未来・第405号


            未来第405号目次(2025年1月2日発行)

 1〜2面  世界的激動の中 石破を打倒しよう
     2025年『未来』新年アピール(上)
     沖縄の怒りに応え反戦・反基地闘争を
     原発回帰弾劾・全国から反乱を

       3面  韓国 大統領のクーデターを阻む
     街頭とネット空間を埋め尽くした労働者市民の力
     落合薫

     島根原発2号機再稼働反対集会(上)
     連続的な抗議行動
     12月21日松江市     

 4面  12・22沖縄県民大会同時アクション@おおさか
     米兵による性暴力 隠蔽を許さない!

     同時行動 東京でも400人が新宿に

 5面  投稿
     敷戸弾薬庫フィールドワーク
     周囲に住宅地、大学・小学校が

      6面  通信KOSUGI??
     日韓の歴史を学ぶ
     小さな旅に参加して

     投稿
     先住民族アイヌからのメッセージ(中)
     多原良子さん講演会 11・24 吹田
     南方史郎

 7面  関生弾圧 加茂生コン事件差戻し審
     労働組合の存在意義を否定
     12月19日大阪高裁

     投稿
     ナベツネの死と読売新聞
     「1千万部発行」の実態

     冬期カンパのお願い
     革命的共産主義者同盟再建協議会

 8面  県知事選不正 1800人結集し反撃始まる
     12・22集会 会場あふれる
     告訴・告発署名1300超える
     神戸市

           

世界的激動の中 石破を打倒しよう
2025年『未来』新年アピール(上)
沖縄の怒りに応え反戦・反基地闘争を
原発回帰弾劾・全国から反乱を

はじめに 世界的大動乱が始まった

米兵による性暴力、隠蔽を許さない! 沖縄市民会館をうずめつくした県民大会(12月22日 次号詳報 )

2024年とりわけ後半、世界史的激動が始まった。すでに限界まで逢着していた帝国主義世界支配が、アメリカで、ヨーロッパで、アラブ世界で、韓国など東アジアで、全世界の各地で音をたてて崩れ始めた。アメリカでは「アメリカファースト」を掲げるトランプがイーロンマスクと一体となり大統領選を制し、25年就任以降はナショナリズム鼓吹・自国中心の政策を遂行するため極右分子どもを政権に布陣する。ドイツ・フランスを中心とするヨーロッパ諸国では資本主義の没落をついて極右勢力が台頭し、マクロン(仏)、ショルツ(独)政権が危機に陥っている。旧東ドイツ貧困地域を拠点とする極右AfD(ドイツのための選択肢)が全国に急速に勢力を増大させている。
中東・アラブ諸国ではイスラエルの暴虐に対する怒りが広がるとともに、ウクライナ侵略戦争以降ロシアの影響力が漸減し、年末にはシリア・アサド政権が崩壊した。ジョージアなど旧ソ連圏諸国でも大国主義的抑圧からの解放を求める人民の決起は止められず、ロシア・プーチン政権そのものが支配の危機に突入している。
東アジア・韓国では人民の持続的決起に追い詰められた尹政権が、12月3日戒厳・クーデタを強行したが、国会内外の人民決起により失敗に帰した。日本では2012年体制=安倍一強支配が、長年蓄積されてきた自民党・安倍派を中心とする強権政治=派閥支配・裏金問題の露見と、「失われた30年」=人民生活の困窮化によりその怒りが爆発し、自民党は30年ぶりの少数政権となった。人民の怒りはとどまらず、2025年予算の国会通過すら危ぶまれる支配の危機が現出している。

T 最弱の環=日本帝国主義・石破政権

2023年暮、裏金問題での支持率低迷・派閥政治批判の噴出で、岸田前首相は24年1月に自らの派閥=宏池会解散を宣言したが、それでも支持率は上昇しなかった。4月補欠選挙の3連敗、裏金追及の持続で、8月中旬ついに政権を放り投げた。
結果9月自民党総裁選では「表紙の差し替え」のため、あらゆる勢力が立候補した。大きくは安倍政治の流れを右翼的に継承せんとする高市早苗=小林鷹之らの勢力と、徹底した反安倍の石破茂+小泉進次郎の保守勢力が自民党総裁を争った。高市派には極右団体・右派宗教勢力(統一教会など)らが集団入党し、7月都知事選石丸陣営の選挙プロモーター藤川(国士舘大出身の右翼)らもつき、地方票では石破を上回った。しかし高市の靖国参拝・男系天皇死守・選択的夫婦別姓反対・移民反対・LGBTQ反対の主張は、経団連など支配階級主流はこれを受け入れず、財界主流を背景にし、岸田の経済政策を受け継ぐ石破・岸田・菅(小泉)連合が総裁選に勝利した。
つづく解散・総選挙では総裁選以上の分岐が進んだ。旧安倍派の萩生田・西村・世耕らは何とか当選したが、下村・高木・甘利らは軒並み落選、高市的主張は大きく後退した。自民党・公明党は過半数をわり少数政権となった。総選挙の争点は裏金問題と、賃金下落・失われた30年問題であった。安倍一強体制(2012年体制)下では生活破壊への怒りを抑え込んできたが、24年総選挙では裏金問題と「手取りを増やせ」(国民)、「失われた30年を取り戻す」(れいわ)という単純な争点が可視化され、国民民主やれいわ新選組が4倍化・3倍化した。この分岐では「身を切る改革」の維新はすでに保守勢力でしかなく、どぶ板・利権政治に支えられた大阪以外では大きく後退し、馬場代表は退陣した。
さらに都知事選以降、ネット(SNS)を駆使した勢力が中間的組織(農協、自治会、業界団体、労働組合など)を持たない無党派層をとらえ、石丸派は国民民主と一部合流し躍進の一翼を担った。続く兵庫県知事選、名古屋市長選でもこの勢力が大きく動いた。旧来の自民党支持基盤や、野党の労働組合などに組織されない「無党派層」の動きは、25年7月参議院選まで続き、右翼排外主義的言動勢力とコラボし、この国の政治勢力を大きく変えていく可能性がある。
つづく11月17日投開票の兵庫県知事選では、21年知事選に勝利した斎藤(維新・自民)派が、23年選挙で維新県議を4→23に増やしたが、斎藤=維新の統治能力の欠落はパワハラ・タカリという強権的支配が露見し崩壊(24年7月〜9月)した。しかし530万兵庫県政が稲村「左派政権」下に入ることを嫌う、新たな右派集団(自民党西村元経産大臣=安倍派、維新右派、NHK党立花、石丸・宗教勢力=統一教会など)が密集し、違反だらけで選挙戦を制した。しかしこの選挙違反だらけ選挙戦には刑事告発が相次ぎ受理され、12月22日には1800人の市民が自主的に決起した。
日本帝国主義・政治委員会の支配の危機、さらには自民党安倍=菅派の別動隊だった維新の万博破産危機の中で、この危機は全国に広がる。脱法行為・選挙違反行為と右派ポピュリズムの台頭は、「戦後民主主義=公平・中立な選挙制度」をも右から破壊して権力奪取を狙うだろう。始まった兵庫第2ラウンドの「民主主義と人権を取り戻す」闘いは25年3月「ソウルの春」にならう「神戸・兵庫の春」として現出するだろう。また愛知県豊橋市での「スポーツアリーナ建設」反対をめぐり、新市長リコールを狙う利権派と民主派の激突は住民投票にまで発展しつつある。それ以外の各地でも自民・維新の支配に抗して様々な反乱がおきている。ミュニシパリズムを実践する東京杉並・世田谷などの地域における闘いをはじめ、左右激突も含め自民党単独支配(自公連立政権)が大きく崩れ始め、もはや元に戻ることのない時代が始まったのだ。

U 危機突破かけ軍事大国化・戦争準備進める石破政権

県民大会横にかかげられたバナー(12月22日 沖縄市)

岸田に代わった石破内閣は、統一教会と関係のある閣僚が石破首相自身を含め8人もいる。対中国の軍事・外交面では安倍を超える突出性をもつ。対中国包囲を強化する「アジア版NATO」を提唱し、米帝を引きずりこもうとし、大軍拡路線にひた走る。10月15日の党首インタビューで、石破は次の3点をぶち上げた。@「核抑止力を実効性あるものにしていく」 A「防災省は自然災害だけでなく、有事にも対応する」 B 「(軍事費増税について)年内に決着させる」
いずれも岸田が首相として決断できなかったことである。21世紀の日帝の基本路線を敷いた安倍一強体制は対中国戦争の態勢づくりの面で突出していた。関係諸国の国家戦略のうえで、中国を「仮想敵国」とし、米政府の「戦略的競争相手」とは次元を画している。また対中国包囲の「インド太平洋」戦略を米国より先に打ち出し、政府・自衛隊も、メディアも大企業も、対中国戦争挑発を煽っている。そのとき米中戦争に「日本が巻き込まれる」などは的外れで、闘いを遅らせるものでしかない。一切の武装解除と怯懦を捨て、石破戦争内閣を打倒しよう。
政権喪失の危機にありながらこの国の支配階級と政治委員会は、軍事大国化・大増税、原発再回帰、生活破壊の政治をますます強めている。その歴史的転換点は、安倍政権の「敵基地先制攻撃」論を受け継いだ、2022年12月の安保3文書の閣議決定にあった。国民的議論を経ないまま、長期にわたる軍備拡大を、対GDP比1%枠を取り払い、5年間43兆円・年間軍事予算8兆5000億・対GDP比2%へ大きく舵を切った。戦争のできる国から戦争をする国に転換したのだ。
陸上自衛隊は南西シフトで、沖縄・九州に次々と新基地が建設された。「専守防衛」をはるかにこえる武器が次々造られていく。陸上自衛隊では射程1000キロの12式ミサイルが開発され、中国・台湾近郊の与那国島などに配備されていく。海上自衛隊では「護衛艦」という名の「軽空母・ヘリ空母」が、F35Bという垂直離着陸戦闘機の母艦となり、その名も1941年にハワイ・真珠湾を攻撃した「かが」の名をまとう。原子力潜水艦以外では最先端の機能を備えた「たいげい型潜水艦」が毎年進水する。戦前は「ゼロ戦」や「隼」など世界に伍した戦闘機を開発・保有していたが、戦後はそれを禁圧されてきた。しかしここにきて日本・イギリス・イタリア3国共同開発の次期戦闘機を持とうとしている。
実体的軍事整備では、とりわけ沖縄・南西諸島(琉球弧)をめぐって辺野古新基地建設には司法権力も動員して強行し、自衛隊基地は与那国島から石垣島、宮古島、沖縄島、奄美大島、馬毛島まで切れ目なく建設した。九州全域の基地網を整備し(佐賀空港=オスプレイ基地化、大分空港=米軍・自衛隊使用、大分日出生台などでの大演習、福岡・築城、宮崎・新田原、鹿児島・鹿屋など)、全国の港湾・空港を補給基地化(四国4港など)、本格的長期的戦争遂行のため大分・敷戸、京都・祝園など弾薬庫の大幅増設も予算化し工事が始まっている。
また呉の日本製鉄跡地の買収=呉周辺の全面軍事化に典型の帝国陸海軍の「夢」を追いかけている。そして武器輸出の全面解禁で、三菱、川重、NEC、IHIなどの再生もかけて、この国の経済全体を軍民一体の軍事国家化・死の商人国家化を狙っている。沖縄全域を最前線出撃基地化し、九州全域を対朝鮮半島・中国大陸全体をにらんで熊本健軍基地を軍事中枢とし、中国・四国は連合艦隊母港=呉軍港と連携させ、関西は三菱・川重の軍需工場、祝園の武器庫を軸に整備していく。ここにはまぎれもなく近代150年の大日本帝国の軍事思想が脈々と流れているのだ。

V 沖縄の基地被害・戦場化を許すな

23年12月24日沖縄において米空軍兵による性犯罪事件が起きた。クリスマスの夜、米兵は公園にいた少女を誘拐し、自宅で犯行に及んだ。解放後、少女はすぐに母親と警察に通報し、警察は外務省に連絡、首相官邸にまでは連絡がいったが、沖縄県には一切連絡がなかった。事実が発覚したのは半年後。地元のメディアのスクープにより沖縄県が初めて事実を知ったことは実に衝撃的である。
政府・外務省の隠ぺい工作の口実は「被害者のプライバシーを守るため」だ。被害者が使う言葉を、加害者擁護のために使うのは犯罪的だ。プライバシー保護は討論以前の問題だ。そのうえで再発防止に社会的な対策が必要であるが、政府は再発防止のための措置は一切取っていない。
この隠ぺい工作は米軍の基地政策を有利に進めるための組織犯罪だ。事件が起こった23年12月24日は、国は辺野古の新基地建設設計変更について玉城デニー知事に12月27日までに承認するようせまっていた時期だ。知事が断固として拒否するとあくる正月、国は「代執行」に踏み切った。その真っただ中での事件を隠ぺいして代執行の暴挙に走ったのだ。 米兵が起訴された3月は、4月の岸田首相の「国賓待遇」訪米の時だ。隠ぺいのおかげで岸田は上機嫌で訪米したが、米海兵隊員による第二の性暴力事件が5月に起きた。4月の訪米時に岸田が米軍綱紀粛正・効果のある再発防止策を迫っていれば起こらなかった事件だ。
5月にはエマニュエル駐日大使が日本最南端の与那国島を初めて訪れ、「戦争を防ぐ一番の方法は抑止力だ」と沖縄への犠牲強要を宣言した。事件が公表されていれば言えなかった発言だ。6月16日は沖縄県議会議員選挙だった。ここでも事件が公表さえされていれば結果は全く違っただろう。そして6月23日は沖縄戦没者追悼式で岸田は「沖縄の皆様の負担軽減に全力を」と平然と言った。そして6月25日、ようやく7月に裁判が始まる時に米兵の犯罪が明らかになった。
沖縄の女性たちを中心に「県民大会」を求めて続けてきたが、自民党などの反対で規模は縮小され開催はやっと年末の12月22日になった。基地にまつわる被害がここまで放置されたことは、かつてなかったではないか。政権は沖縄人民をどこまで愚弄すれば済むのか。
この少女・女性たちの性被害の先にあるのは、琉球弧全体の戦場化である。1945年4〜6月、20万県民が戦争の犠牲となった。この歴史を再び繰り返してはならない。昨年から始まった関西・祝園弾薬庫反対の闘い、中国地方・呉での闘い、九州・大分の闘いを全国的に結合させ、沖縄を先端とする全土基地化・軍事大国化の道を今こそ拒否し、新たな安保・沖縄闘争・戦争反対の巨大なうねりを作り出していこう。

W 全面的な原発回帰を弾劾する

岸田政権は、安倍政権が必ずしも精力的でなかった原発回帰を大きく進めた。それを受け継ぐ石破も同様で、原発問題はここ10年国政選挙で論議されないまま、老朽原発が次々稼働され、24年には新たに女川、島根と再稼働の既成事実を積み重ねてきた。また少数与党の隙をつき、原発新設をかかげた国民民主党が拍車をかけた。さらに12月17日経済産業省は「第7次エネルギー基本計画」の原案を発表した。東日本大震災後の「原発依存度を可能な限りで低減する」との文言を削り、原発の建て替え(リプレース)を進める方針も示した。国民的議論のないまま原発回帰へアクセルを踏む経産省と電力業界を許してはならない。
これまで原子力発電と闘ってきた人々や、福島第一原発事故でいまだ避難を余儀なくされている人々に思いを馳せる人々は、今一度性根をすえて、社会の隅々まで原発反対を貫く勢力の登場をつげ知らせることが必要だ。
こんな中、12月8日の関西電力本店を包囲する闘いは、全国の仲間650人が集まり、女川原発2号機の再稼働や、美浜3号機の配管に穴や、使用済み核燃料を増やす原発稼働を激しく弾劾した。女川原発2号機は、2011年3・11で深刻なダメージを受けた原発で、福島第一原発と同型の沸騰水型原発だ。長期間とまっていた原発を再稼働することがいかに危険か。美浜原発3号機では1次系の配管に穴が開いていることが判明し原発を停止した。
青森県・六ヶ所村の再処理工場問題では、日本原燃は「24年の早い時期の完成」が27回目の延期を発表し、今度は26年完成をめざすとした。特に関西電力の若狭の原発は深刻で、使用済み燃料プールは満杯に近く数年で運転できなくなる。この関電への怒りが650人の結集となった。
石破政権は、岸田の原発回帰のエネルギー政策を引き継ぐと公言し、「第7次エネ基」原案で原発依存社会への暴走がはっきりした。この流れを止めるのは、私達の行動にかかっていることを強く確認しなくてはならない。(つづく)

2025年『未来』新年アピール(下)予定

(X)失われた30年
 日本帝国主義の没落と限界が全面露呈の2020年代
 全社会分野における生活破壊

(Y)政治・社会・司法における反動化を阻止する人民の闘い
@関生弾圧との闘い
A労働運動・生活防衛の闘い
B狭山闘争・部落解放運動
C三里塚闘争・農民の闘い
D儲ける大学と闘う学生運動
E国際連帯 ウクライナ パレスチナ
F韓国・台湾・中国―東アジアの闘い
G入管・難民、差別・排外主義との闘い
H横行する女性差別との闘い
I優生思想との闘い・障害者解放闘争 
J地方から主権を取り戻す運動 
K大阪・兵庫での反万博・維新粉砕闘争

(Z)歴史的存在としての革共同
   本多延嘉書記長死後50年にあたって

([)新しい社会主義・共産主義の旗を掲げて



3面

韓国 大統領のクーデターを阻む
街頭とネット空間を埋め尽くした労働者市民の力
落合薫

クーデターを阻止した韓国の労働者市民の闘いから学ぶために、その経緯と総括を試みたい。『未来』読者も共に努力してほしい。
12月3日、韓国の尹錫悦大統領は非常戒厳を宣布した。最大野党〈共に民主党〉が過半数を占める今の国会を「自由民主主義体制を破壊する怪物」と呼び、「反国家勢力による大韓民国国家体制転覆の脅威から」守ると称して6項目を布告した。その第1項目は、「国会と地方議会、政党の活動と政治結社、集会、デモなどの一切の政治活動を禁じ」ている。第3項目では、「すべての言論と出版は戒厳司令部の統制を受ける」とした。無限の拡大解釈によって大統領・軍部独裁を図るものである。

軍よりも早く直ちに行動

戒厳軍が行動を起こすよりも素早く労働者市民が行動を起こした。11時30分に国会の警備隊が国会を封鎖する。軍が現場に到着したのは11時48分、議事堂の中に突入したのは、翌日の0時30分を過ぎていた。その前に多くの市民が行動を起こしていた。
韓国の国会は一院制で定数300議席。戒厳令の解除は過半数で決定できる。大統領を解任する弾劾決議は3分の2が必要だ。憲法に定められたこの条項を知り尽くした市民は議員を国会議事堂内に送り込むことに全力を尽くした。共に民主党の女性議員・安貴゚は、入場を阻止すべく構える兵士の銃を素手でつかんで兵士を押しのけて議事堂に入った。共に民主党の党首の李在明は驚くべき運動能力を発揮した。兵士たちを避けて議事堂の壁を乗り越えたのである。このような場面は市民によってSNSで全国に発信され、李在明の行動は230万回視聴され、国会議長・禹元植のユーチューブチャンネルの視聴者は60万人を超えた。議事堂周辺に集まった市民は配備された特殊部隊ともみ合い、兵士や装甲車を止め、議員たちが議事堂に入る道を開いた。議事堂周辺は議員の補佐者(議員秘書)たちが机や椅子を積み上げてバリケードを構築し、戒厳部隊の入場を阻んだ。
このようにして、4日0時50分、国会は本会議を開催し、集まることができた議員190人の全会一致で非常戒厳の解除を決議した。190人の中には、野党6党の172人とともに、尹錫悦・大統領の与党「国民の力」の18人が含まれる。

クーデター計画が瓦解

クーデターの研究者、クルツィオ・マラパルテによれば、クーデターが成功する必要条件は、(1)鮮明な政治目的と軍事目標、(2)断固たる決断、(3)迅速な行動、にある。この点から見て、今回の尹錫悦のクーデター計画はどうであったか。
国会に突入を図ったのは最精鋭の空挺部隊である。しかし彼らは突入して何をするのか指示されていなかった。ぎりぎりになって尹錫悦本人が、150人を超える議員を議事堂から引きずり出せ、と電話で指示した.しかし時すでに遅し。議事堂は封鎖され、非常戒厳解除のための本会議が始まっていた。
戒厳司令官を務めた朴安洙陸軍参謀総長は、兵士が国会に投入されたとき、特殊戦司令官からスタンガンや空砲の使用を要請されたが、使用しないように指示した。また尹錫悦は与党「国民の力」代表・韓東勲を含め、国会議員からユーチューバーにまでおよぶ10人以上の逮捕・拘束指示を出したが、誰一人拘束できていない。インターネットを始め情報封鎖は計画にさえ上がっていなかった。

閣議で全員が反対

非常戒厳は尹錫悦・大統領、金龍顕国防部長官、李祥敏行政安全部長官の3人によって計画された。3人ともソウルにある有名私学・沖岩高校出身である。金が一番年長で、尹は1学年下、李はさらに4学年下の同窓生である。この高校出身者は、政・官・軍の要職に就くことが多く、一種の閥を形成しており、「沖岩派」と呼ばれる。とくに金龍顕は学生時代、学生護国団長を務めたほど、ゴリゴリの反革命家だった。軍のなかでは中将以上に出世できずにいたところを、この9月に尹錫悦によって国防部長官という軍の最高司令官に引き上げられた。また行政安全部とは日本の総務省と警察庁、諸国の内務省を兼ねたような省庁で、警察・消防組織を管轄する。2024年7月にこの部署に李祥敏を任命することによって、尹錫悦は軍隊と警察を握ったことになる(と思い込んだ)。
2024年4月の総選挙で、尹の与党〈国民の力〉は大敗し、予算を含めてあらゆる政府法案が成立せず、追い詰められていた。そのうえ妻の金建希を巡って汚職など数々の問題が噴出し、尹大統領の支持率は10月下旬に20%を割るまでになっていた。野党筋では9月ころから尹錫悦によるクーデターの噂が飛び交い始めた。ある野党議員によると、これも沖岩高校出身の呂寅兄防諜司令官が11月27日からクーデターの計画を練っていたという(ハンギョレ新聞12月7日付)。しかしいよいよ決行直前に閣議にかけたところ11人の出席者全員が反対した。軍も組織系統が整わず、発砲命令や議員排除の命令は現場の兵士にはまったく伝わらなかった。警察は比較的よく掌握されていたが、逮捕命令は誰に対しても貫徹できなかった。かくて尹錫悦と沖岩派のクーデターは破産した。

労働者人民の抵抗と反撃

クーデターを押しとどめ、破産させたのは何よりも労働者人民の抵抗と反撃であった。非常戒厳を解除するために戒厳軍より早く国会に駆け付けたのも、12月7日の尹大統領に対する弾劾訴追を実現するために国会を100万人で包囲したのも、14日にはそれを上回る200万人が結集したのも、すべて労働者人民である。受験参考書を抱えて遠距離バスで駆け付けた高校生もいれば、80年代の「民主革命」を経験して二度と軍政支配を許してはならないと駆け付けた70翁もいる。厳冬の路上に長時間座りこむ人々をK−POPのミュージックが激励した。日本の都知事選や兵庫知事選、トランプを当選させた米大統領選挙においては右翼ポピュリズムがWEBを悪用して謀略論やデマを振りまいた。韓国ではSNSを活用して真実を伝え怒りと行動を共有している。
戦前以来の抗日独立運動の教訓と60年代、80年代以降の「民主革命」の教訓を活かし闘う韓国の労働者人民に学ぼう。「親日政権の危機」「東アジアの安全保障体制の動揺を恐れる」などという日本政府、主要メディアの、尹錫悦擁護を許すな。日本軍「慰安婦」問題、徴用工問題の真の解決を。いまも続く植民地支配責任、戦争責任を日韓、日朝人民の連帯で解決・克服しよう。日本帝国主義のインド太平洋戦略と日米韓軍事同盟による対中国戦争挑発を許すな。

島根原発2号機再稼働反対集会(上)
連続的な抗議行動
12月21日松江市

12月21日、午後2時半から松江市のくにびきメッセで、島根原発2号機再稼働反対集会が開催され、地元島根県内はもとより、中国地方各地から、また〈老朽原発うごかすな! 実行委員会〉をはじめとする関西や、伊方原発に反対する四国などからも市民団体多数が参加した。
午後2時半、地元の芦原康江さんの司会で集会はスタート。
最初に実行委員会を代表して〈平和フォーラムしまね〉内田智己代表があいさつ。中国電力は20日、「12月7日に再稼働した島根原発2号機の本格的な発送電開始を、前倒しして23日に変更する」と発表した。発送電開始に先立ち、島根2号機では原子炉を一時的に停止して設備や機器の点検などをおこなう「中間停止」を12月15日に開始したが、21日には終える、営業運転の再開は、2025年1月10日の予定。

広島被団協などがゲストスピーチ

トップは、広島県原爆被害者団体協議会・熊田哲治事務局長。熊田さんは、日本被団協のノーベル平和賞受賞に触れながら、「国家補償」の問題を紹介し、特に内部被曝問題は置き去りにされたままであり、事故で内部被曝を引き起こす再稼働は許されないと連帯を表明した。次に上関原発を建てさせない山口県民連絡会が、上関原発建設や中間貯蔵施設建設に反対する運動の現地の活動を紹介した。
最後は、「志賀原発を廃炉に! 訴訟」原告団の北野進団長がビデオメッセージ。北野さんは、この中で「1月の能登半島地震は、もし原発事故が起きたら、どんな事態になるかを教えている。原発の再稼働は絶対認めることはできない」とあいさつ。

島根・鳥取から発言

〈原発ゼロをめざす島根の会〉共同代表の石田忍さん、東電福島第一原発事故避難者(雲南市)の坂本美緒さん、島根原発2号機運転差し止め仮処分申立人の土光均さんが、「島根原発2号機再稼働反対」のためにこれまで取り組んできた活動を紹介しながら、「絶対に再稼働は認めることはできない。今後も運転停止を求めてがんばる」と決意を表明。それぞれの発言で山積する問題点が明らかにされた。12月12日の「水位計異常」騒動(注)は原子力規制委員会からも「社員に対する基礎教育不足」と指摘されるなど中国電力には原発を動かす体質もないことなど。
水の街・水郷といわれる松江市。市内の橋の数は、合併前の旧市内だけでも591橋、半数近くが高齢化橋梁(建設後50年以上経過した橋)になる。大地震には耐えられない。安定ヨウ素剤の準備は必要量の2%しかない。土光さんは仮処分訴訟について「主な争点は1地震、2火山、3避難計画だったが判決文では原告の主張の合理性は一概に否定できないとした。これをも武器にして本訴に勝ち稼働を止めよう」と締めくくった。(つづく)

4面

12・22沖縄県民大会同時アクション@おおさか
米兵による性暴力 隠蔽を許さない!

扇町公園南西角からデモに出発(12月22日 大阪市)

12月22日大阪市扇町公園で「米兵による性暴力 隠蔽を許さない!〔米兵による少女暴行事件に抗議し再発防止を求める12・22沖縄県民大会〕同時アクション@おおさか」がおこなわれ100人が集まった。呼びかけは、沖縄を再び戦場にさせない実行委員会。今回は、各自が黄色のリボンや布きれ(みもざの花の色)を身につけ手に一輪の花を持って集会が始まった。

「辺野古の海は」大合唱

まず寒さを吹き飛ばすために「辺野古の海は」を大きな声で合唱した。主催の女性が「加害者である米兵ブレノン・ワシントンには、13日懲役5年の実刑判決がでた。少女の言ったことを全部認めたのは良かったけど、5年はあまりにも短い。被告は即日控訴した。何の反省もしない被告が5年もたてば自由になる。日米地位協定及び日本の法律を変えていかなければいけない」と述べ、今日は朗読デモであることを告げた。「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会が作った『沖縄・米兵による女性への性犯罪(1945年4月〜2021年12月)第13版』の朗読を大阪駅前でしている。読むのがつらいが、なかったことにしない、もう沈黙しない。私かも知れない、あなたかも知れない、そういう気持ちで読んでいる。皆さんも読んで胸に刻んでいただきたい」として、今回は1949年の犯罪32件が十数人の参加者によって順番に朗読された。(以下はその一部)
1949年1月9日17:20頃いとこ2人と芋掘りから帰宅途中の私は14才だった。カービン銃を持った米軍の兵士が現れ、いとこ2人を追い返し、逃げようとした私を押し倒した。口を押さえられ右足で肩を踏まれ、左手で着衣をはぎ取られ強姦された。処罰の方法不明(以下全て処罰の方法不明)
1月27日23時頃那覇市内を歩いていた23才の私。後方から来たジープに乗った米兵に拉致され、66PP部隊の兵舎で強姦される。翌朝には別の兵舎に連れ込まれ20人余りの米兵に強姦される。私は何も悪くない。私の声をかき消さないで下さい。私をなかったことにしないで下さい。
2月13日当時私は23才でした。9:00頃本部町の家で留守番をしていた時、ハイヤーで乗りつけた米兵4人に拉致されそうになり、外に飛び出して必死に逃げたが、追いつかれて強姦された。
3月14日21:00頃所用から帰宅中の29才の男性。米兵6人に出会い、女性を強要されたが断ると鉄拳で顔面を殴打され負傷する。今帰仁村。
3月20日20:00過ぎ農道で男友達と話をしていた。20才の時の私。背後から米兵4人と1人の米軍所属兵士に襲われた。連れの男性が顔面や頭部を殴打されている隙に逃げ出したが再び捕まって森の中で5人の兵士に強姦された。那覇市。れたが断ると鉄拳で顔面を殴打され負傷する。今帰仁村。
4月11日1:00頃就寝中の30才の女性。自宅に米兵が侵入してきたため、弟の家へ逃げる途中捕まってナイフで足を刺され、救援に来た弟も顔を殴られて負傷する。
8月3日23:30頃俺は仲間の米兵3人と芝居見物から帰宅中の23才の男性に出会い女性を強要した。その男性が「知らない」と答えたので、仲間の米兵と一緒に足を持ち上げて地面にたたきつけ、さらに仲間の米兵も加わって交互にめった打ちにした。
8月20日21:30頃俺は仲間の兵隊3人と19才の女性を強姦した。
9月14日お母ちゃん、お父ちゃん、私はどうなったの? やっとお座りができた。やっとハイハイができた。生まれてやっと9ヶ月経った。でも私は今何も見えない。お母ちゃんが私を預けた米軍兵士の家で、私はおしっこが出る所も、ウンチが出る所もみーんな切り裂かれて…、とうとう私は冷たくなった。何のために生まれて来たのかな。お母ちゃんは悪くない。私をムダにしないで。
最後の女性は、「1949年3月私は大阪で生を受けた。その同じ年、9月米兵との間に生まれた子450人。那覇94人、前原50人、コザ73人など。那覇署管内では母親の年齢が17〜23才までが最も多いと、この冊子に書かれている。私は、ぬくぬくと母の腕に抱かれている間に、歓迎されない子どもたちがたくさん生まれていたことが胸に迫る」
沖縄におけるあまりにひどい暴力がつきつけられた。主語を私に変えたり、加害者の立場で俺と変えて読む人もいた。主催者の女性は、この朗読デモは、次回は1月の第4土曜日。JR大阪駅前で、辺野古に絶対基地をつくらせない大阪行動とコラボして毎月第4土曜日16:00頃からやりたいと訴えた。

大阪駅前の繁華街をデモ行進(12月22日 大阪 )

ナビオ前でスタンディング

集会を終え、大阪梅田まで繁華街をデモ行進し、「性暴力を許さない」「性暴力を隠蔽するな」「地位協定はやり直せ」と訴えた。続いてヘップナビオ前に移動し40分間バナーやメッセージボードを掲げ、スタンディングをして若者たちにアピールした。(花本香)

同時行動 東京でも400人が新宿に

12・22「沖縄・相次ぐ米兵による性暴力事件に抗議し、基地撤去を求める東京行動」(基地・軍隊はいらない4・29集会実行委員会と沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックの共催)で新宿駅南口に集まった400人の市民。この後、改めて新宿駅東口に集まって新宿一周のデモに出た。(む)

5面

投稿
敷戸弾薬庫フィールドワーク
周囲に住宅地、大学・小学校が

陸上自衛隊別府駐屯地大分分屯地周辺地域(図1)
高台から敷戸弾薬庫方面を見渡す(写真1)
周辺に立ち並ぶ市営住宅・住宅地
基地周辺は規制だらけ

2022年12月、岸田文雄政権は安保3文書を改定した。日本の安保政策が専守防衛から敵基地攻撃に転換した。自衛隊は敵基地攻撃能力を持ち、他国領土に先制攻撃するのだ。こうして、自衛隊は「戦える軍隊」へと変貌を遂げた。現在、自衛隊は「南西シフトの変容と加速」をおこない、九州は「南西シフト」の戦略的拠点になろうとしている。

敷戸弾薬庫フィールドワーク

12月1日、敷戸弾薬庫フィールドワークに参加した。主催は、大分敷戸ミサイル弾薬庫問題を考える市民の会。
敷戸弾薬庫(陸上自衛隊大分分屯地)は大分市の郊外にあり、JR大分駅から約6q南に位置する。わたしたちの車はJR大分駅を車で出発し、国道20号線を南に走っていく。JR敷戸駅(JR豊肥線)周辺は、大規模な住宅地になっている。
敷戸弾薬庫は、東西1・6q、南北1・3qの卵形をしている(図1)。敷地面積は、約155ha。全体は森林におおわれ、弾薬庫は森の中につくられている。弾薬庫の西縁を国道10号線とJR豊肥線、東縁には米良バイパス(無料)が走っている。バイパスは高速道路(東九州自動車道)につながり、さらに大分港にのびている。道路を整備すれば、弾薬庫に直結する。説明によれば「米良バイパスは弾薬を輸送するためにつくられた」ということだ。
写真1は、敷戸弾薬庫の北側、市営住宅の高台(敷戸南町)から南側をみている。前方にひろがる森林が敷戸弾薬庫だ。弾薬庫につながる道路の先に自衛隊の官舎が建っている。丸いドームのある建物は鴛野小学校で、その前に民間病院が造られている。谷間をはさんで、小高い丘陵地が大分大学キャンパスだ。
その後、鴛野小学校前に立ち寄り、車は弾薬庫を左手にみながら国道20号線を南下していく。その後、米良バイパスを通って、JR大分駅にもどった。米良バイパスは、片道2車線で高速道路仕上げになっている。

弾薬庫の周辺は住宅地

弾薬庫の西半分には大規模な市営住宅が立ち並び、住宅地がひろがっている。大分大学の南側は大規模な住宅地になっている。弾薬庫の北側には、敷戸南町の住宅地がある。この地域は弾薬庫のフェンスに接して、民家が立ち並ぶ。ミサイル弾薬庫から250m程度しか離れていない。このように、敷戸弾薬庫の特徴は住宅地に密接していることだ。
歴史的な経緯をみれば、弾薬庫の存在を考慮することなく、住宅地が建設されてきた。弾薬庫を気にすることなく、市民はずっと生活してきた。どの自治会も新たな弾薬庫建設にたいして反対の声をあげていない。
今まではこれでもよかったが、2022年12月から国の安保=軍事政策が根本的に変わってしまった。地域のしがらみのなかで、住民は反対の声をあげることができない。これはどこの地域でも共通した課題になっている。

敷戸弾薬庫の歴史

敗戦前、大分市は軍事都市であった。1945年3月1日から8月15日までに、大分市は空襲を22回うけている。海軍施設(大分航空基地、第12海軍航空工廠)がここにあったからだ。戦争になれば軍事施設がまっさきに攻撃をうける。
戦後、大分市は新産業都市に指定され(1964年)、製鉄所や石油化学コンビナートが北部臨海地域につくられていった。経済成長とともに人口が増加していき、市内周辺部の丘陵地帯に大規模な住宅地が開発されていった。敷戸地域はその一つだ。
自衛隊は1954年に発足しているが、その翌年に敷戸弾薬庫が開設された。1957年、日出生台演習場が米軍から返還され、日出生台は陸上自衛隊の演習場になった。このようにして、敷戸弾薬庫は日出生台演習場で使用する弾薬を貯蔵してきた。1986年の国会答弁によれば、33棟の弾薬庫に約1000トンの弾薬が置かれていた。
2022年12月、岸田政権が敵基地攻撃へ転換した。このことによって、敷戸弾薬庫の性格がおおきく変わった。2023年2月、2棟の新型ミサイル弾薬庫建設計画が発覚した。大分市民は、新聞報道によって、この計画をはじめて知った。その後、さらに7棟の建設計画が判明し、全部で9棟の弾薬庫が増設されることになっている。
2023年11月はじめ、2棟に関する住民説明会がおこなわれ、11月末には工事を開始した。この説明会は、工事を始めるための手続きに過ぎなかった。防衛省は弾薬庫の場所を明らかにしていない。

自衛隊の南西シフト

現在、自衛隊は南西諸島に重心をおき、ミサイル基地が九州全体につくられている。とりわけ、大分県は重要な位置をしめる。2024年、湯布院駐屯地に第2特科団の司令部がおかれた。第2特科団は、第5地対艦誘導弾連隊(熊本・健軍駐屯地)、第7地対艦誘導弾連隊(沖縄・勝連分屯地)、第301多連装ロケット中隊(湯布院)を指揮下におさめる。さらに、第7地対艦誘導弾連隊は、奄美大島、沖縄島(勝連)、宮古島、石垣島にある4つの中隊から構成されている。
2025年には、第2特科団に第8地対艦誘導弾連隊が新編される。この部隊が敵基地攻撃能力をもつ長射程ミサイルを運用する。また、第301多連装ロケット中隊は、島嶼防衛用高速滑空弾(現在、開発中)を運用する部隊になる。このように、湯布院駐屯地が南西諸島戦略の司令部になっており、敷戸弾薬庫はミサイル弾薬庫になる。
大分県内に、自衛隊基地・施設が6カ所存在している。大分分屯地(通称名:敷戸弾薬庫)、別府駐屯地、十文字原演習場、湯布院駐屯地、日出生台演習場、玖珠駐屯地が、高速道路でひとつながりになっている。このように、政府の高速道路計画は、戦争態勢の中にしっかり組み込まれている。

人民が「政府の戦争」を止める

敷戸弾薬庫周辺に住民が生活している。このことをいっさい考慮することなく、自衛隊はミサイル弾薬庫を建設している。人びとの生活よりも、軍事が優先されている。政府によって、「戦争できる社会」に作り変えられようとしている。
自衛隊は攻撃されることを想定して、基地の建物を「強じん化」している。戦争になれば、自衛隊基地・施設が攻撃を受ける。自衛隊はこれを認識している。
いっぽうで、この認識は住民にも求められている。自分たちの生活と命を守るために、市民が連帯しあって、政府にたいして反対行動をおこしていく。今、このことが重要な課題だ。(津田保夫)

6面

通信KOSUGI
日韓の歴史を学ぶ
小さな旅に参加して

ソウルにある植民地歴史博物館(10月29日 )
侵略すごろく(植民地歴史博物館 10月29日)

ソウルの植民地歴史博物館で

神奈川の小さな市民グループが毎年やっている「日韓の歴史を学ぶ旅」に参加させてもらった。
最初の日(10月29日)に行ったのは植民地歴史博物館。ソウル駅の隣の「淑大入口駅」の近くにある。
この付近には韓国の歴史を学ぶ記念館が多い。民主化運動記念館、独立運動家キム・グ記念館、伊藤博文を打倒した安重根義士などの仮墓、また桜田門で天皇ヒロヒトに手榴弾を投擲したイ・ボンチャン義士(100ウォン切手の人)記念館などがあり、首都ソウルの中心にこのような記念館が多いということは改めて韓日の歴史を想い起す。
植民地歴史博物館の前の路上では街頭宣伝がおこなわれていた。「10・29イテウォン惨事の真相を究明しよう」のビラと「ユン・ソンニョル弾劾」と大きく書かれたボードを掲げた人たちだった。他の地でも「ユン大統領弾劾」の街宣が多く見られた。
迎えに出て来られた民族問題研究所の金英丸さんに今回も今の韓国の状況も含めて意味深いお話をしてもらった。

「韓国大統領が南北の敵対関係を煽っている」

キム・ヨンファンさんは今年だけでも、2月東京での「3・1独立運動学習会」や、3月や10月にあった「強制連行・強制労働問題」など、日本での多くの行動に参加されている。
ヨンファンさんは、最初に今の韓国と朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)との緊張関係について話された。
北朝鮮政権が韓国との連絡路を破壊したり、ゴミを韓国に飛来させてくるが、その前に韓国のほうから挑発を繰り返しているからだ。この問題はユン韓国大統領が北に対して無用の敵対関係を強めようと煽っているのが原因だと。最近、「韓米日の関係が良くなった」と言われているが、これはむしろ危険が大きくなったということで怖いことだ。
大統領は任期が5年、ユン大統領は自分がいた検察を使ってやりたい放題をやっている。と言われているが、これはむしろ危険が大きくなったということで怖いことだ。
ユンは「大統領拒否権」を乱用して国会で決まったことも否定してしまう。それを国会で再び逆転するには8議席足りない。こういう状況で政治が回っていないことを説明された。また「第三者弁済」など強制連行・強制労働問題に関しての韓国政府のやり方に対して怒りの声をあげ、日本のみなさんといっしょにたたかっていこうと話された。と言われているが、これはむしろ危険が大きくなったということで怖いことだ。
その後、「日帝が投げつけた1枚の徴用令状によって」侵略戦争の犠牲となり、遺族に何の連絡もないまま靖国神社に合祀されてしまった父の「合祀取り消し」をたたかうイ・ヒジャさんのお話をいただき、ヨンファンさんの案内で館内を見学させてもらった。

清日戦争を描写した多色刷り「錦絵」と韓半島の戦場をマスにした「すごろく」

「韓半島の運命を変えたかれらの戦争」として展示室では、「清日戦争130年・露日戦争120年企画展」が開かれていた。韓半島をめぐる2度の戦争は、朝鮮は植民地、清国は半植民地になる端緒としてあり、ロシアは没落し、日本が帝国主義列強となる基盤を築いた。
そして天皇制軍国主義を確固たるものとして、朝鮮などアジア侵略と植民地支配を拡大。
それを多色刷りの「錦絵」と「すごろく」で、国内外に派手にアピールしているのが印象深い。
それに対して、もちろん「東学農民革命」など民衆のたたかいも再現されている。
ヨンファンさんの民族問題研究所は、4389人もの「親日派」を記録した「親日人名事典」を発刊した市民団体だ。
歴史博物館内での展示では、そうした親日派の人々や、逆に侵略と植民地主義に抗して、強制動員などの被害を受け、謝罪と賠償を求めてたたかってきた方々、そして自国の加害の歴史を見すえながら、被害当事者への支援と連帯をつらぬいている日本の人々の業績も紹介されている。
「共感と連帯の力」として、強制労働と原爆被害を受けた闘い・三菱重工損害賠償訴訟・新日鉄に対する損賠訴訟・軍人軍属被害者損賠訴訟・靖国無断合祀撤廃(ハプサ)訴訟・不二越勤労挺身隊損賠訴訟など日帝強制動員訴訟も展示されていた。
2025年は日帝の敗北から80年、日韓条約から60年。加害の国に生きている私たちは、常にこうした歴史の事実を真正面から考え運動を進めていこう。
翌日のソウル日本大使館前での「慰安婦問題解決水曜行動」に参加など4日間の有意義な旅であった。(神奈川・深津利樹)
(401号7面記事を「通信KOSUGI@」とし、今回をAとします)

投稿
先住民族アイヌからのメッセージ(中)
多原良子さん講演会 11・24 吹田
南方史郎

地租改正とは、北海道土地売貸規則(1872)、地所規則(1872)、北海道地券発行条例、北海道土地払い下げ規則(1886)、北海道未開地処分法(1897)などです。(内容はここでは、省略します)アイヌ民族には、土地騰記登録などありませんから、明治政府の独断専行で、住居を取り上げられるわけです。
(北海道アイヌを支配・統治できた以上、アジアなどの人々の植民地統治の展望はひらけた、という明治植民地開拓政策は、そのまま、アジア侵略に通じてゆきます。北大は、北海道の大本営でした。満州に夢を見たアイヌも少なくありません)
屯田憲兵設置の年に、樺太・千島交換条約をロシアと結び、樺太全島を放棄する代わりに、千島列島の一部を日本領とした。樺太から841人が、望郷の念がおきないよう、江別対雁(札幌近郊)に強制移住、その半数が亡くなってゆく。また、北千島アイヌは、90数人、色丹島に強制集中移住させられ、千島アイヌは、滅びゆく民族と言われることになる。千島列島に放任しておけば、ロシアのスパイ化するという軍事戦略に基づく。
移住させられた色丹島は、涙の島と言われた。日々家族、親戚、島の友人などなくなってゆくので慟哭はたえることがなかった。そして、千島アイヌは「滅びゆく民族」の代名詞となりアイヌ民族全体に影を落とす。
VISAなし渡航のお墓参りを要請してから2年待ち実現した。元島民(和人)と涙ながらに話し合い、アイヌの墓地を教えてもらった。「流亡―日露に追われた千島アイヌ」(小坂洋右著)という本が忘れられなかったのだ。エトピリカという船で行った。(滅んだのではなく、近代日本帝国の富国強兵が、植民地経営のため滅ぼしていったのだった。帝国主義とは、外に侵略戦争、内に治安統制と言われる。)

国連から始まる同国人の差別行為

『女性に対する人種差別が男性とは異なる形で影響を与えることがあり、それを認識し、情報収集と活動が必要であることを明らかにした。複合差別とは、複数の文脈での差別が相互に影響しあう複雑な関係を指す。』これは、人種差別撤廃委員会が2000年採択した――人種差別のジェンダーに関する一般的な性格を有する勧告25。
2007年、先住民族の権利に関する国際連合宣言が採択された。
この宣言は、宗教的伝統の実行の権利、教育の権利、土地・資源に対する権利等、政治・経済・文化その他の広範な分野にわたって、先住民族の、及び個人の権利等について日本国の解釈を説明した上で賛成している。
2008年日本の衆参両院において「アイヌ民族を先住民族とすることを求める」決議が採択された。アイヌ民族にとっては、和人支配を抑制する曙のように感じられた。
我が国が近代化する過程で、多数のアイヌの人々が、法的に等しく国民でありながらも差別され、貧窮を余儀なくされたという歴史認識を示したうえで、国連の宣言を踏まえ、アイヌの人々を日本列島北部周辺、とりわけ北海道に先住し、独自の言語、宗教や文化の独自性を有する先住民族として認めること。
2003年から人種差別撤廃委員会にレポートなど報告を続けて、ここまできたことには快哉を叫んだ。ところが、2016年女性差別撤廃条約日本政府報告書審査会場には、思いもしない敵が現れていたのでした。
マイノリティ、人種差別、教育、女性に対する暴力、女性差別、先住民族などを担当する国連人権高等弁務官(パレ・ウィルソン)人権担当者と直接会い、現状を訴えていた。その会場に、元衆議院議員の杉田水脈らがおしかけており隠し撮りして、自分のブログで、「目の前の大量の左翼集団、小汚い恰好に加え、チマチョゴリやアイヌ衣装のコスプレおばさんまで登場。日本国の恥さらし、同じ空気を吸っているだけで気分が悪くなる…体に変調をきたす」などと、ヘイトスピーチを撃ち続けていた。(つづく)

7面

関生弾圧 加茂生コン事件差戻し審
労働組合の存在意義を否定
12月19日大阪高裁

大阪高裁前で力強くこぶしを上げる(12月19日)

12月19日、大阪高裁前の西天満若松浜公園で加茂生コン事件差戻し審の事前集会が100人を超える結集で開催されました。
10時30分、大阪高裁刑事第3部(石川恭司裁判長)による加茂生コン事件の差戻し審が201号大法廷で始まりました。
注目されている裁判のため、MBS(毎日放送)によるテレビカメラ撮影が定刻前の2分間おこなわれました。

加茂生コン事件

加茂生コン(京都府木津川市)で日雇い労働者として5年間、働いていたAさんが正社員化を要求するために2018年10月、関生支部に加入したところ、会社はこれまで毎年出していた就労証明書(子どもを保育園に入れるために必要な書類)を突然、交付しないと言い出しました。これは組合加入を理由とする典型的な不利益取扱いそのものです。
さらに組合から団交要求を受けた会社は同年11月14日、なんと突然「今月いっぱいで廃業するので就労証明書は出さない」と通告してきました。そこで組合員が木津川市役所に電話して「廃業予定の場合、どうなるのか」と聞くと「今、働いているなら就労証明書を出さないといけない」と回答がありました。その場にいた社長の妻である専務も同市役所に確認の電話をしたところ「廃業するとしても今、働いているなら就労証明をしなければなりません」と言われたのです。するとこれまで元気だった専務は突然、急に体調が悪くなったとして救急車を呼び、組合員に帰るように要求したため、組合員は帰りました。
このやりとりから1年半後の2019年6月、組合が就労証明書を要求したことが「強要未遂」だとして京都府警組織犯罪対策課が組合役員等を逮捕・起訴したのが加茂生コン事件です。なお今日に至るも団交は開催されず、Aさんは就労証明書の交付も受けられず、仕事も失っています。

差戻し審

一審の京都地裁では2020年12月、2名に懲役1年と懲役8月、執行猶予3年の有罪判決。二審の大阪高裁では1名が無罪、1名が30万円の罰金となりほぼ勝利をつかんだのに、最高裁(第一小法廷)は2023年9月、自分で判断せず、二審判決を破棄して大阪高裁に差し戻してきたのです。

完全無罪を

加茂生コン事件は、日雇い労働者が正社員化を求めて組合に加入したことを理由に、これまで出していた就労証明書の交付を拒否し、さらに団交も拒否してきた悪質な組合嫌悪の不当労働行為そのものです。子どもを保育園に入れるために就労証明書を要求するのも、正社員化を求めることも、団交を要求することも労働者が人らしく生きるための正当な要求であり、団結権の行使そのものです。さらに、組合は刑法にいう暴行にあたるような行為は一切おこなっていないのです。
検察側は概略「就労証明書の交付を拒否されると組合は他の法的手段をとることなく、安易に自力救済をおこない、会社に心理的圧迫を加えた」としています。しかし、加茂生コン事件は私人間の争いではないのです。弱い立場に置かれている労働者と有利な立場にある使用者との問題なのです。
労働者が労働組合に団結して「自力救済」をおこない、使用者に対して「心理的圧迫を加える」ためにストライキやビラまきや団交を要求することを憲法は第28条で労働者の当然の権利として認めています。憲法は、団結権の行使によってはじめて労使は対等な立場に立てることを認めているのです。さらに労働関係調整法第7条は争議行為を以下のように定義しています。争議行為とは「同盟罷業、怠業、作業所閉鎖その他労働関係の当事者が、その主張を貫徹することを目的として行う行為及びこれに対抗する行為」であって、「業務の正常な運営を阻害するものをいう」とされています。
ストライキなどで「業務の正常な運営を疎外」しても労働者の団結権の行使である限り、憲法第28条によってそれは正当な権利として認められているのですから、ストライキなどよりはるか以前のささやかな就労証明書を要求する行為によって、仮に使用者に「心理的圧迫を加え」たとしても、それは憲法が認める団結権の当然の権利なのです。完全無罪以外にはありません。

すべての労働者の生活と権利がかかっている

検事は、加茂生コン事件で労働組合の存在意義そのものを抹殺しようとしているのです。弱い立場に置かれている労働者が組合に加入して団結権を行使して要求をかちとることを検事は「安易に自力救済を求める」ものと非難しています。つまり、検事は労働者は労働組合に加入するなといっているのです。
団結権は労働者の生存権に由来しています。労働者が人らしく生きるために労働組合に団結し、ストライキや実力行動をおこなって資本に要求をのませることは当然の権利なのです。労働組合に加入して憲法第28条が認める団結権を行使して「自力救済」をかちとること以外に労働者になにがあるというのでしょうか。
さらに検事は、団結権の行使は使用者に「心理的圧迫を加える」ものではあってはならないとしているのです。これは闘う階級的な労働組合の存在意義を全面的に否定することです。 私たちはこのような組合つぶし=労働者の人らしく生きる権利を抹殺する国家権力の攻撃をぜったい打ち破っていかなければなりません。

次回、判決

裁判はこの日で結審。判決は4月17日午後2時半、大阪高裁に集まろう。(米村泰輔)

関生京都3事件判決
とき:2月26日(水)
午前8時半 京都地裁前アピール行動
午前9時過ぎから傍聴抽選
午前10時 開廷(判決)
※待機場所&報告集会は、京都弁護士会館

投稿 ナベツネの死と読売新聞 「1千万部発行」の実態

昨年末、読売新聞会長兼主筆の渡辺恒雄(以下、ナベツネ)が死亡した。
「死者に鞭打つ」ことをタブー視する日本人の慣習に逆らって、私は彼のダーティーな実態を暴露する気持ちを抑えきれない。

その1

読売新聞(以下、読売)は1千万部と称する世界一の発行部数を誇っている。ナベツネはそれを背景に、独善的な言動を重ねてきた。
かつて私の所属する地域ユニオンが、読売の販売店員の相談を受けて販売店主を相手に闘ったことがある。そのなかで分かったことだが、読売は担当地域の戸数から拡販部数を割り出してノルマを強制し、一方的にその部数を送りつけてくる。折り込み広告もそれに合わせて取り扱う。
そのシワ寄せは販売店員に集中し、労働強化はもとより、雨除けのビニール袋の代金まで負担させられる。売れ残った膨大な数の新聞や広告チラシはゴミとして廃棄処分。「1千万部発行」はこうして成り立っているのだ。

その2

ナベツネは「東大入学後に敗戦を迎え、共産党に入るが、個の自由より組織の統制を重んじる党に反発して脱党した」とされているが、裏がある。
ナベツネはそのころ日の出の勢いの共産党が天下をとる%が近いと予想し、立身出世の道として共産党を選んだ。
ところが東大細胞には、後に共産党の最高幹部となる上田耕一郎・不破哲三の兄弟、都学連委員長・東大自治会中央委員会議長を経て社会党代議士になる高沢寅男、後に「在日」作家となる高史明、後に西武百貨店グループ95社の会長になり辻井喬の名で作家・詩人としても活躍する堤清二など錚々たるメンバーがそろっていて、残念ながらナベツネにはとても歯が立たなかった。
そこで、当時3度目の転向をして急速に右傾化しつつあった三田村四朗の下に走り、細胞破壊工作のチエとカネを授かって、細胞の切り崩しを図った。もちろん、この工作は失敗に帰した。
これは三田村が主宰する民主労働協会の機関誌『民主労働者』1948年前後の座談会記事を読めば明らかだ。同誌は国会図書館か大宅壮一文庫を検索すればよい。

その3

2004年のプロ野球再編成の際、プロ野球の労働組合である「選手会」の古田敦也会長が面会を求めていると聞くや、ナベツネは「無礼なことを言うな。分をわきまえなきゃいかんよ。たかが選手が!」と語気を荒げた。この暴言のお陰で、10チーム1リーグ化をめざす企みは吹きとんだ。
プロ野球の歴史をよく勉強し、自分の言葉で世論に訴えた古田のリードで、ストライキが勝利したのである。
以上、ナベツネの輝かしい過去≠飾る1ページである。(一読者)

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8面

県知事選不正 1800人結集し反撃始まる
12・22集会 会場あふれる
告訴・告発署名1300超える
神戸市

立ち見も出て6階主会場をあふれた参加者(12月22日 神戸市 )

「兵庫県知事選に異議あり! 真相究明 県民集会」が12月22日、神戸市でひらかれた。
集会への問い合わせ・反響が大きく、会場大ホール、5階、4階も満杯で、1階ロビーや外の路上に人があふれ、1800人が集まった。

斎藤・立花追及し選挙無効・人権尊重を

司会は、公選法が想定しない撹乱選挙で斎藤再選があった。今回のようなことを許せば、選挙の公正性が担保されず、民主主義が崩壊してしまう。何がどういう人によって引き起こされ、今から何をすべきなのかを確認したい、と始めた。
冒頭、主催者あいさつがあり、「選挙の真実が全然発信されてない。年を越したら追及は尻すぼみだということで、今日の集会をもった。兵庫県知事選に問題がある。大事な問題は、西播磨県民局長の私的文書がなぜ立花の所へ渡り選挙の道具に使われたか、ここまで内部告発がさらし者にされ自死を選ばざるを得ない県政が最大の問題だ。集会をやるにあたり刑事告発をしようとなったが、既に郷原弁護士と上脇教授の告発が受理された。稲村さん後援会のアカウント破壊の件も津久井弁護士の告発、立花への奥谷委員長の告発も受理された。郷原・上脇両氏の告発状に賛同して支えていこう。今後の兵庫がどうなるかは、この集会にかかっている。2月中旬に百条委員会の最終報告が出る。今日の決議文には、選管が選挙無効というべきと書いている。この集会を契機に違法を問い直し、民主主義、自治、人権が尊重される兵庫県にしていこう」と述べた。

建物前に長蛇の列(神戸市 )
プラカ隊も大活躍(教育会館前)
4階第3会場も満杯(12月22日)

百条委員会県議がアピール

次に、上野英一県議(県民連合幹事長・百条委員)は、「知事選後に選挙でお世話になったお礼を稲村さんと回っていたときに、稲村さんは、『兵庫県民のことを考えれば私が勝利したほうがよかったが、日本のことを考えたら、私が勝利すれば公選法もネットの問題も話題にならなかった。この選挙は負けたけど、問題の公選法・ネット違反の解決が私の務めである』と述べた。桜井衆院議員は、『今回の選挙に関連して公選法改正などを検討』、国民民主党向山議員からも『国会で法改正したいので資料がほしい』と言ってきた。自らの当選を目的としない立候補、SNS規制について、この2点で12月議会で兵庫県民連合の意見書を全会一致で採択。私の考えでは、この点を放置すれば民主主義は崩壊する。
斎藤知事とは是々非々で対決する。再選されたからといって、前の3年間は免罪されない。県民連合で2人の議員が追及、他の会派はほとんどない。
12月25日に百条委員会があるが、特にパワハラ問題、公益通報制度、通報者の保護への違反、この3点が大事。元県民局長の個人情報の漏洩の解明も必要。ネットでの攻撃については、斎藤県政失脚を画策したものとして、丸尾議員や奥谷百条委員会委員長が攻撃されている。選挙後にテレビ取材をうけているが、その度に電話やメール攻撃されている。事務所、控室、議会事務局にも。奥谷委員長はN党立花孝志を告訴した。丸尾議員も15件の動画排除を刑事・民事両方で追求している。元県民局長の名誉回復ができないものか考えていきたい。これまで、歴代知事をたてまつる雰囲気で、内部告発は起こらなかった。斎藤知事のパワハラ体質で、前県民局長は後輩のために内部告発した」などと述べた。
このあと尼崎市議・都築徳昭さん、神戸市議・粟原富夫さん、西宮市議・四津谷薫さんが発言。

上野英一兵庫県議沖縄
東京新聞・望月衣塑子さん

西谷文和さんの訴え

続いて、フリージャーナリスト・西谷文和さんが発言。西谷さんは、今回斎藤がなぜ当選したのかを分析したいとして、3年前と今回を比較し、るる説明。結論として、「SNSが大量票獲得したというのとは違う。斎藤再選のからくりはSNSで勝ったんじゃない。それは1割。自民と維新が組織をフル稼働している」。
「ネトウヨや安倍信者や日本会議などは石破が嫌いで行き先がなかった。それらが石丸→高市→玉木→斎藤へ流れた」と分析。「宗教カルトの倫理法人会、統一教会、維新、N国信者なども動いた。西村康稔は倫理法人会に入会し、明石を拠点に自民党を分断した。これらが今後の国政選挙を見据えて動いた」と分析。
また「YouTubeの拡散力が世界的に広まっている。トランプも韓国の尹大統領も極右ユーチューバーに、はまっている。非常戒厳を国会が阻止したが、日本の自民党の考えている緊急事態はあれより恐ろしい。他山の石としたい」。結論として「稲村敗北は日本にとって良かった」として、「公選法を改正するべきで、SNS、身替わり選挙に対して反転攻勢をすべき。百条委員会は重圧を受ける。守っていかねば。県民局長の無念を晴らすべき」と述べた。
津久井進弁護士のメッセージでは、稲村後援会の公式アカウントが2度にわたって凍結された。ルールに反する虚偽の申し立てで偽計業務妨害として告発し、受理された。公選法235条2項の事実歪曲などにもう一度スポットをあてると、述べた。
ほかに東京新聞の望月衣塑子さん、フリーの横田一さん、週刊金曜日の文聖姫社長などが発言した。235条2項の事実歪曲などにもう一度スポットをあてると、述べた。
質疑応答で、上野県議は「斎藤知事は去年11月から問題になり、2月の段階で任せられないということで文書問題が出た。6カ月間、誠意のない会見をやってきた。パワハラ、公益通報制度・通報者保護違反などで不信任は県民の雰囲気がそうなっていた。今、あれが間違いという声があるが、何ら間違っていなかった」と答えた。
その後、決議文を読み上げ、全参加者の拍手で採択し、12月25日、百条委員会の終日行動(特に午後は斎藤知事、片山前副知事の喚問)を確認して集会を終了した。
なおこの日集めた刑事告発賛同署名は1300筆を超えた。