軍事大国化・原発全面回帰の岸田政権に総反乱を
11・23沖縄県民大会12・3反原発一万人集会へ
使用済み核燃料の行き場はないぞ!
パレスチナ人民の解放闘争に連帯を
岸田政権の軍拡・増税・原発全面回帰に怒りが高まっている。9月内閣改造でも支持率は上がらず。10〜12月は解散恫喝をはねのけ、原発・沖縄・反増税の闘争が連続する。世界的にもウクライナ反戦、パレスチナ連帯で、イスラエル・米帝、ロシアに負けない闘いが続く。今こそ全世界の人民と結合し、軍拡・沖縄基地強化・原発推進の岸田政権打倒を闘いとろう。
高浜原発2号機再稼働に反対して現地でデモ(9月15日) |
(1)
このかん、使用済み核燃料について大きな動きが起こっている。
中国電力が関西電力と共同で、山口県上関町に使用済み核燃料の中間貯蔵施設を設けるとして、町当局に調査受け入れを申し入れた。上関町は住民の反対の声を無視し、申し入れを受け入れることを表明した。
また、長崎県の対馬市が、「核のごみ」=高レベル放射性廃棄物の最終処分場候補地としてクローズアップされた。賛成派、反対派双方から請願が出され、賛成派の請願が通った。こういう事態は、使用済み核燃料について方向性を打ち出すことが切羽詰っていることを示している。
この動きの根本に、核燃サイクルの破綻がある。青森県・六ヶ所村の再処理工場が完成の見込みが立たないまま推移しており、稼働する展望はない。国の計画では、青森県六ヶ所村で再処理をおこなう計画だが、その根本が破綻しているのだ。再処理工場が進展しないため、使用済み核燃料が増え続け、各原発に保管されている。使用済み核燃料プールはほぼ満杯に近づきつつある。
特に、福井県若狭地方にある関西電力の美浜、大飯、高浜原発は、全ての原発7基が再稼働され、使用済み核燃料を増やし続けているのであり深刻だ。あと数年で使用済核燃料プールが満杯になり、運転を続けられない状況を迎えようとしている。
また、福井県は、使用済み核燃料について県外搬出を一貫して求めてきた。
老朽原発の再稼働についても、このことが焦点になった。関電は「23年末までに県外候補地を見つける、もし見つけられない場合は、老朽原発を稼働中であっても止める」という約束と交付金の上乗せ(1原発25億円)で、老朽原発再稼働の同意を得たのである。
まもなく期限の23年末を迎えようとしているが、候補地を見つけることができないままである。使用済みMOX燃料の一部をフランスに移すと言ったり、小手先のマヌーバーで、騙そうとしている。さらに、上関町に中間貯蔵(実質、永久貯蔵)しようというのである。上関の人々は、中国電力による上関原発設置攻撃をはねのけ、「原発反対、美しい海を守れ」を合言葉に不屈にたたかってきた。その上関住民の思い、たたかいを踏みにじる今回の中間貯蔵の問題は絶対許されない。
(2)
岸田の原発依存社会への暴走にたいして、人民の反撃がはじまっている。
上関では町議会で調査受け入れを決めたが、それをはねのけ住民の実力決起がはじまっている。2011年当時ボーリング調査にたいして、上関の人々は海上やぐらを占拠、実力でボーリング調査を阻止したのであり、今また、上関町民の実力決起が始まっている。
対馬では、最終処分場の文献調査受け入れの請願が通ったが、市長は調査を受け入れないことを正式に表明した。この間、対馬では、急速に最終処分場受け入れ反対の運動が盛り上がってきた。それを受けて、対馬市の比田勝市長が、9月27日の市議会最終日に、調査を受け入れないことを表明、「市民の合意形成が十分ではない。水産業や観光業への風評被害が発生、また想定外の要因による放射能の流失も排除できない」と表明。
使用済み核燃料の最終処分場文献調査受け入れをめぐり先行する北海道・寿都町では、まもなく文献調査の報告書が示されるが、このほどおこなわれた町議会選挙で、議席では定数9人のうち5:4で推進派が「多数」を占めたが、反対派の声は大きくなった。賛成派でも、最終調査まで進むという候補は1人だけである。
(3)
この中で、「10・22使用済み核燃料の行き場はないぞ! 全国集会」は、きわめてタイムリーな取り組みである。関電の若狭の現状、柏崎刈羽、乾式保管を進めようとする伊方などの現状、そして、青森県六ヶ所、山口県上関などとの連帯を強めることが必要であり、その第一歩を勝ちとるための行動でもある
10・22大阪・関電本店前に集まろう。使用済み核燃料を増やし続ける関電にたいして、大きな抗議の声をたたきつけよう。関電の原発電気とはまったく無縁な青森や上関に使用済み核燃料を押し付けるのは許されない。10・22全国集会を突破口に、大きな風穴を開けよう。
(原発に関する闘争案内)
使用済み核燃料の行き場はないぞ!討論集会
◇各地からの報告:
*青森から/核燃料廃棄物搬入阻止実行委員会・中道雅史さん
*若狭から/原発住民運動福井嶺南センター・山本雅彦さん
*上関から/原発いらん! 山口ネットワーク・三浦翠さん
とき:10月21日(土)午後6時15分〜8時45分
ところ:ひと・まち交流館 京都 第4会議室
主催:老朽原発うごかすな!実行委員会
使用済み核燃料の行き場はないぞ!全国集会
とき:10月22日(日)午後3時〜4時半
※集会後デモ(梅田まで)
ところ:関西電力本店前(大阪市北区中之島)
主催:老朽原発うごかすな!実行委員会
いのちの海を守れ!さようなら上関原発!10・22反原発デー県民集会
とき:10月22日(日)午後1時半〜3時半
※デモ行進午後3時
ところ:上関町総合文化センター
主催:原発に反対する上関町民の会/上関原発を建てさせない祝島島民の会/上関の自然を守る会
増税反対でデモ 10月6日
増税反対でデモ |
れいわ新選組の反増税デモが、10月6日、大阪市淀川区十三公園で開かれ、500人が参加した。山本太郎代表、大石あきこ衆議院議員のあいさつののち、17時15分ころデモスタート。退勤・下校時の会社員・高校生らの注目の中「増税反対・消費税廃止」を訴えた。この日は特に主婦層・高校生の参加が目立ち、生活苦・物価高への怒りの充満が伺えた。
2面
三里塚全国総決起集会 10月8日 成田
2月代執行弾劾 全国の仲間と共に
成田市内を力強くデモ行進(10月8日) |
10月8日、「市東さんの農地を守ろう! 空港機能強化粉砕! 改憲阻止・岸田政権打倒! 10・8三里塚全国総決起集会」が千葉県成田市でひらかれた。主催は三里塚芝山連合空港反対同盟。JR成田駅西口からバスに乗り、会場の赤坂公園・芝生広場へ。到着すると、支援の人たちが前段集会をおこなっていた。周辺には公安警察が「ブルシット・ジョブ」にいそしんでいる。
宮本麻子さんの司会で、集会は正午に始まった。
伊藤信晴さんが主催者あいさつ。2月15〜16日に強行された市東さんの農地強奪は、反対同盟や市東さんを屈服させるための暴挙だと弾劾。残された南台農地についての耕作権裁判は、NAAが提出した証拠は耕作地の位置特定ができないものだったが、被告に耕作権を立証させることで反動判決を狙っている。11月からの証人尋問には、千葉地裁を包囲する闘いを形成する必要がある。また、もうひとつの空港を造るに等しい第三滑走路の工事、空港機能強化工事が、10月から準備工事に入る。空港建設を許すわけにはいかない。第三滑走路の敷地内に仲間はいないが、何人かの住民が抵抗を始めている。この人たちに依拠しよう。空港絶対反対の旗を掲げて闘う、空港拡張反対の署名も集めようと述べた。
続いて萩原富夫さんが基調報告。戦争に向かう岸田政権を打倒しよう、国家権力による2月強制執行を弾劾する、南台農地を守り成田軍事空港を廃港へ!と檄を飛ばした。
連帯のあいさつとして、国鉄千葉動力車労働組合、関西新空港反対住民から発言があり、関西において9月3日の三里塚集会成功の報告がなされた。全日建連帯労組関西生コン支部執行委員長・湯川裕司さん、若狭の原発を考える会・木原壯林さんが連帯メッセージを寄せた。
たたかいは第2ラウンドへ
続いて市東孝雄さんが発言。強制執行から8カ月が過ぎたが、作業場やユニットハウス、カラオケスペースを作ったと楽しそうに報告した後に「私は一人ではない、これからも頑張る。闘魂ますます盛んなり」と、力強く述べた。
反対同盟顧問弁護団が報告。耕作権裁判におけるNAAの立証は破綻している。南台の農地を市東さんが耕作しているという証拠は累々と積み上がっている。市東さん勝利の判決が出るまで闘うが、司法権力に幻想を持つものではない。裁判官は国策に絶対賛成する。11月からの証人調べでは、我々のヘゲモニーを維持していく。どれだけ世間から注目されているのか、地裁を包囲する闘いが必要だ。11月13日、千葉地裁での傍聴闘争に一人でも多くの人が結集するように呼びかける。
市東さんの農地取り上げに反対する会、市東さんの農地を守る会、全国農民会議が、それぞれの取り組みを報告した。
カンパアピールの後、ギターを鳴らして音楽タイム。最後は「大地を打てば 地底より 原初のひびき 鳴りわたる」で始まる「反対同盟の歌」をみんなで歌った。
後半の司会は太郎良陽一さん。福島からの訴えでは、放射能汚染水の放流を弾劾し、廃炉への道筋は立っていない、岸田政権は今すぐ打倒と発言。沖縄から旗を新調した〈市東さんの農地を守る沖縄の会〉が登壇し、辺野古新基地建設の設計変更承認をめぐり岸田政権が代執行のため提訴したことを弾劾した。10月7日の辺野古県民大集会、11月23日の反戦集会の呼びかけもおこなわれ、全国から岸田政権打倒の闘いに決起しようと訴えた。住民団体からは、地元成田市・芝山町住民が「眠れる夜と静かな朝を迎えたい」と、空港機能強化に反対する声をあげ、原告138人で千葉地裁に行政訴訟、民事訴訟を起こしたと報告した。
共闘団体の決意表明の後、行動提起とデモコース説明。太郎良さんは「空港に向けた怒りをますます増大させ、2月15日を上回る闘いを」と呼びかけ、ガンバロー三唱。参加者は520人と発表された。カンパは22万7500円。
デモ隊は公園を出て、「市東さんの農地を守るぞ」「南台の農地を守るぞ」「空港機能強化反対」を訴え、成田ニュータウンの中をJR成田駅近くまで力強く歩いた。
ジャニーズ性加害問題を糾す(中)
石川由子
10月2日、ジャニーズ事務所による2回目の記者会見がひらかれた。わずか20日間の被害者受付で325人の申告があり、そのうち150人を超える人の在籍が確認されたという。今後千人規模は確実と言われ、犯罪の大きさにあらためて震撼してしまう。
指名NGリスト
今回の会見は新会社の宣伝会見であり、被害者に寄り添う姿はまるでなかった。会見では、@ジャニーズ事務所は名前を変え、補償専門になる、A新会社を設立し、営業を請け負うエージェント会社として再出発。ジャニーズ出身者が社長・副社長に就任、の2点が発表された。
質問は一社一名、更問い(一つの回答に更に質問すること)禁止、つまり内容を深化させないルールを勝手に作り、2時間の時間制限という首相会見か株主総会かと思える、話し合いを拒否する会見だった。
1回目の時は時間制限がなく、それも誠意の表れと受け止められていたことを考えると初めから異様だった。司会者は元NHK紅白アナウンサーで、仕切りはFTIというアメリカのコンサルタント会社。肝心の遺産相続人かつ元社長である藤島ジュリー景子氏や性加害の全真相を知る白波瀬傑元取締役は雲隠れし、真相を究明しようにもできない茶番劇となった。
司会者はジャニーズに好意的な人物ばかりを指名し、鈴木エイト、望月衣塑子氏など厳しい質問をするだろう人たちは1人を除き指名しなかった。その後NHKの大スクープで指名しない人物のリスト(いわゆるNGリスト)が写真入りでスタッフに配られていたことが判明。そのリストは望月記者を除けばフリーばかりだった。
犯罪企業の謝罪会見で、都合の悪い発言を潰していたとは。ジャニーズの弁明はその後二転三転し、コンサルタント会社に責任をなすりつけた。結局、信頼は大失墜した。
「落ち着きましょう」発言に記者たちから拍手
進行の偏向に怒る記者たちに井ノ原快彦副社長は「子どもたちが見ている。ルールを守って。落ちついてください」と本末転倒した発言をし、それに対して記者席から拍手が起こった。どこまで腐っているのだ。子どもへの加害の話をしており、徹底的に話すべきではないか。被害者のことを思えばむしろ激高する姿を見せるべきだ。こんなことに拍手するマスコミの腐敗が現れている。
被害者を 「弱者と罵倒」
会見の中で井ノ原副社長は「自分たちは死ぬ気で頑張ってきた。この仕事に向かない人はどのみち落ちていった」という内容の発言した。つまり、被害を受けても芸能界で生き抜いてきた「強者」である自分たちを讃え、被害で脱落していった人たちを罵倒した。 「脱落者」にさらなる苦しみを与え、被害を申告しにくい体制を作りたいのだ。辞めていった人たちの絶望はいかばかりか。また現役タレントは被害を言い出しにくくなるに違いない。こんな「生存者の歪んだ見方」を強調する人物に性加害の解決をする資格も能力もない。
誰も助けてくれなかった心の傷に蓋をしたままの現役のタレントたちは多くいるだろう。被害者であるかもしれないタレントが加害者の立場で語ることはそもそも困難だ。またセカンドレイプになるので公の場で現役タレントに被害を語ってもらうことは難しいだろう。タレントの東山・井ノ原両氏を矢面に立たせることで、対外的に隠蔽を図り、内部的には所属タレントが自由に発言できない空気を作りだした。実際、現役タレントの「自分は被害者ではない」発言が続いている。告発者は脱落者どころか英雄であると会見で語るべきだった。
具体的な補償触れず
わずか20日間で驚くほどの被害者が明らかになったが、これからも次々に出てくるだろう。しかし会見では具体的補償は来月から始めるとしか発表されていない。補償には時間がかかることは当然なのに、解決すれば廃業する話を今から言うなど解決を急いでいるように感じてならない。
ジャニーズジュニアが性加害の温床
ジャニーズ事務所は、ジュニアと呼ばれる契約関係が曖昧な子どもを集め、育成と称して安価に使い捨ててきた。合宿所などにおける性加害はもちろんジャニー氏の個人的嗜好を満足させるためだったが、それにより少年たちを支配していたのだ。少年たちの人格を深く傷つけられ、個の確立を阻害され、傷ついた心を修復するため「加害者を愛しているのだ」と自分に言い聞かせる。さらに加害者はグルーミングする。グルーミングとは暴力をふるう加害者が、被害者に対して優しい言葉や物品とは限らない何らかのプレゼントを与えることで被害者を混乱させる行為である。ジャニー氏への恐怖とその別表現である憧憬は支配関係を成立させるので、性加害は支配の要だったのだ。事務所はそれを黙認したのではなく、支配の柱として認識し幇助した。マスコミはジャニー氏の性加害を知りつつ、多くの子どもを獣に積極的に渡すことで、自らの莫大な利益を享受してきた。
マスコミに反省はないのか
テレビ朝日のジャニーズへの追及が極めて弱いことが指摘されている。テレ朝はこれまで他の事務所と競合させずジャニーズを優遇してきた。また26年をメドに巨大な東京ドリームパークを建設しようとしているが、その目玉はジャニーズ専用劇場と言われている。そのために忖度しているのだ。
世界的犯罪史に残るレイプ事件を注視し、共犯のマスコミを批判し、被害者救済を支援しよう。(つづく)
3面
沖縄日誌9月 高まる国への怒り
県民大会へキックオフ集会
9月24日
9月4日 名護市辺野古の新基地建設で、軟弱地盤改良工事に伴う沖縄防衛局の設計変更申請を県が「不承認」とした処分をめぐり、国交相が県へ承認するよう「是正の指示」を出し、県は「是正の指示」の取り消しを求めた訴訟で、最高裁第1小法廷(岡正晶裁判長)は県の上告を棄却した。裁判官5人の全員一致の結論。これにより設計変更申請の「不承認」に関する訴訟2件で県の敗訴が確定した。県は承認の法的義務を負い、対応を求められる。
今後想定される県の対応は、@承認、A承認拒否・国が代執行訴訟を提起、B別の理由に基づく不承認や埋め立て承認の再撤回の三つ。
玉城デニー知事は「判決がでても辺野古新基地建設の断念を求めるという意思には全く変わりない」「選挙で公約したことからぶれずに頑張っていきたい」と政治姿勢を示した。この日、キャンプ・シュワブゲート前に座り込んだ市民は、県の敗訴が確定したことが報じられると「不当判決は許さないぞ」「沖縄いじめはやめろ」と抗議の声を上げた。
5日 オール沖縄会議は県敗訴を受け、県民集会を那覇市の県民広場で開いた。市民700人が参加。「最高裁の沖縄切り捨てを許さないぞ」「不当判決に負けないぞ」と抗議の声を上げた。稲嶺進共同代表は「辺野古が白紙撤回されるまで知事を支え、力を合わせがんばろう」と述べた。
同日 ヘリ基地反対協は海上抗議行動を展開。カヌー11艇、抗議船4隻に20人が参加。「不当判決許さないぞ」「美ら海を守れ」と抗議の声を上げた。
14日 陸上自衛隊は10月の日米共同訓練に陸上自衛隊の輸送機X22オスプレイを新石垣空港に飛来させると発表。陸自所属のオスプレイが飛来するのは県内初。政府は民間空港の利用拡大を狙っている。
15日 政府は与那国島に新たな港湾施設の整備や与那国空港の滑走路延長を検討。那覇空港、宮古島空港、石垣港など防衛利用につながる整備の検討が関係者に明かされた。
17日 玉城デニー知事は、スイス・ジュネーブで開催される国連人権理事会に出席するために出発。国際社会に対し、沖縄の過重な基地負担や、民意に反した名護市辺野古への新基地建設について訴える。県知事の出席は、翁長雄志前知事以来8年ぶりとなる。
24日 「沖縄を再び戦場にさせない県民の会」は沖縄市民会館で「9・24設立・キックオフ集会」を開催、市民800人が参加。共同代表の瑞慶覧長敏さんは「若者からシニアまで、戦争をさせないということで集まった会。民衆の声を世界に発信し一緒に活動していこう」と呼びかけた。登壇者は、沖縄各地で自衛隊基地のミサイル配備や、米軍と自衛隊とが一体化し、軍事演習が進められていることへの危機感を訴えた。平和への思いが次々と伝えられた。60を超える団体や個人は平和への願いで一致し、11月23日に那覇市の奥武山公園で開かれる県民大集会の成功を誓った。
27日 辺野古新基地建設の設計変更を巡り、国交相は知事に設計変更の承認を求める勧告を実施。玉城デニー知事は「期限までの承認は困難」とする声明を発表。次回の期限は10月4日。
琉球遺骨返還請求訴訟控訴審判決について思うこと
島袋純二
9月22日の琉球遺骨返還請求訴訟控訴審の判決内容は本紙375号に掲載された通りである。ここでは控訴審全体を振り返って判決内容についての筆者の考えを述べたい。
大島眞一裁判長の人格的評価について言えば、京都地裁の増森珠美裁判長とは異なって、一応「良心的」裁判官であると言ってよいと思う。一審の増森裁判長がほとんどの裁判官と同様に、いわゆる強権的訴訟指揮を示していたのに対し、大阪高裁の大島裁判長は「民主的な」訴訟指揮をおこなってきた。たとえば、京都大学側の代理人のいい加減な弁論に対して傍聴席から怒りの大声が発せられても制止しようとしなかった。また、原告の感動的な意見陳述に対して傍聴席から拍手と激励の声が発せられても制止しなかった。さらに、京大に保管されている遺骨の実況見分についても京大側に許可するように促したりした。
そして、判決の付言においては、まず、原告について一審でも認めざるを得なかった「琉球民族」という概念に加えて「先住民族」に属するとして、国際人権法で確定されている概念を継承し、「先住民族である琉球民族」として、その存在を認定した。これは最高裁における闘いと、とりわけ「琉球民族」「先住民族」の存在を否定する日本政府に対する決定的な武器となる。
つぎに、「現在では、先住民の遺骨返還運動が世界各地で起こっている」「遺骨は、単なるモノではない。遺骨は、ふるさとで静かに眠る権利があると信じる。持ち出された先住民の遺骨は、ふるさとに帰すべきである」「日本人類学会から提出された、将来にわたり保存継承され研究に供されることを要望する書面に重きを置くことが相当とは思われない」と語っていることは、原告・弁護士・傍聴団の主張そのものだ。
そして、「関係者が話し合い、解決へ向かうことを願っている」と京大側に迫って結語にしている。大島裁判長の以上の言動は、退官まぎわということがあったとしても、彼の「人間的」「良心的」な人格を示しているのではないだろうか。
しかし、問題はここからである。このような「良心的」人格を持った大島裁判長が、判決の主文においては控訴棄却として、京都地裁の一審反動判決を全面的に容認したのだ。これは断じて許せない。たとえ民法897条1項を楯にとって「訴訟における解決には限界がある」として言い逃れしようとも断じて許せない。「訴訟の限界」などでは決してない。ここで詳述し展開する余裕はないが、民法の「慣習に従って祖先の祭祀を主宰すべき者」を柔軟に解釈し、国際法の精神と運用を生かして論理展開すれば、遺骨を原告に帰す判決は十分に可能だ。判決の主文の内容と付言の内容は矛盾しているが、付言の内容を貫いて主文の内容を展開することは出来ないことではない。ところが大島は主文で民法の「慣習に従って祖先の祭祀を主宰すべき者」の解釈をヤマトの慣習に限定しており、この立場を国際法の解釈にも適用して国際法の精神を否定しているのである。その論理的帰結が原告の「請求には理由がない」として棄却判決を出したのだ。はっきりさせよう。「慣習」を琉球の慣習と解釈し、「祖先の祭祀を主宰すべき者」を門中(ムンチュウ=血族共同体)の者と解し、この立場を憲法や国際法の精神や運用に生かして貫けば、その論理的帰結として原告に遺骨を返還する判決を出すことは出来るのである。付言の内容で主文を書けば原告に遺骨を返還する判決を出せたにもかかわらず、ヤマトの慣習を貫いた結果、棄却判決となったということである。
主文の棄却判決の内容で付言の「人間的」「良心的」な内容を踏みにじったということだ。これでは、付言の内容は主文の棄却判決に対する言い訳にもならない「言い訳」となり、宗主国の慣習を琉球に適用する差別判決でしかなくなる。つまり、「良心的」な人格者と思われる大島がヤマトンチュウとしての琉球差別者となり、一審の増森裁判長のような露骨な帝国主義の差別者となってしまう。
今日の琉球差別は、歴史的に形成されてきたものであり、日本帝国主義の天皇制国家体制における構造的差別の支柱として存在している。日本帝国主義の構造的支柱である琉球差別体制のもとで生活しているヤマトンチュウは、差別主義者ではないにしても琉球差別者としての立場に置かれており、存在している。
普通の多くの「良心的」ヤマトンチュウが琉球差別の構造的な日本帝国主義の下にあっては意識的であれ無意識的であれ琉球差別者として存在しており、またそのような琉球差別者としてのヤマトンチュウによって日本帝国主義の構造的な琉球差別体制が維持されているのである。ヤマトンチュウは琉球差別の厳しい現実を直視し、そのような現実を強制しているヤマトンチュウとしての自己の立場をとらえ返し、琉球人民の闘いと連帯して意識的に自己変革をしながら自己の人間的解放を実現していかなくてはならない。
共同体・共同性の形成・強化・発展を運動の基礎に据え、さまざまな闘いを担っている人達と結びついて連帯し、新たな沖縄戦を許さない闘いの大きな広がりをめざし、奮闘していこう。
4面
解説
高レベル放射性廃棄物の最終処分について
津田保夫
核のゴミをどうするのか
1967年、東海原発(日本原電)が日本ではじめて商業運転を開始した。その後、原発は安全で、電気料金も安くなる、このような神話≠ェ作られてきた。しかし、使用済み核燃料をどのように処分するのか、その方法が決まっていなかった。原発は、「トイレなきマンション」といわれてきた。
2000年6月、政府は「特定放射性廃棄物の最終処分に関する法律」を制定した。この法律において、次のことが決められている。@使用済み核燃料は再処理する、A高レベル放射性廃棄物は地層処分にする、B電力会社などが事業費を拠出して原子力発電環境整備機構をつくる。
同年9月に、基本方針が閣議決定された。
原子力発電環境整備機構(NUMO)が、処分地選定と処分をおこなう事業体だ。2002年12月から、NUMOは募集をはじめた。2007年1月に、高知県東洋町がはじめて公募に応じた。しかし、住民の反対運動がまきおこり、翌年に反対派の町長が当選して、これを撤回している。その後、2020年に北海道寿都町と神恵内村が名乗りをあげた。この2町村は、2020年11月から文献調査に入っている。
政府は、「特定放射性廃棄物の最終処分に関する基本方針」を3度にわたって改定している。2008年3月改定で、東洋町での失敗を受けて、交付金を増額(1年あたり2・1億円から10億円に)している。2015年5月改定では、地層処分を明確にして、住民の協力の必要性を確認している。2023年4月改定では、「政府の方針で最終処分に取り組む」ことが強調されている。
最終処分とは何か
(@)再処理 使用前の核燃料は、ウラン235(3%)、ウラン238(97%)でできている。発電後の使用済み核燃料は、ウラン235(1%)、ウラン238(95%)、プルトニウム(1%)、これ以外の超ウラン元素(0・1%)、核分裂生成物(3%)にかわっている。
ウラン235が核分裂をすることによって、ウラン238はプルトニウム239に変わったのだ。再処理とは、使用済み核燃料から残ったウランと新たにできたプルトニウムを取り出すことをいう。
(A)核燃料サイクル プルトニウム239は核分裂をおこす。政府は取り出したプルトニウムを使って、さらに発電(高速炉)をする方針をもっている。この計画が核燃料サイクルなのだ。しかし、技術的に可能であっても、経済的に採算があわない。
日本はプルトニウムを45・1トン(2022年12月末)保有している。このうち、国内に9・3トン存在している。プルトニウムを減らすために、日本ではこれをMOX燃料に加工して、無理にプルサーマル発電をおこなっている。このように、再処理してプルトニウムを取り出したところで、使い道がなければ始末に困るのだ。
(B)高レベル放射性廃棄物(核のごみ) 再処理工場で使用済み核燃料を再処理するとき、高レベル放射性廃液ができる。これをガラスで封じ込めて、ガラス固化する。このガラス固化体は高レベル放射性廃棄物とよばれている。六ケ所再処理工場は、ガラス固化する施設で事故をおこして、ずっと稼働していない。
現在、ガラス固化体は、国内に約2千本存在している。また使用済み核燃料はすでに約1万9500トン(2023年6月末)あることから、再処理すればガラス固化体が約2万4千本発生することになる。つまり、すでに約2万6千本のガラス固化体が存在しているのだ。
(C)地層処分 高レベル放射性廃棄物は最終処分をおこなう。日本は地層処分を採用している。30〜50年間ほど地上で管理したのち、地下3百メートルのところに、約10万年間貯蔵するのだという。地層処分場は地下水がなく、活断層などがない、安定した地層でなくてはいけない。こんな地層は日本には存在しない。
地層処分は、次のようにおこなわれる。ガラス固化体を炭素鋼でできたオーバーパックで包む。さらにその周りを粘土の緩衝材でおおう。これを地下3百メートルの地層に埋めるという。
政府は次のような想定で、地層処分の安全性を強調する。ガラス固化体をつつむ炭素鋼のオーバーパックは、千年のあいだ腐食に耐える。その後、オーバーパックがなくなれば、ガラス固化体がまわりに溶けだすが、これに6万年程度を要する。オーバーパックをおおっている粘土の緩衝材は、数百万年にわたって地下水と接触するのを防ぐ。接触した地下水が地上に達するまでに、吸着や拡散がおこるから、放射線量はさらに弱まる。しかし、これらは机上の空論に過ぎない。
(D)最終処分地選定のプロセス 最終処分地の選定には、3段階で調査がおこなわれる。@文献調査(2年程度)、A概要調査(3年程度)、B精密検査(15年程度)。この調査をへたのち、最終処分場が確定する。最終処分施設の建設に、さらに10年程度が必要だ。
この調査過程で、交付金が地方自治体に支払われる。それは文献調査で総額20億円、概要調査で総額70億円になっている。このように、政府は地方自治体に飴≠ちらつかせて、公募をつのっている。このやり方にたいして、住民はつよく反対している。
北海道寿都町・神恵内村と対馬
2020年8月、北海道の寿都町と神恵内村が公募に応じた。同年11月に、文献調査を開始している。もうすぐ選定結果が公表される。これが了承されれば、概要調査に移ることになる。
今年10月3日、寿都町で議会選挙がおこなわれた。その結果、概要調査にすすむことに賛成している議員が5人(定数9人)当選している。寿都町では、概要調査に移る前に、条例で住民投票をおこなうことになっている。しかし、町長の決定にたいする拘束力はない。
今年8月、長崎県の対馬市議会に受け入れを求める請願がおこなわれた。しかし、比田勝尚喜市長は、文献調査に応じない方針を示している。現在、市議会と市長が対立している。ここには、対馬市の人口が減少の一途をたどっている苦しい事情がある。1960年には、住民が約6万人いた。今では約2万人に減少している。地元経済を支える産業がないからだ。地方が抱えている問題は、資本主義体制の矛盾を如実にあらわしている。
外国はどのようにしているのか
使用済み核燃料を再処理をしないで、そのまま地層処分にする方法もある。これを直接処分といっている。原発から出る使用済み核燃料を再処理している国は、日本、フランス、ロシア、中国などで、これ以外の国は直接処分をしている。直接処分をおこなう国のほうが多い。以下に、それぞれの国の情況をみておこう。
◇アメリカ 商業原子炉は直接処分をおこなっている。軍事用では、再処理してプルトニウムを取り出しているから、ガラス固化体が存在する。ネバダ州ユッカマウンテンが処分場の候補になっているが、計画は中断している。
◇フランス 原発の使用済み核燃料はすべて再処理している。ラ・アーグに再処理工場がある。2023年1月に、最終処分場(地層処分)の設置許可申請がおこなわれた。
◇イギリス セラフィールドにふたつの再処理工場がある。海洋汚染が広がって、2022年に操業を中止した。今までの再処理政策を転換して、直接処分することになっている。処分場は決まっていない。
◇ドイツ 2005年7月以降、再処理を禁止して、直接処分をすることになった。それまで、フランスに再処理を委託していた。2023年5月、すべての原発が停止している。ゴアレーベンの最終処分場は、住民と反原発団体の力で、キャスク持ち込みを実力で阻止した(1995年)。これ以来、最終処分場計画は止まっている。
◇フィンランド すべて直接処分をおこなう。現在、オルキルオトに最終処分場を建設している。最終処分場建設では、ここがいちばん進んでいる。
◇ロシア 使用済み核燃料を再処理するのが原則になっている。しかし、直接処分もおこなわれている。エニセイスキーに地下研究所を建設し、ここに最終処分場を移設する予定になっている。
◇中国 軽水炉から発生する使用済み核燃料は再処理する。甘粛省蘭州市に再処理をするパイロット工場を建設している。甘粛省北山で、地下研究所の建設がはじまっている。
◇韓国 直接処分をおこなう。処分地建設のロードマップはできているが、候補地はまだ決まっていない。
核のゴミは、これ以上増やしてはならない
岸田文雄政権は、原発稼働ありきの政策をとっている。今年5月に、GX推進法を制定し、そのなかで「原発を積極活用する」方針を盛り込んだ。
原子力発電をおこなえば、使用済み核燃料が発生し、それを再処理すれば高レベル放射性廃棄物はかならず発生する。使用済み核燃料を「再処理」するか、「再処理せずに直接処分」にするか、国によってことなる。日本政府は再処理=プルトニウム製造を選択しているが、直接処分にするべきだ。
いずれにしろ、最終処分場が決まっておらず、使用済み核燃料や高レベル放射性廃棄物は貯まるいっぽうだ。地層処分をおこなえば、将来の世代に「負の遺産」を残すことになる。使用済み核燃料や高レベル放射性廃棄物は作ってはいけない。
正しい解決方法は、ただひとつ。一刻もはやく原発を止めること。使用済み核燃料や高レベル放射性廃棄物は今以上に増やさないこと。人民の闘いで、原発のない未来を切り開こう。
5面
狭山事件60年、今こそ無実・差別の大きな渦を!
10・31東京高裁前「地べたの法廷」に合流しよう
米田次郎
黒川みどりさんが講演(9月18日) |
「9・18 狭山事件〜冤罪を生む 日本の社会構造」から考える
狭山事件を担当する東京高裁第4刑事部の大野裁判長が12月12日に退官する予定のなか、この11月に大野裁判長による最後の三者協議を迎えようとしています。この第三次再審請求の最大の山場を迎えた9月18日、カトリック大阪教会管区部落差別人権活動センター主催の「狭山事件 〜冤罪を生む日本の社会構造」をテーマとしたシンポジウムがひらかれました。
講師は部落解放同盟中央本部中央狭山闘争本部・事務局次長の安田聡さんと、『被差別部落に生まれて―石川一雄が語る狭山事件』(岩波書店)著者・黒川みどりさんの2人。
ここでは黒川さんの講演と著書をもとに、第3次再審請求に勝利し石川一雄さんの「見えない手錠」をはずすための道筋を共に考えたいと思います。
黒川さんは石川夫妻と出会い(2021年11月)「1時間余りの限られた時間であったが、貧困のため学校に行けず、小学校5年生から親元を離れて奉公に出たことや、獄中で看守から文字を学んだことなどをうかがい、ここにこそ部落問題≠ェ集約されている想いを強くした」「私はさらに石川一雄という一人の人間に徹底的に寄り添うことによって、この事件がまぎれもない冤罪であることがよりはっきり見えてくるのではないかと考えた」(『図書』2023年9月「いま狭山事件を問うこと」)
●等身大、生身の石川さんの姿→母親想いの石川さん「俺は母ちゃんっ子だったね。おふくろが大好きだった。おふくろは、トラホームで目が見えなくなった。金がなかったから医者に行けなかった」
●冤罪の背景にある生い立ち@学校教育からの疎外―父の手伝いの草刈り、薪拾い、草むしり→最前列で居眠り。教師は放置。傘・長靴が買えず雨の日は学校に行けない。通学は裸足(下駄は寒い時用)
●年季奉公のはじまり―小学5年生10歳から子守、靴屋、製茶工場、漬物屋。
●立ちはだかる字が読めないことの壁→仕事に就くたびに文字の壁にぶつかり解雇や退職の繰り返し。東鳩製菓(3年10カ月・19歳)このとき野球・恋人とのデート・結婚の約束など。工場責任者として「日報」を書く必要→退職、石田養豚場、兄の仕事(とび職)の手伝い。
●マスコミのキャンペーン→犯罪の温床「4丁目部落」「異常性格の持ち主石川とはこんな男」そして犯人と覚しき人物の自死→「生きた犯人を捕まえなければ」(篠田国家公安委員長)と被差別部落への捜査の集中と石川さんの逮捕。
●別件逮捕・拷問的取り調べ、一家の大黒柱である兄が犯人と思いこませ身代わりに仕立てる―典型的な冤罪捜査。
狭山事件と他の冤罪事件との違いは部落差別という大きな、重い壁があることで、「歴史をふり返れば、1918年の米騒動の際には、政府はよからぬ#差別部落民が米騒動の首謀者であるという宣伝を繰り返した。差別を利用して部落外の民衆と分断することによって、全国に及んだ米騒動の拡大を阻止しようとしたのである。今年100年を迎える関東大震災時の朝鮮人・中国人、社会主義者等の虐殺事件も、混乱に乗じて民衆が持っていた差別意識を利用した権力が民衆を煽って引き起こした事件である。甘粕事件、亀戸事件は権力が直接手を下して社会主義者を葬り去った」ことを挙げ権力による差別分断支配を見抜き、常に権力をチェックし闘うことの重要性を述べて、石川さんの人権回復の道を指し示しています。
50万民意の声と行動を高裁へ
差別の側(政府・権力)に立つのか、人間解放・人権救済の側に立つのか。すべての人々にそれが問われています。裁判官も例外ではありません。民衆の側に立って原発を止めた裁判官、警察・検察による証拠の捏造を暴いて袴田さんの再審と釈放を認めた裁判官などを私たちは見ています。大野裁判長がいずれの側に立つのかが問われているのです。行政の執行官である刑務官(浦和拘置所と東京拘置所)の5人が石川さんに文字を教え、無実を訴える援助に力を注いだことがこの本に紹介されています。261点もの無実の証拠を目の前にし、50万を超える署名を突きつけられても無実と判断することができないというなら、もはや大野裁判長は法の番人や司法の独立を体現する者ではなく、法衣の上に鎧をまとって差別と冤罪をつくりだす犯罪者の共犯としての姿をさらしているとしか見ることができません。
「今こそ、狭山弁護団と支援団体や個々の支援者が一体となり総力を上げ、大野勝則裁判長に再審の決断を促すために、私たちの決意と覚悟と行動が迫られていると考えています」―この〈くまもと「狭山事件」を考える住民の会〉の呼びかけに応えよう! 50万の民意を結集し、東京高裁前を「地べたの法廷」にして闘いましょう。
10・31狭山闘争
10月31日(火)
東京高裁前要請行動 正午集合
日比谷野外音楽堂集会
午後1時開会
関電は瀬戸内の豊かな海に核のゴミを持ち込むな
10月8日神戸
10月8日神戸市内で、〈上関に原子力施設はいらない兵庫の会〉主催で、山口県上関町の「中間貯蔵施設」計画を考える集会があり、50人が参加した(写真右)。講師は「はんげんぱつ新聞」編集長の末田一秀さん。
末田さんは、まず原発の基礎知識として、使用済核燃料棒は束にして建屋のプールの水中に保管されている。しかしどこの原発でもこのプールは8〜9割満杯で、ここから使用済み核燃料棒は日本で唯一のむつ市の中間貯蔵施設に保管されていく。ここが満杯になれば行き場はない。また使用済み核燃料は金属キャスクに閉じ込め乾式貯蔵施設に置かれているが、空冷のため換気口があり放射線が漏れている。こんな粗末な施設だと語った。
こんなフン詰まり状況に政府や電力会社は焦って上関町に目を付けた。原発建設が行き詰った上関町議会の推進派は以前から中間貯蔵施設を狙っており、いままでも東海第二原発の乾式貯蔵施設、むつ市にある使用済み核燃料中間貯蔵施設(東電、日本原燃)、六ヶ所村などを視察している。しかし住民の多くは中間貯蔵施設を歓迎しておらず、一部住民は中間貯蔵施設が最終処分場になると懸念している。国や事業所に確約を求めることになるだろう。また中間貯蔵施設で雇用が生まれることはないし、下請けなどすそ野が広がる産業ではない。むつ市のリサイクル燃料貯蔵(株)の従業員数は88人、前途多難な上関町中間貯蔵施設計画は中止にできる可能性があるとまとめた。
続いて現地の山本裕美さんがリモートで参加し、「表立った反対運動はないが、主な産業が漁業なので海が汚れるのに賛成の人は少ない。本当に景色が美しい所です」と穏やかに話し、また周辺4市2町の多くの議員が反対とも報告した。
末田さんの分かり易い説明で中間貯蔵施設について、特に空冷式の乾式施設は知らなかったので勉強になった。原発は知れば知るほど危険で早く廃止と思った。(大北健三)
狭山キャラバンスタート集会
横田弁護士の訴えに無実確信
10月9日
「2023年度 狭山事件の再審を! 関西キャラバンスタート集会」が、10月9日、大阪市内で開催された。(写真左)
集会は前半に、狭山事件再審弁護団の横田雄一弁護士が長野県の自宅からリモート中継で講演。横田さんは事件発生から60年を、現地に住み込みで弁護活動をした時代を振り返りながら詳細に報告。特に石川一雄さんの家族や、被害者・中田善枝さん周辺の発言、また堀兼部落周辺住民の証言なども交え、証拠とされた万年筆や、死体を縛った手拭いなどがデッチ上げであることを証明した。90歳を超えても矍鑠とした横田さんの報告に、参加者は改めて無実を確信した。
つづいて3人の夜間中学関係者から、石川さんが学校に行けなかったことが犯人にされたとして、「学ぶことは生きること」と題して発言がなされた。
さらに10月から始まる関西各地での集会・学習会、キャラバンの予定と、24年の第8回市民の集いの要綱(2月23日、西成区民センターで開催。黒川みどりさん講演)が発表され、引き続きの運動の必要性を確認した。
6面
長期・読み切り連載 大庭伸介
先人たちの闘いの成功と失敗を学び現在に生かそう
「革命の子」をめぐる労資の対決
戦後労働運動の分水嶺・三池争議 @
1960年の三池争議から2年余り経た63年の冬、総評地方オルグになったばかりの私は、総評主催の産炭地激励交流行動に参加して、三池炭鉱労組の地域分会長の社宅に泊めてもらった。そのとき聞いた「仕事が終って坑口から外に出て空を眺めながらタバコを一服すると、今日も無事だったとホットする」という言葉が、今も耳に残っている。
「総資本対総労働の対決」と言われた三池争議のスケールをイメージできる数字を紹介しよう。この争議に会社は220億円を費やし、銀行団が33億円も特別融資した。組合は総評や炭労のカンパを中心に22億円。警察の弾圧費用は約10億円(60年安保の3倍)。現在の貨幣価値に換算すると、どれほどになるだろうか。
全国から延べ約50万人もの警官が派遣された(60年安保は43万人)。各地から支援に駆けつけた労働者は延べ30万人。検挙者の総数は1431人で、そのうち主婦会つまり組合員の連れ合いが325人。起訴されたのは212人で、うち44人が主婦会のメンバーだった。
三池争議の本質は、職場支配権をめぐる攻防にあった。争議に突入する直前に中央労働委員会の会長中山伊知郎(一橋大学学長)が和解のための斡旋案を労資双方に提示した。そのとき岸内閣の官房長官・椎名悦三郎(旧「満洲国」官僚。岸の子分)が、「招きもしない座敷にノコノコ出てきたピンボケ芸者」と嘲笑した。日経連(日本経営者団体連盟。のち経団連に吸収)専務理事の前田一は、59年春の日経連総会で、三池の職場闘争を「革命の子」と表現して警鐘を鳴らした。敵はこの闘いの本質を正しく把握して、不退転の決意を固めていたのである。
一方、労働側は職場闘争の位置づけにおいてアイマイであった(後に詳述)。
「眠れる豚」が最強の労働組合へ
職場の安全≠軸に相次ぐ勝利
三池は福岡県大牟田市と熊本県荒尾市にまたがる地域で、江戸時代から「燃える石」を手工業的に生産していた。明治時代に政府が三池に集治監(刑務所)を設置して、囚人に奴隷的労役を強いたが、民間に払い下げることになり、三井財閥がダミーを使って落手した。それ以降も囚人労働が続き、あまりにも酷い労働実態が福岡県議会で問題にされたほどであった。労働者にたいする非人間的扱いは、戦後になっても続けられた。
敗戦後、三池炭鉱にも労働組合が誕生したが、産業報国会の看板を裏返しただけで、「眠れる豚」と言われるほどおとなしい組合だった。結成大会では壇上に日の丸が掲げられ、保守系の市長や警察署長が祝辞を述べた。1947年の2・1ゼネストには、右派の総同盟系の組合もほとんど参加したのに、三池労組は参加していない。
そんな三池労組が日本一強い組合と言われるようになった最初のキッカケは、1952年の「63日間闘争」であった。この年、炭労は総評の賃金綱領にもとづくマーケット・バスケット方式(注)の要求を掲げて無期限ストに突入し63日間闘ったが、7%の賃上げしか実現できず敗北した。三池労組は犠牲のみ大きく成果があまりにも小さかったことを反省して、本格的な組織づくりに取組むことになった。
(注)業種別平均賃金(ベースアップ方式)を排し、賃金闘争の目標を「健康にして文化的な生活を営みうる」水準に設定し、実生活にもとづく要求を組んだ。
翌53年、三井鉱山は全従業員の12%に当たる大幅な人員整理を打ちだし、実際には1815人の指名解雇を強行した。三鉱連(全国三井炭鉱労組連合会。北海道・九州に各3山、計6山の労組で構成)は113日間闘い抜いて、全員の職場復帰をかちとった。組合は最小の犠牲で最大の効果をあげるため、原炭搬出拒否の部分ストを実施したのである。
この闘いの特徴は職場安全≠軸にした職場闘争と大衆的な波状デモであった。作業環境が自然条件に大きく左右され生命にかかわる事故が頻発する炭鉱では、安全を守るための法令や規則、労使協定がある。それらを百%完全に順守することで生産高をダウンさせる戦術を、徹底的に実施したのである。
もう一つは、炭住という社宅に大半の労働者が暮している特殊性を生かした闘いである。職制が炭住を歩いていると、たちまち何百、何千という組合員や家族がその職制を取り囲んで洗濯デモや渦巻きデモをやり、「どうして○○さんをクビにしたんだ!」と追及した。会社事務所への抗議デモも連日のように繰り返した。
本部の指令にしたがって全員一斉に行動するのではなく、組合員や家族が自発的に行動して闘い抜いたので、三鉱連は「英雄なき113日の闘い」と総括した。
55年には、長期計画闘争が闘われた。それまで不況のたびに企業整備と称して大量の解雇が提案されていたが、完全雇用を経営方針の基本に据えることを求めたのである。現在働いている労働者が定年退職したら、好不況に関係なく子弟を優先的に採用することを協定化せよという闘いである。組合はこの闘いにも勝利した。
ここで、三池労組が関連組織のなかで占める位置について説明しよう。三井鉱山の出炭量は石炭産業全体の13〜15%を占め、三鉱連を抜きにして炭労の闘争は考えられないほどの力を持っていた。炭労は相次ぐ人員整理で組合員がかなり減少し、三池争議のころは約17万5千人だったが、三鉱連はその4分の1近くを占めていた。
三井鉱山全体の出炭量のうち三池は35・5%にものぼり、その半分は三川鉱が占めていた。三池労組(1万6千人)は三川支部(5234人)が最大の支部で、他の採炭部門の宮浦・四山の2支部、港湾関係の港務支部、事務関係の本所支部、機械製作の製作所支部の6支部から成る実質的に連合体であった。
労働者の生産規制で労災死が激減
会社側の反撃と批判勢力の公然化
職場闘争を最も徹底したのは三川支部であった。1957年に日本で初めてダブルジル・カッターという自動採炭機が三川坑に導入された。同時に、採炭したあとの補完作業である枠入れを機械化したカッペという鉄製の梁も導入された。会社はこれを機に大幅な人員整理を提案してきた。
三池の採炭現場で働く労働者の賃金は、固定給が46%で半分以上が出来高払い。採炭現場は同じ場所でも、その日の気温や湿度、地下水がわきでる状態などによって作業条件が大きく異なる。だれしも安全度が高く作業しやすい(賃金が高くなる)労働環境で働きたいから、職制にゴマスリする労働者が少なくなかった。組合はこれでは駄目だと、すべての労働者が平等に働くようにローテーションを編成して、現場にいる職制に一切口出しさせないように闘った。
トロッコに乗って地下に降りる前に、地上で全員を集めて作業上の指示をする繰り込み場という所がある。その一段と高い壇の上に職制にかわって分会長が上がって、作業上の指示をするようになったのである。こうしてすべての労働者が日々順番に作業場所を変更され、賃金が平準化された(輪番制)。
もう一つは、ダブルジル・カッターの1日の進行距離を採炭工1人当たり1・6メートルまでと職場分会で決めて実施した。作業量を労働者が自ら決定し、労働の強度を規制したのである(生産コントロール)。
従来のように「働け働け」と労働強化されていたときにくらべれば、当然収入は減る。しかし「保安を順守し無理をしない」程度の、必要最小限の平均収入が得られる範囲で働くべきであるという考え方から、機械の進行距離を規制したのである。その結果、賃金が1日一律1620円に固定化された。
このような職場闘争の前進によって、「日本一優良」な三池炭鉱で毎年10人前後の労災死を出していたのが、59年には死者が1人に減じたのである。
職場闘争がすすめられていくなかで、組織と意識の強弱によってアンバランスが生じる。そこで56年の春、遅れた職場を進んだ職場の水準に到達させようという闘争を組織した。職場闘争でかちとった成果のうち、他の職場では実現していないものを整理したら986件もあった。これをすべての職場で一斉に要求したのである。
この到達闘争の特徴は、職場に3権(交渉権、争議権、団結権)を移譲すると言う方針を打ち出したことである。本部が指令した戦術によらず、職場分会ごとにどうしたら要求を実現できるのかと、自分たちで戦術を考え責任を持って闘い抜くことによって、労働者1人ひとりの自発性・創意性を最大限発揮できるようにしたのである。
しかし、会社は3権移譲を頑として認めようとしなかった。これは協約違反だとロックアウトに打って出た。到達闘争は挫折して3カ月半ぐらいで幕を下ろした。こうしたなかでも、要求のほぼ大半が実現した。だが、この闘争を境に組合側が握っていたヘゲモニーが失われ、職場には敗北感が広がった。それまで隠然と存在していた批判勢力が頭をもたげ、総括集会で「闘争至上主義を改めよ」などと公然と発言するよううになったのである。
こうした状況を突破すべく三川支部を中心に、3権移譲を認めない会社の方針を蹴って闘いがすすめられた。事実上3権を行使するかたちで、職場闘争を再び推進し、〈職場争議〉に発展していった。前人未到の領域に足を踏み入れたのである。(この項つづく)
7面
日韓建設労働者総決起集会 10・7大阪
関生不屈の闘いに韓国から連帯
韓国建設労働者から関西生コン支部に激励のカンパなどが渡された(10月7日) |
10月7日、大阪市内で日韓建設労働者総決起集会が開かれた。連帯労組関生支部と同様の弾圧を受けている韓国の建設労働者が訪日団を作り、関生支部を激励する集会を東京と大阪で開いた。
大阪の集会は司会を西山直洋さんがおこない、冒頭自死決起をした故ヤン・フェドン同志の遺志を継ぐ黙とうを捧げた。湯川裕司関生支部委員長からは「関生は反社とされ、韓国建設労組は『建暴』とされているが、同じ種類の弾圧を跳ね返そう」と主催者挨拶。次いで訪日団の代表から、建設労組の闘いの歴史と現状が報告された。組合員は67000人。「建設現場の暴力団=『建暴』」として不当弾圧で2000人余が取り調べを受け150人余が起訴などと報告。川口真由美さんの歌のあと、永嶋靖久弁護士ら4人のパネルトークがおこなわれた(詳報次号)。
生活保護裁判
広島地裁で勝利
10月2日
広島地方裁判所民事第2部(大浜寿美裁判長)は10月2日、広島県内の生活保護利用者63人が広島市ほか5自治体を被告として提起した裁判で、保護費の減額処分の取消しを命じる原告勝訴判決を言い渡した。これで地裁レベルでは12勝10敗と勝ち越した。昨年5月の熊本地裁判決から数えると11勝2敗と大きく勝ち越しており、潮目が変わったことは明らかだ。
大阪高裁の反動判決を押し返す
大阪高裁は4月14日、原告に対して逆転敗訴判決を出したが、その後、千葉地裁、静岡地裁、広島地裁と連続して勝訴している。この3つの地裁が連続して原告勝訴としたことは、大阪高裁反動判決には説得力も影響力もないことを如実に示した。9年間の広島の原告の闘いがついに実を結んだのだ。
注目される名古屋高裁判決
闘いは高裁段階に入っているが、次の大きな節目は11月30日午後3時からの名古屋高裁での控訴審判決だ。大阪高裁判決に続いて2例目となる名古屋高裁判決は今後の帰趨を決する。なんとしても勝利したい。
12月14日に那覇地裁、来年1月15日に鹿児島地裁、同じく来年1月24日に富山地裁で判決が予定されている。
国の施策を変えさせよう
この生活保護基準引き下げは2012年、安倍晋三が政権に復帰(第二次安倍政権)するときに公約として掲げたものだ。この公約が如何に不当なものであったかは、勝訴した12の地裁判決が如実に示している。不当なものはただされるべきである。さらに運動を大きくして勝訴判決を重ね、国に謝罪させ、元の保護基準への復元をかちとろう。
インボイス反対・増税反対・消費税廃止
生活苦うち破る増税反対闘争を
10月は食料品はじめ4634品目の値上げ、今年は3万1887品目の値上げ(新聞報道より)。コロナ治療薬の一部自己負担。他方で、賃上げは大企業など一部。大半は実質賃下げだ。岸田は10月に物価高騰対策含めて新たな経済政策・補正予算を出すと言っている。その中では、賃金アップする企業への減税とかいっているが、その先には5年間で43兆円の軍事費、そのための1兆円増税が予定されている。経団連会長は9月19日「消費税増税から逃げてはいけない」などと記者会見し、批判の声が高まっている。
消費税の問題点
1990年、東京地裁・大阪地裁でサラリーマンが「免税事業者とか、簡易課税を採用し、税金をピンハネしている業者がいる。自分の払った消費税が税務署・国家に入っていない。これは恣意的な徴収を禁止した憲法84条違反、同法29条違反の国民の財産権を侵害するもので、欠陥税制であり違法だ。損害賠償せよ」と訴えた。判決は、消費税は物価の一部であり「預かり金」ではないとした。こう主張したのは税務署・国側なのだ。判決は原告が控訴せず確定。
にもかかわらず、インボイス導入にあたって国税庁はポスターなどで「オレが払った消費税 これっていわば預かり金なんだぜ」とか「消費税は預かり金的性格を有する税です」「とめないで私の払った消費税」とか、サラリーマン・消費者と中小零細事業者・フリーランスを分断させることをおこなっている。インボイスは税率変更なしの増税だ。
ドイツでは売上税は第1次大戦中、軍事費の負担を賄うために、商品売上税として初めて採用され、1918年からは商品に限らずすべての有償給付について業者に課せられる一般売上税となった。それは膨張する財政支出を賄うのに適していると思われたため、多くの国に広がった。
問題点はまず、逆進性。低収入と高収入のケースを比較すれば生活必需品は支出金額に大きな違いはない。奢侈品で大きな違いがある。低収入者は収入の大半が生活必需品で費やされるので消費税で徴収される比率が大きくなる。
法人税は所得が少なければ収める金額が少ないし、赤字なら納めなくてもよい。しかし、消費税は売り上げがあれば赤字でも納めなければならない。しかも、消費税導入とタイアップして法人税が下げられまた「輸出奨励金」と称して、輸出企業に戻し税が還付される。
増税反対闘争の方向性
租税の廃止によって資本主義の基本的矛盾を解決し、あるいは税制改革を通じて階級的不平等を除去しながら、平和的に社会主義に到達しようとする思想的立場を批判して、マルクスは「租税の廃止、それはブルジョア的社会主義である」とのべ、資本制社会の租税の役割を次のように規定。「直接にブルジョア的生産にもとづく分配関係、労賃と利潤、利潤と利子、地代と利潤の関係は、租税によっては、せいぜい副次的な点で修正をくわえることができるだけで、けっしてその基盤を脅かされることはない。租税にかんするあらゆる研究と論議は、このブルジョア的諸関係が永遠に存続することを前提にしている。租税の廃止でさえも、ブルジョア的所有の発展とその諸矛盾の発展を促進することができるだけであろう」(『哲学の貧困』)
労働運動で賃金闘争が賃労働と資本の関係を廃絶するものではないことの指摘と似ている。賃金闘争と同じく増税反対闘争は、生活に苦しむ人民が生きるために闘わねばならないのであり、またこの闘争が今日の社会の転覆につながることは否定できない。生活・権利をめぐる一切の闘争がそうだともいえる。
アダム・スミスは課税原則として公平・明確・便宜・経済(徴税費の節約)の4つの原則をかかげ、ヴァーグナーは財政収入、公平分担、国民経済(資本蓄積)、徴税技術(明確・便宜・経済)などの原則をかかげた。
公平負担の原則は能力に応ずる負担の公平をいうだけでなく、最低生活費の免税の問題にもふれる。資本蓄積の原則は、蓄積を阻害しないような課税だけでなく、むしろ積極的に蓄積を助長するような課税政策(特別減税)を主張する。両者は矛盾する。
現代の資本主義国家では公平分担の原則よりも資本蓄積の原則が優位におこなわれているのである。資本蓄積のために、租税政策(租税立法)という手段によって、年々強化される傾向にある。@準備金・引当金は、費用でないものを費用として認めることによって課税を軽減する、A特別償却―普通の減価償却の範囲を超える減価償却を認める。近代会計理論で主張する「加速償却」の理論を法制化、B所得減免税―政策目的を持って課税所得から一定の所得を控除、C他にも利潤と見られるものを課税所得に算入しない方法とか法人の受け取り配当非課税、個人の受け取り配当控除や、有価証券譲渡所得の非課税など。
これに対して多くの人民は生活苦から抜け出すためには増税反対に立ち上がるしかないのである。今日の関係をくつがえすのは人民の増税反対闘争・階級闘争の力以外にない。(大浦裕之)
消費税導入、税率アップの流れ
1979年 大平内閣の「一般消費税」導入計画は断念。
1987年 中曽根内閣の「売上税」法案は廃案。
1989年 「消費税」強行、免税点は3000万円。免税点は1997年に引き下げ、現在は1000万円。仕入れ税額控除の方式として帳簿方式を採用。
1994年 消費税3%から5%へ引き上げ。仕入れ控除方式は請求書等保存方式、つまり帳簿と請求書の両方保存必要。
2012年 消費税を2014年に8%、2015年に10%へアップする法案成立。
2014年 安倍内閣、消費税を8%へ引き上げ。
2016年 「2023年10月にインボイス方式導入」決定。
2019年 消費税10%へ引き上げ。
8面
(シネマ案内)
『熊は、いない』
監督:ジャファル・パナヒ/イラン 2022年
映画を理解するために
この映画を鑑賞するにあたって、ジャファル・パナヒ自身の個人的事情をしっかり理解しておくことが重要だ。パナヒ監督はイランのなかで、抑圧された女性の問題など、人権問題を訴える映画をつくってきた。
イランはイスラムを原理とする国家だ。だから、その国家にとって、彼の映画は好ましいものではなかった。2010年に、パナヒは、「イラン国家の安全をおびやかした罪」で逮捕され、出国と映画制作をずっと禁止されている。しかし、パナヒは、さまざまな方法を駆使して、イランのなかで映画をつくっている。
外国に亡命をして、そこで映画を制作する方法もありえる。しかし、パナヒはこの道を選ばず、あくまでもイラン国内にとどまって映画をつくろうとしている。映画制作は、闘いの武器なのだ。彼の映画はイラン国内では上映できないが、世界で賞賛されている。
トルコ国境近くの小さな村
この物語の主人公は、ドキュメンタリー映画をつくっている映画監督。その監督をパナヒ自身が演じている。つまり、この物語はフィクションであるが、ノンフィクションでもある。映画のなかの監督は、パナヒ自身であるし、彼の生きざまがここに投影されてもいるのだ。
映画は、次のようなシーンから始まる。トルコのある都市で、亡命を求める男女のドキュメンタリー映画が撮影されている。監督≠ヘトルコに入れないので、トルコ国境の近くの小さな村に身を寄せて、SNSで指示を出している。これはパナヒ自身なのだ。
村の住民はみんな人がよく、親切だ。待遇に不満はない。しかし、この村は昔からの因習で縛られており、イスラムのしきたりが行動原理になっている。女性は生まれた時から、すでに結婚相手が決められている。女性の自由は認められていない。
この村で、若いふたりが結婚を望んでいる。しかし、女性はいいなづけを決められていて、好きな人と結婚できない。ふたりは国境をこえてトルコに亡命しようとするが、国境警察に射殺される。監督≠ェ滞在する村で、みずからも巻き添えにされながら、こんな事件がおきていく。
「熊がいるから、近づくな」
この村には、「この先に熊が出るから、近づくな」という諺がある。これは脅かしの言葉なのだ。ほんとうは熊なんて出ないが、熊が出ると言って、次の行動をやめさせる。映画のタイトルは、「熊は、いない」。ここには、「権力者の脅かしに屈するな」という意味が込められている。パナヒ監督の人生哲学なのだ。
村民たちは、村落共同体のしきたりのなかで、因習にさからわずに生活している。この共同体は、パナヒ監督にとってはイラン国家でもあるのだ。同時に、この映画をみている日本の観客にとっては、それは日本でもある。
理不尽なことには声をあげて、闘うべきだ。国家の脅かしに屈してはならないのだ。熊は、いない。(鹿田研三)
紹介 展望第30号
岸田政権と全面対決
今秋闘争に必携の武器
今号は沖縄・原発・ウクライナ反戦を軸に編集した。
▼巻頭論文は〈暴走する岸田政治=戦争と分断支配の2012年体制粉砕〉とうちだした。今秋は沖縄・反原発・反増税の反乱をスローガンにして、11・23沖縄県民大集会と12・3原発廃止一万人集会を頂点に闘いを展望する。
「失われた30年」によって日帝は経済的衰退・没落だけでなく政治や行政も劣化が著しい。この過程を主導したのが安倍・菅・岸田と続く「2012年体制」である。集団的自衛権行使容認の閣議決定や戦争法、秘密保護法、安保3文書の改訂などが国会を無視・軽視しておこなわれ、モリ・カケ、桜・公文書改ざん、政治の私物化、官僚の腐敗、社会の崩壊など自公政権の危機は深い。こうした危機と野党の破産の中で安倍以上の凶暴さを示しているのが岸田政治だ。
@沖縄、A反原発、B生活防衛=反増税、C差別排外主義との闘い、Dウクライナ反戦とミャンマー人民支援など国際連帯、地方から始まった人民総反乱を拡大させていくことを訴える。
▼島袋論文は日帝の対中国戦争政治の突出を弾劾する。とくに安保3文書改定、南西方面戦略によって琉球弧の島々にミサイル基地が建設され、新たな沖縄戦ともいうべき事態が進行していることに立ち上がるべきと訴える。これに対して新たな沖縄戦を許さない全県組織・運動が起動しつつある。11・23県民大会を転換点としてこの運動が復帰協の意義と限界の教訓をのりこえて闘うことを展望する。また、構造的沖縄差別の柱としての琉球差別との闘いをウチナーンチュウ、ヤマトンチュウの一体の闘いで取り組むことを訴える。さらにアジア侵略の血債の観点から中・台・韓・朝人民との連帯を挙げる。
政府は辺野古新基地埋め立て設計変更に対して最高裁判決をテコにして沖縄県・住民の反対を押し切って大浦湾の埋め立て工事を強行しようとしている。沖縄と一体となった本土(ヤマトゥ)の決起が問われていると述べる。
落合論文は「新たな沖縄戦」の軍事的側面から検討した。両論文ともにアメリカの戦争に日本が巻き込まれるのではなく、日本が積極的に戦争を挑発していると分析する。
▼反原発問題では12・3反原発集会へのアピールと希代の悪法=GX脱炭素電源法と福島原発放射能汚染水海洋投棄を弾劾する3本を載せた。世界の脱原発・再生エネルギーへの転換の流れに背を向けて岸田は原発回帰へ暴走している。原発新設はすぐにはできない。そこで老朽原発を動かそうとするが、設計年限を超えた運転は事故が不可避だ。ロンドン条約であらゆる放射性廃棄物の海洋投棄が全面禁止されている。放射性排水も対象になった。これを無視する政府は許されない。老朽原発再稼働、中間貯蔵地、汚染水海洋投棄を焦点に総反撃しなくてはならない。
▼ウクライナ反戦について小特集を組んだ。特に日本と世界でロシアのウクライナ侵略戦争は許されないと言いながら、運動内部に混迷がある。議論と論戦を深め、ウクライナ人民とともに闘おう。
▼強制不妊仙台高裁判決(控訴棄却)を弾劾する。木々論文は「徐斥期間」とその問題性を暴き出し、全面的再検討と廃止に踏み込むべきと指摘している。仙台高裁判決はこのかんの流れへの大逆流だ。優生保護法問題は終わっていない。「優生保護法問題の早期全面解決」へ、ともに闘い抜こう。(川上五郎)