未来・第379号


            未来第379号目次(2023年12月7日発行)

 1面  沖縄・ 原発・反増税・国際連帯で体制的危機にあえぐ岸田倒そう      

     沖縄県民平和大集会に1万人
     11月23日 那覇      

 2面  国家あげての玉城県政つぶしに反転攻勢
     辺野古新基地建設阻止闘争の現段階(中)
     金城宏(沖縄在住)      

     沖縄と連帯し国会前集会
     問われる本土の闘い
     11月23日      

 3面  11・23 沖縄県民大会同時集会inおおさか
     沖縄連帯のすそ野を拡げよう      

     市民と教員にもっとひらかれた教科書採択を
     11月11日 大阪     

     学校に自由と人権を 10・22 東京集会
     全社会で自由が抑圧される

 4面  10・31 狭山第3次再審請求闘争
     日比谷集会と「地べたの法廷」で

     ジャニーズ性加害問題を糾す(下)
     個人の問題でなく日本全体の人権問題
     石川由子

 5面  強制不妊 10月25日仙台高裁判決(上)
     国の控訴を棄却し、一審に続き国賠命令
     89年最高裁判例を批判、「除斥期間」適用は「権利の乱用」と断じ、請求権に「時効」適用の画期的判断
     木々繁      

             6面  長期・読み切り連載
     先人たちの闘いの成功と失敗を学び現在にいかそう
大庭伸介

     「革命の子」をめぐる労資の対決
     戦後労働運動の分水嶺・三池争議 C

 7面  パレスチナ人民の闘い(上) 津田保夫
     中東支配のくさび=シオニズム      

     「新しい戦前」にしない
     反原発集会で金平茂紀さん訴え
     11月12日 いたみホール      

     神戸で鈴木エイトさん講演会
     統一教会を許さない
     10月29日

 8面  虐殺やめろ!即時停戦
     各地でイスラエル・米帝に抗議行動

     パレスチナの人々の解放を
     清末愛砂さん 11・2大阪学習講演会

     冬期カンパのお願い
     革命的共産主義者同盟再建協議会

           

沖縄・ 原発・反増税・国際連帯で体制的危機にあえぐ岸田倒そう

1万人を前に玉城デニー知事が訴え(11月23日 那覇市)
東京国会前で「島々を戦場にするな」と訴え(記事2面11月23日 )
大阪では2グループに分かれデモ行進(記事3面11月23日 )

沖縄県民平和大集会が成功

11・23「島々を戦場にするな」を掲げた沖縄県民平和大集会は、那覇市奥武山公園に1万人が集まり、岸田政権の軍拡・対中国出撃基地化に反撃する行動となった。「全国連帯」を掲げたこの集会には、東京国会前・大阪・京都・奈良はじめ全国13カ所で同時集会がおこなわれた。ここ数年の、与那国島、石垣島、宮古島、沖縄島、奄美大島、馬毛島に至る琉球弧に自衛隊を配備し、対中国前線基地にしようとする攻撃に対し、本格的な反撃の闘いが始まったのだ。そして11・23集会の1万人決起は、政権・司法当局が一体となって、辺野古新基地建設「不承認」を貫く玉城デニー知事に対する攻撃を強めている中、逆風の中にも玉城知事への支持がゆるぎないものであることを示した。さらに今回の闘いは、旧来の沖縄の闘いの枠を超えて、政党・労組主導でなく、若い世代を中心にした草の根の市民運動が、平和な島で学び暮らしたいということを示した点でも画期的である。沖縄の闘い、とりわけ宮古・八重山の闘いを孤立させない「島々を再び戦場にするな」「全国連帯」の闘いをさらに大きく作りだそう。

今秋闘争の継続的爆発と階級的胎動

今秋関西では、10・15京都集会(金平茂紀・重信房子さん発言)から始まり、原発・沖縄(10・21大阪、山城博治さん発言)・ガザ虐殺弾劾の連続闘争、9月・10月れいわの反増税闘争も含め、500人規模の行動が9回おこなわれた。11・3大阪憲法集会、12・3反原発闘争は大規模に闘われ、ガザ虐殺許すな・パレスチナ連帯の闘いが12月末まで続く。全国各地で同様の闘いが続いている。
これらの闘いは岸田政権の軍拡・増税・物価高・生活破壊と、解散・総選挙恫喝攻撃を打ちやぶり、毎月支持率下落を強制し、支持率は過去最低となった。岸田政権は10月参院補欠選挙、所沢市長選・宮城県議選で敗北し、「適材適所」でない3政務官・副大臣の辞任、経済無策・物価高、世襲批判、万博の破産は必至で、2009年麻生退陣型の「岸田退陣」が言われ始めた。この危機に対応して、高市早苗・杉田水脈・百田尚樹らが蠢動を開始。今こそ岸田政権と、連動する極右分子を人民総決起で倒そう。
09年との相違点は野党の体たらくだ。国会議員を先頭に闘いをけん引し、岸田政権を国会内外で追いつめるべきなのに極めて不十分だ。立憲はこれだけ生活苦が進んでも消費税廃止も言わない。唯一れいわが支持率をアップさせ国民・共産をぬいたのは、反増税やパレスチナ連帯を闘うからだ。今こそ、沖縄・原発・反増税、パレスチナ連帯の闘いに立ち上がろう。

「失われた30年」の体制的危機

この危機は岸田の危機にとどまらず、自公支配体制の危機として、さらには30年にわたる新自由主義支配の破綻に起因している。ソ連崩壊以降の新自由主義・グローバル競争に敗北し、小泉時代の「聖域なき構造改革」「骨太方針」、安倍時代の「アベノミクス」でも突破できず、「失われた30年」となった。結果1人当たりGDPが31位になり、財政赤字は1000兆円を超え、幸福度、子どもの貧困率、大学の研究実績、報道の自由度、ジェンダー指数など、いずれもOECD諸国で最下位クラスを低迷。もはや「G7議長国」「先進国」と言っても誰も実感しない。
安保防衛政策でも独自の政策を持てず、アメリカ製武器爆買いを続け、その突破をかけて安倍が2016年に開始した「開かれたインド太平洋戦略」も、インドは従わず、ミャンマーは国軍クーデタから2年半で武装解放闘争が進み、日帝・岸田政権には何の展望もない。
その破産の度合いに応じて、台湾有事をあおり対中国包囲網形成にのめりこむ。しかし先制攻撃すれば沖縄・九州など前線だけでなく、首都圏や原発立地が攻撃対象となる。中国の経済力、貿易・農業・食糧で依存している現実すら想定できないお粗末さだ。

パレスチナ連帯・ガザ虐殺への反撃を

10・7で開始されたパレスチナ人民の新たな闘いは、多大な犠牲の中にもイスラエル・ネタニヤフ政権とそれを唯一支える米帝・バイデン政権を揺さぶっている。「天井なき監獄」の中での国際人道法に違反する病院攻撃、ガザ全土の破壊を許してはならない。イスラエルのシオニストどもの蛮行に対して、全世界でパレスチナ人民連帯の輪が広がっている。
西欧の決起に比べ日本の決起は桁が違うが、それでも毎週・全国各地で闘いが持続し、「再び戦場」にされたら「逃げ場のない」沖縄でも「フリー・ガザ」が叫ばれている。ウクライナ人民、パレスチナ人民、ミャンマー人民の解放を求める闘いに連帯し、「G7議長国・日本」の岸田政権打倒を闘い取ろう。

沖縄県民平和大集会に1万人
11月23日 那覇

11月23日、那覇市内で開催された県民平和大集会は1万人以上が参加し、カンパは200万余り集まった。沖縄が二度と戦争の被害者にも加害者にもならない願いを込めた集会宣言を採択した。
集会の前半は若者たちによる音楽コンサート、島唄ポップス、唄三線、エイサーなど多彩な催し。暑い日で日影で聞いている人が多く午前中は何人集まるのか不安だったが、1時半過ぎると人々が結集し、1万人を超えた。2時からメイン集会。玉城デニー知事が登壇すると大きな拍手。知事は「子どもたちの未来が戦争の未来であってはならない。今私たちが求めている平和の思いを、全国で全世界で共有するために行動し声を上げよう」と訴えた。
基調報告の前泊博盛さんは「政府が台湾有事を言う時、すぐ沖縄南西諸島基地強化となる。なぜ東京や大阪ではないのか。沖縄だけが戦場か」と鋭く語った。政党や労組頼りではなく、若者や家族連れが増え、運動の新たな広がりを感じさせる集会だった。

2面

国家あげての玉城県政つぶしに反転攻勢
辺野古新基地建設阻止闘争の現段階(中)
金城宏(沖縄在住)

集会宣言では「このままでは本当に戦争が起きかねません。政府はミサイル配備より対話による信頼関係の醸成を図り、戦争を回避する為に正常な外交関係を築くべき、私達県民は再び沖縄が政府の行為によって戦場にされることに絶対反対です」と集会宣言を採択しました。
閉会の挨拶では「戦争を起こさせない為に、アジア、太平洋の国々と連帯する玉城デニー知事を支えていこう」と訴え集会は熱気を残し終了しました。
注目すべき新しい運動として〈辺野古新基地建設に反対し、沖縄の自治の底力を発揮する自治体議員有志の会〉の発足です。若手議員3人が発起人になり全県41市町村から30市町村(9月18日現在)108人の議員が参加しています。
有志の会の行動指針は。
1、私達は、県民の揺るぎない民意を背に辺野古新基地建設に反対を貫く県知事の毅然たる行動を後押しする。
2、私達は、苦難の歴史を歩んできた県民の意思が活かされる真の沖縄の自治を実現します。
3、私達は、今を生きる県民の安全・安心な暮らしの確保と希望に満ちた子どもたちの未来を実現します。
有志の会は那覇・沖縄・名護・宜野湾市など11市の市議も多数参加し、自衛隊ミサイル配備強化が進む石垣・宮古・与那国などの離島議員も参加し、地域に密着した反対運動が展開されています。今後も有志の会は多くの議員を増やすはずです。オール沖縄のすそ野を広げ、岸田政権の最高裁判決を振りかざす力を止める為に、住民による直接民主主義の声が台頭しています。

辺野古 海と陸の闘い

県民大集会には1万人が(11月23日 那覇市)

6月18日 辺野古座り込みは2004年4月19日からボーリング調査阻止をする為に辺野古のオジーやオバー達が座り込んでから7千日を迎えました。当日は辺野古浜テント前で集会がおこなわれ新たな決意で「勝つことは、あきらめないこと」を合言葉に参加者は誓い合いました。
6・23沖縄慰霊日に岸田が摩文仁平和公園の「沖縄戦戦没者慰霊祭」に参席する事に対して、糾弾闘争を展開しました。岸田はパトカー、白バイに先導され、厳重な警備陣に守られながら超スピードで会場に入っていきました。辺野古では機動隊が全員警備に入るのでこの前後4日間は作業はストップしました。我々は午後から魂魄の塔前での国際反戦集会を開きました。カヌー隊は辺野古ブルーの旗の下、辺野古基地建設阻止、海を守れ、等のゼッケンを付け、カヌーメンバー募集のチラシをまき海の闘いの報告をしました。国際反戦集会はコロナ禍の関係で3年ぶりの集会になりました。ゴスペルの会の歌声が魂魄の塔に眠る死者達の霊を静かに慰めました。
6月24日 「海のおまつり」を海上で平和丸を舞台にした歌あり、パフォーマンスありで通常の土砂搬入、搬出阻止行動とは違い、いつもは「いがみ合う」海保や警備員達も聴衆になり拍手まで頂きました。厳しさの中での和むひと時でした。
6月26日から月、水、土曜日は安和行動、火、木、金曜日は辺野古行動と通常活動がおこなわれています。
10月7日 キャンプ・シュワブゲート前での月1度の「県民大行動」日です。このかん、台風の影響で市民集会は中止になり、4月以来半年ぶりの開催になりました。
最高裁判決後、玉城デニー知事が新基地の設計変更を不承認しました。その知事を支持し、国の代執行訴訟を許さず「軟弱地盤の埋め立てはさせない、大浦湾の自然を守ろう」と9百人の参加者は決意しました。オール沖縄の糸数慶子共同代表は「私達が望んだ知事の対応を喜びたい。県民の民意は7割が埋め立て反対だ。自治を守る為にも知事を孤立させてはいけない」と述べ、建設阻止へ向け声を上げようと訴えました。
10月14日 ヘリ基地反対協、海上行動隊の定例名護街頭宣伝が名護十字路で12人でおこなわれ、街行く市民に「辺野古大浦湾のサンゴを守れ! 辺野古新基地建設の断念」を訴えました。
10月21日 オール沖縄会議主催の「遺骨が眠る土砂を辺野古埋め立てに使わせない!」集会が平和公園内で560人が結集し開催されました。我らカヌー隊は辺野古ブルーの旗を上げ、いつものように大阪行動の0さん手作りの旗とゼッケンを身にまといカヌーと抗議船での辺野古基地建設阻止の闘いへの参加を呼びかけました。集会に寄せられた、玉城デニー知事のメッセージでは「戦没者遺骨が残されている可能性のある場所から採取した土砂の使用はあってはならない。県は引き続き遺骨収集に取り組んでいく」と発せられました。
オール沖縄会議の稲嶺進共同代表(前名護市長)は「県内で自衛隊の配備拡張が急激に進んでいる。新たな戦前という状況が押し寄せている。二度と戦争をしない決意で行動を続けることが辺野古を止め、ここから土砂を運びだすのを止めることにつながる」と強調しました。
沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」代表の具志堅隆松さんは「国は南部の土砂を使うかどうかは業者が決めると言う。しかし、業者は判断できない。国が南部を候補地に入れた。軟弱地盤の設計変更申請を撤回しないといけない。辺野古の軟弱地盤を埋め立てるのか。税金の無駄使いだ」と訴えました。
最後に、地元・糸満市の平田愛海さん(19歳)が「南部では今でも戦没者の遺骨収集がおこなわれている。日本政府が多くの遺骨が眠る南部の土砂を辺野古新基地建設に使おうとしていることに絶対反対する。玉城知事と共に沖縄の未来のために辺野古新基地を止めていきたい」と宣言し、圧倒的拍手で承認されました。最後に、参加者全員が手を結び団結ガンバローを三唱し、終了しました。
10月28日 早朝よりカヌー20艇、抗議船3隻、ゴムボート1隻を辺野古側埋めて立て区域で海上保安庁GBボート10隻、沖縄防衛局ボート8隻、海上警備等と対峙しながら、「政府の代執行を許さない・デ二ー知事と共にガンバル!」海上集会アピール行動を37人で貫徹しました。
私達は「設計変更承認の代執行阻止」「沖縄は不当判決に屈しない」などの、ボードや横断幕を掲げアピールをしました。オール沖縄会議の福元勇司事務局長は30日の代執行訴訟に触れ「決してあきらめることなく、知事の決断を支えつつ、私たちの島の未来とこの国の民主主義を守っていこう」と呼びかけました。

決議文要旨

今しなければならないことは戦争の準備ではなく、戦争を起こさない努力だ。先日の最高裁の判決は、三権分立を司法が投げ捨て、行政の下僕になった事を白日の下にさらした。近日中に下されるであろう、辺野古新基地建設のための代執行判決に強く抗議し、デニー知事と共に頑張ることを辺野古、大浦の海から訴える。新基地ノー。沖縄の民意を守れ、地方自治を守れ、民主主義を守れ、再び沖縄を戦場にするな!を確認し、10月30日、代執行裁判にのぞみます。
2023年10月28日 ヘリ基地反対協・海上チーム(つづく)

沖縄と連帯し国会前集会 問われる本土の闘い 11月23日

11月23日、沖縄の県民大会に連帯して「沖縄も日本も戦場にさせるな! 国会正門前アクション」がおこなわれ、2000人が結集した。(写真は1面)
2時から始まった集会は、沖縄反戦地主会関東ブロックの青木さんの司会で、時折、豊岡マッシーさんの三線ライブを挟みながら進められた。国会包囲実行委員会の主催者挨拶につづいて総がかり行動から連帯のあいさつ。次に、戦争のための自衛隊配備に反対する奄美ネットの城村典文さん、ミサイル基地いらない宮古島住民連絡会の清水早子さん、基地いらないチーム石垣の上原正光さん、さらに、種子島、与那国島からのメッセージが。
城村さんは「奄美群島の徳之島では陸、海、空自衛隊が統合演習をやっています。徳之島空港、奄美空港ではタッチアンドゴー訓練を行って軍事利用が始まっています。安保3文書改悪、43兆円の軍事予算も出されています。皆さん! 止めようじゃありませんか」「沖縄ともども、日本を戦争に巻き込んではいけない。日本は平和憲法に基づいた外交を世界に呼び掛けていきましょう」と訴えた。
宮古島の清水さんは「日々のニュースでガザの状況を見るたびに、これは明日の宮古島の姿であり、(沖縄戦当時の)過去の宮古島の姿だと感じます。…陸上自衛隊は、戦車を南の島の高温に耐えられるように作り替えようとしています。また、自衛隊員から血液を集めて血液製剤を作り、米軍と共用すると言っています。そして、死体搬送訓練までおこなっています」と具体的な動きを上げて「戦争の足音ではなく、姿が見えてきた」と危機感を込めて本土人民の決起を呼び掛けた。
上原さんからは「1100kmに及ぶ琉球弧の中に軍事基地を作ろうというのが中央政府の狙いだ。こうやって、首都圏あるいは日本の皆さんとともに連帯する行動を提起したい」「イスラエルによる侵略戦争を私たちは糾弾します。沖縄もそうです。戦後78年たっても、米軍の支配、ヤマトの支配です。これを断ち切る闘いでなければならないと思います。アジアに向かう反戦の闘いをどう作るか。アジアの人たちとの連帯行動が必要です」と国際連帯の必要性を訴えた。最後に、再びコールを国会にたたきつけ、国会前の行動を終えた。

3面

11・23 沖縄県民大会同時集会inおおさか
沖縄連帯のすそ野を拡げよう

集会場全体に横断幕・バナーをかかげ連帯を示す(上)、集会(下)
独自の横断幕をひろげて市民にアピール(11月23日 大阪市内)

11月23日、大阪市内で「沖縄を再び戦場にさせない! 沖縄県民大会同時集会inおおさか」が500人近くを結集してかちとられた。主催は集会実行委員会。
オープニングは〈月桃の花歌舞団〉の踊り。集会では開会あいさつの後、川口真由美さんと牧志徳さんがライブ演奏。集会呼びかけ文を実行委員会の西尾慧吾さんが読み上げた。
議員・政党からのアピールでは、兵庫県議会議員の北上あきひとさん、兵庫県川西市議のかも文子さんが紹介され、北上議員が発言。大阪からは社民党大阪府連合代表の長崎由美子さんと枚方市議の野村いくよさん(立憲民主党大阪府連幹事長)が紹介され、長崎さんが発言した。
また、れいわ新選組大石あきこ衆議院議員のメッセージが代読された。

沖縄からライブ中継でエール交換

沖縄現地の県民平和大集会会場から、電話中継で石垣出身の阿利斎生さんが2分間アピールした。会場は5千人ぐらい集まっていること。今、民間の港、空港の軍事利用の動きがおきていると弾劾し、20代、30代のメンバーが頑張っていると伝えた。
カンパアピールに続き、市民団体がアピール。@市民デモHYOGO、Aジュゴン保護キャンペーンセンター、B南西諸島への自衛隊配備に反対する大阪の会、C日本基督教団大阪教区沖縄交流・連帯委員会、D辺野古に基地を絶対つくらせない大阪行動、E宮古島の要塞化に反対する会が、それぞれ発言した。
そこでは、辺野古浜テントがきょうで7158日目を迎えること。12月14日辺野古で50艇の海上カヌー行動があること。大阪行動は11月25日で開始以来19年、千回目を迎えることが報告された。また、反対する会は、宮古島には住民が5万5千人いるが、大阪の街宣で出会い、宮古島のことを訴えてくれるのに初めてであったと言われたこと、現地では遺体収容袋の備蓄など戦争準備が始められている、危機感を持って多くの人に広めていきたいと述べた。
会場には大阪・兵庫の市民団体や労働組合の旗・横断幕が林立して熱気を感じさせた。
Swing MASAさんのライブ演奏をもって終了し、「闘いはこれからだ」としめくくった。
大阪駅前(梅田)の繁華街までのデモでは、「辺野古埋め立て不承認」「沖縄基地反対」「軍拡増税反対」「中国包囲に軍事を使うな」「国際人権・自決権支持」「フリー・フリー・パレスタイン」「フリー・フリー・ガザ」などとコールが響き渡り沖縄問題を訴え、沿道の市民・若者などと交流した

市民と教員にもっとひらかれた教科書採択を
11月11日 大阪

教科書全国集会2023が、11月11日、大阪市内でひらかれ、リモートを含め百人が参加した。主催は、「戦争教科書」はいらない! 大阪連絡会。(写真上)
今年は小学校の教科書採択がおこなわれ、来年は中学校教科書の採択がある。集会では、同連絡会から2本の報告があった。ひとつは「大阪と全国の採択状況報告と今後の課題」。ふたつめは、「今年の小学校教科書の問題点(社会科、道徳)と、現行中学校教科書の問題点」だ。

維新首長の増加

府内では維新知事1人、市町村長21人で、全市町村の49%を占めるという危機的状況。
しかし、各地での奮闘により、比較的まともな教科書の採択が現状維持ないし微増という結果だった。来年の中学教科書採択にむけて、各自治体で、教科書採択制度の透明化・民主化をいっそう進めていくことの重要性が提起された。

育鵬社教科書ゼロへ

中学校教科書で育鵬社を使用しているのは、大阪府泉佐野市(公民)、石川県金沢市・加賀市・小松市、栃木県大田原市、山口県岩国市・和木町、沖縄県石垣市・与那国町である。大阪をはじめ全国から育鵬社教科書を一掃しよう、そのためには今から準備を、と呼びかけがあった。
教科書採択が非公開でおこなわれている金沢市から〈こども☆未来☆教科書@かなざわ〉が報告。来年の中学校教科書採択を見すえ、今年度中に教科書採択会議を公開させようと奮闘したが、かなわなかった。さらに、オール東大阪市民の会、〈子どもと教科書 市民・保護者の会(滋賀県)〉が報告。

自衛隊への名簿提供

「自衛隊の若者勧誘に協力する地方自治体」と題して大阪府茨木市議の山下けいきさんが特別報告した。
全国1747自治体のうち、1068自治体が自衛隊に名簿を提供。534自治体が名簿閲覧をさせている(2022年度実績)。自衛隊が若者を勧誘するための名簿を自治体が提供することの法的根拠はあるのかとして問題点、疑問点を列記した。自衛隊、行政に対する監視を強めようと呼びかけた。

学校に自由と人権を 10・22 東京集会
全社会で自由が抑圧される

10月22日、東京・日比谷図書文化館大ホールで「法を変えさせない! 誰も戦場に送らせない! 〜『日の丸・君が代』強制反対! 10・23通達撤回!〜 学校に自由と人権を! 10・22集会」がひらかれ、WEBでの参加も含め190人が参加した。主催は「日の丸・君が代」不当処分撤回を求める被処分者の会など9団体。

根源に10・23通達

主催者を代表して東京・被処分者の会=近藤徹さんが挨拶。「10・23通達から20年、被処分者は述べ484人に達する」「20年後の今日も変わることなく同じ状況になっている」「今年度も11月に(再発防止)研修をやろうとしている」「今日のひどい教育行政の根源に10・23通達がある。ILOも10・23通達を批判している」
文芸評論家の斎藤美奈子さんが「それってどうなの主義で行こう! 〜あらためて人権について考えよう〜」と題して講演。ジャニーズ性虐待問題・小池都知事の朝鮮人追悼文送付拒否問題・岸田内閣女性ゼロ問題を取り上げ、通底している問題があると喝破。人権後進国から脱皮しなければならないと訴えた。
シンガーソングライターの川口真由美さんがライブ演奏。トークで、中学校の生徒の前で歌った際に辺野古のことに言及したら、校長から「政治的な発言は困る」「言っていいことと悪いことがあるでしょう」と抗議されたとのエピソードを紹介しながら力強く反戦平和と解放を求める歌を歌った。

第5次訴訟

第5次訴訟原告団から大能清子さんが発言。「現在、再任用4年目。3年半前に3度目の不起立をやって戒告処分になった。これ以上失うものはない」「9月に代々木の『ワタシのミライ』集会に出た。在日4世の高校生が近寄って来て『私の周りが(斉唱時に)立っているから嫌と言えない』と言っていた。いつかこうなると私が思っていたのはこれ。今こそ全力を挙げなければならない」
〈東京・教育の自由裁判をすすめる会〉国際人権プロジェクトチームの新井史子さんが発言。「国際的に訴えよう。08年から国連に訴え、去年の11月4日、勧告(自由権規約第7回日本審査『総括所見』における『懸念と勧告』)が出た」「国内の運動と連携していきたい。日弁連がパンフを作っている」
この「懸念と勧告」には「…当委員会は学校の儀式において国旗にむかって起立し国歌を斉唱することに対する静かで破壊的でない不服従の結果、教師が最高6カ月の停職を含む処分を受けたことを懸念する。更に儀式において生徒に起立を強制するために物理的な力が用いられたという申し立てに対しても懸念を抱く」「締約国は思想良心の自由の実質的な行使を保障し、規約18条で許容された制約の厳密な解釈を越えてその自由を制約するいかなる措置をも控えるべきである。締約国は自国の法律とその運用を規約第18条に適合させるべきである」とある(同プロジェクトチームの仮訳より)。
「何よりも『子どもたちを再び戦場に送らない』ために!」と結ぶ集会アピールが採択され、5次訴訟の第12回口頭弁論(12月25日11時 東京地裁631号法廷)への結集が訴えられた。

4面

10・31 狭山第3次再審請求闘争
日比谷集会と「地べたの法廷」で

10・31狭山集会で訴える石川一雄さん早智子さん。右隣は袴田ひで子さん。
全国各地の市民の会が集まり、東京高裁前で「地べたの法廷」を展開(10月31日 )

日比谷集会・デモ・要請行動・「地べたの法廷」

東京高裁・寺尾確定判決から49年を迎えた10月31日、東京・日比谷野外音楽堂を会場に狭山事件の再審を求める市民集会「無実を叫び60年! 東京高裁はインク鑑定の実施を! 事実調べ・再審開始を!」が開催されました。
西島藤彦・部落解放同盟中央執行委員長が開会あいさつ、東京高裁への要請団(署名・要請書の提出)の送り出しに続いて各政党があいさつ。立憲民主党(近藤衆院議員)、社民党(福島みずほ参院議員)、れいわ新選組(大石あきこ衆院議員)がそれぞれ事実調べと再審開始を勝ち取るため、議員として再審法改正実現で連帯することを表明。この発言者のほかに野田国義(立憲民主党参院議員)、大椿ゆうこ(社民党参院議員)、大島九州男(れいわ参院議員)も参加していることが紹介されました。
石川一雄さん・早智子さんはともに、8月に先立った桜井昌司さんを偲んだ。一雄さんは「桜井さんが一人で逝ってしまった」「勝利するまで死ぬことはできない」「なんとしてもこの第三次で再審無罪を勝ち取って桜井さんに報告をしたい」と決意を示し「明日見据え 堅固豪傑 検察に 証人調べでとどめを刺す」と短歌を披露。早智子さんは「49年前の10・31は人生で一番くやしかった日」であることを思い出すとともに、2009年退官2カ月前の門野裁判長が8項目の証拠開示勧告をおこなったことを示し、大野裁判長に12月の退官前に事実調べの道を開くように決断を迫り、「石川一雄が元気なうちに両親のお墓に手を合わすことができるように皆さんの力を貸してほしい」と切々と訴えました。
弁護団(竹下弁護士)から11人の証人尋問とインク資料の説明と片岡部落解放同盟副委員長の基調報告をはさんで獄友(「冤罪被害者の会」)の連帯アピールがおこなわれました。
10月に再審裁判が開始された袴田事件の袴田ひで子さん(巌さんの姉)「90才になって初めて裁判に出た」「巌だけ助かればいいというものではありません」「狭山の石川さん、大崎事件の原口さんもみんな勝ってほしい」と力強い発言。
つづいて袴田さんを救援する清水・静岡市民の会の山崎俊樹さんは「2009年狭山事件の門野裁判長が検察にたいして証拠開示勧告を出してくれたことが袴田さんの無実の証拠の発見につながった」ことを指摘。
「足利事件」の菅家利和さん、「東住吉事件」の青木恵子さん、「湖東記念病院事件」の西山美香さんが自らの体験を通して、権力犯罪を許さずすべての冤罪被害者とともに闘う人権活動家としての発言がまぶしく映りました。
狭山事件の再審を求める市民の会事務局長の鎌田慧さんは、52万筆の署名や様々な取り組みの中で世論の流れが動きつつあることを感じている。報道の姿勢にも変化の兆など80年代の死刑4事件の再審無罪の雰囲気を感じられることにふれながら、多くの人から裁判所に生の声を届ける「地べたの法廷」の提起や記者会見をおこなうことなどの意見が寄せられていることを明らかにして、「次は狭山」「石川さんは無実」の世論をもりあげ来年には再審への道筋をつけるために頑張りましょうと呼びかけた。これをうけて集会アピールと閉会のあいさつののち日比谷公園霞門から裁判所の横をかすめて日比谷公園西幸門までデモ(短縮コース)に出発。
デモ解散後、「地べたの法廷」を呼び掛ける〈くまもと「狭山事件」を考える住民の会〉と各地の市民の会有志は高裁前に移動、「大野裁判長は退官前に事実調べの判断をおこなえ」とのアピール行動を力の限りに闘い抜きました。
12月の大野裁判長退官と11月初旬の最後の三者協議を迎えるにあたって、石川早智子さんは大野裁判長に「これ以上、彼(一雄さん)の人生を奪わないでください」と事実調べ・再審の決断をするよう突きつけ、支援の人々に対しては「10・31日比谷に結集して東京高裁を包囲する闘いを組んでいただきたいと願っています」と訴えていました(9月のビデオメッセージ)。石川一雄さんは10・31メッセージで「その都度、検察は時間をかけて反論等を提出してくるので、いたずらに時間が過ぎ、その結果、私の命が失われていくことになります」「私が逝ってから無罪を勝ち取っても遅いので」と危機感もあらわに警鐘をうちならしていました。
その後、11月2日に大野裁判長最後の三者協議がもたれ、事実調べ・再審の判断は次の裁判長へと先送りされることになりました。来年2月の新たな三者協議においても検察の「引き延ばし作戦」をズルズルと許すのか、それとも石川さん夫妻とすべての冤罪被害者の人々の想いに応えることができるのか。法の正義と人倫の道を求めるすべての人々の知恵と力の結集が問われていると言える。
平井健三郎

ジャニーズ性加害問題を糾す(下)
個人の問題でなく日本全体の人権問題
石川由子

ジャニー喜多川氏の性加害は今ようやく糾弾され始め、たくさんの企業がジャニーズタレントを使った広告から撤退し始めている。これまで民事としてではあるが最高裁でジャニー喜多川氏の性加害が認定されたにもかかわらず、報道もされず、国も警察も行政も全く動かなかった。男性の性被害について軽視していたり、芸能界という特別な世界だから無視してもよいという考えが、被害の深刻さを見抜く障壁になってしまったのである。
芸能人といえども人権は守られなくてはならず、一人の人間であることは尊重されなければならない。日本は人権侵害がシステムとして組み込まれ、社会の意識をむしばんでいる。この度、ちょうど国連の「ビジネスと人権」作業部会が来日し、日本の労働現場における人権軽視の状況を7月末から8月まで12日間実地調査し、8月4日にその結果の会見がひらかれた。「日本のシステムとしての人権侵害」が浮き彫りになる内容だったので紹介する。

国連「ビジネスと人権」の重要性

国連は2011年、人権理事会で「ビジネスと人権に関する指導原則」を発表した。企業に人権を尊重する「責任」があることを明示した。
日本政府は「ビジネスと人権」について2020年に行動計画を発表し、2022年にはそのガイドラインを作成している。国連作業部会はその後の達成状況を調査し、来年6月に最終報告をする予定である。
ジャニーズ問題について、国際的に展開している企業ほど敏感であるが、それはこうした世界的な流れとして海外の企業が人権問題に敏感だからである。

裁判官に人権教育を

8月4日の国連作業部会来日会見では、まず冒頭「過労死を発生させる企業文化がいまだに残っている」とくぎを刺した。次いで外国人労働者の状況があまりにもひどいことが強調された。そのうえで裁判へのアクセスの悪さが指摘された。高額で時間がかかるので、弱者がなかなか裁判をおこせない。また、たとえ裁判に勝ったとしても賠償金がきちんと支払われていないという現実がある。「何より裁判官の人権意識が低い。裁判官への人権教育が必要である」と述べ、実態をしっかりつかんだ内容だった。この会見はユーチューブで見ることができる。

人権侵害の個別課題

まず日本においては女性に対する差別が強いことが挙げられた。賃金の低さ、非正規雇用労働者の多さが批判された。LGBT、障害者、アイヌ、部落差別、労働組合への弾圧などが指摘されたのち、福島第一原発での下請け労働者、技能実習生問題が具体的に述べられた。
その中でジャニーズの問題も具体的企業名を挙げて糾弾した。

人権擁護統括機関の必要性

日本においては人権を侵害されてもそれを申告する統括機関がない。刑法に触れていなければ警察はそもそも扱わないし、裁判はハードルが高い。「人権侵害を受けたら、まず相談できる統括機関が早急に必要とされている」と批判がなされた。確かにこのような公的機関があれば被害申告しやすい。実効的な被害者救済の確保は国の責任である。

何が問われているか

国連「ビジネスと人権」作業部会の記者会見はある種衝撃だったといってよい。国連がここまで踏み込むとは。私たちには、多くの差別に立ち向かい、傍観者になることなく、あるべき姿を奪いかえしていくことが求められている。(おわり)

5面

強制不妊 10月25日仙台高裁判決(上)
国の控訴を棄却し、一審に続き国賠命令
89年最高裁判例を批判、「除斥期間」適用は「権利の乱用」と断じ、請求権に「時効」適用の画期的判断
木々繁

旧優生保護法(以下旧法、1948〜96年)下で不妊手術を強いられたのは憲法違反として、仙台市の千葉広和さん(75)と宮城県内のDさん(80代男性)が損害賠償を求めた仙台訴訟(*)の控訴審判決で、仙台高裁(小林久起裁判長)は10月25日、「旧法は違憲」と判断し、国に計3300万円の賠償を命じた1審仙台地裁判決(本年3月)を支持し、国側の控訴を棄却した。1審・控訴審とも原告が勝訴したのは初めて。国賠命令は高裁では5件目、地裁を含めると8件目。
小林裁判長は国賠命令を下した理由に関連して「原告らの損害」の項で次のように述べた。「原告らは生涯にわたり、子を産み育てる喜びを奪われ、不当な差別の下に生きてこなければならなかった精神的苦痛を受けた」。

(*)

仙台訴訟第1次提訴:原告は知的障がいを持つ佐藤由美さん(仮名。60代女性。全国で初めて提訴―18年1月。義姉・路子さん〔仮名〕が支えてきた)、飯塚淳子さん(仮名。70代女性。被害者で初めて声を上げ、18年5月提訴)。
第2次提訴(18年12月):知的障がいを持つ千葉広和さん(75)、Dさん(知的障がいを持つ80代男性)、Cさん(知的障がいを持つ60代女性。2020年死去、訴訟取り下げ)
第3次提訴(22年9月、1都2県3地裁における全国一斉提訴の一翼):千葉利二さん(72、統合失調症と知的障がい)、長崎あすかさん(仮名。知的障がいを持つ60代女性)、長谷川繁さん(仮名。視覚障がい・知的障がいを持つ70代男性)。

「やっとここまでたどり着いた」
「首相が被害者に面談・謝罪すべき時だ」

仙台訴訟をたたかう飯塚さん、佐藤路子さん(仮名。全国で最初に提訴した由美さんの義姉)はじめ多くの原告・支援者の歓声と拍手の中、お二人から喜びの声
千葉広和さん(75)「やっとここまでたどりついたという気持ちです。勝訴を心からうれしく思っています。国が上告しないで、真の解決を手にしたいと思っています」。これまで「東二郎」の仮名で活動してきたが、この日初めて実名を明かした。その理由を、「もっと多くの仲間に声を上げてほしいから」と語った。
Dさん「心からうれしいです。待っていた甲斐があったと思っています」。

新里宏二弁護団長(*兼全国弁護団共同代表)―判決後の記者会見。
「国の責任を明確に認める画期的な判断で、感無量です。除斥期間が適用されようが、時効が適用されようが、国がひどい被害を与え、それを放置して差別観念を醸成したことを踏まえて、損害賠償を求める権利の消滅を国が主張すること自体が権利の乱用だと明確に述べていただいた。これまでで一番はっきり国の責任を認めた判決で、首相が被害者に面談し謝罪する時期を迎えている。(除斥)期間の縛りで提訴できなかった被害者が声を上げられるようになる。救済拡大の流れが広がるとともに、被害者が生きている間に何としても解決したい。国は上告をやめ、現在訴えを起こしているすべての被害者の救済に乗り出すべきだ」。

国は原告の人生被害に正面から向き合い謝罪を

二人はいずれも10代で不妊手術を強制され、手術痕が残っている。県への情報開示請求で千葉さんの手術記録が確認され、Dさんは、県知事から手術の委託を受けた医師の受託報告書が見つかった。

軽度の知的障がいがある千葉さんは1966年、宮城県内の入所型職業訓練施設「船形学園」に入所、翌67年、18歳の時、不妊手術を強制された。手術の説明は何もなく、病院の看護師からは「脱腸の手術」と虚偽の説明をされた。千葉さんは、第2回口頭弁論(19年4月)後の記者会見に同時期に提訴したDさん、Cさん(*上記の第2次提訴の項参照)とともに出席、顔をその場で公表した。その理由について、診療所で一緒に手術された入所仲間の男性2人を思いながら、「2人は今どうしているのか。(私の顔を見て)名乗り出てほしい」と語った。そして、20代後半で退所した後は2人の所在も分からなくなったと述べ、「当時は(被害のことは)誰にも分かってもらえないという諦めや、声を上げるともっとひどい目に遭うのではという恐怖に縛られていた」と当時の心境を振り返った。

Dさんは、当時仙台市内にあった知的障害児施設「亀亭園」に入所していた52年、15歳のとき職員に市内の診療所に連れて行かれ、不妊手術を強制された。手術の説明は一切なかった。提訴後の記者会見で「手術のせいで結婚もできずに一人で死んでいく。国に謝ってほしい」と涙を流し訴えた。千葉さんも「障害者を差別する法律をつくって多くの人の心と身体を傷つけたことに対して国は責任をとってほしい。裁判では、人権侵害への怒りと悲しみを訴えたい」と語った。

小林裁判長は、旧法について「特定の疾患を理由に優生手術を強制するのは個人の尊厳の尊重という憲法の基本理念に反する」と述べ、1審判決と同じく、幸福追求権を定めた憲法第13条や法の下の平等を保証した第14条に違反し、子を産み育てる機会を強制的かつ不可逆的に失わせ、第24条にも違反すると判断した。違憲判決は高裁ではこれで計6件、地裁の8件を合算すると計14件に積み上った。また、国会の立法行為について、「少なくとも過失によって違法に原告らに損害を加えた」と批判した。

さらに、旧民法における「除斥期間」について次のように述べた。
まず、「国は長期間、優生思想の普及や優生手術の拡大を目的とした政策を継続し、障がい者への差別や偏見を正当化・固定化してきた」と指摘、「被害者が損害賠償請求権を行使することは客観的に見ても不可能または著しく困難だった」と認定した。

次に、国が改正(2020年)前の旧民法724条後段の規定を根拠に賠償請求権が自動的に消滅する20年の「除斥期間」が過ぎていると主張していることについて、以下のように述べた。
同規定は除斥期間ではなく「時効」に当たると解する、憲法違反の人権侵害の政策を推進した加害者たる国が除斥を理由に被害者である原告の賠償請求権が消滅したと主張することは正義・公平の観点から「権利の乱用」として許されず、時効によって権利が消滅することはないと指摘した。

民衆的利害と大義貫き最高裁判例を正面から否定、「時の壁」を崩した・・・

最高裁は1989年、旧民法が定めた賠償請求権の期間制限を「除斥期間」とする判断をおこなった。
旧民法の724条について、不法行為から20年間で損害賠償請求権が消滅する「除斥期間」の規定とした。原則として進行の中断や停止は認められない、被害者らが不法行為や損害を認識していなくても進行するとした。しかし、これをそのまま適用するのでは被害者の救済範囲をあまりに狭めてしまうとの法曹界の反省から2020年4月施行の改正民法では、724条は「消滅時効」と明記され、時効期間の進行が止まることもあるとされ、20年後も権利を行使できるとされた。(つづく)

6面

長期・読み切り連載
 大庭伸介
先人たちの闘いの成功と失敗を学び現在に生かそう

「革命の子」をめぐる労資の対決
戦後労働運動の分水嶺・三池争議?C

階級平和を最優先に新内閣が登場
総評・炭労がホッパー決戦を回避

武装した2万人の労働者と1万2千人の警官隊が向き合ったとき、「流血の大惨事を避けよ」「このままでは最低10人の死者が出る」と、マスメディアの大合唱が始まった。
ちょうどそのとき、安保改定を強行した岸内閣が世論の総スカンを食らって退陣した。替って7月19日に登場した池田内閣は、階級対立の鎮静化を第一に据えて、三池争議の収拾に乗り出した。労使双方に中労委の職権による斡旋案を受け入れるように勧告したのである。中労委の会長は3月から、中山伊知郎に替って労務管理が専門の藤林敬三が就任していた。
中労委斡旋案は「三池の職場闘争は、正常な組合活動の枠を逸脱した」という、完全に会社側に立つものであった。具体的には「指名解雇者全員が本人の希望で退職する」という屈辱的内容である。この斡旋案には、ホッパー周辺のピケを解除するという条件が付いていた。
総評は早々と「炭労が決める方針を支持する」と表明し、炭労は中労委斡旋案に「白紙委任」することを決めた。これを受けて、警官隊は20日の未明、引き揚げを開始した。支援の労働者たちも、相次いで大牟田から去っていった。
池田内閣が大前提とする「階級平和」を逆手にとって、ホッパーを盾に徹底して闘う姿勢を崩さなければ、状況を有利に転換させる可能性は十分にあったはずである。それを避けたのは、総評・炭労がすでに戦意を喪失していたからである。
彼らはもともとホッパー決戦を、争議の幕引きのための道具としてしか位置づけていなかった。
緊急に開かれた炭労大会は、受諾やむなしとする執行部提案に、代議員から猛烈な反対意見が相次ぎ、休会をはさんで20日間も討論した末、最後に受諾することを決定した。
当の三池労組は9月8日、総評・炭労の受諾決定をうけて中央委員会を開き、16時間にわたって激論を重ねた。そして傍聴席を埋め尽くした組合員や主婦会が見守るなかで、ついに受諾することを決定した。
こうして三池争議はロックアウト・ストライキ突入から282日目に幕を降ろした。就労が開始されたのは、ストライキ突入から313日目の1960年12月1日であった。そのとき、第2組合はまだ半数を占めていなかった。
しかし保安要員は大幅に削減され、経済効率を重視する経営方針が浸透していた。61年8月に第2組合が過半数を制した。そして63年11月9日、三川鉱で炭じん爆発による大惨事が発生した。死者458人、さらに一酸化炭素中毒による「高次脳機能障害」者839人が、聞くに耐えないような重症に生涯苦しむことになった。事故から70年を経た今なお、数十人の労働者が病床に伏している。会社(現・三井コークス工業)は一貫して謝罪を拒んでいる。
かつてのように日常の職場闘争で炭じん点検を十分におこなっていれば、避けられた大事故であった。

「前段階的解放区」築いた労働者
闘いの方針を自ら創りだす力こそ

三池争議をどう総括すべきか。
第一に、三池の労働者たちが職場闘争・職場争議で築いた労働者的職場秩序は、日本労働運動の金字塔である。
争議当時、総評長期政策委員会事務局長であった清水慎三は、三川支部の支部長らと争議以前から交流を重ね共鳴し合っていた。彼は1958年に総評が発表した「組織綱領草案」のなかで、職場闘争を「階級解放への主体的下部構造」と位置づけていた。
1950年代初め、尼崎製鋼の職場闘争で生産過程を労働者が掌握したときのリーダー鈴木栄一は、後に、それを「前段階的解放区」と名付けた。職場を完全に労働者がコントロールしつつも、生産物を自分たちが自由にできず、闘いの意義を明確に認識していなかった点で、「前段階的解放区」ともいうべき地平を切り開いたと総括したのである。
そして、全国各地の拠点経営でこうした闘いを組織し、それが政治や経済の土台を揺るがしつつ結合したとき、労働者階級自己解放の状況が生まれると、とらえていた。
しかし先に述べたように、総評・炭労や三池労組指導部は、三池争議の本質を正しく認識できていなかった。当然、それを普遍化する視点を欠落したままに、争議を局地戦におしとどめて、敗北するに至ったのである。
第二に、三池の職場労働者は指導部を実践的にのりこえて職場闘争・職場争議をおしすすめ、自主的に武装して国家権力と対峙した。しかし最終局面で、百%敗北を意味する中労委斡旋案に屈した上部団体の決定に従ってしまったのである。
孤立した困難な状況のもとで苦闘した労働者にたいして、酷な言い方になるが、合法主義にもとづく屈服路線をひっくり返すだけの力と論理を、自らの内部に持ち合わせていなかったのである。
三池の労働者といえども、戦後日本の労働運動の宿弊ともいうべき機関決定至上主義から自由でなかったことを示している。
労働運動に限らず社会運動は、現場で働き生きている下部大衆が、大衆討議を経て、自らの闘いの方針を創りだすことが求められる。
第三に、総評は三池争議の敗北で、民間大経営の戦闘拠点をすべて失い、職場闘争は死語と化した。職場活動家は挫折感に陥り、労働運動総体がこれを境に下降線をたどっていった。三池争議はまさに戦後労働運動の分水嶺というべきである。
三池争議をそれぞれの立場で支えた労働者たちや、60年安保闘争で国家権力の暴力に抗った学生たちは、労働者詩人・荒木栄作の作詞作曲の歌を、後々まで歌い資本家階級打倒を胸に秘めて生きた。最初の一小節だけ紹介しよう。

がんばろう! つきあげる空に
くろがねの男のこぶしがある
燃え上がる女のこぶしがある
闘いはこれから 闘いは今から

(おわり)

「参考文献」

◇平井陽一『三池争議・戦後労働運動の分水嶺』ミネルヴァ書房
◇三池を闘った私たちの記録刊行委員会編
『あのとき私は』労働教育センター

読者のみなさんへ

1年間拙稿にお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
いま世界のいたるところで、ストライキや数万数十万のデモが繰り広げられています。共産主義を僭称するスターリン主義党の圧政下にある中国でも、農民工をはじめとするストライキが相次いでいます。
資本主義の最後の切り札ともいうべき新自由主義が破綻し、一握りの強欲なブルジョアジーと労働者・被抑圧民族との対立が抜き差しならないところに達しているからです。
しかし日本では、支配階級を脅かすようなストライキやデモはどこにも見当たりません。なぜでしょうか。私はその要因の一つが〈継承性の欠落〉にあると思います。
日本の社会運動は、先人たちの血と汗にまみれた闘いの内実と教訓を、キチンと引き継ぐ努力を怠ってきたのではないでしょうか。この長期シリーズは、そのような視点から戦前・戦後の労働運動の一端を深掘りしようと試みたものです。
支配階級はつねに、教育やメディアをつうじて、支配階級による「改革」の歴史を労働者人民大衆のアタマに刷り込むことに力を注ぎ、人民による「革命」の歴史から目をそらそうとしています。闘いの真実の姿を、わたしたち自身の手で甦らせ、自分たちのものに血肉化していくことは、必ずや自信と勇気を与えてくれるでしょう。
長期シリーズの終了に当たって、読者のみなさんの忌憚のない疑問や批判をお寄せいただくことを、強く期待します。
「プロレタリアートの運動は、圧倒的多数者の利益のための、圧倒的多数者による、自立的な運動である」(『共産党宣言』)という名言を改めてかみしめましょう。
最後に拙稿が触れなかった重要なテーマを検討するために、下記の書を挙げておきます。
◇運動史研究会編『運動史研究』1〜17号、三一書房
◇陶山健一『反戦派労働運動』亜紀書房

本紙編集委員会から

大庭伸介さんの「長期・読み切り連載 先人たちの闘いの成功と失敗を学び現在に生かそう」は今号でひとまず終了です。長期連載、本当にありがとうございました。その上でパンフレット化を計画しています。忌憚のないご意見をぜひお寄せください。

7面

パレスチナ人民の闘い(上) 津田保夫
中東支配のくさび=シオニズム

アパルトヘイト国家イスラエルを弾劾する22mの大横断幕(11月18日 大阪)

「ユダヤ人問題」とは

ヨーロッパ・キリスト教社会のなかで、歴史的に「ユダヤ人差別」がつくられてきた。東欧でのポグロム、ヒトラー政権によるユダヤ人虐殺などにより、ユダヤ人は居住する土地をおわれた。裕福なユダヤ人はアメリカに移住したが、それ以外のユダヤ人はパレスチナに移っていった。
差別されるユダヤ人たちは、被差別状態をなくすために自分たちの国をつくろうとした。これがシオニズム運動であり、1897年に「第1回シオニスト会議」がスイスで開かれている。ユダヤ人差別は、根底的に解決されなければならない。しかし、そのように解決されなかった。

国連による「パレスチナ分割決議」

第2次世界大戦が終了し、米・ソを中心に戦後体制がつくられていく。戦争を繰り返さないために、あらたに国際連合がつくられた(1945年)。しかし、その国際連合が新たな戦争の火種を作りだした。これが「パレスチナ問題」であり、今日の「ガザ問題」なのだ。
1947年11月29日、国連総会で「パレスチナ分割決議」(第181号)が賛成多数で可決された。この決議は、次のような内容であった。「1、パレスチナの委任統治は、できる限り速やかに、遅くとも1948年8月1日までに終了するものとする。3、…独立したアラブ国家とユダヤ国家、およびエルサレム市特別国際管理地区が…パレスチナに出現するものとする。」
決議は賛成33、反対13、棄権10の多数決で可決した。アメリカとソ連、東西ヨーロッパ諸国は決議に賛成した(イギリスは棄権)。反対したのは、アラブ諸国、インド、パキスタンなどだ。
アメリカのトルーマン大統領は「共産主義封じ込め政策」を宣言(1947年3月)しており、あらたな資本主義体制を構築していこうとしていた。このなかで、アメリカは中東石油を独占し、一極支配をするために、イスラエルという国を人為的につくろうとした。だから、イスラエルは中東支配のためにうち込んだくさび≠ネのだ。アメリカに住むユダヤ人はこれに賛成し、膨大な資金を提供した。
ソ連ははじめからシオニズムに賛成した。スターリンは、ソ連国内からユダヤ人を追い出したかった。ソ連にとって、イスラエル建国は好都合だった。このことによって、ソ連は中東に影響力を保持しようとした。
ヨーロッパ諸国は、歴史的に形成されたユダヤ人差別を隠蔽するために、ユダヤ人をヨーロッパからパレスチナに追放することによって、ユダヤ人問題の「解決」をはかった。しかし、これはユダヤ人差別を克服したことにはならない。ヨーロッパは「パレスチナ3分割」に加担している。
だから、この国連決議はユダヤ人に有利につくられていた。ユダヤ人の土地は7%から57%に拡大された。「ユダヤ人の国」とされた地域でも、非ユダヤ人(大部分はアラブ人)のほうが多く住んでいた。
シオニストは決議を受け入れ、アラブは拒否した。このような決定が帝国主義者たちの思惑によって勝手に決められた。パレスチナ住民にはなにも知らされていなかった。先住民としてのアラブ人の生活は無視されたのだ。

「デイル・ヤシーンの虐殺」事件

1948年4月9〜10日にかけて、シオニストによって「デイル・ヤシーンの虐殺」が引き起こされた。ユダヤ人の部隊が、エルサレム近郊にあるアラブ人の村デイル・ヤシーンを襲撃し、約100人の住民を殺害した。司令官のベギンは「アラブ側の軍事拠点があった」と弁明したが、その目的はアラブ住民を恐怖におとしいれ、住民を村から追放するためだった。このようにして、アラブ人はパレスチナから周辺諸国に難民としておいやられた。その数は10万人に及んだ。
アラブ人民の追放と犠牲のなかで、1948年5月14日、イスラエルが建国された。5月15日、周辺アラブ5カ国(エジプト、シリア、トランスヨルダン、イラク、レバノン)は「アラブの大義」を掲げてイスラエルに攻撃をおこない、第1次中東戦争がはじまる。パレスチナ人民は5月15日を「ナクバ(大災厄)の日」と決めて、自己解放闘争の原点にすえている。(つづく)

「新しい戦前」にしない
反原発集会で金平茂紀さん訴え
11月12日 いたみホール

500人近くの市民に訴える金平さん(11月23日 )

11月12日、伊丹市内でおこなわれた「第12回さようなら原発1000人集会」は、ジャーナリスト金平茂紀さんの講演、カテリーナさんの演奏などに470人が集まった。集会には当日券で100人以上が参加。アンケートも100通近く集まる盛り上がり。
金平さんは「新しい戦前にさせない」を、あらゆる市民運動も共有したいと冒頭発言。続いて現在のイスラエルによるガザ攻撃はジェノサイドで、日本人ジャーナリストもガザに入れば殺される。国連職員・西欧ジャーナリストも多数死んでおり、わずかな電源で真実が送られてくる。何としてもこの虐殺を止めようと訴えた。 
2022年の安倍銃撃死と、ウクライナ戦争開始から時代が変わった。この中で原発問題でも、政界・財界(東電・関電など)・官(経産省)・学(研究者)・マスコミの5角形がさらに強まり、特に最近は最高裁が天下り先を求めて反動的な判決を出すなど、空恐ろしい時代に。そんななか、緑の伐採と原発に反対した友人の坂本龍一の批判の鋭さを改めて想起する、としてラジオの対談を流した。同世代の忌野清志郎も原発反対で、いま坂本龍一の訴えが生きている。昨年ウクライナに入ったときキーウで、プーチンの顔を刷り込んだトイレットペーパーが売られており、土産に買って配った。長くロシアと闘っているウクライナ人のような「したたかでしなやかな闘い」をぜひ受け継いでいきたい、と結んだ。
集会の最初はチェルノブイリの北2・5キロに生まれ、日本に移り住んだカテリーナさんのバンドゥーラの演奏と澄み切った歌声。迫害と闘う民族をたたえる「ウクライナ」と、日本語の「故郷」に多くの拍手が送られた。避難者を支える津久井進弁護士は、原発関係の裁判を詳しい資料で紹介しながら、最高裁の極反動化を弾劾するとともに、来年3月に神戸地裁での避難者の裁判に勝利しようと訴えた。
最後に3つの市民グループから、上関中間貯蔵施設問題、汚染水の海洋投棄反対、原発依存社会への暴走許さない 12・3一万人集会への結集などが訴えられた。
集会には国会議員、県会議員、宝塚・川西・伊丹・尼崎の市会議員、能勢町議、元職ら10数人が参加し、多くの団体・市民が賛同して地域住民と一体で原発推進の政治を変えていく動きが広がった。

神戸で鈴木エイトさん講演会
統一教会を許さない
10月29日

10月29日神戸市内で鈴木エイトさん講演会が開かれ、会場一杯の270人が参加した(写真上)
鈴木さんは2002年頃に統一教会の「偽装勧誘」を知り、勧誘を阻止する活動を単身開始。偽装勧誘の現場に割って入ったり、教団施設に乗り込むなどの活動を続け、信者の心情や被害者を生む構造に関心を抱き、本格的にカルト問題に取り組むに至ったと語った。全国霊感商法対策弁護士連絡会の会合に参加し、2009年から本格的に取材活動を始めた。『やや日刊カルト新聞』に参加し、副代表や主筆を歴任。信者から尾行・暴行を受けたり、顔写真入りのチラシを配られた。
山上徹也からは安倍銃撃の9日前にメッセージが届いた。その時は誰か知らず本名を知るのは7月8日。以前から私のネット記事を見ていたようで、彼を救えなかった責任を感じる。事件後、担当弁護士や叔父などから話を聞いた。彼のような悲しい存在を再び生まないために、この事件の真相を追求する使命が私にはある、と結んだ。
主催の神戸の市民団体は、統一教会と神戸市議会の癒着をやめさせる署名を集めている。

8面

虐殺やめろ!即時停戦
各地でイスラエル・米帝に抗議行動

大横断幕かかげデモに出発(11月18日)
(難波マルイ北西での街頭宣伝(11月18日)
停戦継続求め米領事館前で行動(大阪・11月29日)

イスラエルによるパレスチナ人民・ガザ市民の虐殺に対して、全国各地・全世界で抗議の行動が広がっている。
大阪では10月28日の行動に続き、11月18日、2回目の行動が大阪ミナミでおこなわれた。集会は15時、新町北公園で。10月と違い労組系の参加は少なかったものの、各地から市民が続々結集し500人。主催の市民団体30を代表してBDS関西の役重善洋さんが、22メートル大横断幕を背にイスラエルによるガザ人民虐殺・ジェノサイドを激しく弾劾した。大石あきこ衆議院議員のあいさつと音楽演奏の後、3つのグループに別れ難波までデモ行進。御堂筋では道一杯に広がり、心斎橋・難波という大阪一の繁華街で市民にアピールした。途中パレスチナ人・家族10数人が合流。また御堂筋では若者グループがデモに入り、15分ほど一緒に行進。
次いで17時からは難波マルイ北で、大石あきこさんと西尾慧吾さんの司会で1時間の街頭アピール・スタンディング。ここにも500人が集まり、次々とイスラエルの蛮行を批判するとともに、「平和的生存権」を訴えた。
次は12月16日15時半、扇町公園南西角に集まり梅田までデモの第3回目の行動だ。
また兵庫では市民デモHYOGOが毎週木曜日マルイ前で、労組系団体が毎週火曜日元町で行動。京都では毎週土曜日に行動が。
各地の行動とも、イスラエルと米帝・バイデンへの批判を強め、虐殺弾劾・即時停戦の声を強めている。

パレスチナの人々の解放を
清末愛砂さん 11・2大阪学習講演会

11月2日大阪市内で、おおさか総がかり学習講演会があり、「今、『新たな戦前』に抗う〜日本国憲法の平和的生存権の実践〜」と題して、清末愛砂さん(室蘭工業大学大学院教授)が講演をした。ガザの問題に絞って要旨を紹介する。

私は、北海道パレスチナ医療奉仕団としてガザに23年間、毎年行き、絵を教えている。
今回爆撃されたジャバリヤ難民キャンプは、まさに昨年8月に絵の教室をやった所。
皆さんに理解していただきたいのは、ガザは封鎖されているということ。軍事封鎖を受けていて、6つのゲートを開けることができるのはイスラエル次第。16年間檻の中に囲まれ出られない。そこに対して今イスラエルがすさまじい空爆をしている。
昨年ガザ市の海辺で海水浴をしていたが、封鎖のせいで海は汚い。ガザにかつて2つ発電所があったが、1つは爆撃で壊された。修理の材料をイスラエルが入れさせない。信じられないくらい物の搬送も制限されていた。燃料もなかなか入らない中で、下水処理をする電気がないので生活排水を海に垂れ流す。汚水がため池のようになり、海も土壌もすごく汚染されている。海で泳ぐことは子どもにとって危険。だから感染症が多い。
イスラエルのガザへのミサイル爆撃は、大規模なものは今回で5回目だが、小中規模の爆撃は毎週のようにある。私の泊まっている宿舎の近くにミサイルが着弾したこともある。
なぜ2007年以降完全封鎖したのか。2006年にパレスチナ評議会選挙でハマスが勝利した。これがパレスチナ人の民意なのだ。それを否定して、国際社会がすごい圧力をかけてファタハに肩入れをし、イスラエルはハマスの拠点になったガザを完全封鎖した。物が入らない。隣のエジプトから地下にトンネルを掘って物を入れなければならないという異常事態になった。封鎖は、ジュネーブ条約の集団懲罰にあたり、国際法違反。存在し得ない野外監獄だ。それに挑戦・抵抗し小さな風穴を開けようとガザに行っている。憲法前文で掲げる「全世界の人々の平和的生存権」に基づき、パレスチナの人々が「恐怖や欠乏」から解放された生活ができるようにするためだ。ガザの70%以上が1948年イスラエル建国によって土地を奪われた難民。
イスラエルは、第3次中東戦争以降、東エルサレム、ヨルダン川西岸、ガザを占領。強圧的な支配をおこない、パレスチナ人の自己決定権を否定し、自由と尊厳を侵害し抑圧している。ガザでは6〜7割の若者が失業し、将来の希望がない。自殺も増えている。住民に対する窒息政策だ。東エルサレムは、ユダヤ人の人口の優位化をはかるために、違法にパレスチナ人の土地を奪って入植地を広げるユダヤ化政策。ヨルダン川西岸地区は、入植地、検問所、道路ブロック、隔離壁を造ることによって細分化。「小島」の中にパレスチナ人は住み、隣のコミュニティに行くには検問所を通らないといけない。このようなアパルトヘイトの暴力支配に対して10・7がおこった。
国際社会は、占領に加担する施策もしてきた。93年オスロ合意は完璧にイスラエルの植民地支配を可能にするとんでもない内容だ。そして私たちの無関心あるいは私たちとパレスチナ人との間に命の格差があるとしてきたことが、これだけの爆撃を可能にした。ずっとガザの人たちを非人間化するようなことが続いてきた。イスラエルの国防大臣がパレスチナ人を「ヒト型動物」と言った。これはジェノサイドにつながっていく。10・7を利用した大規模な報復攻撃がめざすものは何なのか考えないと大変なことになるだろう。

冬期カンパのお願い
革命的共産主義者同盟再建協議会

われわれは23年に、ウクライナ反戦、沖縄闘争、反原発闘争を軸に闘い抜いてきた。コロナパンデミックと取り組み、岸田の暴走政治と闘い、闘争方針を確立し、ウクライナ反戦闘争論や沖縄闘争論、反原発・反核闘争論の路線的深化に取り組み、11・23−12・3を山場に闘い抜いた。
さらに、地区党建設を軸とした運動の展開と統一戦線戦術の重要性を確認し、その具体的推進に着手してきた。
ひるがえってミャンマー国民民主革命は国軍との非和解の解放闘争へ闘いぬいている。ウクライナ人民はロシアによる侵略戦争に対決して黒海艦隊をも押しやって対峙している。パレスチナ人民はイスラエルと米帝・バイデンによるパレスチナ・ガザの大虐殺と不屈に闘い抜いている。この民族解放・帝国主義打倒の闘いは全世界の人民を鼓舞している。
ミャンマー・ウクライナ・パレスチナにおいて日本帝国主義の反動的役割は明白だ。世界の軍拡・戦争への動きが強まるなかで、岸田政権の暴走は看過できない。軍事費増・大軍拡と戦争国家化の強行、その環としての琉球弧=南西諸島の軍事要塞化と原発回帰(老朽原発再稼働、使用済み核燃料中間貯蔵施設建設、福島原発汚染水海洋投棄)へ突っ走っている。また、物価高騰を加味した実質賃金は18カ月連続マイナスだ。政府・日銀の無策は度し難い。インボイス制度開始=消費税増税・軍拡増税への怒りの声は充満している。
人民の未来を開くには新たな潮流が必要だ。その核に社会主義運動が座らなくてはならない。革命的共産主義運動の再建を掲げてきたわれわれには、今一つの飛躍が必要だ。革命党、革命諸党とともに全世界における新たな革命情勢を開くべきではないか。ウクライナ反戦もミャンマー人民支援連帯もパレスチナ連帯も反原発も沖縄闘争も巨大な帝国主義権力・国際帝国主義勢力との激突は不可避だ。
年末・来春に向けて闘う闘争資金が圧倒的に必要です。 冬期カンパへのご協力を訴えます。

>冬期カンパにご協力をお願いします

郵便振替
  口座番号 00970―9―151298
加入者名 前進社関西支社
郵 送
  〒532―0002
大阪市淀川区東三国 6―23―16
前進社関西支社