自公過半数割れから退陣・瓦解へ
戦争、増税・物価高、原発に反対
人民の怒りでれいわ9議席へ
総選挙で自公一強体制が崩壊
JR大阪駅北側で多くの聴衆に訴える山本太郎れいわ代表(10月18日) |
最終日、淀川区でマイクおさめ前の大石あきこ候補(10月26日 大阪市) |
総選挙で自公一強体制が崩壊
10月27日投開票の衆議院選挙で、石破自民党・公明党政権は過半数を大きく割り込む歴史的敗北を喫した。裏金問題への怒りは最終盤で、非公認候補に政党交付金2000万円(税金が原資)を給付する暴挙をおこない、議席喪失の最終的とどめとなった。また「党内野党」であった石破が自民党総裁になるや態度を豹変させたことへの怒りも爆発した。
裏金議員(安倍派議員=下村博文・高木毅、丸川珠代など)や現職大臣(牧原法相・小里農水相)や、世襲候補(二階俊博の三男)、統一教会関係者(盛山前文科相)などが次々と落選し比例復活もならなかった。半年前までは権勢を誇っていた安倍派は40人近くが落選し昔の面影はない。2012年以来の安倍一強支配とその後継体制(菅―岸田)が、9月自民党総裁選と10月総選挙を経て瓦解したのだ(「驕る平家は久しからず」)。
さらに連立与党の公明党は600万票を割る得票で自公連立以降の過去最低となった。石井代表や「常勝関西」の大阪4人の候補が全員落選した。石井は辞任表明したが、次期執行部の人材もない。小選挙区以外では、自民党候補を支えてきたが、この集票システムも破綻した。
かくして55年体制崩壊以降、長期にわたる自民党支配を支えてきた屋台骨が大きく崩れ、連立、部分連携、左右の分岐という没落資本主義=ヨーロッパ各国がたどる政治的大流動の時代に入ったのだ。
「失われた30年」への怒り
しかし今回の怒りは単なる裏金問題だけでない。30年にわたり賃金が下落し続ける国は日本だけで、軍拡の次には大増税が待つ。物価は賃金上昇をこえて上がるのに経済無策だ。見捨てられた能登半島地震の被災者の姿は、明日の列島人民の姿そのものだ。
その上に旧岸田政権の5年間43兆円の軍事予算を継承するという。全国を基地化し、軍事ビジネスで経済を再興しようとしている。総選挙中も日米軍事演習を繰り返している。原発については政治的争点にせず、再稼働を強行する。
さらには多くの自民党議員が統一教会や宗教右派に票を依存し、「親ガチャ」と言われる世襲議員(岸、小泉、福田、小渕ら)がはびこり、政治を私物化し、矛盾・犠牲は人民に転化する。モリ・カケ・桜をはじめ積もりに積もった怒りの爆発だ。
これらへの怒りはさしあたり穏健保守を表明する国民民主党や立憲民主党に流れたが、他方で「失われた30年を取り戻す」と訴えるれいわ新選組は、共産党を上回る380万票と3倍増の9議席獲得した。
維新の会は大阪では19全勝したが、兵庫12選挙区では1人の小選挙区勝利もなく、当選者は大阪のおこぼれ比例復活組ばかりで、4議席減。悲願の全国化はまたも失敗。政調会長・音喜多(東京1区)は落選し、馬場代表への批判も多い。共産党・社民党は沖縄で各1議席を維持したが、もはや「社共共闘・野党共闘」は過去の話だ。特に100年の歴史を持つ共産党は田村智子新委員長の下でも、その組織的硬直性とセクト主義は変わらず(11・17投開票の兵庫県知事問題には全会派一致の斎藤知事不信任決議以前に独自候補を擁立、現在は市民派統一候補の妨害となっている。8面参照)、間違えば率直に謝罪・撤回する創生5年のれいわより少数議席となった。
戦間期の多様な連立の時代
軍拡・増税反対の声を
今次総選挙の社会的意味は何か。日本経済は1990年のバブル崩壊以降の「失われた30年」の停滞を突破できず、格差・貧困がますます拡大する。昨年来の物価高には打つ手なしで、資本の利潤追求を放置し、減税や給付で人民の暮らしを守らない。経済的浮揚も先端技術では台湾などにはるかに遅れ、そこからの資本導入に必死だ。頼るのは中国・アジアなどからのインバウンドだが、政治は中国敵視を基調とし全く不安定だ。労働力不足、少子高齢化など社会的基盤の後退も激しい。これらを政治の力で突破する道もあったが、してこなかった。そして今唯一の突破の道を軍事ビジネスに求めようとしているのが自公政権だ。
2年前タレントのタモリが「新たな戦前」を言ったが、ウクライナ戦争・パレスチナ戦争は止む気配はなく、「台湾海峡危機」=沖縄の戦場化と軍備拡大があおられていく。その中でヨーロッパ型の極右・排外主義が鎌首をもたげるとともに、他方で2012年以来の自民一強体制の崩壊が始まった。
1930年代のドイツのように、憲法が空洞化し、様々な政治勢力が跳梁・跋扈し、中規模政党の連立が繰り返される時代になろうとしている。戦争前夜の時代の政治的激突が始まったのだ。
それは議会的変動と連携した人民決起によってのみ突破できる。大連立や、国民民主との部分連合では、軍備拡張や原発再稼働が進められる。それに対し国会内左派と連携した軍拡・増税・原発反対の人民のうねりをたたきつける必要がある。今次総選挙でのれいわ380万人民決起や立憲・社民・共産の良心的部分総計1000万人と連携し、軍拡・増税・原発反対、石破内閣打倒へ。25年7月参議院選過程で、自公支配を完全に分裂・瓦解させる人民的激動を闘いとろう。
2面
れいわ・大石あきこ堂々再選
あらゆるバッシングはねのけ闘う
大阪5区
最終日、マイク納め。セントラルスクエア前には200人が(10月26日 大阪市淀川区) |
国会での活躍で「野党の星」と知られる大石あきこ衆議院議員は、前回は比例復活の最後に決まった当選者だったが、今回も比例復活とはいえ、深夜には及ばず当選が決まった。しかしその再選の道は簡単ではなかった。NHK党首討論をはじめ、また橋下徹との裁判に勝つなどマスコミの注目度は高かったが、地に着いた知名度は決して高くはなかった。
まず大阪5区という選挙区である。東淀川・淀川・西淀川・此花区という地域は典型的な大阪の下町であるとともに、新幹線新大阪駅周辺は人口の流動性も高い。府議・市議は定員数が少なく当選は難しい。公明・共産という組織政党が根を張っており、そこへこの10数年維新が殴りこんできて、組織的基盤を固めているわけだ。
この点で1期3年では十分な基盤があるわけではない。そこにきて前回不出馬の維新・共産が立候補。その上に元れいわ候補だった立憲まで立候補を伺ってきた。
先ずはそんなに高くない知名度のアップと、コアな支持者の固めから始まった。まだまだ残暑のきつい8月盆明け、集合住宅の多い地域のポスティング、ポスター依頼活動から始めた。8月末の箕面市議選の支援にも入った。9月からは電話かけも始まり5区以外の大阪や、兵庫からも支援が連日かけつけた。
9月19日には「仁義なき戦い」集会。5区選挙区民を中心に200人が会場をうずめ、山本太郎代表と大石あきこ衆議院議員の話に聞き入った。ここでは30年にわたる「賃金下落とコロナ禍、物価高」の3重苦を取り上げ、「れいわと一緒に社会を変えよう」と訴えた。
9月自民党総裁選が終わるや新首班指名からわずか2週間で公示。「裏金隠し」の国会解散には体を張って闘った。
10月15日は公示。選対事務所は連日決起。諸団体・ボランティアの決起も続いた。
最終日は各地の団地スポットの上に、最後は新大阪のセントラルスクエアで。早くかられいわの支持者がピンクジャンバーで駆け付けビラまき。買い物の市民も足を止め、だんだん数が増え最終的には200人ほどに。比較的若い世代が多いが、多様な世代が大石さんを囲む。「国会で一番嫌われている」とのつかみコピーから増税・戦争に反対すると、短いながら鋭いアピール。最後は大石コールのなかで、勝利を確信してのマイク納めとなった。
つじ恵 惜敗 闘いやめぬ
政治的激突の時代に捲土重来
愛知15区
最終日豊橋市中心街をねり歩き |
豊橋市郊外で、地域住民と一体の個人演説会(10月25日) |
愛知15区のつじ恵候補はれいわの躍進で比例東海ブロック2議席可能が報ぜられるなかで、今度こその思いで候補者も三重・愛知・浜松などから駆けつける支援者も必死で闘ったが、極めて残念なことに選挙区での得票が9・7%で10%に届かず比例復活することができなかった。
愛知15区は豊橋・田原という東三河と渥美半島の選挙区。豊橋はかつて愛知第2の都市だったが現在は人口減が著しい。田原は長い渥美半島にあり衰退著しい農村地帯。ここでスポーツアリーナ問題や浜松・豊橋連絡道路問題、田原の農業問題などを地域住民と語り合ってきたが、東三河独特の保守的風土を打ち破ることはできなかった。
公示日は豊橋市高師口の事務所前歩道橋に80人の支持者が。事務所前で、すがや竜豊橋市議の司会で第一声。前半戦の山場は19日の山本太郎代表の来豊。JR豊橋駅前デッキに300人近くが集まり、山本代表とつじ候補の演説に耳を傾けた。翌日の豊橋まつりでは握手作戦。祭りで盛り上がる人々のお店や子どもたちとも握手。このころから、「豊橋に恵みの雨をもたらすつじ恵。めぐみじゃないよめぐむだよ」のフレーズが流行りだした。23日は田原市で、24日は大飯原発を止めた元裁判官樋口英明さんを応援弁士に、25日は政治学者・白井聡さんと哲学者・西谷修さんを応援弁士に個人演説会が開かれた。
そして最終日は広小路から豊橋駅前まで40人で練り歩き。最後の演説では「自公過半数割れから連立の時代へ。1930年代ドイツのように、連立政権や年2回の総選挙などの政治的激突の時代になる。その時つじは国会内外の先頭で闘う」と結んだ。残念ながら当選とはならなかったが、捲土重来が求められる。
東北電力、政府、経産省一体の女川原発再稼働許すな
10月29日
東北電力は、10月29日東日本大震災で被災した女川原発2号機(宮城県)を住民の反対を押し切って再稼働した。住民の安全も顧みず、被災地の原発で初、福島第一原発と同じ沸騰水型炉として初の原発再稼働は許されない。
3面〜5面
『未来』400号記念論文 新しい共産主義のために
反帝国主義・反スターリン主義
万国のプロレタリアート 団結しよう
被抑圧民族人民との連帯で21世紀の世界革命を
『革共同通信』創刊準備号(2008年1月1日) |
はじめに
われわれが直面しているのは、資本主義の新自由主義的局面が行き詰まり、米帝国主義の一極支配が崩壊した後の世界である。戦争と政治的抑圧と差別、分断と虐殺が渦巻く混沌の世界である。資本主義は、資本蓄積が限界に達した後も、その限界を超えて資本蓄積を拡大しようとする。そのためには社会の再生産も、自然の物質代謝も破壊し、歪曲する。ついにはこの惑星が、人類をはじめ大部分の生物が生存できる空間ではなくなる。資本と資本主義が滅びるより先に、人類が滅びることをいとわない体制は打倒しなければならない。AI企業の大立者、イーロン・マスクは、地球が滅びても生きのびることを求めている。そのため、百万人単位の人々とともに火星に移住する計画を立てているという。人類が滅びても、資本だけが、いな資本家だけが生き残ることを考えることなど許せない。
『未来』発刊400号、号数を引き継いだ『革共同通信』の創刊から17年に及ぶ。われわれ革命的共産主義者同盟再建協議会は、苦節20年に近く闘いぬいてきた。そして今ようやく、新しい社会主義・共産主義の展望をつかむ地平に到達した。
第1に、70年安保・沖縄闘争とそれを主導した本多革命論の総括である。「戦後世界体制の根底的動揺」と革命の現実性認識を確立した。そして「沖縄奪還―安保粉砕・日帝打倒」の戦略的総路線を掲げ、破防法弾圧を乗り越えて闘ったことは正しい。それに対し、小ブル自由主義の綱領路線を掲げる革マル派は、70年安保・沖縄闘争から逃亡した。そして革命的左翼を襲撃し革命的闘争を破壊する70年代反革命に転落した。カクマルとの強いられた内戦にひるまず、党の死活をかけて闘ったことは正当である。問題はその中で生み出されたひずみを見すえて21世紀を闘うことであった。
何よりも、対権力の闘いを正面に据えて闘うことの回避である。86年以前から始まった「5・7宣言体制」との闘いで重大な敗北を喫した。にもかかわらず、それを見すえず、対カクマル戦一点的に闘った。さらに、対カクマル戦争と対権力闘争を分離し、2段階化する持久戦論を採用した。対カクマル戦と対権力闘争において、つねに政治の優位、労働者人民の自衛武装を軸に、その中から革命的勢力もつくるべきであった。正置形態として貫くべきその路線を投げ捨ててしまって、革命軍戦略に依存した。そのなかで、3・14本多書記長虐殺をはじめ多くの敗北を喫した。
また1967年社青同解放派や1984年第4インターナショナルに対する暴力行使は、闘う勢力内部に分断と分裂を生んだ。反省と克服になお全力を挙げなければならない。
1991年の5月テーゼと2001年の革共同6回大会は、以上の総括と克服を不問に付した。1990年代、ソ連圏崩壊以降の革共同は、ともすれば、安保・沖縄闘争を全人民的政治闘争として闘うことから逃亡した。そしてかつては、労働組合の「権力を取る」=「革共同の労働組合をつくる」ことに注力した。いまは逆に「職場闘争」、「労働組合」の闘いを否定し、対立させて、「反戦闘争」を外から持ち込むことに注力している。右往左往の繰り返しである。
以上の確認にたって、21世紀を闘うわれわれ「未来派」の路線は鮮明である。「新しい安保・沖縄闘争」を、安倍―岸田を引き継ぐ、石破政権と対峙して闘うことである。同時に新自由主義の破綻が生み出す労働者人民の困窮と危機に対して、地域から、職場から、あらゆる戦線から闘いの芽を育て、闘うことである。政治対決の焦点をなす選挙闘争も含めて、全国的に、また地域から、階級闘争と階級形成を一個二重の闘いとして闘おう。
第1章 新たな沖縄戦の切迫
安倍・勝共体制を継承する石破政権
岸田に代わった石破内閣は、統一教会と関係をもったと認めた閣僚が石破首相自身を含め8人もいる。安倍・岸田を引き継ぎ、安倍・勝共体制の枠内にある。しかし対中国の軍事・外交面では安倍を超える突出性をもっている。対中国包囲を強化する「アジア版NATO」を提唱し、米帝を引きずりこもうとしている。閣内に防衛相経験者を4人も抱え、大軍拡路線にひたすら突っ走っている。10月15日のNHKニュース・セブンの党首インタビューで、石破は次の3点をぶち上げた。
@ 「核抑止力を実効性あるものにしていく」
A 「防災省は自然災害だけでなく、有事にも対応する」
B 「(防衛増税について)年内に決着させる」
いずれも岸田が首相として決断できなかったことである。
21世紀の日帝の基本路線を敷いた安倍・勝共体制は対中国戦争の態勢づくりの面で突出していた。関係諸国で国家戦略のうえで、中国を「仮想敵国」としているのは日本だけである。米政府ですら「戦略的競争相手」とするにとどまっている。また対中国包囲の「インド太平洋」戦略を打ち出したのも米国よりずっと先である。
政府・自衛隊はもちろん、メディアも大企業も、対中国戦争挑発を煽りに煽っている。そのとき、米中戦争に「日本が巻き込まれる」などと言うことは的外れで、闘いを遅らせるものである。一切の武装解除と怯懦を捨て、石破戦争内閣を打倒しよう。
大軍拡の意味と現実
防衛費は自公政権が称しているような5年間で43兆円にはとどまらない。22年12月に防衛省が43兆円と決めたとき、為替レートは1ドル=108円で計算している。1ドル=160円を超えている2024年8月の現在、それだけで5割はアップする。また高額兵器を購入する兵器ローン(10年分割払い)の後年度負担が大幅に上がる。
このような財政的な大軍拡の目的はどこにあるのか? 最終的には戦争国家の基礎として、軍産学+原子力産業の複合体を形成することである。すでに国内軍需生産トップの三菱重工は23年度契約分が約1・6兆円と過去最大で前年度の4倍弱となっている。業界第2位の川崎重工も倍増している。海自潜水艦員への供応が摘発された同社には、この5年間で防衛省・自衛隊の幹部12人が天下りしている。少なくとも3年ごとに改定されるエネルギー基本計画が今年改定されようとしている。そこでは、エネルギー安全保障と同時に日本企業の競争力強化を図ろうとしている。新増設を含めた原発推進、水素発生炉やアンモニア利用などの技術輸出と軍事への転化を狙っている。
軍事大国の基礎として軍産複合体を本格的に形成するために、第1に、広大な需要(販路)を確保する、そのために次期戦闘機の日英伊共同開発→武器輸出に全力を挙げている。
第2に、実際に利益が上がること、防衛産業からの撤退が相次ぐ中で、防衛省は2023年10月に、防衛産業の企業利益率を従来の8%から最高15%に引き上げた。
第3に、その兵器が使い物になること、そのためには実際の戦争で使うしかない。ウクライナ戦争、パレスチナ虐殺戦争を「死の商人」たちはよだれを垂らして見ているのである。
その集約点は、スタンドオフ・ミサイルの国産・自力開発である。まず、12式地対艦ミサイル(12SSM)能力向上型の開発配備である。21年三菱重工に発注。トマホーク技術を学び(盗んで)、地上発射型は2025年度、航空機発射型は2027年度の開発・配備の予定。射程は200→900→1500qに延伸する。もう一件は、亜音速飛翔型と超音速飛翔型ミサイル(マッハ5以上)で、2030年代に開発・配備する予定で準備している。このミサイルについて、ロシアは開発に成功しているが、米国は開発に失敗している。それを日本は、実験段階では成功していると言われている。
戦争の切迫と歴史の教訓
防衛3文書では、「南西方面」戦略が強調されている。その環として、新たに「第2特科団」と言う名称でミサイル部隊を編成し、琉球列島の島々にミサイルを配備する。宮古水道は海峡の幅が280kmともっとも広い。しかし12式地対艦ミサイルはすでに、射程200qを達成している。沖縄島と宮古島の両岸に配備すれば、琉球諸島を盾として完全に封鎖することができる。中国の艦船はおろか、民間船も外洋に出ることはできない。エネルギーも食糧も自給できない中国は、死活をかけてこれを打ち破るしかない。約3000発と言われるほど大量に保有する中短距離ミサイルの飽和攻撃で発射拠点を潰すことに全力を挙げるであろう。そうなれば、トマホーク400発もイージス艦も対抗することはできない。迎撃することはまして不可能である。問題は住民である。沖縄島以外はシェルターなど建設はできないと政府は公言している。12万人の先島諸島の住民を開戦直前に民間船で九州に避難させるなどという計画は空論である。結局、先の大戦で地上戦が唯一戦われ、全住民の4分の1が亡くなった沖縄戦をもっと大規模に再現することになる。
歴史の教訓を挙げよう。太平洋戦争開戦時の日米の経済格差はGDPで4・9倍であった。現在の日本と中国の格差はGDP比で5・8倍に及ぶ。軍事費で比較すると、2022年度の軍事費の対GDP比は、米国2・85%、日本は0・93%、中国は1・19%である。中国はまだまだ余裕がありそうである。しかし日本が、2倍、GDP比で2%にすれば、財政が破綻し、ハイパーインフレか、国家的デフォルトに陥るであろう。労働者人民は塗炭の苦しみに陥る。
もう一つの教訓。第2次世界大戦の引き金を引いたのは、1939年9月、ヒトラー・ドイツのポーランド侵攻とされている。しかし日本人民が反省的にとらえるべきは、そうではない。1931年柳条湖事件、いわゆる「満洲事変」が始まる。1932年、日本のカイライ国家「満洲国」建国宣言。1933年、リットン調査団が「満洲国」を認めなかったため、国際連盟の常任理事国であった日本が連盟を脱退。このように、当時の世界で「力による現状変更」を最初におこない、その後「世界秩序」を破壊しまくったのは日本であった。この時も、現在もまた、中国に戦争を仕掛けることを宣言し、軍事的準備をはじめる日本に展望はない。アジア人民に対する侵略と虐殺への反省を力に変え、中国・台湾・韓国・朝鮮人民と連帯し、この戦争を阻止しよう。
第2章 イスラエル国家の解体
歴史から必然的な要求
章題にした立場はパレスチナ人民の共通綱領であるだけでなく、世界革命の立場から必要とされる。まず歴史的観点から見よう。
第1段階として19世紀末、シオニズムが運動として成立。最初は、ヨーロッパで迫害されたユダヤ人の「民族主義」運動であった。1917年、英外相のバルフォアが中東パレスチナの地にユダヤ人の「ホームランド」の建設を約束する。そのことによって、帝国主義の植民地支配と結合する思想・運動となった。そこには、第1次大戦の敗戦国となったオスマン帝国の分割に対する英帝国主義の思惑があった。
第2段階として、1948年のイスラエルの「建国」。シオニズムが単なるイデオロギーや運動であることを超えて、帝国主義の前線国家として成立した。1947年11月国連総会は、パレスチナの地を分割し、少数派であるユダヤ人の独立国家を建設することを認めた(ソ連も賛成した国連決議181号)。「ユダヤ人国家」は、その2国家分割の予定線を超えて「独立」し、多数のパレスチナ人を虐殺し、追放した。以上、イスラエルは国連決議にすら反して「独立」したのである。その過程で、パレスチナの地に住むパレスチナ人民の実に4分の3、75万人以上を民族浄化した。パレスチナ人はこの大惨劇を「ナクバ」(大災厄)と呼ぶ。
第3段階が1983年のオスロ合意の欺瞞と裏切り。「2国家併存」を名目に、パレスチナ側には独立に向け自治権を与える約束であった。しかしイスラエルは「独立」にも「自治」にも必要な条件を何ひとつ与えなかった。
その条件とは、ユダヤ人入植地の撤去、東エルサレムの返還、国境管理権の移譲、水利権の返還、難民帰還権の承認などである。イスラエル国家を承認したPLO(パレスチナ解放機構)は、対イスラエル闘争を放棄して「自治政府」を発足させる立場に追いやられた。2006年パレスチナ議会選挙がおこなわれた。オスロ合意に反対し、イスラエル国家を認めないハマースがヨルダン川西岸、ガザの両地区で勝利した。これにおどろいた米政府とイスラエルは、PLO主流派のファタハに資金を提供し、武器を与えて武装クーデターを起こさせた。その結果、西岸はファタハが自治政府を名のり、ガザはハマースが統治することになった。それ以降選挙はおこなわれていない。イスラエルはその後数回にわたり、ガザと西岸に抹殺攻撃をかけている。
イスラエル国家の本質
昨年の10月7日の闘いでは、このようなイスラエルに、パレスチナ人民が挙族的に決起した。決してハマースだけの闘いではない。政治党派としても、ハマース(イスラム抵抗運動)、イスラム聖戦機構、PFLP(パレスチナ民族解放戦線)、ファタハ(パレスチナ民族解放運動)反主流派などが連携して闘っている。イスラエルとの2国家併存を認めるアッバス議長に代表されるファタハ主流派だけは参加していない。彼らは、PLO政権を名のるヨルダン川西岸地域でも10%以下の支持しか得ていない。イスラエル国家解体の立場ではほとんどの政治潮流が一致している。
イスラエルを「シオニスト国家」とか「帝国主義の前線国家」と規定するだけでは不十分である。「入植植民地国家」ととらえるのが正しい。先住民族・住民を追放し、虐殺してつくった国ということである。近い歴史では、日本のカイライ政権「満洲国」がそうであった。もっと歴史をさかのぼれば、北米合衆国がそうである。ともに武装した入植者が先住民をダマし、虐殺し、追放して国家を形成している。「五族共和」とか「自由・平等」などの謳い文句はそれ自身欺瞞である。
「ユダヤ人国家」の欺瞞
イスラエルは2018年に、「イスラエル基本法」なるものを成立させている。憲法に相当するとされるこの法律は、クネセト=国会で62対55の僅差でようやく成立したものである。そこでは、イスラエル国家の性格を以下のように規定している。
@ 「完全かつ統一された」エルサレムを首都とする。
A ユダヤ人の排他的権利を認める。
B アラビア語を公用語から外す。
C 「国家はユダヤ人入植民地の拡大を国家的価値と見なし、その確立と強化を奨励するために行動するものとする」
ユダヤ人の民族国家であるかのように規定している。しかしイスラエル国家の地理的範囲(国境)も、ユダヤ人の定義(国籍法はあるが)に関しても何も言っていない。以前の時代にユダヤ人の国があったとか、そこにユダヤ人がいるということを口実にして、どこまでも領土を拡大できる。内部的には市民的公民権や平等性すらなく、「アラブ人」と呼ぶパレスチナ人に対する差別に満ち満ちた条項が並んでいる。このような侵略と抑圧を事とする国家は解体する以外にない。
「ユダヤ人」に関して最近次のような研究が発表された。シオニストは世俗主義であるから、宗教でユダヤ人を規定はしない。すると生物学的人種的規定によるしかない。その生物学的研究の結果は、古代ユダヤ人にもっとも近いのは現在のパレスチナ人であるらしい。イスラエル国籍のユダヤ人、とくに中東欧出身の「ユダヤ人」は、生物学的人種としては古代のユダヤ人とは共通性をもたない。ダビデ・ソロモンという伝承上のユダヤ人の王の実在性は何ら証明されていない。また「ディアスポラ」神話では、紀元1世紀にユダヤ王国が滅ぼされて、ユダヤ民族は追放され、世界中に分散したとされる。しかしこれは、歴史的事実とは異なることも明らかにされている。
第3章 プーチンのウクライナ侵略
「前進派」の許せない誤謬
「前進派」は、ロシアのウクライナ侵略を否定することによって、ロシア擁護の立場に転落した。ウクライナ戦争を米帝(NATO)とロシアの戦争ととらえる帝国主義間争闘戦の論理で見る。スターリン主義の問題を欠落させたこの立場では、ウクライナ戦争を抗戦の主体であるウクライナ人民の自己解放性に依拠して考えない。ウクライナ人民を米・ロの対立に翻弄される将棋のコマのような存在と見る。そして侵略・併合・拉致・虐殺と暴虐と抑圧を続けるプーチン・ロシアをまったく批判しない。
プーチンの戦争目的は何か
「前進派」はプーチン・ロシアの戦争目的をとらえることができない。プーチンは、ウクライナ東部にいる「ロシア系住民が弾圧されているからその救援のため」と言う。また、「ウクライナがNATOに加盟するのを阻止するため」と言う。しかし2022年2月開戦時のロシア軍の侵攻ぶりを見ると、このような主張は成り立たない。ロシア軍は、まっすぐ首都キーウを目指して侵攻した。キーウを電撃的に陥落して、ゼレンシキーを捕捉ないし殺害し、ウクライナを属国化することを狙っていたのである。2014年にロシア軍は、正体不明の民間武装勢力に偽装した正規軍(のちに海軍陸戦隊と判明する)によってクリミアを占領した。そして、住民投票をでっち上げてロシアに編入してしまった。これに味を占めて、ウクライナ全体をロシアに編入することすら考えた可能性が強い。ウクライナがNATO加盟について言いだすのは、ロシアの侵攻が強制した結果である。ゼレンシキーは大統領になったとき、NATOには加盟しないと言っていた。他方プーチンは、大統領になった2000年にはNATOに加盟したいと発言している。
ウクライナ人民勝利の展望
2015年、ロシアによるクリミア併合とドンバス2州の「人民共和国」の分割を認める「ミンスク2」合意が結ばれた。徴兵制を廃止して、5万人程度の軍しか保有していなかったウクライナにとって、領土を譲って停戦をあがなう必要があるという判断があった。しかしその判断はウクライナ人民が下したものではない。当時の独首相メルケルと仏大統領オランドが、プーチンに対する融和主義的思惑からウクライナに押し付けたものである。これがむしろ今日のロシアによる侵攻に糸口を与えた。かつて1938年に、英首相チェンバレンと仏首相ダラディエがチェコスロバキアのズデーテン地方をヒトラー・ドイツに割譲すること認めた。それと同じ誤りである。
ウクライナは昨年に国防相を、今年になってから総司令官を交代させ、徹底抗戦の陣形を敷いている。その新戦略は要約すると次のようなものである。
@ 一打逆転を狙う攻撃的作戦から防御的作戦への移行。
A 作戦目的を敵の戦力を消耗させることに置く。
B 技術的優位を生かし、UAV (無人機)の運用や電子戦を強化する。
この戦略に基づき、ウクライナ軍・民は、黒海艦隊に立ち直れない打撃を与え、航空戦においてもロシア軍を、航空優位を発揮できないところに追い込んだ。ロシア軍は物量に頼る地上戦に追い込まれている。現在、ウクライナ軍は、「ロシア領」とされる地域に逆侵攻するに至っている。予断を許さないが、戦局は闘うウクライナ人民が主導性をもって切り開いている。
第4章 新しい世界革命のために
米帝の衰退と世界支配の崩壊
経済的には、米帝の衰退はクリントン政権時代に準備され、2008年のリーマン・ショックで一挙に進行した。レーガン時代(1981〜1989年)からクリントン時代(1993〜2001年)にかけて、自動車産業における、フォード・システムが崩壊した。ストップウォッチで動作時間を測定して作業動作を統制する背面監視を労働者が拒否し、職制を工場から叩き出したのである。これが製造業における新自由主義の破綻をもたらし、米帝の経済的衰退の本質的要因となった。日・独に対する争闘戦での敗北や、IT化・金融化やサプライチェーンの行き詰まりなどは間接的原因である。
政治的・軍事的には、2001年の反米一斉蜂起の直撃を受けて衰退がはじまった。そしてバイデンによる2021年8月、アフガニスタンからの20年ぶりの撤退が決定打となった。これは米史上最長の戦争での敗戦であった。
この米帝の世界支配の崩壊を見て、プーチンはウクライナ侵攻を決断した。ネタニヤフは米帝の思惑を超えてパレスチナへの虐殺・追放作戦に乗り出した。
プーチン・ロシアの体制規定
現在のロシアは、スターリン主義の広範な残滓に覆われた特殊な資本主義である。現在のロシアを単に帝国主義と規定するのは、スターリン主義の根強い残滓の存在を見ないものである。賃労働と資本関係や金融資本は成立している。しかし「オリガルヒー」と言われる政商的資本家には、自立性がない。旧情報治安機関によって構成される「シロビキ」と呼ばれる権力機関によって管理・統制、場合によっては抹殺されている。
プーチン・ロシアは「帝国主義」というより近世から21世紀初頭までの時代の「帝国」の擬制的復活形態というべきである。それは、ロマノフ帝国(露)、ホーエンツォレルン帝国(独)、ハプスブルク帝国(墺)、オスマン帝国(土)、大清帝国(中)である。「帝国」は、古典的国民国家とも帝国主義国家とも以下の点で異なっている。
(1)1人の君主(共和制下の大統領もある)のもとに統合された版図を持つ。
(2)民族・宗教・身分・階級の面で多様なものを統合している。
(3)その統合は各集団の自主性に基づかず、その意思を無視したものである。
国民国家は、均質な「国民」を、建前では自主的に統合する。「帝国」においては、住民の間には民族・宗教・身分などの差異・差別がある。国境もあいまいにする傾向があり、周辺地域に絶えず侵略し領土をかすめ取る。
中国の現体制と台湾問題
中国は、共産主義への過渡期の歪曲形態の社会である。帝国主義・日本の侵略およびソ連スターリン主義による介入と、毛沢東ら中国共産党と紅軍指導部のそれへのゆがんだ対応があった。そのため、創成時から歪曲されて出発した社会である。その最大の矛盾が農民工問題にある。大恐慌と農業恐慌によって流民化した農民を軍隊に組織して、それが主体となって革命を実現した。ところが、その農民からの収奪をもって過渡期経済建設を成し遂げようとした。その目的で農民を土地に縛りつけるため、都市と農村を区別する特殊な戸籍制度をつくった。1980年代以降のケ小平の経済発展路線の下、貧困な農民は都市に働きに出かける。しかし正規の職に就くことはできず、教育・医療・社会保障の面で差別される存在のままにとどまった。そのような農民工が人口の5分の1、実に3億人もいて、世界最大の不正規労働力のプールをなしている。他方で、地方にとどまった農民は、絶えざる抗議と反乱の状態にある。21世紀になって共産党中央政権は農村から税を徴収することができなくなった。
もう1つの矛盾が少数民族問題である。55民族が少数民族と認定されており、そのうちウイグル族1350万人、満族1000万人、チワン族1600万人、回族1000万人が人口1000万人以上の民族である。少数民族すべての人口を合わせると日本の人口ほどになる。そのうちモンゴル族・ウイグル族・チベット族・満族は、歴史上、中国に対する支配民族であったり、別の国を形成したことがある。またモンゴルやウイグルなどの遊牧民は遊牧地を、「生産建設兵団」と称する漢民族の武装入植者に絶えず脅かされている。
台湾の国立政治大学選挙研究センターの23年6月のデータによると、現在の台湾人民は圧倒的に「台湾人」と自己認識しており、自分が中国人だと認識する者は2・5%しかいない。中国と台湾が統一すると主張する者は1・6%にとどまる。また台湾では日帝植民地支配に対する糾弾は厳しいものがある。とくに日本軍軍隊「慰安婦」問題に対する謝罪と賠償の要求、日本軍人とされた台湾人への補償の要求は党派を超えたものとなっている。そのうえで台湾の社会運動は次のような地平を勝ち取っている。
(1)アジアで唯一、原発の廃止を決めている。
(2)同性婚の合法化もアジアで初めての決定である。
(3)少数民族(台湾では「原住民」と呼ぶ)への抑圧に対する政府としての謝罪と平等待遇、言語の同権性(16部族の全言語と台湾手話を公用語と認める)。
この台湾の社会運動の力に対して、習近平の中国は「統一」に向けた工作を続けている。軍事的恫喝や経済的締め付け、政党や青年の取り込みなどの手段である。
しかし香港やウクライナと違い台湾は中国大陸と100q以上の海峡で隔たれており、着上陸作戦は極めて困難である。全土制圧などはできない。台湾人民は、中国とは独自の道を歩むことに確信を持ち、命を懸けて闘う気概を持っている。他方、人民解放軍は国内治安弾圧に動員されるばかりで、対外戦争の経験は少ない。対旧ソ連(1969年珍宝島=ダマンスキー島事件)、対ベトナム(1979年対越「膺懲」戦争)、対インド(2020年中印カシミール紛争)の戦闘で勝利の歴史を持たない。軍事的にはすべて敗北しており、それを政治工作で何とか押し返している状態である。問題は日米帝が戦禍を拡大し、台湾・中国・琉球諸島の人民の被害を拡大することである。とくに核使用と核恫喝を絶対に許してはならない。中国・台湾・韓国・朝鮮人民と連帯し、台湾危機、沖縄・琉球危機を阻止しよう。
おわりに
気候変動と生態系の破壊と並んで、いやそれ以上に戦争の危機が人類絶滅の危機を速めている。核兵器と核発電(原発)がその危機を加重している。「抑止力」という志向に警鐘を乱打しなければならない。「敵以上の兵器を持ち、敵以上の戦争態勢をとって戦争を勃発させないようにする」という考えである。これこそ大軍拡をもたらし、とめどなく戦禍を拡大する。戦争を阻止する道は、戦争の現場で、兵器生産・輸送・配備の現場で闘うことである、戦時予算を組み、戦争科学を発展させている現場を、工場を、議会を、地域を闘いの場に転化することである。
無人兵器や自動戦争システムが発展している。しかし究極的に戦争は、人間が集団的に社会を構成し、戦争を煽り、準備することによって発生する。戦争は決して自然現象ではない。人間が起こすことは人間が阻止できる。第1次大戦が勃発し、レーニンがオーストリアの官憲にとらわれているとき、ペトログラードのボリシェビキ労働者はどうしたか?実力で、反戦を呼びかけるビラを即日まいた。戦争を担うのも、兵器を生産するのも、軍事物資を運ぶのもすべて労働者である。現場で阻止するとは、労働者が決起することだ。
ウクライナ、パレスチナ、中国・台湾人民に思いを馳せることが重要だ。もっとも抑圧され、しかし人間的尊厳をかけて闘っている被抑圧人民を主体的に措定し、侵略国の人民は「侵略を内乱へ」の闘いに決起し、武器を資本家政府に向けよう。
本論文は『未来』400号を記念しての論文である。まだ未完成だが今後の論議の出発点としたい。(『未来』編集委員会)
5面
『戦争ではなく平和の準備を』(中)
青井未帆 他 地平社 2024年7月刊
軍事同盟と軍備拡張の帰結
軍事同盟と軍備拡張の帰結は
イ)=日露戦争。
ロ)=財政破綻の危機におちいったが、ワシントン海軍軍縮条約の結果、回避。
ハ)=第二次世界大戦である。
1930年代の世界的な軍拡競争の中で、日本は世界危機の張本人となった。1931年柳条湖事件(満州事変)〜1937年盧溝橋事件(日中戦争)へ進む。軍拡準備が整い、軍事費が必要な時に盧溝橋事件を起こし、軍拡に拍車がかかった。臨時軍事費の設定によって軍事費は飛躍的に増大し、戦時国債の日銀引き受けへといたった。
安保3文書とウクライナ戦争に触発された「台湾有事」論によって、日本は戦後最大の軍拡期を迎えている。安保3文書の「国家安全保障戦略」に規定された自前の抑止力の保持という戦略は、「国家防衛戦略」で「スタンド・オフ防衛能力」の構築として具体化した。スタンド・オフミサイルの保有は「敵基地攻撃能力」そのものだ。
軍事費のGDP比2パーセントが前提の戦略で、「独自の抑止力」なるものを根拠に、既存の国家戦略(専守防衛)を国会議論をへることなく変更し、国家安全保障会議と閣議で決定した。「スタンドオフ防衛能力」の構築として、長射程の巡航ミサイル、高速滑空弾や極超音速誘導弾の国家保有へと至る。(つづく)
6面
優生思想を具現化したものは何か
「脳性まひ」当事者からの問題提起
100人以上の参加者が古井正代さんの訴えに聞き入った(10月5日 大阪市) |
10月5日、大阪市内で「優生思想を具現化したものは何か?」と題する集会があり、参加した。講師は、〈脳性まひ者の生活と健康を考える会〉古井正代さん。参加者はZOOM参加を含めて130人。会場は立ち見が出るほどの盛況だった。
集会は、Swing Masaさんのカッコいいサックス演奏から始まった。渾身の演奏が冴え渡り、参加者みんなが拳をあげて気勢を上げたところで古井さんの講演が始まった。
古井さんは9月にドイツに行き、ナチスのT4作戦で多くの障害者が虐殺された収容所を訪ねてきたばかりだ。T4作戦とは本部が置かれた地名から取られた作戦名で、障害者、病者を抹殺し、軽度の人や関係家族には断種をおこなった。この作戦そのものは一年半程度で終わることとなったが、その技術や人材はその後のユダヤ人抹殺収容所で使われた。戦後日本の優生保護法はこの時の法律を真似たものだ。
ハルトハイム安楽死施設
報告は、取材してきた写真をスクリーンに映し出しながらおこなわれた。
オーストリアにある「ハルトハイム安楽死施設」は丘の上にある美しい中世のルネサンス洋式のお城だ。こんなところがむごたらしい絶滅収容所だったなどと誰が想像できるだろうか。
ナチス時代、大量の障害者や病者は窓のないバスに乗せられ、この城に連れてこられた。もともと、障がい者施設だったので施設・病院の体裁は繕っていたが、療養も治療もおこなわれることはなく、ただひたすら殺人だけがくり返された。
お城の大きな煙突からはもくもくと黄色い煙が立ち、この煙の異常さに人々は何かの異変に気がついていたという。なわれることはなく、ただひたすら殺人だけがくり返された。
キリスト教社会では高位にあり人々の尊敬を受けていたガーレン枢機卿が知ることとなり、彼の障害者抹殺反対の説教や、イギリスのビラばらまきにより、さすがのナチスもT4作戦をやめることになったという。
車椅子の古井さんがかつての虐殺現場にいる写真が大写しになった。ガス室にたった1人でいる。ナチス時代に生まれていたなら彼女も殺されていただろう。リアルに優生思想とは何かが突きつけられる写真だった。
養護学校に隔離
つづいて、優生保護法や養護学校義務化とたたかってきた古井さんの歴史が映し出された。
戦後すぐに左翼から提案された優生保護法。その非人道性はようやく今になって権力の謝罪を勝ち取りつつある。
養護学校義務化は普通学校から障害児を排除する役割しか果たさなかった。げんに古井さんは普通学校に通っていたのに、その後、養護学校に隔離された。普通学校では体育の時はジャングルジムに登って普通児が体育をするのを眺めて遊んでいたのに、養護学校では体育の授業には参加させてもらえず、リハビリのようなつらい授業が強制された。
「健常児ばかりの社会で育った子どもたちは社会に障害者がいることすらすっかり忘れてしまう。存在を忘れることこそが最大の差別なのだ」と語った。
障害者は「人生の先輩」
「3・11」当時、福島県に住んでいた古井さんの友人が前に出てきて「原発から30キロ以内にいた娘たちが今ちょうど子どもを産む世代になっている。娘の仲良しグループの人たちは子どもを堕ろしてしまった。自分の子どもは躊躇したが先日出産した」と語った。女性ならではの苦しみを古井さんの生き方を通して乗り越えられた話を笑顔笑顔で語ってくれた。
古井さんの母親は、かつてわが子である正代さんの障害を知った時、無理心中を図ったという。しかしなんとか一命をとりとめることはできた。
その母親は老いて後、事故が元で車椅子生活になった。正代さんは自ら脳性マヒ者でありながら、お母さんの介護をしたそうだ。「心中していたらこんなオモロいことはできなかった」と笑いながら語る。
誰もがいずれ歳をとり、歩けなくなったり、耳が遠くなったりする。「障害者は人生の先輩である。体が不自由でも生きていこう」と話した。
確かに彼女は「命は全て肯定されなければならない」と呼びかけている。笑顔と涙と花束に囲まれて集会は拍手喝采の中で終了した。
泣いたり、笑ったり
これまで、こんなに参加者みんなが泣いたり、笑ったり一体になった集会があっただろうか。みんなが息をするのも忘れるほどスクリーンに集中し、講師の言葉ひとつひとつに聞き入った温かい集会があっただろうか。命について考えさせる集会だった。
この日まで、準備の時間はとても短かかったという。チラシができたのはわずか1カ月前。古井さんの笑顔が大きくアップになった大胆な構図だ。しかし効果は絶大。この笑顔を心に刻みつけようと参加した人も多くいただろう。遠く福島、東京から駆けつけた人たちも多く、その多彩な人脈そのものが古井さんのこれまでの闘いの歴史を物語っていた。(岡田恵子)
(映画評)
『村と爆弾』
(監督: 王童 1987年 台湾)
太平洋戦争さなか、台湾の農村。日本軍が行進をしている。農民たちがこの行進を出迎える。ある家族にたいして、日本軍人は次のように告げる。「賞状、?阿海、漢人。昭和19年3月1日、南洋にて壮烈なる戦死をいたせり、国のため忠を尽くせし、功により一等兵に進級させ、遺骨は手厚く故郷に送り返し、ここに本賞状を授与する。陸軍少将山下純一、昭和19年10月4日」。映画は、このシーンからはじまる。
植民地支配のなかで、したたかに生きる農民の日常生活がユーモラスに描かれている。日本による植民地支配、その戦時下の抵抗というテーマは重たい。これらが混じりあって、この映画は独特の感動をもたらす。
植民地支配下の台湾
台湾では、1936年末から皇民化政策がはじまった。1940年には日本式の姓名に改めさせる「改姓名」がおこなわれている。しかし、これは強制ではなく、朝鮮のような「創氏」はおこなわれていない。
台湾住民は志願制で大日本帝国の戦争に動員されていったが、1945年には徴兵制が導入された。この年の1月、はじめて徴兵検査がおこなわれた。こうして約3万人の台湾人が日本の戦争によって戦死を強制された。
1943年、アメリカ軍が、はじめて台湾に空襲をおこなった。当初は軍事施設が爆撃を受けたが、1945年2月以降、都市部への無差別爆撃がおこなわれるようになった。この映画は独特の感動をもたらす。
映画で描かれる戦時下の台湾
ある貧しい小作農家、ふたりの兄弟(アファとコウズエ)の家族が一軒家にすんでいる。2組の夫婦には、こどもがたくさんいる。さらに、耳が聞こえない母親と、心の病んだ妹が居住する。妹は村の若者と結ばれる。しかし、結婚式をあげて数日後に、連れ合いが徴兵され、戦死する。このことで妹は精神的にダメージを受けてしまったのだ。こういう事情もあってか、この兄弟は徴兵を拒否している。母親が牛の糞をふたりの目に塗って、目の病気をつくりだした。これによって、ふたりは徴兵をのがれた。
学校では、小国民教育がおこなわれている。爆弾の破片をひろってきた者には「報奨」が与えられる。女性も、さまざまな形で動員される。村の女性たちが運動場でバケツリレーをおこない、牛に水をかけている。
農民の土地は日本人の所有になっている。ふたりの兄弟も小作農家だ。都市が空襲を受け、疎開のために、地主一家(日本人)がこの家にやってくる。ふだんは食べられない魚を買ってきて、地主一家に食事をふるまう。家の外では、子どもたちが腹をへらして、日本人一家の食事をながめている。
次のようなシーンがある。腹をへらした泥棒(日本軍、台湾人脱走兵)が食べ物を求めて、この家に侵入する。家族は事情を知り、この泥棒に同情して、残ったご飯を与えてしまう。この一家は食べ物にも事欠き、生活は苦しいが、こころは暖かい。このころ、日本軍は農民から牛を取り上げ、農家の牛まで徴発している。
「村と爆弾」、その顛末
ある日、米軍爆撃機が村の上空に飛んできた。川にかかる鉄橋をねらっている。はげしい爆撃が終わったら、爆弾の一つが不発弾となり、ふたりの農地に突き刺さっている。これを隣町の駐在に持っていけば、おそらく多大な報奨金がもらえるだろう。ふたりの兄弟と村の駐在(日本人化した台湾人)の3人が、不発弾を隣町まで運んでいく。以後、ロードムービーになっていく。映画は、意外な顛末をむかえる。ほのぼのとした温かさに包まれて、物語はおわる。
映画制作は1987年だが、2024年に日本ではじめて劇場公開された。(津田保夫)
7面
学校に自由と人権を!
元イスラエル軍兵士が講演
10月20日
10月20日、東京・日比谷図書文化館大ホールで「学校に自由と人権を! 10・20集会」が開かれ、会場には155人が集まった。主催は、「日の丸・君が代」不当処分撤回を求める被処分者の会など9団体。
かつての「満州国」と同じ
講演は、元イスラエル軍兵士で現在は埼玉県・秩父盆地の皆野町在住のダニー・ネフセタイさん。ダニーさんは、家具職人として暮らしながら平和活動をおこなっており、この日の講演は、教育の側面に力点を置いた内容だった。
「今回のガザの戦いの始まりは昨年10月7日ではない。二千年前にユダヤがローマに負けて離散して、祖国に帰ろうという運動があった」「私の父の両親は1920年にポーランドからイスラエル([注]パレスチナ)に来た。母方は1924年にドイツからイスラエル([注]パレスチナ)に来た。親戚のほとんどはホロコーストで殺された」「イスラエルがヨルダン川西岸でやっていることは完璧に国際法違反。占領地に自国民を住まわせてはいけない。かつて日本がやった『満州国』と同じ」「イスラエルの教科書の地図には自国とガザとの境界線は書いてあるがヨルダン川西岸との境界は書いていない。そういう教育を受けると『なぜ戦争は止まらないのか』という疑問は浮かばない」「私は戦闘機パイロットになりたくて実習をしていたが試験に落ちた(※飛行訓練などの実習をしても同期の中でごく一部しか合格しない)。街中でナイフを持っている人を格好いいと思わないが、戦闘機に載せたミサイルは格好いいと思ってしまう」「イスラエルの閣僚が『ハマスは人間じゃない』(※それ以外の獣)と言っている。軍隊上がりならそうなる(そういう思想を叩きこまれている)。一人一人の兵士に自分の考えはあるが、組織の中では人は平気で鬼になる」「イスラエル人の心理を調べたら30%にPTSDがあり、43%にうつがあった。一度戦闘に参加した妻子あるブルドーザー部隊(※パレスチナ人の家屋等を破壊する)の予備役兵が再び召喚され、出撃の2日前に自殺した」「1998年、ガザとテルアビブは姉妹都市協定を結んだ。米は建国から247年のうち227年戦争している」「戦争で儲かる国がある。米はガザへの食糧投下の一方でイスラエルに爆弾を提供している」「代々木公園(のイベント)でパレスチナ人やシリア人が店を出していた。敵ではなかった。人を敵と認定するようなことは人間のDNAに組み込まれていない」「日本と中国はこの79年間戦争していない。だからまた79年間続けましょう」「国家を武力で守るのは予算をつけるだけではできない。戦争に行かされるのは若者」「5年で43兆円の防衛費は能登に使えばいい。F35戦闘機1機の金で1800台のディーゼル車が買える。2005年を境に文教費も減っている」「私はリベラルな家に生まれたが、18歳で軍隊に入隊することに何の疑問も持たなかった。『国のために戦うのは素晴らしい』という教育を受けたから」
五次訴訟団が特別報告
ライブ演奏の後、東京「君が代」裁判五次訴訟団が登壇し、特別報告をおこなった。
「東京都側の反対尋問で、(こちらが自由を守りたい)『内心』について質問された。『内心だから言いません』と答えた。向こうも弁護士なのにどうなっているんだ」「教員への採用が決まっていても、(採用のための説明会で日の丸・君が代に全面協力することが求められて)任用辞退する人もいた」
五次訴訟弁護団・澤藤統一郎弁護士は、「15人の原告に対する26件の懲戒処分がすべて違法だと書いている」「日の丸・君が代の強制は石原都政の間の一過性のものだと思っていたがそうではなかった」「(処分不当とされた判決もあったが)違憲判決が欲しかった。国家が『我を崇めよ』と強制してよいわけがない。教育は権力のしもべであってはならない」「裁判所は憲法の番人になっているのかどうかを見なければならない。最高裁判事国民審査にかかる判事の評価は民主法律家協会のHPを見てほしい。弁護士出身の判事(の任命)は安倍政権下で6人続けて第一東京弁護士会ばっかり」
集会の最後に「…広範な教職員、保護者、労働者、市民の皆さんに『日の丸・君が代』強制と都教委の教育破壊を許さず、共に手を携えて闘うことを呼びかけます。何よりも『子どもたちを再び戦場に送らない』ために!」とする集会アピールが採択された。
丸の内・三菱重工本社前で路上コンサート
強制動員問題の一日も早い解決を願って
三菱金曜行動
丸の内の一角の三菱重工本社前でコンサート(10月11日 東京) |
10月11日は三菱金曜行動。毎月第2金曜におこなわれているこの行動は、「名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会」が主催。毎回名古屋から新幹線で東京まで来てアピールしている。
まず11時半から12時まで、東京・丸の内にある三菱商事前で行動。というのは、ここで三菱財閥の社長団の昼食会があるからだ。
次々と黒塗りの高級車で集まってくる重役たちに「強制動員問題の解決を! 被害者に謝罪を!」と繰り返す。
この日も主催をはじめ多くの参加者からのアピールが続いた。
三菱重工業本社前
その後、近くの三菱重工業本社前に場所を移し、アピールが50分ほど続く。2007年からもう17年も続けられていて、以前は毎週やっていて今回が第535回目となる。
韓国・光州から「ラルブル・アンサンブル」という音楽家7人が、ヴァイオリン・チェロ・フルート・クラリネットを持って自費で来日、音楽設備も全くない丸の内・三菱重工前の路上で音楽会が始まった。
今年2月、女子勤労挺身隊被害者を支援してきた名古屋の市民が光州で公演した演劇「鳳仙花V」を観て感動を受け、強制動員問題の1日も早い解決を願っての演奏のため、この金曜行動参加が計画されたのだった。 この三菱ビルに来た人、通行人、多くの市民がこの演奏に注目していた。(写真上)
金性珠さんの無念
この10月5日、戦時中に名古屋・三菱重工に強制動員され、長く裁判闘争を続けて来た金性珠さんが老衰のため亡くなった(享年95)。生きているうちに三菱重工から謝罪を受けたい、そう思ってたたかいを続けて来た金さんに三菱重工が答えることはなかった。 「挺身隊に連行される時、中学・高校を卒業させてあげる、働けば給料もくれると誘惑して連れて行き、一生骨の折れる思いをさせた。今は知らん顔しているが、私たちはどこに訴えればいいのか・・・」 1999年に名古屋地裁に提訴し、20年もの長い裁判闘争の末に、2018年11月韓国の大法院(最高裁)で最終的に勝利を勝ち取った。しかし日本政府や三菱はそれを強く拒否。さらに韓国の尹錫悦政権は、「第三者弁済」という手を使ってきた。 韓国内の財団が民間からの寄付金を通じて用意した財源を、日本の加害企業に代わって強制動員賠償確定判決を受けた被害者に「賠償金と遅延利子」として支払うというこの「第三者弁済」では日本国や日本の犯罪企業の責任は実際には消えてしまう。 昨年3月に韓国国会でおこなわれた「強制動員政府解決法強行糾弾及び日本の謝罪賠償を求める緊急時局宣言」に金性珠さんは参加して、三菱重工に謝罪と賠償を求めたが、その後苦しみながら、やむなくこの「第三者弁済」を受け入れることになった。今回の金曜行動は、こうした「恨」を抱えたままこの世を去った金性珠さんの無念を三菱重工に伝え、強制動員問題の解決を迫る行動でもあった。 そして金性珠さんの妹である金正珠さんは富山にある不二越の軍需工場に動員されたこともあって、この日の行動には富山から上京した不二越訴訟をたたかう人も発言した。 この日最後に、韓国から来た〈日帝強制動員市民の会〉の李國彦理事長が、金さんと遺族から託された思いを三菱重工に届けとアピールした。 日韓条約体制を打ち破ろう 来年2025年は、日帝敗戦80年、そして日韓条約締結60年となる年だ。 「徴用工問題や日本軍『慰安婦』問題などは日韓条約と請求権協定ですでに解決済み」などというウソとペテンをいまだ日本政府が繰り返し、ほとんどの野党もそれに屈服し、マスメディアもそれを批判すらできていない現状がある。 今こそ、そうした状況を一変するたたかいをつくりだそう。(神奈川・深津利樹)
8面