未来・第367号


            未来第367号目次(2023年6月1日発行)

 1面  被爆地広島でG7サミット
     核武装と核抑止戦略正当化

     入管法廃案へ集会・デモ
     20日大阪
     22日神戸

 2面  安保3文書撤回求める
     5月19日 第90回19日国会前行動

 3面  改悪入管法は廃案へ
     参院段階も各地で連続的な行動
     5月9日大阪      

     5月20日東京練馬 難民・移民フェス
     支援に多数の市民     

     梅村みずほ参院議員(維新)が暴言
     「ウィシュマさんは詐病」
     人権侵害の巣窟=維新

 4面  5期目の当選果たした木村真豊中市議に聞く
     維新の公共財=コモン破壊と対決

     門真市議選を闘って
     ラストベルトに寄生する大阪維新
     生活に根ざした維新批判を

 5面  検証
     原子力による発電を終わらせたドイツの反原発運動
     津田保夫

 6面  ウクライナ「社会運動」との連帯を
     社会運動 (ウクライナ):2022年を振り返って 2023年1月7日土曜日、SOTSIALNYI RUKH

     投稿
     ウクライナの抵抗闘争を支持する論理と、日本の安保関連3文書反対・改憲阻止・安保破棄の論理

 7面  新たな沖縄戦を許すな!
     日本帝国主義の対中国戦争政治を打ち砕こう(中)
     島袋純二

     不当逮捕から60年を迎えて
     (石川一雄さんの不当逮捕から60年。5月23日狭山中央集会が開かれ、石川さんのアピールが出された)

     夏期カンパにご協力をお願いします
     革命的共産主義者同盟・再建協議会

 8面  長期・読み切り連載 大庭伸介
     先人たちの闘いの成功と失敗を学び現在に生かそう

     左翼労働運動が登場
     全労働戦線を牽引して大活躍@

                 

被爆地広島でG7サミット
核武装と核抑止戦略正当化

G7広島サミット(米、英、独、仏、伊、カナダ、日)が5月19日から21日まで広島市内で開催された。連日、市内では多数の集会デモがおこなわれ、世界各国から闘う仲間が入国規制をうちやぶり参加した。

海外からの参加者を先頭にサミット粉砕の声あげる(5月19日、広島市内)

19日の抗議行動

サミット初日、各国首脳が原爆資料館を訪問している平和公園に向かって、抗議のデモがおこなわれた。主催は、G7広島サミット反対現地デモ実行委員会。
当初、実行委員会は、平和公園の南側道路を西から東へ、さらに公園東側を北上するデモ申請をしたが、広島県警はそのコースを認めず、もうひとまわり外側のコースとなった。

出発集会

デモ前の集会は、平和公園の西南方向、中区の舟入第1公園でひらかれた。
沖縄からかけつけた具志堅隆松さん(沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」代表)は、G7や岸田のやることをみていたら、このままでは沖縄が戦場になる。戦争を絶対おこさせてはいけないとG7広島サミットを弾劾した。(写真下)
山口被爆2世の会は、「米帝の広島への原爆投下を許さない。私たちは2度とアジアの民衆を侵略・虐殺してはならない。日米韓は核共有を狙っている。核兵器を廃絶しよう」。
アジア共同行動首都圏からは、2月三里塚での市東さんへの強制執行阻止行動の件で5月11日早朝、仲間2人が(公妨)令状逮捕された報告があり、サミットを前にした予防検束弾圧を浮かび上がらせるものだ。
さらにミグランテ・ジャパン、全日建関生支部、参戦と天皇制に反対する連続行動、ピリカ全国実、米空母に反対する市民の会(小樽市)、フランスの共産主義者が発言した。

平和公園に肉薄するデモ

130人のデモ隊が12時45分、平和公園に向けて出発した。平和公園の周囲は、パネルで覆い隠され、中にいるのは警官隊のみ。周辺もいたるところに警察官が配置され、機動隊車両が連なっている異様な厳戒体制だ。
「G7は今すぐ解散しろ」「岸田は広島を(政治)利用するな」「バイデンは核のボタンを持って広島に来るな」とコールをあげながら進んだ。
デモ中、韓国からの仲間がマイクを握り「帝国主義は世界からなくさなければならない。アジアの平和のために共にたたかいましょう」とアピール。
平和公園周辺の路地は車止め(簡易バリケード)が設置され、いたる所に警官隊が立っている。車両通行禁止でも歩行者が歩いているエリアもあり、デモ隊は注目を浴びた。子ども連れの親子4人がデモ隊にスマホを向けながら、コールにあわせて拳をつきあげながらしばらく同行したり、「岸田は税金をあげるな〜」と呼応する通行人も。
デモ隊はアーケード街(本通〜金座街)に入り、道いっぱいに広がるフランスデモ状態に。終点の福屋(百貨店)前には街頭集会を終えてデモ出発を待っていたミャンマーの人たちが待機していてエールを交換した。

国際連帯フォーラム

デモ後、会場を広島駅東側の東区民文化センターに移して「国際連帯フォーラムin広島」が午後3時半から開催された。
韓国から連帯メッセージ(ビデオ映像)の後、海外参加者からの発言。台湾/労働人権協会、フィリピン/BAYAN(新民族主義者同盟)、米/ILPS(国際民衆闘争同盟)が発言した。
国内参加者からは、木村二三夫さん(アイヌ民族)、具志堅隆松さん、清水早子さん(ミサイル基地いらない宮古島住民連絡会共同代表)が発言。 質疑応答の後、国際共同声明が提案され、採択された。

全国交流会

その後、別室に移動し、全国交流会がおこなわれ、北は北海道、南は沖縄まで全国からの参加者のフリートークがあり、各地の報告、今後の抱負などが語られた。(写真右)

20日の抗議行動

サミット2日目、G7会合が開催されるグランドプリンスホテル広島に向かって抗議のデモが闘われた。ホテルが建つ宇品は、かつて旧日本陸軍の船舶司令部のある軍港だったところだ。

デモ出発集会

午後1時、グランドプリンスホテル広島から真北へ約6qに位置する千田公園(広島市中区)で抗議集会が始まった。
冒頭発言にたった清水早子さんは「絶対、沖縄を戦場にさせない」ときっぱり。
台湾の参加者からは「台湾の有事=日本の有事とあおっているが、台湾海峡両岸の問題は国内問題であり、〈一つの中国〉原則のもとで解決できる。台湾海峡の戦争危機があるとすれば、米日英などがあらゆる手段を通じて、中国(大陸)に対して戦争への誘導をしているということにある」とアピールした。

戦争をもてあそぶ岸田

宮古島の要塞化に反対する会は、「核の抑止力と言うが、被爆者の闘い、沖縄の闘いがあり、それが戦争や新たな原爆投下を抑止してきた。宮古島の要塞化ということですが、現場を見てくるとちょっとちがうんじゃないかと。要塞といえば、防御がまずあってそれから攻撃となるが、現場を見ると、防御なんて何にも考えていない。攻撃のみの態勢です。島民の生活、命なんか何にも考えていない。
今、中国を挑発して戦争に追い込んでいっているのは、アメリカではなく日本政府だ。アメリカの戦争にまきこまれるのではなく、日本帝国主義の戦争がアメリカを巻き込むかたちになっている。
では日本政府は戦争をやれる態勢があるのか。日本列島に林立する原発や、先日の自衛隊幹部を乗せたヘリの墜落などみれば、戦争をやる能力も態勢もない者どもが、いま『戦争だ』ともてあそんでいる。こんな危険なことはない。
昨日のデモ終点(福屋前)でミャンマーの人たちがスタンディング街宣をやり、その後デモをしたので参加してきた(写真 5月19日、広島市内)。かれらは『G7は、ウクライナのことは言うが、ミャンマーのことは一言も言わない。特に日本政府はミャンマー国軍を支援し、もっともひどい対応だ。こんなG7なんて許せない』という立場でデモをやってます。」

広島は侮辱された

地元の広島市民が飛び入りで発言した。「マスコミはG7サミットを市民が歓迎といっているが、反対の人もいる。つくられた報道だ。G7サミットを広島でおこなうなんて侮辱されたようなもの。みなさんと連帯できたらと思います」
関西から参加した学生は「これだけの警察力で守らなければならないことがG7サミットの本質を現している。サミット反対は戦争反対につながる。資本主義はイベントで民衆の生活を破壊して延命している。広島はかつて軍都、宇品は軍港だった。戦争や、環境破壊、イベントに頼らざるを得ない資本主義はもうやめよう」。 
フランスからの参加者は「G7は、新たな戦争を全世界でつくっていこうとしている。ウクライナのゼレンシキーを呼んだことは、新たな戦争の挑発だ。仮に戦争の当事者を呼ぶなら両方を呼ぶべきだ」。
フィリピンからの参加者は「フィリピンの民衆運動が米帝と戦い抜くことをここに宣言する。G7粉砕、米帝を打倒しよう」と訴えた。
ほかに、木村二三夫さん、連帯労組山口、反戦反天皇制労働者ネットワーク、AWCyouth、釜ケ崎パトロールの会、韓国から、米国からの参加者が発言した。

サミット会場へデモ

集会を終えサミット会場へ向かってデモ行進(5月20日、広島市内)

集会後、参加者140人は一路南へG7サミット会場めざしてデモ行進。電車通りを進むデモ隊に沿道の関心は高く、あちこちの窓からみる人、スマホを向ける人が。途中、2人の若者が飛び入りでデモに合流し、最後まで参加した。
デモは申請段階で警察が強硬姿勢で、結局サミット会場から北2・7qまでとなったが、G7に肉薄する戦闘的なデモとなった。

G7は解散せよ

G7サミットは、世界を分断し、戦争をあおり、貧困と格差を拡大する帝国主義者どもの集まりだ。この集まりは、台湾有事=戦争、朝鮮有事=戦争を作り出す。岸田は琉球弧へのミサイル部隊配備をやめよ。G7広島サミット開催をもって、岸田が戦争国家作りに突き進み、原発推進に暴走するのを許さない。対中国包囲網づくりの「安保3文書改定」にお墨付きを与える策動を許すな。大国の核独占と核抑止力の欺瞞を許さず、すべての核廃絶をめざして闘おう。国境を越えて団結し、もっとも抑圧された人々の側にたってたたかおう。

入管法廃案へ集会・デモ
20日大阪
22日神戸

平日昼間、50人が三宮センター街をデモ(5月22日、神戸市内日)
500人以上が集まり廃案へ向け行動(5月20日、大阪市内)

改悪入管法の廃案を求めて全国各地で行動が続いている。関西では4月連続行動に続き、5月9日に弁護士会中心の行動が大阪で(3面に記事)。
20日には難民救援を闘う市民団体が呼びかけ、500人が大阪扇町公園に集まり集会。国会議員が4人参加し、廃案と、梅村みずほ参院議員の暴言を弾劾した。若者グループを先頭に梅田までデモ行進。
22日には大阪の運動を担う弘川欣絵弁護士の要請で、神戸でも緊急集会・デモが。弘川さんは「法案は難民を殺すもの」と弾劾、デモでは道行く市民に廃案を訴えた。

2面

安保3文書撤回求める
5月19日 第90回19日国会前行動

「安保3文書撤回、軍拡・増税反対、南西諸島のミサイル配備反対、改憲発議反対、暮らしを守れ」第90回19日行動が、5月19日、雨の中1100人を集め衆議院第2議院会館前でおこなわれた。
開会あいさつの後、社民党、日本共産党、立憲民主党の議員が連帯あいさつ。沖縄の風からはメッセージが届いているとの報告があった。
続いて、「大軍拡・大増税反対署名」13万7132人分、「憲法署名」53万6363人分など、総数67万3495人分の署名提出セレモニーがおこなわれ、野党の代表に直接手渡された。

私たちは黙らない5月19日

その後、〈平和を求め軍拡を許さない女たちの会〉から、日本女医会の前田会長が発言した。
「昨年12月の安保3文書改定をきっかけに、新しい戦前という状況に危機感を感じ会が立ち上がった。防衛費を増やし、軍拡を進めることに強く強く反対したい。私たちは今、大きな歴史の転換点に立っていると思う。長年の平和主義を捨て、この国が軍事大国になってしまって本当にいいのか。このG7がおこなわれている最中に、殺傷能力のある武器を輸出できるようにしようとしている。こんなことは絶対にさせてはいけない。
私たちはこの5月に『私たちは黙らない!』という本を出版し、増刷も決まっている。井上ひさしさんが『憲法は国民が時の政府に向かって発する命令』と言っていた。政府の勝手な事情での改定を許してはいけない。まして戦争に突き進むことがベースとなるような改定は絶対に許してはいけない。私たちは戦争などしたくない。ぜひ、一緒に闘おう」。

全国で連帯を

次に〈辺野古新基地を造らせないオール沖縄会議〉と電話でつながり、連帯のあいさつを受けた。「辺野古新基地建設の断念を求める署名を呼びかけ、30万を超えた。私たちが体を張り、時間を使って辺野古新基地建設の断念を求めているのは、皆さんが何度も何度も国会前に集まっているのと同じ。地域を分断し、国民を分断しておこなわれ、犠牲を強いる国策は市民の連帯で止めなければならない。それが社会を維持していくことにつながると私たちは信じている。この国を健全な法治国家にしていくためには、私たち市民が全国で連帯していくことが必要。ともに頑張ろう」と述べた。

2年前の法案と同じ

続いて、〈移住者と連帯する全国ネットワーク(移住連)〉が発言。
「今回の入管法改定案は、2021年にウィシュマさんの死亡事件などがあって、世の中からもあまりに非人道的な入管収容所内での処遇や入管体制というものが明るみに出て、みんなの力で同年廃案に追い込んだ法案そのものだ。野党4会派は真に難民を保護し、在留資格のないすべての外国人の尊厳を尊重する法案を支持している。
政府の法案は、難民認定率が1%にも満たない、難民申請を繰り返しても不認定にされている現状において、3回目以上の申請者は送還してしまうという、命を奪う法案だ。ウィシュマさんの死亡事件で明らかになった収容制度の問題、国際人権法違反と再三勧告されているが、まったく変えることなく、支援者たちが監理・監督しなければならないという制度も作られようとしている。今回初めて、参議院に提出された対案と、政府の法案の平行審議がおこなわれている。そんな中で、維新・梅村議員によるウィシュマさんや支援者を侮辱する差別発言が起こっている。この審議に注目し、国会内外で大きな声を上げ、みんなで廃案に持っていこう」と述べた。

韓国から連帯メッセージ

続いて、19日行動への韓国からの連帯メッセージが読み上げられた。
「5月18日、日韓和解と平和プラットフォームは、平和で持続可能な未来に向けた日韓市民社会の各界有志の共同宣言を発表した。最近、日本と韓国政府との間でおこなわれている政治的妥協が日韓関係を悪化させ、東アジアの平和をむしろ脅かすこととなっている中、今日から広島でG7首脳会談が始まる。政治的妥協の動機になっている日米韓軍事協力強化を巡る論議は、G7会談で一層深められさらなる段階へと発展させられている。
現在起きている政府間の妥協は、両国の市民が望むものではない。私たちは平和で持続可能な未来を創るために、お互いに協力しながら連帯してきた。今こそ日本と韓国の市民が真実の平和に向けた明確な方向性をより力強く鮮明にしなければならないときを迎えている。平和憲法は、決して戦争が問題解決の手段ではないという共同の覚悟であり誓いだ。市民平和のアジアを作る道を日韓市民がともに歩んでいこう」と締めくくった。

3面

改悪入管法は廃案へ
参院段階も各地で連続的な行動
5月9日大阪

5月9日、衆議院本会議において改悪入管法が自民、公明、維新、国民民主4党多数により採決、通過し参議院に回された。12日、参議院で審議入り。
全国各地で糾弾の声があがっている。関西でも〈入管の民族差別・人権侵害と闘う全国市民連合〉に集う人びとが毎週金曜日に抗議のスタンディングをおこない、市民に訴え続けている。
5月9日には近畿弁護士連合会(大阪・京都・滋賀・和歌山・兵庫・奈良)主催の抗議集会が大阪弁護士会館の横庭で3百人をこえる人たちの結集で開かれた(前号1面写真)。
近畿弁護士連合会の代表があいさつし、早速デモに移った。国道1号線から、アメリカ領事館前を通り大阪市役所南側・中之島公園までのデモに、仕事帰りの多くの市民の注目を集めた。デモ終点の集会では、京都・滋賀・大阪・奈良の弁護士会の代表がアピールをし、参加できなかった和歌山、兵庫弁護士会からはメッセージが。最後に入管法事件を闘う大阪弁護士有志の会から本法案の問題点が明らかにされ、今後の決意が述べられた。
今回の入管法改悪案は、2年前名古屋入管収容所で適切な医療を受けられず殺されたスリランカ女性ウィシュマ・サンダマリさんの事件もあり広汎な人たちの反対運動により廃案させたものと本質は変わらない。今回の法案の「改正」案にはふたつの制度がつけ加えられている。ひとつは「補完的保護対象者」の認定制度、ふたつ目は「監理措置」制度の2点である。「補完的保護対象者」とは簡潔にいえば「準難民」制度。しかしその認定はあくまでも法務大臣の自由裁量の下でのものだ。「監理措置」制度とは「全件収容」を改め「監理人」にゆだね監視させるというものだ。そして入官庁への報告義務があり、怠れば10万円以下の過料という罰則がある。誰が「監理人」になるかという具体的な説明はなにひとつない。

大阪市内を500人がデモ(5月20日)

入管で人が死ぬ

日本の入管行政は人権、人道的措置に基くものではなく追放だけを恣意的な判断で貫いている。難民認定の原則にはいかなる場合も国際人権法に定めがあるように、追放してはならない国際慣習法がある。また日本の入管行政全体に対して国連の拷問禁止委員会、人種差別撤廃委員会、恣意的拘禁作業部会などから何度も改善勧告を受けている。自由権規約委員会も「仮放免」の人たちには労働を禁じたり、健康保険にも入れず生活保護受給も禁じていることを強く指摘している。彼ら彼女らは日本で到底生きていけない。子どもの権利委員会はそれらの人たちの子どもたちが健康保険がないことで適切な医療を受けられないことを指摘している。国連勧告には他にも人権規約にある家族をバラバラにされない「家族の団結権」がある。
入管収容所内での死亡者は1993年から今までに26人、病死のほか自死者が7人、頭がい骨骨折による死者もいる。強制送還中、航空機内で入管職員の「制圧」でガーナ人が死亡、長期収容への抗議のハンストでナイジェリア人が餓死。これが日本の入管行政の実態だ。

5月20日東京練馬 難民・移民フェス
支援に多数の市民

難民・移民フェスで訴える安田浩一さん(左)・大澤優真さん(右)

5月20日、東京・練馬区の平成つつじ公園で「難民・移民フェス」(実行委主催)が開かれ、時折雨がぱらつく中、会場内の移動もままならないほど多数の市民が詰めかけた。場内の世界各地の民族の料理・特産品を販売するテントには来場者の長い列ができ、開始は11時であったが昼には用意した品を売り切った店が続出した。
ステージで各テントの紹介をした後、ジャーナリストの安田浩一氏と、NPO法人北関東医療相談会の理事で、難民支援をおこなっている大澤優真氏のトークに入った。
安田氏が大澤氏にインタビューする形でトークが進む。
大澤氏「昨日も一昨日も(仮放免で働けないので家賃が払えず)ホームレスになったという相談を受けた」
安田氏「日本の難民認定率が1%に満たない。多くの人が在留資格を失ったまま、怯えながら暮らしている。そういう人達に政治をどう思うか問うても、何も考えることができない。考えること自体を奪われている」
大澤氏「支援者がいうのも何だが、『どうにもならない』ケースが多い。観光ビザで入国してオーバーステイになった人の例だが、友人からの援助を受けていて、その友人も限界を迎えて電話にも出なくなる。自殺未遂して、路上生活になった。相談があったから知ることができるが、我々に会う前に亡くなる人もいるのではないか」
安田氏「圧倒的に多くの人は我々にアクセスできない。私達の社会はそういう人々を放置している。さらに、『出ていけ』というのが入管法改正案の根幹」
大澤氏「無関心が最もいけない。皆さん一人一人が何かやってほしい」
安田氏「私達の生活も海外で生産されたものや技能実習生が作ったもので成り立っていて、本当の意味での『メイドインジャパン』は少しだけ。外国籍の人が全員消えたら私達の生活は成り立たない。日本社会は差別と偏見で成り立っている。外国人管理が入管の仕事で、かつて入国参事官が『外国人は煮て食おうが焼いて食おうが勝手』と言った。低賃金でもきつくても黙って働く実習生は祭り等に招待されるゲストで、権利を主張した途端に治安の対象になる。問われているのは私達」
大澤氏「送還したら殺されてしまうような国に難民を返すようなことはしないのではないかと思っている人もいるかもしれないが、私の経験上、入管は本当に返す。返されたら死んでしまう。私の友人・知人を殺さないでください」
安田氏「『ノン・ルフールマン原則』(生命や自由が脅かされかねない人々が、入国を拒まれあるいはそれらの場所に追放されたり送還されたりすることを禁止する国際法上の原則)を日本は守っていない。こういう国にしてはいけないという声を上げるチャンスを私たちは持っている」
ステージではさらに各民族の歌や楽器の演奏、「ウィー・シャル・オーバーカム」などの名曲をアレンジして歌うなどで会場は大いに盛り上がった。

梅村みずほ参院議員(維新)が暴言
「ウィシュマさんは詐病」
人権侵害の巣窟=維新

日本維新の会・梅村みずほ参院議員は、5月12日入管難民法改悪案を審議する参院本会議で党を代表して質問。名古屋入管で21年3月に亡くなったウィシュマ・サンダマリさんについて「支援者の一言が、ウィシュマさんに『病気になれば仮釈放してもらえる』という淡い期待を抱かせ、医師から詐病の可能性を指摘される状況へつながったおそれも否定できない」と事実無根のデマを振りまいた。遺族の弁護団が16日に質問状を送り発言の根拠をただすと「事実はありません。しかし、可能性は否定できません」と居直り、「(ウィシュマさんは)ハンガーストライキによる体調不良によって亡くなったのかもしれない」とさらにデマを重ねた。
名古屋入管は、飢餓状態に陥っていたウィシュマさんを病院にも連れて行かず見殺しにした。ウィシュマさんの死は、入管庁が在日を希望する外国人や難民に在留資格を与えず強制収容し、長期拘禁や虐待、拷問などの人権抑圧をする無法地帯であることを明らかにした。このような入管行政を問題にせず擁護し、支援者やウィシュマさん本人の方が問題だと根も葉もないウソを言って傷つけることは断じて許されない。
17日ウィシュマさんの遺族らが記者会見し「全く事実にもとづかない発言。ウィシュマさんの尊厳を踏みにじり、遺族を深く傷つけるものだ」と梅村議員に抗議し、撤回と謝罪を求めたが、全く応じず。18日の参院法務委員会でも「(支援者の)善意の方向が違うことがあるのでは、と疑うのは立法府として当然のことだ」と言い、国会議員の議場での発言は免責されるという憲法の規定を持ち出し「何のための免責特権か。タブーに切り込むためだ」と臆面もなく主張した。このような人物は国会議員の資格はない。謝罪・撤回し直ちに議員辞職せよ。
維新は、18日梅村議員を参院法務委員会の委員から外しただけで、党としての処分は後日としたのは、維新自身が梅村と同じ考えだからだ。梅村の本会議での質問は党を代表したもので、党の政策部門が内容を最終チェックしていた。音喜多駿政調会長は17日「問題提起として間違ったことをしたとは思っていない」と述べており、梅村発言は、党としての見解なのだ。維新は党として責任が問われている。
今参院で、自・公・維新・国民が迫害から逃れてきた外国人を、難民申請3回目以降は強制送還できるように入管法を改悪しようとして、梅村議員の人権意識の欠如が露呈した。外国人を死に追いやる入管法改悪案は絶対に廃案にすべきだ。
22日には、大阪維新の会大阪府議団代表の笹川理府議が女性市議に対するパワハラやストーカーで、当初は厳重注意が、さらなるセクハラ言動が暴露され代表を辞任した。人権侵害の巣窟=維新を許してはならない。

4面

5期目の当選果たした木村真豊中市議に聞く
維新の公共財=コモン破壊と対決

森友事件をあばき、今回5期目の当選をした木村真さんにインタビューした。(文責 本紙編集委員会)

― 上位当選おめでとうございます。選挙後の会派構成などは?

ご支援ありがとうございました。今回で5期目になりますが、実は2007年の初めての立候補の時(42歳)は2857票で、その後支持者の年齢が上がるにつれて基礎票は少しずつ減りました。前回選挙(2019年)は、「森友の木村」ということもあり、大幅に票を増やし4486票で7位でした。今回は立候補者が多かったのと高位の人が票を集め、700票あまり減って3737票でしたが当選順位は前回と同じ7位。森友を一緒に闘ってきた山本いっとくさんも共産党としては破格の3556票・8位で、まだまだ森友=腐敗政治に対する怒りが消えたわけではないことが判ります。
10人立候補の維新は1議席増で9議席。自民や立憲系が減り、40歳代の子育て女性が議席を獲得という点では、大阪全体の維新伸長、自民低落、立憲不振の姿が豊中でも出ました。昔は旧社会党や労働組合系が議会の中で一定の議席を占めてきたのですが、今回でその役割はほぼ終えたのではないでしょうか。豊中は会派は3人からですので、れいわの山田さんとは同じ方向ですがあと1人足らず、無所属となりました。大阪府・市のように、首長も議会の過半数も維新ということではありませんので、これからが勝負だと思っています。

選挙戦後半、阪急曽根駅前で力強く訴える木村真さん(4月21日)

― どんな主張を掲げての選挙戦だったのでしょうか

一つは市議選ですので、やはり誰もが自分らしく暮らせる町ということです。食や環境、子どもたちの育ちを支え、人権・福祉が尊重される町づくりです。そのうえで公共・コモンの破壊を進める維新との対決を柱にしました。維新は改革と称していますがそれはウソで、学校・園や図書館はじめ公共施設の粗雑で乱暴な統廃合を進めています。莫大な公金を投入してのカジノの誘致には絶対反対です。もうひとつは「統一地方選」ですが、岸田政権の認否も問われます。岸田政権は昨年秋以降、国会にはからず、先制攻撃=大軍拡・大増税と原発回帰を強権的に進めてきました。自民党が減れば政権に響きます。結果、豊中でも自民候補4人が、各地で自民党が落選しました。自民党は自治体選で敗北したのです。

― 街頭演説で、学校統廃合、図書館削減など維新型政治を批判しています

今の市長は維新ではありませんが、前々回は維新を落とし、前回は維新が立候補せず無投票で当選。ここらあたりから親維新政治に流れていったと思います。
ご多聞にもれず豊中も人口が減り、特に服部・庄内といった南部地域はさびれる一方です。この中で採算率が悪いといって公共施設は次々閉鎖していく総務省の指導や維新政治が大きく浸透し、学校は9校を2校に、図書館も9か所を4か所にという計画が進められています。選挙戦ではこういった「今だけ、金だけ、自分だけ」という維新政治=新自由主義を批判しました。
豊中など大阪近郊の都市は、高度成長期に 人口が増え、アパートや文化住宅が密集しました。豊中北部や吹田には70年万博を機に公団住宅が次々建てられ、南部には玄関に靴箱が並ぶアパートや文化住宅が次々建ちました。しかし今は南部のアパートも文化も空き室だらけで、急速に人口が減少しています。それに根本的な手を打たないまま、現状追随で残りを食い散らかす政治が急速に拡大しています。本来なら20年前に手を打たなければならなかったのがそのままで今に至っている、というのが現状ではないかと思います。
すでに保育所は中規模のこども園にされ、子どもが少なくなった学校をいとも無造作に統廃合していく。確かに隣の学校が見える距離にあり、人口が減ったのだから統廃合も仕方ないという意見もありますが、行政は9校を2校に減らし残った土地を売り飛ばし市の財源にしていく、それでいいのかということです。
反対する側も、駅や学校や公共施設や公園を中心にして、住みやすい地域コミュニティづくりを考え提案していかないといけない。労働現場でも非正規が多数になり強搾取され、居住地域で分断され、消費でも市場がなくなり大型スーパーに頼り、文化・教養・子育ては後回しにされていく。そうさせないために知恵を絞って市民の側から改革案を提案しないと、維新批判は単なる批判的批判に終わってしまうのではと思います。

― 維新は、カジノや「うめきた」など大型開発を推進し、地域社会を破壊。これと対決する議員集団が必要では

確かに議員のネットワークは必要だし、いわゆる「市民派」ということで、学習会などもやってきた。私も5期にもなり、議会内での当局や他会派とのやり取りなども新しい議員に伝えてきた。しかし自治体議員というのは、一方で議会内対策も必要なのですが、他方で全国的な政治動向、原発や沖縄や反貧困などとも結びつかないと、議会対策がほぼすべて、議会内での自分の地位を守ることに汲々とすることになりかねない。この両方の課題を担えるネットワーク・議員集団が、妙案があるわけではありませんが必要だと思います。
私も次は6期目になるわけで、後継者というか2人目を立てたい。他の無所属と組んで、維新や自民と対決する会派を作りたいと思います。

― 昨年6月に地域主義を訴える岸本区政が東京杉並で誕生しました

実は2年ほど前、「コモン」の取り戻しという点で、斎藤幸平さん(当時大阪市大准教授、現在東大大学院准教授)と、水道再公営化を実現した岸本聡子さんを呼ぶ講演会をやろうとした。まだ岸本さんがオランダにいる頃です。連絡がうまく取れなくなって困っていたら、あれよあれよという間に杉並区長選に立候補し僅差で勝利した。
どこの自治体でも赤字赤字と言って公共財(コモン)を削減していく。こんな時に「コモン」を唱える斎藤幸平という経済思想家が現れ、また水道民営化を逆に公営化した運動がヨーロッパにあり、それを日本人が担っていた。これは繋がらない手はないと思ったわけです。講演会としては実現しなかったが、その後の実践は広く支持者を獲得してきていて、私の構想は間違ってなかった。維新との対決の中でも「目指す社会像」を示さないと、あげ足取りに終わりかねない。
大阪でも、豊中でも、没落する資本主義の救済をめざす新たな政治勢力=第二保守党としての維新との対決が本格的に始まると思います。今回の選挙では寝屋川市・高槻市・吹田市の首長選では維新に勝った。昨年は西宮市・尼崎市でも勝った。豊中はこれらとひとつながりの地なわけで、首長、議会・議員、市民運動・労働運動などが広範に連携し、大阪の政治風土を変えていく必要がある。
私も一定議会内での闘いの経験も積んできましたので、ここが踏ん張りどころと思って頑張ります。よろしくご協力をお願いします。

門真市議選を闘って
ラストベルトに寄生する大阪維新
生活に根ざした維新批判を

4月統一地方選・戸田ひさよし候補の復活のため門真市に入った。結果は次々点で落選だったが、落選の悔しさよりも、戦後日本の成長神話=松下電器・パナソニックの落日を食い漁る維新政治が今でも重くのしかかる。
兵庫県尼崎市から門真に行き始めたのは2月から。昔よく乗った京阪電車で古川橋へ。途中西三荘駅北には、昔は松下本社があったのだが、今は誰も訪れない「歴史記念館」があるだけ。まず駅前の旧ダイエーのイオンで昼食と用足しに寄るが、古びたビルに食堂はなくおにぎり2個とお茶を確保。ポスティングが始まり事務所と駅の間の地域を希望。交通の便はよいが、マンション、戸建て、文化が混在。路地の奥まった所の文化住宅はさびれ、2階はほぼ空き家。駅から10分の所なのに「もったいない」。
決起集会に向け宣伝カー回し。細い道を20キロ以下で回るが、時折路地裏に入ると「行き止まり」。古川橋、門真市駅北の地域はほぼ全域が路地裏街。方向変換が難しくその地域から出るのに往生する。南部方面に行くと第二京阪沿いは倉庫街。人のいる所を求めて車を進めると大東市に。南部の巨大団地=門真団地は1970年ころの建築で、今が建て替えのまっさかり。尼崎でもUR西武庫団地は公園や広場を敷地内に十分とり建て替えられたが、ここはそうとも思えなかった。
3月からは交通費節約のためバイクで、大阪市中津から城北通〜守口・門真のコースで通う。途中にスーパーライフが目に付く。大阪市旭区の千林商店街は寂れても地域型のスーパーが幅を利かす。さすがはダイエーの発祥地だ。4月に入ると国道163号線沿いの巨大ショッピングモール建設に気がつく。ここも松下工場跡で、東西300m×南北500m。寝屋川、大日、鶴見のイオン(各約4万u)の真ん中に、15万uの殴り込み。オープン前からのセールで一気に交通渋滞。
4月9日は公民館で映画会。トイレに行くと和式便座が鎮座。今時天然記念物と思いきや、学校も和式とか。共産党は「学校のトイレを洋式に」を選挙公約に。同じく門真市駅前の旧イズミヤは廃店後フリマ的な店が並ぶが、ここのトイレも和式。いずれも「ららぽーと」から10分の地で、巨大ショッピングの足元は和式トイレ。旧中心街の元町・幸福町は1車線・行きどまり。いずれも維新市政下、戸田落選後に反対派不在の門真市でさらに進んだ象徴的姿と実感。
聞けば、大阪市旭区・鶴見区から寝屋川市までは畑と田んぼが繋がり、レンコンの特産地だったとか。高度成長期にこの一帯に松下や三洋などの工場ができ、周辺に従業員が住む大阪近郊都市群ができた。その松下=パナソニックも三洋も今は工場もなく、残った跡地には流通を支配する巨大ショッピングモールが。不評の大阪モノレール(大阪空港〜茨木〜門真)もこれを機に東大阪まで延伸とか。北河内一帯は新たな流通資本の収奪地で、「自治体」など維新には不要物だ。アメリカのデトロイト周辺の工場跡地には100万u規模のショッピング街があるとか。そのラストベルトの票を集めトランプが大統領になった。
大阪維新は、カジノ・万博と、大阪最後の開発地=「うめきた」(JR西日本と結託)、門真型の工場跡地に「今だけ、金だけ、自分だけ」の政治をし、全国に広げようとしている。政治的批判だけでなく生活の場に根差した維新批判が必要と痛感した。(園田圭介)

5面

検証
原子力による発電を終わらせたドイツの反原発運動
津田保夫

4月15日、ドイツで原子力による発電がついに終了した。最後に残っていた3基の原発が停止したのだ。ドイツ人民は50年にわたり原子力発電と闘ってきた。この歴史的な日に、ミュンヘン、ネッカーヴェストハイム(原発立地)、リンゲン(燃料棒製造工場がある町)などで、大きな集会とデモがおこなわれた。集会参加者は、その勝利を確認しあった。
日本の岸田政権はドイツと真逆の道を進んでいる。岸田政権は原発回帰政策に転換し、そのためのGX脱炭素電源法案(束ね法案)が国会で審議されている。福島原発事故を教訓に脱原発を決断したドイツ、福島原発事故をなかったことにする日本。この両国において、いったい何が違うのか。ドイツの反原発運動を振り返り、その教訓を考えていきたい。

(1)福島第一原発事故の教訓

2011年3月11日、福島第一原発の事故がおきた。ドイツでは4月だけでも25万人以上の人々が街頭にくりだし、市民は脱原発を訴えた。アンゲラ・メルケル首相(当時)は「安全なエネルギー供給に関する倫理委員会」(倫理委員会)を設置した。倫理委員会は工学者や経済学者だけではなく、哲学者や宗教界の代表者で構成されていた。4月4日から5月28日の短期間に、原発事故によるリスク、核廃棄物、他のエネルギーとの比較などを検討した。
その最終報告書には、次のように記されている。「原発のリスクは、実際に起こった事故の経験から導き出すことはできない。なぜなら、原子力事故は、それが最悪のケースの場合にどんな結果になるかは未知であり、また評価がもはやできないからである。その結果は、空間的にも時間的にも社会的にも限界づけることができない。ここから当然の帰結として、被害事例を除去するために、原子力技術をもはや使用すべきではない」。
当時、メルケル政権は原発を推進していた。しかし、メルケルは「日本のような技術の高い国で原発事故を防げないなら、ドイツでもおこりうる」と述べて、脱原発にふみきった。6月、改正原子力法案が連邦議会で可決された。

(2)ドイツの反原発運動の歴史

2011年、ドイツ人民は福島原発事故を真摯に学び、原発の未来を検討した結果、政策転換を実現した。それまでに、次のような粘り強い闘いがあった。

1975年の闘い

1961年、バイエルン州グロースヴェハツハイムにあるカール原子力発電所が送電を開始した(1985年に運転を停止)。これが西ドイツで最初の原発だった。反原発運動は、1968年の学生運動のなかで全国的に拡大していった。1972年、フランス、ドイツ、スイスの市民が、フランスのフェッセンハイム原発の建設現場を占拠した。ドイツでも、学生やワイン農家、農民が原発建設に反対するデモをおこなった。
1975年、バーデン・ヴェルテンベルグ州ヴィールで、3万人近い人々があつまり、原発建設を実力で阻止した。この運動のなかで、ドイツ全土で原発に反対する市民運動や地域活動グループがうまれていった。この時、「68年世代」が「新しい社会運動」の中心的担い手になっていた。
1979年3月、アメリカのスリーマイル島原発でメルトダウンをともなう事故がおきた。このころ、ニーダーザクセン州ハノーファーで再処理工場の建設計画がもちあがっていた。10万人がハノーファーに集まって、再処理工場に反対した。これは西ドイツで最大のデモであった。これによって、州政府は計画を断念した。

反核闘争との結合

1980年にはいると、核兵器の問題が反原発運動に加わった。中距離核ミサイル配備に反対して、ヨーロッパで反核闘争がもりあがった。1981年に、ボンで約30万人の人々が核ミサイル反対でデモをおこなっている。
1986年4月、チェルノブイリ原発が爆発する事故がおきた。放射性物質を含むプルームはドイツにもおよんだ。この事故をきっかけに、ドイツでもはげしい闘いがおこなわれた。このなかで、高速増殖炉が停止に追い込まれている。
1995年、ゴアレーベンにある核の最終処分場で、廃棄物の持ち込みに反対する闘いがおこり、地元の住民と力をあわせて、キャスクの輸送に反対した。その後、処分場への持ち込みは現在まで延期されている。

2000年の勝利

2000年、ドイツ社会民主党(SPD)と「緑の党」連立シュレーダー政権は、原発の段階的な廃止を決めた。2002年、シュレーダー政権は原子力法を改正し、脱原発にふみきる。20年以内に原発を廃止することになった。しかし、10年9月、メルケル政権はこの合意を覆し、原発の延長運転を決めた。これに抗議して、ドイツ全土で10万人規模のデモがたたかわれた。こういう情況のなかで、11年に福島第一原発事故がおきたのだ。

(3)ドイツ環境自然保護連盟(BUND)

ドイツの反原発運動は、地域住民と連帯して「人間の鎖」などの大衆闘争をおこなってきた。それは、しばしば警察とはげしく衝突した。人びとは流血をともなう実力闘争をおこない、建設計画を阻止してきた。
ドイツには二つの大きな環境保護NGOが存在する。ドイツ環境自然保護連盟(BUND)は、1975年の反原発闘争のなかでつくられた。現在、BUNDは原発に反対し持続可能なエネルギーを求める運動体として存在している。また、BUNDは自然保護、環境保護運動、再生可能エネルギーの推進など、さまざまな取り組みをおこなっている。
BUNDは州単位でつくられた環境保護連盟が組織統合されて発展してきた。現在、本部はベルリンにあり、会員数は約58万人で会員の会費によって運営されている。
チェルノブイリ原発事故後、BUNDは「もう一つの放射線委員会」を設立した。さまざまな分野から科学者を集め、チェルノブイリ原発事故の科学的評価をおこなった。放射線が人体に及ぼす影響をあきらかにして、市民の信頼を勝ち取ってきた。
BUNDは反対運動を組織するだけではなく、さまざまな政党や団体と連携して、政府に政策提言をおこなっている。政府に圧力をかけて、原発や再処理工場などの建設計画を中止させてきた。また、2023年から核兵器廃絶の国際キャンペーンに参加して、あらゆる核兵器に反対する行動をおこなっている。

(4)これからの闘い

ひとたび原発事故がおきれば、自然環境は半永久的に破壊されてしまう。数百年にわたり、生物環境に影響をおよぼす。これが福島原発事故の教訓だ。また、核のゴミ処分は解決策はなく、やっかいな問題なのだ。
ドイツにおいて、4月15日、ついに原発の時代は終わった。しかし、核の時代は終わっていない。使用済み核燃料や核廃棄物が中間貯蔵施設に保管されている。最終処分場はみつかっていない。ガルヒングの研究炉はまだ稼働している。ウラン加工工場も残されている。
ドイツの電源構成(2022年度)は、再生可能エネルギー40%、石炭火力30%になっている。ショルツ政権は2030年までに石炭火力を廃止して、再生可能エネルギーを80%にすることを目標にしている。
日本ではどうか。岸田政権は原発回帰をすすめている。「GX脱炭素電源法案」が国会で審議されている。政府は「原発は脱炭素社会を実現するために必要」と言っているが、ほんとうにそうなのか。放射線による内部被ばく問題を隠蔽している。人類の生存のために原発を選択するということは犯罪的であり、かつ矛盾した論理だ。
岸田首相は、核を正当化するために広島でG7をおこなった。「広島ビジョン」には、「平和的な原子力利用が低炭素エネルギーの提供に貢献する」と述べられている。われわれは、これをけっして容認できない。原発、核兵器の如何にかかわらず、核と人類は共存できない。このヒロシマの教訓を忘れてはならない。
岸田政権の原発回帰策動にたいして、大衆的な抗議行動が必要だ。そのためには、ドイツの闘いが教訓になるだろう。福島第一原発事故をふたたび繰り返してはならない。これがスローガンなのだ。

6面

ウクライナ「社会運動」との連帯を
社会運動 (ウクライナ):2022年を振り返って 2023年1月7日土曜日、SOTSIALNYI RUKH

(前号より続く)

法的支援(略)

労働組合の強化

2022年、社会運動はウクライナの労働組合運動を積極的に支援しました。これには、キエフでの救急車医師の抗議や、リヴィウ地域でのクレーンオペレーターの抗議への支援が含まれます。NGO「Be like Nina」の活動家のために、労働法制の変更を考慮したスタッフ削減に関する報告書が作成された。社会運動の活動家と労働組合の主催者は、ウクライナ、ポーランド、イスラエルのクレーンオペレーターの国際会議の開催を支援しました。社会運動は、KVPU、FPU、その他の労働組合のメンバーと積極的に協力して、人道支援、法的および政治的支援を提供しました。現時点では、キエフとハリコフのトロリーバスの運転手と、キエフのポディル地区にある第15臨床病院の看護師の要求を守るための支援を行っています。

教育

技術的な困難にもかかわらず、社会運動の活動家は、労働組合組織化の理論と実践、エネルギー政策、ウクライナの抵抗運動の政治的基盤、およびその他のテーマに関するオンラインセミナーやイベントを開催しました。定期的な年次会議「フォイエルバッハ 11」は、社会運動の活動家と雑誌「Spilne」(コモンズ)の参加を得て開催され、ウクライナの戦後復興の課題について話し合った。住宅と住宅に関する数多くの分析的で人気のある科学資料が出版された。経済政策、和平交渉の展望、マルクス主義と社会主義の理論、ポスト資本主義社会、ウクライナと世界左翼の歴史、ロシア帝国主義の分析、戦争中のメンタルヘルスに関する調査結果に基づいて、メンタルヘルスを維持する方法に関するヒントを掲載した記事が公開されました。
戦争は、社会運動活動家がさまざまなプレゼンテーションを行った、80人以上の参加者が参加した定期的な「左の視点」教育イベントを妨げませんでした。メディアワーク 組織のメディア活動は新しいレベルに達しました。私たちは新しいソーシャルプラットフォームを積極的に習得しています。社会運動には Twitter アカウントがあり、すでに 1000人以上の登録者を獲得しており、YouTube と TikTok 用の動画が作成されています。
パンフレット、マニュアル、メモ、ステッカーなど、数多くの印刷物が作成され配布されました。政治ポスターとステンシルのデザインに関するマスタークラスが開催されました。(一部略)
この年、リヴィウの印刷アカデミーの破壊的な「最適化」に反対する行動、ディーセント・ワークのための行動の日のためのフラッシュ・モブ、性差別に対する行動など、多くの成功した行動が行われた。フェミニスト組織ビルキスと共に、「ソーシャル・ムーブメント」は、右翼過激派 MPイホール・ショルティスが率いる偽情報と脅迫のキャンペーンに反対しました。

地方支部の展開

この年、社会運動のメンバー数は大幅に増加しました。リヴィウ支部は成長し、その活動家は行動に参加し、労働者の権利と創造的なワークショップに関する公開講義を組織し、進歩的な学生を動員しました。

権威主義的傾向と排外主義への抵抗

戦争は、右翼の見解やヘイトプロパガンダの人気が高まるリスクを高めます。戦前から、社会運動は女性グループや LGBTQ+ グループを支援し、イスタンブール条約の早期批准を提唱していました。我々はまた、新しい移民法の採択や一部の国会議員による排外主義的な発言など、ウクライナの立法における差別的な傾向を非難した。
2022年末、「ソーシャル ムーブメント」は法律7633 (言語に基づく科学情報源の検閲) に反対するキャンペーンを支持しました。このキャンペーンはすぐにウクライナの科学者の注目を集め、世界中の科学コミュニティからかなりの支持を受けました。2022年は私たち全員にとって困難な年でした。2023年がより良いものになることを願っています。私たちは、社会的で独立した公正なウクライナのために懸命に取り組み、新年の安全、勝利、社会の進歩を願っています。(おわり)

6・25シンポ ウクライナ戦争と現代世界
6月25日(日)13:00〜17:00
会場:国労大阪会館3階大会議室(大阪市北区錦町2−2)
参加費 ¥1000
スピーカー:
原隆(共産同 著書『反逆の序曲 蜂起する民主主義』)
橋本利昭(革共同再建協 『未来』『展望』に執筆)
高原浩之(元共産同赤軍派)
横山茂彦(元『情況』編集長)





投稿
ウクライナの抵抗闘争を支持する論理と、日本の安保関連3文書反対・改憲阻止・安保破棄の論理

ロシア―ウクライナ戦争には、@ロシアのウクライナへの侵略戦争、Aウクライナの抵抗闘争、Bアメリカ帝国主義の世界戦略としてのウクライナ軍事支援という三つの要素がある。どれかの要素を強調して、どれかの要素を否定するのは不毛ではないか。
それぞれの国家のプロパガンダがある中で、左翼勢力としては、ロシア連邦共産党(ロシア最大野党)が「特別軍事作戦」支持、非合法化されていたウクライナ共産党はロシア支持、ギリシア共産党やドイツ左翼党、米DSPの一部がNATOの代理戦争という立場を取っているようだ。ウクライナの左派「ソツイアルニイ・ルフ」がウクライナ抵抗闘争への国際的支援を呼び掛けている。
日本の反対派の主張としては、@絶対平和主義的な主張、Aロシア―ウクライナ戦争を米帝・NATOとロシアの代理戦争とする主張、Bウクライナ抵抗闘争を支援すべきという主張の三つの同心円があるように思う。
現下の日本において、「日本の安保関連3文書反対・改憲阻止・安保破棄」を求めていくことが重要と思う。その場合、@とAの主張はこの闘いの論理に直結し易いが、Bの主張をどう日本の反戦闘争に結合させるのか、という課題がある。
第1に、抑圧する側の民族と、被抑圧民族の区別という点が重要と思う。ロシア民族に対して歴史的な被抑圧民族であるウクライナの抵抗闘争は支持されるべきだ。これと日本帝国主義の「自衛権」とは明白に区別しなければならない。
第2に、西側(主要な実態としては米帝)からのウクライナへの軍事援助をどうとらえるのか、ということである。
ウクライナの抵抗闘争が支持されるべきなら、当然、武器を要求する権利もある。しかし、米帝への武器供与の要求は理想的なことではなく、究極の、例外的な、幸福とは言えない選択であることが確認されなければならない。
米帝は米帝の利害に立ってウクライナへの軍事援助をするのであり、それ以外にはあり得ないことも事実だ。
そこで、21世紀初頭20年間の米帝の中東への軍事介入の経緯について、現在地を探る意味で簡単に振り返ってみたい。
2001年9・11が起きると、米帝はアフガンのタリバン政権がアルカイダを匿っているとして10月に空爆を開始、特殊部隊を上陸させ、11月にタリバン政権を崩壊させる。その後、内戦が続き、混乱の中、2021年に米軍は完全撤退、タリバン政権が復活した。
2003年3月20日、米帝率いる多国籍軍(ウクライナ軍も参加)は、制空権を確保してイラクに侵攻を開始、5月1日にはフセイン政権とイラク国軍を崩壊させ、「戦闘終結宣言」をおこなう。しかし、その後、各種の内戦が発生、2014年にはイスラム国がモスルを奪取した。
2011年3月、アラブの春の波の中で起こったリビアの反政府運動を支援してNATO軍が空爆を開始したが、イラク戦争の泥沼化を教訓にして地上軍は送らなかった。8月にカダフィー政権は崩壊、現在も内戦は続く。
2011年シリアでもアラブの春は各勢力による内戦に発展、その後、米・NATOは、イスラム国掃討をアサド政権打倒に優先して、リビアでおこなったような政権に対する空爆はおこなわなかった。米国はクルド民主統一党PYDとその軍事組織YPGへの軍事支援と軍事訓練をおこなった(2014〜15年コバニの戦闘)。この中で2015年9月〜10月、ロシアはアサド政権支援、イスラム国・アルカイダ掃討と称して千回以上の空爆を実施、約6百人を殺害した。ロシア軍の主力は2016年2月に「撤退」を発表したが、その後も空爆は継続された。
2018年1〜3月、そして2019年10月から現在まで、トルコはクルド民主統一党支配地域のロジャバへの軍事侵攻を繰り返している。米国はトルコの方針を容認し、米軍をロジャバから撤収させ、対イスラム国掃討戦で軍事支援したクルド民主統一党を裏切った。
この一連の「テロとの戦争」では百万人を超える民間人が死亡したと言われる。
2016年に海兵隊コンセプトに初めて正式に盛り込まれた遠征前進基地作戦(EABO)は、敵兵器の攻撃圏内部において持久可能な「インサイド部隊」形成を不可欠としているが、これを米軍自身が担うつもりであろうか?
21世紀初頭の中東での経験は、外部勢力による軍事支援は非常に大きな危険を内包していることを示している。(佐藤隆/5月14日)

7面

新たな沖縄戦を許すな!
日本帝国主義の対中国戦争政治を打ち砕こう(中)
島袋純二

ここではっきりさせなければならないことは、米帝の戦争に日帝が巻き込まれるのではなく、日帝の自発的衝動として対中国戦に向けて準備を推進しているということである。このことは、防衛3文書で中国に対してこれまでの「国際社会の懸念事項」を「国際社会の深刻な懸念事項」と改めて「これまでにない最大の戦略的な挑戦」と規定したこと、アメリカの「台湾海峡有事」論を越えて「台湾有事は日本有事」論を主張していること、そのことによって日本の民衆に排外主義を煽っていること「反撃能力(敵中枢を含む敵基地攻撃能力)の保持」、攻撃用のミサイル基地を軸にした琉球弧の軍事力増強によって中国を挑発していること、そしてまた琉球弧の軍事力の増強が攻撃態勢の構築に力を注ぎ、防御態勢についてはほとんど無視していることなどに注目すれば明らかである。いわゆる「巻き込まれ論」の犯罪性は、日帝独自の内的衝動として噴出してくる対中戦の自発的凶暴性を認識せずに許容することになるということである。これでは日帝の対中国戦争に向けた激しい攻撃と対決して闘うことはできず、敗北するしかない。民衆が勝利していくためには、人間的自己解放に向けて日帝以上の激しい情熱を持って闘っていかなければならない。
人間的な激しい情熱を持った闘いは、厳しい現実(本質的に把握された現象)をしっかりと見据えて正しく認識することから生み出されてくる。我々はこうした立脚点を貫いて多くの民衆と話し合いを拡大し重ねながら日帝の対中国戦争攻撃と真っ向から対決し、勝利の展望を切り開いていく必要がある。
日本帝国主義の岸田政権は安倍の対中国戦争政治を引き継ぎ、より反動的に急ピッチで実現しようとしている。日帝の対中国戦争方針は琉球弧を中国攻撃の最前線出撃拠点とし日本防衛の楯として位置付けるものである。対中国戦争が勃発すれば、攻撃用のミサイルを軸に配備した琉球弧が文字通り真っ先に標的となり戦場化するのは不可避だ。この世の地獄とも言うべき沖縄戦の体験または追体験をしている琉球人(沖縄県民)は戦争の悲惨さを身に沁みて感じており、「戦争は絶対にしてはならない」という強い意志を持っている。(つづく)

サミット反対会場で宮古島要塞化反対を訴える(5月20日、広島市)
















不当逮捕から60年を迎えて
(石川一雄さんの不当逮捕から60年。5月23日狭山中央集会が開かれ、石川さんのアピールが出された)

まず最初に、昨年9月から皆様方にお願い致しました裁判所に「鑑定人尋問を求める緊急署名」が50万筆を超えて頂きました事に心から感謝申しあげます。大きな力を頂きました。
さて、別件逮捕から今日で60年を迎え、昨年8月、弁護団が裁判所に11人の鑑定人尋問およびインク鑑定の請求を行い、署名活動等の闘いの中で、再審闘争の機運も盛り上がる中ではありますが、まだまだ、先行きが不透明なことは、私自身が一番よく知りつつ、今は兎も角、多くの支援者各位にご心配、ご迷惑をおかけしていることに対し、「申し訳ない」では相済まない気持ちでいます。当時如何に自分が社会的に無知であったか、それに付け込んだ3人の取調官に対し、今も許せない気持ちがあっても、3人とも、もうこの世にはなく、結果的に私は一層苦しんでいるのは事実です。
しかし、弁護団が請求している鑑定人尋問とインク資料の鑑定が実現し、弁護側から提出された全証拠を裁判官が綿密に精査して頂ければ、司法の名に愧(は)じない判断が出されるものと固く信じております。
一方私は、先日、再審開始決定が出された袴田事件で、裁判所から「ねつ造の疑い」とまで断じられた「5点の衣類」もさる事乍ら、一番釈然としないのは、家宅捜索時に袴田さんの自宅から「ズボンの切れ端」が発見された点です。何故なら、私も度々ズボンの裾を詰めてもらい、その時、ズボンの切れ端を渡されますが、家に持ち帰ったとしても、直ぐに捨ててしまう経験から、袴田さんもそのようにしていたのではないかと、思っていたからです。したがって、捜査官が袴田さんを犯人にすべく袴田さんの家を家宅捜索した際に箪笥の中から発見したかの如く、捏造したのでないかと思っています。狭山事件で3回目の家宅捜索で発見された万年筆も同じ構造だと言えます。
過去の例で言うと、松山事件がそうでした。斎藤幸雄さんが犯人とされ、「死刑確定囚」でした。斎藤さん宅から押収された布団の襟当に付着した多量の血痕が決め手となって死刑判決になったのです。再審裁判で、ジャンパーなどに血痕がないにもかかわらず、何故、襟当に血痕がついていたのかを疑問に感じた裁判官が不審に思い、押収後の鑑識課員の鑑定書を証拠開示を勧告して提出させたのですが、その写真には血痕が存在せず、他の新証拠とあわせて精査した結果、再審開始決定となり、斎藤さんは無罪を勝ち取ったのです。後に東京拘置所で、斎藤さんのお母さん(ヒデさん)、別の日に妹さんが私の所に面会に来られた際にそのように話しておられたのを今でも思い出します。
私が死刑囚として東京拘置所に収監されていた時も、他にも冤罪者がいたかもしれません。しかし、再審請求するには、多くの労力(時間、金)がかかるだけでなく、家族にもさまざまに負担がかかることを考えて、再審請求を断念せざるを得ない人たちがいたのではないか、と思っています。
何れにせよ取調過程において如何なる事情があっても、一旦自白すればそれを覆すことは容易ではないことを身をもって知っております。再審が開始されるのはラクダが針の穴を通るより難しいとされている今の法制度で、とりわけ問題なのは、再審裁判で、全証拠の開示は元より、検察における上訴(特別抗告、異議申し立て)ができないような法改正を早急にしていけなければならないと痛切に思います。
狭山事件も裁判所の公正な判断を求め、最終段階を迎えている現在、何としても弁護団が求める鑑定人尋問およびインク鑑定を実現させるの一言に尽きますので、全国の支援者皆さん方に、もうひと踏ん張りのご協力を賜りたく、私の心からのお願いを申し上げてご挨拶といたします。

2023年5月23日 石川一雄
全国の支援者各位

夏期カンパにご協力をお願いします
革命的共産主義者同盟・再建協議会
郵便振替 口座番号 00970―9―151298  加入者名 前進社関西支社

帝国主義首脳会談G7広島サミットにおいて、岸田らはウクライナ戦争を契機に世界的大軍拡と対中対決を呼号し世界に分断と戦争の危機をまき起こそうとしている。「核なき世界」を標榜しているが、核兵器禁止条約の批准を拒否し、軍拡を進めるG7こそ全世界人民の絞殺者だ。クアッド会談もあわせておこない、戦争の会談であることを示した。
アメリカ一極支配のグローバリズムが自らの優位を掘り崩し、格差と貧困拡大を強制する中で、新自由主義グローバリズムと資本主義そのものの行き詰まりが示されている。WHOは新型コロナ緊急事態の終了を宣言したが、コロナ禍はまだ終息していない。この間次々とアメリカ(スイス)の銀行が破たんしたデジタル・バンク・ラン(とりつけ騒ぎ)はアメリカ発の金融危機が世界経済危機を巻き起こす可能性を秘めている。
略奪的蓄積によって延命してきた金融資本主義を打倒しなければならない。
また、安倍路線を強行する岸田は戦後最大の大軍拡(5年間で43兆円、1・5倍化軍事予算)、安保3文書の改定、「台湾有事」を口実に「敵基地攻撃能力」などを国会の論議もなく閣議決定し、対米公約したあとで小出しにリークするという国会無視、人民愚弄のやり方は許せない。
GX法で原発全面回帰、入管法改悪、デジタル社会と銘打ってマイナンバー強行やスーパーシティー構想など、人権無視の甚だしい政策を世界競争・経済効率優先で強行しようとしている。
4月統一地方選は自公の勝利とは言い難く、他方、立憲野党の崩壊状態も突きつけた。
マスコミを使っての対中国排外主義・反中国キャンペーンによって軍拡への人民動員策動が連日おこなわれる中で、日本を戦争国家にしようとする自公や追随する維新などと断固闘い、立ち向かっていかなければならない。
ロシア人民の「ウクライナ侵略を内乱へ」の決起を確信し、世界で反戦平和の闘いを組織していくことだ。
真理は少数から始まるともいう。コモンとかコミューンなど言われているが、ユートピア的なそれで解決されるようなイメージだけでは、そこへ行く道は示されていない。政治、経済、政党、組合を徐けては行き場はない。
政党や労働組合、協働組合は弱者の権利を主張し取り戻す重要なテコである。労組を敵視する新自由主義と正反対でなくてはならない。
闘う共産主義者の政治的結集体である革共同再建協議会に力を! 闘争資金を! 夏期カンパを訴えます!

8面

長期読み切り 連載
先人たちの成功と失敗を学び現在に生かそう

左翼労働運動が登場
全労働戦線を牽引して大活躍@

在日朝鮮人労働者の全虎岩(通名・立花春吉)が、私に語ってくれた話を紹介しよう。彼は労働運動に身を投じようと、南葛労働会を訪ねた。南葛労働会は勇名をとどろかせ、関東大震災の最中に12人もの中心メンバーが軍隊に虐殺されていた。
全が「労働運動をやりたいので、仲間に入れてほしい」と頼んだら、「労働運動には何が大切だと思うか」質問された。「行動と組織と学習です」と答えると、「ヨシ!」と言われて南葛労働会に加わることができた。
南葛労働会は東京東部合同労組と改称して1924年、関東機械工労組や関東印刷労組、時計工労組と共に、総同盟東京地方連合会に加盟した。これらの組合の実態はいずれも数10人程度の社会主義的活動家集団であった。
当時日本の労働界を代表していた総同盟の右翼幹部にとって、自分たちの指導理論は共産主義だと広言する左翼組合の加入は、招かざる客≠ナあった。彼らは資本家と協調することで自分たちの地位を守ろうとする輩だったからである。
1920年代初頭の大ストライキ時代が終息したあと、マルクス主義を信奉する若い活動家たちが指導する左翼労働運動が急速に台頭した。総同盟内部で左右両勢力の対立が深まりつつあるところへ、関東で左翼4組合が加盟したのである。そして24年4月、関東鉄工組合の委員長選挙で左翼が労働代官を追い落とす事件が起きた。
これが導火線となって翌年5月、総同盟が分裂し、左翼労働運動の全国組織・日本労働組合評議会(以下、評議会)が誕生した。
総同盟の左右両翼は水と油≠フ関係にあり、分裂は避けられなかった。ただし、分裂の在り方に問題があった。左翼の若い闘士たちは、右翼幹部の金銭スキャンダルや資本家との癒着、不明朗な組織運営を暴露し追及することに終始した。反幹部闘争の典型である。
その結果、一般組合員は対立抗争の外におかれ、評議会は彼らの多くを右翼幹部の下に置き去りにしたかたちで旗揚げしたのである。一般組合員の生活に密着して最も切実な要求を実現するために、具体的な行動を提起して闘いを組織し、それを妨害する右翼幹部を大衆的に糾弾することが大切であった。右翼幹部を槍玉に挙げて組合機関を握ることに主眼をおいたやり方に、左翼の独善性とセクト主義が露呈している。さらに言えば、大衆蔑視の思想を潜在的に宿していたのである。
評議会は従来のような幹部の請負主義、代行主義を排し、諸闘争の激発≠掲げて社会の変革をめざし、組合員の教育に力を入れて取組む方針を打ち出した。
分裂当時、総同盟は35組合1万3110人、評議会は32組合1万2655人で、労働界は大きく2分された。
評議会の結成を機に、それまで右翼幹部によって制動を加えられていた左翼活動家は、新しい指導部のもとに、羽根の生えた鳥のように生き生きと活動した。その結果、1年後には3万人を超えるまでに躍進した。

革命を志向する20代の指導者たち
「新しい世界が開けた」若者の姿

評議会の指導部には、委員長の野田律太のように右翼ダラ幹に反発して総同盟と袂を分かった中間派も存在した。しかし実質的に主導権を握っていたのは、コミュニスト・グループ(再建途上の日本共産党)に属する人たちであった。彼らはいずれも生粋の労働者で、京都・西陣の織物工だった国領五一郎などは、優秀な腕前が今も語り草になっている。
20歳代の彼らは、2〜3年後には再建された共産党の最高幹部の地位についた。労働組合を足場に共産党の勢力を拡大し、それをもって革命を遂行しようとしていたのである。
最前線の職場で活躍していたのは、10代後半から20歳ぐらいまでの若者たちであった。
その一人で当時16歳であった関東機械工労組の横井亀夫は、当時をふりかえって、次のように語っている。「労働運動をやることによって、新しい世界が開けた。このなかで本当に人間らしく人生を生きていくんだ。だからどんなことがあっても、一生かけてやり抜くんだ。自分がつかんだ新しい世界観を仲間に広めていくんだ」と。
指導部にいた者も職場活動家も、いずれも貧困家庭に育ち小学校さえまともに卒業していない者も珍しくなかった。過酷な労働生活で社会の矛盾を肌で感じるなかでマルクス主義と出会い、社会の根底的変革に全人生をかけて闘う展望と確信を得たのである。
その頃マルクスやレーニンの日本語文献は極めて少なく、しかも検閲制度のために伏字だらけであった(甚だしい場合は1ページの大半が伏字)。それを補ったのが、山川均ら社会主義運動の先覚者たちによる『資本主義のからくり』などのパンフレットであった。それらはマルクス主義の基礎を、たとえ話を引きながら分かりやすく平易な言葉で書かれていた。基礎的素養に乏しい労働者活動家が寸暇を惜しんで読み、自分たちの生活に引き寄せて理解し、マルクス主義を血肉化していったのである。
さらにロシア革命の勝利と「労働者国家」の存在によって、自分たちも苦しい闘いに耐え抜いて新しい社会を実現しようという希望を抱き、そこに人生をかける道を選んだのである。
 評議会の結成を機に、左翼の職場活動家たちは、はじけるように躍動した。例えば横井が働く日本光学では、毎日昼休みに隊列を組み、組合旗を掲げ、労働歌を歌って行進し、周辺の未組織工場の労働者に一緒に闘おうとビラを配った。ビラ作りは各職場で順番に担当し、前回のビラの反応も含めて全員が意見を出し合って取組んだ。研究会も週1回程度は欠かさずに開いた。
当時、機械金属製造工場で働く男性労働者は、20歳代が30・7%、30歳以上が55・2%である。これとくらべると、職場活動家の平均年齢はかなり若かった。
 京浜工業地帯のいくつかの大工場では左翼が一旦組合執行部を握った。しかし、年配の中堅層が不満を抱き、それを会社が巧みに利用して、組合の主導権を奪い返すケースが少なくなかった。
左翼労働運動が組合機関の奪取に主眼を置き、職場に根を下ろした職場闘争を日頃十分に展開していなかった隙を突かれた結果と言えよう。
26年4月の評議会第2回大会では、総本部に婦人部を設置すべきか否かの大論争があった。女性労働者の地位向上のため独自の組織を設けるべきだという提案に、指導者たちが強硬に反対し、事実上否決されてしまった。
彼ら自身、日常的に家父長制を地で行く家庭生活を送り、無意識のうちに女性を蔑視していたのである。さらに言えば、「共産主義者」を自任する左翼の指導者であっても、家父長制が天皇制支配の基礎をなしていることに無自覚であった証明である。
また、在日朝鮮人労働者の問題については、創立大会の関係文書のなかで、人種・性・年齢の差別なき最低賃金制に言及しているだけであった。朝鮮人労働者がなぜ日本に数万人も存在するのか、その背景に何があるのかという問題について深刻にとらえていなかったことは、ラディカルな変革主体としての思想的限界性を示している。
評議会は以上のような問題性を内包していたが、さまざまな新戦術を駆使して、資本と権力の十字砲火のなかで善戦奮闘した。幾多の輝かしい足跡を残したことは高く評価すべきである。
次号以降で、その闘いについて具体的にみていくことにしよう。