新自由主義強行の安倍―菅政治断ち切れ
コロナに敗北 菅が退陣
自公政権の過半数割れを
コロナ対策を放置し、臨時国会を開かない菅政権にたいし、怒りの国会包囲行動がとりくまれた(8月19日、国会議員会館前) |
9月3日、菅義偉首相は自民党総裁選への不出馬=退陣を表明した。会見では「総理大臣になってから1年間、新型コロナ対策を中心とする様々な問題に全力で取り組んできたが、コロナ対策と選挙活動は両立できない。感染拡大を防止するために、私は専念したい」と述べた。実にふざけた話である。前日まで権力維持・延命のため総裁選出馬と、自民党役員人事刷新しての解散総選挙に意欲を燃やしていた。しかし解散権も人事権も奪われ万策尽きた「策士、策におぼれる」退任劇であった。
安倍―菅政治(2012年体制)
菅政権は安倍後継政権そのものであった。2020年1月施政方針演説で安倍首相は、それまでの実績を自画自賛し、夏のオリンピックを「世界中に感動を与える最高の大会とする」と述べ、9条改憲を強調し、「国民一丸となって、新しい時代へと、踏み出していこう」などと述べた。しかし足元ではモリ・カケ・サクラ問題が尾を引き、コロナ禍も加わり、3月には東京五輪延期が決まり、8月には病気を理由に辞任となった。
安倍の退陣をうけ、9月自民党総裁選では安倍政権の大番頭の菅が圧勝し、主要閣僚を引き継いだ。菅は所信表明演説で、@新型コロナウイルス対策と経済の両立、Aデジタル社会の実現、Bクリーン社会の実現、C安心の社会保障、D東日本大震災からの復興と災害対策、E外交・安全保障を掲げたが、日本学術会議問題には触れず、安倍の敵基地攻撃能力の保有や改憲には言及した。
しかし、その後コロナ感染は急速に拡大し、菅・二階「肝いり」のGoToキャンペーンは12月14日に一時停止。それでも感染は収まらず、1都3県の緊急事態宣言を発出。その際「1カ月後には必ず事態を改善させる」と述べたが、これらはまったくのウソで、その後コロナ感染拡大に応じて内閣支持率は下落していった。
安倍―菅政権はコロナ無策に対する人民の怒りで打倒されたのだ。
総裁選よりコロナ対策を
東京五輪を挟んで感染は爆発し、入院できない自宅待機者は、全国で約11万8千人、療養先調整中は約3万2千人にもなる(8月25日時点)。自宅で容態が急変し亡くなる人、体調が悪化しても受け入れる病院がなく亡くなる人が相次いでいる。千葉県柏市の妊婦は、コロナ感染し自宅待機、9カ所の病院に断られ自宅出産し新生児が死亡した。
東京は、感染者のうち入院に至った割合「入院率」はわずか9・5%。8月に入って都内の自宅待機中の死者は21人に上る。大阪は、入院率は9%で、東京よりもひどい。感染者数は、大阪は17・9万人で東京35・5万人の半分なのに、死亡者数は、大阪は2827人に対し東京は2535人(9月4日時点)。大阪は死亡者数が全国一だ。
保健所は業務激増で疲弊し、感染者への最初の連絡すら遅れている。首都圏では、救急隊からの入院調整の相談電話に対応するため、24時間体制をとっている。保健所は1992年に全国で852カ所あったのが2020年4月現在は469カ所に半減。
これら医療体制不備による命の危険はすべて政治の責任だ。コロナを放置した安倍―菅政権と、その後継政権を許してはならない。総選挙では自公の過半数割れを実現しよう。
山本太郎代表が街頭記者会見
菅の「悪政ワースト5」発表
山本太郎代表の街頭記者会見(9月3日、尼崎) |
れいわ新選組・山本太郎代表は9月3日、尼崎市内で「街頭記者会見」を実施。東京五輪に最初から反対してきた政党の代表が「総理大臣候補」とプリントされたTシャツを着用し、尼崎一番の人通りの場所で、延べ300人以上が「太郎節」に聞き入った。
「山本太郎の街頭記者会見」は例によって聴衆からの質問を、最後の一人まで受ける形式。この日も「論戦的質問」もあったが、モニターも使って終始穏やかに受け答えた。特に注目されたのは、菅義偉首相の総裁選不出馬表明に対し、即座に「菅政権の悪政ワースト5」を発表したことだ。
菅首相の退陣見通しに「菅さんは資本、資本家、皆さんとは遠く離れたところに生きている方々や、組織票や企業献金をしっかり確保しながら政治を動かしているような者にはありがたい存在だった」と話した。
菅政治の「悪政ワースト5」として、5位から「種苗法改悪による多国籍種子企業へのサポート」、「安倍政権以来のお友達政治の継続」、「国民の意見を十分に聞かずデジタル庁設置」、「今年度の補正予算を組まず国民生活を疲弊させる」を挙げ、1位は「東京オリンピック開催強行でコロナ対策停滞」とし、さらに「チャンスは衆院選。変える力がある」と訴えた。
兵庫8区(尼崎)のつじ恵予定候補も政権交代で社会を変えていこうと訴えた。
れいわ加え野党共闘が成立(9月8日)
2面
歴史の転換点に当たって
アフガニスタンでの米帝・米軍の敗北
落合薫反動判決許せない
一番の敗者は米国と日本
アメリカ史上もっとも長い戦争、もっとも汚い戦争で、米帝・米軍はついに敗北した。バイデン大統領は、8月31日の国民向け演説で、「退避作戦は並外れた成功」と自画自賛し、米軍の犠牲者を「英雄」と讃えた。しかし20年間の戦争で犠牲となった40万人にも及ぶアフガニスタン市民については一言の追悼の言葉もなかった。
一番犯罪的なのは日帝・日本政府である。2001年9・11反米一斉ゲリラ戦闘が米国の中枢で爆発した直後、宣戦布告もなく横須賀から出撃してアフガニスタンへの空爆に向かった米空母キティーホークを、護衛艦などを出して護衛したのは当時の小泉政権であった。米艦防護を法律的に可能にしたと称する安保法制が成立する14年も前である。またその年中にはテロ対策特措法を成立させ、自衛隊艦船がインド洋でアフガニスタン攻撃に向かう米艦船等に給油する活動をおこなった。国連決議に基づく集団的自衛活動でさえなく、米国単独の軍事行動に対する「支援」であった。さらに日本政府は、02年1月と12年7月の2度にわたり東京でアフガニスタン「復興」を名目とする国際会議を主催し、米軍の軍事行動を支え、アフガニスタンの傀儡政権を援助する活動をおこなった。このような日本政府が「退避作戦」に失敗したのは必然である。
犠牲にも屈しない闘い
2011年の反米一斉ゲリラ戦闘に対し、米帝・米軍は国連決議も経ずにただちにアフガニスタンを攻撃した。「タリバンがアルカイダをかくまっているから」、個別的自衛権に基づいて「対テロ戦争」を発動するというわけである。01年末にはタリバン政権を崩壊させ、カルザイ傀儡政権を成立させた。すると今度はその防衛を名目に米駐留軍とは別に、国際治安部隊(ISAF)を創設する。ISAFは最大時49カ国が参加し13万人の兵力に達した。米軍はオバマ大統領の時に増派を繰り返し、派遣人員計9万人に達した。この間に、全体の死者90万人前後のうち、米兵7052人、「敵兵」30万人、市民36〜38万人、ジャーナリストら680人(この項は9月1日に米ブラウン大学の研究チームが発表したもの、朝日9月3日)と、アフガニスタンの戦闘員や市民の犠牲が圧倒的に多いことである。さらに問題はこれだけの費用と犠牲を払ったにもかかわらず、アフガニスタンではインフラや民政への投資がほとんどおこなわれず、30万人の人員を誇った政府軍も一瞬にして雲散霧消したことである。姿を現したタリバン兵は、米軍の最新兵器で武装していた。米軍の援助、訓練を受けた政府軍がタリバンに対する補給隊の役割を果たしていたのである。
つぎは何か?
アフガニスタンにとっての問題は、国内の経済危機と政治的分裂をいかに解決するかである。その意味で「革命いまだし」である。3900万人がどのように自立・共同する体制をつくるかである。さらに経済的困窮を突破するためには米国をはじめ日、欧州諸国に経済制裁をただちにやめさせなければならない。
もうひとつの問題は、中東における崩壊しつつある米帝・米軍支配を、ムスリム人民を中心に、下からの民衆革命によってどのように打破するかである。
最後に、日本の労働者人民に問われていることは、2015年に成立した戦争法と戦争法体制が、東アジアのみならず、中東で「不要」「有害」であることが完全に明らかになったことである。安倍・菅体制の改憲攻撃を許さず、中東・ムスリム人民と連帯し、帝国主義・新自由主義の侵略・抑圧体制を打ち破ろう。
10・3三里塚全国集会招請状
強制執行許さない陣形を
2020年9月27日の全国総決起集会(千葉県成田市/反対同盟ブログより) |
全国の闘う仲間の皆さん。私たちは来る10月3日、市東さんの農地を守る決意も新たに全国総決起集会を開催します。
市東さんの農地をめぐる請求異議裁判で、最高裁第三小法廷(長嶺安政裁判長)は、6月8日付で上告を棄却する決定を下ろしました。強制執行の違憲性、不当性を不問に付し、成田空港会社(NAA)による農地取り上げ強制執行にお墨付きを与えたのです。
断じて許すことはできませんが、私たちはすでに「何があろうとこの地で畑を耕し続ける」という市東さんの決意を共有し、4月1日から「農地死守」の強制執行実力阻止態勢をとっています。
他方、判決から2カ月あまりが過ぎてなお、NAAは市東さんの農地に何ら手を出すことができません。市東さんの農地を奪う緊急性も必要性もないことの証です。新型コロナウイルスの感染拡大で破綻の危機に瀕するNAAが、市東さんの農地を奪う理由などどこにもありません。
「来るなら来い!」 私たちは闘いの正義を確信し、強制執行攻撃を迎え撃ちます。天神峰現地への結集を強化し、あらためて強制執行を許さない陣形を拡大し、NAAを包囲していきましょう。10・3集会はそのための総決起集会です。
成田空港の破綻的状況にもかかわらず、千葉県は空港周辺9市町を対象に国家戦略特区に向けた提案を行いました。空港機能強化のためとして農地を奪い、物流基地を造り、巨大な交通網を造ろうというのです。自然破壊、農業破壊を極限まで推し進め、その先に軍事空港化をねらうものに他なりません。相川勝重芝山町長の会場貸出拒否をとことん追及し、怒りの決起が拡大する地域住民との連帯を深め、空港機能強化を白紙撤回させましょう。
菅政権はオリンピック・パラリンピックを強行して新型コロナ第5波の感染爆発を引き起こし、労働者民衆に犠牲を押しつけて命を奪っています。さらには新型コロナを奇貨として戦争のできる国へと憲法改悪をねらい、私たちの権利を踏みにじる強権支配を強めています。
今こそ怒りを解き放って闘う時です。世界中で労働者民衆が歴史を画する闘いを開始するなかで、日本でも強権政治に怒りの実力決起が巻き起こっています。
こうした決起と、「不屈非妥協」「実力闘争」を先達から引き継いで55年、今も「国策」と真っ向から闘い続ける三里塚が結びつくことこそ未来を切り拓く力です。
そして私たちと動労千葉・関西生コン支部をはじめとした闘う労働組合、「帰還」強制攻撃と闘う福島、辺野古新基地建設と闘う沖縄など菅政権と最も鋭く闘う勢力が一堂に会する10・3集会こそ、菅政権打倒の総決起集会です。
労働者、農民、住民・市民、学生、あらゆる闘う皆さんの参加を呼びかけます。民衆の団結した力で政治を変え、社会を変えましょう。
10・3全国総決起集会にぜひお集まり下さい。
2021年8月26日
改憲阻止・菅政権打倒! 10・3全国総決起集会
とき:10月3日(日) 正午
ところ:成田市栗山公園
主催:三里塚芝山連合空港反対同盟
連絡先:成田市天神峰63 市東孝雄方
TEL 0476・35・0087
9・6防衛省前行動
辺野古 自然破壊を弾劾
9月6日、毎月恒例の「辺野古新基地建設の強行を許さない! 防衛省抗議・申し入れ行動」(主催:辺野古への基地建設を許さない実行委員会)に約100人の市民が結集し、防衛省前でおこなわれた(写真)。
参加者が口々に、辺野古で強行されているサンゴ移植が実際にはサンゴと自然環境の単なる破壊にしかなっていない(※そもそも移設先にサンゴがないのは何らかの原因があるのでありそれを解決しないと移植しても存続できるわけがない)ことを弾劾した。
沖縄現地からは山城博治さんが電話でアピールを寄せ、全体が盛りあがった。(高島)
3面
辺野古現地レポート
N2護岸の工事に着手
大浦湾の作業模様(9月4日) |
8月27日 名護市辺野古の新基地建設で、沖縄防衛局は大浦湾側の「N2」護岸の工事に着手した。新たな護岸の長さは250メートルで、完成後は埋め立て用土砂運搬船からの土砂陸揚げに使用すると思われる。「K9」護岸、「K8」護岸につづき3カ所目の土砂搬入護岸だ。
「N2」護岸予定地はサンゴがあり、移植工事が必要だ。防衛局は予定地のサンゴは11日までに移植したとして護岸工事に着手した。サンゴ移植について、県はサンゴの生存率の下がる夏場の移植をやめるように求めたが、防衛局は工事加速という自らの都合を優先し、移植を強行した。
サンゴ移植作業は7月29日から8月11日までのうち6日間実施された。移植現場を監視していたダイビングチームの市民は「移植されたサンゴは小さく割られていて、本当に保護のための行為か疑問だ。移植が工事のためになっている」と話した。
沖縄はコロナウイルス感染拡大防止の緊急事態のため、県民は抗議行動を控えている。そんな中での工事の強行に、あちこちで怒りの声があがった。シュワブゲート前で監視行動の市民は「人が集まって抗議できない中で工事が進められている。怒りに堪えない」。ほかでは「現在2つの護岸から土砂が陸揚げされているが、N2護岸ができさらにN1護岸ができれば作業が加速するのは間違いない、警戒心を持って監視していきたい」などの声が上がった。
「N2」護岸に着手しても、その先の工事は知事の埋め立て変更承認が得られないと進展は見込めない。護岸工事着工に、玉城デニー知事は「スケジュールありきで工事を進めていることは非常に遺憾だ」と憤りを示した。
9月3日 キャンプ・シュワブゲート前で市民による監視行動がおこなわれた。10トンダンプなど工事車両が多数基地内に入った。
9月4日 キャンプ・シュワブゲート前から工事車両の搬入はなかったが、土砂搬入がおこなわれた。「N8」護岸には10トンダンプ10数台が土砂搬入に並んでいた。(杉山)
関東大震災98周年 朝鮮人犠牲者追悼式典
ヘイトの妨害はねのける
9月1日、東京都墨田区にある横網町公園で例年通り「関東大震災98周年 朝鮮人犠牲者追悼式典」が執りおこなわれた(写真)。
震災時の流言蜚語に乗じた日本人により虐殺された在日朝鮮人を追悼する行事で、在日朝鮮人の方々の手によって連綿とおこなわれてきた。2017年にはヘイト団体が攻撃対象に設定。毎年すぐ隣りで似非慰霊祭をでっち上げ、騒ぎを起こすことで中止に追い込もうと策動していた。事実昨年は、東京都が誓約書を出すよう求める事態となったが、広範に広がった抗議がかろうじて撤回へ追い込む、という危うい事態となった。攻撃が始まった年からは、守らなければならないという人々が足を運ぶようになり参加者は激増していた。今回は昨年同様コロナ対策として、一般参加者には参加自粛・リモート参加を要請しての開催となった。
1970年代から毎年都知事(あの石原でさえ)がこの行事には追悼文を送ってきていたが、現知事・小池百合子は就任翌年(=ヘイト団体の攻撃が始まった2017年)からこれを拒否し続けている。同公園中央で同時におこなわれている大法要へ送付すれば事足りるというのが小池の言い分だが、これは自然災害による死者と日本人に虐殺された朝鮮人被害者を同列に置く日本人としての反省のカケラもない虐殺の開き直りである。
集会でも、「差別に手を染めたオリンピック関係者が世論によって駆逐された。日本は差別を許さない社会に変わったのだ。なのに小池はどうだ」という声があがった。本当に日本から差別をなくすための闘いを継続する必要性をあらためて突きつけられた日となった。
また、4日には同趣旨の企画が同じく墨田区の荒川河川敷であり、今回で40回目を数えた。
東京高裁が反動判決
朝鮮人労働者 慰霊碑撤去策す
8月26日、東京高裁は県立公園「群馬の森」の朝鮮人労働者慰霊碑の撤去に道を開くヘイト判決を下した(写真)。慰霊碑は2004年に市民団体の努力によって設置された。当初から「強制連行」という単語を使用しないことを条件にする等、ヘイト体質の県行政が露骨であった。設置期限が10年と切られ、ヘイト勢力と一体となり県は設置期間の更新を拒否。市民団体側が提訴。18年に前橋地裁が不許可は不当とした。控訴した県は和解を拒否して、この日の判決となった。
判決は、碑の前での行事で「強制連行」という単語が使われたことで、「公園が必要とする政治的中立性」が失われたとしている。要するに「強制連行」は政治主張であり歴史的事実ではないというヘイト言説そのものである。判決前にはヘイト街宣と1時間にわたり対峙。報告集会では、逆転判決への憤りが語られ、上告に全員が応じた。
大阪市立小学校長・久保敬さんの講演
7月25日・奈良
ともに生き学ぶ 子どもが主人公の学校
7月25日、奈良市内で「第26回奈良からつながる市民の集い」がひらかれ、久保敬さん(大阪市立木川南小学校・校長)が講演した。
久保さんは、5月17日に、大阪市の教育行政への提言書を実名で松井一郎大阪市長に送った。その経緯とこれに込めた思いなどを語った。
1985年に小学校教員となって以降、久保さんは大阪の人権教育(解放教育)に長く関わってきた。このかん維新の松井一郎大阪市長は、コロナ対策としてオンライン教育推進で対応してきた。久保さんの提言書は、「公教育とはなにか」という根本的な問題を投げかけている。久保さんは、「これは市長にたいする提言というよりも、自分自身への問いかけであり、自分自身の立場宣言であった」と述べた。したがって、この提言書は、大阪の新自由主義的教育にたいしてストレートに疑問を呈する内容になっている。また、学校現場からの批判ということも重要だ。
子どもが主人公
久保さんは、「だれのための学校なのか。学校では子どもが主人公であり、勉強ができるかどうかを選別する場ではなく、ともに生き、ともに学ぶ場なのだ」と言う。また「教育をめぐる問題は社会構造として考えていくべきだ。教職員の自己解放、自分たちの手に教育を取り戻していく事が求められている。このために教職員は自分自身のために闘う必要があるのだ」と述べた。さらに提言書を出して以降の学校の様子を次のように語った。「学校に嫌がらせの電話などはありませんでした。むしろ、共感の声をたくさんいただきました。ある保護者から〈おかしいことはおかしいと言うこと。この大切な事を先生は身をもって示してくれました。このことは、子どもにとってもっとも大切な教育だと思います〉というメッセージをいただいた。ありがたいことです。全国からも、たくさんの手紙をもらいました。ある北海道の教員は〈教師になりたいと希望して、10年前にやっと教員になった自分なのに、今日では教師をやめたいと思うようになっていた。この提言書を読んで、もう一度がんばってみようと思っています〉と書いてくれていました。どこの学校も、学校現場で教職員は苦しんでいるのです」。
社会の中で、学校も変わっていかなければならない。グローバル社会に対応するためと称して、上から変えようとしているのが大阪の教育行政だ。これにたいして、久保さんは本来の公教育の実現をもとめて、教育労働者は闘う必要があることを訴えた。(津田保夫)
4面
破綻した菅政治―5つの大罪(1)
デジタル庁構想とは何か
―デジタル独裁・警察監視国家への道
8月6日大阪市内で「『デジタル庁構想』とは何か? デジタル改革関連法で、私たちの暮らしはどうなる」と題して、黒田充さん(自治体情報政策研究所代表)の講演があり、70人が参加した。主催は〈戦争あかん! ロックアクション〉。講演はリモートでおこなわれた。講演の一部を以下に紹介する。
個人情報とプロファイリング
プロファイリングとは、様々な個人情報を名寄せすることで、対象者の人物像をコンピューター上などに「仮想的」に作り出すこと。私たちは、クレジットカードや、ポイントカード、携帯電話、インターネットなどを使い、毎日個人情報をバラマキながら暮らしている。
このピースを拾い集めて、うまく組み立てることができれば、人物像が完成する。例えばクレジットカードの購買履歴から所得や趣味を推測したり、SNSへの投稿から思想傾向を推測できる。その予測によって、特定の目的のために働きかけ(宣伝、誘導、制限、排除…)をすることで、効率的に利益が得られる、もしくはリスクが回避できると自公政権と経済界はみている。
様々なサービスは監視によって実現されている。利益を求める大企業と政府によって、個人情報が、プロファイリングを実現するために、本人が知ることなく関与することもできない所で、合法的に利用され始めていることが問題だ。プロファイリングを効率的におこなうには、個人情報が誰のものであるのかを示すID(識別子という番号)が必要。この番号の1つがマイナンバー。
デジタル改革関連法
IT政策に知見も関心もなかった菅が、首相就任にあたって突然デジタル化を目玉政策としてぶち上げた。平井デジタル・河野行革担当両大臣に丸投げし、大暴走している。
デジタル改革関連法(5/12成立)の狙いは、民間企業による個人情報の利用拡大であり、行政機関の持つ個人情報の民間企業への提供である。
デジタル庁の長は内閣総理大臣。別にデジタル大臣とデジタル監を置く。9月にデジタル庁が官民600人の体制で発足する(9月1日発足)。デジタル大臣は関係行政機関の長への勧告権を持つ。国の情報システム予算を一括計上(2021年度3000億円規模)し、各府省に配分する。マイナンバー制度、公的個人認証制度の所管が総務省や内閣府からデジタル庁に。同庁は全ての省庁の上に君臨、支配する強大な権力をもつ組織となる可能性がある。
デジタル法は個人情報保護法の改正も含む。自治体の個人情報保護条例が事実上一本化される。これまで各自治体は国の基準通りに条例を作っていなかったが、全国的な共通ルールを法律で設定し、「必要最低限の独自の保護措置」しか認めない。一本化するのは民間企業に個人情報を提供しやすくするためである。
国の作ったシステムに合わせて仕事をすることを自治体に強要するものであり、地方自治の形骸化(国による統制、民主主義の破壊)をもたらす。自治体の独自施策の執行が困難になる可能性が大きい。
実験場としてのスーパーシティ
スーパーシティは、「データ連携基盤」による情報の収集と提供をおこなう。データ連携基盤は、全ての人の情報をプロファイリングするための実験である。スーパーシティ型国家戦略特区の公募に31自治体が応募し、指定は5カ所程度。大阪は府・市共同で応募。
グーグル関連会社が同様の取り組み(スマート・シティ)を進めていたカナダのトロントでは、住民が反対して頓挫させた(2020年5月)。米国のサンフランシスコ市やボストン市では顔認証技術の使用を禁止している。背景にはブラック・ライブズ・マターの運動がある。EUや米国(の一部)が取り組んでいるGAFAへの規制や課税。EUのAIを規制する法案。これらの背景には、市民的自由を守れとする国民世論と市民運動がある。
私たちも、基本的人権を「監視」から守るために、デジタル化の実態を掴み、プロファイリング規制や顔認識技術の規制を求める運動が必要だとよびかけた。(花本 香)
だまってへんで
生活保護控訴審スタート集会
9月2日 大阪
9月2日、生活保護基準引き下げ違憲訴訟の控訴審での勝利をめざすスタート集会が大阪弁護士会館でオンラインをふくめて開催された(写真左)。今年2月、大阪地裁での歴史的かつ画期的な判決から7カ月。いよいよ大阪高裁での控訴審が9月14日に開始される。そのためのスタート集会だ。
最初に、〈引き下げアカン! 大阪の会〉木下秀雄代表が、大阪高裁で勝つためには何でもやろう、生活保護利用者の声が裁判所に届くような闘いをやり、高裁でも最高裁でも勝つという決意の場にしようとあいさつした。
弁護団からは和田信也弁護士が、@生活保護の重要性、A大阪地裁での勝利の意味、B大阪高裁での審理等についてパワーポイントを使ってわかりやすく話した。
和田弁護士はコロナ禍で苦しむ今の状況について、生活保護制度に大きな影響を与えた朝日訴訟(1957年提訴)の時代と比較して話した。朝日訴訟とは、生活保護利用者の故朝日茂さんが1950年代の保護基準があまりにも劣悪なため、これを違法として訴えた裁判である。60年に東京地裁で全面勝訴したが、東京高裁、最高裁と敗訴した。しかし、当時の厚生省は朝日訴訟をきっかけに、保護基準を大幅に上げていった歴史的かつ画期的な裁判だった。
コロナ禍で貧困と格差が拡大
1957年の生活保護利用者の人口に占める割合は28‰(パーミル/1000世帯中何世帯が利用しているかを示す数値)だったが、引き下げが強行された2013年には31‰と朝日訴訟のときよりも貧困が悪化していることが指摘された。
コロナ禍で最初の緊急事態宣言が出された2020年4月と前年の19年4月と比較すると生活保護申請者数は実に23%も増加している。これは、緊急事態宣言によっていかに多くの人たちが生活できなくなったかを示しており、朝日訴訟の時代よりも今のほうが貧困が深刻となり、生活保護が死活的に必要とされていることが示されている。
朝日訴訟に匹敵する勝利
生活保護の裁判では保護基準本体での勝訴はほとんどない。今回の大阪地裁の勝訴判決は保護基準の本体を争った朝日訴訟以来の大勝利である。名古屋地裁、札幌地裁、福岡地裁の敗訴が続く中での大阪地裁の勝利はさらに重要である。
控訴審の争点
原告らは当たり前のことだが、憲法と生活保護法に基づく判断をおこなうように求めている。国は厚労相の裁量権に裁判所は口出しするなと主張し、原告らは裁量権の妥当性について裁判所は真正面から介入することを求めている。
だまってへんで
原告の座喜味盛純さんは、引き下げによって普通の生活ができなくされていることへの怒りを原動力に運動を広げていきたいと話し、同じく堰立夫さんは、下げるのが間違っている、名前も顔も出して堂々と闘っていきたいと話した。堺の女性原告は社会的弱者が公的な社会保障で守られる社会をつくろうと訴え、枚方の女性原告は勝利判決を勝ち取り缶酎ハイをおいしく飲みたいと訴えた。
裁判の傍聴を
9月14日10時から大阪高裁で第1回口頭弁論がおこなわれる。傍聴しよう。(三船二郎)
5面
今秋総選挙闘争勝利のために(2)
沖縄・広島の立候補予定者
2019年2月、県民投票勝利を訴えるデモ行進。総選挙ではオール沖縄候補の必勝を |
9月8日東京で、市民連合を媒介にして、旧来の立憲民主党、社会民主党、日本共産党に加えて、新たに「れいわ新選組」も参加しての野党共闘が成立した(国民民主党は不参加)。総選挙に向けて市民が主導する野党共闘の強化がもとめられている。
沖縄では10年近くに及ぶオール沖縄の闘いが続き、今回も全4議席の獲得をめざしている。広島では「核兵器廃絶」の闘いが粘り強く取りくまれている。これら課題を闘う人々の当選を勝ち取っていこう。
『未来』編集委員会
オール沖縄4候補の当選を勝ちとろう
沖縄1区(那覇市など)赤嶺政賢(共産)/自民/無
沖縄2区(宜野湾、浦添、中頭) 新垣邦男(社民)/自民/諸
沖縄3区(名護、沖縄、うるまなど)屋良朝博(立憲)/自民
沖縄4区(宮古島、石垣、糸満など)金城徹(立憲)/自民
核兵器廃絶を闘う広島の候補
毎年開催される8・6ヒロシマ平和の夕べ。今年は核兵器廃絶をめざす3予定候補への支援がよびかけられた(写真は2018年) |
広島2区(広島市西区、大竹市など)大井赤亥(立憲)/自民/共産
広島3区(広島市安佐南区、安佐北区など)ライアン真由美(立憲)/公明
広島5区(呉、竹原など)野村功次郎(立憲)/自民など
〈投 稿〉コロナ対策 一律20万円3カ月給付
党派性と自立性もつ大石あきこさん
大阪都構想粉砕などの闘いの先頭にたつ大石あきこさん(2020年6月) |
8月7日、大石あきこ政治資金パーティに参加しました。政治資金パーティといっても飲み食いするものではありませんでした。大石あきこと山本太郎が「れいわ新選組」の衆院選にむけてどう闘うかの政治討論集会でした。熱気あふれるものでした。まずスクリーンに映されていた映像には「れいわニューディール」とありました。
れいわニューデール
200兆円規模の大規模な財政出動で、生存の危機、社会インフラの危機、原発災害、気候変動の危機を打開するというものです。非正規雇用の拡大には1千万人の安定雇用、老朽原発を含め全原発即時禁止等々です。
コロナ禍にあってれいわはこのようにケインズ政策、つまり思いきった財政出動を打ち出すべきだという主張です。3カ月間でコロナを収束させ、日常をとりもどす。びっくりでしたが「ロックダウン」の協力へのお願いというのもありました。今の自民党総裁選挙、あるいは衆院選にむけてのアドバルーンではないということです。「ロックダウン」を成功させるために、国民一人につき一律20万円の給付、これは1回だけでなく何カ月も必要なだけ支給する。中小企業への手厚い保護。飲食業についても同じく給付するというものです。
財源はどうするか
財源があるのか。財源は、無きに等しい法人税を資本に課税し、それをそのまま当てればいいというものです。他の給付についてはお金を印刷することでできるというものです。
そもそもアベノミクス自身が結局は赤字国債を発行しただけのものであり、儲かったのは大企業だけ。民衆はそのおこぼれをもらう時期まで待ちなさいというものでした。
コロナ禍でそのおこぼれももらえない今、ブルジョアジーから内部留保を吐き出させればいいということでしょう。日銀の黒田東彦が年換算インフレ率2パーセント超を打ち出しているが、れいわの主張はこの数値の枠内といっている。これらは山本太郎代表の答弁としてあった。この答弁は経済学者からの意見も踏まえたものであるとのことだった。
ロックダウンについてはもちろん強制力はそれほど強いものではないといっている。違反しても罰せられるようなものはない。ワクチン接種についても打たないという選択肢もある。人流抑制のためであり、3カ月の期限付きである。経済補償もしっかりつけるといっていた。
党派性と自立性をもった大石
山本太郎は2千の質問に答えられるという。さて大石あきこである。昨年、大阪都構想をめぐる闘いの時、大石あきこは説明口調で、山本太郎のワンフレイズごとにきちんと返す言葉の弁舌とは比べ物にはならなかった。
しかし、今回は私の感想では2千の質問に答えられるかは分からないが、ある意味れいわとしての党派性と自立性を持ったかなというのが私の感想である。ぜひとも勝利してほしい。(石毛明)
安倍右翼路線の継承者=高市早苗
自民党総裁選で惨敗を
現在おこなわれている自民党総裁選は自民党内のコップの中の争いであることは明白だが、総選挙を前に3回生以下の議員が、人民の怒りによる落選の危機を感じ、旧来の派閥の統制を離れ、安倍=菅泥船路線からの脱出を策す大流動が起っている。
その中で、この動揺をより右翼的に排外主義的に組織するために登場してきたのが高市早苗前総務大臣だ。高市は安倍のバックアップで推せん人を集め、安倍―菅政治=2012年体制のより右翼的再編・継承者として立候補する。
総裁選立候補の公約には首相自らの靖国神社公式参拝を明言している。高市は総務相時にはテレビ局に「電波停止」の恫喝をおこなった。LGBTや選択的夫婦別姓に反対し、女系天皇を認めない「保守団結の会」の中心人物である。自民党総裁選での高市を軸にした右派結集を許してはならない。逆に各地の高市支持者をあぶりだし、極少数派に追い込み、総選挙での落選を強制していこう。
安倍―菅政治は憲法改悪を最終目標とし、民主的手続きを徹底的に破壊し、貧困強制・弱肉強食・自己責任の新自由主義政治であった。
その粉砕の道は2015年戦争法粉砕闘争やモリ・カケ・サクラを追及し続ける人民の決起、反原発・沖縄の闘いにあった。また東京五輪での森喜朗の女性差別をはじめとする差別・排外主義、人権抑圧に対する広範な怒りが爆発した。
これらの総元締め=安倍政治を断ち切るため、新自由主義反対、原発・沖縄をはじめとする戦闘的大衆闘争の持続で、高市らの跳梁跋扈を粉砕していこう。
6面
マルクスの反差別解放理論、またはマルクスの労働者革命実現論(上)
高見元博
マルクス主義の伝説と労働者解放の思想
僕は障害者の解放をマルクス主義の運動の力で実現するということをずっと考えてきた。この立場の先輩には、1990年代に亡くなったブント(共産主義者同盟)の精神障害者だった香川悟がいる。いまも仲間である関東「障害者」解放委員会の多くの友人たちも先駆と言える。なくなってしまったが2010年代まで僕の所属した『精神障害者集団・虹の会』もこの系譜に位置づく。
この文章は、マルクスについての伝説、すなわち「マルクスは資本家と労働者の対立しか見ておらず、差別問題を考えていなかった」という神話を根底からくつがえして、マルクス主義による障害者の解放の条件を考える目的で書きだした。マルクスが差別問題の解決は労働者革命の前提だと考えていたことを明らかにしていく。 従来の「障害者解放=日本帝国主義打倒」論(「障害者解放=日本資本主義打倒」ではない)は差別問題を帝国主義段階に固有の問題ととらえていたようにみえる。資本主義(自由主義段階)は封建制諸関係を解消したというのが日本共産党だ。それをこえようとした革共同の論理は、自由主義段階における封建諸関係の解消が不徹底で、帝国主義段階になって温存・再編・強化されたというものだったように思う。しかしそこには自由主義段階の資本主義における差別諸関係の位置づけが不明確だった。差別諸関係は帝国主義固有のものではなく資本主義の本質としてとらえるべきだ。
カール・マルクスは、「アイルランドの独立(連邦制も含む)はイングランドのプロレタリア革命の前提条件だ」(1870・1・1「IWA総評議会」の特別会議にて)と言っていた。それはイングランドにおける労働者革命の実現方法を提示したものだった。だから、この文章の叙述は、マルクスが労働者革命をどうやって実現しようとしていたのかという問題から入る。結果として、障害者解放理論を展開するつもりが、マルクスの労働者革命実現論を明らかにすることになった。
日本プロレタリア革命の前提条件――朝鮮・中国・沖縄の解放
イングランドにとってのアイルランドは、日本にとって併合国であった朝鮮や傀儡国家を作っていた中国やいっかんして植民地化してきた沖縄に相当する。日本に当てはめれば「朝鮮・中国・沖縄の解放は日本プロレタリア革命の前提条件」ということだ。日本プロレタリア革命・世界革命を目的としてプロレタリアートが被差別・被抑圧民族人民の力を借りるという形の「国際連帯」や「社会的マイノリティーとの連帯」の立場を越えたものではないかと思える。最初に実現すべき目標がひっくり返っているからだ。
マルクスはプロレタリア革命の実現のためには、プロレタリアート内部の対立の止揚が必要だと考えていた。そのためには宗主国のプロレタリアートが植民地国の独立と解放を勝ちとり、そのことをつうじて宗主国のプロレタリアートと植民地国のプロレタリアートははじめて階級として団結し、資本家階級に立ち向かえると考えていた。しかしその事実はのちのマルクス=レーニン主義者によって消し去られてきた。
『マルクス・エンゲルス全集(大月版)』でカール・マルクスがイングランド労働者革命実現にとってのアイルランド独立問題について書いたものを読んでいく。以下、長くなるがマルクスの言葉を引用していく。マルクスについての神話を暴くには、マルクス自身が語ることが一番だと思うからだ。
マルクスのプロレタリア革命実現論
マルクスは『資本論』出版の当時(1867年)は、労働組合が革命実現の担い手になることを期待していた。
1867・2・20及び3・13『個々の問題についての暫定中央評議会代議員への指示』(全集16巻)
「六 労働組合。その過去、現在、未来」
「(イ)その過去。
最初労働組合は〜賃金と労働時間の問題に限られていた。労働組合のこのような活動は、正当であるばかりか、必要でもある。現在の生産制度がつづくかぎり、この活動なしにすますことはできない。」
「労働組合は、〜労働者階級の組織化の中心となってきた。」
「労働組合は、〜賃労働と資本支配との制度そのものを廃止するための組織された道具としてはさらにいっそう重要である。」
「(ロ)その現在。」
「だが最近になって、労働組合は、自分の偉大な歴史的使命にいくらか目ざめつつあるようにみえる。」
「(ハ)その未来。」
「いまや労働組合は、その当初の目的以外に、労働者階級の完全な解放という広大な目的のために、労働者階級の組織化の中心として意識的に行動することを学ばなければならない。」
「(労働組合は)あらゆる社会運動と政治運動を支援しなければならない。」
「(労働組合は)非組合員を参加させることを怠ることはできない。」
「(労働組合は)賃金の最も低い業種の労働者の利益を細心にはからなければならない。労働組合の努力は狭い、利己的なものではけっしてなく、ふみにじられた幾百万の大衆の解放を目標とするものだということを、一般の世人に納得させなければならない。」
(横線は原書では傍点)
このような将来像は実現されていったのだろうか。実際はずいぶん異なっていた。
10年後のマルクスのイギリス労働組合観
1867年ごろにはイギリスの労働組合にたいしてもっていた期待が、10年後には失せていた。
1877・9・27『フリードリッヒ・アドルフ・ゾルゲへの手紙』にはマルクスはイギリス労働組合全国大会を「恥さらしの労働組合大会」「この大会ではブルジョワどもがパトロンを演じていたのだ」と言い、これらの「やっかいごとから身を引いた」と労働組合問題から手を引いたと言っている。
1878・2・11『ヴィルヘルム・リープクネヒトへの手紙』には「イギリスの労働者階級は、1848年以来の腐敗期をつうじてしだいに退廃の度を深め、ついには、大自由党すなわち自分たちの抑圧者、資本家のしっぽにすぎなくなるところまでなりさがった。労働者階級の指導権は、金で動かされる労働組合指導者と、職業的な扇動者の手中にまるまる移ってしまった。」ロシアの対トルコ戦争ではブルジョワジーと唱和しながら「他方では、南ウェールズで炭鉱主たちから餓死を申し渡された自国の兄弟たちのために指一本動かさなかったのだ。見下げはてた奴らだ!」と断罪し、彼らのイギリス下院における唯一の代表が直接の炭鉱労働者代表であり自ら生まれながらの炭鉱労働者であること、彼らがブルジョワジーの「大自由党」の政策を遂行したことを弾劾している。
10年前にはイギリスを「革命の条件のある唯一の国」と言い、労働組合の明るい将来像を描いていたのとはずいぶん変わっている。一方でドイツでは社会主義運動が前進しており革命党の必要性を提起したりしている。
しかし、こうも言っている。
1876・10・7『マルクスからヴィルヘルム・リープクネヒトへ』
ロシア対トルコ戦争に反対する反戦集会を開催した「ロンドンの労働者階級の間では、最も進んだ、もっとも断固たる分子が」「労働者階級が支配階級の合唱団としてふるまうときには、いつでも恥さらしをやっているのだということを、これらの労働者は理解しているのだ。」ロンドン労働組合協議会(首都の数千人の労働組合員を統一していた)の代議員だったマルクスの支持者は、さきに述べた「恥さらしのレスター大会で実に理にかなった一決議を通過させた。」
このころには、全国的な労働組合指導部には期待できないが、ロンドンなどの革命的な労働者階級に対する期待は失せていなかったことが示されている。(つづく)
高見元博;個人ブログ『マルクス主義2・0』で検索
7面
(投稿)
〈反戦派労働運動〉の継承・発展を
3全総路線を主導した陶山さんに学ぶ
山城一輝
1962年9月に開かれた革共同第3回全国委員会総会(3全総)は、革共同が本物の革命党へと飛躍的前進をかちとる契機になった。現在の情況をふまえつつ、3全総路線の思想的背景と実践的展開をとらえかえしてみたい。
3全総路線の最大の核心点は、戦闘的労働運動の防衛である。つまり現実の労働運動を責任を持って主体的に担い、その闘いをとおして革命党に脱皮成長しようというものであった。併せて〈戦術の緻密化〉を提起した。私はこれを、労働者階級自己解放の思想を個々の具体的な闘いの過程で貫徹し、それによって階級形成を追求するものと解している。
3全総路線は60年代後半から70年代初めにかけて、〈反戦派労働運動〉として結実した。闘う青年労働者たちは共産党からの攻撃と既成組合幹部の制動に抗して職場闘争を組織し、多くの職場に戦闘拠点を築き上げた。
そして職場の仲間たちの支持と参加を得て反戦青年委員会に結集し、独自の隊列を組んで街頭に進出した。沖縄を発進基地とするアメリカのベトナム侵略戦争に加担する政府に対し、「沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒」の旗を掲げる労働者部隊が登場したのである。
家族を抱えた労働者1人1人が逮捕覚悟の決意を語り、鉄壁の労務管理を誇る職場から決起し、国家権力と直接対決したのである。
労働者の街頭政治闘争は69年の「10―11月決戦」を皮切りに展開され、翌70年の4・28闘争では端緒的に武装した労働者が中軸を担った。「10―11月決戦」だけで7千余の労働者・学生が逮捕され、約1100人が起訴された。4・28闘争を経て、千余の労働者が長期にわたる獄中生活を非転向で頑張り抜いた。
明治以来の社会主義運動の草分け的存在である荒畑寒村はこの闘いに熱いエールを送り、労働運動の未来を託して蔵書を売り払い全国反戦青年委員会にカンパした。
しかし残念ながら現在、〈反戦派労働運動〉は完全に死語と化している。革共同とその影響下の労働運動のなかで全く省みられなくなって、すでに久しいものがある。
私は20年程前、労組交流センターの東海・北陸ブロックの合宿に招かれた。そこで各県の活動報告がなされたが、それぞれが所属する労組の実情を述べ合ったに過ぎず、既成労組の交流会と何ら変るところがなかった。
また革共同再建協が発足して間もない頃、大阪で開かれた労組活動家会議でも同じような場面にでくわした。〈反戦派労働運動〉のスピリットが全く感じられなかったのである。司会者から発言を求められた私は、「反戦派労働運動の視点に立った報告がなされなかったのはどうしてか」と率直に疑問を呈した。しかし参加者から何の反応も得られなかった。
前述のように「10―11月決戦」に始まる一連の国家権力との激闘によって膨大な数の逮捕者を出し、解雇された労働者は2千人を数えた。3全総路線を実践して築き上げた戦闘拠点を、権力と資本の十字砲火によって失った痛手はあまりにも大きかった。それがトラウマとなり、負の遺産として封印してしまいたいのだろうか。
しかし、そうであればこそタブー視したり敗北主義的に受け止めるのでなく、大胆かつ率直に討論して、反戦派労働運動の到達点と限界性を、参加した労働者の内面の葛藤も含めて総括することが求められる。清算主義は怠惰の産物であり、何物も生み出さない。
革共同再建協が発足当時の初心に立ち返り、本腰を入れて革共同の再建をめざす以上、この総括作業は絶対に欠かせない。
労働者をあるがままの姿でとらえる
3全総路線を主導したのは、本多書記長と陶山政治局員である。とりわけ労働運動の領域について陶山さんの果した役割は大きい。陶山さんの労働者のとらえ方は、他の指導的メンバーとくらべて際立った特徴があった。
マルクス主義者を自任する人たちの多くは、『共産党宣言』などに示された労働者階級の歴史的使命という本質規定から現実の労働者をとらえようとする傾向がある。つまり、資本制生産の下での賃金奴隷の地位から自らを解放する闘いの主体であるというとらえ方から出発する。このような視点からイメージして労働運動に取組もうとした場合、得てして生身の労働者の生活感覚や感性・本能から乖離する危険に陥りやすい。
しかし陶山さんの場合、労働者をあるがままの姿≠ノおいてとらえるところから出発する。
労働者は自ら働いて得た賃金で家族の生活を支える責任を負っている。独身者であれば、それによって将来の生活設計を立てる(非正規労働者の場合は不可能だが)。だから経営者や上司ににらまれるようなことは避けたいし、正規雇用であれば無事定年を迎えたいと願う。
現実の個々の労働者は、決して革命のために存在している訳ではない。しかし同時に少しでも人間らしく生きたいと思い、そのために自分の職場はもとより、社会がそれを保障してくれるものであってほしいと念じている。
彼・彼女たちは労働の過程で資本の搾取と横暴に怒りを募らせると同時に、現在の生活基盤を手放したくないため我慢を重ねる日々を過ごしている。そしてついに不満と怒りが頂点に達して、仲間と共にストライキに立ち上がったとき、普段の生活からは想像もできないようなエネルギーを爆発させる。
そうした労働者を闘い(実践)をつうじて、即自的存在から向自的存在(社会主義的労働者)に変革していくのが、組織者たる共産主義者の任務である。党はそのための触媒の役割を果たすべき組織である。
「労働者の感性と勇気を共有し、その強さと弱さを熟知し、同じ労働を体験し同じ生活をし同じ言葉で話す革命家、これこそ労働者が本当に身近に信頼しうる前衛である」(陶山健一「帝国主義を打倒する労働運動」。『共産主義者』20号、199ページ)。
3全総とその実践的帰結である〈反戦派労働運動〉は、以上のような考え方を前提としたものであった。
戦術をとおして思想を語る
つぎに〈戦術の緻密化〉について考えてみよう。共産主義者にとって、戦術は闘争目標を実現するための単なる技術や作戦ではない。
戦術をとおして思想を語る=\―これは畏友OY君(69年の「10月決戦」で高田馬場で逮捕されS化学を解雇)の名言である。
私たちはマルクスやレーニンをはじめとする革命的思想家の業績に学んで、労働者階級自己解放闘争の理論を自らのものにするために努める。しかし権力や資本の攻撃に抗して闘う過程で、即自的労働者を向自的労働者に変革し、革命を主体的に担う階級を形成する闘い方を貫徹することは容易ではない。
現実の闘いのなかで代行主義に陥った経験は、労働運動に携わった者なら多かれ少なかれ誰しも持っているはずだ。
だが、たとえ困難であっても、「闘いの中で自らが変革されない闘いはその闘いがインチキである証拠である」(陶山健一『反戦派労働運動』317ページ)ことを銘記すべきである。
闘う労働者にとって、戦術こそ自己の思想を実現し物質化するものである。そして労働者が革命を担いうるたくましい存在になり、組織化されていく一切の契機である。誤解を恐れずに言えば、それは『賃労働と資本』などをテキストにした、いわゆる学習会から生まれるものではない。現実の具体的な闘いのすべての局面において、参加した労働者を変革し、同時に共産主義者としての自己をも変革する視点に立った戦術を追求することが求められる。
そして、闘いに参加した労働者が具体的な行動を経て何をつかんだのか、1個の労働者として人間としてどこまで鍛えられ成長したのかと、一緒に闘った仲間たちと共に語り合い確認し合うことが重要である。こうした個人レベルの総括≠組織し保障するのも共産主義者の任務である。このようにして、革命を主体的に担う階級形成の一歩を踏みだすことが可能になる。
昨年7月、「これからはグラムシでいく」などとのたまって革共同再建協から脱走したグループが発生した。彼らは3全総路線と〈反戦派労働運動〉に対する清算主義を克服できず、激しい戦闘過程から逃亡することによって自らを「総括」した。
私は改めて陶山さんの『反戦派労働運動』(1969年、亜紀書房)と『共産主義者』20号(1970年)所収の「帝国主義を打倒する労働運動」、および岸本健一『日本型社会民主主義』(1966年、現代思潮社)の末尾にある「レーニン組織論批判をめぐって」を読み直した(岸本は陶山さんのペンネーム)。
もとより半世紀以前の論考であり、時代的制約性は免れない。しかしその核心的スピリットと本質を鋭くえぐる論理的展開は、いささかも色あせていない。労働者自己解放闘争と党建設のあり方を、含蓄に富んだ言葉で語りかけ、今なお十二分の説得力を持ってわれわれに指し示している。現在の主体的・客観的条件を踏まえつつ、再読・精読すべき文献である。
陶山さんは〈反戦派労働運動〉の原点を「人間解放をめざす労働運動」と表現している。陶山さんこそ3全総路線を全人格的に体現し、〈反戦派労働運動〉を先頭に立って最も積極的に推進した指導者であった。
コロナ禍の蔓延によって、ただでさえ困窮の淵に立たされている非正規労働者や失業者は、果して明日生き延びることができるのかという切迫した事態に直面している。〈沖縄〉や〈原発〉〈差別〉をはじめ、解決を迫られている課題が山積している。それらの問題と取組むさまざまな闘いをつなげて、統一した力に発展させ、支配階級と対決し憲法改悪を阻止するために、党の存在意義が問われている。
今こそ、3全総路線とそれを実践化した人間解放をめざす労働運動=〈反戦派労働運動〉の継承・発展を声を大にして訴える。
(2021・8・27記)
8面
マルクス『資本論』に学ぶ(2)
利子生み資本とは何か(中)
松崎 五郎
〈解説・意見〉
貨幣の3つの規定
@ マルクスは、ここで初めて貨幣の第2の規定・貨幣資本を明らかにしています。『資本論』のこれまでの貨幣の規定は、流通手段です。先回りしていえば、貨幣の第3の規定は、架空の貨幣資本です。
貸付貨幣資本は、産業資本家に貸付けられると、その資本価値は産業資本の生産過程・循環過程に固着しています。だが資本主義では、貸付けたという権利書(株券や債券など)が売買されています。
つまり、権利書の額面が表す価値は生産過程・循環過程に固着しているのに、その権利書は額面とは異なる時価で取引されています。日々変動するゆえ時価は観念なのです。だから、この時価で取引される貨幣資本は、架空の貨幣資本なのです。つまり貨幣は、資本主義の下では3つの規定を受け取ります。
A 利子生み資本(貸付貨幣資本)の特徴を、マルクスは2点あげています。資本投下および還流における二重性と、売買は普通の売買ではなく貸付・返済の形をとるです。
貸付貨幣資本の運動
B 貸付貨幣資本の運動は、「G―G―W―G―G」と表現されます。Wは厳密に言えばW{Pm(生産手段)+A(労働力)}…P(生産)…Wです。産業資本の循環はG―W―Gなので、貸付貨幣資本の最初のGと最後のGは産業資本の循環の外に存在するのです。図式化すれば
貨幣資本家 G………G' (所有権は保持媒介項がない)
貸付 ↓ ↑ 返済
産業資本家 G−W−G'
だから、産業資本の循環の外にある貸付貨幣資本は、とくに架空の貨幣資本は、生産のためにはまったく必要のないものです。だが、最初に述べたように、いまやこの架空の貨幣資本が資本の基軸に座っているのです。つまり、世界の資産の大部分は、この架空の貨幣資本なのです。
21章ではまだ展開されていませんが、この架空の貨幣資本という概念を掴まない限り現在世界を見据えることは不可能なのです。架空の貨幣資本(資本過多)が現実生産のバブルを引き起こし、その崩壊として恐慌が引き起こされ、産業資本は倒産せざるをえなくなるのです。
利子の理不尽
C 問題は利子です。利子は利潤の分割ですが、「競争によって」決まります。だから、恐慌の場合など、利子が利潤を超える場合が生じるのです。その結果産業資本家は、利子が払えなくなって倒産せざるをえなくなります。
また、貨幣資本家は、貸し出す場合必ず利子を取るので資本ですが、産業資本家は、それを資本として使うか流通手段として使うかは彼自身の必要性によって異なります。産業資本家が流通手段として使った場合、利潤が生じないのに、利子は取られるという理不尽が生じます。
擬制資本と国債
D 架空の貨幣資本は2つに分類されます。1つは株券や債券など現実資本の影です。擬制資本と呼びます。影が太陽の位置によって伸び縮みするように 実体経済の動向には順に、一般的利子率の変動には逆に増減します。
もう1つが生まれそのものが経済的裏付けのない架空の貨幣資本です。国債がそれにあたります。国債は、国会の承認を経て政府が発行します。国債発行の限界は、国債の利子を国の税収で返済できるかです(元本の返済は借り換えでごまかせます)。
だから、一般的利子率が下がれば、国債はどこまでも発行できるかのように思われますが、一般的利子率は経済動向に規定されていて、恣意的操作には限度があります。特に、インフレーションが起これば、通貨価値が下がっていくので一般的利子率は高騰します。
ワクチン接種が進み経済活動が再開した今日のアメリカでは、貿易赤字の増大とともにインフレーションがはじまり利子率は上昇に転じています。(つづく)
(本の紹介)
在日1世から2世、3世へ 連綿たる生きざま
『海を抱いて月に眠る』深沢 潮・著
父の死
物語は父の死から始まる。語り手は文梨愛、在日朝鮮人2世だ。母は5年前に亡くなり、父は1人で住んでいた。生前、父は自分自身のことを家族にいっさい語らなかった。父の葬儀の日、朝鮮語で「アイゴー、アイゴー」と泣き叫んでいる男性は誰なのか、弔問客の金美栄という女性は誰なのか。梨愛はまったく知らなかった。
父の死後、遺品を整理するなかで、父の手記が見つかる。以後、この物語は在日1世として生きた父の「手記」を通して、父の生き様が語られることになる。これによって、ある在日1世の個人史が解明されていくのだ。
残された父の手記
父の本名は李相周。1947年6月、朝鮮半島情勢が混乱を極めるなか、16歳の相周は革命運動に参加していた。弾圧から逃れて、相周と同郷の仲間2人(姜鎮河、韓東仁)は密航船に乗って日本にのがれる。途中、船が座礁するが、3人は助け合いながら対馬に泳ぎわたる。ここから博多に移動し、李相周はここで文徳允という名の米穀通帳を手に入れる。本人より5歳年上だが、以後、相周はこの名前で一生を過すことになるのだ。3人は大阪を経由して東京に移る。この3人は別々に行動していくが、友情は変わらなかった。
文徳允(通名:文山徳允)は朝連(在日本朝鮮人連盟)で活動を始める。その後、日雇労働をしながら、韓青(在日韓国青年同盟)で活動していく。ここで知り合った南容淑と結婚。その後、韓民統(韓国民主回復統一促進国民会議)で運動をする。「手記」では、朝鮮半島の政治情勢、戦後の在日朝鮮人の運動と闘いと同時に、これにからめて相周の個人史が語られていく。この小説の醍醐味はここにある。
民族にこだわる梨愛
文梨愛はニューカマーの韓国人と結婚し、自らの民族性を大切にして生きている。高校までは通称名の文山梨愛を名乗っていたが、大学入学とともに本名に変えた。兄の鐘明は、日本人の女性と結婚し、日本籍にかえている。民族意識において、在日朝鮮人の2世においてもこのような違いがあり、人さまざまなのだ。民族意識にこだわる梨愛の生きかたは、作者の分身でもあるのだろう。
この小説の語り手、在日2世の梨愛においても、父のことは知らなかった。在日3世・4世になってくれば、その意識はさらに薄まっていくだろう。ましてや、日本人民にとってはなおさらだ。
共同作業で、ともに生きる社会を建設
在日1世がどのような思いで日本に渡ってきて、どのように生きてきたのか。日本の植民地支配の結果として、在日朝鮮人が存在する。その具体的な個人史は、何よりも日本人民が知る必要がある。日本人と在日朝鮮人がこの日本の地でともに生きていくために、日本人民はこの歴史的な重みを確認する必要がある。こうしてこそ、この両者が新しい社会をともに創りだしていけるのだ。
この小説は2018年に出版されたが、今年4月に文春文庫におさめられた。手に入りやすくなっているので、読んでいただきたい。(鹿田研三)
特別カンパのご協力ありがとうございました
本紙320号から訴えてきた特別カンパへのご協力ありがとうございます。
9月3日、菅義偉自民党総裁は突然総裁選立候補辞退=退陣を表明しました。臨時国会を開かずの「コロナ対策に専念」など嘘八百で、本質は人事権も解散権も奪われての八方ふさがり辞任です。これは労働者階級・人民のうまずたゆまずの大衆行動がついに菅を追い詰めたもので、私たちもその一翼を担えたと自負しています。そのうえで、安倍―菅と続く新自由主義と保守主義の政治を断ち切り、労働者階級・人民の主導する社会への変革が必要です。300万円特別カンパの達成はこの闘いの大きな資力になると確信します。ともに闘いましょう。
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