未来・第340号


            未来第340号目次(2022年4月21日発行)

 1面  琉球の「復帰50年」にあたって
     新たな沖縄戦に引き込む
     戦争政治を打ち破ろう

     バクチで経済活性化?
     カジノ粉砕 住民投票へ

 2面  西宮市長選
     維新人気は虚構
     市民・議員・首長が包囲

     警察法改悪が可決成立
     3月30日 参議院本会議

 3面  警察の個人情報管理を考える集会
     運転免許証とマイナンバーの一体化      

     奥野・山口「日の丸」不起立処分撤回闘争
     最高裁で処分取消の根津公子さんが講演     

     市立高校の無償譲渡止めず
     3月25日 大阪地裁

 4面  4・5面はウクライナ反戦 投稿特集
     私の意見・闘争報告
     神戸で120人がデモ

     子づれで参加 尼崎

     東大阪で連続決起

     投稿 ロシアのウクライナ侵略戦争メモ

 5面  4・5面はウクライナ反戦 投稿特集
     投稿
     ロシアのウクライナ侵略を許さない!
     直ちに撤兵せよ!
     松浦英和

     投稿
     ゼレンスキーの国会演説を聞いて
     高見元博

     ミャンマー官邸前行動
     国軍の資金を断て

 6面  優生保護法被害国賠訴訟
     3月11日 東京高裁で2件目の勝利
     関東「障害者」解放委員会 荒波建夫

     3月11日 東京高裁判決 再び国に賠償命令(下)
     大阪高裁に続き 除斥適用は「正義・公平に反する」
     「社会に偏見・差別を浸透させた」「強度の人権侵害」
     国は両高裁判決への上告を取り下げ、速やかに謝罪と賠償を

 7面  当事者6人が東京地裁に提訴
     311子ども甲状腺がん裁判
     津田保夫

     伊方原発広島裁判
     今こそ「司法の正義」実現を

 8面  (書評)
     鎌倉孝夫 著
     『資本論エッセンス T・U』(上)
     松崎五郎

     (シネマ案内)
     『夢のアンデス』
     監督:パトリシオ・グスマン
     2019年製作

           

琉球の「復帰50年」にあたって
新たな沖縄戦に引き込む
戦争政治を打ち破ろう

2月24日、ロシアのプーチン政権はウクライナに対する侵略戦争に踏み切った。無差別爆撃による都市の破壊とウクライナ民衆へのテロ・虐殺は実に残虐極まりない。この中からウクライナの民衆は果敢に起ち上がり、ロシア軍に必死に反撃している。このウクライナ民衆の闘いと連帯して、プーチン政権の足下から「戦争反対」の声を上げ、弾圧・逮捕にもかかわらず行動を展開しているロシア人民を始め、全世界でプーチンのウクライナ侵略戦争を弾劾する民衆の抗議行動が巻き起こっている。日本でも在日ウクライナ人と共に、全国各地で「プーチンはウクライナ侵略戦争をやめろ」と叫んで、抗議行動が展開されている。このウクライナ民衆と連帯してプーチンの侵略戦争に抗議する反戦の闘いをさらに強力に推し進めていこう。

T 新たな沖縄戦を許すな

現在、新たな形をとって沖縄戦が再来しようとしている。我々は重大な危機感と不退転の決意をもって、現在的に進行している新たな沖縄戦に向かうプロセスを絶対に打ち破っていく闘いを創り出し、強化・発展させていかなければならない。
今日、アメリカ帝国主義のバイデン政権は米中対立を激化させている。安倍政権が打ち出した「インド・太平洋戦略」構想をバイデン政権は積極的に受け入れ、アメリカ帝国主義のアジア戦略構想として位置付けている。インド・太平洋戦略の展開は、まぎれもなく南中国海における中国包囲網の形成による中国封じ込めであり、米中対立を激化させる。この構想の具体化はまだこれからであるが、アメリカはこの中心にクアッド(アメリカ・日本・オーストラリア・インド)を据えようとしている。そして、これにイギリス・フランス・ドイツが積極的に参加しようとしている。
さらに東中国海においては、「台湾有事」を煽りたてて中国スターリン主義を挑発し、米中対立を激化させている。そして特に注目しなければならないのは、日本帝国主義がアメリカ帝国主義よりも突出して「台湾危機」を喚いて日本の労働者階級・人民大衆に対して排外主義を煽り、「南西諸島」(琉球孤)の防衛力強化を打ち出して陸上自衛隊の配備による軍事力の増強をおこない、実際に戦争する態勢を構築しているということである。
このような日本帝国主義の動向を許すならば、その行き着く先に琉球弧の島々を戦場として、新たな戦争の形をとった悲惨な沖縄戦がもたらされるのは不可避だ。
我々はこの新たな形をとった沖縄戦をどんなことがあっても許してはならないし、絶対に阻止していかなければならない。

U 「南西諸島」の防衛力強化の実態

すでに述べたように、日本帝国主義は米中対立の激化に棹さして「台湾危機」=「台湾有事」をアメリカ帝国主義以上に扇動し、「南西諸島」防衛力強化の必要性を強調している(2021年版防衛白書)。そして実際に、地元住民の根強い反対があるにもかかわらず、それを無視して、琉球弧の島々に陸上自衛隊の基地を建設し、配備を強行している。
与那国島から始まって、奄美大島・宮古島も配備は完了し、石垣島と沖縄島では配備に向けての準備が具体的に進められている。
昨年(2021年)の11月には宮古島保良の人家からわずか2百メートルしか離れていない弾薬庫に、ミサイル弾体を含む弾薬搬入が強行された。しかも、弾薬を積載した車両は白昼堂々と市街地を通過したのだ。この異様な光景を身近で見た宮古島市の住民は不安と反感を覚えたと語っている。
琉球弧の軍事化・要塞化は、そこが戦場になることを想定した究極の沖縄差別であり、沖縄戦を再び繰り返すものだ。辺野古新基地建設も含め、絶対に阻止しなければならない。

V 中国・台湾・韓国・北朝鮮の人民と連帯して闘おう

言うまでもなく、戦争を阻止し、あるいは止めさせるのは、当事国人民による「自国政府の戦争政治との闘い」と、「交戦国人民同士の連帯」の如何にかかっている。
米中対立の激化の中で「台湾有事」を煽り、中国スターリン主義を挑発して戦争に引きずり込み、新たな沖縄戦を不可避とするような琉球弧への陸上自衛隊配備と辺野古新基地建設に対する闘いを、中国・台湾・韓国・北朝鮮の人民と交流・連帯し、信頼関係を形成しながら、共に全力で創り出していこう。

バクチで経済活性化?
カジノ粉砕 住民投票へ

カジノ粉砕を訴える山本太郎れいわ新撰組代表(4月2日、大阪市内)

3月26日、JR大阪駅(ヨドバシカメラ)前 午後5時かられいわの山本太郎、大石あきこ両衆院議員、やはた愛参議院選挙立候補予定者でカジノ反対の住民投票を求める署名行動がおこなわれた。山本太郎代表は大型モニターを使って大阪にカジノをつくることの犯罪性を動画を駆使して訴えた。
強い雨の中だったが、ヨドバシカメラ前はたくさんの人だかりになった。大阪府・市は万博とカジノに計2697億円も使うのに、「IRカジノには公費は一切使いません」と自信たっぷりに言い切っている松井一郎・大阪府知事(当時)の映像がモニター画面から流されたとき、集まっている人たちは維新のあまりの大うそにびっくりしていた。「そうか、おれたちはだまされていたのか」とみんなに怒りがわいた。それだけではない。吉村洋文・現大阪府知事も「誤解されていますが、IR(統合型リゾート)は民間の事業ですから民間の事業に行政がお金を出すことは一切ありません。この点、誤解のないように補足しておきます」という映像も(2面へ続く)これでもかとばかりにモニター画面から流された。やはり動画の迫力と説得力はすごいというほかない。
さらに「利益がでるのは2076年以降」になるという大阪市港湾局が昨年12月にやっと公表した資料がモニターに映し出されるとみんなの怒りは頂点に達した。2076年以降とは今から54年後だ。54年間も赤字続きだということだ。山本太郎は「みなさんの中で54年後に生きている人はいますか?」という問いかけにみんなの怒りは倍増した。しかも「利益がでる」のは確実ではなく「でるかもしれない」というあやふやなものでしかないのだ。
カジノはバクチだ。バクチで経済が成長するはずがない。維新の主張のウソとでたらめが映像という新たな宣伝媒体によって明らかにされていった。
雨にもかかわらず署名には行列ができた。署名はひっきりなしにおこなわれ、神戸から来た人は大阪府民しか署名できないと聞くと残念そうだった。
この日、大石あきこ衆院議員も、やはた愛立候補予定者も山本太郎代表といっしょに熱弁をふるった。

4月2日、山本太郎代表は大阪市内4カ所で訴え

JR弁天町駅前、南海・地下鉄天下茶屋駅前、近鉄・上本町駅前、難波高島屋前で同様にモニターを使って維新のウソとでたらめをあばいていった。
弁天町駅前では20筆を超える署名が集まり、天下茶屋駅前では山本太郎代表が説明するモニターをじっとみていたサラリーマンや建設労働者が署名し、弁天町を倍する署名が集まり、近鉄上本町駅前ではアルミ缶を集めている自転車に乗った男性やさまざまな人たちが署名していった。
圧巻は難波高島屋前だった。8つある署名ブースには署名する人たちがひっきりなしに訪れていた。午後6時から開始された街宣行動が一段落すると7時半ころからすぐ2回目の街宣行動がおこなわれた。なんとしても維新を倒そうという山本太郎代表や大石あきこ衆院議員、やはた愛立候補予定者たちのものすごい意思が感じられた街宣だった。5月25日の署名締め切りまで全力で闘いぬこう。

2面

西宮市長選
維新人気は虚構
市民・議員・首長が包囲

石井西宮市長(右から2人目)の応援にかけつけた芦屋(左端)、宝塚、尼崎、川西の市長(3月13日、西宮市内)

(1)本紙332号に「反維新統一戦線の形成を」を書いて以降、毎号、西宮市長選・市議補選記事を書いてきた。それはこの選挙に敗北するなら、維新の勢いを止められないとの思いからだった。結果、市長選で維新はダブルスコアに近い惨敗、市議補選では2議席独占の目論見が2候補落選で、3人とも落選。松井一郎維新代表も認める完敗を強制し、維新躍進の勢いにひとまずストップをかけることができた。参議院選まであと3カ月弱。西宮の勝利をバネに、自・公・維新に憲法改悪の議席を与えないために全力決起していこう。
(2)勝利の原因はいくつかあるが、まずは維新の「西宮攻略」作戦に、一人ひとりの市民が「西宮に維新市長は要らない」と立ち上がったことであろう。3・12講演会で西谷文和さんは、「維新の毒」を全面批判したが、さいごは「一人ひとりの市民の決起がカギ」とまとめた。280人の集会参加者、7万枚のチラシを読んだ人たちや、市長・市議補選候補者の訴えを聞いた人たちが確信をもって、改めて維新ではない自分たちの代表を選んだということだ。反維新陣営はある種バラバラだった。市長候補自身が政党の支援を求めないと言い、反維新を強固に主張するグループを敬遠した。
しかし2020年の大阪市住民投票と同様、全部が一つにまとまって行動する必要はなく、それぞれが様々なカラーで維新のデタラメさを衝けばよい。その幅広さがダブルスコアになり、事務所も持たない無いない尽くしの市議補選候補・宮本けいこさん(無所属)は驚異的追い上げで2位当選となった。
他方で3・12講演会は集会内容もチラシも、これまでの反維新運動の集大成として強固な武器となった。大石あきこさんは橋下府知事の朝礼への抗議を一人でおこなった人で、西谷文和さんは市井のフリージャーナリスト。まずは自分自身が立ち上がることから現在までを闘い抜いてきた。いま西宮が維新による市政のっとりを前にして、市民一人ひとりが問われていることを示す講演会・チラシだったのだ。
(3)それに比して野党政党の動きは極めて鈍かった。野党第一党の立憲民主党は、昨年総選挙で内部の県議(西宮選出・県連幹事長)による選挙妨害への自浄能力が問われたが、告示直前にやっと幹事長職が交代する体たらくだった。頑張ったのはこの妨害を追及した市民と無所属市会議員たちだった。
一定の組織力を持つ共産党は、共同闘争の呼びかけに否定的で、3月13日に冨田宏治関学大教授を講師に「西宮に維新は似合わない」講演会を開催したが参加者はわずか30人。市議補選も地区委員長を出したが5位で落選。どこまでも「自党第一」のセクト主義が抜けず、3・12講演会の結論=維新に勝つには、ベストの候補がいなくてもベターな候補に全力投球≠ニいう訴えは共産党に届かなかった。
政党の体たらくに比し奮闘したのは、地元無所属市会議員と、近隣の立憲などの女性議員を中心とする超党派の市議たちだった。宮本さん自身が3人の子どもを抱えるシングルマザーながら夫の遺志を継ぐという決意が、同世代の女性市議の訴えを通じて西宮市民に急速に浸透していった。尼崎で衆議院選を闘った「れいわ」が、反維新を自らの課題として闘い、また同じ維新の「脅威」と対峙する尼崎・川西・宝塚・芦屋の各市長が応援に駆けつけた。それぞれ考えは違うが、大阪維新の暴虐を良く知る人の訴えが、また地方自治を自己の勢力拡大と考える維新への不信が、何重もの輪となって維新を包囲した。
(4)政策的には維新の大阪でのコロナ対策失敗が大きい。1月までの吉村人気も、第6波で再び大阪のコロナ対策失敗=病院などの統廃合があぶりだされ(関西マスコミは維新のコロナ無策を一切報道しない)急速に下落し、吉村は雨の日の甲子園球場近く(客はいない)に一度来たのみだった。またカジノに対する批判も急速に広がった。さらに維新は大阪で教育をよくしたと宣伝しているが、維新候補の教育政策は、塾クーポン券配布と皇統教育というとんでもないもの。関西一の塾密集地の西宮でこれ以上塾産業を繁栄させる教育政策にノーの回答は当然だ。最大の失敗は関西圏で最大規模の人口増加の町=明石市を維新候補の市政モデルにしたことだ。その明石市行政は子どもや障害者の立場に立った市政を展開している。その明石市長が反維新で現職市長の応援に来たのだから、維新はとんだ大恥をかいた。
(5)本紙指摘の維新の弱点は多々ありそれはさらに深まった。特に3月27日の党大会での、改めて松井は任期満了で退陣、次期大阪市長選候補は公募という中に、維新の赤信号がともっている。大阪都構想に代わる戦略がなく、創業者橋下は顧問をやめてテレビで無責任な評論で高額所得。カジノのウソ(税金は一切かけない)に怒りが爆発し始めている。4月10日告示の豊中市長選には候補も出せず。
今こそブレない新自由主義と極反動政治をけん引(改憲国民投票、核兵器「共有」、皇統教育など)する維新政治に、大衆的反撃を加え、自公政権に打撃を与えよう。的確な維新批判を大衆運動として展開し、一人ひとりの市民の決起を促進しよう。参議院選で維新に敗北を強制し、関西で維新の時代を終わらせよう。(岸本耕志)

警察法改悪が可決成立
3月30日 参議院本会議

第76回「19行動」

3・19国会議員会館前行動は午後2時より衆議院第二議員会館前を中心におこなわれ、1000人が集まった。

3月29日、参議院内閣委員会での警察法改悪案採決への動きに抗議する行動が50人で取り組まれた。十分な審議もしようとしない採決ありきの進行に抗議を続けたが、3時間とたたないうちに採決に至った。
翌30日には参議院本会議で可決され、成立を許してしまった。
マスコミは例によって、サイバー攻撃への対処という政府宣伝を垂れ流しているだけだが、ネットを通じて市民が発信する情報全て(能動的なものに限らない、例えば買物の履歴や移動の情報さえも)に網を張ることを可能とする代物である。また、警察庁に捜査権限を付与することにより、自治体警察の地位を相対的に低下させ、ひいては戦前の国家警察への回帰に道を開くものである。野党や日弁連等の団体が役割を十分に果たしていないことも批判された。実際今回反対したのは、れいわと共産だけだった。法施行撤回・法撤廃に向けた運動に取り組もう。
警察法改悪に反対し国会前で行動(3月29日)











3面

警察の個人情報管理を考える集会
運転免許証とマイナンバーの一体化

報告する清水弁護士(右)と原田さん(4月11日)

4月11日、共通番号いらないネット(共通番号・カードの廃止をめざす市民連絡会)の主催による「警察の個人情報管理を考える院内集会―その現状・警察法改定の意義・市民監視の仕組みづくり」が東京・衆議院第二議員会館で開かれ、平日の日中で緊急の呼びかけだったが数十名の市民が集まった。
原田富弘さん(共通番号いらないネット)が「運転免許証とマイナンバーカードの一体化等の動きについて」と題して報告。
「3月4日に道路交通法改正案(運転免許証とマイナンバーカードの一体化)が提出され、明日(4月12日)にも審議される(※参議院の先議)。当初(19年)、政府は運転免許証との一体化には積極的でなかったが20年には26年にも一体化する方針が出され、それも前倒しで24年にも一体化しようとしている」「政府はマイナンバーカードの安全性としてICチップには大切な個人情報は記録されないと説明していたが、矛盾が生じる」
次に弁護士の清水勉さんが「警察と個人情報・プライバシー保護」と題して講演。
「岐阜県警の事件(※13年8月から14年6月にかけて大垣警察署警備課の警官と風力発電事業者とが住民の個人情報を交換していた)は朝日新聞が報じるまで(対象となった当人たちは)知らなかった」「捜査と公安は別(活動の目的が違う)。愛知県警瑞穂署事件(※16年10月に暴行事件で現行犯逮捕された被疑者の無罪判決が確定しても指紋・DNA型・顔写真を破棄していなかった)の判決では訴えた人の情報だけ破棄すべしとされた。不起訴になった人全員の情報を抹消すべきだ」「日弁連もEUも(捜査で得ても、用のないはずのものになった)個人情報を消せと言っている。瑞穂署事件の判決では日弁連の意見書を引用してくれた」「大垣の事件(判決で@第三者への提供は違法、A収集は原告らが他団体と市民運動をおこなう可能性を把握するためなので適法、B抹消請求は却下)ではそもそも市民運動ではなく住民運動。(せめて)虫食いでもいいから情報を抹消すべきだ。(情報を処分するための)制度化が必要」「特定秘密保護法では、分野ごとに数十の保護すべき情報の累計があって、そこから外れた情報は対象にならない。公安が収集する情報もそうすべきだ」
最後に、「運転免許証と個人番号カードの一体化を拙速に決めないでください」として慎重な審議を求める決議文を全体で採択した。

奥野・山口「日の丸」不起立処分撤回闘争
最高裁で処分取消の根津公子さんが講演

3月21日、「奥野・山口『君が代』不起立処分撤回闘争 10周年記念集会」が、大阪市内でおこなわれた。現在、奥野泰孝さんは「合理的配慮無視の処分撤回裁判」(2021年5月10日に提訴)を闘っている。その代理人である池田直樹弁護士が、この裁判闘争の目的をわかりやすく解説した。集会では、元東京都公立学校教員の根津公子さんが〈「日の丸・君が代」での「国民」支配を断ち切るために〉というテーマで、自らの体験を語った(写真上)
根津さんは2005年卒業式から2009年卒業式の間に、「君が代」不起立で減給6カ月、停職1カ月、停職3カ月の処分をそれぞれ1回、停職6カ月の処分を3回、合計6回の処分を受けている。「次は免職」と警告をうけていたが、免職されることなく、定年で退職をむかえた。根津さんは教員生活のほぼ半分を処分攻撃と闘ったことになる。昨年、最高裁判所は処分を取り消し、根津さんは勝訴した。根津さんは「まさか、こんな判決が勝ち取れるとは思っていなかった」と語った。
根津さんは、「わたしは『日の丸・君が代』に反対したけれども、天皇制を意識して不起立をしたわけではない。闘っているうちに、これは天皇制の問題であり、国家支配にかかわる問題である事がわかってきた」と述べた。「天皇は自分たちとは違う偉い人であり、天皇がいる日本は他の国とは違う国、こういう意識を子どもたちに植えつけていく。天皇がくだした戦争だったから、国はけっして侵略であることを認めない。これは国民支配のためなのだ。こうして『天皇を戴く国』にすることによって、民衆が政府に怒りをぶつけることをしないようにしている。みんなで怒りの声をあげていく必要がある」。
「君が代」処分攻撃にたいして、教職員・生徒・保護者は根津さんに同情的であった。2015年、シールズの集会で、ある女性(21歳)はつぎのように述べている。「中学校の頃、式典で君が代を歌わない教諭がいた。朝夕校門にたって、歌わない理由を話す。『やばくない』と薄く笑う友達。見ぬふりをする学校側。彼氏の目を気にして、通り過ぎた自分」「この国では意見を持つ行為が、空気が読めないことになるらしいのです」。
しかし、2006年度のT中学では事情がちがった。自民党市議と地域有力者が、「学校はルールを守るところ。ルール守らないなら教員をやめろ」というキャンペーンをおこなった。教職員も保護者もこれに賛同した。
これで生徒の反応も簡単に変わっていった。根津さんにたいする「いじめ」がはじまるのだ。「お前の味方なんか誰もいないよ」と生徒がささやく。ある日、根津さんは生徒に階段から突き落とされた。この時、2人の教員がこれを目撃していたが、根津さんに声をかける事も、生徒をたしなめることもしなかった。それは「第二の根津にされては困る」という自己防衛からなのだ。
これにたいして、根津さんはつぎの様に語った。「いったん戦争がおきたら、簡単にこういう状況になってしまう。自分の頭で考えることがいかに大切なことか、この体験から思い知らされた」。
2004年4月、鳥海巌・東京都教育委員はつぎの様に述べている。「何しろ半世紀にわたり巣くってきたがん細胞みたいなものですから、そういうところにがん細胞を少しでも残すと、またすぐ増殖してくるということは目に見えているわけです。徹底的にやる。あいまいさを残さない」。闘う側は鳥海のこの言葉をみすえ、腹をすえて、徹底的に闘う事が求められているのだ。

市立高校の無償譲渡止めず
3月25日 大阪地裁

判決後に弁護士会館で報告集会(3月25日)

大阪市立高校が大阪府に移管され、土地、建物が府に無償譲渡されるのを巡り、譲渡契約の差し止めを求めた住民訴訟で3月25日、大阪地裁は原告「大阪市民の財産を守る会」の請求を棄却した。大阪市から大阪府への高校移管は2022年4月1日。土地、建物の無償譲渡契約も同日、おこなわれた。
裁判の主な争点は、(1)高校の無償譲渡は府がおこなう高校の建設費用を大阪市に負担させることはできないとする地方財政法に違反するか、(2)高校不動産の無償譲渡は、公益上の必要がなければ寄付できないとする地方自治法に違反するか、(3)大阪市議会は高校不動産の寄付を、地方自治法にのっとり議決したと言えるのか、(4)公有財産の寄付について規定した大阪市財産条例16条を適用して高校の無償譲渡ができるのか、の4点。
地方自治法では自治体が寄付をするには、条例で定めるか、議会の議決が必要と規定されている。大阪市議会は2020年12月に市学校設置条例を改悪し、「市立の高校の廃止」を議決したが、土地、建物等を大阪府に無償譲渡する議案は市議会に上程すらされていない。判決は「無償譲渡には市議会の議決が必要」であるとした。しかし一方で、大阪市議会は高校移管に際して不動産を無償譲渡する是非の議論もしているため、2020年12月に市議会が「市立の高校廃止」を議決したことを「土地、建物を無償譲渡することを認める趣旨の議決がされたと評価できる」とした。
さらに判決は「高校移管には一定の公共性、公益性が認められる」とし、大阪府が大阪市から引き継いだ高校を安定的に運営するためには、土地、建物の無償譲渡に合理性があるという判断だった。高校移管に教育上のメリットがあるという立ち位置をとっているため、地方自治体間の「経費の負担区分」を乱すものではなく地方財政法違反にも当たらないと結論付けた。
松井市長、吉村知事の目的は、政令指定都市=大阪市の権限、財源を大阪府に移し替え、大阪市の都市計画などの公共事業を大阪府が意のままにすることだ。すでに2回の住民投票で否決されたいわゆる「都構想」の本質そのものである。これに手を貸す判決を弾劾する。
「差し止め」を求めた1審は原告敗訴となったが、「賠償請求」となる控訴審では、住民投票の結果をないがしろにする維新を弾劾し、カジノを許さないたたかいと結合して勝利しよう。

4面

4・5面はウクライナ反戦 投稿特集

私の意見・闘争報告
神戸で120人がデモ

元町商店街をデモ行進(4月9日)

4月9日、神戸市の東遊園地南の花時計前で、神戸では初のウクライナ侵攻抗議市民デモがおこなわれ、120人が参加しました。ロシアによるウクライナ侵攻以来市民デモHYOGOは毎週木曜日にスタンディングをおこなって来ましたが、この日デモを開催することになりました。
午後2時半から主催者あいさつで市民デモ世話人の竹田雅博さんが「どんな理由があれ、ロシアがウクライナに武力侵攻したことは許されません。既に多くの民間人が殺害され、ウクライナ・ロシア両軍にも多数の死者が出ています。これ以上の犠牲を出さないために、ロシア国内を含む世界の反戦の声に呼応して、私たちも神戸の地から即時停戦を求める声を上げます。」と発言しました。続いて小牧正子さんがロシア大使館に提出するアピール文を読み上げ拍手で採択されました。最後は小野さんが日本在住のウクライナ人歌手の歌を流してくれました。初めて参加された方が数名いました。
デモは土曜日で賑わう三宮センター街を「戦争反対」「侵攻やめよ」「今すぐ停戦」と訴えて行進しました。買い物客の方が飛び入り参加したり、多くの若者がスマホで写真を撮っていました。
ウクライナ戦争について色々意見があります。「NATO諸国も悪い、米帝はベトナム・イラク・アフガニスタンで何十万人も殺した、ウクライナにはネオナチがいる」などです。しかしだからといってロシア・プーチンが今おこなっている戦争が正しいことはありません。今起きている侵略戦争に反対し、一刻も早く殺戮をやめさせることが私たちの責務だと思います。戦争が長引くなら、もっと大きな声を上げる必要があると思います。(生田 健)

子づれで参加 尼崎

尼崎地区労呼びかけの「ウクライナ反戦行動」は、4月5日で3回目。過去最高の70人が参加(写真)。親子孫3代の参加者や、ベビーカーに子どもをのせた若いカップルも。酒井浩二地区労議長のあいさつ、高齢の元県議の今西正行さん、現県議の丸尾牧さん、反戦タイガースなどがアピール。最後に小西純一郎さんが、「5月1日のメーデーをウクライナ反戦をかかげ阪神尼崎駅前で」とアピール。長引く戦争の中、何とかならないかと声をかけてくる人も増え始めた。遠い国の出来事ではなく「戦争がある時代」をリアル訴えれば、行動の輪が広がるのではと思えた。(崎山恒美)

東大阪で連続決起

3月12日、中小阪公園で〈オール東大阪市民の会〉と〈戦争あかん! 平和がええやん! 憲法まもる東大阪の会〉の共催でウクライナに対する侵略戦争を続けるロシアに対する抗議集会とデモがおこなわれ160人が集まった(写真)

回を重ねるたびに拡大

ロシアのウクライナ侵攻を知った私たちは3月4日、近鉄布施駅前に28人が集まり、街頭宣伝をおこなった。翌5日の同駅前街宣は60人となり、今回の集会・デモはその倍以上の数が抗議行動に集まった。こんな戦争は終わらせないといけない、そういう思いでみんなが集まったのだ。
私たちは「ロシアよ、殺すな!」という手作りの横断幕を持って参加したが、源氏ケ丘教会の安藤眞一牧師は、「汝殺すなかれ」というモーゼの十戒を引用してプーチンに対し「殺したらアカン」「命を守れ」と宗教者としての決意を表明し、「平和をつくりだすものは幸いである」と聖書にあるようにウクライナに一日も早く平和がくるようにさまざまな努力をしようと訴えた。
戦争を体験した90歳代の洋画家の女性や、原発を攻撃したロシアに抗議する立場からの発言もあった。
布施駅前商店街をデモしているとき、私たちに手を振る家族連れがいた。ロシアによる非人道的な殺人攻撃に対する怒りが市内に満ちているように感じた。さらに行動して訴えていこう。(小坂 竜)

投稿 ロシアのウクライナ侵略戦争メモ

膨大な情報が発信されているので、左派の中で議論の的になっている、ウクライナ抵抗闘争の評価を焦点に、その前提となるロシアがウクライナ侵略戦争を決断した原因、米帝国主義の軍事戦略の推移について、メモを作る。
1991年12月のソ連邦崩壊(資本主義への回帰)後、西側諸国・NATOはロシアを支配的諸国の一角として歓迎して受け入れることをせず、旧ソ連の諸国に経済的・軍事的影響力を拡大した。ロシアは崩壊的な状態でそれに抗することはできなかった。
2000年代初頭からのカラー革命は、旧ソ連圏諸国の民主化運動と西側諸国のそれへの支援・介入としてあった。
ロシア経済は、2000年初頭から原油輸出を武器に「奇跡の経済回復」を遂げ、2014年頃に、原油輸出依存型の経済成長がプラトーを迎える。
14年のユーロマイダンは、上記の流れの中の事件である。
22年2月のロシアのウクライナ侵略戦争の決断は、米中対立を自己に有利な情勢(最早、米帝国主義は1990年代のような世界の単一的な支配者ではなくなった)とみて、1990年代の失地回復を実現してNATOの脅威に対抗しようというロシアの帝国主義的侵略戦争であった。パワーポリティクスの対立がそのバランスが変更される時、紛争が発生するのは往々にして起きることである。 その際、ロシアは短期にウクライナ戦争に勝利し、親ロシア派政権を樹立するという戦略で、戦略判断のミスを犯した。
ロシアが「短期勝利」という戦略判断のミスを犯した原因として、米帝国主義(NATO)とのサイバー領域・IT兵器の競争における劣敗があった。これはウクライナ戦争と03年イラク戦争を比較すれば明らかとなる。
ウクライナ戦では、約24万のウクライナ軍に対して周辺に結集した10万人規模のロシア軍は、予想に反して制空権を奪えず、スティンガー、ジャベリン、ドローンによる反撃で大きな打撃を受けている。
比較するに、イラク戦争では当時約37万人のイラク軍に対し、米軍が主導する約30万の多国籍軍は一夜にして制空権を奪取、1カ月余で中国製戦車多数を含むイラク軍を完全殲滅、国を崩壊に追い込んだ。米軍とロシア軍のIT兵器による攻撃能力の差は歴然としている。なお、イラク戦争時、ウクライナ軍は多国籍軍に参戦している。
ロシア軍は劣勢の挽回を狙ってウクライナの都市への無差別攻撃を拡大、数千の死者と数百万の難民を生み出している。
因みに、米帝国主義の対テロ戦争は、短期に相手国家を崩壊させたにもかかわらず、地域を支配することには失敗、イラク・アフガン・シリアで、約90万人の死者(犠牲者)を出した。
帝国主義の戦争の犠牲者はいつも一般の、特に貧しい民衆である。米帝国主義の軍事戦略・軍事関与の変遷を見ると、イラク・アフガン戦争では、制空権を確保して短期に攻撃に勝利したが地域の統治には失敗した。2011年リビア内戦では、NATOは空爆を敢行して政権打倒を支援したが、地上軍は送らず、現在も米帝が関与しない内戦が続く。11年シリア内戦では、リビアの教訓からNATO軍が空爆を回避、15年にロシアが空爆の軍事介入をおこなってアサド政権を支えた。
今回のロシアのウクライナ侵略戦争では、米帝国主義・NATOは直接介入せず、サイバー領域と兵器供与及びロシアへの経済制裁でウクライナ軍を支援する方針のように見受けられる。
ウクライナ軍は約24万人、数千人のネオナチ・アゾフ連隊を抱える一方、ロシアの侵略戦争に対して多くのウクライナ人民が領土防衛部隊として志願している。
ロシアの侵略戦争は弾劾され、ウクライナ人民の抵抗闘争は支援されるべきものだ。人民が独自の軍事組織を持たない中で、ウクライナ軍への武器援助の是非は難問である。
複雑な力学が働く情勢の中で、一方の指摘が、他方の指摘を否定するものと受け止められる言論空間が出現している。
左派は、ウクライナ反戦闘争を担いつつ、資本主義―帝国主義こそが戦争をもたらすとの立場から、帝国主義―資本主義の打倒が基本的な立場となる。日本政府がウクライナ事態を理由に戦争の準備を進めることを許してはならない。
世界で左派が影響力を後退させ、特に日本では、左派は実力的な反撃の芽を全て摘まれているような状況である。
他方、グローバリズム・新自由主義は完全に行き詰まり、核と原発は、戦争が人類史の終焉の危機を俎上に載せる事態を生んでいる。気候危機も同様に、資本主義存続の下では人類存続が危ぶまれる現実となっている。
この主客の巨大なギャップ・広大な空白を埋める糸口を探す闘いに取り組むことが左翼の現実の課題ではないかと思う。4月1日

5面

4・5面はウクライナ反戦 投稿特集

私の意見・闘争報告
投稿
ロシアのウクライナ侵略を許さない!
直ちに撤兵せよ!
松浦英和

2月24日に始まったロシアのウクライナへの軍事侵略について、日本のロシアや旧ソ連の研究者は、こんな事態が起こるとは誰も予想しなかったと言う(毎日新聞3月20日付)。ロシアの市民の動向はもちろん、直接ロシアを取り巻く雰囲気からも、感じ取ることはできなかった、ということなのだろう。しかし24日のミサイル攻撃に引き続き、3方向から陸軍を進行させるそのやり方は、プーチン政権の中で、練り上げられた計画でなければできないことだ。
プーチンはかねてから「レーニンの思想がソ連邦を崩壊させた」と言ってきた。昨年のアメリカのアフガン撤退という中で、パックスアメリカーナの弱体は、ますます明らかとなった。この機をついて、プーチンはその大ロシア主義の実現として、ロシアからの距離を取ろうとするウクライナへの攻撃を開始したということではないか。
この侵略開始に対して、間髪を入れず、ロシア市民は反戦闘争に決起した。24日には30都市、27日には50都市でデモがおこなわれ、5千人以上が拘束されたと言う。プーチン政権は、その出身であるKGBのやり方で、ロシアを統治してきた。政敵は殺したり逮捕する、記者や弁護士も殺してきた。その中で反戦闘争をおこなうのは、命がけだといえる。
1968年8月25日、チェコスロバキアへの侵略に反対する8人の人々が赤の広場で「チェコスロバキアから手を放せ!」、「あなたたちと私たちの自由のために」などのプラカードを掲げ、暴行と拘束、そして、流刑をも課せられながら、闘い続けた。この生き方が引き継がれ、はるかに大きく発展しているのだ。熱い感動をもって連帯したい。
ウクライナ人民の闘いは頑強だ。ノルウェーのオスロ国際平和研究所が3月9日から12日にかけておこなったアンケートでは、男性の7割、女性の3割が武器を取って闘うと回答し、その他の非軍事的協力については、さらに高い回答が出ている。
こうした思いは、ウクライナ人がロシアなどの勢力から受け続けた抑圧の歴史があったからだと思う。18世紀以降、こうした状況は続いてきたが、とりわけ、1917年の10月革命直後から、レーニン・トロツキーを先頭に、自治を求めるウクライナの人々を軍事弾圧した。デニキン反革命を倒すために協力したアナキストのマフノの共同体を、ボリシェビキ軍は襲撃し、女性・子どもを含む20万人を殺害。この内戦過程での飢饉で百万人ともいわれる人々が餓死。スターリンを中心とする農業協同化の中で飢饉が起こり、350万人の餓死。民族楽器を弾き、民族にまつわる歌を生業としてきた「視覚障害者」も大量殺害したと伝えられる。現在の状況の中で、インタビューされたウクライナ市民が「ロシアは、私たちの国を歴史から消し去ろうとしている」と答える人がいるが、こうした歴史的経験がそう言わせるのだろう。
しかし、ロシアとウクライナの軍事力の格差は歴然としている。「米国の軍事情報サイト「グローバル・ファイアパワー」によると、ロシアの兵力約85万人に対し、ウクライナの兵力は約20万人。主要な装備でもロシア軍が上回り、地上部隊については、ロシアが約1万2千両の戦車を有するのに対し、ウクライナは約2500両にとどまる。空軍、海軍の差はさらに歴然としており、ロシアが軍用機約4千機を所有するのに対し、ウクライナは約3百機。ロシアに15隻ある駆逐艦もウクライナにはない」(毎日新聞2月26日)。侵略を受けたウクライナが、外国から武器を確保しようとすることは、当然だろう。
ウクライナの市民も兵士ももちろんだが、ロシア兵も死なせてはならない。そのためには、とにかくロシアを撤退させなければならないのだ。私たちは、ウクライナとロシアの市民と連帯して闘う。

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ゼレンスキーの国会演説を聞いて
高見元博

3月23日、ゼレンスキーが日本の国会で演説した。その要は、「日本は世界新秩序建設のリーダーシップを取れ」ということでした。彼の言葉に沿って具体的に見ていこう。
「国際機関が機能してくれなかった」「国連の安全保障理事会が機能しなかった。改革が必要だ」「予防的に全世界の安全保障のために動けるためのツールが必要」「新しい予防的ツールを作らないといけない」「侵略を止められるツールだ」「既存の国際機関がそのために機能できないので、新しい予防ツールを作らなければならない。本当に侵略を止められるようなツールだ」「日本のリーダーシップがそういったツールの開発に大きな役割を果たせる」「ロシアに対してさらなる圧力をかけることで〜国際機関の改革をおこなうことができるようになる」「将来の反戦の連立ができあがった際に日本がウクライナと一緒にいることを期待する」というものでした。
ここで言う「国連の機能不全」の意味は、ロシア(中国もだろう)が安保理事会で拒否権を持つことを意味する。かつて拒否権を行使したのはパレスチナ和平などでのアメリカもそうだけど、ゼレンスキーはそれを問題にしていない。ゼレンスキーの描くウクライナ戦争後の世界とは、ロシア(中国も)から拒否権を取り上げた世界新秩序、新機構、すなわちアメリカ帝国主義の全一的な世界支配体制ではないか。日本はその構築のリーダーシップを取ることを求められたわけです。彼の演説はアメリカ政府と十分な打ち合わせをしていることをうかがわせた。
ロシアから拒否権を取り上げるというのは、世界大戦級のダメージをロシアに加えることを意味するだろう。求めているのは、プーチン体制の打倒という次元を大きく超えている。おおよそ闘うロシア人民と連帯してプーチン体制を打倒するという立場ではない。標的は「ロシア国家」の解体だろう。
この戦争を「民主主義VS専制主義」の戦争であると描く虚構は「民主主義陣営」の最前線部隊がネオナチ『アゾフ連隊』である(注)という事実によって打ち砕かれている。この戦争の階級的性格はアメリカとロシアの帝国主義的な「領土再分割戦」だろう。ゼレンスキー政府はアメリカ帝国主義の代理と見るべきです。ロシアはレーニンが規定した帝国主義の基本的性格をすべて有しており「帝国主義」ないしは「帝国主義の亜種」と見るべきではなかろうか。つまり戦われているのは帝国主義間戦争です。
僕たちが取るべき立場は、侵略戦争をしかけたロシア帝国主義=プーチン体制を打倒する闘うロシア人民と連帯し、ウクライナ国内でロシアの侵略と闘うとともにゼレンスキー体制とも対決を準備しているウクライナ労働者人民と連帯して、日本の参戦に反対し、日本がアメリカ帝国主義の全一的世界支配体制構築に加わることにも反対することではないでしょうか。その闘いは、中国を挑発して「台湾有事」をしかけているアメリカ帝国主義のどす黒い野望による南西諸島(琉球弧)の自衛隊・アメリカ軍ミサイル基地化の攻撃との対決と一体です。発火点は南西諸島の反基地闘争を闘う人民との連帯ではないだろうか。僕たち障害者は「正義の戦争」の下でも生きていけない。あらゆる戦争に反対です。

       (注)ウクライナの東部でロシア系住民を攻撃してきた『アゾフ連隊』がネオナチであるということを否定する論説が一部にみられるので検討しておく。
@「ゼレンスキーがユダヤ人だからネオナチと結びつかない」という説について。
 ウクライナのネオナチはロシア系住民を虐殺してきた。ヨーロッパのネオナチも移民を標的にしている。現代のネオナチは必ずしもユダヤ人ばかりを標的にしていない。
A「ウクライナの極右はジェノサイドをしていない」という説について。
 6百万人を虐殺するのはジェノサイドだが、1万人を虐殺してもジェノサイドではない、という主張にすぎない。
Bネオナチがウクライナの労働組合を襲撃して虐殺したのは「ロシア系住民との衝突だ」という説について。
 2014年に労働組合会館がネオナチに襲撃されて48人が火炎ビンなどで虐殺され2百人以上が負傷したオデッサでは、ロシア系住民の割合は21%である。その地域の労働組合本部がロシア系住民ばかりだったという説は信じ難い。同年、キエフの労働組合事務所もネオナチに襲撃されているが、キエフの労働組合はロシア系住民ばかりだと主張するのだろうか。

ミャンマー官邸前行動
国軍の資金を断て

4月1日、官邸前で毎月取り組まれているミャンマー国軍への支援継続を弾劾する行動があり35人が参加した(写真)。呼びかけは、メコン・ウォッチなど5団体。この日は撤退の動きがあったイェタグン・ガス田に焦点が当てられた。
クーデター直後から撤退を要求し、毎月要請を重ねていたにもかかわらず、既に1年と2カ月が経過してしまった。その間にも国軍による弾圧での被害者が増え続けている。どれだけの犠牲を積み重ねれば日本政府は動くのかと、その緩慢さが指弾された。また撤退の原因が、実は資源の枯渇であるという不誠実さも暴かれ、廃鉱の責任を免れようとしているのではないかとの疑いが突きつけられた。

6面

優生保護法被害国賠訴訟
3月11日 東京高裁で2件目の勝利
関東「障害者」解放委員会 荒波建夫

既報の通り、2月22日に、優生保護法被害に対する国賠訴訟は、大阪高裁で初めての勝利を勝ち取った。原告と弁護団、全国の運動が作り出した勝利だった。
この時点から、政府に上告を断念させるための闘いが開始された。オンライン署名、ファックスやメールでの要請、そして、3月4日には、参議院会館と全国をインターネットでつなぐ集会がおこなわれた。にも拘わらず政府は3月7日、大阪高裁判決を不服として、最高裁に上告したのだった。
政府は、優生保護法被害について、真摯な反省のない姿をさらした。そして、違憲であることが明々白々な法律による被害を、民法の条文を利用して、「除斥期間」20年で賠償責任から逃れようとしているのだ。厚労省は報道機関に対して、「法律上の解釈・適用に関して、旧優生保護法に係る本件事案にとどまらない法律上の重大な問題を含んでいる」、「(3月)11日に同種訴訟の東京高裁判決が控えていることも上告理由に挙げた」(毎日新聞3月7日付)と述べている。国がおこなう違憲な政策により被害を受けた者からの訴えを無効化する道を確保し、4日後に予定されている東京高裁の判決を用意している裁判官たちにも圧力をかけようと言う許しがたい姿がそこにあった。

判決後、記者に応える北三郎さん(3月11日、東京高裁)

逆転勝利

3月11日当日、多くの人々が裁判所前に結集した。全員に強い危機感があった。原告の北三郎さん(活動名)は、集まったすべての人に、手作りの梅の花を配った。梅の花は、先立たれたお連れ合いの好きな花なのだ。お連れ合いの死の直前まで、断種手術のことを伝えることができなかった北さんの思いがそこにはあるのではないだろうか。
平田豊裁判長は冒頭、北さんを始め原告と被告の弁護団に判決要旨を配り、次のように主文を読み上げた。
「1、原判決を次のとおり変更する。2、被控訴人は、控訴人に対し、1500万円及びこれに対する平成30年6月27日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。・・・」
「勝った!」そんな感動が全体に広がる。続けて読み上げられる理由についても、重要なものだった。判決内容にかかわる「」内は、判決要旨からの抜粋である。
国は、幸福追求権を規定した憲法13条と平等権を規定した14条1項に違反した優生保護法を制定し、それを実行するように推し進めた。「その立法目的が差別的思想に基づくものであつて正当性を欠く上、目的達成の手段も極めて非人道的なものであ」る。したがって、国が損害賠償責任を負うことは当然である。
「除斥期間」については、「著しく正義・公平の理念に反するような特段の事情がある場合には、条理上、その効果を制限するべきである」とした。その特段の事情として、
◇違憲である法律により、「強度の人権侵害を行った事案であり、被害者の多くは、特定の疾病又は障害を有することをもって『不良』な子孫を持つことが防止されるべき存在として、優生手術の対象者として選定されるという差別を受けた上で、その意に反して、強度の侵襲を伴う不妊手術を受けさせられ、生殖機能を回復不可能な状態にさせられたもので、二重、三重にも及ぶ精神的・肉体的苦痛を与えられたものであること」、
◇さらに国は、「優生保護法制定当初から優生手術を積極的に推進し、学校教育の場でも、教科書に優生思想を正当化する旨の記載をする等しており、国の行った施策によって、優生手術の対象者に対する偏見・差別が社会に浸透したものと評価でき、優生手術に際しては、身体の拘束、麻酔薬使用、欺罔の手段を用いることも許容し、被害者が優生保護法に基づく手術であることを認識し難い構造的な仕組みを構築してきた」こと、
◇1996年に優生保護法の優生条項を廃止して母体保護法に変えた後も「優生条項の違憲性について明確に言及せず、同改正後も優生手術は適法である旨の見解を表明して、被害救済のための措置を執らなかったこと」、
◇違憲な法律によって作り出された被害の救済を、憲法の下位にある民法の条項を使って拒否することは「慎重であるべきであるし」、公務員による被害の救済を定めた憲法第17条による被害救済に関する権利を損なうことがないようにしなければならないこと、
◇「被害者が自己の受けた被害自体は認識していたとしても、それが不法行為により生じたものであることを認識できないうちは、損害賠償請求権を行使することは現実に期待できないのであるから、それ以前に当該権利が除斥期間の経過により当然に消滅するというのは、被害者にとって極めて酷であること」、などを挙げた。
被害者が国の違憲な政策によって受けた被害であることを知りえた基準として裁判長が示したのは、「優生保護法被害に関する一時金支給法」が成立した2019年4月24日以降のことである、とした。そして、一時金支給の請求期間である5年間のうちに、損害賠償を申し立てた場合には、「除斥期間」は適用すべきでない、と結論づけた。
裁判長は最後に口頭で、原告の被害の深刻さはもちろんだが、それを報道などで伝える中で、「子どもをもうけることのできない人たちに対する差別を助長することとなり、その人たちの心情を傷つけることはあってはならないと思っています」と指摘した上で、「原告の方は、自らの体のことや手術を受けたこと、訴訟を起こしたことによって差別されることなく、これからも幸せに過ごしてもらいたいと願いますが、それを可能にする差別のない社会を作っていくのは、国はもちろん、社会全体の責任だと考えます。そのためにも、手術から長い期間がたったあとに起こされた訴えでも、その間に提訴できなかった事情が認められる以上、国の責任を不問にするのは相当でないと考えました」と語った。その瞬間、傍聴席も含め、拍手の波が起こった。
原告席から降りた北さんの手は、涙と感動で震えていた。「手術が施されてから64年、自分の身に起きたことを受け入れることができず、生きること自体が辛く、苦しかったですが、ようやく希望の光が見えた気がします。・・・・帰ったらすぐに亡くなった妻に報告したいです。姉と一緒に親の墓参りにも行こうと思います。これまでたくさんの方々が、私に起こったことは重大な人権侵害だと言って、共に怒り、闘ってくださいました。・・・被害者は高齢化が進んでおり、裁判の途中で無念の思いで亡くなっている方もいます。国は上告などしないで、被害者に向き合い、1日も早く解決に向けて動いて欲しいです。」と語った。

政府は上告するな

3月17日、緊急院内集会が全国にいる方々とネットで結んで開かれ、国の上告を阻止する固い決意が全体を包んだ。そして、多くの団体、個人が政府に申し入れをおこない、23日には130人が厚労省前に結集し、上告断念を迫った。

3月11日 東京高裁判決 再び国に賠償命令(下)
大阪高裁に続き 除斥適用は「正義・公平に反する」
「社会に偏見・差別を浸透させた」「強度の人権侵害」
国は両高裁判決への上告を取り下げ、速やかに謝罪と賠償を
木々 滋

(339号からの続き)
意を決してようやく告白できたのは2012年。白血病を患い、医師から「もう助からない」と言われていた妻に、「ずっと隠していたことがある。14歳のとき、子どもができなくなる手術をされたんだ。今まで裏切っていてごめん」。泣きながら頭を下げて謝ると、妻はひと言も責めず「ごはんだけはしっかり食べるのよ」と言い残し、その数日後に息を引き取った。
北さんは18年1月、飲食店で手にした新聞記事にくぎ付けになった。「おれと同じだ」。強制不妊手術を受けた宮城県の女性(知的障がいを持つ佐藤由美さん〔仮名〕)が国を相手に訴訟を起こしたことを知った。初めて旧優生保護法の存在を知り、同法が障がい者や非行少年たちを「不良」と位置づけ、麻酔をかけたり本人をだまして強制不妊手術することさえ認めていたことを知った。「悪いのは親じゃない、国だ」と悟った。
役所に自身の手術記録の情報開示請求をおこなったが、保存期間の満了を理由に破棄されていた。「なぜ、自分が手術をされなくてはならなかったのか」真実を求めて、4カ月後の18年5月に提訴に踏み切った。その年の秋には44年ぶりに両親の墓に参った。「一方的に恨んで、申し訳なかった」と謝った。その後、妻の7回忌で集まった親族にも「隠し続けて悪かった」と詫びた。
20年6月、一審東京地裁は除斥期間を適用し請求を棄却、北さんは敗訴した。失意と落胆にうちのめされながら、しかし北さんは気力を奮い起こして「国が謝るまで闘う」と宣言。各地の原告の方々でつくる「優生手術被害者・家族の会」共同代表として集会で体験を語り、全国約2万5千人の被害者に「勇気を持って名乗り出て」と呼びかけてきた。そうして、3月11日、東京高裁による逆転勝訴の判決のときを迎えた。

国はすべての原告と被害者に謝罪を

両高裁とも国が障がい者を長年月にわたって差別と偏見のもとに置き、戦後最大の人権侵害をおこなったことを強く非難し、「除斥期間適用」を明確に否定した。国は大阪高裁判決への上告を取り下げ、両高裁判決に従い、速やかに判決を確定せよ。

国の謝罪がすべての出発点だ

国による謝罪の表明こそ被害者の方々が人間としての尊厳を回復するうえで不可欠の第一歩である。謝罪は、自らが被害者に何をし、そのことが何をもたらしたのかを明らかにし、自らがおこなったことが間違いであったこと、そのすべての責任が自分自身にあることを認め、償いをすることと二度と繰り返さないことをハッキリと誓い、そうして被害者に赦しを乞うことである。
原告の方々がみな、「裁判でお金が欲しいんじゃないんだ。国に謝ってほしいのだ」と言われるのは、国の謝罪抜きに、一歩たりとも自分の人間的尊厳を取り戻す道に踏み出すことができないからだ。
おわびは謝罪とはまったく似て非なるものである。原告の方々が一人残らず、「おわび」の三文字が入った支給法が出ても、「国は謝れ」と叫び続けているのは、その端的な証拠である。だから、強制不妊について国がおわびと言うのは謝罪しないための方便だ。
国の謝罪拒否は被害者抑圧である
さらに、国が謝罪しないこと、おわびでゴマカシていることが、被害者が声を上げる上で大きな抑圧、妨害になってきた。約2万5千人の被害者のうち提訴した人は僅か25人、全体の千分の1という事実がそれを物語っている。騙されて手術されたり、何の説明もなく手術を強いられたりした被害者が、親・きょうだいなど身近な者も含め障がい者への差別・偏見が根深い社会の中から、自ら身を起こして声を上げることなどほとんど不可能だ。国が憲法違反の旧法とそれにもとづく強制不妊・中絶手術を国策として推進し、甚大な人権侵害をおこなってきたことをめぐる、被害者に対する国による真正面からの真摯な謝罪と反省の表明がなされたとき、被害者は初めて、「私の手術は国が旧法という法律に基づいて強制的にやったものだったのだ。私には子どもを産めない・持てない体にした国に謝罪と賠償を求める権利がある」ということに気づき、確信をもって声を上げることができるようになる。
国は、両高裁判決を重く受け止め、上告を取り下げ、速やかにすべての原告、被害者に謝罪せよ。(おわり)

7面

当事者6人が東京地裁に提訴
311子ども甲状腺がん裁判
津田保夫

東電本店前・経産省前で抗議行動

「3・11」11周年。東京電力本店前や経産省前(上)で抗議行動がおこなわれた(3月11日)

2011年の福島第一原発事故による被ばくが原因で、福島県内の子どもたち(当時)に小児甲状腺がんが多発している。県民健康調査で266人、これ以外に27人、あわせて293人の甲状腺がん患者が発生している。さらに、県民健康調査で掌握されていない甲状腺がん患者はかなりいると思われる。

東電を提訴

1月27日、甲状腺がん手術をした若者6人が東京地裁に提訴した(「311子ども甲状腺がん裁判」)。裁判では、「甲状腺がんになったのは被ばくが原因である」ことを訴え、東京電力にたいして損害賠償を求めている。
原告の6人は原発事故当時6〜16歳だった(現在17〜27歳)。その後、甲状腺がんがみつかり、片側を摘出する手術をした。6人のうち4人は再発しており、甲状腺を全部摘出する手術を受けている。肺に移転する可能性を指摘されている若者もいる。このように、福島の小児甲状腺がん患者は再発する割合が非常に大きく、手術をしたあとも再発をおそれる日々が続いている。
原告が提訴に踏み切った理由は
@甲状腺がんの原因は被ばくが原因であることをはっきりさせ、加害者である東京電力にきっちり償いをさせる。A原発事故による被ばく者にも、国が支援する「被ばく者健康手帳」のような枠組みをつくらせるためだ。原告の女性(26)は、「声をあげられない他の患者のためにも、因果関係を明らかにしたい」と語っている。

甲状腺がんの原因は放射線被ばく

福島で多発の小児甲状腺がんにたいして、国と福島県は「原発事故が原因」を認めていない。県民健康調査の検討委員会「中間報告」では、原発事故との因果関係について「現時点で因果関係は認められない」としている。小児甲状腺がん患者は通例百万人に1〜2人であり、きわめてまれな病気だ。原発事故以降、福島県内で3百人ちかい患者が発生している。国はこの事実をどのように考えているのか。
県民健康調査で、進行しないがんを見つけてしまう「過剰診断論」(「スクリーニング効果論」も同じ)が叫ばれている。鈴木眞一福島県立医大教授は、自ら執刀した115例で、80%にリンパ節移転があり、70%にリンパ節・血管侵襲、40%に甲状腺外浸潤があったことを学会で報告している。けっして過剰診断ではありえない。
また検討委員会のなかで、検査にメリットがないから「県民健康調査は縮小するべきだ」という委員も出ている。昨年3月に、国連科学委員会(UNSCEAR)は「甲状腺がんは被ばく問題とは考えにくい」との報告書をだしている。これを根拠に、政府は「なんとか調査をやめたい」と考えている。こんな策動は許されない。
1月22日、元首相5人が欧州連合(EU)の欧州委員会に手紙を送った。このなかに、福島第一原発事故で「多くの子どもたちが甲状腺がんに苦しみ」という表現があった。国と福島県は、この表現にたいして異様なまでの非難をした。国会でもとりあげられ、岸田首相は「適切ではない」と答弁している。小児甲状腺がんが多発している。政府はこの事実を隠蔽しようとしているのだ。

本裁判の争点

「311子ども甲状腺がん裁判」は、原発事故によって甲状腺がんになったことによる損害賠償裁判だ。これを争点にする裁判は日本で初めて。広島の「黒い雨」裁判および長崎被爆地域拡大訴訟とおなじく、内部被ばくをめぐる訴訟でもある。
被ばくと病気との間に因果関係が認められるか。裁判では、ここが最大の争点に。当然、東電は甲状腺がんと放射線の因果関係を否定してくるだろう。原告は被ばくして甲状腺がんになったのだ。だから甲状腺がんの原因が「被ばくではない」ことを東電が証明できない限り、それは「被ばくが原因である」と認定されるべきなのだ。
福島第一原発事故から11年になる。専門家は「健康被害は起きていない」といい、政府は「福島の事故は終わった」ことにして、帰還と復興だけを声高に叫んでいる。しかし、被ばく者たちは、今も不安を抱え、悩み・苦しんでいる。被害者は「なかったことにされてはたまらない」と叫んでいる。被ばくの事実を世界中に知らせるために、「311子ども甲状腺がん裁判」の原告たちが立ち上がった。ヒロシマ・ナガサキの被爆者支援と同じように、この裁判をなんとしても支えよう。

伊方原発広島裁判
今こそ「司法の正義」実現を

3月14日、広島地裁(大森直哉裁判長)において伊方原発運転差止広島裁判本訴の第27回口頭弁論があった。コロナ情勢のため乗り込み行進はせず、午後1時40分に地裁前で原告らが「今こそ『司法の正義』を」と書かれた横断幕を持って記録撮影をした。
午後2時半からの口頭弁論では、原告側、被告側双方からの準備書面が提出され、続いて広島原爆の被爆者で原告の山口裕子さん(89)が原告意見陳述をした。山口さんは広島市中心部で父母ら家族6人で暮らしていたが、当時12歳で高等女学校1年生だった1945年8月6日の朝、市街地に防火帯をつくるための建物、疎開作業に動員され登校して被爆した。あの惨禍のなか、ただひとりがれきの下から炎の中を生き延びた姉も苦しみながら亡くなったと切々と訴えた。
さらにその後、日本の原発推進にたいして一貫して反対したこと、なかでも東海村JCO(核燃料加工施設)で起きた臨界事故で被曝して亡くなった作業員が被曝後日を追うごとに変わっていく顔写真を見て、原爆のとき姉がもだえ苦しみながら日ごとに変わっていった容貌と重なり、核被害は同じなのだと実感したことなどを話し、伊方原発運転差止広島裁判の原告になった動機を述べ、未来への責務として原発を無くしたいと訴えた。

記者会見・報告会をリモート開催

午後3時からは広島弁護士会館を会場に記者会見・報告会がリモートで開催され、弁護団による準備書面の解説と山口さんによる原告意見陳述の再現、今回期日の「今こそ『司法の正義』の実現を」というスローガンについての解説と、3月11日に発行された小冊子『戦後最悪の司法判断の一つ広島地裁吉岡決定』紹介(写真)
次回本訴口頭弁論期日は6月8日。また、3月16日の福島第一原発からの避難者の福島原発ひろしま訴訟、さらに岡山の避難者の訴訟も判決が近づいていることなどが紹介され、支援が呼びかけられた。
核施設への攻撃、核兵器の使用や威嚇が現実になりつつある情勢のなかで「核と人類は共存できない」の声をさらに一層大きく拡げていこう。(松田忍)

8面

(書評)
鎌倉孝夫 著
『資本論エッセンス T・U』(上)
松崎五郎

本屋に鎌倉孝夫著『資本論エッセンス T・U』が出ていたので買いました。
「書評」としていますが、鎌倉氏は宇野派で、かつ『T』・『U』で850ページを超す大著なので、紹介ではなく、私がこれまで間違っていると指摘したところ―第U巻第21章「拡大再生産論」と第V巻第15章「恐慌論」―をどう書いているかと思いパラパラと見ました。いやー驚きました。

(1) 第U巻21章「拡大再生産論」

まず鎌倉本から抜粋します。『T』のP451〜 [注] @AB…及び[ ]は松崎が記入。
@ 「解決不能な問題が生じたのは、T部門mの蓄積率が50%、U部門でもmの蓄積率を50%と想定したからであった。この想定自体が無理な想定である。Tmの蓄積に対応してU部門の蓄積がどう行われるかは、Ucの状況にかかっている。Ucを最初から1500cと想定すれば、Umからの蓄積の余地はないのである。」
A 「第1例。出発点の表式
T 4000c+1000v+1000m=6000
U 1500c+ 750v+750m=3000
蓄積進行。[Tの蓄積を1/2mとする]T、Uの[次年度]投下資本は
T 4400c+1100v  
U 1600c+800vとなる。……
[48] 第U部門の蓄積は、出発点のUcの数値による。この場合は1500c[Umから100c+50vが蓄積に]。Ucが1600cだったら、Uは蓄積なし。Ucが1400cだったら、Umから200c+100vの蓄積が必要。」 
B 「3つのケースが考えられる(Tmの蓄積率は1/2、50%と想定)。
a、Tv+1/2m=Uc。[つまり]Tv+m>Uc。これが蓄積の一般的条件。
b、Tv+1/2m>Uc。この場合はUmの蓄積拡大でUcとUvを増大させなければならない。
c、Tv+1/2m<Uc。Uの蓄積不能。
Tv+1/2m<Ucの場合、Uは供給過剰―恐慌が生じる。」

鎌倉氏が私の理解と同じことを

@とBは『資本論』の要約で、Aは鎌倉氏のコメントで、[48]はその番号です。
@で「U部門の蓄積…は、Ucの状況にかかっている」と要約し、Aで「Ucが1600cだったら、Uは蓄積なし。Ucが1400cだったら、200+100の蓄積」と述べています。またBでは 「Tv+m>Uc。これが蓄積の一般的条件」、「<の場合、消費財U蓄積不能」「Uは供給過剰―恐慌が生じる」と抜粋・要約しています。
なんと私がこれまで間違っていると指摘したことと同じことが展開されているではありませんか。はじめて私の理解と同じことを公然と述べる人が現れたのです。しかも宇野派の重鎮である鎌倉孝夫氏です。本当に驚きました。必ず「正しいことは正しい」という日が来るはずだ、それまでガマンだと考え淡々と過ごしてきたのですが、やっと同じことを主張する人が現れたのです。これほど嬉しいことはありません。20年かかりましたが。
Bのcで「[消費財]Uは蓄積不能」「Uは供給過剰―恐慌が生じる」が抜粋されています。「『時代はさらに資本論』を読んで」(本紙329号)で説明したように 恐慌はUにおける過剰生産で生じるのであって 全般的(T、Uともに)過剰生産になっているのではありません。
もちろんここはマルクスの抜粋なので、鎌倉氏が「完全に正しい」と思われているかわかりませんが、批判的コメントが書かれていないので「概ね正しい」とされているのでしょう。もちろんこれまでの解説書が必ず抜粋していた拡大再生産表式の数年間の繰り返し計算は抜粋されていません。つまり数年間の繰り返し計算はまったく意味がないと、鎌倉氏も考えているのだと思います。
ところで、この「Uは蓄積不能」「Uは供給過剰―恐慌が生じる」は、恐慌の原因を明らかにしたものでTとUとの部門間矛盾論です。宇野派は労賃高騰による恐慌論です。鎌倉氏は、他の場所では労賃高騰説を展開されているので、「マルクスはT・U部門間矛盾論で、宇野派は労賃高騰説だ」と考えているのかもしれません。部門間矛盾論の論証は、「UはTよりも急速に拡大する」です。残念ながら、鎌倉氏は 第U巻第21章のその個所は要約・抜粋していません。もちろん、マルクスは断定的に述べただけで論証はしていないので、要約・抜粋をすること自身無理があると言えなくもないのですが。私はその論証を、Tcを4000に固定してUcの値を変化させることで論証したのです。鎌倉氏が言う「Ucの状況にかかっている」で導き出したのです。鎌倉氏にはもう一歩検討を深めてほしかったと思います。
つけ加えれば 共産党や松尾匡氏らは「生産と消費の矛盾」論です。つまり資本制生産の行き詰まりを示す恐慌論の理解には、3つの見解(これまでは2つ、それに私の理解を加えて3つです)があるのです。
これで、マルクスの恐慌論はTとUとの部門間矛盾論だと確定しました(諸部門ではありません)。喜ばしい限りです。そして『資本論』は未完成ではなく、資本主義の終わりを論証しているということも。(つづく)

(シネマ案内)
『夢のアンデス』
監督:パトリシオ・グスマン
2019年製作

「9・11」といえば、アメリカ・センタービルを崩壊させたゲリラ事件がよく知られている。もう一つの「9・11」。それは、1973年9月11日、チリのアジェンデ政権が国軍のクーデターで壊滅させられた事件だ。1970年10月、アジェンデが大統領に選出された。労働組合と農民運動などによる民衆運動を基盤にした社会主義政権が世界歴史上はじめて選挙によって成立した。それが9・11クーデター、ピノチェトの指揮する軍事力によってつぶされたのだ。国軍の背後ではアメリカのCIAなどが暗躍した。
 これ以降、チリは新自由主義の実験場になった。シカゴ学派の学者たちとアメリカのグローバル資本がチリの政治・経済に介入し、大企業の利潤を第一にする政策が優先的に採用された。国営でおこなわれていた銅の採掘は外国企業におきかえられた。こうして、チリの豊かな資源はチリ人民のものではなくなってしまった。
 パトリシオ・グスマンは、『チリの闘い』(1972〜79年)をつくっている。その後、『光のノスタルジア』(2010年)、『真珠のボタン』(2015年)のドキュメンタリー映画を作り、チリの革命を内省的に深めてきた。その3作目が『夢のアンデス』。アンデスの山々は、チリの民衆にとって革命の象徴であり、未来への希望として存在するのだ。
 グスマンを中心とするドキュメンタリー・グループは、アジェンデの社会主義政権の誕生から民衆の闘いをフィルムに記録してきた。この途中で、軍のクーデターがおきた。グスマンも一時的に拘束されている。グスマンは記録フィルムを守るため、キューバに亡命する。その後、グスマンは膨大な記録フィルムを編集して、『チリの闘い』三部作にまとめあげた。
 映画に登場するパブロ・サラスは、かつての仲間だ。サラスはその後もチリに留まり、民衆デモを撮り続けている。映画のなかでサラスは「現在を記録し、次の世代にどんな時代だったのかを伝えたい。二度と過ち≠繰り返さないために」と語っている。
 チリの「9・11」から来年は50年をむかえる。日本の地で革命を現実するために闘っているわれわれにチリの「9・11」は他人事ではない。チリの革命と反革命から何を学ぶのか。われわれの課題を3点あげておきたい。@選挙で生まれた社会主義革命は、はたして維持できるのか。この時、旧体制の軍隊はどのように解体するべきなのか。Aこの50年間、世界を席巻してきた新自由主義とは何だったのか。B資本主義は自動崩壊をしないから、倒す階級が必要だ。革命の主体は誰なのか。チリの「9・11」を繰り返さないために、この地でしっかり考え、行動していきたい。(鹿田研三)


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