沖縄県辺野古埋め立て工事設計変更不承認
#辺野古埋め立て不承認を支持します
衆議院第二議員会館前で、設計変更に「不承認」をかかげて行動(11月26日) |
11月25日、沖縄県の玉城デニー知事は、沖縄防衛局が申請していた辺野古埋め立て工事に関わる設計変更を不承認とした。工事の実施に伴う絶滅危惧種のジュゴンへの影響が充分検証されていない事、軟弱地盤改良工事(サンドコンパクションパイル工法)実施にともなう地盤の盛り上がりが環境に与える影響について適切に情報が収集されていないこと、重要な護岸を構築する箇所において、三軸圧縮試験等の力学的試験が実施されておらず、地盤のせん断強さについて近傍のボーリングデータから類推しており、不十分であることなどが、主な不承認の理由である。工事を強行すれば大浦湾の環境は破壊され、しかも埋め立てを安全に完成させることが難しいということだ。
また玉城知事は同日おこなわれた会見で、沖縄戦犠牲者の遺骨が眠る沖縄島南部の土砂を採取して埋め立てに使うことについても触れ、「遺骨が残されている場所から採取された土砂を埋め立て工事に使用することは、人道上許されるはずもない」(毎日新聞11月25日)と厳しく批判した。県の設計変更不承認は、当然の結論である。
設計変更が不承認になれば、辺野古の埋め立て工事は法的根拠を失う。沖縄防衛局は直ちに工事を中止すべきなのだが、辺野古側のかさ上げ工事や美謝川の付け替え工事は続けられている。また岸田政権は沖縄県に対し法的措置を取ると表明しており、沖縄県を提訴して今回の不承認決定を覆そうとしている。政府はこれまで何度も沖縄県の決定に対し、私人に偽装して不服審査請求をおこない、処分を取り消させるなど介入を繰り返して、地方自治と沖縄の自己決定権をふみにじってきた。また日本の裁判所は「大地震が来ても原発は安全である」という、三権分立も科学の真理も投げ出した判決を平気で出してくる。こんな連中にやりたい放題させるわけにはいかない。沖縄県の設計変更不承認を断固支持し、辺野古新基地建設を止めよう!
11月26日 全国で不承認支援行動
JR大阪駅前で緊急行動(11月26日) |
かねてより〈止めよう辺野古埋立て国会包囲実行委員会〉が、沖縄県が設計変更を不承認にしたとき、これを支持する「辺野古ブルーアクション」を呼びかけていた。個人、団体、グループで辺野古の海を象徴するブルーを身に着け「設計変更不承認を支持する」意志表示をおこなうものだ。東京では知事の不承認表明の翌26日夕方、衆議院第二議員会館前で緊急行動が取り組まれ、200人もの市民が参加した。大阪でも〈STOP! 辺野古新基地建設! 大阪アクション〉が呼びかける大阪駅前でのスタンディングアピールがおこなわれ、20人が参加した。
12月3日には沖縄県庁前で設計変更不承認を支持する県民集会がひらかれ500人が参加、4日にはシュワブゲート前でオール沖縄会議が1年2カ月ぶりに「県民大行動」を開催し、800人が集まった。「県民大行動」には玉城デニー知事も駆けつけ「新しい基地を自ら提供する立場には立たない」と決意を述べた(琉球新報12月5日)。SNSでは「#辺野古埋め立て不承認を支持します」があげられ、ツイッターデモもおこなわれている。
一方、11月23日には宜野湾市で米海兵隊のMV22オスプレイから水筒が落下する事故が起きている。夜中までの訓練・演習は日常茶飯事だ。このような状況の中、辺野古新基地を陸上自衛隊と在沖海兵隊が共同使用する極秘合意があることが1月に報道された。また11月26日から本部町八重岳で陸上自衛隊が通信訓練をおこなう予定であったものが、市民の抗議によって中止に追い込まれた。この訓練は全国で同時期におこなわれる大規模演習の一環なのだが、沖縄では民間の港を使用した部隊の輸送訓練もおこなわれており、市民団体が監視を強めていた。
11月14日には宮古島・保良の人家からわずか2百メートルしか離れていない弾薬庫に、ミサイル弾体を含む弾薬搬入が強行されている。琉球弧の軍事化・要塞化は、そこが戦場になることを想定した究極の沖縄差別であり、沖縄戦を再び繰り返すものだ。辺野古新基地建設も含め、絶対に阻止しなければならない。(5面に関連記事)
老朽原発このまま廃炉
12・5全国から一六〇〇人結集
集会を終えデモに出発する全国の人々。写真は第2グループ、兵庫、京都、奈良、和歌山からの参加者 |
12月5日、「老朽原発このまま廃炉! 大集会inおおさか」(主催:老朽原発うごかすな! 実行委員会)が、大阪市西区のうつぼ公園でおこなわれた。
「第6次エネルギー基本計画」が閣議決定されるなかで、原発再稼働を推進する岸田政権に怒りをもって、この集会に1600人が集まった。参加者は、「老朽原発このまま廃炉! キャンペーン」期間中、「やれることはすべてやる」の精神で、各地でさまざまな取り組みをおこなってきた。この集会にはメッセージも含め、北海道から九州まで、反原発を闘っている全国各地の団体の代表が参加して、午後1時から始まった。
中嶌哲演さん(原子力発電に反対する福井県民会議)が開会のあいさつ。中嶌さんは「昨年10月から関西電力と国が老朽原発再稼働にむけて猛烈な攻撃をおこない、地元に同意を取り付けてきたが、動いたのが美浜3号機だけで、それも4カ月間の稼働しかできなかった。この稼働でヒロシマ原爆3百発分の死の灰、ナガサキ原爆10発分のプルトニウムが蓄積されてしまったことを忘れてはならない。現在、関電はテロ対策工事をおこなっている。この40年超原発を再び運転させてはならないのだ。原発再稼働反対は、潜在的な市民の声になっている。これをいかに顕在化させるか、この事が求められている。この集会の成功をばねにして、新たな年の反原発運動につなげていこう」と述べた。(2面へ続く)
2面
(1面からの続き)
うつぼ公園に集まった1600人がボテッカーを掲げる(12月 5日) |
差止め訴訟で井戸弁護士発言
井戸謙一弁護士が、「美浜3号機運転差止仮処分裁判をめぐって」と題して、次のように語った。
「すでに40年を超えた原発はたくさんあるが、ほとんどの電力会社は延長をあきらめた。40年超再稼働を企んだのは関西電力の3基と東海第二原発、この4基だけだ。美浜3号機の再稼働を止めることはきわめて重要な意義がある。ここで勝利すれば、これから40年をむかえる原発にたいして、電力会社は再稼働を簡単に決断できなくなる。逆に、簡単に再稼働を認めてしまえば、どんどん40年超原発の運転をおこなってくるだろう。
美浜3号機は活断層の巣の中にある。新規制基準では、『特別の考慮をする必要がある』と記しているが、関電は『特別の考慮をする必要がない』と主張してきた。これは簡単に反論できる。争点はきわめて単純で、われわれはこれに勝てると思っている。
運動の力で、市民の力で、阻止することができる。裁判官が1人の市民にもどったときに、老朽原発は運転してほしくないよなと思わせる、裁判官が差止め決定を出したときに市民がみんないやだといっているではないかと反論できる、このような状況を作っていくことが必要なのだ。この運動をもりあげていけば、かならず美浜3号機の再稼働をとめることができる」。
中嶌さん |
井戸さん |
関西各地の市民団体 |
若狭住民が発言
関西電力老朽原発の地元・福井から、2人の住民が発言。
若狭町の住民は、「美浜3号機が再稼働してから、使用済み燃料の中間貯蔵地問題が消えてしまった。福井県には3500トンを超える使用済み燃料がたまっている。高浜では、MOX燃料が使われている。美浜3号機の再稼働で、新たな使用済み燃料がふえた。安全・安心の街をつくっていきたい」とアピール。
小浜市の住民は、「50年が経過して、鉄塔の取替え工事がおこなわれている。さらに50年先までも原発を動かす気なのかと怒りを覚える。また、50年もたてば鉄塔も使えなくなるのに、老朽原発はそのまま動かしてもよいのか。例外中の例外であるのに、若狭で3基も動かすのか。政府は何も答えない。そのうち、40年超再稼働が例外ではなくなり、再稼働しないのが例外になってしまうのではないか。こんなことを許す事はできない」と怒りをぶつけた。
ポテッカーを掲げるアクションの後、闘っている団体からアピールが続いた。最初は、原発事故避難者で、東電と国にたいして賠償をもとめ、責任をとらせる裁判を闘っている団体〈原発賠償関西訴訟〉原告団が登壇し、代表して菅野みずえさんが発言した。菅野さんは、「原発問題の核心は放射能による被ばく問題。これは福島だけの問題ではない。事故時、私の被ばく量は上限値10万cpmの針が振り切れたが、正確な被ばく量も知らされていない。原発はなぜ動かしてはならないのか。被ばくするから。原発が動いているかぎり、これは他人事ではなく、〈明日はあなたのこと〉なのです」と述べた。
全国から参加
全国の反原発団体 |
続いて、首都圏から「再稼働阻止ネット」の12人、全国各地から参加した団体の7人が登壇した。東海第二原発に反対する住民は、「東海第二原発がひとたび事故をおこせば、800万人が死亡する。水戸地裁で、稼働してはならないという判決が出ているにもかかわらず、日本原電は動かそうとしている。日本原電は、敦賀原発2号機にたいして80カ所にわたってデータを改ざんした。こんな日本原電を許してはならない」と訴えた。
関西の滋賀、京都、大阪、兵庫、奈良で闘う市民団体が、この間の闘いを報告した。また、労働組合からは3団体が発言した。
最後に、木原壯林さん(老朽原発うごかすな! 実行委員会)が、「集会アピール」を提案した。木原さんは「福島原発事故は、原発が一旦重大事故をおこせば、人びとの生活を根底から奪い去ることを、大きな犠牲の上に教えました。原発は、稼働を容認できる装置ではありません。原発は万が一にも重大事故を起こしてはならない装置なのです。老朽原発を廃炉に追い込み、それを突破口に、原発のない、人の命と尊厳が大切にされる社会を実現しましょう」とまとめた。
集会後の難波にむかってのデモ行進では、いちょう並木がすっかり黄葉している御堂筋に、「40年超え・老朽原発をうごかすな」のコールが響いた。
11月23日〜27日 美浜3号もう動かすな
若狭一帯でリレーデモ
5日間にわたり若狭一帯60qをリレーデモ |
〈老朽原発うごかすな! 実行委員会〉主催のリレーデモ、これは、「12・5老朽原発このまま廃炉! 大集会inおおさか」へ向けての数々のキャンペーン・企画の一つとして実行された。
若狭の原発銀座で、深刻な事故が起これば、琵琶湖とそれを保全している自然環境全体が放射能汚染される。琵琶湖を形成する流入河川は567、流出河川は、瀬田川〜宇治川〜淀川の1本といってよい。これが、大阪湾、瀬戸内海に流れ出す。琵琶湖は、関西一円の水がめというよりは、自然生態系、開放定常系を保全する大自然の地球史スケールの装置なのだ。原子力開発は、閉鎖系実験といいたい。これが、事故で、あるいは平常のフォールアウト(原発工場からの放射能漏洩)で、害毒を垂れ流す凶器に化ける。40年超え老朽原発の深刻な事故は、東電の福島事故の関電版となるのは必定。
リレーデモ開始
11月23日、高浜原発の先にある福井県高浜町音海地区にある音海展望台に、京都、滋賀、大阪、兵庫、愛知、岐阜などから、大小の車で参加者が続々集まった。同所から高浜原発北ゲート前に向かってデモ行進スタート。
北ゲートで、抗議行動。老朽原発を稼働することへの怒りのシュプレヒコール。
その後、全員、車に分乗し、高浜町役場に移動。昼食後、高浜町役場から町内を60人が練り歩いた。原発立地地元の方々は、デモ隊を心の中では、歓迎している一面のあることが読み取れる。昔ながらの細い道をデモするとき、家の中からガラス戸越しに、または、二階から、ひそかに手をふる人もいる。すれちがい、「ありがとうね」「ごくろうさま」と言ってくれる。選挙には参加できない若い人々、こどもたちが熱烈に応援も。
最終日は悪天候
24日、おおい町、25日、小浜市、26日、若狭熊川宿からJR三方駅、そして、最終日の27日はJR美浜駅集合。
関電原子力事業本部前で抗議行動。若狭国吉城址付近で、リレーデモ終了。最終日のこの日、スタートがあられ、途中で、みぞれ、突風と悪天候だった。しかし、全日程、予定通りつらぬいた。
とくに参加者にけがなどはなく5日間で、のべ130人が参加、歩行距離は、60`。
原発の40年超え運転を阻止すれば2033年に若狭から、2049年に全国から稼働する原発がなくなる。老朽原発の廃炉を課題にすることは、平和憲法を遵守する当然のことなのだ。(南方史郎)
3面
〈投稿〉
伊方原発再稼働弾劾 12月2日
1日 四国各地で抗議行動
四国電力本店前(高松市)で緊急抗議行動 |
原発さよなら四国ネットワークの文書情報で、12月2日に四国電力が伊方3号機を再稼働強行するその前日、四国各地での反対行動が呼びかけられた。私は、コロナ禍と金欠病で2年ほど伊方原発反対行動に参加できてなかったので、知人が主催する四電本店前行動に参加した。JR在来線を乗り継ぎ、高松駅から本店前まではプラカードデモ。開始時刻の16時半より早く一番乗りで到着。アピールをしている間に参加者が三々五々集まり、最終的には20人の参加者。赤旗、朝日、毎日等の記者が取材に。主催者を代表して、名出さん(12・5老朽原発大阪集会にも参加)と知人の溝渕さんの2人が、四国電力社員の前で抗議文を読み上げ、手渡した。
以下抗議文の要約
「伊方原発は日本一長い佐多岬半島の付け根にあり、事故が起こればその先の住民の避難は困難で、実効性ある避難計画はない。原発で利益を得ている四国電力には、避難計画を作る義務はなく、それを自治体に押し付けるなど許せない。コロナ禍ではなおさらである。一民間企業の利益のために、多くの住人の命や暮らし、故郷を奪い、負担と危険と犠牲を押し付けるなど絶対に許せない。四国電力は明日伊方3号機の再稼働を目論んでいるが、一昨年から人的ミスによるトラブルが続き、会社全体として無責任と危機感のなさが蔓延している。自治体も四国電力も、不都合な危険性の指摘は認めず、想定範囲を小さくして、事故が起きれば『想定外でした』という出鱈目。私たちは伊方3号機の再稼働を絶対に認めない。今すぐ中止し、廃炉を決定すべきである。」
私からは、瀬戸内海につながる兵庫県住民としての連帯した闘いをアピール。12・5老朽原発大阪集会と12・26反原発伊丹集会の宣伝と応援歌で締め、18時前終了。四国各地の同日行動参加者は、伊方原発前に20人、松山原子力事業本部前に30人、高知支店前に10数人だそうです。
反戦タイガース兵庫
東電株主代表訴訟が結審
東電の弁護士費用は電気料から
反原発勢力が資本主義の土俵に斬り込み、安全管理をないがしろにして福島原発事故を起こし東電に損害を与えたとして役員を訴えた東電株主代表訴訟が、11月30日に東京地裁で結審を迎えた。
当初は20人以上を相手取ったが、スピードアップのため途中から5人に絞って進行していた。それでも裁判は9年8カ月に及び、62回の法廷を数えた。開廷前の裁判所前行動では東電が会社として役員側に補助参加していることが弾劾された(写真)。会社に損害を与えた役員を守るために毎回20人近くの弁護士を投入して来る、その費用は全て市民が払っている電気料金だ、とも訴えられた。
判決は来年7月13日。裁判所を追い詰める運動を展開して勝利を切り開こう。
11・27廃炉デー集会
市民の力で原発とめよう
とめよう! 東海第二原発首都圏連絡会の主催による「11・27廃炉デー集会」が都内で開かれ100人以上が参加した(写真上)。裁判をめぐる状況・今後の運動の取り組み方・避難の状況・等々が語られた。
「東京も強く汚染されたまま」「原発や事故についての市民の認識が低すぎる」「当時は何人もの子どもが大量の鼻血をながし手術が必要になったケースさえあったのにもみ消されてしまった」「敦賀原発でデータを改竄した原電が東海第二でやってないわけがない」等々と訴えが続いた。「市民の力で原発を止めよう」の訴えを拡大していこう。
労働組合つぶしを許さない兵庫の会
第2回総会と学習会
竹信三恵子さんが講演
11月26日神戸市内
これまで最大の120人が集まった(11月25日、神戸市内) |
11月26日夜、神戸市内で「労働組合つぶしを許さない兵庫の会の総会と学習会」が120人の参加でおこなわれた。
まず岩佐卓也さん(神戸大学准教授)の主催者挨拶があり、続いて事務局の小西純一郎さん(ひょうごユニオン)より活動経過報告と会計報告が簡潔にされ承認されました。そして全日本建設運輸連帯労働組合書記長・小谷野毅さんと関西地区生コン支部執行委員・松村憲一さんが現場からの報告をしました。
竹信三恵子さんが提起
講演する竹信三恵子さん |
つづいてこの日のメイン講師でジャーナリストの竹信三恵子さんが登壇。竹信さんはまず「関生支部は何を目指したのか?」と、「通産省が主導した競争の正常化政策が実現できず生コン業界は異常な供給過剰状態に陥っていた、そこで関生支部は協同組合の力で価格適正化を実現した」と語りました。次に関生支部はなぜ弾圧されたのか、について「のべ89人もの逮捕者はどう考えても異常な弾圧だ。組合員は誰一人暴力行為などしていないのに」と述べた。
これには国家権力の関生支部を潰そうという強い意志が感じられる。そのため裁判では意図的に労働法用語を刑事事件の用語にすり替えている。そして1980年の逮捕の際の検事発言から、権力側が許されないこととしている3つのことを指摘した。@下請け・孫請けの労働者の雇用責任を親会社に持っていくこと、A不当労働行為を解決するにあたって実損回復のみならず、経営者に解決金を科してきたこと、B企業の枠を超えた連帯行動と称して同情ストライキをかけたり、労組のないところに動員をかけたりすること、などである。
また国会でも維新・足立康史議員の破防法適用要求や、自民・杉田水脈議員の大量逮捕・被害額甚大・返還要求という論理的飛躍質問がおこなわれ、さらには裁判所では衝立が置かれたりして、関生支部は反社会的集団というイメージ操作がなされた。
さらにマスメディアの果たした役割については、関生支部の悪口は書き、良いことは書かない傾向があった。ネトウヨに月70万円の仕事として、ネット上に記事やどこからか取ってきた映像を掲載させている、とした。
最後に私たちができることとして、この事件を公開の場で話題にして金縛り状態を解くこと、SNS上での対抗報道は誰でもできるのですること、黙って放置すれば憲法28条の解釈改憲・社会運動全般への弾圧に応用されること、企業内労組だけでは働き手の4割を占める非正規とワーキングプア問題は解決しないことを認識すること、控訴審・中央労働委員会に注目して闘いの輪を広げることなどが提起された。パワーポイントを駆使しての1時間余りの話は分かりやすく、大変有意義な内容だった。(大北健三)
4面
東京8区からの報告 10月総選挙の結果と展望(下)
多数独裁型=改憲をめざす岸田政権
D そうした課題を鮮明に共有しつつ、独自の党派性を強化して、民衆に訴えてゆく力をつけていくことが課題となる。「野党共闘」は議席の寄せ集めによって連立政権を形成する共闘関係(今日的には欧州に多いが、これも大変な「野合」である)とは違って、小選挙区制という無効票を多くして民衆の意志を大きく削ぐところから出てきたのに対抗する闘い方であるが、主要には選挙戦術であって小選挙区で勝利を積み重ねて政権をとるというものである。文字通り「野合」そのものであるが、それが「野合」によって形成されている与党(自公政権)をひっくり返す如意棒なのである。
こうした点では、選挙名簿を自民党から提出させながら党勢を拡大してゆく公明党の方が一枚上である。
共産党にはいろいろな問題があり我々には改憲・戦争・核開発・福祉…までいろいろと批判の対象であるが〜おそらく根本的には革命論〜人間観・社会観だろうが、小選挙区制での4党の「野党共闘」を実現して改憲攻撃を跳ね返してゆくにはそこのところの躊躇があってはならないのである。間違っても「野合」キャンペーンに負けて政権奪取に向けた共闘関係を崩してはならない。
問題は「共闘」を強めていくためにも独自の力を強化していくことであって、そこを逆転したら元も子もなくなる。独自の力とは党勢であり「市民共闘」の力である。
E 東京8区について言えば(『展望』21号参照)、前回のように日本共産党の離脱は十分あり得たし今回もそのような動きを直前まで多々していた。このあたりの駆け引きは公明党以下の統一戦線戦術である。また最後の局面にあって「れいわ」の山本太郎が出馬表明をしたのも立憲の内部問題(選挙を指揮する都連の幹部の自己保身的思惑)であったものだが、6年にわたって作り上げてきた自民党政権、安倍政権によって壊されてきた日本を民衆の手で何とか変えたいという候補者本人の執念、杉並という地域での地道な展開の実績の上で勝つという一点で闘った成果が、吉田はるみの当選であったし、最後は共産党の地域的政治性を救った「野党共闘」の実現は、自民党派閥の無能なファシストの小頭目石原伸晃を比例復活させない落選に追い込んだのである。そういう社会的地熱の高さが投票率(61・03%)をも上げたのである
F 米国の没落を頂点とする世界資本主義の経済停滞と対中・対北朝鮮との対立関係が深まってゆく中で、「軽武装・高成長」という敗戦国がとってきた従来の日本帝国主義の方向も大きく転換してきている。世界的には軍事対立をもたらす戦争危機だし、国内的にはフェイクが跋扈する右傾化の日本である。そういう中での危機に立つアメリカ、日米同盟の根本的転換が日本の改憲策動をより強くすることは間違いない。だがそんなことは1950年の朝鮮戦争を振り返るまでもなく繰り返してきた日本の戦後政治である。今もその対極には日本や世界の労働者民衆がいる。
こうした排外主義的攻撃に負けない労働者民衆の力に基礎を据えた国際連帯=革命的祖国敗北主義と「野党共闘」=労働者・民衆決起を強化することは、憲法というブルジョア的範疇とはいえ、我々の大きな必須の課題となっている。時は待ってくれない。来夏の参院選はこうした次へのステップへのさらに大きな試練となる。(2021年11月21日)
境野幸宏
(おわり)
日米共同演習(ヤマサクラ81)に反対
伊丹自衛隊への申入れ200回に
日米共同演習で伊丹駐屯地内( 緑ヶ丘)に林立する野営テント(12月1日) |
11月21日、陸上自衛隊第三師団(伊丹市/千僧駐屯地)に対する、〈とめよう戦争! 兵庫・阪神連絡会〉による200回目の申し入れ行動がおこなわれた(写真)。
この日は、中国敵視論に基づく陸上自衛隊の琉球弧・南西諸島に対する配備が強行されているさ中に「ミサイル基地化反対」を求めるとともに、12月1日からの中部方面総監部での日米共同指揮所演習(ヤマサクラ81)反対の事前行動としてもなされた。
10時半に千僧駐屯地西門に集まった10人の仲間は、岸田文雄総理大臣・岸信夫防衛大臣・自衛隊第三師団長らあての申し入れ書を担当官の前で読み上げ、とくに「琉球弧すなわち沖縄を中心として奄美大島、馬毛島、宮古島などを結んで軍事基地化が進んでいる」おり、「宮古島にミサイル弾薬が持ち込まれた」ことを強く弾劾した。
約5分の申し入れ書の読み上げ・手渡しののち、抗議のコール、アコーディオン伴奏つきの反戦歌の合唱。その後、阪急伊丹駅前での街頭宣伝行動へ。
陸上自衛隊第三師団への申し入れ行動は、2003年から始まった。05年5月7日の伊丹駐屯地からのイラク派兵に対しては連日の抗議行動。伊丹・宝塚に住む自衛官・家族の中からも派兵への疑問の声が上がった。その後も毎月1回の自衛隊の派兵や軍事演習強化に反対する申し入れ行動が持続され、この日で200回を迎えた。
12月1日〜13日の間、伊丹市緑ヶ丘にある中部方面総監部敷地内で、日米共同指揮所演習(ヤマサクラ81)が市民の抗議の声を無視してアメリカ兵・オーストラリア兵・自衛隊員、総勢3000人規模でおこなわれている。米兵らの来日には民間空港の大阪空港が使われ、コロナ禍で米兵・豪兵の夜間の伊丹市内の飲食街への外出が危惧されている。これに対し、止めよう戦争兵庫・阪神連絡会ともう1団体が、演習開始の12月1日午前9時、中部方面総監部に抗議・申し入れ行動をおこなった。市民に知らされないまま、中国・アジア諸国を敵視しての軍事演習が伊丹市内でおこなわれることは許されない。引き続き自衛隊の海外派兵、南西基地強化に反対していこう。(梶山研三)
フジ住宅ヘイトハラスメント裁判
控訴審に全面勝利
11月18日大阪高裁
裁判後の報告集会に多数の人たちが集まった(11月18日、大阪市内) |
大阪府岸和田市に本社を持つ東証一部上場企業・フジ住宅が、従業員の在日コリアン3世の女性にたいして会社ぐるみでおこなっているヘイトハラスメントに対して、被害女性が訴えていた裁判の控訴審判決が11月18日にあり、大阪高裁(清水響裁判長)は、原判決を変更し、損害賠償額を増額、さらにヘイト資料配布の差し止めを命じる判決を言いわたした。同時に、ただちに配布を禁ずる仮処分命令も出した。一審判決をさらに進める、原告の全面的な勝利判決だ。
フジ住宅は、在日朝鮮人民を非難するヘイト本及びヘイト文書を全従業員に配布し、感想文を提出させるなどを繰り返していた。また育鵬社教科書が採択されるよう教科書展示会に従業員を動員してきた。
こうした異常な社内状況に対し、在日コリアン3世の女性従業員がそうしたヘイト行為をやめるよう何度も会社に訴えたが、ヘイト攻撃は止まらず、逆にその女性従業員に対し、退職勧奨などをおこなった。さらにその女性が裁判に訴えると、彼女を非難する資料を社内で配布し続けた。
1審(大阪地裁堺支部)は、原告の訴えを認め、原告が勝訴。今回の高裁判決では、原告には「自己の民族的出自等に関わる差別的思想を醸成する行為が行われていない職場又はそのような差別的思想が放置されることがない職場において就労する人格的利益がある」と認めた。ヘイトスピーチは「その資料を配布する個別の行為のみであっても、もっぱら原審原告の民族的出自等に関わる差別思想を職場に於いて醸成」、原告の人格的権利を侵害したと認定した。
育鵬社教科書採択への動員について、判決は、使用者が自己の支持する政治活動への参加を労働者に促すことについては、たとえ参加を強制するものではないとしても、参加の任意性が十分に確保されている必要があるとして、その違法性を認めた。
さらに提訴後、フジ住宅が社内で、原告を含む全従業員に対し、原告について「温情を仇で返すバカ者」、などと侮辱的内容の他従業員の感想文を大量に配布し続けていることについて、職場において抑圧されることなく裁判を受けることができる人格的利益を認め、本件訴訟の提起及び追行(手続きを進めること)を抑圧したとして違法性を認めた。
フジ住宅が、ヘイトスピーチないしこれに類する資料及び提訴した原告を非難する資料の配布を、1審判決で違法性が指摘されても省みることなく配布を続けてきたことに対し、差止めの仮処分を命じた。
フジ住宅と今井会長は上告すると言っている。フジ住宅、今井会長は直ちに在日人民に対するヘイトスピーチ資料の社内配布をやめろ。労働者の職場における人格的利益を侵害する行為を中止せよ。
5面
沖縄レポート(11月25日〜12月4日)
玉城知事、設計変更不承認
11月25日 玉城デニー知事は、名護市辺野古の新基地建設にともなう軟弱地盤改良のため沖縄防衛局が提出していた埋め立て変更承認申請について、「不承認」と判断し、沖縄防衛局に通知した。知事は軟弱地盤の調査の不備や、環境保全への措置が不適切だと判断した。
県が設計変更を不承認としたことで、沖縄防衛局は軟弱地盤がある大浦湾側の工事ができない状況となった。ただ、沖縄防衛局は県の不承認を無効化しようと、行政不服審査法に基づく審査請求など、対抗措置を取るとみられる。その後、県は対抗措置の違法性を訴え、法廷闘争に移行する見通しだ。
知事の不承認の決断に、市民からは支持が広がった。軟弱地盤の問題を明らかにした土木技術者の北上田毅さんは「ずいぶん時間はたったが、やっと不承認を出してくれてほっとしている」と安堵した。シュワブゲート前の市民からも「不承認にしてくれてよかった。励みになる。これからも頑張りたい」「申請から1年7カ月以上が経過し、遅いと感じたが反論できる根拠をそろえたと思う。県民の民意を届けてほしい」など、市民は「知事がんばって」とエールを送った。
12月1日 防衛局は「N2」護岸を11月26日に完成させた。そして1日、N2護岸から埋め立て用土砂の陸揚げを始めた。これまでの「K9」「K8」護岸につづき3カ所から陸揚げすることで土砂投入を加速させる狙いだ。県は軟弱地盤の改良のための埋め立て承認申請を不承認とし、工事全体も止めるように求めていた。防衛局は県の要求に反し工事を続けている。防衛局は今後、設計変更が必要でない区域での工事は先行する構えだ。
3日夜 玉城デニー知事の「設計変更不承認」を支持する集会が沖縄と東京で同時開催された。沖縄県庁前では500人の市民が参加。市民は「知事の決断を支持し運動を拡大強化しよう」と決意を固めた。集会後、国際通りをデモ行進し、道行く人に知事の判断の支持を呼びかけた。
4日 オール沖縄会議は第1土曜日の「県民大行動」をキャンプ・シュワブゲート前で、1年2カ月ぶりに開催。県内外から800人が参加(写真上)。集会には玉城知事も駆けつけた。知事が登壇すると大きな拍手と指笛が鳴り響いた。知事は「国は軟弱地盤が分かった時点でしっかり調査すべきだった。見切り発車で不法な埋め立てと言わざるをえない。新しい基地は造らせない」と決意を語ると、さらなる拍手が沸き起こった。市民の熱気は右翼の妨害を跳ね返し新たな闘いの決意の場となった。(杉山)
旧優生保護法国家賠償控訴審に参加して
戦後最大の人権侵害
裁判所に入る原告ら(11月30日) |
11月30日、大阪高裁で、旧優生保護法国家賠償請求事件の控訴審第1回が午後3時から1時間にわたっておこなわれた。傍聴席は1席あけての席であり、ほぼ満席であった。昨年11月30日、除斥期間を理由に請求を棄却されたための控訴審である。
最初に弁護団が優生保護法は戦後最大の人権侵害だと述べ、障がい者に対する断種政策であり、国際法上の犯罪にすら当たり得る行為であると言い切った。
次に、控訴人である野村夫妻(仮名/ろう者)から涙の訴えがあった。子どもが生まれたが、もう亡くなられたという。その死因さえ知らされておらず、その後、なかなか子どもができない、つらい思いをずっとしてきたという。もう一人の控訴人は体調不良のため、弁護人が代理人として訴えた。
その後、午後4時半から弁護士会館で集会がひらかれた。弁護団から控訴審の説明、野村夫妻のあいさつがあった。最後に大阪聴力障害者協会会長が優生思想こそ差別であるときっぱりと話し、老い先短い被害者のためにも一刻でも早い勝利の判決を勝ち取らなければと強く訴えた。
次回は2月22日。この日は判決の言い渡し。多くの方々の傍聴をお願いしたい。(草川けい子)
倒すという気概の無い者に維新は倒せない
反維新統一戦線の形成を
今次総選挙での維新の「躍進」に打ちのめされ、「がっくり来た」「私たちの方に問題がある」など、評論に夢中の人々がいる。今回の維新の「躍進」の原因を探りどう対決するかは極めて重要だが、総選挙を闘わず維新と対峙してこなかった者がいくら作文を書いても、維新打倒の妙案など生まれるはずもない。
(1)維新は「躍進」したのか
確かに維新は、2017年総選挙の339万票・11議席に比し、805万票・41議席を獲得した。しかし前回は「希望」と棲み分け維新は埋没、遡って12年総選挙の1226万票・54議席、14年の838万票・41議席に比すと、議席数の「復調」でしかない。ただ大阪15選挙区で全勝(自民全敗、4選挙区は公明)と、兵庫は最大得票数で0議席から9議席(8は比例復活)という事実は「脅威」で、この点は重く受け止める必要がある。
維新が2008年橋下徹府知事の誕生、10年4月大阪維新の会結成で大阪に登場し10年余がたつ。この間に大阪府下では17の首長と、239人の自治体議員を擁する勢力になった。とはいえ維新はその弱点(後述)ゆえ、これまでも浮沈をくり返した。公務員叩きで勢いを増し大阪府・大阪市・堺市で主導権を取った橋下は、15年の「都構想」住民投票に挑戦したが敗北し政界引退に追い込まれた。19年には松井一郎・吉村洋文が「府市クロス選」に勝利し、20年に再度の住民投票に臨んだが再び敗北し、松井大阪市長は退陣表明に追い込まれた。吉村知事のもとで、府市一体化で医療・福祉が切り捨てられ医療崩壊をきたしコロナ死者数は日本一となった。いわば満身創痍の維新が今次総選挙でなぜ復活したのかである。
(2)なぜ大阪に定着
大阪に維新が定着した理由は、衰退する大阪へのルサンチマン(うらみの感情)、橋下や吉村の直截なモノの言い方が受ける、在阪マスコミ・芸能人がこぞって応援、というのが定番だがそれは事の半分だ。最大の理由は日本が長期不況で国際競争力を失い新自由主義が後退局面に入った時、自民党以上に新自由主義政治を実践したことと、その実現のための選挙勝利へのあくなき執念である。
今次総選挙は安倍・菅政治のコロナ失政・強権政治への忌避感・批判を、「政権交代の非現実性」の立憲民主党から、「手直し改革」の維新がかすめ取った事に尽きる。基本戦略は「身を切る改革」=徹底した新自由主義政治の断行だ。また選挙戦術としては、橋下の「選挙と選挙の間は独裁」を実践する首長・地方議員を使うドブ板・ノルマ選挙だ。府下の地方議員は自民党の156人、共産党の142人を上回る239人を擁し、彼らをフルに使い、自民党以上のどぶ板選挙をおこなう。ノルマは握手、電話かけ(1日600本)、辻立ちなどで、これを監視役がチェックし、手を抜こうなら叱責・処分・非公認が待つ。自民党地方議員は個人商店≠セが、維新はコンビニ≠ナ、成績が悪ければいつでも取り換えだ。
この選挙マシーンを大阪10区の辻元清美議員を標的に100人規模を投入。電話は100人×600回×12日=72万回。5人に1人が会話となると高槻・島本の有権者14万人と対話する。辻元が山崎拓を応援弁士に呼んだ翌日に吉村が高槻市入りし、聴衆に「辻元さんはソーリ! ソーリ! と批判するが、裏では副総理とズブズブの仲」と批判。これと連携して直後の2日間に100人が120人に電話で対話し2万4000人に批判のパンチが届く。これで辻元清美は敗退したと言われている。
もうひとつは自治体首長。2011年に3だったが、21年には17を押さえた。議会も第一会派が多く、首長・議会一体の市政運営をおこない、自分たちの支持層に補助金・利権を付与し、自民党に代わる支持基盤を固めていく。選挙後のBSの討論会で、立憲の長妻昭、国民の玉木雄一郎を前に、橋下は「強い野党の作り方」と称して「(長妻、玉木に)国会議員をやめ市長をやったら」と揶揄したほどである。
(3)維新の弱点は
この10年で政党として一定定着したが、それでも国政政党として主導権を取るにはハードルは高い。全国展開の最大の弱点は「都構想」に変わる戦略的旗がないことだ。
@唯一の看板だった「大阪都構想」が消滅し、「身を切る改革」「大阪万博」では全国制覇の戦略が立たない。そのため国民民主党との連携と改憲国民投票のアドバルーンをあげたが、まだ未定型である。また昨今唱えている「ベーシック・インカム」は福祉切り捨てが既に見抜かれている。
A今一つは次世代リーダーがいないこと。橋下、松井に次ぎ、3代目=吉村かと思われたが、「イケメン」で聴衆は集められても小心者で政治経験が足りず、11月27日の臨時党大会では代表選ができず、松井が今後も指揮を執ることに。また新役員の音喜多などは「都民ファ」敗北分子で、立憲やれいわと同様に維新は議員政党でしかなく、近代的政党としての組織実態を持たない。(つづく/岸本耕志)
6面
『左翼エスエル戦闘史』読後感想
あるいはロシア革命正史(2)
高見元博
『左翼エス・エル戦闘史』はその創始者のひとりであるマリア・スピリドーノワの伝記だ。彼女が歴史に初めて登場した1906年のツアーリの将軍へのテロルから、いくたびかの獄中生活と公然・非公然の政治活動を経て、その一番の功績は「左翼エス・エル」を創立したことだ。「左翼エス・エル」はロシア十月革命をボリシェヴィキと協力して成し遂げ、レーニンに請われて内閣に入り(スピリドーノワ自らはソビエトの幹部を務めており入閣していない)、後に離脱、ボリシェヴィキが農民からの収奪を意味した戦時共産主義を採用するにいたって決別。「左翼エス・エル」はモスクワで反ボリシェヴィキ蜂起をおこなったが敗北した。レーニン銃撃事件をきっかけに反革命と烙印をおされた。スピリドーノワは逮捕されたあと脱獄しての地下活動、また逮捕されて流刑地で存命中のところでこの本は終わっている。スピリドーノワはのちの1941年にスターリンの命令でトロツキーの妹ら多数の革命家と共に銃殺された。レーニンが殺すことはできなかったロシア革命の英雄もスターリンの時代には生かしておくことができなかったのだろう。スターリンはロシア革命史そのものを書き換えた。現在流布している「ロシア革命史」は勝者であるボリシェヴィキの歴史だし、スターリンによって書かれた歴史だ。(なおレーニンを銃撃したのはエス・エル党員だが個人的憤りによるものであり「左翼エス・エル」の指示ではなかったとスタインベルグは書いている。)
ロシア十月革命
十月革命はボリシェヴィキによって主導されたが、農民に基盤をおき工場労働者にも支持された「左翼エス・エル」の協力と同盟なしには成功しなかったとこの本には書かれている。エス・エルは1917年に左右に分裂しエス・エルがもっていた農民たちの基盤を「左翼エス・エル」は旧主流派のエス・エル右派と争って獲得していった。革命後に「左翼エス・エル」はボリシェヴィキに請われて入閣した。1918年のブレスト・リトフスク条約をめぐって、条約によってもたらされたドイツ軍の侵攻によるウクライナ分割とウクライナ人民への殺戮と強奪を許容できないと考えた「左翼エス・エル」は、あくまで講和を維持しドイツ革命を待つというボリシェヴィキと対立し内閣を辞した。トロツキーは自伝に当時の赤軍にはドイツ軍と戦うだけの実力はなかったと書いている。「左翼エス・エル」はウクライナにテロリストを送り込みドイツ軍司令官を暗殺するなどした。共闘はロシアの食料庫であるウクライナを失ったレーニン=ボリシェヴィキが戦時共産主義を採用して農民たちから種もみまで奪う食糧徴発分遣隊を組織するにおよんで決裂した。レーニンが銃撃され重傷を負った事件を契機に「左翼エス・エル」は反革命であると烙印されて非合法化された。一時、和解の気運が持ちあがるが折からクロンシュタットの反乱がおきて、ボリシェヴィキによる独裁が脅かされたことによってその機は失われた。
クロンシュタットの革命的水兵たちが主張したことをこの本ではじめて知った。それは「左翼社会主義者とアナーキストの言論の自由、農民と労働者の組合の自由、投獄されている社会主義者、労働者、農民、赤軍兵士、水兵の釈放、食糧徴発分遣隊の廃止、食料の公正な分配、農民による土地の完全な管理」などなど。当時のボリシェヴィキ以外の広範な革命的兵士・水兵と労働者と農民の要求を反映したものだった。この反乱は問答無用にトロツキーが指揮した赤軍によって軍事的に鎮圧された。この時には、戦うことを拒否する赤軍将兵は背後にすえつけられた機関銃で射殺されたと言われている。こののちに、「左翼エス・エル」党員は流刑地と精神科病院と監獄につながれ、農民たちは反抗すれば銃殺された。著者スタインベルグは亡命した。スピリドーノワらには最後にはスターリンの粛清が待っていた。
希望のもてる事実
『左翼エス・エル戦闘史』から最初に分かったことは残念な事実だった。僕がこんにちの「マルクス=レーニン主義」者(この言い方はスターリンの規定だ)のなかに見いだしている無味乾燥な経済法則信奉が1905年のロシアのマルクス主義者=社会民主党(ボリシェヴィキもメンシェヴィキも)のなかに見いだされたこと。それがロシアの田舎の若き社会主義者であったスピリドーノワをしてもう一つの社会主義政党だった社会革命党(エス・エル)に走らせたという事実。当時のマルクス主義者はすでに資本主義の経済的発展が共産主義を必然化するという即物主義的唯物史観を持っていた。また、社会革命をもたらすのは労働者階級だけであり、農民やインテリゲンツィアなどの小ブルジョワジーは革命にとってはほこりのような付随物にすぎないとみなしていた。僕が「マルクス=レーニン主義」者の特徴であるとして非難してきたこれらの即物主義的唯物論がまだレーニンが主導権を持っていなかったロシアのマルクス主義者にはすでにはじまっていたことはきわめて残念な事実だった。
もう一つ分かったこと。こちらには希望が持てる。1900年にはまだロシアの革命派はインテリゲンツィアや学生にしか見いだせなかった。それ以降、農民や労働者のなかに革命派は広がっていき、日露戦争の敗北によってもたらされた1905年の革命後、旧来「マルクス=レーニン主義」者が宣伝してきたようにボリシェヴィキが発展しただけではなくて、社会革命党(エス・エル)も大衆的基盤を持つようになった。1917年二月革命後エス・エルは左右に分岐し十月革命時にスピリドーノワらによって「左翼エス・エル」が結成された。当初、農民に対する影響力はエス・エル右派が握っていたが、11月に開かれた第二回全ロシア農民ソビエト大会では「左翼エス・エル」が350議席をえて第一党になった。(エス・エル右派は305議席で第二党、ボリシェヴィキは91議席だった。)(人数は『レーニン全集26』による。)(つづく)
寄稿
「大深度地下」工事で陥没事故(下)
トンネルは掘ってみないと分からない!?
西川雄二
リニア工事は止めるべき
いずれにしても、大江戸線のトンネル工事で事故や陥没がなかったからと言って、別のところでそれがないとは言い切れない。大深度のシールドトンネル工事であれば「地上への影響はあり得ない」ことはあり得ず、このような答弁や住民説明をしていたのであれば、国土交通行政への信頼をぶち壊すものである。また住宅地で陥没事故が起これば住宅の資産価値が下がる。外壁のひび割れ等、陥没や工事の振動に伴う直接の被害は補償されるだろうが、資産価値低減に対する補償についてNEXCO東日本は明言を避けているようで、住民の不満、不安は高まっている(ハーバービジネスオンライン「外環道建設中に起きた調布市の陥没事故、資産価値低下を危惧する住民に不誠実な対応のNEXCO東日本」)。
なお飛騨トンネルが難工事であった事例をあげたが、中央リニア新幹線工事ではより地質が複雑そうな南アルプスをぶち抜く長大トンネルが計画されており、そちらの工事のほうがいっそう難工事になることが予測される。また東京都内や名古屋市近郊で、大深度地下を活用したトンネル工事がおこなわれる。これまでシールドトンネルを掘った経験がない地層を延々と掘り進むことから、今回の外環道で起こったような陥没事故や、別の事故、不具合が起こることも予想される。にっちもさっちもいかなくなる前に、事業主体であるJR東海はさっさと計画、工事を止めておくべきだろう。(おわり)
7面
10・31「骨格提言」の完全実施を求める大フォーラム(上)
貧困許さず、「いのちの選別・切り捨て」と闘う
関東「障害者」解放委員会 松浦淳
本紙330号で既報のとおり、10月31日に、〈「骨格提言」の完全実現を求める大フォーラム実行委員会〉が全国をZOOMで結んで集会をおこなった。そこで語られた声を紹介する。
メイン会場(大田区産業プラザPIO)に参加の人々(10月31 日、東京) |
貧困に抗して
反貧困ネットワーク理事長の宇都宮弁護士は連帯あいさつで、昨年からの新型コロナウイルス感染の中で、「緊急事態宣言やまん延防止等重点措置などにより、多くの人々が仕事や住まいを失ったり事業継続が困難になるなどして、生活に困窮する人が急増しました」、「新型コロナ災害緊急アクションには連日、所持金が数百円しかない、もう何日も食べていない、このままでは死んでしまう、などの悲痛なSOSメールが寄せられています。寄せられたSOSメールはこれまでに700件以上に及んでいます」という状況を報告。41団体で結成された新型コロナ災害緊急アクションでは、相談会や「大人食堂」を開いてきた。「これからの日本社会は、目先の経済効率性よりも人々の命や暮らし、人権、環境が重視される社会、自己責任よりも社会的連帯、支え合いが重視される社会に転換していく必要がある」と語った。
パンデミック下での「いのちの選別・切り捨て」と闘う
今年1月、東京の杉並区長が、新型コロナウイルス感染者の誰を救命治療の対象とするのかしないのか、といういのちの選別基準を作るよう、東京都に申し入れ、また、文春オンラインでも主張した。この問題について区内で闘っている〈障害者福祉を考える杉並フォーラム〉の代表は、区長への申し入れ、シンポジウム、区への話し合い要請をおこなっていることを報告した。
他方、高齢者や「障害者」の施設、あるいは精神病院の中で、多くのクラスターが発生し、救命治療も受けられないままに死んでいく状況が続いている。とりわけ、沖縄県うるま市にある「うるま記念病院」では、1月に76人の感染者、そして14人の死亡者を出した。さらに、7月にもクラスターを発生させ、患者の63%が感染し、71人が死亡する事態を引き起こした。この病院では、1月のクラスターにも拘わらず、その後も、感染者と非感染者を分けるゾーニングもおこなわず、ワクチン接種も7%の患者にしかおこなっていないという状況だった。この病院は、精神科病院であり、「認知症」や「終末期」とされる人たちをも含めて収容してきた。
そして、沖縄県でも、コロナウイルス感染対策の専門家会議において、命の選別の指針を検討する、との報道があった。
この事態について、沖縄県名護市にある北部自立生活センター希輝々の代表から闘いの報告がおこなわれた。自立生活センター関係、「精神障害者」家族会の沖福連、「知的障害者」家族会である育成会が一丸となって行動を開始している。精神病院のクラスターの実態や県の指導についての情報公開を請求し、記者会見、知事への対面による要請、そして、10月19日にはうるま病院への調査もおこなったとのことである。
「国は、全国の自治体とハイリスクの精神科病院での院内感染の構造や人員の調査をし、把握して対策を講じるべきであり、そして、適切な医療と感染流行期の実態調査をし、専門病院への速やかな転院を保障し感染症患者を受け入れる施策を推進すべきだと思います。…今後も当事者として、社会的トリアージによる命の選別がされないように、あるがままに、希望や夢を描き、障害の有無を問わず共生社会の実現を目標とし声をあげていきたいと思います」と締めくくった。
精神医療の抜本的変革を
続いて発言した沖福連理事の方は、うるま病院の大規模クラスターといのちの切り捨てについて、「今回のうるま記念病院でのクラスターによる国内最多の死亡者を出し、多くの尊い命が失われた事に対して、うるま記念病院に重大な責任がある事は紛れもない事実であるが、一方で感染を急拡大させた大きな要因として、精神科病院の閉鎖性という、わが国の精神科医療の特異性が挙げられる。」と指摘した。NHKでも報道されたように、東京の精神病院においても、感染者と非感染者を分けずに収容し、一つの病棟全員が感染する病院、感染者を大部屋に集めて南京錠をかけ閉じ込めている病院がある。閉じ込めた部屋には、囲いのないポータブルトイレが置かれ、ナースコールさえない。行政はこれを把握しながら、何の手立ても取ろうとしていない。私立精神病院を束ねている日本精神科病院協会の会長は、保安にも貢献しているのだ、と差別的なその姿勢をあらわにして、こうした事態の改善をはかろうとはしていない。
こうした状況について、「患者の命を切り捨てる、非人道的な残虐行為そのもの」と弾劾し、「わが国の精神科医療の特異性を生み出した大きな要因は、一般医療とは隔絶させてきた『精神保健福祉法』と、医師・看護師・薬剤師の配置基準を他科と比べ低い水準で容認している精神科特例にある。これらの法律および制度の廃止なくして、患者本人の治療意思を尊重し、人間としての尊厳を損なわない治療環境と十分な人的サービスを担保していくことは不可能である」と、根本的な変革が必要なことを提起した。
この問題については、日本障害者協議会(JD)の方からも問題提起があり、厚労省に申し入れをおこなったことが報告された。
つぎに兵庫県精神医療人権センターの方は、「兵庫県では今なお1万1千人を超える人々が、支援さえあれば地域で当たり前に暮らせるのに、地域から切り離されて精神病院にいることを強いられています」と報告し、その中で、神出病院のような虐待が起こっていることを指摘した。刑事事件として立件される以前から、虐待は日常化していた。
「この加害者6人が事件の起きた病棟で働き始めたときは、すでに先輩看護師らによる虐待は当たり前のこととなっていて、虐待ができて一人前というゆがんだ空気が病棟を満たしていたということが裁判で明らかとなりました」。「神戸市の調査によって、医師の指示によらない複数の患者を一つの部屋に入れて外からガムテープでドアを塞いで2週間も閉じ込める、車いすにガムテープでぐるぐる巻きにするなどの、もはや隔離や拘束ではなく監禁や拷問と呼ぶしかない違法行為も常態化してい」たと報告した。
神出病院の患者の4割以上が、「認知症」高齢者とのことだ。「空き病床ができると、同じ敷地内にある高齢者施設から入居者を移すようにと、元院長から指示されていたとの証言があります」。こうした事態を推進したのが2015年に厚労省が発表した「新オレンジプラン」であり、この構造が新型コロナウイルスクラスターを発生させる原因となっていることも指摘された。
日本弁護士連合会は、10月15日に、強制入院制度の廃止を含む抜本的な制度改正の推進を決議した。5人に1人が「認知症」になり、10人に1人がうつを経験し、100人に1人が「統合失調症」を発症するとされる。精神医療の根本的改革は、すべての市民にとって急務の課題だ。
警察官による「知的障害者」殺しを繰り返させない
障害者自立支援法違憲訴訟を闘い、「骨格提言」作りにも直接携わってきた藤岡弁護士は、2007年9月に起こった警察官による「知的障害者」殺しを、二度と繰り返させてはならない、と発言した。「作業所からの帰宅途中、自転車をこいでいた25歳の知的障害のある青年・安永健太さんが、パトカーに乗った警察官らに不審者と誤解されてサイレンを鳴らすパトカーで追いかけられた末、沢山の警察官に道路に取り押さえられて、後ろ両手錠をされて、心臓圧迫死に至らされた事件です」。
「裁判は2016年7月までに決着し、警察官は無罪で、警察の行為は合法であるとの結論でした」。「福岡高裁の法廷で警察官は、普段警察活動の最中に、市民に障害者がいるなどとは考えていないと言い切りました」と警察と裁判所の態度を弾劾した。
その後、2017年7月に〈安永健太さん事件に学び 共生社会を実現する会〉=略称〈健太さんの会〉を結成し、警察官職務執行法の改正を求めて活動が続いている。(つづく)
8面
本の紹介
維新打倒のために
『大阪の選択〜なぜ都構想は再び否決されたのか〜』
はじめに
維新や橋下を取り上げた類書のほとんどは維新を部分的に批判はするが、結局は維新賛美に終わる。その中で、維新を本気で打倒するために本書を取り上げる。岸田文雄首相が自民党総裁任期中の改憲を主張しているとき、維新は改憲の中身として、「国民に指示・命令ができるような」改憲をとなえている(松井一郎・日本維新の会代表)。こんな維新は打倒する以外にない。
本書は、印象批判的な維新批判ではなく、データの分析に基づいて維新の強さと弱さを明らかにしている。
本書で学ぶ維新の問題点
第一に、維新は草の根の固い支持層を持っていない。不安定で、強度が弱く、均質性にかけるその支持層の特徴は、10年たっても変わっていない。
第二に、橋下や吉村のポピュリスト的煽動は維新支持につながっていない。SNSの積極的利用、善悪二元論的な図式化と「敵」への攻撃は支持を拡大させていない。橋下は、初めの2年だけは維新支持に貢献したが、それ以降は橋下支持も低下の一方であった。吉村支持も都構想支持につながっていない。
第三に、維新は「改革政党」だから支持されるのではない。「大阪市民は愚かだから、ニセの改革にダマされる」などと主張する者こそ愚かである。
2015年と20年に「都構想」の可否を巡って住民投票がおこなわれた。いずれも維新の支持がピークに近い時であったが、2度とも僅差の反対多数で否決された。反対の理由で多かったのは、大阪市廃止、特別区設置のコストがかかりすぎることと、住民サービスの低下である。とくに2度目の当初、都構想支持が圧倒していたが、最後に反対が制する。しかも1度目の時よりも差は開いた。
この要因について、著者は、投開票日11月1日の直前の10月26日、大阪市の幹部が市廃止、特別区設置で毎年218億円の赤字が出ることを暴露したことや反対運動が従来を超えて盛んであったことなどが反対への転換の大きな要因とはなっていないと言う。そして著者は、松井大阪市長が、このことを暴露した市幹部を処分までおこなって撤回させ「捏造」とまで言って事実を否定したことを挙げ、その激しい動揺と怒りが市民の不信を買ったことに求める。しかし追い詰められた松井をかくも怒らせ、「市幹部処分」の強行に至らしめたのは、草の根からの激しい反対運動の力であった。
維新の強さと弱さは何か?
なぜ大阪では維新支持者が多いのであろうか?
著者によると、それは、東京に対抗して維新を支持するのではなく、府・市一体化のメリットを評価するからであるという。現に、自民党も共産党も維新以外の他会派は、大阪市の独自性を対置することに終わっているのに対し、維新は議員団を府・市一体で動かし、多くの施策を実現している。
バブル崩壊以降の大阪府・市は、横山ノック知事時代、太田房江知事時代を通じて「地盤沈下」してきた。年間所得が2百万円以下の世帯が全体の4分の1に及び、生活保護受給者も犯罪の発生率も、ホームレスの数も全国1になった。府の税収も1990年の1兆3510億円の黒字をピークに、実質赤字が拡大した。大企業の本社はどんどん東京に移転し、製造業の空洞化も甚だしかった。これに対して維新は、前者の危機を後者の危機のようにすり替え、「成長の復活」、カジノ・万博誘致などを煽った。そして「大阪衰退」の原因を府市二元行政のためであるとして、府市行政の一体化、民営化、リストラと公務員バッシングを展開し、自治体議員の奪取→首長の獲得→国政進出の手順で地方から新自由主義的「反乱」を組織してきた。「不祥事のデパート」と言われ、維新の看板にしがみつくことによってしか議員になれない存在が多いほど、松井ら維新幹部にとっては統制しやすい。彼らの選挙の強さと言われるものは、維新の議員の強制動員、政務活動費の吸い上げなど違法ぎりぎりのやり方によっている。住民の草の根的決起こそ、強権・腐敗の構造を打ち破ることができる。(落合薫)
シネマ案内
『?山魚譜』
監督:イ・ジュニク 韓国映画(2021年)
『?山魚譜』とは、丁若銓が書いた著書の名前。?山(黒山島/フクサンドのこと)周辺でとれる魚や海の生き物について、その生物的特徴を観察記録しただけでなく、漁獲方法、食べ方、用途までを詳細に書いている。丁若銓がどういう経緯で、どうしてこの書を記すことになったのか。これが、この映画のテーマなのだ。
監督のイ・ジュニクは、『空と風と星の詩人 伊東柱の生涯』(2016年)、『金子文子と朴烈』(2017年)など、歴史的人物を描いた映画をつくっている。今回は、丁若銓(1758―1816)という歴史上の人物に焦点をあて、この映画をつくった。
時代は1800年頃の朝鮮。この頃、西洋から自然科学やキリスト教が入りはじめていた。丁若銓は、国王から信頼をうける実学者であったが、天主教を信仰していた。彼は新しい思想をも受け入れていたのだ。やがて、貞純王后が権力をにぎると、彼女は天主教にたいする弾圧を始めた(1801年)。丁若銓は、天主教の信者であることを理由に、黒山島に流刑される。
丁若銓は、この島に住み込み、人情豊かな島民の生活にふれる。また、新鮮な魚の味に舌鼓を打ち、めずらしい海の生き物に感動する。やがて、黒山島での生活を受け入れ、知的関心がひろがっていく。島の若い漁夫・昌大は、海の生き物の生態にはめっぽうくわしい。彼の知識は生活のなかで獲得したものだ。丁若銓は彼から魚にたいする知識を学んでいく。昌大は丁若銓から学問を学んだ。映画は、この二人の交友とともに、丁若銓が『?山魚譜』(1814年)をまとめるまでを描いていく。
当時、朝鮮では、学問は国を統治するために存在し、学者は権力者をささえた。丁若銓は漁民の生活に接することで、学者のあり方に疑問をいだき、民衆に役立つ学問をめざす。こうして、イ・ジュニク監督は丁若銓の生き様を提示することによって、「民衆が幸せに生きられる社会はどうあるべきなのか、どう作っていくべきなのか」を観客に問うていく。これはきわめて今日的な課題なのだ。
一方、昌大は丁若銓から学問を学び、故郷の島をすて、官僚として立身出世したいと考える。しかし、官僚試験に合格したものの、そこは彼が考えていた世界とは違っていた。私利私欲と権力欲にまみれていた。彼は黒山島に帰り、漁師で生きることを決断する。
たんに歴史映画というだけではなく、学問・知識とはどうあるべきなのか、個人が生きるとはどうあるべきなのか、これからの社会はどうあるべきなのか、こんなことをいろいろ考えさせられる映画だった。(鹿田研三)
冬期カンパアピール
読者・支持者の皆さん。年末にあたり冬期カンパを訴えます。ご協力お願いします。
10月31日、総選挙がおこなわれ議席数では自民・立憲などの既成政党は停滞・低落し、維新・れいわの新興政党が飛躍しました。多くの人民が改革・変革を望んだのです。その背景には資本主義の行き詰まりがあります。90年のバブル発生と崩壊、08年のリーマンショックで世界は過剰生産の壁にぶつかっていることが明らかになりました。その資本主義の危機を乗り切るために政府や資本家は、新自由主義・グローバル化を掲げ、赤字国債発行で作り出した膨大な予算を投入して経済を維持しようとしましたが、その結果、格差・貧困はますます拡大しました。そこに世界的なコロナ・パンデミックがおこり非正規雇用労働者の多くが失業させられ多くの人民がこのままでは生きていけないと実感しました。
れいわの山本太郎代表は「生きていて良かったと思える社会を創ろう」と提起しました。私たちは人民とともにこのれいわを押し上げる中に未来社会に向かう可能性があると考え、勝手連的にれいわを推薦し、各候補をボランティアとして応援してきました。この決断と活動は間違ってなかったと思います。
岸田自公政権は顔(表紙)を変えただけの安倍継承政権です。維新は、それをより新自由主義的に引っ張ろうとしています。岸田政権は、経済が行き詰まりの危機に陥っているが故に、対中国敵視政策を掲げ、排外主義をあおり、軍事費をGDPの2%にする大軍拡・軍事大国化の道に踏み出そうとしています。沖縄・奄美における自衛隊の配備や敵基地先制攻撃論、さらには原発の新規建設や憲法改悪の主張にそれは示されています。
私たちは、岸田自公政権および維新を打倒し、人民と共に、人民のための未来社会実現に向けて闘い抜いていきたいと思っています。
読者・支持者の皆さん、今後の闘いのためにカンパをお願いします。
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