたい」と願うのはわがままなことか。基地が身近だからこそ、明日は我が身。若い私たちだからこそ、自分事として捉えないといけない。また数年後に事件が起きて、中高生の子どもたちをここに立たせてしまうのか、もう最後の大会にしたい。

玉城デニー知事

米軍兵士による性暴力の再発防止に向けて「二度と被害者を出さないよう、軍の規律も厳しく求める。この事件を一個人の責任にしない、米軍そのものの構造的な責任を求めていく」とし、記者団の構造的な責任についての質問に対して「沖縄差別構造そのものが事件を生むならば、その構造体はもはや地域と相いれないという、我々の強い反対の意思を伝えなくてはならない。米軍そのものは正常に機能し、あくまでも個人の意識の問題という、責任の所在がまるで組織とは関係ないような話が出ること自体がゆゆしき問題だ。何のために米軍は組織として沖縄にいるのか」と批判しました。

集会は主催者挨拶〜知事あいさつ〜国連女性差別撤廃委員会報告〜有識者(小禄9条の会)、そして、若者代表の発言を受けて、沖縄高校生平和ゼミナールのメッセージが読み上げられました。そして、神谷めぐ高校生共同代表(アクション沖縄)から大会決議が提起されました(別掲)。そして、発言者全員が壇上に並び参加者一同が手をつなぎケ・サラを歌いました。次に「私たちの誓い」を群読し、終わりの言葉で終了しました。
大ホール1500席は満杯になり会場に入れない参加者は入口付近のロビーに設けられたモニターに見入り、更に溢れ沖縄市民会館の外で音声モニターに流れる会場からの発言に聞き入っていました。参加者は黄色のシンボルカラーを身につけミモザの造花などを身につけていました。参加者は家族連れも多く平和ゼミナールの高校生たちや老若男女が2500人集まりました。今回の参加形態は遠方で沖縄市民会館までこられない人のために、サテライト会場を設け、ヤンバル名護市は88人、石垣は50人、宮古市は40人の市民がサテライト会場に集まり本会場と結び一体感のある県民大会になりました。
市民会館周辺では、右翼の街宣車が進軍ラッパの音量を上げ口汚く参加者に罵声を浴びせていましたが、主催者の交通誘導係は毅然とした態度で右翼の妨害を跳ね除けました。

23年12月、少女誘拐暴行事件

会場あふれロビーも一杯(12月22日 沖縄市)

2023年12月24日、16才未満の(女子中学生)が一人で公園のベンチに座っていたところ、嘉手納基地所属のブレノン・ワシントン(25才)は「寒くないか」と近寄り「外は寒いから車の中で話そう」と誘導し、少女はワシントン被告の自宅に連れていかれレイプされました。
前日、ワシントン被告は妻と口論になり当日は気晴らしのため車で出かけ犯行前に缶チューハイを3本飲んでいました。
少女は家に帰り、米兵にレイプされた事を泣きながら母親に訴えました。この性暴力に怒った母親は警察に通報し、少女誘拐暴行事件が県警に知られることになりました。
しかし、なんと警察は犯人も特定され所在もはっきりしているにも拘らず米兵(性的暴力犯)を逮捕もせずにいました。そしてこのような卑劣な犯人を野放しにしていたのです。
通常の日本人犯罪者では考えられないことです。これこそが日本の法律が適用されない「日米地位協定」の実態なのです。因みに、第2次世界大戦の敗戦国であるイタリア、ドイツなどは自国の国内法で米兵犯罪を裁いていますが、同じ敗戦国の日本は自国の国内法を適用せず、米軍にとっては「治外法権」になっています。これが独立国・主権国家と言えるでしょうか。
沖縄県警、首相官邸は6カ月間もこの卑劣な事件を隠ぺいして来ました。なぜ岸田自公政権は、6カ月間も少女誘拐暴行事件を隠ぺいし続けたのでしょうか。
少女暴行事件前後の沖縄、辺野古をめぐる政治状況はいかようなものだったか俯瞰して見ると。
23年12月20日 辺野古埋め立て工事設計変更、県に代わり国の代執行訴訟で県が敗訴。
24日 ブレノン・ワシントンが少女誘拐暴行事件。県警は身柄を拘束せず。
25日 玉城デニー知事、工事設計変更不承認
28日 国土交通相が辺野古埋め立て代執行を宣言
24年1月10日 代執行により大浦湾埋め立て工事強行
3月27日 沖縄地検がわいせつ目的誘拐と不同意性交罪でワシントンを起訴
4月9〜11日 岸田首相が国賓待遇で訪米。バイデンと会談し日米同盟強化で合意 (岸田首相は少女暴行事件を知っていたにも拘らず言及なし、日米同盟の最大のグレードアップ)
5月17日 エマニュエル駐日大使が「台湾有事」に備え与那国、石垣自衛隊基地視察。
26日 キャンプ・シュワブ所属ジャメル・クレイトン(21)性暴力事件
6月、日付の公表なし。キャンプ・ハンセン所属名前不祥。海兵隊員(20代)暴行致傷容疑で身柄の引き渡しを求めず、米兵を那覇地裁に書類送検。
6月7日 沖縄県議会選挙、告示。
16日 投票結果。自公28議席、オール沖縄20議席
17日 県議選投票日の翌日にジャメル・クレイトン起訴
21日 キャンプ・ハンセン所属マイケル・ホフマスター(20)暴行傷害
23日 「沖縄慰霊の日」岸田首相、上川外相等出席。(米兵の暴行事件を認知していたが全戦没者追悼式典の挨拶では暴行事件について言及なし)
25日 沖縄慰霊の日終了後に少女暴行事件が初めてマスコミ報道される。

米兵による1995年の少女暴行事件や2016年島袋里奈さん(20)強姦殺人死体遺棄事件等が発生した時に沖縄人の日米両政府に対して怒りのマグマが大爆発して「日米安保」体制の屋台骨が揺らぎ、沖縄の米軍基地運用は大きな打撃を受けました。岸田は、その再現を恐れるが故に米軍による性暴力事件を隠ぺいしたのです。
しかし公表された以外に米兵による性暴力事件は4件ありましたが、岸田自公政権は政治問題化しないように報道管制を敷き、マスコミに公表させませんでした。(2023年12月24日から2024年6月28日まで報道管制を敷き、政治日程終了後に報道)
警察、政府はこの卑劣な米兵による少女誘拐暴行事件を玉城デニー知事には知らせず、「慰霊の日」終了後の6月25日の新聞報道により県民、及び玉城知事は初めて知ることになりました。

女性差別を糾弾する横断幕(12月22日 沖縄市)

6・23「沖縄慰霊の日」戦没者追悼式典での岸田首相発言(抄)
[注](岸田は少女誘拐暴行事件を知っていた)

先の大戦で沖縄は凄惨な地上戦の場になった。民間人を含め20万人もの尊い命が失われ、この地の誇る美しい海や森、豊かな文化は破壊された。不発弾処理やご遺骨の収集は、今もなお続いている。対馬丸のような耐え難い出来事もあった。沖縄戦の悲惨な実相と平和の尊さを次世代に継承していく事は我々に課せられた責務だ。
私たちが享受している平和と繁栄は、命を落とされた方々の尊い犠牲と沖縄の方々の筆舌に尽くし難い苦難の歴史の上にあることを、改めて深く胸に刻みながら、静かに頭をたれたい。沖縄の経済は着実に成長し、県民生活も向上した。国家戦略として沖縄の振興を総合的に進める。
今なお沖縄の皆様には、米軍基地の集中等による大きな負担を背負っていただいている。政府として重く受け止め負担軽減を全力で進める。
この発言に会場から「嘘つき帰れ」と声が上がり会場は騒然となりました。会場は過剰警備で機械探知器で身体検査を受けなければ入れないという弾圧体制を敷いていました。

,h3>少女誘拐不同意性交罪裁判経過

2023年12月24日暴行事件を起こしたワシントンに対して沖縄県警、地検は犯人の身柄を逮捕、拘束せず保釈していました。ワシントンは自由な日常生活を「日米地位協定」により保障されていました。もし少女暴行犯が日本人でしたら沖縄警察、地検は逮捕し身柄を警察か拘置所に収容し取り調べをしていたはずです。しかし、米兵の事件発覚後、2024年3月に起訴をしましたが、信じられないことにマスコミ報道がされたのが事件発生から半年後の6月25日です。

無罪を主張するワシントン

2024年7月12日、第1回公判で16才未満(中学生)の少女わいせつ誘拐不同意性交罪で起訴されたブレノン・ワシントン(25才)被告は罪状認否で「私は無実だ、誘拐も性的暴行もしていない。少女は18才と言い、同意の上で性交をした」と起訴事実を全面的に否定し無罪を主張しました。その証言に傍聴席は一瞬どよめきが起きました。
那覇地裁佐藤哲郎裁判長は終了後傍聴者の退席を許さず着席をさせワシントン被告が退席してから5分後に退席を許可しました。被告の「プライバシーを守るために何故ここまで米兵を庇う必要があるのだろうか。地裁はワシントン被告が起訴されてからも身柄を拘束することなく保釈され「日米地位協定」に守られ自由の身で市民生活を送っています。
8月23日、第2回公判は被害者と被害者の母親が証言しました。沖縄マスコミは母親の証言を報道しませんでした。裁判での被害者の少女は被告弁護士、検察によって5時間に及ぶ尋問を強いられました。裁判官の少女に対する人権の配慮が欠けていると専門家は指摘しました。
佐藤裁判長は被害者が出廷しなくても済む「ビデオリンク方式」をせず、少女を付き添いも無く1人で法廷に長時間も立たせたのです。被害者の証言席は遮蔽板で囲まれているとはいえ、被告から2〜3m離れてもいず、被害者はかなり精神的圧迫を強いられたはずです。
驚くことに、少女の証言は休憩を入れて全体で7時間半、5時間も続けられたのです。ワシントンは「誘拐・性的暴行をしていない。18才と言った、行為の都度に事前に確認をとった」と同意の上での性交だと無罪を主張したことで、逆に被害者がワシントンの性暴力の犯罪を立証しなければならないことになりました。これが被告弁護団の卑劣な公判の戦術です。この卑劣な高等戦術でその後の犯罪米兵は平然と「同意があった」と主張するようになりました。
しかし、私の記憶では今までレイプ事件を犯した米兵が「同意の上での性行為だ」と無罪を主張した事件は今回が初めてです。 2023年は刑法改正で強制性交罪から不同意性交罪により、ワシントンは巧みに「同意があった。18才だと思った」と主張することにより犯罪から「合法的」に逃れる事をしたのです。
ワシントン被告は少女の証言は「作り話だ」「でっち上げ」「彼女は事実を隠すために嘘をついている」と全て虚偽だと言い、あたかも自分が被害を受けているような本末転倒した言動をはいています。被害者が加害者になり加害者が被害者になるという真逆な証言を続けました。
そして、臆面もなく被害者が「ノ―、ストップ」と声を上げ拒絶した事を、ワシントン被告は「あまり抵抗しなかったので合意だと思った」と証言し、被告弁護人は「どの程度の抵抗をしたのか、本当に18才と言わなかったのか」と繰り返し、被害者に対して追及し、長時間にわたり尋問をしたのです。
疑問に思うのは、裁判官の訴訟指揮と検事側の姿勢です。被疑者=被告の尋問時間は4時間もありませんが本来ならば被告の虚偽の証言を暴く為に時間を費やすべきではないでしょうか。
単純に考えて女子中学生が初対面の屈強な米兵に声をかけられ自主的にワシントンの自宅に行きワシントンを誘惑して性行為をするでしょうか。
また、裁判官、弁護士、検事はその事に気が付かないのでしょうか。改めて想像してみてください。女子中学生が見も知らずの25才の屈強な殺人を職業とする米兵を逆ナンパして積極的に性行為を誘うでしょうか。自分の娘や親戚縁者の中学生や高校生がそのような事をするとでも思っているのでしょうか。何か、検事、弁護士、裁判官は人権感覚もない偏見があるのでは。
再度確認します。なぜ、女子中学生がワシントンにレイプされたと嘘までついて警察に被害届を出し訴える必要があるのでしょうか。それが少女にとって何の利益になるのか、ならないのかを判断できないほどの弁護士、検事、判事ではないはずです。ましてや被害者への尋問が5時間もかかるとは被害者を二次レイプしているのと同じではないでしょうか。それほど米軍、米兵を庇う必要はないと思うのは私だけでしょか。
※不同意性交罪は16才未満であれば同意の有無に関係なく処罰の対象となった。ただ加害者が相手を16才未満と知らなかったとすれば、罪に問うには被害者に同意がなく、同意がないことを加害者も認識していたかを立証する必要があるとされる。
10月25日論告求刑公判での意見陳述ではワシントン被告は「誘拐も性的暴行もしていない。裁判で全てのものが奪われた、保釈金を含めた多額のお金、多くの時間を費やした。自分の人生を取り戻したい」と証言しました。そして、最悪なことは被害者に嘘つきのレッテルを張り続け、自己の犯したレイプを正当化したことです。被告には被害者に対してレイプした事の反省も謝罪などひとかけらもなく、自分中心の沖縄の心を踏みにじり人権を無視している軍事占領支配者そのものです。余談になりますが、1995年3人の米兵が12才の女子小学生を集団レイプ事件に対して、リチャード・マッキー四軍司令官(陸海空海兵隊)は「彼等は馬鹿(ママ)だ、レンタカーを借りるお金があれば女を買えばよかった」といいました。更に、レイプ事件を犯した米兵は「アンラッキー、なぜ俺たちは捕まるのか。沖縄ではレイプしても訴えられることは無いと聞いている。話が違う」と抗議する有様でした。
12月13日、那覇地裁は検察の懲役7年の求刑を退けこれら「不同意性交罪」の事件としては下限となる最も低い懲役5年の判決を下しました。その判決理由として被告に前科がないことや同種事案の量刑を参考にした。裁判を傍聴した人々は「軽い」と不満があり、更なる性犯罪の厳罰化を求める声もあった。ワシントン被告は少女に対して反省も謝罪もしていません。彼は即日控訴しました。控訴審は福岡高裁那覇支部で開かれる。(つづく)

4面

2025年『未来』新年アピール(中)

X 没落帝国主義の『失われた30年』

@没落帝国主義=「失われた30年」

私たちを取り巻く情勢の最大の特徴は、日本帝国主義の没落が1990年頃を契機に、毎年激しく進んでいることである。85年プラザ合意以降、国際争闘戦で敗北し、10年ごとに「失われた10年」を続け、「30年」となっても止むことはない。
この中で戦後復興期や戦後高度成長期を支えてきた基幹産業の造船・石炭(各地の炭鉱)・繊維(鐘紡・日紡など)は産業として全面的に衰退。高度成長期の花形だった電機産業が東芝の没落、シャープが台湾資本下に入り(松下=パナソニックはシンガポール本社のグローバル資本として延命)、半導体部門でも韓国・台湾にシェアを奪われていく。鉄鋼は統合を繰り返し、電機(日立・三菱など)、化学・薬品(武田薬品は外資系に)も次々と国際競争力を失っていく。
この危機に対し資本家たちは「新時代の日本型経営」を標榜するが、総額賃金の抑制ばかりで、労働者の購買力は向上せず、デフレスパイラルと賃金下落は100万円以上となる始末だ。肥大化したのはパソナなどの政商が担う人材派遣業と中小商店街・商店主を駆逐して再編されるイオン・コンビニなどであった。
政治的にも対米従属は60年代〜70年代の競争・競合時代(日米繊維戦争、自動車戦争)は昔日の面影もなく、米兵器の爆買いなどで没落米帝を懸命に支える始末だ。中国やインド・ブラジルなどBRICSの台頭は激しく、先進国などと言いながらG7はもはや没落帝国主義そのものに他ならない。2000年代に入るもこの傾向はやまず、自動車産業のみは徹底した合理化(トヨタかんばん方式)・対米輸出でBIG3(GM、フォード、クライスラー)を駆逐し世界的競争力を持ったが、それも中国・ドイツなどに追い上げられ、電気自動車・自動運転の台頭の前に、淘汰寸前の弱者連合=日産・ホンダが合併せざるをえなくなっている。

A没落から再び「富国強兵」を歩むのか

こうして日本帝国主義の産業構造の変化・衰退は世界第2位であったGDPが中国・ドイツに抜かれ、間もなくインドに抜かれる。1人当たりのGDPも韓国・台湾に抜かれ、世界30位前後を低迷する。経済全体を牽引する基幹産業はすでになく、基幹産業から選ばれることが不文律だった「財界総理」=経団連会長もめまぐるしく変わり、遂には赤字続きの化学会社会長から生命保険会社会長に移る始末だ。
好調なのは「物つくり」ではなく、食品・飲料・流通、不動産、観光、人材派遣業(「虚業」)ばかりだ。そのため新規大卒にとって生涯にわたり身を託せる会社などなく、最大人気は外資系とベンチャー企業だ。国家公務員上級職の人気も下落一方で、かつての花形・銀行などにはヤクザなみの不正がはびこる。しかもこれらの産業分野では国際競争・世界標準遵守という点で、日本保守派が決して受け入れない選択的夫婦別姓に賛成せざるをえず、日本の資本家にとっての未来は暗黒だ。彼らはただただ儲けを内部にため込むことしか知らない。そんな資本家とその利害を守る政治委員会(自公政権)が社会を運営できるわけがない。
この全面的な危機を突破せんとするのが22年末に閣議決定された安保三文書と、5年間43兆円の軍事予算だ。かつてはゼロ戦などを生産した三菱重工は、造船(軍艦・潜水艦)、12式ミサイル、日英伊共同開発航空機などでこの予算に群がり会社再建を図ろうとしている。岸田政権以来の原発回帰は落日久しい東芝・日立・三菱のカンフル剤となろうとしている。こうして明治期以来の富国強兵路線以外日本帝国主義の再生はない道に回帰している。対米反撃の日本製鉄のUSスチール買収はその象徴であろうか。

B全社会分野における生活破壊

こうした資本主義・帝国主義の搾取と収奪と矛盾の人民への転化は「賃労働と資本」の関係にとどまらない。政治家世界では世襲が日常化しているが、これは全社会に及び「親ガチャ」と言われている。すなわち親の経済収入により子どもへの投資額が決まり、偏差値・難関大学・大企業・高収入が次世代に伝えられていく。
明治以来「教育は国家百年の計」と言われてきたが、没落資本にとって教育は収奪対象でしかない。国大法改悪の過程では「儲ける大学」が、世界に「卓越(する)大学」として変貌・君臨しようとしている。「教育改革」の最先端を行く東北大が卓越大学となり莫大な予算を獲得する。学長の任期を実質無制限とした「改革派」・筑波大には特別枠で次々期天皇が進学する。 社会全体が「親ガチャ」「封建制」に戻ろうとしているとき、教育に情熱を捧げる青年は激減し、教職志願者は採用試験に合格しても3割しか教員にならない。そこまで教育労働は過労・ダーティなのだ。かくて教育水準は劣化一途で、資本の国際競争力低下に悪循環する。「今だけ、金だけ、自分だけ」の支配者は気づくこともしない。マルクスを嘲笑する資本家は多いが200年前の資本家を「わが亡き後に洪水は来たれ」と喝破したマルクスの方が、はるかに現代を見る目を持っているのではないか。

Y 政治・社会・司法における反動化を阻止する人民の闘い

反戦・反基地・沖縄闘争については既述した。改憲阻止闘争・緊急事態条項阻止闘争は、韓国尹大統領の「非常戒厳」宣言とクーデタ未遂で、資本家とその政治委員会に改憲と緊急事態条項を持たせると、ああなることは明白、を指摘しておきたい。反原発闘争は既述した。

@司法反動との闘いと関生弾圧粉砕闘争

2024年、この国の支配階級の最大の敗北は「袴田事件」再審無罪確定と、連続する司法権力の敗北である。「袴田事件」は、「世界最長期の死刑囚」の袴田巌さんに9月26日無罪判決が出た。検察・警察は検事総長を除いてその誤りを認め謝罪したが、検察・警察が犯罪を捏造するという事実も刻印された。
警視庁公安部が捏造した大川原化工機事件も同様だ。また障害者に対する強制不妊という国家犯罪も、障害者の長きにわたる苦闘は権力の延命を許さず、7月3日最高裁判所の決定が下された。差別・偏見に基づく冤罪は、刑事・公安以外でも頻発し、検察・警察自身の犯罪はやまない。しかしえん罪刑の頂点にあった袴田巌さん無罪は司法権力の全面敗北を意味し、この2年「死刑執行大国・日本」で死刑は執行されていない。
それでも狭山差別裁判では第3次再審請求は放置され、国策捜査としての労働運動つぶしである関生弾圧は続いている。

昨年11月12日京都で、金平茂紀(ジャーナリスト)、山田省三(中央大学名誉教授)、海渡雄一(弁護士)の3人が登壇。竹信三恵子さん(ジャーナリスト)の進行で「関西生コン事件」の問題点とその背景にある民主主義の危機を論じた。
まず憲法28条がある日本でなぜこんな異様な事件が起こるのか、京都事件の刑事裁判で鑑定意見書を執筆した山田省三さんが発言。「国家が労使関係に介入しないとするのが憲法28条。だが裁判官は秩序と協調を好み、労使関係のダイナミクスを理解するのが苦手。企業別組合を前提に考えるから、刑法ではだれが何をしたかが問題なのに、関生支部がやったから犯罪とする判決を書いている。関生事件の帰趨が日本の労働基本権保障の試金石となる」と指摘した。
金平茂紀さんは、「現在のメディアは、団結して企業と対抗するのが労働組合だということを理解していない。西武百貨店のストのとき、お客様に迷惑をかけると口にする経済部記者がいた。ジャーナリストの育てられ方はサツ回りから始まるので、強い権威・権力にすり寄っていく。被疑者が逮捕されると『お疲れさま』などと権力に声をかけるコバンザメ記者が出てくる」と説明した。海渡雄一さんは、大阪ストライキ事件の公判後の記者会見で、労働運動の問題として「事件の背景」を理解してほしいと説いたら、NHKの記者から「(関生を非難する)Youtubeの動画を観たのか」と食ってかかられた。その後「日本の労働運動が1975年スト権ストの敗北後に劣化の一途を辿ったことが関生事件の背景にある。1974年はストライキは1万件だったが、昨年は100件以下。労働運動全体の活性化が必要」と強調した。
その上で見えてきた潮目の変化を3人が論じた。山田さんは中労委の変質について厳しく批判した。海渡さんも、担当する中労委事件では「逆立ちしても理解できないおかしな命令が出されつづけている」とした。しかしプレサンス事件で最高裁第二小法廷が取り調べ録画の全面開示を命ずる決定を出したことや、袴田事件の無罪判決確定、朝ドラ「虎の翼」などの流れが影響しているとした。米大統領選挙取材帰りの金平さんは、勝利を手にしたトランプ自身が起訴された刑事裁判について自ら大統領として恩赦。恩赦司法がいかに政治によってダメになるかと指摘した。他方で、「世界は政治の力が弱くなった。今は押し返すときだ」と強調した。
竹信さんは「潮目が変わってきた、押し返すチャンスでは何ができるのか」問いかけた。山田さんは、「事実を知らせることが大事だ。知れば変わっていく。運動の視える化と市民運動(消費者、教育、福祉など)との連携が必要だ」と提起。金平さんは「声を上げつづけ、意識的に海外とつながる。個人の連携も大事。袴田再審無罪運動は、市民・お姉さん・日弁連・ボクシング協会の活動に学ぶところが多かった。真実は人を惹きつける」と強調した。海渡さんは、「2月26日は京都事件判決。裁判所で勝つときは前兆がある。お茶の間の人たちが、ひどい裁判は独裁政権という認識が広がった時くつがえる」とよびかけた。
この論議の中に労働運動の戦闘的再生も、社会運動・政治運動再生のカギがあると確信する。この闘いの勝利を切り開こう。(つづく)

5面

石破政権の大軍拡路線
ー石破の突出性、対米対抗性ー
落合薫

2024年9月25日付で石破茂は米ハドソン研究所のサイトに寄稿している。ハドソン研究所は米共和党系の保守的シンクタンクで、中国批判の報告書を頻繁に出すことで知られる。9月25日は、自民党総裁選で石破が選出される2日前である。そのため、同サイトは、石破の議員としての個人的見解で、次期首相としての見解を反映したものではないと断っている。原文は日本語で、同サイトの英文は仮訳。何重にも断りを入れているのは、内容が激しく軍事的に突出しているうえに、米政権の軍事外交を挑発的に批判しているからだ。

「アジア版NATOの創設」

冒頭の章題がこれである。その理由付けとしてウクライナ戦争で、ウクライナはNATOに加盟していないから、米国は「防衛義務を負わない」、「だからアメリカは軍事力行使はしない」というバイデン発言を取り上げる。
批判のポイントは、第1にNATO加盟国でなくても国連憲章51条で安保理の決定がなされるまでの間、集団自衛権を行使することができるという点にある。
第2に、日本は2014年に憲法解釈の変更をおこない、集団的自衛権の行使を認める閣議決定をしているから、「親密な他国」が攻撃を受けた場合に、「反撃可能になっ」ているという点を挙げる。その「反撃」をより確実にするために、日米同盟を中核として、米国だけでなく、すでに「準同盟国」としてある、カナダ・オーストラリア・フィリピン・インド・フランス・イギリスに、「安全保障協力を深化」させている韓国を加えて、アジア版NATOを創設するとする。ウクライナ戦争を例に、米帝に対する不信・疑問を振りまいて、日本を主導軸とする「アジア版NATOの創設」を持ち出しているのである。

「国家安全保障基本法の制定」

第2章の章題である。石破は日ごろ、閣議決定や個別法で軍拡がおこなわれてきたことに不満を募らせてきた。その帰結が国家安全基本法の制定である。その延長に、9条2項を廃棄して、代わりに「自衛軍の保持」を明記する「改憲」である。いな石破流に言うならば、「憲法改正」ではなく、戦後憲法を全否定する「新憲法の制定」となる。

「米英同盟なみに日米同盟を強化する」

最後の章では、日米同盟の強化を名目に、日米の軍事同盟を「対等なものにする」ことを強調している。「対等」という言葉をこの章で3回も使って、その具体的措置としてつぎの3点を提起している。?地位協定の改定、自衛隊のグアム駐留、?在日米軍基地の共同管理の幅を広げる。
ここで言われている地位協定の改定とは、米軍基地に伴なう事故や災害、女性暴行などを発生させないようにするための「改定」ではない。自衛隊がグアムに基地を設け駐留することによって、在日米軍基地と同じ「法的」特権を設け、グアムの先住民族であるチャモロ人に対する差別的対応を可能にするためである。「対等」とはそういう意味である。

石破大軍拡の思想的原点

今日の大軍拡の原点というべき思想を石破は2014年に出版した『日本人のための「集団的自衛権」入門』という著書で打ち出している。ほとんど注目されることはなかったこの著書は要約、次のような内容を持つ。
(1)戦争をしないために抑止力、軍隊を持つべきである。
(2)他国の戦争を止めるために、武器輸出と武器の共同開発が必要である。
(3)戦力不保持、交戦権の否定を規定している憲法9条2項は廃止すべし。
(4)受け身ではなく「アメリカを戦争に巻き込む積極的な」発想が必要。
プーチン・ロシアのウクライナ侵略、イスラエルのガザ虐殺に見られるように、侵略戦争はつねに「自衛」の名によっておこなわれる。(2)と(3)は自民党の中でも突出している。9条改憲を真っ向から言い続ける石破は改憲発議の定数を3分の2から過半数に引き下げるといった安倍の改憲方針を、「姑息」「一時しのぎ」と批判し続けてきた。(4)は、石破の独特なところで、対米対抗性を米国への不信・疑問の形で露骨に表明している。(2)は今日、石破の想いのままの事態になっている。他国と軍事的に「一蓮托生」の関係を築くことによって、いざというとき、武器輸出・武器使用を止め、戦争をさせないことができるというアクロバット的論法である

大軍拡をもたらす石破政権の布陣

つぎの3点に石破政権の特異性がある。
第1に、4人の防衛大臣経験者を党と内閣の枢要な地位に配置したことである。そのうち石破自身と中谷元防衛大臣は、防衛庁長官も経験している。
第2に、首相秘書官の筆頭に旧知の防衛官僚をつけたことである。槌道明宏は、石破の防衛大臣時代に秘書官を務め、防衛省時代、情報分析官を経験している。防衛省出身者が筆頭秘書官になるのは異例中の異例である。
第3に、現防衛大臣・中谷元と現統合幕僚長・吉田圭秀は、05年の自民党新憲法第1次草案の起草に係っていたとして調査を受けたことがある。現職の防衛大臣と同じく現職の自衛隊最高幹部が一政党の改憲案の起草に係っていたのは大問題である。政権の中枢中の中枢を9条2項廃棄、「内閣総理大臣を最高指揮権者とする自衛軍」の設置という石破思想でゴリゴリに固めたのが石破政権である。

日本核武装論が石破の持論

2018年7月に、石破は『平和と核軍縮』誌の編集長・吉田文彦のインタビューに答えて次のような核武装論を展開している。
前提として、核兵器を保有する敵には核武装で対抗するしかないという「核抑止」論の立場から、核兵器は「現時点では必要」とする。しかし日本は核兵器を保有することができず、核攻撃に対してミサイル防御が万全でないことに踏まえると、「米国の核の拡大抑止の実効性にかかっている」。その実効性の指標として石破が挙げるのが、米本土や米軍基地が(日本を核攻撃する敵国の)攻撃対象になっても、米国は日本のために核兵器を使用するであろうかという点である。逆に、中国やロシアの(核)ミサイルが米国に向けて撃たれた時に日本は(米国のために)迎撃できるとしている。
ここでも米国に対する不信と疑問を契機として、日本の独自的核武装論に誘導しようとする石破の意図がのぞいている。前記ハドソン研究所への寄稿文でも石破は、独自的核武装論を導く契機として、米国の核に依存することの不確実性を縷々あげつらう。「拡大抑止論」や「核シェア論」もそのための論建てのために使われているに過ぎない。石破の本音が日本の独自的核武装にあることは明白である。挑発的な対米対抗もその手段とする石破の大軍拡、核武装論の犯罪性、破綻性を突きまくり、日帝の対中国戦争挑発、軍事的包囲を打ち破ろう。

書評
     山崎弘著『底が抜けた国』

正月に山崎雅弘の『底が抜けた国』(朝日新書)を読んだ。自浄作用が働かず「底が抜けた国」になっている現在日本の病理を、各種データを駆使して徹底的に検証している。
第一章では、平和国家の底が抜け、戦争を引き寄せる自民党政府、として軍事面から論じている。山崎さんは、2022年12月16日の「安保3文書閣議決定」がターニングポイントと言う。この日、岸田政権は戦後の日本が遵守してきた「専守防衛」を放棄することを閣議決定した。さらに国家安全保障戦略、国家防衛戦略、防衛力整備計画、の3つの文書内容を改定した。この防衛三文書の改定から防衛費GDPの2%へ増額、5年間43兆円と反撃能力保持、兵器輸出政策などが公然と語られるようになった。
第二章では、倫理の底が抜け、悪人が処罰されなくなった日本社会を論じている。戦後政治史で空前の自民党「大量裏金事件」、なぜかほぼ不起訴の検察庁、追徴課税しない国税庁、などいくらでも出て来る。また、安倍元首相銃撃事件で明白になった旧統一教会問題は解決せず、事件後も自民党議員の多くが統一教会との縁を断ち切ろうとしない。こうした状況を許しているのは中立的立場に逃げて権力を批判しないメディアの姿勢に問題がある(兵庫県知事選でもそうだった)。
第三章では、公正の底が抜けても、不条理に従い続ける日本国民について述べる。そして自民党政権が進める軍備増強は本当に「国民を守るためなのか」とし、能登被災地への冷淡な対応や、大阪万博に対する莫大な支出を挙げている。また、最近の物価高による国民生活の圧迫と、増え続ける大企業の利益という対照的な状況は、自民党政府が誰のための政治をしているかを如実に物語っている。そしてこのような状況を許している日本国民について何点か指摘する。大企業の労働分配率が過去最低でもストが起きない事や、日本人の「あきらめと服従への誘惑」を指摘している。2012年12月第二次安倍政権以降、日本国民の自己意識は公民から臣民へと回帰してきた。要するに戦前のように、お国や社会のために我慢することが美徳だと言う風潮が強くなった。
最後に、山崎さんがこの本を書いた理由は、同時代を生きる読者に対して、現在の日本社会に存在する深刻な問題を浮かび上がらせ、構造を読み解きその改善策を考える材料を提供すること。もう一つは後世の日本人が現在2020年代の日本社会を、「国が大きく道を踏み外した時代」として振り返った時に、具体的に何が起きていたのかを知る歴史的な記録を残すことと書いている。軍事面のことを社会の多方面から分析するこの本を勧めたい。(大北健三)

6面

 検証
反核運動の意義と反原発闘争
核兵器も原発もない社会を
津田保夫

現在世界は危機的状況になっている。核戦争がいつおきても不思議ではない。ロシアのプーチンは核兵器使用をにおわせ、核の恫喝をくりかえしている。昨年11月、プーチンは核兵器使用の基準を緩和する大統領令に署名した。また、イスラエルのネタニヤフ政権の閣僚は、一昨年の11月に「ガザへの核兵器使用は一つの選択肢」と述べている。
広島・長崎の被爆者は「核兵器も戦争もない世界」の実現に向けて闘ってきた。核の平和利用はありえない。この危機の時代のなかで、われわれは核兵器も原発もない、新しい世界をつくりだそう。

T 日本被団協の闘いと核兵器禁止条約

今年は、被爆80周年の節目であり、また第1回原水禁大会から70年をむかえる。昨年12月、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)にノーベル平和賞が授与された。核兵器に反対する運動団体では、核戦争防止国際医師会議(85年)、パグウォッシュ会議(95年)、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN、17年)などが授与されている。広島と長崎の被爆者は「核と人類は共存できない」ことを世界に訴えてきた。
日本被団協の運動については、田中煕巳さんの演説(24年12月10日、ノーベル平和賞授賞式)で鮮明に語られている。一つは日本政府の「受忍論」に抗して原爆被害者援護法を制定する闘いであり、二つ目は核を世界からなくす運動だ。
日本政府は戦争の責任を取らないで、民衆に戦争責任をおしつけている。1980年12月、原爆被爆者対策基本問題懇談会(基本懇)の答申が出た。この答申のなかで「戦争という国の存亡をかけた非常事態のもとでは、生命、身体、財産などの被害を余儀なくされたとしても、それは全ての国民が等しく受忍(我慢)すべき犠牲なのであって、国は被害を補償する法的義務を負わない」(受忍論)と述べている。これが日本政府の立場なのだ。被団協は「おそるべき戦争肯定の論理」だと主張し、政府に抗議した。これ以降も、政府は国家賠償を拒否。
核兵器禁止条約はヒバクシャ運動が勝ち取ってきた成果でもある。核の使用だけではなく、開発、保有、使用の威嚇といった「核のタブー」がすべて禁止されている。条文のなかに「ヒバクシャ(hibakusya)と核実験によって影響を受けた人々にもたらされた受け入れ難い苦しみと危害に留意する」と述べられている。いっぽう、核拡散防止条約は、核保有国(アメリカ、イギリス、フランス、ソ連、中国)の核保有のみを認め、5大国で核を独占する目的でつくられている。
日本政府は核拡散防止条約には積極的だが、核兵器禁止条約には反対している。日本政府は「唯一の被爆国」と言いながら、核兵器保有には反対していない。これにたいして、日本被団協は日本政府と闘ってきた。
2021年1月に核禁止条約は発効した。署名国は94カ国・地域、批准国は73カ国・地域(24年9月現在)になっている。今年3月に、第3回締約国会議がニューヨークで開催される。今まで日本政府は、オブザーバー参加すらもしていない。
2023年5月、岸田文雄政権(当時)は、「核兵器廃絶の理想を追求」と語り、広島サミットを開催した。日本政府が作成した「広島ビジョン」は次のように言っている。「我々の安全保障政策は、核兵器は、それが存在する限りにおいて、防衛目的のために役割を果たし、 侵略を抑止し、並びに戦争及び威圧を防止すべきとの理解に基づいている」。日本政府は「核抑止力」(核の恫喝による「平和」)を肯定している。日本政府は核抑止論に立っている。

U 反核運動の高揚

敗戦後、広島・長崎の被爆者は、がれきの中から立ちあがっていく。その経緯を簡単にみておこう。1951年に、同学会(京都大学の全学学生自治会)が京都の丸物百貨店(現在、近鉄百貨店)で「総合原爆展」を開催。52年8月、「原爆被害者の会」が広島でつくられた。
1954年3月1日、第5福竜丸の乗組員23人が被爆した(ビキニ事件)。この年3〜6月、アメリカはビキニ環礁で水爆実験(キャッスル作戦)をおこなっている。この「キャッスル作戦」で、第5福竜丸だけではなく、約1000隻のマグロ漁船が被爆した。日本政府はアメリカに法的責任を問うことなく、アメリカ政府が見舞金2百万ドルを支払うことでこれを決着させた(1955年1月)。
ビキニ事件がおきたことで、東京の杉並区で署名運動がはじまり、反核運動がまたたく間に全国にひろがっていった。この高揚のなかで、1955年に第1回原水禁世界大会が広島で開催。こうして、56年に第2回原水禁世界大会が長崎で開催され、日本被団協が結成された。
被爆者は原爆被害者だけではない。高知県をはじめとしてマグロ漁船乗組員が被爆しているが、その実態はほとんどわかっていない。アメリカは1946年から58年まで、ビキニ環礁で計676回の核実験をおこなった。イギリスはモンテベロ諸島などで、フランスはポリネシアなどで核実験をおこなっている。太平洋の環礁に住む住民がたくさん被爆している。しかし、残留放射線の問題など、内部被ばく問題は国際的に隠蔽されてきた。
1954年から日本国内で反核運動が高揚していった。この運動をつぶすために、原子力の平和利用、すなわち原子力発電が政府と電力会社の手によって推進された。これが福島第一原発事故につながっていく。

V 東電福島第一原発事故

現在、福島第一原発では廃炉作業がおこなわれている。最大の難関が燃料デブリの取り出しだ。遠隔操作によって、この作業をおこなう。不可能ならば、チェルノブイリ原発のように「石棺」にするしかない。
昨年11月、東京電力はデブリ(約0・7g)をはじめて取り出した。メディアはこれをおおきく取り扱っていた。東京電力の意図は「中長期ロードマップ」の新たな段階に入ったことをキャンペーンすることだった。今後の取り出し作業にとって、さほど意義があるとは思えない。
ALPS処理汚染水(核汚染水)は、太平洋に投棄され続けている。トリチウムのみが強調されているが、ヨウ素129(半減期1570万年)も含まれている。ヨウ素129はALPS処理汚染水に4パーセント程度残留している。このことに注視する必要がある。
中国は核汚染水の投棄に反対している。また、「ALPS処理汚染水海洋投棄差し止め訴訟」が、福島地裁で闘われている。
福島イノベーション・コースト構想は、最先端技術をうたい文句にしているが、軍事研究・軍事産業を育成するために推進されている。これはハンフォードをモデルにしており、「福島国際研究教育構想」(エフレイ)が、その司令塔になろうとしている。

W 原発避難者訴訟

昨年12月、原発賠償京都訴訟(55世帯166人)の控訴審判決が大阪高裁で示された。京都地裁判決では、国と東電の両方に賠償を求めた判決を出していた。大阪高裁判決は、国の責任を否定し、東電にたいしてのみ1億円余りの賠償を命じた。避難区域外避難者については、その認定損害額がきわめて低くおさえられている。
2022年6月に最高裁判決が示されてから、国の責任を認めない判決が続いている。原発避難者訴訟では、司法が反動化している。
森松明希子さん(原発賠償関西訴訟原告団代表)は、「被ばくを避ける権利(被ばくからの自由)」を訴えている。基本的人権は闘いによって勝ち取られる。運動の力で、闘い取らなくてはならない。
昨年11月、子ども脱被ばく裁判において、最高裁は上告を棄却した。この裁判では、「年間20ミリSv避難基準」の不当性について争われていたが、地裁、高裁、最高裁は住民の主張をいっさい認めなかった。
福島県民健康調査では、甲状腺がんの悪性と判断された患者が391人(このうち、がん登録で掌握された患者は47人)になった(11月15日時点)。しかし、福島県は「福島原発事故による被ばくによるものではない」と言っている。それならば、何が原因なのか、このことを示さなければならない。この患者のなかで7人が原告になって、「311こども甲状腺がん裁判」(2022年1月提訴)が東京地裁で闘われている。

X 原発と地震

能登半島地震から1年が経過した。昨年9月に豪雨による被災が重なり、能登の復興は進んでいない。能登半島地震では、いくつかの活断層が連動し、150qにおよぶ断層が動いた。震源地近くの海岸では、4〜5mも隆起している。
この震源地の近くに、珠洲原発建設計画(総計で1000万kWの原発を造る構想)があった。2003年、反対運動の力で計画を中止に追い込んだ。もし、珠洲原発が造られていたら、この地震で大事故をおこしていた。この事実は、しっかり教訓化されなければならない。
珠洲原発の代わりに、志賀原発がつくられた。志賀原発の敷地内にも、活断層が走っている。S−2断層とS−6断層が、1号炉と2号炉のタービン建屋の真下を通っている。これが活断層かどうか、現在も議論されている。
2024年11月、敦賀原発2号機は、原子力規制委員会の審査で不合格になった。浦底断層は活断層であり、そこから派生するK断層が2号機の真下を走っている。専門家は「K断層は活断層の可能性がある」と判断している。
このように、日本の原発はどこも断層地帯の中に造られている。能登半島地震のように、いくつかの断層が連動して動けば、巨大地震になる。地震列島日本に原発を造ってはならない。これが能登半島地震の教訓だ。

Y 老朽原発再稼働

昨年10月、女川原発2号機(東北電力)が再稼働した。この原発は沸騰水型(BWR)であり、福島第一原発と同じ型式だ。女川原発は宮城県牡鹿半島にあり、地震が多発している。東日本大震災では、かろうじて津波被害をふせぐことができたが、「事故がおきてから」では遅い。
12月には、同じ沸騰水型の島根原発2号機(中国電力)が再稼働した。この原発は県庁所在地に造られており、30q圏に約40万人が暮らしている。「2号機は基準地震動が低すぎる」などとして、住民は仮処分を申し立てたが、24年5月に退けられていた。
今年、東京電力は柏崎刈羽原発6・7号機を再稼働させようとしている。新潟県中越地震(2004年)で、この原発は事故をおこしている。国は柏崎刈羽原発を再稼働させたい。これによって、東京電力の経営状態を改善させ、東京電力に貸している金をはやく返済させたい。まず、福島第一原発事故をおこした東京電力に原発を動かす資格があるのか、このことが問われている。
新潟県の住民団体は住民投票をおこなって、県民に再稼働の是非を問う運動を展開している。運動の力で、政府と東京電力の思惑を粉砕しよう。
稼働している原発のうち、美浜原発3号機(48年)、高浜原発1号機(50年)、2号機(49年)、川内原発1号機(40年)は老朽原発だ。いつ、どんな事故がおきるかわからない。電力会社は企業利潤だけを追求し、原発の安全性は考えていない。原子力規制庁は住民の安全を忘れて、事業者の利益だけだ。

Z 第7次エネルギー基本計画

昨年12月、第7次エネルギー基本計画(案)が発表された。このエネルギー基本計画では「原発依存度を可能な限り低減する」との文言が消えている。原発は「必要な規模を持続的に活用していく」と言っている。さらに「次世代革新炉の開発・設置」「建て替え(リプレース)」を強調しており、原発を推進する姿勢が鮮明になっている。
2022年6月、岸田政権は「骨太方針」で、原発を「最大限活用する」と踏み込んだ。23年2月に閣議決定した「GX (グリーン・トランスフォーメーション)実現に向けた基本方針」でも、原発回帰を鮮明にしていた。
それでも、2040年度電源構成は20%程度で、今までと変わらない。原発をフル稼働させても、これ以上に増やすことはできないからだ。政府は、稼働できる原発は(事故が起こるまで)使い切るという方針なのだ。
石破茂政権になっても、原発推進政策は変わらない。政府は脱炭素電源に原発を入れている。これが最大のペテンなのだ。この点を批判していく必要がある。

[ 六ケ所再処理工場は破綻

日本原燃の六ケ所再処理工場は、ガラス固化技術に重大な問題をかかえている。昨年8月、日本原燃は核燃料再処理工場の完成を26年度まで延長した。六ケ所再処理工場は2006年にアクティブ試験を始めたが、08年にガラス固化工程で事故をおこしている。これ以降、アクティブ試験の終了が延長され続け、これで27回目になる。日本原燃は「耐震性などの課題が解決されていない」などの理由をあげているが、本当の理由をごまかしている。事故によって、ガラス固化装置が汚染されており、このままでは操業できなくなっている。
再処理工場はプルトニウムを取り出すためにある。再処理工場が動かなければ、「核燃料サイクル」は成り立たない。使用済み核燃料は直接処分をしたほうが安くつく。それでも日本政府は、「核燃料サイクル」の看板をおろさない。日本政府が再処理にこだわるのは、潜在的核武装を狙っているからだ。,br> 2022年12月、岸田政権は安保3文書を改定することによって、自衛隊は専守防衛から敵基地攻撃におおきく転換した。これと一体で「核燃料サイクル」を構想している。石破茂は核武装論者であり、日本の核保有を正当化しようとしている。このことをしっかり認識しよう。
20世紀に入り、人類は核エネルギーを取り出した。これがあらたに被ばく問題を生み出した。放射線は生物の細胞を破壊する。核の平和利用すなわち原子力発電は、反核運動をつぶすための手段として持ち出されてきた。エネルギー問題は、これを隠蔽するための口実にすぎない。
人類は核と共存できない。これを人民の共通認識にするために、2025年も核兵器と原発をなくす運動をすすめていこう。このなかで、人間が人間らしく生きることができる、新しい世の中を創り出そう。

7面

島根原発2号機再稼働反対集会(下)
連続的な抗議行動
12月21日 松江市


     


 

2号機廃炉へ

最後に「住民の犠牲すらいとわないような安全軽視の再稼働強行は、断じて許すわけにはいきません。災害対応すら困難が付きまとうことの不安を抱きながら、とりあえず動かすことに同意した行政に対しても、あまりにも無責任だと強く抗議したいと思います。」「中国電力には、住民に被曝を強い、暮らしを根こそぎ奪う権利などありません。私たちは島根原発2号機再稼働に断固として抗議し、島根原発2号機の廃炉を求めます。」と集会アピールを全員の拍手で確認した。
当初屋内集会終了後、市内デモや屋外でのスタンディングが予定されていたが、雨風が強いため、場所を会場内に変更し、シュプレヒコールの後、プラスターを掲げて「原発はいらない」の声を上げ、再稼働反対集会を終了した。

(注)「水位計異常」は深刻

12月12日、午前10時49分、中央制御室で警報が鳴り、2号機で原子炉内の水の量を示す水位計1本に異常があるとの警報が出た。重大事故発生時に使用する原子炉水位計が約1時間、監視不能な状態になったと中電は発表した。
島根原発の運用ルールを定めた保安規定では、重大事故発生時に使用する主要数値が監視可能な状態であることを求めているが、中電は原子炉を止めるなどの対応はとらなかった。そのうえで担当者が「監視不能な状態」だと誤って判断していたものと発表した。
ところが「水位計」は通常運転時にも作動し、その場合は「上限を超える値を示すことがある」という特性があるというのだ。原子炉内の水をかき混ぜる再循環ポンプの近くにこの水位計があるため、出力を上げるためポンプを作動させると警報が鳴ることがあり得る仕様だった。構造的欠陥だが、中電は設備担当者から運転担当者に十分伝えられず、運転員の誤った判断につながったと運転員に責任を押しつけている。しかし当時制御室にいた複数の係員の誰も判断の誤りだとは考えなかったのだ。(おわり)

原発賠償京都訴訟訟
国の責任を認めない不当判決

12月18日、原発賠償京都訴訟控訴審の判決があり、大阪高裁(牧賢二裁判長)は1審判決を変更し、国の責任は認めず、避難の相当性などでも1審判決を逆行させる不当判決をくだした。原告団は上告の方針。

国の責任を否定

1審判決では、政府機関である地震推進本部が2002年に公表した『長期評価』において、「津波の到来は予見でき、国は東電に対応を命じなかったのは違法」と国の責任を認定したが、高裁判決は「仮に経産大臣が、長期評価を踏まえた技術適合命令を発して、津波による原発事故を防ぐための適切な措置を東電に義務づけ、東電が履行していたとしても、同様の事故が発生していた可能性が相当にある」とした。
これは2022年「6・17最高裁判決」のコピペであるが、そこまで言うなら、日本政府や電力会社は原発事故を防ぐことはできないと白状しているようなもの。ただちに原発は停止し、廃炉にすべきではないのか。

「避難の相当性」認めず

1審京都地裁判決で認められていた「避難の期間」を、広げるどころか逆に縮小させ、1審では避難を認められていた原告の「避難の相当性」を認めなかった。も、同様の事故が発生していた可能性が相当にある」とした。
さらに、生活に困窮しPTSDに苦しむ原告らへの賠償金を取り消した。

絶対にあきらめない

原告らは、「私たちの証拠をちゃんと読めば、あんな判決は書けないはず。裁判だけではない。国のあり方が問われている。」「この司法を正す使命が私たちにはある。絶対にあきらめない」と語った。

8面

8面  斎藤元彦知事を退陣させ
民主・自治・人権の兵庫県政を

会場あふれ路上に長蛇の列の12・22集会

不正と人権蹂躙の斎藤兵庫県政との闘いは、12・22真相究明緊急県民集会への1800人の結集で新たな段階に入った。11月17日投開票の県知事選ではあらゆる選挙違反の限りを尽くして111万票を獲得し「逆転勝利」に見えたが、わずか数日で次々と選挙違反が発覚した。2馬力選挙、PR会社の丸ごとの選挙活動、ネットでのデマの拡散など、沈みゆく維新と自民右派政治の卑劣な汚物の実態が次々暴露され、人民の怒りは大きく渦巻いていた。通常は警察・検察への告訴・告発はすぐ受理されることはないが、折田楓の広報全体の統括・街宣車上からのネット中継をボランティアと称する選挙違反=買収などへの、郷原信郎弁護士・上脇博之神戸学院大教授の刑事告発は2週間余で受理された。2馬力選挙でウソとデマをまき散らし、奥谷謙一百条委員会委員長宅襲撃に対する告発も直ちに受理され、立花は12月22日に兵庫県警本部に出頭した。また稲村陣営に対するアカウント破壊の攻撃も、その実態解明の証拠は膨大に残っており、これへの津久井進弁護士の告発も受理された。

12月22日集会会場溢れる1800人が結集

このような中で兵庫県下の市民グループを背景とする真相究明集会は、第2第3会場もいれて600人の所に1800人が集まり、ネットで2500人が視聴、告発賛同署名は1300筆をこえた。これまでネット世界で斎藤批判を展開してきた菅野完氏やスズセン氏などの宣伝も大結集に繋がった。集会は本紙前号既報であるが、百条委員会の県議や維新らと闘う3市議、各地のジャーナリストの発言の上に、稲村選対責任者の津久井弁護士もビデオメッセージを寄せた。さらに事前宣伝に協力した多くのUチューバ―も実況中継し2500人が視聴。それは後も拡散されている。
これまで斎藤陣営の、「選挙は終わった、民意に従え」という居直りが優勢に見えたが、「選挙違反だらけの斎藤に正義ナシ、2馬力選挙は誰が見ても違反、県民局長の私的情報を立花に渡したのは誰だ」との怒りが会場溢れる結集で表出したのだ。
つづく12月25日の百条委員会は斎藤・片山らへの最後の喚問となった。追及の矛先は西播磨県民局長の情報漏洩をなぜ刑事告発しないのかとなり、テレビでもこの映像で報じられた。そうだ。そもそも局長の内部告発と私的情報が立花にわたり選挙で使われた責任が問われているのだ。同日開催の消費者庁審議会では、内部告発で告発者探ししても罪に問われない現状(斎藤は、今も道義的責任はないと居直っている)を、通常国会で改正することが決まった。6月以降は犯罪になることを県のトップの斎藤は1年にわたり「問題ない」「正しい」と言い続けているのだ。
11月選挙が選挙違反だらけの異常な選挙だったことを再確認した12・22集会は、2月百条委員会の最終報告と連携し、「民主・自治・人権」の兵庫県政を取り戻すことを宣言した。

百条委県議らへの攻撃打ち破り、1〜3月斎藤打倒闘争へ

選挙違反の露呈ですっかり守勢に回った斎藤派はネット右派を使って、百条委員会の丸尾まき・上野英一県議らへの攻撃を強めている。選挙前に竹内英明県議へのネット・電話攻撃で辞職させたことに味をしめた彼らは、無所属で市民運動の先頭に立つ丸尾議員に、電話・デマ宣伝・自宅周辺徘徊などの上に議員辞職を求める署名を仕掛けてきた(12月15日)。これに対し怒り心頭の市民グループは、丸尾議員の議員活動持続を求める署名を1月2日から始め、数日で辞職署名を一気に凌駕した。
現下の攻防点は、@郷原・上脇告発状受理(折田楓買収容疑など) A立花孝志告発状受理(2馬力選挙、脅迫〜奥谷謙一委員長) 12・22県警本部出頭 B津久井弁護士による稲村アカウント破壊告発状がすでに受理されており、1月初旬にも本格的捜査が始まる。さらにC西播磨県民局長情報漏洩を第3者委員会で調査すると斎藤は明言。Cこの半年以上にわたる百条委の最終報告が2月中旬にも出る。また百条委とは別に、弁護士らによる第3者委報告も3月に出る。追い込まれているのは、斎藤・片山(前副知事)、井ノ本(元総務部長)らなのだ。運動の側は百条委・県議らを守り、署名を拡大し、2月〜3月各地で集会ののち、3月には万余の県民大集会で斎藤退陣のうねりを作り出していこう。
追い詰められた斎藤らは11月選挙の反動派に再度依拠し、悪宣伝を繰り広げるだろう。その先頭に立つ維新の増山県議(西宮)・岸口県議(明石)、西村康稔(元経産大臣)とその後援会長=朝比奈秀典(明石倫理法人会長)、さらに石丸・藤川系ネット人脈、統一教会らと対峙し闘いぬかなくてはならない。
それは旧稲村選対が市民選対のままで、百条委員会の奮闘を無視し、稲村の実績だけを押し出し、斎藤との攻防点を設定できず、斎藤とそれを取り巻く反動集団と闘えなかった敗北を克服する道でもある。選挙違反への怒りを掘り起こし、過渡的要求として「民主・自治・人権」の溢れる兵庫県政を取り戻そう。この運動はすでに始まっている自民右派や維新の破産後の反動の密集を打ち破り、地域主権を取り戻す運動でもある。それを担う人々を大量に創出することと斎藤打倒は一体である。2〜3月連続する闘争を、これまでの市民運動・社会運動の飛躍をもかけて闘いぬこう。(岸本耕志)

さようなら 井上力さん

井上さん作の幅5mの大横断幕(ガザ)は関西各地を巡った(マルイ前で)

11月のある日、忽然とみんなの前から消えてしまった井上力さん。あなたが作ったジャンボ幟旗の林立する毎週木曜のマルイ前の姿はすっかり変わってしまいました。
1970年9月〜12月、神戸大キャンパスは入管闘争を巡って協会派と5回のゲバルトとなった。その反安保学生会議(協会派)のキャップが井上さん。最終回は12・18能勢闘争。工学部に結集していた井上さんらの横を、反戦会議(中核派)は「よっ」と声をかけて能勢ナイキ闘争に向かい、終結。
次に井上さんを意識したのは1990年初頭の『全共闘白書』。神戸市議時代に神戸大学生運動を総括したもの。本格的交通が復活したのは95年阪神大震災頃から。被災地支援はどこも必死だった。
2013年4月、大阪拘置所にいる私に「井上」という人物が面会にきた。誰かと思えば力さん。「1〜2カ月だったらしょうもないことでと思うのだが、半年になると拷問だ。憲法には一カ所『拷問はこれを絶対に禁止する』と絶対という言葉がある」と励ましてくれた。

市民デモと秋水

2015年安保法制反対闘争からは約10年にわたる持続的共闘となる。市民デモHYOGOの運動は、70年世代の各派・各グループが共闘し支えてきた。井上さんは議員ではなかったが、毎週車で幟・横断幕・シール投票道具を運んでくる。時折論争になると、井上さんの車に乗って灘区のロイヤルホストで口角泡を飛ばした。癌発見後も荷物を運び椅子に座り参加。余命3年と言われたが、癌克服の独特の闘病方法を開発。私の友人らが癌になるとアケスケに相談した。そして「余命3年の井上さんが元気なのだから、癌は克服できる」と励ました。
今一つの闘いは大逆事件。井上さんは、私の「郷土の偉人」である幸徳秋水の「小さなことにくよくよせず100年後を考えよう」が好きで、津野公男さんと一緒に「兵庫の会」を作り事務局を担った。当時は神戸の犠牲者=小松丑次・岡林寅松の事は誰も知らなかったが、研究者の力も借り2人の足跡を追った。2020年の高知と中村の墓参には井上さんの車で行った。23年の「第5回大逆事件サミット@神戸」の横断幕・宣伝物は井上さんが作り、2人で受付をした。
最後の闘いは10月17日マルイ前での2馬力選挙の立花孝志との闘い。激しく抗議する私と井上さんに対し立花が「前へ来い」というので車の前での論争になった。少しやつれていた井上さんは「あなたのやっていることは公選法違反だ」と追及。私も「お前は県政に関係ない、(徳島県教組を襲撃したN国党員)おツルはどうなった」と糾問。立花信者らは笑ったが、聴衆の一部は私たちに賛同した。12月22日、県知事選真相究明集会には1800人が集まり、井上さんの後輩3人がマイクをとった。
50年を超える交友のなか思想は少し違ったが、兄貴分の井上さんは時に目を細めて私のことを見守ってくれた。さようなら井上さん。まだ病院から抜け出してきてマルイ前で会えるような気がしてなりません。
1月24日の秋水・清馬の新碑文除幕式には井上さんの遺志を受け継ぎ参列します。3月には斎藤・立花打倒の報告ができるよう頑張ります。さようなら井上さん。空の上から見守っていてください。 松田耕典(『未来』編集委員会)