先制攻撃に踏み切る岸田政権倒せ
戦後憲法体制の全面破壊
クーデター的暴挙許すな
敵基地先制攻撃は侵略戦争の開始
安倍政権の最後の「埋め毒」としての敵基地先制攻撃論が、反撃能力の名で岸田政権下で現実化しようとしている。岸田は12月5日、軍事費の2倍化と5年で43兆円を指示、16日には国家安全保障戦略(NSS)など安保関連3法案を閣議決定した。戦後憲法体制の全面破壊攻撃が、臨時国会終了後一気に噴き出した。3文書は、外交・軍事の指針であるNSSのほか、防衛の目標・達成方法を明示した「国家防衛戦略」(現・防衛計画の大綱)と、5年間の経費などをまとめた「防衛力整備計画」(現・中期防衛力整備計画)で構成される。戦後日本の安保・防衛政策の全面転換を閣議決定一本で強行するのは、原発政策の全面転換と並び、選挙公約にも国会論議もない、クーデターだ。
彼らは野党とマスコミの屈服を尻目に、強行突破をはかってきた。しかし閣議決定一本で破産した安倍国葬強行と同様、戦後民主主義を一顧だにしない強権政治は、必ずや人民の反撃を受け瓦解していくであろう。
自民党は「反撃能力の対象範囲は、相手国のミサイル基地だけでなく、相手国の指揮統制機能等を含む」と言っている。日本で言えば首相官邸や防衛省のことで、中国なら「中南海」(北京)にミサイル攻撃をおこなうということだ。その結果は東京・霞が関が攻撃されることは避けられない。その覚悟があるのか問われているわけだが、こんなことはやめさせなければならない。
すでに失われた30年の中で、経済的地盤沈下はG7諸国の中で最も激しく、30年間にわたり労働者の賃金は増えず100万円規模で下降。格差・貧困は急拡大し社会・コミュニティが破壊され、人民は塗炭の苦しみの中にある。「平和で安定していた社会」が、戦争・大増税として襲いかかるとき、60年安保闘争、70年安保沖縄闘争、2015年戦争法闘争を上回る階級的決起は不可避だ。
23年1〜4月、大軍拡・国家体制の変更へすすむ岸田政治を許すのか、人民のボトムアップの決起でぶち破るのか歴史の分かれ目だ。我々は小なりといえども、この戦争に突き進み貧困を強制する階級社会を根幹から打ち破るため、階級闘争の全分野で闘い、23年の早い段階で岸田政権を倒していこう。
安保関連3文書の閣議決定を弾劾する街宣行動(12月19日、大阪) |
統一教会問題は依然アキレス腱
7・8の銃撃による安倍晋三の死が階級闘争の様相を大きく変えた。2日後の参議院選は勝利したものの、安倍の不在は岩盤右派への大打撃となり、アベノミクス批判が公然と語られる。55年体制に代わる2012年体制での強権支配が「黄金の3年間」として続くかに見えたが、安倍派と統一教会の癒着は安倍=岸田政治への批判を急速に拡大させ、連月支持率が下落。一時は60%近くあったが、11月には全マスコミで30%台へ下落し、政治危機を作り出している。
1990年以降の支配体制に統一教会=勝共連合が新たな役割で浸透した。60年代の岸信介を創始者とする米CIAのエージェントにして自主憲法制定の自民党反主流派は、90年以降は対米従属から離脱するのではなく、旧来の田中派=経世会、池田以来の宏池会に代わり、自発的対米追従を強めアメリカの武器を爆買いし自民党主流派にのしあがった。ソ連崩壊以降も国際的な反共ネットワークに日本をはめ込むため、岸信介―安倍晋太郎―安倍晋三という系譜の集団による政治の壟断が露呈し、これへの怒りが安倍政治批判として渦巻いている。段階で岸田政権を倒していこう。
全分野で岸田=安倍政治と対決を
@ 沖縄戦場化阻止・国際連帯を
岸田政権の軍事大国化・戦場化との最先端対決場は沖縄である。日米同盟の深化と、「台湾有事は日本有事」の言動は許されない。真っ先に戦場になる宮古・石垣・与那国島住民と連帯し、辺野古新基地完成を許さず、琉球弧の戦場化を阻止しよう。
22年2月のロシアのウクライナ侵攻は核戦争危機をはらむ侵略戦争で許されない。2・24一周年を、日本の軍事大国化阻止・ロシア軍の即時撤退を求めて闘おう。ネオナチとかNATO拡大を理由にしたロシア・プーチン擁護は許されない。パルチザン戦争を闘う人民、ロシアの反戦闘争と連帯しよう。ミャンマーでは軍事政権と日本政府の結託を許さぬ解放闘争が進んでいる。闘うアジア人民と連帯し、帝国主義日本の軍事大国化を許さず闘おう。難民・移民労働者・在日人民の権利と生活を守る闘いに連帯しよう。
A 反原発闘争闘おう。難民・移民労働者・在日人民の権利と生活を守る闘いに連帯しよう。
岸田政権は原発再稼働・40年超運転・新増設という、原発政策の全面政策変更を決断した。エネルギー危機を煽り、福島原発事故を抹消し、原発再稼働を進めることは人類への犯罪行為だ。老朽原発うごかすな! の闘いは5・29、12・4と持続している。若狭現地の反原発闘争を闘い、福島連帯・避難者支援を強めよう。
B 差別・排外主義許さない
戦争へ向かい社会を再編する支配者の常套手段は、貧困・生活苦の上に、外への侵略戦争と内への差別・分断支配を煽ることだ。安倍政治はヘイト言動を蔓延させ、ジェンダー平等を破壊した。岸田もこれを継承し、安倍と櫻井よしこの直弟子・杉田水脈を総務政務官に就任させた。歴史修正主義者の差別・ヘイト言動許すな。
水平社宣言から100年の苦闘の中、狭山第3次再審請求の門は閉ざれている。再審勝利へ創意的な闘いが継続している。23年3月を焦点にキャラバンなどで再審の門を開こう。
「障害者」解放闘争では、骨格提言をめぐり11・6集会がもたれた。優生保護法下での強制不妊の国家責任を問う闘いは、10・25全国集会に結実した。
12年に安倍が強行した生活保護基準切り下げとの闘いは、21年2月の大阪地裁勝利判決から、熊本、東京、横浜と勝利判決で正しさが証明された。4月14日大阪高裁勝利判決を勝ち取ろう。
B 弾圧粉砕・生活防衛の闘いを
反貧困・生活防衛の闘いと労働運動再生・関生弾圧粉砕の闘いも正念場だ。湯川委員長らへの重刑攻撃許さず、3月2日の大津地裁勝利判決を闘い取ろう。郵政・教育現場をはじめ全職場で、強労働が続いている。先人に学びながら当たり前の労働運動を作ろう。大軍拡と大増税は人民の生活、中小企業・農村・地方、自然環境すら破壊する。三里塚農民・市東孝雄さんの農地・作業場の強制収用を許してはならない。
4月統一地方選勝利へ
野党の体たらくで臨時国会闘争は極めて不十分であったが、岸田は危機を突破したわけではない。大阪でのカジノ反対・住民投票署名運動の高揚から維新との対決が持続している。岸田政権が軍事予算の財源を所得税・復興税に求めたことに怒りが高まり、12月11日投開票の茨城県議選では10人の自民党現職が落選し、公明党票が激減した。国政選ナシで横暴の自民党、公明党、維新に4月統一地方選で決定的打撃を与えよう。
11月尼崎市長選勝利から新たな流動がおこっている。維新が牙城の大阪府議会で、定数減で反対派抹消を狙う動きに野党共闘の反撃が始まった。左派・リベラルと連携し府議選、大阪市議選、高槻、吹田、豊中、門真、兵庫県・神戸市、西宮、宝塚など闘う候補の勝利で岸田打倒の陣形を強化しよう。
関電美浜3号機?差し止め認めず
12月20日 大阪地裁が反動決定
差し止め求めて大阪地裁へ入廷行進(12月20日) |
運転開始から40年を超えて稼働している関西電力美浜原発3号機に対する、地元福井・滋賀・京都3府県の住民9人による差し止め仮処分申し立てについて、大阪地裁(井上直哉裁判長)は、12月20日申し立てを却下する決定を下した。
美浜原発3号機は、2011年3月11日の福島原発事故後10年余り運転を停止していたが、昨年8月に再稼働した。これは国内で初めて運転開始から40年を超えて運転している老朽原発だ。
住民らは、「老朽化に加え敷地内には多数の活断層がある」などとして「運転差し止めの仮処分」を大阪地裁に求めていた。
これに対し大阪地裁は「運転開始から40年以上たっていることをもって……安全性に問題性があるとはいえない」という関電擁護の反動的決定を下した。
地元住民と支援者らは大阪地裁に抗議するとともに、関西電力本店前でも抗議行動をおこなった。(詳報次号)
2面
辺野古新基地建設の強行を許さない
防衛省抗議・申し入れ行動
12月5日、月一回の毎月恒例「辺野古新基地建設の強行を許さない! 防衛省抗議・申し入れ行動」(主催・辺野古への基地建設を許さない実行委員会)がおこなわれ、雨で寒い中、多くの市民が集まった(写真)。
沖縄現地から山城博治さんが電話で「辺野古に通っているが、自衛隊と米軍の共同統合演習『キーン・ソード23』、宮古・先島の自衛隊基地建設で大変だ。若い人の中には基地を支持する人も出てきている」と危機感を訴えた。
日本基督教団宮古島伝道所牧師の坂口聖子さん、辺野古現地に常駐して闘ってきた女性も防衛省前でマイクを持ち、沖縄が戦争に巻き込まれる危機が高まり、現地勢力の負担が増えていることを訴えた。
次回の年明けの1回目の防衛省抗議行動は、1月4日におこなわれる。
岸田政権の軍拡・生活破壊
・12月9日 日本と英国、イタリアの3カ国は、2035年の配備を目指し次期戦闘機を共同開発するとの首脳声明を発表した。日本は防衛装備品の輸出ルールを定める防衛装備移転(武器輸出)三原則の運用指針を緩和する方針。
・12月10日 統一教会への献金被害に関する被害者救済新法が参院で可決・成立した。
2世信者は「献金の被害防止や救済はできないと思う」、全国霊感商法対策弁護士連絡会は「あまりにも不十分なもの」というように、献金規制や被害者救済において実効性に欠ける。
・12月10日 障害者総合支援法などの関連法が参院で可決・成立した。精神保健福祉法改悪では「強制入院」の一種で、家族の同意が必要となる「医療保護入院」で、家族の意志表示がない場合は市町村長の同意で入院を可能にする。本来廃止すべき強制入院を増やすものだ。
・12月15日 厚労省は、75歳以上の医療保険料を2024年度から引き上げる制度改定について、高額所得者だけでなく中間所得層(年収153万超)まで対象にし、加入者1人当たり年平均4100円増とする最終案を示した。新たに、出産育児一時金の負担も加わった。
・政府は、23〜27年度まで5年間の軍事費総額43兆円とし、新たに必要となる増額分は約17兆円。1兆円の増税(法人税、所得税、たばこ税)や、歳出改革、剰余金、建設国債で財源をまかなう方針。政府は、戦後初めて自衛隊の施設整備の一部に、建設国債(5年間で1・6兆円)をあてる。戦前に戦時国債を発行して軍事費を膨張させた反省から、戦後は建設国債を軍事費にあてることは禁じていた。戦後のルールをかなぐり捨て歯止めなき大軍拡へ。
・軍事費財源 裏付け先送り。12月15日軍事費増額のための増税について、政権内から反対が起こり与党の税制調査会は、対象の法人税、所得税、たばこ税の増税時期を明示せず「2024年以降の適切な時期」とした。
・12月16日 国家安全保障戦略(NSS)など安保関連3文書を閣議決定。戦後の日本の軍事政策の大転換。専守防衛をすて、世界第3位の軍事大国に。 敵基地攻撃能力について「日米が協力して対処していく」と明記し、米軍との共同運用計画を作成する。米軍が衛星などから得た標的情報を基に攻撃の精度を高める。スタンド・オフ・ミサイル部隊を新設。サイバー要員を2万人体制に。
・12月16日 与党税制改正大綱は金持ち優遇。所得課税強化は、所得が約30億円を超える超富裕層のみ。子育て支援策に必要な財源は確保せず後回し。
大飯原発3号機再稼働に抗議
急きょ現地行動 12月15日
12月15日、関西電力は「大飯原発3号機を明日16日に起動する」と発表。老朽原発うごかすな! 実行委員会がよびかけ、16日、当日、地元福井をはじめ、滋賀、京都、大阪、兵庫などから急遽連絡を取り合った仲間が、おおい町現地に集合。「おおい町はまかぜ交流センターしーまいる」横の広場に各地から次々と車が到着する。
午後1時、原発に向けて町内デモを開始。「大飯原発うごかすな〜」のコールを響かせながら、デモ隊は原発ゲート前に到着。デモ出発時には降っていなかった雨がかなり強く降るなか、ゲート前では、マイクをまわし、参加者からは、次々と怒りの発言が続く(写真)。
この日、大飯3号機が再稼働すれば、関電の運転可能な原発(高浜3・4号、大飯3・4号、美浜3号)は5基全部が動くことになる。関電の原発再稼働一直線の方針に参加者の怒りがほとばしる。
抗議行動の後、再度町内デモに移り、塩浜海水浴場駐車場までデモ行進した。
トラブル頻発の関電原発
(以下、老朽原発うごかすな! 実行委員会チラシより)
関電の原発はトラブルを頻発させているが、この大飯3号機も例外ではない。
最近では、21年8月、タービンを回した蒸気を冷やすために海水を復水器に送る配管からの水漏れが発生。2系統ある配管のうち、1系統の空気抜き弁枝管の付け根付近に直径4センチ程の穴が開き、20トンもの海水が漏れた。
20年9月(定期検査中)には、原子炉と蒸気発生器をつなぐ配管から加圧機方向に枝分かれした配管(加圧器スプレイ配管・直径約11センチ、肉厚約14ミリ)の溶接部付近に深さ4・6ミリ、長さ6・7センチの亀裂が発覚。関電は、そのまま運転しようとしたが、規制委にとがめられ配管を取り替えたため、定期検査が長期化した。このようなトラブルのうち、約320度C、約160気圧の高温、高圧水が流れる1次冷却系配管の損傷は、とくに深刻だ。完全破断すれば、1次冷却水が噴出し、原子炉が空焚きになり、メルトダウンに至りかねない。
3面
安保関連3文書を閣議決定 12・16
岸田政権の軍事大国化許すな
塩川三十二
安保関連3文書はクーデター
2022年12月16日は、世界と日本の歴史に刻まれる一大反動の日となった。岸田政権は、わずか1回の閣議で、「国家安全保障戦略」「国家防衛戦略」「防衛力整備計画」の安保3文書を決定した。国家安全保障会議(NSC)の4大臣会合で昨年末以来18回も討論したと言うが、国民への中間報告はなく、都合のいいリークしかなかった。軍事予算の増税方針はわずか1週間前に岸田首相が指示している。
内容も、従来「懸念」としていた中国を、「これまでにない最大の挑戦」と「仮想敵国」扱いし、敵基地攻撃能力(「反撃能力」と名称を換えて)という名の先制攻撃用の装備、体制の一挙的確立を目指している。「台湾危機」と勝手に名付けた対中国軍事体制の強化のために、「南西諸島の防衛態勢」の強化を打ちだし、陸上自衛隊那覇駐屯地に拠点を置く第15旅団を拡充し、師団に昇格するという。対中国戦争挑発がもたらす「新しい沖縄戦」の警鐘を高らかに鳴らさなければならない。
「国家安全保障戦略」で、国民には「決意」と「主体的参画」を求めているが、防衛すべき対象の優先順位ついては、1に「国家」(主権と独立)、2に「領土」(領域)に次ぐ3番目に、「国民」(生命・身体・財産)としか挙げていない。「身捨つるほどの祖国はありや」[注]と、今こそ問わねばならない。
またこの12月16日に、経済産業省の審議会「総合資源エネルギー調査基本政策分科会」は、原発の新規建設や運転期間の延長などを盛り込んだエネルギー安定供給の対策案を取りまとめている。これも、岸田首相の指示から3カ月で、急きょまとめたもので、パブコメもやらずに、月内に開かれる官邸のGX実行会議に報告し、決定するという。岸田首相は「聞く力」ではなく、「聞かない力」を発揮している。
またこの日、自民・公明両党は、来年度の与党税制改正大綱を決定した。「格差是正」に向けた税制改革は後回し、子ども1人あたり10万円の給付を柱とする新たな子育て支援策の財源確保は来年度以降に持ち越している。軍備と原発を大増強、社会保障や福祉は後回しである。
[注]寺山修司の1957年の短歌の一部。意味は「我が命を捧げるに値するほどの祖国はあるのだろうか」。
戦略なき先制攻撃と総力戦
安保3文書が「敵基地攻撃能力」のために一致して挙げているのが、敵の射程の外から相手を攻撃できる装備等を指す「スタンド・オフ防衛能力」である。具体的にはすでに自衛隊の装備になっている12式地対艦ミサイルを改良して射程2百キロを1200キロまで延伸したものと、米軍のトマホーク・ミサイル5百発を1500億円で購入するとしている。トマホークは最大射程3千キロというから東京から北京まで届く。逆に考えれば、敵も「敵基地攻撃能力」を保有すれば、東京まで攻撃対象になるということである。また「敵基地を攻撃する」タイミングは、相手が発射に「着手したとき」というあいまいさである。ミサイル技術の発達により迎撃が困難になっているから「敵基地攻撃能力」の保有が必要とする記述からすると限りなく先制的に攻撃するしかない。さらに「反撃能力」によって攻撃する対象に関し、政府・自民党会議では軍事目標に限定するというが、議論の過程で、安倍元首相などは、敵の中枢・指揮機能も対象とすると言っていた。日本で言えば首相官邸から防衛省まで入るし、都市中心部を攻撃することになる。
敵を攻撃するための装備に記述が集中し、戦争で何を実現するのか、何を攻撃し、何を防御するのかは何も書いていない。戦争の政治目的も軍事目標もあいまいで、こんなものは軍事の素人で謀略やニセ情報にしか知恵を働かせることができないプーチン・ロシア大統領以下である。3文書の記述は攻撃用の装備に関心が極限しており、兵站や輸送などの軍事インフラや防御の方法についての記述がほとんどない。ひたすら前進・前進、突撃・突撃で兵站や補給をおろそかにした旧日本軍そのものではないか。
注意点として、「積極的サイバー防御」とか「スタンド・オフ電子戦機」などの必要を叫んでいる。電磁波を使い敵の通信やレーダーを妨害し、敵部隊の指揮統制を阻むという。現在、ロシアもアメリカも、このようなサイバ―攻撃には通常および核兵器で「反撃」するとしている。銀行から病院、官公庁から交通・通信機関まで絶え間なくサイバー事故を起こしている日本にこのような手段を駆使する資格はない。マイナンバー・カードを強制する前に人民管理と戦争のためにIT技術を先走って使うことを即時やめろ。
総力戦と全土基地化、軍事大国化・治安国家のための焦りが今回の安保3文書には見てとれる。港湾や空港などを自衛隊が自由に使えるようにしたり、海上保安庁を自衛隊と一体化して防衛相の指揮下に入れるなどという思い付きは、戦争の反省から戦後の住民管理・住民の利益の保護を目的とする港湾管理や海事行政を根本から破壊する。また「防衛生産・技術基盤」のために「防衛産業」に特別の利益を保証したり、「防衛装備移転」=武器輸出のための基金を設け企業を支援することなどは破産に上書きするものである。21世紀になってとくに2020年代になって、防衛産業はもうからない産業の代名詞になり、撤退が続出している。原発と同じで、実戦(実践)の経験がなく、事故が多発する産業などに未来はない。「死の商人は去れ」である。
軍事費のGDP比2倍化に七転八倒
岸田首相は、安倍後継・保守本流の座を確保するために、防衛費問題で七転八倒した。国債によるごまかしを遺言とした安倍首相に対し、増税を基本とする強行路線をとったのはその表れである。しかしそれはあまりに荷が重く、ゴマカシ、食言、撤回と謝罪に追いまくられた。軍事費を5年間で43兆円つぎ込むとする一方で、その決定は来年以降に先送りしたことがその1。第2に、軍事費を「受益者負担で」とか、「国民の義務」と言って撤回に追い込まれたこと。第3に、国債は一切使わないと言いながら、自衛隊施設の一部に建設国債を活用する方針であること、第4に、消費税は使わないかのようにしていながらタバコ税に増税分の一部を求めたこと。タバコ税は1888年に創設されて以降、戦費捻出の手段にされてきた最悪の特別消費税である。第5に、復興特別税という名の所得税に対する上積み分を「流用する」というアクロバットを演じていること。
軍事費問題の処理、提起のあり方に、敗戦帝国主義であるうえに没落帝国主義である日本帝国主義の矛盾と危機が凝縮して表れている。勝共連合=統一教会のような「反日カルト」に依拠せざるをえなかった安倍元首相の敷いた軍事大国化・改憲路線は、ついに対中国戦争挑発、「新しい沖縄戦」への道をたどっている。安倍=勝共体制継承の岸田自民党を打倒し、ウクライナ人民、中国をはじめとするアジア諸国人民との闘う連帯で、日米帝のアジア侵略戦争を阻止しよう。
4面
安保関連3文書
14年決定の集団的自衛権行使
12月18日大阪 青井未帆学習院大大学院教授が批判
岸田内閣の「防衛3文書」改訂の閣議決定の翌々日の12月18日、大阪市内で「防衛3文書」を斬る! 憲法講演集会が、青井未帆さん(学習院大学院法務研究科教授)の講演を中心におこなわれた(写真)。主催は「とめよう改憲! おおさかネットワーク」。共同代表の中北龍太郎さんが主催者あいさつ。青井さんは講演の前半で改訂「防衛3文書」の批判をおこない、後半は憲法理論を述べた。講演のあらすじを紹介する。
防衛3文書は閣議決定されたが、ここには憲法の「け」の字も書いてない。9条は明記してない。議論がどうなったかは不明で、名前を変えた理由が述べられている。はたして「攻められる」がどこまでリアルか。生活感覚による批判が必要だ。カギは敵基地攻撃能力を反撃能力と言い換えたこと。これまで専守防衛でやってきたが、既存の防衛力で抑止することは難しくなった。相手からの更なる攻撃に有効に反撃する力を保有する。相手を威嚇する反撃能力=抑止力を見せて、更なる攻撃を防ぐと。しかし、相手のミサイル攻撃に対し「既存のミサイル防衛じゃ対応できない」といっている。この論がどれだけリアルか不明だ。
国会論議ないまま閣議決定
閣議決定は国会が閉会されてから。国民的議論も国会議論もない。民主的でない。「有識者会議の提言」はどれだけ議論したと言えるか。民主的な国会で議論させないために有識者会議を使っている。この3文書は大部だが圧倒的に議論が足りない。
防衛3文書についての説明では、「国家安全保障戦略(NSS)」は最上位の文書として位置づけられ、2013年に初めてつくられた(その前は、国防の基本方針として1957年に岸内閣の時で、総花的なものだった)。国家的戦略としては三木内閣時の1976年に「防衛計画の大綱」が重要文書だった。これが今回の「国家防衛戦略」となる。さらに、中曽根内閣の頃(1985年)に中期防衛力整備計画がつくられた。これが今回の「防衛力整備計画」。同時改定は今回初めて。安全保障戦略が相当変わった。全てが改定の対象になった。これだけ内閣支持率が下がっているのに、議論がないまま決定された。
「専守防衛の域を出ない」?
3文書は「専守防衛の範囲を出ない」と言っているが、これが最後の線かもしれない。少なくとも憲法は、専守防衛や国際法の範囲内にこだわった。国際法上は先制攻撃は違法だ。
敵基地攻撃=反撃能力としているが、ポイントは、NSSでは、「反撃能力」についての定義で、「我が国に対する武力攻撃が発生し、その手段として弾道ミサイル等による攻撃が行われた場合、武力の行使の3要件に基づき、そのような攻撃を防ぐのにやむを得ない必要最小限度の自衛の措置として、相手の領域において、我が国が有効な反撃を加えることを可能とするスタンド・オフ防衛能力等を活用した自衛隊の能力」とした。これで、実際には、「ミサイル防衛網により、飛来するミサイルを防ぎつつ、相手からのさらなる攻撃を防ぐため反撃する」というが、実際に攻撃されてない段階で攻撃できるとする。
これは国際法違反の「先制攻撃」そのもの。また、我が国に対する武力攻撃が発生し、武力行使の3要件に基づき、相手の領域において反撃を加えるとなっているが、実際では、日本と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、存立危機事態になれば、集団的自衛権として他国に対する攻撃が可能となる。
14年の憲法解釈変更
2014年の憲法解釈(集団的自衛権承認)の変更の効果が表れてきている。今回、憲法議論がなかった。政府の立場は、14年に「憲法は砂川裁判で解決済み」というもの。武力攻撃の3要件で、それまでは「日本が攻撃された時に反撃」というのが、新しい定義では、自国のみならず関係のある他国が攻撃された時、日本の存立危機事態になる。まるで自衛の中に他国の防衛が入っている。こうして、多くの人が思っているよりも広い範囲が含まれている。他国防衛のために、自国が攻撃されてなくても相手に反撃=攻撃(先制攻撃)できるとした。
敵基地攻撃能力を有することと、安全保障のために防衛経費のGDP比2%を提起している。これで世界第3位の軍事大国になる。 憲法論が決着済みであるとして出てこない。国会議論・国民議論が乏しかった。何をしたいのかの基本的説明が抜けている。我々の覚悟を言うのであれば、国民に戦争の覚悟があるのか聞くべきであった。NSSは抑止のために「反撃能力」で踏みとどまらせるというが、それは国際法上、日本から攻めてきたとなる。
改訂論者の憲法観は「砂川事件」
朝日でのインタビューにあったが、15年に安保法制をつくった中心人物の兼原(国家安全保障局次長/当時)は、頭の中で、憲法論は1959年砂川事件の裁判で決着済みと思っている。安倍は「最高裁が決めた。俺がいうことを聞くのは最高裁だけだ」といった。
59年砂川事件は旧安保条約に基づく米軍と安保の合法性が問われた。この時、最高裁が米軍に話しに行った。残念だ。極めて民主性に欠ける。東大の石田先生へのインタビューでは、憲法の理念を体現する姿勢について述べている。憲法が軍拡競争、防衛力強化の隠蔽に使われていると批判。「積極的平和主義」と安倍が言った。今回も使われている。
我々と正反対だ。我が国の自衛のためと説明しているが本当にそうなのか。台湾有事について、国民の関心を引こうとしている。台湾有事は日本の存立危機事態だと。共同通信の石井記者は日米共同作戦の一環、台湾有事に日本を巻き込むためという。台湾有事が日本の危機とイメージしているがほんとにそうなのか。本当に日本の防衛の話なのか。古関・豊下さんの共著『沖縄 憲法なき戦後』で、もともと日本独立の時の密約で指揮権がないのだ。指揮権がない中で共同と言えるのかと指摘。日本国憲法で沖縄米軍を説明できない。これらを膨大な外交文書でえぐり出した。
NSCを司令塔とした安保政策決定に関して、情報公開請求したら、NSCで検討されていたと思われる。河野前統幕長が、各種新聞などで存立危機事態や重要影響事態が真剣に想定されていたと明らかにしたし、「米国防省次第であった」と2年以上あとに私人として明らかにしている。
14年以降、「自衛」という言葉が変わった。存立危機事態でなくても重要影響事態で武力攻撃を内閣が決め得る。他国防衛のために自国が攻撃されていいのか。今回の防衛3文書のことは14年の最終的反映と言うべき。
政府の憲法解釈は、狭い独自解釈を取ることで、国際法や憲法との抵触を回避しているが、その一方で憲法外の事実は「日米同盟の深化」によりどんどん膨らんでいく。日本の安保政策は憲法番外地として存在してきた。15年安保法制では「台湾有事」へ自動参戦し、他国防衛のために敵基地攻撃も憲法上問題ないとされている。
憲法の限界を知りつつ、東アジアで戦争を起こさないために何が出来るか。憲法プラス統制方法の構築(裁判所も含む)で、何をもって平和を構築できるか。戦争でなく、平和の準備をという平和構想を提案した。また若者は今、SDGsや人間の安全保障、地球の環境破壊は最大の人権侵害という立場に立っている。これを考えもっと増やしていくべきと青井さんは訴えた。
続いて2団体から連帯のアピールがあった。最後に、主催団体事務局の松岡幹雄さんが「岸田が国民に戦争の覚悟があるのか聞くべきだった」「市民の運動は弱かった」と講演を引用した上で、「今、市民の出番ではないか」「閣議決定したが、終わっていない」と提起。12月19日の総がかり行動と来年2月24日、ロシアによるウクライナ侵略戦争1周年にロシアに停戦と撤退を求める行動が提起されて集会を終えた。
統一地方選で岸田打倒を
カルトゆ着・軍拡の岸田と対決
12月16日
発言者全員が壇上でがんばろう(12月16日、大阪市内) |
12月16日、カルト政治を終わらせ岸田退陣・統一地方選勝利を拓く討論集会が集会実行委主催で120人の参加で開かれた。第1部は、白井聡さん(政治学者)と雨宮処凛さん(作家・運動家)の対談をつじ恵さんの司会で、カルト・軍拡・貧困を斬った(雨宮さんの話は5面、白井さんの話は次号)。
第2部は大石あきこ衆議院議員のビデオメッセージのあと統一地方選勝利に向け、その戦略的課題を木村真豊中市議(無所属)と、丸尾牧兵庫県議(緑)、大椿ゆう子社民党副党首が提起した。3人は一方で岸田政権の軍拡と闘い、関西では維新に勝利することが必要とし、カジノとの闘い、勝利した尼崎市長選の教訓を語った。これを受けてロスジェネ世代から20歳代までのれいわ新選組の堀口こうすけ(吹田)、前島かずき(淀川区)、たかはしいちろう(東淀川区)、かばた健吾(阿倍野区)、佐野ひろみ(西宮)さんが、アピールをおこなった。司会進行は前門真市議の戸田ひさよしさんで、自らの復活と2月3日の連帯議員ネット総会への結集を訴えた。
5面
生活保護基準引き下げ違憲訴訟大阪控訴審結審
熱意込めた弁論に涙
12月7日
12月7日大阪高裁で、生活保護基準引き下げ違憲訴訟の口頭弁論があり、大法廷は満席。この日で結審となった。原告の男性1人と弁護士3人の弁論が感動を与えた。判決は4月14日で、大阪が全国初の控訴審判決となる。
原告の男性は「引き下げにより、施設にいる母親に会いに行く回数を減らしたり、姪の結婚式にも行けずつらかった。1月に母は亡くなり、失われた母との時間は、後からお金が戻ってきても戻らない」と訴えた。
生活保護法の原理原則を曲げている
この裁判の全国代表である尾藤広喜弁護士が弁論に立ち「生活保護法の成立に尽力した小山進次郎さんが書いた『生活保護法の解釈と運用』という本は、生活保護のバイブルとして今でも読まれている。厚労大臣は、社会保障の理念に立ち、憲法25条と生活保護法8条(「要保護者の需要」を測定する基準を定める権限)に裁量の範囲を限定している。事実認定を誤れば処分が取り消されることを書いている。行政担当者が、法律の原理原則を守らず、財政当局や自民党の言われるまま、ねじ曲げていることが問題だ」と指摘した。
原告の思いを考えて
若い喜田崇之弁護士は「貧困の概念は、戦後の絶対的貧困が否定され社会的排除の概念に変わり、人々が社会との繋がりをもって生活できなければいけない。原告たちは、お金がないため常連客との交流やお金のかかる食事を断らざるをえなくなったり、冷房や暖房もつけずがまんしている。大切にしていた仲間との交流も絶たれ、社会参加できなくなり孤立していくつらさ。一人ひとりの原告の思いを考えて、数十円数百円を節約する生活を想像して下さい」と涙で声を詰まらせながら訴えた。
この国の法律は飾りですか
小久保哲郎弁護士は、次のように訴えた。「私が支援団体の相談を受けた頃、ホームレスの人たちが生活保護の申請に行くと、家を借りてこいと追い返されていた。大阪で年間4百人が路上死していた。生活保護行政のもとで法が踏みにじられていることを知り、私は法を守らせることを使命と決めた。北九州で生活保護を打ち切られ餓死する事件(2007年)が起き、『おにぎり食べたい』『法律は飾りか』と書き残していた。
2012年に生活保護バッシングが起き、生活保護費が670億円削減された。この内9割はデフレ調整。基準部会で決めたゆがみ調整は勝手に2分の1にされ91億円削減。こんな無茶をしたのは、自民党の生活保護費10%削減の公約に沿うためだった。全国で3百人の弁護士がこの裁判に手弁当で取り組んでいる。司法が人権保障の最後の砦である。
しかし各判決は大きく裏切ったが、21年2月大阪地裁は胸のすくような勝利判決を出し、信頼と希望を取り戻してくれた。熊本、東京、横浜で勝利判決。4つの勝利判決で正しさが証明された。この裁判は、政権によって歪められた生活保護行政を正す歴史的意義を持つ。この国の法律は飾りなのでしょうか。すばらしい判決を期待しています」
この日、大阪高裁に9925筆の署名が提出された。この裁判は、全国で千人の原告が全国29都道府県で提訴している。(花本香)
進むグロテスクな光景
12・16討論集会 雨宮処凛さんの話から
物価高で今年に入って大変な状況になっている。今年10月の物価(生鮮食品をのぞく)は、前年同月比で3・6%上昇。これは1982年以来、40年ぶりの上昇率だという。食品だけでなく、電気・ガス代も上昇。
2010年から続けている電話相談に、「暮らしていけない」、「生活保護で、この物価高で光熱費が上がって5日間も食事をしていない」、「水道料金の滞納で水道を止められ、それがきっかけで住む場所を失った」など悲鳴の声が上がり続けている。毎週土曜日東京都庁前でおこなわれている炊き出しに、11月末は過去最多の644人が並んだ。長引くコロナ禍と物価高というダブルパンチが今、庶民の家計を圧迫している。
防衛費は、43兆円。社会保障費は常に「財源がない」ことを理由にカットされてきた。2013年には生活保護の切り下げがあり、今回は引き下げはなくほっとしている。
年越し派遣村の時は、50〜60代の中高年だった。新型コロナ緊急アクションには、今までに累積で2千件のSOSメールが来ている。最近増えて1日5〜6件来るような状況。その2千件のうち6割が10〜30代。女性が増えて若年化している。この20年間で家族福祉的なもの、企業福祉的なものがなくなった。7割以上の人が家を失っている。2割の人が所持金100円以下。すぐ駆けつけ支援をしてホテルに泊まって食品を渡して翌日に生活保護申請をする。今まではホテルに泊まりながらアパートを探すことができた。厚労省は、10月に、旅行支援によってホテル代が高くなっているということで、ホテル利用を制限してきた。住まいのない人の唯一の命綱のような場を奪い、余裕がある人の旅行は支援する。これほど格差社会を象徴するグロテスクな光景はないだろう。
2017年の東京都の調査では、1日当たりネットカフェ難民4千人。2008年のリーマンショック、年越し派遣村で問題になったことが解決されることなく、コロナ禍で再び露呈。コロナで家を追い出された。ホームレスになってしまった。何かあったら一気に路上に出そうというのが増えてきた。
非正規労働者を増やして正社員の平均年収が圧迫されている。安定した雇用ではなく流動化。社会の雇用が不安定化することによって、住居が不安定化し、脱法化したシェアハウスなどの貧困ビジネスがはびこっている。
日本の貧困が構造的になっている。そのなかで、優生思想的なものが強まってきて、高齢者にこんなにお金がかかるとか、在日特権だとか、保守派による同性婚バッシング、生活保護バッシングが出てくる。2006年の秋葉原事件などは「誰でも良かった」というのがキーワードだったが、16年の相模原事件では、植松は障害者差別・抹殺の思想を持ち、ウトロ放火事件ではウソのネット書き込みとかを真に受けてウトロ地区の在日朝鮮人を標的にしている。苦しいのはこいつらのせいだというようなヘイトが始まりつつある。このヘイトは安倍元首相や日本が国をあげてやってきたことである。
仕事を提供し自立を応援
ビッグイシュー活動の話を聞いて
12月17日尼崎
12月17日、尼崎市内で「市民の力で社会を変えよう連続市民講座 第10期第5講座」として、ビッグイシュー活動の支援をしている中嶋祥起さんの講演があった(写真)。
まずビッグイシューについて説明すると、ビッグイシューとはホームレスの人の救済チャリティーではなく、仕事を提供し自立を応援する事業だ。原型は1991年にロンドンで生まれ、日本では2003年9月に大阪で創刊された。共同代表は佐野章二さんで、2007年にNPO法人「ビッグイシュー基金」を設立、理事長に就任した。雑誌ビッグイシュー日本版は1冊450円のうち販売者に230円入る仕組み。19年間で販売者に15億円を超える収入を提供。のべ登録者数2019人、卒業者205人、現在の販売者は109人、全国12都道府県に展開している。
さて中嶋さんの話によると、ホームレスのイメージは世間的には悪い印象が多いようだが、誰もがなる可能性がある。例えばNさんは営業職で支店長代理まで登り詰めたが、親の介護のため仕事をやめることになり、両親の死後、年齢制限で仕事が見つからず、路上生活になった。またホームレスになる理由は、倒産、派遣切り、病気、ギャンブルなど様々なことが考えられる。ではなぜ就職しないのか、答えは就職できないのです、コンビニバイトでも履歴書や保証人が要る。家がないということは住所が記入できない、また給料は後払いだから、1か月無収入で暮らさないといけない。
次にビッグイシューが大事にしていることは、自己肯定感を高める、自分で決めると力が湧く、基本理念は「セルフヘルプ」だ。言い換えればビッグイシューの販売者は街角本屋の店長と言える。最後にビッグイシュー仲間の交流については、生活自立応援、仕事就業応援、スポーツ・文化活動応援、など色々あり、皆好きなことで親睦を深めている。このようなことを1時間程中嶋さんが話してくれた。
続いて現役の販売者Sさんの話。Sさんは保険会社の営業も経験し、良い給料をもらっていた時もあったが、収入の上下が大きい仕事だった。ストレスから賭けマージャンにはまったと、知らぬうちに離婚してホームレスになった。ある時、試しにこの本売ってみたらと言われやってみると結構売れた。それでビッグイシュー販売者になった、と明るく語られた。
講演後の質疑では参加者が少なかったおかげで、ほぼ全員が質問や意見を述べたのは良かった。生活保護を受けた方が良いのではという質問には、親族に知られたくない人が多いとのことだった。今後、物価高と不況が深刻になるばかりで、ビッグイシュー活動がますます重要になるだろう。貴重な話でした。(大北健三)
6面
長期・読み切り連載 大庭伸介
先人たちの闘いの成功と失敗を学び現在に生かそう
怒涛の如き労働者の進撃
悔やまれる〈革命の逸機〉C
すべての組織労働者が結集し
「2・1ゼネスト」態勢を確立
産別10月闘争の結果、官公労働者の賃金は民間労働者の半分以下になった。しかも経済情勢は悪化の一途をたどり、インフレの勢いは増すばかりであった。そこで国鉄や全逓・教員をはじめとする官公労働者はこのままでは年の瀬を越せないと、1946年11月26日、全官公庁共闘委員会(全官公)を立ち上げた。そして越年資金や最低賃金制などの要求を政府に提出した。
29日には、産別会議や総同盟、結成されて間もない中立系の日本労働組合会議の代表によって全国労働組合懇談会(全懇)が発足。12月17日全懇主催の生活権確保・吉田内閣打倒国民大会が各地で開かれ、東京の中央会場には30万人が結集した。同日、GHQ労働課長のコーエンが「増産を阻むストは避けるよう」声明を発した。
19日には、社・共両党が加わり吉田内閣打倒実行委員会が立ち上げられた。29日、全懇主催の生活危機突破大会が開かれ、吉田内閣即時退陣要求を決議した。
翌1947年元旦、吉田首相は年頭の挨拶で労働運動の指導者を「不逞の輩」と罵倒した。この暴言は労働者の怒りをかきたて、火に油を注ぐ結果になった。
9日、全官公は2月1日午前零時を期して無期限ストに突入することを決定した。15日には全懇を発展させ、労働戦線の統一をめざす全国労働組合共闘委員会(全闘)が発足。260万人の全官公を中核にすべての組織労働者が結集し、その数は4500万人にふくれあがった。
新聞ゼネストの過程で生まれた青年行動隊が各単産ごとに組織され、互いに連携して弾圧に備えた。
こうした「2・1ゼネスト」態勢の発展 を前にしてGHQは22日、経済科学局長マーカット代将が全官公・全闘・総同盟の代表を呼び付け、「ゼネストを中止せよ」と警告を発して25日までに回答せよと迫った。さらにゼネストに入った場合は指導者を投獄すると告げた。全闘の代表は同席していたコーエンに「われわれは投獄されてもストをやめない」と言い切った。GHQは第8軍に弾圧体制を指示した。
組合側はGHQの警告を無視して28日、全国各地で吉田内閣打倒・危機突破国民大会を開催。東京の中央大会には40万人の大衆が参加して気勢をあげた。こうして鉄道・通信・行政機能・電力をはじめとするすべての生産をマヒさせ、支配階級を震え上がらせる事態を迎えようとしていたのである。
産別会議本部はゼネスト突入の1週間前までに、地下の予備指導部を設置していた。各組合も組織の末端に至るまで第2・第3の執行部を用意し、全国的にゼネスト態勢を確立した。
全国各地につくられた共闘組織も、それぞれ弾圧に備える態勢を確立した。なかでも茨城県共闘の場合は「2・1ゼネスト」後、交通・通信が途絶え、県の行政機能がマヒすると想定し、「県政についての責任を引き受けることを決定」し、行政・食糧輸送・配給などの手筈を整えた。
当時小学生だった私は担任の教師から、スト突入の場合に休校をクラス全員に伝える連絡網のプリントを手渡された記憶がある。
占領軍の脅迫に屈しない労働者だが
共産党がゼネストを絞殺
1月30日、GHQは各単産委員長に正式にゼネスト中止を指示し、6時間以内に全組合員に伝達することを命令した。ゼネスト突入の決定的瞬間は刻々と迫り、息づまるような緊迫した雰囲気が全国に渦巻いた。
全官公は31日午前零時から拡大委員会を開き午前2時、GHQに命令を拒否すると回答。
午後2時30分、マッカーサーのゼネスト禁止命令がラジオをつうじて発表された。それでも組合側は屈しなかった。
午後4時30分、GHQは全官公議長伊井弥四郎と7人の単産委員長に出頭を命じた。8人の幹部はそれぞれ個別の部屋に呼び入れられ、大勢のMPが殺気立ってピストルをちらつかせわめきちらすなかで、ゼネスト中止をラジオで組合員に伝えるよう迫られた。それでも組合幹部たちは全員応じなかった。
GHQはついに伊井をジープに押し込んでNHKに拉致し、ゼネスト中止の放送を強要した。9時21分、伊井はマイクの前で涙を拭いつつ労働者にゼネスト中止を呼びかけた。
ところが、それより前に事態は急変していた。同日午後6時30分、共産党は組合側に何のことわりもなく、ゼネスト禁止命令に従うよう全党員に指示していたのである。そして国労には書記長の徳田球一が、全逓には彼の懐刀の伊藤律と長谷川浩が乗り込んで、闘争委員会にゼネスト中止を「説得」した。
もはや組合幹部にそれを押し返す力はなかった。国労の闘争委員のほぼ半数が、全逓の場合はほとんど全員が共産党員で占められていたからである。
共産党はすべての党機関を総動員して、その他の組合や拠点職場に次々と乗り込み、スト態勢の切り崩しに奔走した。数時間後にはストに突入する覚悟を固めていた職場の労働者は、「赤い消防車が来た」とあざけった。
アメリカ占領軍の脅迫によっても崩せなかったゼネスト態勢は、共産党の協力で崩されてしまったのだ。
共産党は当初ゼネストに消極的であった。しかし労働者の爆発的な盛り上がりに乗って、1月27日に「2・1ゼネストにより人民政府樹立を」という声明を発した。同時に「反動のデマに乗るな。GHQが弾圧することはありえない」と楽観的幻想をふりまいた。代々木の共産党本部は文化革命と称してダンスに打ち興じ、「民主人民政府」の閣僚名簿の下馬評に沸き返っていた。
共産党が急転直下「2・1ゼネスト」破りに走ったのはナゼか。マッカーサーの最後通牒によって、党組織にまで弾圧が及ぶと判断したからである。
「歴史にifはない」という。しかし、もし労働者が全国一斉にゼネストに突入したら、どのような事態が生じたであろうか。
占領軍の武力介入によってゼネストは貫徹できなかったかも知れない。だがその場合でも、占領軍が政治的敗北を被ったことは間違いないだろう。
労働運動をはじめとするすべての社会運動は困難な状況におかれても、闘うことによって新たな展望を切り開いていくダイナミックな視点が求められる。闘わなければ何も生み出すことはできない。
現に、連帯ユニオン関西生コン支部の仲間たちが常軌を逸した大弾圧に抗して、「ピンチをチャンスに!」を合言葉に、歯をくいしばって反転攻勢に向かっているではないか。
占領下における革命的高揚は、「2・1ゼネスト」の挫折によって最後のトドメを刺された。
人間解放をめざす労働運動を組織しようとするわれわれは、「2・1ゼネスト」をめぐる攻防の内実と教訓をかみしめる必要がある。(この項終了)
〈参考文献〉田川和夫『戦後日本革命運動史T』現代思潮社/増山太助『検証・占領期の労働運動』れんが書房新社。
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カリフォルニア大学ストライキに弾圧 17人逮捕
12月5日、4万8千人の研究関係者・大学関係者によるストライキが決行された米カリフォルニア大学で、大学構内等に座り込んでいた17人が逮捕された模様です。
米国の大学では大学院生が助手の仕事についていることが多く、今回のストライキでも主力に。大学のストライキで逮捕者が出るのは異例の事態です。愛知連帯ユニオンのエサティエ組合員は、「私の大学院生の時代(90年代)は誰も捕まった人がいませんでした」と語っています。
愛知連帯ユニオン(12月7日 記)
堰立夫さんの急逝を悼む
12月12日夕方、堰立夫さんが風呂場で亡くなっているのが発見された。死因は慢性心不全急性増悪。享年71。まともな医療と介護が保障されず放置され、死を招いた。悔しくてなりません。
堰さんは、高校生の頃からお兄さんとともに反戦運動に関わり、溶接工として長年働きました。2014年からは、生活保護基準引き下げ違憲訴訟の原告として、先頭に立って闘ってきた。腰が悪く、しんどいのに、大阪・淀屋橋での街宣・署名集めには毎回参加。
裁判で姿を見かけなくなったので、今年4月訪問すると足が不自由になり、慢性肝炎で食欲不振になりやせ細っていた。介護認定を受けたが、要支援1で1週間に45分のヘルパー派遣。これに怒りケアマネージャーに改善要求しても改善されなかった。つらかったことでしょう。堰さんとは、生活保護裁判の勝利を共に喜びましたね。大阪控訴審での勝利判決を勝ち取って報告したいです。(村上ひとみ)
7面
宮古島でのブルーインパルス展示飛行弾劾
宮古島を軍事要塞にするな9条の危機と憲法審査会
展示飛行に抗議(12月11日、宮古島) |
宮古島軍事要塞化に抗議する
航空自衛隊は、沖縄が本土に復帰した1972年12月、宮古島市にある分屯基地がアメリカ軍からレーダー部隊の任務を引き継ぐ形で開設し、今年で50年を迎えた。50周年を記念するとしてブルーインパルスの展示飛行を初めて強行した。沖縄県内での展示飛行は、72年以降、これまでに12回おこなわれているが、那覇基地以外で実施されるのは初めて。1980年に那覇基地で自衛隊機のオーバーラン事故が発生し、当時の翁長雄志那覇市長の抗議などで展示飛行は長年実施されていなかったが、2005年に再開していた。今回は、もともと12月11日に那覇基地において美ら島エアーフェスタが開催されるので、那覇基地を離着陸場所にする可能性があった。自衛隊は宮古島と橋でつながる下地島空港の使用をもくろんだが、結局、宮古空港を拠点に展示飛行をおこなうための使用届が出された。
12月10日(土)、11日(日)の両日午前8時から午後1時まで、10日は予行演習、11日が本番でブルーインパルス「T4」7機(当日の編成は6機)が宮古空港を使用する予定としていた。宮古空港を使う目的については後日「有事に展開する部隊が使わなければ運用面での練習にならない」「民間空港を使う前例を作ったという意味では大きい」と防衛省関係者が語ったと報道されている。
反対集会に200人
講演する伊勢崎賢治さん |
10日、航空自衛隊宮古島分屯基地50周年記念行事を弾劾し、「琉球弧を平和の緩衝地帯に」と題して伊勢崎賢治さんの講演会が宮古島未来創造センターで開催された。主催は「ブルーインパルス飛行NO! 下地島・宮古空港軍事利用に反対する実行委員会」。集会第一部は講演会。
実行委員会あいさつとして保良弾薬庫反対運動に取り組んでいる下地博盛さんが、「宮古島は逃げる場所がない。敵基地攻撃能力を持つというが『敵国条項』を持つ日本が中国に届くミサイルを持つということはどういうことなのか」と自衛隊による軍事挑発を弾劾した。講演は、陸海空自衛隊の精鋭を教える統合幕僚学校の教官を15年務める東京外国語大学大学院教授、伊勢崎賢治さん。講師は「解放の神学に影響を受け、ガンジーの平和主義の立場に立つ」などと自己紹介したうえで、国防という問題にふれ「アメリカは約120の地位協定を持っているが、地位協定は主権の放棄に等しい。各国は裁判権、環境権、空域・海域・基地の管理権など、指揮権を取り戻している。日本だけが決定権がない」と指摘し「地理的に大国に挟まれた『緩衝国家』は、武力行使を防ぐクッションとなる一方で、最初に戦場になる。軍事侵攻され、実際の被害を蒙る可能性が普通の国より高い。北海道も宮古島も緩衝国家のボーダーランドであり、そこを武装化して相手に槍を向けてはいけない。ボーダーランドの非武装化は国防戦略なのである」などと琉球弧の軍事化を強行する日本政府を批判した。第一部閉会のあいさつは、ミサイル基地いらない宮古島連絡会の仲里成繁さん。ブルーインパルスを受け入れることは、航空自衛隊を受け入れることだと11日のたたかいにむけての決意を語った。
集会第二部「全国反戦平和交流会」
第二部では、花谷石垣市議、下地宮古島市議、上里宮古島市議、服部社民党幹事長、金子相模原市議が相次いで発言。辺野古からは島袋文子さんが車いすに乗りながらも「(戦争体験者として)どこにも基地はいらない」と力強く語った。高江の儀保さんは「17年間たたかっている。直接行動が大事」、〈ノーモア沖縄戦 命どぅ宝の会〉山城博治さんは「米軍は沖縄から引き上げたがっている、島々を戦場にしないようにする」と訴えた。統一連中村さん、〈石垣島に軍事基地をつくらせない市民連絡会〉藤井さんの発言が続く。上里さんが西之表市の和田さんからのメッセージ読み上げる。さらに種子島や、与那国島の山田さんからもメッセージが寄せられていると紹介があった。
離陸を直撃
11日、宮古空港のフェンス外側で、同空港の軍事利用に反対する集会をおこなった。市内や沖縄島、全国から約150人が集まり、展示飛行を弾劾した。集会では〈ミサイル基地いらない宮古島住民連絡会〉や〈宮古島平和ネットワーク〉のほか、北海道、宮城、東京、神奈川の団体などが発言した。「自衛隊が民間空港を勝手に使用することは、先島諸島の島々の空港や港で、日米一体による軍事化を進める」などと弾劾。また11月におこなわれた与那国島での日米合同演習や陸上自衛隊保良訓練場へのミサイル搬入などに関しても触れ「軍事拡大は台湾有事の緊張を高める」と防衛省を非難した。1時半ブルーインパルス6機が飛び立つ。しかし折からの天候のため、どこを飛んでいるのかほとんど見えない。
午後1時から、新市役所から旧市役所に向かってデモ行進をおこなった。旧市役所前での集約集会では沖縄島から来た伊波洋一参議院議員が挨拶。「『台湾有事』を煽る国に対して、米国・米軍に乗せられてはならない。国会の防衛委員会でも追及している」と発言。各地からの発言は午前中に引き続き宮古島の要塞化に反対する会や大阪行動など、福岡、沖縄島、西表島などの団体がおこなった。
沖縄日誌12月
辺野古不承認訴訟 玉城知事が意見陳述
12月1日 福岡高裁那覇支部(谷口豊裁判長)で辺野古不承認訴訟の第1回口頭弁論がおこなわれ、玉城デニー知事が意見陳述した。
これまで、名護市辺野古の新基地建設で、防衛省は軟弱地盤改良工事に伴う「設計変更承認」を2020年4月21日、県に申請した。県は2021年11月25日「不承認」とした。その後、沖縄防衛局は私人になりすまし国交相に行政不服審査を申請。国交相は2022年4月8日、県の「不承認」を取り消す裁決をし、さらに是正の指示をした。県は総務省の第三者機関「国地方係争処理委員会」に審査申し入れ。7月12日、「国地方係争処理委員会」は県の申し入れを却下、門前払いした。県は8月「裁決」の取り消し、9月「是正勧告」の取り消しを求める訴訟を福岡高裁那覇支部に提訴した。
玉城デニー知事は意見陳述に向かう前、高裁前の公園でオール沖縄会議による集会に参加。知事は「この裁判は沖縄だけの問題ではない、地方自治をも脅かすものだ」と危機感をあらわし、「裁判所には中立公平な判断を求めたい」と訴えた。判決は来年3月16日に言い渡される。
この日、航空自衛隊は、「ブルーインパルス」の展示飛行に向け、宮古空港使用を県に提出。県は受理した。下地島空港使用を巡っては、民間機以外の使用を認めないとする「屋良覚書」が交わされており、使用を見送った。
7日 防衛局は、「K8護岸」から土砂搬入を再開すると報告。「K8護岸」からの土砂搬入は「K8護岸」の延伸工事により中断していた。3月28日より進められていた延伸工事が終了。護岸は515mのうち440mが完成した。また、土砂搬入の接岸を1カ所増やし2カ所とした。これにより「K9護岸」「N2護岸」も各2隻ずつ接岸でき、ランプウェイ台船を接岸できる場所を6カ所とし、工事の加速化を狙っている。
8日 最高裁第1小法廷(山口厚裁判長)で辺野古埋め立て承認撤回抗告訴訟があり、県の上告を棄却、県の敗訴が確定した。
これまで、2013年12月仲井真弘多知事(当時)が「埋め立て承認」。2018年7月翁長雄志前知事が「承認撤回」を決意。8月8日翁長前知事急逝。31日、副知事が「埋め立て承認撤回」を発表。19年4月、国交相、県の撤回を取り消す。20年11月、1審那覇地裁、21年12月2審福岡高裁那覇支部とも内容に踏み込まず門前払い。今回の最高裁判決により承認撤回の取り消し裁決を巡る県と国の訴訟は終結した。
11日に抗議行動(写真上)。(杉山)
8面
福島原発事故から12年
現状と原発廃絶の道
寺田理
T 廃炉スケジュール
(1)廃炉とは何か
・第一原発(6基)と第二原発(4基)、計10基を廃炉にする。事故をおこした原発は4基。
・東電は、「40年で廃炉にする」と言っている。しかし、「廃炉とは何か」が定義されて
いない。廃炉とは、更地にすることを意味するのか。ここがあいまいになっている。
「中長期ロードマップ」の期間区分
・現在、燃料デブリの状態について事前調査をはじめている段階。取り出しについては未定。
(2)燃料デブリの取り出し
・推定880t。どのような状態になっているのか、まったくわかっていない。
・今年2月、2号機にロボットを入れて、調査を開始した。うまくいっていない。
・「石棺」にするしかない。「石棺」にしておいて、いずれ廃炉にする。それまでに何年かかるのか。これはわからない。
(3)事故をおこした原発から使用済み核燃料を取り出す作業
・3・4号機の取り出しはすでに完了している。
・2号機(615体)→1号機(392体)の順に進める。
・2号機は2024年度から取り出し作業を始める予定。
・1号機は、27〜28年度からはじめる。原発を大型カバーで覆って、作業をおこなう。現在、大型カバーを取り付ける作業をおこなっている。
U 放射性廃棄物の処理
(1)汚染水の海洋投棄
・2021年4月、政府が海洋投棄方針を決定。政府は、「23年度に開始する」と言っている。
・1500ベクレル/リットルに薄めて、太平洋に放出する。薄めても、総量は変わらない。「薄めれば大丈夫」は、ペテン。
・地元漁業組合は反対している。太平洋の島々の住民も反対している。
・現在、東電は汚染水投棄ための海底トンネル工事を進めている。
(2)中間貯蔵施設
・約1400万?(東京ドーム11杯分)>
・2015年から搬入を開始した。45年までに、県外の最終処分場に移すことになっている。
しかし、最終処分場は決まっていない。
(3)除染土の再利用
・2016年に環境省が計画案をだした。これは「中間処理施設」の破産を示している。
・8000ベクレル/Kg以下の除染土を公共工事に再利用する。
・飯館村で、汚染土を農地に再利用する実証事業がおこなわれている。
固体の低線量放射性廃棄物に関する処理方法
V 住民の帰還
(1)復興拠点で住民帰還
・帰還困難区域(南相馬市、飯舘村、葛尾村、浪江町、双葉町、大熊町、富岡町の7市町村)で、約3万3700ヘクタール。そのうち、復興拠点は約2747ヘクタール。
・2016年8月、政府は復興拠点を設けた。ここを集中的に除染して、5年後をめどに避難指示解除をめざしてきた。
・帰還困難区域の特定復興再生拠点区域(復興拠点)で、住民の帰還がはじまった。
・3・8マイクロシーベルト/時(20ミリシーベルト/年)を下回ることが条件。
・22・6・12葛尾村→6・30大熊町→8・30双葉町
(2)「福島イノベーション・コースト構想」
・2017年5月、福島復興再生措置法に盛り込まれた。
・国家プロジェクトで進められており、「福島ロボットフィールド」、「廃炉ビジネス」関連の施設、「福島水素エネルギー研究フィールド」など、新たな産業を築くことをめざしている。
・新住民を増やすために、政府が作り上げた構想。
・官製のプロジェクトであり、元住民の生活にとってはあまり関係ないこと。浜通りへの「原発誘致」と同じ事を繰り返している。
W 原発訴訟
(1)県民健康調査
・原発事故から1カ月も経ていない4月頃から、「低線量被ばくでは、健康被害がおきない」というキャンペーンをおこなった。政府の事業委託をうけて、大手広告会社の電通がおこなっている。
・政府は、「原発は事故を起こしても、福島のように大丈夫」という新たな「原発神話」を作ろうとしている。
・被害者、避難者の存在がこれを否定している。
・検討委員会(22・12・2)で、悪性がん患者は338人になった。
・うち43人は集計外患者。「経過観察」に回された。この人たちはこの健康調査で集計されなくなっている。
・5巡目だけで、悪性がん患者が12人増えている。
(2)原発事故避難者訴訟
・全国で約30件、1万2000人が原告になっている。
・2022年6月、最高裁の判決 国の賠償責任は認めない
(3)311子ども甲状腺がん裁判
・原告は6人→現在、7人になっている。事故当時6〜16歳(現在、17〜27歳)だった。
・2022年1月27日にはじまった。
・5/26(第1回口頭弁論)→9/7(第2回)→11/9(第3回)
(4)子ども脱被ばく裁判
・2021年3月1日、地裁判決。原告の訴えをすべて退けた。
・20ミリシーベルト/年について争っている。
・「100ミリシーベルト以下の低線量の放射線被ばくによる健康への影響は実証されているわけではない」という国の主張に正当性はあるのか。
(5)原発事故避難者住まいの権利裁判
・2015年6月15日、内堀福島県知事は、国と協議の上、2017年3月末をもって区域外避難者に対する応急仮設住宅の供与を打切り、延長しないことを決定。
・原告ら区域外避難者は、次の3つの選択肢、@避難元の福島県等に帰還する、A避難先において公営住宅に入居する、B避難先において自力で住居を確保する、のいずれも選択できなかった。
・2019年4月1日以降、福島県は原告らを不法占拠者とみなし、住居からの退去を求め、退去しない場合には約定の家賃の2倍の損害金を支払えと催促を続けてきた。
・2022年3月11日、11人の原発事故避難者が、福島県の違法行為によって受けた精神的苦痛に対する損害賠償を求め、東京地方裁判所に集団提訴した。
X 核災害史
・アメリカのネバダ州(核実験場)
・広島と長崎(原爆が投下された)
・カザフスタンのセミパラチンスク(核実験場)
・太平洋のマーシャル諸島(水爆実験場)
・スリーマイル島原発事故(アメリカ)
・チェルノブイリ原発事故(ソ連)
・福島第一原発事故(日本)