未来・第372号


            未来第372号目次(2023年8月17日発行)

 1面  核と人類は共存できない
     9・1関電本店前 断食行動へ

     最老朽原発高浜1号機
     12年半ぶりの再稼働弾劾
     7月28日

     汚染水海洋投棄許すな

     8・6ヒロシマ〜平和の夕べ〜
     今、ヒロシマの継承と連帯

 2面  7・28高浜現地闘争
     関西電力への申し入れ

 3面  戦争と増税に反対
     伊波洋一さんが講演
     7月30日奈良      

     沖縄日誌7月 うち続く自衛隊配備
     11月23日に県民大会     

 4面  今こそ東アジアの非核平和を
     朝鮮戦争休戦協定70周年集会
     7月29日大阪

     関西合同労組第30回定期大会
     7つのスローガン掲げ闘う

 5面  狭山事件の再審を実現する大運動
     23年秋の運動が勝負
     7月17日大阪

     農業問題で3回連続の市民講座
     資本主義の危機と農業・食糧問題

 6面  長期・読み切り連載 大庭伸介
     先人たちの闘いの成功と失敗を学び現在に生かそう

     全国で米よこせ運動
     「満洲事変」下で左翼が柔軟対応

 7面  強制不妊 6月1日仙台高裁控訴審で国賠請求を棄却「優生保護法問題の早期全面解決を」に逆行する大反動
     「正義・公平の理念」、「除斥期間」適用制限、国賠命令―22年2月大阪高裁判決以降の司法判断を全否定(下)
     木々 繁

     仲尾宏さんを偲ぶ
     日韓・日朝連帯にかけた生涯

 8面  本の紹介
     忘れられた共産主義者の発想に学ぶ
     龍井葉二著
     『猪俣津南雄 戦略的思考の復権』

     シネマ案内
     『アダプション/ある母と娘の記録』
     監督:メーサーロシュ・マールタ 1975年

     投稿
     『未来』紙第370号掲載の橋本利昭論文への異論
     停戦を求める人々の意をくむべき      

     (カンパのお礼)

           

核と人類は共存できない
9・1関電本店前 断食行動へ

岸田政権による原発推進、原発依存社会への暴走を許してはならない。脱炭素を口実に闇雲な攻撃をかけてきている。その旗頭を担っているのが、関西電力である。

関電高浜原発北ゲート前で訴える中嶌哲演さん(7月28日福井県高浜町)

再稼働の急先鋒=関電

関西電力は7月28日に、日本最古の老朽原発高浜1号機を再稼働した。運転開始以来48年を超えてなおかつ再稼働するという関電の姿勢は、常軌を逸しており、人々の生存権、幸福追求権を踏みにじるものである。関電は原発を、事故で使用不能になるその時まで動かし続けるつもりだ。関電でトラブルや、不祥事が続発しているが、それは老朽原発を無理に稼働しようとするためにトラブル、不祥事が必然に発生しているのである。
さらに関電は9月中旬(9・15か)に、同じく老朽原発の高浜2号機をも再稼働しようとしている。 また関電は中国電力と結託し、山口県上関町へ使用済核燃料の中間貯蔵施設を作ろうとしていることが発覚した。
こういう関電のやりたいほうだいの策動を許してはならない。岸田の原発依存社会への暴走と、その最先頭を走る関電にたいして、怒りを叩きつけよう。

関電前「一食断食」行動へ

9月1日、「老朽原発うごかすな! とめよう! 原発依存社会への暴走」を掲げて、大阪の関電本店前で10時〜16時の間、関電前「一食断食」行動が呼びかけられている。
「一食断食」とは、福井県小浜市にある明通寺住職の中嶌哲演さんが呼びかけたもので、「一食断食」するひもじさの中で、原発利用の理不尽、エネルギー使用拡大の是非、福島第一原発事故の悲惨さ、原発事故被災者の苦難、子々孫々に負の遺産・使用済み核燃料、核廃棄物を残すことの罪深さなどに思いをいたし、原発依存社会への暴走と関電の極悪非道に抗議し、原発のない、人の命と尊厳が大切にされる社会を展望する行動だ。
それを今取り組むのは、原発依存社会への暴走が堰を切ったように推し進められており、何よりも関電が先兵として、大手電力事業者として、一線を越えて原発推進に突っ走っているからだ。
今年の9月1日は関東大震災から百年目にあたる。いまも全国で地震が頻発している。地震大国日本で原発は認められない。
この断食行動は、9月中旬に狙われている高浜2号機再稼働を許さないたたかいとしてもある。9月1日、関電本店前での大規模な「一食断食」で、岸田や関電に対して、腹のそこから怒りをたたきつけよう。10時から16時まで集会、アピール、ライブ、歌などがある。
汚染水海洋投棄許さず、9・1から9月中旬の高浜2号機再稼働阻止行動へ。今秋のすべての闘いの力で12・3「1万人集会」を成功させよう。

最老朽原発高浜1号機
12年半ぶりの再稼働弾劾
7月28日

汚染水海洋投棄許すな

ゲート前で申し入れ(7月28日)

7月28日午後3時過ぎ、運転開始から48年を超す最老朽の原発高浜1号機の再稼働が12年ぶりに強行された。これに対して、老朽原発うごかすな! 実行委員会は、地元福井県小浜市の住職・中嶌哲演さんを先頭に、関西各地からバスなどで駆け付け、100人を超す人々が猛暑の中激しく抗議した。
高浜原発1号機は福島第一原発事故で、国が原発の運転期間を「原則40年」と定め、延長するには安全性の確保を測る審査が必要となり、2011年以来停止していた。その1号機が16年に40年超え運転を認可され、21年には県と高浜町が再稼働に同意した。その後遅れていた特定重大事故等対処施設の整備が完了し、当初は6月上旬に再稼働する計画だったが、火災防護対策の追加工事などが必要となり、7月にずれ込んでいた。
中嶌さんは、「地元高浜町長・町議会、福井県知事・議会が同意すれば、地元は同意としているが、地元住民の大半は賛成していない。若狭の真ん中の小浜市は原発建設を止めさせたが、事故が起これは逃げ場がなく若狭湾一帯は地元そのもの。関西一円も被害を受けるから再稼働に反対して駆けつけている。本日の1号機稼働を許さず、9月中旬の2号機再稼働の前には、抗議の一食断食を関電本店前でおこなう。さらに抗議の声を強めていこう」と発言。
続いて、四国・伊方原発に反対する仲間や関西各地から発言。午後1時からは代表団が北ゲート前で、長文の抗議の申し入れをおこなった(申し入れの主要部分を2面に再録)。有刺鉄線に囲まれたゾーン内での申し入れそのものにも怒りを燃やしながら、関電の数限りないごまかし・ウソ・ペテンを弾劾した。
各地からの発言では大阪・釜ヶ崎からの、「釜ヶ崎の求人が原発立地や鹿児島県の馬毛島で急増している。危険な地域の危険な労働だからだ」の発言が注目された。
その後も36度を超える炎天下の中、滋賀、福井などの発言・歌が続いた。関電はいまだに使用済み核燃料の中間貯蔵施設の県外候補地を示さず、県との約束は果たしておらず、5%のフランス移送でごまかそうとしている。「再稼働の断念と即時廃炉しかない」の訴えが続いた。高浜原発1号機は、8月2日には発電と送電を開始し、8月28日には営業運転に。9月中旬には高浜2号機が再稼働の運び。9・1一食断食で関電本店に怒りをぶつけよう。
(2面に申し入れ書)

8・6ヒロシマ〜平和の夕べ〜
今、ヒロシマの継承と連帯

8月6日、広島では暑すぎる夏の太陽がふりそそいでいた。数年ぶりに新型コロナ感染症による行動制限からも解放されて、平和公園には外国人観光客がたくさん訪れていた。
この日、「8・6ヒロシマ〜平和の夕べ〜」が、広島RCC文化センターでおこなわれ、全国から200人が参加した。ヒロシマから78年がたち、被爆体験者はつぎつぎに亡くなっている。米澤鐵志さんは満員電車の中で被爆した。この集会に毎年参加していたが、昨年亡くなった。その被爆体験を後の世代にどのように伝えていくのか。今年は、「ヒロシマの継承と連帯を考える」というテーマであった。
集会は2部構成で、4人が発言した。1部では、@森下弘さん(被爆教師の会)が被爆証言。A若い世代の横山栞央さん(大学生)が次世代に引き継ぐ取り組み。2部では、B福島原発事故について、避難者から鴨下美和さん(福島原発被害東京訴訟・原告)が避難体験を語った。最後に、C平尾直政さん(ジャーナリスト、「きのこ会」事務局長)が原爆小頭症被爆者について平和講演をおこなった。

200人の参加で会場いっぱいになった「平和の夕べ」(8月6日広島市内)

@森下弘さんの証言

森下さんは、旧制中学校3年生のとき、爆心から1・5qくらい離れた所で被爆した。この日、森下さんは「建物疎開」の作業に動員されていた。被爆の瞬間は「8月6日、8時15分。この日は、朝からギラギラと太陽が輝いていた。約70人の生徒が整列した直後、原爆がさく裂した。その瞬間、巨大な熔鉱炉のなかに投げ込まれたような感じだった。その後どうしたのか、まったく覚えていない。気がついたら、川のなかに入っていた」。
その後、森下さんは高校教師になった。一時、原爆について発言をやめていたが被爆教師として逃げてはいけないと思い自らの体験を語り、「平和(原爆)教育」の実践をはじめる。世界中をまわって、森下さんは原爆の悲惨さを訴え続けてきた。
「2004年にウクライナを訪問した時、学生たちが『原爆の事を初めて知った、ありがとう』といって、みんな握手をしてくれた。この学生たちも、今は40歳代になっている。彼らがロシアの攻撃にあっているなかで、じっとしておれない」「G7広島サミットは(核による)抑止力を肯定しており、失望した」「人類は愚かではない。いずれ、世界中で核がなくなり、戦争がなくなるだろう。ここに希望をもって、命ある限り頑張りたい」と述べて、講演を結んだ。

A横山栞央さんの取り組み

横山さんは大学生。「次世代に伝える広島の過去と未来」というテーマで講演した。横山さんが卒業した広島市立基町高校では、被爆者から証言を聞きとり、被爆体験者と二人三脚でひとつの油絵を描く取り組みをおこなっている。横山さんは小倉桂子さんから被爆体験を聞き、「ケイコの8月6日」という紙芝居を描いた。原爆は「怖い」というイメージで、避けてきた。原爆を体験していない若い世代が、その体験を次世代に伝えていくことの大切さを強調した。

B鴨下美和さんの証言

福島第一原発事故の時、鴨下さんは福島県いわき市に住んでいた。鴨下さんは区域外避難者(自主避難者)だ。その中で、さまざまな分断と差別を受けてきた。鴨下さんは「逃げても地獄、残っても地獄。この12年間、心から笑ったことはなかった」と語る。
鴨下さんは福島原発被害東京訴訟の原告になって闘い、その控訴審は今年6月に結審となり、12月に判決がでる。鴨下さんは「核の被害という点で、原爆も原発も同じ。すべての核を廃絶するまで、ともに闘っていきたい」と述べた。

C平尾直政さんの講演

平尾さんは「私たちの声を聴いてください〜いまは亡き被爆者たちのメッセージ」というタイトルで講演した。平尾さんは原爆小頭症被爆者とその家族について取材をつみかさね、支援活動をおこなってきた。「原爆小頭症被爆者とその家族の苦難の実態」について、その差別に憤りをもって、その実態を明らかにした(講演要旨は次号に掲載)。
原爆小頭症についてはあまり知られていない。爆心地から1・2q以内の近距離で、妊娠初期(2〜4カ月)で胎内被爆し、知的ないし身体障害をもって生まれた。胎内で、脳が形成されるときに被爆した。この点で「被爆2世」とは異なる。1946年に、原爆傷害調査委員会(ABCC)が調査を始め、その存在はすでにわかっていた。原爆小頭症は、ABCCによって「原爆によるものではない。栄養失調によるもの」とされた。こうして、原爆被爆者が受けた「人間的悲惨さ」は、隠されつづけたのだ。
1965年、『この世界の片隅で』(岩波新書)が出版されて、子どもたちの存在が明らかになった。その年、当事者たちの親子でつくる「きのこ会」が生れた。親たちは、ここに「キノコのように、たくましく、強く生きてほしい」という想いを込められた。
家族はみんな「自分が亡くなる前に、この子が先に死んでもらいたい」と語っている。それは子どもがひとりで放置されて、生活できなくなるからだ。この子たちの存在は国からも放置され、社会からは偏見と差別を受け、家族が面倒をみるしかなかった。社会はこれを「知らんぷり」をしてきた。
平尾さんは「わたしは今までたくさんの被爆者たちの声を聞いてきた。これからは自分がろうそくになって、原爆小頭症被爆者の存在について、人びとに伝えていきたい」と、その決意を語った。

核(原爆と原発)廃絶を

講演者の発言はそれぞれ感動的だった。原爆と原発においても、被ばく者は偏見と差別にさらされ、「生きること」そのものが闘いであった。その重い告発を受けて、参加者は考えさせられ、この地球から核を廃絶するために決意を胸に刻み、闘いのエネルギーをたくわえこんた。「8・6ヒロシマ〜平和の夕べ〜」は、こういう集会だった。

2面

7・28高浜現地闘争
関西電力への申し入れ

関西電力株式会社:取締役会長 榊原 定征 様、取締役社長 森望様、
原子力事業本部長 水田 仁 様、高浜発電所長 木島 和夫 様

申し入れ書

原発は、現在科学技術で制御できる装置でないことを、発生後12年を経た福島原発事故が、大きな犠牲の上に教えています。その原発が老朽化すれば、危険度が急増することは多くが指摘するところです。
それでも、岸田政権は数を頼んで、原発関連法案を、まともな審議もせずに5月末に改悪しました。原発の60年超え運転を認め、原発の運転期間の判断を原発推進の経産省に委ね、原子力の憲法・原子力基本法に「原発推進を国の責務とする」の一項を加えました。「原発依存社会」に向かっての暴走です。なお、世界にも、60年を超えて運転した原発はありません。地震、火山噴火、津波の多発する日本での60年超え運転は、無謀で、福島原発事故の犠牲と教訓を蹂躙するものです。
一方、岸田政権の「原発依存社会への暴走」に迎合する貴関西電力(以後、関電と略)は、運転開始後46年の老朽原発・美浜3号機を一昨年来稼働させ、運転開始後48年、47年を超えた日本最古の老朽原発・高浜1、2号機を本日および9月中旬に再稼働させようとしています。なお、高浜1号機の圧力容器の脆化は、日本で最も深刻で、脆性遷移温度は99度Cに達していると言われています。緊急時に冷却水を注入したとき、圧力容器が破裂する可能性があります。
(中略)
関電は、高浜原発1、2号機を6月から順次再稼働させるとして準備を進めていましたが、ケーブル(電線管)の火災防護対策が不十分であることが明らかになり、5月2日、再稼働の延期を発表しています。しかし、関電は、電線管に規制基準に適合した防護措置を講じるには何年もかかるので、抜本的な対策を施さず、電線管を耐火シートで覆う、電線管の周辺に可燃物を配置しないなどの応急措置のみで、再稼働を行おうとしています。なお、ケーブルの火災防護対策の不備は、高浜1、2号機だけではありません。関電は、設計工事計画を無視して、ケーブルの火災防護対策をしないまま高浜3、4号機、大飯3、4号機、美浜3号機を運転しています。安全軽視、原発稼働優先の姿勢です。
6月1日には、高浜1号機で火災検知器4基を工事計画とは異なる位置に設置していた不備も発覚しています。再稼働を目指して、10年以上も準備してきたにも拘らず、再稼働直前になっての、重ねての不備の発覚です。不備に関する自覚が足りないのか、検査・点検の仕方が杜撰なのか? 不備はこれ以外にも多数あり、発表された不備は氷山の一角かも知れないと疑いたくなります。
さらに、関電は、別紙に示したように、不祥事を繰り返しています。企業倫理に欠けた関電の経営体質には、目に余るものがあります。
関電の繰り返す約束違反も許されるものではありません、関電は2017年以来、何度も「使用済み核燃料の中間貯蔵候補地を福井県外に探す」と明言したにも拘らず、その約束をたびたび反故にしています。関電は、福井県知事の原発再稼働への同意を取り付けるために、何の成算も無く「空約束」を繰り返してきたのです。2021年2月にも、候補地提示期限を「2023年末まで」と先送りし、「この期限が守られなければ老朽原発・高浜1、2号機、美浜3号機を停止する」としていますが、未だに候補地を見出すことはできていません。関電は、苦肉の策として、6月12日、使用済みMOX燃料の一部を、電気事業連合会が行うMOX燃料再処理実証試験に供するために、フランスに持ち出す計画を明らかにし、「県外に搬出されるという意味で、中間貯蔵と同等の意義がある」としています。しかし、搬出量は、福井県内の原発で保管する使用済み核燃料のわずか5%程度に過ぎず、また、搬出予定も今すぐでなく、2020年代の後半です。「小手先」の策を弄した詭弁としか言いようがありません。
(中略)
今、電気は足りています。電力がひっ迫するのは、1年のうちの数日です。それも1日の中の数時間です。このような一時的な電力ひっ迫は、節電によって乗り切れます。このことは昨年3月の地震と寒波に起因する東北、東京エリアでの電力不足、6月末から7月にかけての猛暑による電力不足を、節電で乗り越えた実績が証明しています。したがって、放射線被ばくを強い、子々孫々にまで負の遺産・使用済み核燃料を残す原発を稼働させる必要は全くありません。
そもそも、岸田政権や関電の「原発依存社会」への暴走は、福島原発事故以降の政権や電力会社が、事故の教訓を生かさず、原発維持にこだわり、自然エネルギーへの全面切り替えを怠った結末です。日本は、太陽光にも、水にも、風にも、地熱にも恵まれています。先見の明がある政権や電力会社であったなら、原発に費やされた膨大な税金や電気料金を、自然エネルギーを利用する電源、大容量の蓄電法、省エネ機器の開発と普及に回し、今頃、核燃料、化石燃料など必要のない社会を実現し、世界をリードしていたでしょう。
以上のような視点に立つ私たちは、貴関電も、ドイツ、イタリア、台湾と同様に一刻も早く原発と決別し、自然エネルギーの活用で世界をリードする電力会社へと脱皮されることを期待し、以下を申し入れます。

【1】危険極まりない老朽原発・美浜3号機の運転を中止し、老朽原発・高浜1、2号機の再稼働、高浜原発3、4号機の40年超え運転を断念し、これらの原発の即時廃炉を決定してください。
【2】原発を動かせば、行き場がなく、子々孫々にまで負の遺産となる使用済み核燃料が増加します。貴関電の有する全ての原発を停止し、安全な廃炉を進めてください。
【3】一刻も早く原発と決別し、核燃料、化石燃料を使わない発電に転換してください。公益事業体として、環境の保全と人類の明るい未来のために、自然エネルギーによる発電法、大容量蓄電法、省エネ技術の開発と普及に努めてください。
なお、貴職らが、圧倒的な「老朽原発うごかすな!」の民意を蹂躙して老朽原発を稼働させ、重大事故が起こった場合、それは貴職らの故意による犯罪であり、許されるものではないことを申し添えます。
2023年7月28日
        
「最古の老朽原発・高浜1号うごかすな! 高浜緊急行動」参加者一同 (「申し入れ」は長文のため一部割愛しました)

3面

戦争と増税に反対
伊波洋一さんが講演
7月30日奈良

7月30日〈「沖縄を再び戦場にするな!」/戦争(大軍拡)と大増税に反対する奈良県集会〉が奈良市内でひらかれた。呼びかけは、奈良−沖縄連帯委員会、多文化共生フォーラム奈良、沖縄の高江・辺野古につながる奈良の会。約50団体が賛同している。
集会では、伊波洋一さん(参議院議員・沖縄の風)が「安倍政権の南西諸島の軍備強化と岸田政権の安保3文書改定の軍拡がもたらすもの」というテーマで講演した。また、崎浜盛喜さん(奈良−沖縄連帯委員会代表)が、今秋の闘いに向けて、具体的な行動提起をおこなった。以下、伊波さんの講演要旨を紹介する。

「安保3文書」とは何か

昨年12月、岸田文雄政権は「安保3文書」の改定を閣議決定した。これによって、日本の「安保防衛政策」は新たなステージに入った。この文書は、日本が周辺諸国にたいして、いつでもミサイルを撃てる状態にしておこうとする内容。岸田は「中国が攻めてくる」ことを口実にしているが、ほんとうは違う。人びとの生活をないがしろにして、岸田はほんの一部の人間の声を聞いて、戦争をすることを決断した。
今まで、憲法9条のもとで、われわれは他国に戦争をしないことを誓ってきた。この日本が、ふたたび侵略戦争を決断した。われわれはこんなことを許しておく事はできない。

アメリカの意図

アメリカは、自国のために中国の経済成長に歯止めをかけたい。そのために、日本を戦場にしてでも、これを実現しようとしている。
アメリカは、中国と戦争をしても勝てないことを知っている。アメリカは戦争をするメリットがないのだ。だから、アメリカは「中国とは闘わない」と言っている。その代わり、同盟国の日本を闘わせようとしている。
自民党の議員たちは「日本が攻められたら、アメリカが助けてくれる」と考えている。新ガイドラインからもわかるように、アメリカは日本を守らない。日本が攻撃されたら、アメリカ軍は逃げていく。このことをしっかり認識してもらいたい。

日本列島が戦場に

相手が攻撃に驚愕して、何もしないのか。こんなことはありえない。日本がミサイルで敵基地を攻撃すれば、かならず報復される。日本からみれば「抑止」であっても、相手からすれば侵略になるからだ。
今、日本政府は南西諸島に自衛隊基地をつくっている。それはこの島から敵基地にミサイルを撃つためではない。この基地は、敵をおびき寄せるために使うのだ。こうして、南西諸島の島々がまず戦場になる。つぎに、日本列島が戦場になる。南西諸島だけの問題ではない。

沖縄の闘い

岸田政権は国会にもはからず、人々の声にも耳を傾けない。「選挙によって選ばれたのだから、自分が決める」といっている。こんなことを許してはならない。わたしたちは岸田政権の意図を見抜き、この状況を変えていかなければならない。 
沖縄県民は、このことを肌で感じている。すでに闘いを開始している。11月23日に、県民大会を開催する。
軍拡をおこない、ミサイルをつくっても、人々の生活はけっして豊かにならない。人びとは経済的豊かさを得たいのだ。戦争ではなく、平和に生きることを望んでいる。これを実現するために、われわれは岸田政権と闘う必要がある。

沖縄日誌7月 うち続く自衛隊配備
11月23日に県民大会

7月3日 陸上自衛隊が南西諸島の有事に備え、第15旅団(那覇に拠点)が陣地構築を想定して琉球石灰岩の掘削をする訓練を2014年から実施していることが分かった。訓練の根拠は、対中国を念頭に2013年末に閣議決定した防衛大綱の「南西地域の防衛体制の強化」にある。先に判明した福岡の第5施設団も琉球石灰岩の爆破訓練を実施しており、南西諸島の「有事」がこの10年間で着々と進められている。
4日 防衛省が北大東村への航空自衛隊の移動式警戒管制レーダー配備に向けた手続きを進めていることが分かった。自衛隊を増強する「南西シフト」の一環として、太平洋への海洋進出を活性化させる中国軍への警戒監視を強化する狙いがある。
北大東島は沖縄島から東に360キロ離れた太平洋に位置し、人口約550人。これまで自衛隊の基地はなく、2021年12月に村議会が島への「自衛隊誘致に関する意見書」を全会一致で可決した。これを受け、沖縄防衛局は22年夏から島の測量調査を進めていた。
防衛省によると「中国軍は宮古海峡(沖縄島と宮古島間約260キロの公海)を抜け太平洋で軍事訓練を実施している」。北大東島へのレーダー設置は主に中国軍の活動に関するデータ取集を目的とするとみられる。20日に住民説明会を開く方向。
11日 防衛省は朝鮮民主主義人民共和国の人工衛星発射に備え、石垣市で展開しているPAC3の配備を8月31日まで延長すると決定した。石垣市はPAC3を当初新港地区に展開していたが、クルーズ船の入港などの理由により、人工ビーチ付近の緑地帯で展開している。
12日 名護市辺野古の新基地建設の設計変更申請で、県の不承認処分を回復させるための抗告訴訟の第3回口頭弁論が、那覇地裁(藤井秀樹裁判長)で開かれ、同日結審した。裁判は、県が求めた実質審理に踏み込まず、入り口論に終始した。判決は11月15日。
15日 久米島町の航空自衛隊久米島分屯基地にオスプレイが飛来した。久米島への飛来は初めて。オスプレイは在沖米海兵隊の訓練の一環で15、17日におこなわれる。町民は「静かな島を奪わないで」「町民に説明のない訓練はしないように」と抗議の声を上げた。
15日 糸満市米須の鉱山からの土砂採取に反対する集会が、採取予定の農道でおこなわれた。市民60人が参加。ガマフヤー代表の具志堅隆松さんは「戦没者の尊厳を守り、土砂を採取させないという声を広げよう」と訴えた。
20日 名護市辺野古の新基地建設で沖縄防衛局は、大浦湾側の埋め立てに使う土砂を「仮置き」する計画を巡り、土木工事の業者を募る開札を実施した。
27日 戦争に反対する全県組織「沖縄を再び戦場にさせない県民の会」が発足した。これまで準備委員会を立ち上げ、2月に那覇市内、5月に北谷町内で集会を開き、準備してきた。75団体、個人が賛同。共同代表に具志堅隆松さん、前南城市長の瑞慶覧長敏さんが就任。11月23日に那覇市の奥武山公園で1万人以上参加の県民大会の開催をめざす。
具志堅隆松さんは「沖縄を戦場にさせないという1点が目的の会」「県民が意思表示する場をつくり上げたい」と強調した。

4面

今こそ東アジアの非核平和を
朝鮮戦争休戦協定70周年集会
7月29日大阪

7月29日、大阪市内で「朝鮮戦争休戦協定70周年 今こそ東アジアの非核平和を」集会がひらかれ110人が参加した(写真下)。主催は、しないさせない戦争協力関西ネットワーク、大阪平和人権センター、戦争あかん! ロックアクション、ヨンデネット大阪の4団体。

主催者あいさつ

冒頭、主催者あいさつがあった。「朝鮮戦争は、統一と体制をめぐる内戦であり、米軍・国連軍と中国軍が参戦することで国際内戦へと転化した。日本は、朝鮮戦争が勃発すると1952年にサンフランシスコ講和条約を締結し、沖縄を切り捨て、日米安保条約を締結。
朝鮮戦争では米軍=国連軍の出撃拠点・後方支援の役割を担い、自衛隊の前身である警察予備隊を発足させ再軍備=逆コースの道を走り、朝鮮特需で経済復興を成し遂げた。
日本政府は、『核兵器禁止条約』の批准を拒否し、米国の核戦略の追随に終始するという言わば消極的核肯定の対応だったが、ロシアのウクライナへの軍事侵攻、プーチンの核使用発言により、『核には核』と積極的核肯定に向かおうとしている。核の脅威が現実的なものになっている今日、核によって地球環境が破壊され、全世界民衆の生存と安全が脅かされることは明白であり、核廃絶こそ人類が選択する道だ。
『力対力』の対決という日韓米軍事体制強化と北朝鮮によるミサイル発射の悪循環を断ち切ることが必要だ。日本は、戦争の危機を煽り立てるのではなく、朝鮮半島―東アジアの平和的安定を築く外交努力が必要だ。」

原爆を使用した米国を糾弾した日本政府

つづいて、『アメリカと核に依存する「核抑止論大国日本」からの脱却』と題して、高橋博子さん(奈良大学教授)が講演。高橋さんは米国の核開発と内部被爆隠蔽の歴史の研究者。
1945年8月10日(ヒロシマ、ナガサキの直後)日本帝国政府は『米機の新型爆弾による攻撃に対する抗議文』を発表した。以下、抜粋。
「米国が今回使用したる本件爆弾はその性能の無差別かつ残虐性において従来斯る性能を有するがゆえに使用を禁止せられおる毒ガスその他の兵器を遙かに凌駕しおれり。米国は国際法および人道の根本原則を無視して既に広範囲にわたり帝国の諸都市に対して無差別爆撃を実施し来たり多数の老幼婦女子を殺傷し神社、仏閣、学校、病院、一般民家等を倒壊または消失せしめたり。而して今や新規にして、かつ従来のいかなる兵器、投射物にも比し得ざる無差別性、残虐性を有する本件爆弾を使用せるは人類文化に対する新たな罪悪なり。帝国政府はここに自らの名においてかつまた全人類および文明の名において米国政府を糾弾すると共に即時斯る非人道的兵器の使用を放棄すべきことを厳重に要求す。」
と国際社会に訴えている。
このように、当時の日本政府は、原発を「人類文化に対する新たな罪悪」とし、「全人類および文明の名において米国政府を糾弾すると共に即時斯る非人道的兵器の使用を放棄すべき」と抗議している。
他方で、日本国内むけには8月8日『心得』、9日『対策(その2)』を発表した。
『対策(その2)』では、「新型爆弾に対して退避壕は極めて有効」「軍服程度の衣類を着用していれば火傷の心配はない」「前述の退避壕を咄嗟の場合に使用し得ない場合は地面に伏せるか堅牢建造物の陰を利用すること」「『心得』『対策(その2)』を実施すれば新型爆弾をさほどおそれることはない・・」などと新型爆弾=原爆はたいして恐れる兵器ではない、などと戦争継続を無責任に煽っていた。

内部被爆を軍事機密に

米国は、1946年、原爆傷害調査委員会(ABCC)を設立。これは、被爆者治療・救済ではなく、広島・長崎の原爆被爆者における放射線の医学的・生物学的晩発影響の長期的調査を米国がおこなうための機関であり、放射線による人体への影響、特に内部被爆については一切を軍事機密扱いとした。
当初、運営資金は米国原子力委員会(AEC)が提供していた。米国原子力委員会とは、核開発をおこなう機関でマンハッタン管区[注1]を引きついで発足したもの。
[注1]マンハッタン管区/米陸軍工兵科内に設置された原子爆弾製造計画推進機関の暗号名。

広島ビジョン

今年5月のG7広島サミットで発表された「広島ビジョン」では、核戦争に勝者はないとしつつ「それが存在する限り、G7国側は防衛目的のために役割を果たす」とし、核武装を開き直っている。

「日本政府の考え」(外務省サイトから)

日本政府は「北朝鮮のように核兵器の使用をほのめかす相手に対しては通常兵器だけでは抑止を効かせることは困難であるため、日米同盟の下で核兵器を有する米国の抑止力を維持することが必要」、「核兵器を直ちに違法化する条約に参加すれば、米国による核抑止力の正当性を損ない、国民の生命・財産を危機にさらすことを容認することになりかねず・・・。」
以上の高橋さんの講演から、日本政府は、かつて、「無差別性、残虐性を有する原発を使用せるは人類文化に対する新たな罪悪なり。帝国政府はここに自らの名においてかつまた全人類および文明の名において米国政府を糾弾する」と言っていたのを、現在は核の保有で、相手国からの攻撃を抑止するなどと言って核武装=核の傘を合理化している醜悪な姿が浮かんでくる。

韓国の社会運動、労働運動の現状

最後に、韓国・民主労総全北本部のイ・ジュンサン組織部長(33)がアピール。
まず、尹錫悦政権に対する退陣運動の流れを2つにわけて紹介。野党第一党の「共に民主党」と社会団体のなかで単一規模では最大の「民主労総」の動きについて分析した。
さらにミソユニオン[注2]の試みについて述べ、労働者の組織化に苦労と工夫をしていることを報告。
南北問題について、個人の考えだとことわったうえで、「韓国社会運動の一部では、北韓の核武装やミサイル実験に対して、西側の圧力による不可避な措置であり、むしろ積極的に支持すべきだという傾向があるが、これについては同意しない。同じ論理で進められる日本の再武装と米国の軍事基地拡大などを非難するのが難しくなるからだ」と語った。

[注2]ミソ
「未」組織「小」規模事業場労働者の労組の略字

関西合同労組第30回定期大会
7つのスローガン掲げ闘う

関西合同労働組合第30回定期大会が7月23日、兵庫県西宮市内でひらかれた。
最初にあいさつに立った佐々木伸良委員長は、昨年の大会直後の7月8日に安倍晋三元首相が銃撃死して以来の激動の1年間を振り返り、岸田政権のもとに激しく進められる「新たな戦前」への攻撃と闘い、組織拡大を実現していくために活発な議論をお願いしますと訴えた。
関西合同労組は23春闘において以下の7つのスローガンを掲げて闘った。
◇物価高騰・大軍拡・増税から、いのちとくらしを守れ!
◇コロナ解雇・賃下げ許さず、2023春闘を地域・職場から市民と共に闘おう!
◇大幅賃上げ勝ち取れ! ストライキで要求実現しよう! 職場・地域で仲間を増やそう!
◇プーチンはウクライナからただちに軍を引け! ただちに戦争をやめろ!
◇最低賃金をただちに全国一律時給1500円に!
◇連帯ユニオン関生支部への労働組合つぶしの大弾圧を許すな!
◇憲法改悪絶対反対!統一地方選に勝利しよう!

ある分会では夏季一時金も含めた有額回答をかちとり、別の分会では高齢者継続雇用の労働条件改善をかちとり、さらに別の分会では1万円/月のインフレ手当と10万円の一時金の支給を勝ち取っている。さらには休職期間満了後も「解雇しない」確約を実現するなどの闘いをやりぬいてきたことが報告された。また兵庫労働局に対し「春闘要求書」「最低賃金の再改定を求める申入書」を提出して交渉をおこない、組合の「全国一律時給1500円」の要求に対して「6月審議会で諮りたい」との回答を得ている。

苦労なくして組織拡大なし

確かに組織拡大はなかなか進んでいないが、非正規雇用労働者が雇用労働者の30%を超え、女性に限れば実に60%に達していることなどを見るとき「希望はユニオンにこそある」ことも事実なのだ。
しかし、「こうすればたちまち組織拡大できるというような魔法の処方箋はない」(1号議案)ことも指摘された。同時に「生活に苦しむ労働者にとって頼りにされる魅力ある労働組合づくり」(同)も提起された。反戦・反核を訴え、沖縄辺野古新基地建設反対を闘う人々や反原発を闘う人々、差別と闘う人々、生活保護裁判を闘う人々などと手をたずさえて進み、運動を大きく広げることの大切さも指摘された。
大会後の第1回執行委員会では組織拡大にむけて執行委員だけでなく、多くの組合員、サポート組合員とともに率直な議論をしていくことが確認された。生活に苦しむ多くの人たちとともに進む組合のあらたな闘いが開始されたのだ。

5面

狭山事件の再審を実現する大運動
23年秋の運動が勝負
7月17日大阪

130人の仲間が集まった(7月17日大阪市内)

昨年狭山第3次再審請求に心を寄せる人々に大反響を呼び起こした「意見広告」運動。これをひきついだ〈狭山事件の再審を実現する大運動〉の呼びかけによる集会が7月17日、大阪市内で開催されました。石川さんの顔写真が大きく描き出された3メートル×6メートルの大横断幕は、参加した人々に一目で狭山再審を勝ち取るぞという熱気を感じさせていました。
この集会は、3月に「袴田事件の再審」という胸のすくような勝利をかちとりながら、@大崎事件第4次再審請求審や袴田事件再審開始に向けた検察の「有罪立証方針」の悪あがき、A東京高裁狭山担当大野裁判長の退官が本年12月に迫っているにもかかわらず、いまだに弁護団が昨年8月に提出した11人の鑑定尋問と裁判所によるインク鑑定の実施の気配さえ伝わってこない。このような切迫した情勢の中で「次は狭山!」をどうしたら勝ち取ることができるのかという強い危機感を持って呼びかけられました。
この危機感は、運動の内部から「裁判長を刺激しないようにしよう」「運動は弁護団の後押し」「無方針が方針」などの声が伝わってくる中で、このままズルズルと検察の「証拠調べの必要なし」という居直りと大野裁判長が証拠調べもしないで無責任に退官することを許してよいのか、という思いにつきます。
この「無方針」をのりこえ、一人一人が創意工夫した大運動で、なんとしても今次第3次再審請求で再審を実現し石川さんの無実無罪を勝ちとろう! との切実な思いを込めた「緊急アピール」が発せられ、準備期間もすくないなかで実現されたものです。
集会は、大運動共同代表の長谷川弁護士によるわかりやすい再審法の問題点と改正の必要性が訴えられ、袴田事件弁護団の村崎弁護士からは袴田事件と狭山事件を一体のものとして闘おうという提起がおこなわれました。また、れいわ新選組共同代表・衆議院議員大石あきこさん、社民党副党首・参議院議員の大椿ゆうこさんからは力強い連帯のメッセージが寄せられました。
最後の自由討論で、福岡で「一人街宣」の先鞭をつけた参加者から、「この集会に参加した一人一人が今、できることを心置きなく闘うこと。これこそ石川さんの思いに応える道であり、狭山勝利の唯一の道だ」というアピールがあり、石川さんを無実無罪で取り戻す夏〜秋本気の「狭山大運動」の幕開けを感じさせる集会となりました。(米田次郎)

農業問題で3回連続の市民講座
資本主義の危機と農業・食糧問題

川田龍平参院議員を講師に種子法などを学習(7月8日 川西市)

毎年阪神間でおこなわれている市民の力で社会を変えよう連続市民講座は今年で10期目になる。この講座は元尼崎市議の小柳久嗣さんを代表に阪神間の十数人の県議・市議や市民運動家が超党派の実行委員会をつくり、先進的な市民運動や研究者の実践を学ぶ講座として地道に続けて来た。今年前半は昨年末予定の講座が、講師が病気になり中止となったため、その時やり残した農業問題をテーマで3回の講座を50人〜80人で開催した。

東大教授・鈴木宣弘さんが講演

第一回目は尼崎北部を会場に6月25日、東京大学教授の鈴木宣弘さんを講師に迎え「農業の失敗が招く国家存亡の危機」と題した講演に85人が参加した。鈴木さんは「日本の食料自給率は種や肥料の自給率の低さも考慮すると38%どころか10%あるかないか。海外からの物流が停止したら世界で最も餓死者が出る国になる。国内生産を増強しないといけないが、逆に国内農業は生産コスト倍増でも農産物の価格が上がらず、廃業が激増しかねない。地域の種を守り、生産から消費まで運命共同体として地域循環的に農と食を支えるローカル自給圏が必要。一つの核は学校給食の地域公共調達で、農家と住民一体化で耕作放棄地は皆で分担して耕すことだ。命を縮める輸入品は国産より高い。消費者も流通加工も今すぐ国産にし、輸入途絶と消費者の意向から有機自然栽培の方向性を視野に入れる必要がある。お金を出せば食料を買える時代は終焉した。不測の事態に国民の命を守るのが国防なら、地域農業を守ることこそが安全保障。防衛費5年で43兆円の一方で、農業が消滅したら、兵糧攻めで日本人の餓死は現実的に。トマホークを爆買いし、コオロギ、培養肉、人口卵の推進ではなく、農業にこそ数兆円の予算を早急に付けよ」と語った。
映像を見て知ったが、鈴木さんはテレビでも解説する有名な人で、そのためいつもの集会では余り見かけない方が多く参加していました。

川田龍平参院議員が訴え

第二回目は7月8日川西市の会場で、参議院議員の川田龍平さんによる「日本農業の再生をめざすローカルフード法の制定運動について」の講演でした。川田さんは主に種子のことを話し「日本食の要、大豆の種子も99%は輸入です」と言われ、川西特産のいちじくなどにもふれながら歴代自民党政権の、日本農業破壊を弾劾しました。

学校給食無償化へ

自然派生協から訴え

第三回目は7月30日尼崎南部の会場で、コープ自然派兵庫理事長の正橋裕美子さんの「学校給食の完全無償化と有機農業への転換をめざして」という講演でした。正橋さんは、まずコープ自然派について、「店舗をもたない宅配のみの生協。安心安全な食を求めて1970年代に主婦が立ち上げた共同購入会が始まり、現在では近畿5県四国4県で事業連合を形成し、全体で組合員20万人、兵庫で5万人となった」と説明。今までの活動として、明石市幼小中学校の無添加を目指す請願書の採択、一昨日神戸市議会のつなぐ会派で担当者と懇談し、また前回神戸市議選候補者に学校給食アンケート実施、などをした。
また、オーガニックは決して特別なものではない。今の農薬化学肥料を多用する慣行栽培は戦後に確立された。それより以前はオーガニックが当たり前であって、戦争中に兵器や毒ガスを作っていた企業が農業分野に進出し、今に至っている危険性を訴えました。
3回の講座を聞いて、農業にはあまり関心のなかった私も危機感を持ちました。毎日普通に食べられる有難さ、これを続けるのがどんなに困難なのか。私たち庶民はつい安いコンビニ弁当や牛丼で済ませてしまいます。こういう事は少しずつ変えていかなければと反省しました。
また23年秋からの本来の講座は、兵庫県明石市や東京杉並区の行政の実践に学ぶ地方自治の在り方を、今や岸田政権のアキレス腱になりつつある、少子高齢化=子育て支援を、子どもの権利条例制定側から実践・批判する講座を現在企画中です。(大北健三)

6面

長期・読み切り連載 大庭伸介
先人たちの闘いの成功と失敗を学び現在に生かそう

全国で米よこせ運動
「満洲事変」下で左翼が柔軟対応

失業者と主婦が井戸端から総決起
農林省を譲歩させ生きる糧♀l得

1932年6月6日、東京・三河島のスラム街の失業者と主婦たち4百人が叫んだ「米よこせ!」の一声から大闘争が始まった。
前年に「満洲事変」(日本軍の中国東北部への侵略)が起き、その翌年5・15事件で犬養首相が殺され、政党内閣に終止符が打たれた。失業者は350万人にのぼり、貧乏人は米が買えなかった。当時の主食は圧倒的に米であったから、文字どおり食べていけなくなったのである。
29〜30年は豊作飢餓≠ナ、同時に勃発した世界大恐慌と重なって、米価は下がる一方で超安値になった。なのに、なぜ労働者や農民は米を買えなくなったのか。秋の収穫時に大商人や大工場が農家から米を安値で買いたたき、これを貯蔵しておいて7〜8月の端境期になると高値で売り出したからである。
このころになると農村には地主の倉のほかに米がないので値上がりする一方で、貧農や小作人は苦境に立たされた。全国農民組合全国会議派(以下、全農全会。共産党系)の指導のもとに、「米よこせ!」という運動が村役場に集中した。しかし当局は弾圧するばかりであった。
政府は「満洲事変」が始まる前から、戦争に備えて盛んに米を買い上げていた。29年秋には、「農村救済」の名目で地主から大量に買い上げた米が倉にあふれて腐る一方。何とかしてこの古米を減らそうと、新米を買い上げて戦争準備の米を貯蔵しようと画策したので、農村恐慌は深刻化する一方であった。
農村だけでなく、都市の下層市民も窮状に陥った。東京のスラム街の失業者や朝鮮人とその家族が三々五々区役所に出向いて、お助け米の払い下げを請願し始めた。役所は警官を呼んで、剣もほろろに追い払った。しかし区民は食うために引き下がっていられなかった。役所もとうとう根負けして、古米の政府米を払い下げることにした。
当時、農村では全農全会が弾圧をうけて存続さえ危ぶまれていた。農民は食糧米の欠乏に加えて、肥料の高騰にも苦しんでいた。農民の利益を公然と代表するのは、官製の産業組合しかなかった。地主の利益を守る反動団体とさえ言われていた産業組合も、そのなかに組織されている農民の要求に押され、農林省に向けて救済の請願運動をおこない、相当の成果を上げつつあった。
関東消費組合連盟(以下、関消連)の指導部は、この産業組合の請願運動から学んで、農林省に安い米の払い下げを要求し始めた。古米でも外米でも安くさえあればよかった。農林省は宗教団体や慈善団体に払い下げている以上、関消連だけ払い下げないわけにいかず、月平均1千俵ぐらいの米をしぶしぶ払い下げた。しかし、この程度では焼け石に水にすぎなかった。
払い下げ米の量が増えてくると、戦争準備の米が足りなくなる。当局は6月ごろ突然払い下げを中止した。諸団体や区民がいくら交渉しても、当局は頑として受け付けない。しかし食えない事情は一向に変わらない。依然として東京の各地で請願や要求が繰り返された。当局はついに弾圧に出て、先頭に立つ者を検挙し始めた。
6月中旬、関消連の一役員が「政府は米を1升8銭で東南アジアを中心にダンピングしている」という情報を手に入れ、組合事務所にとびこんできた。その米は50万石にものぼり、門司港から三井船舶の船に積み込み中だというのである。間もなく『東京日日新聞』(現・『毎日新聞』)も、このニュースを報道した。これは政府が地主救済のために4年前から買い上げて全国各地の倉に貯えていた古米を売り払って、新米と入れ替えるためのダンピングであった。
関消連はこの事実をつかむと、失業者の集まる職業紹介所(現・ハローワーク)や工場、消費組合支部、困窮者の密集する長屋に5万枚のビラを配って、米の払い下げを要求するように訴えた。「米をよこせ!」と題するビラの1部を紹介しよう。
「失業者諸君! 就業労働者及無産者市民諸君! 台所の婦人諸君!長屋から、井戸端から、工場から、要求をみんなでまとめ、署名し、代表者を選んで政府に交渉しろ! 長屋は長屋大会を開け! 工場では皆んなで集まって相談会を開け!」
このビラは干天の慈雨のように、全東京の下層市民の心をゆさぶった。関消連は請願書の見本を作って配布した。ビラは各所で増し刷りされて、さらに広く配布された。関消連は国際消費組合デーの7月2日を期して、農林省へ陳情に行くことを決めた。
当時、官庁街では3人以上の歩行をデモとみなし、ただちに警官が駆けつけて別々に分けられていた。7月2日農林省へ押しかけた代表者約50人は、1人、2人と役所に近づき、予定の午前10時に突然集まって省内に入った。当局は代表者6〜7人とだけ会うと言い張り、警官を呼んで強圧的に対応した。会見したのは次官と関係局長であった。
代表者が提出した「請願趣意書」の内容は、@政府所有米の海外売却は停止されたし、A外米・朝鮮米・台湾米の輸移入制限をとき、関税を止めて貰いたし、B払下げ米は海外売却の値段1升8銭で失業者及貧農を除く労働者農民、無産市民に払い下げられたし、C失業者及び貧農には無料で払い下げられたし、D払下米の代金は払下げ期日より5カ年間猶予されたし、E払下米は随時要求に応じ、制限なく払い下げられたし、差し当たり要求者1人当たり1俵分だけ即時払い下げられたし、というものであった。
当局は強圧的対応を続けると、かつての米騒動が再発するかもしれないと警戒し、最後の項目だけ承認して1千俵の払い下げに応じた。
これに力を得た関消連は、さらに強力な大衆的請願運動を起こし、もっと多量の払下米を獲得することにした。関消連の幹部の多くは共産党員だったが、社会民主主義系の団体にも参加を呼びかけ、賛同した団体とはすべて分け隔てなく一緒に相談し行動した。共産党中央は当初この運動にたいして、大衆迎合の日和見主義だと否定的であった。しかし高揚する大衆運動の勢いの前に、次第に姿勢を改め後を追うように乗っかってきた。
名称も新しく「東京米よこせ会」として、つぎの請願日を8月1日に決めた。8月1日は国際的な反戦デーであった。共産党は「党のスローガンどおり、反戦を第1に掲げなければならない」と指導≠オた。これでは「これは共産党の運動です。弾圧してください」と言っているようなものである。激しい討論の末、共産党幹部も関消連の主張を認めざるを得ず、目標を払下米1本に絞ってデモをおこなうことになった。
そして関消連の上部団体である日本無産者消費組合連盟(組合員1万2500人)は、北は南樺太(当時、日本領)から南は沖縄まで、さらに植民地の台湾・朝鮮に存在する各種の消費組合にも、米よこせの請願運動を起こすように呼びかけた。
8月1日午前10時ジャスト、農林省の門前に3方から「米よこせ」の旗を立てたオープン自動車がのりつけた。そして周辺をブラブラ歩いていた人たちが自動車めがけて集まって来た。その数およそ400。たちまち数百人の警官が現れ、弾圧に乗り出そうとした。群衆はいきり立った。幹部はここで衝突を起こすと、大切な米がとれなくなると間に入って双方をなだめ、ようやく群衆を焼けつくコンクリートの上に座らせた。当時アメリカの労働争議ではやりだした「座り込み」戦術を応用したのである。
群衆のなかには老人もいれば、赤子を背負い幼児の手を引くおかみさんもいる。職業紹介所や長屋、消費組合から代表に選ばれて来た人々であった。
当局と2時間半も交渉した結果、ようやく10人の代表者と米穀課長が会うことになった。2時間の激しいやりとりで、月に6千俵の米を代金1升18銭5厘の前渡しで払い下げることになった。10人の代表者は玄関を出るや否や警官に襲われ、逃げ遅れた数人が逮捕された。
この日の座り込みは『東京日日』をはじめ全国紙すべてが報じたので、南樺太から沖縄まで「米よこせ」の請願運動がまきおこり、愛知県では10数カ村の村民がこぞって参加した。
米よこせ会は8月1日の成功を全国各地に知らせ、8月23日に開かれる臨時帝国議会の開院式に向けて、東京だけでも5千人規模の大請願運動を起こす準備をすすめた。
ところが共産党の機関紙『赤旗』8月15日号が「開院式当日、市町村役場、県庁、議会に向かって、大衆デモと飢餓行進を起こせ!」というアピールを載せた。警察は弾圧の格好の口実を得た。弾圧されても、下層民衆のひもじさは変わらず、米払い下げ運動は35年秋まで続いた。
米よこせ運動は指導部が長い間計画を練り、目標を国家権力や議会におき、大戦争前夜の厳しい弾圧下で、ギリギリのところまで合法性を利用して目的を達した。
1918年の米騒動とくらべて、労働者・農民・無産市民の組織化と成長もすすんでいた。しかし当事者も認めるとおり参加者は予定より少なかった。にもかかわらず当局が譲歩したのは、前述したように、戦争前夜に首都をはじめ全国各地で米騒動が再来することを恐れたからである。この「米よこせ」運動は新たな戦前≠生きる私たちにとって教訓にとんだ闘いである。

[参考文献]
山本秋『昭和米よこせ運動の記録』白石書店
ねづまさし『批判日本現代史』日本評論新社

7面

強制不妊 6月1日仙台高裁控訴審で国賠請求を棄却「優生保護法問題の早期全面解決を」に逆行する大反動
「正義・公平の理念」、「除斥期間」適用制限、国賠命令―22年2月大阪高裁判決以降の司法判断を全否定(下)
木々繁

国賠を棄却した仙台高等裁判所

この大反動に対し、私たちもまた、原点に立ちかえって闘いを開始しなくてはならない。
4年前の仙台地裁判決の敗訴に際し、新里弁護団長が語った言葉が想起される。「この闘いに勝利する王道は広範な民衆の力にどこまでも徹底的に依拠して広大な支援の輪をつくり出してゆくことです」。
この真理をあらためて固くかみしめ、新たな決意で立ち上がってゆこう。

「優生保護法問題の早期全面解決」に向け「除斥期間」廃止の声を巻き起こそう

今次判決は「除斥期間」の問題性を隠しようもなく浮かび上がらせた点で、ある意味で画期的意義を持つものとなった。

(1)まず、強制不妊手術など重大な人権侵害を理由とする国賠請求に「除斥期間」が介在する余地があることについて。
請求の基礎となる国賠法は6条から成る短い法律で、規定がない部分については民法の規定に基づくことになっている。除斥期間もその一つである。
この規定は、一見して権利を有し行使する者と行使される者との法的取り扱いの上での不公平が明らかである。いわば、債務者の優遇と債権者の冷遇との不公平、アンバランスだ。債権者には権利を一定期間行使しないと自動的に失うことが定められ、債務者はそのことによって権利をいつ行使されるかの不安定な立場から保護され、場合によっては加害責任を免れる。

国賠請求に即していえば、「債務者」とは国のことである。民事事件の「債務者」と、公権力の行使による不法行為で加害側に立つ国を同列に扱うことが果たして妥当なのか。
まして国賠事件の場合は、民事事件に比べて損害の発生や不法行為の所在を被害者が認識することが難しい。今次判決で敗訴したお二人にしても、1960〜70年代に優生手術を受け、2018年の提訴に至るまで半世紀を費やしている。「手術記録が廃棄され、国が合法だったと繰り返す中では裁判もできなかった」という訴えを仙台高裁は一顧だにしなかった。
2020年に改正施行された現民法は除斥期間を廃し、不法行為後20年間は中断や停止が可能な時効期間と位置付けた。何らの事情も考慮されないまま、単純に20年が経過すれば「債権者」が権利を失う「除斥期間」の機械的適用を改めたともいえる。また、2020改正前の旧来の「除斥期間」をそのまま適用するのでは、被害者の救済範囲をあまりにも狭めてしまうとの法曹界の反省を反映したものでもあろう。

民法は第2条(解釈の基準)で、「この法律は個人の尊厳・・・を旨として解釈しなければならない」と定めている。国賠請求に民法を適用するのならば、この精神に常に立ち返る必要があるが、それは今次仙台高裁判決にはみじんも存在しなかった。

22年2月の大阪高裁判決以降の一連の判決の流れと、それに真っ向から敵対した今次反動判決について、徹底的に総括を深め、そのことを通して、「除斥期間」の問題性とその解決、国賠法と民法との関係の実践的視点からの法律論的整理を行うことが求められているのではないか。

(2)さらに、除斥期間はもともと国民諸個人の相互間の権利関係を規定したものである。これを国家権力が国民に対して加えた甚大な人権侵害の事件に適用して、権利を行使することが困難な、あるいは不可能な具体的事情を顧みることなく、一定期間内に権利を行使しなかった故をもって被害者に対し一方的に権利の自動消滅を宣告し、加害者である国家を救済するなど、司法の死といういがいにない。最高裁はじめ司法みずからが旧法とそれにもとづく強制不妊の国家犯罪に無知・無自覚のまま加担してきたことをめぐる自己の誤りの歴史を真摯に総括し、除斥期間の全面的再検討と廃止に向って踏みこむべきときではないだろうか。

優生保護法はなくなっても優生保護法問題は終わっていない。
今次判決は現実をあらためて突きつけた。今こそ、主客の課題を厳しく見すえ、「優生保護法問題の早期全面解決」に向かってともに前進しよう。(おわり)

仲尾宏さんを偲ぶ
日韓・日朝連帯にかけた生涯

7月16日、京都市内で仲尾宏さんを偲ぶ会がもたれた。主催は「反戦・反貧困・反差別共同行動in京都」呼びかけの実行委員会。短期間の準備にもかかわらず80人近くが結集して仲尾さんを偲んだ。

毎年の10・21集会で主催者挨拶をする仲尾宏さん

多彩な交友、真摯な連帯

京都の「反戦・反貧困・反差別共同行動」は2007年に結成して以来、全国に際立った運動を、毎年10・21国際反戦デーに、時の焦点となる政治的社会的テーマを掲げて闘ってきた。仲尾さんは、結成以来今年1月にたおれるまで、この運動の代表世話人として牽引してきた。偲ぶ会は、そのことを偲び、顕彰する人が参加した。
彼は、1959年にスターリニズムからの決別をかけて、共産主義者同盟に結集し、同志社大学ブント細胞を組織した。それ以来の革命的左翼としての歩みを共有する人々が参加していた。その中に労働者協会から反戦青年委員会の組織化に力を尽くした仲尾さんの姿を見ることができる。
後年の仲尾さんがもっとも力を入れた日韓・日朝の友好と交流、在日コリアンをはじめとする在日外国人の人権擁護の運動がある。その運動に心を寄せた人々の多さも偲ぶ会の特徴であった。

われわれにとっての仲尾さん

われわれにとっての仲尾さんはなによりも、「憲法改悪に反対する市民フォーラム」の代表であった。憲法改悪反対、とくに9条改憲阻止をテーマに、安倍政権以降の改憲、「安保関連」3文書の軍事大国化・大増税反対、沖縄の軍事基地化、老朽原発再稼働反対を掲げておもに大阪で闘う先頭にも仲尾さんの姿があった。最初の代表であった小川登さんが亡くなって以降は、文字通り集会や学習会を主導してもらった。
また、「世直し研究会」という学習会運動で、専門の朝鮮通信使の歴史の講演をしてもらった。江戸時代には幕府と朝鮮王朝が対等の関係で、朝鮮から通信使が来るたびに、幕府や大名・武士のみならず、学者・画家から庶民に至るまで交歓・交流しあった事実がある。明治以降の植民地化の歴史しか知らないわれわれに新しい学びの場となった。
仲尾さんは、80年代の指紋押捺拒否闘争を契機に、在日外国人、とくにコリアンの人権問題に尽力している。それを契機に、この学問研究に向かったことを知った。

尹東柱の詩に託す

「死ぬ日まで空を仰ぎ一点の恥辱なきことを」。この詩は尹東柱の詩の一部である。偲ぶ会では、「反戦・反貧困・反差別共同行動in京都」の発行のパンフレットや集会で仲尾さんが繰り返し引用し、いわば彼が運動にかかわる魂としてきたものである。尹東柱は韓国(朝鮮)の国民的詩人で当時27歳、禁じられていたハングルで詩を書き、治安維持法で逮捕され、1945年敗戦の半年前に福岡刑務所で獄死した。その短い生涯と詩作自体がどれだけ強く仲尾さんの胸を打ったであろう。
何よりも岸田政権の大軍拡と大増税、沖縄の全島軍事基地化、入管体制の大改悪、原発再稼働と新増設、汚染水の海洋投棄など諸攻撃と闘い、仲尾さんの遺志を引き継ぐ決意である。
今年は、関東大震災100周年。あのとき軍隊や警察だけでなく、日本の民衆自身が朝鮮人6千人、中国人8百人を虐殺した記憶を胸に刻み、血債をかけて立ち上がろう。
仲尾さん追悼をかけてアジアの反戦平和、日本の天皇制と植民地支配史に断を。(MS)

8面

本の紹介
忘れられた共産主義者の発想に学ぶ
龍井葉二著
『猪俣津南雄 戦略的思考の復権』

多くの読者は猪俣津南雄という名を初めて耳にするのではないだろうか。かく言う私自身、この本を読むまでは、一知半解の誤った認識に陥っていたことを白状する。
著者の龍井さんは革マル支配下の早稲田大学文学部を中退し、東京経済大学を卒業して総評(日本労働組合総評議会)の書記になった。そして「労働戦線の統一」の名による総評・県評・地区労解体に反対していた私に、陰から協力してくれた。龍井さんは猪俣の「運動論=組織論が、われわれがその一端を担ってきた全共闘運動のスタイルに通じることに、驚嘆と同時に親近感を感じた」と言う。
猪俣はかつて共産党系の学者と非共産党系のマルクス主義者が繰り広げた「日本資本主義論争」の片方である労農派に属し、山川均や堺利彦・荒畑寒村と共に「労農派の4巨頭」などと称された時期もあった。しかし次第に山川たちの立ち位置の違いが明らかになり、独自の歩みを始めた。
彼の終生の弟子であり同志であったのは、戦後の一時期に総評の事務局長として鳴らした高野実である。
猪俣は階級意識は「闘争のうちからのみ」生まれるものであり、マルクスの階級闘争の理論も知らない労働者たちの、空疎と重圧から逃れようとする本能的努力から「にじみ出る」と強調する。階級意識の「外部注入」との落差は歴然としている。彼の革命論は、階級闘争→政治権力奪取→プロレタリア独裁というお馴染の図式とは、大きくかけ離れている。
猪俣は無産政党や労働組合の運動強化に向けて積極的に関与し続けてきた。そのなかで提起されたのが「横断左翼論」といわれる独自の運動=組織論であった。それは戦後の地区労に発展する考え方である。龍井さんが言うとおり「地区労運動こそは、日本の労働運動が、企業別組合の限界を超えて労働組合相互の連携を深めるだけでなく、他の諸団体との交流を深め、広範な社会運動を推進する母体に他ならなかった。」
猪俣が変革のもっとも基底的部分に据えたのは、国家のあり方ではなく、共同体のあり方であった。龍井さんは、猪俣の「戦略的思考」こそ、現在において発揮されるべきだととらえている。そして「いまわれわれが直面している困難は、ただ単に運動・思想面でいわゆる左翼的潮流が後退していることではなく、困難を打開しようとする発想の枠組みそのものが従来型にとどまっていることにある」と提起している。
本書が実に多くの示唆に富んだ書であることは確かである。
同時代社。2800円+税
(一読者)

(シネマ案内)
『アダプション/ある母と娘の記録』
監督:メーサーロシュ・マールタ 1975年

メーサーロシュ・マールタは、ハンガリーの女性映画監督。1931年にブダペストで生まれた。母が画家、父は彫刻家であった。一家はソ連(当時)のキルギスに移住している。この時、共産主義者だった父は逮捕され、投獄された(のちに獄死)。母も早くして亡くなり、彼女は児童養護施設にあずけられる。ここでの体験がベースになって、メーサーロシュ(名前は日本と同じ順序で表記)の作品には孤児が繰り返し描かれる。
1970年代、社会主義政権下のハンガリー。女性は労働力のほぼ半分を支えており、経済的に自立している。しかし、ここでも社会的な男女差別や家父長的な因習が残されている。この映画は、この現実を冷静なリアリズムをもって描いている。メーサーロシュは、「私は平凡でありふれた物語を語りますが、その中で主人公は女性です。私は女性の視点から物事を描いています」と語っている。
主人公のカタは、43歳の女性。木製品をつくる工場で木埃をあびながら働いている。カタは夫を亡くし、ひとりで暮らすが、パートナーがいる。相手は妻子のある男性で、「不倫」関係にあるのだ。カタは子どもがほしいと思っているが、この希望は相手に受け入れられない。男性は「子どもはずっと婚外子として生きることになり、困難を強いることになる」と言う。いっぽう、アンナは17歳で、「不良少女」だ。親からも勘当されて、寄宿学校(児童養護施設)に入れられている。アンナは、はやく結婚して自立し、自由になりたいと思っている。
カタはひょんなことからアンナと知り合う。カタは自分も心の傷をうけており、アンナの心の傷を理解できた。カタはなんとかしてアンナの希望をかなえてやりたいと願い、奮闘する。この2人は、血のつながりはないが、おたがいに信頼しあっている。このふたりは母娘の上下関係ではなく、愛情と信頼関係のなかで同じ女性として対等に会話している。メーサーロシュは、ここに将来あるべき「母と娘」の関係を提示している。
カタは子を生むのをあきらめ、養子をもらうことを決断する。カタが女の子を抱えて施設から家に帰る。これから先の不安を暗示しながら、映画はここでおわる。人生は順風満帆にすすまない。しかし、メーサーロシュのまなざしはあたたかい。
昨年、メーサーロシュの映画が日本で初公開された。それはフェミニズム運動が世界的な潮流になり、日本でもおおくの関心が寄せられてきているからだ。日本での映画公開にあてたメッセージで、メーサーロシュは「自由の問題も女性の状況も私が映画を撮った頃からあまり良くはなっていないのですから、これらの作品はきっと、今の時代にも有効でしょう」(22年11月)と述べている。
かつて社会主義政権のなかで、ひとびとは社会や人間をしっかり見つめようとしていた。社会主義がめざしていた良質な部分をもう一度見直してみたい。(鹿田研三)

投稿
『未来』紙第370号掲載の橋本利昭論文への異論
停戦を求める人々の意をくむべき

僕の基本的立場は「ロシアのウクライナ侵略反対、ウクライナ人民の抵抗権支持、しかし戦争の原因は2014年以降のウクライナ国内の民族対立・階級対立を煽り虐殺をおこなったウクライナ政権にもある」ということである。
今回の橋本さんの意見、すなわち「またウクライナ人民に一方的に武器を置くことを要求する『停戦』論は、帝国主義国の傍観者的『平和』主義者の寝言である」という意見は非論理的である。
問題は、停戦を求める人たちの立場を全く捻じ曲げて主張していることだ。「ウクライナ人民に一方的に武器を置くことを要求する」のは「降伏要求」であって、停戦論者は一度でもそんなことを言ったことはない。
停戦とは双方の軍隊が同時に武器を置くことである。それ以外の意味はない。戦争を終えるにはどちらかの国家が継戦できないまでに滅ぶか、いずれかのラインを引いて停戦するしかないというのが道理ではないのか。
ゼレンスキーが主張するように過去のウクライナ国境までロシア軍を押し返してから戦争を止めるというのも一つの停戦であって、ロシア国境を超えてロシアが継戦できないまでに国家を滅ぼすことをゼレンスキーは主張していない。ロシア人民の命がけの反戦闘争も、この戦争が終わるまでにプーチンを打倒できるというはっきりした展望があるわけではない。
最近では、アメリカ帝国主義のCIAがゼレンスキーに停戦への合意を求めたというニュースが流れている。その停戦ラインはクリミア半島の北に引くということらしいが、東部の扱いなど詳しい情報は流れなかった。
「ロシアのウクライナ侵略反対。プーチンはただちに撤兵せよ。ただちに戦争を止めよ。国際社会はただちに停戦するように両国に働きかけよ。ウクライナ民族内にも階級闘争があり、日本のプロレタリアートはウクライナ民族内の労働者人民と連帯してロシアとの停戦・終戦後の戦後革命を準備するべきだ」と言うのが適当ではなかろうか。これが左派系労組などに広く存在する「停戦要求」派内のプロレタリアート人民がとるべき立場ではないかと思う。
高見元博

(カンパのお礼)

夏期カンパへのご協力ありがとうございました

残暑お見舞い申し上げます。
夏期カンパのご協力を訴えたところ、各方面から多額のカンパが寄せられました。
本当にありがとうございました。
革命的共産主義者同盟再建協議会