とめよう!原発依存社会への暴走
岸田と関電ら電力資本と全面対決を
7・28再稼働ねらう
関西電力は、遅れていた高浜原発1、2号機の再稼働について、1号機は7月28日に、また2号機は9月中旬再稼働を狙っている。
高浜1号機は本年中に運転開始から49年を迎える国内最古の老朽原発である。また高浜2号機も48年を迎える。
老朽原発うごかすな! 実行委員会は、高浜1号機がこの7月にも動かされようとしていることに対して、さらに、横暴な関電の原発推進の突出に対して、腹のそこからの怒りをたたきつけるものとして、「7・23最古の老朽原発高浜1号うごかすな! 緊急集会〜国と関電の暴走とめよう」を関電本店前で開催し、梅田に向かってデモをおこなうことを呼びかけている。
最古の老朽原発・高浜1号機の再稼働を阻止するために、また、関電のやりたいほうだい、暴走を許さないたたかいとして、7・23緊急集会を勝ち取ろう。関電本店前を埋め尽くす大結集を。
神戸集会・パレードののち、元町・大丸前で意気示す(7月9日、詳報次号) |
規制基準不適合
そもそも高浜1・2号機については、特重施設の未完成で、いままで再稼働ができなかった。特重施設の完成をうけて、本年5〜6月に再稼働させようとしてきた。ところが、高浜1、2号機ケーブルの火災防護対策が基準に適合していないことが、規制委員会から指摘され、抜本的に見直すことを突きつけられた。これにたいして、関電は、ケーブルの火災防護対策を実施すると膨大な費用と長時間の防護対策工事が必要になり、再稼働できないため、今後取り組むとし、当面はケーブルの周辺に可燃物などを置かないなどといった対策で済まそうとし、その旨規制委員会に報告した。これは、まったく基準外の小手先の対応でしかない。しかし、規制委員会はそれを容認し、OKとしたのである。岸田の原発回帰、推進の中で、なんとしても40年超え運転、老朽原発の運転を実現しようという規制委員会の姿勢を示している。
なお、ケーブルの火災防護について、美浜3号機においても同様の問題を発生させており、この場合も規準外の対応でOKとしている。
さらに、高浜1号機において、火災報知機が計画と違うところに設置されていることが複数箇所で判明。さらに再稼働が遅れる事態になった。
関電は今回これらの問題について一応クリアしたということで、7・28再稼働を公表したのである。
規制基準さえ適合しない状況のなかで、最古の老朽原発高浜1号機の再稼働を許してはならない。
使用済燃料搬出の詭弁
関電は、老朽原発再稼働への地元同意を得るために、「23年末までに、県外に使用済み燃料の搬出先候補地を示す。もし見つけられなかった場合、たとえ稼働中であっても、老朽原発は停止する」と約束して、美浜3号機、高浜1・2号機の再稼働への福井県の同意をえた。
当初は、青森県むつ市の東電と日本原電の中間貯蔵施設の共同利用が取りざたされたが、具体的な進展を得ることができずに、推移してきた。
6月12日、関電・森社長は、福井県庁を訪問し、福井県・杉本知事に対し、「使用済みMOXの再処理実証研究のために高浜原発から使用済みMOX燃料〈約10トン〉と使用済みウラン燃料〈約190トン〉をフランスに搬出する」とのべ、「中間貯蔵地を探したことと同等の意義」「中間貯蔵地探しに関する約束は果たした」と報告した。20年代後半にフランスに搬出するというもので、その量も合計2百トンでしかなく、関電が約束した2千トンの1割に過ぎない。関電のこのようなペテン、詭弁を許してはならない。福井県民は、人を愚弄するにもほどがあるとして一斉に猛反発している。
このような、ペテン、詭弁を弄すのは、福井県が使用済み核燃料を県外に搬出することを一貫して求めており、原発内のプールに保管されている使用済み核燃料がまもなく満杯になり、この意味でも原発の運転ができないところに関電はおいつめられているからだ。
国内最古の老朽原発・高浜1号の再稼働と汚染水の排出
運転開始後50年にもなんなんとする老朽原発を動かそうとするのは常軌を逸している。長期にわたって、放射線にさらされ、原子炉本体の中はどういう状況にあるのか誰も説明できず、わからない。
そして、今また福島第一原発事故の汚染水を、周辺地域住民、漁民、近隣諸国人民の反対を押しきって、海洋投棄しようとしている。
このような超危険な原発をうごかすことは、もはや犯罪であり、人の生存権、幸福権を奪おうとすることだ。
7・23関電本店前に集まり、「老朽原発再稼働阻止」の怒りの声を、関電と岸田政権にたたきつけよう。
核廃絶へたゆまぬ歩み
8・6 ヒロシマ反核行動へ
今年も8月6日午後、「8・6ヒロシマ平和の夕べ」が開催される。
8・6ヒロシマー平和の夕べーチラシ |
今年の平和講演はきのこ会事務局長平尾直政さん
きのこ会は、原爆小頭症の被爆者と家族の会です。
原爆小頭症の当事者となる会員数は2023年7月1日現在で11人です。(内訳:広島市5人、広島市以外の広島県2人、北海道1人、神奈川県1人、大阪府1人、山口県1人)
妊娠早期の胎児が強力な放射線を浴びると小頭症の子どもが生まれるということは、専門家の間では知られていましたが、一般に公表されることはありませんでした。アメリカが広島と長崎に設置したABCC(原爆傷害調査委員会)では、原爆投下6年後の1951年から胎内被爆児について追跡調査をおこない、早くから小頭児の存在について把握していました。しかし親たちには「この子の障害の原因は栄養失調だ」と偽りを伝え、その存在を隠し続けていました。
原爆小頭児の存在が市民に明らかになったのは、広島のジャーナリストの調査からです。岩波新書の『この世界の片隅で』で、秋信利彦氏が胎内被爆児の取材を始め、広島研究の会のメンバーたちの手によって、ひとり、またひとりと探し出していきました。当時、研究者たちから家族に対して正しい情報を与えられることはなく、原爆小頭児の親のほとんどは「子どもの障害は自分たちの家族だけのもの」と思っていました。しかも被爆の翌年に生まれた胎内被爆小頭児たちの障害は、原爆によるものと認められていませんでした。
広島研究の会の呼びかけで1965年6月27日、6家族が集まって原爆小頭児の親たちの集まりが結成された。活動の柱を「原爆症認定」「終身補償」「核兵器廃絶」の3点とし、名前を「きのこ会」と決めました。
「きのこ会」という会の名前には、『きのこ雲の下で生まれた小さな命ではあるが、木の葉を押しのけて成長するきのこのように元気に育ってほしい』という親たちの強い願いが込められています。1967年9月、きのこ会の原爆小頭児6人が「近距離早期胎内被爆症候群」として原爆症認定を受けました。(その後2年以内にすべての会員が原爆症認定を取得)
きのこ会にはこれまで25人の原爆小頭児が在籍しましたが、うち14人が他界しました。
人類が同じ原爆小頭症の子どもたちを作らないことを願って、私たちきのこ会はこれからも核兵器の廃絶を訴え続けます。(以上は、きのこ会ホームページより)
今年の8・6ヒロシマ平和の夕べは、平尾直政さんの話から、核と原爆の惨禍の生き証人の壮絶なたたかいから学ぶ。
広島サミットは核廃絶に逆行
5月19日から21日まで広島で開催されたG7広島サミットは、 抑止という名目で核兵器を認め、核兵器禁止条約には触れず、核廃絶を求める被爆者を踏みにじった。
広島市教育委員会は、「平和教育プログラム」の教材「ひろしま平和ノート」の小学3年の学習部分に登場する「はだしのゲン」の掲載をなくした。その後、中学3年の学習部分にある「第五福竜丸」に関しても削除した。
「被爆教師の会」をはじめとした被爆者によってたたかい取られてきた「平和教育」が破壊されようとしている。
高校教師(被爆教師の会)として平和教材つくりに尽力、証言を続けて来た森下弘さんはロシアのウクライナ侵攻と核使用の恫喝に対して「たった一発の原爆が何を引き起こしたか。広島に来て直接見なさいと、プーチン大統領に言いたい」と訴える。92歳になった森下さんが「まるで溶鉱炉の中」という被爆体験を語る。
広島市立基町高校の高校生たちは被爆者の体験を聞き、被爆体験を描き伝えている。卒業生横山栞央さんが「次世代が伝える平和と広島」としてこの取り組みを話す。
原発政策大転換させた岸田政権
岸田政権は原子力基本法・原子炉等規制法・電気事業法・再処理法・再エネ特措法の5つの改正法案を束ねた「GX(グリーントランスフォーメーション)脱炭素電源法=原発推進GX法」を参議院本会議で自民・公明与党両党と日本維新の会、国民民主党、参政党らの賛成で可決・成立させた。その実態は、原発の再稼働、原発の新増設、老朽原発の運転期間の延長、原発産業への支援強化など、3・11以来の「可能な限り原発依存度を低減させる」政策の大転換だ。
福島からのアピールは鴨下美和さん。鴨下さんは震災直後、福島県いわき市から家族5人で実家のある横浜市に自主避難した。福島原発被害東京訴訟原告。
現在、都内に住む。鴨下さんの長男の全生さんは高校2年だった18年、ローマ法王に手紙を送り、翌19年、家族でバチカンに招かれ、直接被害を訴えた。(堀尾夏樹)
2面
原発推進GX法は止められる 反原発自治体議員・市民が集会
7月2日、〈反原発自治体議員・市民連盟〉関西ブロック総会と講演会が、大阪府高槻市内でおこなわれ、オンラインを含めて75人が参加した。
講演会では、@山崎久隆さん(たんぽぽ舎)が記念講演「岸田政権の原発推進大転換と今後の反原発運動の課題」、A連盟からの報告として「水戸地裁判決の意義と東海第二原発の避難計画を問う」、B老朽原発うごかすな! 実行委員会・木原壯林さんからアピール「とめよう! 原発依存社会への暴走」。さらに、全国各地からの報告などがあった。
関西ブロックが集会(7月2日 高槻市内) |
■山崎さんの講演■
山崎久隆さんは、冒頭、先の国会審議にふれ、原発推進GX法が衆議院で25時間審議したといわれているが、うち半分の時間は与党発言であり、議論に費やされた時間は実質10時間程度。しかも束ね法案という形で審議され、1本1本の法案をじっくり審議できないようにしており問題だ。
2023年5月31日、この日は後年に、取り返しのつかない悪法が成立した日として未来の世代に記憶されるかもしれない。
束ね法案の構成は「原子力基本法」「電気事業法」「原子炉等規制法」「再処理法」「再エネ特措法」の5つの「改正」を柱にした、原子力拡大のための法律だ。
この法案がどれだけ拙速で異様か、国会審議でも次々にあきらかにされた。そもそも立法事実がない[注]。
具体的な規則、基準は何もできていない
60年を超えて運転する規定を電気事業法に定めたものの、具体的な期間計算については全く示されていない。規則や基準は国会での議決を要しない。今後、経産省が省令などで一方的に決めてしまう。独裁国家のやることだ。
この法律は、一般的な行政法の改定ではない。未曾有の災害を引き起こした原子力の将来をどうするかを決める法律だ。国民投票すべきテーマである。
核兵器開発へつきすすむ
原子力基本法を改定した最大の理由は「国の責務」として原子力産業を育成、発展させることにある。小型モジュール原子炉開発の基幹にあるのは軍事利用だ。潜水艦への搭載など。こうしたところに直結する技術開発に日本のメーカーが参入することを、政府は資金援助を含めて後押しすることが可能な法改定をした。
また、こうした議論の陰でひっそりと原子力研究開発機構が持つ高速実験炉「常陽」(茨城県大洗町)の新規制基準適合審査を終えている。原型炉「もんじゅ」が廃炉になり、実験炉「常陽」の意義も失われたはずなのに、今さらなぜ巨額の費用を投じて動かすのか。「高純度プルトニウムの取り扱い技術の確立」以外にいかなる理由があるのか。これが核兵器開発にとって基幹的な技術であることは誰もが知っている。
ひとつひとつ反撃を
原発推進GX法は成立してしまったが、実施するための規則も規定もまだできていない。これらの規定を作る過程を問題にし、追及していこう。さらに、施行されるまでに原発を運転停止に追い込む取組を強めよう。防災(避難)計画の不備で運転停止を命じられている東海第二原発、核防護体制の不備から運転停止を命じられている柏崎刈羽原発、事実上審査が止まっている大間原発など、問題を多発させている原発を止めるための努力を続けていこう。
原発推進GX法が成立しても止められる。原子力推進の矛盾はむしろ拡大する。
■木原壯林さんがアピール■
世界で、60年を超えて運転した原発はない。最も老朽な原発でも運転期間は53年だ。地震、火山噴火、津波の多発する日本で原発60年超え運転は過酷事故を招く。
岸田首相がどう願望し、法律を変えようとも、経済的利益や政治的思惑で原発の老朽化を防ぐ技術、安全性を高める技術、使用済み燃料の処理・処分技術が急に向上することはない。
岸田政権の先兵として、老朽原発の再稼働を目論む関電は、現在稼働中のすべての原発でトラブルを続発させている。
さらに、一昨年2月、原発再稼働への福井県知事の同意をとりつけるために、何の成算もなく「空約束」し、使用済み核燃料の中間貯蔵地(候補地)を福井県以外に探すと明言。しかし未だに候補地を提示していない。苦肉の策として「使用済みMOX燃料の一部を、電気事業連合会がおこなうMOX燃料再処理実証試験に供するために、フランスに持ち出すから約束は果たした」と強弁。
現在科学技術で制御できない原発を無理やり稼働させようとするから、トラブル、不祥事、約束違反が頻発し、人々を欺かなければならなくなり、そこに闇の部分が発生する。政府と関電の野望を葬り去ろう。
12月3日に私たちが1万人集会(大阪市内)を設定した理由は、@関電が「使用済核燃料中間貯蔵地を本年末までに探す」と約束したこと。探せなければ約束違反であることを認めさせ、老朽原発廃炉を実現しよう、A原発推進関連法は今国会で成立したが、実行するために政府はこの冬にかけて、関連の法体系の整備を画策する、B近いうちに衆院選の可能性。大きな運動を提起して「原発全廃」を争点にしなくてはならない。
この冬にかけての「老朽原発うごかすな!」の闘いは、岸田政権の「原発依存社会」への暴走を許すか、「原発のない社会」を実現するかのカギを握る。
[注]立法事実
法律が作られるに至った際に前提としていた社会的な事実
3面
島々を戦場にするな
6月23日大阪で集会
沖縄現地と連帯し、大阪で集会(6月23日) |
6月23日、大阪市内で「沖縄と共に戦争に反対する6・23平和の集い〜軍隊は民衆を守らない〜」が同実行委員会主催でおこなわれ140人が参加した。
最初に、沖縄戦での20万人余の犠牲者を悼み、黙祷を捧げた。主催者あいさつにつづき、沖縄現地での国際反戦集会の様子を映像で見た後、前泊博盛さん(沖縄国際大学教授)が「島々を戦場にさせない」と題してリモート講演した。要旨を紹介する。
6月23日は慰霊の日?
,p>6月23日慰霊の日は違うのではないか。牛島満中将の自決の日とされるが、孫の牛島貞満著の本『第32軍司令部壕』によると牛島家では6月22日が満さんの命日。沖縄では1961年に6月22日を慰霊の日に制定。米軍の資料では6月21日に牛島満死亡。6月22日が慰霊の日だと私は思う。また8月15日が終戦記念日だが9月2日終戦協定調印なのでおかしい。沖縄では9月7日降伏文書調印式により沖縄戦終結。
沖縄は「消耗品」
1947年9月22日沖縄に関する天皇メッセージ「アメリカが・・・25年ないし50年、あるいはそれ以上沖縄を支配することは、アメリカの利益になるのみならず日本の利益にもなる」により、日本自ら沖縄を米国へ提供すると申し出た。
瀬長浩・元琉球政府行政副主席は、サンフランシスコ講和条約は沖縄差別に基づくと検証。それによると、G・H・カー博士は『琉球の歴史』という本の序文で「他の県であったなら・・・[日米共に]そのような条約案は考えなかった。沖縄だからこそ切り離された。沖縄は日本にとってexpendable(支出可能な消耗品)である」と指摘している。マッカーサーも、日本人の持つ琉球人への差別意識を戦後の沖縄の分割統治に利用した。
軍は民を守らない
軍(自衛隊)は国家と国体を守るが、民を守らない。軍は民を盾(弾除け)にする。軍は民を制圧(銃殺)する。
土地規制法により、鹿児島以南が特別注視区域は20カ所と半数を占め、注視区域は約7割の84カ所にのぼる。鹿児島県内の自衛隊施設のほとんど全て、奄美大島、沖縄本島、宮古島、石垣島、与那国島のミサイル基地や弾薬庫を指定対象に。「台湾有事」が発生した場合に、自衛隊の活動に「妨害」が生じないようにするものだ。
世論調査で、防衛増税に不支持80%だが、反撃能力の保有に賛成は61%。傍観者的国防論「自衛隊は国民を守る兵力。日米安保で米軍が守ってくれる」は間違い。米国の相対的国力は衰退。「有事には自動的に米軍が守ってくれるとは、もう思わない方がいい」(石破茂元防衛相)
沖縄の戦場化
新・国家安全保障戦略で沖縄の「戦場化」を明記。今後5年間で総額43兆円の軍拡。岸田内閣を揺さぶる2つの恐怖は、@有事に米国から見捨てられる恐怖。A米国の戦争に巻き込まれる恐怖。見捨てられた時のために自主防衛力強化や同志国(豪州、インドなど)強化をはかっている。
南西諸島ミサイル配備強化。陸自15旅団(那覇)を師団化(2千5百人→6千人規模へ)は沖縄有事を想定したもの。海自と海保の一体化は、海保に限定してきた尖閣対応に海自が出動すれば有事に発展、局地戦になる。異次元の防衛予算増で、今年は6・82兆円(前年比26・3%増)、このうち弾薬量が3・3倍に激増。明らかに戦争を準備している。
自衛隊の北方シフトから南西シフトへの転換は、2010年の防衛大綱で始まり、与那国、奄美、宮古、石垣へとミサイル部隊を配備。最初は「警備隊」で発足し住民への「だまし討ち」だった。「台湾有事」で戦争をすれば陸自ミサイル部隊は全滅必至である。住民保護は市町村長の仕事とされ、自衛隊は住民を守らない。経済的にも、日本は米国よりも中国との貿易量の方が多い。無謀な戦争は止めなければいけない。
質疑応答の後、清水早子さん(ミサイル基地いらない宮古島連絡会)がリモートで発言。リレートークや音楽など元気のいい基地反対の活動報告があった。
沖縄日誌6月
6・23慰霊の日に決意新た
琉球弧の島々に自衛隊基地
5月31日 午前6時半ころ朝鮮民主主義人民共和国は沖縄県先島上空を通過する予告の方向に人工衛星を打ち上げたが、朝鮮半島西方の黄海に墜落する「事故」が起きたと発表。防衛省は沖縄県を対象に全国にJアラートで発射を速報。沖縄では沖縄島や宮古島、石垣島、与那国島でPAC3を展開する態勢を取った。しかし衛星の発射時、台風の影響で、石垣市では予定の地区に展開できず、宮古島市、与那国町でも発射機はたたまれていた。市民は「発射後すぐに落ちたのに、避難解除に30分以上かかった、危機を煽るだけではないか」と懸念の声を上げた。石垣市、与那国町の首長は「しっかりやってほしい」と指摘。宮古島市長は「平和外交を望む」とのコメント。
6月2日 台風明け、朝鮮民主主義人民共和国の2回目の人工衛星打ち上げに備え、石垣市は新港地区、宮古島は航空自衛隊宮古島分屯基地、与那国町は与那国駐屯地でPAC3を展開した。石垣市新港地区では自衛隊員が銃を携行し警備。市民団体から怒りの声が上がった。また、全日本港湾労働組合沖縄地方本部は安全性の観点から組合員50人の自宅待機を検討。
4日 〈ミサイル配備から命を守るうるま市民の会〉は陸上自衛隊勝連分屯地前で「ミサイル配備に反対する市民集会」を開いた。市民340人が参加。「ウクライナ戦争や過去の沖縄戦からも、基地が標的になることは明白だ。住民の被害を顧みないミサイルの配備に反対しよう」と呼びかけた。
6日 名護市本部港塩川地区で抗議行動の市民に防衛局職員が差別暴言。この職員は2〜3月前から差別暴言を発して抗議行動を妨害していたとのことだ。市民の抗議の前に沖縄防衛局は事実を認めた。市民は差別暴言に屈することなくねばりづよく怒りの抗議行動に決起している。
13日 オール沖縄会議は「新基地建設断念を求める請願署名」55万9224筆を野党国会議員に託した。署名は昨年末から全国に呼びかけ、目標の34万筆を上回った。14日に衆参両院へ提出する。
15日 名護市辺野古の新基地建設で、沖縄防衛局が辺野古側の埋め立て区域に、百万立方メートルの土砂を積み上げる工事の入札手続きを進めていることが分かった。現在辺野古側の埋め立ては95%(304万立方メートル)の土砂が投入済みで、今夏にも終了する予定だ。設計変更が未承認の中で、大浦湾側の埋め立てに使う土砂の「仮置き」とするものだ。
21日 オール沖縄会議が国会へ提出した「請願署名」は21日に通常国会が閉幕し、委員会審議が未了となり採択されなかった。衆院では、自民、維新、公明、国民が賛同しなかった。参院でも立憲、共産、沖縄の風以外の会派が賛同しなかった。(請願は全会一致でのみ採択)オール沖縄会議は22日那覇市の県民広場で緊急抗議集会を開いた。市民50人が参加。
23日 沖縄戦から78年目の慰霊の日を迎えた。糸満市摩文仁の平和記念公園で、県と県議会主催の沖縄全戦没者追悼式が執りおこなわれた。式典は4年ぶり。玉城デニー知事は「二度と沖縄を戦場にしてはならない」と決意を述べた。岸田首相は自衛隊の防衛力強化には触れなかった。
4面
6・25シンポ
ウクライナ反戦 橋本利昭
ロシアは直ちに撤兵を(上)
6・25シンポの橋本利昭さんの報告を全文掲載する。他の3氏は別途『展望』に掲載の予定。
T ウクライナ侵略戦争の本質
熱心な討論のシンポジウム(6月25日) |
@プーチンの戦争目的
プーチンは、彼が掲げる大ロシア主義、スラブ主義、ユーラシア主義の3つのイデオロギーと戦略(注1)の結節点として、ウクライナの国家と民族の抹殺、ロシアへの併合を目的としている。そのためには核兵器使用の恫喝もするし、人工洪水の謀略も平気でやる。ウクライナのNATO加盟阻止や「親ロシア系」住民の保護は本当の目的ではない。2000年代の初頭にはプーチン自身がNATOに加盟したいと言っていた(注2)。
プーチンは、旧ソ連構成国を従属させるためには手段を選ばない。2次にわたるチェチェン戦争(1996、2000年)、ジョージア戦争(2008年南オセチアとアブハジアの分離「独立」)、2014年ウクライナからのクリミアの略奪と併合、すべてがそうである。プーチンのやっていることはナチス・ヒットラーよりもひどい。ヒットラーは少なくとも当時の列強との合意と承認のもとに侵略や併合をおこなった(1938年チェコスロバキアのズデーテン地方併合を独・仏が承認、1939年独ソ不可侵条約の秘密議定書でポーランド分割をスターリンと密約)。プーチンはまず侵略や併合の既成事実をつくり、そのあと「列強」に同意を求めている。
プーチンに虐殺されたチェチェン共和国の初代大統領ジョハル・ドゥダエフは言った。「国際社会は、ロシアによるチェチェン民族虐殺の事実から目を背けようとしている。この問題を見過ごすならば、大ロシア主義の矛先はやがてウクライナなど西に向かう。そのときになってヨーロッパはじめ世界は事態の深刻さに気付くだろう」(林克明『ロシア・チェチェン戦争の628日』)。
Aウクライナ戦争の現実
ウクライナ戦争では誰もが数日以内にキーウは陥落、全土がロシアの制圧下に入ると考えていた。ところが亡命すると思われていたゼレンシキーが踏みとどまり、抗戦を呼びかけると最初の3日間で戦局は一変した。首都に迫ったロシア軍の車列が60qにわたって擱座し、次々と砲撃やモロトフカクテル(触発性の火炎瓶)の餌食となった(2023年NHKスペシャル「ウクライナ大統領府 軍事侵攻・緊迫の72時間」2023年3月29日)。
ウクライナ人民のゲリラ・パルチザン戦争がさく裂した。地理に習熟し、戦意にあふれ、創意工夫して、単身ないし小部隊で行動する、まさにクラウゼビッツが言う「国民戦争」である。
Bウクライナ人民の戦争目的
われわれは22年秋に「ウクライナ戦争テーゼ」を発表した(『未来』347号)。
1. プーチン・ロシアのウクライナに対する侵略戦争である。
2. ウクライナはロシアに対して被抑圧民族である。
3. 共産主義者は被抑圧民族の自決権を支持する。
4. ウクライナ人民の政治形態、戦闘形態の選択を無条件に支持する、である。
われわれは、命がけで戦うウクライナ人民の抗戦主体を支持し、連帯する。それは、ウクライナ社会運動(ソツィアルヌイ・ルーフ)であり、鉄道・鉱山・医療の労働組合に結集する人々であり、タタール人やユダヤ人などの少数民族であり、ロシアをはじめ、ベラルーシ・ジョージア・チェチェンなどでウクライナ侵略に反対し、中には義勇兵となって戦う人々である。
「米(NATO)対露の代理戦争」論は、侵略・抑圧されながら生死をかけて闘うウクライナ人民の主体を無視している。またウクライナ人民に一方的に武器を置くことを要求する「停戦」論は、帝国主義国の傍観者的「平和」主義者の寝言である。ウクライナ人民がどこまで領土を奪還するか、いかなる戦闘形態をとるかはウクライナ人民自身がきめることである。亡命したり、独自のパルチザン部隊を編成したり、あらゆる抵抗・拒否・抗戦の形態が許される。ゼレンシキーの下で戦いたくないとか、欧米からの武器供与は拒否するという選択もあろう。抗戦の陣形を破壊しない限り、それらもすべて支持する。
U 露・日が世界戦争の点火者に
@ロシアと日本の突出性
プーチンのロシアと安倍・岸田の日本が世界危機、世界戦争の点火者となっている。両者の共通性は第1に経済的没落にある。ロシアはいまやGDPで中国の10分の1程度になっている。日本は、1人当たりGDPで2007年にシンガポールに追い抜かれ、2014年に香港、2022年に台湾に、2023年には韓国にと、東アジアのNIES(新興工業経済地域)の「4小龍」の全部に追い抜かれている。
第2は両者の「地政学的」孤立である。日本は、安倍=勝共体制(注3)の下で、中国・ロシア・韓国・朝鮮民主主義人民共和国(DPRK)など、周辺のすべての国を敵に回す政策を取りつづけ、排外主義と孤立感が国全体を覆っている。ロシアはウクライナに対する侵略戦争でこれも孤立感を深めている。旧ソ連圏諸国の軍事同盟・集団安全保障条約機構(CSTO)の中でロシアを支持する国はベラルーシだけになり、イスラム圏の国々は、カザフスタンやタジキスタンなどが中国との関係を深め、アゼルバイジャンやカザフスタンは原油・天然ガスをロシアのパイプラインを通じて輸出することを拒否し、トルコ経由で、またはインドへのパイプライン建設を通じて輸出することを決めている。
第3に、日・露両者はこの没落と孤立を打破するために突出した現状破壊に打って出ている。ロシアの場合、それは「ユーラシア戦略」であり、日本の場合、それは「インド・太平洋戦略」である。ともに、本当の世界戦略にはなりえない疑似世界戦略である。
A米・中の覇権は不可能
日・露が突出する背景には、米・中が単独でまたは共同して覇権を握ることがともに不可能な現状がある。米帝は、2021年のアフガニスタンからの敗退を機にイラク・シリアからも撤退せざるをえず、ドル危機もあり、資源戦略でも防衛的に対応せざるをえない。サウジアラビアが中国の仲介でイランと復交したことが中東・石油戦略でまったくヘゲモニーを発揮することができない米帝の現状を浮き彫りにしている。
中国は建国100周年の2049年まで自らは途上国であるとして、「グローバルサウス」の代表として自らを押し出そうとしている。「一帯一路」にしても投資と援助の経済関係を軸に同調国を獲得することに力点があり、覇権を主張するには及ばない。
米中関係は、オバマ末期からトランプ大統領の過程で関係悪化が目立ったが、経済関係に限定されてきた。ネオコンや米軍部、軍産複合体の御用研究者が対中国の軍事的緊張をあおっているが、米大企業、とくに銀行やIT産業は中国との関係を切る「デカップリング」に反対している。サプライチェーンの切断は米大企業に対する打撃が大きいからだ。
BNATOと日米安保の変質
2021年のアフガニスタンでの敗退は戦後史を画する事態であった。米国とNATO加盟国が戦後初めて米防衛のための集団的自衛権の発動の形をとって全加盟国が参戦し、20年に及ぶ長期の侵略戦争に敗れたのである。これ以降、NATOは米帝が軍事的覇権を主導する機関ではなくなっている。
それに対応して、日米安保体制は、いまや日本がアメリカの戦争に巻き込まれる装置から、日本の戦争にアメリカを巻き込む水路に変わり始めている。
その根拠と背景の解明は次章による。
V 米帝の衰退と中・露体制論
@バイデンの腰砕け姿勢
米帝の衰退は、政治的軍事的には2021年のアフガニスタンでの敗退が大きい。経済的には2008年のリーマン・ショックが決定打となった。ウクライナ戦争に関し、米帝の衰退を示す米大統領バイデンの発言がある。
「一体どうすれば、プーチン大統領が、その面子をつぶさず、政権も崩壊せず、しかしウクライナから撤収し、この戦争の出口を見つけることができるのか、日々、悩み苦闘している。」(2022年10月6日民主党の会合での演説)
ウクライナ戦争を主導する姿勢とは程遠い、帝国主義として腰が折れている。
ここまでの米帝の衰退は、(1)74〜75年世界恐慌に対する対応として新自由主義への転換を遂行し、(2)それを1個の世界体制にまで高め、(3)従来の資本関係の破壊を通じて新たな蓄積形態をつくりだしたことにある。問題はこの過程で、大量生産・大量消費の米製造業を支えたフォードシステムという労働者支配の形態が労働者の抵抗で崩壊したことである。ICT化やグローバリゼーションはその代償に過ぎない。米帝の世界的覇権の衰退はなによりも、国内労働者支配の破綻ないし困難化にあって、帝国主義間争闘戦での敗退やグローバリゼーション一般にあるのではない。
それでもなお米帝は世界最大、最強の軍隊を擁する帝国主義である。したがってこれを後ろ盾にしたり、軍事介入に引きずり込むことが帝国主義各国にとって重要な課題となる。(つづく)
(注1) この3つのイデオロギーと戦略については、『未来』354号(2022年11月17日付7面のプーチン論文批判を参照。
(注2)2002年NATO加盟国首脳会議にプーチン自身が出席、準加盟国として認められた。
(注3)『展望』29号塩川三十二論文28頁の注参照。
5面
朝鮮・韓国人への差別・排外主義許さない
東大阪で粘り強い闘い 6月17日に集会
超党派の集会の司会進行をする丁章さん(6月17日 東大阪市内) |
6月17日、東大阪市内で「東大阪で小学校教科書を考えよう!」集会がひらかれた。主催は、オール東大阪市民の会。
いま東大阪では民族差別が吹き荒れている。昨年2月、大阪府議会定例教育常任委員会で東大阪選出の西野弘一府議(大阪維新)が、朝鮮・韓国にルーツを持つ子どもたちのルーツ名を、朝鮮読みの「あだ名」だとして子どもたちのルーツを否定する質問をおこなう事態が起きた。これに対してオール東大阪市民の会は同年5月、ルーツ名を「あだ名」とする人権侵害発言の防止を求める陳情書を大阪府議会に提出して、これらの動きと闘っている。また野田義和東大阪市長は旧統一教会の友好団体で講演をしていたことも明らかになっている。
8月、教科書採択
こういう中で今年8月には東大阪市の小学校教科書採択がおこなわれる。東大阪では育鵬社教科書を11年かけて撤回させてきたが、新たな攻防が始まっている。
戦争がおきかねないキナくさい情勢の中で、国家の道具に教科書が成り果てかねない危惧を前にして、市民の力であらためて多文化共生という方向に事態を向かわせるためにこの集会は企画された。
各党のあいさつ
東大阪では今年9月に市議選と市長選がある。愛国心教科書の採択とたたかう政党として共産党の塩田清人市議、新社会党の松平要市議、れいわ新選組のいとうゆうき(東大阪市政策委員)から力強いあいさつがあった。
パネルトーク
「多文化共生に愛国心は要りません!」と題して多文化共生教育研究者の榎井緑さん、大阪市の公立学校で民族学級の講師をしている在日3世の梁千賀子さん等によるパネルトークがおこなわれた。
今回はヤン・チョナジャさんの発言を中心に紹介していきたい。ヤンさんは小学校低学年のとき乗っていた電車の中で「あんな悪いことをするやつは絶対朝鮮人や」という会話を聞いたとき心が凍りついたという。以後、朝鮮に関して一切言わないと決めた。今となっては笑い話だが朝日新聞の「朝」という字を見ただけでも心臓がドキドキしたという。精神的に不安定になり弟たちに暴力をふるったり包丁を振り回していたこともあったという。ヤンさんはこういう体験をしているがゆえに、自分のルーツを負担に思っている子どもがいてはいけないという思いで民族学級で多文化共生教育を続けている。
残虐な同化と排除
今、教科書には領土問題が大きく取り上げられている。竹島や尖閣諸島、北方領土が見開き2ページできれいな写真付きで記述されている。ルーツ名を「あだ名」と言って人権侵害をした西野府議は大阪府議会で「日本の固有の領土である竹島を韓国が不法占拠していると学習指導要領どおりに韓国籍の教員が教えているかを調べ、教えていない場合は追放しろ」と吉村大阪府知事に要求する事態が起きている。これには維新の吉村知事でさえ「追放するというのは学校の教育とは違うのではないですか」と言わざるを得なかった。しかし、今後どうなっていくか予断は許さない。
在日3世のルーツをもつ教員であるヤンさんは、西野府議の発言は在日に同化を押し付け、同化をしない在日の教員を排除するもので、こんな残虐なことはないという。
西野発言は愛国心教育を強める国の施策と表裏一体だ。日本人の側こそがこれを押し返していくために、在日を含めた多くの人たちとともに闘わなければならない。日本人こそが問われている。
多文化共生社会
司会の丁章さんは、「教育は本来、子どもたちが、考え、学び、成長する力を自ら養うためのものです。日本国民であろうと外国籍であろうと、どんなルーツを持っていようと、一人の人間として自己実現する権利を持っているはずです。多文化共生教育とは、その一人一人の権利がいかに大切かを明らかにし、保障していくものであることを教えるものでなくてはなりません」と思いを語った。
愛国心と多文化共生は真逆の価値観である。さらに多くの人たちとともに在日への残虐な同化と排除を押し返し、多文化共生社会を実現するためにたたかっていくことが求められている。(三船二郎)
第5回大逆事件サミット開催 5月27日神戸
権力犯罪を撃つ志
コロナ禍のりこえ全国から140人が集まった(5月27日、神戸市内) |
大逆事件100年を契機に、大逆事件の関係地の人々が集う全国集会=サミットの第5回は、5月27日〜28日に全国から140人が神戸に集まり開催された。受け入れたのは5年前から神戸の犠牲者を明らかにする活動を始めた「大逆事件を明らかにする兵庫の会」。コロナ禍で延期になっていたが、その間に神戸の犠牲者、岡林寅松・小松丑次(いずれも無期懲役、20年で出獄)の足跡が明らかになり、1日目の全国集会、2日目のフィールドワークと実りあるサミットとなった。
中村、新宮、大阪、岡山、福岡、長野、東京など全国から集う
神戸空襲犠牲者の碑。井上秀天の名もある(大倉山公園・神戸市中央区) |
サミットには幸徳秋水の地元中村(現四万十市 第1回・2011年)の「幸徳秋水を顕彰する会」をはじめ、福岡・みやこ町(第2回)の「堺利彦、葉山嘉樹、鶴田和也の3人の偉人を顕彰する会」、大阪(第3回)の「管野須賀子を顕彰し名誉回復を求める会」、和歌山新宮(第4回・2019年)の「大逆事件の犠牲者を顕彰する会」をはじめ、長野(明科大逆事件を語り継ぐ会)、京都丹波(岩崎革也研究会)、岡山(森近運平を語る会)、東京(大逆事件の真実を明らかにする会・全国事務局)など、大逆事件で犠牲になった人々の出身地をほぼ網羅して開催された。
記念講演としては、神戸の大逆事件の実相を明らかにした上山慧関学大講師が岡林・小松の足跡を語った。また山泉進明治大名誉教授が、神戸が当時資本主義が発達する町で、2人はその労働者街で社会主義の研究・活動を始めていたことを明らかにした。
つづいて全国各地の会からの報告。中村からは再来年は坂本清馬の没後50年にあたり記念碑を建設すると報告され、福岡からは関東大震災で犠牲になった伊藤野枝を顕彰する連続行事が紹介され、また岡山井原からは2年後のサミット開催の方向性が示された。
事件から110年以上たってもこの国から権力犯罪がなくなることはない。明治期に犠牲になった人々を顕彰する研究・行事は、優れて現在の権力犯罪を撃つものに他ならない。
小松丑次・はる、岡林寅松らの足跡尋ねる
兵庫区夢野橋界隈 この奥に小松はるが鶏飼いをしていた場所があった |
2日目は、この5年で大きく明らかになった神戸の犠牲者たちの足跡を尋ねるフィールドワークだ。午前10時、小松の妻=はるが晩年世話になった神戸多聞教会の前(神戸大学病院正門)に30人近くが集合。多聞教会は兵庫の会の飛田雄一共同代表(神戸青年学生センター理事長)が所属。古い資料をたどると小松はるが晩年貧困のなか身よりもなく多聞教会で世話になった(1960年代まで生きていた)ことが判明。今の社会運動とつながっているのだ。
次いで「神戸平民倶楽部」で小松・岡林らと一緒に活動し、神戸空襲の犠牲になった井上秀天が記録されている碑文を訪ねた。そして荒畑寒村や堺枯川、大石誠之助、森近運平らも訪ねてきていた「夢野橋」「熊野神社」界隈へ。さらに小松が獄に囚われているさなか、生活のためはるが鶏飼いをしていた地点へ。今は市営住宅で神戸大逆事件を示すものは何もないが、1900年代、日本の初期社会主義者たちが住み活動した面影が、神戸市兵庫区夢野橋界隈には漂っている気がしたフィールドワークであった。(松田耕典)
6面
長期・読み切り連載 大庭伸介
先人たちの闘いの成功と失敗を学び現在に生かそう
左翼労働運動が登場
全労働戦線を牽引して大活躍C
争議団の旗(「中澤支部」は日本楽器支部をさす) |
「俺達の指導部は健在だ!」
非合法下のアジト・細胞・争議日報
1926年5月29日、日本楽器争議にたいして国家権力の指示により一斉大弾圧がおこなわれた。鍋山貞親をはじめとする指導者や応援者たち、各班の班長クラスが根こそぎ検挙された。一般争議団員は途方に暮れてしまった。
だが三田村四朗だけは難を逃れた。三重県の松阪に、争議団が食べる米の調達に行っていたからである。同年3月、松阪木綿垣鼻工場の争議指導に赴いて農民組合に信頼され、その縁をたどって出かけていたのである。
急を聞いて浜松に舞い戻った三田村は直ちにアジトを定め、謄写版と紙を買って一斉検挙を糾弾するビラを作った。官憲の警戒網をかいくぐって争議団の手に渡すことに成功した。ビラを手にした争議団は「俺達の指導部は健在だ!」と喜び、動揺は収まった。6月2日には農民組合三重県連(ほとんどが被差別部落民)から、20俵の米が届いた。
浜松を追放された幹部たちのうち、大阪地評の斎藤は浜名湖の北岸を徒歩で浜松に戻ってきた。三田村の連れ合いで大阪地評婦人部長の九津見房子は一旦東京に逃れ、丸まげに結って浜松入りした。
地下の移動司令部のアジトは、三田村と関東地評争議部長の南喜一で固めた。その下で大阪一般労働者組合教育部長の山辺健太郎がガリ切りを担当した。房子は生活を支え、さらに浜松合同の活動家が交替で1人ずつ、計5人が起居を共にした。
新しい組織「細胞」が作られた。争議団のなかの秘密の青年特別行動隊である。メンバーは各班から何人かがアジトの指名で選ばれ、アジトと一般争議団員を結ぶ役割を担った。県下各地や全国から駆け付けた全日本無産青年同盟の活動家たちは、細胞を準同盟員と位置づけて指導に当たった。
アジトが最も重視したのは『争議日報』であった。すでに5月11日頃から発行されていたが、アジトが確立されてからはほぼ毎日発行された。半紙大(ほぼB4サイズ)の紙に赤色のインキで印刷され、会社や官憲の動き、アジトの方針などを一般争議団員に伝達する役割を果たした。原稿は三田村が書き、浜松合同の全組織に配布された。アジトと細胞と争議日報を軸にして、新しい態勢が確立されたのである。この争議以降、評議会系の争議では「楽器争議のように闘おう」が合言葉になったが、実際におこなわれたのは争議日報だけであった。
警察の取締りは一段と厳しくなった。各班の詰所に毎日踏み込んで、遠州弁を使わない者を検束し、争議団員が7人以上集まることを禁止した。
争議団は警察の禁止令を無視して、連日のように会社と一体になった官憲の攻撃を糾弾するビラをまき、演説会を頻繁に開催した。警察の争議団にたいする検束はエスカレートする一方であった。小学生の間に「検束ゴッコ」や革命歌が流行し、警察署長が市内の各小学校にたいして、それを取り締まる警告文を発送したほどであった。
地域ゼネストの放棄と政治的背景
国家権力が評議会の全組織を弾圧
地域ゼネストはその後どうなったのか。地方都市の争議であるために地域ぐるみの闘いに発展しやすいし、勝敗のカギは地域ゼネストを貫徹できるか否かにかかっていた。しかし、6月3日の「総示威行動」そして5日の「総応援デー」の提起と後退していった。なぜ全市ゼネストは中止されたのか。アジトが早期解決路線に方針転換したからである。
その背後には日本共産党の再建問題があった。1922年11月コミンテルン(共産主義インターナショナル)に日本支部として承認された日本共産党は、24年に解党を決議してコミンテルンから痛烈に批判された。この争議が展開されていた当時、コミュニストグループを作って党の再建途上にあった。
コミンテルンの日本駐在員ヤンソン(駐日ソ連大使館員)を含むコミュニストグループの拡大ビューロー会議は共産党の再建を急ぐため、日本楽器争議を速やかに解決することを何回も確認している。現実の階級闘争の鉄火のなかから党を創るという原則を放棄した召還主義に陥っていたのである。
評議会本部の実質的留守責任者の国領五一郎はそれを受けて、再三にわたり三田村にその旨を伝えた。だから三田村はあせっていた。彼はこの時点ではコミュニストグループに加わっていなかったが、コミュニストを自任し入党を勧誘されていた(入党は争議解決後の同年10月)。
アジトは争議団に好意的な前代議士高柳覚太郎とその系統の有力者たちに働きかけて、争議解決促進連盟を作った。促進連盟は市内の五社神社演武館で市民大会を開催するなど、早期解決に努めた。しかし社長の天野はこの動きを一切相手にしなかった。
三田村はいくつかの争議収拾ルートのうち、三井物産出身で政界の重鎮である山本条太郎の線に最も期待をかけた。日本楽器のプロペラ生産に着目した山本は争議団代表と会い、かなり好条件の解決案を示した。7月29日、山本が社長を訪問したが、天野は調停を拒否し、翌日山本に打電して争議に関与しないように懇請した。
一方それより早く、権力者の側から調停の動きが始まっていた。7月9日、協調会[注]理事の添田敬一郎が来浜し、社長と具体的な解決条件を協議している。
添田による争議の調停は、過去の例から労働者側の敗北に終わることが多かった。にもかかわらず三田村は評議会委員長の野田律太に、添田と協議することを要請した。野田は争議団の解決案をもって添田と会見したが決裂している。すでに7月15日、添田は社長と会って、350人の解雇・総額3万円の解決金を骨子とする合意を成立させていたのである。
こうした動きとは別に、全国各地の主要都市や市内の寺院・民家・工場などで応援演説会が頻繁に開催された。戦前の労働争議でこの争議ほど多くの演説会が開かれた例はない。
7月16日には会社監査役小竹宅にダイナマイトが投げ込まれる事件が起きた。新聞各紙は大々的に報じたが、ダイナマイトの雷管が外してあったので不発に終わった。争議団は何事もなかったように、6月26日から始めた行商活動などを続けている。同日おこなわれた一連の襲撃事件は、無産青年同盟のメンバーが南の黙認のもとに実施したものと推測される。また同日おこなわれようとした警察署の焼き打ちには争議団も参加している。しかし準備不足のため未遂に終わった。
この間、アジトは町外れの民家を転々と移動し、三田村の神出鬼没の行動は、彼を検挙しようと必死の警官に散々煮え湯を飲ませた。
7月下旬には、争議団のなかから会社の裏切り工作に応じる者が年配層や所帯持ちを中心に半数近くに達していた。
7月27日、県警察部長は内務省と司法省に出頭して対策を協議している。その2日後、ついにアジトが急襲され、三田村と南が逮捕された。さらに8月2日には、東京・大阪をはじめ評議会の中央・地方の幹部が一斉に検挙された。このような弾圧は戦前・戦後の争議をつうじて全く例を見ないもので、国家権力の決意の程が示されている。評議会の機能は完全にマヒし、辛うじて機関紙『労働新聞』が地下を転々としながら発行された。
8月8日、野田と争議団代表が添田と会見し、「添田案」にもとづく「覚え書」を承認した。その前日、添田は県工場課長、市長、警察部長、社長、日本主義労農同志会代表らと折衝し、「添田案」による「覚書」を確認している。かくして3カ月余にわたる日本楽器争議は労働者側の惨敗に終わった。
これを境に、浜松地方の労働運動は火が消えたようになった。このような結末を招いた原因は一体どこにあったのか。
第1に、地方都市の消費財メーカーの争議にたいして、2度にわたって国家権力中枢の指示による一斉大弾圧がおこなわれた背景を、評議会やアジトが全く認識していなかった。長期にわたる慢性的不況から脱出しアジア侵略によって帝国主義列強との市場争奪戦に勝ち抜こうとする帝国主義ブルジョアジーとその権力にとって、共産主義者を自任する者が指導する左翼労働運動がこの争議の勝利を機に全国的飛躍をめざすことは、絶対に許容できなかった。しかし指導部はこのような認識を欠き、半世紀を経た後の私の取材においても同様であった。
そして強烈な天皇制イデオロギーの持ち主である社長天野の特異性を認識できず、彼の不退転の決意が国家権力を動かした構造を見とおすことができなかった。
第2に、指導部が代行主義・請負主義に終始したことである。各班の班長が司令部の指名によって決められたのはその典型である。『争議日報』も上から下への一方的伝達だけで、一般争議団員の生の声や内面の悩みなどは一切反映されていない。
第3に、活発におこなわれた学習活動が、実践行動と結合していなかったことである。争議団が展開した諸行動がどのような意味を持つのか、大衆討議のなかで確認されたうえでおこなわれたものではなかった。ストライキというこれ以上望めない階級闘争の実物教育の真只中で理論と実践を意識的に統一していくことによって、はじめて思想が血肉化され、自主的な活動家が生まれ、階級形成の第一歩を踏み出すのである。3カ月以上にわたる激闘を経てなお、自立的活動家を1人も生み出さなかったのは、この点に起因する。
とまれ、全く労働運動の経験のない労働者が3カ月余にわたって、資本と権力の十字砲火に耐え抜いて奮闘したことは、いくら称賛しても称賛し切れない。 (この項終わり)
[注]
協調会は米騒動の翌1919年、内務省の外郭機構として発足。社会運動の調査や争議の仲裁・調停をおこない、後に産業報国運動を推進。
[参考文献]大庭伸介『浜松・日本楽器争議の研究』五月社
7面
強制不妊 6月1日仙台高裁控訴審で国賠請求を棄却
「優生保護法問題の早期全面解決を」に逆行する大反動
「正義・公平の理念」、「除斥期間」適用制限、国賠命令―22年2月大阪高裁判決以降の司法判断を全否定(上)
木々繁
旧優生保護法(以下旧法。1948〜96年)の下で1960〜70年代に不妊手術を強制された宮城県の女性2人が計7150万円の国家賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、仙台高裁(石栗正子裁判長)は6月1日、「旧法=違憲」と判断しつつも原告の請求を退けた一審仙台地裁判決(2019年5月28日、中島基至裁判長)を支持し、原告の控訴を棄却した。原告は、全国で初提訴(18年1月)した佐藤由美さん(60代)と被害者で初めて声を上げた飯塚淳子さん(70代)〔いずれも仮名〕。
旧法を巡る全国の訴訟で、高裁レベルの国賠命令が22年2月大阪高裁以降4件続いたが、国の賠償責任を免罪した高裁判決は今回が初めて。6月9日、2人の原告は、判決を不服として、最高裁に上告した。一連の訴訟で、原告側の上告は初めて。
飯塚さんの半生と人生被害は、報告集会等でのご自身の述懐と訴状等によれば・・・。
宮城県の貧しい家庭の7人きょうだいの長女として生まれた。障がいはないものの近所の民生委員から「生活保護を受けていると優生手術を受けなければいけない」と言われ、中学3年で県内の特別支援学校に転校させられた。卒業後、住み込み先の「職親」から日常的に暴力を振るわれ、「バカ」などと言われながらほうきでたたかれることも珍しくなかった。
県内の知的障害者施設を卒業し、16歳だった1963年頃、何も知らされないまま手術を受けさせられた。診療所に連れて行かれ、ベンチでおにぎりを食べていると、急に眠くなった。気がつくとベッドの上で、下腹部には見覚えのない大きな傷があった(*)。
(*)当時厚生省通達が「優生手術の実施には麻酔、欺罔〔だますこと〕も可」としたことによる手術と思われる。
半年後、両親が「子どもを産めなくなる手術をした」と話しているのをたまたま耳にした。「自分の人生がまるっきりなくなってしまった」。あこがれだった「普通の家庭を築く」という夢が絶たれたと思った。不妊などを理由に3度の離婚を経験し、4人目の夫は手術について知ると家を出ていった。「子どもを産める体に戻せないか」。東京の病院で何度も相談したが、結果は変わらなかった。「この手術さえ受けなければ、もっといろいろな幸せがあったはずだ」。
97年、父親から優生手術だったことを打ち明けられ、県に手術に関する資料の開示を請求したが、県は「処分して存在しない」との対応だった。旧法の母体保護法への改定(1996年)直後の97年、「優生手術に対する謝罪を求める会」とともに、国の謝罪と補償を求める活動を始めたが、厚生省(当時)は「当時は合法だった。謝罪も補償も応じない」と門前払いだった。宮城県に手術記録を廃棄されて提訴できず行き詰まっていたが、2013年8月、新里弁護士に相談し、15年6月に日弁連に人権救済の申し立てをした。報道で知った佐藤路子さんの支えで、優生手術を受けた知的障害をもつ義理の妹の由美さんが被害を名乗り出て、手術記録の開示請求と確保を経て、全国最初の原告として仙台地裁に提訴。その後、飯塚さんが持っていた記録を基に宮城県が手術被害者と認定したことで、同年5月に飯塚さんも提訴し原告に加わった。
佐藤由美さんについて義姉の佐藤路子さん(仮名)は次のように語る。
重い知的障がいがある佐藤由美さんは15歳のとき、何の説明もなく旧法に基づき不妊手術を受けさせられた。手術後、腹部にたびたび違和や痛みを訴え、20代で入院。卵巣の組織が癒着する悪性の卵巣嚢腫と診断され、右卵巣の摘出を余儀なくされた。
20代で縁談が持ち上がったこともあったが、子どもを産めないことが理由で破談になった。路子さんは由美さんの兄と結婚して約40年間、年の近い由美さんと一緒に暮らし、成人式で晴れ着を着た由美さんに付き添うなど苦楽をともにしてきた。「障がい者への差別がない環境で育っていれば、違う人生があったのでは」と何度も感じてきた。路子さんは由美さんに代わって2017年6月、県に手術記録の開示を求め、国の責任を問う準備を進めた。 手術記録が見つかり、県の審査を経て県北部の病院で1972年12月に当時の病名で「遺伝性精神薄弱」を理由に手術したと明記されていた。
幼い日に受けた治療の後遺症で知的障がいになったのに、資料には「遺伝性」と記載されていた。ずさんさに憤った。18年1月、由美さんを原告として全国初となる訴訟を仙台地裁におこした。由美さんは自分がされたことを詳しくは分かっていないものの、自分のために路子さんが闘っていることは理解し、「お姉さん頑張って」と声をかけてきたこともあったという。
2人の提訴後、同様の訴えが相次ぎ、これまで全国12地裁・支部で35人(23年5月30日時点)が裁判を起こした(*)。
(*)今年6月2日、福岡県の聴覚障がいがある70代の夫妻が、旧法下で不妊手術を強いられたのは憲法違反だとして、計4000万円の国家賠償を求め福岡地裁に提訴した。
同じく6月2日、北海道石狩地方に住む男性(93)が「20歳のころ、説明もなく不妊手術を強いられた」のは憲法違反だとして、3300万円の国家賠償を求め、札幌地裁に提訴した。男性は「同じように不妊手術を強いられた人たちに良い影響を与えられたらいいと思い、提訴を決意した」と語った。北海道での提訴は3件目。
さらに、徳島県での提訴が報道されている(*提訴の年月日は不明)
国に顔を向け、被害者には背を向けた判決
裁判長は「控訴人らの本件控訴をいずれも棄却する。事実及び理由の読み上げは、省略する」と主文を読み上げると、判決理由についてはひと言も触れずに退席し、閉廷した。わずか30秒。驚きとショックが法廷を走り、しばし声もなかった。数瞬ののち、「ひどい」、「何だこれは」、「きちんと説明してくれ」、「ふざけるな」・・・・の嘆息と怒声・・・。
まさにそれは、今次判決の反動的本質を象徴した光景だった。
次の判決文はその本質を粉飾するためのペテン的レトリックの一例である。
「本件優生手術が、憲法14条に反する旧法の条項に基づいてされたものであり、厚生大臣の指揮監督のもと、全国的かつ組織的に実施されていたこと、優生思想の普及が図られていたことから、手術の対象とされた者が賠償請求権を行使することが困難だったということはできるが、控訴人らが権利行使することが客観的におよそ不可能であり又はその行使の機会がなかったとまではいえない」。
判決は、そのどこにも原告がいつどの時点で違憲な法律に基づく手術を認識して被害を訴えることができたかはひと言も触れず、このように断定したのである。国が現在まで違憲性を認めていないことを何ひとつ問うことなく、原告側に「提訴=不可能」の証明を求める理不尽である。
原告とともに勝利するまで闘い抜くことを誓う
判決後、仙台弁護士会館で開かれた報告集会には100人余が参加。会場には、「命に優劣はない」「国は逃げるな」など多数の応援メッセージが寄せ書きされた支援団体制作の横断幕が掲げられた。会場の状況は全国にオンライン配信された。
飯塚淳子さん
(ハンカチで眼を押さえ、沈痛な表情で)「ショックが大きすぎてあまりしゃべれません・・・」、「(不妊手術を受けた当時について)子どもだったので優生保護法を全く知らなかった。とても残念です」、「私たちは人生を奪われました。国はきちんと誤りを認めて謝罪と補償をしてもらいたいです」
佐藤由美さんの
義姉・路子さん
「なぜ仙台だけこんな判決が出せるのか。被害者が置かれた状況を何も理解していない非情で最悪の判決だ。しかし、ここで終わってはいけない。もっともっと議論を進めていかなければ社会には伝わらない。まだまだ闘い続けます。障がい者差別がなくなるように、手術をされて声を上げられない人が、声を上げやすくなるように」
新里宏二弁護団長
(優生保護法被害全国弁護団共同代表)
「被害の実態に向き合わず、現実離れした判断で、誰も救済されないことになりかねない判決だ。なんとか被害者を救おうとしてきたこれまでの各地の裁判所が除斥期間の適用を制限する判決を積み上げてきたが、その流れを無視する判決だ。一体どこを向いて判決を書いているのか。同じ法曹として全く信じられない。(不当判決を)打ち破るべく闘っていく。旧法が違憲で非人道的被害であることは揺るがない。今回の判決でさえ違憲な法律と認定している。国の責任は明らかだ。今すぐ解決すべき政治課題として向き合うべき時だと訴えていきたい」。(つづく)
8面
マイナンバーカード返納を
ロックアクションが御堂筋デモ
7月6日
7月6日、大阪市内で毎月「6の日」定例の「戦争あかん! ロックアクション」がひらかれ、西区の公園で集会の後、御堂筋をデモ行進した。(写真)
マイナンバー返納
冒頭、ロックアクション共同代表のあいさつで山下けいきさん(大阪府茨木市議)は、「先の国会は、戦争するための法案だらけだった。戦争するための自衛隊がだんだんはっきりと見えて来た。すべてをマイナンバーに集約しようとして大混乱が続いている。透けて見えるのは徴兵制。失敗することが分かっていながら止められない。マイナンバーカード返納運動で、国葬反対の時以上のもりあがりをつくろう」
維新の伸長を止める
〈どないする大阪の未来ネット〉は、「どれをとってみても大きな政治課題、国策転換の課題が国会を素通りしてしまった。非常に危険。最大野党がダメだから、市民の政治不信が高まっている。維新の会がそのすきをついて、もっと右翼的な再編をしている。大阪市議会の議員定数11人削減(81→70)し、デジタル庁の参事官を大阪府の副知事に任命した。背景は大阪からマイナンバーカードを普及させていくことだ。維新の浅田均は、低所得で住民税の納税義務からはずれている人からも、マイナンバーで全個人情報をひも付けし、百円でも千円でもむしり取るため、マイナンバーに全ての個人情報を紐付けせよと主張している。岸田内閣打倒、維新の伸長を止める体制をつくろう」
馬毛島に自衛隊基地建設
〈南西諸島への自衛隊配備に反対する大阪の会〉は、「種子島の西側にある馬毛島で、2月から自衛隊基地の建設工事が始まった。種子島には労働者が大量に来て、コンテナハウスが激増。今後、最盛時6千人の労働者がくる。
馬毛島を軸に九州の自衛隊が再編。鹿屋基地に米軍の無人機を配備、佐賀空港に陸自の駐屯地をつくってオスプレイ17機を配備、ヘリコプターも約50機配備。現場では連日、工事に反対する抗議行動が闘われている。大阪からも馬毛島基地反対の声をあげていこう」
改悪入管法、廃止へ
仮放免者の会は「6月9日、改悪入管法が成立した。難民認定申請者を強制送還しやすくするなどの改悪だ。法案は通ってしまったが大きな反対の声がひろがった。施行は来年6月。それまでに改悪法廃止するためにがんばろう。それから、在留資格を獲得することが強制送還阻止の近道。今後、署名や街頭行動が呼びかけられるので、一緒にたたかおう」
津久井やまゆり園事件7周年
ケアマネージャー労働者は、「7月26日に神奈川県相模原市にある障碍者施設で、19人の方が殺害されて今年で7年。26日には大阪で追悼アクションがある。午後6時半、難波の元町中公園集合。
命の選別をしないようにというのは建前で、今の日本社会では、命の選別をしている。私は以前、神奈川県の知的障碍者入所更生施設で働いていた。そこで見た光景は、職員が知的障害者を殴って黙らせる、これが当たり前。数の少ない職員で多くの入所者の面倒を見る、これが優秀な職員だとされ、入所者の人権を考えている職員はどんどんやめた。残った職員は利用者を殴って、だまらせて怖がらせて、一晩何も起こらなかったことにできる職員が優秀な職員だとして居座る。それが日本の昔からの福祉の現状です。人権もくそもない、選別されてるんです。
これを変えなかったから、2016年の相模原事件につながった。私たち皆がそういう状況を許していた。26日に、当事者の声を聞いて下さい」
集会後、御堂筋をデモ行進。若者や外国人観光客らから注目を浴び、あちこちでスマホ撮りが。
高見元博著 批評社刊 1800円+税
『重度精神障害を生きる』を読んで
著者と私が同じ運動体で共に闘ってきた歴史は結構長い。
本文60ページにある、二度目の首切り対して人事院公平審から裁判闘争に打って出た1994年からだから、実に29年間にも及ぶ。そんな長い間同志として闘ってきた著者のことを私はどれだけ理解していただろうか。もちろん著者が精神障がい者であることは知っていた。そして、職場でのバイク振動により頚腕、腰痛症を発症し長期休職を余儀なくされたこと、また組織活動の中で発病に追い込まれて行ったことも聞いていた。しかし、この本の第1章を読んで著者が若いころ腎臓病を患っていたこと、精神病に関しても良い医療に巡り合えず苦労しつつ、高校、大学時代そして郵便局に就職してからも闘い続けてきたことを初めて知ることができた。著者の人生をかけた闘いにまずは改めて敬意を表したいと思う。
私は労働組合運動に携わるものだが、この本のマルクスの思想に基づく「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」という障がい者解放の基本理論とも言えるところにこだわって研究されていることに感銘を受けた。(ドイツ革命の敗北やロシア革命の変質についての記述の部分は、私などは著者の足元にも及ばないような知識しか持ち合わせていないのでこの部分については「勉強させてもらいました」としか言いようがないが)この部分は、今の労働組合に決定的に欠けているところではないだろうか。もちろん労働組合は組合員の生活向上のため、資本家との圧倒的に不利な力関係においてその地位向上、対等な立場に立つために存在していることは間違いない。しかし、本当にそれだけで良かったのだろうか。本文にもあるようにマルクスは「アイルランドの解放がイングランド労働者の解放のための第一条件」「最も賃金の低い労働者の労働条件に注目すべき」であると言った。今の日本の労働運動の低迷に比して欧米各国、アジア諸国では労働運動は高揚している。私も今の自公政権、露骨に権力を振るい、差別を煽る政治に対する反対運動の高揚こそが労働運動の再生に繋がると考えてきた。著者も社会運動と労働運動の連帯が今こそ必要であると言いたかったのではないかと思う。「資本主義社会にとって資本の価値増殖の役にたたない者」(108ページ)として差別、抑圧されてきた障がい者解放運動と労働運動の連帯こそが求められているということに改めて気づかされたと思う。
最終章「木村英子さんとおしゃべり会」の「全体的な総括」(211ページ)で、参加者の感想として「現職の労働組合からの参加がなかった。〜」との発言にあるように、障がい者解放運動から労働運動への手は差し伸べられていて、連帯を構築する闘いは始まっているのだ。一労組活動家としてこの闘いを進めていきたい。もちろん組合員の生活向上のための闘いも決して手を抜くことなく。
労働組合運動に携わる活動家に一読を勧めたい。
(佐々木伸良/関西合同労働組合)
関生弾圧 6月29日大阪高裁
地位確認等訴訟
解雇無効の勝訴
6月29日、「吉田生コン解雇事件」の控訴審判決があり、大阪高裁(寺本佳子裁判長)は、1審判決(奈良地裁)を維持し、吉田生コンがおこなった関生組合員Yさんへの2度にわたる懲戒解雇はいずれも無効とした。
2019年4月、大阪広域協組と結託した吉田生コンが、関生排除を目的に関生組合員のYさん、Fさんを理由もなく懲戒解雇した。これに対しておこなわれた仮処分申立で、奈良地裁は20年4月に解雇無効の仮処分決定を出した。
ところが、吉田生コンは同年9月、Yさんが前年7月に、別の加茂生コン事件で不当逮捕されたことが「企業外非行行為[注1]により会社の名誉・信用を著しく損な」うものだなどとして2度目の懲戒解雇(予備的懲戒解雇[注2])を強行した。しかし、加茂生コン事件では、すでに大阪高裁でYさんへの逆転無罪判決(21年12月)が出ている。
今回の控訴審判決は、「(吉田生コンは)会社の社会的信用が低下したなどと縷々主張するがYさんは当該刑事事件(=加茂生コン事件)において、無罪判決を受けているのであるから、仮に逮捕、勾留、起訴で会社の社会的信用が低下したとしても、これをYさんの責任とすることはできない」と断じた。
[注1]企業外非行
吉田生コンの主張では、企業外とは、「吉田生コン以外のところ」を意味し、非行とは、「会社の名誉・信用を著しく損なう行為」を指す。
[注2]予備的懲戒解雇
懲戒解雇は何度でもおこなうことができるので、当初行った解雇が無効とされる可能性がある場合は、別の事由による解雇を予備的に言い渡しておくことがある。それを予備的解雇という。
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