未来・第393号


            未来第393号目次(2024年7月4日発行)

 1面  都知事選 首都防衛叫ぶ小池
     四面楚歌の岸田もろとも倒そう

     蓮舫勝利へ総力結集を
     失われた30年とりもどそう

 2面  22年 6・17最高裁判決弾劾し950人
     たたかう者の歌が聴こえるか!

     6・23 沖縄慰霊の日
     関西7カ所で一斉行動

 3面  永住権取消制度に反対する緊急集会に参加して(下)
     米村泰輔      

     狭山再審へパンフ発行     

 4面  強制不妊 5月29日 最高裁大法廷口頭弁論
     12人の原告が魂の意見陳述

 5面  強制不妊訴訟判決 静岡地裁浜松支部
     除斥適用認めず 国賠命令
     5月27日

 6面  ウトロの歴史を学ぶ(上)
     祝園ミサイル弾薬庫に反対する闘いのために

     投稿
     新一万円札と渋沢栄一と工場法
     一読者

 7面  4月21日西宮 岸本聡子杉並区長が講演
     ミュニシパリズムとは 哲学で新しい政治運動

 8面  イスラエルはラファ攻撃をやめろ
     アメリカ村から難波までデモ
     6月16日大阪

     重信房子さんが講演
     6月22日大阪 23日京都

     (映画評)
     「革命する大地」
     監督: ゴンサロ・ベナベンテ・セコ
     2019年ペルー映画

     夏期カンパのお願い
     革命的共産主義者同盟再建協議会

           

都知事選 首都防衛叫ぶ小池
四面楚歌の岸田もろとも倒そう

駅前広場うめつくす人、人、人。この力で漣舫をおしあげよう(6月22日 三軒茶屋駅前)
最高裁を人間の鎖で包囲(記事2面)

首都防衛かかげる排外主義者=小池

6月20日、都知事選挙が告示された。この中で、小池百合子は、「首都防衛」を掲げ、ミサイル攻撃に備えたシェルター整備を、公約として打ち出した。
歴代都知事は、関東大震災時に虐殺された朝鮮人を追悼する式典に追悼文を寄せてきたが小池は、就任翌年の2017年から、追悼文の送付を取りやめてきた。そして、今年に入ると、都議会において、小池の姿勢を批判する立憲民主党と日本共産党の議員に対して、都民ファ、公明党、自民党を動員して、議会での発言撤回と議事録からの削除要請を決議させた。これに抗議した立憲の関口議員は、議場から退席させられている。関口議員は、都知事自身の答弁を求めた場合に、小池がこれに答えず、官僚に答えさせる割合の多さを指摘していた。また、共産党の福手議員は、東京都が朝鮮学校に対して、補助金を打ち切っている状況を問いただしていたのだ。発言取り消しを求める文書による動議の可決は都議会初だ。

不正の温床 東京五輪と神宮外苑再開発

不正の温床となったオリンピックを、自らの実績として語る小池は、三井不動産と結託して、神宮外苑再開発などの大型プロジェクトを強行し、再開発に伴う樹木伐採に反対する多くの市民の声を無視する姿勢を続けている。
不正にまみれながら、戦争をおこなう国家、排外主義と言論弾圧を推し進める小池の都知事3選など許してはならない。
小池与党である都民ファ、公明、自民に加え、連合までもが小池の応援団となっている。これに対して、立憲、共産、社民が蓮舫氏を応援する与野党対決の構造となっている。蓮舫氏は、関東大震災時に虐殺された朝鮮人への追悼文の復活を明らかにしている。非正規雇用労働者の正規化なども掲げている。
全国的に見ても、自民党も小池もその追随者たちも打倒しなければならない。そのためには、様々な運動の連帯が必要である。他方、民主党政権が人民を裏切ったことについて、総括はおこなわれていない。しかし、沖縄も福島も、そして「障害者」も、そのことを忘れはしない。官僚機構と日米安保に屈服する者は、人民を裏切ることになるのだ。ここを突破していく勢力が必要だ。
また、東京は、東北をはじめとする各地からの人や資源の収奪によって成り立ってきた。このことを片時も忘れることは許されない。

小池打倒から岸田打倒へ人民のうねりを

岸田政権は「裏金問題」の泥沼化で、支持率は10%台に下落し、末期的危機にある。国会終了を期して「総裁交代」の声が上がり四面楚歌にある。都知事選にも独自候補は立てられず、「首都防衛」叫ぶ小池百合子に全面依存だ。ここで小池が敗北すれば9月総裁選を前にジ・エンドだ。
人民の闘いのうちに政権を倒し、あわせて自民党そのものを瓦解させる絶好のチャンスが来た。小池の敗北度に応じて支配の危機は深まる。今こそ小池打倒・蓮舫勝利へ総決起しよう。

蓮舫勝利へ総力結集を
失われた30年とりもどそう

老若男女、反小池の人々の気持ちは熱い(6月22日 東京都世田谷区三軒茶屋駅前)

6月22日、世田谷区の三軒茶屋駅前(キャロットタワーの広場)で蓮舫氏の街頭演説がおこなわれた。
「最も新しい国会議員」として立憲民主党の奥村政佳参院議員(元RAG FAIR)が最初に演説に立ち、「本職」のボイスパーカッションで場を盛り上げた。ついで保坂展人世田谷区長が地面に立ったまま「下北沢再開発では200回も話し合いを重ねて皆が納得できる街づくりができた。やればできる(施策の透明性を確保できる)んです」と訴えた。
立憲民主党の手塚仁雄衆院議員の演説の後、蓮舫氏が熱く訴えた。「選挙前に小池さんが少子化問題への対策をようやく発表してくれた。それはありがたいことだけれどもあまりにも遅すぎた。30年前からわかっていたこと」と若年層の生活の改善を訴えた。さらに公契約条例(公的な事業や調達に関わる事業者に労働者への十分な賃金支払いを義務付けるもの)の推進などを唱えた。
キャロットタワー前の広場と周辺の狭い路地は老若男女でいっぱいで歓声があがっていた。首都防衛となえる軍事・排外主義者小池を倒そう。

2面

22年 6・17最高裁判決弾劾し950人
たたかう者の歌が聴こえるか!

2022年6月17日の最高裁判決を弾劾する声が最高裁を包囲した(6月17日 東京)

「たたかう者の歌が聴こえるか!」、6月17日最高裁共同行動ヒューマンチェーンは、「レ・ミゼラブル」からの民衆の歌で始まった。
わが街で取り組んでいる毎月の脱原発駅頭署名、15人ほどが参加し、4月14日の「ALPS処理汚染水海洋投棄ただちに停止を署名」が27筆、「東海第二原発危ない! 署名」は5月12日と6月2日それぞれ51筆、37筆集まった。3月20日の「さようなら原発代々木集会」にも40人が参加した。
そしてこの最高裁包囲ヒューマンチェーンが呼びかけられた。
2022年6月17日の最高裁判決、「福島原発事故に国の責任はない」だ。以後13件の原発裁判、ほとんどがそのコピペ判決。それまでの地裁・高裁判決では「国に責任あり」もあったのを逆転させ、これで「決め」ということらしい。裁判所・裁判官はそれぞれ独立しているにもかかわらず、以後の判決では判決文の言い回しまで同じというのもあった。
「規制権限を怠った国の責任は重大」と言いながら「重大事故を防げたはずとまでは言えない」という論理破綻した「いわき市民訴訟高裁判決」など、結論だけを無理矢理に最高裁にあわせたものもあった。
2011年3月の福島第一原発事故の後、被災者が国や東電に賠償を求める集団訴訟が全国で約30件起こされている。最高裁は2022年6月17日、福島・群馬・千葉・愛媛で提訴された4件について「津波対策が講じられていても事故が発生した可能性が相当ある」として国の賠償責任はないとする統一判断を示した。裁判官4人のうち3人の多数意見での判決だ。検察官出身の三浦守裁判官だけが、国の責任を認める反対意見を出した。
4件の原告総数は約3700人。二審判決は、4件のうち群馬以外の3件で国の責任を認めていた。
2022年6月17日の最高裁判決、どこをどう読んでもおかしい。「仮に経産大臣が…津波による本件発電所の事故を防ぐための適切な措置を講ずることを東電に義務付け、東電がその義務を履行したとしても、本件津波の到来に伴って大量の海水が本件敷地に侵入することは避けられなかった可能性が高く、その大量の海水が主要建屋の中に侵入し、本件非常用電源設備が浸水によりその機能を失うなどして各原子炉施設が電源喪失の事態に陥り事故が発生する可能性が相当にあると言わざるを得ない」から「国に責任はない」と説明する。
行動を終え総括集会(6月17日)
「国が対策を命じて東電がそれをやっても事故が起こっただろうから、国に責任がない」という趣旨、何回聞いてもその趣旨が理解不能だ。
1960年代から国は全国に原発を造らせ、カネをばらまき、「絶対安全、絶対安心」と言い続けてきた。それでいながら過酷事故が起こったのだ。災害関連死2337人、原発事故を苦にした自死119人、子どもの甲状腺がん358人。今も避難者2万6808人。原子力緊急事態宣言は発令中で事故は終わっていない。被害は続いている。
「対策をとったとしても事故は防げなかった」ということなら原発を止めるしかないのではないか。必要な安全規制も怠ったまま国策としての原発を推し進めてきた国の責任を免罪するような司法をこれ以上放置はできない。「6・17判決許さない」「司法の独立どこ行った」とのコールを最高裁に浴びせながら最高裁を包囲、暑いなか950人が集まっての行動となった。この最高裁包囲、部分的には二重で包囲したところもあった。
ある面、それまでそれぞれの団体でやっていたこの訴訟、この最高裁判決への怒りで1つにまとまった。神奈川の仲間、〈福島原発かながわ訴訟〉のみんなの怒りもこだましていた。
終ってから衆議院第1議員会館での総括集会も超満員、大きな行動となった1日だった。(神奈川・深津利樹)

6・23 沖縄慰霊の日
関西7カ所で一斉行動

ヨドバシカメラ梅田店北東角(大阪駅北)で街宣
アピールを終え記念撮影(三宮マルイ前)
40人が参加し、ふりかえり集会(6月23日 大阪市内)

6月23日、午後1時から2時の間、沖縄『慰霊の日』同時行動が、大阪、兵庫の7カ所でおこなわれ、合計百人が参加した。〈沖縄を戦場にさせない実行委員会〉が呼びかけ、大阪では、大阪駅南口、ヨドバシカメラ梅田店北東角、JR京橋駅ガード下、天王寺公園東口(天王寺駅前)、JR大正駅前、兵庫(三宮・マルイ前と伊丹)でスピーチがおこなわれた。
降ったり止んだりのあいにくの天気だったが、参加者は街ゆく人々にメガホンで熱くアピールした。
この日は、79年前の沖縄戦で、日本軍の組織的抵抗が終わったとされる「慰霊の日」。沖縄では休日となる。沖縄戦が6月23日に終わったという説には諸説があり、確定していないが、二度と沖縄戦を繰り返してはならない、二度と侵略戦争をしてはならないことを誓う日だ。軍隊は住民を守らない、それどころか住民を盾にして軍隊を守ろうとした、このようなことを二度と繰り返してはならない。
同時行動を終えて、午後3時から、大阪市内の室内会場に集まり、7カ所の様子を報告しあい、感想などを出し合う、ふりかえり集会がおこなわれた。

3面

永住権取消制度に反対する緊急集会に参加して(下)
米村泰輔

(承前)

しかも、失業や病気等で税金や社会保険料を払えなくなったとしても、払う義務があることを知っていれば、法的には「故意」とみなされるのだ。

B一年以下を含む拘禁刑に処せられた場合


「1年以下を含む」「微罪」でも永住権を取り消すのはきわめて非人道的である。日本国籍者と比較して永住権保有者にのみ生活の基盤である永住権を取り消すのは外国人であることを理由とする差別そのものである。

仮放免制度を改悪

これまでの仮放免制度は今後、監理措置制度に置き換えられていく。監理措置制度の「監理」は監督の「監理」であってアパートの管理人の「管理」ではない。字義通り外国人労働者を社会的に「監理監督」する制度なのだ。この改悪は昨年の入管法改悪のときにおこなわれ、今年6月から施行される。
新たに施行される監理措置制度では、入管庁が選定する「監理人」は、監理措置制度の下では就労が禁止されている外国人が「法の網の目をくぐって」働いていないかなどを監視し入管庁に報告する義務がある。「監理人」が入管庁に報告しないと10万円以下の過料が科される。つまり、外国人は「監理人」のきびしい監視下に置かれるのだ。
これまでの仮放免制度では、身元保証人がいればそれで足りていた。したがって身元保証人は信頼関係を前提に弁護士や支援者が引き受けてきた。しかし、新たに創設される「監理人」は当該外国人の法令違反を監視しなければならず、信頼関係は壊れざるをえない。このため、多くの弁護士や支援者はこのような「監理人」を引き受けることはできないとしている。
しかし、「監理人」が見つからなければ、入管に収容されたままとなり、外国人の非人間的苦しみは長期化する。このような「監理人」は入管OBや警察OBが就いていくのではないかともいわれている。そうなっていけば日本は外国人労働者に対する巨大な監視社会となっていく。これはそのまま日本社会の監視社会化にはね返ってくる。

朝日新聞記者が悪質な質問

質問の時間になったとき、朝日新聞の記者は「国が問題にしているのは故意に税金等を払わないときであって、それ以外は問題にしていないのに、なぜ、あなたがたはそんなに問題にするのか」という趣旨の質問をした。しかし上述したように「払わなければならないことを知っていれば、仮に失業や病気等のやむを得ない事情があったとしても、それは法的に『故意』になる」のだ。
これに対して、入管施設に収容されながら難民認定をかちとり、苦労して永住権を取得したアウンミャッウィンさんなどの永住権保有者から激しい批判が出された。アウンミャッウィンさんは概略「わざと払わないというのはどうやって判断するのか。この永住権取消制度は入管庁の好き嫌いでいくらでも(永住権を)取り消せる。難民や日本における外国人労働者は元々弱い立場の者たちだ。人間はだれしも誤りがある。簡単に取り消すのはおかしい、平等ではない」と批判した。
また1990年に来日し、配偶者ビザで34年間、大学等の非正規職員をし、労組の執行委員をしているサイモン・コールさんは「国民年金の滞納者の40%は非正規雇用労働者であり、入社しても社会保険の負担をしたくない会社から『あなたは請け負いだから社会保険に加入する必要はない』と言われたりする。こういう滞納の問題が発生するのは会社の責任であり、日本の責任だ。なのに外国人労働者に責任を負わせるのはまちがっている」と指摘した。
ナイジェリア人の永住権保有者は「50歳を超えると日本では仕事がなくなる。ローンも払えなくなる。病気になれば収入が途絶える。これで永住権を取り消されるのはあまりにもひどい」
フィリピン人女性は「夫の年金だけで生活している。長い間病気で働けなかった。税金を払えず取り消されるなら日本におれなくなって家族が解体する」。
別の外国人女性は「今は子育てがあるから働けない。ようやく保育園に入れたところ。婚約者の収入でやっている。ようやく派遣会社で働きはじめたが、病気になってしまった。税金の未納で永住権を取り消すのはやめてほしい」。
また移民2世からのメッセージも読み上げられた。「私は移民2世。誰しも人生でリストラや派遣切りや病気になることはいくらでもある。私は日本生まれだから外国にいたこともない。永住権をはく奪されたらどうしたらよいのか。奨学金やローンも組めない。こんな差別は許せない」と今回の改悪に強く反対した。

外国人は煮て食おうと焼いて食おうと自由

最高裁大法廷は1978年10月4日、マクリーン事件の判決で「憲法上、外国人はわが国に入国する自由を保障されている者ではないことは勿論、在留の権利ないし引き続き在留することを要求し得る権利を保障しているものでもない」「外国人に対する憲法の基本的人権の保障は外国人在留制度の枠内で与えられているに過ぎない」と判示した。以後、これが入管庁に「外国人は煮て食おうと焼いて食おうと自由」とする絶大な裁量権を与えている法的根拠になっている。いわゆるマクリーン判決である。このような最高裁判決は私たちの力でなんとしても撤廃させていかなければならない。

差別・排外主義との闘いを

厚労省によれば、在日外国人労働者は2023年10月末で2百万人を超えており、対前年増加率は12・5%で前年の5・5%から6・9ポイント上昇している。技能実習生はすでに40万人を超えており、対前年比で20・2%増となっており、年々増加の一途をたどっている。
いまや日本の資本主義は外国人労働者抜きには成り立たない段階に入っており、この方向はさらに加速していく。
岸田政権は資本の意向を受けて今後ぼう大に入ってくる外国人労働者に対し低賃金などの劣悪な奴隷的労働条件を強制し、他方では日本社会の差別・排外主義をあおり、巨大な監視社会をつくろうとしている。許すわけにはいかない。
そのためには日本社会の差別・排外主義と根底から闘っていかなければならない。多くの在日外国人労働者との連帯を強めていこう。

狭山再審へパンフ発行

狭山再審闘争勝利のために、2・23集会を成功させた「市民の集い in関西実行委」が編集するパンフレットが発行された。「垣根をこえて」をスローガンに開催された集会の報告集だ。石川一雄さん・早智子さんのアピールはじめ、袴田さん・青木さん・西山さんら冤罪被害者たちの訴えが続く。メインの講演は昨年5月に『被差別部落に生まれて』を出版した黒川みどり静岡大学教授。ほかにも識字学級の報告や、議員のあいさつ、模擬裁判など豊富な内容だ。
頒価は500円。『未来』編集委員会でも扱います。

4面

強制不妊 5月29日 最高裁大法廷口頭弁論
12人の原告が魂の意見陳述

大法廷弁論―現地報告集会の状況を兵庫会場集会(神戸市総合福祉センター、「歩む兵庫の会」主催、司会・本郷善通さん)と各種資料にもとづき報告します。

午前9時、旧優生保護法による強制不妊手術  国は謝罪と補償を! の大横断幕を先頭に、原告、弁護団が最高裁に入廷

旧優生保護法(以下、旧法。1948〜96年)の下で聴覚障がいや知的障がいを理由に不妊手術を強制されたのは憲法違反だとして被害者が国に謝罪と損害賠償を求めて全国で争われている裁判で5月29日、60代〜90代の男女12人による計5件の上告審について、最高裁大法廷(裁判長・戸倉三郎長官)で、午前と午後に分けて口頭弁論がおこな行われた。大阪(3人)、東京(1人)、札幌(1人)、兵庫(5人)、仙台(2人)など各訴訟の原告・弁護団が、裁判官15人を前に意見陳述した。手話通訳と要約筆記が配置され、さまざまな障がいのある人々を含む支援者のべ350人が傍聴した。
原告12人は合計約3時間の陳述を通して、「国が障がい者を差別し、尊厳が否定されてきたことが認められなければ、被害は終わらない。被害者全員を救う判決を!」と訴え、被告・国側は請求棄却を主張し、即日結審した。

T 双方の弁論要旨

原告・弁護団

〔違憲性〕 1948年、国は「不良な子孫の出生の防止」などを目的とする旧優生保護法を成立させた。国の掲げた目的を自治体も積極的に推進し、北海道では全国最多の2593人に強制不妊手術がおこなわれた。国の要請により、自治体間で手術件数を競い合うような状況があった。国が障がい者らを一方的に「不良」と決めつけ、子孫を残してはならない者として存在自体を否定した。旧法が「法の下の平等」を定めた憲法14条や「個人の尊重」を定めた同13条に違反するのは明らかだ。
〔除斥期間(*)〕 国は除斥期間の制度趣旨として、法律関係の早期安定などの一般論を主張する。だが、旧法から母体保護法への改称後も、国は「当時は合法だった」との考えを曲げず、被害者への謝罪や補償を拒否してきた。
手術による人権侵害の悲惨さに加え、原告は社会的な差別・偏見にさらされ、提訴が困難だった。このような事情を踏まえれば、手術から20年の経過のみをもって国を免責することは著しく正義・公平の理念に反する。除斥期間を適用しないとの判決を求める。
(*)除斥期間:法律上の権利を使わないまま過ぎると自動的に消滅する期間。時効とは異なり、原則として中断や停止は認められない。不法行為による損害賠償請求権は20年で、89年の最高裁判例で確立した。被害者らが不法行為や損害を認識しなくても進行し、公害や薬害等の訴訟の争点となってきた。2020年施行の改正民法で、進行が止まることもある時効に統一されたが、改正前の行為や損害には適用されない。

国側

〔違憲性〕一言半句の言及もなし。(*国はこれまでも地・高裁における弁論のすべてにおいて、違憲性の認否を回避してきた)
〔除斥期間〕最高裁判例は、特段の事情が認められる場合には除斥期間経過による権利消滅の例外を認める。だが、例外を広く認める解釈を採ると、既に消滅したはずの責任を追及する訴訟が提起されるなど、法的安定性に対する影響は計り知れない。
当然かつ絶対的な権利消滅という除斥期間の概念に矛盾する。国は、原告らの権利行使を不能にしたり、著しく困難にしたりすることに積極的に関与しておらず、差別解消の取り組みをしてきた。除斥期間を適用しない特段の事情があるとは認められない。
〔立法府の意思〕 国会では一時金支給法が全会一致で成立した。同法での解決が最も適切で妥当だとの立法府の意思を示すもので、司法が自ら確立した判例法理を根本的に変更し解決を図るのは、立法府の役割をないがしろにすることになりかねず、司法が果たすべき役割を超える。

U 原告・弁護団の意見陳述

原告・弁護団の意見陳述

原告の意見陳述の開始に際して、札幌訴訟の弁護士は壇上に並ぶ最高裁の裁判官15人に訴えた。「原告の姿を、目を見ながら陳述を聞いて下さい」
法律論の前に、被害者が受けた苦しみを、人生を暗転させられた被害の記憶を知ってほしい。
「一人の人間として見てほしい」――それは国が進めた不妊手術で差別や偏見に苦しめられてきた全ての原告の願いだった。

▼仙台訴訟・飯塚淳子さん(仮名。70代女性)―12人の原告のうち最後に意見陳述。
「16才で不妊手術をされました。手術は私から幸せな結婚や子どもというささやかな夢をすべて奪いました。この被害を闇に葬らせてはいけないと、歯をくいしばって訴えてきましたが、国は『謝罪も調査もしない』と繰り返しました。(大法廷係属中の5訴訟のうち仙台訴訟だけ高裁で敗訴したこと、全国の原告39人のうち6人が亡くなり、自身も病を患っている点にも触れ)早く判決をお願いします。最高裁が最後の希望です。いい判決であってほしいと願っています」、「すべての被害者が救われる判決をお願いします」 
  仙台訴訟の新里宏二弁護団長は、 飯塚さんが長い間たった一人で訴え続けているのを知った佐藤由美さん(仮名、知的障がいをもつ60代女性)が、その助けになりたいと全国で初めて提訴した経緯を述べ、お二人は高裁判決で唯一除斥期間が適用され請求が却下されたと指摘し、「先駆者として被害者救済の道を切り開いてきた飯塚さん、佐藤さんを救済する判断を求めます」と訴えた。

▼札幌訴訟・小島喜久夫さん(82)「(幼少期から差別に苦しみ、無理やり入院させられた精神科病院で手術を強いられたと語り)子どもができていれば今より幸せだったかもしれないし、不幸だったかもしれない。それでもそれは自分で決めることです。自分で自分の人生を決めたかった。どんな判決でも私たちの人生はもう元には戻りません。せめて国が間違っていたことを認めてください。もう二度とこのようなことがないよう、お願いいたします」と涙にむせびながら訴えた。

▼東京訴訟・北三郎さん(仮名。81)「私たちの苦しみと正面から向き合ってください。2万5千人の被害者がいます。どうか手術をされたみんなの人生を救う判決をお願いします。幸せを持ち帰って、亡くなった妻や親に伝えたいです」、「人生を返してほしいけれども、昔の自分はもう戻らない。一日も早い全面解決をお願いします」

▼大阪訴訟・野村花子さん(仮名。聴覚障がいのある70代女性)「知らない間に不妊手術(*)を受けさせられ、悔しい。手術を受けず、そのままの体でいたかった」、「障害があってもだれでも子どもを産み育てられる社会であってほしい」
(*)母親の同意のもとで強いられた中絶手術の際、何も知らされず不妊手術された。
▼大阪訴訟・野村太朗さん(仮名。花子さんの夫で、聴覚障がいのある80代男性)「優生保護法は私たち障がい者を狙い撃ちにしたのです」
▼兵庫訴訟・鈴木由美さん(68、脳性まひ者)
(車いすで出廷。弁護士の質問に答える形で半生を語り)「優生保護法という法律によって、母は私に黙って、手術を決めました。私としては、好きな人と結婚して子どもができるといいな、お母さんになりたいなという夢がありました。なので、本当に子どもが産みたかったです。 人間扱いしてもらえなかった私たちが裁判を起こすことの難しさも裁判所に理解してほしい。今でも差別は続いています。この裁判が社会を変えるきっかけになることを祈ります」
▼兵庫訴訟・小林寶二さん(92) 車いすで出廷し、手話で語りかけた(*)。
「裁判官、私の声が届いているでしょうか。手術を受けた妻はずっと泣き暮らし、私も悔しかった。子どもを捨てられ(**)、子どもが生まれない手術をされ、差別を受けて苦しんでも我慢するしかなかった人生を、どうか理解してください。子どもをもてず、最愛の妻も失くし、ひとりぼっちになりました(***)」
(*)小林さんは病気で入退院を繰り返しながらも「どうしても自分で言葉を届けたい」と最高裁まで足を運ばれた。
(**)お二人の母親の間で中絶手術が決められ、何も知らされないまま同時に不妊手術をされた。
(***)22年、妻・喜美子さんは病気のため89歳で亡くなった。翌23年大阪高裁は、除斥期間の適用を認めず、国に賠償を命じた。

弁論直後のコメント「喜美子に『もう少しで良い報告ができるから待っていて』と伝えたい。裁判所には正しい判断をし、国には謝ってほしい」
●新里宏二全国弁護団共同代表
「(除斥不適用に関する国の主張について)ほかへの影響力があるかどうかではなく、あくまで今回の被害に向き合った判断をするべきだ。最高裁こそが〔人権の砦〕だと確認できる、旧法の被害者全体が救済される判決を出してほしい」

V 報告集会

大法廷弁論後、衆院第1議員会館で、多くの支援者に見守られながら、原告の方々が裁判に臨んだ思いを語った。
▼仙台訴訟・飯塚淳子さん「皆さん、来ていただきありがとうございます。これまで長い苦しい道のりでした。けれど、佐藤(由美)さんが名乗り出てくれて、私も裁判に加われました。最高裁の判断がどうなるか心配ですが、どうか被害者みんなが救われるいい判決であってほしいです」
傍聴に参加した利光恵子さん(70。立命館大学客員研究員、「優生手術に対する謝罪を求める会」の一人として、97年以来飯塚さんを支援してきた)
「国はきょうも責任を認めようとしなかった。本来であれば最高裁判決を待つまでもなく、全ての被害者に謝罪と補償をすべきだ」

▼札幌訴訟・小島喜久夫さん「思い残すことなく思いを伝えられた。裁判官はみんな私の顔をじっと見てくれていてうれしかった。絶対に私の思いを聞き入れてくれると思っています。絶対に国の言っていることは間違っている。絶対に負けられません」

▼東京訴訟・北三郎さん「(手術から)67年間苦しんできました。国に謝ってほしいという一心で裁判に訴え、ようやくここまで来ました。すべてをかけて、私たちは闘っていきます」

▼帝王切開で第1子を出産した時、同時に不妊手術をされた野村花子さんと太朗さん夫妻。第1子は生まれてまもなく亡くなった(*)。「これから続く障害を持つ若い夫婦が子どもを産み、育て、幸せな家庭を築く権利を持てる社会にしたい」と手話で訴えた。
(*)なぜ? 何度聞いても教えてもらえなかった。太朗さんの胸には今も疑念がくすぶり続けるという。「障がいがあって殺されたのでは?・・・」と。

▼兵庫訴訟・鈴木由美さん(68)「裁判に勝って被害を受けたたくさんの人たちに勇気を与えたい。障害の有無にかかわらず同じように普通に暮らせる社会にしたい」
兵庫訴訟・小林寶二さん「喜美子が天国で見守ってくれていました。私が生きているうちに、この問題をすべて解決してほしい。差別がない社会に一歩でも近づくよう、最後の最後まで頑張ります」

●新里宏二全国弁護団共同代表「今回は法律論ではなく、当事者の声を反映してもらうための弁論だった。被害者全体の救済の基点となるすばらしい判決を期待したい」
「憲法に反する国の行為を、裁判所が人権のとりでとして正すことが求められている。最高裁には、真に正義と公平にかなう判断を期待している」

●辻川圭乃大阪訴訟弁護団長「今日の裁判は、当事者・原告らがどれだけ悲惨で過酷な暮らしを強いられてきたか、手術でどんなに大変な思いをしてきたか、裁判官に分かってもらいたかった。裁判官がみな、顔を原告側に向けて聞いていた。障がいのある人にとってこの裁判が良い第一歩になればと願っている」
「きょうも国の主張は除斥期間の適用だけだった。旧法下での手術は、障がい者を『不良』と決めつけ、子孫を残さぬよう本人の同意を得ることすらせずにメスを入れた。戦後最大の人権侵害が20年過ぎただけで無罪放免になるのか。決着着くまで闘わないといけない」

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5面

強制不妊訴訟判決 静岡地裁浜松支部
除斥適用認めず 国賠命令
5月27日

旧優生保護法(以下、旧法 1948〜96年)下で不妊手術を強いられたのは憲法違反だとして、視覚に障がいがある浜松市の武藤千重子さん(75)が国に3300万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、静岡地裁浜松支部(佐藤卓裁判長)は5月27日、旧法は違憲と判断し、国に1650万円の賠償を命じた。

強制不妊国賠訴訟は、全国12の地裁・支部で起こされた。国賠命令の判決は、地裁レベルで5件目。高裁判決を合わせると11件目となった。

閉廷後、浜松支部前に満面笑顔の武藤さんが盲導犬に先導されながら、傍聴した人たちとともに姿を見せた。駆けつけた大勢の支援者が「勝訴」、「国は早期解決を」などと記したタオルを掲げて出迎えた。

裁判長が述べた判決理由は以下のようである。
優生手術は身体への強度な侵襲を伴い、生殖機能により子をもうけることを不可能または著しく困難にする。旧法の規定が差別的で不合理な目的で定められていることからも、自己決定権と幸福追求権を保証する憲法13条、法の下の平等を定める憲法14条1項に違反する。
原告は手術の具体的内容について十分な説明を受けておらず、手術時にはほとんど視力を失っていた。2019年に旧法に関する本を音声で聴くまで旧法を知らなかった。子どもを産みたいという希望や夢を理不尽に奪われた原告の苦痛は甚大だ。国による優生施策は差別・偏見を正当化・固定化し、優生思想を根深く国民に広めた。原告が手術を周囲に打ち明け、情報を得ることを困難とする国民の意識や環境の形成に大きな影響を与えた。除斥期間の適用を認めるには、著しく正義・公平の理念に反する特段の事情がある。

武藤さんは20年6月、静岡地裁浜松支部に提訴。強制不妊国賠訴訟は、県内では聴覚障がいを持つ宮川辰子さん(仮名。19年1月静岡地裁に提訴。23年1月勝訴)に次いで2例目で、視覚障がいの被害者による提訴は全国初だった。

視力喪失、真っ暗闇の中、婦長に不妊手術迫られ、産む願い永久に絶たれる(※小見出し)
武藤さんは、小学生の頃に視力が下がり始め、高校卒業後一般企業に就職したが、白内障との診断を受けた。74年に25歳で結婚して長女を妊娠、出産した。77年には次女を出産したが、直後に婦長から「3人目は(目の疾患が)遺伝しないとは限らない。ここでやめなさい」と不妊手術を迫られ、手術を受けた。手術に必要な書類は、視力低下によって読むことも書くことも困難で、病院から口頭の説明もなかった。87年は網膜色素変性症の診断を受けた。

「これって、私のことじゃない?」

19年になって新聞が報じた裁判について耳にし(*)、「これって、私のことじゃない?」と気づいた。
(*)佐藤由美さん(仮名)、飯塚淳子さん(仮名)による仙台地裁への提訴(18年1〜5月)〜判決(19年5月)関連の報道と思われる。19年6月ごろ、本の内容を音声で聞いて、旧法を知ったものの、提訴できるようになったのは、手術を受けた可能性が高いとの医師の意見書を得た20年3月だった。しかし、実際に提訴したのは同年6月29日だった。今次判決で、佐藤裁判長は「20年3月から6カ月間、除斥期間の適用が制限される」と判示した。

「この裁判は武藤千重子として片を付けたい」と実名で提訴

武藤さんは、提訴直後の20年7月3日、浜松市内で記者会見し、次のように語った。
「失くしたものを一つでも二つでも見つけ出し、(手術を受けた)当時の私を、私自身が助けてあげたい。国には謝ってほしい」 実名を明かした理由について、「これは私の裁判。武藤千重子として片を付けたかった。私自身がきっちり立って言わないといけない」 当時、既に視力は最悪状態、真っ暗闇の中で手術を受けた。「気持ちはどん底だった。3人目の子どもが欲しかったが駄目と言われ、差別も受けた」と振り返った。「優生保護法には劣性の人は子どもを産んではいけないと書かれていた。私には権利がなかったのか。悔しいですね、本当に。悔しいを通り越して悲しくて・・・」と嗚咽した。

同席した大橋昭夫弁護団長は「不条理な、人間としてやってはいけないあらゆる差別を無くす機会としてこの裁判を闘いたい」と述べた。

原告、弁護団の声

▼武藤さん「きちんと私を見てくれた。目の前でここまで言ってくれるとは思わなかった。良い結果が出て心からうれしい」、「長かった。最初の頃は何度もやめようと思ったけれど、弁護士の存在や応援してくれる声が励みになった。皆さんのおかげです」、「目が悪くてもやり切れたとの思いが強いです。障がいのある人が情報を入手したり、訴え出たりすることは本当に難しい。悔しいですね、本当に。悔しいを通り越して悲しくて・・・」と嗚咽した。
私が裁判に勝てたことが、多くの人に伝わってくれればと思います」

▼大橋昭夫弁護団長(佐藤裁判長の除斥期間適用制限に関する判示について)「提訴は20年7月でぎりぎりの事実認定だったが、原告を何とか救おうとする裁判所の苦心が見られる判決で、高く評価したい」

▼佐野雅則弁護士(「除斥期間」を適用しない判断自体、そもそも例外中の例外だ。そういう判決がここ2年ほどで11件も出ている。司法の判断を国はしっかり受けとめるべきだ」(木々繁)

6面

ウトロの歴史を学ぶ(上)
祝園ミサイル弾薬庫に反対する闘いのために

祝園とウトロ

1939年3月1日、禁野火薬庫(現・大阪府枚方市)で爆発事故がおきた。この事故を内密に処理するために、旧・陸軍は祝園(現・京都府相楽郡精華町)を代替地に選んだ。この年11月に、陸軍は土地の調査やその他の土地の買収、測量、工事などを開始している。
大阪陸軍兵器補給廠祝園分廠は、1941年4月に開所した(同年8月に大阪陸軍兵器補給廠祝園部隊と改称)。これが今の祝園弾薬庫(正式名称は陸上自衛隊宇治駐屯地祝園分屯地)である。
祝園弾薬庫の建設では、朝鮮人労働者が強制労働させられている。精華町教育委員会が発行する「せいか歴史物語」(近代5)には、次のように記されている。
「当時精華町には、陸軍祝園弾薬庫の建設に従事していた朝鮮人労働者がいました。日本の敗戦によって朝鮮は植民地支配から解放されましたが、帰還後の生活のメドがたたず、多くの朝鮮人労働者が帰国を断念しました。彼らは、戦争中は日本国民であったのに、戦後一方的に日本国民としての権利を剥奪されたまま、精華町で生活することを余儀なくされました。戦後末期から敗戦後にかけて、精華町には、戦争が生み出したさまざまな重荷を背負った人たちがあふれていたのです。」
このように、戦前において在日朝鮮人の存在と戦争は密接に関係している。本稿では、祝園弾薬庫問題を考えるために、ウトロの歴史をみていく。

ウトロ地区形成史

祝園弾薬庫から北に約13qのところに、陸上自衛隊大久保駐屯地が存在する。さらに北には、陸上自衛隊宇治駐屯地がある。このように、この地域には陸上自衛隊基地が密集している。これはどうしてなのだろうか。
戦前、淀川流域一帯には軍需工場が集中していた。宇治川流域に東京第二陸軍造兵廠宇治製造所(1894年に大阪砲兵工廠の宇治火薬製造所として開設された)がつくられ、淀川流域に軍需工場(禁野火薬庫、枚方製造所、香里製造所など)があり、その河口に大阪陸軍造兵廠(大阪砲兵工廠)が存在した。今日、宇治火薬製造所の一部が陸上自衛隊宇治駐屯地になっている。
ちなみに、宇治火薬製造所でも爆発事故がおきている(1937年8月17日)。午後11時過ぎから翌日未明にかけて3回の爆発が起こり、火薬を製造していた5工場が全滅した。全焼も含め856戸が被害をうけ、重軽傷者は22人におよぶ。
陸上自衛隊の大久保駐屯地も、同じように戦争を引きずっている。大久保駐屯地の北側に、ウトロ地区(京都府宇治市伊勢田町ウトロ51番地)が存在する。戦前、ここには「京都飛行場」があった。朝鮮人労働者が建設工事に集められ、ここで生活するようになったのだ。 
1939年、逓信省(当時)は全国に航空乗員養成所と付属飛行場の建設を計画していた。1940年4月、京都飛行場が起工式をおこなっている。京都飛行場建設とともに、陸軍の要請により飛行機製造工場が併設された。丘陵地(現在、大久保駐屯地になっている)を切り開いて、建設がすすめられた。工事には、毎日約2千人の労働者が動員されている。このうち1300人が朝鮮人労働者でしめられていた。ここに飯場がつくられ、ウトロとよばれるようになった。飛行場建設工事に関して、当事者による証言が残されている。
「徴用でとられた人の子どもたちが、とても苦しんでいるのを近所で見たこともあるし、だから、もしまた出頭命令が来たらどうしようかと思って、本当に心配だったんです。そんな時に、徴用に行かなくてもいいという仕事の話を聞きました。それは人夫募集です。昭和16(1941)年のはじめごろと思いますが、京都飛行場の工事は国の仕事だから、徴用には絶対にとられない、安心だ。家はちゃんとあてがってくれるし、家族はみんなで住めるし、配給もたくさんくれるからと。とてもいい条件を、係の人は言いました。」(文光子・談)
1945年、京都飛行場と飛行機製造工場は、米軍機により空爆をうけている。この爆撃によって、6人が死亡している。このように、戦争になればどこでも攻撃対象にされるのだ。

ウトロを守る闘い

敗戦後、京都飛行場建設は中止された。多くの朝鮮人労働者は故郷に帰っていった。しかし、諸事情で帰れない人たちは、ここに住み続ける以外になかった。現在、ウトロには約60世帯(100人)の在日朝鮮人が住んでいる。ウトロ住民の90%が在日朝鮮人であり、この点がウトロの特徴だ。
1962年、ウトロ地区の土地所有権は、国策会社の後身である日産車体に移された。日産車体は住民たちに知らせることなく、ウトロの土地を西日本殖産に売却した(1987年)。こうして、西日本殖産は「不法占拠」に当たるとして、ウトロ住民を相手に「立ち退き裁判」を提訴した(1989年)。
裁判では、住民の訴えはことごとく認められなかった。裁判官の頭のなかに、ウトロ住民たちの生活はなかったのだ。追い出される住民は、いったいどこに住めというのか。ある住民は次のように語っている。
「相手が法律をふりかざしてくるんなら、わたしらは人道で勝つ。60才を過ぎて、昔でいえばおばあさんやろうけど、引っ込んでられへんよ。若い者に、わたしらの代の難儀は渡されへん。私らの代でおわりにせなあかんと思って、がんばる。」(住民・談)
2000年11月、最高裁判決によって敗訴が決定した。しかし、ウトロ住民はけっしてあきらめなかった。

韓国市民と合流

2004年9月、居住問題国際会議が韓国でおこなわれた。ウトロ地区住民4人がこの会議に参加し、ウトロの問題を訴えた。韓国のNGO地球村同胞青年連帯(KIN)がウトロの現地調査をおこない、支援のカンパ活動がはじまった。市民運動がおこなわれ、15万人がこれに参加し、約6千万円集まった。
「確かにウトロは戦後責任、歴史認識の問題だけれど、今は募金活動を通じて、韓国政府をうごかしたい。過去と経済援助を引き換えに、韓国政府は条約を結んだけれど、その援助は在日にまったく役にたっていなかった。そのことに無自覚だった社会の一員として、何もしないわけにはいかない。募金は政府がやることであり、政府に貸をつくることだと思っている。」(ペ・ジウォン談)
この民間基金運動が韓国政府をうごかした。2007年12月、韓国国会はウトロ支援金30億ウォンを可決した。2009年5月、ウトロ民間基金財団が設立された。このようにして、ウトロ民間基金財団と韓国政府財団がウトロの土地を買うことによって、ウトロ問題は決着した。2016年6月、市営住宅建設のために住宅除去工事が始まった。2018年に1期棟が完成し、2023年には2期棟が完成している。(つづく)

投稿
新一万円札と渋沢栄一と工場法
一読者

渋沢栄一の肖像を描いた新一万円札が、近く発行される。
渋沢は500以上もの企業の設立・運営にかかわり、「日本資本主義の父」と称えられる人物である。
戦前、日本の輸出の大半は生糸で占められ、女性労働者の超長時間労働と低賃金によって成り立っていた。欧米諸国からダンピングを追及され、政府もようやく重い腰をあげた。こうして戦前唯一の労働者保護法である工場法が、1911年3月に公布された。
12歳未満の者の使用禁止と女性労働者および15歳以下の年少労働者の保護を眼目とするものであった。しかし、資本家・経営者の猛反発で実施が大幅に遅れ、1916年9月にズレ込んだ。その先頭に立って頑強に抵抗したのが渋沢であった。
その間、政府は妥協を重ねた結果、規制の基準を低くし、重要な適用除外規定を設けるなど、典型的なザル法になってしまった。
「日本資本主義の父」渋沢は、日本労働者階級、とりわけ女性労働者の敵≠サのものである。
千円札には、かつて伊藤博文の肖像が描かれていた。私は、在日朝鮮人の人たちがこの千円札を使用するたびに、屈辱的な気分にかられるのではないかと思った。伊藤は朝鮮半島を日本の植民地とし、初代韓国統監をつとめた日本帝国主義の親玉である。日本人にとっては「明治維新の元勲」かも知れないが、朝鮮人にとっては36年間の怨≠フ仇敵以外の何者でもない。
1909年、ハルビン駅頭で伊藤を銃殺した安重根は朝鮮人にとっては英雄であり、韓国では切手になっている。死刑を宣告されて収監されていた仙台刑務所の所長は、彼がいかに高潔な人格の持ち主であり、高い教養を身につけていたか、驚き、称えている。
現在使用中の一万円札には福沢諭吉の肖像が描かれている。「脱亜入欧」を唱えた福沢は、日清戦争に先立って、清国は野蛮未開の国であり、文明に目覚めた日本がこれを討つのは文明国の当然の義務であると、開戦熱をあおり立てた。
紙幣に描かれた人物の顔ぶれは、いずれも「偉人」とされ、近・現代の日本の歩みを象徴している代表的存在である。
支配階級は、こうして日々の生活をつうじて、虚偽に満ちた歴史をわれわれの頭の中に刷り込もうとしていることを、改めて肝に銘じよう。

7面

4月21日西宮 岸本聡子杉並区長が講演
ミュニシパリズムとは 哲学で新しい政治運動

280人が集まった(4月21日)

4月21日、兵庫県西宮市で岸本聡子杉並区長が「地域主権という希望」と題してリモートで講演をおこなった。岸本さんはとてもパワフルで杉並区での取り組みや政策を話し、映像の議会答弁が流れ大いに共感した。諸般の事情で掲載が少し遅くなったが岸本区政が誕生して2年。その要旨を紹介する。(本紙編集委員会)

ジェンダー平等と多様性の社会をつくる

地域主権とは、地域のことは地域の皆で決めるということ。地域主権、ミュニシパリズム(地域主権主義)の目指すところは、住民自治の発展や深化であるということを話したい。 私は、赤ちゃんを抱えて2009年に渡欧し、仕事をして子育てをしてキャリアを中断することなく外国人として生きてきた。なぜそれができたのか。私がいたベルギーとオランダでは、社会の中にジェンダー平等や多様性、異文化を包摂する多文化共生社会をめざそうという大きな社会的合意・社会的インフラがあったからだと思う。 ジェンダー平等や多様性の包摂が社会にとって重要なだけでなく、それが強さだと信じている。そこには積極的な政治や公共政策が必要になる。人口の半分の人が適切に能力を発揮できる社会を創らなければ個人も社会もあまりにも損失が大きいという強い信念のもとに、首長として政治をおこなっている。 2022年6月杉並区長選挙、その8カ月後に区議選があり、首長だけ変わっても議会が変わらなければダメだと皆で選挙運動をした。投票率を上げようと1人街宣や政党や党派をこえた共同街宣をして盛り上げた結果48議席の内女性は24人で男女同数が実現した。投票率は43・66%で前回より4・19%ポイント上がった。新人女性は15人で、上位4位は全て新人女性。投票率を上げるだけでこんなに大きく変わる。 ミュニシパリズムは哲学、規範や価値であると同時に新しい政治運動です。国がなかなか変わらない中で、地方自治体で民主主義を立て直さなければいけないという思い・運動が発展して、自分たちの代表者を地域社会や運動の中から出して行こうという運動です。 区長になり、「ハラスメントゼロ宣言」をやった。課長職以上が「ハラスメントゼロ」のポスターを掲げて「ハラスメントをしません。見過ごしません」と宣言した。その取り組みをたゆまず続けて風土としていくことが重要で、変化が起きている。 自民党の女性議員から「男女平等とは、男性女性にこだわるのではなくその方の資質・能力・適性に重きを置くべき。女性管理職を増やす取り組みは男性差別ではないか」と質問。私は「男女ともに全ての人が活躍できる社会を創るというのは当然のこと。職員の6割は女性だが、意志決定をする場には2割しかいないという不均衡を直視しなければいけない。そうしなければ組織の強さ、持続性を発揮できない。これに対して積極的な行動を起こさないという選択肢はないと考える」と答えた。

非正規雇用労働者・ケア労働者の賃上げを実現

ミュニシパリズムの実践として、3つに分けている。3つとは、「公共の再生」、参加型民主主義、気候変動危機や多様性・ジェンダー平等の主流化。「公共の再生」について今回の当初予算編成でしっかり位置づけた。 「公共の再生とは何か」と質問があり答弁した。「1980年代に登場した新自由主義[により]・・・過度に民間事業者の営利を優先した結果、公共サービスでありながら住民の自治権が及ばない状況、公共財を自治体と住民がコントロールできない状況に陥った。他方公共事業で働く労働者の非正規雇用化が進んできた。低賃金化し有期雇用ではキャリア形成もままならず将来に不安を持つ労働者が増えた。とりわけ女性の非正規雇用化が顕著であり・・・このような構造的問題について、これを改善していこうとするプログラムを『公共の再生』と表現している。その大きな目標は、自治に基づき豊かで公正な経済と地域のウェルビーイング(個人が肉体的、精神的、社会的に満たされた状態)を実現すること。そのために公共財をいかに民主的に管理・運営・創造するのか考える必要がある・・・」。 この答弁が大きなステップになり、区役所の中で区長の認識に基づいて政策を考えようという機運が生まれた。 ケアする人をケアする、ケアを社会の真ん中にということ。地域包括支援センター(ケア24)の委託費が低く見積もられていた。保育や介護は女性が無償でやってきた仕事なので安ければ安いほど良いという認識があるが、ケアの仕事は命と向き合う仕事なので精神的・肉体的にも高度な能力を要求される。ケアワークの70〜80%が女性。ケア24の委託費を約25%上げて、人件費の充当やケアマネージャーの試験を受ける費用を助成することを予算化した。 区で指定管理者制度の検証をおこない、わかったことは図書館や公共施設、スポーツ施設などをおこなっている民間の事業者の7割は非正規雇用の労働者でその多くは高齢の女性。まず賃金を上げなければいけない。公契約条例が杉並区にあり、労働報酬下限額(公務における最低賃金)を定めている。労働報酬下限額の引き揚げをおこない、今まで1138円を1231円に上げた。公共サービスにかかわる多くの女性の処遇改善に繋がる。 会計年度任用職員(非正規雇用公務員)の報酬額の引き上げをおこなった。杉並区では41%が非正規雇用公務員で、その内の85%が女性。今年度から公務員の勤勉手当の支給が可能になった。23区全体で勤勉手当支給をやっていこうとなった。非正規雇用公務員のボーナスは、正規公務員の半分だったが、今年度から正規と同じ4・6カ月分のボーナスが支給される。9億円の予算増となる。平均的な会計年度任用職員の給料が50万円上がる。

対話の区政で住民自治の実現へ

地方自治こそが民主主義を再起動させる最重要の鍵である。杉並区には自治基本条例がある。宣言に「地方自治とは、本来そこに住み暮らす住民のためにあるものである。地域のことは住民自らが責任をもって決めていくことが自治の基本である」。この条例に命を与えていくことが必要。参加型民主主義で、いろんな人が関われるようにしたい。 くじ引き民主主義というのが分かりやすい手法だと思う。住民基本台帳の中から無作為に選んだ2千人とか5千人の人たちに葉書を送って、こんなテーマについて話し合って見ませんかと招待する。その中でやってもいいよという人たちと様々なテーマについて話し合いをする。 区長とのキックオフミーティングをやり、給食無償化、自転車の乗りやすい町、杉並らしい防災、子どもの居場所などの政策を区民と話し合ってきた。最初手作りで始めた取り組みだが、区役所の中にだんだん根づいてきた。区役所は、いろんな改定や計画作りの作業をしているが、最後にパブリックコメントをやり区民から聞いたことにする。これを初期の時点から職員・区長が区民と平場で話し合いながら計画を作っていくようにしたら区役所と区民の関係がずっと近くなる。 参加、熟議、協同による地域づくり、コミュニティづくりに行政は伴走していく。徹底した情報公開と透明性によって、対話の区政の基盤となる区民と行政の信頼関係をつくっていきたい。 最後にローカルイニシアチブネットワークは、昨日集会をやりオンラインで5百人が参加。沖縄県知事玉城デニーさんが来て、辺野古新基地建設で住民自治を剥奪しておこなわれている代執行について語ってくれた。地方自治法の「改正」が国会で話し合われている。沖縄を見ると今日本における自治の現状がわかると思う。行政区を越えて様々な地方議員、首長、市民と政策で繋がっていくネットワークを広げていきたい。

8面

イスラエルはラファ攻撃をやめろ
アメリカ村から難波までデモ
6月16日大阪

アメリカ村から御堂筋へ力強く進むデモ(6月16日 大阪)

「イスラエルはラファ攻撃をやめろ! 今すぐ停戦! 関西ガザ緊急アクション」が6月16日、大阪市内でひらかれ2百人が集まった。主催は、関西ガザ緊急アクション。

想定を超える抵抗

主催者あいさつで、役重善洋さんは「ガザのジェノサイドはすでに8カ月が過ぎた。米バイデンは想定以上のハマース・ガザの抵抗継続に追い詰められ、停戦へ動きだしつつある。なぜ、もっと早く停戦できなかったのか。ハマースへの軍事作戦をもって短期間で終わらせるのは可能というのが欧米の見通しだった。ガザでの抵抗は(報道では)ハマースだけという印象。しかし、パレスチナの諸組織すべてが抵抗運動に共同している。米はハマースを悪者にしているが、イスラム勢力、PFLP、ファタハなど抵抗組織が参加、それぞれの家族・コミュニティーがある。ガザの住民すべてが抵抗運動を支えている。8カ月間の中で、米は方針を変えざるを得なくなった。厳しいが闘っていこう」と述べた。

ジェノサイド許すな

次に全交が、三菱重工、IHIへの抗議行動や万博へのイスラエルの参加禁止要求などを報告。また、防衛省がイスラエル製ドローン購入を計画していることを弾劾した。 平和市民アクションは、「毎月『9の日』に大阪市内各駅で街宣している。イスラエルの後ろ盾で全面的にバックアップしているのがアメリカ。病院で生きたままの人が埋められている状況。パレスチナの人口の半分が14歳以下。普通の国では考えられない。75年間、虐殺が続いてきた結果だ。 日本が第二次大戦の敗戦までアジア・太平洋諸国で虐殺してきたからこそ、声をあげるべき。憲法前文で、〈われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと務めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う〉としている。イスラエルによるジェノサイドの状況を許さないために尽力しなければ」と述べた。

どう表現すれば

バーレーン出身の留学生は、「以前は発言を求められても自分の心が痛む。76年以上も闘ってきた人々をどう表現すればいいのかと(発言)できなかった。団結した人民は決して負けない。パレスチナ人が自由になるまでは誰も自由でない」と語った。 続いて、詩の朗読があった。ガザ出身の活動家であり、教授であり、空爆で虐殺されたレファアト・アラリールさんの詩が朗読された。パレスチナの若者の声を代弁していた。

西岸地区

歌のあと、西岸地区へ行ってきた神戸市民が発言。「この7年間、行っていなかったが、4〜5月に西岸地区へ行ってきた。以前は毎週金曜日デモをやっていたが、昔と違ってデモ・旗を出すと射殺される状況でできない。現地では、『10・7以降、ほかの国でデモをやるようになってありがたい』と言っていた。今は、地獄のようだが、安心して住めることができるように。不正義を許すわけにはいかない」。

自分の国に入ったことがない

在日パレスチナ人がアピール。「1967年以来、家族が追い出されて自分の国に入ったことがない。百年以上前、西側(諸国)は、アラブ人地区を占領し、英国はヨーロッパユダヤ人入植者に与えた。それ以来、この地域は平和を知らない。世界中で私たちのためにたちあがる人々を見て、勇気をもらった」。 集会後、若者でにぎわう繁華街・アメリカ村を経て御堂筋を南下し難波までデモでアピールした。終了後、川崎重工(株主総会)への抗議行動、ファナック(株主総会)への抗議行動が呼びかけられ、次回7月14日(新町北公園14時)にまた会おうと確認した。

重信房子さんが講演
6月22日大阪 23日京都

10・8山崎博昭プロジェクト集会で講演(6月22日 大阪)

元共産主義者同盟赤軍派で1971年2月に日本を出国し、パレスチナ解放闘争に参加した重信房子さん。不当逮捕から20年の懲役刑を終えて、リハビリをしながら活動を再開しているが、6月22日大阪、23日京都で元気に講演をおこなった。(詳報次号)

(映画評)
「革命する大地」
監督: ゴンサロ・ベナベンテ・セコ
2019年ペルー映画

ペルー革命の展望を指し示すドキュメンタリー映画。1968年、ベラスコが大統領になる。大統領諮問委員会が革命全体を指導し、この軍部革命政権が「社会主義」政策をおこなっていく。当然、その政策にはキューバ革命が影響している。 映画はベラスコ以前と以後にわけられている。内容的には、ベラスコ政権以前、ベラスコ政権の評価、今後の革命運動と課題、この3部構成になっている。ベラスコ政権とは何だったのか。これが映画の主要なテーマ。 「豊かなモンターニャ(熱帯雨林地帯)、美しいシエラ(山岳地帯)、心地よいコスタ(海岸地帯)」と歌われているように、ペルーは多様な環境にめぐまれている。アンデス山脈によって、植生は海抜0〜6000メートルまで垂直分布している。人口構成は先住民(インディオ)45%、先住民族と白人の混血(メスティソ)37%、白人15%、その他3%であり、先住民の割合がおおきい。 映画は、政治的だけではなく、文化的にも総括していく。先住民の生活、農民をめぐる社会構造が語られていく。同時に、アーカイブ映像がこれを補強していく。このドキュメンタリーでは、音楽や映画作品が多用されている。音楽は民族の精神性を展示し、映画作品はその時代の精神を記録している。これをたくみに利用している。 まず、スペインによる植民地時代からベラスコ政権に至るまで。ペルーは少数の権力者による寡頭支配がおこなわれていた。農民は地主からわずかな土地を与えられ、半封建的奴隷状態におかれていた。農民の主体は先住民であった。ペルーでは、この先住民と農民を主体とした運動が歴史的に展開されてきた。 次に、ベラスコがおこなった「上からの革命」が総括される。ベラスコはポピュリスト政権であり、独裁者でもあった。まず、農地改革をおこない、農地を協同組合化していった。大地主から土地を奪い、農民に与えたのだ。また、外国資本の石油企業を国有化し、主要な大企業を国営化していった。 しかし、「上からの革命」は個人の権力に依拠していた。ベラスコが病に倒れ、政権から去っていくと、「上からの革命」は維持できなくなってしまう。その間隙をぬって、アメリカ資本と手を結ぶ旧支配階級が権力をにぎってしまった。その後、ペルーでは新自由主義政策がとられ、今日に至っている。 最後に、ベラスコ政権の総括のうえに、これからのペルー革命が展望される。2019年の闘い(この映画は2019年に制作された)が映し出される。先住民と農民が主人公になる社会をどのように建設し、どのように維持していくのか。今日においても、これがペルー革命の課題になっている。 先住民と農民が真の支配階級になっていく。政権が変わるだけでは、革命は実現しない。今の社会を変えていき、新しい社会を維持していく必要がある。そのために、どのような運動が必要なのか。ペルー人民は歴史を学びながら、今日も闘い続けている。この苦闘は、われわれにとっても教訓になる。(鹿田研三)

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