1〜2面
ガザ無差別攻撃をやめよ
米領事館に抗議申し入れ
10月19日大阪
使用済み核燃料の行き場はないぞ500人がデモ(10月22日 大阪市) |
ガザ侵攻許すなと200人が抗議(10月19日 大阪・米領事館前市) |
イスラエルは無差別爆撃をやめよ
10月19日、「ガザ無差別攻撃中止要請、米領事館申し入れ行動」がおこなわれ、200人の人々が集まった。呼びかけは、BDS(ボイコット・資本引き上げ・制裁)関西など約20団体。
10月7日に始まったハマスによる対イスラエル奇襲攻撃に対し、イスラエルは報復と称して、無差別爆撃を開始した。17日にはガザ市内のアハリー・アラブ病院が空爆され、数百人の患者、医療関係者、避難民が殺傷された。イスラエルは、ガザを包囲し、兵糧攻めもおこなっている。
さらに、イスラエルは、大量の部隊を集結させ、地上侵攻の構えを見せている。
米がイスラエルを全面支援
米バイデン政権は、イスラエルの軍事行動を全面的に擁護・支援している。
領事館前での抗議行動のさなか、代表が申入れ書を手渡そうとするも、米領事館側は扉を開けず、誰ひとり出てこないという開き直った対応。
ガザを直接攻撃しているのはイスラエル軍であるが、その兵器の多くは米国が供給したものであり、歴史的にくりかえされてきたイスラエルによる虐殺行為に積極的な政治的支持を与え、国連理事会における「イスラエル非難決議」を妨害してきたのも米国である。
75年間にわたる民族浄化・アパルトヘイト
イスラエル「建国」以来、パレスチナに対して75年間にわたる民族浄化・アパルトヘイトを強行してきたこと、それを米国が一貫して強力にバックアップしてきたこと、このことにほうかむりして、ハマス非難を叫ぶことは欺瞞である。イスラエルはガザ攻撃をやめよ。米国はイスラエルを支援するな。
パレスチナ人民の挙族的決起に連帯を
抑圧と分断の世紀を断とう
パレスチナ人民の歴史的蜂起が始まった。10月7日早朝、ガザから2300発のロケット弾がイスラエルの占領地に向けて発射された。それと同時に高さ10メートルに及ぶ分離壁を爆破し、トラックに乗り、または徒歩で千人を超えるパレスチナ戦士が進攻した。壁を重機で押し倒したり、「鷹飛行隊」と名づけたパラグライダーでイスラエル側に降下した部隊もいる。抑圧と分断を打ち破る歴史的戦いが始まった。
勝利性と全民族性
イスラエルの軍事的抑圧体制は打ち破られた。百%近くの迎撃率を誇っていたアイアンドームは、数千発の飽和攻撃に耐えられず、多くを撃ち漏らした。世界最強と誇ったイスラエルの主力戦車「メルカバ」は、車体上部の装甲が薄い部分をドローンに攻撃され、無残に破壊された。モサドなど最精鋭のイスラエルの諜報機関は、数年間をかけて準備を凝らしたパレスチナ人民の大規模攻勢を察知できなかった。攻撃・防御・情報の3面すべてでイスラエルの軍事態勢は打ち破られた。
パレスチナ人民が「アルアクサ洪水作戦」と呼ぶこの戦闘にはパレスチナの全民衆が決起した。地域・政治党派・宗教的信条・年齢・性別を超えて文字通り全民族こぞっての決起であった。政治・軍事組織をとっても、ハマス(イスラム抵抗運動)の軍事組織、アル・カッサム旅団、ファタハ(パレスチナ民族解放運動)の軍事組織、アルアクサー旅団、PFLP(パレスチナ解放民族戦線)の軍事組織、アブ・アリ・ムスタッファ旅団、パレスチナ・イスラミック・ジハード(イスラム聖戦)の軍事組織、アル・クドゥス旅団などが一丸となって敢行している。
日本のメディアは悪質にも、ハマスだけの作戦であるかのように描いて、「テロ集団」として孤立させようとしているが、パレスチナ人民はそれを拒否している。なによりも、衝突と対立を繰り返していたハマスとファタハが共闘している。国際的には、イランとイラクのシーア派政権が今回の蜂起を支持している。さらに、レバノンのヒズボラとイエメンのフーシという中東最大・最強の民兵組織をもつ集団がシーアとスンニという宗派を超えて支持している。
ユダヤ教の休日に音楽祭をやっていたキブツ(農業共同体)を襲撃されたとわめくメディアはなんと無知か。イスラエルのキブツは社会主義的共同体などではない。パレスチナ人民から取り上げた土地を武力で囲い込み、今ではその労働力の多くをタイやネパールの外国人労働力に依存している。イスラエルの超軍事・治安体制と排外主義に基づく搾取・収奪機構の頂点に立つのがキブツである。パレスチナ人民が怒りの刃を向けることは当然ではないか。
アメリカ政府からロシア・プーチン、日本政府と日本共産党は、喧嘩両成敗的な立場から民間人を攻撃すること、「人質」にすることはやめろと、「ハマス」を非難する。イスラエル政府は、徒手空拳で抗議しただけのパレスチナ人、それも多くは 青少年6千人を拘束し続けている。これは「国家的人質作戦」ではないのか。これに抗議せずに、ハマスを断罪することなど許されるものではない。
ガザの運命を全世界は共有する
ガザはパレスチナの南西の端、エジプトとの国境で地中海に面した細長い地域で、面積は360〜370キロ平米、東京23区(面積622キロ平米)の6割、京都市の面積の44%しかない。人口は220万人、世界1人口密度が高い地域とされる。もともとの人口は50万人程度で、164万人は、今はイスラエルとなっているパレスチナの別の場所から追い出された難民とその子孫である。この地域で失業率は60%を超え、80%の人が食料・燃料を国連の救済機関に依拠している。イスラエルはこの地域を高さ8〜10メートルの壁で囲んで外部との交通を遮断している。そのうえで情勢が「安定している時」には、通行証を発行してイスラエルとなった地域での日雇い的な就労を許可している。ハマスとイスラム聖戦は、この地域で武装抵抗(「ムカーワマ」)を堅持している。多くの住民はそれに参加できないまでも、暴行を受けようとも現在の場所にとどまる「スムード」という形で抵抗している。イスラエルの支配をそのまま認めるような住民はいない。
1993年のオスロ合意でイスラエルとPLOが和平を結ぶ。それを受けて、2006年のパレスチナ評議会(国会に相当する)選挙でハマスが勝利。イスラエルはその選挙結果を認めず、ハマスを選んだガザの人々を攻撃しはじめる。以降、2006年の6月から11月にかけて、2008年の12月から2009年の1月にかけて、2012年の11月、2014年の7、8月に51日間攻撃し、空爆と地上戦で2200人を殺戮した。
そのイスラエルが10月13日、ガザ地区北部の百万人の住民に24時間以内の退去を要求した。15日にはすでに百万を超える人々が住む家を追われている。避難先の南部でも食料や水が不足し、唯一の発電所もイスラエルの爆撃で破壊され、地区全体が電力不足に陥っている。
テロリスト国家イスラエル
イスラエルはガザへの侵攻に向けて10月10日には予備役を36万人招集した。11日には中道右派野党を率いるガンツ前国防相と「挙国一致政権」をつくることで合意した。パレスチナとの戦争にいっさいをかける体制に突入したのである。
イスラエル国防軍は陸海空の正規軍が16万9500人、予備役が46万5千人、総動員の兵力は計63万4500人。予備役36万人の招集は史上初めての規模である。イスラエルの兵制では男女を問わず全人民に兵役義務があり、兵役義務は17歳〜49歳までに課せられ、徴兵期間は23カ月から34カ月。全人口は630万だから、人口比でも、徴兵期間、徴兵対象の多さの点でいずれも世界一の軍事国家である。
イスラエル軍の特徴はそれにとどまらない。もともと「建国」時に、パレスチナ人・アラブ人、および信託統治の形でパレスチナの地を支配していた英軍に対して戦うイルグンやステルンというテロリスト集団を中核として形成されている。テロによって国家をつくり、テロによって軍隊をつくったのがイスラエルである。イスラエル軍は戦時における文民保護を規定したジュネーブ第4条約に関し、占領下の住民については従わないと宣言している。戦時国際法を公然と破ることを軍として宣言しているのである。「民間人」の虐殺や拉致、拷問をおこなうと自ら謳う世界で唯一の軍隊である。
アラブ諸国をはじめ全世界でパレスチナ・ガザに対する連帯行動が取り組まれている。パレスチナの分断・抑圧の張本人の帝国主義である米・英の足下ではアラブ・ムスリム・パレスチナ人民が決起している。大陸欧州、とくに独仏ではイスラエル・ユダヤ人迫害に対するうしろめたさからパレスチナ連帯を叫ぶことすら禁止する状況だ。その中でアメリカではユダヤ人団体「If Not Now」が、開戦の10月7日に早くも、ネタニヤフ「ファシスト」政府のパレスチナ人抑圧を非難する声明を出した。
問題は「バランス外交」などとほざいて、中東の帝国主義支配に棹さす日本政府・岸田政権である。「女・子どもに手を出すな」と述べて、「どんな口をして言っているのか」と批判されたロシア・プーチンとともに、東西の戦争的危機をつくり出している張本人である。
神戸市三宮で30人が抗議(10月19日) |
パレスチナ解放勢力の苦闘
パレスチナ解放勢力の苦闘と苦難は、2007年5月、ガザにおけるファタハとハマスの内戦に典型的に表れている。前年にパレスチナ自治区(ヨルダン川西岸とガザに限定)における初めての民主的選挙でハマスが圧勝し、ハマス指導者イスマイル・ハニーヤが首相として初めて内閣を組織したばかりであった。ファタハはPLOの議長のヤシル・アラファトの死後(2004年)、世界からの経済援助を着服しているといった腐敗の疑いやイスラエルの存在を認めて「2国家共存」路線をとるなど弱腰で、分離壁の建設や入植地拡大などを止めることができなかった点を批判された。そのため、内戦にはハマスが勝ってファタハはガザから追い出された。
前提として二つの歴史的事実がある。その一つは、1987年から1992年まで5年間にわたるパレスチナ民衆のインティファーダ(民衆蜂起)の闘いである。1967年第3次中東戦争の結果、イスラエルの占領地となった西岸、ガザ、シナイ半島、ゴラン高原などパレスチナ人がいる地域で全民衆が決起し、座り込み、デモ、労働ボイコット、不買運動、商店ストなどを闘った。その中でエジプトにおける反体制的イスラム運動の支部であるハマスは、自主的な福祉活動をする団体として創設された。
もう一つの歴史的事実は、1993年9月の「オスロ合意」である。イスラエルのラビン首相とPLOのアラファト議長の間で、お互いの国家的存在を認め合う「2国家共存」が合意された。
しかしその後、ラビン首相がイスラエル内の和平に反対する右翼に暗殺され、後継の首相となったシャロンやネタニヤフはオスロ合意を無視して、パレスチナ人の隔離、追い出し、入植地の拡大などを進めた。
このような苦難のなかで自己解放の途を切り開きつつあるパレスチナ人民に対して、欧・米・日の帝国主義と中・露両政権はイスラエルを擁護し、パレスチナ人民の闘いを「テロだ」、「暴力だ」「民間人への攻撃は許せない」などと非難する。
歴史的にも、現在的にも、イスラエルの側が圧倒的暴力でパレスチナ人を本来の居住地から排除してきた。イスラエルとの経済的・政治軍事的関係強化を図るすべての思惑は今回のパレスチナ人民の蜂起で破産を突きつけられた。とくにウクライナ侵略を強行し続けているロシアの「和平案」などは、悪い冗談だ。また日本帝国主義・岸田政権は、原油利権と中東支配の一角に食い込もうとしている。ここでも、日・露こそ今日の世界危機、世界戦争の点火者だ。
ガザへの爆撃やめろのメッセージ(10月19日 大阪) |
中東の帝国主義的分割
パレスチナ問題の根源は、第一次世界大戦中・後の帝国主義の分割合戦にある。オスマン帝国は現在のトルコ領を中核として、アラビア半島、北アフリカからバルカン半島の大きな部分を領有していた。敗戦国オスマン・トルコ領に対し諸帝国主義は、英帝国主義の主導のもとに分割戦を演じた。英帝国主義はインド支配のための通行路の確保のために、スエズ運河の防衛を目的として中東そのものを分割するために策謀を凝らした。英国の「3枚舌外交」と言われるプランである。
第1は「フサイン・マクマホン協定」(1915年7月〜1916年1月)である。アラブ人地域に独立を約束しながら、国際連盟が認める信託統治以上の独立は与えず、帝国主義国間の分割にゆだねた。
第2は、サイクス・ピコ協定(1916年5月)である。英・仏・露による旧トルコ領土の大分割である。トルコ領を現在の3分の1程度にしてしまう計画であった。しかし1917年10月革命によって成立したソビエト政権はロシア領とされた領域を放棄するとともに、秘密外交を暴露して帝国主義的分割そのものに反対した。同時に、新生トルコ共和国はトルコ領の軍事的奪取のために攻め寄せた英軍に支持されたギリシャ・イタリアの両軍を「地中海に追い落として」、現在のトルコ領を守り抜いた。しかしクルド人の独立要求は無視された。
第3は、バルフォア宣言(1917年11月)である。イギリス外相がパレスチナの地にユダヤ人の郷土(Homeland)を作ることを約束したものである。ヨーロッパにおけるユダヤ人差別・排斥の代償として、アラブ・ユダヤの両民族の間にくさびを打ち、分断を作り出したのである。
この結果、中東全体が「信託統治」の形で英・仏が分割統治することとなり、現在のパレスチナ・イスラエルの地は(大ヨルダンの一部として)イギリスが信託統治することとなった。しかし英帝は、ユダヤ人の移住を放置し、シオニスト武装組織にほしいままにさせ、1947年の国連決議でパレスチナ分割を決議した。正式には、1947年11月29日の国連決議181号で、パレスチナの地をユダヤ人とアラブ人の2つの国家に分割し、エルサレムを国際管理に置くというものであった。
サイクス・ピコ協定を具体化するものとして第1次大戦の戦後処理を巡って1920年4月に開かれたサン・レモ会議には、「戦勝国」の英・仏・伊・日・ギリシャ・ベルギーが参加した。ここで決まった領土分割がその後の中東の勢力圏分割を決めた。アメリカは正式参加はしなかったが、英・仏の信託統治を支持し、分割に加担した。日本は正式参加をして、中東の利権ではなく、トルコと同じく「敗戦国」であるドイツの植民地であった「南洋諸島」(グアムを除くマリアナ諸島、カロリン諸島、マーシャル諸島、パラオ諸島を指す)を委任統治の形で植民地とした。一番姑息に立ち回り、分割の「利益」を得たのが米国と日本であった。
パレスチナ人民の苦難に
中東の分割戦の結果生じた一番の問題は、パレスチナ難民の問題である。1948年5月のイスラエル独立宣言とその結果起こった第1次中東戦争を通じて、パレスチナ人の4百〜5百の村が破壊され、約75万人のパレスチナ人が難民として周辺国に追いやられた。パレスチナ人はこのことを指して「ナクバ」(大災厄)と呼ぶ。
その後、1967年の第3次中東戦争でもガザ地区から多くのパレスチナ人がヨルダンなどに逃れた。国連の定義では、現在のヨルダン・レバノン・シリア・ガザ・東エルサレムを含むヨルダン川西岸の5地区に暮らし、難民登録した者(ないしその子孫)は2015年段階で560万人に上る。難民登録できなかった人や5地区以外に移ったパレスチナ人も多いから実際は1千万人を超えるであろう。パレスチナ人は難民となった世界最大の民族である。
それに対して、イスラエル領内にとどまったパレスチナ人は「48年アラブ人」と呼ばれ、2015年現在170万人とされる。彼らはイスラエル国籍は持つものの、1967年までは移動に許可がいる軍政下におかれ、居住地は保護区や軍用地で囲まれている。ほとんどの就労は「兵役を終えた者」という条件で排除される。しかもヘブライ語ができない者は役所や病院、大学教育から排除される。まったくの二級市民扱いである。
すでに述べたように1947年の国連決議181号や1993年のオスロ合意は、パレスチナ人民の苦難・苦闘を解決するものではなかった。武装闘争を含むパレスチナ人民の自己解放の闘いこそ、究極的解放の途であることをパレスチナ人民自身が示している。同時にユダヤ人問題の解決は、2千年に及ぶ差別・迫害を今日の欧州と米・日の労働者人民が自らの痛みとしてあらゆる償いをすることが必要である。帝国主義的分割戦の一端としての「解決」などありえない。(鳥居強右)
参考文献
◇鳥居強右「パレスチナ解放闘争への接近」(上)『未来』330号(2021・11・16)
◇鳥居強右「パレスチナ解放闘争への接近」(下)『未来』331号(2021・121・2)
◇臼杵陽・鈴木啓之編著『パレスチナを知るための60章』明石書店
◇エリアス・サンバー著 飯塚正人監修 福田ゆき、後藤淳一訳
『パレスチナ 動乱の100年』知の再発見双書103 創元社
◇臼杵陽『世界史の中のパレスチナ問題』講談社現代新書
◇ダン・コンシャーポク、ダウド・アラミー 臼杵陽 監訳
『双方の視点から描くパレスチナ/イスラエル紛争史』岩波書店
◇長沢栄治、栗田禎子編『中東と日本の針路 〜安保法制がもたらすもの〜』大月書店
3面
「新しい戦前」にさせないために
金平茂紀さん重信房子さんが発言
四条河原町をデモ(10月15日 京都) |
「反戦・反貧困・反差別共同行動in京都」集会が10月15日、京都・円山野外音楽堂でひらかれ500人が集まった。
イスラエルによる報復と称した無差別空爆がくりかえされるなかで、集会は急きょ、イスラエルによるガザへの地上侵攻、ジェノサイドを許さぬことが内容に組み込まれた。
新しい政治勢力を
主催者あいさつで、新開純也さんは3点述べた。
@アメリカの一極支配の崩壊、グローバルサウスが台頭し、大きな力関係の変動が起きている。不安定な危機の時代。既得権と新しい勢力が争い、結局、戦争によって決着がつく。ウクライナ戦争、ガザ情勢もその一つのあらわれ。世界情勢の危機に世界の平和をめざす人々と連帯して闘おう。
A社会的な格差・貧困が新自由主義・「新しい資本主義」によっても拡大し、貧困・格差は固定化して、いちど入ったら抜け出せない身分制のような社会の硬直化が進んでいる。フランス革命で第三身分が、硬直化した社会を変革したように、新しく形成された第三身分によって世の中を変えよう。
B2大政党制がくずれて、アメリカでも日本でも「改革」右翼が台頭し、3極構造に入ってきた。これに対抗する新しい政治勢力が今ほど要求される時はない。十年が一日に凝縮される変革の時、新しい反戦・反貧困・反差別の継続の義務がある。
連帯の挨拶
「止めよう! 戦争への道 めざそう! アジアの平和」古橋雅夫さん。「汚染水を海に流すな! すべての原発を廃炉へ!」経産省前テント広場・三上治さん。社民党の服部良一さんが国会報告をした。
取材から見える「新しい戦前」
金平茂紀さん |
金平茂紀さんが講演。金平さんは、「ジャーナリストとして来た。取材でどう考えたかを伝え、共有できることがあるのでは」と始めた。タモリがいった「新しい戦前」は、ちょっと行くとすぐに戦時下になる。戦時では、ものすごく異論を許さない社会になる。戦後的価値観を体現してきた人がどんどん死んでいる。大江健三郎、西山太吉(毎日新聞、沖縄密約を暴露)、坂本龍一(音楽家)の各氏をあげた。
2001年「9・11」がニューヨークで起きたとき、アメリカで報復・仕返し感情が「テロとの戦い」として国是になった。その時に、坂本龍一がつくった音楽「アンダー・クールド」を紹介。似ていることが今、イスラエルが第4次中東戦争以来最大の軍事的打撃を受け、ガザへの地上侵攻、報復・虐殺へ動いている。ものすごい数の人が亡くなるかもしれない。後世の人は2022年が転換点だと言うかもしれない。@ウクライナ戦争。これはロシアの侵略戦争だと思う、A安倍銃撃死をキッカケにパンドラの扉が開いた。統一教会の件が明らかになった。ウクライナ戦争と安倍の死をテコに『ショック・ドクトリン』のように日本を戦争のできる国にしようとしている。直撃するのは憲法9条改悪だ。
「新しい戦前」になれば思想・言論・出版、学問の自由、移動の自由が奪われ、監視が強まり、インボイスやマイナカード(国民総背番号制)、ナショナリズムが強まる。
関東大震災100年。10万5千人の死者のうち6千人が憲兵・自警団に虐殺された。少数意見・異論を許さないようになる。
戦前的特徴のもう一つとして、次の世代が受け取るべきものが奪われてしまう。防衛費の財源、国債にしても次の世代が支払う。原発回帰も廃棄物処分を次の世代に押し付ける。戦争の具体的準備は始まっている。沖縄で激変している。ウクライナ戦争でロシアが勝つことはない。
最後に、「殺すな」というメッセージを出したい。
ガザ侵攻をとめよう
重信房子さん(元・日本赤軍)は、「なぜ、イスラエルがガザの戦闘で敗北したか。彼らのおごりだ。これから地上戦が始まると、ビル破壊、毒ガスで地下壕を破壊していく」「どんな戦時でも武器を持たない人の命を奪うことは許されない。ハマス・パレスチナ批判する前に、誰が占領者で、誰が被占領者か。それ抜きにハマスの暴力とイスラエルの暴力を同一線上に並べて言うことはできない」「ウクライナと同じ支援を、なぜパレスチナにできないのか。オスロ合意はパレスチナに不当だから反対したが、不公平なオスロ合意さえ、イスラエルのネタニヤフは無視した。2つの国をつくるという1947年国連決議をイスラエルは反故にしたが、これを基礎にもう一回、考えるべきではないか」などと語った。(5面に重信房子さんの発言)
アピールと基調報告
他に若い世代からのメッセージ(小峰ひずみさん)。アピールは、米軍Xバンドレーダー基地反対・京都連絡会代表の大湾宗則さん、9条改憲NO! 全国市民アクション・京都の小笠原伸児さんがおこなった。
基調報告を受け、インターナショナルを斉唱。デモは国際色豊かな繁華街=四条通から市役所まで行進した。
4面
イスラエルはガザへの侵攻をやめろ!
私たちは見捨ててきた… 大石あきこ衆院議員
訴える大石あきこ衆院議員(10月15日) |
イスラエルによるガザ地上侵攻がまもなく開始されるという緊迫した10月15日13時から、大石あきこ衆議院議員の呼びかけで急きょ、新大阪駅東口で「イスラエルは、ガザ侵攻をやめろ」の緊急街宣がおこなわれ50人を超える人たちが集まった。
れいわが声明
れいわ新選組本部は10月14日夜、「イスラエルによるパレスチナ・ガザ地区への無差別空爆と地上侵攻は許されない」という声明を発表した。
大石あきこ衆院議員は訴える
イスラエルによる無差別空爆がおこなわれ、イスラエルがまもなくガザに地上侵攻しようとしています。これは虐殺です。国際法や人道に反していると国連も指摘しています。今、世界中でガザ侵攻をやめろという声が上がっています。
みなさん、このような虐殺を止めたくないですか。ガザ侵攻をやめろ、ガザを解放しろと世界中で今、多くの人々が立ち上がっています。一人一人があきらめずに声をあげましょう。友人や知人にこんなことが起きていて、自分はおかしいと思っているとか、一緒にガザ侵攻をやめろというアクションを起こしていきましょう。
緊急の呼びかけでしたが、たくさん集まっていただきました。今、私たちはパレスチナの人たちに届くように、ガザ侵攻をやめろ、ガザを解放しろという声をあげています。
大半が子どもたち
ガザの人口の平均年齢は18歳です。子どもたちが半分を超えているような状況です。220万人が住むガザ。食糧も、水も、電気も、医薬品も止められています。
私は、この報道を聞いて本当に胸が苦しくなり、無力感を感じましたが、うちひしがれている場合ではない、一人でも何か行動をおこさなければならないと思いました。
手書きのメッセージで訴える |
パレスチナでおこなわれてきたこと
イスラエルは国際法に反して何十年も、そして今現在も、パレスチナの人々の土地を違法に奪い、家を壊し、抵抗すると殺すということをパレスチナ全土で残酷におこなっているのです。
見捨ててきた私たち
しかし、私たちも含めて世界の国々はパレスチナを見捨ててきたのです。その結果として、今があるのだということを思うとパレスチナの人々に本当に申し訳なく思います。(大石議員は声を詰まらせた。集まっている人たちから「がんばれ」という声があがる。)大石議員が力を振り絞って「ガザ侵攻をなんとしてもとめましょう」と訴えると大きな拍手がわきおこった。
多くの人がリレートーク
声を詰まらせながら訴える大石議員の発言をじっと聞いていた人たちから発言が相次いだ。通りすがりの自転車に乗った男性も発言に立った。
通りかかっただけの人も含め、なんとかしたいという一人一人の思いが新しい何かを今、つくり出しているように感じた緊急街宣だった。(三船二郎)
一致団結したイスラエルへの抵抗
重信房さんは訴える(上)
(10月15日 京都集会での発言 抜粋)
重信房子さん(京都にて) |
(前略)
3。 「アルアクサ洪水作戦」は、なぜ起きたのか? 今、パレスチナでは大規模な戦争が起こっています。攻撃を開始したハマスは、「アルアクサ洪水作戦」と呼んでいます。日本ではハマスの攻撃と言いますが、ガザの解放勢力が一致団結してこの作戦に参加しています。ハマスのアル・カッサム旅団、ファタハのマルワン・バルグーデイを指導者と仰ぐアルアクサー旅団、PFLPのアブアリ・ムスタファ旅団、イスラミックジハードなど、が一丸になっています。
何故こうした大規模な作戦に踏み切ったのでしょうか? パレスチナの生存の闘争が臨界に達するほど人種差 別、民族浄化政策が続いたからです。その結果なのです。
洪水作戦はアラブ民衆に決起を呼びかけ、民衆の連帯でイスラエルや、アラブ政府や国際社会の現状を変える戦いを復権しようという意図もあります。
@去年12月末にネタニヤフ政権が成立し、これまで以上に極端なパレスチナ人への民族浄化が続きました。「イスラエルの歴史上最も過激な人種差別主義の右派政権」と西側報道が報じるほどの政権です。ネタニヤフは汚職で起訴されており、有罪になっても首相の免責特権を持てるように右派の要求を受け入れてやっと政権を作り上げ、司法改革を目指しています。
Aこの政権の特徴は、国際法も国連決議も無視して「占領地」と「イスラエル」という区分けを取っ払い全部イスラエルの領土としてパレスチナ人への侵略と弾圧を進めていることです。
B「ユダヤの力」党首ベングビールを、新設された国家安全保障相に抜櫂し、イスラエル国内ばかりか、これまで国防省が管轄してきた占領下の西岸地区や国家警備隊が管轄した東エルサレムの治安維持を含めて、ベングビールに全土一括統制下に置く権限を与えました。就任直後からのイスラーム聖地への挑発、扇動で入植者と軍の一体となったパレスチナ人弾圧が続きました。
C占領地併合を主張してきた「宗教シオニズム党」のスモトリッチは、財務相と、占領下パレスチナ人の出入国をも含む社会生活を統制する民生局をも管理する大臣を兼務することになりました。入植地の拡大併合、自治政府に代わって占領下パレスチナ人の税の代理徴収した財産をパレスチナ側に渡すのを停止しました。パレスチナ人の生活潰し追放を日々悪化して来ました。またイスラーム教徒にとって神聖なエルサレムのアルアクサモスクのこれまでの取り決めを無視して行動し、ユダヤ教の祝祭の場に替えようとして来ました。スモトリッチは4月、欧州で公然と「パレスチナ人など存在しない。パレスチナ人の言語、通貨、歴史や文化もない。何もない」と断じていました。こうした大臣たちが入植者を鼓舞して挑発扇動を繰り返してきました。その結果、激しい民族浄化、人種差別の弾圧挑発殺害が日々深刻化していました。
Dネタニヤフ政権は司法改革に対するイスラエル国民の激しい反対にも直面し、その批判をかわすべくパレスチナ人への弾圧が益々激しく続きました。この間だけでも、7月にはジェニーンでの難民キャプヘの大規模攻撃が反撃されてアパッチヘリを投入して殺戮を繰り返したり、入植者が何百人も押し寄せて村ごと破壊追放しようとしたり、パレスチナ人の集合住宅を違法だと難癖をつけて爆破したりと激しい民族浄化が繰り返され、すでに260人が殺されていました。
ネタニヤフは9月 国連総会で「新しい中東」として地図まで掲げて勝利宣言のように演説しました。この地図のイスラエルには西岸パレスチナ自治区もガザも抹殺されてありません。シリアゴラン高原も含めて併合済みの大イスラエル地図が国連の場で堂々と掲げられました。サウジアラビアを含むアラブ諸国がアブラヒム合意を基礎にイスラエルと経済関係国交を開く「新しい中東」を作ると。(「パレスチナ問題の解決なしにイスラエルと国交を結ばない」というのがアラブ連盟の原則でしたが、イスラエルは逆に「アラブ諸国と平和条約を結びパレスチナ問題を解決する」と主張してきた長い歴史が、サウジを巻き込んで終わるという宣言でした。しかし、イスラエルと和平を結んだどの国の国民も、パレスチナ問題抜きの和平を認めていません。だから「アルアクサ洪水作戦」で各国民衆の反シオニズムの意思を力として各国政府に働きかける契機とする意図もあったと思います)
4、 イスラエルは何故パレスチナ勢力に敗北する事態を招いたのでしょうか。
おごり高ぶった入植者とネタニヤフ政権は、パレスチナ人、アラブ人を蔑視し、その結果、ハイテクと最強を誇る諜報機関も役に立たず、一方的に非国家主体に敗れました。現地の報道では、エジプトが1週間前にハマスの攻撃をイスラエル側に通報していたようです。モサドも情報を得ていたと考えるのが自然です。結局ネタニヤフが、ハマスらの攻撃を望んだとみるのが妥当だと思います。どうせ手も足も出ないガザにいるパレスチナ人なんかに何が出来るのか、飛んで火に入る夏の虫、とばかりにハマスに暴れさせてそれを口実に根絶やしにしてやろうと、高をくくっていたのだと思います。
ところがパレスチナ解放勢力側は、50年前の中東戦争を記念する日を選び、あの第四次中東戦争を思わせる規模の大攻撃をやってのけました。ネタニヤフ政権は、大慌てで遅れてハマスを根絶やしにすると大虐殺をはじめています。ガザを封鎖し、水、食料、電力も完全停上しました。この封鎖は2006年にハマスが選挙でファタハに勝利して以降、ガザヘの集団懲罰の如くずっと制裁封鎖は今に至るまで続いてきましたが、さらにもっと徹底的です。 (つづく)
5面
兵庫訴訟第3次提訴 口頭弁論
「優生保護法作った国許せぬ
旧優生保護法(以下旧法、1948〜96年)の下で不妊手術を強制されたのは憲法違反として、聴覚に障がいを持つ兵庫県の女性2人が国にそれぞれ3300万円の損害賠償を求めた訴訟(第3次。本年3月3日提訴)の第2回口頭弁論が10月10日、神戸地裁(島岡大雄裁判長)でおこなわれた。
原告の1人は神戸市の川野正子さん(仮名、60代)。幼少時、はしかによる高熱で難聴となり、20代だった90年、帝王切開で第2子を出産した際に不妊手術を受けさせられた。もう1人は県内に住む山川百恵さん(仮名、60代)。生まれながら聴覚障がいがあり、20代だった81年に帝王切開で第1子を産んだ際、不妊手術を強いられた。お二人とも手術の説明は何らされなかった。
優生保護法作った国、許せない
この日、山川さんは第1回口頭弁論(7月11日)での川野さんの意見陳述に続いて、ほぼ満杯の傍聴席を背に法廷に立った。
山川さんは手話を交えつつ「手術のあと、母親から『もう子どもは産めない』と言われた」と明かし、「その後もそれを夫に話すことはできず、2人目がほしいと強く願っていた夫は私が妊娠しないので諦めた。もし手術されなければ私たちには3人くらい子どもがいて、楽しく暮らせていたはずです」、そして最後に身体を震わせ「法律をつくった国は許せない」と訴えた。
弁護団は「被害者が傷つけられたのは身体だけではない。子どもを産んではいけない者、存在すべきではない者という烙印を押されたのだ」との意見を述べた。
逆流はね返し、国賠訴訟運動発展ひらく大きな一歩
お2人による第3次提訴は、聴覚障がいの高尾・小林さん両夫妻、脳性まひの鈴木由美さんら先人たちの不屈のたたかいを引き継ぐたたかいである。
高尾辰夫さん(不妊手術)・奈美恵さん夫妻〔いずれも仮名〕および小林喜美子さん(不妊・中絶手術)・寶二さん夫妻の計4人の聴覚障がい者による第1次提訴(18年9月28日)、先天性脳性まひ者の鈴木由美さん(子宮摘出で不妊手術)による第2次提訴(19年2月27日)に続くとともに、この間の情勢の中で、新たな意義を持つたたかいだ。
第1〜2次の5原告による兵庫訴訟の控訴審は本年3月23日、大阪高裁による国賠命令の画期的判決(*)で歴史的勝訴をかちとり、その後の静岡・熊本・仙台の3地裁における「除斥期間」制限判決による連続的勝訴の流れをつくった。
(*)高尾辰夫さんは20年11月、小林喜美子さんは22年6月、無念にも3・23大阪高裁判決を聞くことなくお亡くなりになった。
国は、この流れに対し、不当にも3・23大阪高裁判決について上告、上記3地裁判決に対し控訴した。
また、仙台高裁は6月1日、こうした国の反動的動きに呼応するかのように、22年2月の大阪高裁判決とそれ以降の各地における「除斥期間」制限判断と国賠命令をすべて否定する超反動的判決を下した。
お2人の第3次提訴の決断は、全国各地の国賠訴訟運動と固く結び合いつつ国と反動司法の大逆流をはね返し、たたかいの新たな発展を開く可能性を秘めたものだ。今こそ原告の方々の不屈のたたかいに学び連帯し、勝利に向かってともに前進しよう。
次回期日は来年2月9日(金)15時。支援の輪を広げ、傍聴席をいっぱいにしよう。
優生保護法問題の早期全面解決へ
閉廷後近くの会場で報告集会が開かれ、100人近くが参加した。
藤原精吾弁護団長が裁判の評価と今後の方向性を平明に提起。続いて、喜美子さんの遺影を胸にした小林寶二さん、鈴木由美さんの訴え。さらに、脳性まひ者の古井正代さん(わたしたちの内なる優生思想を考える会)が発言。戦前の国民優生法から戦後半世紀に及ぶ優生保護法の中で根深く形成された優生思想の深刻さを説き起こしつつ、自らの最近の体験と出来事に即して今も何ひとつ変わらぬ障害者差別の実態を暴き、そうした現実を許してしまっている私たち一人ひとりの気づきと決起を強く促した。
また、津田弁護士が兵庫の裁判の状況、10・25仙台高裁判決(原告:東二郎さん〔仮名〕、Sさん)を重要な焦点とした全国各地の裁判の状況の報告、解決に向けた11・1院内集会(各地でZOOM集会)など今後の取り組みを提起。さらに、優生連をはじめ諸団体からの報告、最後に〈兵庫歩む会〉から最高裁への公正判決要求の100万筆署名の取り組みが強く訴えられ、全体で「優生保護法問題の早期全面解決」に向かってたたかうことを確認して集会を終えた。(10月21日記)木々繁
書評
『ウクライナ・ダイアリー 不屈の民の記録』
古川英治・著(KADOKAWA)単行本1760円
著者は元日経新聞モスクワ特派員だったジャーナリスト。2022年2月24日、ロシアがウクライナに侵略を始めた時、キエフに住んでいた。連れ合いはウクライナ人で、義母はキエフのドニエプル川東岸に住んでいる。
人びとは、この戦争をどのように受け止めたのだろうか。本書を読めば、ウクライナの人々の思いがよく伝わってくる。
プーチン演説
プーチンは、「ウクライナ政権によるジェノサイドにさらされている人びとを保護するために、ウクライナの非軍事化と非ナチ化をめざす」と言い、これを「特別軍事作戦」と称した。今日、この言辞を正しいと信じる者はいないだろう。
また、プーチンは22年2月21日の演説で、次のように述べている。「我々にとってウクライナは単なる隣国ではない。…現在のウクライナはすべてロシア、正確にいうと共産主義のロシアによってつくられた…ウクライナには独自の国家は存在しない」。
プーチンの論理では、ロシアとウクライナは一体なのだ。しかし、ウクライナの人びとは、このようには考えていない。
ウクライナ・ナショナリズム
ある青年は「これは2014年から続く独立を守る戦いだ。僕も祖国の防衛のために準備したい」と語っている。このようなウクライナ人気質について、作家のクルコフは、ウクライナ人は「自由で、個人主義であり、権威というものに歯向かい、自分が信じるもののためには死を恐れない」と著者に語っている。クルコフはウクライナに住んでいるが、ロシア生まれで、ロシア語で執筆してきた。
このウクライナ・ナショナリズムを理解するためには、コサックの精神はもとより、ウクライナの現代史を理解しておく必要があるだろう。いくつかあげれば、@ロシア革命前後のこと、Aソ連時代の記憶、Bソ連からの独立、C2004年「オレンジ革命」、2014年「マイダン革命」など。
ウクライナの人びと
ロシア軍がキエフにせまってきているとき、著者と連れ合いの会話が印象的だ。「日本でのことだったら、あなたはどうするの」。著者は「もちろん逃げる」と答える。「あなたはそうでしょうね。私は逃げない」。
軍事力で圧倒するロシアに、どこまで闘えるのだろうか。著者は不安に思っている。連れ合いは「あなたはウクライナ人をまったく信じていないでしょう。はなから私たちを負けると決めつけている」。このように、ウクライナの人々は逃げないで、できるかぎりこの地にとどまろうとしている。それは、抵抗の意思表示なのだ。
ウクライナでは、今も戦争が続いている。ある女性記者は、「おそらく長い戦いになるでしょう。しかし、勝利まで戦うというウクライナ人の気持ちは変わらない。私は楽観的よ」と語る。
パンの記憶
ウクライナは穀倉地帯だ。人びとは、小麦で作るパンを主食にしている。砲弾の音が聞こえるキエフの街で、ベーカリーは営業している。店の女性は「こんな時こそ、おいしいパンをつくって、みんなに食べさせてあげたい。小麦粉がなくなるまで、私たちはパンを提供するわ」と語っている。
ウクライナの人々はパンにこだわる。「ホロモドール」の記憶が受け継がれているからだ。この大飢餓(1932年〜33年)はスターリンの農業政策によっておきた。ウクライナで数百万人が餓死した。
このように、ウクライナの人々は苦難の歴史を教訓にしながら、自由と主権を獲得するために侵略者と戦っている。本書は街の中の人々の声を拾いあげ、その声をリアルに伝えている。(鹿田研三)
6面
長期・読み切り連載 大庭伸介
先人たちの闘いの成功と失敗を学び現在に生かそう
「革命の子」をめぐる労資の対決
戦後労働運動の分水嶺・三池争議 A
資本の経営権を蚕食した職場争議
職場闘争についての幹部の日和見
職場闘争が質的に発展した職場争議とは、どんなものだったのか。
職場争議の主要な戦術は入坑遅延・座り込みによる作業放棄である。職制が労働者の要求を拒めば、繰り込み場に座り込んでしまう。
三川坑の場合、採炭現場までトロッコに乗って片道1時間往復2時間、昼食休憩1時間で、8時間労働から計3時間差し引いて実働5時間。職場要求が解決するまで、2時間や3時間座り込むのはザラであった。丸1日座り込んで、翌朝分会長から交渉結果を聞くケースさえあった。
さらに、組合員である最末端の職制を分会で指名したり、公選で決めるところまで発展した。
職場争議は三川支部だけでなく、四山支部や宮浦支部(いずれも採炭部門)でも同時に展開され、要求はほとんど実現した。職場要求を拒む職制を、繰り込み場で待機している組合員の前に引きずりだして謝罪させるのが大半であった。職場闘争とその発展である職場争議の本質は、労働者的職場秩序の形成であり、経営権の蚕食を伴う行為であった。
会社は1959年春頃、組合分裂を決意し、その皮切りに三川支部の遠藤分会長を懲戒解雇した。組合は解雇撤回を求めて何回かストライキで反撃したが、会社はさらに職場争議を指導した3人を懲戒解雇した。その他の職場争議を指導した分会長もほとんど、三池争議の本番で指名解雇になった。職場争議は59年夏ごろまで展開され、そのまま歴史的大争議に雪崩れ込んでいった。
以上のような職場闘争とそれが発展した職場争議について、三池労組の指導部は統一した正しい認識を持つことができなかった。
保安優先の闘いであるとか、労働条件の維持向上、職場の民主化などと一般的な課題を並列的にとらえ、その持つ意義を本質的に位置づけることができなかったのである。
三鉱連の会議で他労組から批判的意見がでたときも弁解的で、輪番制や生産コントロールに代表される職場闘争の内実や、その実践が持つ意味などについて、問題点も含めて討議しようとする姿勢がみられなかった。そもそも三池労組の指導部は職場闘争→職場争議について内部で議論したこともなく、争議中に支援のため駆けつけた他労組の活動家と討論することもなかった。
当時私は、全国で2千以上もつくられた「三池を守る会」の1人としてこの争議にかかわっていた。三池から逆オルグに来た何人かの労働者に職場闘争の実際について質問したが、明快な説明が得られず釈然としないものを感じた。それは職場闘争→職場争議が経営権を脅かして、従来の運動とは異なる領域に突入した事態についての三池労組指導部の峻巡を示すものであった。
59年10月、会社は三井6山で4580人(うち三池2210人)の希望退職募集を提示した。三井鉱山社長の栗木幹は記者会見で「今回の合理化は量より質である」と公言してはばからなかった。
12月2日、会社は三池労組にたいして1492人の指名退職勧告をおこなった。そのなかには組合役職者376人と彼らが言う「生産阻害者」つまり職場活動家約3百人が含まれていた。そして同月11日、勧告に応じなかった1278人にたいして指名解雇が通告された。
翌1960年1月25日、会社はロックアウトを宣言。それにたいして組合はただちに全面無期限ストライキに突入した。こうして三池の労資は非和解的な全面対決にいたったのである。
三池労組は長期戦に耐え抜くために、「1万円生活」を提起した。炭労・総評からのカンパにもとづいて、組合員本人分7千円、家族手当1人につき1400円を支給し、1家族(平均3・7人)平均1万2170円で乗り切ろうとしたのである。当時坑内労働者の平均賃金3万3481円、抗外労働者は平均2万1927円であった。つまり3分の1あるいは2分の1以下の生活で耐え抜こうと提起したのである。
組合はすでに55年頃から「生活革命」を打ちだしていた。それまでは酒やバクチにおぼれ、賃金支払い日にそのほとんどを取り立てられてしまうような組合員も少なくなかった。組合執行部は取り立て屋と掛け合って借金を半額にしたり、組合員にかわって弁済したりした。そして賃金支払い日には、賃金を1日寝かせて、翌日子どもを含む全員で家族会議を開き、1カ月間の生活設計について話し合うことを指示した。さらに家計簿をつけるように指導してモデルを示し、それを提出させてチェックした。さらに献立の一覧表をつくって、料理教室を開いたりもした。―そういうことができたのは、地域分会と主婦会の存在が大きかった。
地域分会と主婦会が果たした役割
弱点を巧妙に突いた会社の宣伝戦
地域分会ができたのは、1952年の「63日闘争」の前段からである。それまでは例えば会社の地域における世話方が冠婚葬祭を仕切っていたが、かわって地域分会が主宰し、最後は労働歌を全員で合唱して散会するようになった。地域分会は毎日作業終了後、その日職場であった職制とのイザコザなどを報告し合い、明日からの対応を打ち合わせてから帰宅することを習慣づけ、仲間意識を地域に定着するように努めた。
主婦会を1953年に発足させるにあたって組合は会社に、干渉しないように申し入れた。そのとき会社は「妨害する」と宣言した。会社が主婦たちの組織的結集と階級的成長をいかに恐れていたかがよく分かる。
会社との組織戦に勝利して結成された主婦会は、闘いのサポーターではなく、まさに闘いの主体として行動した。例えば夕食の後始末を終えた後、班長の指揮のもと提灯を手にデモをして子どもと一緒に本社前に座り込んだりした。また全国各地に飛んで、争議の内実を伝え支援を訴えたりした。
しかし、現実に「1万円生活」で家計をヤリクリすることは極めて困難であった。争議の過程で組合が調査した結果、金額の多少にかかわらず借金をかかえている組合員が全体の43・5%も存在した。
会社は切り崩し工作のために「早期解決、借金は嫌よ、柔軟闘争に切り替えよ」というフレーズで組合員に働きかけた。
このストレートな表現は、争議が長びき解決の見通しが立たないなかで、労働者の心理を揺さぶった。
組合側のもう一つの問題点は、指導部が組合員を、組合に意識的に結集するX層、資本に通じるY層、両者の中間に位置する傍観者的なZ層から成るものととらえた組織戦術にあった。学習活動や職場闘争をつうじてX層を拡大することに重点をおき、Z層をその影響下に引き寄せて多数派を形成し組合を強化するという組織戦術である。実際には学習活動をつうじてX層を強化することが一面的に強調され、Y層に対抗して圧倒することに精力が注がれた。
「日本一強い」三池労組といえども、全従業員(但し本工のみ)一括加盟方式をとる企業別労働組合である。多様な組合員によって構成されている現実を踏まえて、Z層を重視し、日常の活動と交流を深めて彼らを獲得し全体の底上げをはかっていくという視点を欠く結果に陥った。X層を強化する点においても、あくまでも労働組合という大衆組織を強化するという認識に立ち、学習活動中心ではなく、現場の活動を第一に追求すべきであった。X層の核と自任する向坂逸郎直系のグループ(次回に詳述)のなかには、自らの考えに沿わない意見の持ち主を異分子として排斥する傾向があった。
その結果、日頃から三池労組成長の対極にあったY層が固まり、役員選挙では批判勢力の中心人物に3分の1前後の票が寄せられていたのである。日常の活動における意思統一は、X層の意思統一の範囲を出るものではなく、Y層は頭からそれに従わないという状態が定着していた。
会社は54年頃から、ひそかに分裂工作を始めていた。そして1960年3月17日に、Y層を軸にしてZ層の多くを結集するかたちで第2組合が結成された。会社は「新労(第2組合のこと)に行けば立ち上がり資金として2万円やる」と勧誘し、脱退して新たに1人の仲間をつれてくるたびに1万円の奨励金を出し、組合員の動揺を誘った。2870人で旗揚げした第2労組は、わずか2週間後には5000人を突破した。
次回は三池労組の対抗策と争議中の激烈な攻防について述べる。(この項つづく)
一連の選挙で敗北続く自民党
2023年9月〜10月
10月22日投開票の補欠選挙で、自民党は1辛勝1惨敗で岸田政権からの人心離反を刻印した。同日投開票の所沢市長選、宮城県議選でも敗北。これに先立つ9月立川市長選、都議補選でも自民は敗北。岸田政権の急速な凋落が示され、08年〜09年のように、ずるずる解散・総選挙の機会を失い、総選挙で惨敗・政権交代の危機が迫っている。
最大の問題は、物価高に何一つ対策をうたず、所得税減税など困窮層には無縁の政策を掲げる。その後には軍拡大増税が待ち構えていることは誰でも知っている。
評論家の田崎すら「もう岸田首相の言うことには誰も耳を傾けない」と見放す始末。
野党の体たらくの中、消費税廃止を求め、沖縄・原発の人民反乱を全社会分野に拡大していこう。
(お断り)
お断り 今号はパレスチナ問題を特集したため、多くの予定記事を次号に回しました。
本紙編集委員会
7面
大破綻のマイナンバーカード(上)
荻原博子著『マイナ保険証の罠』文春新書
最新の情報によれば、マイナンバーと医療保険情報が紐付けされていないケースが77万件あった。その場合、マイナンバーカードを持参しても保険診療を受けられない。またマイナンバーカード導入に際し、廃業する医療機関がすでに千件を超えたという。義務化されたマイナンバーカードを読み取るカードリーダーを備える負担に耐えられないためなどの理由という。
人民管理と巨大資本の利益を極限的に追求するマイナンバーカード制度が破綻を遂げつつある。本書は、その構造とカラクリを余すところなく暴露する好著である。
第1章 不具合・トラブルの山
著者は、マイナンバーカードを保険証として使う不具合とトラブルの山を指摘する。
政府のウソは次の点で明らかになっている。
政府は、「保険証を廃止しても問題はない」と説明している。しかし、厚労省自身が保険証とマイナンバーカードの両方をもっていってくれと言っている。
「カードを落としても問題ない」と言う。しかし、写真を貼り換えたら誰でも簡単に「なりすます」ことができる。
「顔認証でなりすましはできない」と言っているが、その顔認証の精度たるや、女性が男性の写真でスルーするような水準のものがある。
「他人が情報を見ることはない」と言っている。しかし、企業や行政のルートからダダ漏れの現状がある。
マイナンバーカードで詳細な医療情報にアプローチでき、「より良い医療ができる」と言う。しかし、カルテやおくすり手帳より古い情報しか入手できない。
政府の破綻と変遷
政府のマイナンバーカード制度は次のように破綻と変遷を経てきた。
マイナンバーカードを受け取らない人には保険証に替えて「資格確認書」を新たに発行する。マイナンバーカードを受け取る人も当面は、健康保険証も併せて持参してほしい。さらに2026年中にセキュリティを強化した新マイナンバーカードを発行する、等々。
無理・無駄・無考慮の山である。次々と制度を変えて混乱に次ぐ混乱を招いている。しかも高齢でマイナンバーカードを作りに行けない人や医師を苦しめている。政府はいったい何を考えているのだというのが、誰もの思いである。
マイナンバーカードの問題点
2023年6月2日に成立した「改正マイナンバー法案」には次のような問題点があった。
何よりも、マイナンバーカードを保険証として使うことを義務化しようとしたことである。2024年秋には保険証の廃止と一体で強制する方針であった。
2025年3月までに、運転免許証とも一体化するなど、利用範囲を無理やり拡大することを狙っていた。さらには年金口座を紐つけし、最終的にはすべての銀行口座の紐つけを狙っていた。
このようなあり方が、マイナンバーカードの根本的な問題を突き出した。
それは第1に、誤登録が頻発したことである。2023年8月現在、伝わっているだけで7300件以上に及ぶ。紙で提出されたものを手入力しているから生じる必然的ミスである。その意味で第1次安倍政権末期の2007年に5000万件の年金記録が消失した問題と類似している。
第2に、情報流出が続いていることである。デジタル庁はセキュリティの総本山を自称している。しかし、2022年に、法人向けオンライン行政サービスの「GビズID」で2社262人の個人情報漏れを起こしている(前年には400人)。2023年6月13日に、政府の個人情報保護委員会がデジタル庁に立ち入り検査を始めたという。しかし個人情報保護委員会も、デジタル庁も所管は河野大臣で、隠蔽と馴れ合いに終わるのは見え透いている。著者は、「すでに日本は、個人情報ダダ漏れ国家」になっていると言っている。
第2章 大欠陥の原因
問題の根本は、マイナンバーとマイナンバーカードを、政府の側が意識的に混同していることである。ないし混同するよう導いていることである。
マイナンバーとマイナンバーカードの本来的制度的違いを図示すると、次のようになる。
強引なカード用途の拡大
混乱、混同を来す原因は、マイナンバーカードの利用範囲を無理やり拡大しようとする政府の政策にある。
本来マイナンバーの利用範囲は、社会保障、税、災害対策の3つに限られていた。ところが、政府は法律の規定に「準ずる事務」と規定し、いくらでも解釈を広げることが可能にした。そうするとマイナポータルを経由して登録されている計29項目のデータをすべて閲覧できる。そこにアクセスできる企業が増えると、「なりすまし」、「ハッキング」、「マルウエア」などの被害がどんどん拡大する可能性がある。
管理責任があるデジタル庁は「マイナポータル」利用規約を出している。それには、「利用者又は第三者が被った損害について一切の責任を負わない」と書いてあった。同庁は、管理官庁としてあまりに無責任と指摘された。そこで、今年になってこっそりと免責条項に、「デジタル庁の故意又は重過失による場合を除き」と付け加えた。無責任さの上塗りにしかならない。
政府は、制度的に任意であるものを義務であるかのように説明している。そのため、国はマイナンバーカードの便宜性だけを言って、危険については説明しない。そのうえ、マイナンバーカード取得者を増やすために2万円の「マイナポイント」をつけた。その普及と宣伝、その他手続きのためにすでに3兆円の税金を使っている。国民1人当たり3万円の負担である。まるで2万円のエサで3万円をだまし取る詐欺の手口である。
またマイナンバーカード取得は本来任意であるものを義務であるかのように説明してきた。そのために健康保険証を廃止し、マイナンバーカードを保険証として使うことを実質義務化した。これは、後で述べるように、国民皆保険制度を崩壊させる危険を持つ。
落合 薫(つづく)
10・31狭山闘争、11月 三者協議へ
のぼり新調し、狭山署名
10月23日兵庫
街頭宣伝を終えて全員で写真(10月23日 尼崎市内) |
10月31日の狭山中央闘争を前に、10月23日に尼崎市内で署名・街頭宣伝がおこなわれた。12月の大野裁判長の退官を前に、「動かせ狭山!」の合言葉のもと8月から始められた署名運動は、新調されたのぼり旗のもと、9人の仲間が集まり街頭宣伝・署名活動をおこなった。まだ3回目の行動だが、この日は声をかけてくれる人や、カンパを寄せてくれる人も出て、元気が出た。
10・31狭山中央闘争に代表を派遣するとともに、12月5日にはハナマダンにも出店し署名を集める。11月23日は沖縄県民大会連帯行動があるが、昼間の行動に参加し、夕方から署名行動をおこなう。神戸方面からの狭山キャラバンを迎え、合流する。「動かせ狭山!」を合言葉に11月〜12月頑張ろう。
8面
使用済み核燃料の行き場はないぞ!
青森・新潟・福井・関西・伊方・上関結ぶ全国集会
10月22日大阪
関西電力本店をとり囲みシュプレヒコール(10月22日 ) |
「使用済み核燃料の行き場はないぞ! 全国集会」が10月22日、大阪の関電本店前に500人が集まっておこなわれ、集会後、大阪駅前の繁華街までデモ行進した。集会には、全国から原発と闘う住民団体、市民、労組が参加した。主催は、老朽原発うごかすな! 実行委員会。
中嶌哲演さん
主催者あいさつは〈原子力発電に反対する福井県民会議〉中嶌哲演さん。
使用済み核燃料が焦点になってきた。百万キロワットの原発が1年稼働すると2千億円稼ぐ。一方で、使用済み核燃料30トンは、広島原爆千発分と長崎原爆プルトニウム30発分の死の灰が蓄積される。若狭の原発、半世紀の運転で広島原爆40万発分の使用済み核燃料。国内全部では120万発分貯まった。チェルノブイリやフクシマ原発事故で学んだはずなのに。大事故を起こさなくても新たな使用済み核燃料廃棄物を生む。ドイツの活動家の言を引用すれば「2万世代にわたる核のゴミの後始末のツケを回すことになる」。危険と猛毒があるから5重の壁で守らなければならない。こうした危険な原発を都市でなく過疎地に押しつけた。受け入れる地域へ麻薬的に金をバラまく。これを私は「原発マネー・ファシズム」といっている。
第1号は、青森県むつ市に3千トンの中間貯蔵施設を押しつけた。第2号に、小浜市へ5千トンの中間貯蔵施設を「50年間、1200億円の補償金で」とやってきたが、小浜市は退けた。
上関には1千トンの貯蔵地を押し付けようとしている。
原発の稼働そのものが核のゴミをふやす。まず使用済み核燃料増やすな。都市の皆さんも当事者として声を上げていくべし。
西梅田公園からデモに出発。全国・関西一円の市民が結集した(10月22日 大阪) |
木原壯林さん
集会アピール『使用済み核燃料の行き場はないぞ』」として、実行委員会の木原壯林さんが発言。使用済み核燃料は膨大な放射能と熱を発する。それを冷やす必要がある。その冷却プールが満杯。全国の原発会社は中間貯蔵施設をつくってプールに空きをつくって原発運転を継続しようとしている。むき出しの原子炉ともいわれている冷却燃料プールは、とくに新しい使用済み核燃料が入ったプールが崩壊すれば大変なことになる。
それは、福島第一原発で4号炉のプールが冷却水を失って火災にいたり、放射性物質が放置されて、首都圏にまで壊滅的被害がおよぶ危機があったので、被曝労働を覚悟のうえで燃料棒を取り出して、6号機のプールに移したという事実からも明らか。
関電は「2023年末までに県外に中間貯蔵施設候補地を探す。できなければ老朽原発は停止する」と約束したが、いまだ提示できていない。関電の小手先の詭弁を福井県知事は容認したが、そもそも六ヶ所村の再処理工場稼働のめどはない。上関、青森に交付金をチラつかせて突破しようとしている。3つの課題、「使用済み核燃料、老朽原発、汚染水海洋投棄反対」をかかげて大きなうねりを。「12・3とめよう!原発依存社会への暴走 1万人集会」へ。
集会・デモともに盛り上がり、12・3へのステップとして闘い抜かれた。
使用済み核燃料・中間貯蔵施設はいらない
上関町で200人が住民集会
10月22日
200人が上関町をデモ行進(10月22日 上関町) |
10月22日、山口県上関町で、「いのちの海を守れ! 上関町に原発も中間貯蔵施設もいらない! 10・22反原発デー県民集会」が開かれ、労働組合や市民など200人が山口県内外から集まった。主催団体は、原発に反対する上関町民の会、上関原発を建てさせない祝島島民の会、上関の自然を守る会であり、上関原発を建てさせない山口県民連絡会が協賛。
使用済み核燃料の中間貯蔵施設
上関町では、上関原発建設に反対する動きがふたたび活発になっている。今年8月に、西哲夫・上関町長が使用済み核燃料「中間貯蔵施設」の調査に同意したからだ。こういう情況のなか、中間貯蔵施設に反対する県民集会が、4年ぶりにひらかれた。
上関町役場は、上関海峡(室津半島と長島の間)をはさんで長島におかれているが、集会場になった上関町総合文化センターは室津半島側にある。ここは、この海峡に面した「道の駅」に隣接している。じつは、この会館も「原子力発電施設等立地地域特別交付金」で造られているのだ。
秋晴の日、室津埠頭では、のどかな海で釣り人が糸をたらしていた。ときおり、貨物船が海峡を通過する。集会は、この地でおこなわれた。
集会では、主催3団体による発言があり、つづいて、末田一秀さん(はんげんぱつ新聞編集長)が「中間貯蔵施設の問題点」というテーマで講演をした(詳細は次号に掲載)。その後、3人から連帯のあいさつがあった。集会後、デモ隊は、「原発に頼らない町づくりをめざそう」とコールしながら、室津地区を歩いた。
主催者3団体が発言
上関町民の会・代表は、「岸田政権は原発回帰政策に舵を切った。このなかで、この8月に上関町長は地域振興の名目で、中間貯蔵施設の調査受け入れを表明した。こんな住民分断になるやり方は、けっして地域振興にならない。白紙撤回を求める。粘り強く闘っていく」と決意を語った。
祝島島民の会の方は、次のように訴えた。「上関原発計画が浮上してから、41年が経過しようとしている。2009年に中電は、原発予定海域を埋め立てようとした。その最初の作業が強行されようとするとき、われわれは海と陸で命をかけて闘った。最近、町民どうしの分断が、やっとなくなりかけてきた。この矢先に、中間貯蔵施設の話がおきてきた。町民に何の説明もなしに、町長の独断で決めた。こんなやり方は絶対に許されない。これからも上関原発計画の白紙撤回、中間貯蔵施設建設計画に反対していく」。
上関の自然を守る会の住民は、「西町長は中電が検討を言い出して、たった16日間で調査受け入れを決断した。事前に、すり合わせがあったのだろう。住民の意向を無視して、中国電力(中電)ありきの方針に怒りを覚える。いとも簡単に自然を破壊する今回の計画と、一私企業に地域振興をもとめるありかたに、私たちは憤りを覚える。わたしたちは上関の豊かな自然を守り、住民が主人公の街づくりをおこなっていく」と述べた。
原発建設とセット
今から41年前の1982年、上関原発計画が浮上した。今回と同じように、住民には何も知らされていなかった。その後、祝島の島民を中心にして、反対運動がおこなわれてきた。2009年、住民は埋め立て策動を実力で阻止した。2011年に福島第一原発事故がおきてから、中電は埋め立て工事も調査も中断している。しかし、工事計画の延長を申請し続けている。
2013年3月、原発予定地にある地区に向かう道路が県道から町道に移管されている。これ以降、中電が工事の発注主体になって、道路が拡幅され、トンネルも新設された。現在も工事がおこなわれている。中電は上関原発による発電によって、この工事費を回収するつもりなのだろう。中電は上関原発建設をあきらめていない。
こういうなかで、今年8月に、中間貯蔵施設建設計画がでてきた。中電は上関原発をあきらめて、その代わりに中間貯蔵施設を建設するつもりなのか。これはありえない。中電にとって、中間貯蔵施設は金儲けにならないからだ。中間貯蔵施設はあくまでも原発建設に付随している。
この集会において、中間貯蔵施設にも、原発にも反対する、この方針が確認された。上関の豊かな自然を未来に残そう。一日も早く、原発のない社会を実現しよう。この上関住民と連帯して、ともに闘っていこう。