軍事大国化、改憲にふみこむ岸田
参院選で改憲阻止議席を
東京選挙区はれいわ山本太郎を
(1)日米会談で軍事大国化、対中国敵視にふみこむ
岸田政権は5・23日米首脳会談を終え、さらに対中国シフトを強め、軍事大国化・憲法改悪に突き進もうと、7月参院選勝利に全力投入している。支持率は高率を維持し、コロナ対策でも大きな失敗はなく装い、一見盤石に見える岸田政権だが、本質的には大きな危機を抱えている。
最大のものは、昨年9月自民党総裁選で「新しい資本主義」を掲げたが、それが何一つ実現していないことだ。新自由主義と保守主義推進で不人気となった安倍・菅政治から距離を取ろうとしたが、ウクライナ危機(戦争の長期化による経済矛盾の拡大)や、円安も含めての食料品・ガソリンなどの値上げラッシュは市民生活を直撃し始めており、緊張する東アジア情勢のなかで、安定政権にはほど遠い。結局安倍・菅路線を継承するしかなく、安倍・菅政権が倒れた危機を抱えたままである。自民党支配の悪弊は払しょくされておらず、東京五輪最終局面で噴出したような女性差別(パワハラ・セクハラ)体質や官僚の腐敗・横暴などは、細田衆院議長のセクハラ疑惑など、いつでも火がつく状態だ。
岸田政権が盤石に見えるのは、立憲民主党を先頭とする野党の総屈服にある。昨年総選挙敗北以降に混迷を深める立憲民主党・泉執行部は、参院選に向けての態勢すら築けない。野党共闘批判に反撃できず、国民民主党や芳野友子連合会長らに右から揺さぶられるままだ。改憲・戦争攻撃に大衆運動で対決せず、議会主義でも大胆な共闘路線をとれずセクト主義を強める日本共産党も同様である。しかしながら22年参院選で「改憲議席を与えない・生活防衛」という人民大衆のエネルギーは出口を求めて渦巻いており、この力を解きはなつことこそ勝利への唯一の道だ。反戦・改憲阻止、沖縄・反原発闘争の戦闘的大衆的高揚と一体で参院選闘争を闘いぬこう。
(2)「有効な選択肢」示した21年総選挙闘争
総選挙が迫った21年8月から、本紙は関西の3候補(れいわ・つじ恵、れいわ・大石あきこ、社民・大椿ゆうこ)支援を公然と打ち出し総選挙を闘い抜いた。この闘い・キャンペーンは、安倍継承政権としての菅政権が横浜市長選敗北で一気に支持を失い、失脚に追いこまれ岸田後継政権が成立する中で、立憲など既成野党が有効な対決軸を打ち出せない中で、「れいわ」を先頭とする3候補の提示は、極めて有効な反撃を組織する「政治選択」となった。
れいわは、自殺したくなるような社会に「あなたに生きててほしいんだ。そんな政治を一緒に作ろう」と大胆に訴えた。具体的には経済立て直し、消費税引き下げ、コロナ救済など生活防衛をかかげた選挙戦で、我々も「勝手連」として縦横に闘いぬいた。
もちろん戦闘的大衆運動の爆発・高揚と一体での対決抜きには、議会主義の泥沼では安倍と安倍継承政権は打倒できないが、この選択肢の提示は21年秋段階で人民の欲求とも合致し極めて有効であった。
結果、れいわ新選組は2百万票を超す得票で3人が当選。大阪5区候補の大石あきこは近畿ブロックの懸命の得票の中で比例復活した。当選後大石あきこは、対維新闘争・カジノ反対闘争という人民の闘いの先頭で奮闘している。つじ恵、大椿ゆうこもその後も闘いの先頭に立ち続け、7月参議院選を全国比例で闘おうとしている。極少数勢力のわれわれが、闘う候補と一体となり大衆的選挙戦を担いぬいた意義は極めて大きいものがあった。
なんば高島屋前でカジノ反対署名を集めるれいわ兵庫・つじ恵と仲間たち(5月15日、大阪市内) |
(3)改憲阻止・生活防衛 一〇〇〇万の人民決起を
一方で、革共同再建協はいつから選挙党派になったのかとか、〇〇党支持というなら政策協定を結べとかの意見もある。我々は現在の選挙戦を歴史的分岐点における政治選択と考える。選挙で社会を変える、とりわけ資本主義を打倒できるとは思わないが、安倍・菅政治を座礁させたのは、コロナ無策での支持率低下(安倍)と横浜市長選(菅)での総選挙敗北の恐怖であったことは紛れもない事実だ。歴史の分岐点で巨万のデモが効果を持つと同様に、選挙戦での敗退も彼らを追い詰める。ベストでなくても断固として勝てる選択肢を提示すれば、政権や維新に打撃を与えるのは総選挙での大石の比例復活や、3月西宮市長選の示すところだ。極小勢力でも政治を動かしうるのだ。
そのうえで現在のわれわれの力量が政策協定を結ぶようなレベルではないことは明白だ。それよりも候補者個人との一定の信頼関係の上に、「勝手連」として大胆に闘いぬくことが最良の方法と考える。議会を通じての闘いは限界がある、というより議会そのものはブルジョアジーの支配の装置に他ならないが、長期にわたる自公政権が、反動法案を成立させ強権的人民支配を強め、改憲・戦争への道を歩んでいる中で、安倍・菅・岸田政権や維新との闘いで、選挙=議会をめぐる闘いを放棄することは、人民的決起の道を狭めることになり正しくない。21年秋に、アベ政治・継承政治を終わらせるための「政治選択の提示」という点では、3候補の提示と左派一〇〇〇万の決起は極めて有効であったのである。
(4)山本太郎(東京選挙区)とつじ恵(全国比例)らを国会へ
今次参院選の最大の争点は、軍事大国化・改憲衝動を強める岸田政権と、それに随伴する維新などとの対決である。大阪ではカジノ反対の闘いが持続しており、東京選挙区では山本太郎れいわ新選組代表の立候補表明で「大統領選挙」型の様相を呈してきた。兵庫をはじめ、複数区でも野党共闘で1議席でもより多く獲得し、1人区では改憲攻撃と生活破壊に怒る人民の決起を背景に、3年前・6年前型の野党統一候補で勝利しよう。短期日に5千万人単位の人民が決起する「政治決戦」を、「れいわ、社民、野党共闘」の選択肢で、われわれ自身の飛躍をかけて闘いぬこう。
とりわけ首都決戦は、野党が自・公・維・ファを打ち破れば、政治的地殻変動が起こる。
この闘いをやりぬき、地域に根を張った組織=地区党として、広範な共同戦線を形成し、左派・リベラルの勃興の中に、自国帝国主義打倒・社会主義への新たな道筋を作り出していこう。
2面
カジノ署名
カジノはバクチ 人の不幸で活性化?
維新と対決のうねり拡大
法定数を突破
大阪カジノ誘致の賛否を問う住民投票の実施を求める署名総数は5月25日現在、150000筆を突破し、法定数146500筆を超えた。2度の都構想勝利に続いて3度目の奇跡が起きたのだ。
今回の署名運動には大きな制約が課されている。大阪府下の各選挙管理委員会の所管エリア単位で署名を集めなければならないのだ。一冊の署名簿(10筆分)には府内各地の有権者が混在してはいけないことになっている。混在したら、その分の署名は無効とされる。
しかし、こういう制約を打ち破りながら、各地の受任者は懸命に署名を集め、ついに法定数を突破した。5月25日で締め切られた署名簿は今後逐次、郵送や持参などで集約されていく。
最終的には17〜18万筆に達する可能性もある。無効票を考慮しても法定数は優に超える。
草の根の闘いの勝利
署名を集める立場の受任者は5月22日現在で7467人になっている。このぼう大な人たちが草の根的に動き、この歴史的勝利をかちとったのだ。
カジノ誘致への怒りが充満
グラフをみれば明らかなように時間の経過にしたがって署名数はうなぎのぼりに急増している。宣伝がゆきわたる度合いに応じて増えているのだ。駅頭やスーパーなどでの街頭署名や団地などでの個別訪問だけでなく、つながりのある障害者施設などでまとまった署名活動もおこなわれている。大阪にはカジノ誘致への怒りが満ちているのだ。これとつながることが署名集めの核心だ。
野党といわれる大きな政党が参議院選挙間近ということもあって、ほとんどこの署名に取り組まない中で、個人やグループの草の根の力でここまで達成していることはきわめて重要なことである。
闘えば維新は崩せる
都構想に賛成してきた維新支持者だった人が今、カジノをめぐる住民投票の過程で維新の誤りに気づき、“罪滅ぼし”として住民投票の街頭署名に加わり続けている人もいる。維新支持者のなかには利権にむらがる人たちも多いが、他方では、社会を変えるという疑似変革に期待して支持する人もいるということだ。社会を変える本当の闘いと運動こそが維新を崩す力となるのだ。 カジノはなんとしても止める。
カジノの主流はオンライン
今、マスコミをにぎわしている山口県阿武町の4630万円の誤入金に関して逮捕された容疑者はすべてオンラインカジノで使ってしまったと報道されている。1回1万ドル相当(約100万円)を27回以上、オンライン決済代行業者に支払いすべてカジノで失ったといわれている。大阪市にあるユニバーサルスタジオジャパンですら最高1430万人/年の来場なのに、カジノで年間1610万人/年の日本人の来訪を見込んでいるという。あり得ない数字だ。今後、オンラインカジノが主流になることを考えると、大阪に来てカジノにお金を落とす人も額も激減していくことは明らかだ。
テレビも報道
MBS(毎日放送)は5月10日、カジノ誘致の問題点を報道する番組を放映した。子どものカメラや時計まで父親のギャンブルの元手にされた体験をもつ山本啓一郎さん(75歳 大阪府四条畷市)は「人の不幸の上に活性化して誰がうれしいねん、そういう話です」と番組の中で激しくカジノ誘致を弾劾した。カジノ誘致はさらに激しい矛盾を大阪にひきおこす。私たちはカジノをなんとしても止めていく。(三船二郎)
関生弾圧控訴棄却 5月23日
「今の時代にストはダメ」判決
不当判決を弾劾する(5月23日、大阪) |
関生支部の大阪ストライキ1次事件の控訴審判決が5月23日、大阪高裁の大法廷でおこなわれた。11時ちょうど、裁判長が開廷を宣言し「控訴はいずれも棄却する」と主文を述べた。「不当判決だ!」、傍聴していた2人の仲間がすぐに席を立ち、外にいる仲間に伝えに行った。静まり返る法廷なのに、裁判長の声は小さく聞こえづらい。傍聴席から「聞こえない」「もっと大きな声で」「マイクを使え」と声が出た。裁判長はオドオドと声を少し大きくするが、ぼそぼそと判決理由を述べていく。30分弱続いた判決理由が終わると傍聴席から「不当判決!」「許さないぞ!」の大きな怒号が法廷に響いた。
産業別労組は否定できず
産業別労働組合には、労使関係の有無にかかわらず、その産業に働くすべての労働者の労働条件の向上のためにストライキを含む団結権が憲法によって保障されている。この権利は誰にも奪うことはできない。
「事実上業務を妨害」
関生支部のストライキが団結権に基づく正当なものであることを認めざるを得なくなった大阪高裁は、何度も「事実上業務を妨害している」とくり返し、「威力業務妨害にあたる」と強弁し続けた。さらに、量刑は「時代によって変わる」と言い出した。裁判長の本音は「今の時代にストライキをするからダメなんだ」ということに尽きる。
しかし、非正規雇用の労働者を含めて人らしく生きる権利が否定されている今の時代だからこそ、団結権に基づき、関生支部は生きるためにストライキをおこなったのだ。こんな不当判決は押し返していかなければならない。
被告とされた副委員長は「こんな判決に負けない。ストライキを当たり前のようにやっていく」と決意を述べ、集まった仲間から大きな拍手が沸き起こった。
経済安保法案採決強行
国会への報告義務なし
5月10日、参議院内閣委員会で経済安保法案の採決がおこなわれた。反対討論はあったものの賛成討論はなし。始まってから15分後に可決されてしまった。これに抗議する行動が議員会館前でおこなわれ(写真上)、衆院では出した修正案さえ参院では出さず、国会への報告義務を盛り込まないことさえ呑んだ上で、付帯決議での妥協に走った立憲民主党が批判された。翌日(11日)の本会議ではせめて賛成はするな(欠席等で対応しろ)との抗議の声が。
11日、参院本会議で可決・成立を強行した。ほとんどが政省令に丸投げするというもので具体的姿を現すのはこれから。市民もこの件について何も知らない状態。パブコメをも利用して大きな運動を作っていこうと誓い合った。
3面
72年「復帰」から50年 5月15日各地で闘い
軍事要塞化の宮古島から訴え
PLP会館満席の参加者は、清水早子さんの訴えに聞きいった(5月15日、大阪市内) |
沖縄「復帰」50年の5月15日、STOP!辺野古新基地建設! 大阪アクションの主催で「軍事要塞化と闘う琉球弧の人びと―宮古島の自衛隊ミサイル基地反対運動」という集会が大阪市内でひらかれ、130人が集まった。加えてリモート参加が30人。
集会では、「ミサイル基地いらない宮古島住民連絡会」の清水早子さんが講演した。
清水さんは写真や映像・データを説明しながら、宮古島における基地反対運動の様子を説明した。冒頭、「いま、岸田首相が来て、沖縄『復帰』50年の記念集会をやっているが、基地負担軽減どころか増大だと言う人が抗議集会をやっている」と述べた。
去年11月のミサイル本格的搬入は、今回が初めてで、宮古島では歴史的な闘いがおこなわれた。11月14日、早朝5時から集まって阻止闘争を闘った。その時の映像を見ていただきたい。海自揚陸艦「しもきた」からミサイル弾が搬入された。雨でぬれた路面で、「ミサイル基地反対 いらない」の旗を立てて反対する住民の抗議を機動隊が排除して、コンテナ15個(その中にミサイル弾が入っている)が、42台の軍用・民間車両で2キロメートル連なって基地まで運ばれた。
宮古島は、山も河もないサンゴ礁の島で、生活排水が流れ出ないので海がきれいでサンゴ礁がある。沖縄島は3百キロメートル離れている。伝統文化の多い島で、自然や生物も豊か。今やここが日中攻防の舞台に。
2011年5月11日、前市長(昨年、贈収賄事件で逮捕・有罪判決)の時に当時の佐藤防衛副大臣が来て、基地建設計画を告知。ここから自衛隊反対運動が始まった。
宮古島では沖縄戦時、地上戦はおこなわれなかった。戦前の軍は宮古島に3万の軍隊を配備した。米軍の海上封鎖によって、3万人の軍隊と宮古島島民5万人が苦しみ、飢餓に襲われた。戦後、米軍は1945年から1972年までいた。1972年以降、2019年まで、宮古島に軍備をもった部隊はいなかった。
いま、第一列島線にそって、馬毛島から奄美大島、沖縄島、与那国島まで自衛隊が配備されようとしている。与那国島には2016年に沿岸警備隊が配備。2022年度中には石垣島にも配備計画。
現在、宮古島には千代田に陸自駐屯地(警備・ミサイル部隊・司令部)、保良に陸自ミサイル弾薬庫・射撃訓練場など、空自宮古島分屯基地(レーダー部隊…これはステルス対応のレーダーで国際的な盗聴施設。レーダーの強い電磁波は健康被害が疑われる)、準天頂衛星追跡管理局(これは大気圏外から突入する「超音速滑空弾」の誘導にも使われる。米軍に位置情報提供)、海上保安庁の射撃訓練場などがある。海保の拠点には12隻(3500トンで全長120メートルの「みやこ」配備)。陸自基地には80トンの燃料タンクが7基ある。その下に空洞や軟弱地盤がある。もろい土壌で、土地の改良や調査がされてない。保良訓練場はもともと採石場だった。もし漏れたら汚染されて飲料水がピンチになる。
2019年の抗議闘争では、基地ゲート前にスタンディングして8時間阻止した。2021年5月には海運会社が宮古島に弾薬輸送拒否の声明をだした。その後自衛隊はヘリで運んだ。2021年11・14搬入阻止闘争を港と保良で闘った。
日比谷公園からデモに出発する東京集会の参加者(5月15日、東京) |
「台湾有事」で南西諸島を戦場に
下地島空港(3千メートル滑走路で双方向から離着陸できる)は1979年開港したが、いつ軍民共用になるかもしれない(屋良覚書によって今は民間だが、米軍はこれまで370回も利用している)。
9月から全面施行される土地規制法は現代の治安維持法だ。特別注視区域では土地の所有者・利用者・関係者が規制の対象になる。全ての権限が首相に集中。密告社会になる。反対住民が「基地を阻害した」と認定されれば懲役刑が科される。弁護士の話では離島全体が規制の対象になるかもしれない。
昨年12月24日に「台湾有事の日米共同作戦の原案策定」が暴露されたが、米海兵隊は新しい遠征前方基地作戦(EABO)によって、南西諸島で40カ所を攻撃拠点にするという。宮古島に全体の司令部がおかれるという。南西諸島を戦場にする計画だ。昨年11月に30年ぶりの大演習があり、北海道・青森からも部隊が来た。カミソリ歯の有刺鉄線をめぐらし。米軍も5800人が参加。今年1月に中国を名指し批判、2、3月もえんえんと共同訓練。那覇では夜間もやっている。また、自衛隊が住民を敵視するようになった。4月1日から銃をもって哨戒に立っていることに抗議したが、自衛隊からの返事はない。最近、仲間がスタンディング準備中、自衛隊の家族から暴行を受けた。
今年12月11日、空自宮古島分屯基地の開設50年を記念する行事の一環と称して、宮古島でブルーインパルスが展示飛行をやろうとしている。岸田政権が、国家戦略として「国家安全保障戦略」「防衛計画の大綱」「中期防衛力整備計画」を改定しようとしている中で、パフォーマンスを狙っている。全国の人々を結集して阻止したい。
質疑の後、@南西諸島への自衛隊配備に反対する大阪の会、A岩国・労働者反戦交流集会実行委、B宮古島に行こう! などのアピールがあった。
行動提起のあと、大阪駅前(梅田)の繁華街までデモ行進した。
復帰50年 県民大会と平和行進
基地のない平和で誇りある沖縄を
4月28日 斉藤哲夫国交相は、辺野古新基地建設の「設計変更」申請を巡り、県に20日までの承認勧告を出し、県の「判断できない」との回答に、拘束力のある是正勧告を出した。県に5月16日までの「設計変更」承認を求めた。
30日 復帰50年の県民大会は、「復帰50年・基地のない平和で誇りある豊かな沖縄をめざすオンライン県民大会〜屋良建議書は実現されたか〜」(同実行委員会主催)として動画配信サイト「ユーチューブ」で配信された。共同代表6氏が登壇し、それぞれの思いを語ったほか、辺野古新基地建設の断念や日米地位協定の抜本的改定などを求める大会決議案・スローガンを採択した。
5月14日 復帰50年、第45回大会となる2022年5・15平和行進は、新型コロナウイルス感染拡大対策徹底のため参加者を限定し、3年ぶりに開催された。県内外から集まった参加者1千人が、米軍普天間飛行場のある宜野湾市の市民会館から沖縄市までの約9キロメートルを「基地のない沖縄をつくろう」「平和な世界をつくろう」と訴え行進した。
16日 名護市辺野古のキャンプ・シュワブゲート前で、5・15平和行進参加者はじめ市民5百人が基地に向かって抗議の声を上げた。
同日、沖縄県は、斉藤哲夫国交相の「設計変更」承認を求める是正指示に「不服」だとして応じず、国地方係争処理委員会に申し出る方針を国交相に伝えた。係争委への申込期限は30日まで。
県は4月8日、国交相の「不承認」を取り消す裁決に対しても違法として係争委に申し出している。係争委の審査期間は90日のため、採決と是正指示いずれについても今年8月までに判断が出る見通し。
18日 辺野古新基地建設は、復帰50年警備のため中断していたが本格的に再開され、埋め立て工事は加速している。4メートルにかさ上げされた埋め立ての上部構造物(コンクリートブロック)の内側に、10トンダンプから土砂が投下されている。「K8護岸」も建設が進んでいる(写真下)。
海上行動隊は、抗議船とカヌーで抗議行動を展開している。土砂搬出の安和桟橋、塩川港でも抗議の市民が決起している。シュワブゲート前での座り込みも連日たたかわれている。
4面
プーチンを擁護する『前進』
レーニン『帝国主義論』序文を否定(上)
岸本耕志
プーチンの侵略戦争を許すな
ロシア・プーチン政権によるウクライナ侵略戦争が始まって3カ月がたつ。今回の戦争は、昨年7月12日にクレムリンのウェブサイトに発表されたプーチンの論文「ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性について」に端を発する。今年2月、特別軍事作戦と称して大規模な演習を組織し、ウクライナ東部2州の「人民共和国」を承認するや、「共和国人民が虐待されている」「ネオナチから解放する」と称して、20万のロシア軍が、2月24日に3方向から国境を越えてウクライナに侵攻した。
当初の作戦は、首都キエフ(キーウ)を空挺部隊が急襲し、ゼレンスキー大統領を確保か殺害し、2日間で傀儡政権を樹立する予定だった。米帝・バイデンやNATO諸国も、圧倒的なロシア軍を前にゼレンスキーに亡命を勧めたが、ゼレンスキーはこれを拒否し徹底抗戦を宣言した。キエフ近郊の空港を急襲した空挺部隊は、逆に包囲・殲滅されこの作戦は失敗した。その後ロシア軍は病院・学校なども含め民間施設へのミサイル攻撃を繰り返した。首都近辺での1カ月の攻防に敗北したロシア軍は、占領下に残虐行為(強盗・強姦、拷問など)を繰り返し、敗退間際には証拠隠滅のため民間人を後ろ手に縛り背後から銃撃し殺す「ブチャの虐殺」と言われる残虐行為をおこなった。
首都近郊から撤退したロシア軍は東部・南部方面に敗残部隊を再結集させ、ここでも残虐行為を働いた。1カ月以上にわたるマリウポリ包囲作戦で、多くの民間人を含む籠城部隊に激しい攻撃を加え、投降した部隊をロシア制圧地域に連行し、「ネオナチ」と決めつける尋問=拷問をおこなおうとしている。これに先立ちヘルソン州など南部やドンバスなどの東部地域の制圧地では、ロシア支持かウクライナ支持かを選別する「選別センター」と称する収容施設が作られ、住民の一部はロシアに移送されたとの報道もある。これらは「捕虜の扱い」や「文民保護」に関するジュネーブ条約に違反している。また今回の戦争初期には、チェルノブイリ(チョルノービリ)やザポリージャ原子力発電所への攻撃をおこない、プーチンらが核兵器使用の威嚇を繰り返しおこなったことと併せて、核廃絶を望む全世界の人民への挑戦といわねばならない。
ブチャの虐殺を「戦争プロパガンダ」という『前進』
このような、国連憲章にも明白に違反したプーチンの一方的侵略戦争を非難しないばかりか、「ブチャの虐殺」を「戦争プロパガンダ」という「左翼」勢力がいる。『前進』を発行する革共同全国委である。彼らは5月2日発行の『前進』3242号の「革共同の春季アピール」(以下、「春特」とする)で、『ウクライナ戦争の本質は米帝主導の「米帝の戦争」だ』と言い、「キエフ近郊のブチャで民間人の遺体が多数見つかった」こと(「ブチャの虐殺」)は、「典型的な『戦争プロパガンダ』」と決めつけている。彼らは1万6千字に及ぶこの「春特」で、ロシアのウクライナ侵略戦争(国連決議ですら「侵略戦争」の用語を使用)への批判はほぼ皆無で(わずかに、3・8国際婦人デー闘争などのみ)、逆に「闘争」と言えば、杉並区議会で「『ロシア非難決議』にただ一人反対した」ことと、3・23ゼレンスキー国会演説弾劾闘争をあげ、ウクライナ批判・プーチンの戦争擁護を全面展開する始末だ。
朝日新聞(5月21日付)は、「ブチャ 車が遺体安置所」として「関与のロシア兵11人」特定と報道している。記事では「ブチャ地区検察のアンドレイ・ツルバル次席検事が4日、取材に応じ『身元不明の遺体は周辺自治体も含めた地区に206ある。多くがロシア軍に焼かれたり、頭部を撃たれるなどしたりしているため識別不能で、DNAサンプルでの照合しかない』と話した。ウクライナ当局は、ブチャ管内で戦争犯罪などに関わったとして、ロシア兵11人を特定した」などと報道している。
もしこの朝日新聞の記事がフェイクで「戦争プロパガンダ」とするなら、朝日新聞(かつて自社社員がサンゴ礁に落書きをし、それをスクープ撮影した[自作自演]が、その記事が捏造と判明し、全面謝罪した)を徹底糾弾し真相究明・謝罪させれば、『前進』の評価は大いに上がるだろうが、今後の『前進』を大いに注目したい。
プーチンの21年7月論文「歴史的一体性」に触れず
今回のロシアによる侵略戦争が、21年7月のプーチン論文に起源することは明白だ。もちろん14年マイダン革命と、ロシアによるクリミア半島併合時とその後の「ロシア系住民の迫害」まで遡るべきとか、NATOの東方進出が原因という人もいる。もっと遡れば1991年のソ連崩壊時、あるいは1917年のロシア革命とその後の内戦、スターリン時代の民族抑圧・蹂躙=ホロドモール(飢餓による殺害)にまで原因を探る人、さらには350年の悲願としての独立を論じる人もいる。
いずれにせよそこには、ロシア人とウクライナ人の「民族問題」があり、「歴史的に一体だ」というプーチンは、ウクライナなどという民族も国家も文化も存在せず、これは純粋ロシアの国内問題で、今回の行為は特別軍事作戦であり、戦争ではないという論理だ。なぜか『前進』はこの民族問題(一体か別個か)に一切触れない。それは彼らが現代資本主義(帝国主義)の基本矛盾は「賃労働と資本」「階級攻防」にあるとし、民族問題など存在しない、あるのは帝国主義間の争闘戦で、民族問題や社会的差別問題は存在せず、今起こっている戦争は帝国主義とスターリン主義の「代理戦争」という立場にたつ。
20世紀前半に、日本が中国侵略戦争に際して「満州は日本の生命線」「日・満・蒙・中・朝の五族協和」「戦争ではなく事変」として15年にわたる侵略戦争をおこし、最終的には2千万人の中国人民を殺戮したことを居直ったのと同じ論理(安倍や石原は、侵略ではない、南京虐殺は無いと言いはった)が貫かれているということだ。
レーニン『帝国主義論』序文の民族抑圧を無視
それでは「春特」でも「自国帝国主義打倒」を繰り返し、他派は帝国主義擁護の転向派だとし、自己の「左翼性の証」とするレーニンの『帝国主義論』には何と書いているのか。レーニンは1916年、チューリッヒで「ツァーリズムの検閲のもとで、もっぱら理論的な〜それも特に経済学的な〜分析にごく厳重に極限して、イソップ的な言葉で書いた著作」の冒頭の序文(1917年4月、亡命から帰国しペトログラードで書いた)には、「だがここで一つ指摘しておく必要のある個所が一つある。それは119〜120ページである。資本家たちと彼らの側にはしった社会排外主義者(カウツキーは彼らとはなはだ不徹底にしかたたかっていない)とが領土併合の問題でどんなに恥知らずな嘘をついているか、彼らが自国の資本家たちによる併合をどんなに恥しらず包みかくしているかということを、検閲をとおる形で読者に説明するために、私はよぎなく…日本を例にとらなければならなかった! 注意深い読者は容易に、日本のかわりにロシアを、朝鮮のかわりにフィンランド、ポーランド、クールランド、ウクライナ、……その他、大ロシア人でない人々が住んでいる地方をおいてみるだろう(強調 引用者)」と書いているではないか。
『帝国主義論』は帝国主義打倒のために、その経済学的な分析に限定して書いた著作だが、その不可分の課題としての民族・植民地問題を日本と朝鮮、ロシアとウクライナの関係として冒頭で強く主張している。帝国主義という言葉を盛んに使いながら、その神髄を解体する『前進』「春特」の主張は許されない。(つづく)
(下)では、「この戦争の本質は米帝バイデンによる『バイデンの戦争』」を批判する。「ウクライナ侵略戦争はバイデンの戦争」とするなら、「ロシアはウクライナから撤兵」といってアメリカ大使館に抗議に行けば良いが、さすがにそれでは「世間の笑いもの」になるだろう。
我々は引き続きこの戦争を一日も早く終わらせるために、ロシア政府、駐日ロシア大使館への抗議を呼びかける。
(本の紹介)
『現代思想』6月臨時増刊号(上)
2月24日のロシア・プーチンのウクライナ侵攻以降、この戦争について様々な言説が飛ぶ。
事前には開戦前夜に「戦争はない」と1面全面で報ずる政党機関紙もあった。開戦後は、ロシアの侵攻の原因はNATO東方拡大とか、ミンスク合意を破ったゼレンスキーが悪いとの意見も。またロシアも帝国主義で、米ロ帝国主義の東欧覇権争い。善悪二分論で「一方だけを悪」はよくない、どっちもどっちなどの意見まで出る始末。強大なロシア軍には勝てないから降伏するのが市民の犠牲を少なくする道、などという意見も出る始末。
侵略された殺されるウクライナ人民の主体は措定されずに、論評をおこなう評論家・理論家の類だ。毎年秋の障害者の集会で「私たちの存在ぬきに、私たちのことを決めるな」は圧倒的説得力を持ち、当事者としての「交渉能力」を発揮し厚生労働省を追い詰めたことを知る者として、また沖縄をはじめマイノリティや先住民の自己決定権が尊ばれるようになった時代に、橋下徹に典型の身勝手な評論がまかり通ることに辟易していた。
そんな折、硬派の雑誌として知られる『現代思想』6月臨時増刊号=総特集「ウクライナから問う 歴史・政治・文化」が発行された。400頁近く、40人を超す研究者などの「論文集」で、とっつきにくいというのが最初の印象。しかしながら読んでいくうちに「ウクライナから問う 歴史・政治・文化」という特集そのものが、戦争の発端となった21年7月のプーチン論文=「ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性」に対する真っ向からのアンチテーゼであることが分かる。(つづく)
5面
住民に武装解除・投降を求める
小西誠氏の「降伏論」を批判する
小多基実夫
国家権力支配階級と同様の視座
自らは火の粉をかぶらない日本の地にあって、侵略=蹂躙されているウクライナ人民の自決・自己決定を全否定する立場から、「ロシア侵略軍に抵抗するな」「プーチンの要求するままに武器を捨てて無条件降伏し、軍事占領と支配に服従しろ」「占領軍は、降伏した無抵抗な者には迫害を加えない」と上から目線で説教する傲慢な人たちが、保守陣営から市民運動、左翼という広い層に点在している。
また、この認識には「国家=勢力圏」「領土問題」という観点からのみ戦争を認識・判断し、その戦争で被害を被るそこに住み生活と生産に携わる住民、戦争に動員される兵士という立場から戦争を視ようとしない国家権力支配階級と同様の視座が貫かれていると感じる。
ウクライナ人民には、ツァーリの時代〜ソ連時代を含めて一貫して大ロシア主義の民族抑圧に苦しんできた350年の歴史があり、それをはねのけて独立した30年の地平が再びロシアによって侵されているのである。そこにおける住民の抗戦・決起の自決性、民族解放性を認めないのは「ゼレンスキー政権のプロパガンダや強制動員による闘いだ」といわんばかりであり、さらにウクライナの軍と人民に投降を呼びかけるが、侵略軍であるロシア軍に対しては武器をおけとは言わないのはどういうことであろうか。「ロシア軍の侵攻はウクライナ人民をナチスから解放するためである」というプーチンの宣伝に与するものといわざるを得ない。
「国家のために戦え」というのでなく、国家とは関係なく市民・住民の立場で戦争に反対するべきである。もちろん、武装して戦うだけでなく、ゼレンスキーの「挙国一致」の戦争動員に参加協力せず、ロシア軍と戦わないこと、国内外へ退避すること、非暴力非協力を貫くこと、いずれも個々のウクライナ住民の自主的主体的な選択こそが尊重されるべきは言うまでもないことである。
いずれにせよ、住民の戦いから反撃の手段=武装抵抗を奪い、いわば飛車角抜きの素手で満身武装した侵略軍に立ち向かえというのであるから最悪の方針である。
そして、これらの「降伏論」の根底には、ざっくり言って「米帝がNATO拡大を武器にロシアを追い詰めロシアの侵略を引き出した戦争であり、悪いのはロシアを破壊しようとしているアメリカでありその手先であるゼレンスキー政権である。ロシアにとっては自衛的な戦争であり、このロシアの戦争に抗戦することはアメリカの世界支配再編の戦争に加担することになる」という認識がベースになっているようだ(米帝がこの戦争に介入して、莫大な利益を得ているのは事実であるが)。
しかし、戦争に国民を動員しようとする政府は、「相手が先に攻撃してきた(防衛)」「自国民の保護救出のための軍事行動(人道)」と主張するのが常である。ロシア政府もウクライナ政府も同じ論理で正当性を主張している。
ともかくプロパガンダはどうであれ、ロシア軍がウクライナに攻め込みウクライナで戦争がおこなわれており、ロシアへウクライナ軍が攻め込んで住民殺害等を起こしているのではないというのが客観的事実である。
住民に「武装解除・投降」を求める小西誠氏
小西誠氏は、『週刊金曜日』1375号(4・29)のインタビューで以下のような主張をしている。
曰く、「一般市民が殺されないために」市民の非武装とウクライナ軍の退去をおこない、ロシアが攻撃をかける前から「無防備都市宣言」をすべきだった。
いうまでもないが、ジュネーブ条約によって「無防備都市宣言」が成り立つためには、対象地域において政府が自国の軍と軍備をゼロ化し、さらに権力を使って住民を武装解除させ抵抗を禁止・破壊して、住民もろとも敵国の軍事占領と支配に差し出すということである。そして敵国軍がこの武装解除を承認する限りにおいてのことであり、これを美化することの無責任さは犯罪的である。
しかも小西氏は、これを「敗北ではなく『名誉ある撤退』である」と称賛している。何が『名誉』かといいたい。日本には『名誉の戦死』という言葉があり、ジュネーブ条約では「捕虜の名誉」という言葉があり、米軍では懲戒免職にあたる最高の行政罰を「不名誉除隊」という。このように、戦争で『名誉』という言葉が使われるのは、戦争指導者が戦場で兵士や民衆を意のままに操るためである。
現にロシア侵略軍によって子どもを含む無抵抗な人々への虐殺がおこなわれている占領地で闘う人民に対し、こんな言葉と抱き合わせで「抵抗することなく占領軍に身を差出せ、それが名誉だ」と民衆に侵略軍への投降を迫るのは侵略者、植民者の立場からでなければ言えない言葉である。
小西氏はかつて反戦自衛官運動を牽引するとともに、自衛隊の解体と獲得を目指す反軍闘争を提唱しその先頭に立ってきた人物であり、『マルクス主義軍事論入門』や『現代革命と軍隊』という著作もある。
それがこのインタビューでは「70年安保世代は、フランス革命、ロシア革命、第2次大戦中の仏レジスタンス、戦後の第三世界の独立戦争、ベトナム戦争などを『正義の武装闘争』『民族解放戦争』と理想化してきた。この検証も必要だ」と人民の武装解放闘争の歴史を全否定し、「レジスタンスの英雄美談」などと罵倒している。
中国での抗日解放戦争やベトナムでの民族解放独立戦争をもとりあげて、「現在のベトナム政権はどうなのか。数百万の人民の生命を犠牲にして米帝を追い出した、それだけの価値ある政治を今やっているでしょうか?」「武装解放闘争を選んだことで軍事政権や一党独裁政権ができ、人権や自由を抑圧するシステムになった」とまでいう。
言い換えれば、「中国人民は日本軍の侵略の前に無抵抗で降伏すべきだった」「ベトナム人民は米仏帝国主義の侵略戦争に無抵抗で屈服すべきであった」「ロシア、ウクライナをはじめナチスと闘った人々も無抵抗で支配されるべきであった」「降伏せずに闘ったから独裁政権を生み出したのだ」といっているのである。
「植民地支配や侵略から祖国を守る闘争でも…ゼネストや不服従、サボタージュなど平和的な闘い方」をすべきだとも言っているが、非服従、サボタージュは占領軍にとっては反抗そのものである。自国民に対してすら反抗者には過酷な弾圧を加える国家・軍が占領地においては人権を守り、人道的にふるまうことなど期待できるはずもない。
日本政府の対中国軍拡・戦争体制強化
このウクライナ戦争突入と同時に、事実上の参戦国である米英仏独をはじめとするNATO諸国は一斉に大軍拡に入り、世界戦争切迫の危機すら叫ばれている。
日本帝国主義もこれに乗り遅れるな! とばかりに「NATO加入=ウクライナ戦争参戦国化」(河野太郎)、「核兵器共有」(安倍晋三)と叫び、そのために、軍事費GDP2%(年10兆円、世界3位)、敵基地攻撃力保有、9条改憲へと猛スピードで動き出した。
かつて一等国入りをかけて第1次、第2次世界大戦に参戦していった歴史を再現させてはならない。そのためには、「どちらの帝国主義がいい帝国主義か? どちらの帝国主義の側に立つべきか?」という帝国主義支配階級と同様の戦争観から今こそ脱却しなければならない。
小西氏のもとで長期にわたって反戦運動・反軍闘争・革命運動を闘ってきた者としては、この敵前逃亡的な転向は非常に残念である。ウクライナ人民に降伏を要求する論者は何人もいるが、歴史的なすべての革命戦争、民族解放戦争をも清算するに至ったという意味で小西氏は一歩も二歩も突出している。
本音は、対中国・対ロシアの戦争体制の切迫に対して「日本での政府との闘い、反戦闘争、とりわけ武装闘争には絶対に与しません。かつて論じてきたマルクス主義の軍事論・革命論を否定します」という帝国主義政府への転向表明である。とりわけこの無責任な「非武装地帯宣言」運動を対中国戦争の最前線の攻防である沖縄反基地闘争に適用し、自公政府に「非武装地帯宣言」をお願いする運動に変質させることでその証にしようとしていることは許せない。
この絵にかいたような転向は、20数万人の自衛隊の中で一握りの存在とはいえ「自国の侵略戦争に命懸けの決起でこれに抗おう」と苦闘している反戦自衛官たちに打撃を与えるのは間違いないが、それを倍する反戦運動の高揚によって巻き返していかなくてはならない。
ロシア、ウクライナ、米国をはじめ自国政府の戦争遂行と闘う全世界の人民とともにこの世界戦争への道を阻止しよう。日本の対ロシア、対中国、対朝鮮への戦争体制阻止へ。対中露の軍事同盟=日米安保条約の強化阻止、同盟解体へ全力で取り組もう。沖縄・琉球列島の日米軍事拠点化阻止こそその環である。
6面
B地区の自己批判と新たな決意
革共同・大阪B地区委員会
謝罪と新たな決意
2019年12月のMさんに対する性暴力事件に対し、私たちは2年5カ月、議論してきましたが、八田の「謝罪と自己批判と決意」と「B地区の自己批判と新たな決意」をここに中間総括として公表します。しかし、今回の公表で終わりではありません。謝罪と自己変革の闘いはこれからさらに始まります。
Mさんへ
謝罪が遅れていることについて当該地区党として謝罪します。本来ならばすぐに八田の自己批判を勝ち取れて当然であったのに、ここまでの長い時間を要してしまっています。事件直後から、私たちは何度も集まり、Mさんへの八田の謝罪を実現するために糾弾してきました。八田はこの糾弾に向き合い続け、小さな歩みですが前進を重ねてきました。
あなたはご自分の怒りを八田に思い知らせ、八田の謝罪を勝ち取ることが本当の願いであったでしょう。もう二度とあんな怖い目にあわなくても済むよう再発防止の対策を党から聞き出したかったことでしょう。
八田と党自身の変革に時間がかかっていることを申し訳なく思います。私たちは時間がかかってもなんとしてもあなたの真の願いを実現するためこれからも八田糾弾・党の自己批判と変革をやりきり、二度と性暴力事件を起こさない党へと自己を変えていく決意です。
本当の人間的共同性が大切
糾弾としての糾弾の段階から、B地区との討論を基礎に、八田が女性差別に満ちた現実の階級闘争の中に身を置き、これと闘っていく主体へのさらなる厳しい自己変革、党としてのさらなる格闘に挑戦していきます。
八田は自身の差別性、犯罪性は即座に認めましたが、Mさんの恐怖を実感することはできませんでした。これは共感性の希薄さによるものです。彼の中に眠っている本当の人間的共同性を呼び覚まさなければならないと思いました。
この糾弾闘争の中で学んだことは、本当の人間的共同性をこの中でつくりだすということでした。金銭解決や鉄拳制裁や追放は差別者に何の変革も起こしません。共同性をつくりだしてこそ人の変革ができることを学んできました。
B地区は女性で障害者の同志、党の中で発病し党変革のために糾弾し続けている同志、沖縄出身の同志、1971年の全学連大会での女性による糾弾闘争を体験した同志等々で構成されています。女性で障害者の同志は「みんなで八田の問題を自らのものにしていく。共感、共同性をかちとるために何をすればよいのかを考えていこう」と提起するなどして糾弾と議論を推進してきました。
八田の問題は我々の内実を示す鏡
間違っているのは八田であり、私たちは間違っていないという立場は一切取りませんでした。なぜなら、この問題に取り組んでいく中で私たち自身、党自身の問題が深くえぐられていったからです。
公然部、非公然部でも、歪んだ党の中で女性差別は激しく起こっていたこと。その解決のあり方は、解決とはいえない鉄拳制裁や所属替えや追放などでごまかしてきたのが党の現実でした。しかし、果たしてそれでよいのかというのが私たちの思いです。
女性解放闘争の立ち遅れとの闘い
2年5カ月の中で、党自身の女性解放闘争が激しく立ち遅れていることを自覚してきました。共同性をつくりだすということは、この立ち遅れを石川由子同志や藤野かな子同志や他の女性同志を先頭にキャッチアップすることと一体でした。女性同志の糾弾の中で、女性解放闘争とは男性自身の解放闘争でもあるということも自己批判的に学んできました。
これらの自己批判の貫徹として、人間自身を主体とする共産主義運動をさらにつくりだし、腐敗しきった帝国主義を打倒するためにたたかっていきたいと決意しています。
謝罪と自己批判と決意
八代(八田)秀一 2022年4月24日
1.私が性暴力を犯してしまったMさんに心から謝罪し、償いを貫徹する決意を表明します。Mさん、申し訳ありませんでした。私がこの事件を起こしてしまった19年12月30日は、Mさんが母親の介護から解放され新たな暮らしに入っていこうという当日だったのです。この事実を知った時私の中に湧きあがったMさんへの申し訳ないという思いは今も同じです。一生をかけて償いをしていきます。性暴力とは無縁な人間へと自分を周囲の人々の助けを得て変えていきます。
2.当初、Mさんが一生持ち続けるであろう私の性暴力に由来する恐怖・苦痛を真には実感できず、それについて語る言葉を持たず、申し訳ないという思いを正直に表現できない私自身の現実に直面し、そのような言葉を自らのものとし、思いを正直に表現できる存在になりたいと思うだけでした。
3.こんな如何ともしようがない状況の中で転機を与えてくれたのが、地区メンバーとの討論でした。その過程で、人間存在の共同性を見ず他者に対して攻撃的で自己の問題意識にのみに固執する私の存在を、私は自覚しました。私自身の問題意識(例えば、理論と実在との関係)すら、先人たちの営みを学習することを通して私が形成してきたものであることに気付きました。そして更に、何故私がそのような存在となり、このような自明のことに気付かなかったのかを考えざるをえませんでした。そこで思い至ったのは、家庭・地域社会・学校の中での差別的抑圧的なあり方、そこでの傲慢尊大な地域ボスたち教師たちに対し反発しつつも、私自身が差別的抑圧的且つ傲慢尊大な存在として自己を形成してしまったということでした。これらの認識に至るのに、地区メンバーが紹介してくれた山本潤さんの本(『13歳、「私」をなくした私』朝日新聞出版、2017)が大きな助けになりました。山本さんは実の父親から性暴力を受けました。山本さんの受けた性暴力が男性の女性に対する究極の暴力であり、性暴力が女性のその後の人生にどれほど大きな打撃を与えるかを私は強烈に知らされました。そして山本さんは更にその苦しみの中で父親の存在、母親と父親との関係について考え抜き、性暴力と女性差別に対する闘いに立ちあがりました。私は父親から性暴力を受けたわけではありませんが、この山本さんの闘いに触発されて初めて、自らの生まれ育った家庭について考えるに至りました。そして父親の無言の暴力こそ、差別的抑圧的且つ傲慢尊大な存在への自己形成の原点であるとわかりました。そして性暴力を犯してしまった私自身の内なる女性差別に立ち向かっていかなければならないと思っています。
4.ここからの実践的結論は、私自身の実践を通じて人間の共同性を取り戻すことに他なりません。それは具体的には、地区・党メンバーに分かってもらえる私自身の自己批判を作り上げることであると思います。21年になってからは討論に地区外のメンバーの方にも参加していただいたりして、初めて私がどういう人々の中にいるのか分かるようになりました。周囲の一人一人のメンバーの有りのままの姿、その上で何を思い闘ってきたのか、そしてその真実性といったものが見えてきたように思います。これらの人々に分かってもらえる自己批判作成の端緒に立てたという思いです。また同年5月に地区メンバーからパソコンをもらい、近所のパソコン教室で使い方を丁寧に教えてもらいました。そしてようやくパソコン入力が自由にできるようになりました。共同性の獲得として、周囲の人々の意見の発表等に少しでも役に立てたらと思っています。
5.私は歴史的事実としてしか、しかも私たちの側から見た歴史的事実としてしか「7・7自己批判」を知りませんでした。この「自己批判」が自らの課題だとは思ってもいませんでした。この「自己批判」の立場は、反差別闘争を闘う際の我々の自明の前提だと考えていました。そして、それらの闘争を闘うことでこの立場は充足されるものだと考えていました。しかし、これらの考えは全くの誤りでした。先に述べたように私自身が差別的抑圧的且つ傲慢尊大な存在である以上、この「自己批判」を自らの課題として実践し、そのような存在から自らを解放していく以外にそもそも私の今後の生き方はあり得ません。
許されないことにも、これまで私は女性差別抑圧の現実を一顧だにせず、女性の貧困や男性の女性に対する暴力と性搾取を傍観し続けました。今私は、今回の性暴力事件がこのような私の女性差別抑圧人生の帰着点だと思っています。藤野かな子論文(『未来323』号)の「自己解放闘争として闘われない以上、何処かで破綻をきたすことは避けられない」の指摘にあるように、これまでの私の女性に対する差別抑圧的在り方は、今回の事件で決定的な破綻を迎えたのです。これほど深刻な私の女性差別性を克服するなど思いも及びませんが、この差別抑圧性からの自己解放を一歩一歩勝ち取っていきたいと思います。そのためにまず、この間の党改革の先頭に立って決起している女性同志たちの闘いに学びたいと思います。とりわけ、党の女性解放闘争史を総括し、女性の主体性奪還の闘いと男性の自己解放の闘いを女性解放闘争として提起する藤野かな子論文に学び、その提起を実践していきます。
また今回私が引き起こしてしまった事件は「障害者」差別でもあります。私はこれまで「障害者」の介護活動に誠実に取り組んできたつもりでしたが、それは自らの思い込みに過ぎませんでした。この反省の上に立って、これからは「障害者」との共同性を取り戻す日常闘争として差別抑圧性からの自己解放をかけてこの活動をやり抜きます。
6.人間の共同性を取り戻し、そして差別抑圧性からの自己解放を勝ち取り、自らを人間の解放を共に闘う存在へと変革する決意です。そして人間の解放を共に闘うことで、人間の共同性を取り戻し、差別抑圧性からの自己解放を勝ち取っていく決意です。この過程こそ、Mさんへの謝罪を貫徹する過程であると思います。Mさん、本当に申し訳ありませんでした。最後に党と闘う全ての皆様とに謝罪します。
7面
9条の危機と憲法審査会
大江京子弁護士が講演
5月21日東京・調布
講演する大江弁護士 |
5月21日、東京・調布市で改憲反対運動をしている「調布九条の会」の「憲法ひろば」例会として改憲問題対策法律家6団体連絡会事務局長の大江京子弁護士の話を聞けるとのことで、お邪魔してきました。
「9条の危機〜今憲法審査会で何が起きているか、ウクライナ侵攻と憲法9条」と題して、大江弁護士が1時間ほど話しました。以下、話の一部を記します。
戦後最大の憲法の危機
「日本国憲法が制定されてから改憲の手続法がないまま2007年まで来た。安倍が『戦後レジーム』(=憲法)を変えると言って、第一次安倍政権下で国民投票法を強行採決した。
憲法審査会は改憲原案を作る。憲法を広く調査する権限もある。国民投票法も審査する。これまでは実質的に動いてなかった。憲法審査会で呼んだ先生たち(※小林節氏など)に(当時上程されていた)安保関連法について聞いたら全員『違憲』と答えた。それ以降、憲法審査会が開かれなかった。
自民党の改憲案4項目のもとになったのが安倍の改憲宣言。本当は4項目やりたかったが自分達の都合で審査会をやっていなかった。
一人の発言から出た改憲案を審議する、となったらルール違反であった。それで改憲の手続法を審査することになり、7項目が通った。先の衆院選を経て、ガラッと空気が変わった。選挙時の自民党の公約には改憲が1行書いてあったくらいで、選挙演説では自民も維新も一言も触れなかった。2月から憲法審査会を毎週開催している。口実として、憲法56条1項(両議院は、各々その総議員の三分の一以上の出席がなければ、議事を開き議決することができない)に関わる『出席』の概念を変える必要がある、と言っている。コロナのようなことがあるからオンラインでも可とすべきだと言っているが、国会議員の3分の2が出られなければ日本は終わっている。
『緊急事態条項』で想定されているのはパンデミック、災害、戦争。連休明けから一気に進んだ。『9条は残すから自衛隊の明記だけでも』とも言っている。
自民党と維新はほぼ一緒の主張。公明党は内部で結構批判がある。北側氏(党副代表・元国交相)は個人的意見として『憲法に明記してこそ民主的に統制できる』と言っていて、参院選後に一気に(公明党全体が)賛成しかねない。
進め方も乱暴。立憲主義を知らない人が喋って(※国民民主党・玉木氏は憲法審査会に憲法解釈を決める権能=準司法的権能があるとまで発言)、4回(衆参、委員会・本会議)議論して通ったら(改憲発議が)成立してしまう。
戦後最大の憲法の危機と言って過言ではない。改憲の発議が許されるのは『今の憲法では国民の生命・財産が守れない』という立法事実があることが必要となる。(緊急事態条項導入の口実とされる)コロナ対策ができないのは憲法でも法律でもなく政策の問題。
各政党の公約・政策を並べて、政党名を隠してアンケートを取ると支持率が変わる(※自民党の政策を支持する人はさほど多くない、ということ)。
街頭宣伝をやっていて、ロシアのウクライナ侵攻開始の後『9条を守るのをやめました』という反応がある。改憲派が言う議論を一つ一つ検討する必要がある。(近隣諸国が)『脅威』に見えるのは原因がある。外交努力が一番重要。(現状は)その話し合いすらできない。
憲法前文2項(『…われらは全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和の内に生存する権利を有することを確認する。』)では国家の問題でなく人権の問題として『安全保障』が捉えられている。」
無用な被ばくから、いのちを守る
「子ども脱被ばく裁判」を傍聴して
5月18日仙台高裁
仙台高裁に署名を提出(5月18日) |
子ども脱被ばく裁判
2011年福島集団疎開裁判を引き継ぎ、2014年に提訴した〈子ども脱被ばく裁判〉は、義務教育の子どもたちへの無用な被ばく(低線量、内部被曝)の問題を訴えた裁判。21年3月1日、福島地裁は原告の訴え、緻密な証拠と証人尋問に全く耳を傾けず、「年間20ミリシーベルト以下は安全」という根拠のない基準で、学校教育をおこなったのはなんら問題はなかったと門前払いの却下と棄却の不当判決を下した。
21年10月22日に控訴審開始。私は、第1回に続き5月18日の第3回口頭弁論に傍聴参加した。法廷では3本の準備書面弁護士陳述と控訴人Sさんの意見陳述がおこなわれた。
大人が子どもを守らなければ
「子どもは何も言えません。大人に振り回されながら耐えています。大人が子どもを守らなければ子どもの未来はありません」 Sさんは「障害者」で、母親と2人の息子(大学1年と高校1年)と生活するシングルマザー。事故後、自身の障害の悪化、急性貧血。子どもの鼻血や発疹等体調不良で避難を試みるが、様々な困難に突き当たり避難を断念せざるを得なかった。できる限りの保養キャンプを利用しながら、この11年間、福島市内で生活し、子どもは成長し進学できたが健康被害は続いている。「原因は被ばくしかない。息子たちに申し訳ないという思いが消えない。一審判決で裁判所は何もしてくれないと落胆しながらも、へこたれず今日法廷に立っている。」と裁判長をまっすぐ見つめ、一言一言かみしめて陳述した。
裁判闘争に仲間が合流
法廷に先立ち、午前中は、仙台市内繁華街と青葉通りをデモでアピール。午後は井戸弁護士による「311子ども甲状腺がん裁判について」の学習会。裁判所へ「公正な裁判と判決を求める署名」4384筆を提出。
閉廷後には記者会見&報告会がおこなわれた。一連の行動には、地元の反原発、反被ばくの活動に取り組む仲間、福島で闘う人々はじめ、関東・西日本の裁判を支える会のメンバーがつどい、裁判の重要性を共有し、相互に支援連帯する場となった。
311子ども甲状腺がん裁判とともに
事故直後多くの子どもたちは、情報の隠蔽、放射能安全キャンペーンのもと、無防備に日常生活を送らされてきた。その結果、被ばく由来の健康被害が続き甲状腺がんを罹患した6人の若者はがんの原因を問い、東電の責任と賠償を求めて提訴した。この裁判には、子ども脱被ばく裁判の弁護団全員が参加し、弁護団長は井戸謙一弁護士。5月26日に第1回目の裁判がひらかれる。
被ばくした子どもたちの健康不安は一生消えない。被害者(罹患者)の救済(治療費や生活保障)、各種検査の充実、子どもの人権の確立も喫緊の課題だ。
ヒロシマ・ナガサキから続くフクシマの核(放射能)被害、内部被ばくを認めさせた広島「黒い雨」裁判判決に続き、2つの裁判で原発事故、被ばくの責任を明らかにして、被害者救済の法的支援の枠組みを展望する道筋を闘い取りたいと思う。
(子ども脱被ばく裁判を支える会・西日本会員 T)
汚染水を海に流すな!
6月着工中止を求める!アクション
5月13日
東京電力本店前で抗議の行動(5月13日、都内) |
5月13日、福島の市民団体が東京へ足を運び、原子力規制庁と東京電力に、福島第一原発で貯水されている放射能汚染水を海洋に放出する計画を中止するよう要請した。
東電前でおこなわれた抗議行動には各地に避難している被災者も参加。口々に東電の無責任体質を弾劾した。福島県漁連に対しては同意なしに放出しないと約束しながら、準備は(放出とは)別と工事を問答無用に進めている。また、計画に変更はないとも公に明言。本日の交渉でも、福島の美しい海を守ってほしいという要請に対して、そんな約束は出来ないと言い放つ始末だった、と報告された。
貯水タンクが満タンというのは放出の理由にはならない。政府と東電が責任を持って解決すべき問題だ。放射能汚染水の海洋投棄は原発災害を上塗りするものでしかない。絶対に阻止しよう。
8面
(本の紹介)
『積み重なる差別と貧困』
金耿昊著
2022年3月 3800円+税
金耿昊さんの『積み重なる差別と貧困』を四苦八苦しながら読み終えた。敗戦直後から1950年代の日本での在日朝鮮人の暮らしを調べた大著でした。
日本帝国主義のもとで、強制連行と土地・農地の収奪によって多くの朝鮮人が日本に渡らざるをえなくされ、敗戦直後には2百万人が日本各地にいた。その生活は、当然にも極貧を極めながら。本書は、その朝鮮人のみなさんの暮らしを、当時の日本国籍を前提とした制度であった「生活保護制度」に「適正化」の名のもとに排除、削減されるという惨状を強いられていたことを、丁寧にたどったものです。
敗戦後、今に至るも戦前の朝鮮半島の植民地化、差別支配に謝罪どころか、反省もなく開き直る日本の現実の中にあります。
私自身、兵庫の外国人無年金問題にこの30年近く関わってきました。1982年の難民条約への批准の結果、制度的な狭間で、国によって外国人(ほとんどが在日朝鮮人)の高齢者と障碍者の一部が年金制度から排除されてきた歴史を、住民保護の立場から県、市町の自治体に補完するよう求めてきた「障害年金の国籍条項を撤廃させる会」の活動に加わり、交渉の場に居続けてきました。この3月末、残っていた兵庫県による傷害者2級の支給が決まり、ようやく完全実施を勝ち取り、ほっとしていた中で、この書を読みました。(兵庫県が、全国で唯一完全実施で、在日が多い大阪府をはじめ、全国各地で是正されていません。)
左記の文章は、著者がその「終章」の最後に記した一文です。
できれば手に取ってお読みいただけることを願います。(『facebook松原康彦』から転載)
このように、日本社会は在日朝鮮人に対する民族差別を戦後も継続し、在日一世世代は構造的に生活に困窮せざるをえない条件下での生存を余儀なくされ続けた。生存権すら十分に保障されぬ状況のなか、自立を強要されてきたのである。これが、解放直後から一九五〇年代の在日朝鮮人をめぐる歴史過程をたどり、またその後の状況を仮説的に展望したうえでの本書の結論である。在日朝鮮人一世たちの人生には、差別と貧困の問題が幾重にも、幾重にも、積み重ねられてきたのである。
(シネマ案内)
ドキュメンタリー映画
『私はチョソンサラムです』を見て(下)
映画のなかで、良心的政治犯の発言がことさら印象に残った。かれらは祖国を知るために韓国に留学した。祖国を知ることによってスパイにデッチあげられ、長い獄中生活をおくった。獄中での苦しい生活。康宗憲さんは「それはけっして不幸ではなかった。民族性について多くのことを学ぶことができた」と自然体で語る。彼らにとって生きることは闘いなのだ、とつくづく思う。
在日朝鮮人が日本で暮らすということ
在日朝鮮人にとって、日本はけっして住みやすい土地ではない。なによりも、日本国家はいまだに植民地支配を反省することなく、さまざまな形で差別をおこなっている。それは朝鮮学校にたいする差別政策をみればよい。また、民族差別が存在している。それは京都朝鮮初級学校襲撃事件(2009年)をみればよい。しかし、おおくの在日朝鮮人は、この日本で生活せざるをえないのだ。
朝鮮半島は二つの国に分断され、日本には在日朝鮮人が生きている。このように、3つに分断されている。日本のなかでも、朝鮮総連と民団に分かれている。しかし、共通の思いは〈祖国統一〉なのだ。
では、在日朝鮮人にとって〈祖国〉は、何を意味するのであろうか。それは「差別される事なく人間の尊厳が保たれている社会」ということだ。ここで、「国」は現実の国家ではなく、未来型の「あるべき共同体社会」を意味している。
〈統一〉は、朝鮮半島の統一だけを意味しているのではない。この日本社会で、朝鮮人が差別される事なく、平和に生きることができること。これが実現することによって、広い意味で朝鮮人民は〈統一〉されるのだ。
日本社会は変わらなければならない。これは日本人民の課題にほかならない。この日、李哲さんは「植民地支配をおこなったという倫理的反省からではなく、日本の民主化運動を担っている人間として、わたしたちの運動にしっかり取り組んでもらいたい」と述べた。この意味で、この映画は日本人民こそが深く学ぶべき映画だ。(おわり/八木正志)
お詫びと訂正
本紙前号の見出し、小見出し、本文の3か所において「チョソンサラム」が「チョンソンサラム」となっていました。校正のミスで、関係者の皆様にご迷惑をおかけしました。正しくは「チョソンサラム」です。お詫びして訂正します。本紙編集委員会
特別カンパアピール
ウクライナ戦争を機とする大流動下、機関紙『未来』を強化する特別カンパを
同志の皆さん、『未来』読者の皆さん。プーチン・ロシアによるウクライナ侵略戦争に反対し、ウクライナ人民の闘いと連帯して、戦争阻止へ全世界の人民と共に闘っていかなくてはなりません。
ソ連スターリン主義崩壊以後の30年間の世界体制の大変動は不可避です。他方で、ウクライナ反戦をめぐって左翼戦線の大流動・分岐・再編も起きています。帝国主義・グローバリゼーション・新自由主義への批判と共に、スターリン主義崩壊が生み出した世界批判の再深化が問われています。
この夏・秋へ、ウクライナ戦争を契機に世界戦争への動向や、ドイツ・日本などの軍拡との闘いが急迫しています。日本人民にとっては、ウクライナ戦争は、「台湾有事」を名目とした日本の大軍拡(敵基地攻撃論、防衛費GDP比2%、「核共有」論)と9条改憲(緊急事態法)との闘いが喫緊のテーマです。
また、ウクライナ戦争は、核・原発との闘いが戦争と平和の避けて通れぬテーマであることを突きつけました。老朽原発再稼働阻止・原発全廃が人類にとって必要であることを示しています。とりわけ、「台湾有事」を扇動して、南西諸島(琉球弧)を戦場とし、再び沖縄戦の道をあゆもうとすることを絶対阻止するために巨大な反戦闘争をたたかいぬこう。
参院選はこれらの課題・闘いの正面テーマとして、我々も避けて通れぬ闘いです。改めて改憲勢力との闘いを訴えます。コロナ禍の現状は、自民・公明や維新政治が人民の生命・生活を守れるものではないことを突きつけています。
3・11以後、革共同再建協議会は反原発闘争を担ってきましたが、今一つの柱として新たな沖縄闘争=南西諸島(琉球弧)を戦場にするな、再び沖縄戦を許すな、の闘いを全階級的な闘いの柱に押し上げなくてはならないと考えます。ウクライナ反戦闘争は新たな沖縄闘争と直結しています。この1〜2年、いや5年間の世界戦争との闘いをやりぬける革命的勢力の建設へ党と機関紙を鍛え、飛躍・成長させていかなくてはなりません。
新しい運動と潮流をつくるのに機関紙が決定的です。財政の最大の課題が機関紙の安定的発行と維持・拡大にあります。そのためのカンパを訴えるものです。今夏、今秋闘争を岸田政権と闘いぬくために最低限200万円の特別カンパを必要としています。6〜8月に反原発・新たな沖縄闘争・改憲阻止を全力で闘う革命勢力・再建協議会にカンパを、お願いします。
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