軍事大国化、原発推進の岸田
新型炉は夢物語 12・4闘争へ
安倍の国葬に反対し国会を包囲(9月27日) |
原発回帰
岸田政権の前のめりな原発依存が次々と明らかになっている。
岸田は8月24日のGX(グリーン・トランスフォーメーション)実行会議で、原発の新設やリプレース(立て替え)、新型炉の研究・開発を推し進めることを表明、あわせて、規制委員会の審査に合格している原発のうち7機を来年夏までに再稼働を目指すとした(高浜1・2号機、女川2号機、島根2号機、柏崎刈羽6・7号機、東海第二原発)。すでに高浜3・4号機、大飯3・4号機、美浜3号機、玄海3・4号機、川内1・2号機、伊方3号機が稼働中であるが、規制委員会の審査に合格した原発は全て動かすということである。原発の60年超運転も打ち出した。
このような岸田の、エネルギー逼迫と脱炭素社会の実現を口実にした原発回帰を許してはならない。
3・11以後、安倍、菅は、原発推進を国是としながら、原発新設やリプレースなどを打ち出すことはできなかった。これは、3・11を経験した圧倒的な脱原発の民意が、強制してきたのである。それに対して岸田は真っ向から原発回帰を打ち出してきたのである。また10月3日に開会された臨時国会の所信表明演説でも、このことを明らかにした。原発をめぐって、激しく国論がたたかわれるのである。今こそ、声をいっそう大にして、原発反対、老朽原発うごかすな! のたたかいと行動を作り出さねばならない。
夢物語
次世代原発、新型炉とは何か。60年前からのテーマを新しいテーマのごとく取り上げて、原子力ムラの再生を願望するものであり、「夢のエネルギー」宣伝のだましの再現である。
小型モジュール炉や、高速炉、高温ガス炉、核融合炉などが、言われている。高速炉や高温ガス炉、核融合の開発については、解決しなければならない絶対的課題があり、現代科学では解決不能である。たとえば、千度以上の高熱に耐える合金は存在しないし、開発もできない。
30万キロワット級の原発を、原発外の工場で生産し、原発現地で組み立てるという小型モジュール炉は、一見実現可能性を持っているかのように見えるが、100万キロワット級の原発になったのはそれなりのスケールメリットがあったのであり、小型化すれば経営上も成り立たなくなる可能性がある。実際、このかん言われているのは、三菱重工と関電などの電力会社が開発するという革新軽水炉も、100万キロワット級の原発で、既存の大型軽水炉の改良型である。デジタル技術で事故の兆候をつかみ、コアキャッチャーなどを装備するという。これについては、一定実現可能と思われるが、デジタル技術で安全を確保できないし、何より、1基1兆円規模の費用がかかるといわれている。
次世代原発の開発というのは、人々を「夢のエネルギー」という夢物語でだまして、膨大な予算を投入し、原子力ムラとそれに群がる企業などを救済しようとするものである。
60年超運転を策動
岸田の原発回帰の方針を受けて、経産省は、これまで原則40年と定めている原発の運転期間について、電力の安定供給などを理由に延ばそうとしている。原子炉等規正法や電気事業法、原子力基本法を一括で改悪するというもの。早ければ来年の通常国会に上程を狙っている。「40年運転」は3・11以後安全規制の柱として定められ、原発の所管も原子力推進官庁の経産省から事故後発足した規制委員会に移行したものである。40年という期限については、当時の国会審議の中で、政府は、「おおむね電力会社は原発について、40年をメドに設計・設置している」と述べており、40年を期限にすることが決められた。
今回の60年超運転の策動は、これまでの原子力規制を根幹から変えて、しかも原子炉の安全性ではなく、電力の安定供給を理由に延長できるのだ。それも、経産省の手で。絶対許してはならない。
美浜3号機再稼働に反対する人々(7月24日、福井県美浜町) |
老朽原発の再稼働阻止
60年超運転を策動
岸田の原発への前のめりともいえる回帰と真っ向から闘わねばならない。その戦略的切り口が、「老朽原発うごかすな!」を合言葉にしたたたかいである。いま日本の反原発闘争のなかで、老朽原発うごかすな! のたたかいが、大きなひろがりを見せ、意気軒昂とたたかわれている。40年超の老朽原発美浜3号、高浜1・2号の再稼働を許さないたたかいは、着実に根付いている。
美浜3号機の再稼働に対し、関電は、再稼働前日の8月29日、午後3時に「明日(30日)美浜3号機を再稼働する」と突然発表した。本来ならば、40年超運転への挑戦ということに対し、大々的に宣伝し、謳歌するのが当然であるにもかかわらず、それもできないで、だまし討ち的に再稼働をしなければならない関係を関電に強制しているのである。
今、大阪地裁に美浜3号機運転差止を求める仮処分が申し立てられている。この10月にも、何らかの決定が出る。この仮処分決定をも一つのバネに、美浜3号機をただちに止めることを迫っていかねばならない。そして、来年夏に予定されている老朽原発=高浜1・2号機の再稼働阻止をたたかわねばならない。
12・4関電包囲全国集会へ
老朽原発の再稼働を許さず、原発全廃に向けて総決起しよう。「12・4関電包囲全国集会〜超危険な美浜3号、もう廃炉〜」に決起しよう。
ウクライナ
プーチンのミサイル攻撃・核兵器使用威嚇許すな
10月10日ロシアは、ウクライナの首都キーウなど30カ所以上を84発の巡航ミサイルや無人航空機で攻撃した。電力など重要インフラや住宅・民間施設を攻撃し、15州で電力供給が一部停止、水道も各地で停止し火災発生・住宅倒壊となった。朝の通学・通勤時を狙い、120人以上が死傷。さらに、11日も全土攻撃が。プーチンはクリミア大橋が爆破されたことへの報復と主張しているが、侵略への抵抗闘争なのだ。クリミア大橋は、2014年ロシアがクリミアを併合したあと18年に建設したが、南部のロシア軍への唯一の補給路で、爆破によりプーチンに軍事的・政治的に大打撃を与えた。
ロシアは、ウクライナの東南部で軍監視の下で住民投票をおこない、9月30日に東南部4州を強制併合した。戦前の日本やナチスと同様の典型的な侵略戦争だ。ザポリージャ原発を国有化宣言し副所長を拉致。ウクライナ人民は、ロシアの侵略から領土と住民を守るために自発的な抵抗闘争に立ち上がり、東南部ではパルチザン戦争を開始している。7月からウクライナ軍は反転攻勢に転じ、東南部を次々解放・奪還。9月上旬ハルキウ州でバラクリアなどを奪還。9月10日にはロシア軍は重要拠点イジュームから撤退。10月1日には、東部ドネツク州の要衝リマン(武器の補給地)から撤退。ロシア兵は大量の武器や戦車を捨てて一目散に撤退している。イジュームでは400人以上の集団墓地、リマンでは200人の民間人の墓が見つかり、ロシア軍が住民にしてきた拷問・虐殺が証明された。
9月21日にプーチンは予備役の「部分的動員」を発表したが、ロシア各地で抗議がおこり、動員拒否の国外脱出が止まらない。プーチンの戦争に反対の声が強まり国際的孤立を深めている。CSTO(旧ソ連6カ国で構成される集団安全保障条約機構)のカザフスタンはロシアから離反し、ベラルーシ大統領は10月7日プーチンの誕生日に農業にいそしめとトラクターを贈った。今年のノーベル平和賞は、ベラルーシ、ロシア、ウクライナの抵抗闘争を闘う人権団体・活動家に送られた。
革共同中央派『前進』は、夏の29全総で、またしても「バイデンの戦争」「米ロ代理戦争」と規定し、今回のロシアによるウクライナ東南部4州併合、ミサイル攻撃、人民虐殺に反対の声を上げない。これはウクライナ人民の主体性を無視した「どっちもどっち」論で、許されるものではない。戦争はすべてウクライナ国内で起こっており、ウクライナがロシアを攻撃したことはない。軍事侵攻して他国の領土を併合する侵略戦争だ。
停戦・降伏ではなく、ロシア軍の撤退こそが「ウクライナに平和」をもたらす道だ。ウクライナ人民、弾圧下で闘うロシア人民と連帯して闘おう。
2面
10・9 三里塚全国総決起集会
市東孝雄さんの農地強奪許さない
10・9三里塚全国総決起集会が千葉県成田市赤坂公園で500人が結集して開催された。主催は、三里塚芝山連合空港反対同盟。伊藤信晴さんが主催者あいさつをおこない、萩原富夫さんが基調報告をした。
農地強奪を許すな
萩原さんは冒頭、9月2日の「新やぐら裁判控訴審」において東京高裁・渡部勇次裁判長が控訴を棄却したうえに、市東孝雄さんの畑に立つ反対同盟の看板とやぐらだけでなく、市東さんが耕す天神峰の農地をいつでも強制執行できるという仮執行宣言をつけ、さらに同裁判長は「仮執行しない理由がない」とまで言い放ったことを弾劾し、強制執行阻止へ闘おうと訴えた。
萩原さんはさらに南台農地を対象とした「耕作権裁判」が千葉地裁で係争中であることも報告した。同裁判では、空港公団が孝雄さんの父の市東東市さんの署名・捺印を偽造して農地を強奪しようとしていることが暴露されている。最後まで空港公団との話し合いも接触も拒否した市東東市さんの名誉にかけて、公団の偽造工作を暴いていかなくてはならない。国策のために偽造までおこなった公団を「耕作権裁判」の本田晃裁判長は「もう16年経っているから」と公団の偽造の不正に蓋をして裁判を終わらせようとしているのだ。こんな許しがたいことはない。
市東孝雄さんが決意表明
各団体からの連帯あいさつのあと、市東孝雄さんが決意を表明した。(写真左) 「確かに攻撃は強まっていますが、まだ空港会社のほうは第三滑走路とか、北延伸のことがあって、こっちまでまだ手を出してきていません。しかし、いつかは来るとこっちも構えていますので、そのときは、みなさんとともに体を張って闘っていきたいと思います」「天神峰の農地を耕して闘い続けます」と決意表明した。
追悼・戸村義弘さん、朝田しげるさん
戸村義弘さん
『反対同盟の歌』の作詞者で市東さんの農地取り上げに反対する会の会員の戸村義弘さんが7月14日、逝去された。享年97。義弘さんの実兄は故戸村一作反対同盟委員長である。
『反対同盟の歌』には「大地を打てば地底より原初のひびき鳴りわたる」という歌詞がある。1925年に三里塚で生まれた義弘さんの三里塚に対する思いがこの歌詞に込められている。
1971年9月の強制代執行阻止のときも全国から結集した多くの人たちは、この『反対同盟の歌』に込められた農民の思いに胸を熱くした。この代執行のときは三里塚の大地は火炎びんで道路という道路が炎に包まれ、その中で機動隊員3人が死亡した。
朝田しげるさん
1977年の鉄塔決戦のただ中、実力闘争の最前線で三里塚野戦病院の反弾圧の救援運動を開始し、三里塚木の根全国共闘の結成大会に参加した「障害者」の朝田さんは、生涯、反戦・反権力・反差別を貫いた。朝田さんは9月20日未明、野戦病院で75歳の生涯を閉じた。
強制執行阻止へ闘おう
市東さんの畑は仮執行宣言によって農地強奪の強制執行が可能な状況になった。我々は三里塚で国家権力がおこなってきた暴挙を広く多くの人たちに伝え、怒りを組織していかなければならない。「畑を耕し続けて闘う」という市東さんの決意になんとしても応えていこう。
(351号巻頭論文の続き)
安倍=岸田打倒へ追撃を
安倍=勝共体制がもたらす戦争
勝共連合に支えられた安倍が没落帝国主義としての実情を顧みず、夜郎自大な「世界戦略」を打ちだした。それが「インド太平洋戦略」と「クワッド」(中国包囲のための日・米・豪・印の連携)の提唱である。冷戦時代を通じて、米欧日との関係よりも中国との関係が近かったインドが中国と国境紛争を抱えることに目をつけ、東アジアからアフリカ東海岸までを中国包囲網の中に抱え込むことを意図したものである。冷戦崩壊後の世界戦略として、9・11など打つ手を持たない米帝を引きずり込んだ。米帝は2018年5月に、それまでの太平洋軍をインド太平洋軍に名称変更している(30万を擁する米帝最大の方面軍)。
安倍は2012年に、両構想の元となる考えを「アジアの民主主義国による安全保障ダイヤモンド」という論文で公表している。それに先んじて、2007年のインド議会での演説では、「強いインドは日本の利益であり、強い日本はインドの利益である」と述べている。クワッドによる共同軍事演習は2007年に始まっているが、その直後にオーストラリアが撤退、2017年にふたたび参加している。クワッドをふたたび活性化させたのは第2次政権時代の安倍自身である。
英・仏・独などの欧州諸国を、2国間の「防衛パートナーシップ」や共同軍事演習などに引きずり込んだ。欧州諸国を、旧植民地である東・東南・南アジアの政治・軍事枠組に巻き込んだ。アフリカ開発会議(TICAD)を2013年、16年、19年に開催し、それまでの2ケタ台億jの「支援・投資」を3ケタ台に引き上げた。東海岸諸国をとくに重視し、安倍が「インド太平洋戦略」を公式に打ち出したのは2016年のTICADであった。
このような「世界戦略」のもとで現在の「台湾危機」が激化するとどうなるか。今のところそこまで考え抜いた想定は安倍・岸田政権の側にはない。そこまで突き詰めないで軍事大国化、とくに自衛隊の南西方面配備を強行し、琉球諸島の要塞化を進めると「新たな沖縄戦」が不可避となる。中国が攻撃に出なくても、日米の挑発的介入によって全面衝突になる可能性が高い。その場合、中国が台湾正面に配備する3千発の中・短距離ミサイルが威力を発揮する。米空母打撃群は防御主力のイージス艦が中国軍の飽和攻撃に対応できず、撤退せざるをえない。米軍の主力をなす嘉手納の米空軍も、防御シェルターや地下収納などの備えがなく、対応できず、これもいったん撤退する想定となっている。陸上部隊が海兵隊以外はほとんどいない米軍は、グアム以東の「第2列島線」以東に後退すると想定されている。他方、自衛隊の琉球列島配備は陸自が中心であり、地理的に戦略的縦深を保てないため、配備現地にとどまっての攻防とならざるをえない。
したがってこの段階では台湾軍と自衛隊が対中国の軍事対決の正面戦力となる。台湾軍は海・空兵力が戦力不足で、緒戦で壊滅する可能性が高い。しかし陸戦兵力は予備を含めると100万人を有し、4000メートル級の山岳地帯が東部にあるため、ゲリラ戦を構えれば中国人民解放軍は制圧が困難と見られる。ここでの問題は抗戦の意思であり、住民の協力いかんである。
それに対して琉球諸島に配備された自衛隊、とくに陸自部隊は戦力、兵站が不十分で(弾薬は1週間分しかない)、縦深が浅いため、住民を巻きこむことはもちろん、部隊自身が捨て石にしかならない。米軍の作戦は、台湾軍と琉球諸島配備の自衛隊部隊の双方が壊滅し、中国軍も相当消耗した頃合いを見計らって「来援」し、反攻に転ずるというもので、シリアやウクライナ以上の悲惨な戦争となる。
現在自衛隊は、「敵基地攻撃能力」の保有 のために、中国本土を攻撃できるスタンドオフ・ミサイルの開発に全力を挙げるとしているが、そのような兵器を琉球諸島に配備すれば、中国軍はいっさいを挙げてその事前制圧、撃滅に全力を挙げることとなり、琉球諸島は逃げる隙もない地獄となるであろう。米海兵隊は最近、「遠征前進基地作戦」(EABO)なる作戦計画を打ちだした。琉球諸島に40カ所も前進攻撃拠点となる「暫定基地」を設け、中国の艦艇や航空戦力を叩くとする。これは、1950年、朝鮮戦争の仁川上陸作戦以来、海兵隊本来の任務である強襲上陸作戦を実施できていないから、不要としてリストラの候補に上がっていることに対応して、これまで米軍にはなかった中国との「第1列島線」内部に部隊を配備するぎりぎりの作戦計画となっている。しかし琉球諸島配備の自衛隊と同じ輸送・補給問題があり、そもそも暫定にしても40カ所もの基地を確保できる展望はまったくない。せいぜい自衛隊基地を暫時共用するしかないであろう。それ以上に、EABOに配備される海兵隊には部隊構成上、陸戦を専任に戦う部隊が少なく、ミサイルを撃って中国の艦船を攻撃すればさっと撤収する想定しか成り立たない。結局、陸自「南西諸島配備」戦略の後追いでしかない。
しかし米軍が「第1列島線」内に部隊配置の計画をもったこと自体は、「新たな沖縄戦」の危機を高めるものである。中国・台湾・韓国・朝鮮人民との国際連帯で、「新たな沖縄戦」を阻止しよう。とくに要塞化がもっとも進んでいる宮古島をはじめ、沖縄島以外に規模が大きくなる奄美・石垣・与那国などの闘いを歴史的な本土(ヤマト)の責任で反戦・沖縄解放闘争として闘おう。安保粉砕―日帝打倒―安倍=勝共体制打倒の成否をかけて。(落合 薫)
とめよう! 戦争への道 めざそう! アジアの平和 2022秋 関西のつどい
講演:新垣邦男さん(衆議院議員)「沖縄復帰50年ー沖縄からの告発」
佐々木寛さん(新潟国際情報大学国際学部教授)「大軍拡、改憲を撃つ」
とき:10月22日(土) 午後1時50分
ところ:エルシアター ※閉会後、デモ
主催:とめよう!戦争への道・めざそう!アジアの平和 2022秋 関西のつどい実行委員会
3面
9・19 安倍元首相の国葬反対!大阪集会
高作正博さんが講演(抄録)
「民主主義を破壊」?
岸田首相は、「卑劣な蛮行」「民主主義を守る」と言うが、犯行の動機は「政治信条に恨みはない」だから、政治的動機ではなく民主主義の破壊ではない。公文書の改ざん・隠蔽・破棄をおこない民主主義を破壊してきたのは、安倍自身。自衛隊の日報問題(2016年)で、日報は破棄したと回答したが、破棄されず隠蔽されていた。森友問題で公文書改ざん。加計問題では面会記録を破棄。民主主義は共通の事実がなければ成り立たない。その事実をなかったことにするという根本破壊。
9月8日閉会中審査で、国葬実施の理由として挙げられた点についてはどうか。@「歴代最長の政権をになった」は、長ければいいというわけではない。A「多くの業績を残した」は、多くの「負の」業績を残したのみ。B「諸外国が弔意を示している」は、外交上の儀礼として当然のこと。C「国として民主主義を守る姿勢を示す」は、上記より「民主主義を守る」こととは無関係だ。いずれも理由にならない。岸田首相は、今こそ「決断と実行」をして国葬をやめるべきだ。
国葬の問題点
@法的根拠がない―政府は、内閣府設置法にもとづいて実施することが可能と言う。同法第4条第3項にある「国の儀式並びに内閣の行う儀式」という言葉を根拠にしているが、「前条第2項の任務を達成するため」と規定されているので、3条2項の「皇室、栄典・・・に関する事務」のことである。皇室の儀式でいうと、大喪の礼、即位の礼が法律上規定されていて、しかも別に皇室典範という法律的根拠があるからやれる。ここに挙げられてない事項について国や内閣の儀式として説明するのは問題だ。
以前は国葬令というものがあった。1947年に失効。日本国憲法が成立した後に、国葬令は民主主義に合わないということで廃止された。従って根拠法令はない。吉田茂元首相が国葬としておこなわれた際にも「法治主義に反する」と指摘されていた。
A国葬の費用を予備費から支出―予備費は国会の統制が及びにくい財政処理。「国会の議決で予算は執行可能」が大原則。法的根拠がないこと・予備費支出、いずれも国会のコントロールをまぬがれるやり方であり、民主主義の観点から大きな問題だ。葬儀の金額は、吉田茂の時で1804万円(今の価値では7692万円)、今回16億6千万円。過去の葬儀と比較しても今回は突出している。
国葬に反対する理由
@内心の強制・動員
松野官房長官は強制ではないという説明を繰り返している。政府が強制ではないと言いながら、現場に下りていくと強制性が強まる事例が過去に多くある。日の丸・君が代問題。国旗国歌法を制定する時は、政府は強制性はないと言っておきながら、文科省や教育委員会を通して下に下りてくると、反対する教師を処分している。新型コロナ対策についても、あくまでも要請であるといっておきながら、現場におりていったら「自粛警察」などによって結局は強制力をもつものになっている。
Aさらなる「分断」
岸田首相は、国葬をおこなうことで国民統合を狙った。それを通じて自らに対する支持率を上げようとした。ところがむしろ分断が深まるのではないか。それは安倍本人が分断をもたらしてきたからだ。国会でのヤジや不誠実な答弁を繰り返した。「募ってるが募集していない」とはどういうことか。「外交の安倍」と言われるが、何の成果も上げなかった外交戦略ではなかったのか。拉致被害者問題、北方領土の問題。4島返還がもともとの主張だったのに、2島返還に後退しそれもうまくいかなかった。
B旧統一教会との密接な繋がり
統一教会は、その宗教活動、信者の勧誘や募金活動が違法であるという判決が出ている。選挙活動に関わっていたが、これも信者が繰り返し公職選挙法違反の行為をやっていた。非常に大きな問題のある団体だ。それを知りながら、教団の活動を利用してきたのが安倍元首相。そういう問題を解決しないままで、国葬をおこなうことは許されない。
9・27 国会前闘争
万余の人々が包囲
9月27日午後2時、安倍国葬と同時刻に国会周辺で国葬反対の抗議行動がおこなわれ、平日の昼にもかかわらず15000人が集まった。(写真下)
主催者あいさつの後、社民党の福島みずほさん、立憲民主党の近藤昭一さん、共産党の志位和夫さん、れいわ新選組の櫛渕万里さんら国会議員によるあいさつがあり、〈沖縄の風〉伊波洋一さんからはアピールが寄せられた。
続いて法政大学前総長の田中優子さんが「日本国憲法は、民主主義と人権は不断の努力なしには実現できないと言っています。国葬は大日本帝国の遺物です。国葬は国会の軽視で、国民無視です。これからも、民主主義がどのように破壊されるのか、その兆候を見つけて闘い続けなければなりません」と訴えた。さらに、劇作家の坂手洋二さんが発言。
カンパアピールの後、小室等さんとこむろゆいさんの演奏がおこなわれた。
文筆家の栗田隆子さん、在日ビルマ市民労働組合のミン・スイさん、〈日本軍「慰安婦」問題解決全国行動〉共同代表の梁澄子さん、念仏者九条の会事務局長・小武正教さん、高千穂大学の五野井郁夫さんらがアピールした。ミンさんは「岸田首相は言いました。『安倍元首相は暴力で命を落とした』と。ではなぜ2300人の民衆を殺した軍事政権を(国葬に)参列させるんですか。私たちは絶対に許せません。私たちは外務省に何度も軍事政権代表を参列させないようにと要請しました。でもだめでした。だからここにきて反対している皆さんと本当の民主主義を取り戻すために一緒に闘います」と熱烈に訴えた。
最後に、行動提起を受け、日本武道館に向けて抗議のシュプレヒコールを上げた。
国葬への国軍参加認めるな
在日ミャンマー人が各地で抗議
神戸の行動(9月26日) |
岸田政権はミャンマーのクーデターを認めないといいながら、ミャンマー国軍に安倍国葬への招待状を出した。この岸田政権の二枚舌に在日ミャンマー人たちは激しく抗議している。
2021年2月のクーデターにより、勤務していた民主派政府の職員はミャンマー大使館から追い出され、その後、国軍から派遣された職員が同大使館を占拠している状態が今も続いている。
日本政府はクーデターから半年経過した2021年8月、国軍派遣の職員に外交官資格のビザを発給し、この職員が今、「ミャンマー大使」を一方的に名乗っている。当初、国葬に参加するため、ミャンマーから国軍の代表が来日するといわれていたが、駐日「ミャンマー大使」が参加するという形にトーンダウンした。しかし、許せるものではない。
東京
外務省前では9月26日、「国葬に国軍の駐日大使を参列させることは、人々を殺し続けている国軍を承認することと同義であり、断じて認めることはできない」と、国軍との関係や支援を即時停止することを求める要望書を外務省に手渡した。
神戸
神戸では同日午後6時半から三宮センター街東口で在日ミャンマー人たちが抗議行動に立ち上がった。道行く人も立ち止まり、一時は50人近くに。
在日ミャンマー人たちは、駐日「ミャンマー大使」の国葬への参加について「私たちはとても悲しい。日本政府にミャンマー国軍を認めないよう要請してきましたが、日本政府はまったく聞こうとしていません。こういう日本政府のあり方は国軍を認めることになります。とても恐ろしい行為です。国軍を認める行為は直ちにやめてほしい」と訴えた。
さらに「ミャンマー国民を殺し続けている国軍を絶対許せません。闘い続けます。いっしょに闘ってくれるようにお願いします」「私たちは民主化を求める若者たちです。私たちは闘い続けます。ミャンマーの人たちに希望を与えてください」「私たちは毎日の生活をちゃんと生きたいのです」「ふつうの生活を取り戻したいのです」と訴えた。
最後に、日本政府に2つの要求を出した。1つは、駐日「ミャンマー大使」が参列してもそれはただの参列であって国軍を正式に認めることではないと発表してもらいたい。2つめは、国軍への資金援助をただちにやめること。「国軍に資金が渡ったら武器になり、ミャンマーの若者が殺されます。それを考えたらとても恐ろしい。国軍への資金を止めてほしい」と訴えた。
言葉ではなく行動を
ミャンマーの現状をもっと知っていくことが必要だ。ミャンマー現地では国軍を打倒する民衆の蜂起が次第に迫ってきている。勝つための財政援助と、年間1900億円といわれる国軍へのODA資金援助をただちに止めさせるために岸田政権批判を強めていこう。(三船二郎)
4面
TYK高槻生コン闘争
工場の暴力的解体許さない
9月30日、大阪府高槻市内で「大阪広域生コン協組による関生支部つぶし粉砕! TYK高槻生コン闘争勝利集会」に167人が結集し(写真左)、高槻市役所までの戦闘的なデモをおこなった。
TYK高槻生コン闘争とは
2018年7月からの関生に対する弾圧で約90人の組合員らが逮捕されたが、労使関係のある多くが大阪広域協になびいていったといわれている。しかし、その激しい攻防の中でもTYK高槻生コン(以下、高槻生コン)は残った。高槻市成合にある高槻生コンは、資本を含めて関生支部が再建してきた会社で、生コン業界の人たちは高槻生コン=関生支部という認識をもっており、関生支部の牙城ともいえる。
しかし、今、ここに激しい組合つぶしがかけられている。高槻生コンの門田盛男代表取締役は組合推薦で就任した「やとわれ」社長である。しかし、その門田社長は6月21日、敵側の大阪広域協組の大山正芳副理事長(京南生コンの経営者)に土地を動産付きでわずか1千万円という信じがたい安値で売却したのだ。大阪広域協組の大山副理事長は7月、突然、高槻生コンに来て「高槻生コンの土地を買った。これはわしのもんやから全部つぶす」といって一気に解体工事を開始した。
メチャクチャな解体工事
解体工事の気配を感じた分会員は24時間体制で組合事務所に泊まり込んで監視を続けていた。大阪広域協組の大山副理事長が最初にやったことは泊まり込んでいる組合事務所の電気の切断だった。
電気を切断したため、解体工事はきわめて困難になった。プラント内にある大量のセメントはプラントの動力を使って少しずつ下におろしていくのだが、組合つぶしが目的なので周囲への環境汚染などお構いなしに上からセメントをバサッと落とし、下にいる重機のバケットで受けるという荒っぽい工事がおこなわれた。落とされたセメントは粉塵を高くあげ、降り積もったセメントは野ざらしとなり、雨で強アルカリの汚染水が敷地外の府道に流出することがおきた。カビキラーやハイターはph13だが、流出した汚染水はそれよりも10倍も高いph14にもなっていたのだ。
また、セメントに使う砂にどれだけの水分を含んでいるのかを検出する骨材表面水量計が設置されていたが、これはカリフォルニウム252という放射性同位元素を使うため原子力規制委員会に設置・解体を届けなければならないものなのだ。しかし、組合つぶし優先で、勝手に解体・搬出・紛失したことが強く疑われる事態にもなっている。
かならず勝利する
今、分会員は会社から整理解雇されている状況である。整理解雇が成立するには4要件を満たさなければならない。4要件とは「人員整理の必要性」や「解雇回避努力義務の履行」や「手続きの妥当性」等々である。高槻生コンは昨年10月から大阪広域協によって生コンの出荷を止められている。大阪広域協組による意図的な会社つぶしである。また、組合や分会には一切報告もない。こういう状況で「整理解雇の4要件」は1つたりとも満たすはずがない。
湯川裕司関生支部委員長は「絶対勝ちます」と声を大きくして訴えた。会場からは大きな拍手がわいた。分会長は「組合名義の組合事務所が残っている。話し合いもせず、工場を暴力的に解体し、私たちの職場を奪いとるやり方を絶対許しません。分会員全員、経営再開にむけて職場を守るために一致団結して闘っていきます」と決意表明した。参加していた全分会員が「完全勝利して分会メンバー全員で職場復帰したい」と一人一人が決意を述べた。
投稿 「国葬反対」奈良集会が高揚
山辺健一
9月27日、JR奈良駅前で安倍の国葬に反対する集会が開かれ、参加した。(写真上)
前段の集会では、弁護士から国葬を定める法律もないのに国葬を実施することは憲法違反と説明され納得した。また別の発言者から、物価高で国民が苦しんでいる時に何億も何十億もの税金をつぎ込んで国葬をすることの犯罪性が示された。
次に、本集会場に移動。集会参加者は200人くらいで、前段の集会よりも増え、国葬の憲法違反性が述べられた。とりわけ強く言われたのが、安倍の生存中の悪行だ。日本を戦争のできる国家にしようと秘密保護法を作り、国を私物化した「モリ・カケ・サクラ」についても糾弾された。
駅から市内に行く人と、市内から駅へ向かう人が交差し、集会には賛同の意のサインをする人も。6割が国葬に反対という報道もあるように国民の大半が反対なのである。
集会の第1部が終わりデモに出発し、奈良市内の一区画を一周し、JR奈良駅にもどってきた。三条通で、右翼らしきひとりの男性がデモ隊に罵声を投げて、すぐ逃げるように車で去っていった。
第2部は「国葬ぶっ飛ばせコンサート」。フォークシンガーの中川五郎さんが弾き語りをおこない、三線奏者の牧志徳さんが琉球民謡を演奏した。
楽しさも加えての抗議集会となった。3時頃から雨が降りはじめた。三線演奏の頃には雨も強くなったが、傘を持っていない人は近くの屋根の下に移って、ともに雨にも負けず集会を貫徹した。
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放射線被ばくの加害責任と賠償を求める2つの裁判
高橋裕子
311子ども甲状腺がん裁判
甲状腺がんと放射線被ばくとの因果関係を認めさせ、健康被害の補償を
9月7日、東京地裁で第2回口頭弁論がひらかれた。この裁判は事故当時、福島県内に居住し、現在、福島県と首都圏に在住の男女6人(当時6才〜16才)が、事故に伴う放射線被ばくにより甲状腺がんを発症したとして、東京電力に損害賠償を求めて提訴したもの。
病状は、片葉摘出、再発で全摘し、生涯に渡るホルモン薬の服用。アイソトープ治療、リンパ節、肺に転移した方もいる。
法廷では、原告で最年少、高校3年生の女性が、13才で甲状腺がんが見つかった後、2回の手術とアイソトープ治療の苦しい体験、闘病によって将来への夢すら持てない不安な思いを精一杯訴えた。
今回、昨年夏に甲状腺がんの診断を受け片葉切除の手術を受けた女性(当時小6、現在20代)が追加提訴し7人で原告団が結成された。「ただちに影響はない」と放射線防護がなおざりにされた結果、当時18歳以下の子どもがすでに300人発病しているのに、国・県は因果関係を認めず、東電も加害責任なしと居直っている。
弁護団は因果関係を立証すべく、7人全員の意見陳述と大法廷での審理を求めているが裁判長は「原告本人の話を聞いても同じ。大法廷は考えていない。」と言い放ち、一般傍聴席25人の法廷(第1回226人、第2回157人の傍聴希望者)に固執し、意見陳述も(次回11月9日まで)3人で打ち切るとしている。
原告団長ちひろさんは「とても悲しく悔しいです。私は意見陳述する機会がありません(7人の最後に陳述予定)」と裁判所への署名活動を訴えている。
子ども脱被ばく裁判
分離勝ち取り、証人の採用・尋問を
9月12日、仙台高裁・第4回口頭弁論で「子ども人権裁判」(安全な場所での教育を求める原告の子どもたちが来年3月中学校卒業で原告資格消失)と「親子裁判」(国・自治体の被ばく防護の無施策で無用の被ばくを強いられたことへの加害責任と補償)との分離要求が認められた。
「子ども人権裁判」は判決が、来年2月1日に。「親子裁判」の方も5人の証人採用が次回11月14日に決定。
裁判の最大の危機に対して、支える会西日本を中心に全力あげた2回の集会開催(7月24日、8月31日)と石栗裁判長宛の分離要求「はがき大作戦」の大きな成果だ。
原告(Oさん女性)の意見陳述は、事故当時の不安な状況から、行政・国の対応(情報隠し・ヨウ素剤未配布・放射線防護の国民への丸投げ等々)の暴露と弾劾、司法の裏切り(事実判断を逃げた地裁判決)など、具体的な告発で裁判の核心を突き法廷を圧倒した。
11年経っても、行政の施策の決定経過、根拠は検証どころか明らかにすらされていない。5人の証人は当時の放射線情報や防護に関わる行政の責任者。中でも内堀雅雄福島県知事(当時副知事で原発の責任者、オフサイトに詰めていた)はそのトップで、法廷の尋問で当時の「事実・真実」を暴き出すことは不可欠だ。開廷前には、仙台市内のアピールデモと裁判所を取り巻くプラカード包囲、署名提出行動。閉廷後は報告集会と60数人で1日行動が闘われた。
可視化された「内部被ばく」との闘い
11年を経て、原発事故での放射線被害はなかったかのように覆い隠され、県民内部の分断で被害を声にすることも困難な現実が強いられている。
2つの裁判は子どもへの無用な被ばくが強制された事実とその結果として、小児甲状腺がんに罹患した若者の存在を可視化した(両裁判HPで、弁論や意見陳述、集会報告など動画を含めて公開)。原告を支え、「内部被ばく」を明らかにして「黒い雨」訴訟に続く闘いを実現しよう。
5面
ウクライナ戦争テーゼへの意見
ウクライナ反戦闘争推進のため、本紙347号に「ウクライナ戦争テーゼ〜ウクライナ侵略戦争と共産主義者の立場」が発表された。本紙はそれに沿い9月末からの東南部4州併合のための住民投票を「典型的な侵略」として弾劾している。他方、この戦争に対してはわが派内外でも様々な意見があり、テーゼは「戦争を止める実践と理論的進化が問われ」るとし、テーゼを「そのための叩き台」としている。いくつかの意見が寄せられているので掲載する。本紙編集委員会
レーニン『民族自決権』論の虚実
高見元博
問題意識
この文章は、『未来』編集委員会からの「レーニンとスターリンを同一視するのか」という問いに答えるためにまとめたもので、レーニンの「民族自決権」論の検討の全体系はローザ・ルクセンブルクと、レーニン・ローザ論争をもう少し調べてからまとめるつもりだ。
僕の最初の問題意識は、レーニンの「民族自決権」論は、ローザ・ルクセンブルクの「民族自治論」とどこで対立したのか、ということだった。調べるうちに、レーニンの「民族自決権」論の権謀術数ぶりを知り、先にその点を調べることにした。レーニンの論文としては『社会主義革命と民族自決権(テーゼ)』(1916)を対象とした。関連で他にもあたっている。また、歴史的事実関係については百科事典によっているので、多少の誤りがあるかもしれない。
レーニンの非道
ソ連崩壊によってレーニンが隠蔽した秘密文書が公開された結果、レーニン自身が数十万人の革命家や農民を殺害する秘密指令を出していたことが明らかになった。その秘密指令は写しも取ってはならないなど徹底していた。
レーニンの「民族自決権」論は実践的には、スルタンガリエフらに民族独立を援助させてから、民族主義者たちを粛清して社会主義ソ連邦を建設した過程だった。この戦術がうまくいかなかったポーランドやウクライナもある。ポーランドでは先にソビエトと戦争を始めたのはポーランドだったが、赤軍は首都まで攻め込み、フランスに援助されたポーランド社会党の軍隊に敗北した。ウクライナでは赤軍がウクライナ中央ラーダ(評議会)政府を殲滅して社会主義国家を打ちたてた。複雑な内戦のなかで、共闘して1921年に反革命・白軍を打ち破った地元のマフノ軍(アナーキスト)を、反革命軍を殲滅したあとで子どもまで皆殺ししたことはよく知られている。
僕が調べようとしているのは、これらのレーニンの非道がレーニン主義の理論のなかでどう位置づけられているのか、ということだった。
歴史的事実
ソビエト連邦建国は1922年。さまざまな共和国の連合体であるが中央集権制国家として作られた。レーニンは当時のロシアの人口の57%は被抑圧民族だと言っている。ボリシェヴィキの民族独立革命家として有名なのがタタール人であるスルタンガリエフだ。1917年にロシア革命に加わり、スターリンに抜擢されてムスリム出身者としては党内最高位についた。「イスラム教は反帝国主義になりうる」という立場で、タタール共和国、バシキール共和国、トルキスタン共和国の設立にかかわった。1923年「反ソ活動」を理由に逮捕されて失脚。1940年にスターリンに粛清された。
タタール人はヴォルガ・タタール人とクリミア・タタール人に分かれるが、合わせて550万人であり、ロシア人に次ぐ多数派民族だ。クリミア・タタール人は1917年にクリミア人民共和国を設立、1921年にソビエト政権はこれを解散し、クリミア自治ソビエト社会主義共和国を樹立した。1944年にスターリンによって強制移住を強いられ、その過程で7〜9万人が死亡した。
アルメニア第一共和国は1918年に民族主義的社会主義政党によって樹立。20年に赤軍によって滅ぼされた。アゼルバイジャン民主共和国は1918年、イスラム教世界初の共和国として設立。20年赤軍に滅ぼされた。ロシア共産党は1922年にアゼルバイジャン、グルジア、アルメニアを統一してザカフカース社会主義連邦ソビエト共和国を成立させた。
ベラルーシ人民共和国は1918年のブレスト・リトフスク条約によって独立、1919年に赤軍によって滅んだ。
トルクメニスタンは1924年、カザフやキルギスは1936年に、モルダビアは1940年にソ連に加盟している。
これらの国々ではボリシェヴィキの思惑通りに進んだが、ポーランドではポーランド社会党の軍隊に敗北。ウクライナでは6派の入り乱れた内戦を勝ち抜いた赤軍によって、ロシアに取り込んだ。1922年には共産化への抵抗を理由にした人工的な飢餓があり、スターリン体制下の1933年には有名なホロドモールで人為的に数百万人が餓死させられた。
レーニンの理論
それでは、このようなレーニンの実際の行為は、彼の路線方針とは無関係におこなわれたのか。テーゼをもとに考える。
「隷属させられた諸民族を解放し、自由な同盟――ところで、分離の自由なしには、自由な同盟はごまかし文句に過ぎない――にもとづいてこれらの民族との関係を打ち立てることを、現在も、革命のあいだにも、革命勝利のあとでも、その全活動によって証明しないような社会主義諸党は、社会主義を裏切るものである。」「帝国主義のもとでの民族抑圧の強化は、社会民主党が民族の分離の自由のための――この基盤のうえでも発展する諸衝突を、大衆行動の、またブルジョアジーに対する革命的行動のきっかけとして強力に利用する条件となるのである。」「経済上の進歩の見地からしても、大衆の利益の見地からしても、大国家が有利なことは疑いなく、これらの利点はすべての資本主義の発展とともに増大する。」「社会主義の目的とするところは、小国家への人類の細分状態と諸民族のあらゆる分立をなくし、諸民族の接近をはかるばかりか、さらに諸民族を融合させることである。〜この目的を達成するためにこそ、われわれは〜、被抑圧民族の解放を要求しなければならない。人類は、すべての被抑圧民族の完全な解放、すなわち、それら民族の分離の自由の行われる過渡期を通じてはじめて、諸民族の不可避的融合に到達できる。」
これらから読み取れるのは、レーニンは、諸民族の独立運動は革命の役に立ち、独立後は、「諸民族の不可避的融合」にいたると思っていたようだ。しかし、実際はそれを「不可避」としたのは赤軍の軍事力だった。レーニンの約束は踏みにじられた。最初から被抑圧民族を罠にかけるつもりであったというのは、うがちすぎかもしれない。諸民族の融合という方向には進まないなかで、ドイツ革命の敗北によってロシア単独での社会主義ソビエト防衛が目的化された結果、ソ連邦の結成と拡大が必要になっていったのではないかと思える。最初からだますつもりならば『社会主義の大義を裏切る』と第一条に大書きする必要はなかっただろう。
ボリシェヴィキの孤立
ドイツとのブレスト・リトフスク条約(1918年)によって、ロシアはウクライナを失った。当時のウクライナはロシアにとって農業面でも工業面でも重要な位置にあり、これを失うことでロシアは飢餓に直面した。都市の飢餓を理由に農村へ徴発隊を派遣せねばならなくなったのには、穀倉であるウクライナを失ったことが大きかった。第一次大戦でのドイツ敗北後も、ウクライナで反革命軍を打ち破るのは1921年になってからだ。これまでに、ともにロシア革命を成し遂げた左翼エス・エルとの間の共闘は破綻していた。
当時のロシアでは農民が人口の8割を占めていたが、彼ら彼女らが主に支持していたのは左翼エス・エルだった。プロレタリア独裁の主体たる工場労働者はごく少数派だった。左翼エス・エルを欠いたソビエト政権は農民からの支持を失い、ボリシェヴィキ以外の社会主義者、アナーキストの支持も失って、ボリシェヴィキは孤立した。レーニンはむき出しの暴力的独裁で、数十万人の自国民を殺し、精神病院や収容所に送った。農民に対しては毒ガスも使われた。この間に、秘密警察が29万人に膨れ上がったのは、その任務とした範囲の広さ、大きさを物語っている。ロシア国内のこの自国民殺害と、国外での民族自決権の粉砕とは一体だったのだろう。追い詰められ、せっぱつまって、きれいごとは言っておられなくなっていた、という事情を推察することはできる。
僕が問われた「レーニンはスターリンと一緒か」については目的としたことの差異を言うことはできる。革命ロシア防衛によって世界革命を待ったレーニン、トロツキーと、一国で社会主義はできると強弁して、世界革命を絞殺するために数千万人の革命家や農民を殺したスターリン。この点が違うとは言っても、殺された革命家や農民にとっての差異はない。問われたことに関しては、「同じだが違う」ということになろう。
僕は俗に『マルクス=レーニン主義』と言われているものに反対している。それはスターリン主義者によってゆがめられた体系だからだ。僕はマルクス主義者のコミュニストだし、レーニンは正しいところも間違ったところもあると思っている。その同時代の革命家には学ぶところが多い。一方で、スターリンに学ぶところは一点もないし、革命の歴史を歪曲した罪は重い。「反帝国主義・反スターリン主義世界革命」戦略以外に今日的な資本主義・帝国主義の危機――それは地球ごと人類を滅ぼそうとしている――を打開する方法はないと確信している。
6面
「ウクライナ戦争テーゼ『ウクライナ侵略戦争と共産主義者の立場』」への意見
郷田剛
『未来』第347号の「ウクライナ戦争テーゼ『ウクライナ侵略戦争と共産主義者の立場』」を拝見しました。基本的視点として補充した方がいいと思うことがあるので、文章を送ります。
まず、今回の戦争がロシアによる一方的な侵略戦争であることは、明らかだと私も思います。その侵略戦争によってウクライナの市民や兵士の命が奪われ生活が破壊されていること、それは疑いのないことで、ロシア軍による虐殺もあった可能性は否定できません(「160万人のウクライナ人拉致」の数字は疑問に感じますが)。したがって、ロシアは侵略戦争をやめて、即時撤退するべきと思います。
ロシアが抑圧民族でありウクライナが被抑圧民族であることも、19世紀まで歴史をさかのぼればそのようにとらえることはできるわけで、その長い歴史の中で、ウクライナの人々がロシアに対して強い民族意識をもっているとすることは頷けます。日本が朝鮮に対しておこなった植民地支配に対して、日本国家・民族としてその歴史を清算する義務があるのと同じように、今のロシア政府にも歴史の責任があります。仮にウクライナ国内でのロシア系住民への迫害があったとしても、そのことを理由に軍事侵攻が認められるわけがありません。その意味で、ロシアの抑圧民族としての立場を問題にしてこの戦争を批判することは正しいと、私も思います。
一方で、このテーゼを読んで疑問に思うのは、ウクライナ国内の諸問題が一切取り上げられていないことです。「ウクライナ人民の自決権を支持する」「(ウクライナ人民の)ロシアの侵略と闘うその主体性を尊重する」とありますが、その「ウクライナ人民」というのは、具体的にどのような人々をさすのでしょうか。ウクライナの中には、ロシアへの反発を持つ人がいる一方で、ロシアに親近感を持ってロシアとの協調を求める市民もいます。9月20日現在のウクライナから隣国7カ国への避難民1374万人のうち2割近い269万人はロシアへ避難しています(国連難民高等弁務官事務所UNHCR調べ)。
他方で、「ウクライナ人のためのウクライナ」「ウクライナに栄光あれ」「ロシア人を削減せよ」「共産主義者を絞首刑に」と叫ぶ極右勢力が存在し、ロシア系住民への虐殺事件も起きるなど、民族意識を背景にしたヘイトで住民が分断されてしまっています。さらには戦争への対し方もさまざまです。積極的に武器を取って戦場に赴く人もいれば、戦闘そのものを拒否あるいは忌避する人々もいます。このような分断状況の中で、「人民の主体性」というのは、具体的にどのようなこととしてとらえられているのでしょうか。
さらには、戒厳令・国民総動員令を敷いて国内で戦争政策を遂行するゼレンスキー政権への評価が見られません。18〜60歳の男性の出国が禁止され、市民の移動や表現の自由が規制されています。議会第2党を含む11の政党が活動禁止になっています。ゼレンスキー大統領は、「分裂をめざす政治家のいかなる活動も成功しない」と親ロシアの立場の政治活動を禁圧し、戦争を拒否する非戦派の市民には「故郷を守ろうとしない」と非難を浴びせています。
「ウクライナ人民」というのは誰なのかという問題とともに、「ウクライナ人民の自決権」というのが、このような政治状況のウクライナにあるのかということなのです。実態は、ゼレンスキー政権による強権支配による戦争であり、このテーゼの第W章の表題「ウクライナ人民の政治形態、戦争形態の選択を無条件に支持する」というのは、現状ではほとんど意味を持たないと思います。
いうまでもないことですが、それはプーチン政権のもとのロシアも同じことです。両国とも、国家による戦争に兵士・市民・労働者が動員されて殺し合いをさせられている構図です。戦争を止めてこれ以上の犠牲者を出させないようにするためには、このような「強権国家間の戦争」という構図を打破することが必要です。スローガン的にならべるなら、
・ロシアは侵略戦争をやめて、ウクライナから撤退しろ
・プーチン政権もゼレンスキー政権もNO
・プーチン政権もゼレンスキー政権も、労働者・市民を戦場に送るな
・ロシアとウクライナの兵士・市民・労働者は、国家間の戦争で死ぬな殺すな
ではないかと思います。その基本姿勢をとることで、「ウクライナ人民の政治形態、戦争形態の選択を無条件に支持する」というテーゼが視野に入ってくるのだと思います。(一部略)
反戦運動の現場で振られるべきなのは、赤旗もしくは黒旗であるべきでしょう。「ロシア国対ウクライナ国」という国家対立の枠組みではなく、国境を越えた労働者・市民・兵士の連帯で戦争を止めるという基本的立場を再構築するべきと思います。
ゴルバチョフとプーチン
ロシアの大衆の考え方をどうとらえるか(上)
田中和夫
1 ゴルバチョフ、エリティンに対する評価
ゴルビーの葬儀の関連で、ロシア国内では彼は散々な評価がされているということが、ようやく伝えられてきた。西側諸国では偉大な功績、ソ連を牢獄から救い出した自由と民主主義をもたらした偉人、と評価する。しかし、ロシア国内では真逆の評価である。ソ連を崩壊させてしまった、西側にロシアの資産を売り渡してしまった裏切り者、等々。そして大半のロシア人は、ペレストロイカの時代は地獄だったと回想している。もちろん、現在においても少数のロシア人はゴルビーを讃えている。彼らは「プーチンは自由と民主主義を蔑ろにしている」と非難する。彼らがロシアのウクライナ侵攻に批判的な人々である。
2 人種や民族に関する偏見調査
『ラディカル・ヒストリー』(山内昌之著)の中で、1988年にソ連でおこなわれた珍しい世論調査に関する記述がある。
人種や民族に関する偏見調査によれば、黒人やユダヤ人に次いでアラブ人や中央アジア住民などムスリムへの偏見が目立っている民族に対するイメージでは、中央アジアのムスリム諸民族に対して黒人と同じく「怠け者」「愚か」というマイナスの評価が与えられている。本書293ページの表を引用する。
「次の人々に対して、あなたはどのようなイメージを抱きますか?」
3 「民主派」とは何か
今、ロシアでは「民主派」なる人々がプーチンの政策に反対している。ロシア全体で多くはないが一定数は存在している。しかし、彼等の多くは西欧を理想の社会と捉え(ゴルビーもそうだった。実は意外だが、レーニンもそうだったと言われている。)右の世論調査で見るところの、黒人、アラブ人、ムスリム等々に対して嫌悪感を持ち差別意識を持つ人々と重なる。ウクライナ支援で一生懸命の現在の朝日新聞でさえ、「民主派」の人々がムスリム等々への嫌悪感を隠さない点を否定できない。プーチンを強権的と非難するが、「欧米の植民地主義こそが転覆されるべき」とするプーチンの主張に正面から反論することはできない。
日本を含む西側メディアは、プーチンのマスコミ支配が強固で報道の自由がないため、ロシア国民は真実を知らされないのでプーチンの支持率が高い。ロシア人も本当のことを知るようになればプーチンへの支持は失われる、と主張する。しかし、そうとはいえない。ペレストロイカに対するロシア国内の否定的意見が圧倒する状況は、すなわちプーチンへの支持につながっている。つまりプーチンのいう「西側世界は過去300年500年、欧州以外で好き勝手をしてきた。(ロシア帝国も植民地拡大を重ねて大きくなった点はあるが)それは、世界の民衆にとって、とんでもない災難をもたらした。そんな時代は終わらせなければならない。欺瞞的な『自由と民主主義』を終わらさなければならない」という主張で、ロシアの民衆の支持を獲得してきた。そして今、その主張は、ロシア国内だけではなく、アフリカ、中東、アジア、南米等々で広く支持されてきている(バイデンがサウジに原油増産を頼み込みに出かけたが、今までは顎で使ってきたサウジからさえ相手にされなかった)。
かつてのブレジネフも、「西側の植民地主義批判」を展開し国連? とかで物議をかましたと言われる。(なおブレジネフはウクライナ人であったと考えられる。ロシアは抑圧民族で、ウクライナは被抑圧民族であった、とする見解が見られるが、ブレジネフに限らずソ連においてウクライナ人は政権の要職に少なからず就いており、チェチェン人などとは明らかに異なっている。(チェチェン人はロシア人社会では「蛮族」と見なされており、ソ連では全く疎外されてきた)
確かに、スターリン主義は抑圧的体制であったことは否定しがたい。ロシア国内の少数民族を抑圧してきた。欧米はソ連を専制主義という。しかし、同時にスターリン主義者は欧米の植民地主義の批判者でもあった。スターリン主義ロシアや中国を専制主義国家と言い、欧米社会を「自由と民主主義を尊重する価値観」という主張は、とんでもないイカサマである。欧米植民地主義=白人至上主義は、スターリン主義以上にアジア、アフリカ、中東、中南米において、殺戮、収奪を繰り返してきた。とりわけ、北米、オーストラリア、ニュージーランドでは先住民をほぼ皆殺しにした上に白人国家を築いてきた。(つづく)
7面
「旧法=違憲」も賠償認めず
強制不妊手術裁判 大阪地裁不当判決
木々繁
大阪地裁にむかって入廷行進(9月22日) |
優生保護法は私の人生をすべて奪った
9月22日に判決を受けた大阪地裁第3次提訴(*)の原告は大阪府の加山とおるさんとまいさん夫妻(いずれも仮名、70代)である。お二人とも、両耳が聞こえないなど聴覚障害2級の認定。
まいさんは福井県で生まれ、生後50日で高熱のため聴力を失った。20代だった1974年、生まれつき耳が不自由だったとおるさんと結婚、同県の病院で長男を出産したが、3日後、何の説明もないまま不妊手術を受けさせられた。親族からは「障がいがあるのに子どもを産んでどうするのか」と言われ、母親も周りに「これ以上産んでもらっては困る」などとと言っていたという。おそらく手術に必要な保護者同意をしたと思われる。子どもがたくさんいる家庭を見るたび、産めなくされたことのつらさや怒りがどうしても抑えられなかったという。
まいさんは今年6月、法廷に立ち、手話で訴えた。「息子は耳が聞こえる。障がいは関係ない。子を産めるか産めないかは国が決めることではない」「不良な子孫の出生を防止する」という旧優生保護法(以下、旧法。1948〜96年)とそれに基づく強制不妊の国家犯罪に対する渾身の糾弾だった。
(*)第1次提訴:空ひばりさん(仮名)、 第2次提訴:野村花子さん太朗さん夫妻(仮名)・・・3人の原告は、今年2・22大阪高裁判決で勝訴した。
2月大阪、3月東京の両高裁判決から大後退、除斥期間適用に時代逆行的に先祖返り
大阪地裁(横田典子裁判長)は、旧法下で不妊手術を強いられたのは憲法違反として、加山さん夫妻が国に計2200万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、旧法を「非人道的かつ強力な手段を許容し、合理性を欠く」と断じ、憲法13条(個人の尊厳の尊重)、14条(法の下での平等)に違反すると判断、また立法をした国会には少なくとも過失があったとして、国の賠償責任を認めた。その上で、不法行為(=強制不妊手術)から20年で賠償請求権が消滅する「除斥期間」については、起算点を手術を受けた1974年としたが、原告が社会的な差別・偏見を背景に提訴に関する相談などが困難だった事情があったと認定し、除斥期間をそのまま適用するのは「著しく正義・公平の理念に反する」と述べた。そして、賠償請求の提訴など法的な権利の行使が困難な事情がある場合、その困難が解消されてから6カ月間、時効を停止するとの民法の規定を準用するとした。
ここまでは2月の大阪高裁判決を踏襲する判断だったが、ここから裁判長は実に根拠薄弱な見解を述べ、次のような理由で、請求を棄却した。
18年1月に佐藤由美さん(仮名)によって仙台地裁で同種訴訟が初めて起こされて以降は法的措置をめぐる事情が変化して、被害者が訴訟に必要な情報や相談機会にアクセスできる状態になり、訴訟提起をめぐる困難は解消されたのだと言うのである。そして、困難が解消されたにもかかわらず、夫妻が18年1月から「6カ月」以内に提訴しなかったために「除斥期間」が過ぎ、賠償請求権が消滅したと宣告し、請求を棄却したのである。
対照的に、東京高裁は今年3月、「除斥適用は正義・公平に反する」と断じた上で、
上記した「6カ月」の停止期間を適用するのは「参考とするべき法律上の規定がない」から相当ではない」と判断し、被害者に対する「一時金支給法」が請求期間を施行日の2019年4月24日から5年間とした点に着目し、24年4月24日までは賠償請求権が認められるとした。最高裁が除斥期間を適用しない例外を認めた判決は、予防接種禍訴訟(1998年)、塵肺症訴訟(2004年)、時効成立の殺人をめぐる訴訟(2009年)の3件だけだが、被害者側が賠償請求権を行使できない状況や原因を加害者側がつくり出すなど「著しく正義、公平の理念に反する特段の事情」があれば除斥期間の効果は生じないと判示した。
両高裁の判決は、こうした最高裁判例の趣旨に正しく立脚するものである。今次判決は、これらすべてをないがしろにした理不尽きわまるものだ。
その上で、判例や理念云々の前に夫妻が心身に受けた被害実態こそが何より重要だ。加山まいさんは不妊手術を何の説明もないまま強制されたのである。全人格と全人生を破壊されたというべき甚大な被害である。夫妻はまいさんの手術の前も後も半生涯、社会の根深い差別や偏見にさらされる中で心身の深い傷を背負って生きてこられたのである。
その中で、まいさん夫妻は仙台訴訟を知って以降、提訴のための懸命の努力をあらんかぎり尽くしたのである。
弁護団は次のように語る。手術された病院は既に廃院し、診療記録は残っていなかった。
まいさんは下腹部に残る4センチの手術痕をもとに不妊手術を証明する診断書を入手するため、ほぼ4カ月間も医療機関を10数カ所尋ね回った。10カ所以上に断られた末に、ようやく診断書を得た。初対面の医療関係者らとの手話通訳を介したやり取りになるため、事実関係の確認にも多大の労力と時間を要した。こうして、夫妻が提訴できたのは、ようやく2019年12月であった。手術から45年後、「6カ月」を半年オーバーしていた。上記したような夫妻の受けた被害実態と困難をみる時、どうして、18年1月の仙台地裁での提訴を知って間もないうちに提訴できたと言うのであろうか。
裁判官は「困難な事情」を口にはするが、それはどこまでも加山まいさんととおるさんという生身のリアルな〈個人〉に即して徹底的に具体的に考慮されなければならない。裁判長にはこの基本の〈き〉が致命的に欠落していると言わざるをえない。まいさんは判決後の記者会見で語った。「裁判所は私の体や心の痛みを考えてくれなかった。悔しいです」。「私」、すなわちかけがえのない・他のだれでもない加山まいさんという〈個人〉を措定しない裁判は、主観的にはどうあれ、結局、人間存在をもてあそぶ場に堕す他ないと言って決して過言ではない。
今次判決は、被害者救済を阻む新たな壁をつくり、原告に分断を持ち込んだ
裁判長は、仙台地裁の提訴を「除斥期間」の猶予の起算点とすることによって、これまでの計7地裁の「除斥期間」適用による請求棄却の常態化の上に、被害者救済をより困難にする新たな壁をつくったのである。
そればかりではない。第1と第2次提訴の原告は救済され、第3次提訴の原告は切り捨てられるというように、大阪訴訟の原告の間に、そして大阪と全国の原告との間に消しがたい分断を持ち込んだのである。まさに何重にも罪深い判決であると言わなければならない。
原告の不屈の闘いを大きく包む国賠訴訟運動の大衆的発展の力で、壁と分断を乗り越えて前進しよう。
原告、弁護団の声
▼加山まいさん「国は全然反省していない。一歩踏み出して、私たちが苦しんだことを理解してほしかった。裁判所は障がい者が抱える色々な障壁を理解せず、私たちの気持ちを聞いてくれなかった。控訴したい」
▼辻川圭乃弁護団長「原告個人の事情がいっさい考慮されていない。提訴までの様々な困難は簡単には解消されない。6カ月の経過で一律に判断され、憤りしか感じない」。「憲法に反する政策を推し進めた国が、6カ月間提訴できなかっただけで免責されるのは理解できず、不当な判決だ。(猶予期間が)6カ月であれ5年であれ、そもそも除斥の適用が間違いだ。司法府は正義・公平の理念にかなうかどうかで判断してほしい」。
▼大阪訴訟弁護団「司法は国の責任を認め、原告に損害賠償請求権があったとしながら、時間切れを理由に訴えを退けた。しかし、国の責任が免除されたわけではない。多くの被害者が高齢で亡くなっていくのを国はただ見ているだけでいいのか」。
不妊手術を強制された脳性まひのある西スミ子さん(75、東京都日野市)をはじめとした東京、宮城、愛知の1都2県に住む60〜70代の男女6人が9月26日、国に総額1億5870万円の損害賠償を求める訴訟を全国3地裁に一斉提訴した。
大阪・東京両高裁の勝利判決、地裁で計5度、高裁で2度と積み上がる違憲判決を踏み固め、原告、被害者の不屈の自己解放的闘いに学び、連帯し、国は謝罪と補償を! 国賠訴訟運動の全面的勝利に向かってともに前進しよう。
優生保護法問題の全面解決をめざす10・25全国集会〜命に優劣はない! 優生思想を断ち切り、差別のない未来へ!(10月25日〔火〕12時半〜15時、日比谷野音)に全国から集まり、障がい者解放、優生思想とのたたかい、共生社会創成のあらたな発展の道を切りひらこう。
優生保護法問題の全面解決をめざす10・25全国集会
とき:10月25日(火)午後0時半〜3時
ところ:日比谷野音
共同開催:優生手術被害者・家族の会
全国優生保護法被害弁護団
優生保護法問題の全面解決をめざす全国連絡会(優生連)
8面
ジェンダーの視点から安倍政治を斬る@
安倍・山谷・統一教会が「ジェンダー」抹消に全力
石川由子
わたしたち女性解放委員会では今、安倍政治の検証を始めている。安倍政治は女性差別を利用して日本的家父長制=家制度の強化を図り、多くの攻撃の突破口としてきた。ジェンダーの視点から安倍政治を振り返ることは重要なたたかいの武器となるだろう。ちなみにジェンダーという語は「生物学的な性別(SEX)に対して、社会的・文化的に形成された性差」と訳されている。私はこれまでジェンダーという言葉を使用せず「女性差別」といってきたが、今回リベラル派フェミニストの人たちにとって、この言葉が攻防の中心となってきたようなのでこれからは「ジェンダー」という言葉を積極的に使いたいと思う。
今後、「ジェンダーフリー用語の攻防」「日本的家父長制=家制度」「日本軍『慰安婦』」「経済」の各分野において検証していきたい。
我が同盟においては女性解放戦線の個別諸課題への取り組みが極めて弱かったので、そもそも女性解放闘争史から学ばねばならなかった。今回は日本におけるフェミニズムの流れをざっくりとみていこう。
1975年は「国際女性年」として、国際連合によって女性の地位向上のための世界行動計画が採択され、以後「国連女性の10年」が取りくまれることになった。我が国においてはギリギリ10年後の1985年に男女雇用機会均等法が制定された。この法律は単なる理念法で、女性の地位向上に役に立つどころか労働基準法改悪とセットであったため、女性の非正規労働化を促進したのである。当時、国鉄民営化に対する闘いがたたかわれていた。まさに世界中で新自由主義の攻撃が激化する中で、女性の積極的「活用」が始まったのである。
その後日本では折からのバブルにあおられ、行政主導で各地に女性センターが建設された。女性の地位向上のための啓もう活動、グループを作って学習会活動等が盛んにおこなわれた。リベラル派の学者たちが先頭に立ち1995年、「ジェンダーフリー」の用語を提案、普及させようとした。主に学校における教育に使用していた。この用語は英語文法的におかしいわけではないそうだが英語圏では使われていなかった。むしろ普及させようとした人達が批判され、結局否定された概念だった。
1995年、第4回世界女性会議北京会議がおこなわれ、画期的な北京行動綱領が採択された。「女性の人権、貧困、健康、女性に対する暴力」等に取り組むことが盛り込まれている。
この会議の直後、沖縄少女暴行事件が起こり基地反対10万人県民集会となった。北京から帰ってきた感動冷めやらぬ女性たちが沖縄に到着し飛行機から降りたとたん、第一報として聞いたのがこの少女暴行事件であった。そのため、猛烈なエネルギーでこの県民集会をけん引したという。
行政主導で男女共同参画基本法が1999年、制定された。また2000年には女性国際戦犯法廷(民間法廷)が開かれ、日本軍「慰安婦」問題がテーマとなり、「人道に対する罪」で昭和天皇有罪が決定した。この頃「新しい歴史教科書をつくる会」が歴史を修正しようとうごめいていた。彼らの大宣伝にもかかわらずこの教科書はほとんど採択されず、彼らは新たなターゲットを狙っていた。そこで狙われたのが「男女共同参画」。まず「ジェンダーフリー」の用語である。この用語が諸外国では使われずむしろ否定されていることを逆手にとって、フェミニズムに対する大攻撃を開始した。これを「バックラッシュ」と呼んでいる。大きくは今もこの「バックラッシュ」の時代ではあるが、2002年ごろから2005年ごろまでが最も激しい攻防の時代だった。
自民党は2005年、「過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクトチーム」を立ち上げた。座長は安倍晋三幹事長代理(当時)。事務局長は山谷えり子参議院議員。これが教育への国の介入を促進する教育基本法改悪の突破口となった。(つづく)
宝島裁判
書面だけで結審 次回判決
9月16日大阪地裁
9月16日、大阪地裁で、『大阪ミナミの貧困女子』という「差別・偏見」本の絶版と謝罪を求める宝島社にたいする裁判の第5回口頭弁論が開かれた。
小川嘉基裁判長は、実質審理をして事実関係を明らかにすることもなく、書面だけのやりとりで、いきなり結審と言ってきた。仲岡しゅん弁護士や原告の村上薫さんが立ち上がって「異議あり」と抗議した。弁護士が「尋問を誰も採用しないのはなぜか」と聞くと、裁判長は「必要ない」と答え、「なぜ必要ないのか」と聞いても答えられず「総合的に判断した」と官僚用語で返答。そして和解協議を提案してきた。あまりのひどさに、傍聴席からも抗議の声が飛んだ。
異常な裁判
裁判後に報告集会があり、仲岡弁護士は裁判の経緯を説明した。「8月にこちらの書面を提出した。1つは、角田裕育(宝島社編集者)が、あの出版の際には問題を孕んでいたと書いている角田本人の投稿。2つめは村上さんの陳述書で、これから尋問されることをふまえて、しゃべる内容を書いた書面。
これに宝島社側から反論がきて、こちらも反論し応酬があった。普通一般的な尋問をやるわけだが、本件の場合、尋問に誰も採用しないのはおかしい。事実関係を争っている。村上さんが合意したのかしてないのか。誰が元ライターで、誰が名義だけなのか。その争いがある中で、誰からも話を聞かずに書面だけで終わってしまうのはおかしいし、異例だ」。
富ア正人弁護士は「今回の裁判は、私の知ってるなかでも特殊です。普通は尋問は本人くらいは聞くんです。それすらしないというのは異常。今の民事裁判は、書面のやり取りになっているのは事実ですが、それでもお互いの言い分は聞きましたという体裁はつくろおうとします。今回はそれさえしなかった」。
支援者からは、実質審理をしないことへの批判や「立ち上がった若い女性の声を無視する司法によるセクシャルハラスメントだ」などの意見があり、裁判所の横暴を許さず村上さんを支援し闘っていく決意を固めた。
次回、判決
11月18日、午後1時半、大阪地裁202号大法廷で判決が言いわたされる。
投稿
安倍政治のマリオネット
科学技術研究費助成事業裁判被告 杉田水脈は人間性を取り戻せ
結井達
10月7日大阪高等裁判所大法廷は雨にも関わらず傍聴席は87名で埋め尽くされた。
マリオネット杉田水脈。心身にくくりつけられた糸が見えるか。男性的日本国家理論の糸で操られ奇妙なダンスを踊っていることを自覚し絶ち切れ。
杉田よ。活動家や研究者達が「従軍慰安婦」強制連行と述べた瞬間に「反日左翼のプロパガンダだ」と爆弾を落としてくる。逆にお前の行為こそがプロパガンダだ。否、甘くて美味しい毒の実を食べたがゆえに心を売ってマリオネットになってしまったとしか思えない。持て囃されて心地良いか。しかし世界はお前の言動を見ながら「日本は愚かだ」と、冷笑しているだろう。
強制連行も「従軍慰安婦」さえも認めないよう操られているのだな。河野談話が政府公式見解としてあるではないか。司法判断も、除斥期間ゆえ損賠こそ認められなかったが、日本軍の彼女達への戦時性奴隷の加害を認めた判例もある。それらを一つ一つ検証した上でフェミニズム研究者達の渾身作論文に異を唱えるならいい。検証もせずに国家権力と言う大きな翼と嘴を得たお前が国会という場で印象操作で非力なフェミニスト達の論文を「結論ありき。科研費不正利用」と言ってしまうことが、どれだけ彼女達の研究職生命を脅かし心身をえぐるのかわからないのか?卑劣だ。お前を前に出し操るものは何者だ? フェミニスト達は史実をつぶさに追い求め見つけ出す。そこから後世に残したい世界レベルでの恒久平和、人権思想、平等共生のためのエッセンスを取り出す緻密な果てしない崇高な使命をこなしている。皆と手を取り合い生きたいから。彼女達のたゆまぬ努力を一瞬にして奪うな。杉田よ。誰かを蹴落とし己だけ光輝を放ったとしても上っ面だけだ。すぐに剥がれさびつき世界に後世にまで残る負の遺産となることは必至だ。
裁判官よ。司法機関としての自負をなくしてどうするか。国家に阿るな。結論ありき判決・国家への配慮思いやり判決を下した恥を知れ。何が怖い。何が欲しい。
フェミニズム研究者の方々へ。フェミニズム、ジェンダーを持ち出せば「ほざけ」「キャンキャン喚くな。やかましい」と批判もあっただろう。身を挺してまで研究し続けてきたフェミニズム研究者達に心からの敬意とエールを送りたい。
結井よ。ぶれて揺れた弱く脆く不甲斐ない己が今度こそは己の恥辱で顔を歪めない為に共に闘え。
男たちよ。裁判・報告会の男性参加者は一割にも満たなかった。これは、女の問題ではない。男達こそに与えられた試練なのだ。人間の真の解放の糸口をここで共に解き明かしていこう。来年2月2日大阪高等裁判所に結集しよう。
9面
連載
侵略と併合を合理化 21年7月12日付プーチン論文
「ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性について」C
西欧とロシアの対立のコマに
私は昔のことを思い出す。2014年だ。米国とEU諸国が、組織的かつ執拗に、ウクライナの対ロシア事業を縮小制限するよう働きかけていた。われわれにとって、最大の通商、経済のパートナーであるウクライナのことであるから、ウクライナ-ロシア-EUの構成で発生する問題に関しての会議をよびかけようとした。しかしそのたびに、ロシアはこの問題には何のかかわりもない、この件は、EUとウクライナ間の問題なのだと言われた。実際、西欧諸国は、対話への繰り返しの要請をはねつけていた。
徐々に、ウクライナは西欧とロシアのあいだの障壁に転換し、ロシアに対立する踏み台になるよう、危険な地政学的ゲームのただなかに、巻き込まれた。「ウクライナはロシアではない」という観念はもはや選択の問題ではないという時代が来たことを避けることはできない。「反ロシア」という観念は決して、われわれの受け入れられるものではない。
このプロジェクトの大立者たちは、ポーランド-オーストリア主義者たちがつくった 反モスクワ・ロシア」の今は昔の大作戦を基礎に置いている。これが、ウクライナ人民の利益になるなどとは、誰もだまされはしない。ポーランド-リトアニア連邦にとって、ウクライナ文化などには用はない。コサックの自治など言うにおよばず。オーストリア-ハンガリーでは、歴史的なロシア領は、無慈悲に奪われていたし、貧しいままだった。OUN-UPA(ウクライナ民族主義者組織―ウクライナ蜂起軍)からの協力者に幇助されたナチス(Nazis)にはウクライナは必要なかった。しかし、アーリア人支配者のための生存権と奴隷は必要だった。
2014年2月(注10)にウクライナの人々が考えた利益への関心もなかった。切迫した社会経済的問題、その時代の権力者たちの失策、右往左往などに起因する合法的な民衆の不満慨嘆は、安易な皮肉交じりの対応で、棄却された。ウクライナの国内問題に、西欧諸国は、直接介入し、クーデターを支持した。過激な民族主義者たちは、破城槌となった。彼らのスローガン、イデオロギー、耳障りな喧嘩調子のロシア恐怖症は、ウクライナに大きな広がりを持ち、国策の決定要因となってゆく。攻撃される限りにおいてすべては、われわれを結びつけ、ともに活動させる。初めにしてもっとも大切なことは、ロシア語である。「マイダン」の新政権は、国の言語政策上の法令を廃棄しようとした。そして、「権力の腐敗防止」に関する法律、教育に関する法律が制定され、現実に教育課程からロシア語を排除する法律、最後に、今年(2021)の5月初め、現在の大統領は、中央議会に「先住民族」に関する法案を示した。少数の民族を構成する人々のみ、ウクライナ以外に実際に自分の国を持たない人々を先住民族と認定する。
法案は、通過し、あらたな不一致の種がまかれた。そして、この国におこったことは、すでに記した通り、形成史の点から、領土・民族・言語の構成の点で非常に複雑である。
ウクライナの分離・独立が矛盾の原因
議論があるだろう。単一の大きな国、三位一体の国について語り合うとき、人々が自分自身がどうであるか?―ロシア人、ウクライナ人、ベラルーシ人のどれかは関係がない。
まったく同感である。ことに国籍の決定に関しては、とくに混血の家庭のような場合、各個人の自由な選択の権利に属する。
しかし、今日のウクライナの状況は、完全に異なる。強いられて替えられたアイデンティティ問題がある。もっとも卑劣なことは、ウクライナにいるロシア人は、ご先祖から伝えられた何世代ものルーツを拒むことを強いられるのみならず、ロシア人はウクライナ人の敵と信じ込まされる。以下のように言うのは、何ら誇張ではない。強いられた同一化の道程、純粋な民族的ウクライナ国の編制、ロシアに対する攻撃性、これらが結果として、ロシア人に対する大量破壊兵器の使用に匹敵しているということなのだ。そうした過酷にして、不自然なロシア人とウクライナ人の離反の結果として、ロシア人は全体として、何十万人、いな何百万人も減少しているかしれない。
われわれの精神的一体性がまた攻撃されてきた。リトアニア大公時代のように、新たなキリスト教会区分が企てられた。政治的目標をひたすらむき出しにする俗な権力者が、騒々しく教会生活に干渉し、事物をことごとく粉砕しては、教会を没収し、神父や牧師をなぐりつけた。ウクライナ正教会が、モスクワのギリシャ正教会とともに精神的合一を保ちながら、広範囲な自治をおこなう時でさえ、彼らをひどく不快に感じていた。こうした卓越した何世紀にもわたる親縁性の古いシンボルを何としても破壊せずにはおかないのである。
私はそれも自然なことのように考えるが、ナチ崇敬を叱正する国連総会決定に、繰り返し繰り返し、反対票を投じるのが、ウクライナ国連代表だった。SS(ナチス親衛隊)の戦争犯罪者を告発する松明行進の行列が、国連事務局に守られながら催される。
すべてのものを裏切ったマゼッパ、ウクライナ人の土地を、ポーランド支援者に売ったペチューラ、ナチスと協力したバンデラは、国民の英雄となっている。若い世代の記憶を消し去るように、すべてはなされた(注11)。その記憶とは、純粋な愛国者と勝利者の名前、それはつねにウクライナの誇りだった。
赤軍のパルチザンとして戦ったウクライナの人々にとって、大祖国防衛戦争は、真正の愛国戦争だった。彼らは、彼らの家を守り、大いなる豊饒の母なる大地を守った。2000人以上の兵士が、ソビエト連邦の英雄となった。そのなかには、伝説的なパイロット、イワン・ニキトビッチ・コジェドゥープ、畏れ知らずのスナイパーで、オデッサとセバストポリの守護者、リュドミラ・ミハイロブナ・パヴリチェンコ、勇敢なパルチザン部隊指揮官シドール・アルテミエヴィチ・コフパークなどがいる、この不屈の世代は、われわれの未来のため、彼らの命をささげた、われらのために。彼らの武勲を忘れることは、祖父を、母を、父を裏切ることである。
「反ロシア計画」は、何百万人ものウクライナ人によって、拒否されてきた。
クリミアの人々とセバストポリの住民たちは、歴史的選択をした。そして、南東部の人々は、自らの立場を平和裏に守ろうとした。しかしながら、子どもたちを含めてそのすべての人々は、分離主義者あるいは、テロリストのレッテルを貼られた。彼らは民族浄化と軍事力の行使をもって威嚇された。ドネツクとルガンスクの住民は、自らの家と言葉と命をまもるために、武器を執った。ウクライナの市街を掃討する暴動と、2014年5月2日オデッサで、ウクライナのネオナチが人々を生きたまま焼き、新たなるカチンをつくりだした後では(注12)、彼らに他の選択肢が残されていたであろうか?クリミア、セバストポリ、ドネツク、そしてルガンスクでバンデラの追随者たちによって同様の殺戮が用意されていた。この今でさえ、彼らは、こうした計画を捨てようとはしていない。彼らは、その時を辛抱強く待っている、しかし、彼らのときは来ないであろう。クーデターとそれに引き続くキエフ当局の行動は不可避に対立と内戦を引き起こした。国連の人権高等弁務官のドンバス紛争の犠牲者の見積もりでは、全体で13,000人を超えたと発表された。そのなかには、高齢者も子どももいる。これは、無残な、償いえない損失である。
(注10)2014年2月:腐敗したヤヌコビッチ政権を民衆が打倒したことを「マイダン革命」、または「尊厳の革命」と呼ぶ。プーチンが言うような「ネオナチによる反ロシア・クーデター」ではない。ロシアの経済的締め付けで危機が拡大する中で、東部ドンバス地方のオリガルヒを基盤とするヤヌコビッチ大統領は、危機打破のためにEUとの経済連携協定に仮調印する。ところが、本調印の段階になってそれを拒否したために、民衆が首都キーウの広場に集まりはじめ、2013年12月1日にはその数10万人を超える、議会内のリベラル派や民族主義の政党も参加するが、治安部隊との衝突が始まると民衆は議会内党派を乗り越えて進む。年を越え、デモがますます拡大する中で、2014年2月18日から20日の間に、デモ隊と警察部隊の双方に95人の死者が出る。このころから「右翼セクター」などの右翼も登場し始める。ドイツ・ポーランド・フランスの外交高官が大統領と議会の3大野党を仲介し、前倒しの大統領選挙を実施することで合意するが、ロシアは仲介と合意への参加を拒否。その間にヤヌコビッチ大統領はロシアに逃亡した。その後ロシアはクリミア半島を軍事制圧し、領土併合し、東部のドネツクとルハンスク両州の一部にウクライナの主権を認めない特別の地域と称する2つの「人民共和国」をつくる。クリミアは、クリミア・タタール人が先住民族としているが、第2次大戦時の「対独協力」(事実ではない)を名目に中央アジアに全員が移送され、その後にロシア人が大量に移住したため人口比ではロシア人が多数である。クリミア人の民族会議とその指導者は、ロシアによる併合とそのための「住民投票」に反対し、ウクライナの自治区として留まることを要求している。東部ドンバス2州はウクライナの炭鉱や重工業地帯である。しかし民営化された企業がオリガルヒーにより私企業化され、その資本系列の多くがロシア系になった。両地域では民族的出自がロシアである者が多い(しかしどこでも過半数には達しない)、またウクライナ語が禁止ないし不利な扱いを受けてきた期間が長いため、母語がロシア語のものが多い。しかし住民自身はロシアへの帰属を望むものは少数である。2009年から2013年の間にドネツクを計16回訪問した岡部芳彦によれば、「私はロシア人だ」と名乗る人に会ったことはないという(岡部芳彦『本当のウクライナ』)。また両「自治共和国」の区域内部で2019年に世論調査をおこなったドイツの研究機関によれば、ウクライナへの統合を願うもの55%、ロシアへの統合を願うもの45%であった(アレクサンドラ・グージョン『ウクライナ現代史』)。クリミアでもドンバス2州でもロシアは、政治指導者も軍事部隊もほぼすべてロシアから送り込んだ。ドンバスでは、その後の「内戦」では、当時ウクライナが徴兵制を廃止し、軍はわずか5万人程度になっていた。そこにロシアは正規軍や傭兵部隊などを偽装して送り込んで(クリミアには米軍の海兵隊に相当する海軍陸戦隊)、賛成者以外の投票は認めないまま、併合を強行した。
(注11)マゼッパ・ペトリューラ・バンデラ:いずれも現代ウクライナで民族英雄とされている。イヴァン・マゼッパ(1639〜1709)はコサック国家のヘチマン、ロシアとスウェーデンの「大北方戦争」でスウェーデン側について戦ったが、敗れてコサックの自治国家自体の滅亡の原因となった。ロシア側についたフメルニツキーをプーチンは評価するが、それもツァーリの王権に服属したのではない、周りを、ポーランド・ロシア・ドイツ(プロシア・オーストリア)・オスマントルコなどの大国に囲まれたコサック国家が生き延びの方策としていずれかと組んだに過ぎない。プーチンは、とにかくロシアに対立するものは「悪」として批判している。シモン・ペトリューラ(1879〜1926)は、1919年に中央ラーダに替わりウクライナの民族主義者を結集したウクライナ人民共和国執政府の長。この時は外部勢力であったソビエトおよび赤軍と闘った。ステパン・バンデラ(1909〜1959)、ウクライナ民族主義者組織(OUN)の指導者。第2次大戦中はドイツ軍・ソ連赤軍の両者と戦った。 (つづく 次号で終了/(注12)は次号)
10面
生活保護基準引き下げ違憲訴訟
次回12月7日に結審
報告集会 |
9月27日大阪高裁
9月27日午後2時から大阪高等裁判所で、生活保護引き下げ違憲訴訟の控訴審が開かれた。大法廷に入りきれない程の傍聴者と法廷の記者席を埋め尽くすマス・コミの注目が目立った。今回の期日は4人の原告への証人尋問と、統計病理学の専門家に対する尋問が焦点であった。
4人の原告に対してはそれぞれの担当弁護士が、生活保護を受けざるを得なかった経過、生活保護引き下げによる困窮の実態、裁判官に対する要望などを尋問した。各原告からは、それぞれの生い立ちとその中で普通に真面目に生活してきたにもかかわらず生活保護を受けなければ生きていけないような状態に陥ったこと、生活保護引き下げによって苦しい生活を強いられている現状が生々しく語られ、裁判官への必死の要望が出され、人間的感性を持つ者なら誰でも心底から胸を打つ証言がなされた。
そして、原告の一人が裁判官への要望として、名古屋地裁に象徴される裁判官個人の立身出世の立場から時の行政に忖度した非科学的で冷酷非道の判決で民衆の怒りと物笑いにされるのではなく、大阪地裁や熊本地裁および東京地裁に象徴される人間性と人情に溢れる立場から客観的データによる科学的認識に基づいた判決で民衆の称賛を浴び、拍手を送られるような裁判官であって欲しいと提起したことは、まさに裁判官の人間的感性と科学的態度を問うもので実に痛快であった。この控訴審を担当している裁判官がどのような存在なのかは、言うまでもなく判決に明白に現れるであろう。
国側の反対尋問はケチつけにもならぬ弱々しいもので、そのあくどい狙いは原告の明解な証言によってはねかえされた。次回期日は12月7日(水)午後3時からで結審となる。
閉廷後の報告会
報告会では、各担当弁護士からそれぞれの尋問の内容と証言に対する説明と感想が出された。統計病理学の専門家は、貧困と疾病との相関関係を統計学による科学的方法で明らかにし、貧困が疾病を生み疾病が貧困を促進することを説明した。
4人の原告証言者の一人からは、名古屋地裁のような行政に忖度し、非科学的な主観による冷酷非道な判決ではなく、大阪地裁や熊本地裁・東京地裁のような客観的データによる科学的認識に基づき、人間性と熱い人情に溢れ、民衆から称賛されるような判決を出す裁判官であって欲しい、それこそ三権分立における司法の独立と尊厳・誇りを示すものだとの発言がなされた。
主任弁護士は、一審の勝利判決が引き下げの違憲・違法性が認められたから国家賠償は必要ないとしたことに対し、控訴審では引き下げの違憲・違法性はもとより、引き下げ後に生活の困窮を強いられたことやそれによる精神的苦痛を受けたことに対する国賠を認めさせることが基軸的な獲得目標だということを強調した。
安倍国葬とシンクロ
この日の裁判が、偶然ではあれ安倍の国葬と重なった。「台湾有事は日本有事だ」と危機を煽りたて、米中対立を一層激化させ、また生活保護費の引き下げをはじめとする社会福祉費の削減と国防予算の倍増化は戦争体制の飛躍的増大・強化を推進する。まさに貧困の拡大・深刻化と戦争の現実化は一体だ。人間性の解放をかけて、断固として闘っていこう。
(シネマ案内)
『日本原 牛と人の大地』
監督:黒部俊介 2022年制作
「父が牛飼いになって、もうすぐ50年になります。牛飼いになる前、父は医学部の学生でした。父が医者ではなく、牛飼いになったのは、自衛隊とたたかうためでした…」。こんな語りで、この映画が始まる。内藤秀之さんの二男・陽さんのナレーションだ。
内藤秀之さんは陸上自衛隊日本原演習場に反対している。この闘いは、ずっと内藤さん一家(秀之さん、妻の早苗、長男の太一、二男の陽の4人)の生活そのものであった。監督の黒部俊介さんは、秀之さんの生き様に興味を持ち、秀之さんの家に住み込み、その行動を撮影し続けた。
秀之さんは約50頭の牛を飼い、酪農業を営んでいる。「山の牛乳」という低温殺菌牛乳をつくり、周辺住民に販売してきた。2019年、低温殺菌施設がなくなるとともに、この牛乳も製造中止になってしまった。この頃、岡山大の仲間・糟谷孝幸さんの死から50年をむかえるにあたって、秀之さんは「糟谷プロジェクト」を始める。こうして、映画は秀之さんの1年を追っていく。
1969年、秀之さんは岡山大の学生であり、党派の活動家として佐藤訪米阻止闘争を闘う。この年の11月13日、仲間の糟谷さんが大阪・扇町公園の集会で機動隊に虐殺された。秀之さんが糟谷さんに、この集会への参加をオルグした。このことがあって、秀之さんは大学を中退し、日本原の現地に住み込み、自衛隊と闘う決意をかためる。
その後、反対運動の中軸を担った内藤太・勝野さん夫妻の娘・早苗さんと結婚し、ひとりの農民として反対運動を続けるのだ。現在、反対運動をしている農家は、秀之さんだけになってしまった。
秀之さんは、今でも演習場内の耕作地の一角にさつま芋を植えている。毎年、市民が参加して、植え付けや収穫がおこなわれる。こうして、演習場に反対する闘いは続けられている。
日本原闘争について
陸上自衛隊日本原演習場は岡山県津山市と奈義町にひろがる。その面積は1400万平方メートルに及ぶ。1908年、ここは帝国陸軍の演習場として、農民の土地を強制収用して造られた。山林部には農業用のため池がたくさんあり、水利権や通行権、山林の入会権は農民にあった。演習場内での耕作についても、1年更新で認めていた。宮内地区の神社も演習場内にある。ここに住む農民にとって、自衛隊演習場はまったく迷惑な存在なのだ。
敗戦後、陸軍演習場は占領軍に接収されるが、サンフランシスコ条約とともに日本政府に返還された(1952年)。やがて、自衛隊が創設され、陸上自衛隊の演習場として使用される。農民は演習場返還運動をおこすが、演習場はなくならなかった。1961年、町議会は自衛隊の誘致を強行決議。1965年、陸上自衛隊日本原駐屯地になった。
1976年、演習場反対集会のなかで、自衛隊員が農民や支援者に投石をして、負傷させる事件がおきた。これは「日本原(投石)事件」と呼ばれており、日本原闘争の存在を全国にひろめた。以後、東の三里塚、関東の北富士、西の日本原が、農民闘争を牽引していく。
秀之さんにとって闘いが生活であり、生活の中に闘いがある。たたかいは、こうして家族や仲間たちにしっかりと受け継がれている。日本原演習場で牛を放牧する日を迎えるまで、闘いは続いていく。