未来・第387号


            未来第387号目次(2024年4月4日発行)

 1面  全土基地化反対・新たな安保沖縄闘争を
     4・28 補選全敗で岸田退陣・自民瓦解へ

     祝園弾薬庫反対 闘い始まる

 2面  禁野火薬庫爆発で97人死亡
     片町線沿線は一大軍事補給網

       3面  戦争国家化進むドイツ・西欧
     木戸衛一さん講演 反ミリタリズムの再構築を      

       4面  岸田政権の原発強行と対決を
     全国集会に6000人 3月20日・東京

     STOP!女川原発再稼働
     仙台で一〇〇〇人の集会・デモ

 5面  汚染水海洋投棄反対で集会
     海渡雄一弁護士が講演

     老朽美浜原発3号機運転禁止仮処分
     関電の主張を丸のみ 3月15日  6面  上関原発を建てさせない山口大集会
     原発に頼らない町を子孫に      

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     最近のテレビ報道とスポーツ
     一読者

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     『怒りをうたえ』上映会
     権力万能神話打ち破る
     3月17日大阪

 7面  女性差別・フェミニズム破壊に抗し国際女性デーで反撃

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     3月17日 大阪
     ヘイトスピーチ許さない

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     ウーマンズシンポ
     4人が具体的報告
     3月8日

 8面  万博中止へ緊急提言
     地震対策・公衆衛生まるでダメ

     イ・サンテさんを追悼する
     在日の問題は日本人の問題

                 

全土基地化反対・新たな安保沖縄闘争を
4・28 補選全敗で岸田退陣・自民瓦解へ

会場満杯の200人が集まり祝園ネットワーク結成(3月20日 京都・精華町)

断末魔の危機深める岸田政権

岸田政権は「裏金問題」の泥沼から脱出できず、支持率は続落、20%を切る報道も多数出始めている。さらに和歌山での青年局「下着ショー」も暴露され、およそこの党・政権には能登半島地震や生活困窮にあえぐ庶民によりそう「政権担当能力」などないことが次々暴露されている。
さらに4月28日の長崎・島根・東京の補欠選挙を前に、二階元幹事長は次期総選挙辞退を表明し、安倍派裏金幹部への処分は最低でも自民党「非公認」が言われ始めた。とはいえそれで誰も納得できるものではなく、4月28日の補欠選挙では2敗は確実、東京では小池都知事(都民ファ)にすがる以外なくなっている。
今や岸田政権は断末魔の危機にある。ただ永らえているのは立憲民主党ら野党幹部の「体たらく」だ。自民危機が進行し、万博破産で維新支持率も降下の中、野田元首相は「関東は立憲、関西は維新」なる、関西住民が激怒する方針を披歴する始末。裏金問題での「政治不信」と30年にわたる賃金下落・生活苦の根本原因が、森や二階や安倍(ノミクス)にあったことは確定し、彼らと組んだ統一教会や日本会議なども併せて打倒以外ないことに「政治不信層」は気づき始めた。4・28補選はこの人民の怒りの決起の手始めに他ならない。

軍事大国化・戦争出撃基地化に反撃

この政権としての正当性を持たない岸田政権が全力で進めているのが沖縄を再び戦場にしかねない軍事基地強化であり、九州も前線基地化、四国4港は補給基地化、関西は弾薬庫強化と西日本全域を戦争遂行体制に作り変えることだ。5年間で43兆円という莫大な予算を注ぎこむ。イギリス・イタリアとの新型戦闘機開発や、開発された武器の輸出も歯止めなしだ。
ここ数年、自公政権は宮古島・石垣島などの自衛隊基地を強化してきたが、24年3月沖縄島・陸自訓練場(うるま市・石川)建設には保革を超えて反対運動が拡大し、建設計画がとん挫。これまでの米軍基地への闘いの上に今自国軍隊の戦争準備に反対の声が燃え上がり始めた。九州各地の軍備強化、四国の港湾整備にも各地で反対運動が起こり、早期収拾を狙う高知県知事、香川県知事は早々と「受け入れ」を表明。
そして反基地闘争がないと言われた関西において、京都・奈良・大阪の丘陵地帯(京阪奈丘陵)に日本一の大弾薬庫を、新たに102億円をかけて増設し、トマホーク・12式ミサイルの弾薬を大量に備蓄するという。この動きに対して3月20日「京都・祝園ミサイル弾薬庫問題を考える住民ネットワーク」が200人を超える参加者で発足した。沖縄からもメッセージが寄せられ、発言の多くは戦前枚方の禁野火薬庫が爆発し100人近くが死亡し、その建設過程には朝鮮人労働者が強制労働させられたとも指摘。現在この祝園をとりまく京阪奈丘陵は「関西学研都市」と名乗り、各種研究機関、大学(京都府立大、同志社大など)や、国立国会図書館関西分館などが配置されているが、その中心には甲子園球場100個分の祝園弾薬庫が位置している。ここから戦争反対の声が上がったのだ。

原発依存社会への転換許すな

他方で岸田政権は、能登半島地震後でも各地の原発再稼働をねらい、避難者の訴えに耳を貸さず、「原発依存社会」へ急激に舵を切っている。この岸田政権に合わせて司法・裁判所の反動化も激しく進んでいる。国会議員は法を守らず裏金作りに邁進しても処罰されず、逆に司法権力・裁判所は2022年最高裁判決以降、困窮する避難者の声を門前払いにすることを仕事としている。福島原発事故さえなければ、家族がバラバラになったり、いまだ故郷に帰れない人々が2万人もいるという現実は起こらなかったはずだ。それは電力資本だけが勝手にしたことではなく、国策として国家が後支えしたからであり、その責任は当然政府にあるはずだ。司法が3権分立の役割を果たさないなら、この国は無法地帯として沈没するしかない。

4・28補欠選挙3連敗を強制しよう

黙っていたら殺されるわれわれには反撃の権利はいくらでもある。まずは声を上げ行動を起こし、隊列を拡大することだ。4月28日の補欠選挙で岸田に3連敗を強制しよう。あらゆる分野で世界市民としての連帯を強めていこう。生活苦を打ち破る賃金を獲得しよう。大学の国家統制を許さず、若者らしい自主的運動を作り出そう。女性たちが政治を自らの元にとり返すとき、社会は変わる。指呼の間に見えてきた岸田政権打倒へ、社会のあらゆる分野から立ち上がっていこう。

祝園弾薬庫反対 闘い始まる

代表・副代表ら役員10人が選出された(3月20日)

2022年12月に「安保3文書」を改定した岸田政権は、「戦争する国」づくりを推進している。このなかで、防衛省は大型弾薬庫を全国にあらたに130棟も建設するといっている。防衛省の言いなりにさせておけば、日本全域が戦場になってしまう。
すでに弾薬庫がある陸上自衛隊祝園分屯地(京都府精華町)に、あらたに8棟の大型弾薬庫が増設されようとしている。
3月20日、〈「京都・祝園ミサイル弾薬庫問題を考える住民ネットワーク」設立集会〉が、京都府精華町交流ホールでひらかれた。主催は、同準備会。地元をはじめ、京都、大阪、兵庫、奈良などから200人をこえる市民・活動家が参加した。関西各地で、沖縄辺野古の新基地建設に反対している人々、南西諸島のミサイル基地化に反対する人々、京都府の経ヶ岬にある米軍Xバンドレダー基地に反対する人々、9条改憲に反対する人々が、ここに一同に会した。

「ほうそのネット」設立集会

集会は、2部構成でおこなわれ、第1部では、片岡明さん(京都平和委員会)が、「祝園弾薬庫の戦略的位置と狙い」というテーマで講演した。
片岡さんは、岸田政権のもとですすめられている軍事強化を具体的に暴露した。「新しく造られる祝園弾薬庫には、陸自の12式地対艦ミサイルの能力向上型ミサイルと海自のトマホークミサイルの弾薬が貯蔵される」「戦争において、海自の舞鶴基地と一体になる。戦争になれば、ミサイル弾薬庫がまっさきに標的にされる」「土地利用規制法は、基地周辺1qを注視区域に指定できる。区域内に住む住民は日常的に監視される。この建設計画を中止させることなくして、私たちの平和な暮らしはありえない」と述べた。
第2部は、ネットワーク設立集会。事務局から結成に至る経過報告がおこなわれた。確認事項として、以下の4点が提起された。@精華町と防衛省の間で「確認書」が結ばれているが、今回の計画はこれに違反する、A陸上自衛隊と海上自衛隊が一体で運用する、B今後、米軍と共同で運用する可能性がある、C弾薬庫を守るためにミサイルを配備することはないのか。BCについて、動きをしっかり監視する必要がある。
ここで「確認書」が結ばれた経緯をみておく。祝園弾薬庫は、1960年に米軍から自衛隊に移管された。このとき、地主住民は土地返還運動をおこしている。この反対運動を抑えるために、精華町の町長と防衛庁(当時)が「確認書」を結んだ。この文書では、次のような事項が確約されている。「現在以上に貯蔵施設の拡張はしない」、「弾薬の貯蔵量が増加する場合は町側と協議する」、「新たな問題等についての処理は両者により形成する機関を設け処理する」。この「確認書」は現在も生きている。
集会には連帯のメッセージが沖縄の〈ノーモア沖縄戦 命どぅ宝の会〉から寄せられた。メッセージには「日米政府が強行する沖縄−九州、京都・全国の戦争準備は各地の反対運動がばらばらでは止める事ができません。全国の有志・団体がネットワークでつながり、全国連帯の共同行動で日本の戦場化を食い止めましょう」と書かれている。
こうして、祝園弾薬庫建設に反対する住民団体が立ち上げられた。正式名称は「京都・祝園ミサイル弾薬庫問題を考える住民ネットワーク」(略称:ほうそのネット)。「ほうそのネット」は3人の代表と6人の副代表で構成されている。5月中旬には学習会がおこなわれる。

集会参加者の発言

参加者から、さまざまな意見がだされた。発言者の地域は、京都府(精華町、木津川市、京田辺市、八幡市、城陽市、京都市)、大阪府(枚方市、交野市、大東市)、奈良県(奈良市)など、周辺地域住民が期待と決意を語った。
・禁野火薬庫が大阪府枚方市にあった。ここで爆発事故がおこり、1940年に祝園に移転した。戦前のように戦争が日常になる時代にさせてはならない。
・火薬庫を祝園に造るとき、朝鮮人が強制労働させられた。現在も、その集落が残っている。朝鮮戦争のときに、米軍はここから朝鮮半島に弾薬を運んだ。だからこそ、ここで在日朝鮮人と本当の意味で連帯する運動をつくっていきたい。
・関西で沖縄闘争を闘ってきたが、私の住む隣に弾薬庫が造られる。これに反対するのは自分自身の課題だ。
・沖縄の人たちは、「本土」での基地反対運動、とりわけ祝園弾薬庫反対に期待している。自分たちの足元でおきている。これと闘わなければ、沖縄と連帯にはならない。
・この問題は戦争体制という政治問題であり、広い視点をもって闘うことが求められている。このために、全国的なネットワークが必要だと思う。私は、京丹後市にある米軍のXバンドレーダー基地に反対しているが、これと一体で闘っていきたい。
・防衛省は、全国(130カ所)に大型弾薬庫を造ると言っている。これを造らせないためには全国的なネットワークをつくろう。また、京都の舞鶴とも連帯が必要だ。
・安保3文書が、自分の近くにやってきた。これに反対することは、自分の課題だ。自分たちの暮らしと平和を自分たちの手で守る。
・祝園に弾薬庫があることは、近くの地域の人にも知られていない。この計画を暴露し、住民に事実を知らせていくことが大切。
・戦争になったら、まずここが狙われる。弾薬庫を守るためミサイルも配備するだろう。そうなれば、われわれは加害者になる。

新たな反戦・反基地闘争へ

岸田政権は、自己のポリシーを持たず、官僚の言いなりに政策をすすめ、官僚をコントロールできなくなっている。防衛官僚の方針で、国内の戦場化がすすめられている。安倍政権は「民衆のための政治」から「国家のための政治」に転換し、岸田政権はこれを踏襲している。この政府と闘わなければ、ひとびとの居住地域が戦場になり、戦場のなかの生活が強制させられるのだ。「新たな戦前」が、このように具体的に進行している。いま、民衆が立ちあがり、行動を起こしはじめている。
こうして、関西の地で新たな反戦・反基地闘争がつくられようとしている。関西圏で戦争に反対をしている活動家は、地域で祝園弾薬庫問題の学習会をたちあげ、「ほうそのネット」に合流しよう。祝園ミサイル弾薬庫建設反対を自らの課題にすえて、行動を起こそう。全国に弾薬庫建設反対の住民ネットワークを広げていこう。

「京都・祝園ミサイル弾薬庫問題を考える住民ネットワーク」結成集会(2024.3.20) 連帯メッセージ ノーモア沖縄戦 命どぅ宝の会

 本日、貴団体「住民ネットワーク」結成集会にあたり、ご当地のみなさまの危機感と恐怖、怒りを共有し、連帯メッセージをお届けします。
 沖縄―奄美の島々のミサイル基地化と並行して大分、京都祝園弾薬庫への新たな長射程ミサイル弾薬庫の大規模新設など政府、防衛省による戦争準備が全国各地で、すさまじい勢いで進んでいます。今、歯止めをかけねば戦争が現実となり、私たち、子供たちの命が奪われかねません。連帯して各地の軍備強化、戦争準備に反対の声を上げましょう。
 巨大な祝園弾薬庫に新たに8棟もの大型長射程ミサイル弾薬庫の予算が計上されているとのこと。地元住民の衝撃と恐怖は計り知れないことでしょう。国民にとっても日本の伝統文化の中心地である京都への大規模弾薬庫計画は許されない暴挙です。
 攻撃基地や弾薬庫など軍事施設が戦時に攻撃目標となるのは軍事の常識です。平時においても弾薬庫は爆発の危険があり、大阪枚方の旧陸軍禁野火薬庫での死傷者約700人家屋全半壊800戸余の大爆発事故、祝園弾薬庫に弾薬を供給していた宇治火薬製造所の爆発事故、沖縄でも戦中の弾薬輸送中に多数の兵員、住民が犠牲となった爆発事故、戦後も伊江島で死者100人余の不発弾爆発事故、幼稚園や工事現場の不発弾事故が続き、多くの県民・児童が犠牲となっています。
 前記したようにミサイル弾薬庫は戦時下で攻撃目標となります。中国や北朝鮮にも届く長射程ミサイル弾薬庫の配備は有事下でミサイル攻撃にさらされる危険性を格段に高めます。「広大な祝園弾薬庫・分屯地はミサイル弾薬を保管するだけでなくミサイルの発射拠点となるのではないか」という危機感は沖縄も一緒です。ただでさえ危険な弾薬庫に新たな長射程ミサイル弾薬庫の大規模増設は絶対に容認できません。
 日米両政府が強行する沖縄―九州、京都・全国の戦争準備は各地の反対運動がばらばらでは止めることができません。全国の有志・団体がネットワークでつながり、「全国連帯」の共同行動で日本の戦場化を食い止めましょう。




2面

禁野火薬庫爆発で97人死亡
片町線沿線は一大軍事補給網

甲子園球場100個の広さを持つ祝園弾薬庫が焦点化するなかで、実は第4師団本部があった大阪城から片町線沿線は一大軍事補給地であったことが改めて浮き彫りとなった。日清・日露戦争を経て、枚方・交野地域は禁野火薬庫・枚方製造所・香里製造所・長尾陸軍病院などが密集する地帯となった。
その禁野火薬庫が1939年大爆発する事故が起こった。轟音と火勢は淀川対岸の高槻だけでなく、府境をこえて京都まで聞こえたという。死者は97人、負傷者は数百人に及び、爆発事故の恐ろしさで、まもなく禁野火薬庫は移転に。その先が今回争点の精華町・祝園ということだ。
戦前来、大阪城・大阪砲兵廠、枚方製造所・禁野火薬庫(大阪府)、祝園・宇治(京都)さらには、舞鶴は関西の一大軍事要衝であった。戦後大阪砲兵廠は大阪城公園などに、枚方の香里製造所は香里団地になったが、軍事費5年で43兆円の大軍拡攻撃は、隠されていた祝園に、トマホークや12式地対艦ミサイルが大量に搬入され、今まさに戦争と隣り合わせになっていくことを示した。今こそ反戦・平和の声を上げよう。

3面

戦争国家化進むドイツ・西欧
木戸衛一さん講演 反ミリタリズムの再構築を

ぼう大なレジメをはしょりながらも、核心ポイント訴える木戸衛一さん(3月24日 大阪)

3月24日、大阪市内で「私たちが変える 社会は 世界は 〜ヨーロッパ・ドイツから見たニッポン〜」木戸衛一さん講演会がひらかれ、百人が参加した。主催は、同集会実行委員会。
木戸さんの講演と質疑応答・討論によってとりわけ昨年10・7以降のイスラエルのパレスチナ・ガザ虐殺をめぐり、ドイツの社会と人民が深刻なアイデンティティ・クライシス(危機)に陥っていること。戦後ドイツの民主主義が重大な問題を抱えていること。それは戦後と今日の日本の政治・社会のあり方に大きな問題を提起していることが示された。
以下、木戸さんの講演要旨を紹介する。


同じ敗戦国でありながら、日本とドイツはなぜこんなに違うのか。戦後ドイツ政治には道義性・倫理性があり、平和運動とか脱原発とか難民の受け入れ歓迎文化とか気候正義・環境保護とか民主主義を守ろうという志向性があった。そのベースにはナチスの過去を繰り返さないという倫理性があった。
それはドイツ基本法(憲法)第1条に人間の尊厳は不可侵、これを尊重することはあらゆる国家権力の義務であると、普遍性をもった条項。日本国憲法第一条はさっぱりわからない。この曖昧さとは違っている。これは勝手な思い込みではなく、他のヨーロッパと比べても道徳観は裏打ちされているということです。
ユダヤ人迫害について多くのドイツ人が「知らなかった」と戦後言ったが、これは大嘘で「知ろうとしなかった」のだ。1960年代にアイヒマン裁判、アウシュビッツ裁判がおこなわれることから西ドイツ政治の道義性が進化していく。東ドイツは社会主義的人間、道徳倫理を打ち立てようとしたがアイデンティティづくりに失敗した。
ところが、そのドイツがなぜクライシスに陥ったのか。10・7以降、ドイツは徹底したイスラエル支持とイスラエルへの無制限の連帯を表明した。「イスラエルの安全はドイツの国是」とまで言い切った。戦後ドイツデモクラシーでは、いろんな人、いろんな思想があるのを認め合っているはずなのに、イスラエルを批判しようとすると職場で「あいつはナチだ」とレッテル貼りされる。
先日、国連の停戦決議で日本とドイツは棄権したが、批判のありようは全く逆。ドイツでは「なぜ決議に反対しなかったのか」というトーン。
市民生活にも影響が出ている。新しい国籍法では取得期間が8年居住から5年に短縮されたが、「イスラエルの生存権を認めること」が条件になっている。
ドイツのイスラエル軍事援助は23年10月の1カ月で22年の10倍になった。
このかん南アフリカがイスラエルをジェノサイドで国際司法裁判所に提訴した。ネルソン・マンデラは、パレスチナの自由がなければ自分たちの自由は半分でしかないと言った。冷戦時代にドイツはアパルトヘイト時代の南アフリカをさんざん支援し、今回は南アフリカの提訴を非難する傲慢な態度をとっている。これに対して、ニカラグアがドイツを提訴した。
10月26日、ブリュッセルのEU首脳会議でショルツは「イスラエルは民主主義の国だから国際法に違反はきっとしませんよ」といった。

中東でドイツの評価は地に堕ちた

19世紀以来の白人社会のもつシェーマがドイツ政府に生きている。結局、彼らのデモクラシーはどこかで植民地主義とつながっている。
ガザでイスラエルが家屋を破壊し尽くし人々を飢え死なせていくなかでドイツのスタンスは少し変わったが、ガザに空から食糧を投下するのはドイツ人の傷ついた良心を誤魔化すための手段で、効果はほとんどない。
23年9月にヨルダンでは、世論調査で〈ドイツは中東に役割を果たせ〉という声が87%だったが、今は正反対だ。〈ドイツは何もしてくれるな〉というものだ。
ドイツ国内では警察がパレスチナ連帯デモを認めない。デモを認めても、ジェノサイドを表現すると逮捕される。ドイツ人の中でも、自分はこんな国に住んでいたのかと衝撃を受ける人がいる。ヨーロッパのユダヤ人差別に絶望したシオニズム運動では、「土地なき民に民なき土地を」という標語。これはとんでもない嘘っぱち。民のいる土地をめざしていったわけです。この間、イギリスは3枚舌外交を繰り広げ忌まわしい役割を果たした。
植民地主義について考えると、第一次世界大戦に負けて、ドイツは植民地を失った。
それまで、英仏に次ぐ世界第3位の植民地支配大国だった。1904〜1908年、ナミビアはドイツ領南西アフリカだった。肥沃な土地を奪われ、牧畜で暮らしていた人びとは耐えきれずに蜂起した。それを中国の義和団事件を弾圧したドイツの将軍がせん滅した。
そこで生まれたのが強制収容所。強制売春もナチスが始める前にナミビアでおこなわれていた。第二次大戦のロシア東部での絶滅戦争の発想も南西アフリカにあった。
ドイツが主体となった暴力の歴史をドイツ人が知らない。植民地的意識が逆に温存されている。

反ミリタリズム・コンセンサンス再構築を

日本とドイツの共通点は軍国主義はいやだなということだった。これを世界の流れにしていかなければならない。
今後の展望として、武器なき平和を創る。89〜90年の東ドイツ・東欧革命のスローガンはろうそく・花一輪で非暴力の強さを示した。
ドイツでも国家安保戦略をつくった。アジアもNATO化している。昨年5月、G7で岸田は「ヒロシマビジョン」を打ち出したが、そこで核抑止を肯定し、ロシア・中国に「核軍縮をやれ」といった。こうしたものの考え方が行き詰っている。グローバルサウスの台頭を直視すること。
結局、武力で平和は守れない。プロテスタント神学者の本で『軍拡は戦争がなくても人を殺す』というのがある。希望の一筋として核兵器禁止条約(日本は背を向けているが)。われわれは憲法9条を持っている。これをもっと攻勢的にうちだすことが必要。(平和構想提言会議などを紹介し)世界の市民社会と連携していこう。
沖縄基地強化についても対中国戦争で日本を戦場にし、住民は犠牲にして軍さえ生き残ればいいという。今度はアメリカが残ればいいという考え方か。

質疑応答・討論

その後、討論ではドイツ国内の思想・言論状況、ドイツがアメリカと核共有していることについて、歴史修正主義について、ドイツ・キリスト教民主同盟の原発再稼働の動きについて質問があった。
木戸さんは、戦争被害のことばかりで自分たちの加害性を言ってないという批判は正しいが、この国(日本)の戦争被害者はどんな扱いを受けてきたか。被害者の立場に立つことに日本政府は背を向けてきた。被害者として自分を見ることも大事。こんな思いは誰にもさせたくない。9条は被害者の立場の意思表示。エンパス(シンパシーではなく共感)を持つこと。
原発については、EUは原発をグリーンエネルギーとして位置付けた。今までのライフスタイル見直すべしということが忘れ去られている。その先端が極右。日本と同じく、ドイツのメディアも資本の論理、政治の論理に流されている。報道の自由をもっと。
沖縄基地強化に抗し、日本の侵略戦争への道を阻むために、沖縄との連帯を確認した。

4面

岸田政権の原発強行と対決を
全国集会に6000人 3月20日・東京

代々木公園に6000人が(3月20日 東京)

3月20日、東京・代々木公園B地区で「3・20さようなら原発全国集会」が開かれ、6000人の労働者・市民が集まった。主催は、「さようなら原発」一千万署名 市民の会。
松本ヒロさんのオープニングライブの後、集会開始。司会はピースボートの畠山澄子さん。

地震多発の日本に原発はいらない

主催者挨拶として落合恵子さんが発言。「3・11から13年経った。あの被害を忘れさせるシステムは山ほどある。それに乗ってはいけない。忘れさせるシステムを自分の内側に作ってしまうことが一番怖い」「(能登の地震の時に)志賀原発が止まっていたことはラッキーだった。世界でマグニチュード6・0以上の地震の17・9%が日本周辺で起きている。こんな日本に原発は要らない。私達の命・自然は原発と共存できない。これ以上私たちや子孫を苦しめるなら自民党に政権から降りてもらいましょう」

反原発・護憲の原点に

澤地久枝さんは、「自民党は支持率が20%になっても『憲法を変える』と言っている。私たちは原発と向き合わなければいけない。原発をやめようという論者は、表立って(有力メディアで)言ったり書いたりできない。私は93歳で体は不自由になったが、反原発・護憲の原点に立ち返るためにがんばる」。

フクシマ連帯キャラバン

「福一の事故を風化させないために全港湾、全日建などの組合員が集まってフクシマ連帯キャラバンを結成したのが2013年。全国から最高・最強の仲間が集まった。3月16日、〈原発のない福島を! 県民大集会〉に参加した。3月17日には全体の学習会をおこなって、キャラバンの歴史を学んだ。請戸小学校も見学した。津波の影響を受けたロッカー等、被害の実態がそのまま残されていた。3月18日には原発事故の被害を受けた家を見学し、意見交換会をもった。原発をなくすまでこの集会を続けましょう」

薄めて排出しても総量は一緒

これ以上海を汚すな! 市民会議の片岡輝美さんは「昨日、福島県議会が閉会した。『教育現場におけるALPS処理水の理解醸成に向けた取組の更なる強化を求める意見書』が可決された。軍国主義教育の教訓に基づいて、教育に介入しないよう要請文を送った。井戸謙一弁護士から見解をもらった。『教育基本法第16条第一項(※不当な支配の禁止)違反』とのこと。意見書反対のFAXが30通以上届いて報道された。(福一の汚染水排出について)原子力規制庁の参事官は嘘は言っていないけれど都合の悪いことは言っていない。薄めて排出しても(放射性物質の)総量は一緒。カドミウムだと『薄めたから大丈夫』として流したら誰も納得しない」。

隆起で集落が壊滅

志賀原発を廃炉に! 訴訟原告団団長・北野進さんは「かつての珠洲原発予定地が地震で1メートル隆起して集落が壊滅した、事故があっても救急車が来られない。珠洲市高屋地区では2メートル隆起。『避難計画』の破たんは明らか。こんな所に、かつて関電も中部電力も原発を作ろうとしていた。珠洲では撤退させることができた。全国の皆さんから広く支援をいただいた。4日前(3月16日)にようやく志賀原発反対の集会ができた。全国に呼びかける(規模の)集会をやりたい」。

柏崎を止めるためにも女川を止める

〈女川原発の再稼働を許さない! みやぎアクション〉多々良哲さんは「女川原発は今年6月に再稼働すると発表された。女川は福一と同じ沸騰水型原子炉。「3・11」福一では外部電源5系統のうち4系統がダウンしたが、首の皮一枚で事故を逃れた。女川2号機は1130カ所ものひび割れがあって強度が低下している。6年にわたる規制庁審査がおこなわれ、耐震・火災対策で審査完了が七回も延期されている。福一と同じ型を動かしてよいのかという疑問に誰も答えていない。岸田首相は、国内の電力の2割をまかなうために30基の原子炉を動かすという。これまで再稼働している12基は全て加圧水型。沸騰水型を動かさなければ2割達成は無理。女川も柏崎も志賀も全て沸騰水型。柏崎を止めるためにも女川を止めなければならない。村井宮城県知事は3年前に地元同意を与えている。3月23日、仙台で『STOP! 女川原発再稼働 さようなら原発全国集会in宮城』をおこなう。鎌田さんにも来ていただく」。

政権交代を

東海村議会議員・阿部功志さんは「村議会で13人が再稼働賛成、5人が慎重または反対。1月の村議会議員選挙で村上達也元村長の娘さんがトップ当選した」「那珂市の避難訓練では汚染された車をウェットティッシュでふき取っている。1台2分弱。こんなのでスクリーニングができるのか、避難は無理、と指摘して『再稼働はできない』と押していくのが良い筋だと思う」「東海第二原発から30キロ圏内に90万人住んでいるが、17万人しか避難できない。それでも大井川知事は再稼働を認めている。政権交代しないとどうしようもない」。

あきらめないことが重要

鎌田慧さんが閉会あいさつ。「自民党は金儲けの方が命より大切な党。岸田首相も自民党の面々も、人権を大切にする姿勢はない」「電力会社の弁護士だった人物が最高裁判事をしている(※最高裁第二小法廷の草野耕一判事のこと)。『法の支配』ではない。この集会は『脱原発』だが、政治批判もしなくてはならない。あきらめないことが重要。六ケ所(再処理施設)は27回も稼働延期している。無茶で無謀なことを自民党も公明党もやっている。脱原発・自然エネルギーへの転換に歩みを進めたい」

二手に分かれてデモ行進

集会後、「福島を忘れない」「原発再稼働を許さない」等のカードを掲げてシュプレヒコールを上げ、表参道方面と渋谷駅方面に分かれてデモ行進した。(稲木二郎)

STOP!女川原発再稼働
仙台で一〇〇〇人の集会・デモ

若狭の旗も仙台に翻る(3月23日)

この9月にも女川原発2号機の再稼働が狙われている緊迫した状況のもと、3月23日、仙台市内(勾当台公園)で「STOP! 女川原発再稼働 さようなら原発全国集会in宮城」がひらかれ、冷たい雨が降るなかを全国から千人が参加した。主催はさようなら原発みやぎ実行委員会。さようなら原発1000万人アクションが共催。
幕開けは、女川原発再稼働差止訴訟原告団の斎藤弘子さんが主催者あいさつ。「東電福島第一原発事故の時は、塩釜で看護士として働いており、全国の支援者の方々が、ヨウ素剤を持ってきてくれたことなど、能登半島地震でまた思い出し、いまだ、東電福島原発事故の収束もされぬうちに、女川原発を再稼働させることに、怒りを新たにしています。宮城県知事に再稼働に同意しないことを求める県民投票条例制定運動に取り組み、避難計画の実効性を争点にしての仮処分裁判を宮城地裁に申し立てました。裁判長は、私たちから事故の具体的危険性の立証がされていないということで、申し立ては認められませんでした。そこで、屈することなく、東北電力を相手に本訴を起こし、いま仙台高裁で争われています。
能登半島地震が示したことは、道路の寸断、家屋の倒壊、屋内退避も不可能であり、避難計画が完全に破綻したことでした。能登半島地震を見ての原子力災害対策指針の改訂がないことも許せない。
さらに、地元紙への〈STOP! 女川原発再稼働〉意見広告運動、東北電力、宮城県などへは、原子力災害対策指針の見直しを迫り、再稼働の容認・同意の再考をつきつけていきます。憲法にある個人の尊重、幸福追求権、生存権の保障など人権を回復する政治に変えなくてはなりません。そのためにも再稼働を止め、廃炉の実現まで声を上げつづけます。
必ずや、9月再稼働を止めるためにがんばりましょう。」
共催団体の〈さようなら原発1000万人アクション〉から鎌田慧さんが発言。「地方自治や住民民衆、工場労働者のことをまるで考えぬ国、電力会社の姿勢をあらためさせなければならない」。
福島から〈ALPS処理汚染水海洋放出差止訴訟原告団共同代表〉、柏崎刈羽原発の現地から〈東海第二原発差止訴訟原告〉、青森から〈なくそう原発・核燃、あおもりネットワーク〉、若者から〈Fridays For Future Sendai〉が発言。
集会後、デモは、4つの隊列で、仙台駅へと目抜き通り・一番町商店街をたからかにシュプレヒコールをあげながら行進した。(南方史郎)

5面

汚染水海洋投棄反対で集会
海渡雄一弁護士が講演

会場満杯で汚染水を弾劾(3月17日 大阪)

3月17日、「汚染水を海に流すな! 関西集会」が大阪市内でひらかれ、110人が参加、会場は満杯で立ち見も出た。主催は、汚染水を海に流すな! 関西ネットワーク。
集会では、海渡雄一弁護士が「ALPS処理汚染水海洋投棄差止訴訟の内容と意義、そして展望」というタイトルで講演した。メディアは「ALPS処理水」「海洋放出」と言っている。しかし、多核種除去設備(ALPS)で処理しているが、この水は依然として汚染水であること、この行為は放出ではなく投棄であること。この2点について、海渡さんは講演のなかであきらかにした。
主催者からは「GLOMA(Global Citizen March to Stop Nuclear Wastewater)世界市民行進」への参加が呼びかけられた。これは、日本、アジア、世界の市民と連帯し、福島のALPS処理汚染水を海洋投棄することに反対し中止を求める行動だ。この行動は、昨年夏にソウルから東京まで1600qを行進した李元栄(元・水原大学教授)が中心になって、韓国で呼びかけられている。
今年は、6月7日に韓国から大阪に到着し、8日に京都で集会をおこない、9日の大阪の集会に参加し、10日に記者会見がおこなわれる。反原発運動を闘う仲間は、この行動を成功させ、今年の反原発運動のおおきな軸にしていこう。
以下、海渡雄一弁護士の講演要旨を紹介する。

ALPS処理汚染水海洋投棄差し止め訴訟の意義

ALPS処理汚染水海洋投棄差し止め訴訟では、直接に被害を被る福島の漁民が中心をになっている。昨年7月に、小野春雄さんが原告を引き受けてくれて、やっと訴訟をおこすことができた。原告団の構成は、全国の漁師を中心にしつつ、福島と周辺地域の住民、原発事故被難者が原告として連帯する形になっている。

小野春雄さんが意見陳述

3月に、第1回口頭弁論がおこなわれた。小野春雄さんの意見陳述は感動的だった。小野さんは次のように述べた。「私たち漁師は、海から自然の恵みを得て収入とし、人知を超えた海に畏敬の念をもって接しています。宝の海は、過去・現在・未来と引き継がれるべきものだと考えています。…海洋投棄を容認すれば、かならず大きなしっぺ返しを受けます。私たち漁師が求めているのは、海を汚さないこと、そして、放射能汚染に悩まされず、はやく廃炉が無事に終わり、本格操業にもどって、子々孫々、漁業を続けていける事です。裁判官の皆さまにおかれましては、太古の昔から長く続いてきた漁業の歴史を守るために、力を貸していただければ幸いです」

なぜ汚染水が発生するのか

原発事故後、地下水が原発敷地内に流入し、これが燃料デブリにふれて、汚染水になっている。当初、東電はセメントの遮水壁を造って、敷地内に流入する地下水を止める方針であった。この工事に1000億円が必要だった。国は補助金をだして凍土壁を推進した。東電は自己負担を減らすために、こちらを選択した。しかし、凍土壁は地下水を完全に塞げなかった。国と東電は、はじめから「汚染水は海に流せばよい」と決めていたのだ。

ALPS処理水は汚染水

ALPS処理水に含まれている放射性物質は、トリチウムだけではない。デブリにふれた水には1000種類くらいの核種が含まれている。ALPS処理しても濃度が低くなっているにすぎない。トリチウムと炭素14は、ALPSではまったく取り除けない。トリチウムでも、有機化したトリチウムはとくに危険だ。ストロンチウム90はかなり除去できているが、事故時の発生量が563ペタベクレル(1ペタ=千兆ベクレル)と非常に多いので、取りこぼしも多くなる。この物質はカルシウムに似ているので、骨に蓄積されやすい。ヨウ素129は半減期が非常に長く(1570万年)、ALPS処理しても4%程度が残っている。

海洋放出ではなく海洋投棄

原発事故によって、すでに大量の核物質が海に流れ出ている。そのうえに、さらに核物質を「海洋投棄」しようとしている。汚染水は薄めて流しても、海の水の量は変わらないのだから、海に含まれる核物質は増えるだけであり、薄めていても意味がない。「予防原則」(人体への影響が明確になっていない段階で、放射線汚染水を海洋に流してはならない)は、水俣病の貴重な教訓であり、これを忘れてはならない。ロンドン条約(1996年)で海洋投棄は禁止されている。日本政府は国際法を遵守するべきだ。
太平洋諸国の住民は反対している。日本政府は経済援助金をだして、それらの政府を押さえているが、住民はだまっていない。韓国でも市民が海洋投棄に反対している。裁判を通じて、日本と世界の市民に海洋投棄の危険性を訴え、日本社会の流れを変えていこう。

[注]

昨年9月8日「ALPS処理汚染水海洋投棄差止訴訟」が福島地裁ではじまった。原告は、1次提訴151人(9月8日)と2次提訴212人(11月9日)、合わせて363人。原告のひとり小野春雄さんは、福島県新地町で漁師をしている。今年3月4日に第1回口頭弁論がおこなわれ、小野さんを含む4人が意見陳述をおこなった。

老朽美浜原発3号機運転禁止仮処分
関電の主張を丸のみ 3月15日

決定書交付を前に大阪高裁前で決起集会(3月15日 大阪)

3月15日、大阪高裁(長谷川浩二裁判長)は、福井・滋賀・京都の住民7人が、老朽美浜3号機の運転差し止めを求めていた仮処分事件の即時抗告審において、住民からの即時抗告申し立てを棄却し、運転差止を認めなかった。
これは、2022年12月に大阪地裁が住民の申し立てを却下したのをうけ、住民側が大阪高裁に即時抗告していたもの。

能登半島の惨状を無視

大阪高裁は、能登半島地震によって地震の恐ろしさが改めて突きつけられた現実から目を背け、再び「3・11」が起こってもかまわないといわんばかりの決定をおこなった。
住民が、避難計画の不備欠落を指摘したことについて、大阪高裁は、原発自体が安全性に欠け、放射性物質が原発の外部に放出される事態が発生する具体的危険性があることを申し立て人が証明する必要があるが、この証明はなされていないから、避難計画の不備について本裁判所が検討する必要はないと言い放った。
能登半島地震によって改めて明らかになった避難計画の不備欠落(屋内退避も、避難もできない)は無視して、運転を認めるというのである。
原発の老朽化問題については、過酷な環境下で長期間(美浜原発は、今年12月で満48年を迎える)運転されているにもかかわらず、新規制基準が定める対策に不合理な点はなく、特別点検等においても運転に懸念を生じさせるような劣化等は認められないと確認されている、と関電の主張を丸呑みした内容である。

人間の知力、知識をものともしない自然の力

住民側弁護団の井戸謙一弁護士は、「東北地方太平洋沖地震(2011年)はプレート境界地震で、起こるのは百年〜2百年に1回。今回の能登半島地震は活断層が起こす地震で、起きるのは千年から2千年に1回といわれていると指摘。東電などは、まず起こらないだろうと高をくくっていたが、実際に起こった。人間の知力、知識をものともしない自然の力でおこったのが能登半島地震であり、今回は、原発の脆弱性をふまえた決定がでるのではないかと期待していたが、大変残念で不当だ」と語った。

市民のいのちは市民で守る

申し立て人の木原壯林さん(京都市)は、「大阪高裁は、政府や関電のいいなり。彼らに忖度した決定だ、それ以外にない。この決定にひるむことなく、ますます大きく市民の声を結集して、『市民のいのちは市民で守る』決意で運動を大きくしていきたい。きたる3月31日には美浜現地で、井戸弁護士や北野進さん(石川県珠洲市住民/志賀原発を廃炉に! 訴訟・原告団長)を招いて全国集会を開催し、関電を糾弾し、司法の不当性を述べます。6月9日には、大阪で全国集会・大集会をひらきます」と決意を語った。

6面

上関原発を建てさせない山口大集会
原発に頼らない町を子孫に

「さようなら上関原発 福島を忘れない 2024上関原発を建てさせない山口大集会」が、3月23日午前10時から山口市の維新公園・野外音楽堂で開催された。冷たい雨が降り続ける中、山口や近県から800人が集まり、中国電力への怒りの声を上げた。(写真左)
集会は上関原発建設計画の中止を求め2014年から毎年開催されている(20〜22年はコロナ禍のためネットパレードのみ)。今年は去年8月に浮上した使用済み核燃料の中間貯蔵施設についても白紙撤回を求めた。
山口では、1982年から42年間、上関原発建設計画の埋め立て準備工事を食い止めている。福島第一原発の事故後、上関町では「原発に頼らない町づくり」の取り組みが始まろうとしていた。ところが、中国電力は再び原発建設を策動し、さらに、2023年には、中国電力と関西電力が共同で使用済み核燃料の中間貯蔵施設を上関原発予定地に隣接して造るという計画を発表した。

自然と漁師文化を百年先に残す

オープニングの音楽に続いて、上関原発を建てさせない山口県民連絡会・清水敏保共同代表が「上関原発建設の白紙撤回、中間貯蔵施設の中止に向けて全力で取り組んでいきます」と主催者あいさつ。
はじめに、福島からの声として「子ども脱被ばく裁判」原告代表の今野寿美雄さんが「いかに福島県がひどいことをしているか、そのバックに国がいる」ことを伝えてくれた。続いて県内活動報告として「現地からの報告」を祝島島民の会として上関町議の清水さん、秋山さんが発言、「核に頼らない町おこしの取り組み」と題して上関の自然を守る会の高島美登里さん、上関町・平生町・田布施町・光市・柳井市・周防大島町の自治体議員で構成される「上関原発」建設計画に反対する2市4町議会議員連盟から平生町議の原まきさんの報告を受けた。
それぞれ、「中間貯蔵施設が建設されることになれば、広大な里山が掘削されるなど壊滅的な自然破壊がおこなわれる。断固反対だ」「町は高齢化率が中国地方一で5割を超えている。原発の交付金による地域活性化など絵空事だ」「上関には無限の可能性がある。貴重な自然と漁師文化を百年先に残したい」などと、建設計画の白紙撤回を訴えた。

中電がスラップ訴訟

「祝島裁判」とは、原発の建設を計画する中国電力が、「上関原発を建てさせない祝島島民の会」に、予定地での海上ボーリング調査を妨害しないよう求めた裁判。中村覚弁護士はこの裁判で、中間貯蔵施設の設置に向けた調査・検討計画と、上関原発計画との関連について二つの求釈明をおこない、中電を追い詰めていることを明らかにした。「この計画は上関原発設置計画と併存するのか、原発設置計画を断念するのか。仮に併存させる場合、限られた所有地の中でふたつの計画の併存が可能なことを立証せよ。同時にどちらを優先するのか明らかにせよ」。また「海上ボーリング調査を行った場合、その調査結果が中間貯蔵施設の建設計画にも利用されるのか」釈明せよ」。中電からの回答はいまだにない。

上関に押し付けたくない

「福井からの声」として原発設置反対小浜市民の会事務局長の中嶌哲演さんが発言。中嶌さんは「原発はなぜ過疎の地につくられるのか。電力会社が途方もなく儲けるために危険極まりないものを過疎地に持ってくるのは全国同じ。福井県には15基の原発がある。しかし、小浜市には1基の原発もない。小浜市に中間貯蔵施設建設の計画が浮上した時に、大署名運動がおこなわれた。人口2万4千人の小浜市で1万4000筆の署名が集まった。その結果、2度にわたり計画を撤回させた。しかし、倫理的問いかけが残された。 「核のゴミ 誘致許さじ さは言えど よそ(他所)なら良きやと 人の問うあり」 それを上関町に押し付けたくはない、これが小浜市民の声、気持ちです。どうぞみなさま奮闘してくださることを」としめくくった。

生きちょるうちに

続いて、県外参加者として「8・6ヒロシマ平和の夕べ」などが紹介され、〈老朽原発動かすな! 実行委員会〉からのメッセージが読み上げられた。
参加者は「百年後の未来に誇れる、自然豊かな上関と命を育む海を守りましょう」という集会宣言を採択し、全員で「命の海」と書かれたカードを掲げた。
主催した〈上関原発を建てさせない山口県民連絡会〉内山新吾共同代表は「体を大事にして、長生きして、生きちょるうちに原発をあきらめさせることをぜひ実現させましょう」と呼びかけて閉会した。

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最近のテレビ報道とスポーツ
一読者

3月20日前後、どのテレビも大リーグ・ドジャースの大谷フィーバーで持ち切り。
NHKはじめ一般のニュース番組でも、大谷≠トップ扱い。ところが「好事、魔多し」の格言どおり、大谷専属の通訳(事実上、秘書)が違法賭博で球団から解雇。2人は日本ハム在籍当時から親しい関係で、たとえ大谷に落ち度がなかったとしても、彼が人選を間違ったことは確か。どの世界でもコトを成そうとしたら、協力者選びが肝心だ。社会運動に携わる者にとっても他山の石≠ニしたい。
メディアのスポーツ最優先は、ヒトラーのベルリン・オリンピック利用を想起させる。サッカーのJリーグ誕生に際し、各チームの地元自治体の熱の入れ方はかつてないほど異常で、しかも社会運動の「活動家」さえ、それに踊らされたのにはあきれた。ラグビーその他も同様だ。スポーツ熱高揚を隠れ蓑にして、「戦争をする国」づくりが着々と進行。
3年前の東京オリンピックがウソと汚職まみれであったのは今更強調するまでもないが、NHKが自国開催のメリットに「国威発揚」を挙げていたのには、一瞬わが眼を疑った。戦前の「大日本帝国」は確実に生き延びている。

昨年のWBC(世界野球大会)で日本が優勝したことを、今もってメディアは賞賛している。一昔前のWBCに、当時ニューヨーク・ヤンキースにいた松井が参加しなかったとき、スポーツ・メディアは彼を「国賊」扱いした。
これには次のような事情がある。WBCはアメリカのテレビ局主催だが、アメリカではバスケットボールが人気ナンバーワンのスポーツで、秋にピークを迎える。当然テレビ局の稼ぎ時で、WBCはそのとばっちりで春に開催される。しかし野球の大リーグの各チームにとっては公式戦開幕直前の一番大切な時期に当たるので、選手がWBCに参加することに反対もしくは消極的になる。
かつてイチローと松井が大リーグの日本人選手として注目されていた。イチローの方から松井にたいして、「WBCに参加するか否か迷っている。2人で相談して決めよう」と話を持ちかけ、松井はそれに同意した。ところがイチローは松井に何の連絡もないままに、WBCに参加。彼は結団式の席上、「今ここに居ない人間に思い知らせてやろう」と訴えた。かねがね「実力はオレの方が上だが、人気では松井に劣る」とコンプレックスを抱いていたイチローの奸智にたけた行為である。に反対もしくは消極的になる。
さらに一言。かつて阪神・淡路大震災に際し、自主トレ中の在阪3球団(阪神・近鉄・オリックス)の若手の選手たちがこぞって、家具や柱の下敷きになったお年寄りを救出して感謝された。ところがイチローだけは「こんなところにいては練習できない」と、被災地から逃げ出した。スポーツはアスリートとしての記録だけでなく、その人間としての真贋が問われるものである。お互いに心したい。

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『怒りをうたえ』上映会
権力万能神話打ち破る
3月17日大阪

3月17日大阪市内で。70年安保・沖縄闘争の記録映像『怒りをうたえ』DVD版の上映会がおこなわれ40人が参加した。(写真)
映像は宮島義勇監督による全3巻・8時間ものをDVD版編集委員会が50分にまとめたもの。70年安保・沖縄闘争の実像を知りたいという若い世代からの要望もあり、この日3つの市民グループの共催での上映となった。主催者挨拶・司会進行は岩田吾郎さんがつとめた。
映像は冒頭68年10・21闘争(新宿で騒乱罪が適用)から始まる。当時神田にあった中央大学構内で決起集会から防衛庁に進撃する学生たちが丸太棒をかかえ出発。六本木の防衛庁正門に丸太のままぶつかり、間もなく放水を浴び逮捕され蹴散らされるというおなじみの権力との闘いの映像。次いで新宿東口5万人の人民の中を反戦の旗とヘルメット部隊が進む姿は圧巻だ。その後1950年代以来の騒乱罪が適用され、現場にいた人間は全員逮捕。それでも闘いはやむことはなかった。
次いで10・21大阪御堂筋デモ、69年1月東大闘争、沖縄現地での闘い、69年11月佐藤防米阻止決戦につながる70年安保・沖縄闘争のあらゆる場面が続く。

70年闘争の総括と、今日の闘い

DVD判上映の後に休憩を挟んで「アフタートーク」。制作委員会の水谷保孝さんは、70年安保・沖縄闘争は、10・8羽田ショックと日大ショックから全人民的な闘いに発展し、権力万能神話を打ち破ったと解説。ついで元日大全共闘の東条守さんは、この映像を人民の側から撮った宮島さんらと、8時間版をつくった人々の反権力の姿勢を受け継ごうと訴えた。その東条さんの6歳上のお兄さんで神戸の市民運動を長く担う東条健司さんからは、「映像はヘルメットの部分が多いが、その周りにもっと多くの人がいた」と証言。
そこから参加者のフリートークとなった。特に70年闘争に多くの女性が参加したが、発言者の映像が少ない。女性差別があったのでは、それを今日的にどうとらえているのか(実際全学連執行部に女性は皆無だった)との意見や、白ヘル(中核派)の映像が多いが、1968年は全世界を革命運動が席巻した時で、今日のパレスチナに繋がる国際主義的連帯が弱かったのではとの意見も。革マル派との闘いは85年国鉄分割・民営化反対につながるものでまだ判るが、第四インターに対する攻撃や無党派への恫喝的攻撃は明確に間違いだった、との意見は複数からなされた。
確かにこの種の映像は「歴史的記念物」と言われる面もあるが、当時を闘った人々は赤軍派の重信房子さんはじめ多数が今も闘っており、正しく受け継いでいかなければならない。そんな意見が多数出た有意義なトークだったと思う。(岸辺研二)

7面

女性差別・フェミニズム破壊に抗し国際女性デーで反撃

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3月17日 大阪
ヘイトスピーチ許さない

3月17日、大阪市内で「3・8国際女性デー 女性・マイノリティへのヘイトスピーチを許さない社会を!」というタイトルの集会が開かれました。主催は、日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワーク。会場のドーンセンター大会議室が満員になるほどの盛会だった。
サブタイトルは「杉田水脈議員の『慰安婦』歴史否定発言と差別扇動を問う」というもの。

差別扇動を繰り返す杉田水脈

最初は小川たまかさん(ライター)が講演。杉田水脈議員が「慰安婦」問題バッシングの急先鋒であること、また「慰安婦」研究を「捏造」「反日研究」などと攻撃したのでフェミニズム科研費裁判がなされたことなどを話した。「安倍晋三のバックアップで議員を続けてきた杉田議員。安倍亡き後はおそらく凋落の一途かと思いきや、岸田になってさらに重用された。岸田の人権感覚に驚き呆れるが、これが現実」と権力に守られて差別扇動を繰り返す杉田議員を引きずり下そうと締めくくった。

アイヌの民族衣装

次は一般社団法人メノコモシモシ代表の多原良子さん。杉田水脈議員との闘いを報告されました。多原さんはアイヌ女性として2016年国連女性差別撤廃委員会に参加され、日本政府の差別政策を告発した。その際杉田議員は、多原さんらの同意なく写真を撮影して自身のブログに7年にわたって掲載、さらにヘイトスピーチを投稿していた。その内容たるや「小汚い恰好に加えてチマチョゴリやアイヌ衣装のコスプレおばさんまで登場」「完全に品格に問題がある」「日本国の恥さらし」など、およそ国会議員とは思えぬ差別扇動を繰り返していた。2022年になってようやく札幌法務局から「人権侵犯の事実があった」と認められ国会でも追及された。これらの杉田議員による差別扇動を怒りを込めて訴えられた。
多原さんはアイヌのアイデンティティを表現するためにいつもアイヌの民族衣装を着ているそうです。コスプレとはコスチュームプレイ、つまり扮装して遊ぶこと。アイデンティティをコスプレに貶めてアイヌの誇りをなきものにしようとする杉田議員の目論見は、私たちの手で潰していかねばなりません。多原さんの「差別が横行する社会を変えなければ」と訴える杉田への怒りは胸に迫るものがあった。

複合差別

また、在日コリアンの立場から朴君愛さんが、マイノリティ女性への「複合差別」の問題を語られました。女性であり、かつアイヌ・部落・障害者など複数の差別が重なっている状態を複合差別と言う。「植民地の問題をジェンダーの視点で見る力が必要」と語った。
最後に小川たまかさんが「杉田議員は最近露骨なヘイトをするよりも、この人たちを攻撃せよ! と示唆する犬笛の役割を積極的に果たしている」と語った。犬笛に呼応して差別言論が拡大しているのは確か。左翼の側もSNSの力を軽視せず、積極的に参加して左翼的言説を拡大しようと訴えた。

今すぐ国会から追放

最近アメリカでは「キャンセルカルチャー」が横行し、政治的に正しくないと勝手に烙印された人は政治の政界から追放しようとする動きがあり問題になっている。しかし杉田水脈議員ほどの差別者は、差別をなくすための立場に立たねばならない国会議員としてはふさわしくない。今すぐ国会から追放しよう。(N)

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ウーマンズシンポ
4人が具体的報告
3月8日

3月8日、国際女性デーの集い「ウーマンズシンポジウム」が大阪ドーンセンターで開かれ、40人が参加した。主催はWomyn’s Parade実行委員会。この団体は3カ月に一回女性ばかりの集会とパレードをしている。
翌日9日は大阪市内(新阿波座公園)で集会、デモという連続行動だった。

障がい者の権利向上を求めて

8日は4人の女性がパネリストとして発言。
1人目は「障がい者の権利向上を求めて」古井正代さん。障がい者抹殺思想=優生思想を法制化した旧優生保護法とのたたかいを述べた。また、70年代の優性保護法闘争において女性団体の一部が「産む産まないは女が決める」とキャンペーンを張ったことに対して、共にたたかう立場から障がい者差別キャンペーンであると糾弾した経験を話した。古井さんはその時、青い芝の会全国代表として糾弾会を牽引し、女性団体が最終的には謝罪、「産める社会を、産みたい社会を」と変更するに至った経緯を説明した。女性解放運動と障がい者解放運動が優生保護法について共にたたかう立場に立った瞬間に居合わせた当事者からの話は迫力があった。

ミュージシャンの中の性差別

次は「ミュージシャンの中の性差別」と題してジャズサックス奏者のSwing Masaさんからのお話。Swing Masaさんは25年間アメリカで生活し、永住権も持っている。また、アメリカの数々のウーマンズフェスティバルに参加してきた立場から音楽業界における「ルッキズム」の問題を語った。ルッキズムとは「美しい、カッコいい」など見た目の美醜を重視する考え方。特に女性ミュージシャンは美しさが第一に要求されて、無理に痩せたり美容整形に手を出す人が後をたたない様子を語った。筆者が思うにハリウッドの女優たちのガリガリに痩せた体と整形だらけの痛々しい顔はルッキズムの極地。女性は実力で評価されない現実をいろいろ報告した。

Sex Workerが置かれている現状

3人目は村上薫さん。村上さんは自身が筆頭著者にされたヘイト本『大阪ミナミの貧困女子』を絶版にするために宝島社と闘い、この闘いが『女性不況サバイバル(岩波新書)』に掲載された。セックスワーカーとして働きながら、狭山事件の再審を求めるなどいつも闘いの先頭に立っています。セックスワーカーとしてルッキズムは拒否できない現実と訴えた。またセックスワークを否定されたくないと訴えた。
セックスワークに対する考え方は筆者とは全くちがうが、女性が生きていくのに他に仕事がないという今現在の現実を抜きにして語ることはできない。

議会のハラスメント

4人目は「議会のハラスメント」と題して大阪府富田林市で2期市会議員を務めた田平まゆみさんのお話。田平さんは左翼系の議員として活躍してきたが、先輩男性議員から不当な圧力、パワハラを受け3期目は立候補を諦めざるをえなかった。日本はジェンダーギャップ指数が125位。特に政治分野での女性参加が低いのは、女性が政治に参加する際の男性からの妨害があることを見逃してはならない。

3・9Womyn’s Parade

翌9日、公園における集会では前日の話の報告や、生い立ちにおけるDVの話など自身の経験を語り合う女性ならではの集会に。黄色いミモザ(ミモザは国際女性デーのシンボル)の生花のブローチも配られ女性デーらしいデモに。「コンドーム拒否する男はDV男」など斬新なコールが注目を浴び、途中数人の人が隊列に入ってきました。来年もまた集まろう! 黄色いミモザの花を身につけて!(S)

8面

万博中止へ緊急提言
地震対策・公衆衛生まるでダメ

3月23日大阪市内で、万博中止への緊急提言「おかあさ〜ん 夢洲だいじょうぶ?」という集まりがあった。万博に関心のある多くの市民で会場はほとんど満席。提言者のこなれた話し方で終始和やかな雰囲気で進んだが、内容はすこぶる豊富で、なおかつ深刻でもある内容でした。主催はカジノ問題を考える大阪ネットワーク。司会は薮田ゆきえさん(同事務局長)。

提言1「大阪湾海底断層と夢洲」

桜田照雄さん(阪南大学教授)が、地質学の観点から大阪湾及び大阪平野の成り立ちと独特な形成を報告した。そもそも日本列島は大陸プレート、太平洋プレート、フィリピンプレートという3つのプレートがぶつかる特異な条件の上に成り立っているということ。そして六甲山地、生駒山地、比良山地、伊吹山地などが南北に連なっていて、山地と山地の間に盆地がそれぞれあり、大阪平野−大阪湾もそのひとつ。この地形の特徴から近畿トライアングルと呼ばれていて、山地と低地の境には大地に割れ目ができ、それが多くの断層を造っている。私も初めて聞いたが、琵琶湖は地震の痕跡であるということ。100本以上の川から土砂が流入するにもかかわらず水位が変わらないのは、地震を繰り返して底が陥没しているからです。また氷河期においては海水面が100m低下し、武庫川、猪名川、安治川から大阪湾断層へと流れ紀伊水道へ。氷河期の終わりから東側すなわち大阪湾に泥質が堆積していった。大阪湾の水深はほぼ20mの平坦で泥層1000mの厚みの上に砂層が堆積したのが大阪湾と大阪平野だということ。関西空港で明らかになったことは沖積層の下の洪積層まで地盤沈下するという希な地層であるという提言だった。

提言2「夢洲公衆衛生基本のキ」

藤永のぶよさん(おおさか市民ネットワーク代表)が報告。内容は、@地盤対策・汚染土壌・舞い上がる粉塵・宿命の地盤沈下・簡易な「浮き基礎工法」A無理な輸送計画 Bぎりぎりの上下水道対策 C未着手の食品等安全対策 D計画できない避難計画 Eこれからの救護施設。
@については、予定地の2区3区には汚染土である浚渫土砂を6千万トン投入、有害な産業廃棄物とりわけダイオキシン1袋31万袋を埋め立てている。その上を万博、IRの駐車場にする計画。1区に79本のガス抜き管を敷設しメタンガスを抜くというが、1日当たり60sから178s検知されている。地盤は毎年4・5m以上沈下。関西空港はすでに17m沈下。「浮き基礎工法」ではプレハブ2階建てが限界。Aについては、トンネル1本、舞洲との橋1つ。地下鉄中央線を夢洲まで延長するというが、それらを合わせても来場者を円滑に輸送できない。飲料水、食料の輸送をどうするのだ。Bについては、そもそも半年間の万博開催のためにろくな上下水道対策などできない。給水車とバキュームカーの行列が続く。Cの食品等安全対策は開示されていない。Dの避難計画は、どう頭をひねってもできない。Eも同様で現在土木工事に従事している労働者が、晴れた日には有害物質を含む粉塵を吸い込む健康被害はどうするのだ。
このようにたった半年間の万博にすでに2350億円計上されている。まだ増え続ける予算は闇の中。資材高騰、人手不足、軟弱地盤改良。計画では、国、大阪府・市、経済界が3分の1づつ負担とされているが、2350億円はうわもの関連費用。半年後の撤収費用(現状復帰)負担はどうなるのか。そしてインフラ費用として15項目1129億円追加。それは大阪市民に負担としてのしかかる。万博開催はカジノを前提と言わざるを得ない。

万博『学童・学徒動員』は教育への不当な支配

最後に宮城登さん(大阪市立中学非常勤講師)が特別発言に立った。
現在大阪市小・中学生を万博へ学校をあげて連れて行くことが画策されている。その前段として万博読本が児童・生徒に配られている。
学校行事についてだけ宮城さんの報告を要約すれば、遠足などの学校行事、教育課程は学校において編成する中で事前学習、集合場所、交通機関、トイレ、入場の方法、見学・体験の経験、本部設置、緊急連絡方法、熱中症対策(児童・生徒、引率教職員)、「保健室」・救急病院引率・チェックポイント、昼食場所、危険個所、避難計画などがある。これを「組織的、計画的に組み立て、生徒、地域の現状や課題を捉え、家庭や地域社会と協力して、学習指導要領を踏まえた教育活動の更なる充実を図っていく」としているが、維新政治はこれらを破壊し続けてきたと告発した。
私たちはあらためて大阪市民、府民の人たちとしっかりスクラムを組み万博を中止に追い込もう!(伊藤十三)

イ・サンテさんを追悼する
在日の問題は日本人の問題

私たちとともに闘ってきた李相泰さんが3月6日午前4時過ぎ、腸穿孔等により亡くなった。享年75。

阪神大震災で出会う

サンテさんとの出会いは1995年の阪神大震災である。大震災で神戸市長田区の街のほとんどが焼け野原になりぼう大な被災者が生まれていた。私たちはもっとも被災した長田区にテントを張って手探りで雇用保険の相談を開始した。
長田区のケミカルシューズ産業の零細企業のほとんどでは雇用保険に未加入だった。しかし、雇用保険は働いた事実がある限り、過去にさかのぼって認定し、失業給付を支給する労働者保護の性格の強い法律である。神戸職安と交渉したところ、同職安は、@会社が存在したこと、A雇用関係があったこと、B賃金額の証明、C本人証明をしてくれれば失業給付をおこなうと回答した。窓口が開いたのだ。
私たちは倒壊したビルの郵便受けに会社の名前があることを「写ルンです」等のインスタントカメラで撮影して会社が存在したことを証明し、わずかに残っていた給与明細等で雇用関係と賃金額を証明し、住民票などで本人証明をおこなった。このとき、相談に来た多くの人が外国人登録証等を持参していた。私は外国人登録証を見たのはこのときが初めてだった。私たちの組合を通して2千人以上の雇用保険未加入の労働者が失業給付を受けられるようになった。

長田マダンに招待

阪神大震災がとりあえず落ち着いた1995年5月に私たちはサンテさんから長田マダンに事実上の来賓として招待された。サンテさんは「あんたたちがわしらの同朋を助けてくれたからだ」と言われた。サンテさんとの長いつきあいがそこから始まった。
サンテさんは在日韓国・朝鮮人の無年金問題に取りくんでいた。日本は、朝鮮を植民地にしているときは勝手に「日本人」と規定し、敗戦後は一方的に日本国籍をはく奪するという植民地政治を継続してきた。これは今も本質的に継続している。1959年に国民年金法を制定するときも国籍要件を入れることにより年金制度から在日朝鮮・韓国人を排除した。制度からもれる日本人には経過措置をとって各種の福祉年金の仕組みを創設して救済したが、在日朝鮮・韓国人には国籍を理由に経過措置を一切認めず年金制度から排除してきた。
サンテさんはこの在日・朝鮮人差別と生涯をかけてたたかってきた人だ。サンテさんは「この在日朝鮮・韓国人を排除している法律はどこの国の法律なんだ」と私に問いかけてきた。「日本の法律です」と私が答えると、サンテさんは「だったら、日本の法律でこんな差別が起きているのだから、日本人こそがこの問題に取り組むべきではないのか」と鋭く問いかけてきた。私は「その通りです」と答え、以来、サンテさんといっしょに在日無年金問題に取り組むことになった。サンテさんとの長いつきあいをとおして「在日の問題は、実は日本人の問題なのだ」と私は強烈に自覚した。
2022年、全国で唯一、差別を打ち破り、兵庫県で日本人と同額の支給を実現させた。この運動の事務局長として闘いぬいてきたのがサンテさんだった。

粘り強く闘う人

1970年代、神戸の韓青の委員長をしていたサンテさんは、在日朝鮮・韓国人の家を「赤が来た」と言われながらも粘り強く一軒一軒まわって在日としての訴えをしてきた。当時のさまざまな苦労話を酒を酌み交わしながら聞かせてもらった。
私は今、東大阪で多くの在日朝鮮・韓国人の人たちとともにさまざまな活動をおこなっているが、「在日の問題は、実は、日本人の問題だ」というサンテさんからの指摘を大切にしてさらに活動していこうと思っている。心からご冥福を祈ります。
米村泰輔