岸田政権の軍拡・原発転換許すな
原発新増設 40年超運転
危機ゆえの超反動攻撃
老朽原発このまま廃炉!をかかげて御堂筋デモ(12月4日、大阪市内) |
12月4日、「老朽原発うごかすな! 関電包囲全国集会」が、大阪市北区の関電本店前でひらかれ、900人が参加した。主催は、関西と福井の市民団体・労働組合などで構成される〈老朽原発うごかすな! 実行委員会〉。
岸田政権は原発新増設を打ち出し、老朽原発の使用期限撤廃も画策している。岸田は、まるで福島第一原発事故がなかったかのように、原発推進にかじを切っている。経産省は、原発事故以前の原発推進政策にもどそうとしている。これを黙って見過ごすことはできない。岸田政権にたいする怒りは、ますます大きくなっている。このような情勢のなかで、集会はひらかれた。
死の灰
主催者あいさつで、中嶌哲演さん(原子力発電に反対する福井県民会議)は、「フクシマを忘れてはならない。同時に、なぜ東京電力は福島県浜通りに10基の原発を造ったのか、それは東京に電力を送るためだった。このことも忘れてはならない。福井県若狭の美浜3号機が1年間稼働すれば、広島型原爆800発分の『死の灰』、長崎型原爆20発分のプルトニウムがつくられる。老朽原発美浜3号機は今も動いているが、一日もはやく停止させ、廃炉においこもう」と訴えた。
美浜3号仮処分
訴える井戸謙一弁護士 |
美浜原発3号機の運転差し止め仮処分について、井戸謙一弁護士は次のように報告した。「7月4日に審尋が終わり、われわれは決定がでるのを待っていた。4カ月もたって、大阪地方裁判所は『12月12日から20日までの間に決定を出す』と言ってきた。日にちを指定しないことは、きわめて異例だ。いずれにしろ、この期間中に決定が出る。決定がでる日が確定すれば、ぜひとも裁判所前に集まっていただきたい」。
老朽原発とたたかう現地から
つづいて、老朽原発とたたかっている住民から発言があった。
老朽原発・美浜3号機再稼働に反対している敦賀市民(敦賀市議・山本貴美子さん)は、美浜町民3200戸におこなったアンケート結果について、「避難計画についてよくわからないという声が、過半数をしめていた。避難計画どおりには進まないだろう。このように、多くの住民は避難計画に不安を抱えている」と語った。
関電は40年超え老朽原発の高浜原発1・2号機も再稼働させようとしている。また、関電は高浜原発3・4号機についても40年超え稼働申請をおこなう方針だ。高浜原発に反対する高浜町住民の東山幸弘さんはメッセージを寄せ、「高浜原発の蒸気発生器がきわめて危険だ。こんな危険な老朽原発を再稼働させてはならない」と訴えた(小浜市民の会、小浜市議=坂上和代さん代読)。
東海第二原発運転差止訴訟原告団は、「東海第二原発は44年目にはいった。昨年、住民は水戸地裁で運転禁止判決を勝ち取り、もうすぐ控訴審をむかえる」。40年廃炉問題について、「設計が古いということはどうしようもない。いくら金をかけても、直しようがないのだ」と指摘した。
〈ストップ川内原発! 3・11鹿児島実行委員会〉共同代表・向原祥隆さんは「九州の川内原発1・2号機は、もうすぐ40年を迎える。この10月12日に、九電は40年延長運転申請を出した。川内原発の使用済み燃料プールは、もうすぐ満杯になる。鹿児島市民は川内原発の40年超え運転を認めていない。すべての原発をこの世からなくそう」と述べた。
名古屋から〈老朽原発40年廃炉訴訟市民の会〉共同代表・草地妙子さんは、「原子力規制委は60年を超えて、さらに運転を伸ばそうとしている。私たちはとうてい認めることはできない。規制委がやっていることは、およそ審査とはいえない。規制委の方針をこのまま認めてはいけない」。
全国各地からアピール
全国各地で原発に反対している団体が登壇した。伊方原発、首都圏で原発に反対する市民団体、福島の市民団体などがアピールした。また、この集会に参加はかなわなかったが、全国で原発に反対している多くの住民団体からメッセージが寄せられ、冊子にして集会参加者全員に配布された。
原発賠償3訴訟原告が訴え
国と東電に原発事故の責任と賠償を求めて裁判している京都訴訟、ひょうご訴訟、関西訴訟の3訴訟原告が登壇し、各訴訟からそれぞれアピールした。
大阪高裁で控訴審をたたかっている京都訴訟原告は「6月にでた(関連裁判の)最高裁判決は、国の責任を回避した。ふざけた判決だ。原発事故は終わっていない。絶対に負けるわけにはいかない」と訴えた。西訴訟の3訴訟原告が登壇し、各訴訟からそれぞれアピールした。
ひょうご訴訟原告は「神戸地裁では、すでに証人尋問を終えている。来年5月に結審し、秋に判決がでる予定。核と人類は共存できない。ともに闘っていこう」と述べた。
原発賠償関西訴訟原告は「わたしたちはふつうの暮らし、避難の権利、安心の未来を訴えて闘っている。原発とは共存できない」と語った。
市民団体、労働組合から
900人が関電本店を包囲し力強いシュプレヒコール(12月4日、大阪市) |
関西各地(滋賀、大阪、兵庫、奈良)で原発に反対している5つの市民団体がアピールした。〈関電の原発マネー不正還流を告発する会〉は、「検察審査会が7月に『起訴相当』と議決した件で、12月1日、大阪地検は再び告発を不起訴にした。これで引き下がるわけにはいかない。新たな告発を準備している。怒りの声を検察審査会に届けよう」と述べた。 最後に労働組合の3団体(おおさかユニオンネットワーク、フォーラム平和・人権・環境、全労連近畿ブロック)の代表があいさつした。て闘っている。原発とは共存できない」と語った。
緊急アピール
集会の最後に、集会実行委員会の木原壮林さんが「緊急アピール」をおこなった。木原さんは「さきほど井戸弁護士が述べたように、12月12〜20日に仮処分の決定がだされる。その日は、大阪地裁前で集会をおこなう。その後、関電本店前に移って、『老朽原発うごかすな』の声をあげたい。市民運動と裁判闘争を結合させて、大きなうねりをつくりだしていこう」と訴えた。
集会後、集会参加者はうつぼ公園に移動し、そこから御堂筋デモに出発した。車道の銀杏並木はすっかり黄色くなり、落葉している。沿道を行き交う多くの市民が注目するなかをデモ隊は元気よく「老朽原発うごかすな」のコールをあげて、御堂筋をミナミに向かって行進した。
防衛費5年で43兆円
敵基地攻撃 自公容認
岸田政権は、続落する支持率低下の中で、反動的突破をかけんと、原発政策と安保・防衛政策の全面転換をおこなってきた。
12月2日、自民党・公明党の実務者協議で、敵のミサイル発射拠点などをたたく「敵基地攻撃」の保有を認めることで正式合意した。政府は年内発行の安保関連3文書に明記し、長射程ミサイルなどの開発・配備などにに乗り出す。
次いで5日、岸田首相は、2023年〜27年度の5年間の防衛費を、総額約43兆円にするよう浜田防衛相と鈴木財務相に指示した。現行予算の1・5倍以上の歴史的な軍拡で、世界第3位の軍事予算となる。また予算は、はじめに総額ありきで、防衛力の中身については一切説明がない。財源についても増税か国債発行かは一切不明だ。膨大な負担が市民に襲いかかってくるのは必定だ。
「専守防衛」という憲法理念を破壊し、猛烈な物価高・賃金下落の中、命と暮らしを破壊する大軍拡を許してはならない。
2面
美浜3号機運転差し止め仮処分
12月12日〜20日に決定、大阪地裁前へ
12・4「老朽原発うごかすな! 関電包囲全国集会」決議
超危険な老朽原発を廃炉にし、原発のない明日を実現しよう!
今、岸田政権は、原発の60年超え運転を画策するだけでなく、「革新」や「小型」の言葉をもてあそび、人々をだまして、原発の新増設も企てています。また、60年以上も膨大な研究費を投下してきたにも拘らず、実用化の兆しも見えない高温ガス炉や核融合、破綻が明らかな高速炉を新しいテーマのごとく取り上げて、さらに膨大な予算を投下しようとしています。「原子力ムラ」の経済的救済のためであり、福島原発事故の犠牲と教訓を軽んじ、人の命と尊厳を蹂躙するものです。
一方、関電と政府は、運転開始後48年、47年、46年を超えた老朽原発・高浜1、2号機、美浜3号機の稼働に躍起です。
このうち、昨年6月に再稼働したものの特定重大事故等対処施設の設置が間に合わず、わずか4カ月の稼働の後に停止していた美浜3号機については、8月10日再稼働を目指していましたが、目前の8月1日、放射性物質を含む水7トンが漏洩していることが発覚し、再稼働は延期されました。
また、次の再稼働を目論んだ8月23日の直前の21日に、「緊急時に、1次冷却系に注入するほう酸水を蓄えているタンク」の圧力低下が確認され、再稼働はさらに延期され、8月30日になってやっと再稼働に漕ぎつけました。
トラブルによる再稼働延期は、運転開始後40年に満たない高浜原発4号機でも発生しています。関電は、去る10月21日、伝熱管損傷などのトラブル多発の高浜4号機の再稼働を画策しましたが、私たちの予測通り(??)、さらにトラブルを発生させ、再稼働は11月4日にずれ込みました。トラブルは『1次冷却系の加圧器に設置されている「圧力逃し弁」の異常』です。
これらの原発過酷事故を招きかねない極めて深刻なトラブルの原因は、あきれ返るほど稚拙なミスです。下請け任せの上、責任感と科学的常識の乏しい、技術者、作業者、監督者などが原発を動かそうとしていることを示します。原発を動かそうとする体制自体も老朽化しているのです。
その関電は、老朽原発・高浜1、2号機の来年6月、7月稼働も画策しています。許してはなりません。
今、電気は足りています(余っています)。一時的な電力需給のひっ迫はあっても、節電によって乗り越えることができます。したがって、放射線被ばくを強い、過酷事故で人々に塗炭の苦難を与えかねず、何万年もの未来にまで負の遺産・使用済み核燃料を残す原発を稼働させる必要は全くありません!
本日、「老朽原発うごかすな!」を合言葉に関電を包囲した私たちは、老朽原発の完全廃炉を勝ち取り、それを突破口に、原発のない、人の命と尊厳が大切にされる社会の実現に向けて邁進することを決議します。
2022年12月4日 「老朽原発うごかすな! 関電包囲全国集会」参加者一同
原発・核燃からの撤退を
鎌田慧さん 「再処理工場」で講演
11月26日
鎌田慧さん |
11月26日、エルおおさか大ホールで「原発・核燃からの撤退を! 巨大地震が来る前に '22関西集会」がひらかれた。主催は、脱原発政策実現ネットワーク関西・福井ブロックで、大阪平和人権センター、原発反対福井県民会議が共催。
集会では、鎌田慧さんが「再処理工場の危機的な状況」と題して講演した。以下、講演の概要を紹介する。
六ヶ所村の再処理工場
原発はそれなりに危険性が伝わっているが、再処理工場は青森県の辺鄙なところにあり、なかなか関心を持たれない。そういうなかで、今回、関西で再処理工場の話をしてくれということで喜んで参りました。
これから、再処理工場の問題も含めた反原発運動を皆さんと繰り広げていきたい。
1969年新全総(新全国総合開発計画)で、青森県の下北半島に石油コンビナートなどを作ると公表したが、その時、原子力施設のことはひとことも書いてなかった。県が下北半島に企業誘致をする宣伝文書にも、六ヶ所村に作られる施設の中心が核燃センターであることは隠されていた。六ヶ所村は30万都市になるなどと(バラ色のイメージで)書いていた。
原発については、六ヶ所村のさらに北の東通村に20基(東電10基、東北電力10基)を造るとされていた。1985年になってようやく六ヶ所村に再処理工場を作ると発表した。六ヶ所村は3点セットといわれましたけど、再処理工場、ウラン濃縮工場、低レベル放射性廃棄物の貯蔵所。再処理工場へは、核の「廃棄物」を「原料」という名目で持ってきた。
核燃料サイクルは虚像
1993年に再処理工場は、着工されました。それからもう29年経ちましたが、何にも動いていない。考えてもみて下さい、民間企業の工場が、着工から29年たってもまだ稼働しない、こんなことありえないですよね。しかし、日本原燃という会社は黒字なんですよね。なぜかというと、みなさんが払っている電気料金(9電力)からピンハネというとへんですが、そこから充てているんですね。
なぜいまだに再処理工場建設をやめないのか、それは高速増殖炉もんじゅがつぶれて(廃炉決定)、これに再処理工場廃止が決まると、どうなるか。絵に描いた核燃料サイクルが虚像だったということが明らかになるからです。
原発神話と言いますが「原発迷信」なんです。「核が一番安全で安い」なんていうことを日本の電力会社はずっとやってきたんです。
六ヶ所村の再処理工場計画は完全に破綻している。しかし彼らは「破綻」とは絶対言わない。それを言ったら、日本の核政策全体の破綻になるから、そうは言わない。
できないことをやっている、無理なんです。地震もくるわけだし、あのあたりは活断層もあるし。もんじゅの闘争に勝った(関西の)皆さんですから、六ヶ所村のことを気にして、ぜひ六ヶ所村の闘争にも協力してください。
福井からアピール
福井からのアピールとして中嶌哲演さんが登壇。中嶌さんは「政府や関電は事故を織り込み済で、老朽原発を動かそうとしている。もしびわ湖が放射能で汚染されたらどうなるか。びわ湖を介して、福井県若狭地方と関西はつながっています。12月4日に、大阪で老朽原発うごかすな!関電包囲全国集会が開かれます。総結集してください。関電前で会いましょう。」
ウクライナ出身のカテリーナ・グジーさんが歌とバンドゥーラ演奏。「戦争も原発もない平和な世界を」、と話した。守田敏也さんが報告「使用済燃料プール火災の恐怖」をおこなった。
3面
大フォーラムは闘い続ける
ー「障害者」解放への根本的変革に向けて
関東「障害者」解放委員会 妹尾明憲
今年、『「骨格提言」の完全実現を求める大フォーラム実行委員会』には、「障害者」の置かれた悲惨な現実がますます突き付けられた。
精神病院の実態について、次々と怒りに堪えない現実が伝わってきた。中でも、2020年に、刑事事件として虐待が明らかになった神戸市の神出病院の実態について、ことし4月に、第三者委員会の報告書が公表された。日常的に虐待、違法な身体拘束がおこなわれていた。衛生用品が不足し、使いまわす。シャワーもまともに使えない。身体的疾病で他の病院になかなかかからせず、手遅れを引き起こすなど、すさまじい実態が明らかになった。その一方で、前理事長は、月額1550万円もの役員報酬を受け取っていた。「知的障害者」の入所施設での悲惨な実態も明らかにされた。
神奈川県立の中井やまゆり園について、9月に、外部調査委員会の調査結果がまとめられた。多くの虐待の事実が確認された上、日常的に人権侵害の状況が放置されていた。「洗面所やトイレに鍵がかかっていて、利用者が自由に使えない」、「トイレ内の個室の扉や便座が壊されたままになっており、カーテンもない」といった実態がそこにはあった。
定員が20名を超える大規模グループホームにおいても、暴行致死事件が複数個所で起こった。
他方、障害者権利条約に基づく国連の障害者権利委員会は、今年初めて対日審査をおこない9月9日にその総括所見を発表した。この総括所見が最も強く求めているのは、どの子も地域の学校へ、であり、施設解体、精神病院解体であり、地域で生きていくための保障を、ということだ。また、隔離や強制入院を規定している法律の撤廃も要求している。手話を日本語としての公用語と認めること、「障害」を持つ女性や民族的少数者に対する差別問題の解決、優生保護法被害に対する根本的解決、津久井やまゆり園事件の総括なども求めている。
大フォーラムは、上述の深刻な事態を打開するために、この総括所見を歓迎するとともに、これを踏みにじろうとする日本政府との闘いに突入していく。
政府の姿勢と「障害者」関連束ね法案
9月13日には、永岡文部科学大臣が教育における総括所見の指摘を拒否する発言をおこない、9月16日には、加藤厚生労働大臣が「総括所見には拘束力がない」との見解を示した。大フォーラムは、これらの発言に対して、抗議文を提出し、秋の闘いを開始した。政府はさらに、10月14日に閣議決定で障害者総合支援法・児童福祉法(難病児や「障害児」にかかわる部分)、精神保健福祉法、障害者雇用促進法、難病法などを、一つの法案に束ねて、改定を狙ってきた。この法案により、国連の総括所見を無視する姿勢は一層明確になった。
国連の総括所見では、国連側からの要請に、日本がどのように対応したかを、報告することが求められている。その期限は、28年2月20日だ。ところが、この束ね法案には、総括所見を検討するという文言は皆無だ。そして、上述の束ねられた法律については、29年4月まで、法改定の検討がおこなわれない、ということが付則に書き込まれている。つまり、総括所見を無視する実績を作ろうとしているのである。また、権利条約に全く反する規定も置こうとしている。精神保健福祉法改定の部分において、医療保護入院という強制入院制度を強化する条文があるのだ。日本の入院者の約半数が、この制度による。家族などの同意が不明な場合は市町村長の同意で可とするとして、積極的にこうした入院を増やそうとしている。これまでにも、市町村長同意はおこなわれてきた。
そうやって入院させられた者の多くが、面会者もない状態になっていると言う。そして、本格的な福祉の切り捨てを準備する条文も書き込まれている。政府が地域や年齢、障害支援区分(福祉提供の基準とされる)の違いによる福祉の給付の金額の違いを把握すること。また、福祉を利用する「障害者等の心身の状況」、「提供される当該障害福祉サービス又は相談支援の内容」まで把握しようというものだ。そして、分析、公表するとしている。その情報をデータベース化し、民間事業者も含めて活用しようとしている。
介護保険では、すでに2013年からこうしたデータベースの運用がおこなわれてきた。そして、地域での生活を支えてきた訪問介護の生活援助の時間数が攻撃されたり、補助金を使って、自治体に介護の水準の切り下げを競争させるような政策がおこなわれてきたことを、忘れてはならない。
連続的な闘いに
毎年開かれてきた集会を、11月6日におこなうとともに、11月17日には、この法案に反対する参議院会館での集会を開き、12月6日には、参議院会館前の座り込みをおこなおうとしている。法案分析から議員への情報提供と働きかけ、そして、新たな闘う陣形を作り上げてきた。詳細は今後に譲りたいが、重要な地平を獲得しつつ、闘いはさらに続く。
あかんやろカジノ
11・27女性パレード
カラフルなバナーで集会・パレード(11月27日、大阪) |
「あかんやろ! カジノ 女性パレード」が11月27日、大阪市内でおこなわれ、赤い服などをまとった百人が、多くの人で賑わう御堂筋をパレードした。主催は女性にっとワーク@おおさか、「あかん!カジノ」女性アピールの2団体。どないする大阪の未来ネットなど5団体が協賛。
カラフルなバナー、色とりどりのプラカードが目を引き、「なぜ大阪につくるのか。ギャンブル依存症の被害で、どれだけ女性が苦しんでいるのか」と訴え、沿道の注目を浴びた。パレードに先立ち、西区の新阿波座公園で集会がひらかれ、〈あかん! カジノ女性アピール〉藤永延代さん、〈どないする大阪の未来ネット〉馬場徳夫さん、夢洲IR差し止め訴訟原告のフリージャーナリスト・幸田泉さん、依存症の親・きょうだいを持つ女性がアピールした。
映画『ここから』を上映 11月25日
労働組合つぶしを許さない兵庫の会 第3回総会
11月25日夜、神戸市内で、〈労働組合つぶしを許さない兵庫の会〉の総会と映画上映がおこなわれ100人が集まりました(写真)。
始めに、9月19日に突然亡くなられた故小西純一郎さん(前尼崎地区労事務局長、関西生コン弾圧への兵庫の取り組みに尽力)を偲んで全員で黙とうをしました。そして呼びかけ人代表のあいさつで岩佐卓也専修大教授(前神戸大准教授)が、今労働現場では憲法28条を中心とした労働法制の解釈改憲が進行している。関西生コン支部に対する刑事弾圧は、その最たる事例だ。組合員89名を逮捕し、71名を起訴したばかりか、取り調べ検察官が執拗に組合脱退を強要する(関西生コンを削る)という、とんでもない事実が明らかになっている。私たちは2019年秋以降、労働者及び労働組合が労働条件改善のための強力な武器である労働基本権を犯罪に作り替えようとする警察・検察を弾劾し、関西生コン支部と連帯する活動を展開してきた。今総会では、これまでの活動の成果の上に、次に何ができるのか共に考えたいと語った。
続いて事務局より、これまでの活動報告と会計決算報告があり、拍手で承認された。
後半はドキュメンタリー映画『ここから』が上映された。この映画では二人の人が印象的だった。一人は松尾聖子さん、彼女はシングルマザーで二人の子どもを育てながら大型免許証を取って正社員になり、関西生コン京津ブロック組合員として活動していた。一連の弾圧で解雇されたが、今も元気に活動している。
もう一人は吉田修さん、彼は19歳の時、給料が上がるからと軽い気持ちで奈良ブロック組合に加入したが、今では支部をまとめる活動家になり、2019年6月に逮捕されるも家族に支えられ135日後に釈放された。そして2年後に大阪高裁で逆転無罪を勝ち取った。出てきて何人かの仲間が組合を脱退したことを知り、一番悔しかったと涙を流しながら語っていた。
この映画は普段の組合活動の勇姿ばかりではなく、普通の生活を送る様子が描かれ人間味溢れていて良い映画だった。今後各地で上映される予定なので皆さん是非広めてほしいとのことだった。
最後に、これら闘う組合員を先頭に、いまだ有罪判決を受けている組合員の無罪を勝ち取るためにも、当面来年1月1日の大阪府警前での元旦行動に全員で総決起しようと誓い合い集会を終えた。(大北健三)
4面
三里塚 市東さん宅 11月27日
強制収用許さない
11月27日、千葉県成田市の三里塚で、天神峰現地闘争がおこなわれ280人がかけつけた(写真)。
いま三里塚では、現地で営農している市東孝雄さんの農地をめぐって、重大な局面がおとずれている。10月18日、成田空港会社(NAA)は、市東さんの天神峰の農地にあるヤグラ、大看板、看板などを強制執行で撤去することを千葉地裁に申し立てた。10月24日、千葉地裁はそれを認める審尋書を発行した。強制代執行がせまっている。こういう状況の中で、緊急の集会がおこなわれた。主催は三里塚芝山連合空港反対同盟。
午後1時、市東さん宅の庭で集会が始まった。立錐の余地もない状態だ。
最初に反対同盟・伊藤信晴さんが発言し、故・戸村委員長が言っていた「農地は農民のものだ」の再確認をした。
市東さんは、先頭に立って農地を守り抜いてきた歴史を述べ、三里塚闘争の勝利性・正義性を訴えた。
次に、反対同盟・萩原富夫さんが発言。萩原さんは「ここは市東さんの農業の拠点です。強制代執行にたいしては怒りの声をあげて阻止しましょう」と訴えた。
座り込み
さらに、市東さんが、「強制代執行をやられたらしかたがないという三里塚ではない。座り込み闘争も始めています。強制代執行がきても、皆さんのできることをやっていただきたい」と訴えた。
再稼働ねらう老朽原発=東海第二原発とたたかう仲間は「今の世の中、不条理の中で苦しんでいる人がいっぱいいる。その中で、市東さんは『農地が命だ』と言って、がんばっている。いったい何のための空港なのか。国がやったことで、間違っていたことはたくさんある。オリンピックをやったことや、安倍を国葬にしたことがそうだ。食料を外国から買い入れて、自給率を下げたこともそうだ。国の言うことに従っていると、先の戦争のように、人びとが苦しめられる。このような時代において、国のやり方に反対する市東さんは、がんばっている。私も市東さんに続いてがんばっていきたい」と挨拶した。
福島から発言があり、「福島は今や世界の原発推進の拠点と化してしまった。怒りしかない。三里塚で市東さんの闘いは抗いの大地としての戦いである。私たちの闘いは抗いの精神を生み出す闘いであるべきだ」と訴えた。
集会の最後に、司会者が「市東さんはここで生活している。なんで暴力的に、滑走路をつくるから出ていけと、追い出すことができるのか。できはしない。生活を破壊しなければ成立しない空港なんかいらない。空港は戦争の道具である」と述べた。
集会後、デモ行進。「強制代執行反対!」の声を張り上げて、市東さんの家の近くを一周した。(山辺健一)
転載
三里塚現地を視察して
生きる権利奪う空港 実感
10月10日、「日本に新たな軍事基地を作るものだ」とし、成田空港第三滑走路建設強行のための強制収用と闘う、成田市天神峰の市東孝雄さんの農地をはじめとする三里塚闘争の現場をまわった。
前日から現地入りし三里塚芝山連合空港反対同盟が呼びかけた現地集会に参加。市東さんの家の離れに宿泊した。扉には「いつでも収用できる」旨の警告が貼られている。
畑のやぐら
朝、現地で暮らすCさんが来るまで時間があったので関西実行委員会の松原康彦さんが畑の櫓を案内してくれた。畑と空港は薄い壁1枚で仕切られているだけで、騒音緩和のため植えられた竹林を超え轟音が届き、耕作環境を悪化させている。
1つ目の櫓は星野文昭さんの碑の隣にあり、頂上には空港側へ向けた大きな看板が掲げられていた。その梯子を登ると滑走路が見渡せた。昔は看板の前に座って抗議していたそうだ。
2つ目は「強制収用実力阻止」と掲げた櫓だった。現在も交互に見張り役が登り、権力の動きを監視している。そこからは管制塔や滑走路を遮る東峰神社まで見える。
曲がった滑走路
松原さんは曲がった滑走路について「第2滑走路運用開始当時は、そこの誘導路に信号があった。世界でも珍しい光景だ。権力は『不便さ』を強調し土地収用の正当性をアピールしていた。しかし、10年も経たず信号は取り払われ、何不自由なく運用されている」と説明し、塞がれた南台の畑に繋がる道路を指し「使用されていないからという理由で廃止されたが交通量は多かった。未明に突然工事がなされ、急いだが間に合わなかった」と当時を振り返った。
猫が待つ倉庫
Cさんと合流し、市東さんの倉庫へ向かうと大量の猫が餌を待っていた。「市東さんは良い餌やってるんだよ」とCさんは用具に埋まったカリカリを碗に移した。この倉庫は判決により市東さん本人のみが使用を許可されたが、ここにも警告が貼られていた。三里塚が収用の危機に晒されていることを実感した。
「道路が塞がれなかったら歩いて行ける場所だけど」と乗車を促される。「監視カメラだらけだが大丈夫か」と問うCさん、後部座席から「この人は大丈夫」と松原さんが答えた。三里塚中に監視が張り巡らされている。いかに権力がこの闘いを恐れているかが窺える。
南台の畑
南台の畑まで高い塀で分断された道が続く。ところどころ「私有地につき撮影禁止」の看板が立っている。飛行機が間近に見えることから撮影スポットとなっているそうだ。南台の畑は「耕作中」と看板でアピールされ、種類ごとに青々と畝が並んでいた。ここにも飛行機の轟音が届いていた。機体に書かれた文字がはっきり見える。こんなのを撮って喜ぶ人たちがいるのか。
東峰神社、開拓道路
次に訪れた東峰神社と滑走路まで50メートルに迫る開拓道路は、東峰部落の「総有」のため所有権の譲渡には東峰部落の全員の合意が必要になり、航空会社は収用を諦めざるを得なかった。しかし建設の規定上、滑走路の周囲に1・2メートル以上の障害物があってはならず、滑走路を4メートル高く盛り上げることで解決を図ったため神社や開拓道路が大きな穴の中にあるように見える。
市東さんの畑で耕作中
市東さんの畑では、彼が仲間と耕作中で、挨拶するとおもむろにニンジンをぶちぶち引き抜き出したので「こうやって間引きするのか」と見ているとお土産に渡された。
金城実さんの「闘う農民像」
横堀の小屋には金城実さんの「闘う農民像」があった。それは岩山記念館の鉄塔に配置される予定だったものだ。鉄塔は航路を塞ぐため当時の人々が技術や力を結集させて記念館の上に建てたものだ。しかし違法とされ60メートルを超える部分が撤去されてしまい現在の姿となる。鉄塔にはもう登れないが空港まで遮るものがなく、見渡せる。
空港騒音断固反対
芝山町では騒音反対の立て看板が散見される。「空港騒音断固反対 私たちの静かな生活環境を破壊するな」「ここに私達の生活がある これ以上の騒音はごめんだ!」と騒音に言及したものが多い。地域で意見が割れるため「空港反対」とは言いにくく、「生活を守ろう」と住んでいる人たちの中で合意が取れる範囲で反対表明しているとのことだ。
しかし政府はこのような幅広く半世紀にわたりあげ続けられる反対の声、闘う農民の権利を無視し、今月にも市東さんの畑をフェンスで囲み、農作業を不可能にしようと目論んでいる。「農地は私の命です」と宣言した市東さんの農民として生きる権利を守り抜く闘いが求められている。
(村上薫/三里塚関西実行委員会ニュース182号から転載)
作図、見出し、小見出しは本紙編集委員会
5面
投稿
大阪朝鮮中高級学校
一般公開授業に参加して
11月19日、東大阪市にある大阪朝鮮中高級学校(以下、朝鮮中高級学校)の一般公開授業に参加した。私は東大阪市に長い間在住しており、朝鮮中高級学校の公開授業がおこなわれていることは知っていたが、これまで参加する機会がなかった。今回、東淀川区から大阪市議会議員候補として立候補する予定のれいわ新選組のたかはしいちろうさんの紹介で参加した。たかはしさんは東淀川区にある朝鮮初級学校に関わっていた関係で、東大阪の朝鮮中高級学校の公開授業に参加してみたらと誘われたのである。
公開授業が始まる前、2021年の在日朝鮮学生美術展覧会に出品され銀賞を受賞した大阪朝鮮中高級学校の中級1年生の絵に私は心を惹かれた。絵の下に「未来は自分で切り開く」というテーマが書かれていた。説明はさらに以下のように書かれていた。「小学生の頃いじめを受けていて、5年生の時に先生がいじめていた人たちを叱ってくれて、目立つものはなくなりました。でも、小さいものはそのまま続いていました。中学入学式の前日、友だちをたくさん作って、いじめた人たちを見返してやると決めた自分の心」を描いたとのことである。絵からはいじめを受けた中級学校1年生の思いが伝わってくる。いじめを許さないという思いとその糾弾の先にある新しい未来を示唆している強い思いが伝わってくる。
公開授業には多くの人たちが参加していた。クラスからクラスへと自由に移動して授業の内容を聞くことができた。ほとんどのクラスに小さな電子黒板が設置されていた。ボタン一つで電子黒板の画面が変わり、教師と生徒の間に新しい関係が生まれているように感じた。
無償化からの除外は最大の差別
2011年8月、橋下大阪府知事(当時)は朝鮮高級学校に補助金を支給しない方針を表明し、翌2012年3月、松井大阪府知事(当時)は府下のすべての朝鮮初・中級学校への補助金の不交付を決定した。同年12月、第2次安倍内閣は朝鮮高級学校への「無償化」不適用方針を決定した。
国連は差別と指摘
2013年6月、国連社会権規約委員会は朝鮮学校の「無償化」除外を差別と指摘し、制度の適用を勧告した。 国連人種差別撤廃委員会は2014年9月、さらに朝鮮学校に「無償化」制度を適用し、地方自治体には補助金再開・維持を要請するように日本政府に勧告した。
大阪地裁での勝利
2017年7月、大阪「無償化」裁判で原告が全面勝訴した。しかし、東京地裁をはじめ全国で原告が敗訴した。大阪高裁でも2018年9月、逆転敗訴した。
国連、再度勧告
国連人種差別撤廃委員会は2018年8月、朝鮮学校への「無償化」制度の適用を日本政府に再度勧告した。
最高裁、申立不受理
最高裁は全国でおこなわれた裁判闘争の上告について、すべて申立受理を拒否した。許しがたいことである。これは日本政府による国家的差別そのものである。
ぬくもりを感じる授業
日本から国家的差別を受けながらも、その授業には暖かさが感じられた。在日3世のオモニ会の女性が「初めてですか」と話しかけてくれたのでハングルは少し読めることを伝え、机の横に下げてある学習資材をいれた袋に書かれた生徒の名前を読むと「すごいですね」と言われた。しかし、差別する側にいる日本人こそが問われているのにという思いを強くした。
リレートークでは、高級学校3年の女性が朝鮮中高級学校の良いところとして朝鮮人としての自覚と自負を持てたこと、一人はみんなのために、みんなは一人のために助け合うというぬくもりを感じられたことだったと話していた。私に話しかけてきたオモニ会の女性はリレートークでも発言し、静かであるが差別を糾弾する姿勢に強いものが感じられた。
在日差別と闘うために
問われているのは我々日本人そのものである。差別の本質は在日朝鮮人の問題ではなく、日本人の問題なのである。これは阪神大震災のときに知り合った在日の人から指摘されたことである。
日本人の問題として在日の問題を考えていき、来年も公開授業に参加して日本人の課題をさらに見すえていきたい。
投稿
ミャンマーに目を向けて欲しい
映像作家久保田さん
南方史郎
ミャンマー国軍に拘束され、3カ月半インセイン刑務所に収監されていた映像作家、久保田徹さん(26)が、11月17日夕帰国の航空機に乗り、日本に帰ることができた。
ミャンマーの中心都市ヤンゴンで、フラッシュモブ(少数者のゲリラ的デモ)などの取材中、治安当局に逮捕された。様々なテレビ、新聞などで報道されているデータをみていると、昨日今日の興味本位のジャーナリスト志望のひとではなく、高校時代から、まず、ジェノサイドともいわれる少数民族ロヒンギャ族の被害を知りたく、現在に至るまで、10数回以上、ミャンマーに通っている、という。帰国してからのマスコミ各社の取材にも「ミャンマーの人々は、国軍の暴力に命を奪われており、日本の人々にも、そのことを知ってもらいたい」と初志を貫徹している。牢獄内で知り合った人々からあずけられた、「ミャンマーで必要としている正義と人権、民主主義のために皆さんの協力を希望します」というメッセージを帰日後、公表した。
ミャンマー国軍(現在は来年の国政選挙に向けて準備中のクーデターによる非合法政権)兵は、クーデター以前から、仮借なく反対派を狙撃せよという命令をもらっていて、日本人カメラマン長井健司さん(50)は、至近距離で、背後から背中を撃ち抜かれている。遺族などの抗議にも、国軍は「流れ弾に当たった事故でした」の虚偽のメッセージを曲げない。ロヒンギャ族への弾圧も冷酷なもので、国連人権委員会は、「ジェノサイド」という申告を受けて調査に入ってずいぶんたつが、それが、反対派、住民すべてに及んでいる情勢だ。
ニューヨークタイムスなどでは、国軍の資金の流れを徹底的に追及し、税関の規制を逃れる武器の密輸入の経路やロヒンギャ族の海外への避難経路へのモニターカメラのメーカーとの契約関係などを暴露しているが、去年のクーデター以降、国軍が自己規制するどころではなく、ロシア政府と原発による核開発の契約署名をしている。EU、アメリカなどの国軍の人権侵害追及は、少数民族への暴力的規制から全国的反乱分子への軍事攻撃に拡大し、久保田さんが伝えようとする「報道されない戦争」は、実質的に抵抗勢力をも硬化させ、来年の国政選挙は、許されないと武装蜂起し、来年は決戦なのだと世界世論を喚起しようとしている。このような熾烈な状況でも久保田さんは、冷静に考え、民衆の意思を伝えようと、変わらず頑張っていると言っていい。
日本政府が、国軍派の日本大使館占拠をなかば認めており、安倍晋三元首相の国葬に招いたことに、ミャンマーの民主派正統政府は、怒り心頭だった。民主派の受け皿も、日本の国会内でつくられていて、民主政府の代表も積極的に参加しているが、現状ではダブルスタンダードになっている。
アウンサンスーチーさんの指導下の民主政府の結成の前後に、日本の資本は、市場開拓に乗り込んでいた。それはODAでもあった。アウンサンスーチーさんの父親であり将軍、ボジョーアウンサンは、イギリスに対する反植民闘争の軍隊づくりに、旧日本帝国の箱根あたりの基地で軍事教練をうけていた。日本敗戦とともに、今度は、仇敵のイギリスと関係を回復し、独立を勝ち取った。しかし、この功労者も暗殺される。
ミャンマーという国号にかえるあたりに、ビルマ派親英勢力(ビルマは英国人が名付けた)への反抗があり、多数民族のミャンマーは、排外主義を徹底しようとしていた。すなわち、国軍は、アウンサンスーチー系の国際経済競争市場への参入と移入をブロックしようとしている。ノーベル平和賞を受賞したアウンサンスーチーは、開放経済の象徴でもある。しかし、国軍勢力は、産軍複合体のカルテルをはびこらせていて、国軍の理解しがたい暴慢さはここに根拠がある。
6000人の政治犯への恩赦として久保田さんも解放されたが、今7人の学生が軍の独断で死刑執行が予告されている。まず是非久保田さんのFBを見ていただきたい。
6面
ジェンダーの視点から安倍政治を斬るD
Colaboへの攻撃を許さない
石川由子
安倍のヘイト政治
安倍政治の負の遺産はたくさんあるが、最悪のものとしてヘイトの洪水があるだろう。差別者たちに安倍の「ヘイト推奨メッセージ」は確実に伝播し嵐を呼び起こした。
津久井やまゆり園の障害者虐殺事件を起こした植松聖は、安倍であれば障害者を抹殺しようとする自分を救済してくれると信じ、事件の予告を安倍に伝えようとしていた。その内容は事件を起こした後の自分を減刑、釈放、別人になるための顔の整形の費用などを要求していた。つまり植松は自分の凶行を安倍は支持してくれると確信していたのだ。その安倍が旧統一教会被害者の銃弾に倒れたのだから何とも皮肉な話だ。
女性当事者団体へのヘイト
虐待を受けるなど家に居場所がない若年女性らを支援している団体Colaboとその代表仁藤夢乃さんへのバッシングが今異常に集中している。デマや誹謗中傷など嫌がらせの投稿が膨大になされ拡散されているのだ。その影響は非常に深刻で活動そのものが危機にさらされているという。支援に使うバスを傷つける、仁藤さんへの殺人予告、レイプ予告まで送り付ける、緊急避難に使うシェルターの場所をさらされるなど、もうこれはヘイトを通り越して犯罪である。これまで痛めつけられた少女たちをもう一度痛めつけるのか。どんなに怖い思いをしているのだろう。Colaboで生きのびた少女たちはどうすればいいのか?。彼女らへの支援活動は本来国がするべき仕事であるにもかかわらずなぜバッシングされなければならないのか。こんなことが許されていいのか。
仁藤さんは東京都内の40代の男性を提訴し、記者会見もおこなった。弁護団は「デマを積み上げて信用を傷つけるサイバーハラスメントで、女性の権利のために立ち上がった人が気に入らないという女性差別だ」と批判した。さらに「(いいねを押すなどデマ拡散を)エスカレートさせている側の問題点も追及していきたい」といっている。
Colaboの会計書類に「不正がある」と言われているが、それは単純なミスであり、東京都からの指摘を受け、すでに修正提出している。にもかかわらず修正前のものをあたかも意図的に不正をしたかのような拡散には一片の真理もなく、女性を攻撃して娯楽にし、Colabo だけではなくそこに集う若い女性とすべての女性への攻撃である。
記者会見で仁藤さんは「女の子たちのよりどころとなっていたバスを傷つけられ、私自身体を傷つけられたような気持になった。女性のために声を上げること自体への攻撃で、止めなければならない」と訴えた。
仁藤さんはソウルのウリチプへ、ハルモニたちに会いに行ったり、辺野古に行くなど積極的な活動を展開している。また最近は「当たり前の日常を手に入れるために―性搾取社会を生きる私たちの闘い」(影書房)という本も出版して当事者運動として性搾取と闘っている。
安倍ヘイト政治の申し子=杉田水脈
この間、杉田水脈衆議院議員の過去の発言に対する批判が国会で盛り上がっている。杉田水脈は2018年『新潮45』において、国会議員であるにもかかわらず「LGBT支援の度が過ぎる」と題する文章で「LGBTは生産性がない」と書き、世間を騒然とさせた。『新潮45』はその後「そんなにおかしいか杉田水脈論文」という特集を組んで杉田を擁護し、廃刊に追い込まれた。
杉田はみんなの党から日本維新の会に鞍替えし、2012年比例近畿ブロックで衆議院議員になった。その後維新が橋下徹派と石原慎太郎派に分裂した際、石原派を選択し次世代の党から兵庫6区で立候補したが最下位で落選した。2015年7月、議員落選中にジュネーブにおける国連女子差別撤廃委員会にあるNGOの名前を借りて参加した。日本軍「慰安婦」問題の根拠となっているクマラスワミ報告のなんと撤回を要求するスピーチをし、当然にも拒否された。その際、在日女性やアイヌ女性たちに批判され「うす汚いチマチョゴリやアイヌのコスプレおばさんたち」「彼らは存在だけでも日本の恥さらしだ」とヘイトの極みを自らのブログに書いた。その年の12月、日韓合意がおこなわれたのである。
杉田はこの落選期間中に桜井よしこに見出され、桜井のネットテレビに何回も登場し、その紹介で安倍につながったのである。安倍は「杉田さんは素晴らしい」と絶賛したと桜井は言っている。2017年比例中国ブロックで比例単独で立候補しその後再選を繰り返している。杉田自身は山口県とは何の関係もないのに自民党山口県連に所属し、日本軍「慰安婦」問題に女性自らがヘイトする人物として安倍の後ろ盾を得たのである。(つづく)
シネマ案内
『愛国の告白ー沈黙を破る・Part2ー』
監督:土井敏邦 2022年
イスラエルはパレスチナを占領し続けている。ヨルダン川西岸地区では入植地を拡大し、ガザでは無差別爆撃を繰り返して、パレスチナ人を彼らの土地から追い出そうとしている。これは1948年5月ナクバの虐殺の継続であり、75年近くこの地で繰り返されている事態なのだ。
現在、パレスチナでは、都市部であれ、農村部であれ、イスラエルは入植地をどんどん拡大している。入植者を守るという口実で、イスラエル軍はパレスチナ人の土地に進駐している。こうして占領地が拡大されている。
土井敏邦監督は、パレスチナ人の立場にたって、1985年頃からこのパレスチナを記録してきた。この作品を含めてパレスチナに関するドキュメンタリー映画をつくってきた。『愛国の告白―沈黙を破る・Part2―』は、ドキュメンタリー『沈黙を破る』(2009年)の続編であり、パレスチナ問題にかんする土井監督による今日的到達地平でもある。タイトルにある〈沈黙を破る〉は、イスラエル退役軍人によるNGO団体の名称で、ユダ・シャウールによって2004年に創設された。メンバーは自国政府による侵略戦争に反対して、イスラエル国内で活動している。
ドキュメンタリー『愛国の告白』は、3つの構成要素によってつくられている。イスラエル軍の実態を示す映像を組合せながら、〈沈黙を破る〉の活動家へのインタビューと、占領地パレスチナに住む住民の声が重ねあわされている。
さまざまな理由をつけて、イスラエル軍は深夜にパレスチナ人の家に押し入り、家宅捜索をおこなっている。それはパレスチナ人にイスラエルの支配下にあることを認識(存在の証明)させるためなのだ。こうしてパレスチナ人を屈服させ、彼らを土地から追い出す。ナクバの虐殺では住民に恐怖心を抱かせて土地から追い出し、そこにイスラエル人が住居をかまえた。同じ事が繰り返されているのだ。
〈沈黙を破る〉創立者のユダ・シャウールは、「何百万ものパレスチナ人の屍のなかにイスラエルの安全と安定を見出しているのであれば、これは正気ではありません。こんなことは歴史上ありえなかった」と語っている。また〈沈黙を破る〉メンバーの一人は、自己の兵役体験を振り返る。「最初はあまりにも理念との違いにとまどった。慣れてくるにつれて、それが『快感』にかわってくる。非武装のパレスチナ人に銃を突きつけ、相手を自分の方針に従わせる。なにか自分がえらくなったように感じる。こうして現実を正当化していった」。また、別のメンバーは「不正義な行為の責任は個々人ではなく、この政策を決定したイスラエル政府にある。同時に、その政府を選択した国民も責任を問われるべきだ。われわれは、こんな政府を変える必要があるのだ」と語る。
また、占領地に住むパレスチナ人は、映画のなかで次のように語っている。「こんなに自由のないところに、われわれはなぜ住み続けるのか。イスラエルは、ここで生活できないようにして、我々をパレスチナから追い出そうとしている。だから、ここに残って生活し続けることが闘いなのだ。これがパレスチナ人の尊厳なのだ」。けっして他人事ではない。かつて、日本は朝鮮で、中国で、東南アジアで、同じ事をおこなってきた。ウクライナでもロシア軍によって、同じ事がおこなわれている。今日においても、国家による対立、民族同士の対立が戦争を引きおこしている。この対立を止揚すること、これを実現するために共産主義社会建設があったはずだ。このためにも、パレスチナで起きていることをかたときも忘れてはならない。(鹿田研三)
7面
兵庫優生保護法被害国賠訴訟
控訴審が結審
判決は来年3月23日
木々繁
旧優生保護法(以下、旧法。1948〜1996年)のもとで不妊・中絶手術を強いられたのは憲法違反として兵庫県内の男女5人が国に総額1億6500万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審第1回口頭弁論が11月15日、大阪高裁(中垣内健治裁判長)であり、即日結審した。原告側は「差別をなくすため正しい判決を」と訴え、国側は原告側の控訴を棄却するよう求めた。判決は来年3月23日、午後3時。
原告が人生かけた訴え
最初に聴覚障害のある小林寶二さん(90)=明石市=が意見陳述。
妻の喜美子さんは寶二さんと結婚後27才ごろ妊娠したが、母親から「赤ちゃんが腐っているから捨てる」と言われ、病院で中絶手術を受けさせられ、同時に、何も知らされないまま不妊手術をされた。2017年、日本ろうあ連盟の調査で気付かされ初めて旧法を知り、提訴した。
寶二さんは、ともに原告として闘ってきた喜美子さん(当時89)が今年6月に亡くなったことに触れ、訴えた。「喜美子と一緒に励まし合って裁判を闘ってきました。国の謝罪はまだ聞けていません。喜美子が生きているうちに、差別に打ち勝つ判決を聞き、共に喜び合いたかったです。本当に悔しくて、つらくてたまりません。裁判官には、障害者の気持ちや状況を自分のこととして考えてみてほしいです。耳が聞こえないというだけで、子どもを殺され、子どもを持つ人生を奪われ、差別に苦しむ人生を想像してみてほしいです。どうか正しい判決をお願いします」。
次いで、脳性まひがある鈴木由美さん(67)=神戸市=が立った。
鈴木さんは生まれつき脳性まひがあり、幼少期から両手足が自由に動かせなかったことから車いすで生活。69年春ごろ12歳のとき、家族に連れられて病院で、何の説明もないまま子宮摘出の不妊手術を受けさせられた。退院後も、子どもを産む機会を奪われた上に、手術の記憶がよみがえって、その恐怖で全身がけいれんするなどの後遺症があり、術後20年間寝たきりの生活を強いられた。鈴木さんは次のように訴えた。
「『障害者は黙っとけ』と言われて育ちました。それで、手術のこと、自分のこと、自分が疑問に思っていることを、自分がしたいことを、他の人に話すことが怖かったです。私たちは、同じ人間として見てもらってないという思いでずっと生きてきました。裁判官にも、小さいころから同じ人間として扱われずに育ったときに、自分の声を簡単に上げることができるかどうか考えてみてほしいです。こんなことは二度とあってはいけない。同じ障害を持つ人が、同じようなことにならないために頑張りたいと今は思っています。しかし、ここにたどり着くまでにどれだけの苦労があったか。教育の機会も、親になる機会も一生奪われて、国は時間が過ぎたら許される。そのようなことがほんとうに正しいのか。裁判官には、私たちの苦しみを感じて、判断をしてほしいです」。
原告の一人、高尾奈美恵さん(仮名)は体調不良のため欠席した。
強制不妊手術当該の高尾辰夫さん(仮名)は2020年11月、81歳で死去。神戸市で生まれ、3才のとき中耳炎で聴覚を失い、ろうあ協会の活動を通して島根県出身で生まれつき耳が聞こえなかった奈美恵さんと知り合った。両家は二人の結婚を承認したが、辰夫さんの母は、「結婚はいいが、子どもを産んではいけない」と言っていた。結婚式を目前にした1968年春、辰夫さんは母に病院へ連れて行かれ、医師からの説明も何もないまま、ズボンを脱がされ、麻酔を打たれ、手術された。18年3月、日本ろうあ協会の聞き取り調査で、初めて手術が旧優生保護法とそれにもとづくそれであることを知り、国の犯罪を徹底断罪し、奈美恵さんとともに提訴した。
藤原精吾弁護団長が情理を尽くした意見陳述
藤原さんは裁判長に向かって語りかけた。「控訴人(原告)たちの声は耳に届いていますか。その声の背後には同じ思いの何万人もの人たちがいるのです。控訴人たちが分かってほしいと言っているのは、ただ不妊手術を受けた苦しみだけではなく、その一生を障害者として差別されて送らねばならなかったことなのです」。そして、各地裁における「除斥期間」を理由とした請求棄却判決について、司法は今こそ原点に立ち返るよう訴えた。
「裁判の制度は社会の正義を実現するために設けられています。にもかかわらず、地裁判決は、何が正義かを問うことなく、除斥期間という法律の規定があるからこれを適用するのが当然だとしています。そこには国が自ら行った重大な人権侵害の結果であることや、提訴の困難さを度外視し、法律の規定があるから、一律に例外なくすべての権利を消滅させるという機械的思考しか読み取れません。
そのことは侵害された人権の回復による正義の実現よりも法的秩序という『国家の論理』を優先させ、『国民の基本的人権を擁護するために柱となるべき立場にある』という裁判所の使命(2016年4月25日「最高裁判所裁判官会議談話」)を忘れた判断です。優生保護法を制定し、差別社会を形成してきた国に損害賠償を命じるという形で責任を取らせることは裁判所にしかできません。同じ苦しみを抱く何万人もの思いを背に、裁判に立ち上がった人たちが自分たちは間違っていなかったと思えるよう、国の賠償を認めてほしい」。まさに、聞く人みな納得せずんばやまない弁護団長渾身の訴えであった。
兵庫の原告5人は高齢化し、小林喜美子さんと、全国で聴覚障害者として初めて提訴した高尾辰夫さん(仮名。当時81歳)の二人が亡くなっている(注)。
(注)全国では、今年11月の時点で計20人の原告が亡くなっている。
昨年8月3日の一審・神戸地裁判決は旧法を違憲と断じ、かつ旧法の改廃を怠った国会議員の不作為を違法と認めながら、20年で賠償請求権が消滅する民法の「除斥期間」が経過したとして、請求を棄却した。
2018年以降、被害者が全国各地で起こした訴訟をめぐっては、一審で原告敗訴が連続6度相次いだが、控訴審は流れが変わりつつある。今年に入り、大阪と東京の両高裁が「著しく正義・公平に反する」として「除斥期間」の適用を制限し、国に賠償を命じる判決を下した。
報告集会
閉廷後、場所を移して報告集会が開かれた。
2月大阪―3月東京の両高裁判決、5月「優生保護法問題の全面解決をめざす全国協議会」結成、7〜9月日本政府に対する国連障害者権利委員会の審査と勧告、9月全国各地計7人の新たな提訴、東京日比谷野音における「10・25優生保護法問題の全面解決をめざす全国集会」の歴史的実現という大きなうねりの中、150人を超える参加者が会場を埋め尽くす熱気あふれる集会となった。
各地の運動体とズームで結びつつ、原告、弁護団の挨拶、諸支援団体からの報告ののち、来年3月に勝利判決をかちとるための闘いの重要な一環として署名運動の大規模な取り組みが訴えられた。
署名は何といっても数です。原告の方々の言葉に尽くせぬ苦闘に学び、連帯し、勝利判決のため、残る日々、私たち一人ひとりが知る人、つながりのあるすべてに訴え、一筆でも多く集中しましょう。
8面
長期連載 先人たちの失敗と成功を学び現在(いま)に生かそう 怒涛の如き労働者の進撃 悔やまれる〈革命の逸機〉B
危機に立ち向かう産別会議 全労働戦線をリード
1946年8月21日、共産党系労組を結集して全日本産業別労働組合会議(産別会議)が発足した。産別会議は163万人の組合員を擁して85万人の総同盟を上回り、危機的状況が続くなかで戦闘性を発揮して、1950年まで全労働戦線をリードした。
共産党は大衆的基盤を築くために、産別会議に最も力を注いだ。加盟組合の幹部は企業在籍者に限り、本部も労働運動の経験者は事務局次長の細谷松太ただ1人であった。プロの労働運動家は知識や経験が豊かで、共産党の意のままにならないからである。
各組合の幹部は30代・40代のインテリ的管理者層の人が多く、共産党をマルクス主義を体現した唯一の存在として信奉した。このようにして産別会議は共産党の圧倒的影響下におかれたのである。戦前からの古い幹部が中心の総同盟より清新なイメージの産別会議の方が、GHQ労働課の覚えがめでたく、機関紙用紙の配給などで優遇された。
東西冷戦を背景に占領政策が転回
読売新聞の自主生産を敵視し弾圧
しかしその一方、ソ連との東西冷戦が始まるにつれてGHQの姿勢が変化した。
GHQは46年6月5日の読売新聞の記事にプレスコード違反があったと警告した。これを機に会社は「編集権の確立」と称して、組合の委員長で編集局長の鈴木東民ら6人を解雇した。被解雇者の入場をめぐって5百人もの武装警官が社屋に侵入し、組合員ともみあい56人を検束した。このときMP(米軍憲兵隊)は暴力団と共に現場に介入した。労働運動にたいする戦後初めての弾圧で、争議団の1人が「反米」言動を理由に軍法会議で強制労働の判決を言い渡された。
連日千人を超える応援デモが波状的に読売新聞本社に押しかけ、4日間にわたって新聞発行が停止された。全新聞社と通信社、NHKの労組が結集した新聞通信放送労組は、10月5日に読売争議支援のゼネストを打つことを指令した。
マッカーサーは読売・朝日・毎日・時事通信の各社長を呼びつけ、新聞界からの「共産党員をキック・アウトせよ」と指示した。GHQは応援デモに禁止命令を発し、それを無視して前進しようとするデモ隊にMPがピストルを構えた。吉田内閣は新聞ゼネスト対策本部を設け、「社会秩序保持に関する声明」を発表した。そして各社の記者をつうじて猛烈な切り崩し工作を展開した。
MPと武装警官隊が各新聞社前に非常線を張った。その結果、新聞ゼネストは朝日をはじめ全国紙がすべて脱落し、地方紙とNHKだけが実施した。北海道新聞のストには占領軍の戦車まで出動して威嚇した。
5日午前7時10分、NHKの6千人の労働者が一斉にスウィッチを切って、全国5百万台のラジオ受信機から音声が消えた。8日から逓信省による国家管理下で放送が開始されたが、停波ストは20日間に及び放送が完全に常態に戻ったのは28日であった。
しかしGHQ・国家権力・新聞社側の一体となった攻撃によって、「刀折れ矢尽き」た第2次読売争議は、10月16日、増山太助以下31人の解雇をもって敗北に終った。しかしこの闘いのなかで青年行動隊が広範に登場し、新聞ゼネストはつぎの産別10月闘争の導火線となった。
産別10月闘争の圧勝と
画期的な電産型賃金体系
国鉄では7月24日、復員兵と満鉄(南満州鉄道株式会社)からの引揚者の復職で余剰人員が生じたとして、全部で12万9千人、第1次として女性や年少者を中心に7万5千人の解雇を組合に通告した。国鉄総連合(東京のみ産別会議に加盟)は9月15日を期してゼネストを決行する方針を打ち出した。都内では「首切り反対!」と車体に大書した電車が走り、各駅頭では青年行動隊が赤旗をなびかせた。
ゼネスト突入を2週間後に控えた8月27日、GHQが「占領軍の輸送に障害を来すことを懸念する」という態度を表明した。組合側はこれを利用して大衆行動を強めたので、政府と国鉄当局はスト決行の前日、ついに解雇を撤回した。
産別会議はこれを機に、全産業にわたるゼネストで内閣を打倒する方針を決めた。人民政府を樹立し、労働者人民大衆の力で産業復興をすすめて生活を守ろうという共産党の戦略に基づくものであった。
10月1日東芝5万人のストを皮切りに、電産(日本電気産業労働組合協議会)その他の組合が、相次いで自主的にスト決行日を決めて、なだれ込むようにストに突入した。いずれも年間約6倍にもハネ上がるインフレに抗して、最低賃金と大幅な賃上げを要求し、内閣打倒を掲げた。
産別10月闘争は全産業に広がり、総同盟の1部も加わって延べ291万2326人の労働者が参加した。5百円の枠を打ち破り千円台の賃金水準に引き上げるなど、企業内の経済要求は百%近く実現したが、内閣打倒には至らず「2・1スト」(次号に詳述)に持ち越された。
産別10月闘争で最も注目されるのは、電産型賃金体系であった。日本労働運動史上初めて、労働者が自主的に賃金体系を作成し実現したのである。それは年齢別に定められた本人給と家族給からなる生活保障給を基本とするものであった。
従来賃金体系は賃金の配分をつうじて搾取を巧妙化し労働者を分断する手段として、専ら使用者の恣意的決定に委ねられていた。電産型賃金体系は賃金を生計費を基礎とし、インフレが高進する情況に適合するものであったので、他産業にも広く普及していった。
電産はこれをかちとるため、当初の一般家庭への小規模な停電ストから、10月23日以降は大企業の主力工場を狙い撃ちした停電ストを相次いで実施した。これによって政府や大企業に大きな脅威を与え、大勝利を得たのである。
当時私は小学4年生だったが、周りの人たちからこの停電ストを非難する声を聞いた記憶がない。大きな顔でのさばっている大企業に悲鳴を上げさせた電産の闘いに、心のなかで「ザマーミロ! 組合はよくやった!」と叫んでいたのではないだろうか。(つづく)
読者の声
長期連載に期待する
『未来』354号の第1回「先人たちの闘いの成功と失敗を学び現在に生かそう」を読みました。初めて知る話が多くて、非常に参考になります。長期連載とのことですので、次号以降も楽しみにしています。 M生
投稿
カリフォルニア大学で歴史的大ストライキ
11月14日から1週間、米カリフォリニア大学で、48000人の研究関係者によるストライキが決行されました。これは米国で本年最大のストライキで、米国史上最大の大学ストです。
ストライキのピケッティングにチームスターのドライバーや建設労働者がこれを尊重する行動を取りました。
原因は超インフレ、特に住宅家賃の高騰で、組合員の賃金の30%が家賃に消えています。大卒労働者全体でも平均で賃金の50%が家賃に消えています。大学と研究機関が大勢の研究者の搾取に依存してきたことを劇的に暴露しています。
大学院時代に組合に加入していた愛知連帯ユニオンのエサティエ組合員は、「誇りに思う」と述べています。
(11月29日 佐藤隆 愛知連帯ユニオン)
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