未来・第350号


            未来第350号目次(2022年9月15日発行)

 1面  安倍政治と統一教会は一掃だ
     国葬強行・全面軍拡・原発推進
     岸田自民党をぶっ壊そう

     美浜3号機
     前日予告で再稼働
     大阪地裁は9月中に差止め決定を

 2面  国葬反対 全国で決起
     国会前に4000人

     神戸で500人の集会・デモ

     尼崎・伊丹でスタンディング

 3面  脱炭素・電力不足を口実
     原発推進の岸田発言を許さない      

     投稿
     原発大増設とSDGsを串刺しに!
     腐敗した政治に民衆の怒りを     

     原発いらない金曜行動

 4面  沖縄県知事選勝利へ
     玉城デニーさんが辺野古で訴え

     9月4日
     ウィシュマさん死亡 責任取れ
     入管法改悪に反対 全国で行動

     慰安婦問題メモリアルデー
     神戸で行動 8月14日

     9月5日防衛省行動
     国交相と防衛省を弾劾  

 5面  連載 ミャンマー情勢(3) 三船二郎
     国葬にミャンマー国軍を招くな

     セックスワーク論批判 E−上
     人間の人間的解放かかげるマルクス主義は買売春と非和解
     石川由子

 6面  投稿
     済州島 四・三蜂起と弾圧
     『スープとイデオロギー』を観て
     結井達

 7面  連載
     侵略と併合を合理化 21年7月12日付プーチン論文
     「ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性について」A

 8面  原発・沖縄・三里塚
     田中徹先生との弥次喜多道中

     (シネマ案内)
     記録映画『国葬』
     監督:セルゲイ・ロズニツァ 2019年製作

     (カンパのお礼)

           

安倍政治と統一教会は一掃だ
国葬強行・全面軍拡・原発推進
岸田自民党をぶっ壊そう

安倍の国葬反対で国会正門前におしかけた4000人の市民(9月31日 東京、2面に記事)

安倍国葬を絶対許すな

自民党国会議員・地方議員と反共カルト犯罪集団=統一教会の癒着が次々暴露され、安倍国葬反対は53%で、賛成30%を大幅に上回った。8月31日には国会前に4千人が集まり、国葬反対の抗議行動がおこなわれた。戦前の国葬は、天皇の特旨としておこなわれ、国家統合の意味を持ち、国民を戦争に動員するための装置だった。1947年に国葬令は失効し、国葬は過去の遺物となった。
岸田文雄首相は、法的根拠もなく閣議決定だけで、安倍国葬を決めた。「経済・外交などで歴史にのこる実績を示した」「敬意と弔意を国全体であらわす」と銃撃死を利用して安倍翼賛体制をつくろうとしているが、最悪の人物を国葬にし弔意を強制することに怒りが巻き起こっている。経費は当初2・5億円と言い、その後16億6千万円に修正。要人6千人招待、警察官4万人動員として、海外要人の滞在費などを含めると100億円を超えると試算される。

統一教会とゆ着した安倍の悪業

安倍は、集団的自衛権の行使を容認し戦争法で日本を戦争をする国に変え、「自由で開かれたインド太平洋戦略」とクワッドを提唱し米印豪欧をひきこみ中国包囲網を主導した。辺野古新基地建設の暴力的強行、メディアの独立性への脅し、モリ・カケ・サクラでは権力を私物化し118回もウソの国会答弁をし、統一教会と癒着しその窓口となり教団票を差配していた。
しかも、安倍が悲願として推進した改憲は、勝共連合の改憲案と同じだった。勝共連合は、@緊急事態条項の新設、A家族保護の文言追加、「家族は社会の自然かつ基礎的単位」、B「自衛隊」の明記を掲げ、この3点は12年自民党の改憲草案と全く同じである。
自民党は、統一教会をウラの別働隊として一体化して反動政治を推進し、信者を苦しませた。岸田政権を倒し、腐った政治を断ち切ろう。統一教会による霊感商法や高額献金による被害は数千億円。信者を騙してお金を略奪しているのは日本においてだけ。統一教会は解体すべきだ。

敵基地攻撃能力の保有に踏み出す

防衛省が公表した2023年度当初予算の概算要求は、今年度当初予算比3・6%増の過去最高の5兆5947億円で、金額を明示しない「事項要求」を百件超盛り込んであり、来年度の予算編成では6兆円台半ばに膨らむ見込み。「GDP比2%以上を目指し、軍事費の5年以内の抜本的強化」の骨太方針を、財政規律を度外視して進めるものだ。
敵基地攻撃能力となる「スタンド・オフ防衛能力」の保有を強調。憲法違反である。射程を1千キロに延ばす12式地対艦誘導弾(地上発射型)の量産化を初めて盛り込んだ。F15戦闘機に搭載するスタンド・オフミサイル「JASSM」の取得。イージス・アショアに代わるイージス・システム搭載艦は、建造期間を4年(通常5年)に短縮し、27年度に1隻目を就役させる。陸上の2倍のコストがかかるのに運用できる期間は1年の3分の1程度と、費用対効果が疑問視されている装備だ。
中国艦船を念頭にした地対艦ミサイル部隊を沖縄島に配備する計画を明示。陸自勝連分屯地(うるま市)への配備を想定。すでに宮古島、石垣島、奄美大島に地対艦ミサイル部隊の配備が進んでいる。中国を敵視し、「台湾危機」をあおり、沖縄、琉球弧を再び戦場にする計画を許してはならない。
コロナで医療崩壊し、百万人当たりの新規死亡者は日本が一番多くなり、8月には過去最高の7295人の死者を記録した。軍事費拡大の一方で医療費削減、「命より戦争」「命よりカネ」の安倍・菅・岸田政治による人災だ。
安倍国葬反対デモに立ち上がろう!

美浜3号機
前日予告で再稼働
大阪地裁は9月中に差止め決定を

美浜原発ゲート前(8月30日 福井県美浜町)

今年12月で稼働46年を迎える老朽原発=美浜3号機(関電)が8月30日、「動かしてほしくない」という地元や、関西・全国の反対の声を押し切って再稼働が強行された。

卑劣な前日予告

8月29日の午後3時すぎ、関電は突如「明日30日に美浜3号機の原子炉を起動(再稼働)させる」と発表。もともと「8月10日、再稼働(原子炉起動)」を予告していたが、8月1日に発生したトラブルのため、再稼働日程は未定となっていた。
事前に発表して、反対する人たちが押し寄せてくることに恐怖した関電は、突如の前日発表という卑劣なだまし討ちに追い込まれた。
翌30日、緊急の呼びかけにもかかわらず美浜原発前には滋賀、京都、大阪、兵庫などの関西各地、福井県内からは福井市方面、若狭各地、美浜町内から約35人がかけつけた。
12時半から美浜原発ゲート前で抗議行動が始まった。参加した人たちから、次々と抗議の声が上がる。ゲート前が怒りの声に満ちあふれるなかを、関電は午後1時に原子炉起動(再稼働)を強行した。
抗議行動は続き、その後、美浜原発を直轄する関電原子力事業本部へ車で移動。午後2時から原子力事業本部前で抗議行動を続けた。

事故・トラブル続発

美浜3号機は、通常の13カ月間の運転ができないことを承知で昨年6月に、国内初の40年超え老朽原発として再稼働を強行した。特定重大事故等対処施設が未完成のため、同年10月に、わずか4カ月の運転(うち営業運転は3カ月)で停止に追い込まれた。 わずか3カ月の営業運転のためにわざわざ再稼働したのである。通常、原発は最低でも13カ月営業運転をして、定期検査に入る。たった3カ月で定期検査に入る運転など経済的合理性はない。あるのは政治判断だけだ。とにかく「老朽原発(美浜3号機)を動かした」という実績を残すための再稼働だった。
この4カ月の運転中に同機は2度もトラブルを起こしている。そのうちのひとつは、電源が断たれて蒸気発生器中の2次冷却水が失われたとき、緊急給水するポンプに大きな圧力がかかるトラブルである。
関電は「ポンプ入り口にある金属製のフィルターに鉄さびが詰まったのが原因」と説明。再稼働にむけて10年近く準備してきたにもかかわらず「鉄さびによる目詰まり」に気がつかなかったとは信じがたい話だ。

予定日に動かせず

さらに、再稼働(並列=原発を送電線網につなぐこと)予定を当初の10月から8月12日に前倒しすると予定変更を発表した。通常、並列の2日ほど前が原子炉起動なので8月10日頃、再稼働かとみられていたが、8月1日、またも事故が発生。放射性物質を含む水7トンが漏洩していることが発覚し、再稼働は延期になった。
この水漏れについて、関電は「昨年6月の定期検査中に、下請け作業員が容器のふたを閉めるボルトを規定値の5分の1の弱い力で締め付けていたため、隙間をふさぐ円形のゴム(Oリング=パッキン)に圧力がかかり、破損した。作業員が誤った規定値の記載された手順書に従ったのが原因」と説明。
専門家の話では、「技術者がしっかりしていれば簡単に気がつく話だ。ところが、現在は下請け任せの上に、責任感と科学的常識のない関電および下請けの技術者、作業者、監督者、点検者らが原発を動かしている」という。
これで8月10日再稼働(原子炉起動)は吹き飛んだ。そしてこの事故の原因調査中に別のトラブルが発生。8月21日、アキュムレータの圧力が保安規定に定める運転上の制限値を下回り、警報が鳴った。アキュムレータというのは、冷却水喪失事故などで1次冷却系の圧力が低下した際に、原子炉暴走を防ぐためにホウ酸水を1次冷却系に注入するが、そのホウ酸水を蓄えている蓄圧タンクのこと。アキュムレータの圧力低下は、非常時にホウ酸水の注入ができなくなる事故につながるものであり、きわめて深刻だ。

運転差止仮処分の決定が9月にも

大阪地裁で進行中の「美浜3号機運転差止仮処分」の決定が9月にも出る。もし運転差止命令が出れば、美浜3号機は止まる。
仮に、差し止め命令が出なくても、今後、上記のような事故・トラブルは不可避であり、遅かれ早かれ停止に追い込まれるだろう。

2面

国葬反対 全国で決起
国会前に4000人

新宿で1200人の大集会(8月27日)

〈安倍元首相の『国葬』に反対する実行委員会〉が主催する国会正門前を中心とする集会に、4千人の市民が集まった。18時からの集会では、国会議員、市民の発言が続いた。この日、首相官邸で、葬儀実行幹事会が開かれて、国葬の当日に府省庁は弔旗を掲揚し黙祷をする、ということが打ち出された。公務員への弔意の強制だ。社民党の福島みずほ議員、日本共産党の小池晃議員は、このことを弾劾した。福島氏は、「戦前の国葬令は、法の下の平等、思想・良心の自由に反するので、1947年に廃止された。しかも、改憲を進め、違憲な法律を作り、朝鮮学校への差別政策をとってきた人物の国葬など、絶対に許せない」と語った。小池氏は、「国葬を、民主主義の葬式にしてはいけない」と語った。
立憲民主党の阿部知子議員は、議員であると同時に一人の小児科医として、「安倍元首相は、旧統一教会と組み、民主主義を壊してきた結果の責めを、一身に受けることになってしまったのでは。二世信者が子どもの時からどれほど苦しんできたのか。山上容疑者も含めて、苦しんできた子どもたちの存在がある。また、モリ・カケ・桜では、『国会はウソをつく場』という印象を子どもたちに与えてしまった。こうした事態を美化する国葬は賛成できない」
「沖縄の風」伊波洋一議員は、沖縄県知事選の闘いの中からメッセージを寄せ、沖縄の民意を踏みにじり、辺野古新基地建設、琉球弧の軍事化を進めてきた安倍自民党政治を弾劾した。民法改正情報ネットワークは、選択的夫婦別姓制導入、性教育、ジェンダーフリーに敵対してきた安倍や統一教会を弾劾した。アジア女性資料センターは、〈国葬させない女たちの会〉を作り、家父長制政治を葬ろうと行動していることを語った。上智大学の中野晃一教授は、外国のメディアが、国葬についていろいろな角度からの取材をおこなっており、安倍政治に対する正しい指摘を発信できるようになっている、と語った。
この日に先立ち、8月27日には新宿で1200人が集まり、落合恵子さんらが国葬反対を訴えた。
9月は毎日のように、国葬反対行動がおこなわれていく。9月27日の国葬予定時刻の午後2時からは、国会を取り巻く行動が呼びかけられている。この闘いを通して、自民党政治への大きな怒りの行動を作り出していこう。(東京・K)

神戸で500人の集会・デモ

8月27日、神戸・東遊園地で安倍の国葬に反対する集会が開かれ、500人近くの集会参加と400人を超えるデモ行進が元町駅前までおこなわれた(写真)。〈こわすな憲法! いのちとくらし! 市民デモHYOGO〉と、〈憲法改悪反対兵庫共同センター〉の共催。
集会は主催者あいさつののち、自由法曹団の近藤秀樹弁護士が、今回の国葬が何の法的根拠にももとづかない憲法違反であると訴えた。集会宣言では安倍政治が戦争法やモリ・カケ・桜など反市民的で、国葬で賛美するのに似つかない事が弾劾された。
市民デモHYOGOは盆明けから木曜行動を再開。20人ほどで街頭宣伝とシール投票をおこなっているが、毎回100人近くが投票。この7年近くでトップ5に入る関心の高さ。また弔意強制をさせないため神戸市教委などへの申し入れや、知事などの国葬参加費用の拠出を弾劾する監査請求も広がっている。内田樹神戸女学院大名誉教授も参加する第2回の集会・デモ行進は、9月17日(土)14時半から、市役所南・東遊園地の花時計前で。

尼崎・伊丹でスタンディング

9月2日、尼崎地区労が呼びかけ、「安倍の国葬反対」スタンディングが、阪神尼崎駅前で25人の参加でおこなわれた(写真)。尼崎地区労の塚原久雄事務局長が趣旨説明のあと、参加者がアピール。最初は関西合同労組の佐々木伸良委員長が、憲法違反および安倍と統一教会との癒着を弾劾。ついで武庫川ユニオンの飯田政志委員長の音頭でシュプレヒコール、反戦タイガースのアピールなどが続いた。ビラまきも同時におこなわれたが、40歳代〜60歳代の女性の反応が極めてよく、手を差し出し受け取る人も多かった。物価高が止まらない中、安倍の国葬に30億円もかけるなんてとんでもないということだ。 なおこの日は、宝塚でも街頭宣伝行動がおこなわれた。
阪神尼崎駅での2回目のスタンディングは9月22日(木)18時から。春のウクライナ反戦最大時の70人を超える100人規模の参加を期待したい。
伊丹市議を中心におこなわれてきた阪急伊丹駅前でのスタンディングは、8月27日は午後と夕方の2回。駅前には15人ほどがメッセージボードを持って、静かな訴えながら関心は高い。この日は立憲民主党の桜井衆議院議員や相崎参議院選候補者(次点)も参加し、注目を集めた。
阪急伊丹駅前で(8月27日)

3面

脱炭素・電力不足を口実
原発推進の岸田発言を許さない

関西電力は、8月30日老朽原発・美浜3号の再稼働を強行した。本当に許されない。過酷事故が起こる前に美浜3号機を止めなければならない。
そもそも関電は「8月12日、美浜3号機並列(送電網に接続)」を打ち出していた。しかし、8月1日、放射性物質を含む7トンもの水漏れ事故を起こし、再稼働は頓挫した。この事故の原因について、関電は下請け作業員が本来規定値の5分の1締め付けトルクで作業したという単純ミスから起こった事故とし、早期に再稼働を狙っていた。実は、関電ホームページやプレスリリースで一切公表することなく、原子力規制委員会に「8月23日原子炉起動」を報告し、秘密裏に起動しようとしていたのである。
しかし、関電は8月21日「美浜3号機の運転上の制限の逸脱」を発表、原子炉冷却水喪失事故などで1次冷却系の圧力が低下した際に、原子炉の暴走を防ぐために、ほう酸水を1次冷却系に注入しなければならないが、ほう酸水は、逆止弁を介して一時冷却系につながっている蓄圧タンク(アキュムレータ)に蓄えられており、そのタンクの圧力が低下していた。このため23日原子炉起動(再稼働)の予定は吹っ飛んでしまった。
このように、美浜3号はトラブルが続いており、日程を発表するとトラブルが起こり、再稼働できないという事態が続いていたのである。関電は8月29日に、「30日に美浜3号機を再稼働(原子炉起動)する」と発表した。発表した翌日再稼働を強行するという、これまでにないやり方で、無理やり再稼働するという暴挙に走ったのである。反対行動をさせないというのだ。
老朽原発うごかすな!実行委員会は29日緊急事態を全国に発信し、現地になんとしても駆けつけ、翌日の再稼働の暴挙にたいして徹底的に弾劾することを呼びかけた。
美浜3号機は、この間の事態で明らかになっているように、絶対動かしてはならない原発である。過酷事故が起こる前に美浜3号機を止めなければならい。

美浜3号機再稼働阻止で全国集会(7月24日、福井県美浜町)

岸田が原発新設発言

8月24日、脱炭素社会の実現に向けた「GX(グリーントランスフォーメーション)実行会議」で、岸田は、これまでの表向きには「原発の新増設・リプレースは想定していない」という立場を転換し、次世代原発の開発・建設を検討する方針を打ち出した。
さらに60年超え運転の検討や、規制委員会の安全審査に合格しているものの、未だ再稼働できていない7基について、来年夏までに再稼働を目指すとした。
これは「脱炭素」と「電力不足」を口実にして、政府として、原発推進を鮮明に打ち出したものであり、絶対許せない。粉砕あるのみである。岸田は、真っ向から原発推進を宣言したのであり、3・11以降まがりなりにも、正面から原発推進・新増設などを打ち出せなかったあり方を180度転換し、国是として、原発推進をはっきりと打ち出したのである。岸田の言っていることは、基本的には、これまでの安倍・菅がやろうとしていたことの延長線上にあるが、それを岸田は真っ向から打ち出したものといえる。
これまでのエネルギー基本政策においては、原子力は20〜22%としてきた。これは、国内において、25〜30基程度の原発が稼働していることを条件に成立していた数字である。しかも、定期検査や、その他トラブルによる運転休止などを除外した数字である。しかも、遅かれ早かれ全ての原発が、40年問題に逢着する。したがって、原発推進にとっては原発の新増設・リプレースは避けることができない問題であった。絶えず、新増設・リプレースついて明らかにすることを求められきたといえる。それを、あいまいにし、あたかも「新増設・リプレース」は「考えていない」としてきただけである。原発をめぐって、争点として焦点化させないためにだけである。
今回、岸田がこれまでの一線を越えて、「新増設・リプレース」に踏み込んだのは、7月の参議院選挙での勝利と、向こう3年間には正式には、スケジュールとしては国政選挙がないということも影響していると思われる。いずれにしても、「原発」をめぐって、国政選挙がたたかわれた事はないのであり、国民の選択が示されていないのである。アキレス腱はこの日本社会に住む人々の反原発の意思であり、フクシマに対する思いである。
しかも、新型炉、次世代炉の研究・開発といいながら、何の具体的展望も示すことができない。使用済核燃料問題や、高額な原発建設費の問題など、どれひとつとして解決策は示されていない。
さらに、来年夏までに、これまで規制委員会の審査をクリアした柏崎刈羽6、7号機、高浜1、2号機、東海第二原発、島根2号機、女川2号機の再稼働を、「国が前面に立って」進めるとしている。柏崎刈羽については、東電の度重なる重大な違反に対して実質的な運転禁止命令が出されており、東海第二原発については、水戸地裁で運転差止判決が出ているのである。「国が前面に立って」といいながら、一電力会社の原発を動かすという行為に対して、どう国が前面に立つのか何も明らかにされていないのである。「国の責任」といいながら、福島第一原発事故に対して、国の責任を否定しているのである。60年超え運転に触れながら、原則40年というこれまでの基準との整合性や、根拠についてまったく触れることができない。今焦点になっている、美浜3号機の40年超え運転において、次々トラブルが発生し、40年超え運転の難しさ、問題性が明らかになっている中で、60年超え運転など論外である。
こういう論の基本には、「脱炭素」と「電力逼迫」があり、それを錦の御旗に、「原発はクリーン」「脱炭素に原発は不可欠」と攻撃を強めている。この論理のでたらめさをうちやぶらねばならない。「原発はクリーン」なるまやかし、「電力逼迫」のまやかしを打ち破らねばならない。いずれにしても、「原発クリーン」「電力逼迫」などウソであり、ためにする論でしかないのである。
結局、「反原発」の実現は、われわれの思い、行動にかかっているということである。さらに大きな反原発の声をあげよう。老朽原発うごかすな、老朽原発廃炉! の声をいっそう大きく上げていこう。

投稿
原発大増設とSDGsを串刺しに!
腐敗した政治に民衆の怒りを

今年の夏、わが家にゴキブリの姿はなく、蚊に悩まされることもなかった。散歩コースの標高108メートルの小高い丘の周辺では、8月初旬までウグイスが鳴いていた。蟻の姿も見ない。蜘蛛の巣もめっきり少なくなった。耳をつんざくような蝉の大合唱も、例年にくらべてはるかに静かだった。
生き物たちは、自然の変化にストレートに反応する。地球温暖化は国連や環境庁の推測をはるかに超えるスピードで進行しているような気がする。
8月24日、岸田首相は原発の運転期間の延長や新増設、建て替えを検討する方針を表明した。既に再稼働済みの10基に加え、来年の夏以降、新たに7基も再稼働させるという(『東京新聞』8/25)。
今、東京電力福島第一原発で地獄絵図のような強制労働が繰り広げられていることを、ご存知だろうか。
鉄板の上で処理作業中の下請け労働者たちが、全面マスクや防護服や合羽を着て40度を超える中で、汗で体の水分を搾り取られ、1日3キロも痩せ、感染力の強いコロナに脅えつつ働かされている。被災した地元住民の生活補償も絶たれたままである。
最近カラフルな円環型のバッジを胸に着けた人をよく見かける。SDGsと称する「持続可能な開発目標」運動のキャンペーンである。2015年の国連総会で採択されたSDGsは、エネルギー問題について「脱炭素」を強調する一方で、原発には全く触れていない。原発(核)を否定しないで、自然環境を保護できるというのか。
一方、旧統一教会と自民党(立憲民主党や日本維新の会、国民民主党も)とズブズブの癒着がつぎつぎに明らかにされている。おそらく、まだ氷山の一角に過ぎないだろう。
異常気象が〈異常〉でなくなったかのような自然環境の大変動がすすんでいる。にもかかわらず、地球と人類を破滅に追いやる核施設の増大にGOサインを発する政府。そして、まやかしのSDGsキャンペーンの横行。
今こそ革命をめざす左翼は、人びとに向かって現状の根底的な打破を力強く訴え、確かな未来社会への展望を大胆に示すときではないだろうか。(一読者)

原発いらない金曜行動

毎月、官邸前で取り組まれている「原発いらない金曜行動」が、8月も26日に取り組まれ120人が参加した。(写真)
岸田首相が再稼働のみならず原発新増設にまで意欲をあらわにし始めたことが弾劾された。また汚染水放出(海洋投棄)のための工事を規制庁が認可したが、実際の放出は運動の力で阻止することは可能との訴えがあった。さらに、この間の「電力逼迫(ひっぱく)」は東西日本間の融通のための周波数変換施設を十分に増設してこなかったことが原因との指摘がなされた。原発推進勢力のペテンを跳ね返す必要も課題となっている。

4面

沖縄県知事選勝利へ
玉城デニーさんが辺野古で訴え

辺野古基地反対を訴える玉城デニーさん(8月25日 名護市辺野古)

8月12日 県は名護市辺野古の新基地建設をめぐり、沖縄防衛局が申請した設計変更を「不承認」とした県の処分を取り消した国の裁決は違法だとして、裁決の取り消しを求める訴訟を福岡高裁那覇支部に提訴した。7月12日、総務省の第三者機関「国地方係争処理委員会」が県の不服審査申し出を却下したことを受け、斉藤哲夫国交相による裁決の適法性について司法の判断を仰ぐ。
19日 名護市辺野古の新基地建設を巡り、総務省の第三者機関「国地方係争処理委員会」は斉藤哲夫国交相の「是正指示」を違法とする県の審査申し入れを却下すると決めた。
23日 名護市辺野古の新基地建設を巡り、国の工事の進め方の適法性を問おうと、辺野古周辺の住民ら20人が、国を相手とした新たな抗告訴訟を那覇地裁に起こした。沖縄防衛局が申請した設計変更を「不承認」とした県の処分を取り消した国交相の裁決は違法だとして、裁決の取り消しを求める。
24日 県は名護市辺野古の新基地建設をめぐり、斉藤哲夫国交相の「是正指示」は違法として指示の取り消しを求めて福岡高裁那覇支部に提訴した。19日に総務省の第三者機関「国地方係争処理委員会」が県の審査申し出を退けたことを不服と判断した。新基地建設をめぐる県と国の訴訟は11件目。提訴期限は9月21日であったが、知事選の告示日前日に提訴に踏み切った。
25日 任期満了に伴う第14回県知事選が告示された。現職の玉城知事に新人2人が挑む。玉城デニー(共産、立民、社民、社大、にぬふぁぶし、れいわ推薦)、佐喜真淳(自民、公明推薦)、下地幹郎(前衆議院議員)の3氏が立候補、三つ巴戦の激しい選挙戦の火ぶたが切られた。
玉城デニーさんは出身地・うるま市で第一声を発した。「誰一人取り残さぬ社会を実現する」と訴えた。辺野古ゲート前には11時半ごろ到着、座り込みの市民は、大きな拍手で迎えた。デニーさんは「辺野古新基地建設は絶対に反対だ」と力を込めた。集まった市民はデニーさんに花束を贈って激励した。
今回の選挙は、基地問題が争点となり、それぞれの政策が明確な選挙戦となっている。自公推薦候補は、「新基地建設を容認。辺野古の埋め立ての短縮などで普天間飛行場の返還を2030年までに実現」と埋め立て工事の加速化を宣言している。
前国会議員は普天間飛行場の固定化(国際空港で使用)、辺野古の新基地、馬毛島に基地建設と基地を3つに増やそうとしている。
9月11日投開票の県知事選に全力で取り組み、玉城デニーさんの再選を勝ち取ろう。

9月4日
ウィシュマさん死亡 責任取れ
入管法改悪に反対 全国で行動

大阪市内でデモ行進(9月4日)

9月4日、「入管庁の人権侵害を助長する入管法改悪に反対します!」「ウィシュマさん死亡の責任逃れを許さない!」をかかげ全国一斉行動があり、札幌、山形、仙台、東京、高崎、浜松、名古屋、京都、大阪、高知の10カ所で開催された。呼びかけは、〈入管の民族差別・人権侵害と闘う全国市民連合(略称:入管闘争市民連合)〉。
昨年3月6日、名古屋出入国在留管理局(名古屋入管)に収容されていたスリランカ人女性ウィシュマ・サンダマリさん(33歳)が死に追いやられた。遺族は、死亡事件の真相解明のため、国賠訴訟を起こした。ウィシュマさんが亡くなる前の様子が撮影されているビデオ映像が裁判の証拠として不可欠であるが、入管庁は提出を拒んでいる。この日の一斉行動では、第1に、「ウィシュマさん死亡事件の真相解明のため、監視カメラ映像の全面開示」を求めた。
この日の行動で求めた第2は、「秋の臨時国会に入管法改悪案を提出するな」である。入管庁は、帰国できない事情がある外国人に対して、今まで以上に帰国を強いる入管法改悪を準備している。ウィシュマさんも帰国できない深刻な事情を抱えていた一人であり、死亡事件の真相解明がされないまま、こうした入管の民族差別・人権侵害を助長するような入管法改悪は許されない。
入管は、退去強制命令発付後も帰国を拒否する外国人を「送還忌避者」と呼び、全員を強制送還できるよう入管の権限を強化しようと狙っている。ちなみに、送還忌避者は全国で3100人いる。
一斉行動では、入管の民族差別・人権侵害を看過してきたことを日本社会の一員として真摯に受け止め、入管の「送還一本やり方針」による犠牲者をださないため闘うことが確認された。

大阪で集会・デモ

大阪では、同日午後、中之島公園(女性像前/大阪市北区)で集会がおこなわれ百人が集まった。主催は〈入管の民族差別・人権侵害と闘う全国市民連合 大阪〉。
TRY(外国人労働者・難民と共に歩む会)の若者2人が司会をし、冒頭〈ウィズ(大阪入管面会活動団体)〉が発言、続いて〈Save Immigrants Osaka〉、仮放免者の会、TRYと続き、大椿ゆうこさん(社民党副党首)が発言。各発言では、「外国人排除を加速させる改悪だ」「帰国させるための入管収容は拷問だ」「入管体制の存続は私たちの責任」「大衆の力で、入管体制の壁をうちやぶろう」「ひとりの人間として、今起きていることは看過できない」などが強調された。
さらにウィシュマさんの遺族からと、国会議員からのメッセージが読み上げられ、上林惠理子弁護士がウィシュマさん裁判の報告をした。最後に福岡入管収容中に死においやられた中国人ルーヨンダーさんの遺族が発言し、集会を終えた。デモは御堂筋を北上し、JR大阪駅近くまで行進した。

慰安婦問題メモリアルデー
神戸で行動 8月14日

金学順さんが日本軍「慰安婦」であったと告白した「8月14日」(1991年にカミングアウト)、全国をつなぐオンライン集会と、各地で街頭行動がおこなわれた。
この日神戸では、水曜行動を闘う人々の呼びかけで、神戸三宮で街頭行動がおこなわれた。長田や宝塚で水曜行動を闘っている市民からのアピールのあと、市民デモHYOGOの仲間からのアピールや、地域の仲間の音楽演奏などもあった。
安倍元首相の銃撃死以降、右翼分子の跋扈が激しいが、この日もワクチン反対を唱える「祖国防衛同盟」や「マスクをはずそう」など訴える右翼が街宣をし、また9月10日〜11日に神戸市内で開催される「表現の不自由展」への攻撃を公言する人物もあらわれた。差別・排外主義を許さず闘いぬこう。

9月5日防衛省行動
国交相と防衛省を弾劾

防衛省に申し入れ(9月5日)

9月5日、毎月恒例の「辺野古新基地建設の強行を許さない! 防衛省抗議・申し入れ行動」(主催・辺野古への基地建設を許さない実行委員会)がおこなわれ、90人の市民が参加しました。主催は、辺野古への基地建設を許さない実行委員会。
参加者は口々に沖縄県知事選の必勝をアピールし、辺野古新基地をめぐり国がおこなった設計変更申請を沖縄県知事が不承認とした処分を、国交相が取り消したことをを弾劾した。

5面

連載 ミャンマー情勢(3) 三船二郎
国葬にミャンマー国軍を招くな

安倍国葬にミャンマー国軍を招くな

8月5日、在日ミャンマー人らのグループは外務省前に集まり「ミャンマー民衆を虐殺してきている国軍を国葬に招くな」とシュプレヒコールをあげ、元駐日ミャンマー大使館1等書記官のアウン・ソー・モー氏ら4人が外務省南東アジア課の担当者と面会して要望を伝えた。しかし、岸田政権は安倍国葬の日程をすでに国軍に伝えており、国軍の代表者が国葬に参加する可能性が出てきている。外務省の担当者は「日程はすでに伝えており、来日するかどうかは国軍側の判断だ」と述べたという。国軍側が国葬に参加する可能性はきわめて高い。許しがたい対応だ。
すでに米、英、仏、欧州連合(EU)、チェコ、韓国、オーストラリアはすでに民主派の国民統一政府(NUG)をミャンマーの唯一の正式な代表として認めている。フランスは国軍を「非合法の軍事政権」と表現している。これが国際的な流れだ。逆に国軍を承認する国は極めて少数であり、主なところは中国、ロシア、朝鮮民主主義人民共和国、そして日本くらいのものである。

国軍との関係見直し相次ぐ

安倍国葬にミャンマー国軍を招くな

欧州を中心にして国軍との外交関係を格下げする動きが進んでいる。大使の任命を保留したり、代理や臨時大使に格下げする動きが進んでいる。イギリスは国軍との関係を見直すため大使から臨時大使に格下げした。国軍は、同臨時大使にビザを発給せず同臨時大使の入国を拒んでいる。国軍外交の敗北だ。ドイツ、オーストラリア、ブルネイはミャンマーに大使を置くことをやめている。また、アメリカ、カナダ、イギリス、フランスはこの間、国軍に対する制裁を追加している。

国軍支持を鮮明にした日本

日本は2021年8月、国軍派遣の人間に外交官資格のビザを発給し、これらの人間が今、ミャンマー大使館に入っている。民主派の職員は同大使館から追い出されたのだ。その一人が前記のアウン・ソー・モー氏で、クーデターまで1等書記官として職務についていたのだ。日本はクーデターからわずか半年余りで国軍支持の立場を鮮明にしたのだ。さらに日本は日本ミャンマー協会の渡邊秀央会長や笹川財団の笹川陽一会長などをミャンマーに送り込み、今年3月、ASEAN議長国のカンボジアのプラク・ソコン副首相は少数民族とのパイプがあるという笹川にミャンマー問題打開にむけた協力を要請した。これは日本のカンボジアに対する水面下の働きかけによることは明らかだ。

防衛大学への国軍幹部の留学を許すな

国民統一政府(NUG)のソー・バ・ラ・ティン駐日代表は5月1日、林芳正外相に対し、国軍の士官候補生4人を留学生として防衛大学に受け入れていることを非難する声明を発表し、国軍幹部を受け入れないように要請した。防衛大学で訓練を受けた国軍幹部がミャンマーで民衆を虐殺しているからだ。
たとえば、2016年8月から2017年3月にかけて日本の航空自衛隊幹部学校で訓練を受けた国軍の空軍中佐はミャンマーに帰国し昇進してマグウェー管区で空爆や地上戦を含む激しい戦闘に参加しているという。同管区では国軍は無差別空爆をしており、多数の民衆が虐殺され、5万人以上の民間人が避難を余儀なくされている。これ以外にも日本で訓練を受けた国軍幹部が市民虐殺に関与している。
しかし、防衛省は民主派の要請を拒否し、2015年から開始している受け入れを今も続けている。岸田政権と自衛隊はミャンマー民衆虐殺の共犯者だ。

日米の違いが鮮明化

米ASEAN首脳会議が5月12日、国軍を排除してワシントンで開催された。これにあわせて国民統一政府(NUG)の外相がワシントン入りし、国軍排除の急先鋒のマレーシア外相と会談するに至っている。
この米ASEAN首脳会議は、アメリカとASEANの関係樹立45周年を記念して、バイデン大統領の主導でおこなわれた。
6月7日、デレク・チョレット米国務省顧問はASEAN各国に対し、国民統一政府(NUG)との公的連携をおこなうように要請した。こうした中、6月段階では国軍排除に反対していたASEAN議長国のカンボジアは国軍による死刑執行後の8月7日、「国軍が譲歩しない限り、ASEANの会議から排除されるだろう」と発言するに至っている。このようにASEANでは国軍排除の政治が優勢になってきている。

国軍と一連托生の日本

日本貿易振興機構(JETRO)は昨年12月9日、ミャンマーに進出している日本企業に対する調査結果を発表した。それによると7割近くが“縮小するが撤退しない方針”であることが明らかになった。日本企業が今後も継続してミャンマーで搾取の限りをおこなうためには国軍が不可欠なのだ。長い間国軍と一体となって形成してきた関係は簡単に断ち切ることはできないのだ。これは、国軍を支持し続ける日本が次第にミャンマー民衆の打倒対象になっていくということである。
来年、日本とASEANの関係形成50周年が東京でおこなわれる。アメリカは国軍を排除して米ASEAN関係形成45周年をワシントンでおこなったが、日本はミャンマー民衆や全世界から反対されようと、国軍を日本に招待することを強行するだろう。

アウンサンスーチーさんを殺すな

独房に収監されているスーチー国家顧問は体調を崩し、食欲がなく流動食しか摂ることができなくなっている。髪の毛が抜け、貧血で倒れそうになり、医務官の診察を受けたといわれる。しかし、スーチー国家顧問は環境の劣悪化にもかかわらず、不満を漏らすことなく、前向きの姿勢を維持していると担当弁護士が明らかにしている。
今、国軍寄りのカンボジアですら「問題解決にスーチー氏の関与は不可欠」と発言し、「スーチ氏を元の軟禁先に戻すことを要求」している。国軍を支える日本を徹底弾劾するなかで、スーチー国家顧問を民衆の手に取り戻していかなくてはならない。
ミャンマー民衆の闘いはかならず香港の民衆、台湾の民衆、中国本土の民衆とつながっていく。国軍を解体し民衆が自らの手に民主主義を取り戻す闘い、すなわち、民衆によるミャンマー革命は、自由を押しつぶされている香港、台湾、中国本土の民衆の不屈の立ち上がりと、アジア全体の革命へむかう壮大な未来につながっているのだ。さらに闘おう。

セックスワーク論批判 E−上
人間の人間的解放かかげるマルクス主義は買売春と非和解
石川由子

マルクスは『経済学・哲学草稿』においてこう書いている。
「共同の情欲の餌食〈売春女性〉ないし妾としての女性に対する関係のうちに、人間の人間に対する無限に堕落した関係性があらわされている。人間の人間に対する直接的、自然的、必然的な関係は女性に対する男性の関係である。…したがってこの関係性において人間の文明の度合いを測ることができる。この関係性の性格から、どれほど人間が類的存在として、人間として形成されているか…がわかる。」
人間の類的存在として、人間として形成されているかをはかる尺度として、男性の女性への関係とりわけ買売春における関係性を問題視している。男性を主語としていることは買売春の中で売る側ではなく、買う側が関係性を阻害していることを述べている。
エンゲルスは『家族、私有財産、および国家の起源』の中で次のように述べている。
「しかし、古来のヘテリズム〈婚外の性的関係〉が、現代の資本主義的商品生産によって変容し、それに適合するようになればなるほど、つまり、偽装されていない買売春に転化していけばいくほど、それはますます堕落的な影響をおよぼすようになる。しかもそれは女よりもはるかに男を堕落させる。女性の間では、買売春はその犠牲となる不幸な者だけを貶めるが、その者でさえもけっして、一般に信じられているほどではない。しかし、それは男の世界全体の品性を堕落させる。」
エンゲルスは買売春の問題は、つきつめれば男性の堕落・腐敗の問題であると断言している。マルクス主義はいかなるセックスワーク論とも相いれない。買売春にはっきりと反対しているのだ。現代の男性たちの腐敗ぶりはどうだ。人間性を失っているとしか考えられないではないか。男性の女性への支配は強化こそすれまったく弱くはなっていないばかりか、女性の貧困につけこんで買売春に安易に賛成するとは自らの差別性をもう一度問い直してほしいものだ。
アレクサンドラ・コロンタイ(1872年〜1952年)は「買売春とは何か、それとどう闘うのか」(1921年)のなかで「自分が性を買った相手である女に対して彼が抱く侮蔑は、すべての女性に対する彼の態度に影響する。買売春がこれ以上発展することは、同志愛の感情と連帯の成長を促すのではなく、その逆に両性間の関係における不平等を強化する。」
コロンタイは自由恋愛論者であるが、買売春には断固として反対している。廃止主義か? 合法化か? 軍配は廃止主義だが、私たち左翼は買売春を憎むあまり、当事者の主体さえ認めない愚をおかしてはならない。セックスワーカー宣言は労働者階級への差別糾弾であり連帯の呼びかけであるととらえなければならない。(つづく)

6面

投稿
済州島 四・三蜂起と弾圧
『スープとイデオロギー』を観て
結井達

激しい済州島四・三蜂起とそれに対する自国軍による凄惨な弾圧。それがオモニ(お母さん)の原点。オモニ、辛すぎましたね。どうか、その自己崩壊までしそうな、処刑による人の焦げた匂いや煙、血で染まった済州島の記憶のフィルムを日帝や米帝、韓国軍事政権を恨みながら切り刻んでください。
オモニは日帝の侵略のために祖国を奪われ、日本に渡った両親から大阪鶴橋で生を受けた。ずっとオモニは在日朝鮮人だと差別されただろうに。
第二次世界大戦では上空の米帝戦闘機から「この子は在日朝鮮人だから」と、空襲を免責されもしなかった。日本人裕仁の赤子として空襲に怯えながら逃げなければならなかった。踏み入れたことのない祖国済州島への決死の覚悟での帰還。日本の敗戦。そして四・三。
今回『スープとイデオロギー』の主人公となった監督ヤン・ヨンヒのオモニが入院先のベッドに仰向けになっていた。手を胸元で組み左右の指をくるくるさせながら、記憶のフィルムを巻き戻し再生させようとするが、心が引き裂かれてしまうのか、そのフィルムを停止させたり巻き戻したり別のフィルムを再生しようとした。娘であり監督であるヤン・ヨンヒはオモニが胸に閉じ込めた四・三の記憶をなんとしても出してもらいたかったのだろう。
なぜオモニは祖国韓国を肌で細胞で拒絶したのか、朝鮮民主主義人民共和国を愛するというより、韓国に鳥肌が立つほどの嫌悪感を覚えたのか。
私は映画冒頭から、ありもしない妄想を始めた。ヤン・ヨンヒの妹になり、「どうかオンニ(お姉さん)やめてよ。それ以上オモニに聞き出そうとしたらオモニの心は完全に壊れてしまうよ」と、言葉を吐いた。
北か? 南か? アカなのか? と問われ続けてきた。日常生活がいつも政治とは切り離せなかったヤン・ヨンヒ一家。朝鮮総連の活動に力を入れ、家が二軒は建つほどのお金を北に送り、更にアボジ(お父さん)が亡くなってからは知り合いに借りてまで北にお金を送り続けたオモニ。それに苛立ち、怒りをぶつけてしまう娘ヤン・ヨンヒオンニの気持ちに共感した。
地上の楽園とされた北朝鮮に帰国事業として息子3人を送ったアボジとオモニ。
いや、待てよ。日本人の私が安易にヤン・ヨンヒに共感していいのかという感情が湧いたが妄想したまま映画を見続けた。
ヨンヒ・オンニの婚約者が初めてオモニの家を訪ねた日、食器棚の上から洋銀黄鍋を椅子に乗って取り出すオモニ。こけんとってよ。なんや張り切ってんなあ。鶏一羽まるごとつぶしてもらったん?青森にんにく40片も入れるんかいな。なつめに高麗人参。えらい豪勢やなあ。でもあんだけアボジと結婚相手はイルボンサラム(日本人)はあかん、ミーグクサラム(米国人)もあかんと言ってきたやんか。オンニの結婚相手は日本人やで。朝鮮総連活動で背広の胸元に8つもの勲章もらうほど北に忠誠を誓ったのにええのん? アボジの遺影にも私は問いかけた。
オモニは鶏のお尻の部分に具を詰め込むと丁寧に針と糸で結わえた。水をひたひたにはり、蓋をして間に菜箸をはさみ、弱火でコトコト5時間。白濁したトロトロの温かいスープの完成。初めて会う日本人の男に「はいどうぞと託していいのんか」
オモニとヤン・ヨンヒオンニと夫さんとの済州島訪問。そこには私も同行している錯覚があった。韓国主催の慰霊祭、祈念式典がなされた。韓国の愛国歌と呼ばれる国家斉唱の際に、オモニが取り繕うように知らない歌を歌おうとした。ムン・ジェインが、式典で式辞を述べた。韓国は民主化してから過去の自国の負についてもきちんと捉え反省し済州島四・三の事実に向き合ってきている。二度と繰り返してはならないと。日本にこの精神を学んでほしい。しかしオモニにとったらたまらなかったのではないのか。常に政治に翻弄された。婚約者を奪われた。銃殺で目ん玉が飛び出る凄惨な場面を目に焼き付け、殺されるやもしれぬ恐怖に怯えた記憶。妹をおんぶして弟の手を引き30キロの地獄道を歩いた記憶は・・・・。じゃあ、私の人生は何だったのとバラバラに心が引き裂かれたのではないかと思う。済州島で口を真一文字に結び黙ってしまったオモニ。大泣きしてウリマル(朝鮮語)で悲しむオンニ。二人に寄り添う夫さん。
白濁したスープが心の傷を手当する命薬であってほしい。美しい海と自然豊かな済州島の四・三を知った私達が今どう行動するのかが温かいスープの中に詰め込まれているのだなと日本人の私はそう思った。

7面

連載
侵略と併合を合理化 21年7月12日付プーチン論文
「ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性について」A

ウクライナ反戦で立ちあがる市民(4月5日 兵庫県尼崎市)

19世紀ロシア帝国末期

ロシア帝国の南西部の領土、小ロシア、新ロシア、そしてクリミアは、民族的・宗教的にそれぞれ異なる存在として発展してきた。クリミア・タタール人、アルメニア人、ギリシャ人、ユダヤ人、カライム人、クリムチャック人、ブルガリア人、ポーランド人、セルビア人、ドイツ人、その他の民族が、ここに住んでいる。彼らはすべて、自らの信仰、伝統、習慣を守っている。
私は、なにも理想化しようとはおもわない。われわれは1863年のヴァルーエフ回状、さらには、1876年のエムス命令が存在したことを知っている。それは、ウクライナ語の宗教、社会政治文献などの出版や輸入を禁じた。しかし、このことについては歴史的背景に注意することが重要である。こうした決定は、ポーランドでの劇的な出来事、およびポーランド民族運動の指導者たちの「ウクライナ問題」を利用しようとする願望に対しておこなわれたのである。付け加えて言っておかなければならないが、創作本、ウクライナの詩の本、民謡などは出版され続けたということである。客観的証拠でわかることは、ロシア帝国では、より大きいロシア国民の中での小ロシアの文化的個性の発展過程が見られ、大ロシア人、小ロシア人、白ロシア人を結びつけたということである。
それと同時に、ポーランドのエリートと小ロシアの知識人の一部の間に、ロシア人とは別個の民族としてのウクライナの人という考えが形成され、強化されはじめた。ここにはなんらの歴史的根拠がなく、またありようもなかったため、ありとあらゆる作り事で結論が引きだされた。「ウクライナ人は、本物のスラブであり、モスクワのロシア人は、違う」というに至っては、何をかいわんやだ。こうした仮説が、ヨーロッパの国々の間の対立関係づくりの道具となり、政治目的に用いられることが増大していった。
19世紀終わりころより、オーストリア−ハンガリー当局は、こうした言説に引っ掛けて、ポーランド民族運動とガリツィア(注4)における親モスクワの心情を相殺するために利用した。第一次世界大戦中ウィーンは、いわゆるウクライナ・シーチ・ライフル部隊を形成する援助をしたので、ガリツィアの人々が、正教会キリスト教、ロシア派とみなされれば、残虐に弾圧されながら、タレルホフやテレージンの強制収容所に放り込まれていった。
ヨーロッパ諸帝国の崩壊にあたっては、さらなる事態の発展は、旧ロシア帝国の広大な地域で勃発する激烈な内戦や諸外国の介入にかかっていた。

第1次世界大戦とロシア革命

2月革命後の1917年3月、中央ラーダ(注5)がキエフに創設され、最高の権力機関になることを目指していた。11月、中央ラーダは、その第3布告で、ロシアの構成部分としてのウクライナ人民共和国(UPR)の創立を宣言した。
1917年12月、UPRの代表たちは、ブレスト−リトフスクを訪れたが、そこではソビエト・ロシアがドイツとその一行と交渉中であった。
1918年1月10日の会議では、ウクライナ一行の首脳が、ウクライナの独立を宣言し、宣言文を読み上げた。それに続いて、中央ラーダは、第4布告でウクライナ人民共和国の独立を宣言した。
宣言はされたが、主権国家は永く、続かなかった。わずか2、3週間後、ドイツ側の同盟諸国と中央ラーダ派遣団は、(ソビエト・ロシアとは)別の条約に署名した。ドイツとオーストリア−ハンガリーは、当時ひどい状態にあって、ウクライナのパンと原料が必要だった。大量の供給体制をつくるため、彼らは、軍隊と技術陣を送ることに同意を得た。実際これは、占領の口実として使われた。
現在、ウクライナを外国の完全な支配に捧げた者は、1918年にさかのぼって、そうした決断がキエフの統治体制にとって、致命的だったことを思い起こすがいい。占領軍の直接介入によって、中央ラーダは転覆され、ゲートマンのパブロ・スコロパツキーが実権を握り、ウクライナ人民共和国(UPR)に代わり、ウクライナ国を宣言した。これは根本的にドイツの保護国になることであった。
1918年11月、ドイツとオーストリア−ハンガリーがともに、革命的事態を迎え、ドイツの銃剣の支援を失ったパブロ・スコロパツキーは方針を変え、全ロシア連邦の主導権を、ウクライナが執ることを宣言した。
しかしながら、体制はすぐまた変化し、いわゆる執政政府の時代となった。
1918年秋、ウクライナ民族主義者は、西ウクライナ人民共和国(WUPR)を宣言した。さらに1919年1月、ウクライナ人民共和国(UPR)との統一を宣言した。1919年7月、ウクライナ人民軍はポーランド軍に殲滅される。WUPRの以前の領土は、ポーランドの支配下に入る。
1920年春、シモン・ペトゥリューラ(今日のウクライナでは、英雄の一人として描かれている)は、UPRの執政政府のために協議会を開き、軍事支援の代わりに、ガリツィア、西部ヴォルィニをポーランドに譲る旨、結論を出す。1920年5月には、ペトゥリューラ派はポーランドの護衛とともにキエフに入る。それも長くは続かない。1920年の11月初めに、ポーランドとソビエト・ロシアの間で休戦協定が結ばれ、ペトゥリューラ軍の残党は、同じ、ポーランド軍に投降する。
UPRが示した疑似国家の種々の形態は、旧ロシア帝国の内戦と動乱当時のあいだ鳴り響いたものだが、継続せず不安定なものだった。民族主義者は、彼ら独自の独立国家を創ろうと模索していたが、白軍の指導者たちは、不可分のロシアを唱導していた。ボルシェビキの支持者によって設立された多くの共和国は、ロシアの外に自らを置くことなど考えていなかった。にもかかわらず、種々の理由からボルシェビキ党の指導者たちは、ソビエト・ロシアから、しばしば彼らを文字通り追放していたのだ。
かくして1918年早く、ドネツク・クリヴォロジ・ソビエト共和国が名乗りを上げ、モスクワにソビエト・ロシア加盟を要請した。これは却下された。共和国の指導者たちとの会議において、ウラジミール・レーニンは、ソビエト・ウクライナの一部として行動するよう彼らを説得した。1918年3月15日、ロシア共産党(ボルシェビキ)中央委員会は、ドネツク川流域を含むソビエトのウクライナ大会に代表委員を派遣し、「すべてのウクライナのためのひとつの政府」を大会で設立することを直接決定した。ドネツク−クリヴォロジ・ソビエト共和国の領土は、後に主にウクライナ南東部の諸州となった。
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国、およびポーランドの間に結ばれた1921年のリガ条約によって、旧ロシア帝国の西部の大地がポーランドに譲られた。戦間期に、ポーランド政府は積極的な再定住政策を開始し、「東クレシー」(今日の西ウクライナ、西ベラルーシ、およびリトアニア地域で、戦間期にポーランド領となっていた地域に対するポーランドの名称―訳注)の国境地帯の民族構成を変えようというものだった。そこは、厳しいポーランド化政策の下にあって、地方文化、伝統は抑圧された。のちの第2次世界大戦中、ウクライナ民族主義者の過激派は、これをポーランドに対するテロの口実とするのみならず、ユダヤとロシアの大衆にも援用した。

ソ連崩壊とウクライナの選択

1922年、ソビエト連邦が創られると、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国は創設国の1つとして、ボルシェビキ党員間で激しい議論がおこなわれたのち、平等な権利を有する共和国連邦として1つの国を形成するというレーニンの構想が実現された。連邦共和国から諸共和国が分離する権利に関しては、ソビエト社会主義連邦共和国創立宣言書にあるし、次に、1924年のソ連憲法にもある。そういうわけで創始者たちは、国家の基盤に、もっとも危険な時限爆弾を埋め込んだのである。結局は、内部から崩壊したソ連邦共産党の指導的役割の形での安全装置が消えるや否や爆発した。
「主権、主権のパレード」が続く。1991年12月8日、独立国家共同体(CIS)の創成に関するベロベーシ合意(注6)が署名にいたり、「国際法と地政学的現実の対象としてのソビエト連邦はもはや存在しない」と宣言された。ところで、ウクライナは決して、1993年に採択されたCIS憲章を承認せず、サインせず、批准しなかった。
1920年代から1930年代、ボルシェビキは、積極的に「地方化政策」(注7)を推進した、それは、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国では、ウクライナ化の形をとった。象徴的には、この政策の下で、前中央ラーダ議長であり、ウクライナ民族主義思想家のひとりで、かつてはオーストリア−ハンガリーに支援されていたミハイル・グルシェフスキーが、ソ連邦に帰還して、科学アカデミー会員にえらばれている。
地方化政策は疑いもなく、ウクライナの文化と言語、アイデンティティの発展、強化振興に大きく貢献した。と同時にいわゆるロシアの大国主義、排外的愛国主義との見せかけの闘いを演じるため、ウクライナ化は、自分たちをウクライナ人と思っていなかった人を抑圧した。このソビエト連邦の民族政策によって、大ロシア人、小ロシア人、白ロシア人からなる三位一体のロシア人を、ロシア人、ウクライナ人、ベラルーシ人という3つの異なったスラブ民族として国家レベルで固定化したのである。
1939年、以前にポーランドによって占領された土地は、ソビエト連邦に返還された。その重要な部分は、ソビエト・ウクライナの一部分となった。1940年、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国は、北部ブコビナと同じく1918年以来ルーマニアに支配されていたベッサラビアの一部を領有した。1948年、黒海の中にあったズメイニー島(蛇島)は、ウクライナに編入された。1954年、ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国のクリミア州は、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国に移管された。当時施行され、その時点で効力のあった諸法規を破っておこなわれたのである。
カルパチアのルテニアの運命について、じっくり検討したいと思う。それは、オーストリア−ハンガリーの帝国の解体に伴って、チェコスロバキアの一部となっていた。ルーシンと呼ばれる人々は地方の人口のかなりの部分をしめていた。これ以上あれこれ述べることもあるまいが、ソビエト軍のトランスカルパチア解放の後、地域の正教会の住民議会は、カルパト・ルーシをロシア・ソビエト連邦社会主義共和国に含めるか、または直接ソビエト連邦に、別のカルパチア共和国として含めることに票を投じていた。しかしながら、民衆の声は、聞き入れられなかった。1945年夏、『プラウダ』紙の表現によれば、カルパチア地方のウクライナは「古代の祖国ウクライナ」と再統一されるという歴史的行為が発表された。

<プーチン論文訳Aの注>

(注4)ガリツィア(ウクライナ語ではハリチナー):現在のウクライナ南西部からポーランドの最南部を含む地域を指す。歴史的には、古代キエフ公国、ポーランド・リトアニア共和国、オーストリア・ハンガリー帝国、ポーランド領などを経て、戦後ソ連領ウクライナに属する。住民はウクライナ人が多い。中心都市はリヴィウ(ロシア語ではリボフ)、一番長かったオーストリア・ハンガリーの領有時代に、この地がウクライナの民族文化や民族運動の中心となった。ロシア帝国より民族抑圧がより緩やかであったためもある。文中に出てくる、ここを中心に結成されたウクライナ・シーチ・ライフル部隊は中央ラーダというウクライナ独立運動の軍隊・ウクライナ人民軍の中心となった。中央ラーダの敗北後、20年代から30年代に、ウクライナ独立運動の主体としてソ連赤軍とナチス・ドイツ軍の双方と激しく戦った、ウクライナ民族主義者組織(OUN)とウクライナ蜂起軍(UPA)は、ガリツィアを中心に闘い、一時数十万の組織を有し、赤軍もドイツ軍もこの地に介入できない状態をつくり出した。

(注5)中央ラーダ:ラーダとはウクライナ語で評議会の意味で、ロシア語のソビエトと同じ意味である。1917年3月に、ウクライナの基本的政治勢力を結集して結成され、4月に開催された全ウクライナ人民大会で支持された。中心を担ったのは、ウクライナ社会民主労働党とウクライナ社会革命党であり、いずれもロシアのような左派・右派の区別は未分化であった。この中から、ボリシェビキとは別に「共産主義」を名のり、コミンテルンに加盟を申し出る政党が3つも出現する。中央ラーダは、当初、ロシア連邦の中でのウクライナの自治を求める立場であったが、1917年10月には第3次布告で「ウクライナ人民共和国」の創設を宣言した。1918年1月にはウクライナの完全独立を目指すことを宣言する(第4次布告)。ボリシェビキが中心となって組織したソビエトは2、3の地方でラーダを否定しつづけた。やがて1918年4月以降、赤軍が投入され、反革命の白軍、無政府主義者の黒軍、農民の軍隊である緑軍、とラーダを支持するウクライナ人民軍の5者入り乱れての激しい内戦となる。1920年秋にはウクライナ勢力の敗北で内戦は終結した。それ以降のウクライナ独立を目指す運動と、1991年以降の独立ウクライナの政権はすべて中央ラーダとウクライナ人民共和国を継承することを宣言している。プーチンは、ウクライナのラーダ政権が、第1次大戦末にドイツ・オーストリアの同盟軍やポーランド軍と取引したことを非難しているが、ブレスト・リトフスクで、1918年3月に独・墺にウクライナやバルト3国をすべてドイツ側に売り渡して講和を買ったのはロシアのボリシェビキ政権ではないか。またプーチンは、ウクライナの5派の内戦に関して、反革命の白軍が大ロシアの統一を守ったとして美化している。

(注6)ベロベーシ合意:1991年12月8日、ロシアのエリツィン大統領、ウクライナのクラフチューク大統領、ベラルーシのシュシケービッチ最高会議議長が、ベラルーシのベロベーシでおこなった秘密会議、およびその会議でまとまった合意を指す。ソビエト連邦の解体と独立国家共同体(CIS)の設立を宣言した。会議の内容が公表されず、旧ソ連構成国の他の国は招請されていない。その後、1991年12月のミンスク合意やCISの結成にあたっての憲章などで確認したことは、(1)独立国家共同体の参加国の主権尊重、国境不可侵、(2)旧ソ連の対外債務・債券・資産の分割は合意で決める、(3)各国軍を解消してCIS統一軍というロシアの提案を検討する、これらをすべて破っているのがプーチンのロシアである。グルジア・モルドバ・ウクライナの領土を侵し、対外資産・債券を一括してぶんどり、CIS統一軍に関してはどの国も賛成しなかった。逆に、自ら核兵器を放棄したウクライナ・ベラルーシ・カザフスタンには核を独占した立場から恫喝と軍事的庇護下にはいることを強制している。

(注7)地方化政策:「土着化」とも「先住民族化」とも訳される。1923年からスターリンが完全に権力を握る1930年代前半までの期間、ソ連全体で採用された民族政策。構成共和国の内部で土着の民族を「優遇」する措置を取った。言語・文化の尊重、政府職員への現地民族出身者の採用などである。被抑圧民族地域での民族エリートの養成が軸となり、やがてスターリンの時代になると、ロシア語の強制(軍隊・学校・政府機関)、宗教などの統制(イスラム教徒やウクライナのユニエイト派の弾圧、等々)。やがて第2次大戦時には「大祖国防衛戦争」の名目で、一切を大ロシア愛国主義で塗りつぶす。プーチンは「地方化」が旧ロシアの分裂を生んだと否定的に評価し、スターリン以上にツァーリ専制時代を美化する。(つづく)

8面

原発・沖縄・三里塚
田中徹先生との弥次喜多道中

田中徹先生が、8月10日未明、亡くなられました。84歳。心からご冥福をお祈りいたします。最後の4年間は、肺ガンに始まり、脳への転移が二度にわたり、最初の2年間は、関西電力本店前の金曜行動や大阪駅前での辺野古新基地建設反対の大阪行動に通い続けられましたが、最後の2年は、臥せることが多くなり、昨年の12月24日、自ら運転して関西電力本店前闘争を訪ねられたのが最後でした(顔写真は、その折の集合写真から)。
30年以上、北海道で公立の病院の小児科医として働かれた田中先生は、退職して滋賀県野洲に建てられていた家に入り、東大阪の荒本平和診療所に医師として勤められました。その時に、具体的な闘いの場に加わりたいと考えられ、三里塚の闘いを選び、私が紹介されました。2000年過ぎ頃の三里塚現地での全国集会でした。私とはだいぶ違う運動観で、何度、口論、喧嘩をしたでしょうか。しかし、なぜか何時も弥次喜多で、それ以来、亡くなられるまで、常にご一緒させていただいていたように思います。沖縄を案内しろと言われ、1週間かけて南端の摩文仁岳から北端の辺戸岬まで案内し、もちろん、辺野古、高江にも伺ったのが、今では、楽しい想い出です(案にたがわず、この時もホテルで大ゲンカしましたが)。
大阪での関西電力本店前での行動や、集会やデモの後、何度も田中先生の行きつけの寿司屋などで、奢っていただきながら、田中先生の人生を聞かせていただきました。
貧しく、お小遣いももらえなかった先生は、中学、高校の殆どで、教科書や参考書を先輩から譲ってもらい自宅での独学で、京都府立大に入学。再入学して京都大学医学部に進まれました。時代からいって、多分60年安保闘争から始まり、学生時代に当時としては珍しく自家用車をもっていたことから、戸村一作さんなど著名人の移動を某党派から依頼され、繰り返しされていたようです。インターンから医師になられた頃に、京大闘争。まずは巨額なカンパを要請され、当時すでに結婚されていたのに、家の中は常に素寒貧だったと。そして同学会などの闘いに医師としてヘルメットをかぶって先頭に加わり、民青の部隊と激突したことなどを楽しそうに語っておられました。京大の時計台の前の広場で、ぶっ倒されて大の字になって伸びてしまったことなども。
北海道の公立の病院に勤められてからは、闘いの前線からは退かれますが、巨額のカンパをされていたようで、「億はくだらない。今の党派の現状を見ると返してほしいね」と、よく私にぼやいておられました。それを経て、先に書いたように、私との弥次喜多道中が始まりました。
本当にいろいろとお世話になりました。心安らかにお眠りください。重ねてご冥福をお祈りいたします。
三里塚関西実行委員会 松原康彦 22・8・24

田中先生は関実会員でもあり、長らく物心両面で支えていただきました。ありがとうございました。関実事務局
三里塚関西実行委員会『実行委ニュース第181号』より転載
見出しは本紙編集委員会

(シネマ案内)
記録映画『国葬』
監督:セルゲイ・ロズニツァ 2019年製作

1953年3月5日、ヨシフ・スターリンが脳卒中の発作で斃れた。翌6日、ラジオからスターリンの業績と死をいたむ放送が流される。「レーニンの事業の協力者であり、その天才的な継承者、共産党とソ連国民の賢明なる指導者にして教師―その人物の心臓は鼓動を止めた」。スターリンを追悼する新聞を買う人々の列、食い入るようにこれを読む人びと。カメラはひたすら群集の表情を追う。スターリンが安置された棺に最後の別れをするために、モスクワの円柱ホールに人びとが集まっている。映像には写っていないが、人の群れに押されて圧死する事態もおきている。
カフカスの山々、カスピ海の油田地帯、ステップ地帯に暮らす遊牧民、シベリアの雪原、モンゴルの草原。スターリンの銅像や遺影をかこんで、それぞれの地域で追悼式がおこなわれている。人々はみんな悲しみ、涙を流している。葬儀に参列するために、東欧諸国から代表がモスクワにやってくる。中国からは周恩来が来ている。
スターリンの葬儀は5日間にわたってソ連邦内の各地でとりくまれた。この葬儀の様子は、200人のカメラマンを動員して撮影されていた。スターリン個人をたたえるために、記録映画『偉大なる別れ』がつくられる予定であった。しかし、56年からはじまるスターリン批判のなかで、この作品はついに日の目をみなかった。ロズニツァはこのフィルムを編集しなおし、スターリンを支えた群衆に焦点をあてて再構成しなおした。それがこの作品だ。
当時、スターリンに疑問をもっていた人たちもいた。シベリアに流刑になった人びとはスターリンの死に喝采を叫んでいる。しかし、ここに集まった人たちはスターリンを信奉している。人びとは個人の意志で、スターリンを追悼するために葬儀に参加した。民衆はスターリン個人に従ったのではなく、共産主義社会の建設に希望をいだいていた。だから、スターリンに希望をたくし、同志として追悼した。
フィルムに写っている人々、映像をみている私たち。この両者が約70年の時間をへだててタイムカプセルに乗ったかのように相対する。わたしたちはすでにスターリンが何をおこなったのかを知っている。スターリン時代に殺害、処刑された市民は2700万人にのぼり、1500万人が餓死した。その国家建設はまちがっていた。
この記録映像のなかに、ロシア革命が人類に与えた衝撃、共産主義社会の建設をめざすその熱いいぶきを感じ取るだろう。一方で、民衆はなにも知らされていなかったとはいえ、このスターリン主義を支えたのは確かにひとりひとりなのだ。その共犯性は問われる。だから、今日の革命運動にとって、スターリン主義を乗り越えること(反スターリン主義)は切実な課題なのだ。
現在、ロシアはソ連邦の一員であったウクライナに侵略戦争をおこなっている。かたや日本で、岸田政権は安倍晋三元首相の国葬を政府内で取り決め、民衆に追悼を強制しようとしている。このとき、わたしたちはこの映像をどのように見るのか。これはきわめて今日的な課題である。(津田保夫)

特別カンパへのご協力ありがとうございました

読者、支持者のみなさん。特別カンパは目標を達成することができました。ご協力に感謝します。
当面、新聞の安定的継続的発行のめどがつきました。改めて、今日の階級闘争において、革命の思想、宣伝・扇動・組織化の武器として機関紙を活用し、紙面充実と改善、拡大にまい進したいと思います。
国葬強行粉砕、自民=統一教会の癒着と闘い、コロナ禍、ウクライナ反戦とともに沖縄闘争の新たな構築、反原発闘争、軍拡と改憲阻止のために闘い抜きましょう。
革命的共産主義者同盟再建協議会