生活苦と腐敗政治の元凶岸田倒せ
安部派解体・全不正議員追放
400 人が難波までデモ(1月27日)2面も写真・関連記事 |
裏金居直る自民党
1月下旬から通常国会が開会したが、裏金問題について「自民党の自浄能力」は全く発揮されず、「野党の追及」も極めて不十分である。長きにわたる実質賃金の下落・物価高で人民の生活が苦境にある中、国会議員の三千万円以下の裏金は立件されず、入金先も使途先も解明されず、政治資金と称して脱税行為をおこない、自民党幹事長の50億円(元は政党交付金=税金)使用内容も解明されない。実態解明・再発防止に背を向けて、自民党内アンケートはわずか2項目。その後聞き取りというが、解明できるはずがない。裏金問題への怒りは保守王国=群馬で前橋市長選で現職保守の大敗、京都市長選での辛勝となった。萩生田をはじめとする不正議員は全員追放しかない。
さらに「派閥解消が解決策」との論点すり替えは、実質的な派閥再編・自民党総裁選への権力闘争だが、出てくる名前は「ドリル優子」や河野・小泉・石破・福田など、すべて父親が首相・大臣の2世・3世議員ばかり。この国の全分野での長期停滞=「失われた30年」を導いたのは自民党政治家であったことが改めて暴露されたわけだ。彼らによって破壊された生活は、人民の手で彼らを打倒する以外出発点は築けない。
盛山文科相は辞任を
さらに2022年秋過程で大問題になった統一教会の問題だが、ここにきて宗教団体を所轄する文科大臣=盛山正仁が、統一教会から選挙支援を受けていたことが判明した。盛山は兵庫1区(東灘、灘、中央区)選出の「選挙に弱い議員」として有名だが、この選対に統一教会員が多数潜入し、電話かけなど選挙活動をしていたことが判明した。神戸の統一教会は東灘区に本部をおき神戸市議も存在する。統一教会とズブズブの盛山文科大臣は辞任以外ない。>
今春沖縄・原発闘争のうねりを
岸田政権は、財界・業界団体(自動車、トヨタ、キヤノンなど)から多額の献金を受け、右派宗教団体との癒着も激しい。その裏で、被災地=能登半島支援はおざなりで、基地の島・沖縄県に対しては地方自治無視の代執行で新基地建設を強行する。玉城県政に対しては予算面で激しく締め付け、政権になびく自治体を優遇する。
1月10日から開始された辺野古代執行・大浦湾側工事の強行こそ、司法権力と一体となった岸田政権の凶暴な姿だ。軟弱地盤を持つ大浦湾側工事は、10年たっても2兆円つぎ込んでも完成はしない。その間、普天間基地は存続し岸田は退陣するが、沖縄県民への基地被害は続く。われわれは玉城デニー知事に対する攻撃を許さず、今春沖縄闘争(現地攻防、各地の辺野古行動、映画会、写真展など)を闘い、6月県議選でのオール沖縄側勝利のため全力を投入しよう。
3月11日は福島第一原発事故から13年。事故は収束しておらず、汚染水は垂れ流しで、各地に避難した人々の苦闘は続く。にもかかわらず岸田政権は原発全面回帰で、次々と老朽原発再稼働を強行する。3・11事故13年に全国で行動を起こし、3・31美浜全国集会、避難者裁判に勝利しよう。2・6大津地裁で一部勝利した関生弾圧を粉砕し、時給1500円・大幅賃上げの春闘勝利を実現しよう。人民の力で1日も早く岸田政権を打倒しよう。
パレスチナに自由を!
イスラエル糾弾の国際的圧力を
1月27日「パレスチナに自由を! 関西緊急アクション」が大阪市内でおこなわれ400人が参加した。主催は関西ガザ緊急アクション。正面にパレスチナの大きな旗を掲げて集会は始まった。「イマジン」や「殺すな!」の歌や演奏の後、ガザ出身のムハンマド・ハッジャージさんが連帯あいさつ。
ガザの人々と連帯を
「私は非常に重い気持ちを持って、大きな痛みを持ちながら、ガザでの虐殺をやめさせるために声を大にして発言したい。
私たちの何人が命を奪われたのか。破壊の規模が人命の損失を超えている。ガザの建物の70%以上が廃墟となり、コミュニティが破壊されたまま現在に至っている。これまでに1万3022人の罪のない子ども、7060人の女性を含む約3万3千人の命が奪われた。想像してみて下さい。あなたがガザに住んでいて、野蛮な兵士達に子どもたちが殺されるのを待っている。あるいは空爆で家が攻撃されるのを待っている。子どもたちに食べ物を与えることすらできない。2百万の人たちが、自分たちが暮らしてきた故郷に夢を残して家を出ざるを得なかった。これは単なる数字ではない。それは今ガザで毎日繰り広げられている深刻な人間の苦しみを現している。
なぜ私たちは、これほど驚くべき数字を前にして、傍観し続けることができるのか。生命・安全・安心に対する基本的な権利が残酷に踏みにじられている。皆さん1人ひとりがガザの人々と連帯して立ち上がるようにお願いします。私たちは、もはやガザの人々の命、文明生活の破壊をこれ以上黙って見過ごすことはできない。ガザの人々は、連帯してくれる世界の人々を、尊厳と安全に生きる権利の擁護者として必要としている。今日皆さんと力を合わせて、ガザの悲劇の終結を求める声を共鳴させていきましょう」
ムハンマドさんの心からの訴えを胸に刻み、御堂筋デモに出発。パレスチナの旗を先頭に、「虐殺やめろ」「子どもを殺すな」「フリー・フリー・パレスタイン」とコール。プーマ、伊藤忠などイスラエルによる占領・ジェノサイドに協力している企業へのボイコットも呼びかけた。沿道からは、若者2人やパレスチナ人や白人男性がデモに飛び入り参加するなど大きな反響があった。
国際司法裁判所の判決は、大きな第一歩
デモ終点の元町中公園で役重善洋さん(BDS関西)が主催者あいさつ。「昨日国際司法裁判所が、イスラエルはジェノサイド行為をおこなわないように、その為にあらゆる手段をとるように命令する判決を出した。この判決は法的強制力はあるが、その執行機関はないので、現実にはイスラエルは無視することができる。これを守らせるためには、最終的には市民社会の力によって、具体的な圧力をイスラエルにかけていく以外にない。
南アフリカがアパルトヘイトを根絶したのも、様々な形での国際的圧力、とりわけボイコット運動。南アの場合は、オリンピックにもワールドカップにもアパルトヘイトのため出る権利はなかった。イスラエルは、今のところ、このレベルの国際的圧力には、全くさらされていない。何とかして私たちの声を広げて、イスラエルに対する国際的圧力をかけていく。国際司法裁判所の判決は、そのための非常に大きな第一歩だった。今日のデモも、そういった大きな国際社会の圧力を加速していくための大切な行動であった。これからも仲間を増やしていこう」と訴えた。
[注]BDS=「ボイコット・投資引き上げ・制裁」の頭文字
2面
岡真理さんが講演
1月27日大阪
パレスチナ・ガザで起きていること
1月27日、パレスチナ問題の専門家、岡真理さん(早大教授)の講演会が大阪市内で開かれた。主催は、『新聞うずみ火』。講演会場の難波市民学習センターは、開始20分前には満席となり、開始の時には、立ち見となっていた。
この日の朝、日本のメディアは、国際司法裁判所がイスラエルへのジェノサイドの防止の命令を発した事を報じていた。
会場には、岡真理著『ガザとは何か〜パレスチナを知るための緊急講義』(大和書房)が積まれていた。
主催者である『新聞うずみ火』の担当者は、「30人と想定していたところ、50人以上駆けつけてくださっています。準備不足をお詫びします。これは、岡さんの人気ですね」と弁解した。
初めに岡さんは、「これは、そういうことではなく、今、パレスチナで起こっていることは一体何なのだ?それは、わたしたちとどうかかわっているのかという焦眉の急のなせるわざでしょう」と語り始め、小一時間、一気呵成に、熱弁を振るった。それが第一部であった。
後半は、一枚一枚ガザのミサイル攻撃がなされる前からの写真などを紹介しながら、キャプションのように解説した。
以下講演の概略を紹介する。
最悪のジェノサイド
「イスラム原理主義過激派のハマースが、イスラエルへ残忍なテロ攻撃」などと大見出しで流布されているが、それはこの国のメディアと政府側の主張。
今起きていることは、暴力の連鎖でも憎しみの連鎖でもなく、イスラエルがパレスチナへの民族浄化を徐々に拡大し、完遂しようとしているジェノサイド。起点は、パレスチナへユダヤのシオニスト国家をうちたてようという米ソなどとシオニストの画策です。
結局、パレスチナの人々は、このことを認めていない。ユダヤ・シオニズムは、ナチスヒトラーのジェノサイドよりもひどいジェノサイド。それは、ユダヤ人こそ唯一無二、至高の民族なのだという思想のもとに、世界にその国家を創るにあたって、聖地パレスチナに軍事侵攻することになった。最悪のジェノサイドをじわじわとやっているこの恐ろしさ。
ガザ出身のムハンマド・ハッシャージさんが発言通訳は役重さん(左)(1月27日 大阪市内) |
インティファーダ
パレスチナの人々がしているのは、こうした暴力支配への国際法で認められている国際法上、合法的抵抗であって、その画期がインティファーダで、1948年から現在までに2回あるわけです。
イスラエルのパレスチナ侵攻は、まず、国連のパレスチナ分割合意のもとでの占領に始まる。徐々に拡大し、パレスチナ難民をガザとヨルダン川西岸に追い詰め、そして、その難民の密集地にミサイル攻撃をし、ガザの民衆の一切の現代的人権上の保障をなくし、パレスチナの自治能力を粉砕してしまったのが、ガザ封鎖。2007年のハマース(前年、ハマースは、パレスチナ立法評議会の総選挙で勝利。ファタハがイスラエルの占領政策の下請け的存在に堕落していたのをハマースが告発していたが統一政府に入れる)による2国家解決および長期的休戦提案をイスラエルは拒否。アメリカは、ガザで、チリのようなクーデターを画策したが、その動向に機先を制したハマースが負けることなく、ガザを統治、こうして、パレスチナが分裂した。そして、ガザの完全封鎖をイスラエルが決行。封鎖しておいて、軍事攻撃を繰り返していたのが、イスラエル。
そして、2012年2回の軍事攻撃、2014年の51日間戦争、2021年の15日間の攻撃にたまらず、昨年10月7日、ハマース主導のパレスチナ戦闘員らによるイスラエル領内(1948年の占領地域)への越境奇襲攻撃が炸裂した。占領、封鎖、民族浄化は、パレスチナ先住民・民族へのジェノサイドであることは、もはや、疑えない国際法違反。G7とシオニストの情報戦略によって、各国政府はイスラエル支援だが、アメリでは、シオニズムがユダヤ教に反逆するものだと、アメリカ議会占拠、30万人に及ぶ大デモとなった。ドイツでも10万人のデモが大通りをうずめた。
帝国の植民地政策は、占領地の分裂工作を伝統芸とする。分裂、抗争、紛争、戦争は、戦争経済政策の肥やしだった。民衆の暮らしを戦場に導く国家による愚民化、貧窮化政策もそうしたおなじみの政府の政策であり、そのことは、石川県の能登半島地震の報道とガザの民衆の報道を比べてみれば一目瞭然。さらにナショナル・ボーダーの内側にされている旧独立国琉球・沖縄の日米占領政策は、あからさまな植民地政策であり、これを追求してゆけば、いずれ、ガザは、そうした小国家、少数民族の明日のモデルになる。
パレスチナPFLPは、マルクス・レーニン主義、ハマースはイスラム原理主義を規範としている。そして、ついに国際社会の頂点の司法裁判所が、ジェノサイドを万策を尽くして、やめなさいという命令をイスラエル国に発した。アメリカなど安全保障理事国の拒否は、国際法上、この段階では違法となる。
話したいことはまだまだありますが、もう時間もつきましたと第3部は、質問コーナーとなった。(南方史郎)
沖縄日誌1月・大浦湾側工事着手
代執行・埋め立てを許さない
1月9日 沖縄防衛局は、名護市辺野古の新基地建設で大浦湾側の着工準備を始めた。辺野古新基地建設は、これまで大浦湾側に軟弱地盤が見つかり工事の設計変更が必要になっていた。防衛局は県に設計変更の承認を求めた。県は「不承認」にし、裁判がおこなわれた。昨年12月20日、福岡高裁那覇支部で県が敗訴し、県の代わりに斉藤鉄夫国交相が設計変更申請を承認した。
この日防衛局は、工事の承認を受け準備に取り掛かった。海上作業ヤード予定地にブイや汚濁防止膜(オイルフェンス)を張り巡らせた。海上抗議行動チームは抗議船2隻で「新基地はいらない」と訴えた。キャンプ・シュワブゲート前では、市民40人が座り込み「違法工事はやめろ」と抗議の声を上げた。
10日 沖縄防衛局は、大浦湾側の埋め立て工事に着手した。海上作業ヤード予定地に重機で石材が投下された。政府は工期を10日を起点として9年3カ月とし、飛行場として米軍が使えるまで12年かかるとしている。しかし、砂くい7万1千本を打ち込む工事でも水深70メートルまでの実績しかない。軟弱地盤は水面下90メートルに達する場所があり、難工事が想定され長期化が懸念される。それにともない工費も9300億円より増加。(県の試算2兆円以上)
この日、工事着工に怒りの決起が各地で起こった。海上ではヘリ基地反対協海上行動チームは、悪天候のためカヌーは中止し抗議船で出航した。石材の投下に「海を殺すな」の横断幕を掲げ抗議の声を上げた。シュワブゲート前では3回の座り込み行動に計100人以上が参加。市民はこれまで以上に怒りの声を上げた。「工事着工は終わりではない、あきらめずに声を上げ続けよう」とこぶしを突き上げた。
遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」代表の具志堅隆松さんは県庁前でハンガーストライキを始めた。具志堅さんのほか2人も参加した。12日午後5時までおこなう。具志堅さんは「辺野古の行きつく先は第2の沖縄戦だ」「南部の土砂を埋め立てには使わせない」と訴えた。
玉城デニー知事は、「工事の着手は『丁寧な説明』とは真逆で乱暴な対応だ」と批判した。
12日 オール沖縄会議は、シュワブゲート前で「代執行埋め立てを許さない県民集会」を開催。平日にもかかわらず予想を上回る市民9百人が参加。10日の石材投入に反対する市民は怒りの声を上げ工事の即時中止を訴えた。稲嶺進共同代表は「政府の埋め立ての強行は『令和の琉球処分』と言わざるを得ない」と怒りをあらわにした。海上では集会に合わせ、抗議船4隻、カヌー12艇で「工事をやめろ」「石を投げ込むな」とシュプレヒコール。
14日 うるま市で〈ミサイル配備から命を守る うるま市民の会〉は「1・14ミサイル基地拠点化反対市民大集会」を開催。市民4百人が参加。陸上自衛隊勝連分屯地に年度内に地対艦ミサイルが配備予定で、市民は反対の意思を示した。この間市民の会は、市民説明会などを求める署名活動をおこない、9772筆を集めた。また、陸自訓練場建設予定の自治区は住民集会を開催、全会一致で反対の決議を上げた。
28日 玉城デニー知事は、林芳正官房長官と会談。「埋め立て工事を中止し、話し合い」を求めた。林官房長官は、知事の要求を受け入れず、工事継続の考えを強調した。(杉山)
3面
関西合同労組 新年旗開き
社会的労働運動の力を
1月28日、関西合同労働組合の旗びらきがサンシビック尼崎でおこなわれた。
春闘方針を提起する佐々木委員長 |
被災地支援を
2024年春闘方針を提起した佐々木委員長はまず1月1日16時10分頃に石川県能登地方でマグニチュード7・6の地震が起きたことに触れ、犠牲者は110人、安否不明者は210人に達し、全壊・半壊は653棟、避難生活を強いられている人は8市7町3万733人に及んでおり(1月6日14時現在、石川県発表)、組合としてもできるだけの支援をおこなう考えを明らかにした。
この地震により志賀原発(石川県志賀町)の2号機で外部電源を受けるために必要な変圧器から2万リットルもの油が漏洩し、あらためて原発が地震に弱い構造であることが明らかになり、被災した石川県民と連帯して危険な原発は廃炉にすべく闘おうと提起。
一刻も早く戦争をとめよう
次いで、イスラエルによるパレスチナ・ガザ地区民衆への無差別の皆殺し虐殺を弾劾し、ロシアによるウクライナ侵攻にも反対していくことを提案。「台湾有事」を声高に叫び、南西諸島(琉球弧)への自衛隊配備、ミサイル基地化に反対していくこと、昨年12月28日には沖縄県名護市辺野古・大浦湾(軟弱地盤)での設計変更を沖縄県に代わって承認する「代執行」を強行したことを弾劾した。パレスチナ・ガザ地区民衆、ウクライナ民衆、沖縄民衆と連帯して戦争反対の闘いに取りくんでいこうと表明した。
労働組合つぶしの弾圧と闘う
全日建関生支部にかけられている弾圧は労働組合全体にかけられている弾圧であり、ビラまきやストライキが有罪とされるような社会を変えていくことが死活的である。
欧米各国では生活防衛のためのストライキが当たり前におこなわれている。労働組合の力でストライキを含む闘いで24春闘賃上げを闘おう。
軍拡も万博もカジノもいらない
軍拡や戦争ビジネス、万博やカジノにジャブジャブ予算をつぎ込む岸田政権は打倒しなければならない。人らしく生きることすらできなくされている現状を打破していくために、2月19日の関西合同労組の春闘要求行動に結集しようと呼びかけた。
技能実習生の即死事故 在日外国人労働者との連帯を
つづいて各分会からの報告があり、現代の奴隷制度である技能実習生の死亡事故が報告された。
戦場となったミャンマー北部の村から旧首都ヤンゴンに避難した家族が、生きるために150万チャット(ミャンマー通貨)を闇金から借りてミャンマーの送り出し機関に支払って23歳の長男を日本に送り出した。しかし劣悪な労働環境の中、昨年10月7日、社長が携帯電話を使いながら重機の操作をしたため、長男は3トンの重い鋼管の下敷きになり即死した。葬儀のために来日した父親や親族に社長は謝罪すらせず、日本の受け入れ機関は責任を一切とろうとしない。入管は、葬儀を終えた父親と親族をビザが切れる前にミャンマーに強制帰国させようとした。技能実習制度は日本政府がつくった制度だ。この中で死亡事故が起きたとき、いったい誰が責任を取るのか。現代の奴隷制度の報告に参加者は大きなショックを受けていた。
いま日本には32万人を超える技能実習生が「実習」という名目で奴隷的に働かされている。ここにも光を当て、すべての在日外国人労働者と連帯していくことが死活的である。
大石あきこ衆議院議員
橋下元府知事との裁判に全面勝利
国会内外で自由と人権のため活動する大石あきこ衆議院議員(1月20日 大阪市内) |
橋下徹元大阪府知事がれいわ新選組の大石あきこ衆議員議員と『日刊ゲンダイ』を名誉棄損として3百万円の損害賠償を求めていた裁判で、1月31日、大阪地裁(小川嘉基裁判長)は、大石議員の発言を「重要な部分が真実であり」「意見や論評の域を逸脱しておらず、違法性を欠く」として橋下徹の訴えを全面的に退けた。
橋下徹は大阪府知事時代や大阪市長時代に、自分の意に沿わない報道をしたメディアには今後取材を受けないなどといって激しく攻撃して謝罪・屈服させたり、逆に意に沿う報道をするメディアには自分の車に同乗させて取材させるいわゆる箱乗りなどの優遇的取材をさせ、マスコミを事実上、自分の支配下においていた。
このマスコミの屈服と服従が維新政治を批判せず、逆によいしょする今の大阪のマスコミの体質を作ったのである。
大石議員は2021年12月、『日刊ゲンダイ』のインタビューに応じ、橋下が知事時代にアメとムチでマスコミを服従させていた実態を事実に基づいて明らかにし、同社はそれを記事にして同社ホームページに掲載した。
「気に入らない記者を袋叩きにする」「言うこと聞くんやったら、特別の取材をさせてやる」「飴とムチでマスコミをDV(ドメスティックバイオレンス)して服従させた」などという箇所が名誉棄損にあたるとして橋下は、大石議員と『日刊ゲンダイ』を訴えたのである。
しかし小川裁判長は、橋下が知事時代に意に沿わない記者を攻撃したり取材を拒否したりしたという大石議員の指摘は「重要な部分で真実」であると認定し、大石議員の発言は「意見や論評の域を逸脱しておらず、違法性を欠く」と断じたのである。大石議員の全面勝訴である。
大石議員のコメント
記者会見の冒頭、国会開会中のためリモートで参加した大石議員は「みなさん、やりましたね!」と2年間闘い続けた支援者や弁護団に熱いねぎらいの言葉をかけ、橋下にたいしては、メディアを袋叩きにしてきたことを知事の立場にいたものとして「真摯に反省してほしい」と述べた。
直後の橋下は「コメントしない」としていたが、2月1日、自身のX(旧Twitter)で控訴すると表明した。
言論の自由の大切さ
今回の大阪地裁判決は維新による言論封じに対し言論の自由を守ったという点で非常に大きい意義がある。メディアが萎縮していては万博・カジノについてまともに追及できない。判決文には報道機関について言及した箇所もあると言われている。不屈に闘う報道記者たちとともに維新をさらに追いつめていこう。
新宿駅南口スタンディング
2月3日
2月3日、新宿駅南口で毎月恒例の「辺野古新基地建設許さない新宿南口スタンディング」がおこなわれた。呼びかけは、沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック。
マイクを持った人達は口々に国の代執行による大浦湾埋め立て工事強行と土地利用規制法を使った弾圧策動を弾劾した。
4面
論考
福島第一原発事故から13年
歴代政権は原発推進・再稼働
津田保夫
2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震が発生した。東京電力は福島第一原発で炉心溶融事故をおこし、空・海・大地に放射性物質をばらまいた。この事故から、すでに13年がたとうとしている。
政府は「福島復興」をさけび、人々の記憶から福島第一原発事故を消し去ろうとしている。われわれは、けっしてこれを忘れない。この事故を教訓にして、未来社会をつくっていこう。以下、福島第一原発事故の現状をみていきたい。
(1)福島原発の廃炉作業
現在、福島第一原発内では廃炉作業がおこなわれている。政府はロードマップを定めており、これによると事故から30〜40年(2041〜51年)で廃炉作業を完了することになっている。しかし、廃炉措置とは何を意味するのか、このことは定義されていない。
事故から13年がたち、構造物の腐食がすすんでいる。地震によって、倒壊する可能性も生じている。
原子炉格納容器内で使用済み燃料プールから核燃料を取り出す作業がおこなわれている。3号機(566体)と4号機(1535体)はすでに終了した。1号機(392体)と2号機(615体)は、これからおこなわれる。
廃炉作業において最大の難関は、熔けて固まった「燃料デブリ」を取り出す作業だ。圧力容器内は高線量にさらされており、作業は非常に困難だ。デブリは総計で約880トンにおよぶ。当初、デブリは2021年から取り出すことになっていた。しかし、これがうまくいっていない。
23年10月、デブリの状態を把握するために、2号機でロボット・アームによる調査がおこなわれたが、デブリを取り出すことに失敗した。その結果、計画は大幅に見直されることになり、24年10月以降に取り出し作業を開始することになった。
事故から13年になるが、取り出しの道筋は描けていない。すべてのデブリを取り出すことは不可能であり、チェルノブイリ原発と同じように石棺にするしかない。
(2)核物質汚染水の海洋投棄
燃料デブリにふれた核汚染水は、1千基あまりのタンクに貯蔵されている。多核種除去設備(ALPS)で62核種を処理しているが、放射性物質は政府の言ういわゆる「基準値」以下におさえられているだけで、なくなっているわけではない。この汚染水は核燃料デブリに直接触れており、何を含んでいるかもわかっていない。これを海洋に投棄するなどもってのほかだ。
メディアでは汚染物質としてトリチウムを上げているが、これ以外の物質がそもそも問題なのだ。毒物質を薄めて、ごまかしてはいけない。これが公害事件からの教訓だ。
岸田政権は、福島住民をはじめ、全国全世界の声を無視して、昨年8月に核物質汚染水の海洋投棄を始めた。政府は「30〜40年で廃炉を完了するために、海洋放出が必要」と言っている。しかし、この原因は政府による汚染水対策の失敗にある。この責任を問わないで海に流すことは許されない。タンクに貯蔵するしかない。
デブリにふれた汚染水は、現在でも1日に百トン程度発生している。この発生源を止めなければ、汚染水はますます増えていく。核物質を含む汚染水を海洋投棄する前に、まずこの対策をおこなうべきだ。
中国政府は、海洋投棄に反対している。太平洋に面した地域や太平洋諸島の住民も反対している。昨年11月に、「太平洋諸島フォーラム」(PIF)首脳会議が開かれた。その共同コミュニケで、原発汚染水について次のように述べている。「太平洋における核汚染の潜在的驚異の重大性に、首脳が強い懸念をもっている」。かつて、日本政府は低レベル放射性廃棄物(ドラム缶)を太平洋に投棄しようとした。この日本政府にたいする不信は消えていない。
避難の権利を求めて各地で闘う人々が3・21神戸地裁判決を前に兵庫で集会(1月20日 尼崎市) |
(3)小児甲状腺がんの現状
事故当時18歳未満だった子ども(約38万人)にたいして、福島県は「県民健康調査」をおこなっている。現在、6巡目の検査がおこなわれている。
昨年11月24日に、第49回検討委員会が開かれた。今回から、座長が重富一氏(双葉郡医師会副会長)に交代した。5巡目の検査において、あらたに5人に甲状腺がんが見つかっている。これで、悪性がん患者が321人になり、がん登録で把握された集計外患者43人を合わせると、小児甲状腺がん患者は363人(良性だった1人を除く)になった。
昨年7月、検査4回目までの結果をまとめた「部会まとめ」が公表された。この文書では、あいかわらず「甲状腺がんと放射線被ばくの間の関連は認められない」としている。小児甲状腺がんが通常よりも多く見つかっていることにたいして、「生命予後を脅かしたり症状をもたらしたりしないようながんを過剰に診断しているのか、将来的に症状をもたらすがんを早期に発見しているかのいずれか、もしくは両方の可能性によるものである」と言っている。
いっぽうで、「311子ども甲状腺がん裁判」は、今年1月で3年目に入った(2021年1月27日提訴)。現在、原告は1人増えて、7人になっている。原告全員の意見陳述が終わった。最大の争点は、「小児甲状腺がんの原因は、福島第一原発事故による放射性物質によるものなのか」という点だ。
(4)原発事故避難者訴訟
2022年6月、最高裁は福島第一原発事故にたいして、国の責任を否定する判断を示した。これ以降、高裁で6件の判決が出ており、東電の責任は認めるものの、国の責任を認めていない。
・23年3月11日、仙台高裁判決(いわき市民、約1340人)。1審では国の責任を認めていたが、逆転して国の責任を認めず。
・23年12月22日、東京高裁判決(千葉県に避難した6世帯17人)。1審と同じく、国の責任を認めず。
・23年12月22日、名古屋高裁判決(愛知、静岡、岐阜県に避難した126人)。1審と同じく、国の責任を認めず。
・23年12月26日、東京高裁判決。(東京都内に避難した17世帯、48人。1人死亡し、現在47人)。1審では国の責任を認めていたが、逆転して国の責任を認めず。
・24年1月17日、仙台高裁判決(山形県などに避難した185世帯669人)。1審と同じく、国の責任を認めず。
・24年1月26日、東京高裁判決(神奈川県などに避難した167人)。1審では国の責任を認めていたが、逆転して国の責任を認めず。
また、子ども脱被ばく裁判(親子裁判)は被ばく問題を争う。国が「年間20mSvを避難の基準」にしていることにたいして、その妥当性が争点の一つになっている。
昨年12月17日に、控訴審判決が出た。仙台高裁は1審と同じく、国の責任を認めなかった。また、昨年2月1日、「子ども脱被ばく裁判」(子ども人権裁判)では、仙台高裁は子ども2人の訴えを棄却している。2人はすでに中学校を卒業しているため、最高裁への上告はできない。
このように、高裁判決は国の責任を認めない方向に傾いている。裁判所は国の代弁者になっている。これを認めてはいけない。大衆運動の力で、この流れを突破することが求められている。
(5)帰還の現状
帰還困難区域のなかで、政府は特定復興再生拠点区域(復興拠点)を6市町村にもうけ、この区域の避難指示をすべて解除した。こうして、政府は「年間20mSv以下なら安全」といって、住民の帰還を進めている。
被ばくによって病気になったとしても、国はけっして責任を負わない。これは福島でもおこなわれた、かつての満州移民政策と同じ構造であり、現代における「棄民政策」だ。
だから、帰還政策はうまくいっていない。若年層世帯は放射線被ばくを避けるため、帰還には消極的だ。また、老人世帯は病院などのインフラが整っていないので、帰還しても生活が成り立たない。帰還世帯は30%程度にとどまっている。
おわりに
福島県の調査によれば、約2万1千人(2023年11月現在)の人々が県外に避難を余儀なくされている。政府は帰還を促しているが、帰還する人は少ない。放射線被ばくを避けるために、故郷に帰りたくても帰れないのだ。今年1月1日に、能登半島で大地震がおきた。志賀原発は停止していたから、おおきな事故をまぬがれた。もし、稼働していたら福島第一原発と同じような事故になったかもしれない。
2004年に、柏崎刈羽原発が新潟県中越地震で事故をおこしている。この20年間で、地震による原発事故が3回もおきているのだ。これは「想定外」で済まされない。地震列島のなかに原発を建てること、これ自体が無謀だ。原発事故をおこさないために、電力会社は今すぐにも原発を止めるべきだ。
今年、柏崎刈羽原発6、7号機の再稼働がもくろまれている。政府は東京電力に貸している資金を回収するために、東電の収益を改善して黒字経営に改善したい。今年、柏崎刈羽原発再稼働阻止が重要な闘いになってくる。
政府は核物質の海洋投棄をはじめた。これに反対する闘いは長い闘いになるだろう。この闘いを大衆的に発展させ、さらに大きな闘いにしていこう。福島第一原発事故からの避難者の存在は、原発事故の生き証人だ。この避難者の闘いに連帯し、ともにたたかっていこう。原発に反対する闘いは、これを推進する政府との闘いだ。これを見すえて、反政府闘争を粘り強く闘いぬいていこう。
5面
投稿
狭山再審求め関西キャラバン
宝塚・川西・伊丹で
2・23集会へ結集を
川西市のアステデッキでアピール(1月27日 上) |
伊丹市で宣伝行動終了後記念写真(1月27日 下) |
1月27日狭山事件の再審関西キャラバン・北摂行動(宝塚、川西、伊丹)がおこなわれた。まず10時からは兵庫県宝塚市のJR宝塚駅と阪急宝塚駅を結ぶ歩道橋で街頭宣伝活動を開始。12人がチラシ配布に集中し1時間で250枚ぐらい配りました。
次に同県川西市の阪急川西能勢口駅に移動して12時から街宣。ここでは15人が参加しビラまき・署名とともに、かけつけた大阪府能勢町会議員の難波希美子さんがマイクをとって熱烈なアピール。また元教職員組合の仲間も参加し幅広い陣形を感じさせた。
午後3時からは、兵庫県伊丹市のJR伊丹駅前で17人が街宣。ここでは3市ともで頑張るキャラバン隊員と、フォーラムいたみ(立憲、社民、無所属の5人会派)の4人市会議員、北摂・尼崎の市民も参加。岸田正人伊丹市議、高橋あこ市議らが、石川さんの無実の証拠をわかりやすく取り上げ、部落差別に基づく冤罪で、再審無罪しかないことをマイクでアピールし、多くの署名が集まった。
またこのキャラバン行動に先立ち去年8月にできた〈狭山事件の再審を求める尼崎市民の会〉も幟を持ち駆け付け、キャラバンの一翼を担った。
多くの人が石川一雄さんの無実について語っているが、私が確信するのはそもそも当時字が書けなかった石川一雄さんが脅迫文を書いたという矛盾だ。少し前、『狭山の黒い雨』という映画を見たがその中に、警察官が無理やり石川さんに字を書かせる場面があった。筆跡は単に字が似ているようになぞらせればいいというものではなく(それでも全く似てないが)、筆跡の流れや、撥音・拗音など識字能力のない人がつまずく困難が、はっきり出ている。こんな無茶苦茶なことをして、後で石川の筆跡は犯人に似ているとされた。全く酷い話だ。
この日のキャラバン行動の成功に続いて、来る2月23日大阪市西成区民センターで開催される「狭山事件の再審を実現しよう市民のつどいin関西」に大結集しよう。(O)
尼崎では『狭山の黒い雨』上映会に30人が参加
1月の尼崎狭山デーは通例より1日繰り上げ1月22日に、兵庫県尼崎市内で『狭山の黒い雨』上映会をおこなった。この映画は須藤久監督による1970年代の劇映画で、文字が書けなかった石川一雄さんが文字をおぼえ「オレは殺ってない!」と叫ぶ名作。110分ほどのドラマの中に、警察の犯人取り逃がし、被差別部落への集中捜査、石川さんへの拷問的尋問、再逮捕、石川さん宅の鴨居への万年筆工作などが映像で分かりやすく描かれている。参加者は古くから狭山事件を知る人と、この間の運動のつながりで初めて見る人とが半々。映画終了後のアフタートークでは10人近くの人が発言し、もっと多くの尼崎市民に知ってもらうために、工夫を凝らして運動を広げていくことを確認した。(K)
宝島裁判
ついに宝島社を法廷に
控訴審始まる5月に判決
1月25日、宝島裁判の控訴審第1回口頭弁論が大阪高裁でひらかれた。1審では実現しなかった証人尋問がおこなわれるということで、世論の関心は高く、大法廷は支援者をはじめ、多くの人々で埋め尽くされた。
21年に提訴して以来、ようやくまともな実質審理にこぎつけた。審理は午後1時半から始まり、当該本の小林編集長、原告本人(村上薫さん)、当該本の編集者(角田育裕)の順で、それぞれへの尋問(主尋問、反対尋問)がおこなわれ、午後5時に終了した。
開き直る編集長と編集者
当該本の帯(「体を売るしかない」などと書かれた)について、「著者と相談して決めるものではない(著者の同意なく勝手につくってよい)」と開き直り、本の内容について、「出版原稿の最終稿は著者に見せるものではない(見せる必要はない)」などと開き直った。
対面でインタビューをしていないことを問われると「ネット等で調べるのも取材である」と述べ、実際の取材にもとずく記事ではなく、偏見と思い込みに基づいた頭でネットで検索、男性目線の差別的空想で作り上げた本であることを自認した。また、「(コロナ流行拡大は)中国人観光客のせい」という記述について、村上さんの原稿にもとから書いてあったなどと平然と虚偽証言をしていたが、村上さんの原稿を示されて、元原稿では「(コロナ流行拡大は)資本家のせい」となっており証言が誤っていることを追及される場面もあった。
証言の過程で、編集長と編集者が横柄な態度で、高圧的な発言を繰り返し、裁判長がたしなめる場面が多々あった。宝島側の弁護士も、両手をポケットに突っ込んだまま、えらそうな態度で尋問し、まるでテレビの法廷ドラマを演じる俳優のような素振りでひんしゅくを買った。
次回は判決
実質審理は今回で終了し、次回法廷は判決となる。5月15日、午後3時、大阪高裁202号(大法廷)。
原告が談話
原告は、法廷が始まる前に以下のとおり、談話を発表した。(一部略)
2021年10月、夜職や女性を消費する差別的な本の出版を阻止できなかった責任を取るため私は、宝島社を相手取り裁判闘争にうってでました。
2021年2月10日『大阪ミナミの貧困女子』が宝島社から発行されました。私の名前が筆頭著者として表紙に使われていますが、私が書いた文章ではありません。私は2020年の夏、大阪ミナミのラウンジでホステスとして働いていましたが、コロナ禍で吉村市長が自らの失策を夜の街に押し付けたため、閑散としていました。そのため記者会見を開いたりミナミの街で労働相談所「キュア」を運営していたところ、宝島社から出版を提案されました。
コロナ禍のミナミで働く従業員の困窮を訴えると同時に、ミナミの街の活性化に役立つことができると考えて協力しました。しかし、私の文章は編集者の男性が書いた差別的なものに差し替えられていました。宝島社は私の文章ではなく「ミナミのホステス」の肩書きが欲しかったのです。
本全体を通して「コロナ禍で値崩れした女性を買って応援しよう」「高嶺の花が驚きのお店で会える」という女性の困難を搾取し喜ぶことを正当化する内容で、ほかにも中国ヘイトやセクシャルマイノリティへの差別偏見に基づく内容も散見されます。さらに帯には「カラダを売るしかない女性たちの物語」と記され、我々セックスワーカーの労働者としての権利をかちとるため闘ってきた者たちの原則とは相容れないコピーをつけられています。また半分以上男性が女性のふりをして書いたものを「女性が女性目線で書いた」と偽っています。
今まで大手出版業界は無名の著者に対して同じようなことをしていたのだと思います。今回も私たちを黙らせることができると踏んだのでしょう。ヘイト本が世に出回るということは差別を拡散することであり、差別を許す社会傾向に加担することです。私は差別言動の拡散を阻止すること、またライターとしての第二第三の被害者を出さないためにも、訴訟という公的な場で抗議することで立場性を明確にし、ひろく訴えます。一審では審理が尽くされず敗訴したため、抗議の市民とともに大阪地裁の大法廷を占拠し意思表示しました。
大阪高裁はその反響を認め、実質審理(関係者への尋問)をすることになりました。闘い続けられたのはヘイトを許さず傍聴し注目し続けてくれた支援者の存在があったからです。私は宝島社に対し、『大阪ミナミの貧困女子』絶版と謝罪を求め、ヘイトと闘います。
6面
強制不妊 1月26日大阪高裁判決
原告が逆転勝訴 二審で6件目の国賠命令
木々繁
大阪高等裁判所 |
旧優生保護法(以下、旧法。1948〜96年)下で不妊手術を強いられたのは憲法違反として、大阪府に住む聴覚障がいのある70代の加山さん(仮名)夫妻が国に計2200万円の損害賠償を求めた大阪訴訟第3次提訴(*)の控訴審判決で、大阪高裁(阪本勝裁判長)は1月26日、旧法を違憲と判断し、大阪地裁が請求を棄却した判決(22年9月)を変更し、国に1320万円の賠償を命じた。被害当事者のまり子さん(仮名)に1100万円、つれあいさんの徹さん(仮名)に220万円。
(*)大阪訴訟第3次提訴(19年12月):加山まり子さん、夫の徹さんは22年9・22大阪地裁判決で敗訴し、控訴していた。
第1次提訴(18年9月)の空ひばりさん(仮名)および第2次提訴(19年1月)の野村花子さん太朗さん夫妻(仮名)の計3原告は、22年2月の大阪高裁判決で勝訴。
今次判決は、全国12地裁・支部で起こされた強制不妊国賠訴訟で8件目の高裁判決。うち国賠命令を得た原告勝訴は6件目、地裁を含めると9件目。(高裁での敗訴は「除斥期間」の適用等で2件)
加山夫妻は福井県出身。まり子さんは生後50日で高熱のため聴力を失い、20代だった時、生まれつき耳が不自由だった徹さんと結婚、長男が生まれて後、何の説明もなく不妊手術を受けさせられた。
判決は、旧法について、「非人道的で人権侵害の程度はきわめて大きい」と断じ、子を産み育てる権利を保証した憲法13条および「法の下の平等」を定めた14条に反すると明確な違憲判断。違憲判決は高裁で6件目(超反動判決だった23年6・1仙台高裁さえ違憲判断)。地裁の8件を合算すると計14件に積み上った。
裁判長は判決理由で、国が優生政策を積極的に推進し、非人道的な旧法により、障がい者への社会的差別や偏見を長期間助長したため、夫妻が旧法は違憲だと訴える訴訟を起こし、不妊手術を強いられたと立証することは著しく困難だったと指摘、「除斥期間」を適用して1974年の手術日から20年で損害賠償請求権が消滅したとするのは、「著しく正義・公平の理念に反する」と断じ、民法の時効停止の規定に照らし、「権利行使を著しく困難とする状況が解消されてから6カ月間は適用されない」と述べた。
さらに裁判長は、手術された病院が廃院したため手術記録を入手できず、まり子さんは下腹部に残る4センチの手術痕をもとに不妊手術を立証するため診断書の作成依頼に奔走しながらも、40以上の医療機関に断られるなど提訴はきわめて困難だったと指摘し、診断書を初めて手にした2019年8月を「6カ月間」の起算点とした上で、提訴が同年12月13日であるゆえ「賠償請求権が消滅したとは言えない」と判断した。
阪本裁判長が主文を告げ判決文を読み進めると、まり子さんは手話通訳を見ながらほっとした表情で笑みを浮かべた。言い渡しが終わると傍聴席から大きな拍手、法廷は温かな雰囲気に包まれた。判決後、高裁前には、弁護団によって「逆転勝訴判決」「除斥期間の壁破る」と大書きされた垂れ幕が掲げられた。
1審大阪地裁の反動判決乗りこえ、
国賠訴訟運動の新たな発展の道開いた
大阪地裁は「6カ月間」の起算点を佐藤由美さん(仮名)が全国の被害者で初めて提訴(仙台地裁)した2018年1月ごろとする、合理性も説得性も皆無の判決をもって請求を棄却した。
地裁判決は、それにとどまらず、1〜3次提訴の判決結果に明らかなように、大阪訴訟の原告の間に、大阪と全国の原告との間に分断を持ち込んだ点でも反動的なものであった。加山夫妻の不屈のたたかいは、司法を動かし、逆転勝訴をもって分断を打破し、原告の団結を取り戻し、国賠訴訟運動の新たな発展の道を開いたと言える。
原告、弁護団の声
加山まり子さん
(閉廷後の記者会見で手話通訳と同席のもと)「長い苦しい闘いをしてきました。霧が晴れたようで大変うれしい。他の原告の方々や支援の人達のおかげです。打ち明けられない被害者も多い。被害者みなが認められてほしい。国は一刻も早く謝罪してほしい」
辻川圭乃大阪訴訟弁護団長
「司法は被害者の置かれている現実に向き合い、訴訟を起こすことがどんなに大変なことかを丁寧に述べてくれた。各地の裁判所が『救済しないといけない』という思いを強めている。最高裁もそうであろうと期待したい。全面解決に向けてさらに努力を積み重ねていきたい」
新里宏二仙台訴訟弁護団長&優生保護法被害全国弁護団共同代表
(豪雪の仙台から駆けつけ)「発つ時は大変寒かったけど、判決を聞いてすっかり暖かくなりました。違憲性を徹底的にハッキリさせた素晴らしい判決です。弁護の実務家として高く評価します。岸田首相が国としてきちっと謝罪を表明すべきときに来ている。最高裁大法廷裁判長の戸倉長官が8月に退任するといわれ、現在審理中の計5件の高裁判決の上告審について、今夏前にも統一判断を表明する可能性がある。油断することなく、3月院内集会、最高裁への正義・公平判決要求100万署名など、さらなる大きな運動の発展で全面解決に向かって、ともに闘いましょう」
閉廷後、心に響く画期的判決と勝訴で高揚した雰囲気に溢れる報告集会が高裁近くの会場で午後4時から2時間開かれ100人余が参加。
加山まり子さんが勝訴の喜び、支援への感謝の言葉。第2次提訴原告の野村太朗さんがお祝いの言葉、Zoomで福岡の原告朝倉典子さん(仮名、聴覚障がい者)がお祝いと連帯のメッセージ。
大阪訴訟弁護団の安枝弁護士が判決の趣旨、意義、ポイントの提起。
3府県の弁護団長(大阪・辻川、宮城・新里、兵庫・藤原精吾)も参加。
さらに、藤井克徳さん(日本障害者協議会)、全日本ろうあ連盟・大竹さん、DPI女性障害者ネットワーク・村田恵子さん、全国自立生活支援センター・山本奈緒子さん、大矢暹さん(ひょうご聴覚障害者福祉事業協会理事長)などが報告、発言。
主催者から 「国が放置してきた優生保護法の被害に対し 最高裁判所に人権の砦として正義・公平の理念にもとづく判決を求めます」の100万筆署名運動の全力あげた取り組みが訴えられた。
さらに、「最高裁判決を待つまでもない優生保護法問題の政治的早期・全面解決を求める3・21院内集会」〔3月21日(木)12時〜14時 衆議院第1議員会館大会議室。主催:優生保護法被害全国原告団、同全国弁護団、優生連〕への参加が呼びかけられた。
最後に、 「1・26加山裁判大阪高裁判決 優生保護法問題の全面解決を求める関西集会 決議(案)」が読み上げられ参加者全体で確認し、集会を終えた。
最高裁判決を待つまでもない
優生保護法問題の政治的早期・全面解決を求める3・21院内集会
日時:3月21日(木)12時〜14時
場所:衆議院第1議員会館大会議室(定員300名)
シネマ案内
『〇月〇日、区長になる女。』
上映館 大阪:第七藝術劇場 神戸:元町映画館 京都:京都シネマ 他
映画『○月○日、区長になる女。』が大阪・神戸で上映されている。
ペヤンヌマキ監督は今回の区長選まで杉並区政にかかわることのない一般市民。しかし居住のアパート周辺に都市改良道路が計画され、アパートの立ち退き、30mの巨木が切り倒されると聞き、カメラを回し始めた。すると、他の地域でも道路開通で診療所の立ち退き、小学校校区ごとの児童館・老人施設の閉鎖など、数多くの問題を知り、取り組む人々の輪に入る。
1年近くの杉並市民運動=地べたの運動は、最終的に自分たちの思いと繋がる区長候補選出となり、杉並区とは縁もゆかりもなかったヨーロッパで公共財を取り戻す運動にかかわる人物=岸本聡子さんにたどり着く。
ここから聡子の聡は公を聴く心のコピーから始まる岸本さんの人となり紹介、市民運動の激しい論議、街頭での行動の映像となる。22年6月選挙を前に手作りの選挙事務所ができる。どこの選挙も市長・区長選(杉並は人口57万人)レベルとなると政党・労組が支え、選挙事務所もそれなりの事務所。ところが選挙カーは大型スピーカーのついた車だが、あとは手作りのまま。開票はなぜか翌日(区議選なども東京は翌日開票)で、当選も深夜に事務所に駆け付ける「バンザイ」型ではなく、昼間事務所前で、スローガンを唱和。その最後は「選挙は続くよどこまでも」。そして区長の初登庁は自転車に乗って。
映画はそこで終わりでなく、その市民運動を担った人々が今度は区議会に立候補し当選していく。21年衆議院選では石原伸晃を落選に追い込み、22年には区長選に勝利した「素人集団」は、23年区議選では女性議員が過半数に。そして区長派が議長に。映画が全国で公開され「選挙は続くよ、どこまでも」で、地域からの民主主義が広まっていく。「次はあなたの街の、あなたの出番です」。 (Q)
7面
ALS尊属殺人を許すな
尊厳死法案と「人生会議」にストップを
雪雲 茜
被告医師の無罪主張を許さない!『生きたい』を支える社会をこそ
1月11日、ALS(筋委縮性側索硬化症)患者の林優里さんを本人の依頼を受けて殺害したとして、嘱託殺人の罪に問われた医師の初公判が京都地裁で開かれました。被告の大久保愉一医師は「患者の願いを叶えるためにおこなった」と述べました。そして弁護側は「憲法13条の自己決定権に基づいた正当な行為で刑事責任は問えない」と無罪を主張したのです。
林さんの父親は「娘はつらい思いをしていたが、何とか病気を治したいと思っていた」と話し、大久保被告に対し「人間として、医師として優里の目を見て、薬を注入できたのか」「人を助ける医師が人を死に至らしめるとはどういうことなのか。全く理解できない。公判で説明してほしい」と語られました。
事件後、日本ALS協会(患者会)は「ALS患者さんが死にたいと関係者に吐露し依頼することは珍しいことではなく患者さんの思いや行為を非難することはできません。…主治医ではない2名の医師が患者さんの依頼を受け、金銭を受領し…大量の睡眠剤を胃ろうから投与し殺害したこと。このことについては医療倫理に背く行為であり二度とあってはならないことです」「これまでALSで生じた悲しい出来事は、患者が社会的に孤立した状態で起きています」とコメントしています。
この日の公判後も、ALS患者たちが記者会見し、「安楽死は私たちを社会から抹殺する方法。被告の動機は極めて身勝手で許されるものではない」と批判しました。
ナチスの障がい者虐殺と戦後世界
戦前ナチスはユダヤ人虐殺のホロコーストに先んじて、1939年ポーランド侵攻とともに「治る見込みのない病人に慈悲による死を与える命令」を出しました。そして「T4作戦」で障がい者たちを精神病院に集め、そこで「不幸な生」として医療従事者の手によって27万5千人もの大量虐殺がおこなわれたのです。虐殺に関わったといわれる医師350人のほとんどが裁かれていません。(日本の731部隊の医師らが裁かれなかったように)
今、この戦後世界を見る時、この優生思想は反省の上に否定されたのでしょうか。疑問を抱かざるをえません。
すでに、オランダ、ベルギー、ルクセンブルグ、カナダ、スペイン、ポルトガル等には、「安楽死法」や「安楽死制度」があります。病気や障がいを抱える人は「本人の意思」だとして、医師に薬物を注入され「安楽死」しています。スイスは安楽死は禁止されていますが、自死ほう助が一定の条件で認められています。
これらの動きを主導しているのは、宗教にしばられない「左派」も多いといいます。
今回の裁判員裁判では、11日に続いて1月17日にも大久保被告の弁護側は「15年以降、カナダ、ドイツ、オーストリアで医師による自殺ほう助を禁じるなどした刑法の規定が違憲とされた」「被告が殺害しなければ、女性は望まぬ生存を強いられることになり、個人の尊重を定めた憲法に違反する」などと述べ、またも無罪主張をしたのです。
「自己決定権」は無前提に存立しない
少し横道にそれますが、私の体験を述べます。かって72年の優生保護法改悪阻止闘争を闘っていた私を含む女性解放運動は、「産むも産まぬも女が決める」というスローガンを掲げていました。しかし「青い芝の会」から、女性が障がい児を堕ろしている現実を糾弾されました。その糾弾を受けとめた女性解放の側は、このスローガンをおろし「産める社会を 産みたいと思える社会を」にスローガンを変えたのです。「障がい者は不幸だ」と決めつけその生を認めない優生思想があるかぎり、そんな「自己決定権」など存立しないのです。
今回の大久保被告が、亡くなった林優里さんの「自己決定権」などということを勝手につくりあげ、自己の免罪を図ろうとするおぞましさに怒りを感じずにはおられません。
残念ながら全国で毎年2万をこす方々が自死されていますが、自己の死を「自己決定権」と述べられる方がおられるでしょうか。
何よりも、林優里さんは「自己決定権」などとは言われていないのです。
「安楽死」・「尊厳死」合法化の動きをはばめ
日本においては、1976年に太田典礼らによって「安楽死協会」がつくられ、1983年に「尊厳死協会」に改称しています。
2012年には自・公・国民・維新・立憲(れいわと共産以外)の超党派の「尊厳死法制化を考える議員連盟」が「終末期における患者の意思の尊重を考える法案」(=尊厳死法案)を公表しました。そして昨年6月に法整備のために議論を再開しているといいます。
2012年、日本弁護士連合会(宇都宮健児会長・当時)は、尊厳死法案の国会提出が伝えられる中で、医療や経済環境の充実が未達成の中で、患者が家族などに忖度することを生じかねないと反対声明を出しています。
戦後、国民優生法をひきつぐ優生保護法は産婦人科医の太田典礼や社会党議員の加藤シヅエら超党派の議員の国会提出により全会一致で成立し、1996年の法廃止まで障がい者にその身体を切り刻む不妊手術を強制してきました。今、国に謝罪を要求する多くの裁判が行われていますが、国は一片の謝罪も行なっていません。
立憲の長妻昭議員までも含む超党派議員によって、再び優生思想で人の命を選別してその死を早める尊厳死法案が国会に提出されることを許してはなりません。
しかし今、このALS嘱託殺人事件裁判は、結果によっては、「尊厳死法案」審議の扉をあけるとともに、いっきに「安楽死」合法化までへの動きを加速しかねません。
厚労省「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」の提出
1991年、東海大学附属病院事件は、末期ガン患者の家族に要請され治療を中止し薬物を注射して死に至らしめたもので、医師は殺人罪で有罪となりました。1998年、川崎協同病院事件は、患者の気管内チューブを抜き筋弛緩剤を投与して死にいたらしめたもので、これも医師は殺人罪で有罪となりました。
しかし、2006年富山県射水市民病院事件では、医師が7人の患者の人工呼吸器を外して死亡させたと殺人罪で書類送検されましたが、不起訴となりました。
この射水事件の翌年の2007年、厚労省は「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」をだしました。日本においては「安楽死」はまだ無理でも「尊厳死」ならいけるとの判断からの踏み込みでしょう。
ここにはまず「患者本人による決定を基本とした上で…医療行為の開始・不開始、医療内容の変更、医療行為の中止等は…医療・ケアチームによって…判断すべきである。」と書かれています。
また、2018年には、「高齢多死社会の進展にともない…病院における延命治療を想定した内容だけではなく、在宅医療・介護の現場で活用する」ために、終末期医療の指針を改定し、アドバンス・ケア・プランニング=「人生会議」の重要性を強調しました。
言葉巧みに尊厳死へ導く厚労省「人生会議」チラシ |
「人生会議」にだまされないで
「人生会議」とは、終末期をどうするかを患者、家族、医療・介護従事者たちが話し合って「人生会議の記録」=エンディングノートに書き記す仕組みです。
「どこで最期を迎えたいか」という問いで、チェックシートはまず□自宅と書かれています。「家族のそばにいたい」とまるで24時間べったり一緒に居るのが幸せであるかのような在宅死への誘導です。国は75%もの高齢者が病院で亡くなっているのがおかしいというのです。病床をさんざんつぶし、介護崩壊もすすめておいてです。
また「してほしい医療・ケア、してほしくない医療・ケア」という問いには、「例文」として「(口から食べられなくなったら)人工的な管をつけてほしくない」などと書いて誘導しています。
「最期まで自分らしく」人工的な管はつけないのがいい、つまり管をつけているのは不幸な人という価値観があり、優生思想が貫かれているのです。
そもそも「患者の意思」は真空の中でつくられるものではありません。また鬱状態で「死にたい」といえば「はいわかりました。そうしましょう」ということになるのでしょうか。
個々人は自己がいかに人生を全うするかと、いろいろ悩み考えるでしょう。しかし国が患者の心の襞にまで入り込み、医療費削減や優生思想をもって支配介入することは許されません。生きたいと思える社会的条件をつくることこそが求められているはずです。
今までも良心的な病院において患者との話し合いは丁寧に重ねられてきました。それを無視して、政府は「人生会議」を押しつけ、「死に方」まで管理しようとしてきています。「患者の意思」に添うという一見ソフトな装いで医の倫理を崩そうとする「人生会議」の広がりも止めましょう。
8面
書評
『党はどこへいったのか〜私と革共同〜』岩本慎三郎 社会評論社2023年12月刊
革共同の総括と路線的深化のために
橋本利昭
岩本愼三郎著『党はどこへ行ったのか 〜私と革共同〜』は、いい意味で物議を醸す本である。この本とぶつかり、学び、吸収しつくし、われわれの再出発としたい。
3・14決起断固支持
岩本さんは本書で、2006年3月14日の党改革を求めた関西の決起を支持している。「官僚主義と権威主義と印籠政治の弊害を…実力で打ち破る闘い」と。また3・14で打倒された「Yは生まれた時から腐敗していたのではなく、革共同が生み出し、つくりだした」ものであると、主体的・内在的に総括している。
それに対して革共同中央は、「Yの腐敗を生みだした責任は関西にある、部落解放運動にある血債とか7・7というものの考え方にある」とすり替えた。3・14決起を簒奪し、改竄するためである。岩本さんはそれに抗議し、2008年冒頭の基本会議で反対を貫き、処分を受けて党を離脱したことを今回明らかにした。
ただ本書の記述にある、2007年11月「関西地方委員会の反中央派が組織分裂に走る」とあるのは事実認識が誤っている。事実は、われわれは関西地方委員会で9対6対2の絶対多数、党員総会でも関西党員数の過半数を結集し、圧倒的に支持された。それに対し「中央支持派」が、何ら権限のない関西WOBの名で招集した「関西党員総会」が、委任状を含めても過半数に満たず、彼らの方から不当に「分裂」したのだ。
3全総と対カクマル認識
岩本さんは、いわゆる「内ゲバ」と称する左翼内部での暴力行使には抑制的であるべきと反省している。同感である。しかしカクマルについては、「バリケードの向こう側に移行した政治カルト」と規定し、対カクマル戦を支持する。カクマルを、運動組織路線における「サナダムシ路線」と批判する。自ら階級闘争全体に責任を取らず、他の運動に寄生してそれを食い散らして自らの糧とする在り方である。ここから党派闘争の自己目的化、自己中毒化を生む、「永遠の今」「のりこえの論理」「革命的暴力論」に至るカクマルの立場を本多延嘉さんは、「召還主義と解党主義」と規定したことを紹介している。
岩本さんは、カクマルとの決定的分岐をなした革共同3全総を重視している。そして3全総の3つの軸として、反戦闘争・選挙闘争・労働運動を挙げ、労働運動の要点として、戦闘的労働運動の防衛と地区党建設を挙げている。私の理解としては、3全総のもう1点重要な点は統一戦線であると思う。統一戦線戦術は階級(闘争)全体に責任を持つあり方であって、単なる学生戦線の方針であったり、政治術策ではない。
直面する革共同の課題
岩本さんは、「階級的労働運動路線」「新指導路線」「動労千葉特化論」などによる反戦政治闘争の放棄を一番問題にしている。そして、最近、革共同全国委員会機関紙『前進』が、「今や革命の時代だ、反戦闘争としての反戦闘争が重要だ」と言い始めたことに、「遅すぎる」「総括がない」、「総括をする主体性・感受性を失った集団になり果てた」(p.367)と言う。
革共同を自称する今日の革共同全国委員会は、遅すぎる、総括がないだけではない。世界認識・現状認識が根本的に間違っている。プーチン・ロシアによるウクライナ侵略を侵略でないと言い、「戦争を内乱へ」をウクライナにおけるゼレンシキー打倒に帰結させている。
またパレスチナ問題についてもアメリカ帝国主義の戦争というのみで、シオニスト国家イスラエルによる侵略、パレスチナ人民への迫害を弾劾しない。台湾問題について、軍事的強制併合で恐喝する習近平・中国指導部のスターリン主義そのもののあり方を批判しない。それ以上に一切をアメリカ帝国主義の戦争とし、台湾問題を利用して対中国包囲、戦争挑発を図る日本帝国主義・岸田を正面から問題にしない。
同書は、事ここに至った責任が一番ある清水丈夫(現革共同議長)をあまり批判していない。革共同にとって「議長」とはお飾りではないはずだ。清水が非合法場面にいたことは言い訳にならない。革共同の変質、今日まったく闘えない「前衛」詐称集団に変質させた元凶は清水丈夫にある。党内で意見が相違する者を「スパイ」規定してきたのも、真剣に党改革を試みる者を「分派」として追放してきたのも、清水である。
日本革命・世界革命にかけたわれわれ共通の思いを実現するため、岩本さんには『党はどこへ行ったのか』の続編を、『党はここにあり』として清水批判をぜひ執筆してもらいたい。
戦略的総路線の深化のために
革命的左翼が、60年安保闘争も70年安保・沖縄闘争も日帝を正面の敵として見すえて闘ったという認識に賛成である。今日の革共同全国委員会が、「万年米帝一極支配」論のもと、日本共産党以下の日帝免罪路線をとっていることを徹底弾劾して進まなければならない。
国鉄闘争について、1047名の「和解」について、中野洋の国鉄闘争への絶望の結果という認識に改めて蒙を啓かれる思いである。この点を明らかにした岩本さんの功績は大きい。ただ85年11・29浅草橋戦闘については、清水丈夫と中野洋の具体的責任をぜひ明らかにしてほしい。この戦闘を「信じがたい愚行」と言うだけでは、現場で担いぬいた国鉄労働者や青年労働者・学生は報われない。
30年間に及ぶ武装闘争と非合法・非公然活動の期間については、「党による軍事の一人歩きはダメ」ということに真剣に同意し、反省します。それと同時に、「官僚主義」や「印籠政治」が非合法・非公然活動の中で始まったという理解では済まないと思う。
軍事や非合法活動に手を染めなかったらよかったのか、防衛的性格の軍事活動に限定すべきだったのか、である。回答は、労働者大衆自身の武装や非合法活動をどう形成するのか、そこにおける党と党の軍の役割ということになる。蜂起の軍隊はロシア革命における赤衛隊に見られるごとく、大衆自身の武装を基礎に発展させたものである。代行主義など問題にもならない。
若干の経験と見分に基づいて提起すると、次のような点である。
(1)労働者人民自身が武装と武装闘争の主体であることを貫き、兵たんを人民自身が担いぬく人民の海の組織化における発想の転換が必要である。
(2)戦闘における軍令の絶対性と準備や計画における白熱的討論を保障し、組織すること。
(3)戦士共同体におけるコミューン原則、1人も排除しないあり方、である。
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