未来・第374号


            未来第374号目次(2023年9月21日発行)

 1面  岸田政権の原発回帰を許すな
     9・1 一食断食から秋の闘いへ突入

     汚染水海洋投棄弾劾
     李さんの行進 国会前到着
     9月11日

 2面  沖縄日誌8月
     県の上告を不受理
     8月24日 最高裁の不当判決に抗議

     琉球人遺骨訴訟結審 大阪高裁
     学知の植民地主義問う

     関東大震災100年 各地で集会
     国家責任を問う 真相究明、謝罪、賠償
     深津利樹

 3面  10・8 三里塚現地闘争への招請状
     三里塚芝山連合空港反対同盟      

     三里塚支援集会
     農地を奪うな 農地を返せ!     

 4面  破産が確実の大阪万博
     維新政治を終わらせる好機
     剛田力

 5面  放射能汚染水海洋投棄弾劾(下)
     敷地内に長期貯蔵すればよい
     堀井健二

     釜ヶ崎夏まつり
     地域の中で盛りあがり

 6面  長期・読み切り連載 大庭伸介
     先人たちの闘いの成功と失敗を学び現在に生かそう

     延べ600万人が政治ストに決起
     破防法の団体適用を実質不可能に

     日本共産党の創立時期についての読者の疑問にこたえて
     大庭伸介

 7面  本の紹介
     大塚茂樹著(あけび書房)
     『「日本左翼史」に挑む―私の日本共産党論』

 8面  本の紹介
     『重度精神障害を生きる』
     著者が突きつけるもの

     増税へ舵を切った岸田政権(下)
     経済政策が全面いきづまり
     大井 拓

                 

岸田政権の原発回帰を許すな
9・1 一食断食から秋の闘いへ突入

一食断食中の横断幕の前で関電に向けシュプレヒコール(9月1日 大阪市)

9月1日、大阪市内の関西電力本店前において「一食断食」行動がおこなわれた。主催は〈老朽原発うごかすな! 実行委員会〉。この日は、朝から夏の太陽が照りつけていた。一食断食行動は、朝10時から夕方16時までおこなわれた。
集会参加者が昼食をぬくことで、すこしひもじい思いをしながら、原発依存社会にたいする怒りを行動で示し、原発を推進する関西電力に抗議の声をたたきつけるのだ。この行動に、関西圏を中心に2百人が参加した。また、全国の住民団体から連帯のメッセージが寄せられた。

主催者あいさつ

10時に突入集会(30分間)がはじまった。まず、木原壯林さんが主催者あいさつ。木原さんは「岸田文雄政権は原発をひたすら推進している。8月24日に汚染水の海洋放出を開始した。世界の人びとが反対しているにもかかわらず、日本政府はその声をふみにじった。この暴挙を許してはならない」「このなかで、反原発運動は質と量の拡大が求められている。原発推進勢力への反転攻勢に踏み出そう」と述べた。そのうえで、9月15日の高浜2号機再稼働に抗議する現地行動、10月22日の「使用済み核燃料の行き場はないぞ! 全国集会」、12月3日の「とめよう! 原発依存社会への暴走 1万人集会」にむけて、さらなる行動を訴えた。

一食断食をひろげよう

「一食断食」の提唱者である中嶌哲演さん(原発設置反対小浜市民の会/明通寺住職)が断食行動にかけつけた。中嶌さんは「原発依存社会を何としても食い止めたい。今日は3食をぬいて、一日断食をおこなう」と決意表明した。「核汚染水の海洋放出で、福島県民は怒っている。岸田政権はどこまで福島をいじめるのか」「この一食断食はだれにでもできる行動であり、闘いの輪を広げていこう」と述べた。

われわれが加害者に

〈ノーニュークス・アジア・フォーラム〉の佐藤大介さんが、核汚染水の海洋投棄問題についてアピールした。佐藤さんは「核汚染水放出にたいして、中国だけが反対しているのではない。韓国のソウルでは5万人集会がおこなわれている。フィリピンやオーストラリアでも、漁民も反対している」「太平洋に核汚染水を流すことは、世界の人びとにたいして、われわれが加害者になるのだ。何としても海洋放出を止めたい」と述べた。

関東大震災での朝鮮人虐殺

関東大震災百周年 朝鮮人犠牲者追悼式典(9月1日 東京都墨田区横網公/関連記事2面)

12時30分から昼休集会(30分間)が開かれた。この集会では山本雅彦さん(オール福井反原発連絡会)が、「老朽原発は、なぜ危険なのか」というテーマでミニ講演をおこなった。
集会の合間にも、さまざまな人がアピールをおこない、反原発の歌も歌われた。核汚染水の海洋投棄に反対して、韓国ソウルから東京・国会まで1600qを歩いている李元栄さん(元・水原大学教授)の闘い。百年前の9月1日、関東大震災のなかで朝鮮人が虐殺された歴史をけっして忘れてはならない。昨日、そごう・西武の労働組合が売却に反対してストライキをおこなったが、労働組合が反原発闘争の中軸を担うべきだ、などさまざまな報告があった。

6時間の「一食断食」を貫徹

15時30分から16時まで集約集会がおこなわれた。こうして6時間にわたる「一食断食」行動は予定どおり貫徹された。この力をバネに、10月22日の「使用済み核燃料の行き場はないぞ! 全国集会」から12月3日の1万人集会につき進もう。

汚染水海洋投棄弾劾 李さんの行進?国会前到着 9月11日

議員会館前で怒りのアピールをおこなう李さん=右端(9月11日)

1600q、86日間、韓国ソウルから東京の国会まで、反対の陳情書などを持ち、汚染水の海洋投棄をやめるよう訴え続けた学者・李元栄さん(66歳)の徒歩行進が、11日国会前に到着した。韓国人、日本人の意見書を道々預かり着いたが、衆議院議員会館正面玄関前の路上で待たされ、出てきたのはなんの決定権もない小官吏だった。
李さんを支える「韓日市民徒歩行進」はこの最後の日、新橋駅から東電本社へ廃棄取りやめの要請書を朗読し手交した。その後経産省前で集会・交流ののち議員会館前に到着。社民党の大椿ゆうこ参議院議員は多大の協力を惜しまず、現場に立ち会った。しかし、きちんとした対応がなされそうもないと知った李さんは、「これでは、韓日の人々や私自身の陳情書をお渡しすることはできない」と事態は渋滞した。
日米韓の軍事的一体化などを掲げているが、米国ニューヨーク州では、原発汚染水の敷地外放流を禁ずる法律が成立した。韓国では議会が、日本政府の汚染水海洋投棄を撤回せよとする決議をあげ、反原発に特定されない多くの市民がこの海中投棄反対に立ち上がっている。日本国内においてもこの日、この最終行進に200人に達する市民が参加し、福島など1都5県の人々は、この政府の独断に151人(今後追加提訴も)以上の人が原告となって司法闘争を立ち上げている。国際法上、海洋汚染ロンドン条約議定書などの違反でもある。
李さんは、韓国の大学教授をつとめた「国土未来研究所」所長で、持続可能な国土、安全な国土をつくる道を探すという方だ。こうした海外の人士と対話できず、漁民や福島の人々を愚弄する岸田内閣は、なんど改造しようとも、もはや救いがたい。
李さんは静かに語る。「これは、国策の問題というよりは、国民の民権意識が問われる事態ですね」。汚染水海洋投棄という歴史的暴挙を弾劾し続けよう。(5面に関連記事)

2面

沖縄日誌8月
県の上告を不受理
8月24日 最高裁の不当判決に抗議

8月4日未明 陸上自衛隊宮古島駐屯地は新隊員教育の徒歩行進訓練を公道で実施。1996年以降宮古島で公道を使った訓練は初めて。新隊員16人が午前1時に保良訓練場を出発し、城辺海岸を折り返し地点に約21キロ行進した。公道行進には新隊員含め35人が参加、午前6時45分ごろ保良訓練場に到着。市民団体は抗議の声を上げた。ミサイル基地いらない宮古島住民連絡会は訓練の前に記者会見で、訓練中止を求めた。同連絡会は「自衛隊は施設外での訓練の常態化を図っていくと思う。絶対に認められない」と危機感をあらわにした。
5日 石垣島の平和と自然を守る市民連絡会は、石垣市美崎町の交差点でPAC3の撤収を求める抗議のスタンディングをした。「島の平和と自然を守るのは軍事力ではなく外交力だ。島を戦場にしてはならない。PAC3は直ちに撤退を」と訴えた。
7日 沖縄防衛局は、辺野古新基地建設で大浦湾側の埋め立てに使う土砂の「仮置き」計画を巡り、業者との契約を締結したと発表。工期は2024年9月30日まで。辺野古側の工事はまだおこなわれており、着手する時期は確定していない。
17日 名護市辺野古の新基地建設で、県は大浦湾側のサンゴ移植を止めるべく新たな裁判を起こした。同様にサンゴ移植が争われた2021年の最高裁判決では裁判官5人中2人が反対意見を付けた経緯がある。今回、軟弱地盤埋め立て海域のサンゴの移植について、農林水産相が県に移植を許可するよう是正の指示をした。県は是正の指示を不服として福岡高裁那覇支部に提訴した。
8月24日、午前3時50分ごろ、朝鮮民主主義人民共和国は沖縄県先島上空を通過する予告の方向に人工衛星を打ち上げた。沖縄本島と宮古島上空を通過し、フィリピン東の予定区域外に落下し失敗した。県内で多くの住民が寝静まる中、アラートが鳴り響いた。防衛局はPAC3を沖縄島や宮古島、石垣島、与那国島に展開したが、破壊措置は実施しなかった。朝鮮民主主義人民共和国は、10月に改めて発射する考えを示した。
24日 辺野古新基地建設で、沖縄防衛局の設計変更申請を県が不承認とした処分を巡り、県が国の関与取り消しを求めた2件の訴訟で、最高裁第1小法廷(岡正晶裁判長)は、国交相の採決に関する訴訟について、県の上告を受理しないと決定した。是正指示に関する訴訟は受理し、9月4日に上告審判決を言い渡すと決めた。是正指示の訴訟では、福岡高裁那覇支部判決を変更するために必要な弁論が開かれておらず、県が敗訴する可能性がある。政府の工事強行を司法が追認する流れが止まらない。玉城デニー知事は会見で「辺野古新基地建設に反対する思いはいささかも変わらない。その思いをどう具現化していくか、努力を続ける」と述べた。
28日 オール沖縄会議は、県の上告を受理しなかった最高裁の不当判決に抗議する緊急集会を那覇市の県民広場で開いた。市民3百人が参加。稲嶺進共同代表は「県民の思いを踏みにじり、さらに苦しめようとしている。絶対に許せない」と糾弾し、「最高裁は沖縄を見放したが、われわれは基地建設を絶対に許さないという思いで頑張っていこう」と呼びかけた。

琉球人遺骨訴訟結審 大阪高裁
学知の植民地主義問う

原告団が力強く報告(8月23日 大阪市内)

8月4日、大阪市内で「琉球人遺骨訴訟、控訴審勝利! 大阪集会」がひらかれた。 前半は、琉球人遺骨訴訟のドキュメンタリーを制作した毎日放送(MBS)ディレクター・津村健夫さんが講演。後半は、丹羽雅雄弁護士が控訴審勝利にむけ報告をおこなった。

控訴審において判断されるべき本質的事項

丹羽さんは、本質的事項として6点を提起。
(1)控訴人らが裁判に訴えた第一義的な目的を裁判所は理解すること、
(2)控訴人らが、戦後初めて自らを琉球民族であり先住民族であるとして本件訴訟を提起しているという事実、
(3)被控訴人の本件遺骨に関する占有権限の有無について、適性な認定事実に基づく判断が必要不可欠、
(4)琉球・沖縄における精神的基層にかかる葬送文化が充分に理解されなければならないこと、
(5)本件金関丈夫および三宅宗悦の盗骨行為の背景・原因である学知の植民地主義・人種差別主義について十分に理解されなければならないこと、
(6)原審判決(京都地裁判決)は、本件訴訟における上記本質的事項(1)〜(5)について、いずれの争点においても適正かつ十分な判断をおこなってはいない。
8月23日、第5回口頭弁論がひらかれ結審した。判決は9月22日、大阪高裁大法廷でひらかれる。

関東大震災100年 各地で集会
国家責任を問う 真相究明、謝罪、賠償
深津利樹

国会正門前集会(9月2日)

「まだ℃Eされていないだけです」と、反ヘイトスピーチをたたかい、2016年にヘイトスピーチ解消法の策定、また「川崎市差別のない人権尊重のまちづくり条例」制定の先頭にたって市民・政党を引っ張ってきた在日3世の方が8月31日、東京での「追悼大会」で発言した。
関東大震災時、朝鮮人・中国人虐殺から100年。今は1回のクリックで一瞬に世界中に情報が届くネット時代。京都ウトロでは、ネット情報を鵜呑みにした若者の手によって火が放たれた。この在日3世の方には、脅迫電話、抹殺・爆破の予告、虫の死骸などが送り付けられ、「タヒ」=「死ね」というネット投稿にはものすごい数で「いいね」がつけられ、それがドンドン拡散されている。ヘイト解消法ができて7年、しかし当時より状況が厳しくなっていると。だから「今、まだ℃Eされていないだけです」なのだ。
関東大震災時、朝鮮人・中国人虐殺から百年。全国各地で追悼行事が続いた。
9月1日には東京墨田区にある横網町公園では「関東大震災100周年 朝鮮人犠牲者追悼式典」が開かれ、暑さのなか身動きが取れないほど多くの市民が参加した。〈関東大震災朝鮮人虐殺の国家責任を問う会〉の田中事務局長は、日本政府がこの事実を認めず、都知事が同式典への追悼文を拒んでいることを批判し、「過去を直視し、責任を問い続けたい」と訴えていた。
その前日8月31日には「虐殺100年犠牲者追悼大会」が文京シビックで「歴史に誠実に向き合い、国家の責任を問い、再発を許さない共生社会への第一歩を」として集会が開かれ、2日には国会正門前での「キャンドル集会」が、3日には川崎で「国際交流シンポジウム」が韓国やアメリカからの活動家を招いておこなわれた。その他銀座ブロッサムでの集会をはじめ各地で追悼の集いがひらかれた。

横浜市久保山墓地での追悼集会(9月2日)

6千人殺害のうち神奈川では4千人

私は2日10時から、横浜市内の久保山墓地でひらかれる「神奈川追悼会」に、今年も参加した。
主催者あいさつを山本すみ子代表がおこない、神奈川朝鮮中高級学校生徒による合唱、そして追悼舞などがおこなわれた。6千人以上とも言われる関東大震災時の朝鮮人・中国人の虐殺、そのうち約4千人の人々がこの神奈川・横浜で殺戮されたのだった。しかし公式には「2人死亡」となっているだけ。
神奈川での事実を明らかにしようとこの追悼会の主催者でもある山本さんたちが、がんばってきた。山本さんたちの調べで、横浜駅から東京寄りにある「神奈川鉄橋」と言われたところで朝鮮人が5百人虐殺されたことが判明した。さらに横浜では150人、103人という数で殺害されているのだ。
5百人を一気に殺害、これはもう「間違って」などというものではない、目的的な殺戮だ。こうしたことが判明しているのだ。このような歴史の事実をなかったことにしてはならない。(つづく)

3面

10・8 三里塚現地闘争への招請状
三里塚芝山連合空港反対同盟

来る10月8日、私たちは全世界の闘う労働者人民と連帯して戦争に反対し、市東孝雄さんの南台農地を守るために全国集会を開催します。
成田空港会社(NAA)は2月15日夜、市東さんの天神峰農地に対し強制執行に踏み切りました。絶対に許すことができません。
これに対して、急を聞き駆けつけた青年学生はじめ多数の支援者が、私たちとともに国家権力・機動隊と一歩も退くことなく翌日までの肉弾戦を貫徹しました。夜を徹した実力闘争は、農地取り上げ・農民殺しの不正義を全国に暴き出しました。弾圧を恐れない闘いに多くの共感の声が寄せられました。私たちの闘魂はますます盛んです。
天神峰農地は取られましたが、闘いはこれからです。NAAが2月の強制執行で奪えなかった南台農地は、市東さんの農業にとって最重要な農地です。この農地をめぐって争われている耕作権裁判の確定なしに強制執行はできません。裁判所は9月で弁論を打ち切り、11月から証人調べに入ろうとしています。NAAの証拠隠しを許さず、なんとしても南台の農地を守り、ふたたびの強制執行を許さない運動と陣形を直ちにつくりだしましょう。>
NAAは、第3(C)滑走路建設に向けた準備工事を10月にも開始すると明らかにしました。また、「新しい成田空港」構想と称して、新ターミナル建設など大改造を計画しています。これらは農村を破壊し騒音被害を拡大するのみならず、成田空港の軍事利用をねらいとするものです。私たちは、周辺住民とともに空港機能強化を粉砕するべく、「成田空港の拡張に反対する」新たな署名運動を開始します。
ウクライナ戦争の激化・泥沼化が進む中で、岸田首相は7月11日、12日に開催されたNATO首脳会議に出席し、参戦に踏み出しています。戦争が現実のものとなる中で、浜田靖一防衛大臣の「平時からの民間空港の軍事利用」発言、米・戦略国際問題研究所(CSIS)の「地元の反対運動解体」論が相次いで出されました。成田の軍事空港化を阻止する闘いは、まさにいま、戦争をとめる決定的な力です。
資本主義・新自由主義が行き詰まり危機に至る中で、全世界で労働者人民が、戦争、インフレ、食糧危機、気候危機、政治反動に抗するストライキ・暴動で立ち上がっています。戦争を止め社会を変えるために、三里塚は、動労千葉・関西生コン支部をはじめとする労農連帯をうち固め、沖縄−福島と連帯し、軍拡・改憲の岸田政権打倒に決起します。
10・8全国集会に、ぜひお集まり下さい。参加できない方・団体はメッセージをお寄せ下さい。
2023年8月4日

市東さんの農地を守ろう! 空港機能強化粉砕! 改憲阻止・岸田政権打倒!
10・8三里塚全国総決起集会
とき:10月8日(日)正午  
ところ:成田市赤坂公園(成田ニュータウン内)
主催:三里塚芝山連合空港反対同盟(0476ー35ー0087)



三里塚支援集会
農地を奪うな 農地を返せ!

関西集会で力強くアピールする萩原富雄さん(9月3日 大阪市内)

9月3日、大阪市内で「耕す者に権利あり 農地を奪うな 農地を返せ! 三里塚支援集会」がひらかれ、50人が参加した。主催は、三里塚関西実行委員会(関実)。
関実事務局の松原康彦さんが開会のあいさつ。「8月、熱田派の人たちの農業実習センターが強制収用の裁判に入った。市東さんの農地強奪を皮切りに、空港用地内にあるものは全て取っ払う攻撃が始まった」。
安藤眞一さんが主催者あいさつし、三里塚現況の映像報告をした。今年2月に強制執行で取り上げられた市東さんの農地は、雑草が生えて手つかずのまま。アメリカのCBSニュースが市東さんに取材し、三里塚が世界に報道されたことも映像で紹介された。

反対同盟顧問弁護団が講演

顧問弁護団の一瀬敬一郎さんが「市東孝雄さんの農地闘争の現状について」と題して講演をおこなった。
成田空港裁判が重要な局面をむかえる。今年2月市東さんの小作地の約半分弱、天神峰の畑が強制執行で強奪され悔しい。残る南台農地の闘いが正念場。成田空港会社(NAA)は、1988年に賃借権付きで天神峰と南台の底地を地主から買収。小作人の同意がなく農地法3条違反である。への字誘導路を口実にして、2006年から市東さんの両耕作地の取り上げを開始。06年南台農地の「A・C・D土地」を不法耕作地だとして明け渡しを求め提訴(耕作権裁判)、08年小作契約地明け渡しを提訴した。真実は、A土地は市東家が小作権を持ち三代にわたって耕作してきた賃借地。C・D土地は、もともとの賃借地ではないが、市東家がずっと耕作を続けており賃借権の時効取得が成立している。
A土地は不法耕作なのか賃借地なのか、大問題になり今もって一審の判決が出ていない。NAAは、1970年頃から88年1月まで「市東賃借地はA・B土地」説だった。88年4月市東署名の同意書(甲8)と境界確認書(甲9)で「市東賃借地はE1・B土地」に変更したと主張を変えた。が、地積測量図と甲8・甲9の作成入手経過を裏づける用地交渉記録を提出していない。東京高裁が「用地交渉記録」の提出を命令しても提出せず。甲8・甲9は偽造である。我々は、勝てる展望を持っている。NAAがいくら変なことを言っても救済するのが裁判所。裁判所を人民が監視するような裁判闘争にしよう。

反対同盟が報告・訴え

反対同盟の萩原富夫さんは「市東さんは、(2月の強制収用後)ハウス2棟とスーパーハウス2つを設置し体制を整えつつある。NAAが2月に取りあげた畑はほったらかし。急いで強制執行する必要はなかったのだ。学生達はフェンスを乗り越えて突入し実力闘争で闘った。今後は、空港拡張反対運動を前面に出してやっていく。農業破壊、軍事利用、気候温暖化問題で反対していく。CO2問題で、航空需要は世界で縮小化の方向だ。日本は逆に空港拡大で、世界の流れに反する。同時に成田空港拡張差し止め裁判、市東さん耕作権裁判を闘っていく。

10・8三里塚へ

連帯・共闘のあいさつを、西山直洋さん(全日建連帯労組関西生コン支部)、木原壯林さん(若狭の原発を考える会)、滝岡広治さん(部落解放同盟全国連合会)がおこない、質疑・応答があった。
市東さんの南台農地を守ろう。10・8三里塚全国闘争へ結集しよう。

4面

破産が確実の大阪万博
維新政治を終わらせる好機
剛田力

第1部 大阪万博破産

バラ色の未来が描かれるが工事は全く進んでいない(日本国際博覧会協会HPより)

(1)人気なし

大阪・関西万博は日本国際博覧会協会(万博協会)によれば、夢洲で、2025年4〜10月まで半年間に亘って開催され、世界から153の国と地域が参加を表明、予想来場者数は約3036万人、経済波及効果は2兆円を超えるとされている。全国で唯一大阪での建設が決まっているカジノ・IRも、同じ夢洲に作られることになっている。 カジノ・IRについては、当初は万博との相乗効果を狙って同時開業が目標とされた。しかし地盤問題や巨額の税金投入など問題が多発し、開業時期のめどは立っていない。
関西に住んでいても、日々万博のことが話題になることは少ない。関西以外に住む人達にとっては、開催時期や開催場所、そしてテーマが『いのち輝く未来社会のデザイン』であることなど、万博についてあまり関心がない。読売新聞の7月21〜23日の調査では万博に『関心がある』35%、『関心がない』65%となっている。

(2)海外パビリオンの建設は絶望的

パビリオンの出展は、各国が費用を負担して独自に建てる「タイプA」と、万博協会が建てた施設を利用する「タイプB」、建物の一部区画を借りる「タイプC」がある。このうち50カ国程度がタイプAでパビリオンを整備する予定となっている。
パビリオンの建設は遅れに遅れている。タイプAの約50施設では建設するために必要な建築許可申請が、7月初めの時点でまだ一件も出されていなかった。8月14日になってチェコが申請手続きをおこなったことがわかったが、やっと韓国に続き2例目。建設工事に必要な「許可申請書」はいまだに1件も大阪市に提出されていない。韓国、チェコから提出されたのはその前段階の「基本計画書」だ。建設業者が決まったのも6館しかない。
政府は「万博が国際博覧会として成立しなくなることが危惧される」とまで言い出した。運営主体である万博協会は、外国のパビリオン建設を一部代行するという案まで出した。
手続きが最も進む韓国の工事完了予定が24年11月となっている。万博協会が想定する完了時期は24年7月で、既に4カ月超過している。他の国は25年4月の開幕に到底間に合いそうもない。

(3) 日本側パビリオンも苦境に

日本側のパビリオンは、テーマ館8館に加え、政府が出展する「日本館」など計25ある。 25館中22館の建設事業者が決まったが、市に建築許可の申請を出したのは4割ほど。8館全てで建設事業者が決まったテーマ館も、申請を出したのは2館だけだ。
「日本館」の建設も順調ではない。国土交通省近畿整備局が発注した入札が予定価格を上回り不成立になった。このため随意契約に切り替えて、当初の競争入札での予定価格を約9億円上回る約77億円で清水建設と契約した。近畿整備局が公表した文書には「(再入札では)完成が大阪・関西万博の開催に間に合わない」と書かれていた。
建築資材の高騰や建築作業員の人出不足などが指摘されている。また、パビリオン独特の複雑なデザインによる建築価格の上昇も心配材料だ。

(4)問題山積み

@関連経費上振れ 運営費は、当初809億円としていたが、5百億円も上ぶれ、およそ1300億円まで増える見通し。
会場建設費の総額は、当初1250億円だったが、20年末に1850億円へ引き上げられた。建設費は国と大阪府・市、経済界が3分の1ずつ負担する仕組みで、多額の公費が投入される。
A入場料 
政府が2019年にパリの博覧会国際事務局に申請した際は44ドル(当時のレートで約5千円)と記載。運営費の高騰で大人7500円に引き上げた。運営側も高額となったチケット代で目標人数を達成できるのか? という不安は感じている。しかし、来場者数は当初の想定は2820万人だったのに、入場料を7500円に値上げした場合でも、なぜか3036万人が来場し、1253億円の収入を見込んでいる。
B前売り券押し付け 
関西経済連合会が、加盟企業に、1社あたり15〜20万枚の前売り券を購入するよう求めている。前売り券は大人6千円で、購入額は1社あたり約9〜12億円。所属する企業17社それぞれが購入すれば、合計額は150〜200億円になる。
C電通も博報堂も指名停止
大規模イベントの場合、発注側である官公庁が代理店に頼りきっていた。「建設から運営まで得意な業者を把握している」のが電通や博報堂。東京五輪では組織委員会に電通の職員が出向した。 万博にも電通が携わってきた。万博協会は、電通などの企業共同体との間で公式キャラクター「ミャクミャク」のライセンス運営管理などの契約を締結している。府・市が出展する「大阪パビリオン」の総合調整業務を博報堂・三菱UFJリサーチ&コンサルティング共同企業体が昨年3月に受注。パビリオンの運営や財務管理、広報活動などの業務を担っている。
にもかかわらず大阪府市や協会は、東京五輪・パラリンピックをめぐる談合事件で起訴された電通、博報堂、東急エージェンシーを1年間の指名停止にした。大規模なイベントの運営には欠かせないと言われる大手広告代理店の電通や博報堂がここに加われていないのだ。
D立地問題 
万博の準備が遅れ、経費がかさみそうになっている大きな背景には、立地の問題がある。会場となる夢洲は、もともとゴミと浚渫土でつくった人工島。地盤は、軟弱かつ汚染されている。夢舞大橋と南東の夢咲トンネルでしか資材や作業員が運べない。
(5)労働条件は極悪
会場建設工事ではピーク時に約2万人の作業員が出入りすることになるとみられている。彼らを現場に送り届け、資材運搬用の車両も走らせるとなるとアクセス経路が2カ所では不可能だ。現場で生活しながら仕事ができるような『飯場』のような施設が必要となる。
物流業界や建設業界では時間外労働の規制も強くなっていて、人手不足が深刻な問題となっている。劣悪な環境に労働者が集まるのか。さらに来年4月から、建設業界でも残業規制が強化され、人手不足がより深刻化することから、万博協会は関連工事について規制強化の適用除外を策動している。
21年開催の東京五輪・パラリンピックでは新国立競技場建設工事で長時間労働が続いた現場監督が自死したほか、労災死亡事故が相次いだ。夢洲は都心部から離れ、交通の便が悪い。周りに施設がなく、東京五輪の現場と比べても条件はかなり劣悪だ。
万博は「いのち輝く未来社会のデザイン」がテーマというが輝くどころか暗黒だ。

(6)万博協会なりふり構わず

それでも破産は必至。
◆不払い肩代わりの保険創設
経産省は海外パビリオンの工事を受注した国内の建設業者が対象の「万博貿易保険」を創設したと発表した。通常の3分の1程度の低廉な保険料で、発注側の参加国・地域から代金が支払われない場合に、代金の90〜100%を補償するという。政府が全額出資する「日本貿易保険(NEXI)」が運用する
◆建設労働残業規制外し画策(上記)
日本維新の会の藤田文武幹事長も、「特例は許容してもいいんじゃないか」
◆万博協会は、協会が参加国に代わって発注などを担う「建設代行」を行う用意があるとの考え方を関係国に伝達した。
 いかにあがこうと建設資材の高騰や深刻な人手不足、2年後に迫った工期の短さは解決できない。破産は不可避だ。

第2部 万博と維新

(1)大阪で万博を開催しようと言い出したのは、橋下徹と松井一郎を中心とした大阪維新の会、その後ろ盾になったのが安倍と菅の元首相だ。
夢洲の造成は、ゴミや建設残土を埋め立てて390ヘクタールもの土地を生んだ。造成地の目的や特性を考えもせずこの広さに飛びついたのが大阪維新の会だった。そこで打ち出したのがIRと万博だった。
万博の会場建設費に、夢洲のインフラ整備などを含めた「万博・夢洲まちづくり関連事業」の総事業費は、4449億円にものぼる。万博のアクセスルートに位置付ける淀川左岸線2期工事計画の工事費が当初計画の2・5倍の2957億円に膨れ上がる。万博とそれを口実にした巨大開発の費用は青天井だ。夢洲への地下鉄中央線の延伸なども進められている。
大阪維新の会は「コストの削減」や「ムダを省く」と掲げてきたはずだ。かつて府市が大規模公共工事を繰り返して財政を悪化させたと批判してきたが、カジノ・万博は例外なのか。維新は何をしようとしているのか、維新とは何者なのか。
(2)大阪維新の会ができて十数年のうちに、大阪では維新に代わる選択肢はほぼなくなった。今春の選挙では府市の首長の独占、議会も過半数、堺市長も。さらに、大阪近辺の議会選挙では維新の候補者が高位当選を続けている。府下の大半の首長が維新によって占められている。府民の3分の1が維新を支持しているともいわれる。全国展開でも今は未知数だが、勢いは立憲民主党を上回る。>
(3)08年に松井らが担いだ橋下知事が誕生し、10年に大阪維新の会を結党。都構想で「二重行政」を解消し、大阪を成長させると訴えてきた。改革を掲げ、敵を名指しし、わかりやすい構図やイメージを打ち出すとメディアが持ち上げ、世論も一方向に流れてしまった。15年までが橋下、それ以降は松井と吉村の二枚看板、現在は吉村世代へ移行している。吉村世代というのは12年に始めた「維新政治塾」1期生が中心。吉村も、大阪市長横山も、堺市長の永藤も、日本維新の会幹事長の藤田も1期生だ。
(4)1期生の特徴は「地盤・看板・鞄」がなくても、政治経験ゼロでも政治家になれる維新にひかれて政治家になったこと。政治家を辞めても生活できる基盤があるエリート層が多い。人材確保の間口の広さと急速な党勢拡大は、粗製乱造と表裏一体でもある。心情も政策も競争で他者を蹴落とし格差を拡大する新自由主義そのものだ。
(5)維新の会は嘘とデマにより拡大した悪質な集団である。維新に支配される大阪は悲惨だ。選挙では「大阪の成長を止めるな」と繰り返すが、大阪府の成長率は全国平均を下回り、国内総生産(GDP)に占める「府内総生産」の割合も下がっている。
 コロナ禍では死者の絶対数、人口当たりの死者数など大阪が全国一になっている。
 維新は「身を切る改革」と称して公共サービスの縮小や民営化に血道を上げ、「弱者を切り捨てる政治」を推し進めて来た。
(6)スキャンダルは後を絶たず、公約も実現しないのに、なぜ勢いが衰えないのか。政党イメージ調査では、「経済的弱者の味方になってくれる」政党のトップは維新になっている。地方行政を握り、生活に近い具体的な施策を語る維新の演説の方が響くということではないだろうか。ただしその具体的施策も有権者には耳障りのいいデマを流している。大阪府は来年度から府民が通う府内の私立高校の授業料について、所得制限を設けず無償化する方針を表明したが、維新はこれまで一貫して大阪府の私立高校を「完全無償化」したと宣伝してきた。「完全無償化」されているなら「完全無償化」を目指す必要はないではないか。現状は所得制限があり、入学金なども必要だが、世の中を欺いてきた。
(7)維新が「党是」としてきた「都構想」は実現していない。とってかわったカジノ・IRも見通しは明るくない。維新打倒の勝負の時が来ている。

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5面

放射能汚染水海洋投棄弾劾(下)
敷地内に長期貯蔵すればよい
堀井健二

(承前)

(1) GE日立核エネルギー・カナダ(株)
GE日立核エネルギー・カナダは沸点の違いを利用した軽水とトリチウム水の分離技術を開発。カナダの原発は炉心冷却に重水を使うので、排水にトリチウムが大量に含まれ、大きな問題になってきた。同社はカナダのダーリントン原発の排水をこの方法で一部処理している実績がある。同社は福島原発のトリチウム汚染水を一日500トン処理する設備を設計している。
(2) アメリカのニュークレア・ソリューション(株)
アメリカのニュークレア・ソリューションは、軽水とトリチウム水の融点の違いを利用した分離技術を開発し、特許(日、米、欧)を取得している。軽水は0度Cで凍り、トリチウム水は4・5度Cで凍るので、0〜1度Cに冷やした円錐形の容器の表面に汚染水を流せばトリチウム水は容器表面に凍り付き軽水はそのまま流下する。これを繰り返せばトリチウム水の氷が分離できる、という。
(3) 近畿大学と東洋アルミ(株)
近畿大学と東洋アルミはアルミニウム粉末を焼結して作った特殊な多孔質フィルターを開発した。トリチウム水を含む蒸気をこのフィルターに通すと、軽水はフィルターを通り抜けるが、トリチウム水はほぼ百%フィルターに残る。
(4) 京都大学やアメリカのキュリオン(株)など、他にも様々な処理技術が提案されいてる。政府と東電は、汚染水危機を解決するための時間枠として2020年を目標としていたが到底無理であった。トリチウムの半減期は12・3年なので、120年ほど貯蔵すれば、トリチウムは千分の1になる。処理技術の並行開発とともに、中長期にわたるタンク貯蔵やモルタル固化が、実行可能な選択肢なのだ。
日本政府が汚染水の環境への放出を強行しようとしているのは、これらの高コストということだ。世界中の原発で排水中のトリチウムを処理している国はない。処理のコストを考えると、原発は発電所としてとうてい成立しない。処理したとなれば原発の運転に関して国際的な影響が大きいことを、日本政府は恐れているのだ。

新橋駅前から国会へ向かう李さん(9月11日 東京)

第4章 処理できない汚染水

東電は2020年8月27日、タンク内の汚染水にストロンチウム90のような高濃度の有害な放射性核種に加えて高レベルの炭素14の問題が存在することを初めて認めた。ALPSは、炭素14が長半減期核種であるにもかかわらず、それを除去するように設計されていなかった。炭素14は、無機炭素または有機炭素として自然界の複雑な炭素サイクルに、固体、液体または気体の状態で組み込まれている。したがって、炭素14はすべての生物にさまざまな濃度で取り込まれる。食物摂取により内部被曝源となる。炭素14の半減期は5730年であり、何百世代にもわたって全世界の人々を被曝させることになる。
ALPSは炭素14を除去するように設計されていないため、汚染水にそのまま残っている。つまり日本政府が汚染水の放出を進めた場合、タンク内の炭素14はすべて環境中に放出される恐れがある。東電、日本政府は、炭素14が除去されていないことをずっと説明してこなかった。
廃棄物その他の物の投棄による「海洋汚染の防止」に関する国際条約としては「ロンドン条約」があり、日本も批准している。1993年の改正であらゆる放射性廃棄物の海洋投棄が全面禁止され、その後放射性排水も対象となった。
日本政府は1993年3月30日の閣議決定で「1993年度原子力開発利用基本計画」の「低レベル放射性廃棄物の海洋投棄については、関係国の懸念を無視しておこなわない」とした。また、1993年11月2日の原子力委員会決定では「わが国としては今後、低レベル放射性廃棄物の処分の方針として海洋投棄を選択肢としない」としている。
福島原発の汚染水の海洋放出はロンドン条約をはじめこうした閣議決定や原子力委員会決定にも明らかに違反している。
ところが、2020年に原子力委員会は「低レベル廃棄物は固体廃棄物や固化した廃棄物を海洋に投棄して処分することを指す」とし、「液体である福島第一原発のトリチウム汚染水の海洋放出は海洋投棄には該当しない」との詭弁を弄している。
政府と東電の計画では福島第一原発の廃炉完成予定が2041〜51年としているが、現実には事故から12年たっても核燃料デブリがどこにあるかも、どのような方法でとり出すのかもわかっておらず、廃炉の見通しはまったく立っていない。核燃料デブリのとり出しが完了するまで冷却水を注入して冷やし続けなければならず、これからも際限なく汚染水は溜まり続ける。
ALPSの欠陥により、処理済みの汚染水の72%は再度の処理が必要となっている。今後80万トン以上の汚染水について再処理がなされる。それもALPSによりおこなわれるという。こうしたなかで海洋放出が一旦開始されれば、延々と再処理や放出が続けられることになり、どれだけかかるか確定できない。しかも汚染水の発生そのものを止める手だてはなく、根本的な解決は遠い。
「全ての原発(再処理施設などを含む)今すぐ廃炉」しかない。(おわり)

釜ヶ崎夏まつり
地域の中で盛りあがり

8月12日から釜ヶ崎夏まつりが開かれ前夜祭に参加した。JR新今宮駅から会場の三角公園に向かう途中のカラオケ店から大音量、既に町全体が祭り。会場に入ると舞台ではバンド演奏(写真)。知り合いを見つけビールを喉に。夕暮れ迫る中、近所の子どもを先頭に50人ほどのチンドンパレード。すっかり雰囲気が出来上がり前夜祭集会。日頃釜日労にお世話になっている慰安婦問題、狭山、沖縄、原発を闘うグループが、歌や踊りで「友情出演」。アピールだけでなく、踊りや『岸壁の母』も。半分出来上った私も壇上に上がるハメに。猛暑のなか、日頃とは違う闘いの交流の場に感謝。(Y)

6面

長期・読み切り連載 大庭伸介
先人たちの闘いの成功と失敗を学び現在に生かそう 延べ600万人が政治ストに決起 破防法の団体適用を実質不可能に

1995年、すべてのメディアが連日にわたって異常なまでに、地下鉄サリン事件など凶悪な犯罪を重ねたオウム真理教撲滅のキャンペーンを繰り広げた。破壊活動防止法(破防法)を読んだこともないという芸能リポーターまでが「今すぐ破防法を行使してオウムを解散させよう」とわめきたてた。
そうした動きに押されるように、12月14日、村山首相はオウムの団体解散処分請求の「苦渋の選択」をした。
 このようななかで、救援連絡センターを中心に、市民運動家や「新左翼」諸党派など40人ほどが集まって、破防法団体適用阻止の共同行動を展開することで意思統一した。翌年2月23日、東京の豊島公会堂で破防法反対全国集会が開かれ、私も参加した。街の若者風に装った数10人の男たちが会場周辺を埋めていたのに驚いたが、公安調査庁の職員だった。
それを皮切りに、中央・地方を問わず街頭宣伝やデモ、集会、ポスティング、合宿討論、国会対策、地元での議員工作など、考えられるありとあらゆる行動をやりぬいた。その結果、ついに97年1月31日、公安審査会が破防法団体規制申請を棄却するに到った。余曲折を経て52年3月27日、政府は破防法案を閣議決定した。
いろいろな大衆行動を繰り広げるなかで、それなりに手応えを感じていたとはいえ、われわれは圧倒的少数であった。なのになぜ、破防法の団体適用を食い止めることができたのか。それを解くカギは、1952年の破防法制定阻止闘争のなかに秘められている。
1951年、それまでGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の支配下にあった日本は、49カ国との講和条約(片面講和)と日米安全保障条約を結び、「独立」を果たした。
政府はGHQによる団体等規正令にかわる新しい治安立法の必要に迫られたのである。紆余曲折を経て52年3月27日、政府は破防法案を閣議決定した。
破防法は集会、結社、言論の自由を大幅に制約する憲法違反の代物であり、政府の方針に異を唱える団体への「死刑宣告」であった。当面のターゲットは日本共産党であった。
ところが共産党は1950年1月のコミンフォルム(スターリン支配下の国際的な共産党・労働者党情報局)による批判を機に、蜂の巣をつついたような分裂状態に陥っていた。地下に潜った主流派は各地で火炎ビン闘争を実施し、山村工作隊と称して革命の根拠地づくりに励んでいた。闘いのピーク時の6月16日付『アカハタ』号外で、「破防法を粉砕しただけでは食えない。・・・手当だ賃上げだ。これを勝ち抜いてこそが破防法の粉砕だ」と支離滅裂な対応をする始末であった。
破防法の制定は戦前の治安維持法の再現であるとして、最初に動き出したのは女性団体であった。3月20日、日本キリスト教女子青年会やキリスト教婦人矯風会、日本婦人有権者同盟などで組織された婦人団体連絡委員会が悪法反対を決議したのである。
続いて5月17日、日本新聞協会、ペン・クラブ、労働弁護団、日本外交協会その他、ありとあらゆる団体が総結集して破防法反対国民運動連絡会を立ち上げた。なかでも日本学術会議が4月24日の第12回総会で、「政治の圏外に立つ」という従来の慣例を破り、破防法反対の声明を発表して世間の注目を浴びた。
1945年の敗戦から日も浅く、人びとは新たな治安立法の動きに戦争のニオイをかぎつけたのである。このなかで破防法反対闘争の主軸を担ったのが、数次にわたるゼネラルストライキを実施した労働組合であった。破防法反対の声明を発表して世間の注目を浴びた。
ちょうど時期を同じくして、占領下から脱したことを機に、労働諸法規の改悪が準備されていた。1950年7月に結成されて間もない日本労働組合総評議会(総評)は、日産を先頭にした全国自動車労組や全港湾労組などの未加盟組合にも呼びかけて、翌年6月、労働法規改悪反対闘争委員会(労闘)を結成した。
組織の枠をこえて4百万の労働者が共闘を確立したのである。以後、破防法反対のストライキは「労闘スト」と呼ばれるようになった。
なお労働法の改訂は、労・資・公益3者の合議に付することになり、国会提案が遅れたため後景に退いた。

「オシャカサマデモセットクデキヌ」
日和見幹部を追放した下部大衆の力

52年1月26日には、東京の芝公園で弾圧法規粉砕労働者総決起大会が開かれた。そして3月1日には中央集会と共に、全国各地の主要都市でも総決起集会が開かれた。
破防法制定をめざす政府は、総評の中核を担っていた日本炭鉱労働組合(炭労。29万人)の委員長・武藤武雄(総評議長を兼任)にターゲットを定めて、切り崩し工作を重ねた。「破防法は健全な労働組合活動を弾圧するものではない」と説得に努めた結果、常盤炭鉱出身で炭労の右派であった武藤は日和見主義に陥り、4月12日に予定していた第1波ストを炭労は中止することになった。同じく右派の全国金属鉱山労組(全鉱)も、それに同調してストライキ中止を決定した。
炭労本部は中央執行委員が手分けして、それぞれの山元にストライキ中止のオルグに赴いた。しかし、どの山元も闘う意思が固くて説得に応じようとしなかった。そのとき副委員長の柴田圭介が北海道の山元から炭労本部に「オシャカサマデモセットクデキヌ」という電報を打ったのは有名な話である。
炭労では約半数の組合が本部の中止決定に従わずストライキを敢行した。武藤は4月下旬に開かれた炭労の臨時大会で、裏切りに憤慨した代議員に不信任をたたきつけられて退任に追い込まれ、総評議長も辞任した。
炭労だけでなく全鉱や海員組合など右寄りの組合でも、本部の中止指令を蹴ってストライキを実施した組合が相次いだ。破防法制定阻止のストライキは全基幹産業に及び、47年の2・1ゼネストを超える大規模なものに発展した。
職場の労働者たちが、どうしてそこまで力強く反撃に立ち上がったのか。
第1の理由は、1950年6月25日に朝鮮戦争が勃発して以来、日本全土が米軍の軍事工場・兵站基地と化し、どの職場でもムチャクチャな労働強化がおこなわれるようになったことがあげられる。例えば50年には前年に比べ労働災害が20%も増え、そのうち死亡事故が27%、生涯にわたる傷害を負った労働者が57%も増加した。職場の労働者たちが、どうしてそこまで力強く反撃に立ち上がったのか。
軍需工場や運輸・通信その他の重要産業では、カービン銃を肩にかけた米兵の監視下で働かされた。こうしたなかで、うっ積した労働者の怒りが、労働運動を圧迫しようとする治安立法の動きにたいして爆発したのである。
第2の理由は、前述したように戦争が終わってわずか数年しかたっていなくて、戦前のような暗黒社会をもたらす悪法にたいして、その狙いを敏感にかぎわけ、上部団体の日和見主義的動揺を乗り越えて反撃に立ち上がったのである。
さらに賃上げなど経済要求とからめて闘ったことも闘争を盛り上げた一因であった。
破防法反対のストライキは、日本労働運動史上最初の政治ストである。労働者のストライキを中心に総括すれば、60年安保をはるかにしのぐ歴史的大闘争であった。3波にわたるストライキの実施状況を簡単にみてみよう。
第1波(4月12日)は、24時間ないし数時間の時限ストに約14万人。1時間以内の時限ストや職場大会、抗議集会を含めると20余の単産、230万人が参加。
第2波(4月18日)は、スト参加者100万人以上。日教組、自治労、全繊同盟(現・UIゼンセン)など150万人が職場大会。国労、全逓、全電通、都市交などが超勤拒否。以上合わせて335万人が参加。
第3波第1段(6月7日)は、全自動車3万、電産12万(電源スト3800人を含む)の24時間スト、全鉱の一部(7千人)、その他の時限ストも含めスト参加者180万人。 第3波第2段(6月12日)は、スト参加者80万人。統一行動参加者3百万人。
以上ザッと合算して延べ約6百万人の労働者が破防法反対のストライキに参加し、何らかのかたちで実力行使に決起した労働者を含めると延べ1千万人にも達した。第3波第2段(6月12日)は、スト参加者80万人。統一行動参加者3百万人。
労闘ストは全国各地で展開され、地評の強化につながった。さらに地評が地区労確立のオルグに努めたことも忘れてはならない。
1952年7月4日、破防法は日本自由党と緑風会の賛成で可決成立した。保守第2党で野党の改進党は反対に回り、同党所属の中曽根康弘(後の首相)1人が棄権退場した。 しかしこの過程で、政府は何としても成立させようと、労組側にたいして譲歩に譲歩を重ね、同法を適用する際の手続きを再三にわたって厳格化した。その結果、破防法の核心である団体規制のハードルを高くし、実質的に適用不可能に近いものになってしまった。これがオウムにたいして適用できなかった法制上の原因になったのである。
破防法は成立した。だが労働者人民大衆の実力による異議申し立ては、同法の核心を骨抜きにしたのである。(6月12日)は、スト参加者80万人。統一行動参加者3百万人。
ただし、1969〜70年の沖縄・反戦闘争では革命的共産主義者同盟全国委員会書記長の本多延嘉氏はじめ7人の仲間に、破防法が適用されて検挙された(全員有罪)。
破防法の成立と同時に設立された公安調査庁は、社会運動全般を敵視し日常的にスパイ活動を怠りなく実施している。新たな戦前≠迎えた今、つぎに用意されている治安立法と弾圧体制の強化に警戒心を研ぎ澄まして立ち向かうことが求められている。
オウムにたいする破防法適用の失敗と同法制定阻止の大衆闘争の高揚を併せて考えると、大衆運動の成否は長いスパンで、連続性においてとらえなければならないと、つくづく思い知らされた。(この項終わり)

[参考文献]
高島喜久男『戦後労働運動私史・第二巻』第三書館

日本共産党の創立時期についての読者の疑問にこたえて 大庭伸介

本紙第370号6ページ5段目の「1921年4月コミンテルン(共産主義インターナショナル)に日本支部として承認された日本共産党」という記述にたいして、読者から「日本共産党の創立は1922年7月15日ではないか」という指摘がありました。 日本共産党自身が「1922・7・15」を創立記念日とし、従来はこれが定説とされてきました。しかしこれは、3・15事件および4・16事件の統一公判で被告たちの陳述がバラバラであることを裁判長に揶揄され、裁判の進行上都合が悪いから統一するようにという指示に従って、獄中の法廷委員会(佐野学、市川正一、徳田球一ら9人)で協議し、「覚えやすい日」として「1922・7・15」としたに過ぎません。 党創立時に中枢にあった堺利彦や山川均、荒畑寒村らは第2次共産党(1926年12月〜)に加わっていなかったし、もともとコミンテルンの強い要請に基づいて結成された経緯があったため、獄中法廷委員のだれも正確に記憶していなかったのです。この点について早くは、川端正久『コミンテルンと日本 1919年3月〜1922年1月』(法律文化社、1982年)や、岩村登志夫「お天気と歴史――日本共産党創立神話――」(岩波書店『思想』715号、1984年)で実証的研究の成果が発表され、いずれも1921年説を唱えています。 最新の研究では黒川伊織『帝国に抗する社会運動――第一次日本共産党の思想と運動』(有志舎、2014年)に、1921年4月、日本共産党暫定中央執行委員会が成立し、同年7月コミンテルン第3回大会の閉幕直前に日本共産党の成立が宣言された。翌年11月のコミンテルン第4回大会で正式に承認と詳述されています。 回答が大変遅くなって申し訳ありません。

7面

本の紹介
大塚茂樹著(あけび書房)
『「日本左翼史」に挑む―私の日本共産党論』

日本共産党(以下JCPとする)内外から党組織論(中央集権・民主集中)批判の本が続々と発刊されている。またJCP周辺の知識人の出版物には、今春の「松竹伸幸除名」問題が必ず触れられる。本書の著者は、元岩波書店勤務の敏腕編集者で、故松本善明参議院議員(国対委員長)の甥で、松川事件主任弁護人の息子=「共産党2世」だ。その人物による「新たな共産党論」(中北浩爾一橋大教授)である。 出版の直接の契機は、池上彰・佐藤優による講談社現代新書の3冊=『真説、激動、漂流 日本左翼史』の内面に踏み込まない評論・JCP論に対抗した、実相を知る者からの反論でもある。とともに本書の神髄は、1970年代以降のJCPの衰退のもどかしさを、宮本、不破、志位3代委員長の資質も含めて論じた部分は、有田芳生(スターリンの本名ヨシフから名前をとったJCP2世、1990年に除名)の評するように「圧巻」である。 昨今「主張は左翼で一番いいのになぜ選挙のたびに衰退するのか」という声を聴く。これに対しJCP指導部は、「反共攻撃の強まり、逆風を跳ね返そう」と外向けの言辞はあっても、内面をえぐる内省的言辞は聞かれない。党首選を求めた松竹伸幸の『シン・日本共産党宣言』(文春新書)に対しては、大塚は「それ以上の改革案を出せばよい」としたが、彼の希望は無残に破壊された。政治学者として一党一派に偏らない中北浩爾の著作『日本共産党−「革命」を夢見た100年』(中公新書2022年5月刊)は、共産党にとっては十分検討に値すると思うのだが、「なぜか完全無視である」と、中北は言う。 大塚は本書の126頁から252頁まで、全272頁のほぼ半分を使い、3代の委員長の資質と「国際学連の歌」を愛する献身的な共産党員の心情を描く。特に志位委員長と大塚はほぼ同世代で、敬愛をこめて筆致を進める。宮本・不破に比すとカリスマ性はないが、2015年から熱心に野党共闘を進め、「綱領教室」で懸命に現代における共産主義の優位性を説く姿を追う。が、なぜか党勢が後退する。そこをえぐる論議をおこなえば、松竹・大塚や、元東大全共闘(当然にも反JCP)周辺にいながら、昨今は共産党支援を表明する内田樹、また売り出し中の斎藤幸平東大准教授からも、評価は上がるのにせず、松竹を除名して大塚・中北・内田らを失望させる。 JCPの松竹除名問題は単に党内部の問題ではない。JCPが政権に入った時、JCPへの異論にどう対するかと言えば、除名=死刑判決を本の発刊1カ月内に執行したわけだ。これではいくら「自由と平和」と言っても、「異論は許さない共産党」のイメージが拡散されるばかりだ。 松竹の本の推薦を書いた内田樹は、白井聡との最新の著作『新しい戦前〜この国のいまを読み解く』(23年8月刊)で、「4月統一地方選を前に、松竹さんの提議を奇貨として共産党が『開かれた民主的な党組織である』ことをアピールする絶好の機会を逃した」と落胆する。除名―死刑執行の血は今も流れている。本論を含めての「異論・反論・オブジェクション」は引き続き無視だろうか。(Q)

8面

本の紹介 『重度精神障害を生きる』 著者が突きつけるもの

高見元博著、『重度精神障害を生きる――精神病とは何だったのか 僕のケースで考える』は、私自身と私たちにきわめて重いものを突きつけている。それと同時に、共産主義の運動と思想にとって新しい地平を展望する内容に満ちている。読後感を提起し、批判を乞いたい。

精神障害者の自己解放宣言

本書の核心は、「はじめに」に書かれている「精神障害者の自己解放宣言」にある。同時に、終章の第1節の見出しになっている「人は変わることができる」が全体の総括となっている。まず宣言し、考察を尽くして、結論を「変わることができる」に置いている。見事な構成となっている。 高見さんは、マルクスやレーニンの著作にも差別語が使われていることを指摘している。またわれわれの、在日朝鮮人民・中国人民、ひいては被抑圧・被差別人民に対する「7・7自己批判の立場」に対する動揺的であいまいな態度があったことを弾劾している。それに踏まえて、われわれの原点であるロシア革命の問題性を改めて確認したい。1917年革命の直後に出された憲法や法律には社会保障、とくに職業病や労働災害の条項は確かにあるが、病気や障害についての条項はない。それどころか、1919年には早くも精神障害者に対する隔離収容が制度化される。これがスターリン時代になると政治的反対派に対する弾圧の手段とされる。 エイゼンシュテインの映画『戦艦ポチョムキン』に印象的な場面がある。オデッサのデモで松葉杖をついた障害者と乳母車(を押す女性と乳児)が登場する。その後、宮殿の階段を駆け上がったデモ隊が軍隊に蹴散らされる。階段を乳母車が転げ落ちる場面が出てくるが、松葉杖の障害者がどうなったかは分からない。これを障害者が革命に参加している場面とむかし感激した覚えがある。しかし考えると、障害者を革命の主体としてではなく、単なる客体として描いている。当時の既存社会主義の限界をここに見る。 本論にもどって、高見さんは、高校生以降の自己史の総括を通じて自らの発症の契機を追求している。病歴や診断名はもちろん、ベトナム反戦や学園闘争とのかかわり、郵政職場の情況、家族関係などを考察している。そして従来の精神病についての学説である「医学モデル」と「社会モデル」を超えて、障害があるがままに労働し、「健常者」と同等の権利を要求するという立場を確立する。ここには病因と適薬を求める求道者的闘いの軌跡がある。 また明治以降、精神障害者を治安管理の対象としてきた日本社会への全面的糾弾とともに、障害者差別の構造を解明しつくしている。すなわち、障害者を劣った者、危険な者として、虐待と虐殺の対象とする。そして権力・行政が、障害者を意志なき者として扱ってきたことを厳しく糾弾している。

普遍的人間解放を目指して

高見さんは、さらに労働者と障害者、さらには被抑圧・被差別人民の解放の相互関係に踏み込む。マルクスのアイルランド問題に関する提起に踏まえて、「労働者階級は差別・抑圧と闘い、自らの差別を乗り越えて、それらの解放を勝ち取ることで、被差別・被抑圧人民の信頼を得ることが、プロレタリアート解放の『前提条件』」であるという結論を導いている。 さらに高見さんはマルクスを継承し、革命主体はあくまでプロレタリアートとし、障害者、精神障害者、被抑圧・被差別人民をプロレタリアートに含めるべきだと主張している。この点は私も悩みに悩んで、帝国主義段階では農民や被抑圧民族、被差別人民はプロレタリアートに含めるべきだと主張したことがある。生産関係における地位によって規定される階級概念からすると工場労働者しか意味しない「プロレタリアート」概念は確かに狭すぎる。逆にマルクス自身のこのような狭い理解が、フランス2月革命が裏切られ、ナポレオン3世を権力に押し上げたのは分割地農民であるという理解をもたらす。しかしプルードンが言うように、ナポレオン3世を権力に押し上げたのは、6月暴動の敗北で絶望した労働者階級自身であった。マルクスはそれをルンペン・プロレタリアートだとしてしまう。ここにはマルクスによる労働者への一面的重視と反革命に加担するのはルンプロだとしてしまう政治的決めつけがある。しかし2月革命から6月暴動を主導したのも、ナポレオン3世のクーデターを支持したのも同じ労働者である。 20世紀世界革命を見ると、1919年のモンゴル革命は、牧民とラマ僧が主体で労働者は1人もいない。中国革命は流民化した農民、キューバ革命は土地なき農民(農業労働者と言える)が主体であった。これをもって見ると、現代革命の主体はプロレタリアートとともに、農民や被抑圧・被差別人民であるということができる。結局、階級規定と社会(学)的規定の相互関係を明確にして、階級規定はあくまで堅持するとともに、それを豊かに発展させるべきだと思う。それに対して、サバルタン(グラムシ)、マルチチュード(ネグリ)、また被抑圧・被差別人民を指す言葉として使われる「マイノリティー」という言葉は、階級性と差別・抑圧関係をあいまいにする意味しかない。女性という存在を考えれば分かる。女性は少数派でも劣った存在でもない。英語をはじめ欧州系統の言葉に、「差別」をはっきりと意味する言葉がないことも問題である。たとえば英語のdiscrimination≠ニいう言葉が「差別」の意味に当てられることが多い。しかしこの単語は、「差別」よりも「区別」の意味合いが強い言葉である。 高見さんが言うように、結局、晩年のマルクスが当時ナロードニキであったザスーリッチに宛てた手紙で述べている、農民の共同体がそのまま共産主義社会の源基になるようなあり方を模索することが課題となる。あらかじめそのような共同体が存在しない場合は、それを闘いとる運動論が必要である。 高見さんは、共産主義の目的として、「働かざる者食うべからず」という1917年ロシア革命の標語を否定する。スターリン主義とナチスがともに掲げたこの標語を否定することは現代革命の重要な課題である。高見さんはそれに替えて、「各人は能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」ことに将来社会の原理を置く。これは障害者にとって「ひとりの人間として生きていくために」必要な原理であるとともに労働者、被抑圧・被差別人民の人間的共生にとって不可欠の原理である。同時に、この原理は、マルクスが言うように分配に偏った規定であることに踏まえ、人間生活の全局面で、性の区別や民族の分断、障害のあるなしを超えた共生を実現することが必要である。そのためには、抑圧的権力の排除とともに、搾取する側、抑圧する側、差別する側の(「償い」とレーニンが言う)努力が必要になる。高見さんはまさにそのことを強調しているのだと思う。

実践的提起と決意

高見さんは、実践的結論として、虐待事件を頻発させた神出病院事件について、理事長・院長の徹底的追及を通じて、さらに「精神科病院を全て解体するまで闘いぬく」と決意を表明している。これは精神障害者にとって生きるための不可欠の闘いであるだけでなく、労働者人民および共産主義者にとって現在焦眉の課題であると思う。 それとともに、障害者を抑圧し、抹殺する優生思想の典型的あらわれとして、優生保護法による強制不妊手術の問題がある。全国で闘われているこの裁判闘争を支持し、政府・国会・行政をはじめこれを推進したすべての責任を徹底追及し、強制不妊措置を受けたすべての人に補償を実現させなければならない。 高見さんが強調しているように、現在の日本の障害者に対する差別・抑圧、隔離・虐待と闘う武器として、国連の障害者権利条約とそれに基づく、2022年9月に出された対日勧告「障害者権利条約対日審査総括所見」を政府・行政に認めさせる闘いは全労働者人民の課題である。 「骨格提言」の完全実現を求める大フォーラム実行委員会が掲げる「私たち抜きに私たちのことを決めるな」という標語は、世界の障害者解放を闘う者の運動と理論の到達地平である。それは、障害者自己解放の思想そのものであるとともに、真の共生社会=コミュニズムの展望を与えるものである。 在日外国人を無期限に強制収容し、強制追放する日本の入管体制や、派遣などの非正規雇用労働者、女性に対する差別・抑圧と闘う立場から「人権」という言葉が最近強調される。これはたんなるブルジョア的政治的権利だけでなく、共産主義に通じる全人間的解放を求める重要な概念である。障害者解放運動が切りひらいたこの地平を、労働運動、社会運動が共有し、共産主義の世界的発展を切りひらこう。(橋本利昭)

増税へ舵を切った岸田政権(下)
経済政策が全面いきづまり 大井 拓

軍事費増税反対

岸田内閣は先の国会で「防衛財源確保法」を成立させた。財務省は23〜27年度に軍事費総額43兆円を投じると決定。増税は27年度で1兆円強をまかなうとした。今後、増税・国債発行などをメインになりふり構わぬ財源確保をおこなおうとしている。いずれ未曾有の大軍拡を増税によって突破しようとしているのは間違いない。軍事費や軍需産業の維持のために国の支援として税金を投入しようとしている。

インボイス中止・消費税廃止

政府は10月からインボイス導入を企んでいる。仕入れにかかる消費税を控除するためにインボイス登録が必要で、消費税納入義務のある業者は免税業者からの仕入れ分を控除できなくなる。免税業者は負担の増える課税業者になるか、取引を断られるかの選択を迫られる。これで2480億円の税収増を見込んでいる。 中小零細・フリーランス・個人業者に矛盾を押し付けるものだ。(おわり)