未来・第349号


            未来第349号目次(2022年9月1日発行)

 1面  安倍の国葬粉砕・統一教会解体
     軍備拡大・原発推進の岸田を倒そう

 2面  「復帰」50年と沖縄の自己決定権
     8月21日大阪 新垣毅さんが講演

 3面  具志堅隆松さん 決死のハンスト
     8月14〜15日 靖国神社前で      

     美浜3号機再稼働できず
     8月10日 現地緊急行動     

 4面  安倍晋三と安倍政権の10大罪状
     国葬でなく終身刑が妥当

 5面  統一教会とゆ着する自民党政治家(中)

     安倍の罪状 核武装論者・安倍晋三
     核・原発でも反人民的姿勢

 6面  セックスワーク論批判 D
     性売買は、家制度の中で貧しい人に押しつけられた階級問題
     石川 由子

     訃報

 7面  連載
     侵略と併合を合理化 21年7月12日付プーチン論文
     「ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性について」

 8面  投稿
     平和・人権・多文化共生へ多彩な催し
     第7回平和祈念のつどい東大阪が開催

     コロナ第7波死者激増
     無為無策の岸田政権

     (本の紹介)
     改めて安倍政治を問うA
     白井聡(2022年6月 角川新書)
     『長期腐敗体制』

     特別カンパのお願い

           

安倍の国葬粉砕・統一教会解体
軍備拡大・原発推進の岸田を倒そう

安倍の国葬に反対して1200人が国会前へかけつけた(8月19日、東京衆議院会館前)

内閣改造失敗・支持率激減

7・8の一発の銃撃が、この国の政治支配(安倍一強=2012年体制)に風穴を開けた。首相退陣後も自民党最大派閥=清和会を使って人事・政策に影響力を及ぼそうと、参議院選では統一教会をも駆使し全国行脚した安倍晋三は、皮肉にも統一教会信者2世の銃撃に倒れた。最大の庇護者を失った岸田文雄首相は、早々と国葬を宣言し、安倍派と安倍に連なる「岩盤右派」の取り込みをはかった。主を失った排外主義右派どもは、その空白を埋めようと各地で蠢動を開始している。
しかしながら安倍支配の秘密兵器であったカルト宗教集団・統一教会=国際勝共連合と自民党の癒着の露呈は、そのあまりもの腐敗ぶりに世論は怒りで沸騰し、国葬批判も噴出となった。
この危機を回避せんと内閣改造を1カ月前倒しした岸田だが、統一教会に関係する7人の閣僚を更迭しても新内閣には8人の関係閣僚が座り、関係副大臣・政務官は23人で、「統一教会オンパレード内閣」となった。党の要職・政調会長の萩生田光一は市議・都議・落選時から統一教会と一体であったことが暴露されている。また極右・嘘つき人間=杉田水脈まで政務官となるなど、岸田政権の反人民性が明白となり、その上岸田自身の統一教会との関係も暴露された。内閣支持率は毎日新聞では支持率36%、不支持54%と「危険水域」寸前となった。

被害者救済・国葬強行で幕引き狙う

さらに、早々と決めた安倍の国葬にも批判が拡大し、国論二分どころか、7割・8割が反対となるほどだ。統一教会問題での政府・自民党の対応への批判も増大し、こちらも7割・8割が納得できない状態だ。
自民党(特に安倍派)と統一教会の癒着が暴露され不信が拡大し、それを突破せんと思いついたのが「被害者に思いがいたらなかった」「被害者救済」論だ。
統一教会問題は、霊感商法や高額献金での家庭崩壊にとどまらない。その金をもとに政治家を買収し広告塔にするだけでなく、選挙を通じ議員と密接な関係を作り、統一教会=勝共連合の反共・差別排外主義・男女平等否認・家族イデオロギーなどを、地方議会を含め政策、条例、法案に反映させてきた。自民党改憲草案には、統一教会の唱える緊急事態条項や「個人の尊厳より家庭が第一」が反映され、選択的夫婦別姓反対の多数派工作をおこない、こども庁を「こども家庭庁」に名称変更させるなど、自民党・政府の政策に反動的影響力を行使している。この癒着に気づき、なおかつ「縁が切れない」自民党に人々が急激に反発を強めている。これへの打開策が、「政府関係省庁での元信者・2世救済策」だ。「被害者救済策」と国葬強行での、統一教会問題の幕引きを許してはならない。

ロシアは撤退を!

東アジアの戦争挑発を許さない 8月24日で、プーチン・ロシアのウクライナ侵攻から半年が経過した。当初の短期日でのウクライナ占領・傀儡政権樹立は失敗し、占領下の東部・南部・クリミア半島でもウクライナ人民の解放戦争が激しさを増している。21年7月のプーチン「民族的一体性」論文こそ、今回のウクライナ侵略戦争の本質だ(本紙7面に連載開始)。長期化が予想されるが、ウクライナ人民の解放闘争に連帯し、ロシア軍の撤退を求めて闘おう。
また東アジアでは米帝バイデン政権の戦争挑発に怒りが増している。ペロシの挑発的な台湾訪問や、韓国周辺での米韓合同軍事演習を許してはならない。岸田政権はこれと一体で台湾危機をあおり、琉球弧への陸上自衛隊地対艦ミサイル配備と戦争挑発を強めている。ウクライナ戦争を利用し、日本の軍備拡張・核武装化の先頭に立ってきたのが安倍であり、それを受け継ぐのが萩生田自民党政調会長だ。今年度防衛予算の急増を許してはならない。いずれの戦争もそこに住む住民の生命を顧みず、無辜の民を殺戮する。ロシア・プーチンの戦争や、米帝バイデン・日帝岸田の戦争挑発を許してはならない。

国葬反対に総決起を

国葬反対と統一教会問題究明の世論に追い詰められた岸田政権は、臨時国会も開かずひたすら防戦一方だ。コロナ感染者も世界最大数が連日発生し、死者数も過去最高だが無為無策だ。これらを反動的に突破せんと、萩生田自民党政調会長は、来年度予算概算要求で防衛費の大幅増をぶち上げた。
さらに岸田首相自身が原発政策の全面見直し、再稼働の拡大・新増設にまで踏み込んだ。軍拡・原発推進を許してはならない。萩生田・岸田を窮地に追い込もう。マスコミの国葬翼賛キャンペーンを許さず、国葬粉砕へ総決起しよう。9月沖縄県知選に勝利しよう。国葬粉砕こそ我々の主権を取り戻す道だ。ともに闘わん。

2面

「復帰」50年と沖縄の自己決定権
8月21日大阪 新垣毅(あらかき つよし)さんが講演

STOP! 辺野古新基地建設! 大阪アクション結成8周年集会が8月21日に大阪市内で開催された。
冒頭、主催者を代表して司会が、この1年間の「大阪アクション行動報告・会計報告」をおこなった。

集会後、京橋までデモ行進(8月21日、大阪市)

新垣毅さんが講演

集会では〈軍事要塞化進む琉球列島―『復帰』50年と沖縄の自己決定権〉と題して、新垣毅さん(琉球新報編集局次長兼報道部長)が講演した。以下、概要を紹介する。

「復帰」50年の節目、いろんな動きがある。ウクライナと台湾、このこととの関係性・教訓がある。
まず、「復帰」50年をどういう思いで沖縄の人は迎えているのかと問いかけ、琉球新報の1972年当時の紙面と今年の5・15の特別紙面を示した。
当時、「復帰」5・15を「きびしい前途、なお残る核」と縦書きした紙面を示した。50年たった今、沖縄はどうか。その結果、「5・15に変わらぬ基地 続く苦悩」「いま日本に問う」とある。「果たして、沖縄は日本なのか」と問う意味もある。
50年たって沖縄は、軍事基地のない島を目指したはずなのに、基地機能が強化され、自衛隊基地までも。米軍の核搭載可能な新型ミサイル計画が進んでいる。
全国の70パーセントもある沖縄の在日米軍基地は、最新鋭の新しい基地になっても減らない。最新鋭=基地機能が強化される攻撃性をもつ。中国はこれをどう見るか。
「命どぅ宝」という新たな市民団体ができた。辺野古反対だけでは沖縄は生き延びれない。これを止める方法を取り組まないといけない。
ウクライナ戦争、「台湾有事」を煽って「敵基地攻撃」、軍事費のGDP比1%突破すると沖縄は戦争へむかう日本の最前線になる。「台湾有事」の時、日米共同の戦争準備の最前線、これが50年目の沖縄だ。
当時、「復帰」運動をやっていた人は教師や名士。沖縄の人は二等国民と言われ、差別されないため、戦場動員に応じてしまった人たちでもある。アメリカの異民族支配から脱して戻りたいという民族主義が主だった。
戦後、沖縄で民間地収奪はコーラ1本の値段で土地収奪がされた。これは人権問題だと在沖のアメリカ人が取り上げ、ここから沖縄の土地闘争が始まった。人権問題に目覚めた。
日本の憲法が輝いてみえる。祖国復帰協議会は憲法への復帰を唱えた。
ベトナム戦争が始まって、沖縄が出撃基地になる。アメリカの兵士などの担う国際的な反戦運動が沖縄復帰運動と結びつき、反戦復帰となっていく。
屋良朝苗さんは基地のない復帰を唱えたが、裏切られた。屋良建議書で直訴した。70年代、国会は論議が尽くされぬまま、屋良さんが羽田に着いたとき、強行採決された。沖縄が弊履のごとく扱われる。当時の復帰への思いは今、どうなったか。

核ミサイルと自衛隊南西配備

第一に、中距離弾道ミサイル配備は本土では報道が弱い。日本政府は「知らない」と言っているが、共同通信は米軍が対中ミサイル配備の予算要求したと報じた(2021年3月6日)。コルビー元米国防副次官補(トランプ政権)は「中国の台湾進攻抑止に在日米軍基地への地上配備型ミサイル導入が必要」(インタビュー記事、2021年6月7日)と述べている。
アメリカは「ミサイルは配備するが核は搭載しない」と言うかもしれないが、アメリカは核配備の有無を明らかにしない政策。核弾頭配備がないからミサイルは非核三原則を破っていないと言おうが、詭弁だ。
第二に、自衛隊南西諸島配備。宮古島はすでに、石垣島はこれから。配備されたミサイルは、技術的改良によって中国攻撃可能なミサイルに改良可能。2019年INF全廃条約の失効によって「新冷戦」といわれている。
どこが火種かというと「台湾有事」。アメリカは中東・アフガンを放棄した。そのかわり台湾重視・対中国戦。
アメリカ、ロシア、中国、インドが衝突しつつある。この中で一番危険なラインが台湾。ロシアに経済制裁しても効かない。ウクライナ戦争は終わるのか? 長期戦に入っていく。
佐藤・ニクソンの核密約で沖縄には「有事に核を持ち込んでよい」という。具体的には那覇、読谷、辺野古、嘉手納の4つ。那覇と読谷は撤去された。辺野古と嘉手納の2つに核を持ち込ませる可能性がある。
一方で、辺野古弾薬庫がリニューアルされている。普天間にはない新たな核弾薬庫。辺野古には揚陸艦着岸可能な港ができる。普天間には港がない。北朝鮮の核実験に対してアメリカは原潜を使っている。横須賀、佐世保、ホワイトビーチに寄港している。果たして日本の非核三原則(もちこませず)はなしくずしになっている。
海兵隊の存在が中国に対抗するものとして再重視されている。空爆、ミサイルの時代に肉弾戦は時代遅れということで、海兵隊削減の流れにあったが(その時、沖縄米軍の60%は海兵隊)、近年変わった。今再び中国の攻撃に対して離島奪還するのに陸自と海兵隊の共同作戦を使う。しかし、いざ紛争のとき、住民保護計画は進んでいない。何万人もの住民プラス観光客をどういう手段で速やかに避難させるのか。現実的でない。自衛隊幹部は「作戦では住民保護に手がまわらない」と。45年の沖縄戦と同じだ。住民を逃がすこともできず、巻き込まれる。
この間の動きは中国から見ると挑発に映っている気がしている。

ウクライナと台湾

ウクライナ戦争は、単純にプーチン=悪、ゼレンスキー=善で見てしまうと何を学ぶか見えない。何でロシアはウクライナ戦争をやったのか。
日本では「攻められたらどうするか」ばかりが煽動の軸になっている。でなくて、「戦争が起こらないように」から考えるべき。
ナショナリズムを煽り利用してきた。ロシアはどういっても非難されることを前提にしたうえで、NATOが拡大しない約束をなしくずしにしてきた。ロシアを追い込んでしまった。武力に発展しない取り組みをやるべきだった。
戦争はなぜ長引いているのか。アメリカの狙いは、@戦争を長びかせることでロシアの国力の衰退を狙う、A軍産複合体の利害、B秋の中間選挙への有利を狙う、など。しかし、長引かせることで、最大の犠牲は民間人。琉球新報は「停戦」を呼び掛けている。まずは止めよう。
沖縄戦は本土決戦の時間稼ぎの為の犠牲。近衛は戦争について上奏文を出したが、天皇は「もう一度戦果を出さないと有利な条件をとれない」と長引かせた。戦争を長引かせることがいかに悪か。
「台湾有事」とウクライナ戦争は背景が違うが、大国の思惑で国際的取り決めが破棄されるなど似ている。
国連180カ国が中国が唯一の代表と国連総会で採決した。アメリカの台湾情勢介入は今までの外交合意と違う。中国からすると、挑発だ。
アメリカは国内アピールのため、ペロシ下院議長の訪台をやった。中国の考え方は「平和的包摂(徐々に)」ということ。ただし、一線を画したらダメ。蔡英文は「独立」を明言していない。「香港の次は台湾じゃないか?」となっている。
片や、日本は、日中国交回復の共同宣言で「一つの中国」とした。78年友好条約でも再確認した。「台湾有事」での武力準備は今までと違う。
自民党は外交セオリーを無視している。日中国交回復の原点に立ち返らないといけない。「敵基地攻撃」「反撃能力」はどういうことを意味するか。中国は2百万の軍隊、核兵器保有。評論家は「日本は破滅する」という。防衛費GDP比2%をかかげるが金はどこから。夢物語だ。日本の国力は超高齢化でいかに安定化すべきかという時に敵基地攻撃というおかしさ。
日本の改憲=自衛隊強化を戦争準備ととらえ、中国が受け止め、動けばお互いに軍事演習。中国に日米対抗。 中国の外務官僚に電話で聞いた。制服組同士は紛争にならないようにホットラインを作っている。米中は、今、機能してるか?と聞くと、途絶えていると。かなり危険な状態。偶発的衝突の可能性ある。
アメリカは全面戦争は望んでいない。地域防衛戦=南西諸島の防衛。しかし、そこに人が住んでいる。自衛隊基地が集中していると集中的放火を浴びる可能性大。
今後どうしていったらよいか。軍拡が戦争の緊張を高める。キューバ危機の時、沖縄からミサイル発射が現場指揮官の判断でストップした。また、誤ってミサイル発射したが海に落ちた。沖縄には復帰前は1300発の核ミサイルがあった。
対話をはかれる緩衝地帯をつくること。沖縄も平和の緩衝地帯の一つになりたい。
その第一歩として核不使用宣言。岸田のNPT会議発言は中身がない。せめて核の不使用宣言を働きかけてほしい。NPTで認めている核保有国は5カ国。中国だけが核先制不使用宣言している。新冷戦の時代、やれるところからやっていこう。ゴルバチョフのいう「人間の安全保障」、90年代に国連が提唱した。貧困、食糧問題、気候変動、核の脅威=軍拡、これらは自らをほろぼすもの。今いわれている安全保障を転換すべき。

自己決定権

沖縄はまだ植民地的な扱いをされている。琉球処分以来、地域を国防の道具とされている。これを脱却することだ。
自己決定権は必ずしも独立につながらない。2013年1月建白書は沖縄の全41市町村長が署名した。「オスプレイ配備撤回と普天間飛行場の県内移設断念」、この建白書を生かしていこうというのが翁長さん。「イデオロギーよりアイデンティティー」。分断は植民地支配の常套手段。
2019年県民投票。72・4%。7割が辺野古新基地建設に反対。これこそ自己決定権の行使だ。
よく「中国は人権侵害している」という。しかし、沖縄はどうか。民主主義=直接投票使ってワンイシューで民意が決しているのに、それを無視する。
ヤマトの日本版排外主義は黙殺。国民も。中国批判に飛びつくが、足元は見えてない。日本は沖縄とどう関係をつくっていくのか。
沖縄が憲法に復帰した。日本人も憲法に復帰すべき。緊張関係を和らげ、生き延びるため憲法の平和主義・国際協調主義が求められている。
沖縄は日本と離婚したいのではなく、関係を結び直したい。彼らの独立論は、自己決定権のある種の行使。沖縄を平和主義、緩衝地帯として位置づけ直していく。沖縄を単に日本の一部としてみないで、東アジアのへそ、要として見ることだ。二度と沖縄を戦場にしたくないと訴えている。
質問応答の後、宮古島行動の報告があり、集会終了後、京橋までデモ行進をおこなった。

3面

具志堅隆松さん 決死のハンスト
8月14〜15日 靖国神社前で

沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」の具志堅隆松さんが8月14日、15日の二日間、東京の靖国神社前でハンガーストライキをおこなった。具志堅さんは、沖縄・辺野古の新基地建設の埋め立て土砂の調達先に、戦没者遺骨の混じる南部地域を含めるのを国に撤回するよう求めている。
ハンスト前夜の13日、都内で「具志堅隆松さんのハンストを応援する集い」(主催・具志堅さんのハンストを応援する実行委員会)が開かれ、台風の直撃による大雨にもかかわらず多くの市民が詰めかけた(写真上)
冒頭、具志堅さんの活動を収めた映画「骨を掘る男」(奥間勝也監督)のパイロット版が上映された。

具志堅さんの発言

「話したいのは二つ。まず、南部戦跡の土砂を使った建設計画は間違っているということ。そして、沖縄が再び戦場になる可能性が高くなってきたこと」
「(台湾有事の際に)日米両軍が40カ所の攻撃拠点を作って中国軍を攻撃する案を作った。中国が台湾を攻撃したら沖縄から攻撃するので自動的に沖縄が戦場になる」
「遺骨収集してきたのは遺族にお返ししたいのと、戦争の実相が殺し殺されることで、二度とやってはいけないということを訴えたい」
「戦争を避けることはできなかったのか、負けるのがわかっていてやめさせることはできなかったのか…これは戦没者と会って考えてきたこと。年寄りに『止めることはできなかったのか』と問うと、『そんなことを口にするのはたいへんなこと』と言われた。私たちはまだ言える。(日本の民主的な法制度は)そんなに長い歴史があるわけじゃない。言えるうちに『私たちが主権者ですよね』と確認したい」
「ウクライナの悲劇が沖縄の悲劇になるんじゃないか。宮古八重山の住民は避難できない。避難しても帰ってくることができるのか、避難先で生活できるのか、と考えると、中国軍が(台湾を)攻撃しても沖縄から攻撃しなければ反撃されない。出ていくべきは住民ではなく軍事基地。このことは政治的イデオロギーではない」
「昨年11月20日に防衛施設庁に(遺骨を含んだ土を使わないよう)要請した。いくらなんでも改めるだろうと思っていた。『内部で検討したいと思います』とのことだった。『戦没者の遺骨があることを知っていましたか』と訊いても答えない」
「次に今年2月に要請に行って『(戦跡の土砂を使う計画を)撤回してください』と言ったら、2月17日の岸防衛大臣の赤嶺政賢議員への答弁を読み上げただけ。『(具体策は)決まっていないが業者には配慮を求める』としか言わない。遺骨について知っているかを問うと『新聞等で報道されている範囲で知ってました』とのことだった」
「各都道府県で、沖縄戦で何人死んで何人帰ってきたのかを調査してほしい。帰ってきていなければ埋まっている。それを海に捨てようとしている」
「先月2〜7日の国連の先住民族の権利に関する専門家機構に、遺骨を含んだ土砂の問題と台湾有事の問題で日本政府を監督してほしいと訴えた。先住民の土地で軍事活動してはならない、(土地等の使用の決定には)先住民を関与させるという国連の宣言(先住民族の権利に関する国際連合宣言)がある」
「明日・明後日はご遺族に(遺骨問題を)伝えたかった。靖国神社前で(遺骨を含む土砂の使用の是非を問う)シール投票をやる」

美浜3号機再稼働できず
8月10日 現地緊急行動

8月10日、福井県美浜町で「老朽原発・美浜3号再稼働阻止! 現地緊急行動」がおこなわれ、地元美浜町をはじめ福井県下、関西一円から80人がかけつけた(写真上)。主催は、老朽原発うごかすな! 実行委員会。

「10日再稼働」宣言するも、できず

再稼働すると関電が予告していた8月10日、ついに原発は動かせなかった。特定重大事故等対処施設が未完成のため、美浜3号機は昨年再稼働を強行したものの、わずか3カ月間の営業運転だけで停止していた。その後、特定重大事故等対処施設が完成・運用開始をうけて「2022年10月下旬に再稼働する」と発表していた。
ところが今年6月、突如「運転再開(並列=発送電)10月20日予定を8月12日に変更」と発表した。
[注]運転再開が12日ということは再稼働(原子炉起動)が10日頃という意味。
その報を受けて、7月24日には、美浜町で「再稼働阻止」をかかげた現地全国集会がおこなわれ全国から3百人が集まり、大規模な抗議行動を展開。そして8月10日にむかって抗議の声が広がっていった。
そのさなか、8月1日、美浜3号機が大事故を起こした。1次冷却材(軽水)を原子炉に送るポンプの軸封が機能不全になる(ポンプの送水不能をおこす)危険性を持った事故だ。原子炉に1次冷却材(軽水)が送り込まれなければ原子炉は空だきとなり、炉心溶融=メルトダウンに至る。「3・11」と同様の結果となる。
この事故で、8月10日に予定していた再稼働(原子炉起動)どころではなくなった。関電は今に至るも、原因や再稼働時期を公表できない状態に追い込まれている。

8・10現地緊急行動

再稼働延期になるも、10日の緊急行動は予定どおり取り組まれた。かんかん照り猛暑のなか、12時半、美浜3号機を対岸に見る町営施設の前に次々と、マイクロバスやワゴン車が集まってくる。
デモ出発前の発言で、同実行委員会の木原壯林さんは「いまや関電原発の事故は当たり前(のように起きている)、大事故になってないだけラッキーというべき。必要のない原発は動かすな。電力の逼迫を大騒ぎしているが、一時的な逼迫は節電で乗り越えられる。電力は足りている」と述べた。
午後1時、原発ゲート前に向かってデモ出発。デモには地元美浜町の住民も参加。ゲート前はガードマンや機動隊による厳戒態勢が敷かれ、バリケード封鎖。原子力規制庁の官僚が、ゲート前にある関電美浜原子力PRセンターの2階からわれわれのデモ隊を撮影していた。
デモ終了後、関西電力原子力事業本部に車で移動。関電に対する抗議行動をおこなった。途中、代表団による申し入れも。
中嶌哲演さん(同実行委員会)は「8月1日の美浜3号機事故では放射能を含む7トンもの水が流出した。過酷事故が起きる前に原発を止め、廃炉にしよう」とアピール。
その後、町内デモに。

町民とともに

関西からの参加者が「さよなら原発」のヤッケを着用したまま街の店に入ると、地元の男性が「俺ら地元のもんがせんとあかんのに、すまんのう」と話しかけられた。
8・10行動にむけて宣伝する過程で、「老朽原発うごかすな」の鉢巻をまいた街宣車を見た女性が「思いは一緒です」との激励とともに、多量の冷たいお茶を差し入れるということもあった。
木原壯林さんは「3号機は、これだけトラブルが多いのだから、少なくとも総点検し直すべき。1カ月や2カ月の点検で、再稼働というのはありえない」と話す。美浜3号は再稼働するなの声をさらに大きくあげて、再稼働断念に追い込もう。(8月24日)

4面

安倍晋三と安倍政権の10大罪状
国葬でなく終身刑が妥当

安倍晋三元首相は20年退陣後も三度目の組閣を目指し、政治的影響力を行使してきたが、7・8でその道を断たれた。主を失った派閥の子分や岩盤右派どもは、安倍の遺志を継げと蠢動している。その企みを粉砕する政治的断罪=安倍の犯した10の大罪を確認したい。

一貫し憲法改悪

 1993年に国会議員になって以降、安倍晋三の終生の政治的悲願は、岸信介が果たせなかった憲法の改悪であった。大学の法学部に在籍したが、戦後憲法学の第一人者宮沢俊義の後継者で芦部憲法学として知られる芦部信喜の晩年の代表的著作『憲法』を、読んでないことが国会答弁で暴露された人物が、憲法改正を唱えること自身がお笑いだった。
安倍が唱えたのは「占領下にアメリカの手でつくられた憲法に代わり、自主憲法をつくる」であった。政治目的は「9条憎し」「戦争ができる国へ」の「法整備」で、高邁な人権思想や憲法観があった訳ではない。理想とする憲法草案(安倍改憲試案?)などは一度も示さず、ある時は96条からの改憲を唱え「裏口入学」と批判されとん挫。15年安保法制論議では国会招致の3人の学者から違憲と批判され、「合憲とする学者も多数」と言わせても(内閣官房長官)、ただの一人も示せなかった。
憲法改悪に対する執念は強く、「教育の憲法」といわれた教育基本法を06年に改悪し愛国教育・道徳教育をねじ込み、教育行政の政治的中立を削除した。また07年には国民投票法を制定した。

軍事大国化・戦争のできる国づくり

 憲法改悪のとん挫を逆恨みし、実質的な改憲=戦争のできる国造りをなし崩し的強権的に進め、自衛隊を「憲法に書きこむ」が最後の悲願であった。14年、憲法の番人=内閣法制局長官の人事を恣意的に行使し、7月には集団的自衛権容認を閣議決定した。翌15年9月には、国会を包囲する12万の人民を無視し、地球の裏側まで自衛隊を派兵できる安保法制を強行可決した。これは第二次安倍内閣の最大の罪で万死に値する。国家安全保障会議(NSC)を創設し、自衛隊の海外派兵を常態化させ、南スーダン派兵を強行した。治安弾圧法も数多く制定した。

歴史修正主義と対米追従・アジア敵視

 岸信介の系譜をひく安倍晋三の政治信条は「戦後レジームからの脱却」であった。そこには戦前日本の、1931年柳条湖事件から始まる15年にわたるアジア太平洋侵略戦争に対する反省などみじんもない。短命に終わった第一次政権の「美しい国」は、第2次政権でも受け継がれ、靖国参拝を強行。アメリカから失望と指摘されても、その歴史修正主義の基本は同じで、慰安婦問題・徴用工問題でも、外交政策でも、アジア人民への敵愾心は終生変えなかった。
憲法改正では対米自立を目指したはずが、現実政治では対米追随を繰り返し、イージスアショア、F35戦闘機など高額なアメリカ製武器を買わされ続けた。対ロ外交も卑屈のうちに失敗した。

官僚人事の首相官邸掌握

 憲政史上最長内閣を支えたものは、14年に省庁高級官僚人事を一元掌握したことに尽きる。高度成長期の大蔵(財務)官僚でなく、今井尚哉・杉田和博ら経産・警察官僚が官邸を占拠し、霞が関全体を支配した。このもとで森友事件の佐川理財局長など官僚の忖度が横行し、公文書改ざん、統計不正と乱脈を極め、明治期並みの縁故主義が跋扈した。詩織さんレイプ犯を不逮捕にした中村格警視庁刑事部長はのちに警察庁長官に就任するが、安倍銃撃死を防げず警察世界から追放。官邸の用心棒=黒川弘務の検事総長への就任も失敗した。

統一教会との癒着

 元来自民党支配の主流は、経済重視の吉田元首相の系譜をひく佐藤・田中・竹下・経世会と、池田・大平・宮沢と続く宏池会であった。岸・福田を始祖とする政治右派の清和会は保守傍流で、「自民党(実は経世会)支配をぶっ壊す」と小泉政権が登場した。その官房副長官から首相に上り詰めた安倍晋三を背後で支えたのが日本会議や統一教会の岩盤右翼だ。統一教会とは選挙協力と広告塔の関係で癒着し清和会の議席を増やした。八王子市議・都議時代から支援を受け09年落選後は教会に入りびたり、再選後に大臣・自民大幹部になった萩生田光一が典型だ。下村博文、柴山昌彦、萩生田光一らが系統的に文部科学大臣を占め、名称変更を認可。安倍は選挙での支援選定も直接采配。統一教会の理念は憲法草案で男女平等の破壊、こども家庭庁への名称変更など、この国を捻じ曲げてきた。

 

資本が活躍できる国

 この政治反動を支えたのは、アベノミクスに典型の経済政策だ。当初は株価が上がり、景気が浮揚と思わされ、戦争法などの政治反動での支持率下落を株価上昇で回復させ、国政選挙に勝利してきた。だが、10年たって賃金は下がる一方で、雇用は回復というが増えたのは非正規雇用だけだった。ロスジェネ・就職氷河期世代は救われず、生活保護受給者には基準の切り下げとバッシングが襲いかかった。その先兵は最終的に安倍派を選択した片山さつきらだった。安倍の思想は日本を「資本が最も活躍できる国に」で、労働者・市民は収奪・搾取の限りを尽くされたのだ。

マスコミ支配

 安倍が最も得意としたのがマスコミ攻撃だ。国会軽視・言論抑圧も繰り返した。93年にNHK番組に介入して味をしめた安倍は、その後も一貫して朝日新聞などマスコミ攻撃を主導した。慰安婦問題での吉田清治証言では首相が先頭になり朝日バッシング。マスコミ各社社長と会食し、個別番組にも介入。屈服した大手マスコミは翼賛質問ばかりで、市民の失望感は紙数激減として表出している。
国会でも平気でウソをつき、質問相手にヤジを繰りかえす。街頭演説でのヤジには、「負けるわけにはいかない」と絶叫、札幌ではヤジる聴衆を警察官が拘束・排除したが、警察は裁判で敗北した。

コロナ無策と五輪

 2020年のコロナ感染拡大からは、安倍に忖度しないコロナによって失策が続いた。アベノマスクは笑いものに。20年3月には全国一斉休校措置を指令した。東京五輪には最後まで執着したが、その過程での支持率低下が退陣となった。五輪はトラブル続きで今日も組織委幹部が逮捕されている。

沖縄建白書を無視

 沖縄基地問題では、「基地負担軽減」「県民に寄り添う」など嘘ばかりで、辺野古新基地建設を強行し続けた。そもそも13年の沖縄県民の総意としての沖縄建白書(県と全市町村の決議)を無視し、代表団(翁長雄那覇市長ら)との面会を安倍は拒否した。沖縄では選挙で負け続けても、19年県民投票をも無視して辺野古新基地建設を進めるだけでなく、自衛隊の南西諸島(琉球弧)への配備も進めている。この罪は重い。

福島原発事故に向き合わず

 2011年の福島第一原発事故に対しては、その責任を民主党政権になすりつけ、一切責任を取らなかった。そればかりか第4次エネルギー基本計画のもと再稼働を策し、放射能はアンダーコントロールされているとした。(5面参照)

安倍晋三と安倍政権の犯罪的行為

1993年 父・安倍晋太郎の後継として衆議院議員に当選
97年 安倍晋三・中川昭一らで右派議員連盟結成
97年5月 日本会議結成
第一次安倍政権
2006年12月 教育基本法改悪 「我が国と郷土を愛する」 「家庭教育」を挿入〜統一教会と同じ主張
2007年1月 防衛庁を省に格上げ
5月 国民投票法制定
2012年4月 自民党改憲草案発表(谷垣総裁時代) 緊急事態条項新設 国防軍明記、「家族の尊重」挿入〜統一教会案
12月 第二次安倍政権
13年8月 生活保護基準の大幅引き下げ
9月 2020東京五輪の開催決定 福島原発事故は「アンダーコントロール」の大嘘
12月 特定秘密保護法 国家安全保障会議設置法成立
14年1月 国家安全保障会議(NSC)を内閣に設置
5月 内閣人事局創設 官僚の人事権を官邸が握る 内閣法制局長官人事 日銀総裁 NHK会長人事も
7月 集団的自衛権行使容認 閣議決定
15年3月 道徳教育の教科化決定
9月 安全保障関連法制定
12月 慰安婦問題 当事者合意なき日韓合意
16年1月 マイナンバー制度開始
7月 参議院選で改憲勢力(3分の2)確保
11月 南スーダン派兵 「駆けつけ警護」
12月 カジノ法(IR推進法)成立
17年2月 森友学園事件発覚 国会で「関係なら辞める」発言
3月 教育勅語容認閣議決定 加計学園問題化
7月 テロなど準備罪(共謀罪)施行
18年10月 韓国大法院の「徴用工」判決に、「国際法違反」とデマ
12月 厚労省の統計の不正発覚
19年1月 成長戦略の原発発輸出がトルコ・イギリスで頓挫
5月 桜を見る会事件表面化
20年2月 中東(ソマリア沖)に海上自衛隊独自派遣 コロナ感染拡大 政府・厚労省の対応無策 
3月 全国学校一斉休校
4月 中国国家主席訪日延期 東京五輪延期を決定
5月 検察庁法改悪案に抗議殺到 断念に追い込まれる
9月 退陣
21年6月 土地規制法制定(菅内閣)
7月 東京五輪強行
9月 天宙平和連合(UPF)にビデオメッセージ送る
22年3月〜 核共有論 敵基地攻撃 防衛予算2倍化
2022年7月 銃撃死



5面

統一教会とゆ着する自民党政治家(中)

自民党政治家と統一教会の癒着がとどまるところを知らない。関係した閣僚は、内閣改造前の7人から改造後は8人に増える始末だ。副大臣・政務官も合わせると30人を超える始末。そのうえ岸田首相その人の熊本後援会長まで関与が露見した。骨がらみの癒着だ。統一教会もろとも葬り去ろう。

総務相:寺田稔(岸田派)*初入閣
入閣が決まった8月10日、2018年に開かれた旧統一教会関連の政治団体「国際勝共連合」に会合の会費として2万円を支払っていたことを明らかにした。

法相:葉梨康弘(岸田派)*初入閣
2008年頃、旧統一教会と関係が深いとされる「世界日報」が発行する月刊誌「ダイジェスト版世界日報 月刊ビューポイント」に自身のインタビュー記事が掲載されていたと8月15日の記者会見で明らかにした。葉梨氏は「メディアからの取材に対して、一つ一つそのメディアが一体何なのかということを、本当に調べなければ取材に応じることはできないんだろうか」「取材に応じたからといって、当該団体と関係があるとは認識していません」とも発言した。葉梨氏は元警察庁のキャリア官僚。

外相:林芳正(岸田派)*留任
2012年に旧統一教会と関係が深いとされる「世界日報」の取材を受けていたと8月10日の記者会見で明らかにした。林氏は8月2日午前の閣議後会見では旧統一教会との関係について「御指摘の団体(旧統一教会)とは、何ら関わりがない」と述べていた。

厚労相:加藤勝信(茂木派)*再入閣
自身が代表を務める自民党支部が2014年3月と16年3月、教団の友好団体「世界平和女性連合」に「会費」名目で1万5千円ずつ、計3万円を支出していた。また、自民党の総務会長時代に教団とつながりが深いとされる「世界日報」の取材を受けていた。

環境相:西村明宏(安倍派)*初入閣
8月10日の記者会見で、宮城県内での旧統一教会に関係するイベントで代表世話人を務めたことを認めた。ただし、イベントに出席したかどうかは確認できないとしている。

経済再生担当相:山際大志郎(麻生派)*留任
留任が決まった後、8月10日の記者会見で資金管理団体が2013年3月に旧統一教会の関連団体「平和大使協議会」に会費1万円を支払っていたことを認めた。また、関連団体のイベントに出席していたことも明らかにした。山際氏は8月15日の会見で、旧統一教会との関係について岸田首相は「認識していると私は理解している」と述べた。

地方創生担当相:岡田直樹(安倍派)*初入閣
旧統一教会の関連団体に「メッセージを出したり秘書が会合に出席していた」と8月10日、明らかにした。

経済安保担当相:高市早苗(無派閥)*再入閣
21年前に、旧統一教会と関係が深いとされる「世界日報」が発行する月刊誌に対談が掲載されていたことを8月10日の記者会見で認めた。高市氏は組閣前夜の8月9日、岸田首相から入閣要請の電話があった際に「21年前の掲載誌についても報告を致しました」と、事前に岸田氏に伝えていたことをTwitterで明かした。高市氏は「翌日は入閣の変更が無かったことに戸惑い、今も辛い気持ちで一杯です」とも綴った。

逢沢一郎(元国対委員長)
元国対委員長でもある逢沢一郎は、2018年以降、複数の旧統一教会関連団体の会合に出席している。
また、その際には来賓代表として、「(韓鶴子氏)総裁より本当に高額な多額な心のこもったご奉仕を頂きましたこと、ご寄付をいただきましたことを、私からも心から厚く感謝御礼を申し上げます。誠にありがとうございました」と祝辞を述べたことが報じられている。世界平和議員懇談会副会長。

井上義行(安倍元首相秘書官)
2000年から安倍元首相の秘書官を務め、先の参院選で自民党比例区選出で当選した井上は、世界平和連合青年フォーラムのイベントに登壇している。
また、旧統一教会の集会において同議員が「すでに信徒になった」という発言があったと指摘されている。

杉田水脈(現総務大臣政務官)
2016年に「幸福の科学や統一教会の信者の方にご支援、ご協力いただくのは何の問題もない」とツイート。
2019年には、国際勝共連合と関係が深い団体主催の会合で講演し、「懇親会までじっくりとお話しさせていただき、本当にありがとうございました。」などとTwitterに投稿している。

高木毅(自民党国会対策委員長)
2006年、安倍元首相らとともに、教団が主催する合同結婚式に祝電を送付。

山本朋広(「マザームーン」発言者)
山本は、旧統一教会が2017年5月に有明コロシアムで開いた「1万人集会」で、「日頃より世界平和統一家庭連合の徳野会長、また世界平和連合の太田会長を始め、本当に皆様には我々自民党に対して大変大きなお力をいただいていますことを改めて感謝を申し上げたいと思います」と来賓挨拶をした。

北村経夫
参議院議員の北村も、旧統一教会からの選挙支援を受けた議員の1人だ。北村は、2013年に全国比例で初当選した際、旧統一教会の選挙支援を受けており、教団の内部文書には、北村の当選の可否が「組織の『死活問題』」と記されていた。
また、UPFが2019年に名古屋市内で開いた国際会議でも「日頃よりみなさまには大変お世話になっております」と挨拶を述べていたことが報じられている。(つづく)

安倍の罪状 核武装論者・安倍晋三
核・原発でも反人民的姿勢

安倍晋三は、福島第一原発事故を反省することなく、原発再稼働を推し進めてきた。今日の原発再稼働を始めた張本人は安倍だ。また、安倍は核共有発言でもわかるように、核武装論者である。
これらは一体の関係にある。核災害における「被ばく」という点でも同じだが、核を求める勢力にとっては核=原発なのだ。以下、原発と核問題について、安倍の発言を具体的にみていきたい。

原発建設を推進

第1次安倍内閣において、06年12月、吉井英勝衆院議員(共産党)は、「地震による送電鉄塔の倒壊などで外部電源が失われ、内部電源(ディーゼル発電機や非常用電源)も働かなくなった場合、メルトダウンする危険性がある」「スウェーデンの原発で2系列の非常用電源が同時に故障した例がある」という質問趣意書をだしている。これにたいして安倍内閣は、スウェーデンの原発とは「異なる設計になっている」ので「同様の事態が発生することは考えられない。原子炉の冷却ができない事態が生じないよう安全の確保に万全を期す」という答弁書を提出した。吉井議員の警告に耳を傾けることなく、安倍はこれを無視した。この時、すべての原発に抜本的な対策を講じていれば、福島第一原発事故を防ぐことができたのだ。安倍はこの責任をかえりみず、原発事故後も原発を推進していった。

福島第一原発事故

13年9月、安倍首相は東京にオリンピックを誘致するために、リオデジャネイロで大嘘発言をした。「フクシマについて、お案じの向きには、私から保障をいたします。状況は、統御(under control)されています。東京には、いかなる悪影響にしろ、これまで及ぼしたことはなく、今後とも、及ぼすことはありません」。
被害者や避難者の存在を無視して、大企業は利益を追求していく。国家は住民の幸せのためではなく、資本家の利潤追求を助けてきた。この姿勢は、安倍政治に一貫している。

原発輸出は破産

第2次安倍内閣は、成長戦略として原発輸出政策を積極的におこなった。政権発足直後の2013年1月、安倍は東南アジア3カ国を訪問し、ベトナムに原発輸出を取りつけた。5月には、中東3カ国を訪れて、アラブ首長国連邦(UAE)とトルコに原発輸出を約束した。また、2016年11月、原発輸出を目的にしてインドと原子力協定を結んだ(2017年7月発効)。
これ以外に、台湾、リトアニア、ヨルダン、トルコ、アメリカ、イギリスなどに原発輸出をおしすすめた。経済界と手を組んで、安倍は「世界一安全な原発」と称して、トップセールスをした。しかし、原発事故をおこした日本の原発に国際競争力はなく、この原発輸出計画はすべて破算した。

原発再稼働に転換

2012年9月、民主党政権は原発事故以前に策定した「第3次エネルギー基本計画」を見直した。こうして、「エネルギー・環境会議」において「2030年代に原発ゼロ」を宣言した。安倍政権はこの「原発ゼロ」政策を転換するために、2014年4月に「第4次エネルギー基本計画」をまとめた。ここでは原子力について「重要なベースロード電源」として位置づけ、「発電時に温室効果ガスを出さない」といって、政策を原発推進に変更。こうして、安倍政権は原発再稼働を積極的に進めていく。
第2次安倍政権では、今井尚哉(前・資源エネルギー庁次長)が政務秘書官になり、柳瀬唯夫(前・経済産業政策局審議官)が事務秘書官になっている。今井は大飯原発再稼働(12年7月)を地元で工作。柳瀬はかつて「原子力立国計画」(06年6月)を作成している。経産省出身の2人の秘書官がこの政策を推進していった。

核武装は合憲?

安倍は、首相になる前から「日本の核武装」を公然と主張している。官房副長官の02年5月に、安倍は早稲田大で「非核三原則があるからやらないが、戦術核を使うことは岸信介首相の答弁で〈違憲ではない〉とされている」と語っている。5月の参院予算委員会では、「我が国が自衛のための必要最小限度を超えない実力を保持することは憲法第9条第2項によっても禁止されていない。したがって、そのような限度にとどまるものである限り、核兵器であると通常兵器であるとを問わず、これを保有することは憲法の禁ずるところではない」。今年2月、安倍はフジテレビ番組で核共有論を取り上げ、「日本は核不拡散条約(NPT)加盟国で非核三原則があるが、世界の安全がどう守られているかという現実についての議論をタブー視してはならない」と語った。安倍は、日本も核を持つべきだ、と言いたいのだ。
これまでみてきたように、安倍は原発を推進し、原発事故後も原発再稼働を推し進め、核武装を追求してきた人物だ。安倍は、ほんらい人民の手によって打倒されるべき人物であった。われわれは、こんな人物を「国葬」にして、追悼することはできない。安倍の「国葬」に断固として反対しよう。(津田保夫)

6面

セックスワーク論批判 D
性売買は、家制度の中で貧しい人に押しつけられた階級問題
石川 由子

私がセックスワーク論批判を書かなければならないと考えたのは『セックスワーク・スタディーズ』(SWASH編 日本評論社 2018年)という要友紀子らのセックスワーク派の本を読んだからである。全体を通して性売買と女性の貧困を関連付けることをあくまで拒否し、福祉をあざ笑う論調に憤りを覚えた。例えば性売買当事者の対談の中に「(戦後の)パンパンは貧困だからやっていたのではない。ただのアメリカ好き。女学校を卒業した不良」という内容があり、いくら何でもこんな暴論を当事者の声として出版する感性に驚いたからである。また、この論調の延長線上に戦後の売春防止法に対する性売買当事者らの反対運動があったと誘導しているように思えるからだ(YouTube『ゆっこちゃんくらぶ』要友紀子のサイト「セックスワーカーに対する差別と暴力はどう作られてきたか」)。この動画での要の主張は「性売買の労働そのものはつらいに決まっている」という一般的認識に対して「セックスワークはつらくもなければ貧困のためでもない。女性差別でもない。そうした視線だけが差別。視線だけが問題」という主張である。「当事者は、いつか性産業は無くなるべきだなんて思っていない。そんな人は一人もいない」と言い切っている。これも暴論ではないのか。

『女・エロス』第9号売春考から

リブ派の理論誌『女・エロス』第9号(女・エロス編集委員会 社会評論社 1977年)が「売春考 はるかなるエロス」と題して性売買を特集している。
巻頭言はこうだ。
「女たちは、引き裂かれた生と性に向きあって、『娼婦』と『家婦』のどちらかを生きざるを得なかった。『娼婦』は『娼婦の心得』のもと、性器を露骨な商品として、『家婦』は『婦徳』のもと、私的な生殖用奴隷として、男たちを支点にそれぞれが性商品の二面性を担ったのである。(略)わたしたちは、女同志(ママ)を分断しているこの現実を見すえ、『はるかなエロス』を『蘇生するエロス』に至らしめるために、今こそ、歴史創造に向かって歩み始めなければならない」
リブ派の文章は理解しにくいが、エロスとは今日的に言えば「性の解放」とでもいうべきか。セックスワーク派は、結婚制度や婚姻の中にいる女性を性売買当事者と対立的に存在するかのように表現する。しかしリブ派はそうとはとらえていない。対立どころかその二面性は連続しているととらえるのである。
「この社会のしくみの中では、富を持たない人間はおのれを商品として売る以外に生きるすべはない。資本主義社会は、あらゆるものを商品と化してしまう社会だからである。女であってもそのことから逃げられはしない。女の場合、男のように労働力を売るだけではなく、女という性をも含んで値踏みされてきた」(前掲書「性道徳からの解放」深江誠子)。
深江はさらに戦後の売春防止法に反対する性売買当事者のたたかいを「新吉原女子保健組合」の『婦人新風』という機関紙から言及している。戦後、日本政府は米兵の性病予防のために敗戦直後にRAA(Recreation andAmusement Associationの略)と呼ばれる慰安所を建設した。日本全国で仕事の内容を偽って女性を募集し、性労働をさせた。最盛期は7万人の女性が働いていた。しかし、米兵の性病は増える一方で、かつ「日本の婦女子をレイプから守る」という表向きの理由も効果がなかったため短期で閉鎖された。その後GHQは1946年1月、公娼制度の基礎になる「娼妓取締規則」を廃止した。
しかし同年『婦人新風』11月、特殊飲食店の名のもとに従来の集娼地域における売春を公認した。これがいわゆる赤線である。「新吉原女子保健組合」はこの頃から1957年売春防止法成立に至るまでの旧吉原遊郭である赤線地域で働いていた女性たちの組合で、『婦人新風』はその機関紙だ。
私は『婦人新風』を運よく大阪府立図書館で見つけることができた。1989年に明石書店から復刻版が出ていたのである。この機関紙は同業組合紙というよりは性病予防のため検診をきちんと受けようというプロパガンダがほとんどだ。また警察や業者が何度も寄稿している。それでも毎号女性たちの気持ちがあふれ出ており、心が痛くなる。
創刊号(1952年5月1日発行)の紙上相談では「私は7歳になる男児を抱えて、吉原の某店で働いています。主人は私たち親子を放りっぱなしで他に女をつくり帰ってきません。やむなく店で客を取っていますが、子どもがいるためどうにも思うように働けずこまっています」と現代にも通じる相談がある。まだ首も座らぬ乳飲み子を抱え命からがら満州から引き揚げる途上、夫を失った悲しみを語っている文もある。
売春防止法は当初「売春処罰法」、次に「売春禁止法」と表現されている。のちに「売春防止法」として成立する法案はまさに売る側のみを処罰するものだった。第32号(1955年7月15日発行)」「弱い者いじめの処罰法案」と題する対談では「大体今の思想からいうと、本人さえ更生できればいいんで、親や兄弟の扶養ということは社会が保障する建前になっているんであって、あなた方が親や子の犠牲になる必要はないということになっている」「そんなこと誰がしてくれるんですか」と貧困の中で家族のために性売買している女性の怒りの声が上がっている。また「更生の仕方も与えないで、禁止するほうが人権蹂躙だと思うわ」と他の雇用への対策が全く提起されていないことに怒りが集中している。またある人は「すぐに処罰されると前科者になってしまう。それでは更生はできなくなってしまう」等々たたかう主体として決起しているのだ。
性売買は結婚制度=家制度の外にあるのではなく、家制度の中で貧しい人にのみ押し付けられた階級問題であり、階級の課題なのだ。(つづく)

訃報

小児科医・田中徹さんが8月10日逝去
東大阪市荒本の平和診療所所長などを務めながら、反原発運動の先頭にたってきた田中徹さんが、8月10日、4年に及ぶガンとの闘いむなしく、逝去されました。
享年84。生前のご厚誼に感謝しながら、謹んでお悔やみ申し上げます。別途追悼文を掲載します。
『未来』編集委員会

7面

連載
侵略と併合を合理化 21年7月12日付プーチン論文
「ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性について」

『未来』編集委員会からのお知らせ

昨年7月12日に公表されたプーチン・ロシア大統領の論文の日本語訳を本紙に今号から4回に分けて掲載する。原題は「ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性について」。ロシア大統領府のサイトには、ロシア語版、英語版、ウクライナ語版が掲載されているが、本紙編集委員が英語版から訳し、ロシア語からの仮訳などと照合して完成させたものである。
この論文は、大ロシア排外主義に満ち、ウクライナの国家と民族の抹殺が戦争の目的であることを如実に示している。運動圏の仲間が、この論文をにらみ据えて、ウクライナ反戦闘争に立ちあがることを要請する。元論文の英語版にも、またこの日本語訳にも誤訳や不正確な点がおおいにありえる。願わくば、ロシア語とウクライナ語に堪能な人が、指摘してくれるようにお願いする。闘うウクライナ人民への連帯をかけた共同の作業にしたい。なお掲載する論文の見出し、注は本紙編集委員会がつけた。

はじめに

最近のTV番組「直通電話」で、ロシア人とウクライナ人の関係について尋ねられた時、私はロシア人とウクライナ人は、1つの民族であり、1つのまとまりだと答えた。この言葉は、一時的な思い付きでなければ、はやりの政治的時脈にうながされたものでもない。私が数多くの機会に語り、深く信じるところを語ったものなのだ。そこで私の立場を詳しく説明し、今日の状況について、評価を共有する必要があると思う次第である。
まず何よりもロシアとウクライナの間に昨今出現した壁を軽視しないようにしたい。本質的に同じ歴史と精神的な空間であるものに亀裂が生じ、私の気持ちとしては、巨大にして双方に共通な不運と悲劇に見舞われている。そこには、一番に、もっとも大切な、いろいろな時代にわれわれ自身が冒した失策の結果がある。しかし、そこには同時に、われわれの統一をつねに根こそぎにしようとしている、もろもろの勢力が意図的にもたらした結果でもある。彼らの適用しようとする定式は、有史以前より知られている分割統治である。ここには、新しいものはなにもない。民族問題をもてあそび、民衆の間に不和の種をまき散らすことを試みたのである。もっとも重大なことは、1つの民族を分断し、それぞれをけしかけて争わせるのである。
現在をよりよく理解するために、未来を展望し、歴史を振り返ってみることが必要である。もちろん、この論稿が、1千年以上の間に起こった、すべての進展推移を語りつくすことなどは、できない。しかし、私は、ロシアとウクライナ双方のわれらにとって思い起こすべき重要な鍵ともなる転回点の時代に焦点をあてるつもりである。

古代ルーシとその末裔

ロシア人、ウクライナ人、ベラルーシ人はすべて、ヨーロッパ最大の国であった古代ルーシの末裔である。スラブ民族と諸部族は広域な領土にわたり、ラドガ、ノヴゴロド、そして、プスコヴからキエフ、チェリニゴフまで、1つの言語(今われわれは「古ロシア語」と呼んでいる)、経済の絆、リュ―リック歴代王朝の支配、そして、ルーシ国のバプティズム(洗礼儀式の受け入れ)から、オーソドクス(正教信仰)の流布まで共通であり、聖ウラディミルはノヴゴロド公でありまたキエフの大公でもあったが、聖ウラディミルの宗教上の選択は、いまだにおおいなるこの地域の親族姓を定めている。
キエフの王冠は、古代ルーシ国の最高位を象徴している。9世紀後半以来、語り継がれてきた『原初年代記』では、末裔のために預言者オレグがキエフについて「すべてのロシアの都市の母となりますように」の言葉を残している。
ほかのヨーロッパの当時の国ぐにのように後に、古代ルーシ国は、中央集権的支配力を失い、分裂弱体化に直面した。同時に、貴族も一般庶民も、ルーシを共通の大地とし、祖地とした。
バトゥー・ハーン(チンギス汗の孫)の侵害・侵略によって、分裂は拡大し、多くの都市は破壊され、キエフも例外ではなかった。ルーシの東北部は、黄金の軍団(モンゴル軍)の支配下に入り、主権は制限され、服属地域となった。南部と西部のロシアは、リトアニア大公国の一部となり、リトアニア-ロシアの大公国として歴史に残っている。貴族、最高ランクの「公」の氏族は、あちらの公からこちらの公へと移りつかえながら、互いに争う一方で、友好、同盟関係を持つことになる。ヴォ―リンのヴォイナ出身のボブロークやリトアニアのオルゲルド大公の息子たち・・・ポロツクのアンドレイ、ブリャンスクのドミトリーなどは、クリコーヴォ草原でモスクワのドミトリー・イワノビッチ大公と闘った。そのころ、リトアニアの大公ジョガイラ、トヴェーリの王妃の息子は、彼の軍団をママイ(モンゴル帝国のうち、ウクライナ南部・クリミヤ半島を支配)に合流させた。これらは、われわれが共有する歴史のすべてのページにあり、時代意識や多次元的な自然本性を考えさせられる。
もっとも大切なことは、西部であれ東部であれ、ロシアの大地では同じ言葉が話されていたことだ。かれらの信仰は、正教(Orthodox)だった。15世紀半ばまで統一された教会所管が諸処にあった。
歴史的発展の新しい段階では、リトアニア・ルーシとモスクワ・ルーシは、古代ルーシ領では注目すべき要所となっていた。モスクワは再統合の中心となっており、古代ロシアの国威ある伝統を継承していた。アレクサンドル・ネフスキー公の末裔のモスクワの公たちは外国の支配をかなぐり捨て、ロシアの国々を糾合しようとした。

コサックの自治体の時代

リトアニアの大公国では、別の動きが胎動していた。14世紀にリトアニアの支配層は、カトリックに転向した。16世紀には、ポーランド王国とともにルビリン合同に署名し、ポーランド‐リトアニア連邦を形成した。
ポーランドのカトリック貴族は、ルーシ領土の大半の所有物と特権を享受した。1596年、ブレスト連合と軌を一にして、西部ロシア正教会の一部は、ローマカトリックの教皇に帰依した。正教会を排除して、ポーランド化、ラテン化する過程の始まりだった。
その結果、16‐17世紀、正教会の人々の解放運動は、ドニエプル地域で強まった。ゲートマンのボーダン・フメルニツキーの時代に起きたことが、転回点だった。ポーランド‐リトアニア連邦からの自治権獲得の闘いに、彼の支援者たちがいた。
1649年のザポロージェ・コサック軍が、ポーランド‐リトアニア連邦の王への請願書において、ロシア正教信徒の権利は、大切にされるべきである、「キエフ海軍は、ロシアとギリシャの信仰に生きる、神の教会への迫害をやめよ!」などなど。しかし、コサック(注1)の人々の声は、聴かれることはなかった。
ボーダン・フメリニツキーは、モスクワへアピールの請願書を送り、これはゼムスキー・ソボル(封建的身分制議会)で検討された。1653年10月1日、ロシア国の最高代表者団は、信仰ある兄弟たちを支援し、庇護者のもとへつれてゆき、受け入れることをここに宣言する。1654年1月ペレヤスラフ評議会は、この決断を支持する。これに続いて、ボーダン・フメルニツキーとモスクワの特使たちは、キエフを含む何ダースもの都市を訪れ、こうした人々の数はそのまま、ロシアの皇帝への忠義心を宣誓していることをもアッピールした。余談になるが、「ルビリン合同」(1596年7月1日成立のポーランド‐リトアニア連邦の成立)の締結時には、このようなことは行われなかった。1654年のモスクワへの手紙では、ボーダン・フメルニツキーは、アレクセイ・ミハイロビッチ皇帝に感謝申しあげますと、こう書いている。「すべてのザポロージエ・コサック全軍とすべてのロシア正教のゆくところ、ロシア皇帝の力強い、気高い御手のもとにありますように」ポーランド王とロシア皇帝双方にアピールしていることの意味は、コサックの人々にも及び、ロシア正教のもとにあるということをあきらかにしているのだ。
ロシア国とポーランド‐リトアニア連邦の間の戦争を長引かせる成り行きを超えて、ボーダン・フメルニツキーの後継者たちゲートマン人のあるものは、モスクワとは縁を切り、支援をスウェーデン、ポーランド、トルコに求める。しかしながら繰り返すが、その戦争は、人民解放のためのものであり、自由への闘いなのだ。この戦いは、1667年、アンドルソヴォ条約をもって終わる。最終結果は、1686年、無期限の平和条約として封印された。ロシア国はキエフ市とポルタヴァ、チェルニゴーヴ、ザポロージエ地域、ドニエプル河左岸を含む土地と地域を編入した。彼ら住人はロシア正教会の人びとを中心に再統合された。これらの領土は、「小ルーシ」(マロルーシ)(注2)と言われる。
「ウクライナ」(注3)という呼称は、古代ロシア語「オクライナ」(周辺)として頻繁に使用されている。12世紀に国境領土をめぐる記録文書に残されている。
そして、「ウクライナ人」という言葉は、古文書から読み解かれるが、もとは外国との国境を防衛する国境警備隊を意味した。
ドニエプル右岸はポーランド‐リトアニア連邦のもとにあり、昔の秩序が残存しており、社会的宗教的抑圧は強化されていた。これに対して、左岸の土地は、統一された国の保護のもとに、急速な開発をみた。ドニエプル河の他の岸辺の人々も、ここへきて、一団となった。彼らは、同じ言葉、同じ宗教によるひとびとによって助けられることを求めた。
スウェーデンとの大北方戦争の間、小ロシアの人々は、どちらにつくべきかの選択に迫られることはなかった。コサック隊の小部分が、マゼッパの反乱を支援したにとどまった。すべての階層階級のひとびとは自身をロシア人であり、正教徒会員であるとみなしていた。 コサック隊将校たちの貴族階級に属し、政治的、外交的そして、軍事的にロシア最高の職歴を持とうとしているものたち、キエフ・モヒーラ・アカデミー国立大学を卒業し、教会の中で指導的役割をになっているものたち、これは、ゲートマン国でも、ロシア帝国後期にもみられた。ゲートマン国とは、本質的に特殊な内的構造を持った自治体のことだ。小ロシア人は、色々なやり方で、おおきな豊かな国を立ち上げるのを助けた。その国威、文化、科学。彼らは、ウラルーシベリア、コーカサス、そして極東への探検、開発に参加した。ついでながら言うと、ソヴィエト時代、ウクライナのネイティブ(先住民の)の人々は、ソヴィエト統一連邦国家の中で、最高度の人々を含みながら、有力な存在となり、リーダーシップをとっていた。ニキータ・フルーシチョフ、レオニード・ブレジネフなどをあげれば、十分だろう。彼らの党歴はもっとも密接にウクライナと結びついている。そうして、ソヴィエト社会主義連邦共産党を30年率いたのだった。

大ロシア帝国の時代

18世紀の第2後半期、オスマントルコ帝国に続いて、ロシアは、クリミヤおよび黒海の国ぐに、のちに「ノヴォロシア」(新しいロシア)として知られている領土を編入する。彼らは、すべてのロシアの諸地方の民衆とおなじだった。
ポーランド‐リトアニア連邦の分割の後で、ロシアは、旧ルーシ国の西側を取り戻した。例外的には、ガリシアとトランスカルパチアがあり、のちに、オーストリア‐ハンガリー帝国になる。
ロシア西部の領土が編入されて1つの国になるということは、政治的外交的決断の結果ではない。文化的伝統によって形成された共通の信仰が基礎にあるからなのだ。そうであるから、ここでもう一度強調しておきたい、それは、言語の同一性なのだ。かくして、17世紀初頭その初期より、合同教会の府主教のひとり、ヨシフ・ルツキーは、ローマに親書を送り、ロシア人と呼ばれているモスクワの人々はポーランド-リトアニア連邦の人々から、兄弟と呼ばれている。それは、彼らの書き言葉が、まったく一致しているからで、方言は,この際、問題にはならない。彼は、住まいについてのたとえ話をしている。それは、ローマとベルガモのすまいについて、これらは、中心にいるか、近代イタリアの北部にいるかのちがいにすぎない、と。
何世紀にもわたる分裂分化と異なる国に暮らすことが、地域の言葉を異なったものにしてゆき、ついに、方言を産む。地域の言葉は、文学を豊かなものにする。イワン・コトリャレフスキー、グリゴリー・スコヴォローダ、タラス・シェフチェンコは、ここで大きな役割を演じた。彼らの作品は、われら共通の遺産である。タラス・シェフチェンコは、ウクライナ語で詩を書いた。散文は、主に、ロシア語だった。ニコライ・ゴーゴリの書籍は、ロシアの愛国者として、ポルタヴシュチューナ土着の物語をロシア語で書いたが、小ロシアの民俗の言葉と魂(モチーフ)がぎっしりつまっていた。ロシアとウクライナのあいだにある遺産をどうやって引き裂けるというのか?そして、何故そんなことをするのか?(つづく)

(注1)コサック:もとはトルコ系の言葉で、qazaq(ガザーグ)という。「群れを離れた者」の意味で、もとはオスマントルコ帝国の支配を逃れてウクライナのステップ平原で武装した自治集団を形成したものを指す。やがて古代ルーシの遺民や周辺のロシア・ポーランドの農奴身分のものが圧政を逃れて、ドニプロ川周辺に軍営を築き、独立自治の国をつくる。彼らは武装集団であるととともに、身分を超えた対等者の自治を実践する。現代のウクライナの国歌・および憲法には、自らが「コサックの末裔」であることを謳っている。そのリーダーをゲートマン(ロシア語、ウクライナ語ではヘチマンという)。プーチンはこのようなコサックの歴史的主体性を無視し、ロシア皇帝に服属する正教徒としてのみ評価している。

(注2)小ロシア:ロシア語でマロロシアという。東スラブ民族のうち、ロシア人を「大ロシア人」、ウクライナとベラルーシを「小ロシア」と呼ぶ。帝政時代に用いられた差別語である。1917年のロシア革命後一時使用されなくなったが、その後も使い続けられている。プーチンが説得しようとする相手に「差別語」で呼びかける破廉恥さを見よう。

(注3)ウクライナ:ウクライナを辺境、ウクライナ人を辺境守備隊などと訳するのはロシアの御用学者の仕業である。ウクライナの言語学者によれば、古スラブ語で「オウクライナ」とは英語で “land”を意味する言葉で、大地・領域・国の意味であるという。ロシアの辺境と位置づけるのはプーチンの歪曲である。

8面

投稿
平和・人権・多文化共生へ多彩な催し
第7回平和祈念のつどい東大阪が開催

8月20日、「第7回平和祈念のつどい・東大阪」が荒本人権文化センターでひらかれた。冒頭、実行委員会事務局長の丁章さんがあいさつ。
丁章さんは2016年から開始した平和祈念のつどいは今年で7回目をむかえたが、平和への思いを絶やしてはならないと東大阪市の平和都市宣言を読み上げた。「平和都市宣言を形骸化させることなく、抗いの意味を込めて、みなさんとともに胸に刻み、平和・人権・多文化共生を尊重する東大阪の街づくりをともに進めていきましょう」と決意を述べた。

ウクライナの人々との連帯を熱く訴える小野元裕さん(8月20日、東大阪市)

来賓あいさつ

「自治と平和の鐘ひびく」と高らかに謳われている東大阪市歌の後、来賓あいさつがあった。新社会党市議の松平要さん、共産党府議の内海公仁さん、社民党副党首の大椿ゆうこさん、れいわ新選組のやはた愛さんがあいさつをおこなった。

第一部
〈平和の祈り〉では「多文化共生教育」、「アベノマスク・給食問題」、「難民問題」、「沖縄問題」、「カジノ是非住民投票」、「憲法署名(参院選、旧統一教会、国葬反対)」と盛りだくさんのテーマでアピールがおこなわれた。
〈平和の詩〉では、オール東大阪市民の会のメンバーが選んだ5編の詩「命の叫び」「八月」「骨笛」「椅子」「問い」が朗読された。
その後、3年ぶりにハンマウムの在日青年を中心にした5人のメンバーによるプンムルがにぎやかに舞台せましとおこなわれた。
第一部の最後はイムジンガンが歌われ、マイクをビリビリと響かせるほど朗々とした歌声は大きく会場に響き渡った。

第二部
「ウクライナの歴史と今」と題して日本ウクライナ文化交流協会長で東大阪新聞社長の小野元裕さんが講演。
小野さんは天理大学でロシア語を学び、出版社に勤めた後退職し、ウクライナに移り住み、全土を回ってウクライナの人たちと交流を重ね、日本ウクライナ文化交流会を設立した人である。また国立ウクライナ作家協会の招待を受け、そこで賞を受けるなどウクライナ現地と深く交流を重ねてきている。ロシアのウクライナ侵攻後はウクライナの友人たちと毎晩、連絡を取り合っている。

聞くに堪えない現地の状況

今、ウクライナの兵士がロシア軍につかまったら、一番最初にカッターナイフで男性器を切られるという。会場からは思わず「えーっ」と驚きの声があがった。しかし、小野さんは続ける。「なぜ男性器を切るかというとウクライナ人が二度と歯向かってこないようにするため」であり「ウクライナ人の子種をなくす」ためだという。
さらに10歳以下の女の子が毎日、レイプされており、その映像もたくさんあるという。ウクライナ人の家族を縛り家族の見ている前で母親をレイプするという。つかまった若い男性たちは縛られて道路に寝かされ、さびた斧で足首、太もも、手首を叩き切られ、最後に首を切られるという。会場からは悲鳴があがった。これらはプーチンの命令だという。しかし、外国に避難したウクライナ人がどんどん、ロシアと闘うために激戦地であるウクライナに戻ってきていることも報告された。

ウクライナを知ろう

ウクライナの友人たちからの情報は信じがたいかもしれないが、しかし、それはあるがままの事実だろう。
小野さんは東大阪新聞に2014年から2022年まで連載した『ウクライナを歩く』を『ウクライナ侵攻に至るまで〜誰も知らないウクライナの素顔〜』と改題して一冊にまとめた(ドニエプル出版2022年4月)。同書をも資料として読み込み、ウクライナ民衆のあるがままの思いを知っていくことが問われているだろう。(三船二郎)

コロナ第7波死者激増
無為無策の岸田政権

世界一の感染者数と死者激増の日本

新型コロナウイルスの第7波感染爆発は止まらず1日あたりの新規感染者は、25万人を超え、8月19日は26万1029人で過去最多。死者は、第6波で1万2888人(今年1〜6月)にもなり過去最多であったが、第7波は、7月1日から2カ月足らずで死者5008人で、第6波を超える危険性がある。WHOによると、8月8日〜14日までの1週間の新規感染者数は、日本が139万5301人で、4週連続で世界最多。同期間の死者数は1647人で米国につぐ世界2番目の多さ。
これほどの死者激増は、岸田政権の無為、無策が引き起こしたものだ。医療崩壊を引き起こし、感染しても早期治療を受けることができないために、助かる命が失われている。
「高齢者で基礎疾患のある人の重症化を防ぐ」というが、保健所の機能不全や入院する医療機関がなく早期治療にはほど遠い。現場医師の「重症化してから運ばれてくるから、治療困難」という声も。重症化予防の薬(@モルヌピラビル、Aパキロビッド)も国が管理し制限しているので一部の医療機関しか使えない。@については自由使用が決まった。
救急搬送困難事案は、8月14日までの1週間に全国の主な52消防で6747件あり3週連続で過去最多を更新。末期ガンで自宅で治療していた東京都内の男性は、コロナ感染し救急車を呼ぶが「百件以上の医療機関に断られ」救急搬送できず翌朝死亡した。循環器などに持病のある90代の神奈川の女性も、コロナ感染したが救急搬送先が見つからず、自宅で翌日に死亡した。7月に、自宅など医療機関以外で死亡したコロナ感染者は全国で258人。今年2月の最多564人に次ぐ多さだ。
第6波では、重症化するのは60代以上が圧倒的だったが、第7波では、50代以下が3割を占める。第7波では、軽症・中等症の人が死亡するケースも多いという。全国の自宅待機者は、7月27日時点で百万人を突破し、8月10日現在154万4096人。

医療崩壊の原因は医師不足

くり返される医療崩壊の背景には、圧倒的な医師不足がある。千人当たりの患者を治療する医師(臨床医)数は、OECD(経済協力開発機構)の単純平均3・6人に対し日本は2・56人で、OECDの単純平均より約13万人も少ない。100病床当たりの医師数は、日本19・2(人)、独54、仏53・7、英113・8 米91・5で雲泥の差である。コロナ禍で医師・看護師の大幅増員が求められているにも関わらず、政府の「医師確保計画」は、医師数の抑制と大学医学部の総定員数の削減を前提にしている。
岸田政権がコロナ対策をとらず、対策を話し合う分科会も開かないという中で、8月2日、尾身茂会長ら専門家有志、全国知事会、日本医師会などが、より多くの診療所でコロナ患者を診ることや患者の発症届による全数把握などを見直すように緊急に提言・要請した。医療機関による日々の保健所への発症届は、医療機関や保健所の業務が逼迫する原因になっている。すでに三重県、神奈川県、兵庫県などは、全数把握を事実上やめている。

改めて安倍政治を問うA
白井聡(2022年6月 角川新書)
『長期腐敗体制』

野党の参議院選敗北必至の中で出された本だ。恐るべき政治腐敗が続きながらも、首相が代わっても政治体制は変わらない2012年体制を縦横に批判している。ポイントは55年体制と、93年〜09年過程、2012年体制を改めて日米関係、官僚制・統治機構の変遷などから位置づけなおしていることだ。第2章では経済政策としてのアベノミクスの破産の経過をたどる。結果的にはことごとく失敗だったものが、株価の高騰だけで「景気回復」と思い込まされ、選挙に勝利する「国民の愚かさ」に言及している。
第3章、第4章は『永続敗戦論』以降筆者がこだわる、「対米従属」のとらえ返しだ。ソ連崩壊後、日米対立が顕現化する90年代以降、なぜ自発的に対米従属から自立しないのか。戦後日本の「デモクラシー」が問われてる。

白井聡『長期腐敗体制』もくじ(部分)

序章 すべての道は統治崩壊に通ず
 ガバナンスの崩壊
第一章 2012年体制とは〜腐敗はかくして加速した
 不正で、無能で、腐敗している政権
 2012年体制とは 安倍一強体制 55年体制
 1993年 細川政権成立 政権交代可能な二大政党制
 安倍→菅へのバトンタッチが示すもの
 前線だが最前線ではない
 ロッキード事件の本質は 貿易摩擦 日中国交正常化 
 自主外交路線の放棄と対米従属の自明化
 民主党政権の挫折の意味 鳩山政権 辺野古基地問題 
 特殊な対米従属レジームにおける異分子を追い出す
第二章 2012年体制の経済政策 
 アベノミクスからアベノリアリズムへ
第三章 2012年体制の外交・安全保障T
 岸信介の屈託 中曽根康弘の挫折 安倍晋三の迷走



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