未来・第339号


            未来第339号目次(2022年4月7日発行)

 1面  ロシア軍は即時撤退
     戦争反対・プーチンやめろ

     西宮で維新全員落選
     3・27市長選・市議補選

 2面  ウクライナ反戦の声 全国で
     3・21 代々木公園に2500人

     辺野古現地からの報告
     管理棟などの工事始まる

     3月9日 大阪に800人

     新宿フォークゲリラのように

     神戸では毎週木曜に行動

 3面  住民投票条例制定の署名運動始まる
     住民投票でカジノをつぶそう      

     西宮市民は維新を拒否
     一人ひとりがたちあがった     

 4面  3月11日 東京高裁判決 再び国に賠償命令
     大阪高裁に続き 除斥適用は「正義・公平に反する」
     「社会に偏見・差別を浸透させた」「強度の人権侵害」
     国は両高裁判決への上告を取り下げ、速やかに謝罪と賠償を
     木々 滋

     〈投稿〉
     戦後最大の悪法
     旧優生保護法による強制不妊手術に大阪高裁が人道的判決
     結井 達

 5面  ミャンマー・クーデターから1年
     国軍打倒へ向かう人民

 6面  ウィシュマさん虐殺から1年
     全国9カ所で集会・デモ

     3月8日 国際女性デー集会 大阪
     女性差別と闘うウィメンズマーチ

     (本の紹介)
     『アナザー・マルクス』
     マルチェロ・ムスト著(堀之内出版 2018年)

 7面  さよなら原発 関西アクション集会
     原発ゼロ・核燃サイクル中止へ

     〈投稿〉
     「忘れまい3・11を」
     JR尼崎駅前でリレーアピール

     3月5日奈良 原発ゼロ、被災者支援
     「原発のない脱炭素社会」

 8面  絹川聰同志を追悼する
     革命家の立場で『資本論』を読み解く

     〈投稿〉
     『中国共産党100年の歴史決議』を読んでみた(下―2)

    〈寄稿〉
     藤原辰史さん(京都大准教授)を迎えて
     「食と農業の今」の成功を(下)

           

ロシア軍は即時撤退
戦争反対・プーチンやめろ

3月9日 大阪で800人がデモ行進

不正義の侵略戦争に全土で反撃

2月24日から始まったロシア軍の全土侵攻に対し、ウクライナ人民は首都キエフで、ハリコフで、東部各地で果敢に反撃している。当初ロシア軍は1週間でキエフを陥落させ、親ロシア政権樹立を狙ったが完全に失敗した。キエフ包囲網は崩れ、逆にロシア軍の後退が始まった。東部・南部では首都攻撃の失敗を取り返し、クリミア半島からアゾフ海とロシアをつなぐ地域を制圧しようとしたが、マリウポリで激しい抵抗にあい、病院や劇場などを爆撃して、国際的非難を浴びている。
開戦前夜、軍事大演習と称して徴集兵を含む20万規模の軍隊を動員し、その後「ネオナチを排除する解放戦争、ウクライナ人民から歓迎される」と嘘で組織し国境を越えたが、ウクライナ人民の激しい抵抗にあい、プーチンの目論見は失敗した。ロシア軍の死者は1万人に及び、その中には数人の将軍も含まれ、厭戦の若い兵士は戦線離脱のためお互いが足を撃ち合い負傷するという。ロシア軍のウクライナ侵攻は、不正義の侵略戦争で即時撤退以外ない。
ロシア内部では激しい言論統制のなか、1万人以上の拘束・逮捕にもかかわらず、人々は反戦の声を上げている。ジャーナリストや芸術家には、亡命覚悟の政権批判がおこり、新興財閥オリガルヒの中にも反対の声はあり、また国家諜報機関・政権中枢にもプーチンの戦争反対の声が上がり始めている。

東京・関西・全国で反戦の声

2・24の戦争開始に対して、2月26日、27日、東京の2000人の闘いを先頭に、日本でも反戦の声が各地で上がっている。関西では3月1日ロシア領事館への100人の抗議闘争を皮切りに、3月3日神戸では70人の市民がたちあがり、3月6日にはキエフと姉妹都市の京都で学生を含む170人がデモ行進。そのご東大阪、高槻、堺、尼崎など各地で緊急抗議行動がとりくまれ、3月9日には大阪中之島に「総がかり行動」の呼びかけで800人が集会とデモ行進をおこなった。また広島・長崎・名古屋では高校生が行動し、21世紀現代に、第一次大戦・第二次大戦型の、核戦争に発展しかねないこの戦争に対し、広範な危機感が広がっている。

核武装に言及する安倍・維新

またこの時とばかり、安倍晋三や維新などは「核共有」を言い、核武装と無限の軍備拡張競争を策動している。またプーチン・ロシア批判にかこつけて、人道的支援から外れた経済制裁の強化や、「挙国一致」の世論誘導=スタンディング・オベーションを組織するありかたを許してはならない。また橋下徹などが「停戦」の名で、ウクライナ人民の屈伏を強要する「大国主義的評論」( ウクライナのことはウクライナ人が決める)も許されない。ロシア支配地域で人民を拘束しシベリアに強制移住させた歴史を再び繰り返させてはならない。戦争をやめさせ、停戦・和平への道はロシア軍の撤兵以外ない。そのうえで、ロシア・ウクライナ・ベラルーシ・東欧などの民族的問題の解決(ナチス・ドイツの東方侵略、スターリンの独立否定・民族抑圧・強制移住、それぞれの独特の国家形成の歴史など)のための粘り強い努力を、全世界の人民がわがこととして立ち向かっていかなくてはならない。

自国帝国主義の侵略・戦争挑発との闘いを

問われているのは、現に進行する戦争を止めることだ。直接の原因であるプーチン・ロシア軍に対し、ロシア国内で闘う人々と連帯し、戦争反対の声を全世界にとどろかせることだ。1人のロシアの勇気ある女性ディレクターの行動が世界を揺るがしているではないか。
また日米安保やNATOという軍事同盟で世界を軍事支配しようとする米帝・欧州帝国主義・日本帝国主義の軍事外交政策を批判しよう。彼らの軍事同盟がどれだけ被抑圧民族・人民の闘いを抑圧・分断したことか。西欧ではNATOの東方拡大反対の声を上げ、日本では米・日の中国・アジア敵視、戦争挑発や沖縄米軍基地の強化に反対しよう。
岸田政権は安倍・菅政権を引き継ぎ、辺野古新基地建設を進めるだけでなく、射程200キロの地対艦ミサイルを南西諸島に配備し、対中国敵視を強めている。中国・台湾問題は「中国内部の問題」であるのに、勝手に日本の「周辺事態」として軍事介入を狙っている。「釣魚台」をめぐり「軍事的衝突」が起これば(例えば日本の極右分子の艦船と中国艦船が衝突)、マスコミがその「映像」を流し続け、この国全体を「中国憎し」の愛国主義で染めていくのは目に見えている。その前に日本軍が沖縄人民を戦争の楯にして「住民を守らなかった」事実や、1931年柳条湖事件以降2000万人の中国人民を殺戮し、日本人民も310万人が死んだ事実を忘れず、「日中不戦の誓い」を守らなくてはならない。
この国の政権が戦争・戦争挑発を進めるなら、今のロシア人民のように、自国の起こす戦争に反対する行動に自分の場所で立ち上がろう。侵略に反対するウクライナ人民や、自国の戦争に反対するロシア人民に連帯し、ウクライナ侵略戦争反対・即時撤兵の声をとどろかせよう。

西宮で維新全員落選
3・27市長選・市議補選

明石市の泉房穂市長(左)も応援に(3月20日)

3月27日投開票の西宮市長選・市議補選(定数2)で維新は、擁立3候補全員が落選の大惨敗を喫した。最終日、吉村大阪府知事を投入し、27日の党大会では「野党第一党を目指す」と宣言したその日に、市長選では現職・石井としろうにダブルスコアに近い差で敗れ、市議補選では2議席独占の夢が敗れる完敗となった。
 市議補選では、夫で昨年7月死亡した西宮市議の志を継いだ宮本けいこさん(無所属・立憲推薦)が、子育て世代や近隣の女性市議らの支援を集め、トップの自民に600票差まで迫り、維新には4000票の差をつけ32713票を獲得し当選した。
 年末に維新県議の立候補表明があり、1月には馬場伸幸維新共同代表の「西宮攻略」宣言がなされた。これに対し3月12日の「西宮に維新市長は要らない」集会過程で7万のチラシがまかれ、集会には280人が結集。ここをベースに「維新はいらない」の声が大きくこだました。
選挙戦では無所属西宮市議、近隣の女性市議、尼崎・川西・宝塚・芦屋の市長、さらに維新が勝手にモデルとする明石市長まで駆け付け、維新を包囲した。
 7月の参院選をはじめ、10月には川西市長選、11月には尼崎市長選があり、維新との激突が連続する。今回の勝利は、兵庫県東部から維新打倒に攻め上る起爆剤となるだろう。(3面に記事)

2面

ウクライナ反戦の声?全国で
3・21 代々木公園に2500人

3月21日、代々木公園B地区で「ウクライナに平和を! 原発に手を出すな! 市民アクション」がおこなわれ、2500人の市民が参加した(写真左)。呼びかけたのは〈「さようなら原発」一千万署名 市民の会〉と〈戦争をさせない1000人委員会〉。
▼ルポライター・鎌田慧さんの発言。
「自民党の議員たちはこの戦争を利用して(ロシアへの経済制裁による燃料不足を理由に)原発再稼働を要求している。原子力規制庁の規制を緩めてくれと言っている。『核の共有』を言い出している自民党の保守派はこの機に乗じようとしている」 ▼作家・落合恵子さんの発言。
「この国は元総理が『核の共有』を言い出す国。(国民民主党の)玉木さんも非核三原則を変えろと言っている」「いたたまれなさを怒りに結びつけないと(参院選は)大敗する」
▼作家・澤地久枝さんの発言。
「ロシアは戦況が有利にならなければ原発を使って脅すだろう。私たちが(憲法や原発で)後退しても仕方ないと思ったら取り返すことができない害を被ることになる」
▼飯島慈明さんの発言。
「ロシアの侵攻は国際法違反。断固とした声を上げることが重要。日本政府が先頭に立って『武力の行使はやめろ』と言うべき」「安倍や橋下が核シェアリングを言っている。ドイツ等の核シェアリングの場合は核戦争になったら自国に落とすことになる。ロシアの核に核で立ち向かえると本当に思っているのか」
▼ウクライナ出身の音楽家ナターシャ・グジーさんが「故郷(ふるさと)」を日本語とウクライナ語で歌った。
▼チェルノブイリ子ども基金・向井雪子さんの発言。
「チェルノブイリ原発の事故の後、ウクライナ・ベラルーシ・ロシアの3国とも支援してきて、こんなことになってたまらない。今はベラルーシにも救援物資を送れない。ウクライナには可能。カンパを送っていこう」
▼原子力資料情報室・高野聡さんの発言。
「地中貫通爆弾が何発も当たれば原子炉は耐えられない。通常の軍隊の装備で原子炉は破壊可能。外務省が1984年に原発が攻撃された場合の被害予測をしていて、最大1万8千人が急性死亡と予測。島根原発のプールが破壊されたら46万人死亡するといわれる。戦争になれば原発は核の地雷になる。安全のためにやるべきことは廃炉。ロシア軍を糾弾するだけでなく、原発マフィアを許してはならない」
▼ピースボート災害ボランティアセンター・小林深吾さんの発言。
「ウクライナ現地では、ある人は現地にとどまり、ある人は連絡が取れていない。現地スタッフが『今やっている人道支援は将来役に立つ』と言っている。皆さんの寄付金で明日守られる尊厳がある」
司会から、4月16日13時から亀戸中央公園でおこなわれる「さようなら原発」首都圏集会と、4月8日18時から日比谷野外音楽堂で開かれる総がかり行動への結集が呼びかけられた。参加者は会場からデモに出発、渋谷駅・宮下公園・ラフォーレ原宿の前を通って会場に戻るコースを歩いてウクライナ反戦と改憲阻止、原発再稼働阻止を訴えた。

辺野古現地からの報告
管理棟などの工事始まる

2月21日 キャンプ・シャワブ内で伐採が始まったとの情報を受け視察に向かった。伐採は2月中旬より始められていたが、「新型コロナウイルス感染拡大防止」があけたこの日、視察団10数人と現場に向かい、担当者から、辺野古美謝川切替工事と第3ゲート内での工事の概要説明を受けた。
まず、第2ゲート北側の国道沿いの7・5ヘクタールが昨年6月、日米地位協定第2条4項に基づく共同使用となり、商業車両のゲートや管理棟などが新設される。また、辺野古弾薬庫の一部土地7万9千uが日米共同で使用され、共用の陸上施設が再編成される。その工事に伴い基地に出入りする商業車用ゲートの整備に着手する(辺野古には商業車用のゲートがあるが大型トレーラーなどが入るのは難しかった)。
そして、第2ゲート北側の整備が進むと同時に、美謝川の切替工事も促進する。現在、美謝川は辺野古ダムから流れ出し国道339号の下を通り、キャンプ・シュワブゲート内を通って大浦湾に流れている。新基地が建設されると、流れが止められるため、第2ゲート北側から第3ゲートに向かう途中の場所から国道399号の下を通り、新基地の側面を通って、K9護岸の横から大浦湾に流す計画だ。すでに伐採は始まっており付近の景色は一変している。
3月16日 新基地建設の辺野古側の工事の現状。防衛局はこれまで、工区「2―1」工区「2」の埋め立て(3・1mから4mへのかさあげ)をほぼ終了し、次の工事に着手し、新たな上部構造物の建設が始まった。2月中旬以降、シュワブゲート前からの工事車両にも変化が現れた。2月中旬までは、空のダンプが多く搬入されていたが、中旬以降、ミキサー車が多くなり、空のダンプでなく、砕石を積んだダンプが増えた。連日2百台前後の車両が搬入されている。
シュワブゲート前では、コロナ対策をとりながら連日数10人が座り込み抗議の声を上げている。安和桟橋と塩川港での抗議行動にも市民が決起している。海上行動隊も、辺野古・大浦湾海上と安和桟橋海上で阻止行動に決起している。(杉山)

3月9日 大阪に800人

3月9日大阪で「総がかり行動」のウクライナ反戦集会・デモがあるというので『未来』特別号を持参し参加。300枚はすぐなくなった。連合系の組合の比較的若い世代が目立った。多分イラク戦争以来の大規模な戦争の始まりに危機感を持っての参加だろう。連合下の組合員の間に、広がれ戦争反対の行動!(写真 O)

新宿フォークゲリラのように

友人に誘われて3月27日、大阪・心斎橋筋でロシアのウクライナ侵略戦争に対する抗議行動に参加。「ロシアよ 殺すな!」「ウクライナに平和を」という横断幕を掲げ、ギターとハーモニカで、フォーク歌手の高石友也やボロの歌を。 横断幕を見てスマホで写真を撮る人が何人もいた。3人組の若い男性たちがグータッチを求めてきて百円硬貨を置いていった。お礼に「ウクライナに平和を」の横断幕をプレゼント。彼らは横断幕を広げ肩にかけ、手を振って歩いていった。 かつて1960年代後半、ベトナム戦争が激化する中、新宿駅西口で新宿フォークゲリラと呼ばれる行動に多くの人が参加した。誰かが組織するのではなく、一人でも戦争反対に立ち上がることで、このフォークゲリラは人々の共感をえた。今、ロシアのウクライナ侵略戦争に対して、一人でも立ち上がることが必要だ。共感と交流の輪を拡大させていきたい。(写真上 M)

神戸では毎週木曜に行動

ウクライナへのロシア軍の侵攻に対し、神戸木曜行動は3月3日には70人が集まり行動を開始。10日、17日、24日とマルイ前でのスタンディングには30人〜40人が参加。いよいよ4月9日には東遊園地に集まり、多くの人に訴えられるデモ・パレードを行う。ロシア軍の撤退まで声を上げていこう。(写真下は3月21日の行動 K)

3面

住民投票条例制定の署名運動始まる
住民投票でカジノをつぶそう

3月21日、〈山本太郎とのおしゃべり会〉が大阪市の中央区民センター2階ホールでおこなわれ、会場は満杯になった。多数の若いボランティアスタッフが忙しく動いていた。会場では、カジノ誘致の賛否を問う住民投票の実施を求める署名運動の説明会がおこなわれた。

住民自治の大切な制度

自治体の運営が住民の意思に反しておこなわれようとする場合、地方自治法で、それを阻止する条例等の制定を住民が自治体に直接請求できるようになっている。これを「直接請求制度」といい、住民自治の大切な制度である。

50年ぶりの直接請求

大阪府への直接請求は50年ぶりである。地方自治法の定めに従って実際に署名を集めるのは受任者といわれる大阪府在住の有権者たちである。残念ながら大阪府外の人や公務員や選挙権を持たない外国籍の住民は受任者になれない。

大阪府外の方に訴えます

大阪府外の方であってもこの署名運動に協力することはできます。大阪府内に住む有権者をご存じの方はぜひ、本紙にご連絡ください。維新を倒すために該当地域の受任者に連絡し署名の協力をお願いしていきます。

目標は20万筆

直接請求のためには有権者の50分の1の署名が必要となる。大阪府の有権者は約730万人なので最低15万筆が必要となる。集まった署名は選挙管理委員会が有効かどうかを確認するので、余裕をみて15万筆プラス5万筆で20万筆を目標としている。

カジノ反対を訴える山本太郎衆議院議員(3月21日、大阪)

カギを握るのは受任者

署名を集める期間は限られている。3月25日から5月25日までの62日間である。公正を確保するために署名を集める権限を持つのは受任者に限定されている。しかも、受任者が集めることができるのはその受任者が住む区域の有権者に限られている。たとえば大阪市淀川区の受任者は淀川区の有権者の署名しか集めることができない。
このように署名集めには高いハードルが課せられているが、受任者がいればスーパー前などで複数の人たちの署名集め活動はまったく可能である。また、個別訪問も許されているので市営住宅や府営住宅などで受任者といっしょに一軒一軒回っての署名集めも可能である。

受任者になろう

受任者は大阪府内に住む公務員等以外の有権者であればだれでもなれる。受任者をどれだけつくれるかが「直接請求制度」の署名集めの核心である。受任者をつくればつくるほど、目標値のハードルは下がっていく。
大阪府民のカジノ反対は過半数を超えている。有権者総数で考えると365万人以上が反対とみることができる。目標はそのうちの20万人である。
まず自分自身が受任者となり、さらに受任者をつくり、その受任者がさらに受任者をつくっていく、こういう地を這うような闘いをやるということである。

オルグのポイント

@松井大阪市長の大ウソ
松井一郎・大阪市長は「IRカジノには公費は一切使わない」と言っていたのに2697億円も大阪府・市が負担するというのである。賭博場建設に私たちの巨額の税金が使われるのだ。こんな大ウソを許していいのかと訴えていこう。
A後戻りできない契約
いったんカジノ事業者と契約すると、契約を解除しようとしても巨額の違約金を要求される。カジノに問題が噴出しても契約解除できないのだ。
Bあり得ない数字
大阪市内の大規模レジャー施設=ユニバーサルスタジオジャパン(USJ)のこれまでの年間の最高入場者数は1430万人である。しかし、大阪市港湾局は大阪カジノ(IR)にUSJをはるかに超える1610万人も来場することを見込んでいるという。それもすべて日本人客だという。人気のある大規模レジャー施設をはるかに超えるカジノ入場者を想定するのは誰が見てもあり得ない。それだけではない。同港湾局によれば、カジノをつくっても赤字が続き、利益が出るのは50年以上後の2076年以降という。それも「利益が出るかもしれない」だ。

カジノをやめれば生活が豊かに

カジノ客からまきあげたお金の7割がカジノ事業者に入る。カジノをつくるための2697億円の金があれば、大阪市の水道代を9年間半額にでき、小学校の給食費を45年間無償化でき、3百床の病院を40棟もつくることができる。

維新を倒す運動を

この闘いは自分の住む地域で維新を倒す運動をつくることと同じである。維新を倒すのは自分自身なのだ。地域の中に入り、維新を打倒していくために地域の人々とのつながりをつくっていこう。誰かに頼るのではなく、みんなで力をあわせて維新のウソをあばこう。貧しい者を自殺に追い込み、絶望しか生まない新自由主義に対し、「生きていていいんだ」「人は生きているだけで価値がある」(山本太郎)という社会、人が人らしく生きられる社会をともにつくりだしていこう。

西宮市民は維新を拒否
一人ひとりがたちあがった

西宮市長選・市議補選の最終日3月26日、アクタデッキで12時から19時過ぎまで、6時間のメガホンコールと1時間の市議補選勝利最終集会をおこなった。メガホンコールは維新陣営、自民候補を相手に三つ巴でねばり、吉岡、維新は退散。
17時40分頃、無所属・立憲推薦の宮本けいこ候補が到着。北野聡子宝塚市議、よつや薫西宮市議を先頭に15人ほどの近隣市議(高砂、明石、神戸、芦屋、宝塚、川西、猪名川)と県議、国会議員が集まり、宮本さんを次々応援。通行人はビラを取るだけでなく、グータッチをする人、ハグをする人も出てきて、大きな盛り上がりとなった(写真上)
市長選の石井陣営は雨のなかの西宮ガーデンズ前で各地の市長の応援を受け集会。維新はパラパラの結集。

3・12集会に280人

3月12日「西宮に維新市長は要らない講演会」は西宮市内に280人が結集し、1週間後の告示に向け、市民の側から大きなうねりを作り出す出発点となった(写真下)
講師の西谷文和さんは、かつて行ったウクライナでの戦争に、ロシアの軍事介入を批判することから始めた。この戦争はロシア・プーチンが始めた戦争で、東部2地域の問題は口実で直ちに撤兵を。ロシアの核を背景にした発言や原発攻撃を弾劾した。と同時に安倍や維新の「核共有」発言も批判。続いて維新の吉村(府知事)はサラ金武富士の顧問弁護士で金の取り立てを仕事にしていたとその素性を暴露、以降『自公の罪、維新の毒』を縦横に批判した。
次いで大石あきこさんは、昨日3月11日、かの橋下徹弁護士から名誉棄損で訴えられ、第1回の口頭弁論が大阪地裁大法廷であった報告から始めた。裁判は、元大阪府知事で弁護士で維新の創業者という社会的影響力のある人物が、かつての府庁職員という部下で、弱小政党の1回生議員を訴えるという、裁判で相手を黙らせるというやり方に負けるわけにはいかない。勝利のために最強の布陣で勝利したいので、注目と支援をと訴えた。
市民からのアピールでは、吉村平さん(甲東平和を考える会)、北野聡子宝塚市議、木村真豊中市議らが「維新に勝利するにはベターの候補に全力投入を!」と訴えた。20人近くの議員・元議員が参加し、まとめを元西宮地労協議長の梶原義行さんがおこない、阪神とJR2駅の街頭宣伝に向かった。

4面

3月11日 東京高裁判決 再び国に賠償命令
大阪高裁に続き 除斥適用は「正義・公平に反する」
「社会に偏見・差別を浸透させた」「強度の人権侵害」
国は両高裁判決への上告を取り下げ、速やかに謝罪と賠償を
木々 滋

東京高裁(平田豊裁判長)は3月11日、北三郎さん(仮名。78。東京都)が旧優生保護法(以下、旧法)の下で不妊手術を強いられたのは憲法違反だとして、国に3千万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、請求を退けた一審判決を取り消し、旧法を違憲と判断して、国に1500万円の賠償を命じた。国への賠償命令は、2月22日の大阪高裁判決に続き2件目。全国9地裁・支部で起こされた計25人によるこれまでの訴訟で、19年5月の仙台、20年6月の東京、同年11月の大阪、21年1月および2月の札幌、同年8月の神戸の各地裁判決はいずれも請求を棄却した。

旧来の司法判断を刷新、救済範囲大幅拡大の画期的判決

▼1500万円の賠償命令。大阪訴訟の3原告への賠償のうち最高の1300万円(弁護士費用差し引き)より高額。一時金支給法(以下、支給法)の一律320万円の支給額は両高裁の上記のような賠償額の4分の1以下で、その不当性が際立った。
▼「旧法=違憲」判決。今次判決は、大阪高裁に続いて憲法第13条(個人の尊厳の尊重)および第14条(法の下での平等)に反することを理由に違憲と判断した。違憲判決はこれまで各地裁で計4度、これに2度の高裁判決が加わったことは大きく重い。また、今次判決が、「旧法は差別的思想に基づく立法で正当性を欠き、極めて非人道的」と断じて、20年6月における一審判決の「憲法判断回避」を問題外と覆した意義も重要だ。
▼除斥適用の制限。
平田裁判長は適用制限の理由について、強制不妊に関する「特段の事情」を列挙した。1953年の都道府県知事宛て「厚生事務次官通知」で手術推進のため身体拘束、麻酔薬使用、欺罔(だますこと)等の手段を用いることさえ認めた事実。高校教科書の優生思想を正当化した記述。96年の法改定の際にも国は旧法の違憲性に言及せず等々。
さらに、次の指摘が注目される。「憲法違反の法律に基づいて生じた被害の救済を、最高法規である憲法の規定(注)に対しその下位規範である民法の『除斥期間』を無条件に適用して請求を拒絶することには慎重であるべきだ」。除斥適用問題に関するこれまでになかった重要な判断である。法理論的説得性に富む見解だ。
(注)憲法第17条(国及び公共団体の賠償責任)「何人も、公務員の違法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国または公共団体に、その賠償を求めることができる」
▼救済範囲の大幅拡大――新たな視点と方向性を提示。
手術が国による不法行為だったと被害者が認識できるようになったのは支給法が施行された「19年4月24日」だとし、同法が支給の請求期間を5年間としたことから「5年間が経過する24年4月24日までは除斥期間の効果も生じない」とした。すでに提訴した原告を含む約2万5千人の被害者すべてを救済する道を開いた画期的判決だ。大阪高裁判決は「同種訴訟の提起を知ってから6カ月以内は除斥期間を適用しない」として大阪訴訟の3原告の請求を認めたが、「6カ月以内」が大阪訴訟以外の原告や今後提訴してくる被害者にあてはまらないケースもありうる。今次判決は、提訴可能期間を飛躍的に拡大し、この難点をクリアした。また、この提訴可能期間の設定が現行救済法(支給法)と整合することも合理的だ。
 ▼国の責任に対する批判
裁判長は「除斥期間の経過前に)提訴できなかった事情が認められる以上、国の責任を不問に付すのは相当ではない」と言い切った。以下の一審判決文を見る時、今次判決の国の責任に対する態度の圧倒的正当性は明らかだ。
「わが国の優生思想は国が作ったものではなく、厚労相は手術を受けた者への被害回復措置を講じ、優生思想を除去するための普及啓発の義務を負わない。また、96年の法改正時点で、手術を受けた者への補償など被害回復措置の立法が必要不可欠かつ明白だったとは認められない」。

原告、弁護団の声

▼北さん「こんな判決をもらえるとは夢にも思っていなかった。手術をされてから64年。本当につらかった。悲しかった。苦しかった。遠い道のりだった。自分を苦しめてきたのは(手術をさせた)父や施設ではなく、国だったんだ。裁判官がわたしに向き合ってくれたことがうれしかった。感無量だ。妻と親の墓参りで『勝ったよ』と伝えたい。国は上告せず、被害者に向き合い、一日も早く解決に向けて動いてほしい」
▼新里宏二全国優生保護法被害弁護団共同代表
「大阪高裁の判決が被害救済の風穴を開け、東京高裁判決がそれをさらに大きく広げた。司法は被害者と向き合った。次は国会と内閣が、旧法は違憲だったと認め謝罪しないといけない。上告ではなく全面解決のためのテーブルに着くことが不可欠だ」「地裁段階では敗訴が続いたが、旧法を違憲とする判断は積み重なっており、そのステップが高裁での勝訴につながった。政府と国会は法改正に動くべきだ」
▼関哉直人弁護士(北さんの代理人)「政治的解決に向けた大きな一歩になるはずだ。一時金支給法の改正なども強く求めていく」

各地の原告、弁護団の声

▼大阪訴訟原告・野村花子さん太朗さん夫妻(いずれも仮名)
「大阪に続き、東京も勝訴し、ほんとうにうれしい。(東京訴訟では)国は上告しないでほしい。被害者は高齢なので、早く終わりにしてほしい」。
▼大阪訴訟弁護団の声明(3月11日)「司法府としての責任を果たした。東京訴訟では上告しないことが、人生の大半を奪われた被害者に対して国がなし得る最後の償いだ」 ▼辻川圭乃弁護士(大阪訴訟弁護団)「(除斥期間という)時間の経過で逃げ切ろうとせず、救済に向き合うことが国が取るべき唯一の道だ」
▼鈴木由美さん(兵庫訴訟原告の一人。66。神戸市)
「訴えようと思っても情報がなかったのにという思いが裁判所に伝わったようでうれしく思う」

筆舌に尽くせぬ人生被害――国はその全事実に向き合いすべてをつぐなえ

北さんは仙台市で生まれ育った。鮮魚商を営む一家の生活は苦しく、小学6年のときに父から「高校に進学させる金なんかない」と告げられた。「勉強するのがばからしくなってグレていた」という中学1年のとき、両親によって近くの救護院(現在の児童自立支援施設)に入所させられた。入所から1年近くがたった1957年の春、施設の職員から突然、「病院に行こう」と言われた。「どこも悪くない」と拒んだが、有無を言わせず連れ出された。行き先はなぜか産婦人科だった。看護師に服を脱ぐよう命じられ、何の説明もないまま診察台にうつぶせにさせられ、背骨に注射を打たれた。手術後、下半身が激痛に襲われた。数か月後、施設の先輩から衝撃的な言葉を聞かされた。「お前が受けたのは、子どもができなくなる手術だ」
宮城県青少年問題協議会は当時、「非行少年の大半は知的障がい。優生手術を徹底する必要がある」との犯罪的指針を出しており、施設内では複数の不妊手術のうわさが立っていた。まさか自分が、と驚くと同時に両親と施設を恨んだ。法律に基づいた強制不妊手術だとは思いもよらなかった。
親と絶縁し18歳で上京。結婚は諦めていたが、縁あって28歳のとき妻と結ばれた。「なんで子どもができないの」と親に問い詰められた妻が、悲しそうな表情を見せても過去は明かせなかった。治すための手術を受けようと産婦人科を訪ね相談したが、元の体には戻れない現実を突きつけられた。親の意向で、手術を受けさせられたと思っていた。両親を恨んで結婚式にも呼ばず、1973年に父が他界しても一周忌以来、墓には足が向かなかった。母とは、亡くなる間際の2010年ごろ面会したが、握られた手を振り払った。「こんな目に遇わせやがって」。心から父母を憎み続けていた。(つづく)

〈投稿〉
戦後最大の悪法
旧優生保護法による強制不妊手術に大阪高裁が人道的判決
結井 達

帝王切開による出産をすると臍の下から陰毛迄の指一関節分ほどの幅のケロイドのような傷を残す。それは何年経っても決して消えはしない。今でこそ目立たないメスの入れ方や縫合の術もあるやもしれないが、48年前、差別に満ちた不当な手術はそのような配慮など恐らくなかっただろう。妊娠9カ月の赤子をとりだし、性器まで取り去ってしまう。聞いただけでもおぞましい。傷は狭くも短くもならない。そしてそれを当事者(ろう者/仮名・野村〔妻〕さん)は今も毎日幾度となく見ずにはいられない。出産すると脳が赤子に乳を与えよという指令を出し両胸に幾多もある乳腺に血液を送る。そのため乳房は全体がカンカンに固く張ってしまう。痛みが襲う。乳首から赤子が母乳を吸ってくれたらいいのだが、数日も吸ってくれないとこめかみまで激痛が走り乳房は全体に石が埋め込まれたように固まる。傷や痛みだけを残しこんな状況にまでさせられて誰が心を病まないでいられるか。この世を呪ったことだろう。母を恨んだことだろう。
「今日負けたら最高裁はやめといきぃって言ってたんです。あの二人(ろう者/仮名・野村夫妻)はずーっと苦しんできて、裁判に訴えて余計に苦しみを抱えてきたんですよ。それがまだ続くんですよ。この数年二人を見てられなかったです」と、足元おぼつかない野村(妻)さんと腕を組み手を握り裁判所前に現れた聴者Aさん。野村さんと長い付き合いらしくまるで本当の母娘のよう。
「野村さんはね、地元手話サークルでのお父さんお母さん的存在なんです。私にもサークルのメンバーにも優しい。子ども達も。ウチの姪っ子にまで可愛がってくれたんですよ。お二人とも子どもめちゃくちゃ好きなんですよ」
野村(夫)さんは地裁、高裁での証言や報告集会では必ずプレスの仕事をしていたことから始まる。自分は夜勤で奥さんは昼勤ですれ違いだったこと。子どもが欲しいねと語り合い明るい未来を夢見描いていたこと。そして、子どもが生まれたと聞かされた時のこと。すぐに妻にも赤ちゃんにも会えず、いぶかしいまま突然死んだと聞かされ取り乱した気持ち。目の前の我が子はもう柔らかくない塊のようになってぐるぐる巻きにされた様子を熱くお話する。それを語る様子は焦燥感、奈落の底にまで蹴落とされたような絶望、悲しみ怒りに包まれている。
私も胸が張り裂けそうになる。48年経とうとしているのに今この瞬間に起こったかのような錯覚さえ起こす。いや錯覚ではない。1974年の絶望を味わった時から止まったまんまなのだろう。帝王切開での出産後発熱が続いた妻に「子は死んだ」と言い切れなかったこと。熱が引いた妻に真実を打ち明けたこと。妻は悲しみ泣き叫び崩れたことは二人にとって過去ではないのだと思う。白髪になり、指も曲がりご高齢になったお二人。毎年クリスマスに周りが家族で楽しく温かく過ごすのに二人はひっそりとその日を迎えたそうだ。どんなに侘びしかったことだろう。
控訴人の空ひばりさん(仮名)は、毛糸の温かそうなニット帽を被り車椅子でなんとか判決には来ることができた。高裁弁論は体調不良で来れなかった。弁護士による代弁で「ウチのこと信じてな。ほんまやねん」と訴えたことに「信じていますよ。当たり前じゃないですか。嘘でこんなこと言えるわけないじゃないですか」と心で応答した。自分が強制不妊手術を受けさせられたのを夫にさえ、いや夫にこそ言えなかったこと、お姉さんにだけなんとか打ち明けられたこと。もしも私が空さんの立場ならば言えたか。訴えられたか。否。私は弱虫だから。脆いから。だからお三方の勇気に敬意を表したい。
今日の判決には歓喜に溢れ人目もはばからず嬉しくて涙が出た。まだまだ捨てたもんじゃない。司法。太田晃詳裁判官。
風穴を開ける画期的判決。国よ。上告するな。恥ずかしい。そして、3月11日東京高裁へと全国へとバトンが繋がれ。

5面

ミャンマー・クーデターから1年
国軍打倒へ向かう人民

2月1日でミャンマー・クーデターから1年が経過した。2020年の選挙で大敗し、このままでは解体されかねないと追い詰められた国軍は昨年2月1日、クーデターをおこしたが、事態は国軍の描いたように進んでいない。国軍の最大の誤算は、民衆の抵抗と闘いが巻き起こり、国軍打倒にむかって動き始めたことである。

国軍を追い詰めている民衆決起

ミャンマー民衆はただちに抗議行動をおこした。ミャンマー現地で昨年2月6日、最大規模となる抗議デモがおこなわれた。国軍は自動小銃などで実弾を使って頭部を狙って鎮圧しようとした。しかし、事態は逆に動いていった。死を恐れぬ民衆決起が始まっていったのだ。
昨年3月3日、頭部を狙った国軍の銃弾によって斃れた19歳の女性のチェー・シンさん(通称:エンジェルさん)は「眼の角膜でも体のどの部分でも提供します。必要であれば私の命の代わりに提供します」と死を覚悟した言葉を自身のフェィスブックに投稿していた。
死をも覚悟して国軍への抗議行動に立ち上がったのはエンジェルさんだけではない。国軍への抗議行動に立ち上がったすべての人たちがそうである。在日ミャンマー人たちや全世界にいるミャンマー人たちも死をおそれず、国軍を解体する闘いに立ち上がっているのだ。 昨年4月3日、神戸市内で開催された屋内集会では以下の文章がプロジェクターに映し出された。
「若者たちは未来のために戦い続けるしかありません。若者は仕事のチャンスは少なくなります。昔の軍事独裁政権時代にも大学を卒業した失業者がたくさんいます。一方、軍の関係者だけが簡単に就職できます。運がよくて、就職できたとしても、先の見込みがありません。そのせいで皆退職する、私自身も経験しました。ミャンマーの若者たちも、もちろん死を恐れます。しかし、未来のために戦うしかありません」
ここにはミャンマーの青年たちの思いが込められている。国軍を打倒して民主主義を闘いとる。そこにしか未来がない以上、そこに命をかけるというのだ。このような死を恐れぬミャンマー民衆の闘いが国軍を追いつめているのだ。

国軍支持の日本

この1年間で明らかになったのは日本の悪質な役割である。昨年9月、イギリスは国民統一政府(以下、NUG:National Unity Government)を「次期政権」と認め、同10月にはEU27カ国がNUGを正式なミャンマーの代表として認めることを決定した。NUGを正式なミャンマー代表として認める国はチェコ、アメリカ、韓国、フランス、オーストラリアと続いており、ついにイギリス、そしてEU27カ国が承認するということは、NUGの承認が世界の流れなのだ。
しかし、日本は真逆の動きをしている。日本はかたくなにNUGをミャンマーの正式な政府として認めようとしない。それどころか昨年8月、国軍派遣の人間に外交官資格を公然と認めた。つまり、日本は国軍支持の国なのだ。また、防衛大学校にミャンマー国軍の士官候補生をクーデター以後も批判を無視して受け入れ続けている。
それだけではない。日本はクーデター以後、新規のODAをおこなわないとしているが、既存のODAはそのまま進めている。その金額は年間1900憶円にものぼる。これは2013年度のミャンマー政府の当初予算約1兆6千億円の12%、全省庁予算5700億円の実に33%を超える金額である。日本のODAが如何に国軍を支えているかは明らかだ。 さらに、欧米資本はミャンマーから撤退を宣言している資本が多数あるのに、日本資本で撤退を表明した大資本は皆無である。

日本は何をしようとしているのか

間違いなく国軍の存続である。日本ミャンマー協会(会長:渡邊秀央)や日本財団(代表:笹川陽平)をも使って国軍を存続させ、日本の三大メガバンクを先頭に国軍と一体となってミャンマーに居座りつづけようとしているのだ。
国軍解体なくしてミャンマーに民主主義は生まれない。だからこそミャンマー民衆の要求は国軍解体なのである。国軍を存続させることはミャンマー民衆の思いとは真逆である。日本の行動はミャンマー民衆の民主主義を求める切実な思いを根本から否定している。この1年間で国軍支持を鮮明にした日本は、国軍とともにミャンマー民衆の戦いを血の海に沈めようとしているのだ。
われわれは、ミャンマー民衆の国軍解体の闘いに応えていかなくてはならない。国軍によるミャンマー民衆の虐殺に加担してはならない。

行動を起こすべきは我々

昨年4月、国軍に抗議するミャンマー民衆の抗議行動が大阪市内(中之島公園)でおこなわれたとき以下の文章を手書きで書いて段ボールに貼り付けたものをミャンマーの青年が持っていた。
「日本の皆様へ コロナ禍でミャンマー人が集まり抗議していることを申し訳なく思っております。現在ミャンマーではミャンマー国軍が国民の人権を無視した行動に出ており、民主制が損なわれております。・・・一刻も早く独裁軍事政権が全滅し、再び平和が訪れるために、国際連合をはじめとする先進国の方々のご理解とご協力をお願い致します」 これはミャンマー民衆の抗議行動に悪罵を投げつける一部の日本人がいたからだといわれている。この現実を我々はどのように考えるべきなのか。我々こそ日本に対する抗議行動に立ち上がっていくこと、これこそミャンマー民衆の命がけの戦いに応えることである。

ロシア支持を表明した国軍を許すな

2月26日、ミャンマー国軍はウクライナに対する侵略戦争を開始したロシアを支持すると表明した。国軍はロシアから受け取った武器でミャンマー民衆を弾圧し続けている。ウクライナに対する侵略戦争を止める力は国家の枠を超えた戦争反対を掲げる民衆運動である。ロシア国内をはじめ世界各国で立ち上がっている民衆とともにロシアのウクライナ侵略を止めるために立ち上がり、同時にミャンマー国軍解体の闘いを推し進めよう。(三船二郎)

おことわり

紙面不足と編集技術の未熟さで、早期到着の原稿掲載が遅れたり、単一論文の分割掲載や、未掲載の論稿もあり、申し訳ありません。
またウクライナ反戦闘争をめぐり各種意見・論稿も届いています。ウクライナ問題では次号・次々号で投稿特集をします。個人の資格で、闘争報告・意見など1000字程度で、4月11日、25日までにお寄せ下さい。可能な限り掲載したいと思います。ただし採否は最終的には編集委員会にあることを了解ください。『未来』編集委員会



6面

ウィシュマさん虐殺から1年
全国9カ所で集会・デモ

名古屋入管収容所内において適切な医療措置も受けられずスリランカ女性ウィシュマ・サンダマリさんが見殺しにされてからちょうど1年の3月6日、全国各地で追悼集会やスタンディングなどがおこなわれた。札幌、高崎、東京、静岡、浜松、名古屋、京都、大阪、高知など全国9カ所で6百人が参加。

東京では300人が参加し東京入国管理局を一周。サイレントデモながら「収容をやめろ」というコールが巻き起こった。

大阪集会

大阪でも同日、北区の扇町公園でウィシュマさん1周忌追悼集会がひらかれ、百人が参加した。〈入管の民族差別・人権侵害と闘う全国市民連合〉が呼びかけた。
午後3時集合、死亡時刻とされる3時25分、全員で1分間の黙祷、3時40分デモ出発という慌ただしい集会だったが、各参加団体からの発言、4年8カ月間収容されていたパキスタン人の男性からの訴えがあった。WITH、Save Immigrants Osaka、TRY(外国人労働者・難民と共に歩む会)、弁護士の上林さん。
この4人の方々の発言を要約すると、(1)名古屋入管内での死亡事件の真相究明と再発防止。(2)入管法改悪法案を今後も廃案に。(3)在留特別許可基準の大幅緩和。(4)国際基準に基づいた難民受け入れ。(5)強制送還一本やり方針の変換。(6)入管収容所内での医療の抜本的改革。
以上6点に絞られる。又現在仮放免中のパキスタン人の男性は、仮放免中の就労禁止、医療保険にも入れず病院にもいけない、この日常生活の不安と窮状を訴えた。これでは死ねと言われているのと同じではないか。集会後、3時40分から西梅田公園までのデモに出発した。
ウィシュマさんの遺族は3月4日、真相究明を求めて国家賠償訴訟を名古屋地裁に提訴した。それに先立ち証拠保全手続きのため所内での監視カメラのビデオ映像を開示した。
2007年以降、収容所内での死亡者は17人、その内入管が作成した報告書は5件のみ。この間、国連人権委員会の恣意的拘禁部会がその実体を国際法違反と指摘。又拷問禁止委員会からも度々指摘を受けているが法的拘束力がないのが現状だ。(伊藤十三)

3月8日 国際女性デー集会 大阪
女性差別と闘うウィメンズマーチ

3月8日、国際女性デーに今年も女性たちがミモザの花をもってやってきた。
ウィメンズマーチは、毎年市民や学生が、自分たちだけの力で東京・名古屋・大阪・熊本でおこなわれてきた。

大阪ナンバでウィメンズマーチ

大阪の実行委員会は学生を中心とした若い女性たち。全国の実行委員会はすべてズーム。大阪での実行委員会もズームで話し合った。
大阪では今年もSNSでの呼びかけや口コミで、80人あまりがナンバの元町中公園に集まった。学生世代が半分を占め、多彩な世代が集まっていることが特徴だ。
マーチの前に小集会がひらかれた。冒頭、〈おおさか旧優生保護法を問うネットワーク〉が発言。優生保護法の大阪高裁判決(逆転勝訴)に対して国が7日に上告したことに対して弾劾する怒りの発言。
フリージャーナリストの李信恵さんは民族差別への告発。
子育て中の非正規雇用労働者は、コロナで突然学校が休みになり、大混乱した様子を克明に発言した。社民党副党首の大椿ゆうこさんはコロナ禍で女性差別が顕在化してきたことを告発。最後に、宝島社の女性差別を許さない裁判をたたかっている女性が発言。
集会を終えて、デモに出発。難波からアメリカ村を回り、御堂筋に出てブランド店のネオンがきらめく中、大きく声を上げ、再び元町中公園に帰ってきた。
ウィメンズマーチ大阪の今年の呼びかけ文には「ジェンダーにもとずく差別・不平等・暴力に反対の声を上げ、一緒に大阪を歩きましょう!! ウィメンズマーチ大阪は、誰もが平等・公正に扱われる社会の実現を願い、あらゆる不平等・搾取・支配・排除に反対し、抵抗します。様々な場面で多様なつらさを抱えているみなさんと一緒に声を上げ、連帯し、社会の変革に努めます」と書いてある。楽しい笑顔の中の行動だった。

(本の紹介)
『アナザー・マルクス』
マルチェロ・ムスト著(堀之内出版 2018年)

以前、本紙に『神話なきマルクス』(マクシミリアン・リュベル著)を紹介しました。後のマルクス・レーニン主義者たちがでっち上げた『マルクス主義』と言われるものの真実を暴き、神話なきマルクス像を描く優れた本でした。ただ一つ欠点があったのは原著が書かれた時期が古く、今では参照可能な『MEGA』が初期のものしか参照されていないことでした。
今回紹介する『アナザー・マルクス』(マルチェロ・ムスト著)は比較的最近に書かれたので『MEGA』を参照して書かれており、新たな神話なきマルクス像を描くことに成功しています。マルクスの生涯にわたって書かれていますが、初期マルクスについては日本での研究が進んでいるので物足りなさを感じるかもしれません。しかし生涯にわたるマルクスの実像がいままで日本では知られていない新事実を多く含みながら書かれています。ムストはカナダのヨーク大学の教授で1976年生まれのマルクス思想家です。
僕が特徴的だと思ったところだけを以下に紹介します。『経済学批判』(1859年)の「序言」の有名な「物質的生活の生産様式は、社会的、政治的、精神的生活諸過程一般を制約する」の解釈として従来は決定論的に理解され「社会の上部構造の諸現象は人間の物質的存在のたんなる反映である」と解されてきました。「存在が意識を規定する」という有名な、僕から言わせれば、「ドグマ」ですね。しかしマルクスは、物質的生産の諸形態がどのように知的創造物や知的活動と関連しているかということにドグマ的なアプローチをしていません。そこに「不均衡な関係」があると認識しており、社会全体における様々な領域の間に画一的な関係を仮定するシェーマティックな方法論は取っていませんでした。 他には、「アイルランドの独立をイングランド人プロレタリアートが勝ちとることがイングランドにおけるプロレタリア革命の前提である」と、以前僕が本紙で紹介した「1970年転換」的な階級闘争のダイナミズムの認識も紹介されています。マルクスはその転換を1869年にやり遂げていたのに、後のマルクス・レーニン主義者によって歪曲されていたのです。
1881年に書かれたザスーリチへの手紙では「あなたの言うロシアの『マルクス主義者』は、私にはまったく未知の人びとである。私が個人的な関係をもっているロシア人は、私の知っている限り、まったく反対の見解を持っている」と書いています。言うまでもなくマルクスが未知でありマルクスと反対の見解をもっていたロシア・マルクス主義の継承者こそがレーニンであったわけです。その箇所以外にも「農村共同体」が西欧諸国のたどった歴史的段階を経ずに、すなわち資本主義を通過することなく、社会主義的な変容が可能だということを記述しています。僕が本紙の「『左翼エス・エル戦闘史』読後感」で記述した、ナロードニキ革命家の方法による革命がロシアでは可能であることをマルクスは見通していたのです。
「それがマルクス主義だというならば、私はマルクス主義者ではない」というマルクスの言葉は今日ではよく知られています。

『MEGA』とは

『MEGA』は『マルクス・エンゲルス全集』です。日本で大月書店から出されている『全集』の原タイトルは『Werks』であり日本語では『著作集』と訳すべきでした。大月版『全集』が全45巻なのに比して『MEGA』は全114巻(予定)であり、その構成は、「第T部 著作・論文・草稿/第U部に収録される『資本論』関係のものを除き、哲学・経済学・歴史および政治に関するあらゆる著作・パンフレット・論文・草稿が年代順に収録されます。第U部 『資本論』とその準備労作/『資本論』の著者認許の各版(翻訳を含む)のほか、これに直接関連する著作や草稿が収められます。第V部 書簡集/二人の手紙・葉書・電報のほかに、付録として第三者から二人に宛てた手紙が含まれます。第W部 抜き書き、ノート、欄外書き込み抜き書きノート、個々の抜粋、年表、文献目録のほか、ノートブック、住所録、領収書、覚書が収められます。」とくに晩年の膨大なノート類の存在は最近まで知られていませんでした。ドイツ語で書かれており日本語訳はまだ出ていません。
『MEGA』はソビエトのダヴィト・リャザーノフ(1870〜1938)によって編集が開始され1927年から1935年まで出版されました。リャザーノフがスターリンに粛清されて終わります。その後、1975年から東ドイツの手で再開されて1990年まで続き、それまでに26巻が出版されています。その後、1998年に西欧のマルクス主義者が編集・発行を再開しました。日本人も斎藤幸平や佐々木隆治らが参加しています。(高見元博)

7面

さよなら原発 関西アクション集会
原発ゼロ・核燃サイクル中止へ

「3・11」福島第一原発事故から11年を迎えた3月13日、さよなら原発・関西アクションの集会が大阪市内でひらかれ380人が参加した。デモはコロナ禍のため中止だった。
主催者あいさつで池島芙紀子さんは、「今日はくしくも77年前、大阪大空襲があったときです。私が生まれた天王寺の家もこの日の空襲で全焼してしまいました。なので、毎日のウクライナの状況は決して人ごととは思えないのです」「原子力政策の根幹は核燃料政策にあるんだ、それを忘れるなよと言われてきた。このことが私たちの前に跳ね返ってきている。一刻も早く原発・核燃政策をやめさせる」と。
講談師・神田香織さんは新作「ローマ教皇との運命の出会い」として原発事故で避難した少年が避難先で差別に苦しんだ実話に基づく物語を語った(写真上)

アピール

福井からのアピールを宮下正一さん(原発反対福井県民会議事務局長)がおこなった。 避難者からのアピールを下澤陽子さんがおこなった。下澤さんは、2014年に放射能汚染を逃れ、東京から関西に避難移住。子どもの健康被害から知り得たことをSNS、街頭で発信し続けている。

原発ゼロ・核燃中止を

山崎誠さん(衆議院議員・立憲民主党)が「原発ゼロ・核燃中止を実現するために」と題して講演(写真下)
講演は、一つは原子力にかかわる最近の動きとして、気候危機を契機に息を吹き返す原子力村の動きを批判した。さらに、ロシアのウクライナ侵略・原発攻撃から学ぶことを述べた。3月9日の衆院・経済委員会での規制委員会への質問では、更田委員長は「二国間の武力攻撃は安全審査で想定していない」と答弁。日本に20カ所ある原発で、防衛省はミサイルで攻撃されたら撃ち落とせないと認めている。原発の耐震基準が極めて低く、航空機の落下、軍事的な攻撃は想定していないことを規制委員会の審査の概要は示している(航空機の落下は確率が小さいから追加的防護措置は不要としている)。地震・テロ攻撃・軍事攻撃に対して全く対策がない。一般住宅より耐震基準が低くて、千ガルを超える地震がおきたらどうなるかとの問いに過酷事故が起こると認めているのだ。「再稼働の前にやることがあるでしょ。再エネをきっちり使って省エネやってきちんとやれば十分エネルギー調達できる」と。そうした中で、まだ「革新的原子力」として小型軽水炉、高速炉、高温ガス炉などが画策されている。これらは根拠のない都合のよい説明がなされているが、危険極まりないものだ。
二つは、核燃料サイクルの現状とその問題点・破産性を述べた。政府は第6次エネルギー基本計画にあるように、核燃サイクルを継続し、それを「資源の有効活用、減容化、有害度低減」ということでロジックをすり替えて進めようとしている。
日本の原子力政策は核燃サイクルという原子炉でウランを燃やしたあとの使用済み燃料を再処理し、取り出したプルトニウムのリサイクルをおこなうというものに固執してきた。再処理という化学的分離工程を通してプルトニウムとウランを混ぜ、通常の原発(軽水炉)の燃料の一部として使用するのがプルサーマルである。プルトニウムが余るのは必至というなかでプルトニウムを軽水炉で燃やす計画=プルサーマルが浮上した。MOX(ウラン、プルトニウム混合酸化物)燃料はウラン燃料よりコストがかかるうえ、危険である。プルサーマル自体が事故をおこしやすく事故の際の被害を拡大しやすい。高速増殖炉「もんじゅ」の廃炉で核燃料サイクル計画は破産寸前だ。全国の使用済み核燃料は1・9万トンとなり、貯蔵容量の約8割に達する中で、核燃サイクルの確立が政府・電力資本の課題になっている。だが六ヶ所再処理工場・MOX燃料工場に展望はない。再処理しても、現有の使用済燃料を処理するだけでも24年かかる。プルトニウムは貯まり続ける。いずれの節目でも行き詰まり、破産は必至だ。
なぜ核燃サイクルを止められないのか。それは、使用済み燃料の行き先が決められないこと。立地自治体との約束=最終処分地としない。潜在的核抑止を考えているから、など。 また、次の国会へ提出したいとして、「未来世代法」を紹介した。「これは、イギリスのウェールズがつくったもので、国会事故調のイメージで考えて」と言った。再生可能エネルギーの地産地消。原発の停止と廃止などを述べた。
質疑応答で、「原発ゼロ法案は与党の審議拒否のあげく廃案になった。再度出すのか」という会場の質問に対して、「隠してもしようがない。立憲民主党の構成が変わってしまったので無理」という返事だった。「そのかわり、として、『未来世代法』を国会に提出したい。」と述べた。再稼働も基本的に反対だが条件付きで認める方向だ。
最後に大阪平和人権センター・近藤美登志事務局次長がまとめの発言。集会決議を〈しないさせない! 戦争協力関西ネットワーク〉共同代表の増田京子さんが提案し、拍手で採択された。
反原発運動の強力な闘いで原発廃止を実現しよう。

〈投稿〉
「忘れまい3・11を」
JR尼崎駅前でリレーアピール

昨年の「3・11」は10周年で、何らかの行動提起が求められていたが、あいにくのコロナ禍の蔓延で、阪神間では、当日の集会や行動がありませんでした。フクシマ原発事故10周年で、何もしないわけにはいかない、反戦タイガースがJR尼崎駅北の街頭宣伝を呼びかけ、10数人の方々が参加。みどり、立憲、共産の議員を初め様々な団体や個人でリレーアピール、スタンディング等が実現できました。

11年目の「3・11」

今年こそと、私が所属する、さいなら原発尼崎住民の会の2月例会で提案すると、会主催でしようということに決定。呼びかけチラシ、当日の配布チラシ、パネル等々、会員で分担して取り組めました。反原発2団体(チェルノブイリ・ヒバクシャ救援関西、若狭ネット)や兵庫県議・北上さんからのメッセージも届き、印刷紹介できました。 当日、18時開始にはJR尼崎駅北2階デッキには20数人ちかくが参集。三々五々参加者が増え、最終的には50人に。 まず、主催者代表の広畑さんが開会のあいさつ。次に、「3・11」犠牲者に加え、始まったウクライナ戦争の犠牲者を追悼する黙想。チェルノブイリからの日本避難者で歌手のナターシャ・グジーさんのCDをBGMに流しました。 その後、参加者によるリレーアピール。元衆議院議員でれいわ新選組の辻惠さん、みどりの丸尾牧県議、迫田市議、立憲の綿瀬市議、〈関電の原発マネーを告発する会〉末田さん、阪神福祉会理事長の中村さんらからアピールがありました。結びにグジーさんの「翼をください」の歌声で集いを閉じました。その後、残った有志で記念撮影(写真上)。やりがいある集いでした。(反戦タイガース)

3月5日奈良 原発ゼロ、被災者支援
「原発のない脱炭素社会」

3月5日、「原発ゼロ、被災者支援奈良のつどい」(主催:同実行委員会)が、JR奈良駅前ひろばでおこなわれた。早春の陽光がふりそそぐなか、実行委に参加する市民団体が物産販売などをおこない、通行人も立ち寄った。集会参加者は350人。
12時半から集会がはじまった。第1部は市民サークルによるコンサート、第2部は集会。集会では、吉田明生さん(京都脱原発訴訟原告団・事務局長)が講演をおこなった。吉田さんは原発の電気を使わない運動と老朽原発を廃炉にする運動などについて、やさしく語った。その後、3団体(原発賠償京都訴訟原告団、メガソーラーを考える奈良の会、市民エネルギー生駒)の代表から決意表明があった。
「気候変動」を口実にして、再生可能エネルギーの推進が叫ばれ、奈良県内では各地でメガソーラーの開発計画がおきている。これによって、豊かな自然が破壊されようとしている。資本主義にかわる「原発のない脱炭素社会」の実現が求められているのだ。
「集会アピール」では、子ども甲状腺がん裁判にたいする支援が訴えられた。また、「ロシアによるウクライナ侵略に抗議し、即時撤兵を求めるアピール」を全体で確認した。
集会後、三条通りを元気にデモ行進した。

8面

絹川聰同志を追悼する
革命家の立場で『資本論』を読み解く

絹川聰(松崎五郎)同志は、1月28日コロナ発症し、重症化し人工呼吸器治療を受け、コロナからは回復しリハビリの病院を探している時に、高熱が出て肺炎になり糖尿病も悪化し、2月28日早朝帰らぬ人となりました。享年77。
絹川同志を失った悲しみ、後悔、悔しさに苦しみます。大阪市の保健所が機能不全で医療崩壊し、入院要請を何度しても全て断られる中で、重症化させ、命を守ることができなかったことは、慚愧に堪えません。
絹川同志は、共産主義者であることを誇りとし、党創生以来、革命運動を牽引してきました。大阪・天王寺高校1年生の4月から、1960年安保闘争のデモに参加。6・23御堂筋デモの人の多さに大感激。1963年大阪大学理学部数学科に入学。64年6月からデモに参加し、64年7月マル学同中核派に加盟。デモに行くようになったきっかけは、クラス討論に来た自治会執行部(民学同系)が、毎回「暴力反対」を繰り返すので、「革命とは暴力でしょう。資本家や権力者に労働者・人民の意思を強制するのですから」と反論したことから。以来、絹川同志は1回生と2人だけに運動を任され、学内活動を自分で考えて闘っていく。66年5月末には学生大会開催要求署名を集め、教養部の臨時学生大会を成立させるが(60年以降初めて)、投票ではわずかの差で敗北。たった2人から始め、活動家を2年間で10人程に増やし民学同と大衆レベルで対等になるまでにした。1966年秋には文学部自治会委員長に初めて中核派がなった。
67年1月から大阪市北区黒崎町の前進社を軸に活動。高校生対策部となり、66年1月に結成された反戦高協大阪府委員会の運動を指導した。毎週土曜日に梅田・阿倍野で署名活動をし支持者・活動家を増やしていった。マルクスなどの学習会も開催。当時高校生のデモは大阪で百人にもなった。1968年1月米原子力空母エンタープライズの佐世保寄港阻止闘争に参加・逮捕。68年2月革命的共産主義者同盟に加盟。69年10月から反軍担当。
70年代の早くから非公然活動の任務を担う。94年から前進社専従。活動の傍ら理論問題をテーマに据えて研究し、マルクスの『資本論』の学習会を開催したり、天皇制や古代史ついても論文を執筆。本質を見抜く力に優れ、清水丈夫、高山や与田らの党の指導の誤りにいち早く気づき、2006年3・14決起に参加。2020年、椿の党と運動を解体する策動と断固として闘った。椿らは党を破壊することができず、脱落・逃亡した。そのことによって、党の過去と未来を守ってきた。

『資本論』研究

絹川同志の功績は、革命家の立場でのマルクスの『資本論』研究にあると思います。『資本論』を、ボロボロになるまで読み込んでの解説・新見解には、画期的なものがあります。宇野弘蔵氏によって資本主義は「原理的には不滅」とさせられたが、マルクスは「資本主義(経済)の発展は必ず行き詰まり一大破局がくる」ことを論証していると主張。「未来社会(共産主義社会)とは、金融資本(貨幣資本)をなくし、実体経済に戻すことだ。未来社会では、あり余る生産によってはじめて経済は制御・統制される」というのは目からうろこでした。絹川同志が貨幣資本や擬制資本がいらないと言ったことは実に重要です。
「つまりマルクスは、貨幣資本や擬制資本がいかに不条理で、現実経済をどれほど歪めているかを明らかにしているのです。しかし資本主義では、資本あるいは資産の膨大な部分がこの仮空・擬制資本でなりたっているのであって、しかもその仮空資本が社会の主人公として振舞っているのです。どうしてこのような転倒した社会を認めることができようかと、マルクスは言っているのだと思います。・・・(略)・・・『資本論』で、マルクスが論理的に不条理で不必要だというものを取り除いたら、未来社会論=共産主義的生産論になるのです。『資本論』は、単に資本制的生産を解明しているだけではなく、解明を通して資本制的生産の終りを論理的に展開しているので、それがそのまま共産主義社会論になっているのです。もちろん、その不条理で不必要なものを取り除くためには、プロレタリア革命が絶対に必要なのですが。」(本人著 左記小冊子86頁より)
そして、今の金融賭博・投機の全面化した資本主義は、資本主義自身を自己否定する段階に至った。プロレタリア革命はすぐ目の前に来ていると訴えました。そして、崩壊期には「労働組合から協同組合工場へ」が資本主義の突破の道と訴えた。
絹川同志は、『資本論』から学んで、革命の導きの糸を示してくれました。非公然活動中から長年に渡って『資本論』を勉強し、2004年1月から22年1月まで18年間毎月『わいわい通信』を発行し、小冊子『「資本論」における資本制生産の崩壊論―宇野経済学の根本的批判―』(06年9月)を自費出版し、ブログでも発信し続けました。「松崎五郎」あるいは「資本主義の終り論」で検索すれば、これまでの論文をブログで見ることができます。絹川同志は、料理が得意で、事務所で毎日おいしいカレーや、おでん、粕汁などをいっぱい作って皆に振る舞い、おやつも準備してくれました。優しくて、気配りのある、大きな存在でした。
悲しみを乗り越え、絹川同志の遺志を引き継ぎ、革命を成し遂げ、真に人間が解放された未来社会(共産主義社会)を創るために闘います。(村上ひとみ)

〈投稿〉
『中国共産党100年の歴史決議』を読んでみた(下―2)

(承前)
3,中国「改革開放・社会主義現代化」の現在と未来

中国共産党は、「民族解放」を「中華民族の復興」と言い換え、一国的な社会主義の建設に留まることで米帝国主義等との平和的な外交関係を維持し、ここ数十年特異な経済的発展を実現してきた。
しかし、現在、中国の経済発展がこのまま続けば米帝国主義の覇権が崩壊するという、あたかも20世紀の「帝国主義の不均等発展の矛盾」のような矛盾を現出させ、帝国主義の中国への圧力が急速に強まっている。 中国が20世紀初頭、日本など帝国主義列強の侵略によって植民地化されたこと、それに対して共産党が民族解放戦争を勝利させたこと、1978年以来の「改革開放・社会主義現代化」が国際的な一定の対外条件の中で驚異的な経済発展を実現させた、さらに現在、帝国主義が中国への様々な圧力を加えるようになったことからして、再び帝国主義に従属することへの回帰を望まない中国人民にとっては、『歴史決議』は相当の説得力があるものといえるであろう。
しかし、『歴史決議』自身が認めているように、中国は最早「従来の発展パターンの継続はもはや困難である」現実に直面している。中国を取り巻く国際環境が変わり、党の腐敗、党と人民の矛盾、経済格差などの矛盾等、様々な問題が噴出している。
これに対して中国共産党は、「改革開放には終わりはない」として「改革開放」の路線をあくまで推し進め、ひたすら党の中央集権的な強化をはかり、香港などの民衆の抵抗に対しては「むやみに譲歩すれば(外部勢力に)際限なく虐げられ、我慢すればさらなる屈辱を招くことになる」「外部勢力による干渉を断固として防ぎ食い止め、分裂、転覆、浸透、破壊活動に厳しい打撃を与える」として苛酷な弾圧をおこなっている。だが、このような硬直的な権力的対応は早晩必ず行き詰るであろう。
逆に、中国の人民が硬直した党を乗り越え、新しい民主的な社会主義の建設とその国際主義的な連帯闘争に踏み出した時、世界は大きく変わっていくのではないだろうか。(おわり)
2022年1月11日 佐藤 隆

〈寄稿〉
藤原辰史さん(京都大准教授)を迎えて
「食と農業の今」の成功を(下)

(承前)
そこにあった小規模(家族)農業を破壊し、農地を根こそぎ空港に変えようという計画で、高度経済成長に向かう大資本の論理でしかありませんでした。そこに何の正義性も正当性もなく、冨里農民の怒りを買い、千数百の農民が県庁に突入するなどの闘いが繰り広げられました。農業基本法制定直後のこの事態は、国の「国策」(第2東京国際空港建設)が、小規模(家族)農業の切り捨てを前提としていた以外の何ものでもないことを示しています。
 追い詰められた当時の佐藤政権が、1966年6月、突然の佐藤・友納(千葉県知事)会談によって、正常な手続きを得ないまま三里塚空港案が出来上がり、その7月4日には閣議決定が強行されたのです。「説明会」などの地元住民・農民への「民主的手続き」は一切おこなわれませんでした。後に「ボタンの掛け違い」と言われた事態です。
 こうした経緯をもつ三里塚闘争を考えていくにあたって、戦後の農業、「食と農業の今」をまず学び、それを入門としてこの国の農業問題、食糧自給率が37%という惨状について考えていくことが大事なのではないでしょうか。
 4月10日、エルおおさか(大阪市中央区)で午後2時から、京都大学准教授の藤原辰史さんを招いて、「食と農業の今」と題して、三里塚集会を開催します。集会ではゲストとして三里塚現地から反対同盟の萩原富夫さんのアピールも予定しています。ぜひ、ご参加ください。(三里塚関西実行委員会 松原康彦)