原発・沖縄・反増税の人民総反乱を
原発と心中はかる岸田政権
辺野古工事再開、ミサイル配備も
T進行する日本帝国主義・岸田政権の危機
李元栄(イウォニョン)さんの行進と京都の闘いが合流(8月13日) |
@岸田政権の反革命的暴走
岸田政権は安倍政権以上に原発依存に急激に突き進んでいる。7月28日には、稼働から49年弱になる最古の老朽原発高浜原発1号機を12年半ぶりに再稼働させた。続いて8月中旬には、政府・電事連・関電の後押しで山口県上関町に中間貯蔵地調査受け入れを表明させた。さらに8月24日福島県漁民、アジア・太平洋諸国人民の反対を無視して、福島原発汚染水の海洋投棄を開始した。この海洋投棄は30年間続く。いずれも起こるべき結果の責任はすべて岸田政権・日本政府にある。2011年3・11福島第一原発事故以来何の責任も取らず、今また福島原発事故をなかったことにせんとする歴史の大逆流で、絶対に許してはならない。
また岸田政権は、昨年末の安保3文書の閣議決定以降、対中国敵視を深め、沖縄に対する基地重圧をますます強めている。琉球弧全体の島々に、陸上自衛隊・ミサイル部隊配備をおこなうばかりか、辺野古新基地の大浦湾側の工事を再開しようとしている。基地負担軽減は言葉だけで、6・23慰霊の日を前後してこのままでは沖縄は再び戦場になるという危機感が強まり、「島々を戦場にするな!」をかかげた県民大会が11月23日に開かれる。こんな中、麻生自民党副総裁は台湾を訪問し、台湾有事をあおる「戦う覚悟」を強調した。
A自公政権の後戻りできない危機が進行
一連の政権の強権的手法に対し、人民の怒りは高まり、高浜原発再稼働に対しては、7・23大阪緊急集会、7・28高浜現地行動、9・1関電前一食断食行動などが連続的に取り組まれている。汚染水海洋投棄には韓国の李さんのソウル→下関→大阪→東京行進に多くの人々が呼応し、日本政府批判はアジア・太平洋諸国に拡大した。
マイナンバーカードと保険証紐づけ(実質的に高齢者から保険証を奪う)には返上を含む怒りが爆発し、2万ポイント給付でもカード取得の動きは止まった。大軍拡・大増税への危機感、物価高騰への怒りは、成長率1・3%なのに消費者物価2・6%上昇、10月インボイス導入、ガソリンは180円台に上昇で、ますます高まる。この中で内閣支持率はさらに下落し26%に、不支持率は60%近くに。さらに世襲政治、自民党女性局フランス遊覧旅行、秋本汚職がボディブローとなった。
その上に自公政権の政策的いき詰まりも顕著で、大阪など自民党組織の衰退は激しく、公明党も60年代型成長が限界に達し、常勝関西が敗れると20年にわたる自公連立が一気に危機に突入する。その突破のために旧安倍派と繋がる宗教右派などが胎動しつつある。
弱い野党と第2自民党=維新に助けられ政権交代はないと高をくくるが、人民の怒りは、政権交代にとどまらない爆発に向かおうとしている。
B維新、野党の破産も不可避
政権狙うも万博危 機が直撃する維新
かかる自公政権の危機に対し、「大阪の実績」をもって22年参議院選、23年統一地方選に勝利し、「身を切る改革」で大阪府下をほぼ制圧した。しかしその内実は、かつては大阪ルサンチマンを背景にしたが、維新政治下で大阪の成長は無く、コロナ死者数も日本一で、彼らの実行した新自由主義政治に赤信号が。そんな中、今や維新と結託した関西財界と一体となり最後の望みを託すのが「大阪万博・カジノ」だ。しかし開幕まで2年を切った万博は、外国パビリオンの建設許可申請はわずか2カ国。地盤は沈下、工費は急増、建設労働者は圧倒的に不足。交通アクセスは未整備の「ゴミの島」。入場者数は予測できず、高額チケットは買う人がなく企業に割り当て。何から何までないない尽くし万博の破産は不可避で、あとは膨大な税金の投入だけだ。
今やだれも見向きもしなくなった万博といっしょに、維新を送葬しよう。
原発容認の立憲に 未来はない今やだれも見向きもしなくなった万博といっしょに、維新を送葬しよう。
野党第一党の立憲民主党は、昨年参議院選挙以降、分解過程に入った。特に泉−岡田執行部は、野党共闘を否定し、維新との国会内共闘を進め、さらに原発反対の綱領的立場の放棄寸前で、人民の信頼を失い右往左往し、連合右派の芳野会長に絶えず分断を持ち込まれている。人民は野党としての立憲に期待を寄せた時期もあったが、次期選挙で野党第一党の座を失うなら一気に瓦解する。
それではその危機を共産党が突破するかといえばこれもない。なぜなら彼らは人民的怒りとの結合と離れた議会主義を宮本・不破・志位と続けてきたが、ここ10数年は議席数も混迷と後退が続いている。さらに硬直的組織論とあいまって闘う部分の離反が進んでいる。しかし労働者階級・人民は、この野党の混迷を乗り越えて、岸田政権との全面対決に突き進むだろう。
U今秋、反原発・沖縄、反増税・生活防衛、排外主義との闘い
@日本帝国主義の体制的危機と人民の闘い
岸田政権の支持率26%に示される日本帝国主義の危機は、岸田個人の政治的未熟によるものではない。G7サミット議長国と言いながら、すでに1人当たり国民総生産は31位で、ジェンダー指数や報道の自由度なども先進国では最低ラインだ。食糧自給率も実質10%台、学校給食で食を補う子どもの貧困は親の貧困に起因し深刻だ。「少子高齢化」への「異次元の対策」は、ピント外れで手おくれだ。資本家にとって「失われた30年」が労働者階級に格差・貧困として襲いかかり、人民の怒りは臨界点に達しつつある。
かかる帝国主義の危機に対し、人民の闘いは以下の4つの形態で爆発しようとしている。@原発、沖縄、狭山などの戦闘的大衆闘争〜反政府・反権力闘争(政治闘争) A生活防衛・反増税闘争〜労働運動、生活防衛、反増税運動(経済闘争) B政権交代議会闘争 C杉並などの地域・自治体での住民自治を実現する政策実現運動が、混然一体で進みつつある。今秋の人民決起が、15年戦争法闘争並みの人民決起になると確信する。
A沖縄・原発闘争
日本帝国主義岸田政権の安保・外交政策の中軸は、中国敵視、軍事力強化、琉球弧の島々に自衛隊ミサイル基地配備である。台湾危機を煽り、沖縄の戦場化をたくらむ安保3文書を昨年末決定し、敵基地攻撃論・軍事費2倍化を進めようとしている。台湾有事をあおる麻生自民党副総裁は8月8日台湾で「戦う覚悟」を強調した。これは米帝バイデンですら慎重姿勢なのに、自衛隊反動幹部や麻生などが、米帝のアジアからの軍事力逃避を逃さず、日本がロシアと並ぶ戦争放火者になろうとする危険な姿だ。
このため鹿児島県馬毛島から、奄美大島、沖縄島、宮古島、石垣島、与那国島まで切れ目なく陸自ミサイルを配備しようとしている。「軍隊は住民を守らない」ことを沖縄戦を通じて身に染みている人々は、6・23慰霊の日を前後して、急激に「島々を戦場にするな!」の意識を高め、11月23日の県民大会開催を決めた。その上に9月辺野古反動判決で、停止中の大浦湾側の工事再開に踏み切ろうとしている。これは建設阻止闘争の永続化に火をつける。
問われているのは「沖縄に戦争を強制していいのか」という本土〈ヤマト〉の人民の闘いだ。対中国戦争は日本列島全体が出撃基地になる。その最先端が沖縄で、沖縄の島々は逃げ場がない。近代150年沖縄人民を差別し、米軍支配下に売り渡してきた本土〈ヤマト〉の人民に問われているのは、逃げることのない、戦争をさせない巨万の人民の決起の実現だ。
日帝・岸田政権の原発全面回帰は、日本の核武装をも措定した、後戻りしない超反動政策だ。野党の屈服の中、GX束ね法案を強行し、老朽原発再稼働に突き進んでいるが、国民世論は依然2分のままである。山口県上関町への中間貯蔵施設建設攻撃は、関電の「年末までに中間貯蔵地を示す」という福井県民懐柔であるとともに、すでに何度も破産した核燃サイクルの幻想を撒くもので、岸田は原発と心中を宣言した。さらに8・24汚染水排出は、デブリに触れた原発汚染水と、通常原発の冷却水投棄を同一視する情報操作で、世界的犯罪行為だ。
福島第一原発事故はいまだ終わっておらず、政府・東電は生業・避難に責任を取らず、福島住民・避難者の各種裁判は正念場を迎える。ドイツをはじめ世界は原発から撤退の流れだ。我々の自己批判もこめ、核と人類は共存できない・原発廃絶を人民決起で実現していかなくてはならない。
B生活防衛=反増税の闘い
岸田政権の物価高・増税・生活破壊に対し、あらゆる世代の決起が始まっている。6月18日、れいわ新選組は大阪で反増税をかかげ若者を先頭に650人の御堂筋デモをおこない、インボイス導入反対、消費税廃止とも一体となり、今秋過程で大爆発するだろう。
労働運動は最低賃金1500円を求め、また関生弾圧粉砕闘争と、超低賃金に苦しむ外国人実習生などの闘いとも結合し、社会運動との連携の中、戦闘的再生の道を進むだろう。
農業と食糧自給の闘いは、消費者サイドの給食無償化、「安全な食べ物」を求める運動とも連携し、政府の農業切り捨てを弾劾し発展する。60年にわたる農地取り上げ・生業破壊を許さない三里塚闘争と連帯し闘い抜いていこう。
生活破壊は社会的弱者である子どもの虐待の頻発として生起している。子どもの権利条例制定運動や、ロスジェネ世代、青年・学生の闘いを今こそ発展させていこう。
C差別排外主義との闘い
狭山闘争は12月大野裁判長退官までの今秋闘争が勝負だ。弁護団任せでなく各地に市民の運動をつくり、10・31闘争、11月三者協議へむけ闘い抜こう。袴田事件での検察の巻き返しを許さず、うごかせ狭山! 動くぞ狭山! の旗のもと、署名・要請行動・地域の運動に取り組もう。
宗教右派らのジェンダーフリー・フェミニズム運動破壊攻撃、LGBT法への反動的介入許すな。慰安婦問題への持続的取り組みを進めていこう。
強制不妊裁判闘争での仙台高裁反動判決の逆流許さず優生思想との闘いを強めよう。11月大フォーラムの運動と連帯していこう。
今春入管法改悪反対闘争は2年前のウイシュマさんの闘いを受け継ぎ、改悪されたとはいえ高揚し入管体制の終わりの始まりを告げた。関東大震災100年の今年こそ、反動政治家・右派ヘイトの跳梁許さぬ闘いを。
ウクライナ反戦闘争は6・25シンポをも契機に「戦うウクライナ人民との連帯」が見えてきた。内戦を戦うミャンマー人民・在日労働者と連帯し、国軍と繋がる勢力を許すな。パレスチナ連帯を取り組み、日本階級闘争の弱点=人民分断・差別支配を許さない闘いを強化しよう。
D共同闘争と地区ベースの活動
今秋闘争の課題は山積だが、それはこの闘いを通じて日本階級闘争の新たな地平を開く壁でしかない。この連続闘争を闘うカギは、地域での闘いをベースにした階級的共同闘争の拡大である。市民運動の形をとった各地の反戦・反安保運動=社会運動を発展させよう。課題ごとで連携する原発・沖縄などの大衆的実行委員会の発展を勝ち取ろう。
そしてその中に『未来』を持ち込み、財政闘争・組織建設を一体で闘い取ろう。いまや『未来』は隔週刊ながらあらゆる政治動向を分析し、闘いの道筋をさし示す闘いの道標だ。この発展が今秋闘争を支える。左翼独特の「綱領論議・路線論争」は、あらゆる形の数千数万の大衆闘争と呼吸し結合して発展する。今秋闘争こそその大舞台だ。
V国際連帯と社会主義の旗を掲げて
汚染水の海洋放出に対し政府・マスコミ一体の反中国キャンペーンが激しい。原発事故に責任を取らず、海洋を自国の下水のように扱って恥じない。戦前と侵略戦争を恥じない「新しい戦前」の始まりだ。ウクライナ戦争でも国際主義が問われた。ロシアの侵略戦争に反対する西欧・アジア・グローバルサウスの連帯が求められている。
特に欧州左翼は、未定型ながら、スペイン・ポデモス、フランス・メランション、ドイツ左翼党・緑の党などは政権に接近し、社会主義を目指す部分もいる。韓国・アジアも激動だ。日本階級闘争はこれらの闘いと連携し、原発・沖縄闘争の中から、社会主義の道を探る必要がある。
9・1を突破口に、運動全体の発展と無縁のセクト主義許さず、沖縄・原発・狭山、反増税・反貧困の総反乱へ。12・3一万人結集運動の中に、岸田政権打倒・社会主義を手繰りよせていこう。
汚染水流すな!京都行動
日韓市民徒歩行進と合流
8月13日
デモ終了の京都市役所前(8月13日) |
2年前の4月13日に菅首相(当時)が放射能汚染水を海洋投棄する決定をおこなった。以降、毎月13日は放射能汚染水海洋投棄に反対する記念日として、各地で抗議行動が取り組まれている。
岸田政権が今月中にも海洋投棄に踏み切る姿勢をくずさないなかで、8月13日、京都市内で「放射能汚染水を流すな! 京都行動」がおこなわれ、集会後、四条通り、河原町通りの繁華街を京都市役所までデモ行進した。主催は老朽原発うごかすな! 実行委員会。
100人が集会
午後5時20分、京都駅の西側に隣接する公園に100人が集まり集会。主催者あいさつで木原壯林さんは、放射能汚染水の危険性、政府・東電の虚偽宣伝、IAEAの正体について、鋭く暴露批判した。以下紹介する。
規制基準の根拠
政府は「汚染水を希釈してトリチウム濃度を基準値以下にして放出するから安全」と言っている。そもそも基準値とはどのような根拠で決まったのか。
天然水では1リットル中のトリチウム濃度は約1ベクレル。ところが、トリチウムを含む水の環境放出規制基準は1リットルあたり6万ベクレルと定めている。なぜこんなに高いのか。それは、原発を運転すれば、この程度のトリチウムが放出される可能性があり、基準値をこれくらいの高い濃度にしておかないと、原発を運転できなくなるからだ。人や生物の安全を考えた基準ではなく、原発や原子力施設を稼働する都合にあわせた基準にすぎない。
政府や東電はこのような高濃度を規制基準とし、その40分の1の濃度=「1リットルあたり1500ベクレル」まで希釈して放出するから海洋放出は安全としている。
トリチウム以外も
さらに東電や政府は、ALPSで処理した汚染水はトリチウム以外の放射性物質を含まないかのごとく宣伝しているが、無視できない濃度の放射性物質(ヨウ素129、ストロンチウム90、ルテニウム106など)が残存している可能性が大きい。これは彼らも認めている。
IAEAのお墨付き?
政府と東電は「国際機関・IAEAがお墨付きを与えたから、海洋放出は安全」と言い出した。しかし、IAEAは原発マネーで運営されている原発推進機関だ。グロッシ事務局長は「IAEAの報告書は処理水の海洋放出計画を認めるものではなく、最終決定は日本政府がくだすもの」とし、IAEAは、「海洋放出を推奨、支持するものではない」と言っている(責任逃れをしている)。
李元栄さんが日韓市民徒歩行進
この集会準備過程で、ソウルから来る〈放射能汚染水(処理水)放流中止 日韓市民徒歩行進〉が京都を通過することを知り、この行進と合流することになった。
この行進は、水原大学元教授、国土未来研究所所長の李元栄さんが、6月18日にソウルを出発し、9月11日に東京・国会議事堂に到着する1600キロに及ぶ距離を踏破する徒歩行進。[注]。
[注]途中、釜山から下関は船で渡った。
李元栄さんは、当日午前中に大阪府高槻市に到着しており、この日の徒歩行進はそこまで
とし、夕方、京都に向かい、上記デモに合流した。
李さんは、集会でも、デモでも「韓国と日本の市民の力で放射能汚染水の放流を止めよう」と熱く訴えた。
日本政府は人類に謝罪し、放流中断を
李さんは、「日本政府は人類に謝罪し、放流を直ちに中断しなければなりません」と訴え、今回の徒歩行進を始めるにあたり「なぜ無理やり海に捨てるのかわかりません。いくら希釈しても放射能の絶対量はそのままです。海の生態系が破壊されます。…日本政府は多くの生命を故意に破壊するのを止めねばなりません。人類自滅のテロは中止しなければなりません。…韓国と日本の市民たちが歩いてこれに目覚めさせ放流を止めようと思います。共に歩けば成し遂げられます」と宣言しスタートした。
沿道から声援が
京都駅前を出発したデモ隊は、東本願寺を通過し、四条烏丸あたりにくると歩道は人で埋め尽くされ、四条通り、河原町通りと進むなかで、李さんの呼びかけ(通訳が復唱)に多くの観光客、市民が応え、デモと通行する市民の一体感が感じられた。放射能汚染水は、非常に関心が高いことが感じられるデモ行進だった。
李さんの徒歩行進は明日からも続く。次のエリアである滋賀県では実行委員会が結成され県内の全行程を滋賀県民が同行するプランができている。
2面
8・9国会前闘争
軍拡・沖縄・マイナなどで千人が決起
国会議員会館前には久しぶりに1000人が集まった(8月19日) |
8月19日、国会前で『軍拡増税反対! 辺野古新基地建設反対! 南西諸島のミサイル配備反対!「殺傷武器」輸出反対! 改憲発議反対! マイナカード強制反対! 暮らしをまもれ! 8・19国会議員会館前行動』がおこなわれ、猛暑の日中に約千人の労働者・市民が結集した。主催は〈戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会〉〈9条改憲NO! 全国市民アクション〉。
司会は憲法9条を壊すな! 実行委員会の菱山南帆子さん。
社会民主党・大椿裕子参院議員、日本共産党・山添拓参院議員、立憲民主党・吉田晴美衆院議員が口々に岸田政権の軍事費増大・改憲策動を弾劾し、また沖縄の風・伊波洋一参院議員のメッセージが読み上げられた。〈ミサイル基地いらない住民連絡会〉清水早子さんは「自衛隊と米軍で輸血用血液の共有が図られ、石垣島で遺体収容訓練が大規模災害という名目でおこなわれている。恐ろしい戦争準備の実態がある」と訴えた。〈さようなら原発実行委員会〉事務局の井上年弘さんは「明日、岸田首相が福島現地を視察する。様々な問題で安倍以上になっている。9月18日には代々木公園に集まって脱原発・炭素の集会をおこなう。汚染水の放出で福島の住民に不利益を押しつけようとしている」と訴えた。
主催者から、@8月24日の『憲法改悪を許さない 総がかり署名街宣』(18時新宿駅東南口)A28日の『憲法9条改憲NO! ウィメンズアクション』(18時有楽町イトシア前)B9月1日の『9・1プレ企画 「九条の会大集会 大軍拡反対! 憲法改悪を止めよう」の成功へ』(18時半 東京・文京区民センター)C9月5日の『密室で勝手に決めるな! 殺傷武器輸出するな! 改憲・軍拡・増税反対! 安保3文書撤回! 官邸前行動』(18時半、首相官邸前)D9月23日14時からの新宿駅東南口を皮切りに30日まで各地で行われる市民連合の女性を中心としたスタンディングの「フェミ・ブリッジ」行動E10月5日の『九条の会大集会「大軍拡反対! 憲法改悪を止めよう」』(中野ゼロホール、実行委主催)F11月3日「憲法大行動」が提起された。
3面
8・6ヒロシマ〜平和の夕べ〜
平尾直正さん講演要旨
原爆小頭症とは
原爆傷害調査委員会(ABCC)は、1946年から被爆者の調査をはじめている。原爆小頭症の子どもが生まれていることはわかっていた。しかし、ABCCは家族にたいして「原爆によるものではない。栄養失調が原因だ」と説明していた。
原爆小頭症の子どもたちは胎内被爆者であり、爆心から1・5q以内で強く被爆している。被爆時、母親が妊娠早期(2〜4か月)であり、翌年の1〜3月に生まれている。被爆によって、脳の発達が妨げられたのだ。その多くは、知的障碍や身体障碍をもって生まれている。本来この子どもたちは「生まれてきてよかった」と、敬意をこめて祝福されなければならない存在であった。原爆小頭症の子どもは、原爆の非人道性をしめす証人なのだ。
1965年、『この世界の片隅で』(岩波新書)のなかで、秋信利彦さんが原爆小頭症の存在を明らかにした。このように、原爆小頭症が社会的に明らかになるのは、被爆から20年もたってからだった。社会は、原爆小頭症の存在を無視してきたのだ。
この年、当事者の親たちは「きのこ会」を結成。その趣意書には「原爆のきのこ雲のもとで生まれた小さな命ではあるけれども、木の葉を押しのけて成長するキノコのように、苦難に負けず、たくましく育ってほしい」という親たちの願いが込められていた。「きのこ会」は、原爆小頭症の原因は原爆によること、終身保障をすること、核兵器の廃絶、この3点を訴えた。
1972年に、ABCCは「原爆小頭症の子どもは広島で48人、長崎で15人、計63人存在する」と発表している。現在、広島で12人存命しているが、長崎ではいなくなっている。原爆小頭症患者は生まれながらに障碍をもっている。このことにより、まわりからいわれない偏見と差別を受けながら、生きてこざるをえなかった。
岡田佳一さんの場合
岡田佳一さんは、広島平和記念資料館で原爆小頭症の当事者として紹介されている。広島での生活はうまくいかず、一家は母親の実家(宮崎県)に移って、生計をいとなんできた。
佳一さんの知的能力は幼稚園児程度で、きびしい差別をうけてきた。1963年、父親は原爆後遺症で亡くなっている。母親は「この子を見送ってから、自分は死にたい」といっていた。佳一さんがひとりで生きていけないからだ。佳一さんは腎臓が悪く、入院をしていた。そのうち、母親も脳梗塞で倒れる。「いっしょに暮らしたい」。これがふたりの想いだった。佳一さんは、多臓器不全で67歳のときに亡くなった。その49日後に、母親も息をひきとっている。
信子さんの場合
信子ちゃんは、生まれながらに右親指がなかった。母親はこのことをひた隠しにしてきた。信子ちゃんの知的能力は7歳程度。母親と上の2人の姉は、信子ちゃんが4歳の時に山梨県に移住している。兄と信子ちゃんは瀬戸内海の小さな島で、父親とともに生活をする。兄は中学校を卒業すると同時に、父親のもとをはなれていった。その後、親に内緒で、兄は婿養子になっている。
その後、信子ちゃんは大好きなお父ちゃんとともに生活していく。1992年に父親が亡くなった時、その事実は信子ちゃんに伝えられなかった。当然、父親の葬儀にも呼ばれなかった。のちに、父親が骨になったことを知った時、信子ちゃんは泣き叫んで島じゅうを走りまわった。
信子ちゃんは乳がんなどで入院中に67歳で亡くなっている。信子ちゃんを見送ったのは兄夫婦の2人だけだった。信子ちゃんの葬儀はおこなわれなかった。兄は信子ちゃんの存在を隠していたために、誰にも知らせなかったのだ。
非人間的兵器としての原爆
原爆は破壊力が大きいという点だけではない。放射線被爆による原爆症の苦しみを人間の体に埋め込む。この点で、核兵器は非人道的兵器なのだ。核は廃絶するしかない。 「燈燈無尽」という仏教用語がある。灯篭のろうそくが消えかけても、新しくろうそくを受けついでいけば、灯篭の灯は消えることがない、こういう意味だ。私がこのろうそく≠ノなろう、と決めた。私平尾直政は今まで、被爆者やそれを支援する人びと、いろんな人から原爆について話を聞いてきた。今度は、自分がそれを伝えていこうと思っている。
地域主権実践を始めた東京・杉並区
地べたの民主主義が、自公・維新破る
荻窪駅前で対話行動 |
22年6月の東京杉並区長選で選対本部長をつとめた内田聖子さん講演会が7月2日、兵庫県尼崎市で開かれた。主催は、つじ恵政治経済研究所。
その際、7月30日に「岸本区政1周年集会」がひらかれると聞き、お礼もかねて1周年集会に参加した。
7月30日、事前に街宣があるというJR中央線荻窪駅に着くと、岸本区長と市民20人ほどが街宣中。駅前は1969年に大学受験のため降りた時と変わらぬ雰囲気。また友人の下宿に泊り遊んだ青春の高円寺・阿佐ヶ谷なども同じで、快速と各停が並行する模様は、最後に選挙で行った20年前とも変わらぬ雰囲気だった。
会場はなぜか区西端の「西荻窪」。それも駅から15分ほど北。しかし道すがら、南北のバス通り(「関東バス」)、東西の細い路地と古書店・喫茶店・古着屋など。西荻は多分、杉並らしさを最も残した地域ということなのだろう。
集会は冒頭岸本聡子区長のバンド演奏から。20年以上オランダなどに住んでいてロックは皮膚感覚なのだろう。区政報告は、ひとまず型通り。みんなで作ったとはいえ、公約が1年で実現できるはずもなく、「成果と課題」を20分ほど述べた。
重要だったのは5人のパネリスト、司会・内田さん、岸本区長答弁のシンポジウム。冒頭杉並の町並みは数十年前と変わらないと書いたが、その間住民主導の町づくりがおこなわれてきたと思うが、それを新自由主義的手法で破壊したのが田中前区長。争点の一つが公共施設の統廃合、とりわけ全小学校区にあった児童館や、高齢者施設の廃止。この見直しをかかげ選挙戦を闘った。しかし、当選してもすでに執行中の前行政を中断できず、一部廃止という苦渋の選択・公約違反。この点については穏やかながら鋭い批判がパネリストからなされ、岸本区長から新たな決意が表明された。
岸本区長と仲間たちのバンド演奏で始まった区政1周年集会(7月30日 東京・杉並) |
応援メッセージは地元衆議院議員、都議、区議とともには、京都からビデオで岡野八代同志社大教授が「ケアワークの重要さ」。舞台には、1年前まで東京でプロのキックボクサーという瑞慶覧朝風・沖縄南城市議が。祖父・父と続く沖縄民権の先頭に立つ人脈だ。内田さんのまとめ、後援会長風の女性の「お願い」で緞帳がおりたが、再び緞帳が上がりニッカボッカ・工事用ヘルメットの区長らのバンド演奏がオープニングより激しく展開。200人弱の聴衆、特に50歳代女性たちがノリノリの手拍子で呼応した。
翌日会った杉並区議によれば、地元自治会・商店街などには岸本区長をよく思わない人もいて、石原伸晃(元自民党幹事長)らと一体の反動が心配とも。確かにわずか177票差で、岸本・内田とも(今年当選のその区議も)これまで杉並区政とは無縁の人。しかし地べたの民主主義を実践する区長と市民の運動は、後戻りしないのではないか。
わが尼崎も人口は杉並区より10万ほど少ないが市域はほぼ同じ広さ。南北の地面の高低差はなく(自転車が便利)、鉄道も東西に3本。杉並は都心型タワマンとは無縁の住宅街、尼崎はさびれゆく工業都市、今住宅都市。ともに新自由主義が席捲してきた。
尼崎では昨年11月、維新を打ち破る市政が誕生。都市周辺の自治体の抱える課題は同様だが、恐れぬ自治体の挑戦こそが反動を乗りこえる道と思う。なお集会で入手した、岸本聡子著『地域主権という希望』(大月書店)の書評を、次に投稿したい。(久保井拓三)
4面
放射能汚染水海洋投棄弾劾
敷地内に長期保存すればよい(上)
堀井健二
汚染水海洋投棄を弾劾し、ヨドバシ前に150人が集まった(8月24日 大阪) |
東電や政府は、事故収束作業のためにタンク敷地を新たな設備の用地として空ける必要があるとして、8月24日「処理水」の海洋投棄を始めた。最初となる今回の投棄は、7800トンの「処理水」を海水で薄めた上で17日間の予定で連続しておこなうとしている。今年度全体の投棄量はタンクおよそ30基分の3万1200トンを予定。海洋投棄期間は30年程度に及ぶという。
福島第一原発のサイトでは、燃料デブリの冷却水と原子炉建屋およびタービン建屋内に流入した地下水や雨水が混ざり合うことで発生した汚染水を、多核種除去装置(ALPS)で処理し、タンクに貯蔵している。その量は、134万立法メートル(2023年7月現在)になるという。福島第一原発からは1日、約100立方メートルの汚染水が発生する。保管場所がなくなりつつあるというのだ。
政府・東電はALPS処理後にはトリチウムが残るだけで問題でないことを繰り返し強調してきた。政府・東電は、この水を「ALPS処理水」と呼んでいる。しかし、トリチウムやそのほかの放射性物質が残留しているので「汚染水」そのものだ。
ちなみに、政府は「ALPS処理水」の定義を「トリチウム以外の核種について、環境放出の際の規制基準を満たす水」としている。当初、東京電力は、ALPSを通すことにより、トリチウム以外の放射性物質は除去できており、基準を満たしていると説明していた。ALPSでは、トリチウムは取り除けないが、62もの放射性核種を基準値以下にすることになっていた。2018年8月に開かれた説明公聴会の資料では、基準を満たしているデータのみが示されていた。ところが、共同通信をはじめとしたメディアの報道により、トリチウム以外の放射性物質も基準を超えて残留していることが明らかになった。2018年9月、東電は、ALPSで処理した水のうち、84%が基準を満たしていないことを明らかにした。以下この論究では以下の4点にわたって検討したい。どの観点からも福島第1原発汚染水の海洋投棄は許されないことが明らかになるだろう。
(1)トリチウムの危険性
(2)通常運転の排水と「福一」汚染水は根本的に違う
(3)トリチウム除去方法
(4)処理できない汚染水
第1章 トリチウムの危険性
トリチウムは水素の同位体で、三重水素とも呼ばれ化学的性質は普通の水素と同一だが、β線を放出する放射性物質だ。半減期は12・3年。トリチウムは天然にも宇宙線と大気の反応によりごく微量に存在し、雨水やその他の天然水の中にも入っているが、戦後の大気中核実験や原発稼働によって自然界のトリチウム量は急増した。
政府や東京電力は汚染水を多核種除去設備(ALPS)で処理しており、海洋放出される処理水にはトリチウム以外は含まれていないので安全であるかのように欺いてきた。また、「トリチウムは海外の原発でも海洋放出している」、 「トリチウムは自然界にも存在し、全国の原発で40年以上排出されているが健康への影響は確認されていない」と安全性を強調している。だが、原発や核処理施設の周辺地域では稼働させるだけで周辺住民や子どもたちを中心に健康被害が報告されており、その原因の一つとしてトリチウムがあげられている。政府の有識者会議はトリチウムの生体への影響としてマウスやラットで発がん性や催奇形性が確認されたデータの存在を認めながら、ヒトに対する疫学的データが存在しないことを理由に、トリチウムが人体に影響を及ぼすことを裏付けるエビデンスはないと主張し、海洋投棄を正当化している。しかし実際にはトリチウムの人体への影響はこれまでもくり返し指摘されてきた。
トリチウムは、弱いベータ線を出す。このベータ線は細胞内では1ミクロンぐらいしか飛ばないので、確かに外部被曝はとりあえず考えなくてもいい。また 血液として全身をめぐっている間は、遺伝子DNAをほとんど攻撃しない。
ところが、トリチウムが細胞に取り込まれ、 さらに核の中に入るとDNAまでの距離が近くなるので、 ここからは、放射性セシウムや放射性ストロンチウムと同じようにDNAを攻撃するようになる。ベータ線は高LET放射線、つまり分子や原子と衝突した時に放つ電離エネルギーが大きい。こうしたベータ線を放つトリチウムが、細胞核の中のDNAや染色体、細胞にエネルギーを供給するミトコンドリアなどを構成する原子として使われている。
一般に体の中に放射性物質が入って被曝する場合を「内部被曝」と呼ぶが、それでも放射性物質は細胞を外から被曝攻撃するに過ぎない。しかしトリチウムは細胞の中に入って細胞を内部から被曝攻撃する。トリチウムによる被曝を「二重の内部被曝」、あるいは「内部被曝中の内部被曝」と呼ぶゆえんだ。
トリチウムは半減期12・3年で核崩壊しヘリウムの同位体ヘリウム3(3H) に転換する。DNAの分子結合を水素が担っている。またDNAの機能は100%その形状に依存しているから、形状が保てなくなるとDNAはそのすべての機能を失う。この水素結合がトリチウム結合だとすると、トリチウムはヘリウム3に元素転換していく。水素=トリチウムと違ってヘリウムには分子結合を担う力はないから、ヘリウムに変わった部分のDNAが壊れて、遺伝子が「故障」することになる。放射線で遺伝子を傷つけるのに加えて、この故障がリスクに加わる。
遺伝子が故障した細胞は生き残りやすいので、ガン発生率が高いとも考えられている。トリチウム水の分子構造は水とほとんど変わらないため、人体にそれほど重大な影響は及ぼさないと政府はいうがトリチウムの危険は、トリチウムが水素 であるという特徴そのものにある。
第2章 通常運転の排水と 「福一」汚染水は根本的に違う
(1)通常運転している原発から放出される排水とメルトダウンを起こした福島原発から放出されるALPS処理水はまったく性質が異なる。ALPS処理で除去できないのはトリチウムだけではない。2018年にはALPSで処理したにもかかわらずセシウム137、ストロンチウム90、ヨウ素131などトリチウム以外の放射性核種が検出限界値をこえて発見された。12の核種は除去できていない。ALPSでも処理できない核種のうち、11核種は通常の原発排水には含まれない核種だ。通常の原発では燃料棒は被覆管に覆われ、冷却水が直接燃料棒に触れることはない。だが、福島第一原発では、溶け落ちて固まったむき出しの核燃料デブリに直接触れた放射能汚染水が発生しており、危険性は通常の原発排水どころではない。
現在、タンクに貯められている水の約7割については、政府、東電の発表ですらトリチウム以外の放射性物質も基準を超えて残留しているため、とうてい「処理水」とは言えない。
(2)原発とトリチウム
通常運転中のトリチウム発生の場所と発生メカニズムは以下のように説明される
@核燃料棒内: 核燃料のウラン235、プルトニウム239などが中性子を吸収して3体核分裂することにより発生する。これは沸騰水型原発(BWR)、加圧水型(PWR)とも共通している。燃料被覆管が健全であれば大部分は核燃料棒内に留まる。一部は核燃料棒の外面を蔽う被覆管を透過して炉水中に漏出する。
ABWRでは、制御棒内でボロン・カーバイド(B4C)のボロン10が中性子(n)を吸収して発生する。制御棒被覆管が健全であれば制御棒内に留まる。
BPWRでは、一次冷却材内で反応度制御用に添加されるほう酸中のボロン10が中性子を吸収して発生する。
C炉水中の微量成分である重水への中性子照射により生成。
原発の通常運転中にトリチウムが海洋放出されるのは、BWRの場合、原子炉一次系ポンプ、弁などからの漏えい水、サンプルラインの排出液など(機器ドレンと呼ぶ)に含まれているトリチウムは液体廃棄物処理設備からの廃液に含まれて排水口より放出される。PWRの場合、一次冷却設備からの抽出水に含まれているトリチウムは液体廃棄物処理設備を経て海洋中に放出される。
政府、電力会社は「原発は密閉されているから放射能は外に出ない」と言ってきたが、トリチウムは垂れ流してきたのだ。
セシウム137やストロンチウム90など多くの放射性物質の除去には、その元素の化学的性質を利用し吸着や濾過などをおこない除去する。しかし、通常の水とトリチウムを含む水はこうした方法では区別できず除去できない。化学的性質が水素と同じで、トリチウムを含む水(TーOーH)と通常の水(HーOーH)が区別出来ない。
その結果、BWRでは原子炉内で年間2兆ベクレル、PWRでは87兆ベクレルのトリチウムが生成されるが、その殆どを薄めて流す。トリチウムの放出基準は事実上存在しない。
(3)桁違いの再処理工場
しかし、原子力施設からの海洋等への放出排水について、原発には一応トリチウム等放射性物質の濃度規制があるが、日本原燃六ヶ所再処理工場には同様の規制がなく、全量が高濃度のまま野放しで放出されている。
福島第一原発事故に伴う地下水バイパスによる排水について、東電は福島県漁業協同組合連合会との協定ではトリチウム濃度の上限1500ベクレル毎リットルでの海洋放出で確認、としている。一方、六ヶ所再処理工場からはアクティブ試験において、1億7000万ベクレル毎リットルの濃度のトリチウムを含む排水を、2007年10月2日には585立方メートル、同年11月17日には586立方メートルを海洋へ放出した。この値は東電放出協定の値の約11万倍に相当する。日本原燃の再処理事業所再処理事業指定申請書によると六ヶ所再処理工場から海洋へのトリチウムの放出量(管理目標値)は年に1京8千兆ベクレルになっている。本格稼働すると年8百トンの使用済み核燃料の処理がおこなわれ、その際2日に1度タンクから排水が海洋放出されると推定されている。これらのことから推算すると、放出水中のトリチウム濃度は約1億6千万ベクレル毎リットルになる。これは原発からの放射性物資の放出濃度に係る規制値(6万ベクレル毎リットル)の約2700倍に相当する。
第3章 トリチウム除去方法
「多核種除去設備等処理水の取り扱いに関する小委員会」では処分方法として最終的に五つの方法を提示した。その処分方法別の費用は34億〜3976億円の幅があったが、結局もっとも安い費用で済む海洋放出(費用34億円)に決定した。科学的な安全性より「安さ」を選択したのだ。
国際廃炉研究技術開発機構の汚染水技術調査チームは2013年に福島原発の汚染水対策に関する国際的な技術提案を募集した。その報告によるとトリチウム汚染水の処理に関して世界中から182件の応募があった。
しかし同チームはこれらの提案を詳しく検討することなく、全てはまだ実験段階だと判断し現実的な対策は海洋放出しかないと結論した。東電にはトリチウム除去技術を開発する選択肢があったのだ。しかし、それを選ぶ代わりに、東電と日本政府は、キュリオン社などの国際的な原子力企業や米国エネルギー省が提案した技術を無視することを選んだ。
除去するのは相当難易度が高いし、技術的には難しいと言われている。トリチウムを含む水は通常の水(軽水)と化学的性質は同じなので化学処理は困難だが、物理的性質は大きく違う。その違いを利用すれば処理は可能だ。
世界の原子力産業界がそれをやらなかったのは単に膨大なコストがかかる為だ。日本の技術は優れており、水をシャーベット状にすることによって、遠心分離機に掛けて除去する技術が確立しているといわれている。実際にトリチウム分離はアメリカなどでおこなわれている。だが廃炉作業中の新型転換炉「ふげん」の運転に関連して試験的に開発されたトリチウムを除去する方法では、汚染水1トン当たり2千万円もの費用がかかるという。
現時点でも様々な分離精製技術が開発されている。(つづく)
5面
日韓徒歩行進 8月10日〜11日
西宮→尼崎→大阪を踏破
出発にあたり決意表明する李さん(8月10日 西宮) |
汚染水海洋投棄反対をかかげソウルから下関→大阪→東京・国会議事堂まで徒歩行進を行う李元栄さんの闘い。8月初旬に兵庫県入りし、8月10日は西宮→JR尼崎まで、11日はJR大阪駅前ヨドバシカメラ前まで歩いた。この1人決起に鼓舞され並走する人々と、出迎え集会、交流会も開かれた。
10日は16時JR西宮出発ながら日差しは暑い。それでも15人が国道2号線から尼崎へ。
11日は早朝7時JR尼崎から神崎大橋を越え大阪梅田ヨドバシ前まで。こちらも猛暑の中、途中退出組を含め15人。それにしても李さんの健脚・執念には圧倒された。9月11日東京着まで健脚を祈りたい。(Q)
尼崎で狭山行動始まる
9人がかわるがわる訴えた(8月23日) |
8月23日、JR尼崎駅北梅川像前で尼崎狭山行動が始まった。きっかけは7月17日の狭山大行動集会(大阪)。130人の集会に尼崎・阪神間から15人が参加しており、それぞれ声掛けあって「尼崎でもやろう」となった。事前打ち合わせ、23日行動、26日の第1回実行委で「狭山事件の再審を求める尼崎市民の会」の発足となった。
23日の街宣では「熊本の会」のリーフや、部落解放同盟兵庫県連のパネル、独自で作ったラミネートの横断幕が所狭しと並べられ、その中で署名とマイクアピール。嬉しいことに茨木から団扇の差し入れ。まさに超党派の市民運動だ。「動かせ狭山、動くぞ狭山!」を合言葉に毎月23日の行動と、10・31、11月三者協議に向け、尼崎でも運動の広がりを。(H)
6面
長期・読み切り連載
大庭伸介
先人たちの闘いの成功と失敗を学び現在に生かそう
在日朝鮮人が奮闘
劣悪な環境、差別と虐待に抗して
以前シン・ギス(辛基秀)さんの長編ドキュメンタリー「解放の日まで」の上映運動に参加し、試写会も含めて3回観た。1945年8月15日〈光復〉の瞬間、ソウルの広場で大勢が抱き合い歓喜するシーンは、いま思い出しても感激する。と同時に、日本人の一人として率直に喜べない気持にかられる。
1910年、「韓国併合」で日本の朝鮮植民地支配が始まった。その2年前に設立された東洋拓殖株式会社(東拓)は、詐欺的手口で朝鮮人民から土地を略奪した。東拓は日本人にしか株式所有を認めず、筆頭株主は皇室であった。
当時朝鮮人のほとんどが農民で、土地を失って生活の途を完全に絶たれた。ソウルなどの都会に出て職を求めても、働く工場がなかった。彼らは止むなく「満洲」(中国東北部)に渡るか、玄界灘を越えて日本に渡航して流亡するしかなかった。
1922年1月、コミンテルン主催の極東勤労者大会が開かれ、東アジア諸国の創立間
もない共産党や結成準備中の代表が集まった。その席上、キム・チョウという若い労働者が「日本の労働者階級は朝鮮の労働者大衆の抑圧者であり、同じ工場のなかでさえ、われわれに支配者として振舞い、軽蔑の念を持って見ていて、日本政府を助けている。この朝鮮人蔑視を日本人労働者が捨てないかぎり、連帯はありえない」と鋭く糾弾した。
これをうけてコミンテルン議長のジノヴィエフが、「日本人の労働者は母乳とともに愛国心という毒液を飲まされて育ち、その排外主義はアジア民衆の団結を妨げている」と警告した。これにたいしてモスクワ亡命中の片山潜はカリフォルニアの日本人排斥運動を持ちだして、批判をかわそうとした。
第1次世界大戦や中国侵略戦争で、日本の労働力の需要が増大した。それにつれて朝鮮から渡来する人びとが急増した。1938年には約80万人を数え、太平洋戦争当時は約150万人が強制連行されて来た。
彼らは屑拾いや朝鮮飴売りなどを除いて、ほとんどが労働者として、道路や河川、ダム、飛行場などの建設、あるいは炭鉱や金属鉱山などの抗夫、または工場の見習工や雑役夫など、危険で「不潔」な仕事で働かされた。賃金は日本人労働者の半分程度で、「飯と塩とナッパ」の劣悪な食生活で我慢した。
住まいは長屋かバラック建ての借家か貸間、あるいは土手や原っぱに廃材と古いトタン板で掘っ立て小屋を作って雨露をしのんだ。1930年の大阪市東成区の朝鮮人密集地区では、1人当たりの平均畳数が何と0・55畳という官庁統計がある。
強制連行以後は逃亡を恐れて、賃金の大部分が強制貯金として差引かれた。炭鉱や金属鉱山、工場などでは事故や災害で多くの死傷者をだしたが、補償金も支払われず遺体や遺骨は放置された。
炭鉱や土建労働の監獄(たこ)部屋ではリンチが日常化し、死に至るケースも珍しくなかった。
こうしたなかで1922年、東京と大阪で朝鮮労働同盟会が誕生した。この年のメーデーに東京と大阪で朝鮮人代表が正式に参加したが、「植民地解放」のスローガンは主催者側に否決された。
朝鮮人労組、生活共同体として団結
排外主義を克服できなかった左翼
1925年2月、東京、京都、大阪・兵庫の11の朝鮮人労組によって、在日本朝鮮人労働総同盟(朝鮮労総)が設立された。運動方針は朝鮮人労働者に階級意識を注入し、民族的自覚と団結を促すことを第一義とした。
加盟組合は個人加入の地域合同労組で、消費協同組合的運動や教育にかかわる部門も併せ持ち、本当に身を守るための生活共同体であったので結束力が強かった。
この年、朝鮮人労働者の争議は465件で、前年の29件から飛躍的に増加した。原因は賃金支払い要求を筆頭に、賃下げ反対、賃上げ、解雇者の復職要求、解雇手当の要求などで、そのうちわずか6件が要求を貫徹し、譲歩妥協18件となっている。
また同年、東海道線・熱海駅開設に伴う丹那トンネル工事場など全国116カ所で、朝鮮人労働者と日本人労働者の間で争いが起きている。
1928年、プロフィンテルン(赤色労働組合インターナショナル)第4回大会で、外国人労働者と植民地労働者は現住国の労働組合に加入して闘うべきだとする方針が採択された。
そして朝鮮労総を日本労働組合全国協議会(全協)に合流させることが決定された。
全協は日本労働組合評議会が1928年4月、共産党指導下の左翼団体として解散させられたあと、同年12月にその後継組織として結成された。全協は発足当初、一定の合法性を有していた。しかしセクト主義丸出しの極「左」方針をとり、度重なる弾圧をうけて、完全に非合法的存在となっていた。まがりなりにも労働組合の実体を備えていたのは東京と大阪ぐらいで、あとは共産党員とそのシンパの少数活動家集団にすぎなかった。
全協への解消方針をめぐって朝鮮労総のなかに、最大の課題である民族解放闘争をないがしろにし日本人の労働運動に従属させるものだとする反対勢力と、プロフィンテルンの方針に忠実に従うべきだとするグループが対立した。結局29年12月、国際的権威と日本共産党の圧力で、強引に朝鮮労総の解体と全協への合流が決定された。
朝鮮労総は解消時、3万3500人の組合員を擁していた。当時在日朝鮮人は子どもを含めて30万人に満たなかったから、日本人労働者よりもはるかに高い組織率であった。
このうち翌年10月までに全協に加入したのは、わずか2633人だった。民族解放闘争がおろそかにされるのを恐れた結果である。
しかしその後、資本や権力との闘いを経て、全協に加盟する朝鮮人労働者が次第に増え、ピーク時の32年には7929人にのぼった。これは全協組合員のほぼ半数に相当した。なかでも土建労働者を組織した関東自由労組は組合員の半数以上が朝鮮人労働者に占められた。ゴム工場やガラス工場の労働者を組織した日本化学労組の組合員は、ほとんどが朝鮮人労働者であった。
これらの組合は全協の主力であったので、それまで日本の労働者階級に極めて限定的な影響力しかなかったのにくらべ、朝鮮人労働者の加盟で大衆的基盤を持つようになった。
しかしメーデーなどの行事を除けば、全協内部で日本人労働者と朝鮮人労働者は別々に行動した。全協の中央部に朝鮮人労働者は1人も登用されなかったのである。
1928年3月の大阪・塩山洋傘工場、また同じころ広島鉄工所で日本人労働者と朝鮮人労働者が賃上げを求めて共同闘争を展開した。31年兵庫県加古川市の多木製肥所では、被差別部落出身の労働者と朝鮮人労働者が、抑圧と差別に反対して共同闘争を実施している。しかし、これらは全く例外的なケースであった。むしろ両者が対立した場面が多く、そこを資本家に利用された。
日本人労働者には帝国主義支配民族の意識が強く、民族解放闘争を階級闘争一般に解消してしまうような誤った指導がおこなわれた。全協のなかで民族差別を克服するための理論闘争が全くおこなわれなかった。「資本主義社会は、帝国主義の段階に到達する中で、あらゆる差別・抑圧を支配の柱として組み込み、労働者階級を絶えず差別主義と排外主義のもとに屈服させ、あるいは加担させることで成立している。」(『展望』第6号55ページ)。
帝国主義本国の労働者は民族差別を克服することを意識的に追求することによって、はじめて自己の階級性を形成する。この点において全協は労働者の階級形成を阻害する存在であった。
その一方、極「左」冒険主義的な行動には、朝鮮人の活動分子が前面に駆り立てられた。1930年4月の東京市電のストライキでは、ダラ幹暗殺や車庫焼き打ち、電車破壊の任務を持った行動隊が編成された。
同年の川崎メーデーでは全協は武装メーデーと称して、ピストルや日本刀、竹槍などを持って「官許のメーデー」に突撃した。いずれの場合も、朝鮮人労働者は目立った役割を担わされた。彼らの戦闘的行動力にたいする利用主義である。
炭鉱や土木工事場、工場などでの差別待遇や労務監督の暴行にたいして抗議や反抗をした場合、労務監督や暴力団による虐待に加えて、警察や軍隊が出動して死傷者がでる事件も珍しくなかった。
1930年の三信鉄道(現・JR飯田線)の工事場では、朝鮮人労働者が超低賃金で雇われ、しかも30日間も未払いで食事も渡らなかった。豊橋合同労組(朝鮮人労働者が主力)の指導のもと、起工以来の未払い賃金総額3万円の即時支給、作業中の負傷者には治療費と日当の支給、死亡者には家族扶養料を支給することなどを要求して争議が始まった。
7月末から東三河の山中で、周辺農民の支持を得て約600人の朝鮮人労働者がすさまじい闘いを繰り広げた。
争議団は川沿いの天然の要害に立てこもり、投石用の石を運び上げ、警官が襲ってきたらダイナマイトで橋を壊す手筈を決めた。釘を打ちつけた板を道路にばらまいて自動車をパンクさせる武器をつくり、三信争議団と書いた赤旗を立てた。20数人の警官と暴力団4百人が争議団の飯場を襲ったが、逆に争議団が警官隊を包囲し、署長以下18人のサーベルと制帽を奪って武装解除した。
8月18日朝、名古屋をはじめ各地から集まった1300人の警官隊が、争議団長の留守を見計らって本部を急襲し、打つ蹴るなど暴行の限りを尽くして314人を検束した。争議は県特高課長の強制調停で未払賃金総額2万円の支払いで終結し、争議団は敗北した。
しかしこの争議の後、各地に散らばった仲間たちは、その先々でたくましく活動を展開した。
山梨国道改修工事場や神奈川県の平作川改修工事場、岩手県の大船渡鉄道(現・陸中海岸公園鉄道)工事場などでも、朝鮮人労働者は差別と虐待に抗して、官憲と流血の激闘を繰り広げた。
太平洋戦争突入の前年1940年2月の鶴見造船所と日本フォード自動車工場の争議を最後に、日本人労働者の組織的な闘いは姿を消した。しかし朝鮮人労働者の闘いは、1945年8月15日の〈光復〉の日まで続いた。こうした彼らの奮闘は、戦後日本労働運動の再出発に直接つながっている。1945年9月1日、北海道の赤平茂尻炭鉱で朝鮮人労働者1100人が、食糧増配と待遇改善を要求して蜂起した。戦後日本労働運動の第一歩である。
無数の朝鮮人労働者の血と汗にまみれた闘いのうえに、現在のわれわれが存在している。帝国主義本国の労働者として、排外主義を克服し彼らの奮闘を継承して闘うことを誓わずにはおられない。(この項終わり)
[参考文献]
朴慶植『在日朝鮮人運動史』三一書房
岩村登志夫『在日朝鮮人と日本労働者階級』校倉書房
7面
本の紹介 『諜報国家ロシア ソ連KGBからプーチンのFSB体制まで』
本書の紹介文を書き終えたとたん、プリゴジン死亡報に接した。改めてプーチンFSB(ロシア連邦保安局)による「諜報国家ロシア」の核心を示す事件と実感した。
2022年2月24日、プーチン・ロシアによるウクライナ侵略戦争開始から1年半がたつ。プーチンらが狙った短期日での首都・キーウ占領=ゼレンシキー政権打倒は見事に失敗した。その後東部に主戦場を移すもロシアの敗勢は続く。この6月にはワグネル=プリゴジンの反乱が生起し、民間軍事組織=軍閥に依拠するプーチン体制の脆弱性を示した。そして軍事攻防の趨勢は、ウクライナ軍の南部2州への反転攻勢からアゾフ海到達、クリミア封鎖に進みつつある。24年3月のロシア大統領選までプーチンは敗北できないが、趨勢は「プーチンの戦争の敗北」歓迎に進むことは止められない。
これまでこの戦争について、その残虐非道さ(ブチャの虐殺、民間施設攻撃、青少年の連れ去りなど)や、2014年以来の系統的侵略戦争であることまでは解明されてきた(真野・ちくま選書本など)。しかし決定的に不十分だったのは次の点だ。ロシア・プーチン体制が単なる「スターリン主義=旧KGBの系譜をひく」レベルを超え、旧ロシア帝国(1917年まで)・ソ連スターリン主義=KGB体制(91年まで)を全面継承し、KGB生き残りのプーチンがロシア社会の全機構(宗教・マフィアも)をFSB専制国家として再構築した。そしてその発動として1990年代からの2度のチェチェン戦争、08年のジョージア侵攻、14年のクリミア併合、15年シリア内戦介入、22年ウクライナ侵略戦争として恒常的侵略戦争国家として自己形成してきたことへの理解の浅さである。
22年開戦前から、FSBプーチン体制はあらゆる情報戦を駆使してきた。西欧には「侵攻は無い」情報を流し、欧州左翼はこれを信用し、日本の社民党も開戦前夜まで「戦争はない」と機関紙1面で訴えた。開戦後はその理由に「ウクライナにはネオナチがいる」「アゾフ大隊がそれだ」「ロシア語話者をウクライナ右派が虐待している」「オデーサで労働者が多数殺された」などフェイクや歪曲・誇大宣伝などをした。しかしこれらはFSBの巧妙な政治工作・謀略・政治宣伝であったことが、今は判明している。
ウクライナ戦争の性格論争で、左派や識者の中にはNATO=帝国主義の東欧進出を弾劾する人もいるが、NATOが東欧人民を殺戮したことはあるのか。翻って第2次大戦以前からソ連スターリン主義はウクライナに対するホロドモール(食糧徴発=農業飢餓による300万人以上の虐殺)をはじめ、ヒトラー・ナチスと結託した独ソ不可侵条約=モロトフ・リッベントロップ協定(1939年)でポーランドなどの売り渡し。これを弾劾する人は60年前の本多延嘉らを除くとほぼいない。米帝のベトナム侵略戦争やアフガン侵攻、中南米政治工作=クーデタに匹敵するほどソ連とプーチンの悪行は数限りない。第2次大戦前にスペイン人民戦線を見捨て、ナチス敗戦直前にはワルシャワ蜂起を妨害し、戦後はチトーを民族主義と批判・除名し、1950年〜60年代には「西欧の手先」として56年ハンガリア・68年チェコ人民などを戦車で圧殺。そしてソ連崩壊期に東欧・ソ連圏人民・全ロシア圏居住人民に暴虐の限りを尽くした。すべて「ソ連を守るため」だ。そして今に続く暴虐だ。
初期に「ウクライナにネオナチがいるから(ロシアの侵攻はやむを得ない)」と言った人々に問いたい。どこにネオナチがいて人民に蛮行を働いたのか。すべてフェイクかFSBの政治工作や謀略ではないか。彼らの悪行はナチス以上だ。ナチスは15年で崩壊したが、プーチン・ロシアは核兵器で世界を威嚇し、チェチェン・ジョージアを侵略し、政敵を非合法手段で抹殺して30年になる。リベラルの顔をしてプーチンを擁護する人々(ドイツ左翼の一部、日本では佐藤優・鈴木宗男、「同じ未来」を思い描いた安倍晋三、和田春樹ら「平和論者」など)の手助けで延命しているのだ。プーチンは、スターリンやヒトラー以上に人民の手で1日も早く打倒されねばならない。
そんな思いを、新書300頁ながら『諜報国家ロシア』の真実を渾身の力で暴露・弾劾したのが本書だ。「社会主義の祖国」でも「後継国家」でも「帝国主義」でもなく、「FSBが専制支配する諜報国家ロシア」の今の姿を見抜く必要がある。ウクライナ戦争を「論争」や「評論」ではなく事実から論じ、「闘うウクライナ人民・ロシア人民と連帯し、ウクライナ解放、ロシア・プーチン体制打倒」を1日も早く実現することこそ我々の課題ではないか。(岸本耕志)
参考文献
小泉悠『現代ロシアの軍事戦略』(2021年5月 ちくま新書)
小泉悠『ウクライナ戦争』(2022年12月 ちくま新書)
真野森作『ルポ プーチンの破滅戦争』(2023年1月 ちくま新書)
真野森作『ルポ プーチンの戦争』(2014年 ちくま選書)
本多延嘉著作選第4巻 「東欧スターリン主義の没落」(1968年9月)
小林勝「欧州の左翼勢力とウクライナ戦争」(『科学的社会主義』:社会主義協会 2023年1月号)
増税へ舵を切った岸田政権(上)
経済政策が全面いきづまり
大井拓
6月の「経済財政運営と改革の基本方針」「こども未来戦略方針」あるいは、「新しい資本主義実現会議」などにおいて、増税の方向性が隠しようもなく出てきた。>
「労働市場の改革」と称して、失業給付の支給を自己都合退職の場合を早めて、転職しやすくし、終身雇用を前提とした退職金の課税制度を改め(今は、同じ企業に20年以上勤めれば退職一時金をもらう際の税負担が軽くなる)、税負担を重くすることで、転職しやすくする。
サラリーマン増税
政府税制調査会中期答申が4年ぶりに出された。そこにおいて「サラリーマン増税だ」と強い反発の声が起きている。通勤費や退職金への課税、給与所得控除や扶養控除の見直しなどサラリーマンを狙い撃ちにしたものだ。岸田は反発に大慌てで宮沢(自民党税調会長)と会談して、サラリーマン増税は考えていないと否定して見せた。
だが、実際はどうなのか。マイナンバ―でのミスが相次ぎ、急落する支持率をみて急きょ否定したものの、社会保障費の削減目標や防衛財源確保法からみて増税の方向に舵を切っているのは間違いない。
また所得税、法人税、消費税の主要な項目に関して言えば、もともと消費税が導入された時には福祉目的税が謳われたが、目的外に使われ、また同時期に法人税は大幅に減税されている。答申は消費税2ケタ以上を明言した。消費税の逆進性に対して、一部の識者は反論している。その論理は、「高所得者も生涯、いずれ金を使うから痛みは同じだ」といわんばかりだ。
税金は金持から
増税の根拠として、社会保障費の増大、軍事費の確保が問題となっている。
経済界は社会保障の安定財源とされる消費税による財源確保を主張している。しかし、消費税は逆進性が強く、その増税は貧困や格差を拡大し、今以上に不安定・低賃金雇用を増やしていくのは不可避。食料品・生活費などの値上げラッシュ、ガソリン価格15週連続値上げ。この間の物価高や実質賃金低下が続くなかで、消費税増税など不可能だ。
あるべき財源論議として、大企業・富裕層への課税強化=累進課税の強化は当然だ。歳出削減の最大のターゲットとして、歳出の最大の項目である社会保障費があげられている。給付抑制は、医療や介護を必要とする人に重い負担を生じさせるものだ。経済のグローバル化の中で、富裕層や資本はタックスヘイブン(租税回避地)と呼ばれる税負担や金融規制がほとんどない国・地域に資金を移し、巧みに税負担を回避してきた。同時に各国は国境を越えて活動するグローバル資本を呼び込むために法人税引き下げ競争をおこなってきた。日本でも、消費税の増税に併せて法人税が減税されてきた。本末転倒だ。
所得税のフラット化も進んだ。こうして所得税・法人税の減税が日本も含めて財政悪化の大きな原因となった。一方で税収を海外に逃げていかない労働所得や消費税強化で賄おうとしてきた。本来支払われるべき法人税や所得税が支払われず、そのツケを消費税増税や社会保険料の引き上げで埋めるあり方には納得できない。(つづく)
8面
マイナンバーとマイナ保険証は危険
健康保険証廃止をとめよう
マイナ保険証は危険
7月5日、全国保険医団体連合会は記者会見し、「マイナ保険証は、医療機関と患者の双方にとって危険きわまりなく実用に堪えない」と、直ちに運用停止し解決策を提示すべきと訴えた。市民にとって機微な医療情報をマイナンバーにひもづける危険性や、オンライン資格確認できず10割負担が発生することは皆保険制度下ではあってはならないと指摘した。2024年秋に健康保険証を廃止した場合、全国で108万人がトラブルを経験することになり、うち「無効・該当なし」が72万人に上ると推計結果を公表。
マイナンバーを巡るトラブルや個人情報漏洩は、拡大の一途である。29分野の個人情報(健康保険証、予防接種、年金、税・所得、生活保護など)が3630機関においてマイナンバーとひもづけられ、そこで別人へのひもづけが大量におこっている。政府は総点検を指示し、8月の中間報告では、健康保険証が別人のマイナンバーとひもづけられた誤登録が新たに1069件確認され、判明分と合わせて計8441件。障害者手帳の誤登録は2883件、共済年金の誤登録は118件。薬剤情報などが他人に閲覧された事例は計15件。課税情報でも誤登録があり、所得などが別人に漏洩し、被害は重大だ。
77万人分がひもづけ未了
中小企業の従業員らが加入する全国健康保険協会(協会けんぽ)で約36万人、健康保険組合、共済組合、国民健康保険組合などで41万人の計77万人(加入者の約1%)が、マイナンバーと医療保険の資格情報がひもづけができず、マイナ保険証では保健医療を受けられないことが発覚した。協会けんぽなどは、事業所に従業員のマイナンバーの提出を求め、提出がない場合(従業員が事業所に未届もある)は、地方公共団体情報システム機構(J−LIS)に問い合わせて、名前・生年月日・性別・住所の4情報が一致する人のマイナンバーをひもづけしている。ところが加入者が事業所に申告した住所と住民票の住所が一致しない場合は、ひもづけできない。
窓口負担誤表示続出
マイナ保険証で、患者が医療機関の窓口で使う際、本来とは違う患者負担が表示されるトラブルが続出している。70才以上の高齢者に「3割負担」と誤表示されたり、75歳以上の後期高齢者でも誤表示が多発。全国保険医団体連合会の調査(7/14〜8/1)で、21都府県の計370機関からトラブルが報告されている。
コンビニなどでの証明書交付サービスで、別人のものが発行されるトラブルが富士通の子会社「富士通Japan」が運用するシステムで頻発、5月から全123自治体のサービスを停止して点検し作業を終了した直後に新たな誤発行がおこった。これも機能不全。
他国ではプライバシーを保護
共通番号(マイナンバー)は、それをマスターキーとしてあらゆる分野の個人情報を国と民間企業が入手しプロファイリング(仮想的に人物像をつくる)することができる。自己情報コントロール権(プライバシー権)をはじめとする市民的自由の重大な侵害が起こり監視国家となる。
ドイツなどはプライバシー保護の立場から、共通番号制を禁じ、分野別限定番号制度を採用している。一方、共通番号制をとっている米国・スウェーデンなどでは、共通番号を悪用したなりすまし犯罪が横行し、韓国では大量の個人情報流出が問題になっている。そのため米国では国防総省などが分野別番号に転換している。日本はプライバシー権保護を全く考えていない。
健康保険証を存続せよ
7月のJNNの世論調査で、来年秋、健康保険証廃止を延期・撤回すべきは73%だ。マイナカード自主返納が活発化し、地方議会(1県5市町)では「健康保険証の存続を求める」意見書が可決されている。マイナ保険証の利用登録は人口の約5割であり、危険だから使わない人も多く、入院外での利用は推計4・5%にとどまる。反対の声を高め、マイナカード返納を広げよう。カード所持率が下がれば、健康保険証機能=カード所持強制は難しくなる。
最終的には、マイナンバー制度を廃止しよう。(花本香)
本の紹介
辻野弥生(五月書房新社)2000円+税
『福田村事件関東大震災・知られざる悲劇』
鹿田研三
1923年9月1日、関東大震災が発生。この5日後の9月6日、千葉県東葛郡福田村(現在、野田市三ツ堀)で、香川県から行商にきていた一行15人が地元住民に襲撃され、9人(胎児を含めると10人)が虐殺された。このなかには、2、4、6歳の子ども3人と、妊婦1人が含まれ、「福田村事件」とされる。本書は、この福田村事件のルポルタージュであり、資料集だ。
福田村事件とは
虐殺事件はどのような情況でおこなわれたのだろうか。この事件に遭遇し、生き残った太田文義さん(仮名、事件当時13歳)は、つぎのように証言している。一行は家を個別訪問しながら、薬などを行商していた。渡り船で利根川をこえ、茨城県側に移ろうとしていた。このとき、船頭が「どうもお前たちの言葉づかいが日本人でないように思うが、朝鮮人とちがうのか」と言い出したのだ。この船頭が寺の梵鐘をついて村じゅうに知らせると、警備していた100人以上の住民が日本刀や竹槍をもって集結してきた。「この人たちは日本人だから攻撃するな」という声もあったが、混乱のなかで虐殺が始まった。
この一行は香川県西部の2つの被差別部落から来ていた。当時、行商人は被差別部落の出身者が多かったようだ。「福田村事件」は被差別部落民襲撃事件なのだ。この事件の翌年、1924年に香川県水平社が結成されている。しかし、生き残った人たちは「水平社に訴えることなど思いもよらなかった」と言っている。
福田村事件で、90人以上の住民が検挙されているが、収監されたのは17人だけ。8人が懲役3〜10年の実刑判決。このとき、収監者には村から餞別が送られている。その後、大正天皇の死去にともなう天皇恩赦で、全員が無罪放免に。被害者の悲惨さに比べて、加害者はあまりにも穏便すぎる。
同じことを繰り返さないために
朝鮮人虐殺は、在郷軍人らによって始まった。政府の中央防災会議が2009年に公表した報告書では、虐殺の犠牲者は震災死者(約10万5千人)の「1〜数%」にあたると推計している。また、9月3日に、朴烈と金子文子が逮捕され(のち、大逆事件にデッチあげ)、3日に亀戸事件(社会主義者10人が虐殺された)、12日に王希天殺害事件(中国人留学生殺害)、16日に甘粕事件(甘粕正彦が大杉栄と伊藤野枝、甥の橘宗一を殺害)などがおきている。このように、日本政府は治安対策を優先した。その後、政府は自己の責任を隠蔽し、人民は政府の責任を追及できないまま今日にいたる。
福田村事件の真相はずっと隠されてきた。2000年になって、やっと香川県で〈千葉福田村事件真相調査会〉、千葉県で〈福田村事件を心に刻む会〉がつくられている。これらの住民団体によって、2003年に「関東大震災福田村事件犠牲者追悼慰霊碑」が建立された。しかし、現在、この2つの団体は解散している。
関東大震災から百年、福田村事件から百年。映画『福田村事件』(監督:森達也)が9月1日から公開されている(大阪府内では、第七藝術劇場、シネ・リーブル梅田、シネ・ヌーボー、MOVIX堺)。虐殺の事実を忘れたら、また同じことを繰り返す。(鹿田研三)