戦時体制めざす岸田演説
2月連続反戦・反軍拡行動へ
国葬反対闘争上回る今春闘争を国葬前夜の9月26日、大阪では1000人の労働者、市民が中之島公園から西梅田までデモ行進をした(7月22日) |
戦時へ進む岸田施政方針演説
1月23日通常国会が開幕した。その中でおこなわれた岸田文雄首相の施政方針演説は、戦後憲法体制を破壊し「戦時体制」構築に向かう、これまでのいかなる内閣の施政方針よりも反動的な代物であった。冒頭から「歴史の転換点に」(第2章標題)にあたって、強い覚悟を持って「防衛力の抜本的強化」(第3章標題)をうたうという、戦後いかなる歴代首相もなしえなかった「戦時体制」構築への宣言に他ならない。
昨年末高名な2人のタレントの対談において、「来年はどんな年になるでしょうね」との問いに、「新たな戦前に(なるのでは)」と危惧したことが話題になったが、岸田首相はこの声を「聴く耳をもたない」首相として、戦前化をリードすることを宣言したのだ。
第3章では、「強い覚悟で、新たな国家安全保障戦略などを策定」したと述べて、以下のような全面的軍事大国化を宣言した。「5年間で43兆円の防衛予算を確保し、相手に反撃を思いとどまらせるための反撃能力(敵基地攻撃能力)の保有、南西地域の防衛体制の抜本強化、サイバー・宇宙など新領域への対応、装備の維持や弾薬の充実、海上保安庁と自衛隊の連携強化、防衛産業の基盤強化や装備移転の支援、研究開発成果の安全保障分野での積極的活用」など言い、「平和憲法・専守防衛」という建前を完全にかなぐり捨てることを公言したのだ。そしてこの取り組みを「将来にわたって維持・強化」するために「毎年4兆円の新たな安定財源が追加的に必要となる」と。
2022年の流行語が「戦」であったように、人々はウクライナ戦争を通じて戦争への危機を実感している。だからこそこの危機を外交で回避する努力をするのか、戦争にむけ果てしない軍事拡大に進むのか、「今この国は岐路に立たされている」のに、岸田首相は「専守防衛」から「敵基地先制攻撃」へ国是を変え、「新しい戦前」に国家体制を変更すると宣言したのだ。絶対に認めることはできない。もしこれがそのまま通るなら、日本の軍事予算は世界9位から、ロシアを抜いて米・中に次ぐ3位になる。経済的停滞は30年で極限まで進み、「先進国」からずり落ちる寸前なのに、軍事だけは大国というロシアや戦前と同じような「危険国家」になっていこうとしている。国民は賃金が上がらず、貧困にあえいでいるというのに。
何の実体もない「新しい資本主義」
第4章は、岸田=宏池会=経済重視のハト派の看板とされた「新しい資本主義」だが、@総論、A物価高対策、B構造的な賃上げ、C投資と改革 に多くの字数を使っているが(全12章で最大分量)、実体的なものは何もない。物価高対策など1面にわたる「朝日新聞」の記事でわずか8行で、「絵に描いてない餅」にすぎない。賃上げについても実体的なものは何もない。それよりも、「投資と改革」と称して、GX=グリーン・トランスフォーメーションでは、エネルギーの安定供給のため、原発は「次世代革新炉への建て替えや、運転期間の延長」を進めると言っている。わずか12年前、「日本沈没」かと思われ、いまだ復旧など見通せず、既に20兆円規模の損失が計上され、今後の最終損害額(少なくとも50兆円は超えるだろう)も、原発の廃炉の年月(こちらも50年たっても実現していないのでは)の計算すらできない福島第一原発事故など無かったかのような原発再回帰は、絶対に認められるものではない。エネルギー危機・脱炭素、エネルギー安定供給、経済成長を「一石三鳥」のウソで、人々を地獄に導こうとする岸田演説を許してはならない。
DX=デジタルトランスフォーメーションでは、「デジタル後進国」の日本を、国民総監視社会への道=マイナンバー制を執拗に追求し突破しようとしている(その批判は、本紙358号6面論文参照)。イノベーションと称して、軍事につながる分野での研究への予算配分を唱えていることも許されない。スタートアップはほとんど意味不明。そして岸田内閣の目玉であったはずの「所得倍増」は「資産所得倍増プラン」にすり変えわずか20行。「貯蓄から投資への流れを実現できれば、成長と資産所得の好循環を実現できる」とは小学生の作文並みだ(小学生にも失礼だが)。問われているのは、今ある貧困、物価高騰をどうするのかではないのか。
「こどもファースト」・少子化対策のペテン
第5章は、出生数が80万人を割り込み、少子高齢化で社会全体が沈みゆくこの国の「再生」をかけるものだが、まったく的外れの代物でしかない。「異次元の少子化対策」などと称してマスコミなどでは施政方針の目玉のように言われているが、それすら防衛予算の2倍化で先送りにされようとしている。そのうえで、そもそも30年にわたる少子高齢化の原因は何かの解明がされず、盟友=麻生副総理の「晩婚化が原因」などとする珍言・迷言をする内閣に「解決策」など出せるわけがない。詳細は省くが、非正規雇用が40%を超え、平均年収が30年にわたり下がりつづけ、結婚・出産の社会的基盤が低下・喪失してきたこと、結婚・出産・子育てもすべて「自己責任」にし、大学生が「奨学金」という名の教育ローンで就職後もローン漬けになっていることなどを解決せず、どうやって安心して結婚し、出産・育児ができるというのか。行政の支援さえあれば人口増は見こめる。あの暴言市長ながら子育てには手厚い保護がおこなわれる明石市に、周辺自治体から子育て世代が大規模に流入していることで、一つの結論が出ているではないか。「こどもファースト社会」など、子育て費用を年間6万円拠出するという、「都民ファースト」の小池東京都知事(どちらの「ファースト」も嘘だが)にすら笑われているではないか。
新型コロナ対策(第8章)、外交・安全保障(第9章)も反動的だが、第10章の憲法改正はわずか8行で、専守防衛の解釈変えは、実質改憲が終了したということの宣言か。
統一地方選勝利で新たな反撃拠点を
岸田政権の支持率は、1月時事通信調査では4カ月連続下落で26・5%という危険水域に入った。防衛政策では「軍拡」は賛成・反対が半々だが、防衛増税は反対が多数である。通常国会での施政方針演説を衝きまくる論戦と、国会と全国を結ぶ大衆行動の持続的高揚は、必ず岸田政権を追い詰める。2〜3月、反戦・反安保の大衆行動を徹底的に強化しよう。
そのうえで、この岸田政権の危機を救っているのは、維新であり、維新と手を組む立憲民主党に他ならない。立憲はそもそも軍拡には反対せず、「増税に反対」でしかなく、自民党の「増税反対派」と変わらない。これが見透かされて軍拡反対派が離反し、時事通信の世論調査では、この時期に支持率を急速に下げ、昨年12月の5・5%から2・5%に下落し、自民党以上にかつてない危険水域に達している。泉執行部は、昨年参議院選の敗北以降、野党共闘否定にまわり、臨時国会では維新との共闘を進め、閉会後の安保三文書閣議決定・大軍拡に反対しないありさまだ。通常国会でも維新との共闘を推進しようとしており、この維新には自民党が「憲法観・安全保障観で近接」と秋波を送り、自民・維新・立憲のブリッジ共闘が成立する始末だ。
また日本共産党は旧来から「党内において異論を認めず、委員長が22年変わらない組織運営」がなされ、他党・社会運動・市民運動に対し自党第一主義を貫いてきたことに、党内外からの批判が噴出している。この声に耳を傾けないと、毎回の選挙で10%規模での得票を下落させてきた流れが、今次統一地方選では一気に進むだろう。
支持率下落の岸田に対し、国会内闘争と戦闘的大衆闘争の爆発、統一地方選の勝利を実現していかなくてはならない。
とりわけ大阪・関西では、この10数年の維新の跳梁跋扈に有効な手段が打てず、「出ても負ける」といった状態にある。しかし大阪に近接する兵庫県東部では21年〜22年の宝塚・西宮・尼崎の市長選では維新に敗北を強制した。今次統一地方選でも大阪府知事選・市長選、府議選・市議選に大胆に挑戦し、維新打倒、自民・公明衰退の流れを作っていかなくてはならない。府知事選には党を超えて人気の共産党の辰巳コータローが無所属で立候補を表明、府議選・各地の市議選にも戦闘的な仲間が果敢に挑戦する。あと大阪市長選候補が決まれば、十分闘いになるのだ。
事務所ビルに岸田やめろ!の垂幕(大阪市淀川区) |
2〜3月大衆行動を
2月反戦・反安保闘争(2・12大阪集会、2・23兵庫集会、2・24大阪集会、2・24東京日比谷集会など)の闘いを、昨年秋の国葬反対闘争を上回る決起で実現し、通常国会中継続させていこう。
5月G7広島サミット粉砕の闘いを開始しよう。原発再稼働の動きに、3・11十二年の闘いや、老朽原発廃炉を求める闘いで、反撃を加えよう。関西生コン弾圧を粉砕する行動に持続的に決起しよう。2・1ミャンマークーデタから2年、ミャンマー人民の反国軍の闘いに連帯していこう。狭山再審請求の関西各地でのキャラバン行動から3・21関西集会の大衆的高揚を実現しよう。優生保護法兵庫訴訟控訴審勝利へ闘いを進めよう。春闘期、物価高・雇用破壊下で苦闘する労働運動の前進を勝ち取ろう。
「戦時体制」に突き進み、命とくらしを破壊する岸田政権との闘いは全分野で始まっている。短期的には4月統一地方選の勝利で、岸田政権や維新と闘う拠点を全国各地に作り、5月サミットとそれ以降の闘いに発展させていこう。ともに闘わん。
2面
維新打倒・統一地方選勝利へ
大阪・兵庫で闘いは進む
統一地方選勝利を誓う左から戸田ひさよし、大椿ゆう子、丸尾牧さんら(12月16日、大阪市内) |
4月統一地方選が迫ってきた。12月16日にはそれに向けた討論集会が大阪市内で開かれたが(本紙357号4面参照)、各地で維新打倒、自民・公明衰退に向け闘いが進んでいる。12・16集会では去就を示さなかった大椿ゆう子社民党副党首は、維新主導の定数減で府議会反対派を抹消しようとしているのに抗して、年末に府議会・茨木選挙区(定数3)からの出馬を表明。新年に入り活発な活動を展開している。前回敗北した戸田ひさよし(前門真市議・無所属)は、大石あきこ衆議院議員と連携し、「シン戸田」の活動を開始し、元旦関生闘争で元気にアピール。3月には久方ぶりの総決起集会を開催する。兵庫では前半の県議選に丸尾牧県議(緑)が社民・新社会・れいわの応援を受け上位当選をめざし、連日駅頭に立っている。
4月後半の各地の市議選勝利に向けての活動も活発化している。2・3連帯議員ネット総会はこれらの動きの飛躍の場になるだろう。維新打倒、自民・公明衰退へ、全力で決起しよう。
れいわ、水道橋博士が辞任
大島氏繰り上げ 次に長谷川・つじ恵らに
昨年7月参院選(尼崎市内) |
れいわ新選組参議院議員の水道橋博士が、病気で辞任し、比例次点の大島九州男氏が繰り上げ当選となり、早速23日からの通常国会で活躍している。併せてれいわの山本代表、大石共同代表と大島ら5人が記者会見し、24年1月からは長谷川ういこ、25年1月からはつじ恵、次にはすいけ透、よだかれんと個性豊かな比例名簿記載者がローテーションで受け継ぐことを発表した。自民党やれいわの浸透を嫌う政党・個人は批判しているが、これを打ち破り、多様性を代表する5人が国会で旋風を起こす事が期待される。
大石あきこ衆議院議員新春お茶会
大阪市長選出馬めぐり質問
1月21日
質問に答える山本太郎代表と大石あきこ衆院議員(1月21日、大阪市内) |
1月21日(土)大阪市内で、大石あきこ衆議院議員の新春お茶会が開かれ、250人の市民が集まった。大石さんは議員になってから1年の活動を、ビデオを上映しながら振り返り、さらに新年の抱負を語った。特に維新との闘いでは、吉村洋文共同代表が得点稼ぎのため「文書通信交通費」返上をマスコミで自慢したのに対して、当選直後に直ちに「吉村知事こそ衆院議員辞任時に1日勤務で全額支給を受けていた」と暴露し、大ブーメランとなったことを再確認した。また7月には『維新ぎらい』(講談社現代新書)を出版し、維新批判の正当性をさらに広げた。NHK日曜討論で、維新の足立康史衆議院議員を論破したことも皆で確認。さらに秋の臨時国会の予算委員会では岸田首相の無内容な答弁に対し「財務省の犬」「資本家の犬」と決めつけたことも広く喝さいを受けた。こうして1年間の活発な活動は、21年総選挙当選の1年生議員の中で、もっとも光るものがあったのではと参加者は納得した。
次いで質問コーナーでは、ゲスト参加の山本太郎代表ともども質問に適宜応えていった。特にまぢかに迫った統一地方選、特に大阪府知事選・市長選に関して、「候補者がまだ決まっていない市長選に出る気はないのか」との質問が出された。山本代表は「ぜひ出したいですね。今のままでは勝てないだろう。しかし最後まで探ります」と答え、大石さんはかつての橋下徹のギャグを使い「2万%出ない」と答え、煙に巻いた。府知事選には既に共産党の辰巳コータロー氏が立候補を表明し、府議選(茨木選挙区)では大椿ゆうこさんが出馬表明し活発に活動。れいわの「維新キラー・大石あきこ」が出れば、維新に踏みにじられてきた大阪市民・府民が燃え上がるのは確実だ。ぜひ出てほしい、出るのではと思えた。
最後に統一地方選出馬予定の大阪市淀川区、吹田、豊中の3人からのアピールを受けて、和やかなうちにお茶会を終えた。(大久保)
3面
威風堂々弾圧乗り越える
連帯ユニオン新春旗びらき
1月14日
3月判決を前に力強い決意を表明する湯川裕司委員長(1月11日、大阪市内) |
1月14日、学働館・関生(大阪市西区)4階ホールで連帯ユニオン新春旗びらきがおこなわれ、ホールは満杯になった。
司会は近畿地方本部の西山直洋書記長がおこない、主催者あいさつは近畿地方本部の垣沼陽輔執行委員長がおこなった。
湯川委員長あいさつ
参加者へのお礼のあいさつを関西地区生コン支部の湯川裕司執行委員長がおこなった。湯川委員長は「関生は50年の歴史を持っており、失敗もあれば成功もあった。今回の弾圧はかならず乗り越えられる。平常心で威風堂々と、この弾圧を乗り越えていく」と自信と確信に満ちてあいさつをした。
弾圧開始以来、私たちは全力をあげて支援してきたが、当該の関生支部が「弾圧は乗り越えられる」と堂々と報告する姿を見ることができたことが一番うれしいことだった。確かに司法の現状をみるとき、無罪獲得への道は予断を許さないが、関生にかけられた団結権侵害の弾圧は関生だけでなく私たち一人一人にかけられた弾圧なのだから、弾圧を受けている当該といっしょにこの弾圧を押し返していくだけなのだ。不当判決にはともに怒り、ともに闘い、ともに勝利していくだけだ。
来賓あいさつ
来賓あいさつの最初は、れいわ新選組の大石あきこ衆議院議員。大石さんは別の組合の旗びらきに招待されたとき、そこの組合員から「やるかやらないか、どっちかだ」と言われたので「はい、やります」と答えたことを報告した。すぐ目の前に統一自治体選挙が来ているのだ。この選挙闘争は敵基地攻撃能力保有と大増税に踏み切る岸田政権をさらに敗勢に追い込み、カジノを推進する大阪維新をくつがえす絶好のときだ。まさしく行動が問われている。
TYK生コン分会の闘い
宴たけなわになると、TYK生コンの分会員が各テーブルをまわり、「TYK生コン闘争勝利」と書かれた缶バッジを1個5百円で販売して回った。職場を奪われながらも団結して闘っているTYK生コン分会をはじめとするさまざまな分会の闘いこそが弾圧を打ち破っていく力になっている。
恒例となっているお楽しみ抽選会の後、第2部の最後に近畿地区トラック支部の広瀬英司執行委員長が中締めのあいさつをおこなった。集まった人たちは食事と歓談をしながら2023年の勝利とそのための闘いを様々に語りあった。
2月18日の反弾圧行動(13時半 豊崎西公園)から3月2日の大津地裁判決へ闘いぬいていこう。(米村泰輔)
国会開会日に400人が行動
軍拡やめろと声あげる
1月23日
国会開会日に気勢をあげる労働者・市民400人(1月23日、国会前) |
1月23日昼、国会前で「軍拡やめろ! 軍事費増やすな! 増税反対! 改憲発議反対! 辺野古新基地建設中止! 統一協会癒着徹底追及! いのちと暮らしを守れ! 1・23国会開会日行動」がおこなわれ、平日ながら400人の労働者・市民が集まった(写真)。主催は、〈戦争させない・9条壊すな! 総がかり行動実行委員会〉と〈安倍9条改憲NO! 全国市民アクション〉。
立憲民主党の吉田忠智参院議員、日本共産党の山下芳生参院議員、沖縄の風の高良鉄美参院議員、社会民主党の福島瑞穂参院議員が口々に岸田政権の増税・軍拡路線を弾劾し、岸田政権打倒を訴えた。
そののち以下のような行動提起がおこなわれた。
●1月27日、午後6時半「辺野古の海を埋めるな! 政府は沖縄の民意を尊重しろ! 1・27『建白書』10年 日比谷野音集会」
●1月28日、午後2時、新宿駅東南口「憲法9条改憲NO! ウィメンズアクション」スタンディング
●1月31日、午後6時、衆議院第一議員会館「敵基地攻撃能力保有の閣議決定に反対する市民集会」
●2月13日、午後6時、総がかり行動新宿駅東南口街宣
●2月19日、午後2時、国会議員会館前行動
●2月24日、午後6時半、「ロシアのウクライナ侵攻から1年 ウクライナに平和を! 2・24日比谷野音集会&デモ」
以上の行動への参加で1〜2月岸田反動政権への大衆的反撃をたたきつけよう。
尼崎地区労が旗開き
小西さんの遺志つぎ23年を闘う
1月11日
1月11日、尼崎市内で尼崎地区労の新年旗開きがおこなわれた(写真)。冒頭酒井浩二議長が内外情勢の厳しさの中、尼崎地区労は断固闘うと宣言。塚原久雄事務局長からは、小西純一郎前事務局長を突然失いながらも、闘い抜いた昨年のとりくみが語られた。
連帯の挨拶としておおつる求伊丹市議、佐々木伸良関西合同労組委員長らが発言。いずれも尼崎地区労の大黒柱であった小西純一郎さんの遺志を受け継いで、地域の闘い、23春闘を闘うというものであった。
全港湾やJP労組など地区労内の労働者の職場報告・決意表明のあと、一ノ瀬剛幹事より23年の課題が提起され、とりわけ2・5春闘学習会、3・8山本昭宏(神戸外大准教授)講演会などの行動方針が確認され、23年の闘いに突入した。
230人が小西純一郎さんを偲ぶ
「やり残したこと」を実現しよう
12月18日
昨年9月に急逝した小西純一郎さんを偲ぶ会が12月18日尼崎市内で開かれ、全国各地から230人が参加した(写真)。冒頭に二胡の演奏があり、酒井浩二地区労議長の「あなたは働く者の希望」というあいさつで偲ぶ会は始まった。スピーチでは、今西正行地区労顧問のあいさつの後、尼崎市役所闘争・労働福祉会館廃止反対闘争で相対峙しながらも好敵手であった稲村和美前尼崎市長の涙ながらの発言が胸を打った。綴り方教育で知られる父親のもとでの子ども時代や、教育学部で学んだ学生時代、武庫川ユニオン・尼崎地区労の闘いの現場、丹波の実家近くで三線をひく姿、家族(孫)と戯れる姿などのビデオが映し出された。労組関係では鈴木剛全国ユニオン会長、全日建連帯の小谷野毅書記長などのあいさつ、森博行弁護士や柏木宏法政大教授などのスピーチが続いた。数々の争議でお世話になった人々の言葉のあと家族が並び、代表してつれあいの小西治恵さんから「よい人生だった。でもやり残したことがある」「桃栗3年、柿8年、ユズは9年で…と最後にユズの本を渡された」と思いのこもった挨拶がなされた。最後は飯田政志武庫川ユニオン委員長の指揮で、小西さんが日本語にアレンジした「鉄の労働者」を全員で合唱した。
私は成友印刷争議中に他労組ながら「ふれ愛メーデー」へブース参加を許され、2013年大阪拘置所勾留中に何度も激励の手紙をくれたことなど、20年にわたる厚誼を受けた。最後は昨年の3度にわたるウクライナ反戦スタンディングで、「ソ連・ロシアのスターリン主義」批判が共通項になったことに思いをはせ、「小西さん、あなたがやり残したことの一部でも引き継いで闘い抜く」と別れを告げた。
阪神社会運動情報センター・松田耕典
4面
安倍継承岸田政権の軍事的突出
―日・露が世界戦争の点火者に(上)
落合薫
はじめに――
岸田外交の軍事的突出
2023年1月13日に開かれた岸田首相とバイデン米大統領の首脳会談では、岸田首相が安倍=勝共体制(注1)が打ちだした軍事的突出を実現して見せることで主導しようとした。共同声明では安倍元首相が提唱した「インド太平洋戦略」をキーワードとして前面に出し、日本の「敵基地攻撃能力」(「反撃能力」と名称を変えて)の「開発、効果的な運用」について、(米側は)「協力を強化するよう閣僚に指示した」と言っている。米側は協力するにとどまるのである。
直前の1月11日に開かれた日米2+2(両国の外務・防衛の担当閣僚が話し合う枠組み)の共同発表では、中国を「戦略的競争」の相手とする米側の認識と「最大の戦略的挑戦」と敵国規定する日本側の両論併記としたが、「台湾問題」については「台湾海峡の平和と安全」を謳う米側の主張を貫いている(日本では安倍元首相以来、「台湾危機」「台湾有事」との認識を政府が打ちだしている)。米側が求めているのは、「半導体など重要新興技術の保護や育成を含む経済安全保障」について、「宇宙枠組みや原子力エネルギー協力を深化させたクリーン・エネルギー、エネルギー安全保障に関する日米両国の優位をいっそう確保していく」と、経済競争での協力を求めているに過ぎない。もちろん、「経済安全保障」というように軍事技術の基礎になる経済協力であるし、「クリーン」と称する原子力・核開発などの協力は許せるものではない。
(注1)安倍=勝共体制
安倍は自民党の中でも保守本流でない右翼反動の「清和会」に属する。日本で霊感商法などで数千億円の金を集めた統一教会の本質は、社会主義・共産主義の人間解放の思想と運動を国際的に絶滅することを目的とする「国際勝共連合」である。その思想は、朝鮮・韓国を植民地支配した日本を悪魔に取り込まれた「エバの国」とする「反日カルト」である。新自由主義政策の結果、伝統的基盤を崩壊させてきた21世紀の自民党は、勝共連合とのアクロバット的連携に権力維持の方途を求めざるをえなかったのである。2006年頃からこの勝共連合との関係を深めた安倍は、それを基盤として自民党内の権力闘争に勝利した。2012年以降の第2次安倍政権が「インド太平洋戦略」や「クワッド」などの反中国包囲網の「世界戦略」をとったのも勝共連合との提携の結果である。岸田首相は、安倍が構想として掲げたものを実現して見せることで党内のヘゲモニーを握ろうとするために、より凶悪なのである。
新しい沖縄戦
2+2の共同発表では、「日本の南西諸島を含む地域において日米の施設の共同使用の拡大」「共同演習・訓練の増加」を、また沖縄に駐留する米軍第12海兵連隊の2025年までの第12海兵沿岸連隊(MLR)への改編を打ちだした。これは「離島防衛」どころか、対中国、対朝鮮民主主義人民共和国(DPRK)の軍事的衝突が始まった時点での第1撃を避ける米軍の方針から、ミサイルを「撃ち逃げする」部隊だけを残す意味であろう。発射台に使われる琉球諸島の住民はすさまじい犠牲を強要される。
朝日新聞の1月13日付社説は、「台湾を巡る米中対立がエスカレートして、米中の軍事紛争に、日本が集団的自衛権を行使して『参戦』するような最悪の事態は絶対に回避せねばなるまい」という。しかし岸田政権が目ざすものはそんな生易しいものではない。日本が主導的に対中国戦争を挑発し、米軍はその支援に回る想定である。「台湾危機は日本の危機」という言い方からすれば、「集団的自衛権の発動」ではなく、最初から自衛隊の最大限の軍事動員を意味する「防衛出動」となる。桁外れの軍事的冒険に乗り出そうとしているのが岸田政権である。
2022年12月16日に閣議決定された「安保3文書」は戦争への「決意を国民」(岸田首相)に求めている。岸田首相が外遊中にも、1月12日には鹿児島の馬毛島で米軍艦載機の離発着訓練用の自衛隊基地建設に着工した。また駐沖縄の陸上自衛隊は従来の第15旅団を改編増強して「師団」とすることが決められた。しかもこの師団には地方総監部が持つような行政機能も付与するという。琉球諸島を米軍とともに、あるいは米軍に代わり、自衛隊の軍政下に置くということである。
4年目に入った新型コロナ危機とロシアのウクライナ侵略は世界の労働者人民を塗炭の苦しみに追いやっている。米国ではアマゾン、アップルの大量解雇に労働者が労働組合を結成し、看護師も賃金引き上げや労働条件の改善を求めて労組を結成し、ストライキに立ちあがっている。フランスでは年金の受給開始年齢を62歳から64歳に引き上げるマクロン政権の決定に、112万人の労働者が抗議デモに立ちあがり、公共交通の労働者や学生がストライキで立ちあがっている。日本では軍事予算の増額を巡って消費税増税に行きつく論議がおこなわれる一方で、2022年には消費者物価が4・0%も上がり、実質賃金は同期間に3・8%減少した。岸田首相はG7サミットの5月広島開催に向け、「日本はコロナを克服した」とアピールするため、今春から新型コロナを「5類感染症」に移行させる。医療費の公的負担が削られ、自己負担が増えることが不可避だ。大軍拡と改憲、大増税と生活破壊に怒りの集中砲火を。
第T部 日・露が世界危機・世界戦争の点火者に
世界認識の焦点
ロシアのウクライナ侵略戦争が今日の世界の危機の焦点を浮かび上がらせた。西のロシアと東の日本が世界危機・世界戦争の点火者となっている。
危機をつくり出しているロシアと日本は次のような共通性がある。ひとつは経済的に没落が明らかになっていることである。日本は1人当たりGDPで韓国に抜かれ、今や台湾とシンガポールにも抜かれつつある。ロシアも同様で、米ソ冷戦時代には政治・軍事・経済力で文字通りナンバー2であったが、今や、GDPが中国と比べて10分の1に転落している。
もうひとつは、「地政学的」孤立である。日本は、安倍=勝共体制の下で、中国・ロシア・韓国・朝鮮民主主義人民共和国など、周辺の国をすべて敵に回す政策を取り続け、排外主義と孤立感が国全体を覆っている。ロシアはウクライナに対する侵略戦争で、これも孤立を深めている。11月23日に開催された旧ソ連圏の軍事同盟・集団安全保障条約機構(CSTO)首脳会議で、開催国のアルメニアのパシニャン首相が会議のまとめの決議に署名を拒否し、ベラルーシを含むすべての加盟国がロシアのウクライナ侵略戦争への支持を拒否した。すでにカザフスタンとアゼルバイジャンは、ロシアのパイプラインを通じて石油と天然ガスを西欧や中東に供給することを拒否し、トルコ経由のパイプラインを通じて売っている。インドへは直通のパイプラインを敷こうとしている。フィンランド、スウェーデンがNATO加盟を決めたのも、ロシアの侵略に対する危機感からである。
ロシアと日本は、このような没落の危機感から、突出した現状破壊に打って出ているのである。
ウクライナ戦争が生む危機
プーチン・ロシアのウクライナ侵略戦争は、冷戦後の「国際秩序」を崩壊させた。なかんずく、核保有国の優位を保障してきた核拡散防止条約(NPT)と国連の安保理常任理事国5カ国を軸とした集団的安全保障の信頼性は喪失した。敵を圧倒する軍備で戦争の発生を抑えるという抑止論と、国家間戦争は今やなくなり、あとは「テロとの戦争」がすべてというブッシュ(息子)米大統領以来の「常識」も崩壊したのである。AIによる無人の戦争とかハイブリッド戦争(注2)といった虚偽の戦争論は破産した。
キーウに向かったロシア軍の戦車と装甲車の60qに及ぶ車列が次々と攻撃され、擱座している(戦車などが壊れて動けなくなる)。モロトフ・カクテル(触発性の火炎瓶)を駆使するウクライナ人民の命がけのゲリラ・パルチザン戦闘が威力を発揮したのである。戦闘の決定要素は、騎兵でも砲兵でもなく歩兵であるというクラウゼビッツの古典的テーゼは、現代戦においては、航空兵力や戦車部隊ではなく、地上戦力であると翻訳できる。まして「国民戦争」(ゲリラ・パルチザン戦)では、地理に習熟し、戦意にあふれ、創意工夫して、単身ないし小部隊で行動するパルチザンが、とくに占領地では決定的戦闘形態となる。
ウクライナ侵略戦争は、米帝とNATOの破産をも浮き彫りにした。プーチンは、米帝のNATO支配の破産を見越して、ウクライナ侵略に打って出たのである。2021年8月、米帝・米軍はアフガニスタンに対する20年間に及ぶ侵略戦争に敗れ、みじめな撤退をおこなった。アフガニスタンへの米帝・NATO軍の侵攻は、NATO結成以来初めてNATO基本条約第5条に基づいておこなわれた。すなわち「NATO加盟国の1つに対する攻撃はNATO全体への攻撃と見なす」という条項により、2001年9月11日の反米ゲリラ戦闘の激発に対して、米帝は個別的自衛権を発動し、NATOは集団的自衛権を発動して参戦したのである。そのためドイツは欧州以外の地に初めて連邦軍を派遣し、トルコはイスラム圏の国に軍隊を派遣したのである。加盟国を米帝・米軍が守るという建前で結成されたNATOが、逆に米国を「守る」ために加盟国の軍隊が動員されるとは何たる矛盾。しかもこの戦争で米帝とNATOは初めての敗戦を余儀なくされた。これは米国のみならず、世界の歴史を転換させた。
(注2)ハイブリッド戦争
正規軍による軍事的手段の行使とそれ以外の非軍事的手段(情報戦、サイバー空間の利用、テロ・暗殺・謀略、政治的宣伝・工作)とを組み合わせた戦争。現代戦では多くの場合後者の要素を含むため、小泉悠氏が言うように、戦争の勝敗や戦局を決定づける要素が後者である場合を「ハイブリッド戦争」、そうではなく前者が決定要素となっている場合を「ハイブリッドな戦争」と区別すべきと考える。2013年にロシア軍の参謀総長ヴァレリー・ゲラシモフがおこなった軍事科学アカデミーでの演説が文字起こしされ、「アラブの春」や旧ソ連圏の「カラー革命」を素材に、非軍事的手段が広範に使用され政権転覆や国家間対立の決着手段となっていることを強調した。その後、ロシアによるクリミア半島併合とドンバスにおける「親ロシア派」2地域の分離が「劇的に」おこなわれたことから、西欧のメディアはこれが「ハイブリッド戦争」の典型であり、ゲラシモフの理論「ゲラシモフ・ドクトリン」を適用したものとして受け取った。しかしこの理解は二重の意味で間違っている。
第1に、クリミアとドンバスの帰趨を決定したのは、ハイブリッド戦争などではない。ウクライナが徴兵制を廃止し、兵力が5万人程度にまで縮小しているなかで、クリミアではそれでも地元の「親ロシア派」の実力などでは決着づけることができず、はじめからロシア海軍陸戦隊(アメリカの海兵隊のような存在で、正規軍の中でも精鋭部隊)を偽装させて投入している。ドンバスでは元々「親ロシア派」の政治・軍事指導部なる者はロシア軍やKGB出身者を送り込んでいたが、ウクライナ住民の地域防衛隊の反撃に苦しんで、途中からロシア正規軍を送り込んでいる。2014年にマレーシア航空機を撃墜したのもロシア軍のミサイル部隊であり、「親ロシア派」の領域内から発射し、直後にロシア領に撤退したことが証明されている。このように戦局を決定しているのはいずれもロシアの正規軍であり、いずれも地元のウクライナの地域防衛勢力を制圧したものである。
第2に、「ハイブリッド戦争」という実態を発見し、それに命名したのはロシア軍部などではなく、米海兵隊のジェームズ・マティス中将(のちにトランプ政権の国防長官となる)と海兵隊退役大佐のフランク・ホフマンであり、2005年に「将来戦――ハイブリッド戦争の台頭」という論文を共著で出している。両名はレバノンのヒズボラが、情報戦やテロなどの非軍事的手段を駆使してイスラエル軍を撤退に追い込んだ戦いを理論化して、この戦争形態を「発見」したのである。
ロシアを「脅威」視する西欧のメディアやアカデミー内で、ロシアが軍事の革命的要素を駆使しているという幻想から生まれたのがロシア軍による「ハイブリッド戦争の遂行」という虚偽観念であり、ロシアではそれに似た概念として「新型戦争」や「新世代戦争」という概念が存在するだけで、そもそも「ハイブリッド」という名称さえ用いられていない。情報戦やサイバー空間の利用、民衆の政治工作という面でも、ロシア軍は、「援助」などを本格的に受ける以前のウクライナ軍より劣っており、ソ連時代の蓄積が今もメインとなっている古色蒼然たる軍隊だ。マティスなどが「ハイブリッド戦争」を最初に「発見」したときの「弱者」(被抑圧者、被侵略者、被差別者)の戦法としての「ハイブリッド戦争」という革命的要素などないのがロシア軍である。(つづく)
本論文の目次
はじめに
岸田外交の軍事的突出
新しい沖縄戦を許すな
第T部 日・ロが政界危機・世界戦争の点火者に
世界認識の焦点
ウクライナ戦争が生む危機
……ここまで本号
日米安保が戦争の導火線に
第U部 米中はともに覇権を握れず
米中の「世界支配」?
米国の「世界戦略」の中での中国
中国の世界戦略……以上次号
5面
岸田政権の原子力政策批判(上)
GX=グリーン・トランスフォーメーション許すな
寺田理
毎月首相官邸前で取り組まれている原発廃絶を求める金曜行動 |
岸田文雄政権は原子力政策を転換し、「原発回帰」にむかっている。岸田は全面的に原発を推進しようとしている。この原発政策の転換は、軍事大国への転換と一体であり、日本資本主義の生き残り方策でもある。岸田政権が掲げる「新しい資本主義」の実態が、これらの政策のなかに示されている。
ここでは福島第一原発事故の教訓はすっかり忘れさられている。原発事故被害者・避難者はますます切り捨てられていく。これを見過ごしておく事はできない。今、日本の反原発運動の力が問われている。以下、岸田政権の原子力政策の源流を掘り起こしていきたい。
グリーン・トランスフォーメーション(GX)
岸田政権はグリーン・トランスフォーメーション(GX)という新たな装いのもとに、強引な原子力推進政策を打ち出している。「GX実行会議」(経産省)は、昨年7月に始まった。
同年8月24日、第2回GX実行会議で、岸田は次のように語った。
「GXを進める上でも、エネルギー政策の遅滞の解消は急務です。本日、再エネの導入拡大に向けて、思い切った系統整備の加速、定置用蓄電池の導入加速や洋上風力等電源の推進など、政治の決断が必要な項目が示されました。併せて、原子力についても、再稼働に向けた関係者の総力の結集、安全性の確保を大前提とした運転期間の延長など、既設原発の最大限の活用、新たな安全メカニズムを組み込んだ次世代革新炉の開発・建設など、今後の政治判断を必要とする項目が示されました」。
この方針にもとづいて、12月22日に「GX実現に向けた基本方針」が策定された。岸田は人びとの声を聞くことなく、たった5カ月で原発政策を変更したのだ。そこでは、省エネルギーの推進、再生可能エネルギーの主力電源化、原子力の活用、水素・アンモニアの導入促進などがあげられている。原子力については、@安全最優先で再稼働を進める、A次世代革新炉の開発・建設、B原発の運転期間に関する新たな仕組みを整備、などを言っている。原発を全面的に推進する政策を打ち出した。
この特徴は、気候変動(CO2)問題のなかに原発を組み入れて、原発を脱炭素エネルギーとして推進していることだ。原発は発電時に二酸化炭素は出さないが、放射性物質を大量に放出する。ここでは、放射性物質の問題を意図的に隠蔽している。こういうペテンを使ってでも、岸田政権は何が何でも原発を復活させたいのだ。
第6次エネルギー基本計画
日本のエネルギー政策は、「エネルギー基本計画」(経産省資源エネルギー庁)で策定されている。その議論は、経産省総合資源エネルギー調査会の基本政策分科会でおこなわれている。21年10月に策定された第6次エネルギー基本計画では、次のように述べている。
「東京電力福島第一原子力発電所事故を経験した我が国としては、安全を最優先し、経済的に自立し脱炭素化した再生可能エネルギーの拡大を図る中で、可能な限り原発依存度を低減する」。
原発は再稼働するが、「可能な限り原発依存度を低減する」と言わざるをえなかった。原発に反対する声が強く、新規建設までは打ち出せなかったのだ。しかし、福島第一原発事故後においても、経産省を含め、日本の支配者は原発を推進している。このことはしっかり確認しておきたい。
原子力小委員会
原子力政策は、経産省総合資源エネルギー調査会の原子力小委員会で論議されている。2022年は、毎月1回というハイペースで開かれた。GX実行会議で打ち出している原発政策は原子力小委員会の方針にもとづいているのだ。
審議は次のようにおこなわれている。事務局が基本方針を出す。委員は意見を述べる。事務局はこの意見を反映させて基本方針を決定している。原発推進政策はこうして決められている。
こうして、経産省官僚が日本の原子力政策を決めている。財界などの意見を取り入れて、経産省官僚が原発推進政策をつくっているのだ。2011年3月下旬、被災住民が避難を急いでいるとき、経産省は原発再稼働をすすめていた。夏までに原発を再稼働させたかったが、民主党菅政権の意向もあり、これは実現できなかった。福島第一原発事故以後も、経済界は一貫して原発を推進している。日本資本主義は福島第一原発事故を反省することなく、原発推進に走っている。
2023年の闘い
岸田の原発推進政策は、フクシマをなかった事にして、福島第一原発の事故以前に戻すということなのだ。われわれはヒロシマ・ナガサキ、福島第一原発事故を経験し、「核と人類は共存できない」ことを知っている。岸田政権の原子力政策を認めることはできない。この怒りを可視化して、岸田政権にたいして「原発反対」の声をあげる事が重要だ。
軍事大国化政策と原発問題において、われわれは岸田政権との闘いをむかえている。今、この国は軍拡に走り、原発を推進しようとしている。これ以外に生き残ることしか見出せない日本資本主義は、人民の手によって打倒されるべきなのだ。2023年の闘いは、その陣地を固める場としたい。(つづく)
6面
連載 ミャンマー情勢(4) 三船二郎
クーデターから2年 国軍打倒へ民主派前進
アウンサンスーチー国家顧問への獄死攻撃を許すな
国軍支配下のミャンマーの裁判所は昨年12月30日、アウンサンスーチー国家顧問に対し禁錮7年の有罪判決を言い渡した。これにより刑期は総計33年となった。
国軍は2022年9月2日、重労働付きの懲役3年の実刑判決も言い渡している。独房に移された彼女は食欲がなく流動食しか摂ることができず、髪の毛が抜け、貧血で倒れそうになりながらも不満をいわず毅然としていると伝えられている。1945年生まれの彼女は今年誕生日がきたら78歳となる。このような国軍の行為は彼女を獄死させるものといっても過言ではない。ミャンマー民衆とともに国軍壊滅・打倒闘争をやりぬき、なんとしても彼女を民衆のもとに取り戻そう。
民主派の組織的前進
@第1回人民総会
国民統一政府(NUG)や少数民族武装勢力が加わる「挙国一致諮問委員会」はクーデターから1年目の22年1月27日から29日にかけて第1回人民総会を開催した。20年11月の総選挙で当選した国会議員や少数民族武装勢力、市民不服従運動を組織した人たちが参加した。
今年も1月ないし2月に第2回人民総会が開催され、第1回人民総会からの1年間を総括し、国軍打倒への大きな方針が示されるだろう。
A世界各国に民主派の代表部を設置
国民統一政府(NUG)は、これまで米、英、仏、チェコ、韓国、オーストラリアなどに代表部を設置しており、昨年2月には日本にも設置した。
B市民防衛隊、地下活動を含め成長
ミャンマー全土333郡のうち250郡に郡単位の市民防衛隊の大隊が発足しており、さらに4百以上の都市ゲリラ隊が地下活動をおこなっている。
C行政組織の創設
国民統一政府(NUG)は22年4月段階で「国土の半分を掌握している」と発表し、同年6月には、ザガイン管区とマグウェー管区では、主要道路の90%、村の80%を実効支配していると発表した。
民主派が支配的になっている地域では人民警察法が施行され、人民行政局や国民統治委員会による統治が進んでおり、ザガイン管区カタ―郡では地方裁判所が設置されている。
国軍との闘いの中で成長する民主派
@激戦地ザガイン管区とマグウェー管区
民主化革命の内実がもっとも進んでいるのがザガイン管区とマグウェー管区である。ここの勝敗がミャンマー全体の勝敗を決する。
ザガイン管区はミャンマーの北西部に位置し、かつてザガイン王国があったところであり、面積は四国の4倍超である。マグウェー管区はザガイン管区の南に接しており四国の2・5倍の広さである。ザガイン管区は37の郡区で構成され、50の市と5991の村がある。両管区を合わせると四国の7倍近くになる。この広大な地域で民主派の行政組織が着実につくられ、動き始めているのだ。
A追い詰められる国軍
両管区での民主化革命の内実の深まりに対して、国軍が創設した民間反革命武装組織のピューソーティを使嗾して両管区の民主化革命の内実を破壊しようとしてきた。ピューソーティは各村ごとに30人のピューソーティの構成員を差し出すことを要求し、村が拒否すれば、村の家々を焼き尽くすことをおこなっている。国軍はピューソーティを使うだけでなく、戦闘ヘリやロシア製戦闘機などで村々を空爆し、重火器を使って攻撃している。村人は逃げるほかなく、国軍は逃げ遅れた村人や看護師や妊娠している教師等も生きたまま焼き殺す残虐なことをおこなっている。
B国内避難民の実態
ザガイン管区の避難民が61万2400人と圧倒的に多い。次に多いのがマグウェー管区で11万1800人である。独立調査機関ISPミャンマーによると2021年2月のクーデター以降、2022年9月までにミャンマー全土で3万6209軒の民家が国軍によって焼き払われたが、このうち2万5377軒がザガイン管区で発生したと発表している。実に70%がザガイン管区なのである。
Cこれは何を意味するか
ほとんどの村がピューソーティに人員を差し出すことを拒否し、国軍への協力を拒否しているということである。それだけではない。ピューソーティや国軍が暴虐を働けば働くほど、国軍への怒りは増幅し国軍壊滅への民衆の意思がさらに強まっていくのである。
D民主派の大規模攻撃
22年5月26日、ザガイン管区パレー郡で、移動中の国軍車列92台に対し市民防衛隊の総攻撃がおこなわれた。民主派のこの作戦には数百人規模の市民防衛隊が参加した。戦闘は6日間続き、国軍兵士は45人が死亡した。同年6月にも同様の大規模攻撃がおこなわれている。E大規模作戦を可能にしたもの
これだけの大規模な作戦が可能になった背景には家を焼かれた村人たちの全面協力があったからだ。民主化された行政組織がつくられている地域で、事前に民衆側のなんらかの連絡網がつくられ、国軍車列がいつ頃、どこを通るのか、これらが村人たちの全面協力で市民防衛隊に伝えられたからである。
また、この作戦には「数百人規模の市民防衛隊」が参加したといわれている。市民防衛隊は結成以来、さまざまな小規模なゲリラ戦を経験する中で、次第に自分たちを組織し「数百人規模」での行動が可能なところまで成長してきたということでもある。つまり、民衆と市民防衛隊が一体となってかなり大きな軍事行動ができるところまで民衆も市民防衛隊も成長してきたということである。
F農民の大規模抗議行動実現
ザガイン管区で22年9月1日、市民防衛隊が護衛して、農民による大規模デモがおこなわれた。集まった地点は公表されていない。ザガイン管区の特定地点に集まった農民は「家を焼かれても革命の精神は焼け落ちない」と書かれた横断幕をもち、シュプレヒコールをあげた。国軍による妨害は一切なかったという。
最大の決戦期到来
現段階の最大の特徴は、今年8月までに国軍が強行しようとしている「偽の総選挙」をめぐって民主派と国軍との闘いが熾烈さをさらに深めているということである。かつてのベトナム戦争は旧ソ連や中国が巨額の財政支援や武器支援をおこなったが、ミャンマーの民主派にはどこの国からも支援がない。しかし、ミャンマーの民主化革命には抑圧されている香港、台湾、中国本土、さらには日本の民主化運動の未来がかかっている。ミャンマー民主派の闘いをなんとしても支援していこう。(つづく)
田中さん松崎さん村田さんを偲ぶ会
70年代のディープな話に沸く
12月25日大阪
12月25日、大阪市内で、田中徹さん、松崎五郎(絹川聰)さん、村田英雄さんをしのぶ会が50人近くの参加者でおこなわれた。
周知のとおり田中さんは22年8月、松崎さんは22年2月、村田さんは20年8月に亡くなり、多くの人に参加してもらっての葬儀・しのぶ会はコロナ禍、できなかった。そのため遠方からも来ていただいて偲ぶ会を開催した。
会は司会・進行を実行委員会の大久保一彦さん(『未来』編集長)がつとめ、開催のいきさつを説明した。最初に3人をよく知る方からで、田中さんは赤松英一さん、松崎五郎さんは山本清次さん、村田さんは川嶋澄夫さんから思い出が語られた。
赤松さんは故・吉岡史郎さんとの関係で、田中さんとは80年代以降に数回会った。田中さんは京大医学部時代から根っからの「大衆運動主義者」で、80年代の革共同には疑問を持ちながらも、医者としての収入の大半を吉岡さんらを支えるために拠出した。最初会ったときは詰問調であったが、のちに誤解も解けた。22年には日大全共闘のAさんも亡くなったが、大衆運動の戦闘的展開を背景に革命運動はあるというのが、共通した思いではなかったかと、田中さんを偲んだ。
山本さんは、松崎さんとは60年代中期の関西学生運動の同世代で、松崎さんは高校生対策で多くの活動家を大学や職場に送った。70年代の対カクマル戦争では理系の知識も生かし、初期的なカクマルの軍事的優位を、74年12月段階で劇的に変え、それ以降関西で優位な関係を維持したのは松崎さんの力だと訴えた。
川嶋さんは、村田さんは70年代の早い段階から潜り、実家が町工場であったことの知識・経験を活かし、様々な軍事的要請物の開発に貢献した。その独特な位置のため浮上も一番遅かった。一緒に戦ってすでに亡くなった仲間は多いが、全国でも最強の部隊だったと語った。
3人の話のあとに古河潤一さんの音頭で献杯。その後はともに闘ってきた時代を語った。3人の先輩・同僚である橋本利昭さんから、遠路参加の方々への感謝の弁と3人の思い出が述べられた。また参加できなかった村田英雄さんのつれあい=谷田貝元さんからのメッセージとカンパが報告された。さらに同じ時代をともに闘ってきたブント系と解放派系の仲間からも、思いが語られた。最後にアコーディオンの演奏でインターナショナルを歌い、しのぶ会を終えた。(写真上)
7面
12・20 大阪地裁反動決定弾劾
12・22 GX基本方針を許さない
仰木明
決定を弾劾し即時抗告を宣言(12月20日) |
大阪地裁の反動決定弾劾
昨年12月20日、大阪地裁(井上直哉裁判長)は、申し立てられていた美浜原発3号機運転差止仮処分申し立てを却下した。
この決定は、8月24日に岸田が打ち出した40年期限の撤廃や新型炉の開発の推進などを受け、これに迎合し、司法の独立を投げ捨てた決定である。
そもそも今回の決定過程が極めて異常であった。井上裁判長は、10月にも決定を出すといいながらなかなか決定日を示さず、やっと提示したのは、12月に入って中旬過ぎ。それも、12月14日から12月20日の間に決定を出すとし、日程の特定を避けた。その後、12月20日に決定を出すとしながら、時刻は追って指定するというのみの、申し立て人や支援者を愚弄する対応に終始したのである。このような井上裁判長の対応は裁判所として、まったく異常である。これは、却下する屁理屈を考え、またいかに人民の怒りと決起を抑えるかということのために、時間稼ぎをおこなったということである。
内容的には、美浜3号の直近に活断層が存在しているという「震源敷地近傍」の問題について、なんら判断を示さない、司法判断の放棄である。総論部分では、関電が原子力規制委員会の調査、審議、判断に不合理な点がないことを主張疎明しなければならないとしながら、各論部分では、不合理の立証責任を申し立て人に課すという、総論と各論で食い違っているというお粗末な内容である。
さらに「避難計画」について、決定では、「第1から第4までの各防御レベルの存在を捨象して無条件に放射性物質の異常放出が生ずるとの前提を置くことは相当でない」といっている。しかし、これは深層防護の考え方に反しており、ためにする論議でしかない。また「避難計画に不備があるとも認められない」としているが、現実を見ない机上の空論である。
今回の決定はこのようにまったくお粗末な代物であり、岸田政権の原発推進政策に迎合した決定である。申し立て人は1月4日、大阪高裁に即時抗告した。
さらに1月13日には、新たに福井地裁にたいして、美浜3号の運転差止を求める仮処分を福井県の住民10人が申し立てた。
大阪高裁、福井地裁での美浜3号運転差止仮処分の申し立てに勝利しよう。
12・22GX
12月22日グリーン・トランスフォーメション(GX)実行会議が、基本方針をとりまとめた。閣議決定の上で、関連法を1月23日開会される通常国会に上程するという。
昨年8月24日、岸田によるそれまでの方針の大転換を受けて、わずか4カ月でまともな論議もないまま、政府は原発推進に突っ走ろうとしている。絶対に許してはならない。
今回打ち出した基本方針では、原発を最大限活用するとし、二つの政策転換を打ち出した。
一つは、原発の新規建設を打ち出した。これまで、新規建設については、現時点では想定していないとしてきたのを、今回将来にわたって原子力を活用するために、新規建設に取り組むと明記したのである。その上でさしあたっては、廃炉を決めた原発の新型炉への立て替え=リプレースを具体化するとしている。
二つは、原発運転期間の延長である。3・11フクシマを受けて、12年原子炉等規制法で、原発の運転は原則40年とし、例外的に1回だけ20年延長できるとしてきた。この40年(例外的に20年延長)運転ということが原子力規制の根幹をなしてきたのである。
それを覆し、40年(60年)を超えて運転できるようにしようとしている。その方法として、規制委員会の審査や司法判断などで止まっていた期間を40年から除外するというのだ。たとえば、再稼働審査を申し立て、実際に審査合格の決定が出るまでの期間を40年から引くというものである。
2012年5月、泊原発3号機が定期検査のため停止し、日本の全ての原発が停止した。「3・11」以降、再稼働が簡単にはいかなくなり、順次、定期検査で停止していくという事態のなかで、最後の1基である泊3号機が止まったのである。以来、今日までに再稼働できたのは、川内原発1、2号機、玄海3、4号機、伊方3号機、高浜3、4号機、大飯3、4号機、そして美浜3号機だけであり、他の原発は再稼働できていない。この「今日までに再稼働できていない」原発は、少なくとも「3・11」以降の12年という年月が運転期間の計算から除外されるのである。こういうペテン的なやり方で、40年(60年)を超える運転を可能にしようとしているのである。
原発は、仮に止まっていても放射線にさらされているのであり、停止していた期間を除外するということは、何の整合性もなく、原発の「安全性」と相容れない論理だ。逆に言えば、ここに原発推進派の本音が示されているといえる。
いずれにしても、これらは決着がついたものではない。むしろ、原発をめぐって全社会的な選択が問われる情勢といえる。岸田の原発推進・依存を真っ向から打ち砕こう。
23年が正念場
2023年は反原発闘争の正念場だ。岸田の原発推進へ向かっての暴走を止めよう。ただちに、原発推進の岸田を倒せ! の大きな行動、運動を展開しなければならない。さらに、今国会に上程されようとしている、40年運転の転換、40年(60年)超え運転を可能にする法案を絶対通してはならない。
高浜1、2号機の再稼働が狙われている。高浜原発1、2号機の再稼働は、すでに地元高浜町、福井県の同意を得ており、昨年6月に再稼働を狙ったが、特重施設が未完成のため再稼働を断念した。今年、特重施設完成をもって、再稼働しようとしている。絶対に許してはならない。
高浜1、2号機はそれぞれ48年、47年を超える超老朽原発である。世界的に見ても現状で一番長く運転している原発が53年超である。それに並ぶような高浜1、2号機を動かすというのだ。
48年を超える超老朽原発高浜原発1号機、47年を超える高浜2号機の再稼働を許してはならない。老朽原発うごかすな! 実行委員会は、高浜原発1、2号機の再稼働をとめるために今春、関電本店〜高浜原発を結ぶリレーデモを呼びかけている。3月21日関電本店を出発し、4月2日高浜原発に到着する計画である。このリレーデモを成功させ、高浜原発1、2号再稼働反対の行動を大きく作り出していこう。
岸田の大軍拡、生活破壊、大増税などの悪政に対して、原発をめぐる攻防を軸に大反撃を開始しよう。今こそ岸田打倒を高く掲げて総決起しよう。
米軍基地いらんちゃフェスタ2022
米軍Xバンドレーダー基地を撤去せよ
米軍基地前で抗議行動(12月11日、京都府京丹後市) |
12月11日、「米軍基地いらんちゃフェスタ2022」が京都府京丹後市の丹後文化会館で開催され、地元京丹後市をはじめ関西一円から280人が集まった。会場からリモート中継もあり60カ所で視聴された。主催は、米軍基地反対丹後連絡会、米軍基地建設を憂う宇川有志の会。
関西圏で唯一の米軍基地=米軍Xバンドレーダー基地(正式名:米軍経ケ岬通信所)がある京丹後市では、毎年この時期に基地撤去を求める集会が開かれてきた。コロナ感染症でここ2年はひらかれず、今回3年ぶりの開催となった。
米軍基地と土地利用規制法
午後2時から集会が始まり、記念講演を馬奈木厳太郎弁護士がおこなった。
馬奈木さんは、9月に施行された「住民監視と人権制限の土地利用規制法」の問題点について警鐘をならした。米軍・自衛隊などの周辺1キロメートルのエリアや国境離島を「注視区域」などに指定し、所有者や使用者を監視・情報収集して、「機能阻害行為」があれば、使用中止を勧告・命令できるという土地利用規制法。指定された区域外に住んでいる人でも、関係者と判断されれば、どこに住んでいようと監視・情報収集の対象となり、権力の恣意的判断で事実上誰もが対象とされる悪法である。沖縄県の場合、沖縄島を含め有人の島はすべてが指定区域となるので、全県が含まれるという。最初から沖縄を指定するような露骨なやり方はしないかもしれないが、狙いが沖縄にあることは明白だという。
[注]政府は12月16日、土地利用規制法に基づく「土地等利用状況審議会」を開き、北海道、青森、東京、島根、長崎の5都道県の離島や自衛隊施設など58カ所の区域指定を了承した。周知期間を経て、23年2月に指定を施行するとしている。
人身事故を物損に偽装
米軍基地建設を憂う宇川有志の会・永井友昭さんが現地報告。最近の問題点を整理して報告した。
(1)米軍属人身事故を隠蔽
11月8日、国道178号三津バイパスで米軍属が通勤運転するワゴンが、道路脇を歩いていた地元の老人に接触。ワゴン車の左前サイドミラーが破損(ガラスが割れて散乱)、老人は左まぶたを創傷。車のブレーキ痕なし。完全なドライバーの前方不注意。大事故にならなかったのが不思議なくらいの事故。警察は、連絡を受け、事故現場に来て調査をし、家族に連絡。警察の連絡で、老人はその場から救急車で運ばれ病院で検査。(つづく)
8面
長期・読み切り連載 大庭伸介
先人たちの闘いの成功と失敗を学び現在に生かそう
資本の横暴に抗う女性たち
「泣きの涙」から闘う主体へ A
小包郵便で里帰りする女性労働者
胸打つ『女工哀史』の世界
私は高校生のとき細井和喜蔵の『女工哀史』に出会って、涙を流した。著者は15年間紡績工場の下級職工として働き、その体験と調査をもとに底辺で働く女性労働者たちの苛酷な生活を克明に描いている。
その一端を紹介してみよう。
・仕事の上達が遅いとか、ささいなミスが見つかると、水を入れたバケツを持って1時間以上直立させられ、姿勢が崩れるとムチで打たれた。
・欠勤率を下げるため、病気をしていても寄宿舎からムリヤリ引きずり出された。
・食事は腐敗したおかずが、豚小屋より不潔な所であてがわれた。
・無頼漢と関係のない工場は皆無で、彼らは工場の中や寄宿舎でドスやピストルをちらつかせて彼女らを威嚇した。
・彼女たちが国元へ送る手紙は世話役の前で書かせ、少しでも虐待を匂わせる内容であれば没収された。受信は事務所で開封し、棄却されたり送り返されるケースが少なくなかった。
・職場は平均気温が65度以上で多湿であった。そのため下着は汗でビッショリになり、寄宿舎に住む女工1000人中、年平均13人が肺結核で死亡し、発病後帰郷してから1000人中10人が死亡した。なかには1個の小包郵便となって故郷に戻ってくる者もあった。いずれも12歳から35歳の若さであった。
まさに「製糸女工が人間ならばトンボ蝶々も鳥のうち」と言われるような実態であった。
「諏訪湖の水面が浅くなった」
惨敗に終わった山一林組の争議
このような状況のなかで1927年8月30日、長野県岡谷の山一林組の労働者1358人がストライキに立ち上がった。第2次世界大戦前の製糸労働運動史上最大の争議であった。この争議の中心は数え年23歳を頭に平均17歳、しかも12〜13歳の「保護工」数十人を含む若い女性労働者であった。
当時、日本の生糸生産高は世界の34%を占め、総輸出額の約3分の1にのぼった。長野県の岡谷地方では200以上の製糸工場に約4万人の労働者が働いていた。左・右両派の労働組合の全国組織がオルグ対象として働きかけ、労資の間で非常に緊迫した空気がただよっていた。
この年3月、全日本製糸労働組合が岡谷に誕生し、右派系の日本労働総同盟に加盟した。たちまち20数支部が結成され、組合員数は約3千人に達した。山一林組の労働者も第15支部として組織された。
争議団の要求は、@組合加入の自由、A食料および衛生の改善、B賃金を他工場並みに、などであった。
山一林組は全国の生糸の20%を生産する最大手で、社長は長野県選出の鉄道大臣小川平吉の選挙参謀をつとめていた。
要求提出の前に会社は第15支部の幹部1人を呼び出し、「労働組合を脱退するか、さもなければ自決せよ」と居丈高に迫った。
労働者たちは要求提出の8月28日夜、臨時大会を開いた。20数人の男女労働者がこもごも立って、工場の虐待と労働者の団結を訴えた。大会終了後、袴をはき腕に組合員章をつけた約千人の労働者が2列縦隊のデモで寄宿舎にひきあげた。このとき組合歌「立てよ日本の女工」の歌声が、深夜の工場街にとどろきわたり、感激が辺りを包んだ。
争議団は演説会を開いて市民に訴えたり、他支部にたいして共に闘うよう呼びかけたが実現しなかった。
スト突入の2日目、総同盟本部から応援の幹部が「総指揮官」と称して岡谷に到着した。左派系の日本労働組合評議会に属する南信一般労働者組合が共同闘争を申し入れたが、全日本製糸労働組合の幹部は「立場が違うから」と拒否した。資金カンパを送ることさえもことわった。
ストライキ4日目(9月2日)、会社は全員解雇を決定し、労組側に通告した。
さらに会社は女子労働者の保護者による切り崩し工作を強化し、つぎのような手紙を発送した。「あなたの娘さんを救い出すために懇談したいのでお出掛け願いたい。岡谷駅に下車したら岡谷署を頼って林組本部においで下さい。もし来られない場合は御意見を岡谷署に委任くださればご希望に添うよう取計りくださることと思います」と。もはや岡谷警察署は、完全に製糸資本家の私兵と化していた。
9月3日、争議団本部は信州交通労働組合から寄せられた菓子を積んだ2台の荷車を中心に、各寄宿舎に立て籠もっている組合員を慰問するため、多数の旗を立てて岡谷の街を行列してすすんだ。警察はこの「お菓子デモ」にたいしてさえ旗を捲けと干渉し、1人の労働者を検束した。
つぎの日、本社工場の労働者5百人余は約2キロの行程をデモ行進した。このとき女性労働者は解散地点で、警官隊にとり囲まれながら、鬼ゴッコをしたり歌をうたったりして、ゆうゆう2時間も過ごし、すっかり闘いに自信を持った。
スト突入8日目の夜、会社は工場内に待機していた警官隊に鎮圧を要請した。半鐘が打ち鳴らされて消防組も出動し、県下各地から岡谷に集結していた警察官を含め、岡谷警察署からの応援の警官隊が塀をのりこえて工場内に侵入し、労働者に襲いかかった。
会社は翌日、工場閉鎖を宣言して工場入口に竹矢来(現在のバリケード)を張り巡らした。ついで会社は本社工場の炊事場を閉鎖した。ところがこのとき、争議団本部は労働者全員を映画館に連れ出していた。映画館には会社の手が回っていて、団体の入場は拒否すると対応した。折悪しく土砂降りの雨のなか、労働者たちは濡れ鼠になって寄宿舎に戻ろうとしたが、工場の門は固く閉ざされていた。寄宿舎は8mほどの高い塀に囲まれた工場内にあった。彼女たちは争議団本部と慈善団体の「母の家」に寿司詰めになって分宿したが、街の銭湯で入浴することも妨害された。
スト突入の17日目、争議団の大多数が帰郷し、総同盟本部から派遣された「総指揮官」は姿をくらました。翌日には争議団の活動家がほとんど逮捕された。9月17日、最後まで踏みとどまり死を賭しても闘おうとした女性労働者47人も、ついに刀折れ矢尽きて、それぞれの故郷に帰っていった。
かくして19日間に及んだ山一林組の争議は労働者側の惨敗に終わった。しかし血も涙もない資本家は製糸職工就業規則の改悪をもって追い討ちをかけた。岡谷の製糸工場の労働条件は一段と悪化して、逃亡や自死する労働者が相次いだ。視察に訪れた東京商科大学(現一橋大学)教授の福田徳三が帰京後の演説で、「諏訪湖は工女の水死体で、湖面が浅くなった」と報告したほどであった。
「泣きの涙」の女性労働者たちは、資本主義社会の虚偽を身をもって知り、次の闘いへのステップとしていくことになる。
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三里塚奮戦記(下)
市東さんの農地を守る沖縄の会・事務局長 金治明
勝利を我等に!
年が明けて1月8日、御承知のように昨年11月13日から、三里塚農民・市東孝雄さんの農地と作業場・ビニールハウスなどの営農施設の強奪(建物等工作物に対する「収去命令」の強制執行)に反対する緊急現地闘争が展開され、成田国際空港株式会社(NAA)は強制収用をできませんでした。
現在も三里塚現地では24時間体制で農地死守、実力闘争が闘われています。NAAは年明けにも強制代執行をしようと、虎視耽々と隙あれば一挙に機動隊を導入し市東さんの農地強奪を狙っています。現地では、新年を迎え新たな決意で市東さんを先頭に戦いの陣形を強化し、決戦本部と三里塚支援連は固い団結で現在まで強制執行を阻止しています。昨年12月11日、市東さん宅の庭で「芋煮会」を開き闘いの緊張を和らげ「楽しく」闘うことを確認しました。
しかし、国家権力の手口は悪辣極まるもので、いつ、騙し打ちをしてくるかは不明です。
NAA及び、国家権力は1年、365日いつでも市東さんの農地を「合法的」に強制収用をする事が出来ます。我々は365日臨戦体制を強固に維持していかなければなりません。ある意味では「高度な神経戦」を仕掛けられているのです。だからこそ、私たちは権力による弾圧、逮捕、投獄を覚悟し、仲間に対してはおおらかに、そして敵権力には厳しく対応し、市東さんの土地家屋に指一本たりとも絶対触れさせてはいけません。今こそ、三里塚芝山連合空港反対同盟の「非妥協実力闘争、一切の話し合い拒否」の真価を発揮しましょう。
私は12月19日から29日まで三里塚現地に入りました。三里塚現地では反対同盟、市東孝雄さんをはじめとした仲間たちと共に闘い、とりあえず12月末NAA、国家権力による市東さんの農地、家屋、財産の強奪を阻止する事ができました。この勝利は市東さんの揺るぎない闘魂と勝利への確信に導き出された決戦本部をはじめとした支援連の仲間達の団結と連帯共闘関係が礎にあったからだと思います。
1月8日は三里塚芝山連合空港反対同盟の団結旗開きの日です。闘春! 反戦、反核、軍事空港反対、福島、沖縄、三里塚闘争勝利! 共に闘わん!(1月8日)