島々を戦場にするな
11・23 沖縄県民大会から大反撃へ
沖縄県民大会同時集会in大阪実行委が沖縄キックオフ集会にあわせて行動(9月24日JR大阪駅前) |
沖縄を再び戦争にさせない県民の会設立・キックオフ集会が9月24日、沖縄の沖縄市民会館でひらかれ8百人が参加した。
この集会と連帯して同日、大阪駅前で、戦争に反対し「沖縄を再び戦場にさせない」ためのスタンディングがおこなわれ50人が参加した。〈沖縄県民大会同時集会inおおさか実行委員会〉が呼びかけた。
大阪駅前東口広場は、広場の端から端までカラフルな手作りのバナーやメッセージボードを持った人たちで埋め尽くされ、歩行者の注目を浴びた。三線やサックスの演奏もあるなかで、リレーアピールがあり5人が発言。岸田政権による戦争政策に沖縄県民とともに反対の声を上げようと次のように訴えた。
「戦争を絶対におこさせない。沖縄で進められている基地建設、自衛隊・ミサイル部隊の配備、それに反対し、沖縄を再び戦場にしない。辺野古新基地建設絶対反対です。沖縄デニー知事の設計変更不承認を何度でもひっくり返そうとする政府及び最高裁判所のやり方は許せない。沖縄の民意を無視して基地を押しつけ続ける政府に私たちがNOと言わないとまかり通ってしまう」
カラフルな手作りバナーが(9月24日、JR大阪駅前) |
「安保三文書を閣議決定のみで改定し、敵基地攻撃能力を持って、相手の基地や政治中枢を攻撃してもいいんだと。そのために琉球弧の島々にミサイル部隊の配備を強行している。ひとたび島々を戦場とする戦争が起こったら、ミサイルの雨が降る。住民たちは逃げることができない。台湾有事を煽り、中国を第1列島線内に封じ込めるという戦争計画を認めるわけにはいかない」「台湾有事というが、中国と台湾の国内問題であり、日本やアメリカが口出しすることではない」「戦争に回すお金を、私たちの暮らしに回せ」
「沖縄戦において20万人の戦死者がでた。そのうち半分は沖縄の住民。戦争において最も被害を被るのは兵隊ではなく市民。朝鮮戦争時、国会で議論もせず米軍の意向でできた自衛隊は、住民を守る軍隊ではない」
増税反対でれいわが各地で行動
東大阪市議選 維新支配に風穴
れいわ新選組のいとうさん堂々当選 9月24日(2面に記事)
消費税廃止!増税反対をかかげ2グループで西梅田までデモ行進(9月16日 大阪市内) |
岸田政権の「大軍拡・大増税」攻撃の本格化を前に、「消費税廃止」を党是とする「れいわ新選組」は、全国各地で反増税デモ=「増税? ダメ?絶対!」行動をおこなっている。
9月16日午後4時、大阪扇町公園には600人が結集。山本太郎代表と大石あきこ共同代表(衆議院議員)らが、物価高騰・生活苦の今、贈税などありえない、消費税を廃止し市民の購買力を上げることが景気回復の道、10月インボイス導入反対とアピール。
短時間の集会を終えて、2グループに分かれデモに。山本代表はサウンドカーから、デモ参加者、道行く人、ビルの窓から覗く人に向かって小気味良いコール&レスポンス。通行人やバスの乗客からも「わが意を得たり」と手を振ったり、Vサインが返ってくる。
第2グループの大石あきこさんも車上から「国会で(与党や維新から)一番嫌われている議員です」と笑いを取りながら、自公・維に負けず増税反対を貫くと訴えた。
れいわの西日本の行動はその後、18日に広島、次いで松山、長崎と大きな反響を呼んでいる。10月6日17時から、大阪市淀川区の十三公園で再度の集会・デモがおこなわれる。
商店街を100人が行進(9月18日 広島市内) |
2面
東大阪市議選
維新の勢いに立ちふさがる
いとう候補が2735票で当選
当選の花束を受けとる いとうゆうきさん(9月25日 東大阪) |
衝撃が走る
投票日9月24日、22時30分過ぎの選管からの最初の発表は1000だった。23時の発表も同じく1000だった。しかし、23時30分の発表では一気に2500まで票を伸ばした。開票場に詰めかけていた他の政党から「すごいことが起こっているでー、れいわ、いきよったわー」という声があがった。
2735票、定数38人中29位という選管の最終発表があると、午前2時近い深夜にも関わらず選挙事務所で待機していたボランティアの仲間から大きな拍手がわきおこった。ボランティアからいとうゆうき候補に花束が贈られた。
戦地に赴く気持ち
かつて山本太郎代表は、当選したときの気持ちを記者に聞かれて「これからが大変なので戦地に赴く気持ちだ」と語ったが、いとう候補は山本代表と同じ気持ちだと詰め掛けたボランティアとユーチューブで生配信している全国の仲間に語りかけた.
「アリの一穴をあけたに過ぎない。これから進む道はいばらの道、4年後には市議4人に拡大したい」と抱負を語った。
山本太郎代表と演説するいとう候補。駅北のビル1F、2Fもいれ150人が集まったの(9月21日 近鉄「若江岩田」駅前) |
手探りの選挙
前回の参院選で6100票のれいわへの比例票はあったが、基盤がないところでどうやって票を獲得していくのか。手探りで進めるほかなかった。
各種の名簿を回っても1日に回れる数は限られており、到底必要数を満たすことはできない。そのために採った方法は名簿回りをしながら、同時にチラシの全戸配布をやりきることだった。10万戸といわれる東大阪市の全世帯に対し2倍以上の24万枚のチラシをまき切った。真夏の一番暑いときに一軒一軒チラシをまいたボランティアの努力はかつてないものである。いとう候補の票が地域に偏りがなくまんべんなく票が出たのはこのためである。
もう一つは複数の障害者団体の推薦を得たことである。これらの障害者団体がいとう候補の大きな支持基盤になった。公選はがき2000枚のうち障害者団体からのものがかなりの数を占めた。
3つ目はTikTok(ティックトック)やユーチューブ等の活用である。れいわ新選組は党としてこれらを積極的に活用している。ティックトックは無料ソフトで短い動画を作成してネットに簡単にアップできる非常に使いやすいソフトである。だから若い世代はこれを使って動画を作成してネットにアップし、互いに会話≠オている。いとう候補が街宣をやっていると、若い世代が「山本太郎は知っているよ」と声をかけてくるのは、彼らがティックトックをやっているからだ。山本太郎≠ニ検索すると山本太郎が国会で政府を追及している場面が次々と現れる。意識のある若い世代はこれらをしっかり見ている。
山本代表の街宣
山本太郎代表は9月22日、大石あきこ共同代表とともに東大阪に入り、維新批判をおこない、いとう候補も自分の思いを語った。反応はきわめてよかった。この日を境にチラシの受取りは格段によくなり、投票日の前日には3000枚のチラシを手配りでまき切った。
維新の勢いをとめた
野田義和市長が自公から維新に乗り換え、維新は市議14人を立てたが3人落選した。維新は11人に切り縮められた。こういう市議会にれいわの旗が立ったことはきわめて大きい。
1ポイントあがった投票率
投票率は前回38・91%、今回は39・87%で約1ポイントあがった。有権者総数は40万人弱なので4000人近い有権者が新たに投票に向かったのだ。市長を含めて市議会が維新市政になることに危機感を持った人たちが投票に動いたと考えても間違いではないだろう。民衆は立ち上がり始めた。ともに闘おう。
ジャニーズ性加害問題を糾す(上)
石川由子
日本のエンターテインメント業界を牛耳っていた故ジャニー喜多川氏(以下ジャニー氏)による性加害問題が明らかになり、ジャニーズ帝国の崩壊が始まった。被害者の多さ、ジャニー氏とマスコミ・エンタメ業界共謀による性加害の犠牲者は小中学生にまでおよび、告発が絶えなかったにもかかわらず無視し続けた日本社会の構造的問題など、その悪質性は日本の犯罪史に残るだろう。
今回の告発運動の発端となったのは今年3月の英国BBCによる番組で、4月、カウアン・オカモト氏が顔出し実名で被害を告発した。また長年被害者が国連に訴えてきたことが功を奏し、国連人権理事会の来日、提言へとつながる。
無視されてきた被害糾弾
ジャニー氏の性加害に対する告発は60年前から始まっていた。また70年代には、ある人気歌手が声変わりせず、いつまでも童顔であることで何らかの薬の疑いが持ち上がった。ジャニー氏が、タレントに男性としての成長を阻害すると言われる「注射や薬」を強要していたと「ジャニーズ性加害問題当事者の会」は証言する。その後最も衝撃を与えたのは元フォーリーブスの北公次氏が「光GENJIへ」という性被害告発の本を出版したことだ。北氏はこの本でジャニー氏への怒りと感謝という相反する思いを爆発させた。これは典型的な被害者の心情だそうだ。
このころから前出の「当事者の会」の代表平本淳也氏らは性被害の告発活動を開始した。しかし、マスコミは無視を続け、ジャニーズ批判をした芸能リポーター梨本勝氏を業界から干した。被害者の中には今でもうつ病や小さなことが引き金になりフラッシュバックに苦しんでいる人が多くいる。
共犯のマスコミ
その後ジャニーズ事務所はテレビ局が重宝するタレント養成所に変貌した。マスコミは視聴率を稼ぎ仕事をこなすジャニーズタレントを偏重し、ジャニーズ独裁体制を構築した。性加害はジャニー氏個人の犯罪であるがこれほど長きにわたり、また多数の被害者を作ったのはマスコミの共犯なくしてはできなかった。2004年文春との裁判においては最高裁で性加害が確定したにもかかわらずマスコミはこれを報道すらしなかった。
被害者の苦しみ
被害の痛みを押し殺し、何事もなかったかのように笑顔でテレビに出なければならないタレントたちの苦しみはいかばかりだろう。まずは彼らが自分の被害を安心して告発できる空気を作ることだ。誰からも強要されず、かつ否定もされない環境で、告発できる人は告発し、会社に被害者救済を訴えられるよう支援することだ。
男性版#MeToo運動
ハリウッド女優たちに端を発した#MeToo運動は今や男性に広がっている。何より男児への性虐待が、成人した男性サバイバーたちによって告発が続いている。欧米において教会における聖職者による男児への性暴行、カナダにおいては19世紀から教会が原住民の子どもの学校を作り、あらゆる虐待を繰り返した末に殺害してきた恐るべき歴史、アメリカにおけるボーイスカウトの男児へのおびただしい数の性加害などなどこれまで封印されてきた闇が明らかになっている。
ジャニーズ出身社長という茶番
ジャニーズ出身の東山紀之氏が新たに社長に就任した。東山氏は新たな被害者を作ってきた強力な加害者でもあったと告発されている人物だ。こんな人物が社長だなど許されるものではない。(つづく)
3面
放射性廃棄物をこれ以上生み出すな
上関町と対馬市で住民が反対で決起
津田保夫
長崎県対馬市と山口県上関町でおきていること
2023年8月16日、長崎県の対馬市議会特別委員会が、高レベル放射性廃棄物の最終処分場に関する「文献調査」を推進する請願を採択した。
8月18日、山口県上関町の西哲夫町長は「山口県上関町に使用済み核燃料を一時貯蔵する中間貯蔵施設の建設に向けた調査を受け入れる」と表明した。中国電力は関西電力と共同開発する方針だとしている。
右の2つは、「核燃料サイクル」に深く係っている。
また、8月24日、岸田文雄政権と東電は、地元住民や世界が反対しているにもかかわらず、核汚染水を太平洋に投棄開始した。これにたいして、世界中で怒りが巻き起こっている。
現在、岸田首相は原発を積極的に推進している。原発を動かせば、かならず使用済み放射性廃棄物が発生する。これについても、岸田政権は安全性を無視して、従来の政府方針を強行している。
使用済み核燃料の中間貯蔵施設とは何か。高レベル放射性廃棄物とは何か。まず、この問題からみていく。
使用済み核燃料の中間貯蔵施設
使用済み核燃料は核発電した後に残るごみだ。これは原発格納容器内の「核燃料プール」に貯蔵される。ここから青森県六ケ所村に運ばれ、再処理工場の「貯蔵プール」に貯蔵される。しかし、再処理工場が稼働しないために、この「貯蔵プール」が満杯(約2968トン)になり、もう運び込めない状態になっている。
だから、電力会社は自社で中間貯蔵施設をつくって、行き場のない使用済み燃料を一時的に貯蔵しなければならない。東京電力と日本原電は、青森県むつ市に中間貯蔵施設を造った。関西電力がここに自社の使用済み核燃料を持ち込もうと狙ったが、むつ市長は、当該施設は関西電力とは無関係として、搬入を拒否している。
関西電力の原発内にある「核燃料プール」は、すでに容量の80%を超えており、5〜7年後に満杯になる見通しだ。2021年2月、関西電力は「2023年末までに使用済み核燃料の中間貯蔵施設候補地を提示できなければ、(40年超原発の)美浜3号機と高浜1、2号機は運転していても止める」と明言している。関西電力は、今年末までに候補地を決定する必要があるのだ。
中国電力が上関町に中間貯蔵施設の建設を計画している。これは、全国でむつ市についで2例目となる。中国電力は、関西電力と共同でこれを造ろうとしている。
高レベル放射性廃棄物と地層処分
日本政府は、「核燃料サイクル」政策を取っている。使用済み核燃料を再処理して、プルトニウムを取り出すのだ。このときに高レベル放射性廃棄物(核のごみ)が発生する。これはガラス固化されて、地層処分されることになっている。しかし、この最終処分場が決まっていない。
地層処分とは、地下3百メートル以下のところにガラス固化体を貯蔵し、10万年くらい管理保存するというものだ。このためには非常に安定した地層が必要だ。10万年前といえば、ホモ・サピエンスがアフリカを出て、ユーラシアに移動を開始する頃だ。こんな長い期間をどのように管理するのだろうか。
2020年11月、北海道の寿都町と神恵内村が文献調査に名乗りをあげた。対馬市は3例目になる。これらの市町村は、最終処分場をつくりたいと思っているわけではない。「文献調査」に応じれば、20億円の交付金が出る。この金が目的なのだ。
低レベル放射性廃棄物を海洋投棄する計画
1980年代に、日本政府は低レベル放射性廃棄物を海洋に投棄する計画をもっていた。ドラム缶に封印された放射性廃棄物を太平洋の海底に廃棄するというのだ。投棄場所は小笠原諸島北東(北緯30度、東経147度)で、水深6千メートルの地点だった。
この計画は4段階で進められていた。海洋および実験室において、実施前の安全検査をする(第1段階)、放射性廃棄物の入ったドラム缶5千〜1万缶を実験投棄する(第2段階)、実験投棄の影響検査を目的にした海洋実験をおこなう(第3段階)、本格投棄をおこなう(第4段階)。
1981年、日本政府は第2段階を開始すると周辺の国々に通告した。これにたいして、太平洋フォーラムの国々から強い反対がおきた。それでも日本政府は強行しようとしたが、1985年に無期限停止、事実上の中止を決定した。
太平洋の海を核汚染させる。これはどういうことを意味するのか。日本政府はこのことを理解できない。だから、福島第一原発事故による核汚染水についても同じことを繰り返している。日本政府に反省を求めるのではなく、われわれ民衆の力で核汚染水の海洋投棄を中止においこもう。このことが日本人民に求められている。
放射性廃棄物をどうするか
原発を稼働すればするほど、使用済み放射性廃棄物が生み出される。これを再処理しようとしまいと、ここから高レベル放射性廃棄物が生まれる。これが地球環境を汚染する。われわれは将来の子孫に「負の遺産」を残すことになる。この放射性廃棄物の存在こそが、被ばく問題とともに、核開発において最大の問題点なのだ。
9月27日、反対住民の声を背景に、比田勝尚喜対馬市長は、「調査拒否」を表明した。
原発のない世界を実現するために、人民の力で岸田政権の原発暴走を止めよう。
40年超・高浜2号機 再稼働を強行
高浜現地抗議行動 9月15日
高浜原発北ゲート前で2号機の再稼働に対し110人が抗議(9月15日 福井県高浜町) |
関西電力は、9月15日、47年超えの老朽原発・高浜2号機の再稼働を強行した。この日、地元福井県をはじめ、関西一円、四国などから110人がかけつけ、猛烈な残暑のなか、原発北ゲート前で抗議の声を上げた。
午後1時、ゲートの北300メートルにある音海展望台に集合、デモで原発に向かった。
北ゲート前に到着後、ただちに抗議行動を展開。
地元小浜市の半世紀にわたる反原発の闘士=明通寺住職の中嶌哲演さんは、福井地裁で大飯、高浜の原発再稼働禁止した裁判長・樋口英明さんの激励にこたえて、いまも司法闘争を闘っていると力強く訴えた。
また滋賀県からの参加者は、琵琶湖を放射能被ばくから防衛せねば、関西一円の1450万人の生命線がたたれると警告。
兵庫県からは大阪発のバス、神戸からの車などで21人が参加し、はりま、明石、神戸、阪神から報告と決意が語られた。
オール福井反原発連絡会が、高浜町民アンケートの集約結果の報告をした。「原発はやむを得ない」という意見は50%だが、「老朽原発は、やめてほしい」という声は72%にのぼった。原発で働いていた人から「原発は、40年以上運転するという前提で作られた物ではない」との声があったという。
「老いたものたちは、いまさら外で暮らすことは嫌だが、若者と子どもたちは、原発から遠ざかってほしい。それぞれ電力会社の利権にからまれているが、老朽原発だけはやめてほしい」という声も寄せられたとのこと。
アンケート集計結果のパンフはその場で希望者に渡された。
高浜原発へ申し入れ
午後2時、申し入れ行動。代表団がバリケードの内側に入り、申し入れをおこなった。
危険極まりない老朽原発・美浜3号機、高浜1号機の運転を中止し、老朽原発・高浜2号機の再稼働、高浜3、4号機の40年超え運転を断念し、これらの原発の即時廃炉を決定するよう訴えた。
3時、再稼働を強行
午後3時、関電が再稼働を強行したと連絡が入った。振り絞った声で抗議をたたきつける。
現場に参加していた地元高浜町民からは「(再稼働後の)今日、明日(の原子炉)が心配」と不安の声。
老朽原発うごかすな! 実行委員会の木原壯林さんは「いま日本政府は汚染水を批判され、中国非難を強めているが、戦争にまでなりかねない勢いだ。そもそも汚染水を流しているのは日本政府だ。関電は人をだますことが多すぎる。だまされないために行動が必要。1人1人が行動する以外にない。だまっていたら原発は必ず事故をおこす」と強調した。
4面
巨大地震が来る前に
原発・核燃から撤退を
9月18日、「原発・核燃からの撤退を!巨大地震が来る前に 2023関西集会」が大阪市内でひらかれ350人が集まった。主催は、脱原発政策実現ネットワーク関西・福井ブロック、共催は原発反対福井県民会議など4団体。最初に大島堅一さん(龍谷大学教授)が「原発・核燃は時代おくれだ」と題して講演。報告発言「原発事故は身も心も生活も破壊する」を鴨下美和さん(福島原発被害東京訴訟原告)がおこない、講演2「原発と核問題」を内藤新吾さんがおこなった。
原発・核燃は時代おくれだ
大島さんの講演要旨を以下、紹介する。(文責=本紙編集委員会)
大島さんは、冒頭、昨年6月17日の最高裁判決にふれ、その翌月、岸田がGX実行会議を開催し、これが大きな転換点となった、と指摘。6・17最高裁判決とは、それまでに全国4カ所で福島第一原発事故損害賠償請求集団訴訟の高裁判決が出ていたが、国の法的責任を認める判決と認めない判決が出ており、それの統一判断として4事件一括で最高裁が判断を示したもの。
最高裁は4訴訟について、国の法的責任を認めない(問わない)とする政府を全面擁護する反動判決をくだした。この後、岸田の原発暴走が堰を切ったように始まった。
電力需給逼迫の原因
電力需要が通常低い時期に、従来の統計で予測できない季節はずれの異常気象が原因で、電力需給の逼迫は発生する。原発の再稼働や停止とは関係ない。事前に計画すれば対応可能。実際、今夏は記録的猛暑であったが電力の需給逼迫は起きなかった。
原発が止まることと電気代高騰は無関係
電力価格の高騰は「電力市場の設計」問題である。ウクライナ侵攻前の状態でいうと、大手電力会社が電源を8割以上所有(寡占)し、内部取引を優先。余分な電気を発電しない。そのため電力市場に電気がまわらない。その結果、電力市場で価格高騰となる。これは、全発電量を市場に供出し、大手電力の小売りも平等に競争することで解決する。
ウクライナ侵攻後には、上記「電力市場の設計」問題に加え、資源の国際価格高騰がある。LNG価格、石炭価格の高騰。つまり、原発が止まっていることとは関係ない。
「3・11」後の原発コスト
「3・11」後、原発にかかっている(ないし判明している)コストは約33兆円。これを人口で割ると一人約27万円。世帯平均(2020年、約2・4人)でみると一世帯あたり約65万円の負担となっている。これだけ、電気代や税金で余分に取られている。原発と戦争
武力攻撃に耐える原発は存在しない。戦争がおこれば重大事故発生は不可避。
特に日本の場合、沿岸に原発が集中立地、原発新設・新型炉新設のリスク、六ヶ所再処理工場の危険性(事故が発生した際の放射能被害は原発の比ではない)などがある。
原子力産業は存続の危機に
原子力産業のサプライチェーン[注]が存続の危機にあえいでいる。日本国内で進行・計画中の新規プロジェクトが「3・11」で中断したまま。海外ではいくつかの輸出案件が計画されていたが、いずれも中止・終了。安全対策費も土木投資に偏るなか、中核のサプライチェーンは売り上げ途絶。
原子力産業から川崎重工、住友金属、古河電工、明電舎など大手の撤退が続いている。
[注]サプライチェーン
製品の原材料・部品の調達から、製造、在庫管理、配送、販売、消費までの全体の一連の流れのこと。 日本語では「供給連鎖」という。破綻している再処理
再処理計画・事業は破綻している。にもかかわらず、国の事業になってしまっていて、推進ありきになっている。このことが、さらに問題を複雑化、深刻化させている。高レベル放射性廃棄物の最終処分、使用済み核燃料の中間貯蔵施設問題の未解決など。
基本法改定は「原子力産業の永久化」
原子力基本法を改定し、電力自由化を含むいかなる改革がおこなわれても、安全対策投資、事業の安定のための保護策(延命策)を「国が実施する」と宣言した。
原子力産業は時代遅れ
岸田政権の原子力回帰は、原子力産業の延命が目的。衰退産業は国によっても維持することは不可能。しかし、国には強大な権力があるので、国民から原子力産業延命のための資金を徴収できる、すなわち電気料金、託送料金(送電線使用料)、税金である。
原発ゼロ社会に向けたエネルギー政策
@福島第一原発事故に向き合う事、A原子力回帰政策の撤回、B脱原発政策へ転換、C原発なしの現実的カーボンニュートラル(省エネと再エネの組み合わせ、産業構造の転換、雇用創出、持続可能なまちづくり)を。
未来を縛る原発
今後、原発が新設されるとどうなるか。たとえば、2025年、原発新設工事開始、2040年、新規原発運転開始、2100年新規原発の運転終了(60年運転)、2130年廃炉完了?。そして放射性廃棄物処分へ。
こうして22世紀、23世紀の未来をしばることになる。
無責任の構造
野心的計画(過大な目標、ないしは無計画)、失敗・無反省、無謬性(目標を達成できない。原因究明をしない。順調かのようにふるまう)、放置・先送り(根本的解決策の実施や方針転換をおこなわない)、免責・ツケ回し(意思決定に関与した当事者の責任が問われない)、国による手厚い保護(原子力複合体、特に原子力事業者を救出)。この循環構造の中で原発を無責任に推進していく。
不可視の構造
@情報の不存在、隠蔽(不都合な記録、情報を作らない、残さない)、A情報の分散(行政組織、認可法人、自治体、民間事業者がばらばらに分掌)、B不十分な情報公開、情報廃棄(情報公開の度合いがばらばら。保護期間を過ぎれば廃棄=公開されない)。
こうして、いまだ福島第一原発事故の全容は把握できてなく、政府や電力会社に原発を推進する資格はない。
まとめ
岸田首相は、原発推進・延命政策を新たに作り出した。電力価格高騰、電力需給逼迫は、原発とは直接関係ない。ロシア=ウクライナ戦争は原発のリスクを改めて示した。原発は時代遅れになり、衰退している。原子力と「無責任」と「不可視」の構造を無くす必要がある。原発ゼロにむけた市民の取組が試されている。
琉球遺骨返還請求訴訟
9月22日 大阪高裁で判決
9月22日、琉球遺骨返還請求訴訟の控訴審判決が大阪高裁であり、大島眞一裁判長は、原告側の請求を棄却した1審(京都地裁)判決を支持し、原告側の控訴を棄却した。判決は「不特定多数(の者)が、返還請求権は行使できない」とした。
昭和初期、京都帝国大学(現京都大学)の人類学者が「研究目的」と称して琉球人遺骨を盗掘し持ち去った事件。2018年12月、琉球(沖縄)出身の松島泰勝さん(龍谷大学教授)ら5人が京都大学に遺骨の返還をもとめ裁判を起こした。
先住民族として認定
判決は「控訴棄却」であるが、注目すべき点がいくつかある。
この判決は、琉球民族を先住民族として記述しており、これは日本の国家機関としては初めてのことである。
遺骨は本来の地へ
さらに、「現在では、先住民の遣骨返還運動が世界各地で起こっている。オーストラリアでは1988年までにビクトリア博物館に保管されていた遣骨の返還がされ、その後も、イギリスやドイツ、アメリカ合衆国等からの遺骨返還が実現している。ドイツは2011年に旧植民地ナミビアに遺骨を返還している。アイヌ民族の遺骨は、2017年にドイツから、今年5月にはオーストラリアから我が国に返還されている。本件でも、金関が昭和9〜11年頃に、台北帝国大学(現在の国立台湾大学)に転任する際に持ち出した遺骨のうち頭蓋骨33体分は、国立台湾大学、沖縄県教育委員会らの協議に基づき、平成31年に沖縄県立埋蔵文化財センター収蔵庫への移管がされている。遺骨の本来の地への返還は、現在世界の潮流になりつつあるといえる」。
日本人類学会を批判
「遺骨は語らない・・。遺骨を持ち出しても、遺骨は何も語らない。しかし、遺骨は、単なるモノではない。遺骨は、ふるさとで静かに眠る権利があると信じる。持ち出された先住民の遺骨は、ふるさとに帰すべきである。日本人類学会から提出された、将来にわたり保存継承され研究に供されることを要望する書面に重きを置くことが相当とは思われない」
訴訟の限界
「本件遺骨の所有権に基づく引渡請求等が理由がないことは前記のとおりであり、訴訟における解決には限界がある。今後、本件遺骨を所持している京都大学、祖先の百按司墓に安置して祀りたいと願っている控訴人亀谷及び控訴人玉城のほか、沖縄県教育委員会、今帰仁村教育委員会らで話合いを進め、沖縄県立埋蔵文化財センターヘの移管を含め、適切な解決への道を探ることが望まれる。まもなく百按司墓からの遺骨持出しから100年を迎える。今この時期に、関係者が話合い、解決へ向かうことを願っている」
遺骨返還、琉球の脱植民地化を
松島泰勝さんは「日本の国家機関として初めて琉球民族を先住民族として認めた大島判決を踏まえて、今後、京大とも遺骨返還の交渉をおこない、琉球の脱植民地化を進めていきたい」と語る。
5面
関東大震災100年 各地で集会(下)
国家責任を問う 真相究明、謝罪、賠償
深津利樹
李元栄さんを先頭に日韓市民徒歩行進(9月9日 横浜〜川崎) |
「神奈川鉄橋」で一挙に5百人を虐殺
韓国ソウルから東京の国会までの1600q、李元栄元教授らによる「福島放射能汚染水海洋放流中止・日韓市民徒歩行進」のうち、9月9日の横浜〜川崎間のたった12qだけ同行させていただいた。傲慢な原発汚染水の海洋投棄は朝鮮・中国など東アジアや太平洋の島々への再びの侵略宣言だ。
この横浜〜川崎間が関東大震災時に朝鮮人を大虐殺したところと知っていただきたかったから。
横浜を出てすぐにある青木橋というところ、当時は神奈川鉄橋と呼ばれていたようで「在日本関東地方罹災朝鮮同胞慰問団」の調査では、この橋で実に5百人が虐殺されたと記されている。人間を1人殺すことは大変なことと言うが、それを一挙に5百人を殺害するというのは尋常ではありえない。日本軍本隊による組織的な犯行であろう。
この近くの警察署の裏では40人が殺害され、海の埋立地に建設された工場で、電気会社内での虐殺、京浜ドック工事をおこなっていた百人余、飯場では50人とも80人ともいわれる朝鮮人が虐殺されている。さらに線路を隔てた「遊郭」の裏門で17〜18人が、また近くの橋で20人、そして中国人も警官と自警団によって殺されている。このように、この「一帯は神奈川虐殺地帯と言っても過言ではない」と「神奈川県関係資料」(姜徳相・山本すみ子共編)は語っている。
翌年、近くの海浜に数百の殺害された遺体が打ち上げられていて、その「処理」を互いに押し付け合って誰もやりたがらないと報道されている。
6千人以上とも言われる関東大震災時の朝鮮人・中国人虐殺、その「慰問団」の調査ではそのうち3999人の人々がこの横浜を中心にして神奈川県内で殺戮されたのだった。しかし公式には「神奈川県内2人死亡」となっているだけだ。
神奈川追悼会の横断幕(9月2日) |
現に東京市内に於いて爆弾を所持し、石油を注ぎて放火するものあり、・・・
関東大地震が起こったのは1923年9月1日11時58分、その日から「朝鮮人が井戸に毒を入れた。暴動を起こし放火、強盗、略奪、強姦している」との流言が広まり、2日になって摂政・裕仁裁可のもと水野練太郎内務大臣によって「戒厳令」が布告され、3日午前8時には内務省警保局長名によって船橋海軍送信所(東京の送信施設は壊滅していた)から「東京付近の震災を利用し、朝鮮人は各地に放火し不逞の目的を遂行せんとし、現に東京市内に於いて爆弾を所持し、石油を注ぎて放火するものあり、既に東京府下においては戒厳令を施行したるが故に各地に於いては充分周密なる視察を加え鮮人の行動に対して厳密なる取締りを加えられたし」という電文が全国各地の地方長官あてに送られた。また横浜では、9月2日午後8時、海軍大臣あてに「爆破処々に起り、不逞鮮人の放火と相まって全市火の海と化し・・・」と報告している。「すでに朝鮮人が暴動を起こしている」と公的に発表しているのだ。
「関東大虐殺」と言われる朝鮮人・中国人の虐殺については、例えば埼玉県本庄では、民衆が警察署に乱入して、警察署に「保護」(拘束)されている朝鮮人を無理やり引きずり出して殺害したり、東京墨田区の四つ木橋では「朝鮮人と思われる死体がずらーと転がっている。その死体の頭へ「コノヤロー」と石をぶつけてめちゃくちゃに壊している」など、そんな状況であったとされている。当時の日本の民衆の朝鮮人に対する意識がここから見えてくる。
そしてそれは内務省警保局長(現在の警察庁長官だ)公的な機関の長が公然と出した司令によっても正当化されている。
新聞も負けていない。「鮮人至る所でメッタ切りを働く 200名抜刀して集合 警官隊と衝突 双方数十名の負傷者」、「日本人男女10数名を殺す 本部は世田谷 憲兵警官隊と衝突」・・・(以上東京日日新聞)。もちろん全部がデタラメだ。
神奈川における草の根の取り組み
神奈川においては、公的に「2人死亡」だけと言われているなかで「草の根の取り組み」が続けられてきた。公的な資料が見つからないなかで、目撃した証言、なによりも子どもたちの体験作文から、その事実が浮かび上がってきたのだ。「関東大震災時朝鮮人虐殺の事実を知り追悼する神奈川実行委員会」(山本すみ子代表)の、それこそ地を這うような地道な取り組みが光っている。
会の調査によって、子どもたちの百件以上の作文があり、ここから事実が浮かび上がってきた。
尋常小4年「朝起きて見るとまっかになっていました。すると朝鮮のやつだと山でどなっていました。するとみんながボウをもって、手に赤いきれをまいていました。僕もボウをもってすすんでいると1人の朝鮮人が死んでいました。僕はボウでぶってにげてきました。」
6年生「僕等の平和をやぶったあの大震災。あの震災に乗じて世間をさわがしたあの朝鮮人。なんといううらめしい事であろう。」
4年生「3日の朝見れば朝鮮人がたくさん川で死んでいました。」
こうした作文、ほとんどが朝鮮人の死体に対して「気味が悪い・・・」などと言っているが、朝鮮人に悪いことをしたとか、気の毒だなどという言葉はほとんど見られない。
このような作文をきっかけにもして、一件一件を地道な調査を重ねながら神奈川での、とりわけ横浜周辺の朝鮮人・中国人虐殺の真相を明らかにしてきたこの実行委員会の取り組みは貴重なものだ。そしてこの9月、震災100年目にして「県が57件145人の朝鮮人虐殺」についての具体的な資料を公開した。この研究の第一人者である故・姜徳相氏が発見したものだ。今後さらに詳細が明らかになっていくだろう。
集会に参加の市民。横浜市長の献花も(9月2日) |
植民地戦争の一環としての関東大虐殺
日本政府は自らが犯した侵略戦争と植民地支配、強制連行や強制労働、日本軍性奴隷制、南京大虐殺などの歴史の事実を認めようとはしない。関東大虐殺を指示した水野練太郎内務大臣などは、1919年朝鮮に起こった三・一独立運動に対して現地の寺内総督府のもとで朝鮮人弾圧の最先頭に立ってきた人物だ。
三・一独立運動に対しては、朝鮮全土において日本軍・警察・憲兵・武装した民間人まで動員して弾圧し、朝鮮人7千5百人を殺害、1万5千人に負傷を負わせ、4万6千人余りを拘束した。
そしてその「朝鮮討伐軍」から帰国した「在郷軍人」が市民をあおり、日本軍とともに虐殺の先頭に立ったのだ。
この関東大虐殺は、日清戦争時の東学農民軍〜日露戦争以降の義兵闘争〜三・一独立運動などに対する日本軍による大弾圧・殲滅戦の延長上にある。その歴史を直視しなければならない。
今も続く差別と排外主義
百年経ったこの今、いまだ朝鮮人・中国人などへの差別と排外主義が跋扈している。政府や自治体行政などが認めようとしないこの大虐殺。それがバックとなって、今ヘイトスピーチが吹き荒れている。
「私はまだ℃Eされていないだけです」と追悼大会で語った在日3世の方の発言をかみしめなければならない。(おわり)
狭山再審 10・31へ動き
尼崎で23デー街宣
2回目の街宣を立花駅南デッキで(9月23日) |
「動かせ狭山」を合言葉に、9月23日尼崎市内で2回目の街頭宣伝が、JR立花駅南に地元・田中じゅんじ市議も参加し9人でおこなわれた。人通りは少ないが、10人が署名をしてくれた。行動後の会議では、年内の行動を強めようと毎月の街宣を確認した。
黒川さん 安田さん囲み大阪で80人の集会(詳報次号)
大阪での集会に80人が参加(9月18日) |
6面
長期・読み切り連載 大庭伸介
先人たちの闘いの成功と失敗を学び現在に生かそう
「あれっ? キャディーが消えた」
川奈ホテルのリレー式ストライキ
川奈ホテルとゴルフ場(川奈ホテルHPより) |
今回はローカルだがユニークな闘いを紹介しよう。静岡県伊東市郊外の山の上にある川奈ホテルは、旧大倉財閥系の名門ホテルである。北に富士山を望み東に相模湾を見下ろす絶景のゴルフ場、ここでプレーすることが、ゴルファーのステータスだそうである。
年配の活動家なら、1969年にこのホテルで開かれたASPAC(第4回アジア太平洋閣僚会議)粉砕闘争に参加したかも知れない。1998年には、橋本首相とエリツィン大統領の日露首脳会談の会場にもなった。
1970年代、ここで3次にわたる組織防衛闘争が展開された。サービス業ならではの弱点を突いて、リレー式ストライキなどユニークな戦術を駆使して組合側の完勝に終わった。
72年暮れからの第1次争議では、客商売のホテル業界では例を見ない年末・年始にかけてストライキが決行された。宿泊客のほとんどが政財界の大物とその家族である。客の多くが市街地まで食事をとりに山を下り、会社は予約客の半数を市街地にある他のホテルや旅館に振り向けた。
会社はこの年の7月ごろから、課長を頻繁に民宿に集めて、組合(約170人。ホテル労連加盟)つぶしの具体的な打ち合わせを重ねていた。「組合に勝ったら台湾旅行だ。台湾では男1人に女3人だよ」「組合を脱退したら会社が一生面倒を見るし、骨まで拾ってやる」と甘言をもてあそび、脱退した組合員は職場毎に「職場を良くする会」を作った。
さらに会社は年末一時金に大幅な査定を組み入れ、団交要員を一方的に制限して組合を撹乱しようとした。組合は一時金の受取りを拒否し、労働金庫から借り入れた越年資金で耐え抜いた。元旦に24時間ストを打ったあと、メイドの女性からコックまで、赤い鉢巻きに腕章をつけて就労した。
「不当労働行為では死刑にならない。やり得だ」とうそぶく会社の攻撃に、組合員は怒りを燃やした。ときには19時間にも及ぶ大衆的糾弾行動で職制を追及した。ストライキを敢行したことを契機に、守勢から攻勢に転じたのである。
組合は利用客を減らすために、市内全域に立看板を設置し、宣伝カーや全戸ビラ配布、ステッカー張りなど、地域宣伝活動をやり抜いた。キャディー(約50人)や臨時・下請け労働者の不満を積極的にとりあげて、組合加入を実現した。会社の必死の切り崩し工作にもかかわらず脱落者は16人にとどまり、組合は逆に261人に拡大した。組織防衛闘争でこんな例は珍しい。
地元の漁師の全面的な協力を得て、イルカの干し肉などの特産品を持って、静岡県全域を物資販売を兼ねて逆オルグに回り、支援の輪を広げていった。
20代を中心とした執行部は、この争議を権利闘争と位置づけ、ユニークな戦術を編みだした。その最たるものが、リレー式ストライキである。
これによってすべての組合員が指名・時限ストを実施した。調理場からルーム係、さらにゴルフ場のキャディーまで、つぎからつぎへとリレー式に、会社側に無通告でストライキを連打したのである。
会社はいつどこでストを打たれるか分からず、全くお手上げ状態でパニックに陥ってしまった。お客にしてみれば、食卓の上に食材を並べられたが、ガステーブルの火が突然消え、広いゴルフ場のなかで振り向いたらキャディーの姿がなく、呆然とするばかり。組合はホテルというサービス業の弱点を突いて、「楽しく」行動し勝利したのである。
第1次争議に敗れた会社は、1974年5月、前神奈川県評事務局長ら13人もの組合ゴロを雇い入れた。職場には問題が山積みし、集会や交渉が頻繁に開かれていた。彼らはこれに介入し、抵抗すれば業務命令や警告書を乱発した。
また会社はアルバイトや非組合員を、慣行や自治制を無視して独身寮に入居させた。青年部長らが彼らを詰問すると、暴行・脅迫事件をでっち上げて、懲戒処分などを課した。 しかし裁判所は、組合側の地位保全の仮処分申請をあっさり認めた。かくして翌75年2月25日、第2次組織防衛闘争は1年ぶりに勝利解決した。
しかし会社は、組合つぶしをあきらめてはいなかった。76春闘のなかで組合は、3月31日から継続的にストライキを打った。これにたいして会社は、女子を含む最も手薄なピケに、東海大学の空手部員を突っ込ませ、あっという間に殴る蹴るの暴行をふるわせた。
彼らが引き上げたあと、今度は作業服にヘルメットで身を固め、ピケ現場から少し離れた生け垣に隠れていた一団が、背後から襲撃してきた。
このピケ破りに、組合は4月25日に全面ストで反撃した。そして静岡県評(静岡県労働組合評議会)や伊東地区労をはじめとする周辺の地区労、ホテル労連などが「川奈ホテルから暴力を追放する抗議集会」を開き、地域社会に会社側の暴力行為を大々的に訴えた。
そして組合員を5人組に組織し、家族ぐるみの居住地別集会などに闘いの重点を置いた。川奈海岸に団結小屋を建て、組合員の団結を固めた。アジの開きなどを関東一円に物販し、土方などのアルバイトも強化して長期戦に備えた。
さらに、下請けのホテルサービス会社の職安法違反を告発し、運輸省(現・国土交通省)にホテル整備法違反を申告、労働基準局に労基法違反を申告し、その他会社のあらゆる違法行為を社会的にアピールした。
会社は賃金や一時金問題の先決を主張して組合員の動揺を誘い、組織分裂と争議の長期化をねらって攻撃を仕掛けてきた。しかし組合の団結はいささかも揺るがなかった。
その結果、11月9日、324日ぶりに、経済要求も含めた第3次組織防衛闘争は、社長自らの謝罪表明をもって、組合側の勝利に終わった。
3次に及ぶ5年間もの長期闘争に勝ち抜いた力は、どこから生まれたのか。それは何よりも、労働者をまともに人間として扱わず、ウソとペテンを繰り返す経営者にたいする素朴な怒りである。
一旦会社側に身を寄せてから組合側に寝返った仲間から、会社の不当労働行為の数々が生々しく暴露され、組合員の闘争心をさらに燃え上がらせたことも見逃せない。
「オレたちはちょっとしたことでもクビになるのに、経営者が不当労働行為という犯罪を繰り返しているのは許せない」という気持ちを土台にして、若い執行部を中心に「楽しみながら」アイディアを出し合って闘ったからこその勝利である。
寝食共にした労働運動一筋の人生
世代を超えた継承こそ本物の運動
執行部は市内のアパートを借り、日常生活を共にして闘った。
総評が50年代半ばにオルグ制度を新設して以来、労働運動一筋に生きた静岡県評のオルグ団長増本誠二は、彼らと長期間寝食を共にした。豊かな経験に裏打ちされた適切なサポートで、親子ぐらい年齢の離れた青年たちから「先生、先生」と慕われていた。私にとっても、静岡県評における15年間の在籍中、唯一尊敬できる先輩であった。
彼は家族のことなど滅多に口にしなかったが、一度だけ「うちの豚児はオレの背中を見て育ったと思う」と語ったことがある。>
「豚児」つまり彼の子息は弁護士になり、労働事件の弁護はもとより、零細商工業者の生活相談にも取組んでいる。世代を越えた継承こそ、労働運動をはじめとする社会運動が地域社会に深く根付いて発展する何よりの保障である。
最後に一言付け加えよう。敵の最も嫌がることをやり、敵に物質的・精神的打撃を与えることが戦術の要諦である。そして敵の戦意を喪失させることが勝利に直結する。川奈ホテルの争議は、それを絵に描いたように示している。
昨今の労働運動はややもすると、法令や判例を前提に戦術を考え、何かと言えば裁判(国家の人民支配機関)に委ねるズブズブの合法主義に走る傾向が目につく。そうしたなかで川奈ホテル争議から学ぶべきものは少なくない。(この項終り)
[参考文献]
静岡県労働組合評議会編『静岡県労働運動史、資料・下』
7面
敵基地攻撃能力は戦争への道
羽柴修さん講師に100人が集会
9月16日
芦屋では常連の講師羽柴さんが判りやすく講演(9月16日) |
9月16日、兵庫県芦屋市内で芦屋「九条の会」主催による「敵基地攻撃能力は本当に必要か」と題した集会がひらかれ、羽柴修さん(兵庫県弁護士9条の会)が講演した。
羽柴さんの話の要旨を紹介する。
▼第1に「敵基地攻撃能力」と安保関連3文書。
敵基地攻撃能力とは何か、@日本が他国の領土をミサイルなどによって直接攻撃ができるようにするもの。これを、安保関連3文書で初めて保有するとした。A憲法9条と自衛隊専守防衛との関連。自衛隊は憲法に違反する=専守防衛に徹する限りで合憲とされてきたが、防衛費に43兆円つぎ込むと世界第3位の軍事国家となる。B3文書で「敵基地攻撃能力」はどう説明されているか。相手からミサイルによる攻撃がなされた場合、更なる武力攻撃を防ぐために我が国から有効な反撃を相手に加える能力、また我が国に対する武力攻撃が発生した場合、武力行使の3要件に基づき、必要最小限の自衛の措置として、相手の領域で反撃を加えることを可能とする、としている。
(1)3文書で何を言っているか。@我が国を取り巻く安全保障環境の劇的変化、A戦後の安全保障戦略の大転換、B防衛力の抜本的強化、と3つ言っている。
(2)軍事費の大幅増額は、防衛費7兆7385億円。過去最大、5年間で43兆円となる。
(3)軍事国家は基本的人権の尊重を無視する。
(4)国益とは何か。軍事優先の国家では国民の生命身体財産、豊かな文化と伝統は守られることはない。
▼第2に、3文書と敵基地攻撃能力は「戦争の準備」「戦争への道」。
3文書を読み解くために「押さえておく必要がある箇所」。岸田政権は、他国に脅威を与えるような軍事大国とはならず、非核三原則を堅持するとの基本方針は今後も変わらないと大嘘を言っている。また、相手からのさらなる武力攻撃を防ぐため、我が国から有効な反撃を加えるとしてるが、ミサイルを何発、どこに打ち込めばいいのか、不明確である。
国家防衛戦略では、敵基地攻撃能力保有は脅威におびえあるいは脅威を増産して自ら脅威となることを厭わない。戦争のリスクを高めるものでしかない。
最後に、今年亡くなった医学者・精神科医の中井久夫さんの『戦争と平和〜ある観察』を引用し、「戦争反対の言論は、達成感に乏しく次第にアピールを失いがちである。時とともに、平和を唱えるものは、同調者しか共鳴しない言葉を語って足れりとするようになる。これに対して、戦争の準備に導く言論は単純明快であり、簡単な論理構造で済む」と語った。
いま岸田政権は中国脅威論を煽り、沖縄南西諸島(琉球弧)に次々と自衛隊基地を強化しているが、中国から見ればこれほどの脅威はない。まるで有事の際の攻撃目標をわざわざ建設しているようなもの。軍事基地などない方がずっと安全だと強く思わせる講演会だった。(大北健三)
高槻島本連続講座
マイナカードで何が狙われているか
9月12日
9月12日、市民連合高槻・島本の連続講座12回「保険証を残そう! 〜マイナカード一体化で何が狙われているか〜」が開かれ、高槻市内のホールに109人が集まった。
講師である大阪府保険医協会事務局次長の坂元いづみさんは、次のように話した。
@任意が強制に
6月2日に、マイナンバーカードと保険証の一体化=現行健康保険証の廃止とそれが困難な人への「資格確認書」の配布というマイナンバー法の改正が成立した。任意であるはずのマイナンバーカードを実質的に強制とするものだ。そして公金受取口座登録の促進だ。
Aトラブル続出
いまや別人のひもづけ等が8千件をこし、約77万人の保険データの「未登録」も発覚。別人の医療情報のひもづけは命にかかわる重大事故に発展する可能性がある。医療機関への厚労省マニュアルは「マイナ保険証で資格確認ができない場合は現行の保険証で確認」と記載するようになった。
B申請できず無保険状態に
現行の保険証は、保険者に発行・交付の義務があり、「国民皆健康保険制度」を実現してきた。被保険者が申請しないといけないとなると、手続きに困難をかかえる高齢者や障害者などが無保険状態となり医療からはじきだされてしまう。受療権(医療を受ける権利)の侵害だ。
C「短期被保険者証」の廃止
高すぎる保険料が払えず分納していても、いきなり10割自己負担の「被保険者資格証明書」ではなく、多くはまず期限の短いのみの保険証がでる。10割負担で医者にかかれなくなることを避けるための制度だが、この制度が廃止されれば医療が受けられなくなる人が増える。特に大阪は、短期被保険者証の発行が全国一多いので影響は深刻だ。
D「社会保障個人会計」が最終目的
一体化の狙いは民間の企業などもデータを利用できるようになること。そして最終目的は「社会保障個人会計」だ。
経団連は個人の納めた税・社会保険料額と社会保障として給付された額が比較できるようにし、「負担に見合った給付」をと医療・介護、福祉の給付削減・負担増を提言した。
経済財政諮問会議で民間委員は「マイナンバーカードと健康保険証との一体化は1丁目1番地の改革」と発言し、「能力に応じた給付と負担を実現できるよう所得のみならず預貯金などの資産の情報とひも付いた仕組みを検討すべき」と政府に迫っている。
(そして政府は「『給付は厚く、負担は軽く』というわけにはいかない」「『自助と自律』の精神を基本として」「国民が痛みを分かち合って」と、公助を否定し、自助の強調でまるで民間保険のようなこの制度を語っている)
この日参加した立憲民主党の尾辻かな子さんは、「自分が衆議院議員だった頃に、厚生労働委員会の官僚たちがマイナンバーカードを首からぶらさげながら、『紙の保険証は必ず残します』と言っていた」「(今回の件の裏には)IT企業の利権がある」と話された。共産党の中村れい子高槻市議は「8月末でマイナンバーカードの自主返納が54件になった」また「暗証番号は3回間違えるとロックされるので市役所に訴えに来られているが『身分の分かるものをもってきて』と言われて困っている」との報告。
参加者からは「講演を聞いて恐ろしくなった」などの感想もだされた。
国家が個人のプライバシー権をおかして監視社会をつくり、国民皆保険制度を揺るがし、「社会保障個人会計制度」で公的社会保障を解体しようとするこの企みを許してはならない。(藤川文乃)
8面
(書評)
誰の、何のための停戦か
和田春樹氏の「停戦論」を批判する
落合薫
和田春樹著『ウクライナ戦争 即時停戦論』を検討する。著者の見解は、ウクライナ戦争の段階ごとに次のように表明されてきた。
(1)2022年2月27日付『赤旗』に掲載された見解と説明(「A」とする)。
(2)同年3月15日の声明「憂慮する日本の歴史家の訴え」(「B」とする)。
(3)2023年4月5日に各国首脳に宛てて出した声明(「C」とする)。
誰のための停戦か
和田氏は、Aでロシアに軍事力で対抗することに反対を唱え、「ロシアの運命がどうなるか心配している」と述べている。序文「はじめに」では、ロシアとウクライナの人々のために、さらにはわれわれ(日本の人民)と全世界の人々のために、即時停戦を主張する。著者はこの順番に人々の平和や生活を案じて停戦を主張しているのである。侵略する側のロシアを第1にあげ、侵略される側のウクライナは2番目に挙げる。ここに筆者の基本スタンスがある。
Bで「現在地で停戦」と言う。ロシアの占領地、併合地はそのままにして武器を置けという。プーチンは大満足するだろうが、ウクライナは認めないだろう。
前提として和田氏は言う。クリミア奪還は世界戦争になるから、ザポリージャ州奪還は原発ゆえに現実的ではない。2023年2月24日の開戦時の線までロシア軍を撤退させることも現実的ではない。プーチンが戦争の目的を述べている、2021年7月12日の論文を「大国主義とも帝国主義とも思わない」と言う。
「ロシアとウクライナは350年間1つの国だった」ことを理由にウクライナの分離・独立こそが戦争の原因であるとプーチンと同じ立場に立つ。民族抑圧と強制併合の歴史を無視する。この論法で言えば、朝鮮は36年間、台湾は50年間日本と同じ国だったし、アイルランドは千年間ほどイギリスと同じ国だったことになる。これは異常なロシアびいき、プーチンびいきである。
「代理戦争論」の欺瞞
和田氏はCでは、ウクライナ戦争をアメリカ+NATOのロシアに対する戦争と見、「米国主導の戦争」、「アメリカの新しい戦争」と言う。「バイデン主犯」説にも賛意を表明する。抗戦の主体としてのウクライナ人民は無視する。
他方で「プーチンはヒトラーではない」から、ウクライナがNATOにさえ参加しなければ停戦に応じるという。戦争の全経過から、プーチンは、ウクライナ全土を併合するか、属国化するまで戦争を終えるつもりはない。戦争を終わらせるためには、プーチンを打倒する以外にない。
和田氏は、「停戦論」を根拠づけるため、朝鮮戦争とベトナム戦争の例を出す。朝鮮戦争は1950年6月に開戦し、1年後に停戦交渉が始まり、1954年6月に、38度線で両軍が対峙したまま停戦に至る。和戦の決定権が南北両「政権」になく、スターリンと毛沢東の両指導者にあったことがウクライナ戦争とは異なる。中国は義勇軍の形で直接参戦し、ソ連もパイロットなどを出して参戦していた。したがって、南の「大韓民国」の李承晩大統領が停戦を拒否し、最後まで交渉に参加しなかったにもかかわらず、停戦が成立した。
ベトナム戦争では、中ソは公然と武器援助をしたが、国際反戦運動の側は非難しなかった。南ベトナム解放民族戦線は南ベトナムかいらい政権側の軍や行政組織を下から殲滅し、最後は米軍の敗退・撤収をもって終わる。停戦交渉もおこなわれたが、一切を決めたのは戦場であった
真に戦争を終わらせる道
この戦争はロシアが始めた。ロシア側が矛を収めない限り戦争は終わらない。ウクライナ側に問題があるとか、米国やNATOの介入を言い立てる議論があるが、和戦の決定権はあくまでプーチンとウクライナの現政権にある。
プーチンは一貫して「ウクライナ政府」と呼ばず、「キエフ政権」と呼ぶ。「独立したウクライナ」という国家や政府を認めていない。NATOに加盟しなければ、クリミアなどのロシア併合を認めれば停戦に応じるというのは幻想である。ウクライナはツァー時代からスターリン主義の時代を通じて、大ロシア人に対する従属民族であった。たとえばウクライナ語は1850年代に近代語として完成しながら旧ソ連時代のごく短期間を除いて禁止されるか不利な扱いを受けた。プーチンが両民族が同一であると言うのは、事実に反する。世界の労働者人民は被抑圧民族の自決権、自己決定権を断固承認し、ともに闘うことが問われている。
(シネマ案内)
「福田村事件」
監督:森達也 2023年
鹿田研三
澤田智一は植民地者の生活をなげ捨て、妻の静子とともに、故郷の福田村(千葉県東葛飾郡)に帰ってきた。その汽車の中に、ひとりの女性が亡き夫の遺骨をかかえていた。
この3人が福田村駅におりる。駅前には在郷軍人たちが出迎えにきている。泣き崩れる母親。この時、日本はシベリア出兵(1918年)をおこない、すでに侵略戦争に突き進んでいた。
いっぽう、香川県三豊郡の農村。沼部新助ら15人の一団が薬売りの行商に出発する。一行は大八車を引いて木橋をわたり、村を離れる。「川にかかる橋」は、被差別部落であることを暗示している。部落差別が重要な要素になっているのだ。
物語はここから始まり、関東大震災をへて、「福田村事件」へ展開していく。映画は澤田夫妻の存在、福田村住民の生きざま、沼部たち行商団の生活、権力者の思惑、メディア関係者、これらのおりなす群像劇として語られていく。構成は複雑だが、脚本と編集が巧みにおこなわれており、混乱することはない。
日本の植民地支配
澤田は数少ない良心的な日本人だ。澤田は朝鮮の京城で教員をやっていた。1919年、軍の命令で「提岩里教会事件」に動員されて、朝鮮人虐殺にみずからも加担した。この澤田によって、日本の植民地支配の実態が語られていく。この植民地主義が「福田村事件」を引き起こす導火線になっている。
澤田は日本のインテリを代表している。良心的だが、侵略戦争への流れのなかで、生きる希望と展望を失っている。生活に困ることはなく、権力と闘う思想は持ちあわせていない。
福田村の住民(加害者の側)
村落共同体の問題が提示されている。人びとは「世間」のなかで生きており、生活の中に天皇制イデオロギーが深くしみ込んでいる。権力への従属性が人びとの心をおおいこんでいる。
また、侵略戦争によって村の生活が破壊されている。子をなくした母親、若くして夫をなくした女性、夫が戦争に動員されている間に父親と性的関係を持つことになった女性。戦争のなかで、女性がおおきな被害を受けている。
香川・讃岐の行商人たち(被害者の側)
行商はおもに薬売り。富山の置き薬とはちがって、街頭や個別訪問をおこない、その場で薬を売る。なぜ関東にまで行商にいくのか。村に仕事がないからだ。当事者の語りで部落差別の実態が明らかにされる。
全国水平社は1922年に結成されている。行商の若者は「水平社宣言」を暗記し、部落民を自覚している。映画ではこのように描かれている。
関東大震災後におきた朝鮮人虐殺
当時、千葉県の野田は醤油造りで栄えており、朝鮮人の労働者も多く働いていた。労働争議をしているシーンもある。映画では朝鮮飴売りの女性が登場する。当時、関東ではよく見かけられたようだ。「福田村事件」がおきる前日、すでにこの女性が虐殺されているのだ。朝鮮人虐殺の場面はこれだけだが、しっかりと描かれている。
また、関東大震災による戒厳令の中で、社会主義者が殺されている(亀戸事件)。この場面も描かれている。支配者は革命(暴動)を恐れていたのだ。支配階級は朝鮮植民地支配の実態、3・1独立運動も経験していた。在日朝鮮人がその先頭にたつことを恐れていた。
映画の中で、沼部は襲撃されるときに「朝鮮人なら殺してもええんか」と投げかける。倫理的に考えてありえないことが、現実の行動ではおこなわれる。それを起こすのは、人びとのなかにしみ込んだ差別意識からだ。「福田村事件」は朝鮮人差別と部落差別と行商人差別が複合的に重なっている。住民は自警団に動員されて、権力者のお墨付きをもらって、朝鮮人虐殺をおこなった。
メディアの存在とは
女性記者が惨殺現場に居合せている。この記者は「わたしはこの事実をしっかり新聞に書く」と決意している。しかし、「福田村事件」は新聞で報じられていない。メディアは権力に迎合するのではなく、人民の側に立って事実をしっかりと書くべきなのだ。これは今日への教訓でもある。
「福田村事件」はどこででも起こりうる。いま岸田政権は再び侵略戦争に突き進もうとしている。この情況において、「福田村事件」は百年前に起きた過去のことではなく、今日の問題として、すべての人びとに突きつけられている。再び繰り返すことがあってはならない。権力と闘う思想とその行動が求められている。