未来・第364号


            未来第364号目次(2023年4月20日発行)

 1面  維新進出と各地で闘う
岸田自民と公明は後退
統一地方選前半

超危険 老朽原発うごかすな
リレーデモ貫徹 4・29高浜全国闘争へ

 2面  県議選兵庫 阪神間では左派奮闘

 3面  沖縄日誌 3月 進む軍事要塞化
石垣島に車輌200台 3月4日      

大阪府島本町議会 意見書を可決
南部土砂使用するな     

 4面  投稿
放射能汚染水を「処理水」と名前だけ変えて海に流すな
深津利樹

優生保護法問題の早期・全面解決を求める院内集会
全国を結んで千人以上が参加

伊方原発停止新規仮処分
運転差し止めを認めず
広島高裁

 5面  強制不妊 3月23日 大阪高裁判決
兵庫の障がい者5原告が逆転勝訴
国に解決迫る―「『旧法は違憲』を認めない限り除斥期間を適用しない」
岸田文雄首相は「旧法=違憲」を認め、原告に直接謝罪せよ
ただちに国賠判決への全ての上告・控訴を取り下げよ
「優生保護法問題の早期・全面解決」へ!国と国会はすみやかに取り組みを開始せよ

 6面  長期・読み切り連載 大庭伸介
先人たちの闘いの成功と失敗を学び現在に生かそう

ストライキ時代が到来
日本経済の心臓部に闘いの炎A

 7面  投稿
生活保護制度批判序説
生活保護受給者からのアピール
小原範子

 8面  日米は挑発と要塞化やめろ
3月4日・5日 石垣島全国集会に参加して
小多基実夫

     (シネマ案内)
『小さき麦の花』
監督:リー・ルイジュン 2022年(中国)

             

維新進出と各地で闘う
岸田自民と公明は後退
統一地方選前半

21年衆議院選から1年半、岸田政権の信任を問う統一地方選前半が終わった。41道府県議選の結果は、岸田自民党と公明党は議席では現状維持に見えたが、自民党の政治的影響力、公明党の得票数は大きく減退した。立憲は増加したが野党第一党の勢いはなく、中間党派=国民は消滅の過程に入った。共産も大幅議席減(大阪1、兵庫2)、社民党は全国で3人となった。
この中で大阪・奈良の知事選、大阪市長選に勝利し、大阪府議会・大阪市議会の過半数を制し、神奈川、福岡などで維新が議席を得た。岸田自民党の失政を「批判」し、リベラル・左派の体たらくを衝き、ぶれない新自由主義・市場原理主義者集団として橋下・松井時代を超える集団になる可能性がある。都構想に2度敗北し、「身を切る改革・大阪の成長を止めるな」が陳腐化しながらも、沈む日本を救うのはカジノ=バクチ型の経済「成長」にかけるしかないというのが、最も沈没が激しい関西の資本家・小ブル・それに引きずられた市民ということだ。
大阪での敗北の最大の要因は、このカジノに依存する維新政治を打ち破る反カジノ運動と大阪・関西の未来像を提示できないことに尽きる。また大阪の改革の成果と称する「教育無償化」のペテンを打ち破れなかったことだ。経済的行き詰まり(賃金が30年間増えない)と、「少子高齢化」による社会の崩壊に対し、「授業料無償化」はそれなりの吸引力を持つ。しかしその内実は、学校と教育と教育内容の市場への開放(難関校への進学率だけが基準の市場原理、教職員に対する徹底統制、地域の学校の統廃合、塾クーポン券の配布、水泳授業や図書館の民間委託など)がこれ以上進むと、地域社会は解体する。社会などというものはない、あるのは資本と自由に無慈悲に売買される労働者だけ、という弱肉強食社会が到来するのだ。これを背景に維新政策の全面批判をしなければ、「没落資本主義の救済者=維新」の全国展開はさらに進む。

最後までカジノ反対を訴える候補者(8日19時半、JR大阪駅北)

地域からのボトムアップの政治を

それでは今回の統一地方選で、関西圏では押しなべて敗北かというとそうではない。維新が新たに進出した地域(奈良など)や軽視した地域では維新は急増したが、維新占拠地(大阪市)周辺で激しい攻防を闘い抜いてきた地域(堺市、兵庫県東部など)では、表面的な維新の「制圧」の裏で、新たな維新との対決構図が進んでいる。特に政令指定都市の堺市では府議選では維新が制圧したが、市議選では非維新がトップ当選する区などもあり、6月市長選が次の決戦に。阪神間では野党系が踏みとどまり(2面参照、共産党は兵庫5の議席が2に激減したが阪神で2を確保)、神戸市議選では共産党が議席を維持した。ここにあるのは、維新=改革幻想を打ち破り選挙戦でも勝ち抜いていく執念と具体的対抗策、地域自治を大切にするボトムアップの政治運動だろう。
維新に対する全面批判は後日に回すが、没落日本にあって、カジノ=投機資本主義に未来を託すのではなく、敵基地先制攻撃=軍事大国化と原発推進の岸田政権と対決し、地域での循環社会をベースにしたボトムアップの政治運動・社会運動・共同闘争を作り上げることが、東京杉並区のように新しい時代を作るのではないか。そのことを確信し、統一地方選後半戦を闘い抜いていこう。

超危険 老朽原発うごかすな
リレーデモ貫徹 4・29高浜全国闘争へ

リレーデモ最終日 高浜原発ゲート前で抗議と申し入れ(4月2日、福井県高浜町)

関西電力は、国内で初の40年超え老朽原発=美浜3号機を21年6月に再稼働させた。さらにこの4〜6月にかけて、48年超えの高浜1号機、47年超えの高浜2号機の再稼働を狙っている。
老朽原発うごかすな! 実行委員会は、高浜1、2号機の再稼働を阻止するために、リレーデモを提案し、関西電力本店から高浜原発まで230キロのデモを敢行(一部区間、車・電車移動)し、沿道の自治体市民にひろく「再稼働するな」と訴えてきた。
基地も原発もない、ひとの命と尊厳を大切にする社会をつくろうと、3月21日から4月2日まで13日間(うち2日間は休息日)、雨の日も、夏日の日も、時に右翼の干渉もはねのけ、歩き抜いた。
市民・地域住民無視の横暴な関電と権力政治のもと、メッセージ、ショート・コール、シュプレヒコールとデモ隊は、参加者全員と唱和しながら歩き、反対の声を出し続けた。1台の街宣カーが、デモコースの周辺を別働し、街宣しながら周回する。もう1台の車は、デモの前をゆっくり先導。さすがに、都会の雑踏の中とは違う、すっきりした風通しの良い道端から、デモ隊の合唱に共感しての拍手や激励のポーズを示してくれる。観光客が、団体で応援してくれた。子ども達や生徒学生は、さすがに、ナイーブに目をかがやかせ、一緒に並行しながら歩道を歩き、ついには小集団になって、語りかけてくるので、デモ参加者がチラシなどを渡す一幕もあった。
実行委員会は、沿線自治体や関電本店・支社に、再稼働をすることの犯罪性(事故は未必の故意)を訴える申し入れを15カ所以上でおこなった。

2日目 新大阪駅前からスタート

2日目(3・22)の新大阪では、高校生がひとり岡山からかけつけてくれた。3日目(3・23)は、韓国の反原発グループの人々、家族連れも含め、6人ほどがデモを同道した。5日目(3・26)には、日本山妙法寺の2人が、お経を唱えながら、法華太鼓をたたいた。7日目(3・28)JR南彦根駅頭では、デモ隊の準備が整う前に、地元の井戸謙一弁護士が激励に来られ、スピーチを。「この駅の向こう側に事務所があります。困ったことがありましたら、いつでもどうぞ」と如才なく始まり、「原発の危険性を立証する責任を、政府や関連省庁、そして、当然、電力会社、製品メーカーなどが負うべきであるにもかかわらず、なんと大阪地裁の裁判長は、美浜原発の運転差止仮処分では、老朽原発美浜3号機の危険性の立証を消費者が、電力使用者がしなければならないとして、申し立てを却下した。」井戸さん曰く、裁判官も色々なので、市民活動によって裁判官を監督することが大切ですと訴え、デモ隊の出発を拍手で見送った。滋賀県愛荘町の元町長・村西俊雄さんからも激励の発言を頂いた。さらに米原駅では、平尾道雄米原市長が、避難問題は責任をもってやらねばと固く言明した。

びわ湖東岸から福井県へ

滋賀県北部では、長浜市、高島市、さらに福井県に入り、東小浜などでポスティングをおこなった。福井県小浜市に入ると、なぜか、ゴーストタウンのようなおもむきになり、参加していた小浜市明通寺の住職でもある中嶌哲演さんが「いや、人が少なくて、すみませんですね。過疎化しているんです」とおっしゃる。小浜市は、大飯原発が目の前(対岸)にあり、原発立地自治体同等の危険にさらされているが、それ相応の対応、「気配り」が政府・関電側にはまったくない。伝統的に、原発建設に反対してきた町なのだった。
私たちが各戸に投函したチラシは、コート紙でオールカラー4頁。チラシというよりはパンフレットというべき内容だった。全体のタイトルは「岸田政権の『原発依存社会』への暴走にNO! を」。政府、電事連、原発メーカーなどへの新しい対抗的運動をつくる必要が訴えられている。
ほぼアメーバデモ(拡声器でアピールを流しながら、旗差し物を持っておこなうポスティング)で10年、こうしたチラシに対して地元住民には、訝しさはきれいになくなっていて、「ありがとうね」と言ってくれる方が多い。心の中では、「避難が絵空事ってほんと?」という不安と恐怖は払しょくできず、このデモ隊は、地元の人々と共に歩いていると感じてくれた。

3月21日から13日間、リレーデモをやりぬいた

高浜原発へ

いよいよ、ゴールの高浜原発ゲート前。高浜町内のデモでは、関西からの参加者が合流し、音海展望台から高浜原発ゲート前へ行くときには、70人になっていた。今回のデモは、すべての日程で延べ900人。
中嶌哲演さんのあいさつに始まり、デモ隊全員でシュプレヒコール。高浜市の西隣・京都府舞鶴市では、維新が市長になったため、議会傍聴を欠かさないという3人の同市民のうち、ひとりがスピーチ。福井県敦賀市から、関西生コン支部の方、必要のない効率悪い原発を使って、再び大事故を再現しないでと訴える。ノーニュークス・アジアフォーラム・ジャパンの佐藤大介さんは、30年間運動を続けてきて、台湾やドイツは、原発全廃。ところが、韓国に悪影響を与えて、原発マフィアと一体になっているのがこの日本。ともに闘いましょう。
地元で長らく闘い続けている福井県若狭町の石地優さん(デモ隊の皆さんには、文句を言いたくないので、と向き直り、原発へ向かって怒りの告発)が関電の犯罪的所業を列挙。「カルテルの公正取引委員会へのタレコミによって、自社だけは課徴金を逃れたり、自然エネルギー企業の情報を盗み取って、業界をコントロールしたりなどなど、もし反省しているなら、早々に原発を廃炉にしなさい」。 
釜ケ崎日雇労働組合の三浦俊一さんは、下請け労働者は自分が誰に使われているのか分からないようにされて、原発が建てられてきた。そうして、累積する病と死の労働を積み上げている大企業を告発。原発のない労働現場が必要なのだと訴えた。

関電に抗議申入れ

途中、関電に申入れ。ゲート前で、あたり一帯にひびきわたる大音量で代表が申し入れ書を読み上げ。朗読後、対応した所長室課長にマイクを向けると小さな声で「社内で取り上げさせていただきます」。デモ隊から、それだけが返事か?と猛烈なブーイングが。
地元、おおい町の宮崎さんは、先日の高浜4号機制御棒落下時の恐怖と経営サイドのいい加減さによって原発廃炉の希望を絶たれたことへの落胆。この深い失望感にみちた話を高浜の東山さんが、みごとにフォロー。
最後は、木原さんが「皆様ご苦労様でした。地中で45億年眠っていた化石燃料や核物質を掘り返すのはやめて、主に太陽エネルギーでまかなう、人間の命と尊厳が大切にされる、新しい社会を展望する運動をしたいと思っています。さらに、4・29高浜全国集会を準備していますので、また、お会いしましょう」と結んだ。(南方史郎)

2面

県議選兵庫 阪神間では左派奮闘

4月9日投開票の兵庫県議選では、維新が伸長・自民が後退、左派・リベラルも苦戦し、共産も激減したが、大阪に近い阪神間では左派が奮闘した。

最終日はJR立花駅で演説(4月8日)

尼崎
若いボランティアに支えられ丸尾まきさん、上位で5選

尼崎選挙区は1人の泡沫を除いて7議席を自民2、維新2、公明2、共産、緑の8人が争う究極の椅子取りゲーム。共産も前回2人立候補をを今回1にし、維新は現職と昨年11月市長選敗退候補が出馬。
この中で市議4期、県議4期を務めてきた丸尾まきさんは、バックに政党や労組や大きな団体を持たない中、地道な地域活動(「ほうれん草通信」を99号、延べ700万部発行)の上に、今回は新社会党、社民党、れいわ新選組の支持も受け、さらに若いボランティアスタッフが多く集まり、連日運転・ウグイス・街頭行動などに決起していって3位当選を決めた。
最終日はホームグランドJR立花駅南に、前市長・稲村和美さんや元衆議院議員・つじ恵さんらも駆け付け50人余りで最後の訴え。開票時は狭い事務所に30人以上が詰めかけ、11時過ぎの当確が出るや、穏やかな中にこんごの闘志を秘めた挨拶がなされた。
また近隣の川西市・猪名川町の北上さんや、宝塚市の橋本さんの当確の報が流れると、思わず歓声が上がり涙ぐむ人も。結局7位を自民現職2人が争い、自民1人が落選となった。
連日多くのボランティアが集まった(4月7日)
兵庫でも維新の伸長は激しかったが、その中で阪神間は、宝塚市・西宮市で日教組・自治労系の2人の新人(立憲民主党)が当選。川西の北上さんも再選。共産党も5人が2人になったが尼崎で3選、西宮で新人が当選。
この中で、無所属ながら5選を果たした丸尾さんは、県議会野党の重鎮として大きな役割が期待される。また反原発をはじめとする大衆運動では、老朽原発うごかすな! の大きな集会には丸尾さん・北上さんはほぼ常連。県議会・国政の課題も含めて奮闘を期待したい。

川西・猪名川
今回も自民党を落とし北上あきひとさん、堂々再選

力強くアピールする北上あきひとさん(3月31日)
真剣に聞き入る市民(3月31日、川西市)

大阪に近い阪神間の中で、維新の進出を受けながら前回市議から県議に当選した北上あきひとさんは、4年間の実績をかかげて2期目に挑戦した。阪神北部の人口20万人前後の川西・猪名川、宝塚、伊丹の3選挙区はいずれも維新・自民・公明VS野党(立憲か共産か無所属)で3議席を争う激戦区。
3月31日の告示日夕刻、阪急川西能勢口駅前には、北上さんを激励しようと多くの市民が集まった。川西市長、猪名川町長につづき中川智子前宝塚市長は、元秘書であった北上さんを温かく激励するとともに、当日発表された岸田政権の「異次元の子育て政策」を、現場実態とかけ離れたバラマキでしかないと厳しく批判した。また前回に続き10日間の選挙戦中はりつく上原公子元国立市長も必勝を訴えた。10人の川西市議・猪名川町議や、服部良一社民党幹事長、桜井周衆議院議員も激励。こののち北上さんは4年間の県議活動を詳しく報告した。
北上さんは、コロナ禍が始まるや1年生議員ながら会派を代表して県立病院・医療センターにおける医療従事者の待遇をただし改善を実現した。学校現場では特別支援学級・学校が手狭になる中で、川西市に特別支援学校を建設させた。兵庫県各地を視察し、農業問題、防災・河川の問題、交通問題などにきめ細かく対応した。元社民党の無所属ながら、立憲や共産党や労組の支持も集め、原発や狭山にも取り組んできた。この実績が9日の再選に結びついた。

3面

沖縄日誌 3月 進む軍事要塞化
石垣島に車輌200台 3月4日

3月1日 沖縄本島南部の土砂を辺野古新基地建設の埋め立てに使用する計画の中止を求め、戦没者遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」代表の具志堅隆松さんがハンガーストライキをおこなって2年がたつ。具志堅さんは「この問題を全国に知ってほしい」と語った。

3日 具志堅さんは県に対して、南部でまだ開発されていない区域の買取りを要請し、「遺骨の保全と次世代に沖縄戦を継承し、平和を考える慰霊の場所として残すために、県有地にすべきだ」と訴えた。

4日 名護市辺野古のキャンプ・シュワブゲート前で、毎月第1土曜日の「県民大行動」に589人が参加。この日は「さんしんの日」で沖縄から平和を発信する日だ。糸数慶子共同代表は「沖縄は文化と平和の発信地だ。今日は平和運動の再出発の日だ」とあいさつ。登壇者からは、石垣島での自衛隊配備など政府の軍拡路線への批判が相次いだ。参加者は「諦めずに粘り強くたたかい続けよう」と拳を突き上げた。

5日 石垣市で防衛省・自衛隊が、陸上自衛隊石垣駐屯地に150台の車両を搬入した。12式地対艦ミサイル(現在射程は百数十キロ。千キロまで延ばし、相手国領域内の攻撃にも使う計画)や地対空ミサイルの発射機が含まれている。16日の駐屯地開設に向けて、車両2百台、隊員570人が配備される。
この日、車両の出発地となった石垣港付近で、搬入を阻止しようと早朝5時より市民50人が「石垣にミサイルはいらない」と抗議の声を上げた。午後から市内の公園で集会が開かれ2百人が参加。基地のそばで農業を営む住民は「これから隣り合わせで生きていかないといけないのかと複雑な思いだ」と怒りをにじませた。  (8面に関連記事)

6日 玉城デニー知事は沖縄の基地問題を米国に直接訴えるため米首都ワシントンに向け出発した。知事の訪米は就任後3回目。政府関係者と面談し、沖縄の生の声を伝える。10日帰国予定。

16日 石垣市で、陸上自衛隊石垣駐屯地が開設された。八重山警備隊(340人)が編成され、「石垣駐屯地」「八重山警備隊」の看板が掲げられた。市民30人は駐屯地前で抗議の声を上げた。
またこの日、名護市辺野古の新基地建設で、防衛省の設計変更を県が「不承認」とした処分を巡り、県が国の関与取り消しを求めた2件の訴訟の判決で、福岡高裁那覇支部(谷口豊裁判長)は県の訴えを退けた。県の敗訴に玉城デニー知事は「2件の判決は到底納得できるものではなく、上訴に向けて内容を精査していく」と述べた。(23日最高裁へ上告)

18日 石垣市で、陸上自衛隊は、石垣駐屯地に弾薬を搬入した。今回、海上自衛隊の輸送艦を使い、車両18台を石垣港から搬入。市民は石垣港前などで抗議の声を上げた。

22日 石垣市で、石垣市・防衛局・石垣駐屯地の3者主催の住民説明会がひらかれた。千人の会場に170人参加。反対派住民は参加を拒否した。

24日 名護市辺野古のキャンプ・シュワブゲート前の座り込みに、防衛局関係者8人が現れ、市民が安全のために設置したコーンの撤去を促した。また、市民の後ろに立って監視した。これまでにない弾圧のエスカレーションに市民は怒りの声を上げた。

大阪府島本町議会 意見書を可決
南部土砂使用するな

3月27日、大阪府島本町議会本会議で、辺野古新基地建設に伴う埋め立てで「沖縄県本島南部の戦没者の遺骨が含まれる可能性がある土砂を埋め立てに使用しないよう求める」意見書が全会一致で可決された。
この意見書は、戦没者遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」代表の具志堅隆松さんが、全国の議会に意見書可決を要望し、これまで全国で227の議会が意見書を可決。(2022年12月現在)
今回新たに島本町議会が加わった。具志堅さんの訴えは全国に広がっている。沖縄県外では大阪府、長野県、北海道などで可決されている。大阪府では堺市、大阪市など島本町を含め23の議会が可決したことになる。 
私たちは具志堅さんと連帯し、さらにこの運動を拡大していこう。(島袋純二)

4面

投稿
放射能汚染水を「処理水」と名前だけ変えて海に流すな
深津利樹

経産省が全面広告

3月5日朝日新聞は、福島第一原発事故で発生した放射能汚染水を「ALPS」と呼ばれる多核種除去装置で処理した後に海洋投棄することへの理解を求める経済産業省の全面広告を掲載、「福島の復興へ みんなで考えようALPS処理水のこと」と題して、全国の高校生を対象にして出張授業を始めたとした。
3月26日の朝日新聞では「これからの廃炉とALPS処理水に関する高校生向けワークショップを開催」の全面広告も掲載された。  
        この放射能汚染水の海洋投棄については地元漁業関係者だけでなく、国内外から厳しい視線が注がれている。そこで経済産業省は朝日新聞をはじめマスコミに広告を掲載して「処理水の海洋放出の安全」を強要して、今年夏までに海洋投棄に踏み切るつもりなのだ。 ALPSによる「処理」では放射性物質トリチウム(三重水素)は当然ながら全く除去できない。ゆえに、廃炉作業で日々大量に発生する「処理水」をこれまでタンクに貯蔵してきた経緯がある。

危険なトリチウム

しかし、政府・経済産業省は「貯蔵タンクがいっぱいで限界だ」として、「処理水」を国の放出基準を下回るように海水で希釈し、全長1キロの海底トンネルを通して沖合に放出することを決めてしまった。
  トリチウムについて政府・東電は「水と同じ性質なので人や生物への影響は確認されていない。安全だ」としている。しかしそれは専門家でも意見が分かれている。トリチウムが有機化合物の水素と置き換わり、食物を通して人体を構成する物質と置き換わったときには体内に長くとどまり近くの細胞に影響を与えること、そしてDNAを構成する水素と置き換わった場合は被ばくの影響が強くなること、トリチウムがヘリウムに壊変したときにはDNAが破損することなどが指摘されているのだ。
さらにトリチウム以外の放射性物質も完全に除去できるわけではない。ストロンチウム90、セシウム137、セシウム134、コバルト60などがこのALPSでも完全には除去できていない。

薄めても放射能総量は同じ

そして「海水で希釈して海洋放出するから安全だ」という理屈もナンセンスだ。大海原に放出することによる環境への悪影響を判断する際に重要なのは、放射性物質の「濃度」ではなく「量」である。どんなに海水で薄めたところで放出される放射性物質の「量」に変わりはないことは、小学生にも理解できる理屈だ。
以上などにより、「ALPSで処理したから安全だ」とはまったく言えないのだ。
陸上で石油備蓄のような大型タンクに貯蔵すればよいとの意見が有力であり、さらにモルタル固化はすでにアメリカの核施設の汚染水処分で用いられている。海洋投棄など、全世界に続いている海を汚すことは絶対に許されない。諸外国も「懸念を表している」と報道されている。韓国の野党議員らも来日し「安全性が確保されない限り、放出すべきでない」と改めて訴えている。(4月7日)
それなのに、朝日新聞広告で、経産省は、福島原発事故での放射能汚染水についてALPSで処理したから「海に放出しても大丈夫」「影響は極めて小さい」「持続可能な漁業の実現にむけて支援を続けていく」と言っているのだ。
そして実績例をあげて、神奈川県の私立高校で、「うわさや間違った情報に流されず、化学的根拠に基づく判断と選択をしてほしい」と経産省の講師が伝えたとあり、「処理水放出が科学的に正しい」ように書いてある。
福島県立相馬総合高校では、生徒から「厳しい声」もあったとしながら、経産省の「講師」が「私も福島出身。福島の魚が正しく評価されるよう、その魅力や正しい情報を発信し続けていくと約束しました」と書いている。これでは学校の講師の回答とは言えず、政治家のいうような言でしかない。

出前授業をただちにやめよ

そもそも経産省の役人は高等学校で教える教員資格を持っているのか。しかもこの朝日新聞を見た市民が県の教育委員会に事実を問い合わせたところ、通常は、各学校には各都道府県の教育委員会を通して伝えるはずなのに、この件では経産省が博報堂という民間広告会社に委託して一切を仕切らせてやっていると。
「経産省のこうした呼びかけに各高校はどう対応したのか」という市民の質問に、県教育委員会は「何もわかっていない」と答えている。こんなことが全国でおこなわれている。
岸田政権よ、福島原発から出た放射能汚染水を、処理もできないまま「ALPS処理水」と名前だけ変えて海に流す。こんなことは許されない。漁業のみなさんに対して「支援をしていく」という言葉だけで、実際には放射能で海を汚す。こんなことは認められない。
経産省はこのような全国の高校生をだますような「出前授業」をただちにやめよ。

優生保護法問題の早期・全面解決を求める院内集会
全国を結んで千人以上が参加

3月28日12時から衆議院第1議員会館大会議室で「優生保護法問題の早期・全面解決を求める院内集会」が各地をZOOMで結んで開かれ、会場に330人、ZOOMで1000人以上の人たちが参加した。
優生連(優生保護法問題の全面解決を目指す全国連絡会)利光恵子さんの開会あいさつで始まった集会はまず、志し半ばで亡くなった5人の原告に対する黙とうをおこなった。 兵庫弁護団・吉山弁護士が、この間出された判決の解説をした。吉山さんは「昨年2月以来の7つの判決すべてで国の責任を厳しく指摘し、賠償を命じています」「先週の大阪高裁の判決では『国が今なお法律を作ったことの違法性を争い、除斥期間の適用を主張しているこの状況では被害者が訴え出ることが難しい状況はなくなっていない』『国が優生保護法の憲法違反を認めるまで時間切れにはならない』とまで言っています」「裁判所は被害者の声にこたえました。もう司法の判断は出ています。国会議員の皆さん。彼らの声は聞こえていますか」と政治こそが解決すべき問題であると突きつけた。
原告、支援者の発言では、札幌、兵庫、仙台、静岡、熊本、大津の各原告、支援者から発言があった。
「優生手術をされて悔しい思いをしてきました。国は本当に謝ってほしい」(札幌、小島喜久夫さん)、「これまで受けてきた差別や虐待を口にできず、ずっとこらえてきた自分がいました。勇気をもって提訴しました。やっと勝訴したのに国は控訴しました。悔しさでいっぱいです」「私たちが受けてきた人権侵害をどう思っているのか、岸田総理に聞きたい」(仙台、東二郎さん / 仮名)
今後に向けて、原告の飯塚淳子さん(仮名)、北三郎さん(仮名)、全国弁護団共同代表の新里宏二弁護士、優生連の大橋由香子さんらが訴えた。
最後に、アピールを採択して集会を終えた。その後、官邸前に移動し、「国は控訴、上告をするな!」とアピール行動をおこなった。

伊方原発停止新規仮処分
運転差し止めを認めず
広島高裁

広島県と愛媛県の住民計7人が運転差し止めを求めた仮処分の即時抗告審で、3月24日広島高裁(脇由紀裁判長)は、差し止めを認めない決定をしました。私たちは満腔の怒りを込めてこれを糾弾します。そして、決してあきらめることなく新たな闘いを準備しています。

高裁に怒りの声

午後1時30分、弁護団や抗告人を先頭に乗り込み行進がおこなわれました。高裁前集会が開催され、河合弘之弁護団長や抗告人の決意表明が続き、弁護団を送り出しました。
午後2時10分、広島高裁前に抗告棄却を知らせる4本の旗が掲げられると詰めかけた住民らや支援者から一斉に怒りの声が上がりました(写真)。
演壇に立った河合弁護団長は「一喜一憂せず、あきらめることなく、あらゆる形での反原発の行動を続けなければならない。裁判闘争はその中の一つの手段です。広島選出の岸田総理は、核兵器廃絶を口にしながら原発回帰に舵を切った。核兵器廃絶や核軍縮を口にしながら原発を推進する行為を許してはいけない」と力強く訴えました。

弁護士会館で記者会見・報告会

午後3時から、広島弁護士会館3階大ホールで記者会見・報告会が開催され、抗告申立人、樋口英明元裁判長、仮処分弁護団が登壇し、弁護団による高裁の決定要旨の解説、抗告人による抗告人団声明、弁護団声明の読み上げがありました。
なかでも抗告人団声明は「今、原発を差し止める闘い、のみならず福島原発事故という最大の公害事件をめぐる多くの戦いが日本全国で展開されている。それらの戦いの本質は、日本国憲法における『最高の法的価値(法益)』とされる人格権の根幹、『生命・身体』の保全をめぐる戦いに他ならない。またこの戦いは憲法12条でいう『不断の努力』によって権利を保持する戦いでもある。だから決してあきらめてはいけない。あきらめた途端に日本国憲法は一片の紙切れになるだろう」と決意を表明しました。
詰めかけたメディアや支援者、リモート参加者が活発な質疑応答をおこない、記者会見・報告会を終えました。
4月19日には伊方原発運転差止広島裁判(本訴)で、いよいよ原告の人証がおこなわれます。共に頑張りましょう。(松田忍)

5面

強制不妊 3月23日 大阪高裁判決
兵庫の障がい者5原告が逆転勝訴
国に解決迫る―「『旧法は違憲』を認めない限り除斥期間を適用しない」
岸田文雄首相は「旧法=違憲」を認め、原告に直接謝罪せよ
ただちに国賠判決への全ての上告・控訴を取り下げよ
「優生保護法問題の早期・全面解決」へ!国と国会はすみやかに取り組みを開始せよ

逆転勝訴(3月23日)

旧優生保護法(以下、旧法。1948〜96年)下で不妊・中絶手術を強いられたのは憲法違反だとして兵庫県下の男女5人が国に計1億6500万円の損害賠償を求めた「兵庫訴訟」の控訴審判決で、大阪高裁(中垣内健治裁判長)は3月23日、旧法を違憲と判断し、請求を棄却した1審神戸地裁判決(21年8月)を変更し、国に計4950万円の賠償を命じた。
内訳は、手術を受けた高尾辰夫さん(仮名。20年11月に81歳で死去)、小林喜美子さん(22年6月に89歳で死去)に各1430万円、鈴木由美さん(67)に「当時未成年でありながら子宮摘出手術を強制された」ことを考慮し1650万円、配偶者で賠償請求権を承継した高尾奈美恵さん(仮名。82)、小林寶二さん(91)の2人はそれぞれ手術を受けた被害当事者と「不可分一体の関係にある」と認め、各220万円とした。

半世紀以上前に手術を受けた原告の方々は、2018〜19年の提訴時には除斥期間の20年を大幅に経過していたが、今後決まる「違憲確定時」まで請求権は生きているとの判決で、逆転勝訴した。こうした今次判決の論理に従えば、これまで敗訴した各地の原告はすべて逆転勝訴、これから提訴する被害者も全員救済される。まさに画期的である。

全国11地裁・支部に提訴された強制不妊・中絶手術をめぐる訴訟で国賠命令は、高裁では昨年の2月大阪と3月東京、本年3月の札幌に続く4件目、地裁を含めると7件目となった。

判決は旧法について、「特定の障害や疾患を有する者を不良と見なし、不妊手術により、子どもを産み育てるか否かの意思決定の機会を奪うものだ。立法目的は極めて非人道的で、個人の尊厳の尊重を基本原理とする憲法の理念に反することは明らか。幸福追求権を定める13条、法の下の平等を定める14条に違反する」と判断した。また、立法を行った国会議員の過失を指摘した。違憲判決は、高裁では昨年2月大阪、3月東京と本年3月の札幌に続き計4件目、地裁での計8件を合算すると計12件に積み上った。

原告の喜びの声

▼小林寶二さん(妻・喜美子さん〔判決を聞くことなく昨年6月89歳で逝去〕の遺影を胸に)「この日を待っていました。喜美子には『よかったね。ありがとう』と伝えたい。ようやく一緒に喜び合えたと思います」。

▼鈴木由美さん「たいへんうれしい。良い判決です。しかし、身体の傷は薄れても、心の傷は一生癒えない。国は私たちがどんなに差別を受けてきたかを考え、こんなばかげた法律を二度とつくらないよう私たちに謝ってほしい」。
▼高尾奈美恵さん(仮名)…高齢と病気で体調がすぐれず記者会見には出席されず。

「『国が旧法=違憲』を否認する限り除斥期間の適用を認めない」
裁判長は除斥期間について、起算点は優生手術の時であり、提訴は除斥期間の20年を過ぎてなされたとしつつも、「旧法は明らかに違憲で、立法を行った国が、除斥期間の適用により賠償責任を免れることは、個人の尊厳の尊重を基本原理とする憲法が容認しない」と断じた上で、国の重大な責任を3点挙げ批判した。「@国は旧法を改廃したり、補償措置を講じたりすることを怠った。Aまた、手術を行うに当たって法的根拠や理由を十分に説明しなかった。B加えて、「優生施策を推進して差別・偏見を助長し、旧法が権利を違法に侵害するものであると被害者に認識させることを妨げてきた」。
そして、「除斥期間を適用すれば、補償もないまま原告らに損害を受忍させる結果となり、正義・公平の理念に著しく反する」と断じ、次のように結論した。「故に、国が旧法を違憲と認めた時、または違憲判決が最高裁で確定した時から6カ月が経過するまでの間は、除斥期間による効果が発生しないと解することが相当であり、原告らの損害賠償請求権が消滅したとは言えない」。

判決は、国が「旧法=違憲」」を認めず、除斥期間の適用によって国家賠償を拒否していることは、強制不妊と併せて原告に対して二重の加害行為を続けているのに等しいという認識を示した。そして、この認識をベースとして「違憲を否認する限り、除斥期間適用を認めない」との判断を提起したのである。
換言すれば、国の「旧法=違憲」否認、国賠責任拒否と不可分離に結びついた除斥期間という優生社会の支配権力にとっていわば必須不可欠の武器を、裁判長の主観的意図は別として、事実上無力化、無意味化した判決だと言って過言ではない。まさに、原告の方々の人間的尊厳の回復を求めてやまない血のにじむような不屈のたたかいのたまものに他ならない。

振り返れば、除斥期間適用とそれに基づく請求棄却によって、 どれほど多くの原告と被害者があるいは失意と落胆のどん底に突き落とされ、あるいは提訴断念と泣き寝入りを強いられてきたことであろうか。しかし、それは強制不妊・中絶手術をめぐる国賠訴訟に限られたことではない。除斥適用は公害、薬害、放射線障害、その他数多くの基本的人権に関わる領域において、労働者階級民衆の利害と権利にはかりしれない被害と災厄をもたらしてきた。そうした現実の中で、大阪高裁判決が全戦線にわたる多くの原告・被害者を励まし、大きな勇気と新たな立ち上がりを呼び起こすであろうことは疑いない。今こそ、原告の方々の不屈のたたかいに学び連帯し、「優生保護法問題の早期・全面解決」に向かってともに前進してゆこう。

大阪高裁判決に関する弁護団の声

藤原精吾兵庫訴訟弁護団長「全ての被害者を救済できる判断で、国に責任を認めるよう促す画期的な判決だ」
新里宏二全国弁護団共同代表「違憲性が確定するまで除斥期間を適用しない」とする大阪高裁の判断理由は全被害者が救済されるための論理で、画期的な判決だ」、「解決を求める厳しいボールを投げつけられた国は、すぐに解決に動くべきだ」

兵庫訴訟原告団・弁護団、支援団体の声明(2023年3月23日)

「(…中略)優生保護法問題の解決は、人類史上類を見ない人権侵害を見過ごし、黙認してきた私たち市民の課題でもあります。控訴人らを含む被害者と裁判の支援者、そして全国の障害のある仲間は、障害のある人を『不良』とし、個人としての尊厳を認めない能力主義・優生思想の社会を作り変えたいと願っています。私たちは、今日の判決がその歩みを大きく進めるものとなるよう、全力で取り組みを続けます。優生保護法はなくなっても、『優生保護法問題』は終わっていないのです」。

「…見過ごし、黙認してきた私たち市民の課題…」、「優生保護法問題は終わっていない」―声明が投げかける問いに真剣に向き合い、優生思想とのたたかいを新たな決意をもって私たち一人ひとりの課題として取り組むことを心に銘記し、「優生保護法問題の早期全面解決」に向けてともに前進しよう。 木々繁

6面

長期・読み切り連載 大庭伸介
先人たちの闘いの成功と失敗を学び現在に生かそう

ストライキ時代が到来
日本経済の心臓部に闘いの炎A

関西を主舞台に大工場で争議続発
団体交渉権を実力行動でかちとる

いま連帯ユニオン関生支部の仲間たちは、組織の絶滅を意図した大弾圧に抗して、反転攻勢に立ち上がっている。今回紹介する闘いと、団結権をめぐる攻防という点で本質的に変わらない。
1921年は大ストライキ時代で、関西を主舞台に大企業・大工場で争議が続発した。いずれも要求の第1に掲げられたのは団体交渉権の確認である。
同年4月28日、大阪電灯会社の労働者が立ち上がった。当時この会社の労働者1600人は穏健な大阪電業員組合に属し、それにあきたらない労働者のうち約70人が友愛会に加入していた。電業員組合は友愛会との対抗上、そして大阪での第1回メーデーの当番幹事としての面目を保つために、団体交渉権の承認をはじめとする数項目の要求を会社に提出した。
会社は要求書の撤回を求めて一歩も譲らず、デッドロックに乗り上げてしまった。大阪逓信局電力課長は阪神・阪急・京阪・南海などの郊外電車の各技師長を招集して、配電方法を協議した。
結局、大阪府警特高課長の仲介で、会社はすべての要求を拒否した上で責任者は解雇しないと言明した。組合の実行委員はこれをもって会社の「誠意」が認められたとして、解決しようとした。しかし当然、組合員の猛反発を浴びて、委員長は不信任され実行委員全員が辞任した。そして電業員組合を脱退して、友愛会に加入する労働者が急増した。
会社は新任の実行委員の代表権を認めようとしなかった。5月9日午後、5百人の警官隊が発電所周辺を取り囲み、大日本国粋会の百人余が棍棒を携えて威嚇するなか、春日出発電所の3百人、宇治川発電所の350人がストライキに突入した。会社はただちに両発電所の労働者887人全員を解雇した。
翌10日、大阪府警は大阪市内各署の刑事を総動員して特高課に配属した。全市の変電所や電柱・橋梁にいたるまで警備体制をしき、労働者が4〜5人集まれば、すぐ周りを取り囲んだ。
会社は労働者の切り崩しを始めたが辛辣極まるものであった。例えば刑事を社員に仕立てて家庭を訪問し、労働者を誘い出して自動車の中に押し込んで捕虜にしたりした。争議団の監視隊は会社の切り崩し隊と深夜、労働者街の狭い路地で衝突を繰り広げた。
演説会が連日のように開かれ、終了後は応援の労働者を加えたデモが敢行された。5月14日から2日連続して夜間、警官隊との大激突が展開された。興奮した労働者は百人ずつで編成する10数梯団に分かれ、市内各所で夜を徹してデモ行進した。
『大阪朝日新聞』は2度にわたって号外を発行し、警官隊と暴力団のデモ隊にたいする暴行の事実を暴露し糾弾した。その他の新聞各紙も当時まだ珍しかったストライキが起きるたびに、規模の大小にかかわらず報道した。それに触発されて、ストライキの波がつぎからつぎへと広がっていった。
争議団は15日、「ヤケクソ会」と称する運動会を開き、終了後2千人が中之島公園に集まった。大阪造船労働組合と大阪機械労働組合が寄贈した白米10数俵を大八車に満載し、それを先頭にデモに移った。最後尾の一隊が宇治川発電所に突入して警官隊と激突し、11人が検挙され重傷者が続出して、1人の警察官が死亡した。
これ以上争議が激化することを恐れた大阪府警は、すべてのデモを禁止したうえで調停にのりだした。約2千人を擁する労働組合向上会会長の八木信一および弁護士で友愛会顧問の今井嘉幸とも協議のうえ、復職を希望する労働者全員の復職、解雇者を出さない、労働条件については今後労働組合と会社が交渉するという裁定案をつくった。会社がこの裁定案を承認し、5月16日、幾多の流血事件を伴った大ストライキは労働者側に凱歌が挙った。
この争議の意義は「闘争のみが勝利を導く」という階級闘争の真理を、一般労働者の前に事実をもって示したことである。電業員組合は、まもなく友愛会の後身である総同盟に加入し、大阪電気労働組合と改称して関西における左翼労働運動の一翼を担うようになる。 大阪電灯の労働者たちが団体交渉権を実力行動でかちとったことは、まさに画期的な大成果であった。

「野武士組来る!」
−解雇された争議の主謀者たちが縦横に活躍

藤永田造船(現・三井造船)は3500人の労働者が働く新興の造船会社で、大阪造船労働組合の発祥工場であった。1921年の争議直前には造船労組16支部中、ここだけで14支部7百人の組合員を擁していた(戦前は従業員全てが組合に入るオール組織は珍しかった)。
会社は1921年5月中旬、第1次世界大戦後の造船不況を乗り切るため、事業縮小の第一歩として、30人の解雇を発表した。
これをきっかけに労働者の不満が爆発して、5月28日、組合はつぎの要求を会社につきつけた。団体交渉権の確認、解雇者の復職、請負制度の改善その他11項目である。大阪の各工場主は押し寄せるストライキの波を食い止めるために会社を後押しした。警察も弾圧態勢を固めた。
6月2日に会社から示された回答は、団体交渉権と解雇手当の件を除けば一定の譲歩を含んでいた。しかし争議団は諸要求のなかで団体交渉権を大眼目と位置づけていたので、会社が要求を拒絶したものとみなした。争議団は同日夜、報告演説会を開き、従来の方針を堅持して闘う声明を発表した。ところが会場を出たところで、実行委員全員と友愛会大阪連合会の幹部90人が検束されてしまった。
6月8日、藤永田造船の全4工場が一斉に怠業(サボタージュ)に入った。会社は怠業の長期化を予想して、同日夜、9日から3日間の休業の通告と就業申込書を全労働者宅に送りつけた。争議団は休業明けの12日からストライキに突入した。
労働者の住宅街では、会社側の切り崩し隊と争議団の見張りが連日衝突を繰り広げた。
この間、大阪市内の工場では争議が相次いだ。争議団と支援団体は13日から20日まで、19日を除いて連日、集会とデモをおこなった。18日には支援団体から寄せられた白米60俵を乗せた荷車を先頭にして、デモ行進をおこなった。2千人のデモ隊は会社顧問の邸宅に投石し、屋内に突入して家財などを破壊し尽くした。さらに派出所を襲撃して警官隊と1時間以上にわたって乱闘を繰り広げ、数十人が検挙された。
争議団は実行委員を第2から第8まで選出し、幾度検挙されても闘える態勢を整えた。そして争議費用を得るために日用品販売の行商隊を組織した。3百人の行商隊は各工場を巡回して、支援を訴えるビラ4万枚を配布した。
争議は日1日とエスカレートし、騒じょう罪、暴行罪、傷害罪、警察犯処罰令などで犠牲者が続出した。しかし、犠牲者が出るにつれ争議団の意気は上がる一方であった。
すっかり手こずってしまった会社側は、ほぼ団体交渉権を承認して、ようやく6月22日に解決をみるにいたった。その後、藤永田造船では2240人からなる労働組合が組織された。
この争議で起訴された7人のなかに、住友電線(労働者1200人。現・住友電工)、住友製鋼(2000人。現・住友金属)、住友伸銅(3450人。現・住友軽金属)の各組合の指導者が含まれていた。以上の3組合は「3人の犠牲者を無駄にするなかれ!」と協議を重ねた。その結果、まず6月13日、電線工組合が団体交渉権などを要求し、16日から怠業に入った。同日、製鋼所の労働者も同様の要求書を出して怠業に入った。
伸銅所の労働者のうち約2千人が伸銅工組合に組織され1部に総同盟の会員もいたが、「団体交渉権を確認されないなら、問題は重大化するであろう」と、住友本社あてに警告状を送りつけた。会社はあわてて、電線は18日から3日間、製鋼は20日から4日間の休業を発表した。例によって会社の切り崩しが始まり、争議団の演説会と示威行動が展開された。26日には伸銅工組合が総同盟加盟を決めた。住友財閥が「万世不朽の財本」と謳う愛媛県の別子銅山にも闘いが波及する気配が見え、住友の経営陣に大きな衝撃を与えた。ついに28日、会社は「工場委員会」の名で事実上団体交渉権を承認すると発表し、住友3社の争議は解決した。
このように、一連の大企業の争議はいずれも団体交渉権の承認を要求の第1に掲げて激闘の結果、ほぼ所期の目的を達成した。しかし、その過程で少なからぬ幹部・活動家が解雇された。彼らは履歴を偽って中小工場に潜り込んだりしたが、前歴がバレて退職させられた。自然に組合事務所で寝泊りを共にするようになった。そして争議が発生したり会社とのトラブルが生じると集団で押しかけて、労働者を激励し経営者に対抗した。
『大阪朝日新聞』は22年新年号の労働問題の特集記事で「あの集団は野武士のごとく・・」と、その活躍ぶりを紹介した。それ以来、野武士組として一般に流布されるようになった。気の弱い工場主は「野武士組が来た!」という情報に接すると、たちまち尻尾を巻く始末であった。
野武士組は不定形の集団で、規約も会費もなく、メンバーも特定できなかった。友愛会の「労働義勇兵」として藤永田造船に就職しオルグ活動の成果を上げて解雇された野田律太が首領株で、いわば総同盟の青年前衛隊とも言うべき存在であった。彼らは街頭演説を頻繁におこない、荒畑寒村を招いて共産主義の講義を聞いたりした。争議の解決金や解雇手当の1部を生活資金としたが、それでは追いつけず、アナーキストの逸見直造が主宰する借家人組合と提携して一定の収入を得た。その橋渡しをしたのが、借家人組合の機関紙の編集発行人・三田村四朗であった。
野武士組は21年に生まれ22〜23年と活躍して、次第に下火になった。野田が総同盟大阪連合会の主事(有給)になり、失業中の者もそれぞれ就職したことによる。それでも事が持ち上がり出動の必要があるときには、いつでも闘士たちが飛び出していった。

7面

投稿
生活保護制度批判序説
生活保護受給者からのアピール
小原範子

【00】プロローグ

日本の「公的扶助制度」は、大宝律令(701年)の中にその萌芽をみることができる。
また、徳川時代前期にも御救金、御救米といった「公的扶助制度」があり、後期には町会所による救済があった。 しかしながら近代的「公的扶助制度」の姿は1868〜1912年(明治時代)になってからみることができる。1874年(明治7年)の「恤救規則」を経て、1929年(昭和4年)に救護法が 制定されたことによって、日本においても法制的に整備された「公的扶助制度」が確立した。

【01】周囲の方々よりのご教示

私の周囲には、社会運動最高指導部を歴任して来られた3人の方々がいる。全員が生活保護受給者だ。その方々とお会いした時には「生活保護制度」問題が話題になる場合がある。私も生活保護受給者なので、その方々に相談することがある。その方々からは現行制度について、いつも親切丁寧な説明をしていただいている。その方々からお聞きした話の趣旨を踏まえて、この小論を書く。
因みに、現在の「生活保護制度」は日本国籍を持たない人々にも適用されている。

【02】市民の権利制度(仮称)の新設を

現在の「生活保護制度」は国家による『恩恵』として存在している。現行制度は様々な「欠陥と矛盾」を抱えながら運用されている。だから現行制度は一旦廃止することが必要だ。そして、「市民の権利制度(=仮称)」を新設する。
第一に、新制度の基軸として国家予算による生活保護受給者・中高年貧困層に対して無料の職業訓練を行う。
第二に、新制度においては「国家による『恩恵』」論が入り込む余地が無いような制度でなければならない。
第三に、「生活保護制度批判」というのは以前からの私の持論である。私を担当する保健福祉センターのケースワーカーに対しても何度か主張したことがある。だが現行制度に対して、いくら「不平不満」があっても生活保護受給を返上することはできない。さっそく、その日からの生活に困窮するからだ。
日々の生活の中で感じていることを以下に論じたい。

【03】生活保護制度と高齢者問題

現行制度は様々な「欠陥と矛盾」を抱えながら運用されている。とりわけ「高齢者問題」に「欠陥と矛盾」が集中している。現行制度では高齢貧困層に対しては「生活保護制度」を適用して、「高齢者貧困問題」を解決しようとしている。
ところが、「少子高齢化社会」で高齢者は増え続けていくばかりで、「生活保護制度」の財源不足が進行して、満65歳以上の生活保護受給者に対する支給額は毎年、減額され続けている。
より健全な国家予算とは、軍事予算の廃止(若しくは削減)と、無理のない税収増加が基本だ。税収増加の基本は、独占資本と高額所得者への増税を軸とし、消費税廃止と、中小企業と労働者層と一般国民層への減税だ。これにより、中小企業と労働者層と一般国民層は増収となり、結果として税収の増加となろう。

【04】少子高齢化社会と高齢者貧困問題

そして現行制度の「欠陥と矛盾」の対策が必要だ。その基本は「少子高齢化社会」と「高齢者貧困問題」への対策が中軸だ。「高齢者貧困問題」とは、50歳以上の中高年層の方々は「現代社会から要求される高度な技能・技術」を持たないので失業するという構図になっている。例えば50歳以上の中高年層の方々は、パソコンが全く使えない、携帯電話とスマホを上手に使えないという方々が非常に多い。
しかし医学の進歩で、現代社会での中高年層の方々は、皆さん元気だ。だから国家予算で、生活保護受給者・中高年貧困層の方々に対して無料の職業訓練をおこなうことが必要だ。そして現代社会から要求される高度な技能・技術を生活保護受給者・中高年貧困層の方々に取得していただく。
現状では社会全体を支える若年層は減る一方だ。今後は、中高年層の方々が社会全体を支える時代に転換されなければならない。こうすることによって、経済は停滞から、ゆっくりと回復への道を歩むだろう。国家の税収も健全な方向に進むだろう。その結果、「高齢者貧困問題」は解決の方向に進む。生活保護受給者は大きく減っていく。
しかし現行制度では「高齢者貧困問題」の解決は絶対に不可能だ。また現行制度は非常に複雑なシステムで、生活保護受給者にとっても、理解が困難な制度となっている。

【05】生活保護受給者を常に監視

更に、許しがたいことには、行政当局は「生活保護の不正受給摘発」と称して、生活保護受給者の方々を常に監視している。
私はあるテレビ番組で知ったが、大阪市では「不正受給摘発」チームを組織している。そのようなことに大阪市の予算を使わせてはならない。

【06】生活保護制度バッシング

かなり以前の話だが、吉本興業の芸人さんの母親が生活保護受給者である事実を商業マスコミが暴露し、センセーショナルに報じたことがある。
その結果、芸人さんは記者会見を開き、「謝罪」した。もちろん、母親の生活保護受給は「返上」した。その後しばらくは、全ての商業マスコミが「生活保護制度バッシング」をおこなった。

【07】消費税と高齢生活保護受給者

また、日本政府による「消費税は社会保障費の財源とする」というインチキ政策を暴露しなければならない。現実には、65歳以上の生活保護受給者の受給額は毎年、減額され続けている。
だから消費税率のアップは、高齢の生活保護受給者の方々にとっては、日々の生活を直撃するダブルパンチとなっている。

【08】「生活保護制度は人民の権利」論

かつて、「生活保護制度は人民の権利だ」と主張する方々がいた。その当時の私はそこそこの収入があり、生活保護制度とは無縁だった。本音を言うと「生活保護制度は人民の権利」論は、少し難解で理解ができなかった。

【09】日々、実感すること

以上、日常生活の中で感じていることをこの小論としてまとめた。これは、自らが生活保護制度を体験することによってこそ、主張できる「生活保護制度批判序説」だ。

【10】社会運動への参加

ところで私は毎月、四つの社会運動組織に千円ずつ(合計4千円)カンパしている。2022年年末、生活保護受給者の方々に対して支給された5万円は、ある社会運動組織にその全額をカンパした。
貧困生活であればこそ、例え少額であってもカンパという行為には大きな意義がある。
生活保護受給者・中高年貧困層の方々に対して、身近の社会運動組織に対するカンパを訴えたい。そして社会運動への参加は、人生の「より良き未来」へとつながる。

【11】エピローグ

以上、現行制度の「欠陥と矛盾」を「高齢者の貧困問題」と「少子高齢化社会」という視点から論じた。何故かというと、私自身が高齢者だからだ。
私にとっては「生活保護制度問題」と「高齢者の貧困問題」は同じ意味を持つ。しかし、違う視点から現行制度を論じることも必要だ。それは機会を改めて論じたい。
ところで、現行制度は「貧困問題」を経済面での「支援」だけで、心のケアが全く無い。
生活保護受給者・中高年貧困層の方々は心が飢えている。皆さん、孤独なのだ。心の中を打ち明けて語り合える仲間がいないのだ。
生活保護受給者・中高年貧困層の方々は、国家と独占資本によって分断されているからだ。だから皆、「心の温もり」を求めている。

【12】追記

政策転換=現行制度の見直し、或いは新制度への移行=「市民の権利制度(仮称)」が、大きく議論されなければならない。しかしそれは、議会の中でのおしゃべりに終わらせてはならない。市民の大きな力(ちから)で、行政当局を包囲するのだ。いわば「現代の百姓一揆」で、国家を包囲するのだ。
現行制度の「欠陥と矛盾」の解決への道は、生活保護受給者・中高年貧困層の「社会運動への参加」という一言に尽きる。

8面

日米は挑発と要塞化やめろ
3月4日・5日 石垣島全国集会に参加して
小多基実夫

機動隊と対峙して闘い抜く(3月5日)

3月4日(土曜日)

午前中に石垣島に着いた。7年ぶりの石垣島だ。
空港まで迎えに来てくれた友人に車で港や駐屯地近くを案内してもらった。
前回、2016年1月に来た時にはまだ駐屯地の場所も正式には決まっていなかった。その時案内していただいた同じ場所に行くと、サトウキビ畑の向こうに広がる平得大俣の山麓には自衛隊の兵舎が立ち並びすっかり様変わりしていた。
午後4時、於茂登公民館で全国交流集会(主催:石垣島に軍事基地をつくらせない市民連絡会。以下、市民連絡会)が、藤井幸子さんの司会、約70人の結集で開かれた。
冒頭、嶺井善さんから主催者挨拶があった。嶺井さんは平得大俣地区に駐屯地開設の話が持ち上がった7年前には同公民館長を務めておられ、臨時総会を開いて全会一致の反対決議を挙げられたそうである。
次に、ドローンを使って駐屯地工事の監視を続けている上原正光さん(基地いらないチーム石垣)と奥間政則さん(土木技術者)から映像を使った詳しい報告―解説があった。
続いて、首都圏、関西、沖縄島、宮古島など各地からの参加者からの発言が続いた。私もここで発言させてもらった。特に印象に残っているのは自然保護活動を行っている地元の方の「住民避難というが、畜産農家は牛を見殺しにできないので避難などできない」という発言であった。
酪農家というのは、たとえ出荷できない牛乳であっても1日も休まず毎日毎日搾乳し、毎日えさを与え続けなければならない。太い鎖で首をつないで飼育しているというのは世話を1日でも休めば餓死させるということである。「乳房炎で苦しませたうえで餓死させる」という決断を抜きには避難もできなかった被曝地福島の酪農家と同じ苦しみがこの地の人にも襲い掛かるのである。胸が苦しくなった。

5日(日曜日)

早朝午前5時、石垣島、沖縄島、宮古島、県外からの約50人が石垣港前に集まって自衛隊車両の搬送阻止行動を開始した。石垣島の夜明けは遅い。東京よりも1・5時間ぐらい遅いのでまだ真っ暗である。集会、シュプレヒコール、座り込み……、
午前7時30分 11時ごろまでかかって、沖縄県警機動隊が規制、排除するなかで、陸自の戦闘車両、輸送トラック、ミサイル発射台・レーダー・電源車等の各種トレーラー約200台が強行搬入された。
抗議の中で、前面に押し出されてきた輸送責任者であろう2等陸佐(中佐)は、市民の抗議に何一つ答えられずに、ただ「車両を通すので道を空けてください」とオウム返しに何十回も繰り返すだけであった。
私は途中から、現場を200mほど離れた交差点に移動して、自衛官に呼びかける幟旗をかざして自衛隊車両の前を何度も横切って通行の妨害をしつつ、ドライバー兵士に手を振ったりVサインを送った。数十台の車両の内3人の兵士が小さく手を振って返してくれた。

全国集会と市内デモ

絡会 主催)が約200人の参加で開かれた。主催者から連絡会共同代表の上原秀政さんが「黙っていると黙認したことになる」と挨拶。各地からの発言は、清水早子さん(ミサイル基地いらない宮古島住民連絡会)、名護ヘリ基地反対協、島々スタンディング(さいたま)、嶺井善さん(於茂登地区:農業)、山里節子さん(オバーたちの会)、山城博治さん(戦場化反対全県組織準備委員会呼びかけ人)ほかのアピールがあった。
山城さんは、「台湾は独立しないと言い、中国は独立しないなら侵攻しないと言っている。なぜ第三者の日米が台湾有事だ! 戦争だ! というのか。台湾有事は日米政府と米軍によってつくられた策略でないか。日米は無謀な挑発と軍事要塞化をやめよ」「戦場化阻止の全県組織を立ち上げよう」と訴えた。
最後に集会アピールを採択して、市内デモをおこなった。
中国へのミサイル攻撃の拠点とする一方で、住民の避難体制は一顧だにしない(そもそもできるわけがないのだが…)。こんな基地建設、ミサイル拠点化を絶対に許してはならない、と強く思った。

早朝より港で抗議闘争(3月5日)

石垣島配備は、16年の与那国島、19年の宮古島、奄美大島に続いての強行配備である。18年に中山市長が多くの反対を押し切って受け入れを表明し、翌19年3月に県の環境影響評価(アセスメント)条例改正の経過措置期間に「アセス逃れ」で工事に着手した姑息なものである。
改めて考えるべきだが、全国に存在する陸海空全自衛隊の基地・駐屯地は、沖縄島も含めてすべて米軍から引き継いだものである。言い換えれば琉球諸島へのこの一連の自衛隊基地の新設は、自衛隊の70年余の歴史で初めておこなわれている自前の基地の新設といえる。
そしてこの最前線の新基地と新兵器の集中配備は、いわば内戦陣形の「鎮台」から海外展開型の「師団編成」に転換した明治の軍制改革以来の日本の戦争国家への転換の開始と言えるのではないだろうか。
山城さんが訴える「戦場化阻止の全県組織」につながる全国の運動を推進しよう。

(シネマ案内)
『小さき麦の花』
監督:リー・ルイジュン 2022年(中国)

中国甘粛省張掖市郊外の小さな農村。ここはステップ地帯であり、隣にはゴビ砂漠が広がっている。張掖(チャンイエ)は、かつてシルクロードの要衝だったところだ。オアシスの近くでは農業がおこなわれており、農村では四季の移り変わりがあり、時期に応じて農作業も変わっていく。
時代は2011年。この地域でも、農民は都市へ出稼ぎにいっており、不耕作地と空き家が多くなっている。政府の主導で農地が集約されつつあり、大規模経営化と機械化がすすめられている。農民は日常生活では、車を用いている。当局は、農民にも高層集団住宅に住むように指導している。
変わりゆく時代の変化にさらされながら、馬有鉄(マヨウティエ)と貴英(クイイン)は昔ながらの農業を営んでいる。ロバが動力であり、ロバで畑を耕し、ロバで農作物を運ぶのだ。ふたりは力をあわせながら作物を育てる。ここに生きる貧しい農民夫婦の物語だ。
雪がちらつく冬のある日。ヨウティエとクイインは見合いをする。ふたりとも若くはない。クイインは身体に「障がい」をもっている。この結婚はまわりから押しつけられたものなのだ。
春。すべての生き物が活動をはじめる。ふたりはロバで大地を耕し、燕麦の種をまく。この時期は、秋に収穫する作物の種をまく季節だ。燕が飛んできて巣をつくる。
夏、農地は緑におおわれる。ヨウティエは背丈ほどに大きくなったトウモロコシを世話している。土を練って日干しレンガをつくる。こうして、自分たちの家をつくるのだ。
秋。小麦が黄金色に染まっている。小麦、トウモロコシ、じゃがいもを収穫する。この時、予想もしなかった事がおきる。クイインが水路にはまって亡くなってしまうのだ。ひとり残ったヨウティエは、ロバに「こき使われないで、自由に生きろ」といって、草原のなかに解放する。ヨウティエは農業をやめる。
ヨウティエはどうするのだろうか。このことは明示されない。ふたりが住んでいた家が、ブルドーザーで取り壊されている。我が家にもどったロバがこれをながめている。
この1年間の生活が、このように描かれる。せりふが少なく、演出はひかえめだ。砂丘のショット、燕麦の穂先(芒)のアップが印象にのこる。こうして、物語は悲劇として終わる。
地味な映画なのだが、この映画は中国で大ヒットしている。経済至上主義に疑問をいだき、競争社会につかれている。こういう人びとが心の癒しをもとめて、映画をみて涙をながしている。しかし、昨年10月、上映は突然に打ち切られた。おそらく、これは政治的な理由であるようだ。
映画は最底辺に生きる農民の姿をリアルに描いている。ゴーリキーの「どん底」がそうであるように、ことさら政治的でなくても、これはきわめて社会批判的になる。原題は「隠入塵煙」。「土塵と火煙に隠れて、人は大地に生き、それは新たな変化をはじめている」という意味だという。あらゆる生き物は生成―消滅―再生を繰り返す。ヨウティエとクイインの生き様は、次の時代に再生していく。こうして、人は類として生きていくのだ。