プーチン・ロシアのウクライナ侵略を許すな
全世界の連帯で戦争とめよう
核武装に言及の安倍・維新弾劾
ロシア軍のウクライナ侵攻に対し、ウクライナ人を先頭に2000人の抗議行動(2月27日、東京・渋谷) |
ロシア・プーチンが世界戦争に火をつけた。核恫喝を振りかざしたウクライナ人民へのジェノサイドは許されない。同時に、米・欧・日の帝国主義政府の軍事対応は、戦争の危機、プーチンの侵略を促進する。プーチンの暴虐を止める力は、全世界人民の連帯した闘いにある。
ウクライナ侵略に怒りを
ロシア軍は、2月24日に侵攻を始め、現在、キエフ・ハリコフの2大都市を包囲し、南部の都市に侵攻し、2つの原発および核施設を攻撃し占拠している。プ―チンは、最初からウクライナの現政権の打倒、全土の制圧を目的としていた。開戦10日間で、ウクライナ市民364人が犠牲になり、150万人が国外に逃れた。ある推計では、遠からず、総人口4400万人のうち4百万人が難民化して国外に逃れるだろうという。
全世界でプーチンの侵略を弾劾する怒りのデモが闘われている。何よりもロシアでは開戦初日に60都市でウクライナ侵攻反対のデモが起こり、この日だけで1800人が逮捕、第2の日曜日の3月6日には4500人が拘束され、すでに逮捕者は1万人を超えた。侵略に反対するロシア市民は、「私がロシア人であることを恥じる」という声をあげている。いま問われているのは日本の労働者人民である。ウクライナは、米・欧・日の帝国主義とロシア・プーチンによって将棋のコマのようにもてあそばれている。
米とNATOが戦争の火をつけた
2008年に当時のブッシュ米大統領は、ウクライナとジョージア(旧グルジア)のNATO(北大西洋条約機構)加盟を促進する具体策をNATO首脳会談で提案している。軍事同盟に即加盟しろなどというのは理不尽極まりない。当時、ウクライナの労働者人民の中で対ロシアの軍事的最前線に立たされるNATOに加盟したいと考える市民はほとんどいなかった。今回も米国のバイデンは、2月26日に、「選択肢は第3次世界大戦か代償を払うかだ」と声明した。感染の再拡大とアフガニスタンの失陥、物価の高騰などの失政を対露排外主義と軍事的対抗を煽り、のりきろうとしている。
NATOは紛れもない軍事同盟である。米国は欧州に9万人の軍隊を派遣・駐留させており、主要国には核兵器も配備している。97年にポーランドなど3カ国、2004年にバルト3国など7カ国をNATOに加盟させ、ルーマニアとポーランドにイージス・アショアを配備している。対ロシアの挑発的軍事拡張を続けてきた。プーチンは追い詰められ、バクチ的な賭けに打ってでたのである。
今後の戦局はどう推移するであろうか。ロシアが核ミサイル部隊や空挺部隊などの精鋭部隊をいくら動員しても、寸土を争う地上戦となれば、ウクライナを簡単に屈服させることはできない。アフガニスタンのように10年越しの過酷な戦争になる。首都が陥落しようと、ゼレンスキーがとらえられようと、ゲリラ戦は終息しない。いま必要とされるのは、軍事援助などではなく、各国の労働者人民の自国政府の侵略加担と軍事的対抗を阻止し、ウクライナ人民への真の連帯を組織することだ。経済制裁など百害あって一分の利もない。
安倍元首相は、プーチンの共犯者である。14年、ロシアによるクリミア併合が大問題になって欧米諸国をはじめ多くの国がソチ五輪をボイコットしているときに、安倍は首相として、開会式に出席し、クリミア併合を容認した。
その安倍元首相が、米国の核兵器を日本に配備し、有事に日本が使えるように協力するという「核共有」を検討すべきだと主張しだした。改憲の先兵である橋下徹と日本維新の会はそれを「積極的」な意見として主張している。
ロシア領事館に抗議(3月1日、大阪府豊中市) |
安倍元首相はプーチンの共犯 安倍追随の岸田打倒を
ウクライナは91年のソ連崩壊、独立達成によってソ連時代の核兵器をそのまま引き継ぎ、世界第3位の核保有国になっていた。それを1994年の「ブダペスト覚書」で、核兵器の放棄と引き換えに独立や領土保全をロシアと米英に保障させたのである。脅迫や軍事的敗北によってではなく、自らの意思で核兵器を放棄した稀有な国である。そのウクライナを核恫喝するプーチンはもちろん、その困難な局面を利用して、火事場泥棒的に「核共有」等を主張する安倍と維新は全世界の労働者人民の敵である。
安倍元首相だけでなく、自公政権は一貫して近隣の中・韓・朝と対立を深め、ロシアとは穏やかな関係を続けてきた。それを受け継ぎ、岸田政権は、敵基地攻撃論や沖縄をはじめとする南西諸島戦略を強化しようとしている。ロシア批判を対中国排外主義にすりかえ、改憲動向を強める岸田政権と維新を今こそ、追い詰め、打倒しよう。
存亡をかけてたたかうウクライナ人民と連帯し、日本の軍事大国化と改憲と核武装化を阻止しよう。中国・韓国・朝鮮・台湾人民と連帯し、日本の侵略、再侵略を打ち破ろう。
2面
ロシア軍の即時撤退を
総がかり行動が緊急行動
2月27日東京・新宿
2月27日午前、新宿駅西口で「戦争させない・9条壊すな! 総がかり行動実行委員会」の呼びかけによる「ウクライナ侵略糾弾! ロシアの即時撤退を求める2・27緊急アピール行動」がおこなわれ、前日の呼びかけにも関わらず新宿駅西口を埋め尽くす多くの市民が結集した。(写真)
司会は菱山南帆子さん。宣伝カーの上で社民党・福島瑞穂参院議員、立憲民主党・吉田晴美衆院議員(他に柚木道義衆院議員・辻元清美前衆院議員も参加)、日本共産党・小池晃参院議員がロシアのウクライナ侵攻を糾弾するとともに、ロシア国内での凄まじい反戦闘争をはじめ世界中の反戦の声と共に闘うこと、この機に乗じて「敵基地攻撃能力」整備や9条改憲を喧伝する動きを許さないことを訴えた。
市民連合運営委員・高田健さん
「ロシアでは60もの都市で反戦デモがおこなわれ、3千人も逮捕されながら声を上げている。NATO拡大は反対だが、武力による侵攻は正当化できない。ウクライナが進む道を決めるのはプーチンでもバイデンでもない」「この情勢を利用して憲法9条破壊・軍備拡張する動きに反対する。米国のロシア批判は、大いにやってくれ。あなたたちも反省せよ。『声を上げてもプーチンに届かない』と言う人もいるが、黙っていたらもっと届かない」
改憲問題対策法律家6団体連絡会
「(ロシアのウクライナ侵攻は)国際法・国連憲章いずれにも違反している。『(ウクライナにあるロシア系住民による)2つの独立国』を守るための軍事行動だとしているが、日本がかつて『満州国』を使った歴史がある。居留民保護と集団的自衛権を理由に戦争をやってきた。ロシアも同じこと」「ロシアでも(反戦デモで逮捕者を出しながら)闘っている。敬意を表したい。声を上げただけで逮捕される社会はごめん。そのような法律作りが日本でも進められている。もっと関心を持たねばならない」
日本山妙法寺僧侶・武田隆雄さん
「『災害の後に戦争が来る』とは言われるが、コロナ禍の中で戦争が始まった。身寄りがなくなった人が逃げ惑う姿は涙なしには見られない。独立と自由ほど尊いものはない」
戦争をさせない1000人委員会・藤本泰成さん
「(街宣への参加を呼びかける)メールを流したのが昨日午前中。(大勢集まってくれて)本当にありがとうございます」「2月21日にウクライナ東部のロシア人地域の『独立』を承認したが、2014年のミンスク合意から10年も経っていない。ロシアも結んだ合意を一方的に破棄している。これまで一つ一つ積み上げてきた国際的秩序を破壊する行為。戦争は必ず『自衛のため』と称しておこなわれてきた。1939年、ナチスと旧ソ連が条約を結んで、ナチスはポーランドに侵攻した。『ドイツ系住民保護』を理由としていた。ソ連も侵略した。『自存自衛』と『大東亜共栄圏』は戦争のスローガン。戦後、吉田茂首相が国会答弁で『自衛権の発動と交戦権は永久に放棄する』『戦争は自衛の名のもとにおこなわれた』ことを忘れてはならない」「戦争で死ぬのは国の指導者ではない。無辜の市民が大きな犠牲を払うことを指導者たちは忘れてはならない」「3月4日18時半からロシア大使館前で抗議行動をおこなう。3月6日14時から新宿駅東南口で『総がかりユースアクション緊急行動』をおこなうのでご参加を」
ロシア領事館に抗議行動
全世界の人々が反戦の声
3月1日大阪・豊中
3月1日、小雨が降る中、それをものともせず百人が集まり、大阪府豊中市にあるロシア領事館に対する抗議行動が〈しないさせない戦争協力関西ネットワーク〉主催でおこなわれた(写真)。抗議行動の中には英国人の男性やウクライナ人の女性もいた。ロシアはウクライナへの侵攻をただちにやめろとシュプレヒコールが沸き起こった。主催者が、ロシア領事館に申し入れ書を手渡すためインターホンを押したが誰も出てこなかったため、申し入れ書をポストに。こういうロシア領事館の対応に現場ではさらに怒りが。
ウクライナに対する侵攻=侵略が明らかになるとロシア国内の数十の都市で反戦デモがおこり6千人を超える人たちがプーチンによって拘束されている。欧州各地では2月26日、パリで2万人、ウィーン等々で反戦デモがおこなわれ、27日にはベルリンで10万人、さらにロンドン、マドリードで反戦行動がおこなわれている。
日本では2月26日、東京・渋谷で2千人の抗議行動がおこなわれ、プーチンの核使用をにおわす発言に被爆地広島、長崎でも抗議行動がおこなわれた。翌27日には渋谷、札幌、浜松、名古屋、京都、那覇でも抗議行動が。
今もウクライナ民衆の血が流されつづけている。こんな戦争は直ちにやめさせなければならない。戦争を止める力は国家の枠をこえた民衆の力にある。
兵庫でも連日決起 神戸・尼崎
労働組合の決起も始まる
ウクライナからロシア軍の撤退を求める緊急行動が連日各地でおこなわれている。
3月3日15時、神戸・三宮マルイ前で兵庫県下の市民団体42で構成する「こわすな憲法! いのちと暮らし! 市民デモHYOGO」の木曜行動拡大版として、プーチン・ロシアのウクライナ侵攻を弾劾する行動が70人の参加で行われた。MBSや神戸新聞の取材もあり、ロシアの映画に詳しい女性や、ロシア語を混ぜての青年など10人近くからアピールを受け、「ウクライナ侵攻弾劾、全世界の反戦の声で戦争を止めよう」と訴えた(写真上)。
7日は尼崎地区労が呼びかけ、阪神尼崎駅前に地区労傘下の労働者や市民グループが小学生ら3人の子どもも含め35人参加し、ロシアのウクライナ侵攻に反対し抗議行動をした。「戦争反対、プーチンやめろ」のコールが道行く市民にとどろいた(写真右)。
戦争反対の声
東大阪でも拡がる
〈オール東大阪市民の会〉〈戦争あかん!平和がええやん! 憲法まもる東大阪の会〉の共催で3月4日、午後6時から東大阪市の布施駅前でロシアによるウクライナ侵略に抗議する行動を28人でおこなった。多くの人たちが反戦の思いを訴えた。中でも90歳を超える高齢の女性の戦争の悲惨さを訴える言葉は胸を打った。翌5日も午後1時から布施駅前で抗議行動がおこなわれたが、前日の2倍以上の60人を超えた。
私たちは赤字に白で「ロシアよ、殺すな!」と書かれた手作りの横断幕を持って参加。この横断幕には、今の大阪の閉塞した状況を打破したいという思いが込められている。横断幕を徹夜で完成させた3月4日午前、私たちは大阪府豊中市にあるロシア領事館前に行き、そこで無言で抗議し、夕方の東大阪の行動に合流した(写真)。
ロシア国内で立ち上がる人たち
インターネットによれば、ロシアのウクライナへの侵略戦争が開始されるとロシア国内で戦争反対の声があがった。数十の都市で反戦行動がおこなわれ、プーチン政権によって拘束された人たちは7千人を超えると伝えられている。
1941年〜42年、9百日にわたって激しく闘われたレニングラード攻防戦を生き延びたエレナ・オシポワさん(女性)は、自分のプラカードを持ってウクライナへの侵略反対を訴え、警察に排除される姿がインターネットで流れている。
ロシア語やさまざまな言語による戦争反対署名はネットで2百万筆を超えたともいわれている。パリで2万人、ベルリンで10万人の反戦デモが起きている。
今も、ウクライナの民衆の血が流されている。戦争を止めるための行動に立ち上がろう。(三船二郎)
3面
関西生コン 大阪第二次弾圧 不当判決
組対法・共謀罪先取り
大阪高裁にむけ抗議のシュプレヒコール(2月21日) |
2月21日、「本件各控訴をいずれも棄却する」が主文の大阪ストライキ2次事件控訴審の判決が出された。西山執行委員と柳元副委員長に対する懲役2年6月、執行猶予5年という一審判決が維持される不当判決だ。判決前の午後2時から200人の労働者市民が高裁に怒りの声を叩きつけた。
産別運動を敵視
一審判決は、宇部三菱大阪港SSの専属輸送業者である植田組などに「関生支部の組合員は存在しない」、だから、「関生支部との関係で争議行為の対象となる使用者とはいえないことに照らせば、組合員らの行為が正当行為としてその違法性が阻却される余地がない」とした。労働法の無知、無理解を厳しく批判された代物だ。
控訴審判決は「労働組合が労働条件の改善を目的として行う団体行動である限りは、直接労使関係に立つ者の間の団体交渉に関係する行為でなくとも、憲法28条の保障の対象に含まれるというべきである」と産別運動に理解を示すポーズを示した。しかし、「社会通念上相当と認められる行為に限り、その正当性が肯定され、違法性が阻却されうる」が「関生支部組合員らの行為は、到底平穏なものとはいえ」ず、組合の行動は限度を超えてやり過ぎだというのだ。
判決内容を報告する太田建義弁護士と被告の西山直洋さん(右端)ら |
「業務妨害」は自作自演
そもそも大阪港SS事件の場合、セメントメーカー宇部三菱と植田組は、関生支部の説得活動を威力業務妨害事件に仕立て上げる方策を事前に打ち合わせていた。検察は、ストの様子を撮影した動画を証拠として提出し、公判で動画を再生して業務妨害だと言い張った。しかし、映像では車輌の前に立ちはだかっていたのは会社側の管理職5〜10人であり組合員ではなかった。しかも会社側証人は、当日はセメントの注文がほとんどなかったことなどを認めていた。
それにもかかわらず、一審判決は「輸送業務を強烈に阻害」と認定した。そして控訴審判決は、一審判決のこの「強烈に阻害」という判断をあくまで正当化し、植田組らの行為は「企業活動をする者として当然のこと」との詭弁を弄して、自作自演の業務妨害劇を擁護し、関生支部の行動は「説得活動等としては大きく限度を超えていた」と決めつけた。
中央大阪生コンの関生支部排除も容認
中央大阪生コン事件の場合も「使用者でもなく、争議行為の対象ではない、単なる取引先企業に対する就労要求や抗議活動にすぎないところ」として中央大阪生コンの不当な意図と行為の責任を免罪した。同社は、関生支部組合員を排除するために、近酸運輸との専属輸送契約を打ち切って工場からミキサー車を退去させた。組合つぶしの不当労働行為だ。これに抗議する当然の関生支部の行動を、「到底平穏とはいえず」「限度を超えている」とした。
控訴審判決は、判決を読み上げる中で2度にわたって組合員を「組員」としたことに示されるように、予断に満ちた、組織犯罪対策法や共謀罪の先取りという性格を併せ持つ凶悪な判決といわねばならない。
直ちに上告
判決は産業別労働運動とストライキに対する裁判所の敵意があふれている。安倍政権以来、日本は「戦争をしたがる国」になろうとしている。労働組合が弾圧されるとき戦争は近づく。すべての労働組合の団結権保障にかかわるとして関生支部は上告した。運動の力でともに弾圧をはね返そう。
兵庫に維新市長は要らない
暴走維新を3月西宮で止めよう
昨年10月総選挙以降、維新の暴走発言にブレーキがかからない。まずは松井代表の「7月参議院選時に、改憲国民投票」。これで立憲民主党に揺さぶりをかけ、立憲の動揺を横目に、国民民主党は政府与党に急接近。芳野友子連合会長の反共攻撃も止まらない。
コロナ第6波の対策を取らないまま、正月に橋下・松井・吉村はテレビに出まくり言いたい放題。この橋下の暴走を菅直人元首相が「弁舌ではヒットラー」と批判するや、維新共同代表の馬場がテレビクルーをつれて「私人の橋下」擁護のため、菅の事務所に直撃抗議。が「橋下と維新は何の関係もない」ことを認めた馬場は赤恥退散。1月初旬から大阪・兵庫にコロナ第6波が爆発し、大阪の死者数が全国一になるや、吉村は暗い顔で責任転嫁。代わって馬場が兵庫維新塾で「兵庫攻略は3月西宮市長選から」とぶち上げた。
2月末ロシア・プーチンの核恫喝を背景にしてのウクライナ侵攻が始まるや、維新創業者の橋下はまたまたテレビジャックで勝手な評論。その傍若無人ぶりには、タレントのカズレーザーから「ウクライナのことはウクライナの人が決める」とたしなめられても発言は止まらない。
さらに大石あきこ衆議院議員らを「名誉棄損」で訴え、3月11日には第1回弁論が開かれた。
挙句の果ては、安倍と一緒になって、核の脅威には核論議を解禁すべきと「非核3原則」破壊の急先鋒に。プーチンと安倍と橋下は「核信仰3兄弟」である。
ぶれない新自由主義と超保守主義が同居
改めて確認するが維新の本質は、新自由主義破産の時代に、ぶれずにあくまで民営化=私企業化を行政権力の行使を通じて進める事にある。大阪都構想=大阪市消滅を2度敗北してもあきらめないことが、彼らの本質=本性なのだ。この中で大阪の医療・教育・地域社会が徹底して破壊された。その結果コロナ感染死者数は東京を抜いて全国一をキープしている。
ついで野党第一党を狙い政権に食い込もうとする過程では、岸田政権を右から揺さぶり、さらに右へ牽引する突撃隊の役割を果たしている。
松井の改憲国民投票発言や橋下の核武装解禁発言はその典型だ。これは松井ら4幹部だけでなく、維新の首長・議員などにも極右分子が入り込み反動化を強めている。
3月27日投開票の西宮市長選に立候補表明した人物は、文教都市西宮の教育改革・学力アップのために、大阪型の塾クーポン券配布や、中学給食無償化とともに、聞きなれない「皇統教育の充実で学力UP」を公約に掲げている。皇統とは戦前少国民が丸暗記させられた「ジンム・スイネイ・アンネン・イトク・コウショウ」から始まる天皇の系譜を学ぶということ以外意味しない。これのどこが学力UPなのかは意味不明だが、わざわざ文教都市の公約に掲げる思想は高市早苗や杉田水脈なみの極右と言っていいだろう。
公教育を徹底的に民営化・私企業化し、グローバル資本の求める一握りのスーパーエリートと高度専門技術職以外は、いつでも取り換えの利く非正規職にし、愛国心をつけていく、これを教育の場で実現するのが安倍の教育基本法改悪の意図であったが、今日この道をブレずに貫徹するのが維新に他ならない。
3月西宮市長選勝利でこの道を阻止しよう。
嘘八百の維新政治 2月27日 西宮集会
市民ひとり一人の決起がカギ
2月27日、兵庫県西宮市内で、れいわ兵庫議員勝手連が主催する「西宮に維新市長は要らない」集会が80人の参加で開かれた(写真)。
講師の薬師院仁志帝塚山学院大教授は、「大阪以外の人に今こそ維新の正体を知ってほしい。本気です」と1時間にわたる熱弁をふるった。「特に橋下以来の維新の言動は『言ったもん勝ち』ででたらめばかり。それを打ち破るには2回勝った住民投票、特に2回目のように、市民ひとり一人が自分の地域で決起が必要」と、1カ月後に迫った市長選に警鐘を鳴らした。これを受け丸尾牧兵庫県議やよつや薫西宮市議が3月西宮・10月尼崎市長選勝利の決意を述べた。全体をつじ恵元衆議院議員が報告・司会・進行し、市民の決起につながる好企画となった。
4面
2月22日 大阪高裁判決 国に初の賠償命令
「除斥適用は正義・公平に反する」「国が差別・偏見を助長」
国は上告取り下げし ただちに謝罪と賠償を
大阪高裁で画期的な勝利判決が(2月22日) |
大阪高裁(太田晃詳裁判長)は2月22日、旧優生保護法(以下、旧法)による強制不妊手術をめぐって、近畿地方に在住の男女3人が国に計5500万円の賠償を求めた控訴審判決で、原告の訴えを退けた一審大阪地裁判決を取り消し、国に計2750万円の賠償支払いを命じた。知的障がいを持つ佐藤由美さん(仮名)による2018年1月の全国初の提訴(仙台地裁)以降、全国9地裁・支部で起こされた計25人による訴訟で、19年5月の仙台、同年6月の東京、20年11月の大阪、21年1月および2月の札幌、同年8月の神戸の各地裁判決はいずれも請求を棄却した。今次大阪高裁判決は20年11月の一審大阪地裁での原判決を覆えすとともに、19年5月の仙台地裁判決以降計6回の連続敗訴にストップをかけた大きな勝利である。
原告の3人は次の方々である。
空ひばりさん(近畿地方に住む知的障がいをもつ女性。78。18年9月に提訴)
15歳の時にかかった日本脳炎の後遺症で障がいが残り、21歳の1965年頃、母親に連れていかれた病院で何も知らされずに不妊手術を受け、92年に死別した夫には真実を告げられないままだった。地裁の口頭弁論では「身体を元に戻してほしい」と訴えつづけてきた。姉は(20年11月の大阪地裁の不当判決に)「妹は長い間苦しんできた。請求が認められず残念に思う」と語った。
野村さん夫妻(大阪府在住。花子さん〔仮名。70代〕、夫・太朗さん〔仮名。70代〕。19年1月に提訴)
生まれつき耳が聞こえない花子さんは、3歳の時に発熱で聴覚を失った太朗さんと1970年に恋愛結婚。花子さんは妊娠9カ月目の74年5月、病院で医師から胎児に異常があると言われ、帝王切開で出産することになった。しかし、出産日の翌日、病院から夫・太朗さんに「子どもは死亡した」と連絡がきたが、医師から詳しい説明はなかった。夫妻はその後も子どもを望んだが、花子さんは1年以上経っても生理が来ないことを不審に思い、友人に相談したところ「不妊手術をされたのではないか」と言われ、母に聞くと、「赤ちゃんはもうできない」と言っただけで言葉をにごした。帝王切開と同時に不妊手術をされたと感じた。2018年、聴覚障がいのある夫婦が不妊手術を強いられたとして神戸地裁に提訴したことを知った。「同じだ」と思い、弁護士に相談して19年1月に提訴した。提訴から3年が過ぎ、20年11月の大阪地裁の敗訴を経て太朗さんは立っているのもしんどくなり、体力の限界を感じてきたが、謝罪しない国への怒りは収まらず、裁判を諦めようとは全く思わなかったという。今回の逆転勝訴は、まさに原告の方々の命がけの闘いのたまものだった。
大阪高裁の判決は、計2750万円の賠償額の内訳を次のように提起した。
空ひばりさんに1430万円、野村花子さんに請求通り1100万円、夫・太朗さんに220万円。手術を受けた当該に対する権利侵害と「一体不可分の関係にある」として配偶者の権利侵害も認めた。
今次判決は、「除斥期間」適用による仙台、東京、大阪、21年1月の札幌、神戸と続いた請求棄却(21年2月の札幌は強制不妊手術の事実自体を認めず)にもストップをかけた。
さらに、憲法第13条(個人の尊重)、第14条(法の下での平等)に反することを理由に「旧法は違憲である」と高裁としての初判断をした(地裁では、仙台、大阪、21年1月の札幌、神戸が違憲判決。東京および21年2月の札幌は判断を回避)
原告の方々は、裁判官に対して全身で、不妊手術を強制され、子どもを持つ機会を奪われたことの怒り、悔しさ、苦痛、悲しみを、生涯癒えることも消えることもない深い心身の傷を、いわれのない差別に苦しみ、しかし真面目に懸命に生きてきた人生を、語った。裁判官は、それに対して、裁判官である前に一人の人間として、一人ひとりの原告とその叫びに正面から向き合い、受けとめ司法の果たすべき責任を心に銘記して、誠実かつ冷静に法律的判断を下した。ある意味で、当たり前のことを当たり前にやった判決だと言える。その上でしかし、除斥期間の適用が司法判断の大勢であるかのような状況の中で、あえて異を唱えて適用の制限を判断し、国による差別の固定化・助長を厳しく指弾した勇気は讃えられるべきである。また、出世等の誘惑を絶ち、権力者におもねることなく、司法のあるべき姿を示したことも大事なことだ。画期的判決である。
「個人の尊厳の尊重」をつらぬいた判決
太田裁判長は、憲法の精神、特にその第13条の理念について、深く理解していた。それは、原告の方々一人ひとりとその叫びに正面から向き合った姿勢によく表れている。また、判決文全体がそのことをよく示している。
第13条前段は基本的人権を保障する憲法第3章の総則として、「すべて国民は、個人として尊重される」と規定している。要するに、個人を、「生産性があるから」とか「国家の利益に貢献したから」とか、同種のあれこれの理由からではなく、ただ「個人だから」という理由だけで「尊重されるべきだ」と規定しているのである。別言すれば、第13条は、ありのままのリアルな個人の「個性」、その尊厳の不可侵を完全に承認し、尊重するよう、とりわけ司法立法行政の3権に求めているものであると言える。第13条が、優生思想、障がい者差別をはじめとしたあらゆる差別と非和解的に対立するものであることは明らかだ。自民党が13条の「個人」をのっぺらぼうな「人」に書き換えようと躍起になっている理由がそこにある。第9条、第25条とともに人民の権利にとって最強の武器でもある13条を絶対に守り抜かなくてはならない。
■原告、弁護団、支援者の声■
野村さん夫妻(判決後の記者会見に臨み手話で次のように語った)
「他の裁判でも同じ判断がされ、被害を受けた人みんなの悔しさが少しでも報われてほしい」
花子さん(太朗さんとともに勝訴を喜びながらも)「国の法律で産めない体にされた。悔しくてならない。痛みは今も癒えない。私が知らない間に手術をされたことは変わらない。怒りは収まらず悲しみは続いていますが、こういう差別を二度と作らないようにしてほしい。どんな人でも同じように子どもを産める社会になってほしい」
太朗さん「長い闘いだった。主張が認められてうれしい。国は上告しないでほしい。高齢なので判決を待てるかどうか不安がある。日本中には今も闘っている仲間がいる。できることを続けていきたい」
控訴審では一度だけ開かれた口頭弁論で、花子さんはこう訴えた「子どものことはずっと我慢してきた。苦しみや悲しみは消えません」。太朗さんも「差別を受けてきた障がい者を助けてください」と意見陳述した。
辻川圭乃弁護士(大阪訴訟弁護団)
野村夫妻の控訴審での上記のような陳述とともに、空ひばりさんが控訴審で法廷に立ち「元の体に戻して」と涙ながらに訴えたことも紹介し、次のように語った。
「原告らの無念の思いが裁判官の心に届き、山を動かした。司法府が人権擁護の最後のとりでとして矜持を持って書かれた判決だ。一歩前へ出て、少数弱者である原告らを救済するものだ。国は上告せず判決を確定させ、速やかに原告らに謝罪と賠償をすべきだ」。
新里宏二全国被害弁護団共同代表
「被害の実態に即した判断だ。被害者に向き合って良い判断をしていただいた。2018年の提訴から七つ目の判決でやっと原告の被害に向き合った判断がなされた。大変、評価したい。大阪の弁護団が、今回の優生被害は障がい者に対する差別であり、障がい者が訴えることはできなかったんだということを丹念に主張したことで判決を勝ち取ったことも評価したい。全国で25人が原告になり、そのうち4人の方が亡くなっている。今後、早期に判決を確定させて、全体的な救済を国に求めていきたい。19年に被害者に対する一時金支給法が成立したけれど、今までで996人しか受け取っていない。抜本改正が必要だ」
藤井克徳さん(日本障害者協会代表)
「大阪高裁判決は、司法の良心が発揮されたものだと評価します。憲法13条(個人の尊厳)に照らし、子どもや家庭を持つ権利に関して他の判決より踏み込んだ判断を示しました。除斥期間をめぐっては、強制不妊手術が障がい者差別であり、非人道的な人権侵害だとして例外があることを認めました。画期的です。国は最高裁に上告すべきではない。また、国会は被害者への一時金支給法の全面改正に取り組むのと同時に、旧優生保護法に関して総括をすべきです」。
■各地の原告、弁護団等の声■
飯塚淳子さん
(仮名。宮城県の70代女性。仙台高裁で係争中。「被害者・家族の会」共同代表。旧法が母体保護法に改定された直後の1997年全国の被害者で最初に声をあげ、以降20数年間、国に謝罪と補償を求めて闘ってこられた。強制不妊国賠訴訟運動は、飯塚さんの決起からすべてが始まったといって決して過言ではない)
新里全国被害弁護団共同代表から大阪の勝訴を電話で知らされ、涙ながらに次のように語った。「勇気づけられた。裁判所は思いを酌んでくれた。ただ、みんな高齢です。国は上告せず、過ちを認め、改めて被害者に謝罪をしてほしい」
佐藤路子さん
(仮名。18年1月に全国で初めて提訴した知的障がいを持つ義理の妹由美さん〔仮名。60代。仙台高裁で係争中〕を支える宮城県の女性)
「本当に良かった。被害者に寄り添う判決だ」
北三郎さん
(仮名。78。東京都。東京訴訟原告。飯塚淳子さんとともに「被害者・家族の会」共同代表。「一時金支給法」の前文が国の責任をゴマカシていることに怒り、以来顔を出して闘ってこられた。)
「信じられない。感無量だ。自分のことのようにうれしい。今夜は眠れない。裁判官がやっと私たちの苦しみに向き合って味方をしてくれた。暗いところから脱け出したような気持ちだ」。(3月11日に東京高裁で自身の訴訟の判決が出るのを目前にして)「背中を押された気分だ。このまま勢いに乗って自分や他の原告の訴訟も勝ってほしい」「私たちは人生をめちゃめちゃにされた。お金の問題ではない。国は上告しないでほしい。これを機に、国は被害者全員の前で頭を下げて謝ってほしい」
小島喜久夫さん
(80。札幌市。札幌高裁で係争中。全国で初めて実名と顔を公表して提訴。) 「私が生きているうちに勝てるのか、と思っていた。うれしくてうれしくてどうしようもない。子どもができず苦しみを持って生きてきた。手術を受けたことを情けないと思ってきたが、今一番うれしい」と、妻・麗子さん(79)が差し出したティッシュで涙を拭いながら語った。(札幌高裁での自身の控訴審に向け)「弁護士や支援者にも頑張ってもらっているから、自分の裁判でも勝ちたい」
鈴木由美さん
(兵庫訴訟原告。65。神戸市) 「『勝った』ということが一歩大きな前進であり、うれしいです」(今後の自身の控訴審を念頭に)「この判決で終わりではなく、裁判所に主張すべきことを最後まで伝えきるようにしなければいけない」
兵庫の原告弁護団声明
「除斥期間の適用によって国の責任を免除することを不正義とする極めて妥当な判断だ。兵庫訴訟の大阪高裁控訴審についても、本判決に続く勝訴判決を勝ち取るべく全力を尽くす。国は、優生思想および障害者に対する差別偏見の解消、そして一時金支給法の改正を含め、優生保護法問題の全面解決に向け、直ちに全国の原告との協議を開始すべきだ」
市野川容孝東大教授
(医療社会学。旧法が母体保護法に改定された翌年の1997年に障がい者運動、女性運動等によって創られ飯塚淳子さんを支えた「優生手術に対する謝罪を求める会」に結成当初から参加し、優生思想との闘いを理論・実践の両面で長年強力に牽引してきた闘う学者)
「強制不妊手術は本人が気付かないまま、欺く形で行われたのが実態で、手術されていたと認識するのに20年以上かかる場合もある。加えて、旧優生保護法の「不良な子孫」という文言は、被害者とその家族が、被害の事実を口にできないような差別・偏見を生み出し、法改定後も被害を公言できない状況を生み出した。
こうした事情を十分に考慮し、著しく正義・公平の理念に反するとして、20年の除斥期間の適用を除外した今回の大阪高裁の判決は正しい。当時の法務省は憲法13条にある『公共の福祉に反しない限り』を根拠に手術を合憲としたが、その解釈を誤りと明示した点も評価できる。被害者はみな高齢だ。国は上告すべきではない」。
全国の原告、被害者とともに、大阪高裁の勝利判決から強制不妊国賠訴訟運動の全面勝利へ前進しよう。国はすべての原告、被害者に謝罪せよ。国会は一時金支給法の抜本的改正、被害実態の調査・解明の作業を開始せよ。
5面
喜びにあふれる法廷 草川けい子
2月22日、おおさか強制不妊手術裁判(第1次、第2次)の控訴審判決があり、大阪高裁(太田晃詳裁判長)は、旧優生保護法が憲法に違反すると判断したうえ、国に賠償を命じる逆転判決を言い渡した。法廷内外で驚きと喜びがあふれかえった。外へは「原判決取り消し」「請求認容」の張り出しが出され、全国へも速報が流れた。
その後、会場を移して報告集会が開かれた。最初に、去る15日、大阪地裁でひらかれた「おおさか強制不妊手術裁判(第3次)で証人にたった2人の方が発言。大阪聴力障害者協会副会長の磯野孝さんは「一歩前進した。被害者支援の輪をひろげていきたい」とメッセージを寄せた。次に、知的障害者施設「ひまわり」の常務理事・渡辺哲久氏がズームで「15日の法廷での訴えが裁判長に届いたのでは」と語った。弁護団の堤弁護士は「すばらしい判決だ」、「旧優生保護法は非人間的差別だ、除斥期間を適用することは著しく正義、公平に反することだ」と報告した。
全国各地からいろいろな発言があり、最後に、全日本ろうあ連盟の大竹浩司氏が優生思想根絶のために、旧優生保護法をめぐる裁判を闘い、そして聴覚障害児童交通事故裁判も勝利をめざして闘うと力強い決意を述べた。
なお、聴覚障害児童交通事故裁判は2月21日に開廷され、次回は4月25日に開廷することになっている。今回の大阪高裁での勝利はきわめて大きい。何よりも上告を阻止し、全国各地で闘われている裁判の勝利をかちとりたいと思っている。
(シネマ案内)
『標的』ドキュメンタリー映画
監督:西嶋真司 2021年
2014年1月、植村隆さん(元・朝日新聞記者)は「慰安婦」問題で事実を「捏造」したとしてバッシンにさらされた。なかでも、櫻井よしこ(ジャーナリスト)と西岡力(東京基督教大学教授)が、事実を「捏造」と植村さんを攻撃した。この攻撃で、植村さんは大学職の内定を取り消され、「日本を貶めるもの」「反日分子」「韓国に帰れ」と脅迫をうけた。また娘さんには「殺す」と脅迫の手紙が送られてきた。
これにたいして植村さんは反撃し、15年1、2月に西岡力(東京地裁)と櫻井よしこ(札幌地裁)などに損害賠償請求訴訟をおこした。映画はこの裁判過程を追い、この攻撃の非道さを訴えている。
問題にされたのは、91年に植村さんが朝日新聞に書いた記事。金学順さんが日本軍「慰安婦」であったことを名のりでた時、植村さんは金さんの証言を記事にした。記事の内容は以下のとおり。
▼元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く
日中戦争や第二次大戦の際、「女子挺(てい)身隊」の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり、「韓国挺身隊問題対策協議会」(尹貞玉・共同代表、16団体約30万人)が聞き取り作業を始めた。同協議会は10日、女性の話を録音したテープを朝日新聞記者に公開した。テープの中で女性は「思い出すと今でも身の毛がよだつ」と語っている。体験をひた隠しにしてきた彼女らの重い口が、戦後半世紀近くたって、やっと開き始めた。
尹代表らによると、この女性は68歳で、ソウル市内に一人で住んでいる。(中略)女性の話によると、中国東北部で生まれ、17歳の時、だまされて慰安婦にされた。2300人の部隊がいる中国南部の慰安所に連れて行かれた。慰安所は民家を使っていた。5人の朝鮮人女性がおり、一人に一室が与えられた。女性は「春子」(仮名)と日本名を付けられた。一番年上の女性が日本語を話し、将校の相手をしていた。残りの4人が一般の兵士2300人を受け持ち、毎日3、4人の相手をさせられたという。「監禁されて、逃げ出したいという思いしかなかった。相手が来ないように思いつづけた」という。また週に一回は軍医の検診があった。数カ月働かされたが、逃げることができ、戦後になってソウルへ戻った。結婚したが夫や子供も亡くなり、現在は生活保護を受けながら、暮らしている。『朝日新聞大阪版 1991年8月11日付』
櫻井と西岡らが問題にしているのは、上記記事の「女子挺身隊の名で戦場に連行」と「だまされて慰安婦にされた」という部分だ。「女子挺身隊はまちがっている」から記事は「捏造」と主張。「14歳からキーセン学校に通った」「そこにいけば金儲けができると義父から説得された」と本人が言っている。「だまされて慰安婦にされた」のではないから、記事は「捏造」と主張した。
この主張の核心は「日本軍が強制的に連行したのではなく、商行為として自主的におこなった」にある。
14年に、植村さんの記事がなぜ問題にされたのか。これは「慰安婦問題にたいする朝日新聞バッシング(14年8月)と同時になされている。タイトルが「標的」とあるように、映画では植村さんは「標的」にされたのだと主張している。
背後にあるのは安倍政権の存在だ。安倍政権は憲法解釈を変更して集団的自衛権を閣議決定し、15年に安保関連法を制定。この流れの中でおきているのだ。権力をもつ勢力が「政府がおこなう事に反対してはならない」と、民間勢力を動員して世論形成している。21年3月、植村裁判は最高裁決定で敗訴が確定し、すべての裁判で敗訴におわった。この裁判官たちは日本政府を代弁し、「日本軍慰安婦は軍による強制連行ではなかった」と判断したのだ。
韓国タプコル公園(パゴダ公園)には、日帝植民地下における朝鮮民衆の闘いが10枚のレリーフに描かれている。「記憶されない歴史は繰り返される」。この言葉を肝に銘じて、われわれは闘う必要がある。(鹿田健三)
6面
〈投稿〉
『中国共産党100年の歴史決議』を読んでみた(下―1)
佐藤隆
(承前)
「(八)社会建設について」では、「第18回党大会以来、全国で832の貧困県と12万8千の貧困村から貧困をなくし、1億近くの農村貧困人口が貧困から脱却し、10年も繰り上げて国連の『持続可能な開発のための2030アジェンダ』の貧困削減目標を達成し、史上初めて絶対的貧困の問題を解決した」「2020年、突如として発生した新型コロナウイルス感染症に直面して、党中央は果断に政策を決定し、・・感染症と戦う人民戦争・総力戦・阻止戦を繰り広げ、・・一貫して海外からの輸入感染防止と国内の再発防止に尽力し、感染症対策と経済・社会発展の両立を堅持し、人民の命の安全と体の健康を最大限に守り、世界に先駆けて感染症を抑え、操業・生産を再開し、経済・社会の発展を回復した」「世界最大規模の社会保障体系が整い、基本養老保険の加入者は10億2000万人、基本医療保険の加入者は13億6千万人に及んだ。『住宅は住むためのものであり、投機のためのものではない』という見地を堅持し、・・・都市・農村住民の居住状況が目に見えて改善した」としている。
「(九)生態文明建設について」では、「グローバルな環境対策と気候変動対策に積極的に参加し、可能な限り2030年までに二酸化炭素排出量ピークアウトを、2060年までにカーボンニュートラルを実現すると宣言し、責任ある大国としての使命感を示した」とし、「(十)国防・軍隊建設について」では「2027年までに建軍百周年の奮闘目標の達成、2035年までに国防・軍隊の現代化の基本的実現、今世紀半ばまでに世界一流の軍隊整備の全面的完成」という国防・軍隊の現代化の方針を明らかにしている。
そして、「(十一)国家安全保障について」は、「新時代に入り、わが国が直面する国家安全保障情勢はいっそう厳しくなり、外部からかつてみない圧力がかかり、伝統的安全保障上の脅威と非伝統的安全保障上の脅威が入り交じり、むやみに譲歩すれば際限なく虐げられ、我慢すればさらなる屈辱を招くことになる。」「外部からの極端な抑止や攻撃を跳ね返して、香港、台湾、新疆、チベットおよび海洋などにかかわる闘争を展開し、海洋強国の建設を加速し、国家の安全を効果的に守った」とされ、「(十二)「一国二制度」の堅持と祖国統一の推進について」では、「香港・澳門の事柄への外部勢力による干渉を断固として防ぎ食い止め、分裂、転覆、浸透、破壊活動に厳しい打撃を与えた」としている。
「X 中国共産党の百年奮闘の歴史的意義」では、「創立当時、党員はわずか50数名であった中国共産党は、今日では、9500万余りの党員を擁し、人口14億余りの大国を導き、グローバルな影響力をもつ世界最大の執政党となっている」とする。
2、『歴史決議』の背景にある状況 ― 中国の驚異的な経済成長と「平和共存」
中国は1978年の改革開放政策を取って以来、驚異的な経済成長を実現してきた。左の表にあるように、中国名目GDPの推移は、1978年から現在まで50倍以上になり、21世紀の20年では約14倍となって、中国は今や米帝国主義に次ぐ世界第2位の大国となっている。
中国がこの驚異的な経済成長を実現した背景の一つは、1972年の米中共同声明―1979年の米中国交正常化以来の「平和的な」外交関係が維持されたことにあったといえる。米ソ冷戦構造とその崩壊という過程の中で、中国は朝鮮戦争やベトナム戦争のような直接的な軍事介入や、あるいは体制の転覆をめざすような経済制裁を受けることなく米帝国主義との「平和共存」に向かうことができたという歴史的経緯があった。
もう一つの背景として、21世紀の、特にリーマンショック以降の世界経済のパワーシフトがあるといえる。世界経済のパワーシフトは、一方では中国の経済成長と台頭によるものであると同時に、他方で、中国の特異な経済成長の条件にもなったといえるであろう。
20世紀は「帝国主義の時代」として列強が世界経済を独占し、1990年頃まではサミット7カ国がGDPで70%近くを独占していたが、21世紀に入って帝国主義の独占は徐々に後退し、現在ではそれは50%を割っている。
20世紀の旧植民地諸国は、政治的独立後もその経済が新植民地主義的な従属経済から脱出できないできた。中国経済も従属的な経済の性格を強く持っていたが、共産党の強力な国家権力の存在が他の発展途上国とは違っており、それが中国経済が従属的な経済に留まらず、21世紀にそれを脱する結果をもたらしたとはいえるであろう。
中国国家統計局が2019年11月27日に発表した第4回全国経済一斉調査報告によると、2018年末時点の全国の民営企業数は1561万4千社で、2013年末より178・6%増加、全ての企業法人に占める比率は68・3%から84・1%に拡大した。国有持株会社は24万2千社で、2013年末より10・9%増加した。国有持株会社が全ての企業に占める割合は1・3%に過ぎないが、従業員数の占める割合は15・7%に上り、依然として国民経済の発展を支える中核的役割を果たしている、という。中国の経済は国有化経済と民間企業の混合経済といえるが、依然、共産党の国家権力が経済の管制高地を握っているといっていいのではないか。(つづく)
3・11から11年 びわ湖集会 3月5日
井戸謙一弁護士が廃炉へ展望語る
11年目の「3・11」を前に3月5日、原発のない社会へ2022びわこ集会がひらかれ、滋賀県大津市内(膳所城跡公園)に5百人が集まった(写真)。
午後1時、講談師の神田香織さんがトーク。午後2時から集会は始まった。冒頭、呼びかけ人代表あいさつ。黙祷のあと、嘉田由紀子さん(参院議員)、平尾道雄さん(米原市長)が連帯のあいさつ。嘉田さんは原自連(原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟)でのたたかいを紹介。平尾さんは「ロシアのウクライナ侵略に乗じて、日本が核兵器を持つべきという議論がされているがとんでもないことだ。戦争被爆国として私たちは核兵器の廃絶を目指す」とアピール。
老朽美浜3号機の仮処分裁判
基調報告を滋賀県在住の井戸謙一弁護士がおこなった。「福島原発事故から11年経過した。事故後廃炉が決まった原発が24基もあるのに対し、事故後稼働した原発は10基にすぎない。いまだ政府は原発の新設を言い出せない。私たち市民の運動や世論は原子力ムラの原発復活戦略を確実に押しとどめてきた。
原発差し止め訴訟は全国で36闘われている。裁判例の流れは徐々に、かつ確実に変わりつつある。
数ある訴訟の中でも、大阪地裁で闘われている老朽原発美浜3号機の運転差し止め仮処分事件は極めて重要。現在運転開始後30年を経過している原発が13基ある。電力会社はこれらについて40年を超える運転延長の認可申請をするのか、断念して廃炉にするのかを順次決定しなければならない。決めるにあたり、老朽美浜3号機差し止め仮処分の帰趨は重要な要素となる。運転延長認可を得ても、司法判断で運転が差し止められるリスクが高いとなれば、電力会社は、運転期間が40年に近づいた原発について、延長認可申請を断念し、次々と廃炉を決断する可能性がある。そうなれば、日本の原発の終焉が目に見えてくる。」
関西電力滋賀支社へデモ
相馬市から栗東市に原発事故避難中の佐藤勝十志さん(原発賠償関西訴訟原告団副代表)がアピール。集会アピールと特別決議の採択、最後に閉会あいさつで終了した。
集会後のデモは、右手にびわ湖を見ながら、湖岸道路を関電滋賀支社の先までデモ行進した。
7面
2・20市民のつどい 狭山事件の再審勝利へ
東京高裁は鑑定人尋問・再審開始を
第3次再審請求の山場を本年前半にも迎えようとしている緊迫した情勢の中、「とどけ!真実の響き」「第6回狭山事件の再審を実現しよう市民のつどいin関西」が大阪市阿倍野区民センターにおいて会場2百人、ズーム百人の参加で持たれました(写真左)。
この集会は、狭山再審を求める市民の会・こうべをはじめ、日本基督教団部落解放センターなど関西各地12の市民の会による呼びかけと部落解放同盟大阪府連合会、釜ヶ崎日雇労働組合、狭山意見広告運動など11団体の協賛によるものです。これは「狭山事件の再審をかちとる」という1点で、意見の違いや組織の壁を乗り越えて団結している運動であることを示しています。
キャラバンによる草の根の訴え
この集会の成功に向け昨年12月11日、布川事件国賠訴訟に勝利した桜井昌司さんを迎えた「狭山再審を求める関西キャラバンスタート集会」を皮切りに、今年1月から奈良、大阪北摂、滋賀・京都、尼崎―神戸、大阪南部、大阪環状線ルートなど関西一円約25カ所の駅頭・繁華街でアピールを展開、草の根行動を通して再審の訴えと交流を深めました。
盛りだくさんのプログラム
集会は地元あいさつとして、部落解放同盟大阪府連合会。国賠アピールとして東住吉事件冤罪被害者の青木惠子さんと湖東記念病院事件冤罪被害者西山美香さんの2人。裁判所による和解勧告の席にもつかず「今なお青木さんを犯人だと思っている」と居直る国側に対し、青木さんは「検察と国はこれからも冤罪被害者を作り続けると宣言しているに等しい」と怒りを込めて弾劾しました。清水こがね味噌事件冤罪被害者家族の袴田ひで子さんは「巌が元気なうちに再審開始を」と、一度は再審開始決定(2014年)をしたにもかかわらず再審取消し(2018年)から破棄・差し戻し決定(2020年)と今も死の恐怖にさらされている袴田巌さんを支え「勝つまで生き抜いて闘う」と気迫に満ちたアピール。
木谷明さんが記念講演
続いて記念講演の木谷明さん(元東京高裁判事/弁護士)は冒頭「やってもいないことで処罰される、もし自分がえん罪の被害者だと想像するとこんな口惜しいことはない」と義憤もあらわに冤罪のでっち上げを弾劾。戦後の労働運動弾圧をめぐる「白鳥事件(1952年)」「松川事件(1949年)」をはじめ「拷問王」と呼ばれた警察官によるえん罪(二俣事件/1950年・静岡)など数多くの事例を示してでっち上げの3つの手口(証拠の捏造と無罪証拠の隠滅、秘密の暴露の偽装、拷問などによる自白の強要)をとき明かし、狭山事件については、「万年筆発見の経緯」や「インクの色」などの「秘密の暴露の偽装」が見られると指摘。その上で「狭山事件について容易に再審が開始されない理由」として、@確定判決が日韓条約反対デモをはじめとした裁判で数々の無罪判決をだしている当時の人権派裁判官の象徴ともいえる寺尾判決であったこと、A上告審、特別抗告審で、最高裁のそれなりに詳しい判断が示されていること、B一時、過激派が応援し裁判所を力(暴力)で屈服させようとした時代があったこと、C確定第一審公判で石川さんが自白していることの4点をあげ、裁判所の内側からの視点での想いを明らかにされました。
この木谷さんの示唆に富んだ指摘は、「人生を奪う理不尽を知れ」の演題をかかげてもたれた「狭山再審を求める関西キャラバン」のスタート集会における桜井昌司さんの次の発言、「狭山事件が進まないのは運動のせいでも、石川さん弁護団のせいでもない。裁判官が悪いからだ。検察官は大きな力を持っている。法務省幹部の7、8割は検察官の出身。法務省幹部の受けが良くないと裁判官は出世できない。裁判所は検察庁の手下なんだ」と合わせてとらえるとき、狭山第三次再審に勝利する道筋を示す貴重な道標となるものでした。
狭山現地からの訴え
休憩をはさんで狭山現地とリモート中継。石川一雄さんを支える埼玉東部住民の会によるユニークでしなやかな活動報告がおこなわれ、連帯アピールの山本栄子さん(『今、部落問題を語る』などの著者)は、自らの体験から「文字を奪われることは人間を奪われることと同じだ」との鋭い指摘のもと石川さんの獄中での文字を取り戻すたたかい、高知のお母さんたちによる教科書無償化要求の闘いなど解放運動の成果と教訓を示し「石川さんがかばんを持って学校に通う姿を見たくありませんか」との呼び掛けをされました。
石川一雄さん・石川早智子さんからはコロナ情勢のなかリモート参加しかできないもどかしさを覚えながらも「暗いトンネルを抜けて無罪のゴールは目の前に現れますよ」と励まされたことを紹介。一雄さんが83歳となった今年こそ、なんとしても第3次再審の決着をつけて勝利をつかみとる決意のメッセージが届けられました。最後に地の底からくる無実の響きと解き放たれる熱と光を想わせる太鼓演奏で締めとなり、天王寺公園までパレードを貫き、盛りだくさんの内容であっという間の時間でした。
集会成功へ各地でキャラバン(2月12日、尼崎) |
国会議員と政党の仲間が登壇
連帯アピールのもう一つの目玉に狭山再審を求める議員・政党からの発言がありました。司会から、冤罪と差別が生み出されている根底には証拠開示や再審のルールが定められてないことが大きくかかわっており、これはぜひとも政治を変えていくことが必要だと思い実行委員会に提起して実現にいたったとの経過が明らかにされ、大椿ゆうこ(社民党副党首)、尾辻かな子(立憲民主党/前衆議院議員)、大石あきこ(れいわ新選組/衆議院議員)の3人が紹介されました。
3人はそれぞれ自らの差別や運動へのかかわりの中から、国政における差別・冤罪をなくすための取り組みを強めることを表明。7月の参議院選挙で一人でも多くの狭山再審を求める議員を国会へ、との訴えがおこなわれました。
実行委員会の呼びかけに応えよう
一人一人が総括を深め、たたかいを前進させていくことが重要です。参考として集会当日の夜、実行委員会から発せられたメッセージ(「取り急ぎ、お礼まで」の一部)を紹介します。
「今回はおよそパーフェクトな集会そしてパレードでした」「狭山再審実現という課題の大きさ、深さをあらためて突きつけられました」「70年代のあの大闘争を質的に乗り越える闘い」「石川一雄さんと同世代の偉大な先輩たちの闘いを継承し発展させるとりくみ」「若い世代の皆さんとの対話に学びながら全世代の力を合わせて、狭山再審を実現する新しい時代をきりひらくために私たちも微力を尽くしていきたいと思います」。
「また明日から、それぞれの現場で、可能なスタイルで、石川一雄さんの無実を知らせ、東京高裁に鑑定人尋問・再審開始を求めて、強くしなやかに闘い抜いていきましょう」(泉 勇人)
3月7日 防衛省行動
山城博治さんが訴え
3月7日、辺野古への基地建設を許さない実行委員会主催による月一回の防衛省前抗議行動に、110人の市民が参加した。沖縄の山城博治さんから、熱いアピール。
「ウクライナの状況は『有事とは、ああなる』と(危機感を持って)見ている。ウクライナ危機を一番喜んでいるのは自民党タカ派の安倍・岸防衛相、岸田。安倍の後ろにアメリカがいる。だから(その政策が)現実化する」、(防衛省に向かって)「アメリカの言いなりになって沖縄を、日本全土を、日本人を戦争の盾にするのはやめなさい。なぜ中国と台湾の問題に介入するのか、『日本の有事』と言い張るのか」、「与那国島から馬毛島、全国を結ぶ大きなネットワークを作る。全国の仲間とともにこの国の暴走を止めていきたい」
実行委員会からの行動提起として、4月4日13時半から衆院第一議員会館で防衛省への質問に対する回答を受け取る行動の参加が訴えられた。
8面
マルクス『資本論』に学ぶ(4ー下)
銀行資本の中身を見てみよう
松崎 五郎
(承前)
そして、一国民の富(GDP)は 本来的にはこうした架空資本・擬制資本の価格(価値)変動とは関係ないこと、また資本主義国においては膨大な貨幣資本が現存するが、それは「幻想的資本価値の蓄積」にしかすぎないという重要な点が指摘されています。
現在コロナ禍の不況で経済は停滞しているにもかかわらず、株価だけは高騰を続けています。なぜか? 不況対策・コロナ対策として政府が投入したお金が、公共事業や補償金として使われた後は、銀行に預けられ、(貸付)貨幣資本に転化しているからです。だがその貨幣資本は、不況故に貸出先はなく、(株の)投機にまわっているのです。この貨幣資本が石油などのモノに向かうとインフレになります。すでに部分的に始まっています。
銀行資本の大部分は架空
次に、それ故銀行資本のほとんどは、架空で幻想的なものにすぎないことが明らかにされています。
「銀行資本の一部分は、利子生み証券に投下されている。この部分は、現実の銀行業務では機能しない準備資本の一部分である。その最大部分は手形…からなりたつ。貨幣の貸し手[銀行]にとっては、手形は利子の分だけ差し引いて手形受取人に貸し付け[手形割引という]、手形の満期に手形の振出人から返済されるから、利子生み証券である。
銀行業者の資本の最後の部分は、金(貨幣)または銀行券からなる彼の貨幣準備からなりたつ。預金は…たえず増減するが、取引が正常的な時期の一般的な平均額はほとんど動揺しない。
銀行の準備金は、平均的には蓄蔵貨幣として現存する貨幣の大いさを表現する。この蓄蔵貨幣の一部分は、自己価値ではない証券=金の単なる支払指図書からなりたつ。
だから 銀行資本の最大部分は純粋に架空のものであって、債権(手形)・国家証券および株式からなりたつ。これらの証券が銀行業者のふところであらわす資本の貨幣価値は、まったく架空のものであって、それらによってあらわされる現実資本の価値とは離れて調整されるということ。さらに、この架空銀行資本の大部分は、銀行業者の資本をあらわすのではなく、彼のもとに預託された公衆の資本をあらわす。
預金はつねに貨幣でなされる。[だが]預金は、利子生み資本として貸出され、銀行の金庫には見いだされないで、銀行の帳簿にだけ現れる。
利子生み資本および信用制度の発展につれて、同じ資本が─債権でも─相異なる人々の手で相異なる形態をとって現れる様式の相違によって、あらゆる資本が2倍にも3倍にも見える。
[何故なら]同じ貨幣が、流通速度しだいで相異なる諸購入をなしうるから、相異なる諸貸付もなしとげうる。購入という媒介なしに、AがBに、BがCに貸付けた場合はただ一つの資本価値しかあらわさないが、あらゆる価値が資本価値として表現される今日では、貨幣は、相異なる諸貸付において、次々に相異なる諸資本をあらわす。」
つまり、Aが銀行から金を借りてBに支払う。Bはその金を銀行に預金する。銀行はその金を、今度はCに貸し付ける。銀行はAとCに貸したので、貸付貨幣資本は2倍化したことになります。
「この信用制度のもとではすべてのものが2倍化し3倍化して単なる観念的産物に転化するのと同じように、やっと確かなものがつかめると信じられている準備金についても当てはまる。[諸銀行の]現実の準備金は[イングランド銀行の銀行券=金の支払指図書でなりたっているから]、イングランド銀行の準備金に帰着する。」
未来社会では架空性はない
ところで架空性が生じるのは、銀行信用や資本還元された擬制資本・架空資本だけではありません。商品流通において、貨幣の支払が後払いとして商品の移譲と分離したときから生じるのです。商業信用つまり手形が成立すると、産業資本家は、生産物である商品を手形で商人に売り、実際に消費者に渡っているかどうかは問題にしなくなります。同時に原料なども手形で仕入れるので、自分の生産物が消費されているかどうかとは関係なく、生産は連続的に行われるようになります。産業資本の循環の内部で生じる架空性です。だがこの架空性は、数ヶ月後・手形の満期日が過ぎると売れていないことがバレます。
他方、銀行信用・貨幣資本の貸付は、利子が払われている限り架空性はバレません。
利子生み資本は 現実の資本としては産業資本の循環に固着されているにもかかわらずその権利名義(債権や株)が、資本還元された擬制資本・架空資本となって商品として売買されるのです。それは、幻想以外の何物でもありません。貨幣そのものも、価値物としては中央銀行の準備金としてほんのわずかにしか存在せず、ほとんどが単なる数字を印刷した紙切れにすぎないのです(いまはコンピューターですが)。そして、社会の富の大部分は「幻想的な資本価値の蓄積」以外の何ものでもないのです。(銀行・貨幣)信用がそれら全ての架空性を現実であるかのように転倒させるのです。
資本主義では、全てのモノの価値が、それ自身としては考えられないで、貨幣でもって表現されます。貨幣をいくら持っていても、現実の生活はモノつまり生産物でしか行いえないのです。貯金が幾らあっても、生産や流通が全面的にストップすれば一日として生きていけません。未来社会では、生産物=モノの分配・交換基準は貨幣ではなく労働時間で表わし、8時間働いた人は8時間労働の生産物を受け取るということになります(国際的交換の単位時間は年です)。架空性はまったく必要ないのです。(おわり)
本論考筆者の松崎五郎さんは、1月28日にコロナに感染し、懸命の闘病むなしく 2月28日早朝亡くなりました。闘病経過と追悼文を後日掲載します。
『未来』編集委員会
〈寄稿〉
藤原辰史さん(京都大准教授)を迎えて
「食と農業の今」を成功させよう
松原康彦(三里塚関西実行委員会
日本は、2020年に37%というかつてない水準まで食糧自給率が落ち込む現状にあります。少なくとも「先進国」の中でこのような事態を迎えている国はありません。かつてイギリスが、第二次大戦直後、戦禍もあり30%台に食糧自給率が落ち込むことがありましたが、危機感をもった政府が全力をあげてこれへの対策として農業政策を転換し、現在では60%台にまで回復しています。農業大国であるアメリカの大統領だったレーガンは、40%台の食糧自給率だった当時の日本を暗に指して「国として信じられない」と揶揄したこともありました。しかし、歴代の日本の内閣は、「安い食料を輸入すればいいのだ」とこの事態を顧みることもなく、小規模(家族)農業を主流とする農業、農民を切り捨てる道をこの60年近く歩んできたと言っても過言ではありません。
それは戦前、帝国主義段階に進んでいた大企業、独占資本の延命を軸に戦後の高度経済成長への道が図られたことを背景とするものでした。1961年に制定された農民にとっての憲法とも言える農業基本法が、日本の農業の基本形態であった小規模(家族)農業を切り捨て、集約化、大規模化を唱えるものであったことも、そうした背景の中で生まれたのです。それによる事態は20世紀末からの今日の農地法の改正による企業の農地の取得、農業への参入の道をこじ開けることで一気に進みました。
TPPをはじめとした様々な経済協定は、安い食料品(コメ、野菜)の輸入への道をこじ開け、特化し企業化した大規模生産による野菜の輸出への道を開きましたが、他方で、価格の暴落による小規模(家族)農業を疲弊させ、若い世代の離農だけでなく、農業そのものの展望を失わせました。今世紀に入り、自公政権による戸別所得補償の廃止、国の責任による生産調整の廃止などが、決定的な道筋をつけてしまいました。昨年のコメの価格の大暴落がそれらのことを示して余りあります。
2020年の農業経営体は、5年前に比べ21・9%、個人経営体は22・6%も減少し、総農家数は2百万戸を割り込みました(数字は『農民新聞』2230号より)。
農民からの農地の強奪でしかない現実との闘いである三里塚闘争が56年を超えて闘われながら、都会に住む私たちには非常に見えにくいのですが、闘いの主体である農民には深刻な事態が進んでいたのです。
成田空港のために三里塚・芝山の農民から農地と住まいを強奪するというこの非道は、多くの農民が失意のうちにこの地を離れたとはいえ、絶対に許されることではありません。貧しい開拓農家を札束でその頬を打てば事態は進むと言われて1966年に始まりました。「軍事空港反対・農地死守」とスローガンは叫ばれましたが、「なぜ、そうなのか?」は闘う私たちの中でも論議されることなく56年が過ぎました。しかし、空港が三里塚に来る前に、国会議員たちの綱引きの上で、富里地域に現在の成田空港の2倍近い規模を持つ富里空港としてプランができあがりました(今のB滑走路の拡張、第3滑走路計画は、それへのすり寄りだとも言えます)。富里地域は、山や谷のある三里塚と違い広大な平野部で、全国的にみても屈指の農業地帯でした。(つづく)
食と農業の今〜食料自給率37%から見えること
講演:藤原辰史さん
とき:4月10日(日)午後2時〜4時半
ところ:エルおおさか606
主催:三里塚関西実行委員会