未来・第330号


            未来第330号目次(2021年11月18日発行)

 1面  老朽原発このまま廃炉!
     12・5大集会(うつぼ公園)に集まろう

 2面  れいわ山本代表、大石さんら当選
     新自由主義 岸田政権との対決を

 3面  (総選挙結果)
     れいわが健闘、沖縄は伯仲

     大石あきこ当選 街頭報告会 11月6日
     組織に依拠せぬ人々の力      

     兵庫8区つじ恵
     次につながる闘い
     比例近畿の勝利を実現     

 4面  10・31障害者大フォーラム 全国つなぐ
     神出病院を許さない
     兵庫会場

     大阪梅田 水曜デモが再開
     ソウル日本大使館前と連帯
     11月3日

     〈寄稿〉
     不都合なことは聞かないで口を塞ぐように(上)
     古井正代(脳性まひ者の生活と健康を考える会)

 5面  東電経営陣責任裁判 11月2日
     現場検証求め控訴審始まる

     伊方原発 運転差し止め認めず
     無理難題を住民に課す

     さようなら原発 集会&シンポ
     武藤類子さんらが訴え
     10月23日 東京

     反原子力の日
     銀座をデモ行進
     10月30日

     関電元会長ら不起訴
     金品受領など立件せず
     11月9日

 6面  論考
     パレスチナ解放闘争への接近(上)
     帝国主義とパレスチナ人民
     鳥居強右

     (おわびと訂正)

 7面  マルクス『資本論』に学ぶ(3)
     商業信用・銀行信用とは何か
     松崎五郎

     南西諸島での大軍事演習に反対
     170人が防衛省に抗議

 8面  ミャンマークーデター抗議行動 10月31日 神戸
     日本ミャンマー協会が元兇

     『命より金!?』汚リンピックの正体
     10月29日 大阪で報告・討論会

     原発のない社会を
     元原発エンジニア・蓮池透さんが講演

                 

老朽原発このまま廃炉!
12・5大集会(うつぼ公園)に集まろう

老朽原発うごかすな!をかかげ大集会ののち、御堂筋をデモ行進(6月6日、大阪市内)

いよいよ「12・5老朽原発このまま廃炉!大集会inおおさか」が迫ってきた。万難を廃してうつぼ公園に集まろう。

10月23日美浜3号機が停止

美浜3号機は10月25日に特重施設完成期限を迎えたが、工事未完成のため、10月23日に停止となった。関電は、「同原発の特重施設完成には、あと1年近くかかり、2022年11月に原子炉起動予定」と発表している。ちなみに再稼働をめざした高浜1・2号機は今年6月9日の特重施設完成期限に工事が間に合わず、再稼働もできないまま。高浜1・2号機の特重施設は完成まで2年近くかかり、2023年夏まで動かすことはできない。
10月23日、美浜3号機が停止したことを受けて、10月25日美浜現地で、「美浜3号もう動かすな! 現地行動」がたたかわれた。10月23日〜12月4日「老朽原発このまま廃炉!キャンペーン」が、関西各地や全国でたたかわれている。ヒトリデモやスタンディング、集会やアピール行動など工夫をこらした行動が取り組まれている。関西、全国で「老朽原発このまま廃炉!」の声をさらに大きくしていこう。
10月22日、第6次エネルギー基本計画を閣議決定した。基本的内容は、原案どおりである。2030年の構成比として、再生可能エネルギー36%、原子力20〜22%としている。また石炭火力も19%である。原発の新増設には言及できていない。他方、核燃サイクルや小型モジュール炉の開発を掲げている。
しかし、いずれもなんの展望も示すことができていない。また衆議院選挙において、「原子力ムラのドン」の1人であり、原発新増設を真っ向から掲げ、エネルギー基本計画の見直しを主張していた自民党幹事長・甘利が、選挙区で歴代自民党幹事長として初めて落選・失脚した。岸田政権のエネルギー政策の根幹が出発点において破産したのである。

11月23日〜27日高浜―美浜リレーデモ

11月23日〜27日には、高浜〜美浜をつなぐリレーデモがおこなわれる。11月23日高浜原発ゲート前で抗議集会をおこなったのち、高浜町役場を出発し11月27日美浜町、原子力事業本部〜美浜町をつないで、若狭一帯で「老朽原発このまま廃炉!」「全ての原発を廃炉に!」を訴える行動として取り組まれる。
また、フランスを出発したMOX燃料が、11月後半、高浜原発に搬入されようとしている。
「12・5老朽原発このまま廃炉! 大集会inおおさか」は今後の反原発闘争にとって、結節点的たたかいである。老朽原発の廃炉から全ての原発廃炉に向かうことができるのかどうか、12・5大集会のひろがりにかかっているといっても過言ではない。
全力で12・5うつぼ公園に集まろう。難波に向かって、御堂筋を人々の「老朽原発このまま廃炉」「原発全廃」の思いで埋め尽くそう。(仰木明)

「老朽原発・美浜3号もう動かすな!」
高浜→美浜リレーデモ 開始
とき:11月23日(火休) 
※27日(土)までの連続5日間
主催:老朽原発うごかすな!実行委員会

老朽原発このまま廃炉!大集会inおおさか
とき:12月5日(日)午後1時
ところ:うつぼ公園(大阪市西区)
主催:老朽原発うごかすな!実行委員会



れいわ山本代表、大石さんら当選
新自由主義 岸田政権との対決を

国会にのりこむれいわ新撰組の山本太郎代表(中央)、大石あきこ衆議院議員ら(11月10日、東京)

2面

れいわ山本代表、大石さんら当選
新自由主義 岸田政権との対決を

10月31日投開票された総選挙は、自民党・公明党が293の議席を確保し、維新が4倍増。そのぶん立憲民主党が後退し、自公政権が継続する結果となった。安倍政権7年8カ月を継承した菅政権はコロナ禍の無策で1年で退陣を余儀なくされたが、権力党派=自民党は「新しい資本主義」をかかげた岸田文雄を新総裁に選び、旬日をおかず解散・総選挙にふみきった。これに対し立憲野党は反自民の気運を有効に組織できず競り負け、維新に奪われ、敗北を喫した。立憲民主党の敗北はこの4年のあいだ敵失のみに頼り、「あなたのための政治」と言いながら「ボトムアップの政治」をただの1度も実践しなかったこと、反原発を政治課題にできなかったことに尽きる。野党共闘も日常的な積み上げは極めて限定的で、選挙直前の候補者降ろしは数合わせでしかなく、必ずしも有効打とならなかった。その中でひとり気を吐いたのは山本太郎を代表とする「れいわ新選組」だ。安倍・菅新自由主義政治、コロナ禍の格差・貧困の拡大に対し、「生きててよかった社会」を作ろうと呼びかけ、比例で220万票、3議席を獲得し、自公政権に打撃を与えた。
 われわれは2015年安保法制闘争以降の、安倍改憲政治とその継承と闘いながら、「市民と野党の共闘」を進め政権交代をめざしたが、残念ながらそれは実現できなかった。しかし戦争と格差・貧困を進める自公政権との闘いは持続する。維新もあわせた再び三度の憲法改悪に手を着ける攻撃に対しては、この6年間を上回る戦闘的大衆的決起と、これを体現する政治勢力の登場で、必ずやごく短期間のうちに安倍継承政権たる岸田政権を打倒するであろう。(2面へ続く)(1面からの続き)
つじ恵(兵庫8区)の応援と比例票おこしのため神戸入りした山本太郎代表。元自治大臣石井一さんがとび入りで応援(10月28日。神戸三宮マルイ前)

怒りを組織できない立憲民主党

 今次総選挙の最大の特徴は、安倍・菅政治9年のいき詰まりと、それを隠蔽する岸田政権登場にたいして、立憲野党がこれに有効な反撃が出来なかったことである。経済成長が止まり、賃金は上昇せず、消費税ばかりが上がり、人々の生活は困窮をきたしていた。そこへコロナ禍が襲いかかり、1%の富裕層をのぞき、貧しいものはますます貧しくなる生活が続いていた。コロナ禍の生活苦のなか、菅政権末期に強行された東京五輪は1964年と違い何の「感動」ももたらさず、菅政権の支持率は急速に低落し、選挙の顔として通用しなくなった。そこで自民党総裁選で、「新しい資本主義」「所得倍増」「モリカケ桜の解明」などをかかげた岸田が原発に慎重な河野を破り当選したが、岸田は首相になるやいなや、その一切を投げ捨てた。化けの皮がはがれないうちにと、解散から1週間で総選挙を強行したのである。
 総選挙のテーマは依然として安倍政治の継承か、新自由主義を終焉させての社会変革かが問われていたが、立憲民主党はその対決の点をずらし、「あなたのための政治」など意味不明の争点しか出せなかった。人々の安倍・菅政治への怒りは持続していたのであり、ボトムアップの政治・運動を積み上げていた地域では、自民党幹部を落選に追い込んだが、大半の選挙区では後半になり競り負け、マスコミの「自民議席大幅減」という当初予測を下回り、自民党は安定多数を確保した。
 立憲民主党に対する一定の期待は結党時からあったが、この4年間、ただの一度も「ボトムアップの政治」はなされなかった。議員以外発言権のない政党で、他選挙区の候補は「比例復活の敵」という体質は、最終段階で人々の政権への怒りを結集できない。
8月段階で3000人の立憲ファンへのアンケートで、「党内民主主義の無さ」と「反原発の後退」が支持率低迷の最大要因と判明し、枝野代表への提言もなされたが聞き入れなかった。兵庫県でもこの4年、「立憲フェス」なるイベントは何回かおこなわれたが、山本太郎れいわ代表のように現場の生の声を聞くことは一度も無かった。脱原発も運動方針としてありながら、実践的に取り組む議員は皆無であった。最大支援勢力といわれる連合は、純粋組織内候補の支援はあっても、取り組みはきわめて薄く、熱心なボランティアからは「連合は為書き(檄文)製造機関か?」と言われる始末だった。

日常的な積み上げの野党共闘を

 今一つは「市民と野党の共闘」である。衆議院選は定数1だから、野党候補を1に絞るのは当然である。しかしその主要政党である立憲民主党と共産党が、平時から地域の市民団体と一体となり共同闘争を担ったかといえば、ごく限定的であろう。兵庫県下は12の選挙区があり、早い段階で9選挙区で候補者が1人となった。にもかかわらず野党間の協議は市民団体(みなせん)を通じてしかおこなわれず漫然と公示を待つのみであった。労組間(連合と全労連)の対立があれば、市民団体などを媒介に共闘を進めればよいが、立憲は運動体を持たず、共産党は自己の選挙区に都合の良い革新懇方式を進め、自派拡大が透けて見え広がりはつくれなかった。7月兵庫県知事選こそ、対維新統一戦線の場であったが、それもなしえず県政を維新に渡してしまった。今回の維新の伸張に対して、立憲野党は、これまでの在り方を踏襲するつもりだろうか。
 それでも市民連合を媒介にして9月8日にはれいわ新選組の「消費税5%」をも受け入れて、4野党共闘が成立した。東京8区では、現場の闘いの積み上げを無視した「立憲とれいわの協議」の上での「山本太郎立候補表明」を市民が押し返し、立候補辞退で山本太郎が何度も吉田晴美の応援に入り、逆に野党共闘が強化され、石原伸晃元自民党幹事長を落選させた。市民運動と立憲野党が手を結べば、自民党大物候補を打ち破ることは可能なことを示した。また甘利明自民党幹事長を落選させ、3Aの一角を崩したのも野党共闘の成果である。そのことを無視して、野党共闘が「連合組合員の選択肢を狭めた」とする芳野友子連合会長の発言は、自公政権の延命を助ける事を指摘せずにはおかない。

「自民党の右」を自認し、改憲国民投票唱える維新

 今次総選挙の今一つの特徴は、自公政権批判の受け皿として維新が大幅増したことである。大阪では擁立した小選挙区全候補が自民・立憲等を破り当選した。その票で兵庫の維新候補は、小選挙区では1人の当選ながら、比例で全員復活し一躍9議席を得た(前回0)。これは「改革」を自称する維新が自民批判票をうまく取り込んだという事であろう。維新は大阪でもコロナ対策に失敗し医療崩壊をきたした。
この失政と責任を追及するのではなく、「ローカル政党など眼中にない」と言い、山崎拓など右派勢力にすり寄り、左派、リベラルの信頼を失った辻元清美が落選したのは、ある種自業自得といえる。
維新にはいかがわしい人物が多数おり、選挙違反、不祥事は日常茶飯事である。しかしその議員に自民党のドブ板選挙以上のノルマを課し、たえず票と議員を自己更新している。市民運動はこれを甘く見ず日常的な地域制圧戦をおこない、選挙を軽視してはいけない。来年夏の参議院選と同時の改憲国民投票を呼びかけ始めた維新は、(首長)選挙を通じて組織拡大し、自治体の予算配分権を力の源泉にしている。選挙を軽視しては維新を倒せないことを肝に銘じよう。

新自由主義批判貫き健闘したれいわ

今次総選挙での立憲野党の混迷のなか、ひとり健闘したのはれいわ新選組であった。比例票221万票は、一大ブームを起こした2019年参議院選並みの得票で、20年都知事選敗北とその後の混迷をのりこえ、3議席を獲得した。東京8区問題も突破し、都知事選敗北以降の「反れいわ」感情も一定払拭し、全国の立候補者がそれぞれの地で奮闘し、共産党基礎票並の得票を獲得した。その結果、比例東京の山本太郎、比例近畿の大石あきこらが議席を獲得した。特に大石あきこは府庁職員をやめ19年大阪府議選立候補・落選。その後コツコツと大阪5区の路地裏を回り、地域住民と対話を重ねてきた。単なるれいわ・山本太郎ブームの再来ではなく、新自由主義社会・自殺したくなるような社会を変えたいという人々の繋がりによる押し上げに他ならない。
 またその組織運営も一人のリーダーへの依拠や、議員・候補者の一方的訴えでなく、人々の対話の中からネットワークをつくりだして、その総意・創意が閉塞社会の現代にあって、社会を変える力となっていくことを端緒的に示したのではないか。
 筆者が関与した選挙区では、旧来のれいわのボランティアスタッフの懸命な頑張りの上に、自治体議員とその関係者、新自由主義下で苦境にあえぐ地域住民、女性や若者・大学生がこの選挙闘争に決起し、ポスティング、証紙貼り、選挙カー運転、ウグイスなどに自己解放的に決起していった。

兵庫8区の最終日行動。JR立花駅南に100人近くが集まった(10月30日、午後7時すぎ)

議会主義をのりこえる新たな選挙闘争

 れいわは今の段階では小選挙区での勝利は難しいが、来夏参議院で300万票をとれば、比例400万票の日本共産党に比肩する新たな社会運動勢力の登場となる。旧来の日本型左翼の中央集権型で上意下達型の指揮・指導とは違う新たな運動体が現出しつつある。死にたくなるような社会の根本的な転換を求め、老若男女が持続的に決起するとき、この国の新しい選挙闘争・社会運動がきりひらかれる。われわれはこの運動と一体となり、分厚い大衆運動の構築と継続を図り、社会主義・共産主義をめざすイデオロギー闘争を全一体で担うとき、「党」のイメージと役割も新たに打ち出すことが出来るのではないか。
 アベ政治の継続としての岸田政権との対決を強め、来夏参議院選を一つの射程に、改憲阻止、反原発、辺野古新基地建設阻止を軸とする戦闘的大衆闘争の高揚をつくりだしていこう。(岸本耕志)

3面

(総選挙結果) れいわが健闘、沖縄は伯仲

首都圏 比例 東京 山本太郎(れいわ) 当選
関西 大阪5区(淀川区など)大石あきこ(れいわ)34202票 比例で当選
大阪9区(茨木、池田、箕面など)大椿ゆうこ(社民)42165票 落選 
兵庫8区 つじ 恵(れいわ) 24880票 落選

大石あきこ当選 街頭報告会 11月6日
組織に依拠せぬ人々の力

当選後、定番の十三東口で街頭演説をおこなう大石あきこさん(11月6日)

11月6日、午後6時から大阪市淀川区の阪急「十三駅」東口で衆議院議員大石あきこの「議員爆誕 選挙を振り返るぶっちゃけトーク街頭演説会」がおこなわれた。演説会の呼びかけフレーズは毎日ぶっ倒れそうになりながらも、汗と涙にまみれた、12日間の選挙戦、メディアには干され、組織もない、完全草の根選挙!≠セ。

SNSを駆使

この街頭演説会も選挙期間中と同様にユーチューブで生配信しながらおこなわれた。ユーチューブのチャンネル登録数は投票日前日(10月30日)の9000人からわずか1週間で1万人を突破した。フェイスブック、ツイッター、インスタグラム、ライン、メール等々を駆使して多くの人たちにメッセージを送り続けた。

維新を蹴落とし比例区で当選

大石さんは小選挙区では34202票を獲得したが当選には至らず近畿ブロックで比例復活当選した。開口一番、「十三東口は何度も街宣をしてきた、ここであらためてみなさんと対話できるのは本当にうれしい。当選したぞ」と腕を大きく突き上げると集まった百人から大きな拍手が。近畿ブロック全体で29万票を取ったれいわのすぐ下には3000票より小さい票差で維新の候補が続いていた。れいわの6人の候補者とれいわに投票してくれた近畿ブロックの多くの人たちによって大石さんはギリギリのところで当選したのだ。このときは本当に一票の力を感じたという。

組織に依拠しない選挙

大石さんは「私たちの選挙は素人選挙だったが、ある意味、逆にそれがよかったのでは。ボランティアの方々の一人でも欠けたら通らなかった選挙だった、みんなの血と汗と涙で勝ち取った当選だった」と感謝と新たな熱い決意を述べた。
街宣をしていると小選挙区は大石、比例は維新という人がたくさんいた。しかし「そういう方が悪いのではない」。既得権や悪い人を倒してくれる幻想をマスコミが煽っていることを問題に。もっと貧しくなれ≠ニいう維新ではなく、働く人たちや弱い立場の人たちのために社会を変えるのはれいわだ、一緒に本当に社会を変えようと訴えると大きな拍手がわき起こった。
大石さんは地域運動を展開しながら、この国と徹底抗戦して闘いますと決意表明。 次回街宣は11月20日18時、阪急三国駅で。多くの方々の参集を。(三船二郎)

兵庫8区つじ恵
次につながる闘い
比例近畿の勝利を実現

尼崎女性センター・トレピエでの個人演説会には、近隣住民ら60任が集まった(10月27日)

11月1日午前3時過ぎ、小選挙区での敗北の上に比例近畿でも当選の可能性がなくなった。それでも3月立候補表明、4月事務所開設から半年、日本共産党の尼崎市の基礎票(比例票)を1・5倍する2万4880票の獲得と、れいわの比例近畿票(大石あきこさんが当選)に貢献したつじ選対には敗北感はみじんもない。

市内6カ所で個人演説会 最後までエネルギー持続

10月19日の公示以降、候補者は連日選挙カーで全市をめぐる。日に日に認知度が上がり、ビラの受け取りも良くなる。地域の中に分け入るのは個人演説会が大切と、立花、園田を皮切りに各地の公民館など6カ所で個人演説会を開催。応援弁士は丸尾牧県議や木村真豊中市議など。最後は石井一元自治大臣も駆けつけ「山本太郎はええオトコや。そこから出るつじをぜひ当選させたい」と訴え。20日のトレピエでの集まりには会場一杯の60人が参加した。 最終日は、午前9時から市内5カ所で比例のビラまき・街宣・モモタロウ(ねり歩き)の同時決起。最後はJR立花駅に集まりフィナーレ集会。市内のシンガーも駆けつけ即興の「比例はれいわ」の歌を歌いだし、参加者が唱和。つじ候補のアピールの後80人が地元市議の基盤地域を30分のモモタロウを敢行、駅前の維新の街宣車はそそくさと退散した。

選対解散式とご苦労さん会に60人

つじ選対は休む間もなく6日は選対解散式とご苦労さん会。解散式ではつじ恵さんからの挨拶の後、参加の45人が簡単なスピーチ。ご苦労さん会は15人が入れ代わりこちらも45人。古くからの支持者、丸尾県議の関係者、れいわチーム、大学生などがグループで会食。比例近畿の当選への貢献を喜び合った。年代は20歳・30歳代も多く、最高齢はつじ候補その人。ポスティングチームを率いた全共闘世代からは「これまでのどの選挙よりも楽しかった」。その後お店のルールに従い飲み放題。つじ候補も「誰も敗北と思ってないな」とご機嫌。今後の方針は山本太郎代表とも相談しながら、来夏参議院選や、対維新の闘いの強化など、休む間もなく続くだろう。(Q)

4面

10・31障害者大フォーラム 全国つなぐ
神出病院を許さない
兵庫会場

10・31障害者大フォーラムは全国をZOOM(インターネットツールの一つ)でつなぎ250人の参加で成功しました。全国5会場などに百数十人とZOOMで百人以上が参加しました(ZOOMは一家庭などで複数参加された方が多かったのですが全体数は把握困難です)。
兵庫会場は「動員」とかではなくて障害者中心にして支援者など30人が参加しました(写真上)。今年はメイン会場の音響の悪さがとても気になりました。普段は難なく聞きとれる脳性まひ者の発言がほとんど聞きとれなかったり、司会の音声も精神障害者なのに聴き取りにくかったりしました。事前の準備不足があったそうです。また、言語障害者のなかには復唱されることを嫌う人がいるのでそういう人はのぞいて、良いという人は復唱してもらえば良かったのではないかと思います。〈障害者自立支援法訴訟の基本合意の完全実現をめざす会〉の太田修平さんは、そうやってくれたので聞きやすかったです。
問題点はありましたが、発言者は約25人、身体、知的、精神、難病などの谷間の障害者など各種障害者や支援者が、一堂に結集して同じ時間を共有したことの意義は大きいと思います。今年はとりわけ脳性まひ者の全国組織である〈全国青い芝の会〉会長や、知的障害者の当事者組織である〈ピープルファーストジャパン〉会長が参加して発言しました。発言はありませんでしたが、元〈全国「精神病」者集団〉(同団体は現存しない)メンバーも多数参加しました。神出病院事件を糾弾し続けている精神障害者が〈兵庫県精神医療人権センター〉として発言しました。議員メッセージも20人近くとかつてなく多かったです。選挙当日ということもあったでしょうが、障害者を票田と見る議員が多かったということは、一人の人間とも見られることがなかった障害者にとっては大きな変化です。 兵庫会場のシュプレヒコールを再掲することで今年の大フォーラムの特徴を共有します。 「障害者であるまえに一人の人間だ!」
「神出病院を許さないぞ!」(高見元博)

大阪梅田 水曜デモが再開
ソウル日本大使館前と連帯
11月3日

大阪市内では、毎月第1水曜日に大阪駅前のヨドバシカメラ前で、日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワークがよびかけて、水曜デモがおこなわれてきたが、コロナ感染症の拡大で、昨年7月以降はWEBでの開催に切り替えていた。
11月3日、その水曜デモがヨドバシカメラ前で再開された。通常では60分おこなうところ30分間の行動となった。43人が参加した。
発言は2本で、まず関西ネットワークの方清子さんが発言。方さんの発言は当日ソウル日本大使館前で開かれた1516回目の水曜集会が右派の悪辣な妨害のなかで開かれたが、10人の若者が「少女像」を体を張って守り抜き最後まで無事に終えることができたという報告と、日に日に強まる日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯(正義連)と尹美香さんに対する執拗な誹謗と中傷を受けるなか、日本においても連帯して運動を進める決意が述べられた。
次に〈子どもたちに渡すな! あぶない教科書 大阪の会〉が発言。この春、〈新しい歴史教科書をつくる会(つくる会)〉が維新議員を動かし国会質問をさせ、菅首相(当時)による「慰安婦」「朝鮮人の場合、当時は日本国籍であったので『徴用』が適切である」という閣議決定に端を発し、文科省は教科書会社に圧力をかけ「訂正申請」をさせていたことを暴露した。文科省は軍隊性奴隷制、強制連行の加害行為を少しでも小さく見せようと企んだ。
今年は、高校教科書の採択があったが、高校版育鵬社・自由社教科書ともいえる明成社は、大阪の公立高校では一切採択されなかった。
さらに、中学校社会教科書で昨年不合格になった自由社が申請し直したため、再度の採択がおこなわれた。しかし、大阪府内では、自由社中学校歴史教科書採択を完全に阻止した。
以上、ふたつの発言をうけて、最後にシュプレヒコールをあげて終了した。(伊藤十三)

〈寄稿〉
不都合なことは聞かないで口を塞ぐように(上)
古井正代(脳性まひ者の生活と健康を考える会)

私の古い友人に半世紀にも渡って精神病院に入院させられ、実家との間を行ったり来たりの生活を余儀なくされていた人がいます。
彼女の話では、小さい頃から家族や教師から「姉さんと兄さんは出来が良いので、いつかはあなたも姉さん兄さんのように」と常に比較され、姉さんや兄さんは偉いんだと思わされてきたそうです。
しかし、いつも比較されることは、彼女には重荷となり、劣等感を抱いての幼児期、学齢期だったようです。
彼女はまた「体が人より大きいことはあなたの取り柄だ」とも言われ、国のためにも役に立つと言われて、バスケットボールを早朝から夕方遅くまで一生懸命になってがんばったと言っていました。体育やバスケットボールをがんばっていると少し家族がいい顔してくれるのが嬉しかったらしいです。
でも、高校の受験で失敗して、何をすれば良いのか解らない状態で田舎の実家で閉じこもっていた時に、眠れなくなり精神病院に入院させられたのが彼女と精神病院との始まりだったようです。
その精神病院では入院すると拘束され、オシメをされ、多量の薬を飲むまで見張りが付くようです。その薬を飲んでいると足がふらつくようになり、姿勢も前屈みになり、幻覚も出るようになるそうです。
彼女は10代の終わりから20代の前半、私たち障害者の介護を東北地方でしていたのです。その介護兼友達として、東京や大阪や九州にも行っていました。 当時は関わってくる介護者はボランティア(無償)で、今のように資格も無いので、誰でも来る人は拒まず、気さくに友達として付き合っていました。
障害者と付き合って面白がっている人たちは、私たち障害者の存在を全く知らなくて「こんなのが生きてるんだ」「なんか言ってるぞ、なんか知らんけどおもしろそうやな」って、感じで来て介護し始めるんです。
だから彼女も今まで自分の存在を否定する環境しか知らなかったので、新鮮に見えたのかもしれません。
しかし、一度実家に帰った彼女を待っていたのは、また精神病院への入院だったのです。
彼女は正直過ぎるぐらい正直な人で、聞かれるといろんなことをしゃべってしまうので、家族としては彼女自身の存在も恥だと思っていたのに、それよりももっとどうしようもない私たち脳性マヒと付き合っていたと聞けば、『家から出すな。出たいと言うなら精神病院へ』ということになっていったそうです。お爺さんから姉さんまで長い年月を『何か楽しそうで、ハイテンションになるとおかしい精神病院ヘ』という対応が引き継がれていったようです。
そしてやっとコロナ禍の中40年以上経って私との電話が繋がり、コロナが収まったら私のところに行きたいと言っていたのです。
そして、私と電話連絡が頻繁に出来るようになり、彼女が40年もの間、近くにある歩いて行く事の出来る店で自分の食料品、日用品を買いに行くのと、精神病院に姉さんが自動車に乗せて連れて行く以外に、外出した事がないのを知りました。
「今はひとり暮らしで姉さんもいないのなら、外出をするように」と、私が話しするようになって、昔の友人のところに外出もするようになっていったのです。
やっと、薬を減らし始めて、幻覚も出なくなり、足もふらつかず、腰も伸びるようになって、彼女が自分の人生を取り戻し始めたと思いかけたのです。それを姉さんが知って、無理やり体の大きい彼女を70歳の姉さんが引きずって精神病院に入院させたそうです。それが1年前のことでした。
「私たち障害者を殺すのは親、兄弟姉妹なんだよ。青い芝の時みんな合言葉のように言っていたでしょう」と何回も言ってきたのに、彼女には届かなかったようで、残念です。
幼い頃から地域の中には、私たち障害児はいないのが当たり前で、存在自体を知らない人が、街や電車の中で、もし私たちとすれ違ったとしても、同じ空間で生きている人間同士、仲間内だとは想えないだろう。
少し大げさに聞こえると思いますが、「異次元の生き物と遭遇した」と。それぐらい一緒になって遊んだり、学校に行っていないことは、人格に強く影響を与えます。
彼女の兄弟姉妹も、幼い時から私たち脳性マヒと遊べて学べる環境があれば、彼女を精神病院に入れずに、ゆとりを持って彼女とも接する事が出来たのかもしれません。
私たちの存在を知らないで育った人が、障害者の家族になったら、障害児が家族になることは全く想定していないので、忌み嫌ったり、排除しようと精神病院に入院させたり、障害児、者の収容施設に入れたり、あげくの果て殺してしまったりしてしまいます。(つづく)

5面

東電経営陣責任裁判 11月2日
現場検証求め控訴審始まる

福島原発事故に東電幹部は責任があるとの告発に対し検察は不起訴としたが、市民の力で強制起訴に持ち込むことに成功。しかし、東京地裁は2年前に無罪判決を下した。

控訴審はじまる

11月2日、東京高裁で控訴審が始まった。午前中の抗議アピールとヒューマン・チェーンに多くの人々が集まり(写真上)、傍聴希望者は3百人を超えた(半数以上を記者枠に当て、抽選枠は30人のみ)。弁護士から一審判決の悪意を含む誤りについての解説があり、別の裁判(東電株主代表訴訟)で、裁判官による初の現場視察がおこなわれたことが報告された。「一審は現場検証を蹴ったが、このような重大事件で現場検証なしなど許されない」と弾劾。
福島の人々からは「二度と私たちのような被害者を出してはならない」「責任を明確にすることが安全な社会を築く基礎になる」との声があがり、避難している人たちからは、福島県からの裁判をも使った住宅からの追い出し攻撃にさらされているとの悲痛な報告があった。
支援の人からは「全国で40以上の裁判が取り組まれている。ダメな判決が他の裁判に影響してしまう」と、緊張感を持って望む必要性が訴えられた。
公判では、検察官役の指定弁護士が30分にわたって控訴理由を読み上げ、3人の証人調べと現場検証の要求があった。一方被告3人は、さすがに社会の目が怖いのか2人が出廷したが、傍聴席の遺族と目を合わせることはなかった。弁護士は10分程度で形式的に棄却を求めるだけで、忖度判決にすがる姿をさらした。

潮目が変わった

報告会では、「潮目が変わった」と勝利への展望が示されるとともに、「運動の力による後押しが必要」という訴えもあり、とりあえずは11月30日の株主代表訴訟結審への結集が提起された。

伊方原発 運転差し止め認めず
無理難題を住民に課す

11月4日、愛媛県伊方町の伊方原発3号機の運転差し止めを求めて、広島県と愛媛県の住民7人が申し立てた仮処分について広島地裁(吉岡茂之裁判長)は、不当にも差し止めを認めない決定を出しました(写真)。これに対して住民側は広島高裁に即時抗告します。

住民ら怒りの声

午後2時過ぎ、住民らや報道陣が待ち構える広島地裁前に「伊方3号機差止ならず」「非常識決定 まだ高裁がある」と書かれた旗が掲げられると、住民らから落胆と怒りの声が上がりました。
申立人の一人、原田二三子さん(62歳)は「到底許し難い決定。原発を止めるまで闘い続ける」と声を震わせ、仮処分弁護団長の河合弘之弁護士は、「立証責任を申立人側に押し付ける不当な決定だ」と批判しました。

弁護団声明発表

広島弁護士会館で開催された報告会・記者会見では「決定骨子」「決定要旨」が配布され、「・・・我々は、この裁判において、常識に基づいた分かりやすい問題提起をし、判断を求めたにもかかわらず、裁判所は、徒に複雑な科学技術論争を持ち込み、一知半解な理由で我々の主張を退けた。誠に不当な決定である。
我々は、このような違法不当な決定を認めることができない。直ちに広島高裁に即時抗告をする」との弁護団声明を発表しました。

引き続き廃炉へ

今回の決定で、広島地裁は住民側の立証責任の軽減を図った伊方最高裁判決を適用せず、具体的危険性の立証責任はすべて住民側にあるとしました。差し止めが認められるためには、住民側において近々基準地震動650ガルを超える地震が発生することを立証しなければならないとしました。およそ地震学者にもできない無理難題を住民側に課したのです。
しかし、私たちは絶対に原発の再稼働を認めるわけにはいきません。さらに意気軒高と全原発の廃炉に向けて闘いましょう。

さようなら原発 集会&シンポ
武藤類子さんらが訴え 10月23日 東京

10月23日、「さようなら原発」一千万署名 市民の会主催で「さようなら原発 10・23オンライン集会+シンポジウム」が都内の全電通労働会館ホールと全国をオンラインで結んでおこなわれた。
 鎌田慧さんの主催者あいさつに続いて第1部アピールでは福島原発告訴団の武藤類子さん、避難の共同センター・熊本美彌子さん、原子力資料情報室・松久保肇さん、大学生の益子美香さんがアピール。

著しく正義に反する

 武藤さんは「(東京地裁)判決は全員無罪・・・判決では、地震調査研究推進本部が公表した、日本最高峰の学者が集まり議論の末に合意に至った最新知見としての長期評価の信頼性を、全面的に否定しました。安全性に関しても『社会通念は絶対的安全を求めていない』と認定したことにも驚きました」「一審の判決がこのまま確定することは著しく正義に反するのです」と怒りを込めて訴え、控訴審への結集を呼びかけた。
 第2部はシンポジウム。原発汚染水の海洋投棄の問題点について2人から発言があった。
 脱原発福島ネットワークでいわき市議会議員の佐藤和良さんは「私たちは、海洋放出しか方法がないかのように言う政府・東電、そしてまた二次被害を発生させることをとうてい認められない」「『関係者の理解なしにはいかなる処分もおこなわない』という県漁連等との文書約束の反故について明確に謝罪し、理解と合意なき海洋放出方針を撤回することを求めたいと思います」と報告を結んだ。

トリチウムの安全性は分かっていない

原子力市民委員会の規制部会長であり、かつて東芝で原発格納容器の設計に携わってきた後藤政志さんは「長い期間、さまざまな調査をしていくことによって科学的なことが明らかになる。その観点から、トリチウムの安全性は分かっていないとみるのが科学的に正しい」「(トリチウムの)放出基準は、1リットルあたり日本では6万ベクレル、WHOは1万ベクレル、カナダ政府7千、カナダのオンタリオ州は20ベクレルです。安全かどうかわかっていないからこんな数字が出てくる」「(一つは)1基10万?の石油タンクなら10数基で現在の汚染水を収容できる。(二つ目の方法は)コンクリートで囲ったモルタルの中に汚染水を入れて固める。確かに、若干のトリチウムは外部に出るかもしれませんが、汚染水とは比較にならない」「加えて、デブリを水で冷やすのをやめて、空冷にして、地下水の流入を抑えれば汚染水はこれ以上増えない」「これらのことから、今汚染水を海洋放出する必要は全くない」と海洋投棄の危険性を明らかにした。
 原発の危険性を改めて認識し、存続させようという社会的腐敗を許さない闘いを更に強める決意を固めさせる集会となった。

反原子力の日
銀座をデモ行進
10月30日

試験炉で初めて発電に成功したなどと自賛して、原発マフィアは10月26日を「原子力の日」と称している。これに対抗して、70年代から毎年、「反原子力の日」として集会やデモが取り組まれている。
今年は集会を自粛し、10月30日に「原発とめよう! 東京ネットワーク」の主催によるデモが取り組まれた。東電前で抗議の声をあげ、銀座を行く人々に反原発を訴えた(写真上)

関電元会長ら不起訴
金品受領など立件せず
11月9日

11月9日、大阪地検は関電還流不正マネーで告発されていた森詳介関電元会長らを、嫌疑不十分として不起訴を公表した。関電第三者委員会発表の調査報告書でも元役員ら83人が高浜町元助役・森山栄治(故人)から30年以上にわたり総計3億7千万円相当の金品を受け取ったことが確定している。これを3000人を超す市民が告発していたが、大阪地検は不起訴とした。
これに対して〈関電の原発マネー不正還流を告発する会〉は、翌10日直ちに抗議し、検察審査会に審査を申し立てる方針を明らかにした。あまりにも明白な関西電力と地元自治体癒着を満天下に示したこの犯罪を許してはならない。関電の森詳介元会長、八木誠前会長らに責任を取らせるまで闘いぬこう。

6面

論考
パレスチナ解放闘争への接近(上)
帝国主義とパレスチナ人民
鳥居強右

『未来』324号、325号に掲載された田中和夫論文に触発され、パレスチナ問題についてまとめた。田中さんはユダヤ人問題からアプローチしたが、ここでは、「帝国主義とパレスチナ人民」という視点から提起したい。イスラエル国家の創出と、4次の中東戦争によって国土を分断され、居住地が1946年の94%から2012年の8%にまで削られ、いまだ7百万人が難民キャンプで生活している。8メートルの壁によって隔離され、日々入植地がつくられている現実。にもかかわらず、青少年を中心としたインティファーダ(民衆蜂起)によって闘うパレスチナ・アラブ人民に心を寄せることが必要である。

第1章 パレスチナ問題の根源

@ 英帝国主義による「3枚舌」外交

第1次世界大戦の終戦処理をめぐって、敗戦国であるドイツとトルコ(オスマン帝国)を分割することを目指して英帝国主義が次の3点の方針を出した。
[A]フサイン・マクマホン協定(1915・7〜1916・1)→アラブ人地域の独立を約束
[B]サイクス・ピコ協定〔1916・5〕→英・仏・露によるトルコ領土の分割
[C]バルフォア宣言(1919・11)→パレスチナの地にユダヤ人の郷土(Homeland)をつくることを約束。
英帝の意図は、一番重要な植民地インドへの通行路を確保するため、中東地域全体を確保することにあった。しかしその具体的方針は互いに矛盾し、当事者すべてを欺き、裏切り、中東人民にさらなる苦しみを与えた。とくにパレスチナの地(現在のイスラエル全体とヨルダンを含む)は大部分がアラブ人の居住地で、ユダヤ人は人口の9%にも満たず、これが一番大きな矛盾を生んだ。

A サンレモ会談(1920・4)

第1次大戦の敗戦国オスマントルコ帝国領の処理をめぐって開催された。参加国は、戦勝国である英・仏・伊・日・ギリシャ・ベルギーであった。
この会議で、旧オスマン帝国領の東アラブ地域のうち、パレスチナ(現在のヨルダンを含む)とイラクはイギリスの委任統治、レバノン、シリアはフランスの委任統治と決めた。委任統治とは国際連盟の委任を名目に、新たな植民地支配を図るものであり、これはアラブ人民への[A]の約束の裏切りである。
日本もこの会議で旧ドイツ領南洋群島を委任統治の形で獲得している。欧州帝国主義の分割戦に参入し、自らも新たな植民地を獲得したのである。
またアメリカは英・仏がしり込みしたパレスチナを含む南シリア(現在のイスラエル・パレスチナ・ヨルダンを含む)地域について、キング・クレーン委員会をつくり、この地域をアメリカかイギリスの委任統治の下に置くべきであるという提案をした(1919・3・20)。ウイルソン大統領の「民族自決」の主張がいかに欺瞞に満ちたものであるかを示している。
その後、ヨルダン、イラク、シリア、サウジアラビアについて、英仏両国は、ハーシム家の子息を王とする王制国家を両国の保護下に創設する。アラブ統一国家を創設するという[A]の約束は[B]と矛盾し、英・仏両国は最初から守るつもりはなかった。

B 現在のトルコ領のさらなる分割

サイクス・ピコ協定の秘密条文には黒海東南沿岸、ボスポラス海峡、ダーダネス海峡両岸地方をロシア帝国の勢力圏とし、イオニア海沿岸地方をギリシャやイタリアにゆだねるという項目があった。さらにクルド人にも独自領域を与えると約束していた。しかし、これらはすべて破産するか、破られた。
具体的には、
1、ロシアの革命政権は秘密協定を暴露し、分割戦への参加を拒否した。
2、ギリシャとイタリアは英軍の援助の下に現在のトルコ領に侵攻したが、オスマン帝国を打倒した新生トルコ共和国の軍隊は、ケマル・アタチュルクの指導の下に両軍を「地中海に追い落とした」(トルコ側の表現)。
3、クルド人の独立要求は列強に顧みられることなく破棄された。
以上の結果、最初の協定ではトルコ固有の領域は現在のトルコ領の3分の1程度になるところが、現有の大きさを維持した。

第2章 イスラエル「建国」の暴虐

@パレスチナへのユダヤ人の移住

バルフォア宣言は、ヨーロッパにおけるユダヤ人に対する差別・排斥とそのためにユダヤ人に「郷土」を与えるという矛盾極まる構造をもっていた。ユダヤ人への差別、迫害の面でもナチスのホロコーストに先行していた。
それだけでなく、これは中東・アラブの地に新たな対立をつくり出した。すなわち、ユダヤ人対アラブ人という対立である。
そもそもイスラム圏ではキリスト教徒やユダヤ教徒に対する差別はほとんどなく、一定の税金を払えばその宗教共同体(ミレット)ごとに保護された。またアラブ人とはアラブ語を話す者という意味で、人種的に規定できるものではなかった。したがって後にパレスチナとなる地にも、アラブ語を話すユダヤ教の信者や、同じくアラブ語を話すキリスト教徒が多数居住していた。これらの人々はすべて非ユダヤ人として扱われ追放されていく。結局、ユダヤ人対アラブ人、パレスチナ対イスラエルの対立とは帝国主義がつくり出したものである。

Aイスラエル「建国」の秘密

パレスチナの地を信託統治していた英国は土地を占拠して、あるいは買い取ってパレスチナに移住するユダヤ人が次第に多くなると収拾できず投げ出し、地下武装闘争を開始していたシオニスト武装組織にほしいままにさせる。最後は米ソのヘゲモニーの下に、1947年に国際連合がパレスチナ分割を決議し、アラブ人とユダヤ人の独立国家と国際化されたエルサレムの設立を勧告した。これを国連総会は決議する。アメリカの工作でフランスをはじめ帝国主義諸国は賛成、ソ連も賛成した。反対したのはインドとイスラム圏の国のみであった。
1948年5月、英国が信託統治終了を宣言、ただちに英米帝国主義に支持されたイスラエル国軍(シオニスト地下武装組織が中核となった)とアラブ諸国の戦争が始まる。この過程で、度重なる襲撃、虐殺、追い立てによって数百万のパレスチナ・アラブ人が難民化する。

B米ソの犯罪

アメリカはイスラエル建国当初から最大の「盟友」であった。アメリカはイスラエルを「中東における最も信頼できるパートナー」と評し、国家承認も建国と同日におこなっている。毎年30億ドル以上の軍事援助をおこない、合同軍事演習も実施している。またイスラエルの最大の貿易相手国でもある。米帝の、中東における石油支配・ドル支配・軍事支配のための基地国家がイスラエルの本質である。米国を中心にしたユダヤネットワークも大きな役割を果たした。一時期には、米国に代わってフランスがイスラエルに武器提供をおこない、原子炉建設技術の提供までおこなっている。
ソ連がイスラエル「建国」を支持したのは国内のユダヤ人問題の処理のためであった。ユダヤ人医師によるスターリン暗殺未遂事件まででっち上げて、国内のユダヤ人をイスラエルに大量に移住させる。イスラエルに外国から移住した「ユダヤ人」は旧ソ連からの移住者が一番多い。一種の棄民政策であった。(つづく)

おわびと訂正 『未来』編集委員会

本紙328号、本の紹介欄・李哲氏著『長東日誌』のなかで誤記がありました。獄中の李哲氏を献身的に支え続けたのは閔香淑氏と彼女の母趙萬朝氏と記すところを哲氏の母李粉義氏と記してしまいました。李哲、閔香淑両氏に対し深くお詫び申し上げます。哲氏のご両親李髓゚、李粉義両氏は彼の連行・死刑判決への心労から急逝されました。あらためてご冥福をお祈りします。
趙萬朝氏には日本の救援関係者がソウルにおいて多大な援助を受けたことを付記します。

7面

マルクス『資本論』に学ぶ(3)
商業信用・銀行信用とは何か
松崎五郎

『資本論』第3巻25章の表題は「信用と仮空資本」です。この章は、トゥークらの抜粋とエンゲルスの追加が大半を占め、マルクス自身の文章は非常に短いですが、信用・銀行についての基本が展開されています。信用取引とは、売買などで代金の支払いを後日におこなう取引です。
冒頭で「信用業と、信用業が創造する諸用具との立ち入った分析は、我々の計画の範囲外…。ここでは、資本制的生産様式一般の性格づけに必要な2、3の点だけを取り上げる…」「商業信用および銀行信用だけを取り扱う。この信用業の発展と公信用の発展との関連は考察しないでおく」と課題を述べています。『資本論』から抜粋し、後で説明します。

商業信用について

「支払い手段としての貨幣の機能、したがって商品生産者たちや商品取扱業者たちのあいだでの債権者・債務者の関係は、単純な商品流通から生ずる。商業が発展し、流通を気にしてのみ生産する資本制的生産様式が発展するにつれて、信用制度のこの自然発生的基礎が拡大され、一般化され、仕上げられる。貨幣はこの場合には支払い手段としてのみ機能する[現金買いの貨幣は購買手段です]。すなわち商品は、貨幣とひきかえにではなく、一定の期限に支払うという契約書とひきかえに販売される。この支払契約書を…手形と[呼ぶ]。手形は、その満期=支払日にいたるまで重ねて支払い手段として流通する。これは本来的な商業貨幣をなす。… 生産者や商人のこの相互的前貸しが信用の本来の基礎をなす。… 銀行券等々は、貨幣流通に立脚するのではなく、手形流通に立脚する。」

銀行信用について

「… 事業家たちの準備金の保管、貨幣の収支や国際的支払いの技術的諸操作、また 地金の取扱は、貨幣取扱業者の手に集積する。この貨幣取扱業と結びついて信用業のもう一つの側面、利子生み資本または貨幣資本の管理が、貨幣取扱業者たちの特殊的機能として発展する。貨幣の貸借が彼らの特殊的事業となる。… 銀行は、一面では貨幣資本の―貸手の―集積をあらわし、他面では借手の集積をあらわす。」
「銀行が自由にする貸付可能資本は…。第一に、生産者や商人が準備金または支払金としての貨幣資本が、銀行の手に集積する。共同準備金として集積するがゆえに必要な最小限に制限され、[残りの]一部分が貸出され、利子生み資本として機能する。第二に、銀行に貸付を委託する貨幣資本家たちの預金、さらに、銀行が預金に利子を支払うことになれば、あらゆる階級の貯金および一時不用な貨幣が それだけでは貨幣資本として作用しえない少額のものが結合されて大量のものとなり…。最後に、だんだんにしか消費されないはずの収入も、銀行に預けられる。」
「貸付は、手形の割引により、またさまざまな形態での前貸しにより…、預金を超える超過振出などによって、おこなわれる。」「銀行業者の与える信用は…、他の銀行あての手形・小切手・信用開始で与えられ、最後に、発券銀行のばあいにはその銀行の自己銀行券で与えられる。… また、たいていの国では、銀行券を発行する主要銀行は、国民銀行と私営銀行との奇妙な混合物として事実上では国民信用の背景を持ち、その銀行券は法定支払い手段でもある。…
事実上、銀行券は卸売業の鋳貨(流通手段)をなすにすぎず、銀行で主要事として重きをなすのは常に預金である。」

〈解説〉

@ 信用の基本は、商業信用・銀行信用・公信用の3つですが、公信用(国債など)は経済的裏付けがない(政治で決めている)ので、マルクスは検討しないとしています。

信用売り(手形で取引)

A 「生産者や商人のこの相互的前貸しが信用の本来の基礎」「自然発生的基礎」と信用が成立した根拠を明らかにしています。生産者や商人は 相手に彼の売り上げが入れば、必ず仕入れた自分に払ってくれると思うから、信用売り(手形で取引)をするということです。この場合担保は取りません。互いに産業資本家だから信用するのです。他方、銀行信用は多くの場合担保を取ります。半分信用していないということです。
B 「相互的前貸し」とは、AがBに貸し、BがCに貸し、CがDに貸し…と信用の連鎖が続くことを指しているのであって、A・B2人が互いに貸し合うということではありません。そういうAがBに貸しBがAに貸す事例は生じません。だから、「相互的前貸し」は、どこかで返済が滞ったとき、すべてが返済できなくなるのです。これが恐慌です。
なお銀行信用は、貸方と借方が固定していて、相互的前貸しではありません。

お札は銀行信用

C 「銀行券は、貨幣流通に立脚するのではなく、手形流通に立脚する」と述べています。
1000円以上のお札には「日本銀行」と書かれていて、500円以下のコイン(鋳貨)には「日本国」と書かれています。発行主体が異なります。コインはどこまでいっても流通手段です。また「主要銀行は、…奇妙な混合物」と述べてますが、日銀は株式会社でも国立でもなく認可法人で、政府と民間(個人)が約半額ずつ出資しています。しかも出資券は債券市場に上場していますが、配当は5%以下と決められていて、それを超えた儲けが出れば国庫に納めています。経営委員も政府が決めます。官と民の「奇妙な混合物」です。
D 信用(業)のもう一つの側面は「利子生み資本=貨幣資本の管理が、貨幣取扱業者たち[両替商など]」の事業になったからだと説明しています。つまり信用には、異なる2つの発生源があります。だが、論理的=信用度の深さからいって、商業信用が基礎・出発点なのです。その上で、銀行信用が成立したということです。

銀行で重要なのは預金

E 「銀行で主要事として重きをなすのは常に預金である」と述べています。なぜか。銀行の資産のほとんどは、すでに貸出されたお金の証書(架空の貨幣資本)が占めています。だから、新たな貸出や預金の払い出しには、新たな預金が入ってこなければできないのです。もちろん準備金は持っていますが、それを超えたときには持っている証書を売らざるをえなくなります。ここから蓄積されている架空の貨幣資本とは異なる「貸付可能な貨幣資本」という概念が導き出されます。実際に貸付可能な貨幣の量です。
F 「共同準備金として集積するがゆえに必要な最小限に」と述べています。90年代初めにバブルが崩壊し、銀行や証券・保険業が破産の危機に陥りました。政府の指導で、それまで10数行あった大銀行は、3つの巨大銀行(三菱東京UFJ・三井住友・みずほ)に合併しました。分散した銀行の必要準備金の合計よりも、合併した巨大銀行の準備金は少なくて済むのです。だから、その差が貸出されるとマルクスは述べています。

宇野弘蔵の誤り

G 宇野弘蔵は、(架空の)貨幣資本を必要物だと擁護するために、しかしマルクスの説を間違っていると批判できないので、マルクスの説を曲解し「難癖」をつけています。
例えば、Aで示したように、マルクスは信用発生の根拠を歴史的かつ論理的(相互的前貸し)に明らかにしているのに、「『資本論』では商業信用の展開は未完成」「資本主義の事実的経過によって説明されているだけ」と述べています。また宇野は、「貨幣取扱資本」を「貨幣取引資本」としています。取扱は手数料で、取引は儲けです。概念が異なります。さらに宇野は、「商業信用を基礎に銀行信用を展開するという側面は無視されている」とウソを述べています。マルクスは商業信用を信用の基礎・根拠と述べています。手形(商業信用)が存在しないのにどうして手形割引(銀行信用)があると言えるのかです。手形取引が一般化したから手形割引が生じたのです。「一般化」は 歴史であると同時に論理なのです。

南西諸島での大軍事演習に反対
170人が防衛省に抗議

防衛相へのデモ
申し入れ行動

南西諸島での大軍事演習に反対する集会が10月24日(日)東京都文京区内でおこなわれ170人が参加した。主催は大軍拡と基地強化にNO! アクション2021。この間沖縄の宮古島、石垣島などには「台湾有事」の名のもとに次々と自衛隊基地が建設されており、この基地を足場に「中国敵視」の大軍事演習がおこなわれていることに抗議しての集会だ。
集会後は外濠公園に集合して市ヶ谷の防衛省までデモ行進。防衛省前では、抗議申し入れ行動がおこなわれた。このデモにも入れ替わりがありながら170人が参加した。

8面

ミャンマークーデター抗議行動 10月31日 神戸
日本ミャンマー協会が元兇

10月31日、ミャンマー・クーデターに抗議する集会とデモが神戸・みなとの森公園で60人が結集しておこなわれた。主催は〈ミャンマークーデター抗議西日本実行委員会〉、協力は〈ミャンマーの人たちとつながる会〉。集会・デモの目的として、世界各国のミャンマー人が一丸となって国軍クーデターへの反対を表明すること、国軍に流れている資金を断ち切ることを各国政府に要請すること、国軍が所有するすべての事業を民主的に再構築することが掲げられた。
さらに日本政府には、日本の多国籍企業から国軍に流れている資金をただちに止めること、ミャンマーで民主主義が達成されるまでミャンマーへのODAの支払いを凍結すること、国軍企業に対する経済制裁を課すことが提起された。

帰国できないミャンマー人の生活を支える

〈ミャンマー関西〉猶原信男さんは冒頭、猶原さんの友人がヤンゴンで虐殺されたという生々しい報告をし、今も現地はきびしい状況であることが報告された。このため多くのミャンマー人が日本にとどまらざるをえなくなっている。日本に残る多くのミャンマー人は今、住宅問題に悩んでおり、市営住宅への入り方の勉強会もしている。生まれ育ったミャンマーよりはるかに寒い冬を越すために12月14日から冬服をプレゼントする計画や日本で生きていくための日本語教室や料理教室、〈なんでも相談会〉をデモ終了後、解散地点でおこなうことが提起された。
日本に残らざるをえないミャンマー人たち、コロナ禍で収入が激減しているミャンマー人たち、在留資格をめぐるさまざまな問題が噴出していること、これらは具体的に解決されなければならない厳しさをもっている。政治的カンパニアですまない問題が横たわっているのだ。カンパ要請では4万6千円余が集まった。

日本ミャンマー協会批判

左が渡邊秀央

今回初めて日本ミャンマー協会の渡邊秀央会長を批判する写真がボードとして掲げられた(写真右参照)。日本ミャンマー協会は三菱商事や住友商事、丸紅、キリンホールディングス、スズキ、KDDIなど約130社が加盟しており、日本のミャンマー侵略の中心を担っている。会長の渡邊秀央は中曽根内閣のときの官房副長官でこの頃からミャンマー侵略の中心にいた人物だ。この渡邊がクーデターの時、ミャンマーにいたのだ! 国軍が次々とミャンマー民衆を虐殺していた2月8日、大統領府の応接室でミン・アウン・フライン国軍総司令官とハグをしていたのである(8・23朝日新聞)。
写真ではミン・アウン・フラインに×がつけられているが、我々は渡邊にこそ×をつけなければならない。

ミャンマー民衆との連帯を

人民防衛隊の攻勢によってミャンマー現地の内戦はさらに激化している。ミャンマー民衆の粘り強い闘いによって欧州27カ国が国民統一政府(NUG)をミャンマー代表として認めるところにまで至っている。また、アウン・サン・スーチー氏とASEAN特使との面会を拒否し続けるミン・アウン・フライン国軍総司令官はついにASEAN首脳会議から排除されるに至っている。国軍は次第に追い詰められている。ミャンマーに民主主義を取り戻すために我々はミャンマー民衆と連帯してさらに闘おう。

『命より金!?』汚リンピックの正体
10月29日 大阪で報告・討論会

10月29日、大阪市内で「『命より金!?』汚リンピックの正体」と題して講演、討論会がおこなわれた。主催は〈東京オリンピック・パラリンピック反対! 実行委員会〉。
司会あいさつの後、〈反五輪学生行動〉の学生が7月の抗議行動を報告。京都府亀岡市での聖火リレー反対行動は20数人だったが、報道は好意的だった。7・23東京で聖火リレーへの抗議は3百人、開会式には7百人が抗議デモ。6万人の警察官・自衛隊が出動し戒厳令下で、職質や妨害があったが、オリンピックの暴力性・差別・分断に対して怒りを持って闘った。
小笠原博毅さん(神戸大大学院教授)は「パラレルワールドと資本主義社会の断末魔」と題して講演。コロナがあろうがなかろうが五輪はなくすべき。東京オリ・パラを開催したのは日本だが、ただの国際NGOでしかないIOCが国家主権を凌駕して君臨している。マーク・アダムスIOC広報部長が「(都内の感染拡大は)パラレルワールド(別世界)みたいなもの」と発言したが、選手・関係者は863人も感染。パラレルワールドとは分断だ。オリンピック憲章の原則に「憲章の遵守及びIOCの承認が必要」とある。IOCが承認しないことはオリンピック運動とは言わない。承認が分断を生む。参加(人、国)、種目・競技の選別、ジェンダー、「政治」などを決めるのはIOC。経費は当初7340億円だったのが、1兆6440億円に加えて不透明な「関連経費」が増え3兆円超にもなり膨大な赤字に。うまいことをやった奴が得をし、やらなかった奴は損ばかり。「祝賀資本主義」でもなく、「ぼったくり」と「はったり」の五輪だ。植民地主義略奪経済+ネオ・リベ・グローバル資本主義(運用)だ。
質疑応答があり、講師は「オリンピックは(いずれ)なくなっていくだろう」と締めくくった。

原発のない社会を
元原発エンジニア・蓮池透さんが講演

10月31日、第29回「奈良からつながる市民の集い」(主催:市民ひろば なら小草)が、奈良市内でおこなわれた。蓮池透さん(元東京電力原子燃料サイクル部部長、元拉致被害者家族会事務局長)が、「政治は何をしてきたか―原子力発電所再稼働と未解決拉致問題」というテーマで講演した。
蓮池さんは原発エンジニアとして、東京電力の福島第一原発にかかわっていた。この視点から、原発再稼働の危険性を訴えた。以下、蓮池さんの講演から原発部分について紹介する。

講演要旨

私は35年くらい東京電力の原子力事業本部で働いていた。3・11福島原発事故の1年半くらい前に、東電を早期退職していた。現在、私は新潟に住んでいるが、私の家から3キロくらいのところに東京電力柏崎刈羽原発がある。こういう事情から、原発再稼働はとても他人事とは思えない。
近ごろ、メディアは「この冬の電力事情が逼迫している」というニュースをさかんに流している。確かに、中国の爆買いによって天然ガスは値上がりしている。「だから原発が必要」と、言いたいのだろう。
私が原発再稼働に反対する理由は次のような理由による。第1に、日本に核のゴミを棄てる場所がないということ。私が東電で働いていた頃、「核廃棄物は海洋投棄する」と言っていた。これが国際条約で禁止されて、できなくなってしまった。2000年代になってから、地下に埋めること(地層処分)を言いだした。地殻変動が大きい日本列島においては、どこにも地層処分をする場所がない。将来的には、処分可能な地層がある(海外の)地域と条約を結んで、そこに持っていくしかないのだろう。
ご存知のように、日本は核燃料サイクル政策をとっている。核の再処理が認められているのは、核保有国以外で日本だけだ。日本でも、プルトニウムがたまってきている(47トンくらい)。これをどうすればよいのか。これは廃棄するのがいちばんよいのだ。
第2に、政府と原子力規制委は「世界でいちばんきびしい基準」と言っているが、これははりぼて≠セということ。10月23日に、美浜3号機は「特重施設」工事未完成のために停止した。「テロ対策」と言っている。こんな施設をつくっても、ミサイルで攻撃されればまったく対応できない。こんな工事をするくらいなら、原発を動かさなければすむことなのだ。
第3に、「住民の避難計画」のでたらめさ。作られた計画はまったく絵に描いた餅≠ナ、「逃げれば(それで)終わり」になっている。いったん避難すればそれで解決するわけではない。原発事故がおきれば、住民は10年をこえる避難を余儀なくされるのだから、そういう観点から立てられる計画でなくてはならないのだ。
私の経験を考えてみて、原発の40年超え再稼働は非常にこわい。アメリカから原発セットを輸入して、そのまま日本で造られたから、電力会社は安全文化をつくってこなかった。福島原発事故後においても、この安全文化はまったく育っていない。原発が10年以上も止まっており、現場にいる運転員のモチベーションもさがっている。
原発の電気はやめて、新電力に切り替えることだ。切り替えが進んでいけば、旧電力会社は危機感をもつだろう。こうして、原発のない社会をつくることがなによりも重要だ。(津田保夫)